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プログラム骨子案(3)

 投稿者:まっぺん  投稿日:2008年 6月20日(金)20時54分50秒
返信・引用 編集済
  4、われわれの「党」観・組織原理について

 われわれの解放組織について、荒削りな思想的観点と組織原理を明らかにする。

(1)なぜ「党」解放組織が必要なのか

 これまでの中央集権制の組織原理は、構成員が自分で物を考え、自主的に判断できない人間の集団を形成した。結果として、党活動を義務と強制に転じていった。また「唯一前衛党」論は、自らを「階級闘争と革命の単一司令部」とし、この上からの指導のために「鉄の規律の中央集権制」が必要であるとした。これは、大衆運動・大衆組織への「指導の名による引き回しと支配」に変質・転化した。われわれは、中央集権制の唯一前衛党論は、無用であると考える。
 しかし、そのことは革命のための党・解放組織が無用である、とこれを否定することを意味しない。支配階級がその党を先頭に、国家権力を握り、労働者民衆を支配・抑圧し、搾取・収奪しているとき、労働者民衆が資本と国家と闘い、資本主義のくびきから自己を解放していくためには、歴史発展の原動力である巨大な民衆の闘い、階級闘争の一部分でありながら、その利害を調整し、目標と方向をはっきりとし、闘いを資本と国家の廃絶、新たな協同社会の実現に向けていく推進力が必要である。
 党・解放組織の全活動の目的は、労働者運動、大衆運動の上からの唯我独尊の「指導」や「自己拡大」にその重点があるのでなく、革命運動の主人公たる労働者民衆自身の自覚と自律・自治の拡大、その内部のエネルギー・英知を引き出し、解き放ち、強化することにある。その目的のためにも、その協同性において、行動、思考、人間関係において、諸個人の内面的解放をもってする自己実現を助け、その力を開花させ、自治してゆくその過程全般を論議し、調整し、組織するものを必要とする。
 われわれのめざす「21世紀社会主義革命」のためには、21世紀の新しい型の解放組織が必要なのである。

(2)自由にあふれ、協同と多様性に満ちた統一、組織原理

 党・解放組織の主人公は誰か。労働者階級の自己解放の思想原則が、その解放事業の推進力たるその党・解放組織に、その主人公が組織の構成員一人一人であり、その構成員「主権」をはっきりさせ、その自己決定・自治の原理で運営されねばならないことを、おのずと規定する。
 また、われわれは、「一枚岩の党」観のように、党解放組織を、画一的な矛盾のない集団とするような組織観に立たない。われわれのコミュニズムの中心理念である「一人一人の諸個人の自由な発展」が、「万人の自由な発展の条件となるような協同社会(アソシエーション)」の実現をめざす組織には、まず個人の自由が自己決定・自治の原理とともに保障されていなければならない。
 こうした観点から、民主的中央集権制の組織原理に代わる新しい党・解放組織の組織原理は《構成員「主権」、民主自治制、ラデイカル(根源的)民主主義、公開性》の原理である。
 その際、強調しておかねばならないのは、「民主的中央集権制」をとらず、「民主自治制」原理をとるということは、個人が好き勝手にバラバラでよいということを意味しない。21世紀社会主義革命のための党・解放組織は、差異の自由な表明にもとずく主体の解放の組織的プロセス――つまり唯一前衛主義でもアナーキズムでもない、常に多様でありながら共同で活動できる自律性と協働性の結合の中に生まれる集団的「共(コモン―共通のもの)」の創出をめざすものである。だからこそ、異論の存在を前提にし、構成員相互の自由意志、自発のもとに討議し、その協同的相互関係の「間」に形成される「共通―合意点」を大切にし、実践のなかでその共通点を検証し発展させていく。差異があり多様でありながら協同して闘っていく組織原理である。

(3)「運動概念型」の新しい型の組織の形態とその創造的システム

 アソシエーション革命でもある「21世紀社会主義革命」のための21世紀現代の党・解放組織は、その型においてこれまでの三角形・垂直の中央集権型のトップダウンではなく、「リゾーム(地下根茎)状」の下からのボトムアップを特徴とする組織形態である。
 これまでの国際的革命運動において挑戦された「リゾーム(地下根茎)状」の形態――ポーランド革命のフォーラム型「連帯」、キューバ革命の「7・26運動」や最近のベネズエラ革命の「第五共和国運動」などの運動型、現在進行中の「世界社会フォーラム」の試みなど――の歴史的経験に学び、「運動概念型」の組織とする。
 この新組織は、直ちに、討議・結合・コミュニケーション・協働のためのインターネットを使った独自のシステムを、また各種プロジェクトを豊かに創造し、資本と国家を包囲する網の目を形成することを、大きな課題とする。

結びに(略)

注―この文書は、来るべき「革命21」結成時において決議されるための「プログラム素案」作成のための骨子である。従って、5・11会議では「骨子案」として扱い、準備会の本格化のなかで集団的に討議され、より豊かにされ、成文化されていく性格のものである。よって、あえて省略した前文と結びをはじめ、農業・「エネルギ−資源」問題などいくつかの重要な問題の欠落については、今後深めていくことにする。 なお、5・11総会には、「プログラム草案の討議のためのたたき台」が、資料として提出されている。その全文は、「革命21ホームペイジ」にて読むことが出来る。
 

プログラム骨子案(2)

 投稿者:まっぺん  投稿日:2008年 6月20日(金)20時52分45秒
返信・引用 編集済
  3、われわれの理念と日本世直しのヴィジョン(構想)
――日本列島弧に「自治・共和・連帯」のもう一つの日本を!

