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自由や民主主義への

 投稿者:コナン  投稿日:2007年11月 6日(火)00時06分15秒
返信・引用
   評価や考察がマルクス主義にはスッポリ抜けている。
そういうことじゃないだろうか。
 

だがそれはね、まっぺんさん

 投稿者:コナン  投稿日:2007年11月 6日(火)00時02分44秒
返信・引用
   どの程度までが他人を蹴落とした結果得ようとする自由なのか、その線引きが実にあいまいなのですよ。 線引きをどうするのか? ソレによって弾圧するべき自由の範囲がいかようにも変化する。 困ったことです。(^^;
 だからそれは容易に過度の自由抑圧=民主主義の圧殺に転化する可能性を始めから秘めている。 ここら辺が民主主義に対する考察を抜きにしたマルクスの限界なのでしょう。
 そもそも人の能力は平等じゃない。青色発光ダイオードを発明した利根博士は数億円を裁判で勝ち取ったが、そんなモンじゃないだろう。 それを搾取と言うのか? 弾圧の対象となるのか? 人類の進歩に多大の貢献をしたわけだがね。

 社会民主主義の場合はそういう線引きはしない。自由をはるかに広範囲に認める。だからそういう搾取の自由をも認めることにはなるがそれは徴税によって国家がブルジョアジーを再収奪して国民に還元することで国家が国民大衆に自由に生きる権利を保障しようとする。
 以前に紹介したようにジニ指数は当初配分では北欧は日本よりも格差が大きいが社会保障と徴税後ではジニ指数は23、〜26となっており、日本の38〜9よりずっと格差が少ない社会となっている。 バカンスや年金も充実しており、教育は大学まで無料だ。
 仕組みは少々ややこしく煩雑ではあるけど、この資本主義社会の中で堂々と世界最富裕国であり、今後の成長力評価でも上位を占めている。
 その評価では、
   1位は米国だが、2位3位4位とスエーデン、デンマーク、フィンランドが占めている。 こういう評価法自体も「評価」「検討」しなければならないけどね。
 と言うのは米国は一方では双子の赤字を抱え、日本や中国からの国債買い支えドル買い支え(信用供与)にたよる経済であり、しかも、貧困を国内で拡大再生産し続ける構造だからだ。 つまり、「人権や自由(庶民の)」の成長拡大という評価が含まれていないからね。
 だからこの新自由主義(グローバリズム)の世界の中で、他の資本主義国に対する優位性を北欧諸国は現在なお保持していると言える。

 対してまっぺんさんらの言う社会主義国とは一国では存在できず、資本主義国に対して優位に存在することが出来ない国=社会制度であるという。
 だから世界同時革命を言うわけだけど、ここまでくるとなんだかカルトっぽく聞こえてしまうね、全く。
 一言で言えばマルクス主義には歴史的評価が必要なのでしょう。
 (かなりの部分は過去のもの)
 

雲子さん、とってもいいとこ突いてます(=^^=)

 投稿者:まっぴょん  投稿日:2007年11月 5日(月)21時47分17秒
返信・引用
  国家とは所詮、人民を支配するための道具に過ぎません。
また国家は、「特定のイデオロギー」に支配されている。
だから、その国家を破壊したり、破壊を企てるものは厳罰に処せられます。
日本でも国家転覆を目指すような者は、個人ならば死刑、
組織ならば丸ごと解体される事になっています。
そのために騒乱罪、内乱罪、組織破防法などいろいろな法律があります。

同じ事が裏返しに「社会主義国家」にも言えるでしょう。
もしも社会主義の国家を我々が建設した時、その破壊の企みは
最大限の国家権力を駆使して阻止し、首謀者は厳罰に処す事になるでしょう。
我々左翼がどんなに「きれいごと」を言っても、それは変わらない。

だがそこには違いがある、と我々は考えています。
反対者は大概、「権力によって奪われる自由」を取り戻すために反対するものです。
資本主義国家が人々から奪っている「自由」とはどんな「自由」でしょうか?
私は、多くの人が「人間らしく生きる自由」を奪われていると感じています。
利潤獲得競争を原理とする競争社会では他者を蹴落として勝者だけが
「お金によって得られる自由」を獲得します。
敗者には自由はありません。貧困者は、場合によっては
自由だけでなく命さえも奪われてしまいます。
だから多くの貧困者が「自由」のためにこの国家権力に反対しています。

