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番組ガイド
ETVワイド ともに生きる 『働き盛りのがん』
小堺一機さんモノローグ

 こんばんは。小堺一機です。

 僕はちょうど2年前に首にしこりができまして、 お医者さんに診てもらったところ「原発不明頚部リンパ節転移」という病気を教えられました。 細胞検査をしたらそこに扁平上皮がんが見つかりました。 「いわゆる『がん』です。」と先生に言われました。 それまで『がん』という言葉を知っていましたし、 がん患者の方々のドキュメント番組なども見たことはありましたが、 やはり、自分の身に起こるということが、 もうひとつ・・・はっきりと言って・・・実感がありませんでした。

小堺一機さんモノローグ

 その時に最初に、この次の1分とか、この次の10分とか、今日の一日とか・・・ そういう“すぐそばにある時間”が大切にみえました。 勿論その後ろには死をはっきり意識したからということがあると思いますが、 その死が前面に出るよりも、近い時間が大切に思えたことに驚きました。 そんな風に感じられたのも、パニックに陥らなかったのも、 まわりの方たちが自分よりも神経を使ったり、 僕よりも気を遣ってくれたからじゃないかと思ってます。

小堺一機さんモノローグ  患者のまわりにいる方もとっても大変だと、2年経った今は思えるようになりました。  今日はそういうことも含めて、皆さんと考えていきたいと思います。

もしも大切な人ががんになったら、
あなたはどう向き合えますか?
 〜視聴者の方からのメールより〜
妻が大腸がんになり手術。再発の心配はつきません
(30代 男性)
パートナーはまだ38歳。心の苦しみをどう和らげたらいいですか
(40代 男性)
34歳の夫が肺がんに。とても不安で怖いです
(20代 女性)
交際3か月の彼ががんに。私に何ができるの
(30代 女性)
家族 恋人 友人
がんは私達にとって身近な病です
上野美佐子さん
26歳の彼が 突然がんに
「衝撃というか、伝えられたことがあまりにも重いので、 逃げたい自分と、どっかで受け止めなければいけない自分と、 これで逃げるのか?というような思いがありました」
金子明美さんと家族
35歳の妻が 3ヶ月の余命宣告
山田泉さん。夫の真一さんと。
46歳の妻が 6年目の再発
「すぐ先に彼女の『死』というものがどうしても払拭できなくて、 遂に来たのかと、このままだと残された時間がどんなものか・・・そういったことを考えてしまいます」
三浦秀昭さんと友人の泉光治さん
47歳の親友ががんで仕事を断念
「どう声をかけたらいいのか、ちょっと悩みましたね。 病院に見舞いにいくんですから、元気か?大丈夫か?と普通は言うんでしょうけど、 がんということになると、大丈夫かという聞き方もできないでしょうし、 そうしたらどういう風に話したらいいのか分からなくて・・・」

あなたはどんなふうに向き合えますか?
働き盛りのがん

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小堺さんと町永アナ

町永: 小堺さん、今年はもう花見は済まされましたか?大きな病を得た人にとっては、花見というのは格別な思いで見ると聞きますけど。
小堺: あ〜また一年経った、という節目の花ですからね。
町永: あまりこれまでご自身のがん体験を話されたことがないですよね?
小堺: いや〜改めて話すというのもおこがましい気もしますし、やっぱりまだ非常にセンシティブな話題ですし、軽はずみに話しても・・・というのはありました。
小堺さんと町永アナ 町永: まわりの人が戸惑ってしまうのではというのもありますね。まわりの人もどう接していいか分からない。
小堺: でも、僕がそういうことがあったってことから、意外なまわりの人が「実は私も」と告白される事も多くて、皆さん話してみたいのに、そういう機会もないのかな・・・って思いましたね。
笑顔の小堺さん

