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祝 !

 投稿者:浦島です  投稿日:2008年 4月29日(火)19時15分28秒
返信・引用
  ”かけはし”
復旧です。
 

インターネットニュースでも流されてますね

 投稿者:まっぺん  投稿日:2008年 4月29日(火)14時11分38秒
返信・引用
  聖火の長野に現れた醜い「ニセモノ」(OhmyNewsより)
http://www.ohmynews.co.jp/news/20080427/24068
 

うーん、やっぱり余計なことを書いたのでしょうか?

 投稿者:草加耕助  投稿日:2008年 4月29日(火)13時26分8秒
返信・引用
  私自身も仕事がとても不規則なこともあって、本当に朦朧とした頭でたまたまつけたテレビの特集だったのです。だから一番最初にちょっと出てきた団体名など細かいこともおぼえていません。「反共団体」というのも私の印象で、彼ら自身としては「民主化団体」と呼ばれたいのだろうと思います。確か「とある亡命中国人組織」みたいな紹介で、東京の小さな事務所の中で、毛沢東とヒトラーの写真を並べて掲載したパンフレットを示しながら「どちらも独裁者だから同じ」みたいなことを言っておられました。

特集の内容はこの団体(に参加している個人)の長野での行動を密着取材したものです。とにかくですね、登場してくる人々(嫌中派・人権市民団体・中国人留学生)の中で、この団体の彼が、一番理性的で説得的なわけです。私がものすごくショックを受けて感情的になってしまったのは、むしろこの団体の方々に(考え方は違えど)人間として好意を感じ、少なくとも人間的には尊敬すべき理性的な方々だと思ったからこそだということはご理解いただきたいと思います。だいたいが中国人の中から抗議の声があがったら、聖火リレー抗議派としては、むしろ歓迎して大喜びするはずのもんでしょう?とにかくショックで身の危険をおかしてテレビ出演までした彼に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

もちろん三浦さんは嫌中派ではなくて人権派に属しておられるのでしょうが、やはり一番酷いと思ったのは日本人の嫌中派でした。そういえば、日本に漂着して庇護を求めた北朝鮮難民(脱北者)に罵詈雑言を浴びせて「脱北者を日本に入れるな、朝鮮に帰れ」みたいなことをネットで書きまくっていたのもこういう部分です。一方の中国人留学生の感情的な対応や罵声も、たとえ「特殊な場での一回の衝突」とは言っても、どうしたって批難されても仕方がないと思いましたよ。もちろんそれで留学生全般に偏見を持ってはいかんし多角的に考えるべきだというのはわかりますし、私もそんなつもりはありません。

私が言いたかったのはですね、たとえば左翼でも中核派のインターに対する内ゲバ襲撃のような否定的な事実があるわけじゃないですか。これに対しては当事者のインターのみならず、左翼内部で幅広い批判があって、それはもう半ば常識化しています。同じように右の運動の内部においても、嫌中派(=民族差別主義者)やその流入に対して強い批判があるはず、もしくは必要なのではということです。こういうのはいくら左の人間が批判してもあんまり効果がないのです。こういう差別主義者は確信犯的な部分をきっちりと排除し、周辺の大衆への影響(雰囲気)を早い段階から根絶しておかないと、いつのまにか彼らのほうが主流になって、三浦さんのような人が少数派になってしまうのではないでしょうか。だってかつての左翼もそうでしたし、その反省はいったん左翼運動が壊滅するまでできなかったのです。

別の言い方をするならば、こういう嫌中派(=民族差別主義者)を「左右の問題」にしてはいけないし、むしろ左右の共通の敵ではないのかということです。右の運動全般に対する批判として言っているのではありませんし、ましてや右の人や運動に外部から口をさしはさんだり、「こうすべきだ」みたいなことを言ったつもりはありませんでした。そう受け取られたのであれば、言葉足らずだったことをお詫びします。

PS:街宣右翼の行動については「相変わらずやっちょるな」程度で前回の投稿にあたっては特に念頭にありませんでした。
「反共の中国人、チベット人にも、本当は左派の方は交流してみたらいいと思います」という提起については、いつかはそういう場にも出席したいと思い続けていますが、休みが不規則なこともあって、身近に機会がなかったということになると思います。私自身は運動家ではないし、観念や思想ではなく、自分の感情や正義感に忠実に生きたいと考えています。「思想」は手段であって目的ではないと思っています。

http://bund.jp/

 

それって?

