原爆投下(二)

1:アメリカによる残虐行為

(1)、実験の項目に分類、二度の人体実験

米国のニューメキシコ州ロスアラモスにある、米国最大のロスアラモス国立研究所に保管されている原爆に関する公文書によれば、広島に投下した ウラン235 を原料とした原爆が 二回目の投下実験 として、又それよりも 二倍の威力を持つ長崎に投下した プルトニュウム239 を原料とした原爆が 三回目の投下実験 として、それぞれ 実験 という項目に分類されて、被害の惨状全てが記録されています。

アメリカにとって原爆投下は核兵器という新しい兵器の実験にしか過ぎず、有色人種に対する蔑視から、当時 人間より下等なもの = 猿 と見なしていた日本人を人体実験の モルモットに選んだのです。しかも 一度ならず 二度までも。

もし日本に対して降伏を促す為の投下であったならば、一回の投下でその威力を示す目的を十分達成したはずでした。なぜ 二回も投下したのでしょうか?、しかも僅か 三日という短い間隔で、 異なる種類 の原爆 の投下を!。

これを見れば降伏を促す意図が無かったことは明白であり、広島型、長崎型の二種類の原爆の性能実験であったことは、疑う余地がありません。それどころか日本が降伏するまえに落とそうと急いだのでした()。

(2)、大統領が犯した戦争犯罪

戦場の異常な状況、特に生死の境に追いつめられた極限状態の中で兵士が殺人などの違法行為をするのは、倫理的に許されるものではありませんが、心理的にはある程度の理解が可能です。

しかし戦場から何千キロも遠く離れたホワイトハウス、国防総省やロスアラモス研究所の事務机の上で、女性子供を含む人口密集都市への投下により生じる人的被害の程度を冷静に計算し、予測し、その上で計画を遂行した原爆投下の残虐行為に至っては、その計画者、承認者、投下命令者の悪魔的人間性を物語る以外の何ものでもありませんでした。

この行為は大量のユダヤ人をガス室において殺害したナチス・ドイツが行った犯罪と、その残虐性、その計画性においては同等です。彼等はその犯罪の故に死刑に処せられました。

しかしアメリカのおこなった残虐行為については、連合国軍最高司令官(マッカーサー)が定めた裁判所条例により設置され、文明と正義の名の下に裁くと称した東京裁判においても、裁判管轄権(当裁判所は日本国及び日本人を裁く為に設置されたのであって、それ以外の国、国民を裁く所ではない)を根拠に法の裁きを受けることもなく、被害者である日本人からも残虐行為の責任を追及されずにいます。

国際法上、戦争のルールを定めたヘーグ陸戦法規の第四条では、毒ガスなどの 大量殺戮兵器の使用と、ダムダム弾などの人体に過度の苦痛を与える残虐な兵器の使用を禁止しています。

東京裁判の法廷において米国人のブレイクニー弁護人が主張した如く、原爆の使用は明らかにこの陸戦法規に違反する、国際法違反行為だったのです。それに対する英国のコミンズ・カー検事の反論はそれ(原爆投下)とこの裁判と、どんな関係があるのか?でした。

彼の反論は前述の如く、ここで裁かれるのは日本人だけだという意味でしたが、連合国側の言う、文明と正義は東京裁判のどこに存在したのでしょうか?。

(3)、投下に関する米国の世論調査

原爆投下から一ヶ月後の、昭和二十年九月におこなわれたギャラップ社の世論調査によれば、
原爆の使用について五十四パーセントがそれを是認していましたが、更に二十三パーセントが、「日本が降伏の機会をつかまえないうちに、この爆弾をもっと落とすべきだった」と答えていました。
日本人は人間以下の、「ねずみ」や、「野蛮人」だという、ハルゼー提督(前述)が公言していた意見と同じような考えを、多くのアメリカ人は持っていました。

(4)、被爆住民の世論調査

米国戦略爆撃調査団の戦意部門が昭和二十年秋に広島、長崎の住民に対しておこなった原爆投下についての世論調査では、
憤怒(原爆は残酷、非人道的、野蛮である)が、十七パーセント

憎悪(原爆投下したアメリカを憎む)が、二パーセントでした。

しかしその調査原票に当たってみると、広島の原爆体験者七十名のうち、憤怒、憎悪が、十六名(二十三パーセント)でした。

(著書昭和二十年、1945年参照)

僅か数ヶ月前に原爆という残虐な方法で肉親、親類縁者、知己友人などを殺されていながら、憤怒、憎悪を示す数字が余りにも少ないのに驚きました。もし外国で同じ調査がおこなわれたとしたならば、それらは百パーセントに近い数値になったであろうことは容易に想像されます。少ない理由は後述するところの権力者に直ぐにおもねる日本人の卑屈な国民性、事大主義の習性に依るものです。

