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政治家を考える

 投稿者:無党派層  投稿日:2010年 5月 3日(月)07時32分59秒
返信・引用
  いばっている政治家って、みんな反動的ですね。右翼的ですね。鳩山邦夫、舛添要一、石原慎太郎、石破茂、小泉純一郎、中井洽などがそうですね。

いばっていない政治家なら、すべて進歩的だ。そういうわけではないかも知れません。いばっていないが反動的な人間もいます。アキヒト(天皇)などがそうですね。

でも、いばっているが進歩的だ。そういう政治家は、いませんね。右翼って、みんないばっていますね。いばっている人間って、私は嫌いですね。
 

外国人参政権については、下記の

 投稿者:三浦小太郎  投稿日:2010年 5月 2日(日)08時34分9秒
返信・引用 編集済
  外国人参政権については、下記の人たちの意見が分かりやすいと思います。
それぞれ著作のある方ですが、分かりやすく簡単なネット上のコメントから紹介しました。
詳しくはそれぞれあたってみてください。

賛成派
李英和氏 http://www.jca.apc.org/act/135.htm
田中宏氏 http://www.taminzoku.com/news/interview/in0103_tanaka.html

反対派
鄭大均氏、およびこのブログを書かれている鈴木啓介氏
http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/a0e9aacdde14f7c5ef77cafdf4beb7d0
在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会
http://members.jcom.home.ne.jp/j-citizenship/index.html

最後の協議会を「反対派」に分けるのは不当かもしれませんが、一応参政権獲得ではなく日本国籍取得を前面に出しているためこのようにしました。
私の考えは反対派ですが、反対派の中にも私のような右派だけではないこと、民主党の中では意見は割れていることをお伝えしておきます。正直、川田議員はこの問題にあまり知識があるとは思えませんので、党上層部の指示にしたがうでしょう。

後、意見の相違は別として、この民主党議員秘書の態度は許せん。
鈴木氏がどれだけ在日コリアンの差別撤廃のためがんばってきたか、今誤解されることを恐れず国籍取得を主張しているか、この秘書は知らないんだろうけど私は知っている。それを門前払いとは無礼だ。
http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/b620a8c93ed903779b98fe34f3f6de95
 

外国人参政権問題を考える

 投稿者:無党派層  投稿日:2010年 5月 1日(土)21時02分27秒
返信・引用 編集済
  永住外国人に地方参政権を付与するべきか否か。現在、その問題が大きな問題になっています。

政党レベルでは、民主党・社民党・公明党・共産党が付与に賛成、国民新党・自民党・みんなの党が反対の立場に立っています。川田龍平さん(みんなの党)も反対なんでしょうか。

在日コリアンの組織では、民団が賛成しています。韓国では、在韓外国人の地方参政権を認める法案も通っているようです。朝鮮総聯の関係者は、「すべては国交正常化してからだ。過去の清算がなされず、差別もいまだに引き継がれている中、選挙権付与は帰化・同化政策につながる」という観点から、批判的な立場に立っているようです。

かつては、朝鮮半島は日本によって植民地化されていました。日本は、朝鮮半島に議会すら認めなかったようです。在日朝鮮人には、参政権が付与されていたそうです(国政レベルの参政権なのか地方レベルの参政権なのか、被選挙権も認められていたのか否か、は不勉強なので、私には良く分かりません)。しかし、それは「アメとムチ」のアメのようなものだったようです(植民地支配などがムチということでしょうか)。

在日外国人には、地方参政権が付与されるべきだ、と私は考えます。でも、朝鮮籍の在日外国人を対象から外す(今回の政府案)のはおかしい、と私は思います。また、地方の参政権を付与するだけでいいのか、という問題もあるのではないでしょうか。また、今回の政府案では、選挙権のみの付与で、被選挙権は付与されない。そういうようなことを何かで読んだような気がします。もしそうだとしたら、被選挙権を付与しないのはおかしい、と私は考えます。また、在日外国人の参政権は、在日外国人の権利向上とセットで認められるべきなのではないか、と考えます。日本の過去は、清算されなければなりません。

「世界中で外国人の参政権を認める国際的な人権条約のようなもの」も必要かも知れません。

昔は認めていたのに、今は認めない。「日本は、戦争で国際社会に敗北した。だから、朝鮮半島が独立したのは、やむをえない。だが、日本が朝鮮半島を植民地支配したのは、悪いことではない。戦後の日本が在日コリアンから選挙権をはく奪したのも、悪いことではない。国際社会に強制されなければ、何をやっても良い」。外国人参政権に反対している人たち(国民新党・自民党・みんなの党など)がそんなふうに考えているとしたら、彼らの意識は、ある意味では、「朝鮮半島を植民地支配していた時代の日本人の意識」よりも反動的だ、ということなんでしょうか。

不勉強のため、何か間違ったことを言っていたら、すみません。
 

岩国・愛宕山&東京地検特捜部

 投稿者:bgf  投稿日:2010年 4月30日(金)00時24分41秒
返信・引用
     http://esashib.hp.infoseek.co.jp/ozawa01.htm
アメリカが日本資産を強奪するときその恩恵に与って棲息する一群の破廉恥漢たちがいる。
郵政民営化とともに有事法を推進した犯罪者どもがその典型であろう。