 日本の労働者民衆の「今、ここにある危機」―戦争と暴力の連鎖、全ての貧困・抑圧・支配・差別・隷属・地球と人間のエコロジー的危機からの解放の出口は、その根源である資本制社会の現実を変革し、人類史に貫く脈々たる解放への闘いの歴史を受け継いてゆく運動以外にない、とわれわれは考える。
 運動型新党「革命21」(準)は、この「世直し」のために、資本制社会とその文明の原理・価値目標の対極に、以下の新しい理念(価値)とヴィジョン(革命路線と基本政策)の骨子を提示し、資本の世界に代わる世界的規模の社会政治革命の一環として、当面する「日本列島弧自治共和連邦」(仮称)を実現する「日本革命」のために闘う。

(1)理念について

 われわれは、「労働者階級の解放は労働者自身の事業である」の自己解放原則にたち、マルクス主義の創造的発展によるコミュニズムの大道を歩む。
 われわれの志すコミュニズムは、資本主義の枠内の改良でなく、搾取・収奪の根源にある商品・貨幣・資本関係の廃絶と階級の廃止・国家の死滅を根本内容とする世界的規模の資本と国家との階級闘争を通じて、人々(男女、諸民族)が真に自由で自律した人間存在に変わり、生のあり方の差異や多様性を差別と抑圧の根拠としない、「ひとりひとりの自由な発展が万人の自由な発展の条件となるような協同社会(アソシエーション)」を実現する道である。
 これは、人間と人間の協同、人間と自然とのエコロジー、自分の自由のために他者を手段・犠牲としない「愛と連帯」(社会的政治的)の倫理的価値とが不可分一体のものである。そしてそれは、労働を自発的で喜びに満ちたものへと自由時間を通じて解放してゆき、人間解放をめざすものである。総じて、資本主義の「文明的野蛮」に対抗して、「生命と多様性」尊重の文明・生活様式への、人類文明史の一大転換を実現することである。

(2)当面する日本革命ヴィジョン(革命路線)の基本性格について

 わたしたちがめざす高次のコミュニズムの実現に向かう「協同組合的社会」形成とその運動過程は、世界的規模でのアソシエーショナルでエコロジカルな、かつ倫理的・文化的な総体的継続革命の過程である。旧来、過渡期におけるこの革命過程を通称「社会主義革命」とされてきた。わたしたちは、「一国で共産主義・社会主義が可能であるという見地をとらず、社会主義を固定した体制としてではなく、資本主義社会からコミュニズムの実現に向かう一大過渡期における資本と国家を廃絶するために闘う革命過程と考える。ゆえに、当面する「日本」革命は、こうした世界的規模での社会・政治・文化革命の一環として、東アジア的、世界的視野をもった革命として構想する。
1、日本列島における近代史と近代日本国家は、北方にあってはアイヌへの侵略、南方にあっては琉球王国の武力併合によって北海道と沖縄を創出し、外にあっては朝鮮・中国などアジアの侵略によって形成されてきた歴史である。われわれは、この事実を踏まえて、沖縄・東アジアに開いていく「日本列島弧社会」という発想に立ち、人種や民族を超えて平和に暮らす、新たな協同社会を創りだすことを願い、当面する日本革命を構想する。
2、この「日本」革命は、日本資本主義とその政治・経済・社会・文化システムを変革し、「協同・環境・倫理」原理にもとずいて進めるトータルな社会革命である。
 この社会革命は、これまでの政治革命主義を克服し、政治権力を獲得してから初めて始まるのではなく、労働者民衆の資本と国家による日常的な支配と闘う対抗運動を通じて、対抗権力・対抗社会(協同諸組織・運動とその自立・自治)を地域に形成していく日常的実践が、革命の基盤・基礎であると、考える。
3この日本革命の基本的性質は、日本共産党のいうような「資本主義の枠内での反帝独立と反独占の二つの性格をもつ民主主義革命」ではなく、現代の日本資本主義を打倒し、マルクス的協同組合型社会(アソシエーション)をめざす21世紀社会主義革命である。

(3)当面する社会・政治革命の基本方向

1、資本の搾取・収奪(資本・賃労働関係)の廃絶のため、生産、所有関係を変革する。――資本家所有の主要生産手段を社会的所有(生産協同組合的諸組織とその連合)に移し、中小生産者を協同組合化し、全経済の労働者・人民管理を実現し、生産と技術の質を変え、「地球的自然と人間復興」の「生命系地域循環型経済」への転換をはかる。生産と経済の変革を通じて豊かな社会を追求する。豊かさの基準は、カネ、カネ、モノ、モノの物欲の充足から人間関係や人間と自然の調和の豊かさへ、自律的で自由な時間の豊かさを尺度に変えることである。
2、この社会革命は、政治権力を打倒し、国家権力を廃棄し、自立した労働者民衆の自律・自治のために、新たな民主主義を創始する政治革命を不可欠とする。
 当面する政治革命は、わが国の東京三菱UFJ、りそな、三井住友、など巨大銀行に象徴される金融独占資本を支柱とする国家権力を打倒し、日米核安保体制に保障されているアメリカ帝国の統制を一掃し、米軍基地を撤去し,常備軍(自衛隊)を廃止し、天皇制を廃止することである。
●(基本政策)日米安保・軍事同盟の破棄、自衛隊の縮小・解体・ボランティア民兵への改組。「憲法9条」堅持と世界化。議会制度の改変。非戦・非核・軍隊のない日本を。
3 政治革命によって創られるべき自治権力とは、君主制・貴族制などの伝統的な「一者」による支配・統治の政府形態でない。それは、下から協同関係の中から多様に生まれてくる労働者民衆の自己決定権の行使による自治の実践にもとずいてつくられ、差異や多様性を尊重するラジカルで参加型の絶対民主主義を実現し、生産協同組合など諸協同組織や地方自治・地域自治組織を中心とした「コミューン自治」に国家を埋め戻してくる「社会主義の労働者自治政府」である。
●(基本政策)「人権・公正・平等・自治の連帯政府」(仮称)を
 日本を「戦争する国家」にこの国を変えようとする「美しい国」(安倍)「希望の国」(御手洗)「普通の国」(小沢)構想に対抗して、「9条の平和主義」を世界に向けて開花させ、「非戦・非核・軍隊のない」「多民族・多文化共生」「自治・共和・連邦」による「もう一つの社会主義日本」の構想と「自治と連帯の労働者政府」(仮称)を具体化する。
●(基本政策)非核・非戦、法治、複数主義、協同民主主義、あらゆる差別の廃止、あらゆる民族の平等の権利、自決の自由を実現する。――など。
 注―巨大な中央集権原理の「国家統治」「企業統治」に対抗する労働者民衆の3つの自治権力構想は、第1に労働・生産点の生産協同組合など諸協同組合を軸とする労働者自治権力(経済・産業民主主義)、第2に地域の生活点の自己決定の地方自治権力(地方自治体の改変)、第3に、第1、2を基礎に、協同原理によるこれらの全国的連合体・連邦体としての全国政府・構想である。この政府は、東アジア的民衆共同体構想、世界的レベルでの「国際連帯の自治機構」創設と横つながりになってゆく構想である。(何故なら、商品・貨幣・資本の廃棄と同様に、国家もまた一国で廃絶することは出来ないからである)