 投稿者:三浦小太郎  投稿日:2008年 4月28日(月)23時11分33秒
返信・引用 編集済
  えーと、名前を草加さんが挙げたくないから言わないのかもしれないが
その中国の団体の名前を一応教えてくれないと、ちょっと軽々しく言えないのですよ。これ、問題があれば削除してもいいんですが、中国民主陣線のこと?もしくは法輪功関係?

あそことはちょっと付き合いが「あった」
私のほうが、色々あって、少し離れた。まあ、それでも全く断絶しているわけではないが・・・

本来、こういうのはメールで送るほうがいいのでしょうが、一応板で書きます。草加さんも板で書いている以上、公的に答えないといけないからね。
ただ、その上で、場合によってはメールでの返答になる可能性を了承ください。
逃げるのではなく、私的な体験や交流をどこまで書いていいかどうかわからないので。
草加さんからも、板での返答は避けたいのならメールでもいいですよ。私なりの判断で、ここで書くか、私的なメールにするかは判断させていただきます

個人的には、私に近い思想立場の方から、長野での色々な印象、体験のメールは来てます。しかし、その中には、かなり個人的レベルの主観も交じってますし、私自身の体験、印象は自分の責任で言えますけれども、それ以上は言うべきではないと考えています。
ただねえ、テレビ報道について言うと、ちょっと私としては、右であれ左であれ、理性的に、トラブルを避けようと運動していた人よりも、とにかく何か衝突をしようとしていた人を写そうという姿勢もなきにしもあらずでしたよ。少なくとも、私たちのグループは、東トルキスタンの旗は出しました。中国に抗議もしたし、全く衝突がなかったとも言わないけど、暴力的なことはしなかったし、中国民主運動家と共に行動はしませんでしたが(出会わなかったんで)排除する気は無かったなあ。彼等を私のグループで集会に呼んだことも何度もあるし。

私の知人で、長野で、逆に中国留学生の対応にショック受けた人もいるんですよ。詳しくは書きませんが。
ただ、私はそういう人には、ああいう特殊な場での一回の衝突で判断するなと言っています。中国人留学生は、良かれ悪しかれ、私達とは立場もそれぞれの人生の経緯も違う。簡単におたがいが理解できるもんじゃない。
これは決して荒らしや揚げ足取りではなく、反共の中国人、チベット人にも、本当は左派の方は交流してみたらいいと思います。私のような観念的な反共右翼と違って、彼等には反共、反中国になるだけのそれなりの体験があるわけですよ、勿論、そんなのは皆さんには釈迦に説法かもしれないけど。本当の反スタ運動なら、そういう方々の気持ちを何処か引き継げなければいけないのではないでしょうか?草加さんたちのような方が彼等と出会い、彼等の気持ちを汲み取った反スタ運動が展開できたとき、初めて彼等の体験も思想も生きるのかもしれないし
 

「中国」&「暴力」

 投稿者:ちんころく  投稿日:2008年 4月28日(月)21時26分50秒
返信・引用 編集済
  どもでし。
ネットにはこんな記事もありますた。つーことで宣伝ご容赦賜りたく…。

>日本の警察は右翼の「抗議行動」には激しく甘いだけなのです。左翼が同じことを
>したら激しい暴行を加えて引きずって逮捕していたでしょう。

とは、まったく逆のことが…。

http://plaza.rakuten.co.jp/bokassa/diary/200804280000/

そおいや、おれの爺さん(なぞ)…(ry

追記。
どひつこくチベットの件で恐縮なのでありますが、「ニセ日中」機関紙にて、
チベットへの「資本主義文化の流入」云々てな記述が見受けられます。
 

三浦さんへ>ショックな光景

 投稿者:草加耕助  投稿日:2008年 4月28日(月)20時25分59秒
返信・引用
  せっかく盛り上がってきているところ、ちょっと空気を壊してしまいかねないので書くのを我慢していたのですが、三浦さんが長野現地に行っておられたとお聞きしましたので、おたずねいたします。中国の人権侵害に抗議する運動に、従来から真面目に取り組んでこられた人権派は別として、人種差別主義者や民族差別主義者といった中国当局以下の唾棄すべき「糞のような輩(=嫌中派)」が大量に流れ込もうとしていることに対して、何らかの反省や批判は内部で行われていないのですか?