町永: 今日は小堺さんのお知り合いの女優さんにもお越しいただいてます。
小堺: お互い若かった20年位前にご一緒して、それからあまりお会いする機会はなかったんですが、僕が二年前に入院してた時にお手紙くださったんです。
町永: 洞口依子さんです。洞口さんも実はがん患者でいらっしゃる。
洞口依子さん 洞口: はい。私は・・・3年・・・2年か3年前に、もうなんだか段々忘れてきちゃってるんですけど、突然、子宮頸がん、扁平上皮がんと宣告されました。
 自分では調子悪いな〜と思ってはいたんですけれども、 子宮筋腫くらいなのかな〜という軽い気持ちで受診しましたので、一緒に病院に付き添ってくれたうちの主人が、もう目が点になって、口が半開きになって、死にかけ人形みたいになっているのを見て、「あ〜これから大変なんだな・・・」って思いました。
町永: まずまわりの、身近な人がショックを受けた・・・
小堺: でも、僕は洞口さんの手紙で随分元気付けられました。
町永: どうやって元気づけるのか?、サポートするのか?というのも大きなテーマですね。そういった意味でも今日はがん患者ではないお立場から、益子直美さんにもお越しいただきました。
益子直美さん 益子: 私は現役時代から健康一筋で、病気に縁が全くないんですよね。
 がんは、本当にかかってしまったら大変、医療は発達していてもなかなか完治をするのは難しいし、ずっと付き合っていかなければいけない、命にかかわる・・・といったイメージがあります。
 私はパラリンピックをずっと応援してて、骨肉腫で仲間を失ったことがあって、どうやって声をかけていいのか難しかったですね。

乳がんと肝臓がんの年齢別罹患率の変化について解説
乳がんと肝臓がんの年齢別罹患率の変化について解説
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 子供が小さい、働き盛りの若い世代でもがんにかかる可能性がある。これが統計上のデータにも現れています。


町永: 仕事の事もある、これからの自分の人生設計のこともある。まさに働き盛りのがんは色々な要素があります。
働き盛りでがんになってしまった場合にどんな思いでいるのか、どんな日常があるのか、あるご家族のケースをご覧頂きます。
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復職か退職か 再発と闘う教師

 大分県の北東部、国東半島にある豊後高田市で山田泉さんは25年間、養護教諭として働いてきました。2人の子供は家を離れ、夫の真一さんと2人暮らしです。
 乳がんが最初に見つかったのは6年前、40歳の時です。手術と放射線治療を受けるため、やむをえず休職しました。
授業中の山田泉さん  しかし、2年後には職場に復帰。自らのがん体験を子供たちに語る「いのちの授業」を始めました。がんという病を経験したことで、教師として新たな人生を歩み始めた矢先、がんが再発しました。


山田泉さん

 「本当に苦しかったですからね。
 手術までの1か月間、誰にもその気持ちを話さずに、話せる状態ではなかったので、耐えて、耐えて笑って過ごすしかないなと思う状況で・・・」(山田さん)

 去年11月、左乳房を全摘する手術を受け、教師の仕事は再び休職。再発後をどう生きていくのか、模索する日々が始まりました。
 山田さんは、がんの再発を抑えるための薬を毎日服用しています。初発の後も同じ薬を服用しましたが、副作用と思われるひどい吐き気が現れ、その時は職場に戻るために、途中で服用をやめました。

山田泉さん

 再発後、薬を飲み始めて1ヶ月、以前よりひどい吐き気が襲ってきました。このままでは職場には戻れない。自分の命を考えると、今回は薬をやめるわけにもいかない。山田さんは深い悩みに直面しました。

 「体きついし、気力落ちてるし、ここで踏ん張らなきゃと思って。社会で生きていくとき必死ですよね。でも、そんなに無理しなくていいよっていうふうに周りの人たちが思ってくれてると、働きやすい。でも、ほかの人と同じようにできるというふうに見られるというのは、ちょっと苦しい時がありますね」(山田さん)

 山田さんは、月に一度の定期検査を欠かすことができません。手術から3ヶ月たった2月末、山田さんは大きな不安を抱えて、病院にやってきました。右の乳房に小さなしこりを見つけたのです。
がんがまた再発したのかどうか、超音波検査で確かめました。

 「やっぱりとりあえずはね、何もないんですよね。
 脂肪の塊じゃないかと思うんだけど・・・。
 煮詰まんないで、頑張りすぎないで、いつでも連絡とってくれていいから」(山田さんの主治医)

 病院の行き帰り、山田さんは休職している中学校のそばを通ります。この先ずっと再発の不安がつきまとう自分を、職場は受け入れてくれるのか。これ以上迷惑をかけるなら退職すべきではないのか。山田さんは、そう考えるようになっていました。

 その翌日、中学3年生の教え子たち11人が、卒業を前に山田さんにもう1度会いたいと訪ねてきました。
ほぼ1年ぶりの再会です。

教え子と山田さん

 「私はね、もう先のことが考えられんのや。私はもう今日一日のことを考えるのが精一杯。今日一日できることはやっておきたい。今日みんなと会えた時間というのは、私にとってものすごく大事。また会おうな、じゃない。もしかしたら、これで終わりになるかもしれんけど、本当のことを話したいなと思って」(山田さん)