2:加害責任のすり替え、悪いのは米国ではなく、戦争

占領下の日本では米軍による「占領目的阻害罪」の制定により、占領軍に対する不利な言論、出版等は禁止されていましたが、その結果原爆の被害状況の写真の公表、被害に言及する事自体も占領目的を阻害する行為とみなされました。

占領軍兵士により多発した犯罪の報道にも、背の高い男、色の黒い(白い)男という表現でしか報道したり、新聞に書くことしか許されませんでした。

さらに G H Q (連合国軍総司令部)の C I S ( Counter Intelligence Service )防諜部は昭和二十年十二月 から War Guilt Information Program 戦争責任情報宣伝計画と称する心理作戦を日本で展開しました。

それは「侵略戦争をしたとする罪悪感を、日本人の心に植え付けるための宣伝計画」というべきもので、それによって太平洋戦争に至った罪を日本人に転嫁し、反省させ、原爆投下に対する反米感情を抑圧し、米国にとって無害になように日本人の意識改革を図るというものでした。その戦略を示す極秘ファイルの一部が、米国のカンザス州にあるアイゼンハワー(元大統領)図書館で公開されています。「対日心理戦略」と題されたファイルには、「占領政策、社会、政治改革すべてにおいて日本国民の意識が親米になるようにするこの巧妙な宣伝キャンペーンが、マスコミ、左翼系学者、労働組合を通じて国民の間に浸透し現在に至っています。

米軍の心理作戦による洗脳の効果が、その後の平和運動家の思考に影響を及ぼし、原爆投下についても悪いのは投下という残虐行為をした米国ではなく、日本人が起こした(?)戦争であるとして、米国の加害責任を巧みに日本人の責任にすり替えると共に、米国への責任追求をタブー視させました。

もしこの考え方が正しいのであれば、政治手法としてことあるごとに日本人の贖罪意識を掻き立て、カネや謝罪を要求する中国や韓国に対して是非主張すべきです。悪いのは日本人ではなく、戦争であると、これは実に名案だと思いますが------。

この名案にはドイツという前例がありました。ドイツ人は戦後一貫して、ガス室における六百万人の大量虐殺はナチがしたのであって、ドイツ人ではないとしています。ナチスの構成員はドイツ人であったにもかかわらず。

注:)1
ナチとは国家社会主義ドイツ労働党の通称であるナチスの単数形で、第一次大戦後の1919年に結成され、ヒトラーを党首にしたファシズム政党です。ユダヤ人、共産主義者を迫害、抹殺し、武力でヨーロッパ征服を目指しました。

注:)2
アメリカの心理作戦による効果のひとつの現れが当時マスコミを通じて宣伝され、教え込まれた一億総懺悔(そうざんげ)という言葉でした。つまり国の為に死をも辞さずに戦争遂行に努めたことは間違いであり、日本人全体が侵略戦争をした罪を懺悔せよというものでした。

これに対しある新聞の投書では

今度の戦争は私達が少しも知らない間に始まり、勝っていると信じている間に負けてしまった。私達のあずかり知らぬことに、私たちは懺悔する必要はありますまい。国民を欺いた軍部、官僚、マスコミこそ懺悔は必要です。
とありました。

マスコミは戦時中は軍部の、そして戦後は占領軍の意向に沿って積極的に宣伝に荷担し、独立後はモスクワの指示に従う左翼主義者にすり寄り、次には中国や北朝鮮の将軍様に迎合し、そして在日の代弁者の役割を果たしてきました。

3:恨み、憎しみの記念碑

(1)、中国の場合

平成十二年(2000年)八月十五日に中国政府は日中戦争の発火点となった北京郊外にある廬溝橋のたもとに、中国人民抗日戦争記念彫刻塑像公園を完成させました。そこには五年の歳月と五十億円相当の巨費を投じて、日本の侵略と残虐をモチーフにした三十八個のブロンズ像があり、戦争記念館には日本人が中国人を無惨に殺す情景をこれでもか、これでもかと描いてあります。

日中の国交正常化以来三十年間に総額三兆円の O D A (経済援助 )と、三兆円の有償援助の、合計六兆円もの巨額の経済援助を日本は、つぐないの意味を込めて与え、中国政府はそれを承知の上で受け取りながら、その一方で日本への恨み、憎しみを子々孫々にまで伝えてゆく為に、強い決意の現れとして建設したのです。

しかも五十億円の原資は、あるいは日本からの経済援助から支出された、日本人の税金かも知れません。さらに毎年巨額な経済援助、支援を日本から受けていることを中国は国民に内緒にしてきたのです。その中華思想から夷狄(いてき、未開の野蛮人)とみなす日本から援助を受けている事実など、中華大国のプライドに反するため、知らせてはならないと判断したからでした。

中国政府のシンクタンク社会科学院日本研究所が日中国交正常化三十周年を機に行った世論調査では、日本に親しみを感じるかとの問いに対して、「感じる」は僅か5.9パーセントでした(平成14年12月6日、読売新聞)。