実はこう申しますのも、先日、仕事から帰って朦朧とした状態でたまたま見たニュースで、在日の反体制中国人団体の話題が取り上げられていたからです。「祖国民主化」というのが彼らのスローガンのようですが、基本的には反共団体だという印象を受けました。一昔前なら、「反革命団体だ」ということで無視されるか、あるいは現在的にも、国際共主義運動が人民内部にこういう部分を生み出してしまったことを“自分の問題”として反省することはあっても、彼ら自身と直対応しようとは思わなかったと思います。

ただ、とても気になる光景が映し出されていました。

彼らの一人が長野で抗議行動が行われると聞いて、それに参加しようとわざわざ出かけていったのです。自分も抗議の声をあげようとして参加できる集会などをさがして回りますが、最初に出かけた集会はいわゆる「嫌中派」の民族差別的なもので途中で参加を断念します。「特定の民族を『憎い』というような運動には参加するべきではないと思う」という理由で。
夜には市民団体のシンポに参加され、会場から挙手で「私は漢民族ですが、これは自由と独裁の争いであって、漢民族とチベット民族の対立にしてはいけない」と発言して、まばらな拍手がおこっていました。

そして私が一番ショックを受けたのは次のシーンでした。
聖火リレー当日、とうとう参加できる抗議行動が見つからなかった彼が、聖火リレーに抗議する人々に混じり、個人的に中国当局を批判するプラカードを掲げて抗議していた時のことです。彼が中国人だとわかると、なんと!この聖火リレー抗議隊は、プラカードを掲げる彼を取り囲んで吊るしあげはじめたのです!びっくりしました。聖火リレーに抗議している人々は、中国の人権侵害ではなく、それに抗議する人も含めて、手当たり次第に中国人をなじっていたのです。すごくショックな光景でした。

追い出された彼は仕方なく、今度は聖火リレーを応援にきた中国人の集団に近寄って、プラカードを掲げながら説得と対話を試みます。当然にここでも猛烈な罵声を浴びせられて対話は成立しませんでした。テレビ局の人間から「どちらに行っても少数派ですね」と声をかけられると、「私が多数派ならとっくに中国は民主化されていますよ。仕方がありません。これからです……」とさみしそうにこたえておられました。

私はそれからずっと今日まで、ショックで食事ものどを通らないような状況です。中国の人権侵害に抗議する日本人の運動自身が人権侵害を助長してどうするのか!中国当局と同じ穴のムジナそのもの、いや、人種や国籍を理由に「人権」や「民主」を掲げる人々まで迫害するなんて、中国政府以下ではないのか。本当に「同じ日本人として恥ずかしい」という気持ちにひさびさにさせられました。

三浦さんはこの反共の中国人団体と交友はありませんか?あったら伝えてほしいのです。考え方は違う日本の左翼の一人だけれど、長野での日本人の仕打ちは本当に申し訳なかったと、日本人の一人として心から謝罪する、毎日思い出しては胸を痛め、ため息をついて泣いていると。

こういう光景を見た後では、警察を賛美するメナール事務局長の談話なんぞ、全くの噴飯ものです。日本の警察は右翼の「抗議行動」には激しく甘いだけなのです。左翼が同じことをしたら激しい暴行を加えて引きずって逮捕していたでしょう。

http://bund.jp/

 

とみたさんに警告

 投稿者:まっぺん  投稿日:2008年 4月28日(月)13時13分25秒
返信・引用 編集済
  マル共連でのあなたの「脅迫文書」を受け取りました。

>これ以上、特定党派の宣伝のみに終始するのなら、非公然領域に属すると思われる
>“すべて”のお話を明らかにした上で、それなりの対応をします。

>二次会でやってください。

もうとっくに話が終わってしまって
私はもうこれ以上書く必要がないと判断しておりますが、
それから4日も経ったいまごろになってなぜ蒸し返すのですか?
再度、スレが上部になったのは、あなたのせいであって、私の責任ではありません。
迷惑しております。
しかも、「脅迫」ですよね? これは。あなたの政治性というものがよくわかりました。
敵ではなく味方の陣営に対して「説得」ではなく「脅迫」を手段として
自分の政治性を押しつけるような人とのお付き合いは今後一切ごめん蒙ります。

※まさか書くまいとは思うけど、一応念のため。ここには当分書かないでください。
「人民食堂」でのみ対応いたします。

http://marukyo.cosm.co.jp/forum/index.cgi?id=7&stat
 

Re: この「空気」は何か?

