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2010年5月24日 (月)

ラッシャー木村さん逝く

 往年のプロレスラー、ラッシャー木村さんが24日、68歳でご逝去されました。国際プロレス時代には金網デスマッチで鳴らし、「金網の鬼」と呼ばれた木村さん。晩年はノアのリングに上がり、2003年3月に日本武道館大会を最後に現役を引退されていました。プロレスファンとしても、元プロレス担当記者としても思い出深い方です。

 小学5年生の時でしたが、ラッシャーさんが新日本プロレスに殴りこんで来た日のことを鮮明に覚えています。昭和56年9月、リングサイドが物々しい雰囲気になり、コワモテの3人が登場。緊張気味にマイクを握ったラッシャーさんの最初の一言は「こんばんは、ラッシャー木村です」。

 すでに弱肉強食が売り物になっていた新日リングで、この挨拶でしたからファンは拍子抜けして失笑したそうですが、テレビで見守っていた小学生の私はなぜかホッとしましたね。「ああ、怖そうに見えたけど律儀な人なんだな」と。

 寺西勇とアニマル浜口を率いてのアントニオ猪木との抗争には、本当に惹きつけられました。猪木との3対1のハンディキャップマッチには本当に熱くなりましたね。一騎打ちでは猪木の腕ひしぎ逆十字固めで右ひじを破壊され、レフェリーストップになったシーンをよく覚えています。

 でもこの頃ですでにラッシャーさんは40歳を過ぎていて全盛期ではなかったんですね。ラッシングパワーで他のレスラーたちを恐れさせた国際プロレス時代をリアルタイムで見たかったなあ。

 私がラッシャーさんを初めて取材したのは新日殴りこみ事件から19年後。2000年のプロレスリングノアの巡業でした。このときでラッシャーさんはすでに59歳。相撲で言えば初っ切りのような役割でしたね。前座で登場しておとぼけファイトで笑いをとって、最後はマイクでファンに向かってご挨拶。「みなさん、暑くなってきましたが、健康には気をつけて、ごきげんよう」と律儀に感謝の意を示したり、いきなり世相を話し出したり。目をしょぼつかせながらの語りは、独特の味がありました。

 ラッシャーさんとの激戦をみせたレスラーの多くは、先にもうお亡くなりになっています。月並みな表現ですが、また一つ昭和が遠くなったなあ、と感じています。

 最近でプロレスが話題になるのは、大物レスラーが亡くなった時ぐらいだという現状もプロレスファンとして本当に寂しい気がします。ラッシャーさんのような味のあるプロレスラーは今の時代には育たないのでしょうか。

 謹んでご冥福をお祈りいたします。

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コメント

muruさん、コメントありがとうございます。

私も「金曜夜8時」の新日に熱狂していた世代なので、やはり一番印象に残っているラッシャーさんの姿は新日のリング上なんですね。もう一回マイクパフォーマンスを聞きたかった。

 天国で馬場さんに向かって「おい兄貴、ついにオレも来たよ」と語りかけているかもしれませんね。

toさんからのコメントを読んで、思わず私もしんみりしてしまいました。私が子どものときにラッシャーさんに「たかい たかーい」をされたら恐怖で失神していたでしょうね。

 ラッシャーさんの人柄を偲ばせる暖かいエピソードをありがとうございました。

本紙に致命的な誤植がありますよ…
>有名なラッシャー語録の中では「(永源に)最近なんか元気だと思ったら、コノヤローっ! 
>やっぱり、ジャイアントコーン食べてるだろ」などがある。

×(永源に)
○(馬場に)

国際軍団を率いる一方の雄。当時、猪木を頂点とするプロレスの味方ブームのさなか、あざ笑われ、こきおろされ、それでも闘う姿は、強い男の背中を見せられている、そんな感じがしていました。個人的には、国際軍団を解消して、ひとり新日のリングで戦っていたごく短い期間が、渋く、強いレスラーとして、強く記憶に残っています。
その後の変遷と愛されたキャラクターはご存じの通り。昭和プロレスの大事な登場人物の一人が、また、いってしまいました。私も静かに飲み明かそうと思います。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

ラッシャーさんが国際プロレス時代、当時2歳の自分はすぐ近所に住んでました。
ある日の夕方、さびれた道端で一人で遊んでいたところ、練習を終えた国際プレロスの強面の皆さんがわらわらと出て来て、その先頭に立っていたラッシャーさん(当時世界チャンピオン!)にマイクパフォーマンスさながらの喋り方で「一人で遊んでいると危ないぞ。オジサンと遊ぼう」と話しかけられ、高い高いをしてもらったのを覚えています。
金網デスマッチの鬼と呼ばれ、体も大きく、ハードトレーニング後の汗だくで傷跡だらけの怖い顔が「たかーい、たかーい」というしゃがれ声とともに上下する様にガン泣きした強烈な思い出は、何十年か先に自分が死ぬ時まで決して忘れないでしょう。
謹んでご冥福をお祈りします。
今夜は、幼い頃の思い出をひたりながら飲み明かそうと思います。

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甲斐毅彦

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