(4)革命の基本戦術・統一戦線

 われわれは、日本共産党の「民主主義革命のプログラム」のように、議会での過半数を得ることにその基本戦術を絞る議会主義路線は誤りであり、他方でこれへの反発から、ロシア革命モデルのあてはめや、急進主義的な「戦争・軍事路線」は自滅の道であると考える。「戦術は水の如し」であるが、われわれは、労働者運動の発展を基礎に、階級闘争・大衆闘争を重視し、直接的大衆行動の発展、ゼネスト、革命的議会主義、大きくて広い統一戦線戦術を駆使し、自らの抵抗権を行使していく。

(5)当面する基本政策(過渡的政策)―略

(6)日本列島から北東アジアへ、世界へ

 「もうひとつの日本」への「日本列島弧自治共和連邦」(仮称)構想は、国際主義の精神に立って、日本から北東アジアへ、さらに世界的規模の自治連邦の構想である。世界の激動的移行期において、われわれは、南北朝鮮民衆の自主的平和的統一支持と、沖縄の自立・自治の志向、自己決定の行使を支持し、日米核安保―軍事同盟を友好条約に変え、日本が戦争と暴力、支配と抑圧の根源の一つであることをやめ、「もうひとつの世界」の扉を、全世界の労働者民衆とともに、ここ日本から開くために全力で闘う決意である。
 

プログラム骨子案(1)

 投稿者:まっぺん  投稿日:2008年 6月20日(金)20時46分48秒
返信・引用 編集済
  『コモンズ』6〜7ページより。長いのでいくつかに分けます。
※マル数字が出ないのでカッコ数字にしました。
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提案にあたって

 時代の求めるところに応えんとするこの歴史的事業は、われわれだけで成しうるものではない。それは、これを担おうとする全ての先進的労働者、コミュニスト、革命的人士の力と志を一つにすることに一切は掛かっている。
 この見地に立って、ここに、「われわれのめざす理念とヴィジョン」についての「プログラム(素案)」の荒削りな骨格を提起する。今後、「革命21」準備会でのより本格的な討議のなかで、日本世直しの「憲章」(プログラム)として獲得する道を、集団的に開く一歩となることを希求する。

1、われわれの立場(総括)と確信

 「革命21」(準)の新しいスタート(出発)にあたって、資本主義を打倒するためには新しい「革命ための推進力としての党」が必要だと思いながらも、ソ連・中国の変質、日本の左翼の内ゲバやセクト主義にうんざりし、「もう、社会主義や党はコリゴリだ」と考える労働者民衆に対して、まず、われわれのこの種問題に対する立場と態度を鮮明にしておかねばならない。何故なら、われわれもまた、そうした疑問を自らに問い直しながら、討議を深め、発意に至っているからである。

(1)「20世紀社会主義」の挫折の総括

 簡潔に言えば、ロシア革命に始まる「20世紀社会主義」の挫折は、「国家社会主義」と「共産党一党独裁」に帰結したその革命プログラムと党組織論自身のなかにある。
 先人たちの歴史的経験が、遺している教訓とその核心は、以下のことである。
 一つは、マルクス的コミュニズムの核心である協同組合型社会(アソシエーション)は、国家によって上から育成する道ではなく、「国家権力を自由な諸個人からなる生産者自身に移す」事によってしか生成されない。国家、国家と癒着した党、国家官僚の統制計画によって経済過程を上からコントロールする道は、国家集権主義に、国家社会主義への変質に通じる、ということである。
 二つには、社会主義革命が解放から抑圧へ変質し、労働者階級の自己解放のためにその先頭で闘ったはずの共産主義者とその党が変質して国家権力となり、革命の成果を食い、労働者人民を抑圧・支配し、人民の上に君臨した「共産党一党独裁」への組織的梃子(てこ)となったのが共産党の「民主的中央集権制」の組織原理だったと、いうことである。

(2)「内ゲバ」廃絶と分裂主義の克服を

 これらの政治的組織的誤りは、「内ゲバ」に象徴される日本における新旧左翼運動の解体・堕落の根っこにも共有されており、それらからほとんどの左翼は自由ではなかったといえる。
 とりわけ、運動方針や意見の相違を物理的暴力によって解決しようとする「内ゲバ」や「オレが、オレが」のセクト主義、統一への努力でなく分裂への志向という悪習の克服は、「党」経験のあるなしにかかわらず、日本の左翼運動と革命主体の道義的再生のためには不可欠であり、これらの根本問題の切開を鮮明にすることを欠いては、一歩も前にすすめないと、われわれは考える。
 にもかかわらず、世界の「マルクス再興」「社会主義ルネッサンス」や左翼再生の胎動に比して、日本の左翼運動は低迷と解体状況にある。日本共産党は大衆闘争を「資本主義の枠内の民主主義的改良」に押しとどめ、既存新旧左翼勢力は総崩れしており、「頼むに足らず」の状態にある。
 われわれは、これまでの世界と日本の先人たちの苦闘と革命的伝統を継承し、「内ゲバ」廃絶と分裂主義の克服の立場をはっきりし、闘ってゆく。

(3)われわれの確信

 こうした総括に立ち、改めて、マルクスの構想した「自由な生産者たちの自己統治と諸協同組合(アソシエーション)」の構成する新しい社会の創造に挑戦するにあたって、われわれは、この公然化に先立つこと1年、自らに問うた。新たなマルクス的コミュニズムは可能だろうか、と。そして、われわれは発見し、確信した。
 「資本主義の根幹に触れる闘い」と資本と国家に恐れられ、ゆえに、80年代と今日における二度にわたる大規模な国策弾圧にさらされてきた「関生型労働運動」の闘いに、「協同組合型社会(アソシエーション)」への新たなコミュニズムの可能性を、具体的実践的に発見した。
 この運動の大きな特徴は、独占資本の産業支配に抗して、協同労働権を基礎に、中小企業を引き寄せた労働組合による生産協同組合とその産業政策にある。それは、労働者の生産・流通・消費の場における自己決定権を押し広げ、日本の労働者運動に対し、資本主義の次をめざす闘いの戦略を提起している。
 国際共産主義運動の歴史を振り返れば、マルクスと国際労働者は、「国際労働者協会(第1インター)」の「創立宣言」において、少数の労働者が始めていた生産協同組合を、「これらの社会的実験の価値は、いくら大きく評価してもし過ぎることはない」、またそれが狭い範囲にとどまるならば独占資本の幾何級数的な成長を抑えることも労働者解放もできない、と述べている。だから、この協同労働を全国的規模で発展させる必要があり、そのためにも「政治権力を獲得することが、労働者階級の偉大な義務となった」と確認した。そして、労働者は連帯することによって力となるゆえに、国際労働者協会創立が問題とされたのである。
 ここに始まり、パリ・コミューンを経て、巡りめぐって「20世紀社会主義」の変質と挫折、それを越えようとした1968年「世界革命」の挫折をも経験した21世紀の今日、コミュニズムを志向するわれわれは、今まさに新しい水準において、関生労働運動の生産協同組合への実践と新しい全国的「党」創立の必要とその意義を、深く捉え返している。われわれは、新たなコミュニズムの前途を、希望をもって確信する。

