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【現地調査敢行】「つくる会」の原点は北海道の日共か ニュース記事に関連したブログ

2010/01/25 19:48

 

新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝会長が元共産党員であり、親族に有力党員が多いことは、平成18年4月に西尾幹二氏がブログで指摘し、それを受けて藤岡氏が自らのブログで釈明したことで明らかになった。藤岡氏の夫人(元共産党員)の父が舩山謙次元北海道教育大学学長(亡くなるまで共産党員)であり、その妻の舩山しんさんも新日本婦人の会の北海道の幹部(亡くなるまで共産党員)で、舩山謙次氏の兄・舩山信一立命館大学名誉教授もまた有名なマルクス主義者だそうだ(「藤岡信勝ネット発信局」より)。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
舩山信一
 
舩山謙次
 
 
 
舩山しん  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
藤岡信勝
 
 
 
藤岡夫人  
 
 
 
 

  
ネットを検索していたら興味深い記述を見つけた。「新しい歴史教科書をつくる会」の発足前に「つくる会」という組織が北海道にあって、藤岡信勝氏の義母・舩山しんさん(新日本婦人の会の札幌協議会代表)はその「つくる会」の幹部だったというのである。
 
新日本婦人の会とは…
「日共が、民族民主統一戦線の一翼を担う婦人戦線統一のため、昭和37年10月に結成した党の外郭団体である。①核戦争の危険から婦人と子供の生命を守る②憲法改悪に反対、軍国主義復活を阻止③生活の向上、婦人の権利、子供のしあわせのために力を合わす④日本の独立と民主主義、婦人の解放を勝ち取る⑤世界の婦人と手をつなぎ、永遠の平和を打ち立てる―などを目的としている。組織は、全国的な単一団体として、中央本部―都道府県本部―支部―班があり、中央機関紙『新婦人しんぶん』を発行している」(警備研究会『わかりやすい極左・右翼・日本共産党用語集』立花書房)
 
新しい歴史教科書をつくる会」の発足前に北海道に存在した「つくる会」について調べるため、私たちは雪の北海道へ飛び、5日間にわたって札幌、名寄、釧路、標茶の現地調査を敢行した。

 

                  □            □

  

道立図書館にこんな本があった。

『朱の輪が翔んだ―老人ホームをつくった住民運動の記録』。藤岡信勝氏の義母・舩山しんさんがまえがきを書いている。
 
昭和58年から平成5年にかけて、札幌の共産党系の運動家が老人ホームをつくるために募金を集める「老人ホームをつくる会」(「つくる会」と呼ばれていた)の運動を展開し、藤岡信勝氏の義母・舩山しんさんは副会長だった。

つくる会」総会。
 

そして老人ホームができた。地下鉄で行ってきたが、立派な施設だ。
 

1万円以上寄付した人の名簿に藤岡信勝氏の名前がある。藤岡氏は「老人ホームをつくる会」の“活動家”だったのである。舩山謙次しん夫妻ももちろんいる。その右の舩山章氏は夫妻の長男(藤岡信勝夫人のお兄様)で、道立高校の教諭だった方だ。舩山しんさんも師範学校を出た先生だから、教育者一家である。

 

                  □            □
 
新しい歴史教科書をつくる会」という名称は岡崎久彦氏の発案だそうだが、藤岡信勝氏が家に帰って夫人に、
 
「お母さん、また『つくる会』だよ」
 
と言ったことは想像に難くない。藤岡氏は「つくる会」と聞くたびに、あの北海道の「つくる会」を思い出しているのではないか。
 
そもそも「つくる会」というネーミングは、美濃部亮吉を当選させた「明るい革新都政をつくる会」に見られるように、日共チックである。実際、日共党員にとって「つくる会」といえば各地の「革新○○をつくる会」のことだったのだが、「新しい歴史教科書をつくる会」の登場で、内輪の会話がややこしくなって困ったそうである。
 
                  □            □
  
藤岡信勝氏の義父・舩山謙次氏は平成14年に亡くなり、妻の舩山しんさんは16年に藤岡夫妻に引き取られた。藤岡氏は
 

■藤岡信勝ネット発信局(平成18年4月21日)「家族への侮辱は許せない」
 
で、「北海道から私たち夫婦が引き取る形で近くの老人介護施設に入っている」と書いているが、私たちの調査によると、舩山しんさんが入所していたのは埼玉県の施設である。都心の藤岡氏の自宅の「近く」ではない。別にどうでもいいことだが、バレないと思えば平気で嘘を書く一例として指摘しておく。
 
藤岡信勝氏がそれを書いた4か月後の8月23日に、舩山しんさんは、その埼玉で息を引き取っている。
 
藤岡信勝氏はブログでこんなことも書いている。
 
「私の活動が始まるとすぐに妻の両親の目にとまったのは当然である。両親にすれば、娘の夫の突然の『転向』である。かといって妻は本心を親に打ち明けることができない。それは共産党一筋で生きてきた両親を限りなく悲しませることになることが分かっていたからだ。こうして妻は私と両親の板挟みとなり、そのストレスは妻の体をむしばんだ。癌を発病したのである。命の危険を覚悟の手術を二度にわたって行わねばならなかった」
 
こんなことを書いて、誰が何に対して同情すると思っているのか。自らの共産党離党が夫人のストレスになり、癌を発病した(因果関係は医学的に説明できないが)…責められるとすれば、転向した自分ではないのか。
 
自分は「平成3年以降は共産党員なんかではない」「共産党は敵だ」と一生懸命弁解しながら、親族については「共産党員で何が悪い」と訴える(悪いとは誰も言ってないのに)。支離滅裂だ。

 

「家族への侮辱は許せない」って、誰も侮辱してないっつーの。
 
それにしても、標茶は寒かった。

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