我々は社会主義を目指します。
もちろん過去の「社会主義国家」が権力欲にまみれ、
いかに罪のない人民を弾圧してきたか、われわれはよく知っています。
この間違いは正さなければなりません。
ただした上で、我々がもしも「国家権力を握った」なら
我々は、資本主義によって奪われてきた人々の自由を保証するよう努力するでしょう。

しかし、そこでは社会主義政権によって「別の自由」を奪われた人々が
反乱を起こす可能性があります。
「別の自由」とはどんな自由のことでしょうか?
それは、資本主義社会では許されていた「人を蹴落としても自分が儲ける自由」です。
「金儲けの自由」を奪われた人たちは、社会主義政権に反対し
「自由のために」行動するするでしょう。そのような「自由」、
つまり「他人に危害を加えてはじめて得る事のできる自由」を
われわれの国家は禁止するでしょう。断じて許すことはありません。
死刑にはしないまでも、長期の禁固刑・懲役刑を科する事になるでしょう。
我々が弾圧するのは「罪のない人民」ではなく「罪のある人民」なのです。
 

連投になるので

 投稿者:右からの視点  投稿日:2007年11月 5日(月)15時49分28秒
返信・引用
  今日はこれで最後にしますが私の投稿の中で
「弾は消耗品だから渡せる」と書いているじゃないですか。
これで手榴弾を配布していないと主張しているように読めます?
申し訳ないが夜の書き込みなど私のハンドルネームのせいもあって
右の人間がまた妄想しているというような脊髄反射をされているように
みえますが。
 

自決にゃ手榴弾が最も簡便だった。

 投稿者:コナン  投稿日:2007年11月 5日(月)12時56分36秒
返信・引用
   手榴弾を起動させ5秒くらいでドカンだ。
だから、皆で手と手をつなぎ合わせ、手榴弾を起動させ、真ん中において皆で手と手をつないで手榴弾に覆いかぶさるように自決した、と自決方法を解説している事例が多い。
 沖縄の戦跡を訪ねると実にありふれるくらいありふれている。
これが現代流に家族を包丁で刺し殺して自分も首をつった、という心中の方法では中々殺しきれない、死に切れない。 自分の手で家族やひめゆりなどでの仲間を一人一人殺してまわらなきゃならないから。 これだとひるんでしまう。
 (そういう事例もあったようだが。)
 だけど手榴弾なら一気に迷わず大量にかつ確実に死ねるというわけだ。
軍だってそういう心理、事情を見越していたからこそ手榴弾を配布したわけだ。
 だから一層犯罪的なのだよ。
 

じゃあなんら反論じゃないわけか

 投稿者:コナン  投稿日:2007年11月 5日(月)12時16分42秒
返信・引用
   それなら、>外国の事例を言うなら、
と頭書きで言うべきですよ。
 ふ〜ん、ただの事例紹介というわけか。 ベルリン攻防戦では使用されたらしいけどね。
しかし、それは自決にゃ使えない。 明らかに対戦車・敵陣用兵器だ。

それならなんら反論じゃないわけだけど、、。(^^;

 では、右からの視点氏は沖縄戦での軍による住民への手榴弾配布を事実として認めているわけですかね?
 そこをハッキリしたらいかがか? あなたは肝心な部分があいまいです。
 

コナン氏へ

 投稿者:右からの視点  投稿日:2007年11月 5日(月)01時32分39秒
返信・引用
  ボタンの掛け違いのようなので補足説明します。

>ただ、手榴弾を非戦闘員に配布したということは外国軍では、あったのでしょうか?
>という疑問があります。 日本軍特有のかなり異常な事態だと思いますよ。

というあなたの質問に対して、手榴弾を配布した外国の事例は知らないが
武器を配布した事例は(正確には民間人を徴用して組織的に使用しただと思いますが。)
知っていますよという意味合いで書いているのですが。
沖縄で手榴弾を配布したかどうか知らないと言っているのではありません。
私の文章力に問題があるか、あなたの認識の仕方に問題があると思います。
 

