強い雨の中、拳を突き上げる市民集会の参加者たち=28日午後7時42分、沖縄県名護市、森下東樹撮影
米軍普天間飛行場の移設先は迷走の末に、再び沖縄県名護市に戻ってきた。県民に失望感が広がるだけでなく、鳩山由紀夫首相にいったん期待を寄せた関係者にはさらに不信感が強まった。
日米合意に反対する市民集会が28日、名護市で開かれ主催者発表で約1200人が参加し、「新たな基地は造らせない」などと気勢をあげた。
集会で参加者が最も沸いた場面がある。移設反対の象徴、嘉陽(かよう)宗義さん(87)が訴えかけたときだ。
「もし鳩山首相から莫大(ばくだい)なお金と感謝状が来ても、辺野古の海に捨てて下さい。将来必ず、子や孫からありがとうと言われる日が来ます」
1996年12月、普天間の移設先を「沖縄本島東海岸沖」とする日米特別行動委員会(SACO)合意が交わされた。嘉陽さんは目の前の海に新基地を造る計画にはがまんならず、翌月発足した移設反対の団体の相談役に。「嘉陽のオジー」と慕われ、自宅居間に移設反対のメンバーが夜ごと集まった。
移設計画が進まないままSACO合意は在日米軍再編の過程で見直され、06年5月、日米両政府はV字形滑走路を造る埋め立て案で2度目の合意をする。しかし、「絶対に造らせない自信があったから」失望しなかったという。
「すわりこみ」「テント村へ」。自宅居間の壁に据え付けた高さ1メートル、幅2メートルの予定表は今も、自ら書き込んだスケジュールでびっしり埋まる。28日の欄には「普天間で名ゴ市集会」とだけ。日米合意は気にも留めていない。
いつか「4度目の日米合意」があると断言する。「辺野古に造るなんて天の神、地の神が絶対に許可しません。海外には『ぜひうちに』っていうところもあるでしょ? みんながいがみ合わないですむ決着が必ず来ますよ」
政権にいったん期待を寄せた人々の不信はさらに強い。