 投稿者:よねざわいずみ  投稿日:2008年 4月28日(月)11時35分2秒
返信・引用
  > No.5357[元記事へ]

出た出たコンニャク問答。
私が提示した疑問に対し、まったく返答になっていない、リプライ的情報量ゼロっていう。
そのあたりに、私が提示した問題の1つがあるようにも思えますね。
 

チベットデモ・まとめの私的提起

 投稿者:トチロー  投稿日:2008年 4月28日(月)08時35分39秒
返信・引用 編集済
   チベットデモは、情報の抽象化と若者世代の自己実現の欲求による文化的行為だと思う。

1)情報の抽象化(易認識性)

 話題性や隠れた利益集団の意図のためにチベットを強調した情報提供を行うマスコミやネット投稿が、2チャンネルとミクシーにおいて主題限定で純粋培養された。そこで、フリーチベットの概念(チベット弾圧や自由と人権)が純化され認識しされ易くなった。
 この純粋培養では《価値体系−左右の政治思想》を排除することで、嫌政治性を価値体系に持つ大衆に迎えられた。
 その背景には、易想像性を持つ《中国への不信感や無視できない中国の国力》という《身近さ》があった。
 そのために、パレスチナ・ダルフール・ルワンダなどの事件は排除され、中国批判としての労働運動、環境保護運動、地雷撲滅運動、反核平和運動も全て排除された。

 ここに「フリーチベット」という言語規範が形成され、参加者個人の精神的な部分に文化的社会関係が生成された。これは文化的ではあっても、政治的ではない。「フリーチベット」は、文化として誕生したものであると思う。


2)自己実現の欲求

 追い詰められてチベット蜂起に至った現地には、民族抑圧や宗教抑圧、伝統文化の破壊、経済格差などの、階級的階層的な社会的抑圧がある。そこに、チベットの意識的煽動者がいて、日本のマスコミ(オリンピックの話題性、中国政府への不信感)と合流した。
 他方、大規模デモを実現した参加者にも、同様に、階級的階層的な社会的抑圧があるのではないかと思う。だから、「糞のような輩」も自己顕示と自己確認のために賑やかに合流する。
 一応、反共・反中国・愛国の右翼も合流し、共産・反帝国、世界国家の左翼も遅ればせながら合流した。しかし、双方ともに主流派ではなく、嫌がられている。「フリーチベット」は政治ではないからである。


3)市民個人が参加する政治活動=民主主義の自己統治

 このような情報環境・社会的認識・個人的動機のもとに、「フリーチベット」のデモという組織化が生まれ、自己回復の行為として政治的・社会的行為が実現した。そして文化的行為は政治的行為に止揚された。

 しかし、「フリーチベット」の主体は、デモが政治的行為であることを認識できない。だから、如何様にも政治に利用されることになる。
 これは、主体となった大衆の側に、政治的あるいは自治的行為の習練や教育がなされていないからであると考える。あるいは、デモという形でわずかに回復したというべきだろうか。この面では、教育や地域自治の問題であると思う。


4)文化と政治

 この文化と政治の意識の断絶は、埋めるべきなのであろうか。埋めるべきならば、どうやって埋めることができるのだろうか。それとも、政治に還元されない文化的運動の展開は、そのままで社会的変革を生むのだろうか。
「靖国」上映問題でも、文化的問題が政治的問題に変化させられているように思う。靖国神社そのものがそのような側面を持っているだろう。オリンピックにも同様の側面がある。
 これらの社会現象をどう考えたら良いのだろうか。この文化的行為と政治的行為の扱いをきちんと認識しなければ、大衆による社会的変革は生まれないのではないだろうか。
 僕は歴史的知識が欠けているので、みなさんのお知恵を頂きたいと思う。
 