東京地検特捜部が「巨悪は眠らせない」という巨悪とは、言うまでもなくこの有事法体制確立に邪魔になるものである。
圧倒的な民意で政権交代を国民から託された新政権を執拗に狙う仕事を東京地検特捜部に投げ与えた犯罪者どもとの闘いに日本国民が勝利しなければ真の民主主義の勝利もありえな
い。
作家の新野哲也氏は、著書「だれが角栄を殺したのか?」で、ロッキード事件の本質をこう評した。

「官が、はっきりした意思をもって政治を圧倒した。それ以来、日本の政治は検察の恫喝(どうかつ)に尻尾を丸めた負け犬同然となった。そしてその一方で、公然と検察ファシズムが進行した。政と官の力関係がこの時はっきりと逆転したわけだが、政が官にねじ伏せられることは、取りも直さず民が公権力に屈服させられたことを意味する」

 しかし、政権交代で時代は変わったのだ。検察が万能じゃない。

 検察のバックには、民主党政権を潰したい“オール霞が関”がついている。民主党が求める取り調べ可視化やトップ人事介入を牽制する目的もある。本当にウサン臭いのはどっちなのか。小沢と検察が徹底的に対決し、そこで分かったことを見て、最後は有権者が判断すればいい。それが民主主義だ。決めつけるのは断じて検察でもマスコミでもない。(日刊ゲンダイ2010年1月18日掲載)
 

お母さんに、乱暴しないで!

 投稿者:資料  投稿日:2010年 4月27日(火)05時52分46秒
返信・引用 編集済
  妻は精神科医に診てもらうべきだといいましたが、わたしは大丈夫だとこばみつづけました。

しかし、ある夜、ベトナムの悪夢から目ざめた直後に、妻をベトコンと思いこんだわたしは彼女をはがいじめにしてなぐろうとしたのです。「お母さんに乱暴しないで‼」という息子のショーンのさけび声で、正気にかえることができました。

この事件の後、ようやく妻の意見を聞き入れたわたしは、退役軍人事務局に出向き、そこで精神科医の診療を受けたのです。

(略)

やがて、わたしたち家族はニューヨークから、隣のニュージャージーに引っ越しました。

そこで出会ったのが、ニイル・ダニエル先生という精神科医でした。

わたしが「ベトナム・ストレス症候群」という名の戦争による精神的後遺症におかされているのだと知り、そこからぬけ出す道筋を見出すことができたのは、このニイル先生のおかげでした。

彼は心的外傷後ストレス障害(PTSD)の専門医でした。また、ニイル先生は非暴力主義の平和活動家でもありました。

(略)

ニイル先生は、わたしと家族の人生を救ってくれた恩人でした。

『「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」 ベトナム帰還兵が語る「ほんとうの戦争」』
アレン・ネルソン 著
株式会社 講談社
講談社文庫
145ページ〜146ページ

アレン・ネルソン
海兵隊員としてベトナム戦争の前線で戦う。帰国後の戦争による精神的後遺症から立ち直った後、日米両国で精力的に講演活動を行い、戦争の現実を訴えつづける。2009年3月逝去。
 

それはとてもつらく、悲しいできごとでした!

 投稿者:資料  投稿日:2010年 4月26日(月)06時07分29秒
返信・引用 編集済
  わたしは最初の休暇のことを思い出します。

初めてベトナムからニューヨークの実家に帰り着いた、一九六七年のあの日のことを。

わたしは二十歳(はたち)の海兵隊員で、ノリのきいた軍服を着こみ、ピカピカの軍靴をはいて、ザックを肩にかけ、ブルックリンの通りを実家に向かって歩いていました。

もうじき実現する家族との再会の様子を、頭の中であれこれ想像していました。姉と妹はアパートのドアを開けて、そこに生きて帰ってきたわたしを見つけ、満面の笑みをたたえてだきしめ、キスしてくれるだろう。さわぎに気づいた母が奥から出てくる。わたしが「母さん、ただいま」と言い終わらぬうちに、母はわたしをきつくだきしめるだろう。もしかしたら、母は泣くかもしれない。そして、わたしも泣くかもしれない……。

そんな情景を頭の中に描きながら、足どりも軽やかにブルックリンの通りを歩き、家にたどり着き、そしてドアをノックしたのです。

姉たちがドアをあけ、わたしを見つけ、おどろき、そしてわたしをだきしめてくれました。ここまでは、思い描いていたのと同じでした。でも、その後は、予想とはまったくちがう筋書きとなったのでした。

母が奥から出てきました。母はわたしをじっと見つめました。わたしはせいいっぱいのほほえみを母に向かってうかべました。そして、母をだきしめようと、近づいたそのときでした。母はわたしを拒絶するように首を大きくふると、こう言ったのです。

「おまえはもう、わたしの子どもじゃない」

そのまま母は背を向け、キッチンへもどっていきました。

頭がしびれるような感覚がしました。重く、しかし速い心音が、胸の奥で鳴っていました。

それはとてもつらく、悲しいできごとでした。

でも、わたしには母の気持ちがわかりました。母は、笑みをうかべたわたしの仮面の向こう側に、軍隊によって洗脳された殺人者の体臭と、ぬぐっても消えないおびただしい血のにおいとを、すぐにかぎとったのです。わたしはもう、あの無邪気なアレンではなかったのです。あのかわいいアレンはもういないのです。ベトナムからやってきた、息子だと名のる男は、まったくの別人だったのです。

