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[19034] 主人公はスライムクイーン 【ダンジョンもの】
Name: ビビ◆12746f9b ID:e6025cc7
Date: 2010/05/25 21:55
 喧騒が止むことはない酒場には、いつものごとく暴れ者の若者たちが飽きずに今日も集っていた。
 「今日の冒険で活躍した」「魔人にあって殺されかけた」「パーティーメンバーに告白したら振られた」「パーティーメンバーに掘られかけた」などと嘘か真かわからない、わかる必要もない話が止め処なくいきかっている。酒の肴に事欠かない。
 多くのものは顔に傷があったり、脛に傷があったり、と冒険者というチンピラに毛が生えたような若者たちばかりだが、その中で一際浮いた人物が一人、カウンター席で優雅にラム酒を飲んでいた。
 いるだけで周囲を暖かくするような――柔らかな笑顔が似合うほんわかとした少女であった。服は軽装で、肌の露出がほとんどない長袖の麻の服と、レザーパンツに、鞣革の分厚いブーツ。傍には大きなズックを担いだ大きな犬が一匹座り込んでおり、その犬が少女の仲間なのだろう。
 少しばかり酔っているのか、ほんのりと頬を朱に染めた少女のことを犬は上目遣いで見ながら、礼儀正しくお座りをしている。

「お嬢ちゃんは旅人かい?」

 カウンターからの渋い声。
 発したのは酒場の店主だ。濃いヒゲの似合う顔にゴツイ身体。古強者といって体ではあるが、人懐っこい表情を浮かべながら少女に声をかける。
 困ったように少女は答える。

「ん~、旅人とは少し違うかもしれませんが、旅をしているのは事実ですね」
「そうかい。そこのワンちゃんが相棒ってわけかい?」
「頼りになる番犬ですよ。ね、ハーン」
「ウォンッ!」

 犬――ハーンは元気に声を上げる。尻尾をぶんぶんと振りながら勇ましげに。
 少女はにっこりと笑ってテーブルの上にある鳥の唐揚げを一つつまみ、ハーンの鼻先にぶらさげる。より一層尻尾をぶんぶん振るハーンの口元からは涎が垂れて、少しお行儀が悪いのも愛嬌だろうか。

「よしっ」

 待ってました、と言わんばかりにハーンは少女の手元から鳥の唐揚げ取り、勢いよくがっついた。とても美味しそうに頬張る姿を見て、店長も笑っている。

「こりゃ良い番犬だ」
「でしょう? 自慢の犬です」

 口元に手を当てて上品に笑いながら、少女は自慢げに言う。
 それを見て店長も笑うが、急に真剣な表情を作り上げると、少しばかりドスの利いた低い声で、警告する。

「だけど、今日は早く帰ったほうがいい。お嬢ちゃんみたいに魅力的な女の子が夜道に何をされるかなんて、旅をしているのなら容易にわかるだろう?」

 女一人の旅人。連れは犬が一匹。格好のカモである。
 さらって、犯して、売って、などなど女の使い道などいくらでもある。容姿が優れているとなればさらに、だ。

「魅力的――ですか。たとえお世辞だとしても嬉しい言葉ですね。ありがとうございます」

 すっ、少女の目が細まり、上目遣いに店長を見た。挑戦的な視線。
 店長の心臓が早鐘を打ってしまう程度には、不意に見せられた少女の童顔には似合わない大人の色香。数瞬、なかったかのようにひまわりのような明るい笑顔に戻る。
 何だったのだろうか、と思う。

「そうですね。もう日も変わる頃ですし――お勘定お願いできますか?」

 よくわからない、そして二度と会うことはないであろう少女に、店長はにっこり笑顔で「まいどあり、三千Gになります」と言った。
 その姿を見る、あどけない少女を見る酒場に集う暴れ者たちは、片手で数え切れない数であったことだけ追記しておく。



 暗い、夜道。
 先ほどまであった喧騒から離れただけで少しだけ寂しく感じる。
 ブルっと震えるように縮こまりながら、少女は大通りから少しそれた細い路地を歩いていた。

 ――無用心。

 その言葉に尽きる。
 こんな時間に女の子が一人、いや、犬が一匹いるにはいる。だが、一人であるという事実に変わりはなく、襲ってくれと言わんばかりのシチュエーション。
 暗く、人通りがなく、一人。
 そんなチャンスを逃す若者はあまりいない。愚図の溜まり場と言われる酒場からつけてきた男たちが逃すはずがない。
 ゆえに、回り込まれ、挟み撃ちを受け、少女は困ったように微笑みながらハーンを背に、男たちに対峙していた。
 前に三人。後ろに二人。決して良い状況とは言えない。最悪の状況と言ってもいい。犬がいくら強かろうが、男五人を返り討ちにできるようなものではない。
 それがわかっているのだろう。少女の目の前に回りこんだ男は、現状を理解させるように地面を強く踏みしめながら、手には肉厚のダガーを持ち、威嚇するように近づいていく。

