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つまり

 投稿者:半蔵  投稿日:2010年 3月 5日(金)08時21分42秒
  理性よりは感性と
理性的に述べてるってことっすか?
そうかといって「ムカツク」だけではねぇ・・・
ネトで感性を表現するには
理性駆使するしかないようですね

↓これは「狂う」というより「壊れてる」なw
 

あぽーん。

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 3月 5日(金)03時00分24秒
  じゃあ、もう何も語らなくていいじゃんんか。猫君。
もう十分に狂ってる。

 人間の理性とその理性で支配されるカテゴリーと感性とその感性で支配されるカテゴリー
が人間というものの中で階梯をなしているのか?

 どうも違うでしょ。なのに<起源>をふるのは論理的にも実証的にもおかしな行為です。

 カントが純粋、実践、判断力と理性の働きを三つにわけて分析したのは、感性すら、アプ
リオリな形式の中にあることを発想したからです。

 アプリオリな形式が論理的に想定されうるなら、人間には理性というもので正しい行動が
できるはずだ。という主張です。

 その正しいの基準を彼の場合、神からの恩寵としてしまえるのでわれわれが陥る問題には
ノータッチで考えることができるとしてもです。

 人間のありとあらゆるものは社会性を起源とするはずです。どんなに個々人を分析しても
たまねぎの皮むきと一緒で何も残りません。身体すら遺伝子と環境の対話によって生まれた
形であると考えることもできるのです。
 

ということで

 投稿者:招き猫  投稿日:2010年 3月 4日(木)22時05分40秒
  ほんまに狂うか
黙るか

それしかないとんですよね。

さて、そういうことをすべてにらみ、そして 論理論理論理 なんですわ。

私が、
たもたもちゃん・マンナンまっぺんさん・まことさん
を名指しする理由はお分かりですか。後、3年もすれば分かりますよ。


私もまだまだ精進が足りません。
全力を挙げて御三方を撃ちます。頑張ります。
 

私家版

 投稿者:招き猫  投稿日:2010年 3月 4日(木)21時58分22秒
  >「理性的位相」って具体的に何すか?

たもたもちゃんがどういう感じで用いたのかということを私的に解釈いたします。
「自我・エス・超自我」などいろいろあるんでしょうけど、我々のコアとなってる部分には理性的な”位相”と感性的(あるいは情緒的/感情的)”位相”がある。

我々の理性的「側面、局面、様相・・・」などと言い換えてもいいかもしれませんね。

無知のヴェールとは、感性的位相を消去するとか抑圧するとかそういう感じではないんですね。ここは肝なんですが、無効にするんですよ。mind が情緒的に駆動すること自体が無意味になるということです。何しろ、我々は日本人かもしれないし在日かもしれないんですからね。

しかし、理性的運動は情緒的になものに突き動かされるということもまた事実だと思っています。マルクスの本質は怒りです。だから、科学がどうとかそういう低レベルな議論は猿に任せておきましょう。怒りをそのまま発露させるのはあまりにも戦略がない。だから、科学を装ったのです。一つのストラテジーなんです。


なお、 感性的(あるいは情緒的/感情的)”位相” というのは二項対立によって顕現されるべき「消された対立項(当方オリジナルw)」ということになります。言ってないなんて無意味です。二項対立ということが分かってないんです。「理性的」とした時点で既に枠組みにはまっているんです。

さて、たもたもちゃんは理性的な位相と感性的な位相の相克に問題意識を焦点化させ、後者を前者に隷属させないということを強調しています。宗教的なこと、ウヨ的なこと、それらはすべて後者へ光を当てることの一つの戦略です。

ここからが重要なのですが、たもたもちゃんは後者を強調させる身振りをいくらしてみても、それはあくまで前者の圏内であるという悲劇を見出さないとならないわけです。真に後者を強調する文脈に生きる人間は、サヨクなど叩きません。彼は、後者に生きることができない=前者にアクセントを置く”生”しかないんですよ。

それは、出家をしようと何をしようと変わりません。


後者を強調する身振りを理性的に行うのがもはやいけないんです。
加持祈祷のようにことばを弄するとか、当たり前の姿があるんですが、そんなことはもはやありえないですからね。小林秀雄みたいな冷徹な感性主義なぞは、それこそおぞましい怪獣です。