2、われわれの時代認識―われわれは、いま、どのような時代を生きているか(以下略)

(注――「呼びかけ」の認識に沿って、5・11スタート総会に提出・配布された「プログラム素案〈たたき台〉」を素材にした今後の討議を経て入れる)
 

日本はいつの世も軍事大国

 投稿者:自由主義者  投稿日:2008年 6月20日(金)16時03分58秒
返信・引用
  日本はいつの世も軍事大国

http://japansconspiracy.hp.infoseek.co.jp/0202/p004.html#page128
 

う…

 投稿者:まっぺん  投稿日:2008年 6月20日(金)14時50分54秒
返信・引用
  >なお以下は、革命21へというよりもそれを紹介したまっぴょんさんへの感想になります。
>「国際的な」というレトリックがたくさん登場していますが、ならばなおさら、その「国際的な」
>運動では、LGBTなりLGBTIなりというのはもう「空気のごとく」あたりまえのフレーズになってい
>るのであって、それにまったく触れない気付かないだけで大変まずいのではないかと。

認識不足を自己批判します。
 

ではお言葉に甘えても少し詳しく

 投稿者:よねざわいずみ  投稿日:2008年 6月20日(金)12時55分35秒
返信・引用
  > No.5454[元記事へ]

> 出自や女性、男性を問わず

という表現に問題を感じるのは、言うまでもなく、「女性、男性を問わず」という表現において、人間の性別が2分法で語られているからです。
世の中には「女性」「男性」とカテゴライズできない人、カテゴライズを拒否する人、他者によるカテゴライズの結果悩みを抱え込む人、等々さまざまな人々が存在します。
これらの問題については、内容が古くかつ相当の限界があることを前提としつつ、自著「トランスジェンダリズム宣言」(社会批評社刊)をお読みいただければと。

なおこれは、「女性、男性」という立て方自体を否定するものでは全くありません。女性差別問題は現代社会の根源的問題の1つであり、社会を変革する運動体は必然的にこの問題を大きなテーマとしなければならないし、「女性」−「男性」という関係性をきちんと捉えることもまた必要だからです。。
また、これまでの戦闘的労働運動には、しばしば、いわゆるマッチョイズム、男根主義が跋扈してきたように思います(外部から見た印象に過ぎないので誤っていたら逆に指摘してください)。それが「より強い」資本・職制に向けられるのはともかく、組織内部でそういうことになったら完全にアウトです。
そういう意味合いで、「女性、男性」と性別について敢えて触れることの意義は大いにあると思います。

しかし、それならばなおさら、「女性、男性」という表現は使われないべきではないか、と思ったのでした。

なお以下は、革命21へというよりもそれを紹介したまっぴょんさんへの感想になります。
「国際的な」というレトリックがたくさん登場していますが、ならばなおさら、その「国際的な」運動では、LGBTなりLGBTIなりというのはもう「空気のごとく」あたりまえのフレーズになっているのであって、それにまったく触れない気付かないだけで大変まずいのではないかと。
 

緑の党をどう批判するか

 投稿者:まっぺん  投稿日:2008年 6月20日(金)12時46分58秒
返信・引用 編集済
  ●左翼と環境保護運動について

69年ころの反戦運動を経て僕が本格的に左翼運動に関わり始めたのは70年代でした。その頃にはまだ環境保護はあまり問題として取り上げられてはいませんでした。こうした運動は70年代末ころから、左翼からではなく、その外側から始まりました。第四インターでも取り組みが始まったのは80年代からじゃないかと思います。しかし、日本支部では比較的早くこの問題に注目した者がいました。故右島一朗=高島義一です。彼の過去の論文集を読むとそのことが分かります。日本支部内部だけでなく、第四インターナショナル全体の中でも彼はそうした方面では先進的だった。


●第四インターと環境問題

僕の手許に第四インターナショナル第14回大会報告集があります。1995年に開催されたこの時の大会決議の中にはエコロジー問題についての項目は全くありません。しかしその8年後に開催された2003年の第15回大会では、課題は一挙に増大し、エコロジー問題、およびLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー)についての項目などが設けられ、重要な取り組みの課題として位置付けられています。つまり党派としての第四インターの環境問題についての取り組みは、国別で見れば早いところもあったかも知れませんが世界的に見ると遅かったと言わざるを得ません。なお、「女性問題」に限定していえば、1979年の世界大会において討論があったようですが、本格的に取り組んだのは1986年以後のようです。
http://www.jrcl.net/frame06a.html
http://www.jrcl.net/p07.html


●ヨーロッパ緑の党のたどった道

「かけはし」に紹介されている緑の党についての記事を紹介します。これらはインターナショナルビューポイントの翻訳又はかけはし編集局員(かな?)の執筆であり、したがって「トロツキストは緑の党をどう理解しているか」を示す資料と考えていいと思います。因みに僕もここに書かれている主張、緑の党への批判には基本的に同一の立場にあります。

「ドイツ社民・緑政権の一年」かけはし2001.1.1号より
http://www.jrcl.net/pk193.html

「ヨーロッパ緑の党はいまでも反戦勢力だと言えるのか」かけはし2001.8.6号より
http://www.jrcl.net/framek861.html

「アメリカ緑の党からドイツ緑の党へ」かけはし2002.1.28号より
http://www.jrcl.net/frame0128l.html

「緑の資本主義は不可能だ」かけはし2002.10.28号より
http://www.jrcl.net/frame1024d.html

「ドイツ社民・緑『改革』の五年間」2003.10.20号より
http://www.jrcl.net/frame031020g.html

上記論文を読んでいくと、ヨーロッパ緑の党がどのような変遷を遂げてきたかが分かります。エコロジー問題はヨーロッパでは重要な問題として浮上してきたが故に、「みどりの党」が各国に形成され、それらは支持を拡げ、また国際的組織へと発展していった。そして社民勢力と共に政権獲得まで到達したわけです。しかし、政府権力の座にまで登り詰めた時、重大な「試練」が待っていました。上記論文からは、ドイツやフランスの社民・緑政権が資本の要求を受け入れ、結局日本社会党村山内閣と変わらぬ妥協的政策をとった事が示されています。ヨーロッパ緑の党はユーゴ空爆やイラク派兵などに賛成しているのです。戦争は最悪の環境破壊に他なりません。また資本主義グローバリゼーションが環境破壊を伴うことも指摘されていますが、緑の党はこれにも協力しているわけです。これでは緑の党は、自らの「党の目的」そのものを放棄した「自殺行為」を行っていると言わざるを得ません。そのため大きく支持率を下げ、フランス大統領選挙ではトロツキストLCRの4割にも達しませんでした(57万票)。かけはし2002.10.28号では、エコロジー運動は反グローバリゼーションと結び付いてのみ可能だと結論づけています。

●では「緑の党」はダメなのか?

