生きるため、生活のため、大人の義務だから働く
このコラムシリーズの冒頭で、私はみなさんに質問した。もし子どもに「大人はなぜ働くの?」と聞かれたら、あなたはどう答えるだろうか(第1回 子どもに「大人はなぜ働くの?」と聞かれたら)。
最終回の今回は、これまでの17回分を振り返りながら、改めて「なぜ働くのか?」について考えてみたい。
コラムが始まって毎回のようにいただくのが「働く理由は、生きるため、生活のため。それ以外にない」というご意見だ。私は生きるために、生活のために働くことをこれまで一度も否定していない。私自身もそうだが、すでに十分な生活の糧を得ている人を除けば、それが働く前提となる。
何度かご説明したが、この主旨のコメントはなくならなかった。それだけ生きるため、生活のために働くこと以外に気持ちの余裕を持てない現状が浮かび上がる。忘れてはならないが、働くことは同時に大人にとって、社会の一員としての役割を分担する“義務”でもある。
仕事が充実していないと、プライベートも危うくなる
気になるのは上記のご意見に続くコメントだ。「仕事でやりがいを見つける余裕があったら、プライベートの時間を充実させたい」と。しかし、国内市場縮小による低成長と人材のグローバル化で、「日本社会は近い将来、多くの人を雇いきれなくなる」(第16回 近い将来、日本中がリストラになる)。
他人にない高い付加価値が用意できない限り、雇用の競争相手は国内ばかりか、アジアなど新興国の人々も対象となる。給料の下げ圧力は強くなり、同じ対価を得ようとすると労働時間は長くなる。そうなればプライベートどころではなくなってくる。
日本人がこれまで同様、あるいはこれまで以上に、経済的にも精神的にも豊かに暮らすためには、仕事の中身を充実させて、提供できる付加価値を上げていくしかない。同時に、低成長下にあって人生を楽しむためには、プライベートも楽しみたいが、大人人生の半分以上の時間を占める仕事も楽しめた方がいい。
そうした時代に、働く理由が“生きるため、生活のため”、“義務だから”だけでは、一度きりの人生がもったいない。これがこのシリーズコラム『よく生きるために働く』で、私が最もみなさんにお伝えしたかったことだ。
どんな仕事にもやりがいや誇りは見つかる
誰もが自分が望む仕事に就けるわけではない。新卒で選んだ会社や仕事を振り返れば、むしろそうではない人の方が大多数だろう。そうした仕事をどうやって楽しめばいいのだろうか。
トヨタ自動車の前社長(現副会長)・渡辺捷昭さんの入社時の配属先は、全く希望していない人事部厚生課・給食係だった(第2回 「どんな仕事にもやりがいは見つかる」は本当か?)。独身寮や社員食堂の食事を管理するという、一見単純で誰でもできそうな仕事に渡辺さんは腐らなかった。現場に足繁く通ってたくさんのムリ、ムダ、ムラを見つけてカイゼンしていく。その姿が上司の目に留まり、社長への階段を駆け上がることになる。
「仕事は選べなくても、仕事のやり方は選べる」。どんな仕事に遭遇しても、姿勢や気持ち次第で、仕事を楽しむことはできるのだ。単純作業であっても、工夫して楽しむことで明日につながっていく。そうした取り組みが顧客に喜ばれると、やがて目の前の仕事はやりがいとなり、生きがいともなっていく(第3回 仕事の「やりがい」と「生きがい」は別?」)。
『日本でいちばん大切にしたい会社』の一つ、日本理化学工業の大山泰弘会長は、働く上で得られる『3つの幸せ』を提唱する。社員の7割が知的障がいをもちながら、一生懸命に働いていることで有名な会社だ。
大山さんはある僧侶の話で目が覚める。人間の幸福には(1)人に愛されること、(2)人にほめられること、(3)人の役に立つこと、(4)人から必要とされることの4つがあるが、(1)以外は働くことによって得られるという。またそれらを追求していく中で、(1)人に愛されることの幸せも実現するかもしれない、と。一生懸命に働くだけでも幸せはやってくる。
目の前の仕事が「誰の役に立っている仕事か」「社会にとってどんな意味があるか」を改めて問うことで、やりがいはもちろん、仕事の誇りさえも持つことができる(第4回 仕事の「誇り」の見つけ方)。
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