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2010年05月26日 eichisakamotoの投稿

塾の移転と共に、新しい人生が始まります。

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ここ数日間は、やたらとある物件に気が行っていました。

これは昨年の10月くらいに一度内見をしたことのある、塾の移転先の物件であったのですが、最近またその場所が気になりだして、ここ数日間ずっと塾の移転について考えていました。

で、どうしてもその物件が気に入って仕方がなく、ついに今日不動産屋を通じて申し込みをしてきました!

まだ本契約ではありませんので、どうなるかは未定ではありますが、今年の夏あたりに塾の引っ越しをしようかと思っています。

引っ越しをするタイミングはいつも何か衝動的なものがあります。家は買わない主義なので、いつも賃貸なのですが、この「ある時にある場所に移動する」というこの感覚は何か動物的衝動と言いますか、自分なりに無意識の流れに身を委ねている感じがあります。

今回の塾の移転は、近所なので、生徒には迷惑がかかりませんが、とにかく一目惚れと言うか、本当に気に入った物件でした。イメージは江戸時代の寺子屋や藩校のようなものです。かつて武士が、子供たちに様々な武芸を教えていた、決して商業主義には染まらない小さな塾の雰囲気があります。

ここから陸続と人のため、国のために働いてくれる人材を育てることができれば、と密かに考えています。人作りは国作り。たかだか小さな個人塾ですが、これは日本のためにやっているつもりでもいます。

私の精神的な進化でもあるのでしょう、最近は何かとてもシンプルなものに回帰したいという願望がありますね。年齢のせいかもしれませんが、とにかく今はもっともっと地味に生きてみたいという意識が強いです(笑)。何も過度な欲求がなくなったというか。

毎日、衣食住があるさえすれば本当にそれでも幸せを感じます。「すでに幸せである」ということに気がつきさえすれば良いのだということがわかったからです。

しばしば日本の政治家の言葉の中に、『日本をよくする」という言葉が出てきます。改革であるとか、革命であるとか。確かに、その気持ちもわかるのですが、その一方で、そうした物言いの違和感を感じます。

「日本をよくする」ということは、逆に言えば、「日本は悪い」ということでもありますね。でも、本当にそうなんでしょうか?私は、そうした言い方ではなく、「日本の素晴らしいところに気づいてもらいたい」という言葉遣いをしたい。

日本国民がどんなに自国を悪く言ったとしても、世界との比較から言えば、この国ほど、豊かで平等で安全な国は他にない。如何に日本人は恵まれていることか。テレビやマスコミの論調を見ていると、人々が不平不満を持つようあおり立てているようですが、本当は日本人はすでに幸せなのだと思います。参議院選挙で、芸能人が大勢出馬する国ですよ。まだまだ日本人は平和で幸せだということではないですか。

…今年は、公私ともに様々な大きな変化の年になりそうです。とても素晴らしい物件と出会いました。全く新しい人生がそこから始まる予感がしています。出会いは必然です。この幸運を本当に嬉しく思います。

この国に、生かして頂いて有り難う御座います。



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2010年05月24日 eichisakamotoの投稿

口蹄疫は陰謀である。

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以下、ニュース記事から。(下線部は筆者)
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筆者・山口敏太郎もメディアの世界で生きる人間であるが、昨今の口蹄疫問題に対する偏重報道には怒りを感じている。自民党が与党の時代には自民党に遠慮し、民主党が政権を獲った現在では、民主党に遠慮している人間がこの世界には多い。

 たとえ与党であっても、失政は失政としてマスコミが報道すべきではないだろうか。日頃、国民の皆さんに「マスゴミ」と呼ばれお叱りを受けている我々メディア側の人間が、いまこそ“宮崎県で起きている事実”を報道すべきである。“ゴミにはゴミなりの良心”というものがあるはずである。今ここで闘わずして、マスコミ人といえるのか。

 宮崎県の口蹄疫報道では、数々の国民感情に訴えるようなシーンが、番組やメディアによってはカットされている。東国原英夫知事の涙声の会見や、プロゴルファー横峰さくらによる1200万円の賞金寄付発言などを、お上のご威光を恐れて流さない媒体が幾つかある。