われわれは「レッテル」を貼るべきではありません。「緑」という名前の共通性だけでただちに結論づけることはできません。「ヨーロッパ緑の党がダメだから日本の緑の党もダメだ」とは限りません。「革命的マルクス主義」と名付けたからといって「革命的」で「マルクス主義的」だとは限らないのと同様です。問題は日本の緑の党、あるいは「みどり」を旗印とする人々がどのような綱領を掲げているか、もし政権を担当するような事になったらどうするか、に注目していくべきだと思います。これは「緑」であろうと「赤」であろうと同じことです。「左翼」を自称しながら大衆的影響力をもち、政権の座についたとたんに庶民の要求を裏切って資本と取引をしたブラジル労働者党ルラ大統領の例を、またフランス社共緑連合政権の例を、そして我が日本の村山政権の例をわれわれは見てきました。

●反戦・反グローバルであること

社会情勢に対して、それを切りひらく「主体」の立場からものを見ようとするのは大切なことだと思います。社会を「ひとごと」と考え、いろいろな社会的勢力について客観主義的に眺めているだけなのか、それとも、何らかの行動を伴って自分をそこに投入していこうとするのか。これは「行動するひとだけがエラい!\(^o^)/」という事を意味しません。しかしさまざまな制約によってみずから行動することができないのだとしても、「主体の立場」に立ってものを見るという姿勢は大切だと思います。そして、その上でさらに「主体的であること」と「自分の主観が正しいかどうか」とは別問題である事も踏まえておかなくてはなりません。「緑の党」だからといって環境破壊に加担していないとは言えません。「左翼」を自称しているからといって本当に左の立場にたっているとは限りません。僕は、このグローバル資本主義の時代、まず「反グローバル資本主義・反戦」の立場にたち、行動する事が、エコロジカルな立場であり、左翼の立場であると信じています。そのような立場に立つ人なら主観的に「僕は緑の立場だけど左翼じゃないよ」と言っている人であっても、「左翼の立場にある」と考えていいと思っています。「左翼」とは最早、マルクスやレーニンを勉強した人や革命運動を考えている「特殊なひと」だけに限らない概念となっていると思います。
 

どんどん批判しましょう\(^o^)/

 投稿者:まっぺん  投稿日:2008年 6月20日(金)10時46分47秒
返信・引用
  革命21は生まれたばかりの…… おっと! 正確にはまだ生まれてないね。「準備会」だな。
若い集団です。いろいろ疑問もあるだろうし、批判もあって当然。
周囲からそのような批判や疑問をぶつけ、それに対して柔軟な対応ができないようでは
いままでの旧「新左翼」運動の中から生まれてきた「オレ様唯一主義」な党派とちっとも変わりません。
だからまず、批判しつくすのは多いに賛成です。\(^o^)/

ぼくはこの新党に期待していますが、別にスポークスマンでも何でもないので
ぼく自身、自分の問題意識と重ねながら、自分の立場からでも可能な疑問に答えてみようと思います。
 

ウィキペディアでは

 投稿者:茶畑進  投稿日:2008年 6月20日(金)09時09分20秒
返信・引用
  >>1970年代から欧米諸国で台頭してきた、エコロジー、反原発、反核、軍縮、反戦、人種差別撤廃、脱物質主義、多文化主義、消費者保護、参加型民主主義、フェミニズム、社会的弱者の人権などをテーマにした「新しい社会運動」の流れで結成が進んだ政治勢力である。

その端緒となったのが、1980年の旧西ドイツにおける「緑の党」(直訳では「緑の人々」)結成(政治的組織化の動きは70年代後半から)であり、その後フィンランド、ベルギー、オランダ、フランスなど欧州各地で次々と結成されていった。

これらは通常、環境保護だけでなく平和外交・人権・産業構造・教育・社会保障・労働・食料など幅広い政策をもつオールラウンドな政党であり、平和で持続可能で社会正義のある新しいエコロジー社会を目指す。営利企業の自由を最優先する新自由主義的改革(およびそのグローバル化)、国民国家、ナショナリズム、軍事・治安国家化にも批判的である。

以上です。

ところで、まっぺんさんたちが現役だった頃にはエコロジーに関してはどのような認識をお持ちだったのでしょうか?
 

左翼/右翼?

 投稿者:YUKI  投稿日:2008年 6月20日(金)01時59分51秒
返信・引用
  今の世の中で左翼か右翼かは「軸」にはならないと思います。
そもそも、左翼なんて全体の中での位置づけでしかなく、左翼の数が増えると、その中から急進派がでてくるの様にトコロテン式になっています。
私はそんなことよりも「親米」か「反米」かの方が重要な軸になると思います。

以下、『マガジン9条』の鈴木邦男氏のコラムを紹介しておきます。
http://www.magazine9.jp/kunio/080604/080604.php
 

強烈な言葉

 投稿者:ぴよ丸号  投稿日:2008年 6月19日(木)21時12分16秒
返信・引用
  マルチチュードという無定形かつ萌芽的な形態に「過ぎない」概念を述べているナイス・ガイ
アントニオ・ネグリさんが邦訳『未来派左翼』(原題:GoodBye Socialism)で、旧来の社会党や共産党の人のことを「経営者になりたいだけの人たち」と喝破しました。

私企業ではなく、公営企業であるにしても、「経営者になりたい」という願望は資本家と
変わらない、と。私は一国・一工場というレーニン主義的イメージはこれで捉えており、
それゆえにこの点においてはレーニン主義の再生、というのならばそういう動きは否定
したいです。

社会主義でも共産主義でもいいですが、この辺のイメージ・あるいは考えについて、
革命21はどうなんでしょうね。

http://www.com21.jp/

 

ジェンダーの問題について

 投稿者:まっぺん  投稿日:2008年 6月19日(木)12時35分1秒
返信・引用
  >出自や女性、男性を問わず

ああ、そうですね。たぶん書いた本人も何にも気づいてないんじゃないかな?
そもそも問題意識が希薄なんじゃないかと思いますね。
そういう面では問題意識を持つ人がどんどん提起していったらいいんじゃないでしょうか?