右からの視点氏は論点が全く外れている。

 投稿者:コナン  投稿日:2007年11月 5日(月)01時04分40秒
返信・引用
   ドイツの武器の性能をあれこれ解説した所で何の関連があるの?
>軍だけでまに合わなければ民間人というのは結局洋の東西を問わず、、、
 と言うあいまいもことした夢想に逃れたい紛らわしたい、と言うだけのくだらぬ主張じゃないの?
 しかも、肝心の、手榴弾を住民に配布した、ということを「知らない」と逃げている。 KOBA氏が軍が住民に手榴弾を配布したこと自体は前提条件として話しているのに、そのもっとも肝心な部分(=動かぬ物証)すら逃げている。
 沖縄戦跡を訪ねると、半ば観光地となった各地でも(ひめゆりの塔など)手榴弾を使ってガマ(避難豪)内で自決したなどという話はありふれるくらいありふれている。
結局、右からの視点で考えようとすると(=軍の強制性の否定論)そうした事実から一切目をそむけたドイツの武器の性能はあれこれで、、、という議論に逃げ込むしかない、ということを自分から告白していると言うことに他ならない。
 言い逃れもさすがにここまで来るとあきれるばかりだ。 ドイツの武器の話は関係ない!
 しかも、最後は、結局軍の強制性について何を言いたいのかというと、
>軍の強制性についてはまた後日、、、
 じゃ、あまりにくだらなさ過ぎ、情けなさ過ぎだろう。

 民間人がガマや自宅で、軍しか所有しないハズの手榴弾を使って自決した例はありふれるくらいありふれた事実である。そういう事実すら認められないのかね?軍が住民に配布しなければ軍から窃盗したのかね? 全くお粗末な「右からの視点」じゃないのかい?

 さらに、洋の東西を問わず、とごまかしているが、日本軍について言うならつまり、軍がダメだから民間人に手榴弾を配布して米軍を攻撃をさせた、というのはつまり、伊達さんが指摘したように、自決よりもっとひどい特攻攻撃を強制した、と言っているのかね?
 それなら、もっとひどい強制だったに過ぎない。 その場合は、自決と違って、そうした特攻攻撃に参加しなかったその他の住民まで米軍の攻撃に晒すことになるからだ。
 米軍から見れば、特攻攻撃に参加した住民もしなかった住民も区別がつかないからね。
(いわゆる便衣兵というものだ。)
そういいたいなら、ハッキリそういえばよい。
 手榴弾を配布して非戦闘員のふりをして手榴弾攻撃を敢行しろ!と命令したのだ、とね。 それなら、>軍がダメなら民間人で、と言うのは洋の東西を問わず、、、という主張の実例として、沖縄戦では日本軍が民間人に
手榴弾で米軍への特攻攻撃を命令したのだ、(それが適わなければ自決した)とつじつまが合う主張となるけどね。  その場合はもっとひどい強制となるわけだがね。
 

確か

 投稿者:右からの視点  投稿日:2007年11月 4日(日)12時15分35秒
返信・引用
  手榴弾を配った例は知りませんがドイツのパンツァーファウストは
女性や子供でも戦車を倒せるように作られて実際使われましたし、
イギリスにも名前は忘れましたが同様のコンセプトの兵器があったと
記憶しています。
軍だけで間に合わなければ民間人というのは洋の東西を問わず、
考えつくことなのでしょう。
日本独自の問題として、弾は渡せても武器は渡せないというのがあると思います。
陸軍は武器は天皇陛下から預かり頂いた神聖なものとして扱うように教育しています。
小野田中尉か横井少尉かどちらかが発見されて帰国する際に
陛下にお返ししたいと言ったぐらいですし、つい最近の特攻を扱ったNHKスペシャルでも旧軍の参謀だった人(故人)の言葉として
「戦闘機は陛下から預かった正規の武器であるから、特攻に回さず正規のパイロットに
優先的に与えた」という趣旨の話がありましたから。
ところが、「弾」は消耗品なわけでして使えば減るものです。
末端の兵士がどうこうできるかはやや疑問ですが、
現場の下士官(コンバットのサンダース軍曹くらい?)なら
どうにか出来るものじゃないでしょうか。