チベット

 投稿者:まこと  投稿日:2008年 4月28日(月)06時37分47秒
返信・引用
  >われわれは、「民族自決の問題」という視点だけではなく、
>「階級・階層的な社会抑圧の問題」というものの見方を
>手放してはならないのではないか(noizさん)

チベットにしても、民族問題や宗教(チベット仏教)に対する抑圧という側面は無論あるものの、チベット域内におけるグローバリゼーションの浸透によって経済格差が拡大したり伝統文化が破壊されつつある状況がチベット民衆の怒りの導火線に油を注いでいるという面がありますね。
 

国境なき記者団事務局長も認める、世界最高に民主的な日本政府と警察

 投稿者:山宣  投稿日:2008年 4月28日(月)05時40分44秒
返信・引用
  国境なき記者団、日本を称賛

 長野市で26日行われた北京五輪聖火リレーで、中国の人権状況に対する抗議行動を行った国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(本部パリ)のメナール事務局長は、抗議行動を容認した日本政府の民主的な対応を称賛、「中国の若者はこの日の経験から民主主義の何たるかを知ってもらいたい」と述べた。

 メナール氏は小競り合いはあったものの、一連の行動はおおむね平和裏に行われたとの認識を強調した。

 さらにパリの聖火リレーでは警察官が抗議の市民からチベットの旗を取り上げる場面があったことを念頭に「日本の警察は抗議行動を容認し、旗にも手を触れなかった。中国人がやや熱を帯びすぎた場面では、私を守ってくれた」と説明。「日本人は他のいかなる民主主義国よりもうまくやった」と総括した。(共同)

http://sankei.jp.msn.com/world/europe/080426/erp0804262105007-n1.htm

 

Re: 何故チベットだけなのか?

 投稿者:noiz  投稿日:2008年 4月28日(月)02時31分22秒
返信・引用
  > No.5359[元記事へ]

チベットだけではない。ウイグルだけではない。
中国大陸諸地域の労農は争議や蜂起で弾圧されまくってる。
弾圧されているのは「少数民族」「他民族」だけではない。
チベット蜂起を契機に近隣諸地方での蜂起が起きたのはなぜなのか。
ダライ・ラマの制動を打破して蜂起が続いたのはなぜなのか。

現在の中国は厳しい階級弾圧のせとぎわにあって、
ぎりぎりのところで国家が崩壊していないだけじゃないかと思います。
われわれは、「民族自決の問題」という視点だけではなく、
「階級・階層的な社会抑圧の問題」というものの見方を
手放してはならないのではないか、そう思ってます。

アジ連の行動、断固支持。
と何もしてない奴がいってもアリバイにすぎませんが…
 

AMLより(坂井貴司さん)

 投稿者:まっぺん  投稿日:2008年 4月27日(日)22時21分54秒
返信・引用
  「流血の聖火リレー」

 今日(4月26日)、長野県長野市で開催された聖火リレーは、おおかたの予想通り、異常に厳重な警備と、中国支持者とチベット支持者の怒号、そして衝突の中で行われました。

 私がテレビニュース番組

 「ブロードキャスター」TBS系列夜10時〜11時24分
 http://www.tbs.co.jp/bc/

で見た感想です。

 中国の五星紅旗とチベットの旗、日の丸、軍艦旗、スカイブルーの地色に三日月と星の東トルキスタン旗(ウィグル)、旧ベトナム共和国(南ベトナム)の旗が林立していました。これほど国旗がはためく聖火リレーは今まで見たことはありません。まるでサッカーの試合会場のようです。プラカードは「加油中国(がんばれ中国)」・「チベットは中国だ」・「チベットに自由を」・「チベット独立万歳」・「Shame China(中国は恥を知れ)」・「中国は人殺し」・「打倒中国」といったスローガンが書いてありました。

 そして、リレー走者を警官が完全にとり囲むように伴走しました。沿道からは走者は見えません。

 主に留学生からなるという中国人(中国政府が雇って動員したという話もあります)と、チベット人やチベットを支持する日本人や台湾人などが最初は双方、「中国がんばれ」・「チベットに自由を」と声を張り上げていたのが、やがて双方が「帰れ!」・「嘘つきども!」と罵りあい、つかみ合い、そして殴り合いになりました。どちらが先に手を出したのかはわかりませんけれど、双方の血が流されました。私が見た映像は、明らかに右翼と判る日本人の中年男性(街宣車でわめき散らすタイプです)が中国人を殴っている場面でした。