『コモンズ』創刊号は、準備会発足の大会特集号で、呼びかけ、プログラム案、各方面からのあいさつなどばっかりですが、周囲の反応については気にしてると思います。二次会での感想・意見をぜんぶ『コモンズ』にぶつけてみようと思いますけど、いいかな? いいですよね? 第二号への投稿として。
 

古ぼけた社会主義に代わるもの

 投稿者:まっぺん  投稿日:2008年 6月19日(木)12時24分50秒
返信・引用
  社会主義は、ボリシェヴィキ革命をひとつの典型的モデルとして20世紀には世界各地で試みられてきました。しかし、それについてはたくさんの失敗例をわれわれは目にしています。では新しい表現形態にはどんなものがあるでしょうか?「社会主義に代わるもの」はあるのでしょうか?

現在のグローバル資本主義は、資本主義経済の没落を原因として生まれてきたものです。このような経済状況では他者を出し抜いて自分だけが生き残る激しい競争が奨励され、その結果、貧困がますますつくり出される状況にあります。こうした状況を解決するのは他者との共存をめざす道=「社会主義」しかないのではないでしょうか?

資本主義経済には解決する道はありません。競争の激化だけがこの没落した経済の中で「自分だけが助かる」方法であり、それはますます「他者との共存」という考え方を切り捨てる事になるからです。この「他者との共存」、「みんなはひとりのために、ひとりはみんなのために」という考え方が実現できるような経済体制、それをわれわれは「社会主義」と呼んできたわけです。

だから、結局、何度失敗しても、われわれが目指しているのは「社会主義」なのだと考えています。古ぼけた社会主義概念はもちろん捨てるべきだと思いますが、それは「社会主義」そのものの放棄ではないと思っています。
 

表現形態の違いか?

 投稿者:茶畑進  投稿日:2008年 6月19日(木)08時40分22秒
返信・引用
  まっぺんさんのお考えはよく分かりました。みどりも赤も現在の資本主義システムには限界が来ているという点では一致していると思います。そこでどうオルタナティブを提起できるかがそれぞれのテーマになると思うのですが、赤は今だに「社会主義」に拘っているように見えます。東欧・ソ連の社会主義圏が崩壊してもう20年が経とうとしています。若い人たちには「社会主義」とは既に歴史の遺物と見えているのではないでしょうか?例えば昨年の参院選で川田龍平さんを応援した若者には自分が「左翼」であるとか「赤」であるという意識は希薄だと思われます。古ぼけた「社会主義」のイメージを払拭した新しい表現形態が必要なのではないでしょうか?  

みどりでも赤でも革命21には参加できます

 投稿者:まっぺん  投稿日:2008年 6月18日(水)19時38分46秒
返信・引用
  ●赤か緑か?なのか

これは余談ですが。デンマークにはトロツキストと環境左翼の合同政治会派があって「赤と緑の連合」と名乗っています。三年前の選挙で国会の議席を4から6へと拡大。その後のことは知りません。つまり「赤か緑か」だけでは、政治的性格を表現しきれないんじゃないかということです。http://www.jrcl.net/web/frame050301g.html

●ふたつの方向性

みどりでも赤でもやりたいところでやればいいと思います。ただ、この数年〜十数年の世界の左派政治勢力の変遷をどう分析するべきかは重要だと思っています。「大衆化」をめざす傾向と「ラディカル」をめざす傾向とのあいだで党派や大衆が揺れてきた、という事実をどう分析するのか、です。大衆性とラディカル。両方とも重要な要素です。党派、組織はすべからくその両方を求める。しかし、戦闘的労組や党派がそれを維持しながら徐々に拡大し、一定の力を得た時、ほとんど必ず右からの懐柔に会い、分裂したり崩れていく。

●外国の失敗例から

イタリア共産党が右へターンし「左翼民主党」に変貌した時、そこから共産主義再建党が飛び出し、新左翼諸派と共に一定の政治的位置を占めましたが、やがて再び右傾化して先に分裂していった左翼民主党との連合の道を選択したため、そこから再び左派が飛び出し、いま独自の活動を続けています。こうした流れは、ブラジル労働党にも、韓国民主労働党にも見られます。ドイツ左翼党の場合は選挙にあたって始めから左派を切り捨てた。このような失敗を繰り返さないことが問われている。

●単純明快な論理

大衆性を求めながらも、妥協してはならない点については断固として維持し続けるべきものがある。それは、単純で明快です。難しい理論などいらない。現代資本主義の矛盾がもはや庶民の我慢の限界に達するまでに、目に見える形で我々の前に提示されている。赤だろうが、緑だろうが、黒だろうが、資本主義グローバリゼーションがもたらしてきた矛盾に対して妥協せず闘う事が問われている。新自由主義政策、民営化政策、福祉の切り捨て等々といったものへの非妥協的な態度を堅持できるのかどうか。

●左の結集軸が必要

社会党は村山時代、すでにその試練を受けて落第しました。共産党もまた同じ態度をすでに見せている。しかし彼らを切り捨てるのではなく、彼らを再び左へ牽引するための政治的に強力な「プラットフォーム」が必要です。大衆化と左傾化、両方を求めて非妥協的に闘う組織が必要です。ぼくは革命21に対してそのような期待を抱いています。

●未来への投資

過去の経緯は問わない。そこに結集する諸個人の問題も問わない。(まぁ、個人に対しては個人的に問いますが(^◇^))大衆的で資本への非妥協的な運動が一日も早く形成されていかなくてはなりません。その可能性があるなら、積極的にそこに介入していくべきなんじゃないか。これまで小さなグループとして存在してきた「未来」グループが自らの組織を解体し、新聞を廃刊してまで新党派に合流したのは、そのような意志によるものであると評価しています。これはある意味「未来への投資」と言っていい。

●独自の綱領への期待

僕はいつも言っているように今も「中央集権主義者」です。しかし革命21は、そのプログラム骨子案をみると分かるように、リゾーム型組織で非中央集権型。党員主権と平等主義をもっている。だからスターリン主義的な組織統制の手段を持っていない。中央集権ではないので結束力について僕は心配していますが、少なくともこれまでの左翼党派がたどってきた官僚主義が通用しない。これは大衆性を求めるうえではおおきなポイントとなると思います。

●自分が問われている

問題は、今「革命21」が始めようとしている「事業」を「ひとごと」として横からながめているだけいいのか、という事です。まぁ、その構成人員にも、それを構成する組織の過去にもいろいろ不満もあるでしょう。しかしそんな不満をあげていたら、例えどんな党派、諸個人が集まっても日本には永久に力のある政治勢力は登場できません。いつまでも分裂しているのは、我々自身の敗北を決定する道に他ならない。この政治勢力に合流してゆくことは自分を見失うことになるのか? そうはならないだろう。これが僕の結論です。
 

はじめからこれかい

 投稿者:よねざわいずみ  投稿日:2008年 6月18日(水)16時47分57秒
返信・引用
  > No.5446[元記事へ]

>出自や女性、男性を問わず、

ふーん。。。。。。。。。。
これ、性別にしなかったのは何か意図があるんでしょうか?
 

