最近ブログ界で、「日本の情報サービス産業に明日があるか」という話題が、ちょっと盛り上がったようだ。たとえばbewaad instituteでは、「日本は情報サービス産業で比較劣位にある」という事実を自明の前提として議論が行なわれている。これが霞ヶ関の常識だとも思えないが、ちょっと事実認識がずれているのではないか。
Economist Intelligence Unitの調査によれば、日本は世界でもっともイノベーティブな国だ。この調査は特許の数を基準にしているのでバイアスがあるかもしれないが、少なくとも日本人がイノベーションに弱いというのは神話である。問題は、要素技術で多くのイノベーションを生み出す日本が、情報産業で世界のリーダーシップをとれないのはなぜかということだ。
これはbewaad氏や楠君がいうほど、どうでもいいことではない。コールセンターのような業務をアウトソースすることと、情報サービス産業が日本からなくなることは別である。グーグルをみればわかるように、広義の(ファイナンスを含む)情報サービスは今後、全産業のコアになるので、ここで後れをとると、日本の産業全体が沈没するおそれが強い。というか、すでに沈没は始まっている。
こうした議論の背景には、「日本人の国民性はすり合わせ型の製造業に比較優位があるので、モジュール型の情報産業は向いていない」といった藤本隆宏氏などのアーキテクチャ宿命論がある。この教義は経産省や財界に広く流布しており、日立は3年前にすり合わせでシステム統合を行なうという方針を打ち出した。しかし、その後の日立の業績をみれば、こうした「比較優位」が幻想にすぎないことは明らかだ。
逆にNTTドコモのiモードのように、モジュールの組み合わせに徹することによって、事実上の国際標準になった例もある。日本人がすり合わせに向いているようにみえるのは国民性でも宿命でもなく、多くの大企業が昔ながらの製造業型アーキテクチャでやっているからにすぎない。特に若手のエンジニアは、こうした古いコーディネーション様式に嫌気がさして、外資に流出している。
さきごろ死去したアルフレッド・チャンドラーは「組織は戦略に従う」という名言を遺したが、日本の企業では「戦略が組織に従う」傾向が強い。企業組織が市場の要求に適していないときは、組織を変えるべきであって、その逆ではない。世界的な水平分業が急速に進行している情報産業で、すり合わせや「インテグラル」型にこだわることは、みずからを「すきま産業」に追い込む道だ(こうした問題については拙著に書いた)。
iPodの例が象徴的だ。初代のiPodのハードディスクは東芝製だったが、利益のほとんどはアップルがとった。このように「植民地化」された産業構造では、いくら要素技術のすり合わせでがんばっても、収益にはつながらない。そしてアップルの付加価値のコアになっているのは、iTunesという情報サービスなのである。
ただbewaad氏もいうように、経産省が「情報産業のテコ入れ」と称して、日の丸検索エンジンのような産業政策を進めることは有害無益である。必要なのは、情報産業のアーキテクチャが市場の変化に適応して変わるのを促進する政策だ。そのためにもっとも重要なのは、ファイナンスである。特に対内直接投資を拡大し、企業買収・合併によって企業の再構築を進める必要がある。「三角合併」は財界が恐れるほどの脅威だとは思わないが、彼らがそれを恐れていることは重要だ。
Economist Intelligence Unitの調査によれば、日本は世界でもっともイノベーティブな国だ。この調査は特許の数を基準にしているのでバイアスがあるかもしれないが、少なくとも日本人がイノベーションに弱いというのは神話である。問題は、要素技術で多くのイノベーションを生み出す日本が、情報産業で世界のリーダーシップをとれないのはなぜかということだ。
これはbewaad氏や楠君がいうほど、どうでもいいことではない。コールセンターのような業務をアウトソースすることと、情報サービス産業が日本からなくなることは別である。グーグルをみればわかるように、広義の(ファイナンスを含む)情報サービスは今後、全産業のコアになるので、ここで後れをとると、日本の産業全体が沈没するおそれが強い。というか、すでに沈没は始まっている。
こうした議論の背景には、「日本人の国民性はすり合わせ型の製造業に比較優位があるので、モジュール型の情報産業は向いていない」といった藤本隆宏氏などのアーキテクチャ宿命論がある。この教義は経産省や財界に広く流布しており、日立は3年前にすり合わせでシステム統合を行なうという方針を打ち出した。しかし、その後の日立の業績をみれば、こうした「比較優位」が幻想にすぎないことは明らかだ。
