ようやく国会が始まって1週間が経ちました。私が恐れていたことは、今回の総選挙で「小沢一郎氏一人にこの国を委ねることになりはしないか」というものでした。
小沢氏は若くして自民党の幹事長まで登りつめ、離党後はいくつもの政党を立ち上げ、一度は自自公連立もありましたが、自民党に挑戦し続けてきました。そしてついに政権を奪取し、実質上民主党の最高権力者となりました。この小沢氏以外の人物には到底成し得ることは出来ない凄まじい意志の強さと執念、リーダーとしてのカリスマ性は、脱帽するしかありません。
今回の民主党の政権奪取も小沢流といわれる選挙手法が、その大きな勝因の一つであった事は万人が認める所でしょう。しかし、一人の政治家に国を預けることの危険性は歴史が証明しています。国民の期待を大いに集めていた行政刷新会議も、小沢氏の意向で大幅に縮小され、一年生議員はとにかく次の選挙に向けて準備をするのが一番大切な事で、委員会での発言や議員立法でさえもする必要はない、というのは民衆主義の根幹に係わる問題であり、私の友人の民主党議員も大変困惑しているようです。マスコミはテレビを中心に鳩山内閣を応援する姿勢のように見受けられますが、今後の国会運営については、野党である私達にも大いに不満があります。今日再協議という事ですが、予算委員会をたった1日しか開かないというのはどう考えてもおかしいと思います。国民も与野党の活発な政策論議を期待しているはずです。
補正予算から2兆9千億を執行停止に鳩山内閣はしました。その中には、地域医療の整備や小中学校の耐震化工事、最先端技術の研究開発支援などが含まれています。更には雇用対策関連の補正予算も執行停止となりました。またガンや未承認薬の開発支援のための予算も執行停止です。その他にも鳩山内閣に問いたい事は山ほどあります。それなのに数の力を駆使して予算委員会をたった1日しか開かないという事であるならば、自民党政権に対して「数の暴挙だ」と批判した事は一体なんだったのでしょうか。

年が明ければ民主党単独過半数まで1議席と迫った参議院選が焦点となります。小沢氏は民主党による単独過半数獲得のためにその豪腕を振るうことでしょう。
しかしそれだけはなんとしても避けなければなりません。次の参議院選挙は日本の議会制民主主義を守るための戦いと私は考えています。ここでも民主党が勝利すれば、小沢氏の存在は民主党の中のみならず、日本の中で絶対的な存在となることでしょう。とにかく短い会期であっても正々堂々と建設的な議論を挑み、国民の皆様に新しい自由民主党、新しい野党のあるべき姿を見て頂くしかありません。




                       10月30日  江藤 拓 










 本日、ようやく137回臨時国会が召集になりました。
衆議院選が終わってから、もうすでに2ヶ月近く国会の議論が行われることもなく、経過してしまったことを残念に思います。民主党は初めて政権を取るわけですから、そのための準備に手間取ったであろう事を考慮に入れても、もう少し早く招集出来たはずです。しかも会期は1ヶ月と短く、このままの日程で行けば、予算委員会を経て各委員会の審議に入れるのは、11月の半ばを過ぎてしまうと思われます。
我々は建設的野党として審議拒否や欠席など国会運営を故意に妨げるようなことは行いませんが、たった2週間余りしか各委員会での審議の時間を持たないという事には大いに不満です。
私が今回も所属することになった農林水産委員会では、農林水産関係の与党からの提出法案は無いという事です。先の国会でもその前の国会でも農家への戸別所得法案を続けて提出してきたのに、なぜ与党になったら提出を見送るのか全く理解できません。
そして本日14時から鳩山総理の所信表明演説が行われました。所要時間50分は歴代の総理の中でも最長ではないかと思います。安倍総理の時が30分で、これでも小泉総理の所信表明に比べて2倍の時間で長いとされました。長いことは特に問題視するつもりはありませんが、とにかく異様な雰囲気で鳩山総理が一言述べると初当選議員中心に歓声と大拍手が巻き起こり、挙げ句の果てには総立ちで拍手をするという一種全体主義的な光景に唖然としました。あまり批判をすることは好みませんが、内容についてはマニフェストの内容を次々に述べられましたが、実現への優先順位や実施時期のタイムスケジュール、財源などは何一つ触れられませんでした。
在日米軍再編対応ではマニフェストにあったはずの見直しという文言も消え、総理の演説が進むにつれ与党席からの歓声も拍手も次第に少なくなっていった感じは否めませんでした。
鳩山総理は、演説の中で「つまずくこともあるだろう」と述べられました。率直で正直であるという評価も出来ますが、これまで自公による政権運営を頭から否定し、民主党に政権を明け渡すことを強く要望して来たことを考えれば、かなり私としては拍子抜けしたというのが正直な気持ちです。これから始まる国会論戦についても、役人を交えず政治家同士で議論をしようという姿勢には大いに賛意を示すものです。ですが皆様にもご理解頂きたいのは、自公政権で副大臣・大臣政務官制度を作ったときに、まさにこれをやろうとしたのです。ところが、当時の野党民主党が官僚の委員会の出席を強く求め、妥協案として理事会で承認されれば参考人として官僚の出席も認めるとしたのです。現実に官僚の答弁が多かったのは、質問時間の多い当時の野党の諸君が官僚に多くの質問をしたからであることは、分かって頂きたいと思います。
我々が本来望んでいた政治家対政治家の国会論戦が実現されるとを私は大いに楽しみにしていたのですが、やはり従来通り民主党政権も質問者に対して事前の質問取りを官僚にさせるとの事です。ここでもまた肩すかしを食らった感じでがっかりですが、委員会は大臣をいじめる場所ではありませんので、委員会の円滑な運営の為には、事前の官僚による質問取りにも協力するつもりです。できれば会期を12月の末まで延長して頂き、国民の前で徹底した議論を展開することを強く望んでいます。それにしても余りにも短い会期であり、無理矢理削った3兆円余りの補正予算も、ほとんど同じ内容が与党の概算要求に入っているのを見ると「なんだか不自然さが目立つな」と率直に思います。
とにかく国会が始まりました。正々堂々とあくまでも国家国民、そして私を再び国政に送って下さった有権者の皆様のご期待に沿える議論をして行きたいと意欲を燃やしております。

