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山田正彦プロフィール

風変わりといわれています私の人生

島のために海のために、長崎のために、そしてそこに生活する人たちのために。

五島列島の福江島に生まれ育ち、苦学しながら早稲田大学卒業し司法試験合格後に、五島で牧場を経営。牛400頭を飼育、豚年間8000頭を出荷するも、価格を生産者が決められないことに憤り、長崎市内に肉屋を6店舗出店、はては県庁前で牛丼屋を開くまでに。(現在は畜産も牛丼屋も廃業)

一方、弁護士事務所を開業しサラ金問題に取り組み、暴力金融と徹底的に闘う。さらに有機農業を目指す「土と文化の会」、長崎の集中豪雨の死者慰霊のために「伊良林小学校ホタルの会」をつくる。子どもたちのために「島とリスのメルヘン村」を佐賀県武雄市に開く。

4度目の挑戦で衆議院議員に当選。BSE(狂牛病)に関する法案をつくり、米国・EUの農業事情を調べて民主党の「農林漁業再生プラン」を事務局長としてまとめあげ、法案として平成18年通常国会に提出する。島の活性化のためにヨーロッパのように消費税、ガソリン税を軽減する法案をつくり、「離島のガソリン税軽減法案」を提出。

島のことを取り上げるメディアがないから自分で作ってしまおうと、雑誌『島へ。』を平成13年に創刊し今に至る。


山田正彦   山田正彦(やまだまさひこ)
 
農林水産副大臣
農林水産省戸別所得補償制度 推進本部制度推進チーム長
衆議院議員
衆議院農林水産委員会委員
民主党長崎県第三区総支部長
弁護士
早稲田大学法学部卒業
長崎県五島市出身
昭和17年4月8日生まれ