地雷を抱いて戦車に突入したり、飛行機で特攻している時代ですから、
民間人に手榴弾を渡して特攻させることは訓練も不必要ですし
現在の尺度で考えるのではなく当時の尺度で考えれば
費用対効果を考えると高いと考えるのは不自然でないと感じます。
この掲示板の住人の方はお嫌いでしょうが曽野綾子さんが言われていたことで
「手榴弾2発で1発を敵に投げつけ1発で自決するのが自然なことと思っていた」
(大意、手元に資料が残ってないので詳細な内容についてはご容赦下さい)
という話からしても、志願者はいくらでもいたでしょうし。

長くなってきたので強制性についてはまた別の機会に
 

 ホントに

 投稿者:コナン  投稿日:2007年11月 2日(金)23時47分47秒
返信・引用
   運子さんの指摘は事実としてひめゆりの塔などを訪れるとそういう共感のようなものが末端の兵士あたりとはあるわけです。 運命を共にするワケですから。 しかし、軍は軍属の彼女らをガマ(避難豪)から追い出したりした例もあるわけです。いいガマを優先的に使用した。 何でも軍が優先だったのもまた事実です。 しかし、彼ら軍も南部に追い詰められてほぼ全滅してしまう。 硫黄島の戦いもほぼ全滅ですよね。
 なにがそこまで追い詰めたのか? なぜ沖縄だけが実際の地上戦の犠牲となったのか?
実は近衛元首相だったか、天皇に3月時点での降伏を勧めているんですよね。
 しかし、天皇は拒否した。それでは自分が死刑になると思ったらしい。
これは平和の塔に書かれていました。 それもまた一つの事実なんでしょう。
 もっとずっと遡れば、世界大恐慌と日本の経済構造にまで話が広がるのでしょうが。
うまく話がまとまりませんね。(^^;
 

唸る

 投稿者:雲子  投稿日:2007年11月 2日(金)23時42分1秒
返信・引用
  まっぴょんさん、お久しぶりです。
すいません、中国から書き込んでいますのでIPが逆引きできないと思いますが
お許しください。

半信半疑さんの意見に深く考え込んでしまいました。
私の意見は先の投稿の最後の3行に集約されるのですが、「日本国家の問題」として
一国民である「私」が考えることの難しさを痛感しています。

そこで、例えばの話で恐縮ですがちょっとお聞きしたいのです・・・

日本で格差社会が広がり、政府は腐り切り、国民の不満は頂点に達しました。
日本のレッドモール党党員が社会主義革命を起こします。
日本は内戦状態になります。
日本の社会主義化を阻止するために米軍が日本に乗り込んできます。
戦争を事変と言い換えたという指摘があったように、レッドモール党は、戦争を革命と
言い換えて戦いますが、結局負けてしまいます。

この場合、レッドモール党やレッドモール党党員はどのような罪になると
思われますか?
内乱罪とか国家転覆罪でしょうか?

また逆にレッドモール党が勝利して日本が社会主義国になりました。
その時、政府の重要な地位にあるまっぴょん党首は、やっぱり教科書にこう記述する
ことをお許しになるでしょうか?
「20××年レッドモール党が社会主義革命を起こし、罪のない国民を多数惨殺した」

ちょっと意地の悪い質問ですが、どうしてこんな質問をしたのかというと、
一国民として「日本国家の問題」を考えるとき、結局は、その人の立っている位置、
つまり思想信条に大きく左右されてしまうだけである、というところにしか帰着しない
と思ってしまったためです。
 

いえ運子さん、

 投稿者:コナン  投稿日:2007年11月 2日(金)23時29分11秒
返信・引用
   ゴメンは必要なしですよ。 あなたの言うことはもっともなことで、ひめゆりの塔でしたか、彼女らもある意味兵士たちとは共感の世界を持っていたことも伺えます。それは私も知っています。 だから、兵士もまた(軍もまた)犠牲者であったことも事実ですよね。
 戦艦大和の特攻出撃など何の為の出撃なのか?犬死じゃないか?と当時の乗組員は皆肌で感じ取っていたのでしょう。
 ただ、手榴弾を非戦闘員に配布したということは外国軍では、あったのでしょうか?
という疑問があります。 日本軍特有のかなり異常な事態だと思いますよ。