 チベット各地で起こった流血の衝突が、日本で再現されたようでした。
 それはまた、日本と中国が戦争をする仮想戦記小説が現実のものになったようでした。

 聖火リレーの沿道に、地元の人はいなかったようです。怖くて見ることができなかったようです。

 聖火リレー自体は中断されることなく、予定通り終わりました。その点では「成功」だと言えます。しかし、流血の衝突を防ぐことができなかった点では、失敗だったと思います。

 黒塗りの街宣車こそ無かったものの、多くの右翼団体のメンバーが来ていたことは明らかでした。もし、なんとか派などの左翼が来ていたら、おそらく機動隊が完全に包囲して排除したでしょう。左翼には厳しく、右翼には甘い警察の姿勢が現れていました。

 私はこの流血の聖火リレーを見て、気持ち悪くなりました。絵に描いたような日本と中国のナショナリズムの衝突だったからです。チベット対中国なら話はわかります。中国政府が蜂起したチベットの民衆に何をしているかを考えれば、「何が北京オリンピックだ!何が聖火リレーだ!」とチベット人が抗議の声を上げるのは当然です。しかし、日本人と中国人がお互い「この野郎!」と罵りあい、殴り合いをするのは共感できません。

 それから、アムネスティインターナショナル日本が、非暴力の聖火リレー抗議活動を呼びかけたにも関わらず、このような流血の事態になりました。

 チベット問題に関する抗議運動に対する世間や警察の目が厳しくなることが予想されます。そして、反グローバリズムや反貧困などの抗議活動に対する規制や弾圧も強化されるでしょう。

 この流血の聖火リレーは後味が悪い結果になると思います。

 なお私は、オリンピックは権力者と大企業の祭典であり、ナショナリズムを煽って金儲けをするスポーツ大会であると思っています。もう、オリンピックに感動することはありません。やめるべきです。

坂井貴司
福岡県
 

何故チベットだけなのか?

 投稿者:パルタ  投稿日:2008年 4月27日(日)15時36分12秒
返信・引用
  確かに私も作られたものは感じますよ。
独立運動はウイグルにだってあるじゃないですか?
それに民主化運動のリーダーでウイグル人のウーアルカイシ氏はどうしたのでしょうか?
中国には労働運動、環境保護運動、地雷撲滅運動、反核平和運動など、もっと各方面からの抗議があって良いのです。ところが、メディアはチベットばかり取り上げる。
すっごく取り上げ方に意図的なものを感じます。
ダルフールやパレスチナは日本から遠いというなら、中国はフランスから遠いではないですか?
しかし、チベット独立の動きが仮に、中央アジアやカフカスの「民主化」やコソボ・チェチェンの独立を掲げた連中と同じ連中と同じ連中の支援を受けていたとしても、チベットで人権侵害が行なわれているのは事実だから、これを機会にチベット支援をするのは構わないと思います。
 

「悲劇の島 済州 〜『四・三事件』在日コリアンの記憶〜」

 投稿者:イレギュラーず  投稿日:2008年 4月27日(日)15時00分59秒
返信・引用 編集済
  日本人はほとんど知らないか、無視している。在日コリアンの多くの出身は何処か?

>映画プロデューサー李鳳宇
シネカノン…「パッチギ」ですね!

今、パク・ミョンパク政権下で「4.3チェジュド蜂起」自身の歴史が書き換えられようとしている。

ところで、映画「光州5.18」が5月10日から全国ロードショウになるらしい。
http://may18.jp/

集英社新書Web版の「在日一世の記憶」はお薦めです。
 

Re: この「空気」は何か?

 投稿者:YUKI  投稿日:2008年 4月27日(日)13時16分34秒
返信・引用
  > No.5356[元記事へ]

実は、この投稿はフーコーを踏まえた上で「意図的に仕掛けた」ものです。
反応を見ていると考えさせられるものがあります。
 

Re: この「空気」は何か?