母はきっとそんな気持ちにとらわれたのです。わたしはそれをすぐに理解しました。なぜなら、それが真実だからです。

翌日から一ヵ月ほど家にいましたが、夜になると母は部屋にかぎをかけ、わたしが外に出ることができないようにしました。

今にして思えば、あの休暇のころから、わたしは少しずつ、炎のない世界、爆発音のない世界、死体のない世界に適応できずに、くるっていったのです。

三年後、わたしは除隊してふたたびニューヨークにもどりました。

そしてこんどは、母はわたしを家から追い出してしまったのです。

『「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」 ベトナム帰還兵が語る「ほんとうの戦争」』
アレン・ネルソン 著
株式会社 講談社
講談社文庫
12ページ〜14ページ

アレン・ネルソン
海兵隊員としてベトナム戦争の前線で戦う。帰国後の戦争による精神的後遺症から立ち直った後、日米両国で精力的に講演活動を行い、戦争の現実を訴えつづける。2009年3月逝去。
 

JR西日本の労働者を防衛せよ!

 投稿者:パルタ  投稿日:2010年 4月26日(月)00時46分0秒
返信・引用
  経営者・管理者の責任はもはやマスコミ・検察によって極限まで追及されるようになっている。
しかし、JR、トヨタ、明石署の問題は自分の職場でもいつ起こるか分からない。
ココを心して仕事せねば危険である。
JR西日本の遺族担当の社員が遂に急死した。精神的に限界が来たのだろう。
今の日本は相互監視・相互告発の監獄そのものだ。
日本の労働者階級はJR西日本の労働者、トヨタの労働者、特に下請け労働者、
宅配便等の労働者の権利を防衛し、精神極限状況に抵抗せねばならない。
 

なぜ、あなたたちはわたしの国にいて、わたしたちを殺しているのですか!

 投稿者:資料  投稿日:2010年 4月25日(日)10時40分44秒
返信・引用 編集済
  そのベトコンの男は私たちファイヤーチームによってつかまえられ、後ろ手にしばられ、熱帯の太陽の下でひざまずいていました。

男は偶然に発見した狙撃兵で、彼をつかまえ、彼のかくした武器を見つけたら、彼を捕虜にしてベースキャンプに連れ帰るという命令を受けていました。

彼らは自分が傷ついたり、つかまりそうになると武器をかくしてアメリカ軍の手にわたらないようにするのが常でした。彼もまた、わたしたちにつかまることを覚悟した時点で、どこかに武器をかくしたにちがいありませんでした。

その男は案の定、銃を持ってはいませんでしたが、銃弾ベルトを身につけていました。

わたしたちは、彼に武器のありかをしつこく問いましたが、彼は「ノー・イングリッシュ、ノー・イングリッシュ」を連発するばかりで、けっして答えようとしませんでした。

わたしたちは、男を何度も何度もなぐりました。それはもはや拷問でした。

それでも彼の答えは変わらなかったので、怒った仲間の一人が彼の足の骨を折ってしまいました。

問いつめても武器のかくし場所はついにわからず、おまけに足を折ってしまったので彼は自分で歩くことができず、基地に連れ帰るには、私たちのうちのだれかが彼を背負わなければなりませんでした。

わたしたちは、どうしようか相談しました。

日は高く、気温は四十度ほどあったでしょうか。猛烈な暑さと湿気でした。

背負って帰るのはめんどうくさいから殺してしまえ、という話になりました。

そのときでした。ベトコンの彼が突然に口を開いたのでした。しかも、片言でしたが、よく理解できる英語でもって。

彼はこう言いました。

「なぜ、あなたたちはわたしの国にいて、わたしたちを殺しているのですか? わたしたちは自由のために戦っています。あなたたち黒人も自分の国では自由すらないではありませんか」

英語がわからないと言っていたベトコンの男が、急に英語で話しはじめたのでおどろきました。

わたしたちはみな黒人でした。しかし、そのときは、彼の言葉にはいささかも動かされませんでした。

わたしたちは、ためらうことなく彼の頭を撃って殺し、死体をそばにあった井戸の中に投げこんだのでした。ただ、連れ帰るのがめんどうくさいという、そのためだけに。

その後、分隊に合流してベースキャンプへと向かいましたが、その帰途のあいだに、わたしはベトコンの男が言ったことが急に気になりはじめました。

「なぜ、あなたたちはわたしの国にいて、わたしたちを殺しているのですか?」という彼の言葉が、何度も何度も脳裏をめぐりました。

ベースキャンプに帰り着くと、わたしは今まで気づかなかったあることに気づきました。それは、基地の中で、アメリカ合衆国の国旗よりも、南北戦争時の南軍の旗のほうが数多くはためいていたことでした。南軍の旗、それは奴隷制度の象徴であり、人種差別へのあからさまな肯定でした。

黒人はこの南軍の旗を見ると、差別によって自分が受けた屈辱を思い出すのです。それはユダヤ人にとってのナチスの鉤十字(かぎじゅうじ)と同じようなものだと言えば、わかっていただけるでしょう。