感性的なものが本当に輝くのは、小林とは対極に位置する ほ っ こ り したものです。その特徴は 沈 黙 です。いいですか、沈黙なんですよ。もうお分かりだと思います。逃げることはできないんですね。

まだまだ語りたいことはあるんですが、私家版としてはひとまず終わりにします。


左翼思想とか難解とか、あんまり関係ないでしょう。
いやよいやよは大好きの証拠w

そんなところです。
 

左翼思想って難解ですね

 投稿者:半蔵  投稿日:2010年 3月 4日(木)20時07分58秒
  嘘つき爺はチクワ耳で済ませるとして
「理性的位相」って具体的に何すか?
「隣の香具師は患部」でも「同志」と呼び合う状態の類ですか?
 

すりすり

 投稿者:招き猫  投稿日:2010年 3月 4日(木)18時24分32秒
  仲間に引き入れたいw

ラブコール♪


そのうち、”位相”を平気で使うからw
社会学なんて・・・と文句垂れてると思ったらry

”位相”とは phase の翻訳語だからね。間抜けな議論は困る。

個人的には、空間的な意味と同時に状態的な意味を強調されることを意識して用いている。
「段階、局面、様相」などだと前提的同一性が強調されすぎる感じなんでね。というか、日常語として定着しているけど。普通に使われてるから。


あの阿呆はね、”位相”っていうことば自体ではなくて”偉そう”っていうことに苛立っているだけ。二次会の面々の反応と全く同じ。猿の反射は同じだから分かりやすい。

ということで話題を変える方向で暗躍してください。
検索パッチワーク自慢は読まないよねえw
 

半蔵君とするとあんたがマヌケ

 投稿者:半蔵  投稿日:2010年 3月 4日(木)12時00分25秒
  >位相っていうのは水という物質が氷や水蒸気そして液体という様々な様態をもつていて、
>それぞれの様態のことをさすのがひとつ。
↑ウィキ大好きなんだね
思いっきり「位相(言語学)」の菊沢の前置きの写しだなw

>何が嘘かは問題ではない。嘘をつくことが問題だ。
>という言い方に意味がありますか?
>そもそも、どれが嘘かを確定しなければ
>嘘をついているかどうかわからないじゃないですか?
↑嘘は確定済み
>自由主義者である私が自己犠牲というとき、それは、お国のためなんていうもの
>ではない。
↑ココの「自由主義者である私」は特にねw

辞表書け
二膳目
 

半蔵君とすると猫君はキ○○イってこと?

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 3月 4日(木)07時18分7秒
 
○ 喝采を叫んだ理由の一端が理性的位相の”起源”であると理解されることを希望します。

だが、ここで重要なのは結果はその起源との対峙を強要するものになりうるのではないかということだ。理性というものを粗雑に措定し(よわっちい仮想敵を捏造し)、それを脅かすものがあるような印象操作的思わせぶりは猿には効果的かもしれない。

だが、その問題意識は出発であって結果でもないし解答でもないし、結論でもない。

>日中戦争に反対する気分を持ちつつも、対米戦争が起こったとき、喝采を叫んだ

実はこれこそが理性のバイアスであり、本性の隠蔽であるということが重要だ。
半島大陸への蔑視と敵意の起源こそが左翼の隠された本性であると喝破しないとならない。どれほど、表層において誤魔化そうと間違いのないことだ。

本性の乗り越えは、僧侶や偽善家の教えを待とう。
本性を別の位相によって無効にする企みこそが理性に委ねられていると理解しなければならない。むき出しの憎悪、それを無効にする狡猾な仕組みこそが我々の課題であるのだ


 本性を別の位相によって(そもそも位相がわかってないと私は思うけど、単なるしりとりだよね。これ。)位相を使うということはそれぞれが本性なんだけどね。


 位相っていうのは水という物質が氷や水蒸気そして液体という様々な様態をもつていて、それ
ぞれの様態のことをさすのがひとつ。

 言語学では同じように一つのことばが同じ意味でも違った言い方をもっている。それぞれの言い方をさすのがひとつ。(つまり、好き→チュキ→好むなどの社会的環境によることばづかい)