逆にNTTドコモのiモードのように、モジュールの組み合わせに徹することによって、事実上の国際標準になった例もある。日本人がすり合わせに向いているようにみえるのは国民性でも宿命でもなく、多くの大企業が昔ながらの製造業型アーキテクチャでやっているからにすぎない。特に若手のエンジニアは、こうした古いコーディネーション様式に嫌気がさして、外資に流出している。
さきごろ死去したアルフレッド・チャンドラーは「組織は戦略に従う」という名言を遺したが、日本の企業では「戦略が組織に従う」傾向が強い。企業組織が市場の要求に適していないときは、組織を変えるべきであって、その逆ではない。世界的な水平分業が急速に進行している情報産業で、すり合わせや「インテグラル」型にこだわることは、みずからを「すきま産業」に追い込む道だ(こうした問題については拙著に書いた)。
iPodの例が象徴的だ。初代のiPodのハードディスクは東芝製だったが、利益のほとんどはアップルがとった。このように「植民地化」された産業構造では、いくら要素技術のすり合わせでがんばっても、収益にはつながらない。そしてアップルの付加価値のコアになっているのは、iTunesという情報サービスなのである。
ただbewaad氏もいうように、経産省が「情報産業のテコ入れ」と称して、日の丸検索エンジンのような産業政策を進めることは有害無益である。必要なのは、情報産業のアーキテクチャが市場の変化に適応して変わるのを促進する政策だ。そのためにもっとも重要なのは、ファイナンスである。特に対内直接投資を拡大し、企業買収・合併によって企業の再構築を進める必要がある。「三角合併」は財界が恐れるほどの脅威だとは思わないが、彼らがそれを恐れていることは重要だ。
コメント一覧
人的資源管理に立ち位置を置いてから数年。水平型分業がすすまず、縦割りが組織を硬直させて じゃあ「人事制度を変更しよう」・・・と安易な昨今。
無礼講(じゃないとダメなんだぞ)という言葉があるくらい 経営者にモノを言わせない 風土。情報産業は比較的そうでもないと聞いていたものの、組織が大きくなるほど 官僚的組織感が生まれてくるかもしれません。
いっそ企業経営者も選挙制度にしてみたら なんて前ブログで書いていました。
既存産業(やり方他)の考え方からの逸脱は 感覚の若い方しかできないかもしれませんね。情報産業も先取り戦略が通用しなくなってきた昨今。先駆者利益すら日本では得られていないのかもとか。
「日の丸検索エンジン」・・・発想が悲しいですね。
あのお金はどこに行ったのでしょう??間違いなくWEB2.0から程遠いような。
さらに重要なのは・・・
池田様のご意見に同感です。
さらに付け加えますと、特許が取り放題なのが特許出願数を下げていると思います。
日本の特許制度は自己責任です。
さらに、インターネットで全てを公開してしまいますので、事実上取り放題です。
中小企業や個人発明家に守る手段はありません。
従って、私の知人にも「特許を泥棒にくれてやるぐらいなら墓まで持っていく」と言う人が多く居ます。
ですから霞ヶ関の官僚にはほとほとあきれ返っております。
特許の公開をやめたら、少なくとも特許数は上がるでしょう。
東芝のHDD価格
http://techon.nikkeibp.co.jp/NE/navi2006/s2/ipod_6.html
東芝とApple社の違いを端的に表すのは,製品の価格戦略である。p. 236の分解写真にあるHDDの型番は「MK5002MAL」。林檎の絵が描かれてはいるものの,東芝が2001年3月に発表した製品と同じ型番だ。
東芝は,この機種を組み込んだとみられるPCカード大のHDDを,2001年7月に発売した。実売価格は5万円程度で,2.5インチ型HDDなどと比べて相当高かった。当時は1.8インチ型HDDを供給できるメーカーは東芝しかなく,市場はほとんど皆無の状態。出荷台数が少ない以上,価格が高いのはやむなしとの判断だった。
これに対して,Apple社はiPodを399米ドルで発売した。東芝のHDDだけでなく,各種のLSI,液晶パネル,2次電池まで含めてだ。Portelligent社は,iPodに組み込まれたHDDのOEM価格を125米ドルと推測した。iPod全体の売上原価(COGS:cost of goods sold)の予測値は199米ドルで,iPodの価格の約半分と見積もった。
In a White Room
うーん、これはどうでしょう。
前回のNHK特区論のキレに比べると、いまいち。読まずに言うのもあれですが、池田さんの博士論文はこの方向性らしいですが、自説に少し固着しすぎておりませんか?