 山田さんは闘病中もずっと気にかけていた一人の生徒に語りかけました。 教え子と山田さん

 「私が入院している時、お父さんががんで亡くなったね。
 娘を遺して先に逝ってしまう時のお父さんの気持ち、ものすごくつらかったと思う。でも、あなたを遺せたっていうのはすごいと思う。あなたを遺せたっていうのは命のバトンタッチなんや。お父さんはこの世にはいないけども、でも、お父さんの命はつながってる。
 あなたはつらい思いをした分だけ人の気持ちがわかるけんな、あなたの笑顔はとてもいいから。そうやって笑ってな、いい人生歩んでいくんだよ」(山田さん)

 山田さんは、これが最後の授業になるかもしれないと、3時間かけて、生徒たち一人一人にメッセージを送りました。
 子供たちに会うことで、山田さんの心は動きました。職場の理解さえ得られたら、もう一度、教壇に立ちたいと強く思えるようになったのです。

山田泉さん

 「どんな時に自分が一番生き生きしているかというと、あの生徒たちといる時なんですよ。中から出てくるものが、何か違うんですよ。いろんな人の意見聞きながら慎重に考えたいなあ、なんて思うようになりました。歯切れよく「はい、こうします」とは言えないですよ。ものすごく迷いますけど」(山田さん)

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小堺さん 小堺: ご本人もおっしゃってましたけど、お医者様の前にいらっしゃる時とか、お一人で病気のことをお話される時と、生徒さんたちの前にいる時のたくましさとか力強さが違いますね。生命力溢れている素晴らしい先生ですよね。
洞口: 5年で一区切りと言われている中、その直後の再発・・・心の中の葛藤はどうしているんでしょう?
益子: お父さんをがんで亡くした生徒さんにかけてあげた言葉は、すごく重みがあって、山田先生じゃないとかけてあげられないですよね。

町永: 今日は山田さんとテレビ電話がつながっています。どうしてあんなパワーがでるんでしょう。
山田 泉さん 山田 泉: 中学生が心の中をいっぱい話してくれるから、私も裸になって自分の本当の気持ちを話そうという気になるんだと思います。あれはあの子たちの持っている力ですね。
 小堺さんもおっしゃってましたが、私も一瞬が大事です。今が一番大事だということを、今回再発して、死が身近になって、とことん突きつけられました。
 私、自信を失っていて、根こそぎ倒れたような感じだったんです。でもあの日、あの子たちが来てくれて、再発した私にもできることがまだあるなと、初めて感じたんです。
 それまでは洞口さんがおっしゃってたように、心の葛藤で負けそうになってました。特に父親をがんで亡くした生徒の言葉を聞いていると、がん患者の家族はもっとつらいんだな、苦しいのは私だけじゃないんだなと思えました。
洞口さん 洞口: 病気のことを考えると、精神的にもはまって抜けられなくなるんです。私もいまだに薬を服用しなければいけないことがあります。
 でも、学校の先生だったら、生徒さんから「先生の授業を聞きたいんだよ」とか、私だったら「一緒にお芝居したいんだよ」とか、そういう支えがあると、新しい自分として一歩乗り越えられる気がします。

町永: 上野 創さんは若くして、しかも新聞記者という激務の中でがんになってしまった。みなさんがおっしゃっているように、病気をもっているからこそ、新しい自分を持たないとやっていけないっていう感じなんですか?

上野 創さん

上野 創: 『がん』という言葉の持つ強さ、重さに潰されそうな気持ちになっていきました。
 そこからどうやって、それを引き受けていくか、自分の人生を背負いなおして、また、歩んでいくかの中で、山田さんのように自分の仕事に柱を見つけたり、家族に柱を見つけたりして、また頑張って歩いていくんだと思います。そうでないと、洞口さんがおっしゃっていたように心理的にどんどん落ちていってしまいます。その気持ちは私も分かります。
 私は仕事で今、教育を担当していまして、命に関してどうやって伝えるか?ということに関心を持っています。そこで、山田さんがどんな思いで、何を伝えたいと一番思っていらっしゃるか、是非教えてください。
山田さんと上野さん 山田 泉: 私は体験したことしか喋れない性格です。たまたま、がんになって、たくさんの友達をがんで見送り、人と人が最期まで助け合えるということを教えてもらいました。そのことを体験した一人として伝えたいな、と思っています。

町永:  同じくご夫婦で北海道から参加してくださった金子 明美さんは、お子さんが生後6か月でがんになられました。特にお子さんのことが気がかりですよね。

金子 明美さん 金子 明美: 入院中も張ってくるおっぱいを泣きながらしぼっていた思い出があります。
 自分のことばかり考えてもいられないなと、子供が前向きにさせてくれました。「死んでられないな」っていう気持ちでしょうか。


町永: 同じくがん体験のある三浦秀一さんですが、余命何ヶ月と言われたんですか?