そして、さらに、軍の強制は証明されていない!と主張するお馬鹿な主張の方は、命令書などの具体的な物証が無い!!ということを主張するわけです。だから、ならば手榴弾は具体的な物証ではないか?ということになるのですよ。

 そうすると、何も指示なしに配布した、と主張するか(これもお馬鹿)米軍に投げつけろ!という指示だったと主張するか、(これは伊達さんが言うように非戦闘員への特攻攻撃の強制ですよね。つまり、別のもっとひどい強制になってしまうww)、あるいは、私が例示したような軍からのプレゼント品(畑の開墾用とかwww)である、とか(もっとお馬鹿)主張するしかなくなるわけです。
 結局具体的な証拠云々と言っても命令書を示せ!論に逃げ込めない動かぬ証拠とならざるを得ないということなのですよ。 手榴弾配布はそういう意味です。

 だから軍の強制は事実。 だけど、現地軍もまた犠牲者だった。
 そういう構図もまたあるわけでしょうね。
そこからあの戦争の犯罪全体を俯瞰し、高弘さんが指摘したような国民総洗脳状態と言う強圧的なファシズムの体制にまで議論が深まるべきなのでしょう。
 私にも荷が重すぎる課題ですけど。ww
 

なるほど半信半疑さん

 投稿者:まっぴょん  投稿日:2007年11月 2日(金)18時00分35秒
返信・引用
  >国家と言う枠組みの中で国民は何をしてしまうものなのか??という洞察が不可欠だと思うからです。

う〜む。さらに深い。
おっしゃる通りですね。ありがとうございました。

余談:「はんしん」と半分だけ変換しようとしたら「阪神」になっちゃったw
 

国家か個人か

 投稿者:半信半疑  投稿日:2007年11月 2日(金)17時31分17秒
返信・引用
  雲子さんが

>実際は、どうだったのかよく分からないが、たとえ「強制」があったとしても
それを教科書に載せるかどうかは、また別の議論があると思う。

と書いていますが、まっぴょんさんの意見は ↑ の「別の議論」ですね。

>「加害者の日本兵と被害者の住民」という図式で考えるべきではないと僕は思うのです。(まっぴょんさん)

わたしも異議ありません。

>むしろもっと大きく「日本国家の問題」として考え、今後に活かしていく事ではないでしょうか。

やや異議あります。国家の問題として考えることに異議があるのではなく、国家の問題として考えるには、国家と言う枠組みの中で国民は何をしてしまうものなのか??という洞察が不可欠だと思うからです。兵隊とは国民なのです。軍隊とは兵隊・・つまり国民・・の集まりでもあるのです。・・・同じ文脈で、当時、国を動かした議員も軍を動かした将校もみな国民な訳です。権力の在処という問題を外に置けば国家の主体は国民であるわけです。大きく言ってしまえば、「国家の問題」とは、実は、国民が如何なるシステムとメカニズムで国家の問題に寄与して(させられて)しまうか・・にある訳です。もしそうでないとするなら、国家の問題なんて、@そこらの性質の悪い企業の問題@と同じです。幹部や経営者を挿げ替えておしまいです。
だから ↓

>あの戦争が何であったか、それを「歴史的事件として」どう考えるのか、という事ではないでしょうか。

全面的に同意ですが、「あの戦争が何であったか」の中に @あの戦争における国民@・・という切り口も絶対に必要じゃないですか?ピンと来やすい言葉にすれば、『あの戦争における日本人』・・・と言うわけです。
戦争は「被害」と「加害」に切り分けられる部分と切り分けられない部分がある・・まあこれは戦争に限ったことではなく、全ての社会事象に言えることなんですが・・・
国民は戦争において、被害者でもあったが、一方で加害者でもあった。こういった視点を欠くと、あの戦争は「歴史的事件」から一気に「犯罪事件」に格落ちしてしまい、責任論に摩り替ってしまう。

「国家の問題」とは「為政者の問題である」と平行して「国民の問題」でもあるわけです。ついでに付け足すと「為政者の責任」は問えるけど「国民の責任」は問えない。なぜかと言うと『少年法』の思想と同じで・・・と書いて時間が来てしまった(笑)
 

