山田さんの夫の真一さんは妻ががんになってから掃除や料理など家事はできるだけ引き受け支えてきました。初発から5年余り。再発したかもしれないと聞かされた時、真一さんは初発の時とは違う強いショックを受けました。
「再発ですから。すぐ先の彼女の死を頭の中から払拭することができなくて・・・。ああ、ついにきたのかと、このままだったら、あと残された時間がどんなもんだろうかと考えてしまいました」(真一さん)
真一さんは、自分自身の不安は心の中にしまい込み、再発の恐怖におびえ涙ながらに訴える妻の言葉を受け止め続けました。
次第に、真一さんに異変が起こり始めました。
「夜中に起きたら、彼がじっとふとんの上に座ってた。それを多分3、4回くらい見たんじゃないかな。「真ちゃん」て声かけたら、「うん」って言うんですよ。「何しよんの」って聞いても「うん」って言うだけで。それ見た時に、あれ?っと思ったのと、あと寝てる時に汗びっしょりかいてて。その汗の量が普通じゃなかった。シーツが濡れてましたもん」(山田さん)
真一さんは、妻に付き添われて病院に行きました。診察の結果、うつ状態と診断され安定剤と睡眠薬を処方されました。
「ちょっと気持ちが落ち込んでるけど、すぐよくなるんじゃないかとか、何のこれしきとか、そういった気持ちの方が強かったんですけども、まず病気であるということを認識して、その上で治療しましょうと専門家の方から言われましたので、おっとっとという感じですね。私は病気なのか、ということをその時やっと認識しましたね」(真一さん)
子供たちも、母親の病を受け止めきれずにいました。
長男の一貴さんは去年4月京都の大学に進み、一人暮らしを始めました。新しい生活を始めて半年。母親から突然、手紙が届きました。一貴さんの目に飛び込んできたのは「再発」の二文字でした。
「『がんが再発しました』という部分を見て、そこから多分読まなかったですね。それ以上読むと、更に悪いことが書いてあるんじゃないかと思って。そこで手紙をしまったのを覚えてますね」(一貴さん)
しばらくして読んだ手紙には、こう書いてありました。
私自身は残された時間をどう生きたら後悔しないか、ふと気づくと考えてしまいます。再発となると、3年くらいかなと心の中で思っています。
「俺はまず何をすべきかというのを考えて、うまい答えが見つからなかったんですよ。何か俺にもっとしてあげられることはなかったのかっていうふうに思って、これからのこととか今までのことの板挟み状態、ジレンマみたいになっちゃって」(一貴さん)
遠く離れた場所で自分に何ができるのか、一貴さんは2ヶ月近く悩みました。そして、生まれて初めて両親にクリスマス・プレゼントを贈りました。
一貴さんから突然届いたプレゼントはトイレに飾ってあります。送られてきたのは、ちょっと笑える洒落が書かれたカレンダーでした。プレゼントには、短い手紙が添えられていました。
スマイルは心、そして生きる栄養になります。このカレンダーでスマイルしてください。
「気持ち的には非常に落ち込んでいた時期でしたので、そこにちょうど手紙とカレンダーが来ましたからね。ポッと一輪の花が咲いたような、家庭が大変明るくなったような気がして、うれしかったですよ」(真一さん)
3月半ば、一貴さんと長女の真美さんが揃って実家に帰ってきました。久しぶりに家族4人揃った食卓。少し心が元気になった真一さんがこれまで抱え込んでいた思いを初めて子供たちに話しました。
「今度もものすごく不安が大きいけど、初発の時はやはりね、まだみんな小さかったしね、先行き不安が大きかったね」(真一さん)
「でも、多分おれの場合はな、うまく受け入れられんかったな。どういうことなんやろう、何て言うのか、まだ精神的に幼かったかもしれんけど」(一貴さん)
「お母さん死ぬんやと思って、この先どうなるんやろ、お父さんと3人暮らしになるんやろかと思って、すごく心が落ち込んでダメージ受けたことは覚えてる。がんイコール死やったけん」(真美さん)
「がんと言われたら即、死と思ったんやろ。でも6年たって、しかも2回やってこれやもんな。せやけん、がんイコール死ではないんだなと。がんイコール、その後どう生きるかを突き付けられる病気かなと。あまり無理せんでいい、自分の納得がいくような選び方ができたらなと」(山田さん)
こうして、家族4人でじっくりとがんについて話をするのは初めてのことです。
「一貴は成人したし、真美は高校出たから、こういう話ができるだけでもありがたい。僕としては安心なところがあるね」(真一さん)
「がんのことを家族で話さなかったもんな」(山田さん)
「話せなかったね」(真一さん)
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