ところで、前回のコラムで第五腰椎ヘルニアの手術を受けたことを報告いたしましたが、正直術後2週間は痛みもあまりとれず、地元に帰っても杖をつかなければならない状態でした。しかし、この1週間余りで急速に快方に向かい、杖なしで十分動けるようになりました。ご心配を頂いた皆様にはお詫びを申し上げ、感謝いたします。あと10日もすれば、かなりのレベルまで回復すると実感しております。国会の開会に間に合って本当に良かったと胸をなで下ろしております。

最後に野党議員としての私の役割をご報告いたします。
委員会は、農林水産委員会・災害対策特別委員会・拉致問題特別委員会(理事)に在籍することになりました。党内では、農林部会長代理・畜産酪農対策小委員長を命じられました。1/3に人数が減った分、かなりハードな部分もありますが、無念の涙を飲んだ仲間の事を考えながら、全力を尽くして参ります。


                     10月26日  江藤 拓










 
中川昭一先生のご葬儀が無事善福寺で行われ、しめやかに最後のお別れを終えました。台風の最中になるのではとの予想もあっただけに、今はほっとした気持ちです。
しかし、安倍晋三先生や先輩の皆様の弔辞を聞いていると、中川先生がいかに近年の日本とそれを取り巻く世界情勢に危機を感じられ、必ず捲土重来を果たし、それまでの間も政治家として精力的に行動し、努力精進をされる決意をされていたことが改めてよく分かりました。
また奥様は、凛とした態度で全ての人に気配りを忘れないお礼の言葉を述べられ、これまで夫唱婦随で心一つに生きてこられたのだということを強く感じました。

政治の世界は多種多様です。政治家になる目的も人それぞれ違います。ただ言えることは、真剣に取り組めば取り組むほど、これほど葛藤とストレスに満ちた仕事はそうないのではないでしょうか。中川先生の鬼気迫る真剣さが周りを動かし、魅了もしましたが、同時に先生の身体も心もずたずたにしていったのかもしれません。数えきれぬほどの参列者が最後のお別れを惜しんでいました。私も杖をついて参列しましたが、かえって回りの先輩諸氏に心配をかけてしまい、まずかったかなとも思いましたが、私の父の教えに「御祝いは何度でもあるが、最後のお別れは一度きりしかない。ご葬儀には出来る限り参列せねばならない」というものがあります。最後まで参列者の皆様に立礼をすることは無理でしたが、やはり参列して良かったと思っています。
とにかく葬儀は悲しいものです。今年に入ってからも大切な方をたくさん失いました。それらの方々の事を思い、感謝しながらこれからも自分の生き方に活かしていかなければなりません。