三浦さん
三浦: 私の場合は余命というものは受けておりません。ただ、肺の腺がん。ステージはIIIb。完治治療はできない。延命治療であるとの宣告を受けました。
 それから二度再発しましたが、そのたびに、仕事というものを、人生というものを考えました。9〜10か月入院した後に仕事に復帰したんですが、どうしても仕事が中心となり、身体を気遣えなくなっていってしまいました。
小堺: 皆さんもおっしゃってましたが、なんというか・・・こういう言葉を使ったほうがいいと思うんですが、いつか死ぬのは分かってますけど、『死』というものが目の前にきますから、はっきり考えるわけです。
三浦: 告知を受ける前まで遠くにあった『死』が本当に近くにあるんだっていうことを理解するまでに、相当な時間と苦しさを必要とします。
■番組中に寄せられたメッセージ■
 今日、洞口依子さんの素敵な姿を見られて、心が温かくなりました。
一年前32歳の時に子宮頸がん腺がんと宣告され、子供も授からないまんま、卵巣・子宮を失い、結婚3年目の私たちにとって重い、重い荷物を背負いました。
そんな時、洞口さんも同じ病で戦っていたと知り、私だけではない、いつかこの重い荷物も軽くなる時が来ると思えるようになりました。
再発の恐怖もありますが、一日一笑で頑張ります。
 31歳の彼とお付き合いするようになってから3か月後に実はがんであるということを告白されました。 現在も、彼は平日はかなり忙しく働きながら、週末は病院で治療という生活を続けています。 がんと告白されてから2か月経つのですが、彼は気遣いからなのか、病気についての詳細を教えてくれようとしません。 彼のことを本当に愛しています。 ただ何をすれば良いのか、自分に何ができるのか考えてしまう毎日です。
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 ドキュメンタリー作家の森達也さんにも患者や家族ではない立場でご参加いただきました。

森達也さん : 私たち人間は皆、余命70年とか80年で生まれてきているんですが、死というものを常日頃意識してると生活できないから、皆どこかで忘れて生活しているんでしょう。同時に、死を思うことは生を照らすことになるわけで、もしかしたら、がんを宣告された方というのは、その微妙な境で、死の暗い部分と同時に生の明るい部分の両方が垣間見れるポジションに身を置けるんじゃないかな、と、さっきふと思いました。
小堺: がんの言葉の重さっていう話もありましたが、印刷で見る固さとか、がんって言う時の表情が怖いんですよ。僕が病気のことを発表する時にがんって言わない方がいいだろうって、事務所の社長が言うんですよ。でも僕は逆に言ってくれって言ったんです。怖がってどうするんだって思ったんです。そこで無知になっちゃう人がすごく多いと思うんです。人は知らないから怖いんですよね。意外に勉強してみたらそんなに怖くない。
小堺さん  がんって言葉が、いただいた高級メロンみたいに、ずーっと高い所に飾ってあるんです。食っちゃえばいいのに。高いから触らないでおいておこうってなってるんですよ。だから、こういう番組で高いところのメロンを下ろしていけばいいと思うんです。がんに対するイメージを、がんだって言えない雰囲気を変えていけばいいと思うんです。僕ががんになったら、まわりから「実は私も」って言う人がいましたからね。
洞口さん 洞口: 日本がそうなんですかね?口が重いのは・・・。私がなったら「実は私もそうなんです」「あの人もそうなのよ」って聞かされて、びっくりしました。

町永: じゃあ、メロンを下ろして食べてしまいましょう。
 でも、本人はそれで折り合いがつけられても、家族が今度はどうしたらいいのか。
 続いては、先ほど登場された山田さんのご家族の問題をご覧ください。

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がんと向き合う 家族の日々
掃除機をかける山田 真一さん

 山田さんの夫の真一さんは妻ががんになってから掃除や料理など家事はできるだけ引き受け支えてきました。初発から5年余り。再発したかもしれないと聞かされた時、真一さんは初発の時とは違う強いショックを受けました。

山田 真一さん
 「再発ですから。すぐ先の彼女の死を頭の中から払拭することができなくて・・・。ああ、ついにきたのかと、このままだったら、あと残された時間がどんなもんだろうかと考えてしまいました」(真一さん)

