「田中!依頼が入ったぞ!!」
は~い、とデスクに突っ伏していたツナギを着た男が気のない返事を返した。
「ほら、さっさと行くぞ」
ガタイの良い男が田中と呼ばれた男の手を引き無理矢理立たせる。
田中は大きくあくびをしながら寝ぼけた目を擦った。
そして、デスクに置いてあった帽子を手にとり少し深めに被ると「よし」と声を出し両手で頬を挟むように叩いた。
パーンと良い音が部屋に響く。
少し目が覚め、半開きだった目をぱちっと開くと部屋を出る男の後を追いかけ歩き出した。
田中のツナギの背には白く大きな字で転生トラック屋と書かれていた。
「それで、今日の依頼はどんなのなんですか?」
片手にパンを持ち、コーヒーをすすりながら運転席に座る男に声をかけた。
男はハンドルから片手を離し、カバンを開けてファイルを手にとり田中に差し出した。
コーヒーを定位置に置いてファイルをパラパラとめくる。
「うわ、これはひどい」
手に持っていたファイルには今までの依頼を含めた多くの書類が綴じられてあった。
今日の依頼人は無職の男だった。
転生希望先:リリカルなのは
転生時期:なのはと同じ年ならいつでもいい。
転生条件:SSSランクを超える魔力。両親は昔管理局員だったが管理局の裏を知り、自分が生まれると同時に殺されていて天涯孤独。
一生困らない額の両親の遺産がある(もちろん家は海鳴にある)
保護者として両親の残してくれた超優秀な使い魔(美女)が人間のふりをしている(戸籍とかも偽造済み)
身体能力は御神の剣士以上。
絶世の美男子(どれくらいの美男子かと言うと微笑むと女の子に惚れられるレベル)
デバイスは自分が生まれると同時に転移してきた、使い手を探し次元世界をさ迷っていた古代ベルカのユニゾンデバイス。
実は聖王の血を受け継いでいる。
「だろ?俺も見たときは驚いた」
男はカラカラと笑った。
「でも、こんな条件だとものすごい高額になるはずですけど、よく払えましたね」
田中は頭の中で金額を計算したが、どう考えても数千万には達するだろうという結論に驚愕混じりにため息を付いた。
稀に大金持ちが依頼をしてくるときはそれくらいの金額の条件のこともあるが、無色の男になぜこの金額が払えたのだろうかと考えを張り巡らせる。
料金は前払い制だから既に支払われているはずだ。
まだ頭が寝ぼけているのかも知れないとコーヒを口に含んだ。
「ん?それせいぜい百万くらいの条件だぞ?」
ぶっ、とコーヒーを思い切り吹き出した。
コーヒーがフロントガラスにかかり飛び散った。
「うわっ!汚ねえな!」
顔に飛び散ってきたコーヒーの雫に男は片手で顔を隠した。
「あ、すみません。でも、なんでこれが百万なんですか」
ティッシュでフロントガラスのコーヒーを拭き取りながら尋ねた。
男はその問い掛けを聞いて笑い声を上げると、書類を指さし口を開いた。
「よく読んでみろ。その条件だと、生まれたときに管理局に自分のことがバレてるって場合まではフォローできてないだろ」
「あ」
「うちのコンピューターの計算では、6%の確率で原作開始までに管理局に捕まるらしい。
94%は超優秀な使い魔が隠蔽に成功するらしい。
まあ、両親のことに、魔力、聖王の血にユニゾンデバイスなんかのことを考えたら恩の字の確率だろう」
6%。
これを多いと見るか少ないと見るかは人それぞれだろう。
だが、田中には自分の命をかけるのに6%は厳しいと感じられた。
「そのこと本人は知ってるんですか?」
「いんや、知らねえだろうよ。
なんでも、この条件は最低条件らしい。
本当はもっと色々と条件があったんだが、払えるのが百万までだったから限界まで削ってこれらしい。
この上フォローまで入れたら金額がオーバーするし、本人にはこれ以上削る気もなさそうだったからほっといたんだと。
まあこれが職についてるやつだったら、説明して金が貯まるまで待てばいいだけだが無職だしな」
「なるほど」
田中はポンっとファイルを閉じると胸のポケットからタバコを取り出し口に加えた。
シュボっと火をつけ窓の外を眺めた。
「まあ、最近はこの業界も競争で大変だからな。
今確実に手に入る百万を逃すなんて手はないだろうよ。
うちは中小企業だしな」
対向車線を大型トラックが通った。
車体には転生業界の大手の会社のロゴが書いてあった。
おそらくどこかで一仕事してきたのだろう。
「そういや、皆が転生していたら転生先の世界は転生者でいっぱいになるんじゃないかとか思ったことはないですか?」
「おお、あるある。
まあパラソルワールドとかで問題はないらしいけどな」
パラレルワールドですよ、と田中は苦笑を浮かべて言った。
そうだったな、と男は笑った。
ボーッと窓から空を見上げた。
最近は晴天続きで、雲も少ない。
窓から入ってくる風の心地よさに目を閉じて身を委ねてみることにした。
こんな日は家でゆっくり昼寝でもしていたいなぁ、などと考えながら。
「皆、この世界の何が不満で転生なんかするんですかね」
「そりゃあ色々だろうよ」
大なり小なり誰だって現状に不満はある。
雁字搦めの法律、学歴主義の社会、上手くいかない人間関係。
田中自身も、不況で物価が上がったとか、政治家達がたばこ税をさらに上げようとしているとか、そんな小さな不満をいくつも抱え込んでいる。
それでも、転生したいとまで思わない。
「実はな、俺も転生しようと思っていた時期がある」
え、と田中は顔を男の方に向けた。