 投稿者:よねざわいずみ  投稿日:2008年 4月27日(日)11時09分31秒
返信・引用
  > No.5344[元記事へ]

あなたがいろんなコミュニティで「浮いてしまう」ことの原因も一緒に考えた方がよいのではありませんか、YUKIさん。
 

忘れとった番組案内

 投稿者:三浦小太郎  投稿日:2008年 4月27日(日)10時03分28秒
返信・引用
  結構前に知人から来たメールですが紹介忘れてたんで
これ紹介したらバイトに行きますが
興味のある方は今夜ですがご覧ください

(以下メール紹介)

お世話になります!済州島四・三事件60周年事業実行委員会(東京)です。19日の大阪での追悼集会に引き続く21日の東京での写真展/集会、そして翌日の懇親の集いも無事に、というよりほぼ大成功のうちに終了いたしました。大いなる感謝とともにここに謹んでご報告させていただきます。

 さて、会場でもご案内させていただきましたが…。以下の番組をぜひ、友人、知人のみなさまにもお知らせくださいましてご覧いただきますよう、お願い申し上げます。

 なお、6月のシンポジウムは8日午後2時、明治大学駿河台校舎アカデミーコモン8F309教室にて、韓国 成均館大学史学科の徐仲錫教授(済州四・三事件真相糾明および犠牲者名誉回復委員会 委員)をお迎えして「いま『済州島四・三事件』の歴史的意義を考える」というご報告を受け、林 哲津田塾大教授、李鐘元立教大教授、文京洙立命館大教授らによる討論を予定しております。こちらのほうにもぜひ、ご参加ください!
(当日の集会は 主催:済州島四・三事件60周年記念事業実行委員会 後援:明治大学軍縮平和研究所 問い合わせ先:新幹社 電話03-5689-4070 ファクス03-5689-2988 となっております。会場での資料代1000円を予定しております)

■「悲劇の島 済州 〜『四・三事件』在日コリアンの記憶〜」
NHK教育TV
放送日   :2008年 4月27日(日)
放送時間  :午後10:00〜午後11:30(90分)
 韓国チェジュ(済州)島で60年前の悲劇を追悼する式典が行われた。「4・3事件」。1948年4月3日の韓国建国前夜、南朝鮮の単独選挙に反対する住民と警察・軍隊が衝突、島民2万5000人余りが虐殺された。その後、事件は「共産暴動」とされ、韓国でも戦後最大級のタブー視されてきた。民主化の中で事件の見直しが進み、2003年、大統領によ
る謝罪が実現した。映画プロデューサー李鳳宇らが、在日コリアンの体験を軸に事件の真相を探る。
 2008年4月3日。韓国・済州(チェジュ)島では60年前の悲劇を哀悼する祈りの声が響いた。
 1948年4月3日に始まった「4・3事件」。2万5千人〜3万人という島民が虐殺された事件である。韓国建国前夜、アメリカ主導で進んでいた南朝鮮の単独選挙に対し、南北分断につながるものとして抵抗した島民が警察署を襲撃したのを機に、全島に広がる弾圧に発展した。これまでは、「アカの島」でおきた「共産暴動」と烙印(らくいん)が押され、韓国内でもタブー視されてきた。
 しかし、民主化後の韓国で歴史の「見直し」が進む中、2000年、事件の真相糾明と犠牲者の名誉回復を図る4・3特別法が制定。2003年には公式の調査報告書がまとめられ、ノ・ムヒョン大統領による政府の謝罪が実現。そして現在、遺骸の発掘と犠牲者の認定調査が進んでいる。調査は日本国内、特に済州島出身の在日コリアンが多く住む大阪でも進められ、これまで不遇をかこってきた肉親のルーツに関心を寄せる二世三世の若者たちにも波紋を呼んでいる。
 番組では、60年の歳月を経てようやく本格化した済州島での調査の動きを追いながら、国際政治の力学の中で、なぜ“悲劇”が起き、そして拡大していったのか、を浮き彫りにし、朝鮮半島分断の“起源”を見つめ直す。
出演:作家・金石範(キム・ソクポム)映画プロデューサー・李鳳宇(リ・ボンウ) ほか 語り:広瀬修子
 