1942(昭和17)年 長崎県五島・福江市に生まれる。五島の小・中・高校で学ぶ。
1966(昭和41)年 早稲田大学第一法学部を卒業。
学生時代、故松園尚巳ヤクルトオーナーの下で書生をつとめる。
「早稲田キャンパス新聞」を創刊する。書生をやめて地下鉄工事、皿洗い、ボイラーマンなどをしながら苦学。
1969(昭和44)年 司法試験に合格。
長崎で司法の実務修習の時に、五島鬼岳で牧場を開くため、荒れた山林、畑・10ヘクタールを農地取得金で購入。
1972(昭和47)年 有限会社鬼岳牧場を設立。
将来は牛だけでなく、中国の青島から子牛を輸入して日本の食肉基地としての”大牧場”を志す。(数年後、牧場は売却)
1974(昭和49)年 第一次オイルショックで、牛の値段が一夜にして半分以下に下落、餌が2倍に高騰。出荷を目前にした牧場経営が大打撃を受ける。
1975(昭和50)年 苦境を切り抜ける為に、長崎で本格的に弁護士活動を開始する。
土・日・祝日は五島に戻って牛を飼う。豚も飼うようになり、最盛期は年間に牛300頭を出荷する。
同年、長崎市内で牧場直営の食肉販売店「鬼岳牧場」を営業。その後、支店を長崎市内に2ケ所と五島・福江市に設ける。(数年後、売却並びに廃業)九州一円で倒産会社の整理、和議、会社更正の手続きをすすめる。
1977(昭和52)年 有機農業を目指して長崎市内で「土と文化の会」(宮崎康平)を設立する。
1980(昭和55)年 水産に生涯を捧げた人、故田口長治郎(元衆議院議員)に出会う。
「生きているあかしに地球上に小さな痕跡を残したい。」との話に感動する。政治家を勧められる。同年、衆議院選挙に挑戦する。選挙中、「沿岸各国漁業機関を作って、東シナ海を海洋牧場にしよう」との公約を揚げる。落選する。
1982(昭和57)年 長崎市の集中豪雨で中島川が氾濫、多数の死者を出す。
小学校PTA会長を勤めるかたわら、慰霊のために「伊良林小学校ホタルの会」を設立。ホタルの孵化と増殖に取り組む。
今も、毎年夏、子供達の手で放たれたホタルが飛び交っている。
1986(昭和61)年 故白浜仁吉(衆議院議員)に勧められて、長崎1区から2区に選挙区を替えて、再び衆議院選挙に出馬。落選する。1990年、3度目に挑戦するもの落選。
1992(平成4)年 佐賀県武雄市に「花とリスのメルヘン村」を開設。(現在は他社に経営譲渡)
1993(平成5)年 衆議院選挙に4度目の挑戦。「新生党」から出馬し、トップ当選を果たす。
新進党、衆議院農林水産委員、国連海洋法の批准に向けて、新進党内で水産振興議員連盟を設立、事務局長を務める。ほかにも、安全保障議員連盟事務局長、離島振興対策議員連盟事務局長を務める。
新進党のトモロウキャビネットで農林水産政務次官、安全保障政務次官を兼務する。
1996(平成8)年 衆議院選挙で長崎3区より出馬、「新進党」。善戦するも空しく惜敗す。
この間、「日本漁業大転換の時代」(興陽館書店)、その後、「借金から抜け出すにはコツがある」(文化創作出版)「人生至る処に青山あり」(文化創作出版)「節約の知恵大百科」(青春出版)を執筆。現在、弁護士として日本各地を飛び回り、活躍する。
2000(平成12)年 衆議院選挙、比例区で当選、「自由党」。
2001(平成13)年 雑誌「島へ。」を創刊。
月刊現代に論文「日本の高速料金は1/10にできる」を巻頭に掲載、評価される。
2002(平成14)年 BSE法案を立案し与野党をまとめて成立させる。
2003(平成15)年 農水委員会理事として食の安全・トレーサビリティに取り組む。
衆議院公式派遣で前農水大臣谷津義男代議士と共に米国とのWTO交渉にあたる。
島嶼議連事務局長、海の森推進議連準備員会事務局長として、コンブの森、離島の消費税免除とガソリン税軽減の法案成立に向けて活動中。
『輸入食品に日本は潰される』(青萌堂)を執筆、出版。
衆議院議員選挙で「民主党」から3度目の当選。民主党ネクストキャビネットの農水総括副大臣に就任。
2004(平成16)年 民主党「農林漁業再生プラン」の作成に携わり、5月27日発表、各界からの反響を呼ぶ。「水産振興議員連盟」を発足させ、会長に就任する。
8月民主党米国BSE調査団団長として米国視察。米国の飼料規制や月齢識別など強い疑問を持ち、米国からの拙速な牛肉輸入再開に反対する。
2005(平成17)年 1月農林水産委員会筆頭理事。4月「こんぶサミットinおおむら」第1回全国大会を開催。6月離島のガソリン税減免法案を衆議院に提出。「“食の安全”研究議連」を発足し会長に就任する。6月前年に引き続き衆議院農水委員会派遣で米国に牛肉処理等・食の安全に関する実情調査に赴く。9月衆議院議員選挙で当選、「民主党」。4期目。引き続き農水委員会筆頭理事、合わせて民主党次の内閣農林水産大臣。11月著書『アメリカに潰される! 日本の食』(宝島社)発刊。
2006(平成18)年 1月米国からの牛肉輸入再開直後に脊柱混入事件を受けて民主党BSE問題対策本部派遣で米国に調査に就く。3月農林漁業再生プランを元に作成した「農政等の改革に関する基本法案」を衆議院に提出。農林水産委員会で政府提出法案と並んで36時間に及ぶ審議を尽くすが、残念ながら否決。6月の閉会後徳島、佐賀、仙台、北海道、秋田と全国各地で民主党農業政策を講演して回る。7月“食の安全”研究議連でメキシコの食肉処理事情とキューバの有機農業を視察。 9月農水委員会委員、沖縄・北方問題特別委員会筆頭理事。10月農林漁業再生本部長。
2007(平成19)年 3月民主党農業者等のための農協改革本部本部長、5月「ドイツ・フランス民主党森林・林業再生プロジェクト視察」で菅直人代表代行らとともに黒い森の林業地帯を歩く。6月党の森林・林業政策「森と里の再生プラン」をまとめ発表。9月衆議院厚生労働委員会理事、民主党次の内閣ネクスト厚生労働大臣。農政から転じて年金、福祉、食の安全、雇用など幅広い分野に挑戦 。9月障害者自立支援法改正案を参議院に提出。10月肝炎緊急対策措置法を参議院に提出。10月農業者戸別所得補償法案を参議院に提出。10月医療介護改革作業チームを組織し座長に就任。10月映画「シッコ」を憲政記念館で上映。
2008(平成20)年 1月介護人材確保法を衆議院に提出、5月に成立。2月新型インフルエンザ対策PT座長。2月後期高齢者医療制度廃止法案を4野党で衆議院に提出、5月に参議院提出。3月『中国に「食」で潰される日本の行く末』出版。6月離島ガソリン税減免法案を衆議院に提出。6月医療介護改革作業チームから医療政策中間報告、医療制度調査会副会長に就任。6月政策提言「農林漁業・農山漁村再生に向けて〜6次産業化ビジョン」発表。7月民主党「次の内閣」マニフェスト公聴会を五島で開催。11月子どもの無保険救済法案提出、12月成立。12月子ども手当法案を参議院に提出。12月野党4党で「緊急雇用対策関連4法案」を衆議院に提出、本会議で賛成討論。12月民主党周産期医療再建WT報告書。12月民主党離島振興調査会を設立、初代会長。
2009(平成21)年 1月法務委員会及び内閣委員会委員。1月農林漁業及び農山漁村の再生のための改革に関する法案を衆議院に提出。2月『小説日米食糧戦争 日本が飢える日』を講談社から出版、4月までに3版を数える。8月衆議院議員選挙で五期目の当選、民主党が念願の政権交代を果たす。9月18日農林水産副大臣に就任、10月1日農林水産省戸別所得補償制度推進チーム長に就任、現在に至る。