南軍の旗は沖縄で訓練を受けていたときから目にしていました。海兵隊の白人には南部出身者が多く、白人優位の考え方をしている者が多くおり、そんな連中が兵舎に南軍の旗をかざるのでした。

訓練のときから上官に「海兵隊には白人も黒人もいない。海兵隊にいるのは緑の人間(英語で「未熟な若者」のこと)だけだ」と言われつづけますので、隊の中ではあからさまな人種差別はありませんでした。それに、銃弾がとびかう戦場では、肌の色がどうのこうのと言ってはいられません。だれかが銃弾にたおれたら、それが白人であろうが黒人であろうが、すぐさま助けにいかなくてはならないのです。戦場とは特殊な空間なのです。

しかし、ひとたび基地にもどれば、そこには沖縄がそうだったように、「社会」が立ちあらわれてきます。白人と黒人の境界は厳然と存在し、戦場でたがいに助けあった白人のうちの何人かは人種差別主義者にもどっていくのです。そしてそのシンボルが、あの南軍の旗だったのでした。

『「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」 ベトナム帰還兵が語る「ほんとうの戦争」』
アレン・ネルソン 著
株式会社 講談社
講談社文庫
110ページ〜114ページ

アレン・ネルソン
海兵隊員としてベトナム戦争の前線で戦う。帰国後の戦争による精神的後遺症から立ち直った後、日米両国で精力的に講演活動を行い、戦争の現実を訴えつづける。2009年3月逝去。
 

「クロッシング」出だしは好調

 投稿者:三浦小太郎  投稿日:2010年 4月25日(日)09時00分23秒
返信・引用
  まあ、「アリス」や「のだめ」に勝てるわけではないが、映画「クロッシング」いまんところ好調。ヤフーのコメントも、ずいぶん真面目に受け止めてくれている反応が多い。
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id332597/

今後の劇場公開についてはこちらを
http://crossing-m.jugem.jp/?cid=2
5月1日からは東京だけでなく大阪も公開されるし、ゴールデンウイーク明けからは仙台など広がっていきますんで、もし地元で公開されましたら足をお運びください。
「反共・反北映画」ではない。あくまで北朝鮮民衆を描こうとした作品。

この映画のパンフに寄稿させてもらったのはまことに光栄ですが、実は二種類の原稿があって、こちらで使うはずではないほうが載った(笑)ぜんぜんチェックしない私が悪いが・・

後「ソラニン」原作の思い入れが深い人にはいまいちのようだが、私には面白かったなあ。
いまんとこ宮崎あおいの最高傑作ではないか?

「ダーリンは外国人」は、これは原作が好きなんでいまいち私は点が辛い(笑)
なんつうか、原作のよさって三枚目のよさであって、井上真央、もちろん好演なんだが、少しミスキャストでは・・・美人を使えばいいというものではないのだ
 

テレビ朝日に、実弾入り脅迫文!

 投稿者:資料  投稿日:2010年 4月24日(土)10時57分53秒
返信・引用 編集済
  テレビ朝日に実弾?入り脅迫文 脅迫容疑で捜査
2010年4月23日12時45分

テレビ朝日(東京都港区)に、散弾銃の実弾とみられるものと「反日報道をやめろ」との脅迫文が入った封筒が届いていたことが、警視庁への取材でわかった。麻布署が脅迫容疑で調べている。

同署によると、届いたのは20日午前11時ごろ。金属製の弾(長さ5センチ)が入っており、脅迫文は手書きで「中国や北朝鮮を支援する発言をするな」と書かれていたという。消印は不鮮明だが19日に投函(とうかん)されたとみられるという。

asahi.com(朝日新聞社):テレビ朝日に実弾?入り脅迫文 脅迫容疑で捜査-社会
http://www.asahi.com/national/update/0423/TKY201004230236.html

……テレビ朝日は、天皇制や日米安保などを支持する右翼ですね。「テレビ朝日は、リベラル右翼だ」などと言ったら、テレビ朝日をほめすぎでしょうか。テレビ朝日は、社名に「朝日」という字が入っています。でもテレビ朝日は、新聞でいえば、『朝日新聞』よりも『読売新聞』や『産経新聞』などに近いのではないでしょうか。「マスコミは、アメリカを支援する発言をしている。けしからん」と言うなら分かります。でもテレビ朝日が、いつ「中国や北朝鮮を支援する発言」をしたのでしょうか。テレビ朝日は、日本労働党でも活動家集団 思想運動でも日本共産党でもありません。「精神障害」を「悪の代名詞」のように言うことには、私は反対です。そのうえで言わせてもらえば、「テレビ朝日が、中国や北朝鮮を支援する発言をしている」などという考えは、完全に「被害妄想」だ、と思いますね。

テレビ朝日に「散弾銃の実弾とみられるものと「反日報道をやめろ」との脅迫文が入った封筒」を送りつけるなどという行為は、テロそのものですね。私は、反対です。このようなテロを許す国が言う「テロとの闘い」など完全にナンセンスだ、と思いますね。
 

どっかの馬鹿を真似るなら

 投稿者:セクトNo.7  投稿日:2010年 4月22日(木)21時20分6秒
返信・引用
  これに黙っている右翼はまさに国賊だね。

それにしても日本語を知ってる米軍兵士もいるだろうに、誰も止めるやついなかったんだろうか?ひょっとしたら普天間も同じ?
アメリカにとっては日本人は所詮『イエローもんきー』なんだろうな。
「日本を国連の常任理事国へ」「何でアメリカだけが拒否権を2票もつんだ」未だに言い得て妙なユーモアだな。
 

なんだ?このヘンな日本語わ

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 4月21日(水)11時26分53秒
返信・引用
  ナメられてますね。「植民地主義」まったくそうだ!  