嫌味をひとつ

 投稿者:茶畑進  投稿日:2008年 6月18日(水)16時29分43秒
返信・引用
  団塊世代左翼には「てめえら美味しいとこだけ食べやがって後始末はしたの世代に押し付けるきかよ」というのが本音です。  

まっぺんさんに質問

 投稿者:茶畑進  投稿日:2008年 6月18日(水)15時58分11秒
返信・引用
  新しい政治勢力は「赤」じゃなくてはいけないのですかね?なんか「革命21」関連の文書を見ると
左翼の中でも比較的若い方(30代後半。)の私でも疲れてしまいます。私は「みどり」系の人たちとも付き合いがあります。はっきり言って今の「赤」に若い人たちをひきつける魅力があるとはとても思いません。まあそれは「みどり」にも言えるかもしれませんが・・・。思うに政党や党派は道具に過ぎないわけで古い道具の使い勝手が悪くなったら、新しい道具に変えれば言いだけの話です。どういう道具がいいか、赤なのか緑なのか黒なのか。そこら辺の議論が必要だと思います。
私個人はデモ・集会時には赤色古典芸能で普段は「みどり」的な運動に関わりたいと考えています。
 

コモンズ定期購読のおねがい

 投稿者:まっぺん  投稿日:2008年 6月18日(水)11時23分32秒
返信・引用 編集済
  『コモンズ』創刊号8ページのおねがい文を転載します。(以下)
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コモンズ定期購読のおねがい

いま私たちの生活は不安でいっぱいです。労働はますます過酷(かこく)になっていくのに収入はちっとも増えず、ものの値段ばかりが上がっていきます。政府はこれを改善しようともせず、逆に税金や保険料負担や年金の支払を増やし、医療サービスや老後の年金をけずるありさま。これではその日その日をせいいっぱい生きても、明日の希望が見えません。人間としてあたりまえの生活も許されないのか!

            ※ ※ ※ ※ ※ ※

せいかつはますますひどくなるばかりです。わたしたちが動かなければ何も始まりません。わたしたち自身が立ち上がる時です。そこでわたしたちは新しい運動型組織『革命21』(準)をスタートしました。しかし、わたしたちのちからだけではまだまだ足りません。みなさんのちからが必要です。ひとりひとりは弱い存在です。でもちからをあわせて行動を起こせば、きっと世の中を変えていく事ができます。さあ、いっしょにたたかいましょう。わたしたちの運動に参加してください。

            ※ ※ ※ ※ ※ ※

この運動をひろげていくために「コモンズ」を創刊しました。この新聞はわたしたちの主張を載せるだけでなく、地域や職場で、自分や仲間の生活向上をねがって政府や企業とたたかっている人たちのための情報紙にしていきたいと願っています。地域や職場の情報が全国に広がってゆく事によって、わたしたちはみんな、自分がひとりぼっちではなく、同じ悩みをかかえ、同じように歯をくいしばってたたかっているひとびとが全国のいたるところにいる事が見えてくることでしょう。

            ※ ※ ※ ※ ※ ※

この新聞を通しておたがいにささえあい、助けあいましょう。喜びも悲しみも分かち合いましょう。「みんなはひとりのために!ひとりはみんなのために!」。この新聞をあなたの情報紙にしてください。またあなた自身のたたかいの情報をこの新聞に載せて全国に伝えてください。あなたの思っていることをこの新聞に提案してください。よりよい新聞をいっしょに作っていきましょう。この新聞を購読してください。この新聞のむこうには、あなたとの連帯を求める多くのなかまが待っています。


■購読料 1部 500円/年間購読 5000円
■お申し込み・購読者のご紹介などは「コモンズ」編集へ
 東京都中野区新井2−7−12−25 コモンズ政策研究機構
■電話 東京 03−3389−0411
■メールでも受け付けます…………Eメール:rev@com21.jp

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※連続投稿ごめんなさい。このへんでやめときます。
読者諸氏の忌憚のない意見を求めます。
 

新党「革命21」準備会の呼びかけ文

 投稿者:まっぺん  投稿日:2008年 6月18日(水)10時58分32秒
返信・引用 編集済
  「コモンズ」創刊号1ページをまるごと転載します。(ホームページhttp://www.com21.jpはまだ出来ていないようですね。)

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変えよう! 日本を、世界を、わたしたちを!

  運動型新党「革命21」(準)スタート

(リード)

 5月11日、大阪にて、「関生コミュニスト同志会」の発した「労働者宣言」を契機に発足した新党準備会の「公然化スタート総会」が開催されました。
 総会は、名称を「革命21」と決め、「日本を変えよう、世界を変えよう!私たちを変えよう!」なる「呼びかけ」を決議しました。
 以下は、その「呼びかけ」です。(なお、呼びかけ」全文をはじめ、諸文書については、ホームページにてご覧になれます。)
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(本文)

 新たな準備へスタート

 わたしたちは、「生きさせろ!」と命の叫びを挙げ始めた非正規の青年たち、「もう、我慢も限界だ!」と生活不安を募らせる高齢者をはじめ、貧苦の只中にある労働者民衆の自己解放と社会変革をめざし、新しい全国的解放組織「革命21」の創成に挑戦すべく、ここに、本格的準備に入ることを公表します。