 確かに、メディア系の企業に勤務する人たちも、組織の一員たる会社員であり、及び腰になるのはわかる。政治家に睨まれて、自社の上層部に電話でもしたら、昇進や査定に悪影響を及ぼすのかもしれない。

 だが、“事なかれ主義で無難で生きたい”と思うなら、表現や報道の世界で生きるのを辞めればよいのだ。曲がりなりにも情報発信ができる立場の者ならば、この国難に立ち上がり声をあげるべきではないか。今や口蹄疫問題は、個人や企業の支持政党や理念といった、党派・派閥などは関係がない大問題となっている。日本人として、この国の畜産を守るために、真実の報道をすべきである。筆者のことを「オカルト作家風情が」と笑う暇があるならば、己のできることをやるべきだ。

 民主党政権が、韓国産豚や韓国産牛の輸入を解禁した途端にこの始末である。しかも、宮崎県と自民党議員が「種牛だけでも特例措置で避難させてほしい」と、5月の上旬に要請を出したのもかかわらず、赤松農水大臣が許可を出さなかったため、結局種牛の避難が遅れ、種牛さえも処分の対象とされている。これでは、日本の和牛は壊滅状態に追い込まれる。このまま宮崎県だけで収まるとは思えないのだ。

 一方で2007年に、宮崎県畜産試験場から、和牛の品種改良に使う冷凍精液の入った容器143本が盗まれていたことが明らかになった。これは何を意味するのか。   

 あくまで仮定の話と断っておくが、日本の畜産業界が壊滅状態となった時、どこぞの国から“和牛そっくりな牛”が日本に向けて輸出されるとしたら、大問題である。この口蹄疫問題こそ、マスコミの姿勢が問われる正念場である。各社にいるはずの“良心”の決起に期待したい。

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例の口蹄疫の話ですが、う~ん、きな臭い。

宮崎県の牛の飼料は韓国産であることがわかっています。そもそもの発生源は、安愚楽農場という某巨大新興宗教団体系の組織。すでに口蹄疫が広まっていた韓国から、安い韓国産の飼料をこの農場で使用していたことから始まります。データを改ざんし、一ヶ月以上も口蹄疫の発生を隠蔽していました。

2007年に某国の産業スパイによって種牛の精子が盗まれる。
→韓国の影響が非常に強い宗教団体の運営する農場で口蹄疫発生
→民主党が政権を取るや否や、韓国からの牛肉輸入を解禁
→「外国人参政権は民団への公約」と発言した、社会党出身の極左である赤松農水大臣が感染抑止を妨害
→日本の畜産農業が壊滅したところに、宮崎産そっくりの牛肉が韓国から輸入される

こうした一連の流れを見て、陰謀を感じるのは私だけではないでしょう。この影響で、日本がアメリカの輸入肉に大幅に頼らなければならなくなる以上、TOYOTAの事件と同様、アメリカの影もちらつきます。

日本はあまりに産業スパイの存在に無警戒でありすぎます。「日本はスパイ天国だ」と言われているように、マスコミ界、教育界、宗教界、政治界の中に多くの中国人/朝鮮人スパイ、もしくは日本人左翼工作員が紛れ込んでいることにそろそろ日本人は気がつかなくてはいけません。

そしてその典型が民主党議員です。日本の総理を始め、主要閣僚が敵国のスパイであったのです。多くの日本人がマスコミに煽動され、こうしたとんでもない政権を誕生させてしまった。

彼らの目的は、日本を弱体化させた上で、中国に占領させることをその目的としています。金と引き換えに国を売る。売国奴そのものの姿です。

その手段は、昔のような銃弾が飛び交うような「戦争」ではなく、秘密工作員を要所に就かせた上で、左翼政治家を通じて様々な法案を作り上げ、合法的にじわじわと、だが確実に占領していく「移民侵略」の方法。そう、戦争の形が変わっているのです。武力を背景にした情報戦であり、スパイ戦争です。

平和ボケした日本は、今まさに存亡の危機にあると言っていいでしょう。が、大事な点は、そうした彼らの陰謀がネットを通じて次々に明るみに出ているということ。つまり、悪事がバレ始めているということです。

