喧騒が止むことはない酒場には、いつものごとく暴れ者の若者たちが飽きずに今日も集っていた。
「今日の冒険で活躍した」「魔人にあって殺されかけた」「パーティーメンバーに告白したら振られた」「パーティーメンバーに掘られかけた」などと嘘か真かわからない、わかる必要もない話が止め処なくいきかっている。酒の肴に事欠かない。
多くのものは顔に傷があったり、脛に傷があったり、と冒険者というチンピラに毛が生えたような若者たちばかりだが、その中で一際浮いた人物が一人、カウンター席で優雅にラム酒を飲んでいた。
いるだけで周囲を暖かくするような――柔らかな笑顔が似合うほんわかとした少女であった。服は軽装で、肌の露出がほとんどない長袖の麻の服と、レザーパンツに、鞣革の分厚いブーツ。傍には大きなズックを担いだ大きな犬が一匹座り込んでおり、その犬が少女の仲間なのだろう。
少しばかり酔っているのか、ほんのりと頬を朱に染めた少女のことを犬は上目遣いで見ながら、礼儀正しくお座りをしている。
「お嬢ちゃんは旅人かい?」
カウンターからの渋い声。
発したのは酒場の店主だ。濃いヒゲの似合う顔にゴツイ身体。古強者といって体ではあるが、人懐っこい表情を浮かべながら少女に声をかける。
困ったように少女は答える。
「ん~、旅人とは少し違うかもしれませんが、旅をしているのは事実ですね」
「そうかい。そこのワンちゃんが相棒ってわけかい?」
「頼りになる番犬ですよ。ね、ハーン」
「ウォンッ!」
犬――ハーンは元気に声を上げる。尻尾をぶんぶんと振りながら勇ましげに。
少女はにっこりと笑ってテーブルの上にある鳥の唐揚げを一つつまみ、ハーンの鼻先にぶらさげる。より一層尻尾をぶんぶん振るハーンの口元からは涎が垂れて、少しお行儀が悪いのも愛嬌だろうか。
「よしっ」
待ってました、と言わんばかりにハーンは少女の手元から鳥の唐揚げ取り、勢いよくがっついた。とても美味しそうに頬張る姿を見て、店長も笑っている。
「こりゃ良い番犬だ」
「でしょう? 自慢の犬です」
口元に手を当てて上品に笑いながら、少女は自慢げに言う。
それを見て店長も笑うが、急に真剣な表情を作り上げると、少しばかりドスの利いた低い声で、警告する。
「だけど、今日は早く帰ったほうがいい。お嬢ちゃんみたいに魅力的な女の子が夜道に何をされるかなんて、旅をしているのなら容易にわかるだろう?」
女一人の旅人。連れは犬が一匹。格好のカモである。
さらって、犯して、売って、などなど女の使い道などいくらでもある。容姿が優れているとなればさらに、だ。
「魅力的――ですか。たとえお世辞だとしても嬉しい言葉ですね。ありがとうございます」
すっ、少女の目が細まり、上目遣いに店長を見た。挑戦的な視線。
店長の心臓が早鐘を打ってしまう程度には、不意に見せられた少女の童顔には似合わない大人の色香。数瞬、なかったかのようにひまわりのような明るい笑顔に戻る。
何だったのだろうか、と思う。
「そうですね。もう日も変わる頃ですし――お勘定お願いできますか?」
よくわからない、そして二度と会うことはないであろう少女に、店長はにっこり笑顔で「まいどあり、三千Gになります」と言った。
その姿を見る、あどけない少女を見る酒場に集う暴れ者たちは、片手で数え切れない数であったことだけ追記しておく。
暗い、夜道。
先ほどまであった喧騒から離れただけで少しだけ寂しく感じる。
ブルっと震えるように縮こまりながら、少女は大通りから少しそれた細い路地を歩いていた。
――無用心。
その言葉に尽きる。
こんな時間に女の子が一人、いや、犬が一匹いるにはいる。だが、一人であるという事実に変わりはなく、襲ってくれと言わんばかりのシチュエーション。
暗く、人通りがなく、一人。
そんなチャンスを逃す若者はあまりいない。愚図の溜まり場と言われる酒場からつけてきた男たちが逃すはずがない。
ゆえに、回り込まれ、挟み撃ちを受け、少女は困ったように微笑みながらハーンを背に、男たちに対峙していた。
前に三人。後ろに二人。決して良い状況とは言えない。最悪の状況と言ってもいい。犬がいくら強かろうが、男五人を返り討ちにできるようなものではない。
それがわかっているのだろう。少女の目の前に回りこんだ男は、現状を理解させるように地面を強く踏みしめながら、手には肉厚のダガーを持ち、威嚇するように近づいていく。
「肉欲に飢えた狼が五匹で、獲物の肉は一匹。末路はどうなると思う?」
少女の後ろに控えている犬が牙を噛み締め、うなりながら抵抗の声を上げるが、関係なく男は近づいていく。少女を囲む男たち四人はにやにやと唇を歪めながらそれを見るだけだ。
下種――まさに男たちは下種だった。
これから始まる暗がりの宴を思い浮かべ、下腹部を膨張させるような妄想をを脳裏で繰り広げながら、現状を楽しむ。少女を狩ることを楽しむ。そういう下卑た快感を求めている。
