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ヤマさんへ 投稿者:「あ」とよばれしもの 投稿日:2010年 3月 7日(日)09時01分41秒
いやいや、そうではありません。
これは、、、仏陀のすごいところは、彼自身が、身体の限界を探るような苦行もして
せいなのかもしれませんが、身体的つまりアプリオリな次元から<苦>というものを
考えているせいです。
仏陀はね。ヤマさん。感じること=受苦なのだ。科学的にいえば神経は常に特定の刺激
を受けるために配置されそれを神経の束であり、ターミナルである脳に伝えています。
快とは脳が作り出している。しかし、はじまりは苦。という仕組みにあの時代に直感して
しまっているんです。
だから、脳を喜ばせればよい。あっち側へいっちゃっても自分だけ救われるならそういう
ことだ。と。
どうも仏陀が生きている間の仏教っていうのは世の中を救うという考えを全くもってなか
ったと考えてよさそうです。何よりも個々の人間を救う考えの集大成だった。
それが教団として、地位を獲得し、政治的な立場ももった結果、世の中を束ねるための言説が付与されていったと考えるべきでしょう。
それに反発して徹底したのが龍樹の中観派ということになるのではないでしょうか?
あれって結局、唯幻論=唯言論ですよね。
> あれって結局、唯幻論=唯言論ですよね。
あさん
これは、なに?
返答のしょうがないないんだが・・・
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