私たちは「個人の問題」として取り扱うべきなのでしょうか

 投稿者:まっぴょん  投稿日:2007年11月 2日(金)15時19分10秒
返信・引用
  雲子さんいらっしゃいまし。\(^o^)

沖縄住民を虐殺し、あるいは自殺を促した日本兵もまた「戦陣訓」などに象徴されるような
当時の軍首脳のまったく非人道的なゆがんだ戦争政策の「被害者」であり、住民に対して
「自殺は当然であり、米軍に虐待されるよりもましな事だ」と信じ込まされ、
「善意によって」自殺を勧めただろうという推測は成り立ちます。その可能性は多いにあるでしょう。

しかし、そもそも教科書が子どもたちに伝えようとしているのは、何でしょうか?
それぞれの兵士、民間人が「どんな心理で行為を行ったか」を語る事によって
この問題を「個人の問題」に還元するのではなく、
あの戦争が何であったか、それを「歴史的事件として」どう考えるのか、という事ではないでしょうか。
そう考えるなら、末端の兵士の行為が「犯罪か善意か」を巡って議論する事にはあまり意義を感じません。
「加害者の日本兵と被害者の住民」という図式で考えるべきではないと僕は思うのです。
むしろもっと大きく「日本国家の問題」として考え、今後に活かしていく事ではないでしょうか。
 

多面的

 投稿者:雲子  投稿日:2007年11月 2日(金)14時20分15秒
返信・引用
  伊達さんの「敢えてもうひとつ」というフレーズから起想して「さらに敢えてもうひとつ」と思い投稿したもので、物事の多面性を無視して、全てが「情け」なんだと主張して
いるわけではありませんし、強制は無かったという主張をしている訳でもありません。
しかし、手榴弾を渡してそれが使われた事をもって、「強制」だったという主張にも
疑問を感じます。
(コナンさんごめんね)

日本軍に限らず、瀕死の重傷を負い助かる見込みのない兵士に、そっと銃や毒薬を渡して
立ち去ったという話などが元兵士から話されることがあります。
これは必ずしも命令ではないし、強制でもないと思います。
これは、あくまでも例なので、これが沖縄に全てに当てはまる、という意味では
ありませんが、徹底して多面的に見なさいと言うなら、「強制」とは言えない状況も
予測出来ないかと思った次第です。

私としては、手榴弾を渡された島民の絶望的な気持ちを思うと「情け」だろうが「強制」
だろうがどっちでも関係ないと思うほど悲痛の一言で、このように後世の私達が議論
している事自体も腹立たしいことでしょうね。
 

>雲子さん

 投稿者:伊達 純  投稿日:2007年11月 2日(金)13時30分21秒
返信・引用
  「楽に死になさい」って、命令だし、強制ではないでしょうか? ということを考えてしまう訳ですが(苦笑)。

> もし憎むべき日本軍の兵士だったのなら、手榴弾を渡して帰るところを、
> その手榴弾で襲えばいいと考える島民もいたかもしれない。

 そう考えた沖縄の人もいたかもしれませんが、それをやったとして、やはり日本兵に殺されるでしょうね。

 迫り来る米軍の鉄の暴風とも呼ばれる艦砲射撃の中、投降することも禁止され、あるいは出来ないと思い込まされ、「自決」を断れば殺されるだろうと状況、しかもその状況を日本軍、そして日本政府がつくっている。強制じゃなくて、何なのでしょうね。
 

多面的にみるなら徹底して>雲子さん

 投稿者:半信半疑  投稿日:2007年11月 2日(金)07時11分15秒
返信・引用
  >実際は、どうだったのかよく分からないが、たとえ「強制」があったとしても
それを教科書に載せるかどうかは、また別の議論があると思う。

そのとおりですね、だいたいがこの問題は『教科書に載せないのは何故だ?』だった。そしたら反論側が、『事実じゃないから載せない』とお馬鹿なことを主張した。 結果、『事実か否か』に問題が摩り替ったんじゃない?