【瀬戸内ネット】4/15(木)岩国基地ウォッチング報告−フェンスにヘンな看板が!?(二次会補足)

 投稿者:伊達 純  投稿日:2010年 4月21日(水)10時03分19秒
返信・引用 編集済
   二次会掲示板では画像のタグが使えないようなので、写真を三次会掲示板に投稿します。

 4月15日(木)、瀬戸内海の静かな環境を守る住民ネットワーク(瀬戸内ネット)のメンバーが岩国基地を見に行くと、こんな看板がフェンスに掲示されていました。

 岩国基地は、日本の提供施設であって、米国の資産ではない筈です。「侵入無し」というのも、まるで自動翻訳したようなヘンな表現です。

 まさにアメリカの植民地意識のあらわれであり、日米安保条約を守っていない看板だと言えます。

 地元の新聞やテレビで大きく取り上げられたためか、翌16日(金)午後2時半頃、岩国基地を見に行った際には撤去されていました。
 

この番組を見なければ、会社に就職させない!

 投稿者:資料  投稿日:2010年 4月21日(水)07時02分34秒
返信・引用 編集済
  これがNHK経営委員の発言なのだろうか。開いた口がふさがらない。「今の若者に徴兵制はだめだとしても、徴農制とか、徴林制とか漁村に行けとか、そういう法律で、テレビの番組も何時から何時まできちんと見るということにすればいい」「この番組を見なければ会社に就職させないとか、抜本的に政策を変えないと、日本は本当に大変なところへ行くのではないかと思います。したがって、そういう面でNHKの役割は非常に大きいので、許される範囲を超えるものもあると思いますが、もっときつい方策をとらなければならないところまで来ている」

この発言が飛び出したのは今年一月一二、一三日に開かれた第一一〇回経営委員会の席上。二〇一〇年度の収支予算・事業計画及び資金計画の審議中に、若者がテレビを見る機会を増やすにはどうすれば良いかという議論中に、安田喜憲(やすだ・よしのり)経営委員が発言した。

立教大学の砂川浩慶(すなかわ・ひろよし)准教授(メディア社会学科)は「とんでもない発言ですが、このような委員が就任できる仕組みも問題。事実上、与党推薦で決まる委員就任の仕組みを公選制など各界の意見を反映できるシステムにすることが重要だ」と話している。

『週刊金曜日』 2010年2月19日号
58ページ
media
法律で視聴を義務付けよせ――NHK経営委員が仰天発言
メディア取材班
 

わたしの目から大粒の涙が、幾粒も幾粒も頬を伝っていきました!

 投稿者:資料  投稿日:2010年 4月19日(月)21時36分57秒
返信・引用 編集済
  除隊してから一年と少しがすぎていました。

それは五月のあたたかな午後でした。

いつものようにみすぼらしいなりで通りを歩いていると、わたしをよぶ声がしました。

ふりむくと、一人の若い女性がわたしをじっと見つめています。

彼女は、「アレンよね?」とけげんそうに問いました。

わたしがうなずくと、彼女はにっこりとほほえみ、こんどは確信に満ちて「アレン・ネルソンよね」と言いながら近づいてきました。

「ダイアンよ、ダイアン・ウィルソンよ」

彼女が名のっても、すぐにはだれなのかわかりませんでした。でも、その聡明そうなアーモンド形の瞳を見るうちに、その女性が高校の同級生であることがおぼろげに思い出されてきました。

彼女はこの町で小学校の先生をしていると言いました。だれかから聞いていたらしく、わたしがベトナム帰りであることを彼女は知っていました。

(略)

「アレン、わたしの生徒たちにベトナムでの体験を話してくれない? 生徒たちはきっと喜んでくれると思うわ。少しだけど、講演料もはらうわ。ねえ、どう、お願いできない?」

今思えば、明らかにお金にこまっているようすのわたしを見て、直接お金をめぐむかわりに、「講演」という仕事をたのんでくれたのでしょう。

(略)

彼女の勤務が終わる時間を見はからい、学校の建物の前でダイアンを待ちました。

やがて、バッグを肩にかけたダイアンが学校から出てきました。すぐにわたしを見つけたダイアンは、満面に笑みをたたえて近づくと、わたしが言う前にこう切り出しました。

「YESなのね? じゃあ、来週はどう?」

わたしは苦笑しながら、何度もうなずきました。

ニューヨークの五月の夕方は、まだ真昼のように明るく、風もまたかがやいているように思えました。

(小見出し略)

一週間後、わたしは小学校の教室で、ダイアンが担任をしている四年生の子どもたちを前にしていました。

(略)

ほとんどが、アフリカ系の子どもたちでした。

(略)