これは今のネットの普及なしではありえませんでした。彼らもまた、ここまで陰謀が一般国民にバレるとは想像していなかったと思います。ネットは一種の救世主のような働きをしています。

これからますます、民主党の陰謀が表に出てくると思います。日本の言論の自由を奪い、国を売る法案が目白押しです。彼らも政権の寿命の短さを感じて、これから2012年までずっと、血眼になって法案を可決していくでしょう。天災のように見える人災が多くの人命と国力を奪い、日本は衰退をしていきます。

しかし、絶対にこの中国/韓国の傀儡政党である民主党との戦いに、心ある日本人は負けてはいけません。いざとなれば、命を捨てでも日本を守る必要があります。

原口総務大臣は、参議院選挙に向けて「ネット選挙解禁」を現在進めていますが、これは表向きとは違う意図が隠されているようです。それは「選挙期間中は民主党の批判は許さない」ということ。言論の自由を奪う法案をどさくさにまぎれて通そうと画策しています。言論の自由を奪うのが彼ら左翼の体質なのは、昔も今も変わりません。陰謀がバレるのを恐れているのです。

…今こそ、日本人は目覚めるべき。本当の敵は内部にいるということを。

この国に、生かして頂いて有り難う御座います。







2010年05月23日 eichisakamotoの投稿

この国に産まれてきたよかったなぁと思えます。

テーマ:お勧めの本
2010年05月22日 eichisakamotoの投稿

至誠。

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やっと週末になりました。一週間が長いこと、長いこと。それほど中身が詰まっているということでしょうか。楽しい、充実した一週間でもありました。

最近は、あまり本を読む時間がないのが残念ですが、ちょこちょこ空いた時間を利用して勉学にいそしんでいます。

本屋さんに行っても、読みたい本ばかりで、本当に全部買って読みたい気分になりますね。自分の無知を自覚しているので、知的好奇心が人一倍強いのです。本当に、知りたいこと、知らないことが多すぎます。それにしては、人生は短いなぁ。

昨日、今日と色々新しい塾のための物件を見ていました。いつも不動産には注意して見ているのですが、よい条件のものがあれば、すぐにでも移ってもいいかなと思っています。昔から、引っ越しに関しては抵抗がない人で、今までに10回以上引っ越しています。土地にあまり執着がなく、不動産よりも、動産、さらに言えば自分の知識や経験こそが財産であると思っている人なんです。

これは自分の死生観にもつながってくるのですが、本当にこの世に対しては執着が薄いです。もちろん、何かを得ることは嬉しいですよ。でも、どこかで醒めた部分があるのも本当です。

子供の頃から、もらったお小遣いはすべて使い切っていました。本当に馬鹿でしたね(笑)。うちの姉は、もらったお小遣いの何割かを確実に貯金するタイプで、本当に自分とは正反対の性格です。もっと、姉を見習うべきでした(反省)。

不動産よりも動産、動産よりも知識や経験。つまり無形のものに価値を見いだす。これは、ある意味でユダヤ的な発想でもあります。流浪の民族であったユダヤ人にとっては、やはり無形でありながら無限の富を産む教育というものが、何よりも大切であり、民族の生死を分つものでもありました。

世界で最も教育熱心な民族は日本人とユダヤ人です。教育というと、ついつい学校教育であるとか、受験勉強を思い浮かべる人が多いと思うのですが、そうした狭義の教育ではなく、知識欲という広義の意味で捉えれば、日本人ほど知的好奇心が旺盛な民族は世界広しと言えどもないと思いますね。

こんなにもたくさんの町に大小の本屋があり、知的レベルの高い本が一般庶民に読まれている国はないです。例えば、アメリカやイギリスにも本屋はありますが、たいていは小説の類いです。知的な本は、アカデミックな本屋さんにあるだけで、普通の人が普通に読む、といったものではないのです。庶民と学者で分かれているというか。日本のように、普通の小さな本屋さんに岩波文庫があったり、コンビニに哲学の本が置いてある国というのはおそらくありません。

日本人は元来、こうした無形のものに価値を見いだす民族なんですね。有形のものは、すべて滅び去るということを無意識の内に知っているがゆえです。そしてそれは<正しいものの見方>です。ヘラクレイトスではないですが、「万物は流転す」ことを、この民族は腹の底からわかっているのだと思います。

