さっそくブログからエントリが消えた…
プロテニス選手の宮尾祥治容疑者(27)が大麻取締法違反(所持)の疑いで5日に逮捕されたのですが,さっそく関係がある人のブログからスナップショットが消えました。
城田優 BLOGの2007年5月11日にアップされたこの写真(エントリとしては5月19日付け)なんですけど,

http://blog.watanabepro.co.jp/shirotayu/archives/070511_204719.jpg
ブログ本体からは決して見えないのですが,Googleには見つけられちゃいましたね。その上,こんなコメントがあったそうな。
PS
写真はオレ達にテニスのコーチもしてくれる、マブタチのプロテニスプレイヤーの宮尾祥慈くんなり☆
ちょっと意味深発言ですが,…(以下自粛)
下書きにしても,エントリがないだけでイメージはGoogleに見つけられてしまうのですね。あるいはイメージだけ消し忘れかな。自分のブログでも注意しておこうっと。
城田優 BLOGの2007年5月11日にアップされたこの写真(エントリとしては5月19日付け)なんですけど,
http://blog.watanabepro.co.jp/shirotayu/archives/070511_204719.jpg
ブログ本体からは決して見えないのですが,Googleには見つけられちゃいましたね。その上,こんなコメントがあったそうな。
PS
写真はオレ達にテニスのコーチもしてくれる、マブタチのプロテニスプレイヤーの宮尾祥慈くんなり☆
ちょっと意味深発言ですが,…(以下自粛)
下書きにしても,エントリがないだけでイメージはGoogleに見つけられてしまうのですね。あるいはイメージだけ消し忘れかな。自分のブログでも注意しておこうっと。
アフリカを国と思っていたペイリン候補
※ペイリン候補の言動には,突っ込みどころ満載です。自分で選んでおきながらマケイン候補も足を引っ張られたと反省しきりでしょう。8年後に震撼しないようにペイリンの中央政界進出の目を完全に摘んでやってください。
古舘さん,あなたが言わないで
古舘、TV番組で“先輩”筑紫さん偲ぶ
>「本当にテレビジャーナリズムの使命役目をずっと担い続けてきた方。その後に続く者の一人として、私としても、大変な任務なんだということを痛切に感じているわけです。本当に筑紫さん、お疲れさまでした」
※今日は久しぶりに突っ込みたいです。あなたのキャスターぶりはジャーナリズムじゃなくてスポーツエンタメの延長ですから「その後に続く者の一人」とは口が裂けても言って欲しくないですよ。
それに比べれば,筑紫さんは少々左がかっていましたが,日本のジャーナリズムを代表してきた人であることには違いが無く,長い間本当にお疲れ様でした。
印象に残っている事件・出来事と言えば,筑紫哲也「屠殺場」発言事件でしょうか。1989年,彼が「ニューヨークの街も多分屠殺場だね」と番組で発言をしたため,当時は公の場で使われる差別的な言葉が問題となっていたため(批判的な意味で言葉狩りとも呼ばれた),言葉の使い方が不適切であったとして翌日に謝罪をしたものの,一部の屠場労組から抗議があり,部落解放同盟も加わっての糾弾会が行われました。
以下は,「ヒロさん日記」の「部落解放同盟の「糾弾会」で人格を破壊された人たち 」よりの引用です。
>第1回大衆糾弾会は、89年11月22日両労組員ら200人が参加してJR品川駅前の芝浦食肉市場で開かれた。席上、筑紫氏が差別の意図はなかった旨釈明したが、参加者からは,激しい罵声や怒号が浴びせられた。糾弾は午後いっぱい、4時間にわたって続けられた。まさに長時間の「拷問会」であった。
以後、糾弾会は12月13日、90年1月10日など、90年8月1日まで、毎月1回、計9回開かれた。4、5回までは第1回同様、「人格が破壊されかねない」ほどの激しい糾弾会となった。
あるときは「差別とは何か、いってみろ」といわれ、あまりにも漠然とした問いに戸惑っていると、「なぜ黙っているんだ。いえないのか」とやられ、考えがまとまらずに何かをいうと、次から次へと揚げ足とりで突っ込まれる。何をいっても吊るし上げられる、一時の過激派学生の大衆団交と同じだったという。
不用意な発言であったとはいえ,逆差別ともいえるほどの言論弾圧はいけませんね。まさにジャーナリズムとは体を張る仕事と言えます。古舘氏のような軽口のコメントでは出来ない仕事でしょう。
>「本当にテレビジャーナリズムの使命役目をずっと担い続けてきた方。その後に続く者の一人として、私としても、大変な任務なんだということを痛切に感じているわけです。本当に筑紫さん、お疲れさまでした」
※今日は久しぶりに突っ込みたいです。あなたのキャスターぶりはジャーナリズムじゃなくてスポーツエンタメの延長ですから「その後に続く者の一人」とは口が裂けても言って欲しくないですよ。
それに比べれば,筑紫さんは少々左がかっていましたが,日本のジャーナリズムを代表してきた人であることには違いが無く,長い間本当にお疲れ様でした。
印象に残っている事件・出来事と言えば,筑紫哲也「屠殺場」発言事件でしょうか。1989年,彼が「ニューヨークの街も多分屠殺場だね」と番組で発言をしたため,当時は公の場で使われる差別的な言葉が問題となっていたため(批判的な意味で言葉狩りとも呼ばれた),言葉の使い方が不適切であったとして翌日に謝罪をしたものの,一部の屠場労組から抗議があり,部落解放同盟も加わっての糾弾会が行われました。
以下は,「ヒロさん日記」の「部落解放同盟の「糾弾会」で人格を破壊された人たち 」よりの引用です。
>第1回大衆糾弾会は、89年11月22日両労組員ら200人が参加してJR品川駅前の芝浦食肉市場で開かれた。席上、筑紫氏が差別の意図はなかった旨釈明したが、参加者からは,激しい罵声や怒号が浴びせられた。糾弾は午後いっぱい、4時間にわたって続けられた。まさに長時間の「拷問会」であった。
以後、糾弾会は12月13日、90年1月10日など、90年8月1日まで、毎月1回、計9回開かれた。4、5回までは第1回同様、「人格が破壊されかねない」ほどの激しい糾弾会となった。
あるときは「差別とは何か、いってみろ」といわれ、あまりにも漠然とした問いに戸惑っていると、「なぜ黙っているんだ。いえないのか」とやられ、考えがまとまらずに何かをいうと、次から次へと揚げ足とりで突っ込まれる。何をいっても吊るし上げられる、一時の過激派学生の大衆団交と同じだったという。
不用意な発言であったとはいえ,逆差別ともいえるほどの言論弾圧はいけませんね。まさにジャーナリズムとは体を張る仕事と言えます。古舘氏のような軽口のコメントでは出来ない仕事でしょう。