話し終えると、拍手がありました。

ダイアンは、質問はないかと子どもたちにたずねました。いろんな質問がありました。どんな銃を使うのか? どんな訓練をするのか? ベトナムの家はどんな風な家なのか? ベトナムの子どもたちは学校に行っているのか? 死ぬかもしれないと思ったことは? などなど。

そして、最後にそれがおきたのです。

(小見出し略)

いちばん前の列にすわっていた、小柄な女の子でした。その子が手をあげると、ダイアンがさしました。

女の子は利発そうな顔だちをしていました。

彼女はさっと起立すると、こう言いました。

「ミスター・ネルソン」

女の子はまばたきもせず、わたしをまっすぐに見つめると、たずねました。それは、わたしにとって運命的な質問でした。

「あなたは、人を殺しましたか?」

だれかにおなかをなぐられたような感じがしました。

わたしの体はこわばり、重くなり、教室の床にめりこんでいくような気がしました。

教室の中のすべてが、子どもたちが、子どもたちの描いた絵が、そして写真の中のマーチン・ルーサー・キングが、わたしを見つめていました。じっと、待っていました。わたしが、何か言うのを。

でも、わたしは何も言うことができませんでした。わたしは目をつむりました。

わたしの心の中に深い暗闇が穴をあけていました。そして、その暗闇の中から、わたしが初めて殺したベトナム人の死体がうかびあがってきました。

彼は四十代ぐらいの男性で、裸足(はだし)に古タイヤのゴムで作られたサンダルをはき、パジャマに似た黒い木綿の野良着を着ていました。

苦しげに開けられた口からのぞく歯は茶色によごれていました。

おびただしい血が地面に赤茶色の水たまりをつくっていました。

上官の声が聞こえます。――「これでおまえも一人前の兵士だ」

そしてわたしにナイフを手渡し、上官はこう言います。――「記念にこれで死体の耳を切り取れ」

胃がむかむかする不快な感覚におそわれ、吐いてしまったわたし。

それでも、私は満足だったのです。人を殺したことに誇りさえ感じていたのです……。

最初の殺人の記憶は、閉じたまぶたの裏にはりつき、なかなか消えませんでした。

わたしは教室の床にめりこみそうな自分の体を、いっしょうけんめいにささえていました。

心の中では、さまざまな声が入りみだれていました。

ひとつの声は、このまま、この教室を立ち去れと言っていました。もうひとつの声は、こう言っていました。「おまえにほんとうの戦争のことをだれも教えてくれなかったからこそ、今のこわれかけたおまえがいるのだ。だから、子どもたちには真実を知る権利がある」と。しかし、もしもYESと言ったなら、子どもたちにとってわたしはもはや「ミスター・ネルソン」ではなく、残虐な殺人者であり、子どもたちはわたしをこわがるにちがいありません。

NOと言えというわたし。YESと言えというわたし。わたしの体は、二人のわたしに引きさかれたようにして、立ちつくしていました。

どのくらい沈黙が続いたのか、今でもわかりません。あっという間のことだったような気もしますし、五分も六分も続いたような気もします。

気がつけば、わたしは、つぶやくようにして、しかし、はっきりとした口調で「YES」と答えていました。わたしではなく、ほかのだれかが、わたしの口を借りて答えたような感じがしました。

もう後もどりはできませんでした。自分が人殺しであることを、無垢な子どもたちの前でみとめたのです。

わたしの目はまだ閉じられたままでした。目を開けることができなかったのです。目を開ければ、わたしに向けられたおそれやにくしみに満ちたたくさんの視線を見ることになるだろうと思ったからでした。

わたしはダイアンをうらみました。ここに来るべきではなかったのです。

そのとき、だれかの手がわたしの体にふれるのを感じました。

思わず目を開くと、わたしの腰に小さな手を回してだきしめようとしている、質問をしたあの女の子のすがたがそこにありました。

女の子は、わたしをやさしくだきしめました。

女の子の頭はわたしのおなかのあたりにあり、その頭が動いて、わたしを見上げました。女の子の瞳には涙がいっぱいたまっていました。

「かわいそうなミスター・ネルソン」

女の子がそう言いました。彼女は、わたしのために泣いてくれているのです。

頭がじんとしびれたようになり、胸が大きく波打ち、突然に息がうまくできないようになりました。深呼吸しようと、大きく息をすいこみ、そしてふるえながら息を吐きました。と、同時に、わたしの目から大粒の涙が幾粒も幾粒も頬を伝っていきました。涙は頬からあごへまわりこみ、ボタボタと落ちていくのがわかりました。

涙でぼうっとした目に、次々とまわりに寄ってくる子どもたちのすがたが見えました。子どもたちは一人、また一人と、わたしの体をだきしめました。

教室の片隅でダイアンも涙をこぶしでぬぐっていました。

わたしの中で、このとき、何かが溶けたのでした。


アパートにもどったわたしは、出かけたときのわたしとはちがっていました。

自分自身のことが、とてもよく見えるような気がしました。

何をすべきかもわかったような気がしました。

わたしが戦ったベトナム戦争を、悪夢として時間の牢屋の中に閉じ込めるのではなく、今もなお目の前でおきていることとして見つめなくてはならないのです。

悪夢に勝つためには、真実を語る必要があるのです。自分自身に対しても、そして他者に対しても。

わたしは仕事をさがそうと思いました。

もう一度、ふつうに生きることを始めようと思いました。

戦争の真実を人々に伝えるためにも。

一九七〇年にそれがおきたとき、わたしは二十三歳で、そしてホームレスでした……。

『「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」 ベトナム帰還兵が語る「ほんとうの戦争」』
アレン・ネルソン 著
株式会社 講談社
講談社文庫
15ページ〜30ページ