 数学では正確には位相空間というべきで、集合Xとその集合の部分集合の関係をさす。
 そして、この関係はあの論理階梯という規則の相似として扱うことが可能である。

つまり○をつけている文章の意味がまったく通らない。位相には起源なんてないからだ。
(どうしても起源ー隠蔽が癖になっているとしか思えない。隠蔽を持ち出すためには起源を
振らなきゃいけなんだろう。彼の中では)

 物理的な位相の原因は部室や物体に与えられたエネルギー量である。しかし原因とはいうが
 起源とはいわない。(そもそも起源とはオリジンのことだろう。)

 言語学的な位相の原因は生活様式にある。(ある慣習の起源を問うことは可能だろう。しかし、生活様式の起源を問うことは不可能ではないか?そもそも起源は始まりの意味だ。)

 数学的位相空間にあるのは規則であって起源ではない。規則の起源とは○○と考えるという
 仮定である。

起源のいえそうなのは数学的位相だけである。だからこそ、

 ×のついた文
>× 喝采を叫んだ理由の一端が理性的位相において理解されることを希望します。

 が人間の精神活動の中の理性によって支配される部分において喝采を叫んだ理由を理解して
 欲しいという意味に読み取れる(つまり、感情的な反応ではないというように理解して欲しい
 ってことだろうけど。)

その解釈でいうと(対句で違った意味デ使われるのはさすがに論文としては落第どころの騒ぎではなか○ 喝采を叫んだ理由の一端が理性的位相の”起源”であると理解されることを希望します。ろう?)


 人間の精神活動の中で理性に支配される部分の始まりは喝采を叫んだ理由の一端であるということを理解して欲しいということになる。

 えーと対句になってませんよね。これ。そもそも対ではない。しかも理性によって支配される
部分は明らかにその行為に先んずるわけでそれを喝采が起源であるなどというのは明らかにオカシイ。

 で本性を隠蔽する仕組みが問題だ。本性が何かは問題じゃない。みたいな言い方になるわけですね。

  じゃあ隠蔽もくそもありませんよね。隠蔽されたものが何かは問題じゃないんだったら、
 隠蔽そのものが成立しませんよ。

 何が嘘かは問題ではない。嘘をつくことが問題だ。という言い方に意味がありますか?
 そもそも、どれが嘘かを確定しなければ嘘をついているかどうかわからないじゃないですか?

 あまりにもトンチキな展開なので展開そのものを批判しておきました。
 

「同感」ってのも

 投稿者:半蔵  投稿日:2010年 3月 4日(木)07時09分54秒
  一見「トートロジーの相方」なんだが
>異分子を楽しむ余裕がないといけないんでは?
↑この結論に至る過程は別物のはずなんだよな・・・

コピペ脳の弊害は結論だけで
「十分」とするところにありそうです
 

同感

 投稿者:半蔵  投稿日:2010年 3月 4日(木)06時37分55秒
  >異分子を楽しむ余裕がないといけないんでは?
↑愉しみながら善行できて気分爽快っす^^

朝鮮学校の件につなげる気はないけど・・・
実際何教えてるのかよく知らないんで
擁護も批判も出来ないんだよね
こっちの地元ではヤンキー校のいい遊び相手
って評判くらいしか耳にしてないです
 

白痴の「本性」

 投稿者:半蔵  投稿日:2010年 3月 4日(木)06時27分40秒
  >ぞう=ぞうなら誰も反対しない。
>ぞう=鼻が長い動物も反対は少ないだろう。
>けれども、ぞう=足が太いには反対が増えるのではないか
↑正解は一行目だけだね
「=」しか使えないトートロジー脳らしいやwww
んでもってそっからオナプレ・メタファー駆使して
推論進めた気分に浸るわけ〜ぇ?