アジア連帯講座が熱い報告してますぅ(=^^=)

 投稿者:まっぺん  投稿日:2008年 4月27日(日)09時31分30秒
返信・引用
  レポートによると中国側サポーターは留学生だけじゃなく、この日のために大連などからやって来た者もいるとの事。

なかなかいい話が載ってますよ。ちょっとだけ抜粋
-----------------------------------------------
そのとき、私たちの前で右翼が萩本に向けて何かを投げたが、若者たちが「暴力反対!」「くだらないことやってんな!」と叫んでいたことまでは、やはりテレビには映らない。しかし実は、右翼たちはアジア連帯講座の横断幕の影から「聖火ランナー」に投擲するためのトマトを大量に用意していたが、このような若者たちと私たちの振る舞いが姑息で卑劣な右翼に投擲を断念させていたのだ。

http://solidarity.blog.shinobi.jp/Entry/230/
 

かつての記事 再掲

 投稿者:トチロー  投稿日:2008年 4月27日(日)08時58分15秒
返信・引用
  2006年06月10日朝日新聞(どなたかのブログより勝手に転載・感謝)
『W杯開幕 人々の熱気国連も夢見る』コフィ・アナン(国連事務総長)

国連事務総長がワールドカップ(W杯)について書くなんて、読者は奇妙に思うかもしれない。しかし、国連から見ると、W杯は実際うらやましい限りなのだ。地球上のすべての国・地域の人々が競い合う国際試合の最高峰。国連もW杯同様、国際交流の場であるが、読者には『W杯は国連以上だ』といわれそうだ。何しろ国際サッカー連盟の加盟国・地域は207。われわれ国連は191カ国だからだ。

私がうらやましいというのは、以下の理由による。

第一の理由は、W杯の人気である。自国チームの順位がどうで、いかにして本戦出場を決めたか、誰がミスし、誰がペナルティーキックを防いだか、誰もがよく知っている。我々国連もその種の競い合いがあればいいと思う。世界中が見つめる中、「人権」という”競技”各国が堂々とトップを目指して競い合い、幼児死亡率の”低下競技”や教育を受けられる子供たちの数で競い合う。

第二は話題性。ブエノスアイレスの街角から北京の喫茶店まで、地球上のいたるところで、人々は自国チームのゲーム展開に口角泡を飛ばす。話題は相手チーム、他国チームへと広がる。普段は口数の少ない10代の若者が、W杯の話になると、突然、雄弁家に変身する。国連もそのくらい世界中で話題になれば、と思う。「人間開発指数」(保健水準、教育水準、所得水準に基づく国の開発指数)や排ガス規制やエイズ問題に、自国がどれだけ熱心に取り組んでいるか、ホットな話題になればいいと願う。

第三は、平等な参加の機会。W杯は才能とチームワークがあれば、どの国のチームにも本戦出場できる機会が与えられている。国連も、もっと機会の平等性を持っていて、各国が国際舞台でその力を発揮できればいいと思う。

第四は、人種間、国家間の交流。いまや多くの国家チームが他国から監督を招くようになり、新しいサッカー観が導入されている。普段は外国のチームで活躍し、その国でヒーローになり、国家間交流に大きな役割を演じている選手も多い。そしてW杯の際にはその経験を自国チームに生かしている。国際社会でも移住者が、移住者自身と母国と受入国の三者にとって、ともに利益になればいいと私は願う。生活、経済、社会、文化の交流と深化を通じて。

W杯出場は国家の誇りに深くかかわる。私の母国ガーナのように、初出場国にとっては名誉の架け橋である。アンゴラのように長年内戦にあえいだ国にとっては、国家再生の大きな踏み台にもなろう。内戦で分裂状態にあるコードジボワールのような国にとっては、国家統合の象徴的存在であるナショナルチームは国家再生の希望である。

我々国連にとってもっともうらやましいと思うのは、W杯は到達すべき目標がはっきりと見えることである。私は何もゴールのことだけを指しているのではない。国家と人間による大きな地球家族の一員として、共通の人間性をたたえる場であること。それこそが最も重要なゴールではないか。わがガーナが12日にイタリアと対戦する際、私はそのことを思い返してみようと思う。その通りになるかどうか、約束できないけれど。
 

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