「肉欲に飢えた狼が五匹で、獲物の肉は一匹。末路はどうなると思う?」

 少女の後ろに控えている犬が牙を噛み締め、うなりながら抵抗の声を上げるが、関係なく男は近づいていく。少女を囲む男たち四人はにやにやと唇を歪めながらそれを見るだけだ。
 下種――まさに男たちは下種だった。
 これから始まる暗がりの宴を思い浮かべ、下腹部を膨張させるような妄想をを脳裏で繰り広げながら、現状を楽しむ。少女を狩ることを楽しむ。そういう下卑た快感を求めている。
 男たちの妄想では、泣きながら許しを乞い、貫かれる少女の姿しか映っていない。どのように泣くのか、どのように啼くのか、それだけが問題だ。
 だが――

「私、男にはうるさいんです。前もって聞かせていただきますけど、貴方たちは勇者ですか?」
「あ? 違ぇよ。勇者なんかじゃねぇ。ただの冒険者だ。それに、お前に拒否権なんて――」
「あぁ、そうですか。じゃあ、ハーン。殺していいよ」

 抹殺の意志を主から伝えられた従僕は、口元を大きく歪め――

『オッケー』

 くぐもった声で、確かに言った。
 それからは、ただの惨劇であった。
 肉厚のダガーを構えた男は首を食い千切られ、少女の目の前にいた二人の男たちは反応することすらできず、頭蓋を噛み砕かれ、腹を蹴られて内臓が潰れた。
 一瞬の出来事。
 それを見て逃げ出そうとした、恐怖に怯えた男二人は――あっさりと一人に減った。何故なら、逃げ出そうとした瞬間に足を切り裂かれ、頭蓋を踏み潰されたのだから。
 切り裂いたのは少女の腕、踏み潰したのも少女の腕。いや、正確には腕ではあったが今は刃に変異したものと、腕はあったが今は槌に変異したものだ。
 残った男はこの光景を見て、腰が砕け、座り込んだ。

「アハ、ハハハ」

 虚ろな目で、壊れてしまった人形のようにカタカタと口を動かしながら、現実から逃避する。逃避しても意味などないと言うのに。

『どうする? 見られたのだから殺すのだろう?』
「別にどっちでもいいんですけど――あー、とりあえず何か知ってることでもないか聞いておきましょうか。殺すのは後でもできますし」
『わかった。俺は従うだけだ』
「では、まぁ」

 座り込んでしまった、いつの間にか股間を濡らしている男の顎を蹴り上げ、少女は月明かりに照らされた、まるで天使のような温かな微笑を浮かべながら、問う。

「勇者――どこにいるか知りませんか?」

 答えは、悲鳴だけだった。
 
  
 
 ◇◆◇



 石造りの城。
 何の装飾もされていない、砦としての機能的な美のみを追求されたそれは無骨な――そして、圧倒的な畏怖を与える佇まいである。それもそうであろう。魔物の王が住まう――魔王城と恐れられる城なのだから。
 玉座に座っているのは、青白い肌をした、美貌の男。王の貫禄を発しながら、不機嫌そうに眉の付け根を揉んでいた。
 眼前で安穏とした表情を浮かべながら膝をついているのは、少女と犬である。
 その姿を見て、男――ディバビール=ドラゴン=プリンスは嘆息する。苛立たしげに、嘆息する。

「で、真の勇者を見つけられなかったと。そう申すか。エビルデイン=スライム=クイーン」
「はい――村三つに入り込み、皆殺しにしても出てきませんでした。仕方なく最寄の都市である――ダンジョンの商売が繁盛しているデコワシティに赴いて二ヶ月ほど探索してみたのですが、見つかりませんで――むかついたのでストレス発散に街中で何人か殺しちゃいました。指名手配されちゃってるかもしれません。いやぁ、困りました。どうしましょう」
「エビルデインよ。わらわが一番嫌いなものは知っているか?」
「存じ上げておりません!」

 全くの間もなく、考える素振りもなく即答する少女――エビルデインに対し、ディバビールは心底呆れ果てるようにタメ息をしてしまうことを誰が責められようか。

「何の成果も上げられん部下がわらわは一番嫌いだ! 次期魔王になるためにはどうしても勇者の首がいる! 数少ない勇者の首がな!」
「あ、勇者の首なら――報告はしておりませんが、村勇者の首なら八個ほどあります。ハーン、お見せして」