猫さん曰く
>本性はどうか、そんなくだらん議論など意味はない。
マヌケ曰く
>本性を持ち出す議論はつまらない。
↑いわゆる「トートロジーの相方」に相当するね
猫さんも賛成得られて喜んでるだろ〜なw

教師辞めろ
マヌケ
一膳目
 

戦争のない社会にするには

 投稿者:ヤマさん  投稿日:2010年 3月 4日(木)02時31分34秒
  社会主義社会になる必要があります。

日露戦争に勝っていなければ・・・歴史に“たら”“れば”ありませんね・・・

資本主義の“自由”がまずあっての“統制”、資本主義が最大限に発展することによって社会主義が実現する。

考えるに、科学の発展を止めなければ、資本主義は生き残ってしまう。

科学の発展が一応の収束をみるのは、相対性理論と量子力学を統一する理論が完成しなければならない。

統一理論が完成すれば、“自由”はいらない、“統制”すればいい。



問題は、科学が発展する限り資本主義の息の根を止められないところにある。

しかし、科学を発展させるためには社会主義にしておかなければ悲劇は極限化する。

アインシュタインのように、「政治は一時のこと」ではすまされない。



どこまで資本主義はもつだろうか?

あるいは資本主義を延命させてはいけないのかもしれない。



“自由”を“統制”するから“統制”の“自由”へ。





どうだろう。
 

おや

 投稿者:ケンジ  投稿日:2010年 3月 4日(木)00時54分24秒
   ヤマさん、読了ですか?

 私も読み直しちゃいました。 1年半ぶりくらいですかねえ。
じゃあ、ボツボツ感想でも語りましょう。

 まあ、結局日本側の資本主義的経済要求が朝鮮大陸進出の本源だったと言うわけです。

 長い自由主義時代の資本主義の成熟を経ないで、上から急速に独占資本・帝国主義の
 段階に入って行った、という日本の歴史的背景があるんでしょうね。

 自由主義の場合は、商品の交易なので、貿易拠点を作れば良いわけですから、丸ごと
 支配は却ってコストがかさむので、必要ないわけです。

  しかし、資本を輸出するとなると事情が違ってくる。
 だから、相手国を丸ごと支配する、という社会的要求が出てくるわけです。
 日清日露戦争への日本側の本源的要求でしょうね。
 

本性なる思考。

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 3月 4日(木)00時37分58秒
  本性を持ち出す議論はつまらない。

 なぜなら、これはトートロジーの相方を探すだけのことで、
 その基準は何もない。

ぞう=ぞうなら誰も反対しない。
ぞう=鼻が長い動物も反対は少ないだろう。
けれども、ぞう=足が太いには反対が増えるのではないか?


 つまり、本性などといっても要は本人以外の匿名で多数の認知による
 賛成が必要なのであり、その賛成=共通幻想化があって、大勢が、
 それをトートロジーの相方として認めるにすぎない。

三角形を直線三本で囲んだ形というのが一般的であるが、
もっと単純に考えると角が三つある形というものがある。
しかし、これは閉じているかいないのかという問題が残る
ので数学的には使えない。

 (しかし、ニホンでは大勢はこれを三角形という形の説明であり、
  本質だと思うのではないだろうか?)

ただそれだけの話である。
 

>異分子?

 投稿者:イレギュラーず  投稿日:2010年 3月 3日(水)23時08分45秒
  だれのこと?  

ニタッ

 投稿者:招き猫  投稿日:2010年 3月 3日(水)22時52分41秒
  異分子を楽しむ余裕がないといけないんでは?

それが朝鮮学校の件へとつながる。
 

>差別主義

 投稿者:イレギュラーず  投稿日:2010年 3月 3日(水)21時17分25秒
  お得意の、「差別」の定義のなんたるかは「なんとでもなる」ですか?天空の高みから見下すカッツェトンム。  

口実と本音

 投稿者:招き猫  投稿日:2010年 3月 3日(水)20時30分0秒
  http://red.ap.teacup.com/tamo2/
>さすが「共産」党支持者!

http://takashichan.seesaa.net/article/142431559.html
>>
元共産党員を含む左翼が、日中戦争に反対する気分を持ちつつも、対米戦争が起こったとき、喝采を叫んだ理由の一端が理性的位相において理解されることを希望します。
>>