ですから、日本の住宅であるとか、建築や町並みが祖末であるといって馬鹿にする外国人や日本人がいますが、そうではないのです。日本人は、そうした有形のものに本来執着しない民族であるということです。だからこそ、江戸から明治へとあんなにも急激に変貌することができた。服装から食べ物から、何から何までが変わった。が、それは逆に言えば、日本民族の自信の現れでもあったのです。「それでもなお、大和魂は変わらない」という確たる自信があったからこそ、西洋の文物を進んで吸収することができたのだと思います。

一見すると、この国は多くの変貌を遂げ、すっかり変わったように見えます。が、しかし日本人のDNAの中に、日本の伝統や文化は脈々と流れている。つまり、日本文化とは、すなわち日本人そのものであり、戦後65年くらいでは早々変わらないものなのです。

日本人の優しさに触れた外国人は、みな日本人が好きになります。反日意識をもった中国人や韓国人が、日本にやってきて友達ができると、日本人の礼儀正しさや優しさ、思いやりに接し、本国で教えられてきた「傲慢な日本人」という嘘のプロパガンダに気がつき、日本から離れたくないと思うようになる人は多いと聞きます。日本人ほど謙虚な民族は他にはないです。

「反日」を標榜する人々が大勢日本にいるという現実が物語っているように、彼らにとってもまた日本はとても居心地がいい国なのです。本当に日本が嫌なら、ここにはいませんよ。日本を好きな人も、嫌いな人も、優しく包み込む国。それがが日本です。この国は天照大神、つまり、ふくよかなおたふく顔をした女性的な優しさでいっぱいです。

深い洗脳をされたとは言え、まだまだ日本は大丈夫です。危機的な状況にあるとはいえ、必ず、然るべきときに、然るべきタイミングで日本が色々な意味で復活するのではないかと思います。暗くなる必要はありません。すべて貴重な体験です。この危機は明るく乗り越えるべきですね。「お笑い民主党」が多くのネタを毎日提供してくれているではないですか(笑)。

民主党の手招きの下、中国が今にも日本を占領せんととする状況の中で、平和ボケの中、穏やかに暮らす多くの日本人がいます。すべてでなくてもいいのです。1割、いや5%の人さえ、しっかりとしていればこの国は安泰であると思います。ネットを見ていると、日本中には本当に素晴らしい市井の人々が大勢いらっしゃる。レベルの高い国だとつくづく思います。

今日はお昼に、うちの塾の近くの東郷平八郎の実家跡地である東郷公園で、一人日本の未来を考えていました。東郷のような、偉大な人物が生まれた国に自分がいること自体に、とても感動します。東郷は、次のような言葉を残しました。いい言葉ですね。

「至誠にもとることなかりしか。言行に恥ずることなかりしか。気力に欠くることなかりしか。努力に足らぬことなかりしか。無精に過ぎることなかりしか」

「愚直と笑わるるとも、終局の勝利は必ず誠実な者に帰すべし」

…この国に、生かして頂いてありがとう御座位ます。


2010年05月19日 eichisakamotoの投稿

弱さが人間の悪を引き出す。

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なぜ、戦争は起こるのか。それは、一言でいえば、軍事バランスの不均衡が直接の理由です。これをbalance of powerと言います。

現在の東アジア海域における様々な不安定要素を考えてみますと、そこには圧倒的な中国軍のここ数十年来における軍事増強があります。

このブログでも幾度となく、中国の脅威を伝えていますが、本当に危機を感じる原因は中国軍の増強によって軍事バランスが不均衡になってきているという現実、逆に言えば、日本の自衛隊が相対的に弱くなっているという現実です。

人間の悪を引き出すのは弱さである。これが私の人間観です。「弱さ=善」「強さ=悪」というような倒錯した価値観を持っている人がいますが、これはまさにニーチェが言うところの弱者によるルサンチンマン以外の何ものでもなく、反道徳であると思います。

弱さが人間の悪を引き出す、というのは、卑近な例で言えば「いじめ」について考えればわかりやすいと思います。

なぜ、いじめという現象が起きるのかと言えば、それはいじめっ子の存在と同時に、いじめられっこの存在なしには成立しません。

仮にいじめっこが最初の一撃を相手にしても、その子供がやり返したならどうでしょうか。二度とその子供はいじめの標的にはなりません。いじめっこでさえ、そんな面倒な相手には手を出したくないのです。