 自民党内の政策検討体制も徐々にではありますが、整いつつあります。私は宮腰光寛先生(5期生)の元で農林部会長代理を務める事になりました。私は従来より農政の抜本改革を主張してきた者です。直接支払い制度という考え方も否定する立場ではありません。それは先の農林水産委員会でも、民主党の法案提出者にもはっきりと言いました。
しかし日本の農家を全て直接所得補償によって守るということになれば、10兆円でも足りないと考えられます。しかしながら、現実の厳しい1次産業の現状を鑑み、実現可能な方向へと法案を修正して行かなければなりません。激しい論戦となるとは思いますが、あくまでも生産者と消費者の立場を十分考えた上で、実のある法案を作り上るのが本来委員会に求められる機能であるはずです。



                     10月9日  江藤 拓











 総選挙が終わってから、約1ヶ月。この1ヶ月は、私にとって厳しく悲しい事ばかりのひと月となってしまいました。
報道でご存じの通り、中川昭一元国務大臣が56歳の若さで急逝していしまいました。故中川昭一先生の父中川一郎先生は私の父江藤隆美と政界では無二の親友で、当時の田中金権政治に反発して、故渡辺美智雄先生や石原慎太郎東京都知事らと「青嵐会」を立ち上げ、今では想像がつかないほど、派閥や先輩議員の力が強かったあの時代に、共に政界の刷新浄化のために闘った同士でした。
そんなご縁もあり、初当選以来、私は、中川昭一先生を兄貴とも師匠とも仰ぎ、常にご指導を頂いてきました。第1回目の私の厳しかった選挙での折りにも、宮崎まで足を運んで応援に来て下さり、その後も地元で行われた新春懇談会などにも度々スケジュールを無理してお越し下さいました。思い起こせば、数限りないご恩が胸をよぎります。
そして政治家としてその生き様・政治信条に私は心服していました。私が初当選の後に、中川先生のご指導の元取り組んだのが、日本の教科書における教育のあり方を正すための議連の結成であり、その愛国心に燃えた強い信念と事実に基づいた資料から検証された論理的な議論の展開が、現在の教科書のあり方を変えた事は疑う余地がありません。拉致の問題にも会長として元総理安倍晋三先生とタックを組み、ご家族のために本当に親身になって行動され、主権国家たる日本の立場を明確にぶれることなく、主張してこられました。その事は永住外国人への地方参政権を与えることに反対する姿勢や、自民党内でも国会提出寸前まで行った人権擁護法案を阻止した事でも、明らかです。先日総裁選も終えたばかりですが、「中川昭一先生がおられれば」という声は総裁選の最中にもよく聞かれました。
中国に対しても東シナ海のガス田開発問題や度々行われる中国船の領海侵犯についてあれほどはっきり物が言えた政治家は誰もいませんでした。先日中国は建国60周年に当たり、大規模な軍事パレードを行い、世界が核廃絶へと動き出したにもかかわらず、新型の大陸間弾道ミサイルを公開し、経済でも軍事力でも中国のプレゼンスの大きさを誇示しました。
民主党政権は永住外国人への地方参政権の付与をマニフェストにうたっておりますし、靖国神社についても、別の追悼施設を作る事を目指しています。私はどちらにも反対ですし、故中川先生のご意志にも反します。今こそ中川昭一先生が日本にとって必要とされる時であるだけに残念でなりません。
自由民主党は「保守政党」であります。その保守色が党内で薄れていくことを中川先生は、大変危惧しておられました。政権を失った今こそ、例え議席はなくとも中川先生にはご指導頂きたいことが沢山あっただけに、この喪失感は言葉では表しようがありません。

私事ですが、実は数日前椎間板ヘルニアの手術を受けました。選挙期間中も腰から左足に来る激痛を皆さんにさとられない様に必死でした。しかし地元から、週末に行われた県の畜産共進会に「拓くんが来ちょらん」と言っておしかりを随分頂きました。皆様に心配をかけたくないという気持ちもあり、隠しておくつもりでしたが、「本当の事を言わんと、野党になったから変わったと言われるぞ」と緒嶋県連会長からアドバイスを頂いたので、公表することにしました。自分にとっては初めての入院でしたが、選挙の時とはまた違った妻の有り難みを実感しています。
まだしばらくは静養しなくてはなりませんが、本日どうしても、一目中川先生にお会いしたく担当医の許可を頂いてご自宅に行って参りました。相変わらずダンディーなお顔で、改めて信じられない想いです。
ご葬儀は9日11時からと決まりましたが、それには何としてでも出席するつもりです。私の様な駆け出しが、中川先生の「想い」を背負うことはできませんが、そのほんの一部でも中川昭一先生のやり残した無念の思いを胸に、行動していこうと強く心に誓っています。
中川昭一先生こそ本物の保守本流の政治家であり、真の愛国者でした。





                       10月5日  江藤 拓









Copyright(C)2004 Office Etoh Taku All rights reserved.