 歴史の大きな
 変化の時がきた

 今、時代は、「唯一の超大国アメリカの時代」が終わりを告げ、世界は歴史的激動期に入っています。資本の「カネ儲け」のための弱肉強食の暴走と延命のための悪政が、世界の自然環境を壊し、地球温暖化と世界的な食料危機を生じさせ、人間が人間であることを否定するような格差と貧困の連鎖をつくりだしています。そしてまた、モラルと人倫の荒廃を生み出し、かけがえのない地球と人間の生命や生活を、根こそぎ破壊しています。
 しかし、苦しい時こそ潮の変わり目、チャンスです。
 米国発サブプライムローン問題を震源地とする、「世界信用恐慌」の始まりに象徴される資本主義の危機は、資本主義が資本主義をやめる以外に解決しようのない根本矛盾の現れにほかなりません。
 それは同時に、わたしたちの闘いのための団結と発展の条件を生みだしています。
 現に、中南米の「社会主義ルネッサンス」の奔流にみるように、世界は労働者民衆の反米・反資本主義の闘いと資本のグローバリゼーション・新自由主義とのせめぎあいの時代に入りました。それは、労働者民衆による資本転覆によって人類の共有財であるべき水、食糧、エネルギー資源をはじめ労働によって生み出された全てのものと未来とを取り返していく〈共〉に創造する革命の可能性の接近、総じて「もうひとつの世界」への移行期といえます。そこにおける時代精神の要こそ、いかにして資本主義を倒す主体を形成するかにあると考えます。

 時代の求めるところに起つ

 これは、没落しつつあるアメリカとの運命共同体として、軍事大国・戦争国家・貧困大国への道(9条改憲・安保再編)を歩む日本においてこそ、急を要する課題です。
 日米安保体制のもとで超大国アメリカに追随し、小泉―安倍―福田政権のもと、新自由主義による「弱いものは死ね」とばかりの格差と貧困の拡大、民営化と労組破壊政策を推進してきた自公政権もまた、確実にその終わりを迎えています。
 自公政権の圧政に、「このまま座して、国に屈服していいのか」と、沖縄―日本全土に怒りと絶望の声が渦巻き、人々が団結し闘いに立ち上がる条件が大きく広がっています。
 すでにいつ倒れてもおかしくない末期症状にある自公政権に引導をわたし、戦後自民党政治の流れを変え、日本を変える扉を開くことが可能な千載一隅の好機到来です。
 にもかかわらず、これらの元凶たる資本主義を倒し、鮮明な理念と日本世直しの「希望の未来」へのヴィジョンを掲げて闘う決定的な「推進力」は、未だ創り出されていません。
 だからこそ、全国の闘う労働者民衆の拠り所として、資本主義と闘うことを諦めていない全ての人々の協働・連帯へ、「推進力」の創設を、わたしたちは開始します。

 既成政党に代わるもの

 わたしたちは、労働者運動、大衆闘争の政治的発展のために闘い、あらゆる搾取と抑圧、貧困と格差の元凶である資本主義を根本から変革し、当面、《日本列島弧に自治・共和・協同のもう一つの日本》の実現をもって日本から東アジア―世界へ、労働者の自己解放と全ての人々の人間解放を求めて闘う「革命集団」をめざします。
 日本労働運動の戦闘的再生に立脚し、労働者が自ら創り出すこの組織は、従来の「党」の持つイメージを払拭したものをめざします。それは、真の意味で労働者の自発的・自律的意思において闘い、生き生きとその自己解放性を発展させつつ自立・自治を創出・創造する解放組織です。
 本格的な準備への「呼びかけ」を発する責任において、わたしたちは、ここに、新しい時代的特性を帯びざるを得ないであろう「新組織」のイメージについて、自らの見解を率直に提案します。
 なぜなら、これまでの既成政党・政治組織は、多かれ少なかれ、上意下達の中央集権型の組織構造、民衆に対する独りよがりの「前衛」意識によって形成され、これらは独善主義と権力主義・官僚主義、さらに組織内外での異論の圧殺と暴力(内ゲバ)をもたらしてきました。また、大衆組織や労働組合に対する支配と引き回し、革命的モラルの軽視などを組織的特性としてきました。
 そのような20世紀の既成政党・政治組織そのものが、「20世紀社会主義の挫折」とともに、もはや今日の時代においては、破綻しています。

 運動型の新しい
 解放組織の創造を

 わたしたちは、「運動型新党の形成」に果敢に挑戦します。それは、「協同組合型社会(アソシエーション)」の実現に向かう「21世紀社会主義革命」(アソシエーション革命)への挑戦が、それにふさわしい「21世紀の新しい型の党」を必要としているからです。
 従来の「党」のあり方を否定する新しい組織の特性とは、《構成員「主権」、民主自治制、ラデイカル(根源的)民主主義、公開性》の四つの原則です。つまり、異論があっても団結可能な「多様性の承認のもとでの統一」による協同基準の創造であり、革命的モラルを併せ持った組織原理による「運動」(「リゾーム(根茎)状」)としての組織です。
 この新しい組織は、「党のための党」ではなく、光放つ運動の渦を創り出すことにかかっており、その闘いの過程でこそ新たな絆、新たな組織原理も創りだされるものと考えます。わたしたちは、個々の運動が過去において生み出し現在も引きずっている排他性、分裂志向、不毛な党派間抗争を自己目的化するような愚を克服し、多様な諸政治勢力の可能な限りの同権的協働を、互いの人間的・同志的信頼を尊重して共に闘いたいと願うものです。
 この新しい挑戦。それは、わたしたち一人一人がその生き方、働き方、暮らし方を変えることを意味し、それが世界を変えることに通じます。闘うべき〈共通の敵〉がはっきりすれば、〈共通の戦略〉も立てられます。
 無関心・無力感を捨てよう!
 その時、わたしたちの前に、道は大きく開かれるのです。

 わたしたちは呼びかけます

 この新組織創立への準備過程は、それを望む全ての人々に開かれています。
 わたしたちは、全ての人々―― 開かれた討議とラデイカルな民主主義によって新しい革命プログラムを「憲章」として創造し、日本から東アジアへ、そして「もうひとつの世界」をめざす全世界の労働者民衆との国際的連帯を求める「新党」を、〈共〉に創ることを望む諸個人、グループ、政治的潮流 ―― に呼びかけます。
 とりわけ、出自や女性、男性を問わず、非正規の青年たち、労働組合活動家、農民組合活動家、地域の活動家、被差別民衆、全てのコミュニスト、社会主義者に呼びかけます。

 志を高く、世の中を変える闘いに、喜びと誇りをもってのぞもう!
 日本を変え、世界を変えよう!わたしたちを変えよう!
 新たな「運動型新党」の創出に、ともに挑戦しよう!
                           2008年5月11日  「革命21」準備会
 

以上は、新着順1761番目から1780番目までの記事です。 85  86  87  88  89  90  91  92  93  94  |  《前のページ |  次のページ》 
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