男たちの妄想では、泣きながら許しを乞い、貫かれる少女の姿しか映っていない。どのように泣くのか、どのように啼くのか、それだけが問題だ。
だが――
「私、男にはうるさいんです。前もって聞かせていただきますけど、貴方たちは勇者ですか?」
「あ? 違ぇよ。勇者なんかじゃねぇ。ただの冒険者だ。それに、お前に拒否権なんて――」
「あぁ、そうですか。じゃあ、ハーン。殺していいよ」
抹殺の意志を主から伝えられた従僕は、口元を大きく歪め――
『オッケー』
くぐもった声で、確かに言った。
それからは、ただの惨劇であった。
肉厚のダガーを構えた男は首を食い千切られ、少女の目の前にいた二人の男たちは反応することすらできず、頭蓋を噛み砕かれ、腹を蹴られて内臓が潰れた。
一瞬の出来事。
それを見て逃げ出そうとした、恐怖に怯えた男二人は――あっさりと一人に減った。何故なら、逃げ出そうとした瞬間に足を切り裂かれ、頭蓋を踏み潰されたのだから。
切り裂いたのは少女の腕、踏み潰したのも少女の腕。いや、正確には腕ではあったが今は刃に変異したものと、腕はあったが今は槌に変異したものだ。
残った男はこの光景を見て、腰が砕け、座り込んだ。
「アハ、ハハハ」
虚ろな目で、壊れてしまった人形のようにカタカタと口を動かしながら、現実から逃避する。逃避しても意味などないと言うのに。
『どうする? 見られたのだから殺すのだろう?』
「別にどっちでもいいんですけど――あー、とりあえず何か知ってることでもないか聞いておきましょうか。殺すのは後でもできますし」
『わかった。俺は従うだけだ』
「では、まぁ」
座り込んでしまった、いつの間にか股間を濡らしている男の顎を蹴り上げ、少女は月明かりに照らされた、まるで天使のような温かな微笑を浮かべながら、問う。
「勇者――どこにいるか知りませんか?」
答えは、悲鳴だけだった。
◇◆◇
石造りの城。
何の装飾もされていない、砦としての機能的な美のみを追求されたそれは無骨な――そして、圧倒的な畏怖を与える佇まいである。それもそうであろう。魔物の王が住まう――魔王城と恐れられる城なのだから。
玉座に座っているのは、青白い肌をした、美貌の男。王の貫禄を発しながら、不機嫌そうに眉の付け根を揉んでいた。
眼前で安穏とした表情を浮かべながら膝をついているのは、少女と犬である。
その姿を見て、男――ディバビール=ドラゴン=プリンスは嘆息する。苛立たしげに、嘆息する。
「で、真の勇者を見つけられなかったと。そう申すか。エビルデイン=スライム=クイーン」
「はい――村三つに入り込み、皆殺しにしても出てきませんでした。仕方なく最寄の都市である――ダンジョンの商売が繁盛しているデコワシティに赴いて二ヶ月ほど探索してみたのですが、見つかりませんで――むかついたのでストレス発散に街中で何人か殺しちゃいました。指名手配されちゃってるかもしれません。いやぁ、困りました。どうしましょう」
「エビルデインよ。わらわが一番嫌いなものは知っているか?」
「存じ上げておりません!」
全くの間もなく、考える素振りもなく即答する少女――エビルデインに対し、ディバビールは心底呆れ果てるようにタメ息をしてしまうことを誰が責められようか。
「何の成果も上げられん部下がわらわは一番嫌いだ! 次期魔王になるためにはどうしても勇者の首がいる! 数少ない勇者の首がな!」
「あ、勇者の首なら――報告はしておりませんが、村勇者の首なら八個ほどあります。ハーン、お見せして」
少女は思いついたように掌を叩くと、ハーンに指示をする。
ディバビールの額に青筋が浮かぶ。実に盛り上がった青筋だ。いつ破裂してもおかしくないほどに血管が膨張している。
「ほう――村勇者ごときでわらわに満足せよ、と……そう申すか?」
抑えに抑えてもなお震える声音が部屋に響く。声に乗せられた圧威の魔力を受けるだけでも、普通の人間なら死んでしまうほどのものだ。
だが、エビルデインはケロっとしている。
「真の勇者見つけるとか無理ですって。どこにいるか情報が全くないんですもん。そりゃね。スライムはいっぱいいますよ。私もスライムの王なんて名乗ってるからにはスライムからの情報はいっぱいあります。けどね。スライムって弱いんですよ。勇者なんかと会った日には瞬殺ですよ。むしろ、そこらの街のガキにですら負けるやつもいるんですから。つまり、真の勇者が狩りをするような場所には同族はいないわけです。弱いんですから当然ですよね」
『持ってきたぞ』
指示を受けて部屋から立ち去っていたハーンは、持ってきたズックから首を八個取り出す。全部腐敗していた。
あまりの臭いにディバビールは鼻を曲げ、不快感を顕にする。それをいち早く察したハーンは首をズックに戻し、玉座の間にある窓から急いで放り捨てるが、エビルデインに「こらっ」と頭をどつかれた。部屋の片隅へと移動し、ハーンは不貞腐れて寝転んでしまった。