 少女は思いついたように掌を叩くと、ハーンに指示をする。
 ディバビールの額に青筋が浮かぶ。実に盛り上がった青筋だ。いつ破裂してもおかしくないほどに血管が膨張している。

「ほう――村勇者ごときでわらわに満足せよ、と……そう申すか?」

 抑えに抑えてもなお震える声音が部屋に響く。声に乗せられた圧威の魔力を受けるだけでも、普通の人間なら死んでしまうほどのものだ。
 だが、エビルデインはケロっとしている。

「真の勇者見つけるとか無理ですって。どこにいるか情報が全くないんですもん。そりゃね。スライムはいっぱいいますよ。私もスライムの王なんて名乗ってるからにはスライムからの情報はいっぱいあります。けどね。スライムって弱いんですよ。勇者なんかと会った日には瞬殺ですよ。むしろ、そこらの街のガキにですら負けるやつもいるんですから。つまり、真の勇者が狩りをするような場所には同族はいないわけです。弱いんですから当然ですよね」
『持ってきたぞ』

 指示を受けて部屋から立ち去っていたハーンは、持ってきたズックから首を八個取り出す。全部腐敗していた。
 あまりの臭いにディバビールは鼻を曲げ、不快感を顕にする。それをいち早く察したハーンは首をズックに戻し、玉座の間にある窓から急いで放り捨てるが、エビルデインに「こらっ」と頭をどつかれた。部屋の片隅へと移動し、ハーンは不貞腐れて寝転んでしまった。

「で、ですね。私としましてはドデカイ首ではなく、小さな首を積み立てるほうが得意でして。なんならここらの勇者全員奪ってきましょうか? 青田刈り的なッ!」
「いらんことをするなっ! 成長するまでに刈り取ったら戦闘ジャンキーばかりの勇者監督局から文句が来る。それに村を潰しすぎるな。生かさず殺さずがわらわの信条――ではなく、早く結果出さんかっ!」

 勇者監督局というものは『勇者を弱い時点で殺したら楽しめない。強くなれそうな才能のある奴は放置しようっ! そして、強くなったら楽しんでバトルしようっ!』がモットーの組織である。ディバビールからすれば理解できない考えだ。脅威になる前に殺せばいいだろう。それにはエビルデインも激しく同意する。無視なんて余裕でしよう。
 無視した結果が腐った首が八個なわけだが。窓から飛び去っていった首八個。

「いやぁ――適材適所ってものがあると思うんですよ。ほら、私って見た目の通り可憐でしょう? 力仕事や肉体労働は苦手でして」

 立ち上がり、己のキューティクルを見せ付けるエビルデイン。

「黙っていろ、軟体動物」
「ひどっ!」

 だが、一言で斬って捨てられた。
 あくまで身体を変異させて人間の少女のように振舞っているだけで、もとはスライム。でかいスライムでしかない。ゼリー状のスライムでしかないのだ。
 可憐などとは程遠い。

『あながち間違っていないだろう』
「飼い犬に手を噛まれたっ!」

 先ほど空気を読めなかった主に怒られたハーンはぼそっと呟く。エビルデインは孤立した。
 酷く困惑して、ショックを受けているエビルデインの仕草をつぶさに観察し、多少は溜飲を下げたディバビールが笑みを浮かべながらエビルデインに提案する。

「で、だ。こんな情報がある」
「私に不都合な情報ではない限り拝聴したく思いますが、不都合であった場合、私の耳は著しく能力が下方修正されます。閣下のにやついた表情から鑑みるに、きっと不都合ですよね……私をイジメて楽しいんですか?」

 楽しい、とその顔が無言で物語っていた。

「くくく、良い情報だぞ。真の勇者のありかはわからんが、我が兄が最近新しくダンジョンを製作したようでな。そのデコワシティとやらに作ったらしい。人間たちも発見して、いろいろと人材派遣されているらしい。わかるな?」
「わからないです。わかりたくないです」
「勇者を探しながらダンジョンへ潜り、我が兄のダンジョンを叩き潰せ。経営不振に陥らせろ」

 ちなみにダンジョンの経営利益は人間の死体である。生きているままでも利益になるが。
 死体であったならば人間の死体から練成して核を作る。これが美味しいと評判で、魔界では美食部門第一位を堂々の三十五年連続制覇している。
 美容にも良く、万病に効くという至れりつくせりのものなのだ。
 ちなみに生きていたら人間スキー専門の店に売り飛ばされたりすることになる。たまに魔改造されるものもいるが。
 強ければ強いほど、美しければ美しいほど魔改造にも、核にも役に立つ人間となる。だから、ダンジョンには多くの財宝が隠されていたりするのだ。愚かな人間を呼び寄せるために。
 その人間を倒すために多くの魔物が配置される。そして、最下層にはダンジョンの動力源があり、それを壊されるとダンジョンは立ち行かなくなり、閉鎖される。
 それを壊せば晴れて真の勇者になれるわけだが……。