「やられたらやりかえせ」という考えも、そしてまたその実力もない生徒は、やられても何もしない。だから、相手はますます増長し、いじめがエスカレートしていくのです。

つまり、いじめられっこの持っている間違った考え、つまり「暴力=悪」「やられてもやりかえしてはいけない」といった一種のキリスト教的価値観が相手の悪を引き出している点を無視してはいけないのです。

昨今の日本と中国/朝鮮との国際関係を見ていますと、まさに<いじめ>の構図、あるいは<SM関係>が見て取れます。いじめる方も異常であるが、いじめられっこもまた異常なのです。どちらも病んでいる。

中国は典型的ないじめっこ、あるいはSですね。一方、日本は完全ないじめられっこでありMです。第三者から見れば、二つともまずい具合に息が合っているというか、調和しているのです。いじめっこもいじめられっこも、SもMも共依存であり、端から見れば異常です。夫による妻への暴力にも同じ関係が見て取れます。また、『ドラえもん」で言えば、ジャイアンが中国、スネ夫が韓国、もちろん日本はのび太です(笑)。

沖縄から米軍が撤退したら、すぐに中国が沖縄を占領するのは目に見えています。中国にしてみれば、日本の天然資源と人的資源の両方を丸呑みしたくてしかたがない。急増する人口を抱え、不満を抱える人民が増えている今、日本を敵とし、それに戦争を仕掛けることは一挙両得です。資源を略奪することができるうえ、不満分子の矛先を「憎い日本」に向けることができる。

侵略への大義名分なんてどうでもいいのです。彼らのお得意な正反対な名称をつければいい。「沖縄解放」でも「日本解放」でも良いのです。民主主義という名前のついた国で、民主主義の国は一つもないように。

つまり、ここで問題なのは、中国占領を招き寄せているのは、他ならぬ日本の弱さであるという点です。日本が毅然として、敵の領土侵犯に対して対処していれば、決して向こうは手を出さない。が、日本の対応は、まさにいじめられっこのごとく、「やめろよ~」などとニコニコしているだけ。いじめっこにしてみれば、ますますいじめたくなるものです。

いじめがエスカレートしますと、どうなるかと言えば、相手を殺すところまでいくのが人間の本性です。笑いながら、相手をいたぶっていきます。死に至るまで。そうした悪魔性を人間は内に秘めている。

日本人は、戦後の左翼思想による洗脳の結果、完全に牙を抜かれ、奴隷根性、すなわちいじめられっこの精神ができあがってしまった。一種の心の病です。「自分が悪いんだ」「いじめられて当然なんだ」「生まれてこなければよかった」と自虐する日本人は、それが学校とマスコミによる洗脳であることに気がついていない。その二つの組織内部には左翼活動家が潜伏していることはご存知でしょう。

GHQによる7年間の占領中に、「公職追放」によって左翼活動家が教育界/マスコミ界のトップに据えられました。一方、ラジオという当時の最新のメディアを使って、「原爆を落とされるのは当然だ」という意識を植え付けられます。そして何よりも、諸悪の根源は日本国憲法に他なりません。道徳の根本を規定する最高法規の中に、誤れる思想が注入されました。

結局、戦後65年を一新する思想的転換がなければいけないのだと思います。それが何をきっかけに始まるかはわかりませんが、いずれにしても、思想的/哲学的転回がなければいけない。

正義に裏打ちされた「強さ」は「善」であるという全うな思想、すなわち武士道が復活しなければいけないのだと思います。「人はみな強くなるべく努力すべきである」としたのがニーチェの超人思想でもありました。

戦後世界で二つの民族が質的に逆転したとされています。それは商人から武士になったユダヤ人と、武士から商人になった日本人です。この二つの部族—元は兄弟でしたがーと、国の変わり様は本当に正反対でした。

…武士道の復活。武道と学問という武芸の再興こそが、日本復活の鍵になるのではないでしょうか。日本を新たに改める時が来たのです。

この国に、生かして頂いて有り難う御座います。


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