たとえば、日立製作所の「すり合わせ」論はいいんですよ。問題は、全体で見て程度が低いということと、財界の中に、これを日本全体に敷衍させようという「すり合わせ原理主義」があること。実際は日立のような巨大総合メーカーだけに適用される話なうえに、肝心の日立ですら、たいした「すり合わせ」ができてないこと。(さらに、個々の要素はもっとダメ)。
具体的に言えば、日立製のHDDはまったく売れてない上、日立製のHDDを日立のパソコンにつけたところで、別に何にもすごくならないんですよ。じゃあ意味ないだろ、と。単体でも競争力のある製品を出し、さらに、組み合わせるともっと凄いよ、となれば最強なんですが。
逆に、東芝とかを批判してますが、これもちょっと違いますね。東芝は、初代iPodの基幹技術(=超小型HDD)で確実に利益を出し、現行iPodの基幹技術の特許(NANDフラッシュ特許)でも利益を出してますよ。そして、最終製品ではなく、基幹技術により利益を出す、というのはマイクロソフトやインテルが大成功を収めた戦略です。日本でも、村田製作所やロームなどはこういった方向性ですよね。ここまではいいとおもうんですが、いかがですかね。
東芝の問題点は、総合力で勝負をかけるのか、要素技術で勝負をかけるのか、その組み合わせなのか、、、こういった経営上の決断ができてないことでしょう。逆に言うと、単体では悪くないですし、総合でも悪くない(東芝のノートPCは悪くないです)のですが、単体でいくのか、総合でいくのか、組み合わせでいくのか、、、こういった決断ができないトップマネジメントの優柔不断が、東芝のガンでしょう。
順列・組合せ的な特許出願
>Economist Intelligence Unitの調査によれば、日本は世界でもっともイノベーティブな国だ。
>この調査は特許の数を基準にしているのでバイアスがあるかもしれないが、少なくとも日本人がイノベーションに弱いというのは神話である
出願件数がそのまま基礎技術等につながるとは到底考えられない。
日本に多く見られるのは、基礎技術が発見された際に、自社に関係する周辺の出願を金にモノをいわせて大量に防衛出願(世の中に新しい概念が出現すると自分が営業している分野に適応したものを全て出願する)する大企業だ。(もちろん防衛だけとは言わないが。)
実際、日本の出願は上位100社でその半数を上回る。
確かに、基礎素材や遺伝子工学等の分野では、設備のため資本力が必要である可能性が高い。しかし、情報(サービス)産業では一部を除き技術革新のための資本は必要としないように思える。
それどころか、かつて米国で容易に取得できたビジネス特許が容易に取得できないように調整されているのが現在である。
これからの情報(サービス)産業の発展のために特許を礎とするのは間違っているのかもしれない。
三角合併は日本だけではない?
初めて投稿します。慰安婦の問題でこのブログを知りました。以前のブログをあまり読んではいませんが、多彩な内容を楽しんでいます。
まだ本ブログの一部にしか目を通していないので、若し既に書かれていたなら申し訳ないのですが、三角合併を何故日本だけが採用することになったのかが解りません。M&Aは日欧米共にあります。しかし、国によってM&Aが可能となる条件は異なります。それにも拘らず、欧米は当たり前のように、税金制度を捻じ曲げた三角合併を要求し、その条件での法整備が整い解禁となりました。日本を非難するなら、欧米は同種の三角合併を認める法律を自分たちも作るべきだと考えます(或は、日本政府は欧米に要求すべきだと考えます)が、そうしないのは、欧米には既に三角合併と類似のシステムが存在するからなのでしょうか。分かり易く教えて戴けないでしょうか。
情報産業が比較優位かどうかを論じるのは私には不可能ですが、池田先生の議論を見るに、比較優位というよりはむしろ情報産業をボトルネックと捉えているように思うのですが。
bewaad氏もあくまでも人海戦術的なマスの情報産業を比較劣位にあるといっているようですし、イマイチ議論がかみ合っていない気がします。
お二人とも主張の方向性はほとんど同じだと思うのですが。
悪意は全くないのでしょうが、民間から見た際の「官僚像」を結果として補強するものになってしまっていると思います。
霞ヶ関の官僚の一部には、ビジネスの現場でのリアルな体験がないがために、しばし初等的な経済学の理論をただ当てはめただけの議論を展開される方があります。
現場からの生きた教訓、活きた情報がないと、どんなに優秀な人でも実情に即した政策決定は難しいということを示しているように感じます。
イノベーション戦略会議は失敗?