「同族殺しですかっ! 大罪ですよ、それっ!」

 今、エビルデインに求められていることは一つ。要するに魔物を殺して、最下層に辿り着き、動力源を壊して来い、とそういうことなのだ。間違いなく犯罪である。バレたら言い訳の余地なく一族郎党皆殺しだ。
 エビルデインの場合、世界全土で生息しているスライムも全員一族なので、スライムという種族が立ちいかなくなる。責任重大な立場である。そんな罪を犯せるはずもない。

「あぁ、今日は死ぬには良い天気だ。ハーン、お前もそう思うだろう?」
『はい。実に良い天気です。死を祝福するかのような安穏とした曇り空が実に美しい』

 だが、命が懸かったというのなら――どうなるのだろう。

「ハーン、裏切る気ですかっ!」
『俺は強い者の味方だ』
「裏切る気だっ!」

 部下には裏切られ、上司には脅される。
 中間管理職の悲しさである。

「で、どうする。エビルデインよ……選択肢は二つだ。わらわの玩具になるか。バレないように上手く罪を犯すか。どちらにする? ちなみに前者を選ぶなら苦しんで、苦しみぬいて、何年もかけてじっくりねっぷり生かさず殺さず、じわじわと死へ導いてやるつもりだが……」
「我が忠誠は閣下とともに!」
「うむ、実に良い返事だ。これからもわらわに尽くせよ」
「ハハァッ!」

 エビルデインは思った。
 ぜってーぶっ殺してやるこのクソ王子、と。





[19034] 1.ヒロインのあるべき姿
Name: ビビ◆12746f9b ID:e6025cc7
Date: 2010/05/25 19:50
 魔王城の財宝部屋から装備が一つ、なくなっていた。刀身が小柄な女性ほどもある業物【斬魔刀】である。
 盗んだのは誰かはわからず、魔王城は騒然となっていたが、ディバビールだけは犯人が誰かわかっている。

「クソスライムめ――結果を出せなかったらどうなるか覚えておれよ。うんこ味のゼリーになるように生体合成計画を立案してやる」

 ちょっとした悪戯のつもりでやったことなのに自分の首を盛大に絞めたことをエビルデインは気づいていなかった……。




 








 主人公はスライムクイーンッ!
   
                             作者:ビビ




 








 デコワシティ。
 フィール帝国で王都であるフィールシティの次に大きいと言われる都市である。
 物資の流通となる交易路の中心にある。デコワシティで買えないものはない、と言われるほどの物資量だ。それに、数多くのダンジョンを保有しているおかげで田舎から出てくる若者たちは真っ先に夢を追うためにデコワシティへ来る。若者の多くの夢は【真の勇者】という名誉ある称号を手に入れることなのだから。
 そのための装備を整えられる場所であり、そのためのダンジョンがある。デコワシティはいろんな意味で品揃えの良い都市だった。
 あらゆる種族が大通りを闊歩し、あらゆる商品が露店商と客の間で商売される。活気のある街だった。

「またここに来るハメになるとは――来たくなかったです。家に引きこもって書物を読み漁りたかったんです……」
『何か新刊でもあったか?』
「ふふ、情報不足ですね、ハーン。無知な貴方に偉大な私が教えてあげましょう。なんとですよ。魔界屈指のBL小説家であるマタニティブルー様が新刊を出したのですっ! その名も『先輩と僕の淫らな同棲生活』ですよっ! 僕っ子ですよ。そそるでしょうっ!?」
『盛り上がっているところすまないが、男同士の絡みに興味はなくてな』
「一度読んでみるべきです。はまりますよ」
『何度もお前に読まされたが、未だに良さがわからんよ……』

 エビルデインとハーンは堂々と喋りながら街中を歩いていた。
 嬉々として犬と喋る少女は実に浮いている――わけもなく、自然と溶け込んでいた。何故なら、魔物を飼っているものも珍しくはあるが、決して皆無ではないからだ。
 ダンジョンに潜る冒険者の中には【魔物使い】という職種もある。魔物を使役して敵を屠るというもの。エビルデインはそう見えるのだろう。実際はエビルデインも魔物なので【魔物使い】ではないのだが。