アレン・ネルソン
海兵隊員としてベトナム戦争の前線で戦う。帰国後の戦争による精神的後遺症から立ち直った後、日米両国で精力的に講演活動を行い、戦争の現実を訴えつづける。2009年3月逝去。
 

秋田県大館市花岡平和記念館

 投稿者:焚火派GALゲー戦線  投稿日:2010年 4月19日(月)19時38分53秒
返信・引用
   4月17日オープン
http://www.kahoku.co.jp/news/2010/04/20100418t45007.htm
 太平洋戦争末期、強制連行された多数の中国人労働者が犠牲となった「花岡事件」の関連資料を展示する花岡平和記念館が17日、事件現場となった秋田県大館市花岡町にオープンした。歴史研究者や弁護士らでつくるNPO花岡平和記念会(大館市)が、事件を後世に語り継ぎ、日中の友好関係を深めようと建設した。
 記念館は記念会が全国から寄付を募り、約4000万円の事業費で建設した。広さは約200平方メートルで、資料展示室や研修室を備える。事件の経緯や被害者の証言などを紹介する約50枚のパネルや、事件の様子を描いた大きな墨絵などが公開されている。
(後略)
 

アメリカは、アメリカ兵の犯罪に、大いに満足している!

 投稿者:資料  投稿日:2010年 4月18日(日)09時09分36秒
返信・引用 編集済
  わたしたちは東洋人の一人一人を見分けることができませんでした。みんな、同じ顔に見えましたし、それでもまったく問題はなかったのです。なぜなら、わたしたちは東洋人を、そして沖縄の人々を人間として見てはいなかったからです。

アメリカ兵はベトナム人のことを「グークス(gooks)」という言葉でよんでいました。それは東洋人をバカにして言う言葉です。サーカスの見せ物小屋にいる異形の人間。そんな意味もあります。

アメリカ兵が沖縄の人々をよぶときは、この「グークス」ではなく、「ジャップ」という日本人をさげすんで言うときの言葉を使っていましたが、その意味するところは「グークス」とそれほど変わりません。そこからも、わたしたちが沖縄の人々をどんなふうに考えていたかがわかるでしょう。

たとえば、街にくり出して飲んだくれたときなど、キャンプ・ハンセンにもどるにはタクシーを使いましたが、料金をふみたおすのはしょっちゅうでした。タクシーの運転手が支払いを催促しても、わたしたちはニヤニヤ笑って無視します。それでも、運転手がしつこく請求すれば、わたしたちは運転手を車の外に引きずり出し、気絶するまでめちゃくちゃになぐるのです。

それは女性と遊ぶときも同様です。女性がお金を要求しても、はらう気がなければ無視しましたし、それでもしつこく要求してくれば、女性でもようしゃなくなぐりつけました。

街を歩いていても、わけもなく沖縄の人々をバカにしたり、おどしたりしました。

そんな悪行のかぎりをつくしても、アメリカ兵は逮捕されることはありませんでした。基地のゲートをひとたびくぐってしまえば、わたしたちは安全であり、沖縄の警察の手がおよぶことはなかったのです。軍にとがめられることもありませんでした。

アメリカ兵一人一人は莫大な国のお金によって兵士として育てられ、そして戦場に送られるべく沖縄にいるのですから、わたしたちが牢屋に入れられるのはアメリカにとって割に合わない、ばかばかしいことなのです。どんなことがあっても、わたしたちには戦場に行ってもらわなければならないのです。そのためには、わたしたちの犯した罪ですら、アメリカは見て見ないふりをしたのです。

むしろ、アメリカは、わたしたちがじゅうぶんに暴力的な兵士に改造された証だと、沖縄の人々へのアメリカ兵による犯罪に大いに満足していたはずです。

そういうわけで、基地のフェンスの中に逃げもどることさえできれば、どんなにひどい犯罪を犯したとしても、それを笑い話や手柄話にできたのです。

そこには、沖縄の人々を、大事な家族もいるひとりの人間として見る視点が欠けていました。わたしたち若い兵士は沖縄の人々に対して残忍で冷酷でした。荒くれ者とよばれ、獣とおそれられる海兵隊はとくにそうでした。

『「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」 ベトナム帰還兵が語る「ほんとうの戦争」』
アレン・ネルソン 著
株式会社 講談社
講談社文庫
57ページ〜59ページ

アレン・ネルソン
海兵隊員としてベトナム戦争の前線で戦う。帰国後の戦争による精神的後遺症から立ち直った後、日米両国で精力的に講演活動を行い、戦争の現実を訴えつづける。2009年3月逝去。
 

ポトシ銀山って

 投稿者:焚火派GALゲー戦線  投稿日:2010年 4月17日(土)21時47分13秒
返信・引用
   先住民酷使で有名だな。 そのボリビア・ポトシ県のサンクリストバル鉱山で先住民による占拠闘争。 故ゲバラは彼ら(の先輩)との連携を目指したがうまくいかなかったんだっけ。
http://sankei.jp.msn.com/world/america/100417/amr1004171225003-n1.htm
 