これは中国政府の長年にわたる反日教育、反日宣伝の成果であり、対外的には謝罪や六兆円もの経済援助を受けながら「つぐない」が不十分であるとする口実を設け、韓国同様に日本人の贖罪意識を掻き立てことにより、カネを手に入れ、しかも外交上優位に立とうとする戦略の現れです。

注:)
中国や韓国は日本に対する贖罪意識の道具として、最近では歴史認識という道具を使いはじめました。世界中でどこと、どこの国が共通の歴史認識を持つているのでしょうか?。国が違えば歴史に対する認識が違うのが至極当然のことで、西洋のことわざにも「正義は国の数だけ存在する」というのがあります。

1994年の中国と韓国との国交正常化の際に、韓国側の発表では「中国政府は朝鮮戦争の際に、韓国を侵略した点を謝罪した」と述べましたが、中国外務省によれば「韓国から正式に謝罪を求められたことはないし、もしあっても我々が謝罪するはずがない」との声明を発表しました。中国や韓国と共通の歴史認識を持つ国がもしあったら、是非知りたいものです。

(2)、韓国の場合

日本は日韓国交回復時に当時の韓国の国家予算の五十パーセントに相当する、五億ドル(当時の為替レートで千八百億円)の有償、無償の経済援助、技術協力を韓国に与えました。それにより韓国は製鉄、造船、自動車、電子産業を育て、後進国の地位から脱却し、中進国になりました。

しかし韓国においても、ソウル市郊外に独立記念館を作り、そこでも蝋人形やビデオなどを使い日本を貶(おとし)める目的であらば、どんなウソをついても許されるとする韓国人独特の考えに基づき展示しています。それらは日本の植民地支配を歪めた悪意の宣伝で誇張し、残虐行為の様子や、ねつ造した従軍慰安婦(?)のビデオ映像などを展示して、市民に対する反日教育、反日宣伝に長年利用しています。

平成九年(1997年)秋の韓国の経済危機の際には他国からの借款が得られず、借金返済の目途が立たずに、七十億ドル(七千億円)の対外債務が返済不能になりました。

このままでは韓国が国家として破産する事態となったため、日本に泣きついて債務を肩替わりしてもらい、国家的破産の危機をようやく回避しました。にもかかわらず、その一方で植民地支配の恨みの解消は決してせず、靖国問題や教科書問題でも「内政干渉に該当する」非難を常に繰り返しています。

さらに韓国の歴史教科書では豊臣秀吉の朝鮮出兵には大きく頁を削いて記述しながら、高麗(こうらい)が元(げん)と共に二度も日本を侵略し、対馬の島民を虐殺した元寇(1174年文永の役、1281年弘安の役)には全く触れません。社会科の教科書によれば、戦後の韓国の発展は独力で成し遂げたとあり、日本が与えた前述の経済援助及び技術協力や、ことあるごとに無料で技術移転を要求したことは全く無視しています。国威発揚やナショナリズムの為なら、どんなウソでも平気でつくのが韓国のやり方です。

我々は今後、彼等と付き合う際には親切や恩恵を与えても、それを当然のこととして少しも感謝せず、そのお返しは決してしない、つまり忘恩の徒だということを銘記すべきです。これまでの個人的経験からも彼等は小「中華思想」から日本に対する文化的優位(?)を主張すると共に、自己主張が強く協調性に欠け、お友達にはなりたくない連中です。

これは私の経験だけでなく、昭和三十六年に日本船主協会がまとめた混乗船(注)の日本人乗組員に対するアンケートの中でも、最も好まれる混乗相手の船員としては陽気、協調性、従順からフィリピン人を挙げていましたが、韓国人は我(が)が強く、仕事の際には文句が多い、協調性に欠けるなどの理由から最下位でした。

注:)
混乗船とは船長、機関長などの幹部職員が日本人で、その他は主に外国人船員を雇い外国航路を運航するの船のことです。

(3)、ポーランドでは

以前ポーランドの首都ワルシャワを訪れたことがありますが、バルト海に注ぐウイッスラ川の川岸にあるバルバカーンの旧市内は1940年のドイツ軍侵攻の際の砲撃、爆撃により瓦礫の山となりました。

しかし戦後は昔の姿のままに立派に再建、復元されましたが、建物だけでなく喫茶店の壁の落書きに到るまで昔のままに復元され、その中にはショパンの落書きも昔と同じように描かれているそうです。

首都を完全に破壊され、数百万の市民をガス室で虐殺されたポーランドは、ドイツに対する恨みを忘れぬために、またポーランド民族の誇りを取り戻すために、破壊された都市を昔のままに復元したのでした。

中国、韓国、ポーランドでの民族の恨み、憎しみ、虐殺の歴史を後世に伝えようとする執念の深さには、考えさせられました。



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