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20070516/124943/
イノベーションを起こすことを急がなければならない。予算はムラに投下しないで、創造の情熱をもった人に与え、権限委譲、責任とリスク、インセンティブをセットで提供することによって、称賛の文化づくりを具体化していくべきだ。イノベーションのためのインフラづくりは、創造の情熱を持つリーダーを世界的に見ても革新的なプロジェクトの中で育てていくことから始めなければならない
政府は転んでもただでは起きるな(爆
この最悪経験を冷静に分析して、車等その他国益中核産業の国際競争力維持のせめて肥やしにw、というのが、政府の課題ですね。コンテンツ産業なんてゲーム以外もともと外貨稼いでおらず、単に国内枠が萎むだけだから特に問題ないです。本来、機能面にしぼれば強力だったはずの音楽機材が力を発揮できず沈下したのは残念ですが(←皮を守って骨を断たれるw)、これも経験でしょうね。
先日知ったのですが、キッコーマンの海外輸出量は国内分を上回ったそうですね。世界で戦える産業領域がまだまだ在りそうです。
>日本の企業では「戦略が組織に従う」傾向が強い。企業組織が市場の要求に適していないときは、組織を変えるべきであって、その逆ではない。
確かにその通りだと思います。市場変化に対して柔軟に組織を変えるべきでしょう。しかし組織の構成要素は人間です。人間は早々簡単に変われない・・・あるいは変われない人がいるという前提があります。だから組織が変更・改革されるとき、リストラなど人員削減などが生じる場合があります。そのときに日本人特有の和の気持ちや集団意識により抑止力が発生しやすくなり、改革を遅らせて行く傾向が日本企業には多いと思います。
一方、外資系企業では、個人主義の意識が強いのでリストラなんてズバズバやれてしまいやすいと思いますが、そのあたりはいかがでしょうか?
日本人がすり合わせに向いているようにみえるのは・・・これは、すり合わせにより一対一の独自性のある組み合わせを行い、日本企業が自社製品の一貫製造を目指す結果ではないでしょうか?
一方でモジュール化は、要素としてのパーツ(部品)になるので、様々な製品に応用が可能であるが、多くの日本企業は、自社の優れた要素技術を競合他社に利用されたくないと考えます。しかしその要素技術を自社だけで最大活用できないので、特許と言う手段で使用料を徴収する流れになります。
この流れは(問題)、企業が優れた要素技術の優位性を持ちながらも、モジュール開発とさらにそのモジュールの供給をしにくくする役割を果たしてしまうことだと思います。
東芝が、iPodの初期の頃にハードディスクを部品モジュールとしてアップルに供給したことは正解だと思いますが、東芝は部品メーカーに特化しきれない運命にありますね。(家電メーカーだから・・・)
BtoBとBtoC
完全に分けて考えることは、意味をなさないと
思いますが、BtoBをメインとするビジネスモデルと、
BtoCをメインとする情報サービス産業構造を
同一視されて議論されると多少、わかりにくいのでは
ないかといずれの業界にも関わっている
人間としては、感じております。
ことに日本においては。
NTTドコモはBtoCがメインですが、
比較劣位が語られている情報サービス産業の
中心は、BtoBをイメージされているのではないかと、
素人なりには感じております。
若年者の就業環境を垣間見ても、
BtoBサービスを中心とする企業と、BtoCサービスを
中心とする情報サービス産業の差は、
拡がる一方ではないかと、感じております。
それはともかく、
既存ユーザーにおんぶにだっこの情報サービス産業構造から
脱皮しない限りは、いつまでも第二次産業に依存する日本の産業社会構造は変化しないと私は感じております。
体育会系戦略論
藤本氏が「ものづくり経営学」のまとめてとして体育会系戦略論が日本のとるべき戦略とされてましたけど、日本の企業のトップは体育会系の方が多いのではないでしょうか。畢竟とられる戦略もインテグラル型になるのでしょう。「日本軍のインテリジェンス」の記事を今考えると陸軍士官学校出身者も体育会系戦略論者だっと重ね合わせて考えると面白いと思います。
経済の諸問題の分析には、自然科学的定理と、規範的判断の2つが必要ですよね。比較優位は単純な制約条件下での生産力最大化問題にすぎないので、数学的には批判しようが無い「正しい」命題です。
それにしたがって起きた「経済構造の変化」が果たして望ましい事か否か?すなわち、政府がミクロ経済に介入すべきか否か?という問題は「規範の問題」になります。
情報サービス産業にもスマイル曲線が成立しており、新しい情報サービスを生み出す人たちと、それを商売にして食ってる人たちは比較的高収益であるものの、中間にいる組み立て加工作業員であるプログラマはとても低い収益となっており、こういうところはインドに比較優位が成り立っているわけです。
すなわち、池田さんとbewaadさんの見ている対象がずれているのだと思います。もともとの問題提起がbewaadさんの「インド人プログラマでできる事」ですから、池田さんが議論の対象をあわせるべきかと思います。
インド人がソフトに強くなったのは、低賃金が理由ではなく、自力更生でUNIXで国内のソフトウェアを運用したことから始まるそうじゃないですか?
そういう地力の強いところが発見されて、今の「下請け」の仕事を大規模に取れるようになった。
インド人はよろうと思えば、UNIXで相当なことをやってしまうレベルの人たちなんでしょ?そういうレベルの人達が、手を抜いて軽がると下請けをやっている。
比較優位でインド人にやらせればいいじゃんという話ではないような気がしますが。
池田様
初めまして。牟田と申します。
このエントリーが、当方ブログで以前書いたことと非常に関連があったので、トラックバックさせていただきました。今後ともよろしくお願いします。