自前ブログのコピペ恐縮ですが

 投稿者:TAMO2  投稿日:2010年 4月17日(土)21時09分4秒
返信・引用
  日本の左翼業界であまり話題になっていないようなので、こちらに貼ります。
(不適切ならば削除してください)

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「韓国民主化はホンモノか?」  工学
今、個人的に一番関心を持ってるニュースは、サムソンでの労働者死亡事故疑惑。
通常では考えられない白血病などが多発している。
http://www.labornetjp.org/worldnews/korea/issue/samsung/1270342821601Staff

サムソンは取扱物質を公表しないなどの化学産業としてはあり得ない対応をとっている。

そのことについて、朝鮮日報や中央日報の記事を見つけることは出来なかった。
 

ウンパッパ・ルンパッパ人たちの歌

 投稿者:資料  投稿日:2010年 4月17日(土)07時20分14秒
返信・引用 編集済
  わしらの知るにこれが肝腎かつ最善
おさない子にはいちばん健全
それは断固とぜったい断固と
お宅のテレビに近づけぬこと
なんなら置かぬがよりよい方法
なにしろテレビはとことん阿呆
わしらはあちこちひとめぐり
どの家の子もテレビの前で口あんぐり
寝そべるわ食いちらかすわ
目ばかりぎょろぎょろ飛びだすわ
(どっかの家で見たよたしかに
一ダースもの目玉がぽろぽろ床に)
じっと見つづけひたすら見つづけ
催眠術でテレビ漬け
子供を酔わす粗悪ゴミ
そのおぞましさにわしらはしりごみ
なるほどおかげでおとなしい
暴れないのもたいへんよろしい
けんかも蹴りも拳闘もなし
お昼の支度のじゃまもなし
食後の食器もゆっくりあらう
しかしわしらは思いわずらう
先を案じて身の毛がよだつ
これじゃお子さんどう育つ?
頭の中の感覚腐る
想像力を葬り去る
心の中はがらくたガラガラ
目が見えなくて気力の抜けがら
あとかたもない理解力に
わかるはずない空想の国妖精の国
脳みそやわらかくふにゃふにゃぐらつく
考える力さびつく凍てつく
考えることぜんぜんできず――目ばかりひくつく!
「わかりました!」と世の母さん。「わかったったら!」
「でもテレビを片づけちゃったら
どうすりゃいいのよ
かわいい子たちの楽しみないのよ?」
ならばたずねて答えとしたい
「昔の子たちはどうしてたい?
おんやわすれた? おやおやけろりと?
ならば言おう大きな声でゆっくりと
昔の……子たちは……本を……読んだ!
読んで……読んで……読んだもんだ!
読んだ読んだ読んだとも!
半日たっぷり本が友!
本が棚で押しくらまんじゅう
床にあふれて子供部屋じゅう
ベッドのわきにも本がいたいた
読んでくれと待っていた!
不思議や冒険あれやこれや
竜やジプシー 王女さまや鯨の群れや
遠い海辺や宝島
悪者一味が船こぐ静寂(しじま)
紫ズボンの海賊たち
帆船(はんせん) 走り象いきり立ち
人食い人種が大鍋かこみ
なにやら熱々ぐつぐつ煮込み
(何だろう? いい匂いについついうっとり
おやまああれは舎久鶏(しゃくけい)という鳥)
ちびっこたちにはちびっこ本がもってこい
狐のゴン吉ずるがしこい
おちゃめな茶リスや白子豚
けたけた笑うちびっ子まぶた
ラクダの背こぶはなぜでかい
お猿のおしりはなぜ赤い
蛙は帰るよ蛙のねぐら
おれも帰るとネズミとモグラ
昔の子たちは本また本
いまの子たちはただただのほほん!
だからテレビは捨ててください
テレビってのはあほくさい
その場所空けて
すてきな本棚すえつけて
そこへわんさと本をならべ
どろんこ坊やと根くらべ
わめく叫ぶ嚙んで蹴って悪たれる
棒ふりまわしてさんざん暴れる
それでもまったく心配ご無用
せいぜい十日のご寛容
じきに暴れに飽きがきて
何かいい本読む気が起きて
そうなればもう――しめしめ、しめしめ!
子供の心を本が占め
その喜びに熱心さが増す
そしてすっかり目をさます
あんな機械はくだらない
むかつく醜いうすぎたない
どの子も言うに僕の母さんとっても大事
だって母さんテレビを退治
ところでさっきのマイク少年
打つ手がなくてまことに残念
身の丈もどせにゃ実に無念
うまくいくのか待つのみだ
うまくいかねば――いい気味だ!

『ロアルド・ダール コレクション[2] チョコレート工場の秘密』
ロアルド・ダール 著
クェンティン・ブレイク 絵
柳瀬尚紀 訳
株式会社評論社
232ページ〜238ページ

……この本は、言葉が少し差別的かも知れません。でも、そのテレビ批判は面白い、と私は思いました。テレビこそ、1番「有害」なのではないでしょうか。民主党政権になっても、テレビは、全然民主化されません。社民党は、何をやっているんでしょうか。
 

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