物事にはいつだっていろんな側面?があるわけで、私のつたない知識でも、島民に信頼された日本兵はいたし、逆にどさくさで島民に殺された日本兵もいたらしい。だから情けをかける意味で手榴弾を渡した兵もいたろうし、「死になさい」の意味で渡した兵もいたろう、と、多面的に推理するのはそれほど間違っていないでしょ?
雲子さんは、『手榴弾を渡した事実から「信頼関係」の@在る@無し@を占』おうとしたわけで、それは物事の多面性を無視?しています。

事実として 『手榴弾は渡された』。そしてその意図は渡した当事者以外には知れないことです。論議の対象とすべきは客観的事実に関してのみにすべきです。事実として手榴弾は使われた。事実として手榴弾は『自決』の手段としても使われた。そしてもう一つの事実・・ 米軍の残虐を喧伝され、当時の絶望的状況?下で手榴弾を渡されれば自決の道具に使う島民もいるだろうことを、多分、あなたを含めたほとんどの人が予測出来るだろう事実。議論するなら、当時の兵が予測したか否か?ただそれだけのことですよ。

だから翻って

>実際は、どうだったのかよく分からないが、たとえ「強制」があったとしても
それを教科書に載せるかどうかは、また別の議論があると思う。

そのとおり。しかしその@別の議論@ためには 『強制は無かった』という主張は限りなくお馬鹿でしかないわけです。
 

もうひとつあるとすれば

 投稿者:雲子  投稿日:2007年11月 2日(金)00時31分16秒
返信・引用
  手榴弾という、いわゆる武器を渡す、という行為は、そもそも、渡す相手からの信頼が
ないとなかなか出来るものではない行為だと想像できます。

もし憎むべき日本軍の兵士だったのなら、手榴弾を渡して帰るところを、その手榴弾で
襲えばいいと考える島民もいたかもしれない。
逆に、手榴弾を渡したら、島民がその手榴弾を使って日本軍の陣地を襲うかも知れない
などと、思われるような両者の関係なら、手榴弾などはとても渡せないだろう。

しかも、渡したその場で使うのを強制した、というのなら明らかに「強制」性もあると
思いますが、米軍に捕まったらひどい仕打ちを受ける、と誰もが思っていた中で、
捕まりそうならこれで楽に死になさい、という意味合いだって考えられる。
普通「死になさい」という言葉には強制的な響きがあるが、この場合の「死になさい」は
「情け」をかける、という意味合いがもある。

実際は、どうだったのかよく分からないが、たとえ「強制」があったとしても
それを教科書に載せるかどうかは、また別の議論があると思う。
 

敢えてもうひとつの選択肢として

 投稿者:伊達 純  投稿日:2007年10月31日(水)00時19分6秒
返信・引用
  手榴弾を渡して、「迫り来る敵、鬼畜米軍に投げつけろ!」と命じたのだというのもありうるわなw。

 そこで以下の問題が出て来る。

(1)本来、非戦闘員である沖縄の現地の人たちに手榴弾を渡して、敵である鬼畜米兵に投げつけることを命じたのであるなら、まさに非戦闘員をも戦闘員として狩り出していることになる。

(2)それはつまり、ネットウヨクプロ市民どもがあれだけ騒いでいた南京大虐殺における「便衣兵」と同じ存在に沖縄の人たちをしようとしていることに他ならない。

(3)まさに敵である米軍からは殺されてもしょうがない存在に地元の沖縄の人たちをしようとしたことになる。

(4)さらに彼我の戦力差から言って、手榴弾を渡して敵米兵に投げつけろと命令することは、死ねと命令することと限りなくイコールである。

 手榴弾を渡すということは、コナンさんも書いているように「イヤア、開墾する時、これで大木を根っこから吹っ飛ばすと便利なんですよ。ささ、是非使ってみなされ。些少ながら住民の皆さんへの軍からのプレゼント品です」ということではない。「集団自決」か、それとも「敵である鬼畜米兵に投げつけろ!」ということである。そして「敵である鬼畜米兵に投げつけろ!」ということは、前述したように、死ねということと限りなくイコールである。ということは、どちらにしても旧日本軍は、沖縄の現地の人々に対して「死ね!」ということで手榴弾を渡したのである。
 

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