男は顔を前方に向けたままで口を開いた。
「女房に逃げられたときに、な」
田中は何年も前に聞いた男の事情を思い出し表情を曇らせた。
過ぎた話だと男は田中に顔を向けて微笑み、また前方を向き直した。
「あのころはもうとりあえず、全部が嫌になってな。
どこで何をしていても、女房のことが思い浮かんで
いっそのこと、別の世界に行けばいいんじゃないかと思ったんだ」
「でも、結局やめたんですよね」
離婚をしたことがあるということだけは聞いていた。
「・・・娘がいるのは知ってるだろ?」
確か、そろそろ中学生になるはずだ。
何度か写真を見せてもらったことがある。
どう見ても男には似ていないと言って笑い合った。
「あの頃は毎日のように潰れるまで飲んで家に帰っていた。
・・・小学生だった娘のことも放っておいてな。
ある日、いつものように俺がのんだくれて夜遅くに帰ってきた時、娘は眠っていた。
多分、ずっと俺を待っていたんだろうな。
ぐちゃぐちゃの出来損ないの卵焼きと、焦げた魚がふたり分テーブルに置いてあったよ。
寂しくて泣いていたのか、瞼は腫れていた」
男はタバコを口に加えて火をつけた。
吹き出した紫煙は窓の外に出ていき、かき消されるように空気に溶け込んでいった。
で、と男は続けた。
「俺はなにしてんだろうって思ったわけだ。
そっからは、お前も知ってのとおり仲良く娘と暮らしているよ」
まあ、そんな感じだと男はいつものようなニカっとした笑顔を見せた。
「今回の依頼人も何かしら抱え込んでるのかもな」
「そう、ですね」
ビュウっと一際強い風が吹いた。
フロントガラスから入ってくる日光で少し暑めだったことも相まって、心地よさが一層増した。
少なくとも、こんな風に心地よい気分になれるんなら、この世界もそんなに捨てたもんじゃない。
田中にはそう思えた。
それでも、この広い世界の小さな島国の、一つの都市でさえたくさんの転生希望者が居る。
きっと、そこまで深い考えも無しに転生する人もいるのだろう。
だが、抱え込んだ何かに耐えきれずに転生する人もいる。
今回の依頼人もそうなのかもしれない。
そう思うと、膝の上に乗せてあるファイルがズシッと重くなった気がした。
もちろん気のせいなのだろう。
せいぜい百枚くらいしか綴じられていないファイルは大して重くも無い。
だから、これはきっとただの自分勝手な感傷だ。
今、自分の隣に座っているこの人も同じような経験をしたことがあるのだろうか。
さっきのファイルのようにアクセルが重く感じられるのだろうか。
いつもと同じ表情でトラックを運転する男には、アクセルが重いと感じているのだろうか。
「すみません。運転、代わってもらえませんか」
こんなことしたってなんにもならないってわかってる。
ただの自己満足で、依頼人にとっては何一つメリットにもデメリットにもならない。
それでも今は自分が運転をしたかった。
「ほら、見えてきたぞ。
あそこにいるのが依頼人だ」
道路から少し離れたところにある転生用の広場には依頼人の男が立っていた。
転生希望者であることを示す旗を降っていた。
転生希望者との必要以上の接触はしない。
規則の一つだ。
トラックから降りて依頼人と話すなんてことはしない。
ただ、スイッチを押し、システムを起動させて、そのままぶつかる。
いつもやっている作業だ。
それだけで依頼人は衝突した後すっと消えてしまう。
「転生システム起動します」
確認の言葉。
スイッチを押すと、異常がないことを告げるグリーンのランプが付いた。
あとは、アクセルを踏めば、いつものようにボーッと真っ直ぐ進むだけでいい。
隣の助手席に移った男を見ると、じっと依頼人を見据えていた。
アクセルを踏んだ。
少しアクセルが重く思えたのもつかの間で、何時もどおりの重さのアクセルを踏み直進する。
依頼人の男は動かない。
どんどんと迫ってくるトラック。
その恐怖に思わず逃げ出す者も少なからず居る。
そうした者は現世界に未練ありとして転生を中止し、一ヶ月間転生を禁止することが法律で定められている。
依頼人の男はぎゅっと眼を閉じていた。
それでも、どんどんと迫ってくる音の恐怖はどれくらいのものだろうか。
だんだんと激しくなっていく地面の振動の恐怖はどれくらいのものだろうか。
依頼人の顔をじっと見ていた。
この人は今どんなことを考えているんだろうかと思いながら。
今までの人生のことだろうか。
これから自分が向かう世界のことだろうか。
それとも、もっと別の・・・
あと数秒もしないうちにトラックはぶつかるだろう。
田中は依頼人から目を離さなかった。
そして、全力でアクセルを踏みしめた。
瞬間。
依頼人の口が動いたのに気づいた。
もちろん何を言っているのかなんて聞こえないし、わからない。
ただ、なにかを言っているということだけが分かった。
依頼人が車体の影に隠れる最後の最後まで、田中は目を離さなかった。
辺りが光りに包まれた。
あとがき
今週のマガジン、君のいる町を読んで死にたくなった。
あれは反則だろう。
ベジータにブルマを取られたヤムチャの気分だ。
だから俺は夏越か天城さんがいいとあれほど(ry
綾乃さんでも可。
まさか少年誌でここまでヘビーになるとは、なんて時代だ!
「初めまして」って言葉がトラウマになりそう。
欝で仕方なかったので、荒川アンダーブリッジにworking!にARIAを読んで少し回復した。