資本との和解?wを強調する大ボスに聞かせたい??w

ま、そんな核心wはちょっと置いておいて、粗末にされるが本当には大事ないくつかのこと。

× 喝采を叫んだ理由の一端が理性的位相において理解されることを希望します。

○ 喝采を叫んだ理由の一端が理性的位相の”起源”であると理解されることを希望します。

だが、ここで重要なのは結果はその起源との対峙を強要するものになりうるのではないかということだ。理性というものを粗雑に措定し(よわっちい仮想敵を捏造し)、それを脅かすものがあるような印象操作的思わせぶりは猿には効果的かもしれない。

だが、その問題意識は出発であって結果でもないし解答でもないし、結論でもない。

>日中戦争に反対する気分を持ちつつも、対米戦争が起こったとき、喝采を叫んだ

実はこれこそが理性のバイアスであり、本性の隠蔽であるということが重要だ。
半島大陸への蔑視と敵意の起源こそが左翼の隠された本性であると喝破しないとならない。どれほど、表層において誤魔化そうと間違いのないことだ。

本性の乗り越えは、僧侶や偽善家の教えを待とう。
本性を別の位相によって無効にする企みこそが理性に委ねられていると理解しなければならない。むき出しの憎悪、それを無効にする狡猾な仕組みこそが我々の課題であるのだ。

本性はどうか、そんなくだらん議論など意味はない。
ましてや、お花畑のような妄想パラダイスなんて百害あって一利なし。


ヴェールをかぶると発狂すると断定した方がいた。たもたもちゃん♪

ならば、発狂したまえ。何がアカン。かぶらんでも発狂しとるやないか。
かぶった発狂こそが現代の要請なんだよ。


もっと意味ある議論を求める!
 

また、こんなん湧いてますよ

 投稿者:招き猫  投稿日:2010年 3月 3日(水)20時04分7秒
  >>
Re: 追加 投稿者:バッジ@ネオ・トロツキスト  投稿日:2010年 3月 3日(水)10時21分44秒  返信・引用
   > No.6936[元記事へ]

茶畑進さんへのお返事です。

> 母は新左翼系の人たちを「トロ」と言ってました。高校ぐらいまで意味が分からず同じ組合の人たちをとろいなんてひどい事言うなと思ってました。まあ代々木系の人から見れば中核も解放派も共労党もみんな「トロ」だったのでしょうね。

それで茶畑さん、「トロ」という蔑称やトロツキズムのことをご母堂様と話し合われましたか?
オレは、90年代に自覚的なトロになってから、お宅のご母堂様のような思想状況にあった両親にいろいろ説明をして、一定の学習もしてもらいましたよ。理論的素養が多少はあるオヤジには、「ヨーロッパ合衆国」問題をめぐるトロツキーのレーニンに対する理論的優位性まで解説・講釈し、レーニンではなくトロツキーこそがマルクスの世界革命論のより忠実・正確な理解者・継承者であることを理解してもらいました。

まず内なるスタから変えよ! V^△^
http://津
>>

自覚的な「トロ」というのは、単に と ろ い ということですか。
猿相手に胸張ることしかしないのは、やはり猿だからですか。

トロの真髄とは、スターリンに極限において近似しているということです。
さっぱり分かってないようですね。

お待ちしています。
 

大阪の

 投稿者:招き猫  投稿日:2010年 3月 3日(水)19時55分11秒
  朝鮮高級学校の校長が記者会見

「政治的差別が・・・むにゃむにゃ・・・」

非常に不愉快だった。
お前らは、北の鬼畜行為を学校で教えているのかと問いたい。

保護者?というのも登場していた。糞だな、お前らは。
なぜなら、同様の論理を北に突きつけないのはなぜなんだ?


猿は黙っとけ。
はっきりさせておこう。お前らのような倒錯的な論理をほざく猿にも分配するのが当方が主張する 自 由 の 平 等 の真髄なんだ。一つ言っておく。よく聞け、在日の猿ども。

ヴェールをかぶるということがどれほど自分に強いることなのかということだ。
オイラはかぶると決めたから、かぶるということだ。

で、お前らはかぶっているのか?

この差別主義マンセーの半島猿どもよ。
 

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