「で、ですね。私としましてはドデカイ首ではなく、小さな首を積み立てるほうが得意でして。なんならここらの勇者全員奪ってきましょうか? 青田刈り的なッ!」
「いらんことをするなっ! 成長するまでに刈り取ったら戦闘ジャンキーばかりの勇者監督局から文句が来る。それに村を潰しすぎるな。生かさず殺さずがわらわの信条――ではなく、早く結果出さんかっ!」
勇者監督局というものは『勇者を弱い時点で殺したら楽しめない。強くなれそうな才能のある奴は放置しようっ! そして、強くなったら楽しんでバトルしようっ!』がモットーの組織である。ディバビールからすれば理解できない考えだ。脅威になる前に殺せばいいだろう。それにはエビルデインも激しく同意する。無視なんて余裕でしよう。
無視した結果が腐った首が八個なわけだが。窓から飛び去っていった首八個。
「いやぁ――適材適所ってものがあると思うんですよ。ほら、私って見た目の通り可憐でしょう? 力仕事や肉体労働は苦手でして」
立ち上がり、己のキューティクルを見せ付けるエビルデイン。
「黙っていろ、軟体動物」
「ひどっ!」
だが、一言で斬って捨てられた。
あくまで身体を変異させて人間の少女のように振舞っているだけで、もとはスライム。でかいスライムでしかない。ゼリー状のスライムでしかないのだ。
可憐などとは程遠い。
『あながち間違っていないだろう』
「飼い犬に手を噛まれたっ!」
先ほど空気を読めなかった主に怒られたハーンはぼそっと呟く。エビルデインは孤立した。
酷く困惑して、ショックを受けているエビルデインの仕草をつぶさに観察し、多少は溜飲を下げたディバビールが笑みを浮かべながらエビルデインに提案する。
「で、だ。こんな情報がある」
「私に不都合な情報ではない限り拝聴したく思いますが、不都合であった場合、私の耳は著しく能力が下方修正されます。閣下のにやついた表情から鑑みるに、きっと不都合ですよね……私をイジメて楽しいんですか?」
楽しい、とその顔が無言で物語っていた。
「くくく、良い情報だぞ。真の勇者のありかはわからんが、我が兄が最近新しくダンジョンを製作したようでな。そのデコワシティとやらに作ったらしい。人間たちも発見して、いろいろと人材派遣されているらしい。わかるな?」
「わからないです。わかりたくないです」
「勇者を探しながらダンジョンへ潜り、我が兄のダンジョンを叩き潰せ。経営不振に陥らせろ」
ちなみにダンジョンの経営利益は人間の死体である。生きているままでも利益になるが。
死体であったならば人間の死体から練成して核を作る。これが美味しいと評判で、魔界では美食部門第一位を堂々の三十五年連続制覇している。
美容にも良く、万病に効くという至れりつくせりのものなのだ。
ちなみに生きていたら人間スキー専門の店に売り飛ばされたりすることになる。たまに魔改造されるものもいるが。
強ければ強いほど、美しければ美しいほど魔改造にも、核にも役に立つ人間となる。だから、ダンジョンには多くの財宝が隠されていたりするのだ。愚かな人間を呼び寄せるために。
その人間を倒すために多くの魔物が配置される。そして、最下層にはダンジョンの動力源があり、それを壊されるとダンジョンは立ち行かなくなり、閉鎖される。
それを壊せば晴れて真の勇者になれるわけだが……。
「同族殺しですかっ! 大罪ですよ、それっ!」
今、エビルデインに求められていることは一つ。要するに魔物を殺して、最下層に辿り着き、動力源を壊して来い、とそういうことなのだ。間違いなく犯罪である。バレたら言い訳の余地なく一族郎党皆殺しだ。
エビルデインの場合、世界全土で生息しているスライムも全員一族なので、スライムという種族が立ちいかなくなる。責任重大な立場である。そんな罪を犯せるはずもない。
「あぁ、今日は死ぬには良い天気だ。ハーン、お前もそう思うだろう?」
『はい。実に良い天気です。死を祝福するかのような安穏とした曇り空が実に美しい』
だが、命が懸かったというのなら――どうなるのだろう。
「ハーン、裏切る気ですかっ!」
『俺は強い者の味方だ』
「裏切る気だっ!」
部下には裏切られ、上司には脅される。
中間管理職の悲しさである。
「で、どうする。エビルデインよ……選択肢は二つだ。わらわの玩具になるか。バレないように上手く罪を犯すか。どちらにする? ちなみに前者を選ぶなら苦しんで、苦しみぬいて、何年もかけてじっくりねっぷり生かさず殺さず、じわじわと死へ導いてやるつもりだが……」
「我が忠誠は閣下とともに!」
「うむ、実に良い返事だ。これからもわらわに尽くせよ」
「ハハァッ!」
エビルデインは思った。
ぜってーぶっ殺してやるこのクソ王子、と。