 真一さんは、自分自身の不安は心の中にしまい込み、再発の恐怖におびえ涙ながらに訴える妻の言葉を受け止め続けました。
 次第に、真一さんに異変が起こり始めました。

山田 泉さん

 「夜中に起きたら、彼がじっとふとんの上に座ってた。それを多分3、4回くらい見たんじゃないかな。「真ちゃん」て声かけたら、「うん」って言うんですよ。「何しよんの」って聞いても「うん」って言うだけで。それ見た時に、あれ?っと思ったのと、あと寝てる時に汗びっしょりかいてて。その汗の量が普通じゃなかった。シーツが濡れてましたもん」(山田さん)

 真一さんは、妻に付き添われて病院に行きました。診察の結果、うつ状態と診断され安定剤と睡眠薬を処方されました。

 「ちょっと気持ちが落ち込んでるけど、すぐよくなるんじゃないかとか、何のこれしきとか、そういった気持ちの方が強かったんですけども、まず病気であるということを認識して、その上で治療しましょうと専門家の方から言われましたので、おっとっとという感じですね。私は病気なのか、ということをその時やっと認識しましたね」(真一さん)

 子供たちも、母親の病を受け止めきれずにいました。
 長男の一貴さんは去年4月京都の大学に進み、一人暮らしを始めました。新しい生活を始めて半年。母親から突然、手紙が届きました。一貴さんの目に飛び込んできたのは「再発」の二文字でした。

山田 一貴さん

 「『がんが再発しました』という部分を見て、そこから多分読まなかったですね。それ以上読むと、更に悪いことが書いてあるんじゃないかと思って。そこで手紙をしまったのを覚えてますね」(一貴さん)
  しばらくして読んだ手紙には、こう書いてありました。

私自身は残された時間をどう生きたら後悔しないか、ふと気づくと考えてしまいます。再発となると、3年くらいかなと心の中で思っています。

「俺はまず何をすべきかというのを考えて、うまい答えが見つからなかったんですよ。何か俺にもっとしてあげられることはなかったのかっていうふうに思って、これからのこととか今までのことの板挟み状態、ジレンマみたいになっちゃって」(一貴さん)

 遠く離れた場所で自分に何ができるのか、一貴さんは2ヶ月近く悩みました。そして、生まれて初めて両親にクリスマス・プレゼントを贈りました。
山田家のトイレの様子  一貴さんから突然届いたプレゼントはトイレに飾ってあります。送られてきたのは、ちょっと笑える洒落が書かれたカレンダーでした。プレゼントには、短い手紙が添えられていました。

スマイルは心、そして生きる栄養になります。このカレンダーでスマイルしてください。

 「気持ち的には非常に落ち込んでいた時期でしたので、そこにちょうど手紙とカレンダーが来ましたからね。ポッと一輪の花が咲いたような、家庭が大変明るくなったような気がして、うれしかったですよ」(真一さん)

 3月半ば、一貴さんと長女の真美さんが揃って実家に帰ってきました。久しぶりに家族4人揃った食卓。少し心が元気になった真一さんがこれまで抱え込んでいた思いを初めて子供たちに話しました。

 「今度もものすごく不安が大きいけど、初発の時はやはりね、まだみんな小さかったしね、先行き不安が大きかったね」(真一さん)
 「でも、多分おれの場合はな、うまく受け入れられんかったな。どういうことなんやろう、何て言うのか、まだ精神的に幼かったかもしれんけど」(一貴さん)
山田 真美さん  「お母さん死ぬんやと思って、この先どうなるんやろ、お父さんと3人暮らしになるんやろかと思って、すごく心が落ち込んでダメージ受けたことは覚えてる。がんイコール死やったけん」(真美さん)
山田 泉さん  「がんと言われたら即、死と思ったんやろ。でも6年たって、しかも2回やってこれやもんな。せやけん、がんイコール死ではないんだなと。がんイコール、その後どう生きるかを突き付けられる病気かなと。あまり無理せんでいい、自分の納得がいくような選び方ができたらなと」(山田さん)
山田 真美さんと 一貴さん  こうして、家族4人でじっくりとがんについて話をするのは初めてのことです。
 「一貴は成人したし、真美は高校出たから、こういう話ができるだけでもありがたい。僕としては安心なところがあるね」(真一さん)
 「がんのことを家族で話さなかったもんな」(山田さん)
 「話せなかったね」(真一さん)

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