『で、これからどうするんだ?』

 唐突にハーンは問う。
 ふむ、と首を傾げてエビルデインは考え込んでしまう。実のところ何も考えていなかったのだ。

「仕事せずに一ヶ月ニート生活、といきたいのですが、そんなことをしたら職務放棄で折檻されますしね。クソ王子――失礼、噛みました。ディバビール閣下の命令通り、兄上であらせられるタイクーン閣下のダンジョンを潰さなければならないでしょう」
『バレたら死刑か。俺の一族もやられてしまうのだろうか』
「ガルムは――どうでしょうね。貴方の場合は既に一族から追放されて私に売り飛ばされたわけですし、大丈夫でしょう」
『つまらないな』

 ハーンの本名はハーン=ガルム=ウォリアー。ガルムの戦士であるハーンという意味合いになる。だが、今の名前は、ハーン=エビルデイン=スレイブとなる。エビルデインの奴隷であるハーンという意味合いだ。
 実際のところは奴隷というほど扱いは酷くなく、ただの友達のような現状ではある。だが、建前上は奴隷という項目に当てはめられる。
 もともとスライムという種族は上下関係が希薄なのだが、さらにエビルデインはそういうことに無頓着なのだ。それに、エビルデインとハーンは妙に気が合った。それが原因で今のように友達になってしまったのだ。
 ハーンは思う。こいつに買われてよかった、と。
 たまに反抗期のようにくだらないことを言ったりもするが、実際にエビルデインの命が危うくなったならハーンは躊躇なく己の命を使う覚悟がある。その程度には感謝していたし、エビルデインのことを想っていた。
 想っているということを絶対に悟られるつもりはないが。


「大丈夫です。私の一族が危うくなったら、一族全員に命令してガルム狩りをしますよ。数の暴力で圧倒できるでしょう」

 ハーンが売られた原因は多くあるが、一番の理由は一つ。毛皮が黒いのだ。
 普通のガルムは蒼い毛皮をしているのだが、ハーンは黒い。そして、排他しようとしてもハーンは強かった。強すぎた。
 そのせいで、ハーンは売られたのだ。
 かといって、ハーンは別にガルムの一族を恨んでいるわけでもない。

『そうならないことを祈る。で、計画としてはどうするんだ? お前がダンジョンの動力部を潰してしまったら【真の勇者】に認定されてしまうぞ?』
「困りますね。魔界で賞金首になってしまいます。星何個かけられるんでしょうね」
『【真の勇者】は無差別で星一個だろう?』
「うへ、絶対に狙われる。私ですら星六個だというのに……星が欲しいなぁ」

 長袖をめくってエビルデインは腕を見る。そこにはエビルデインの細腕には似合わない大きなブレスレットが嵌められていた。
 ブレスレットの中には色とりどりの宝玉が埋められており、計六個。これが星といわれるものだ。
 多ければ多いほど魔物としての価値があがるという――一種のステータスのようなものだ。一番多いものは星が十個の魔輝星と呼ばれる位だ。現魔王である。
 星が多くなればなるほど星をもらえる基準は厳しくなり、ゆえに“無差別で一個”というのは破格の条件なのだ。故に【真の勇者】の需要は高いが、困ったことに【真の勇者】を生み出すためにはダンジョンを潰す必要がある。ダンジョン製作は下手をすれば国が傾くほどの経費がかかるので、防備は完璧に近い。
 だから、【真の勇者】の数は少ない。

『俺なんか星2個だぞ。いい加減功績をよこしてくれてもいいだろう』
「今はまだいらないでしょう。さて、計画としては、そこらのギルドに所属してパーティーメンバーを募るということになるでしょう。で、パーティメンバーを【真の勇者】に仕立て上げて、殺して、星ゲットして、意気揚々と帰る。ばっちりです」
『ほう、それで七輝星になるつもりか』
「いえ、ディバビール閣下に献上しないとダメでしょう。折檻されちゃいますし」

 ブルッと震える仕草を見せるエビルデイン。本気で怖がっているようだ。

『ふむ、ではギルドで向かうということか?』
「えぇ、その前に火の粉を振り払う必要がありますね。人間というものは本当に年がら年中発情期ですね。困りました」

 現在、エビルデインは暗がりの小道を歩いている。ギルド通りと呼ばれる場所はこの道が一番近道なのだ。伊達に二ヶ月も探索をしていない。
 こういうところを通るということは人だかりがなくなるということであり、襲われやすいという特典もついてくるから、女一人で通るということは普通はないのだが――エビルデインは普通ではない。

「そこな美しいお嬢さん。俺たちと一緒に遊ばない?」
「イカせてやるぜ?」

 そう言って背後から近づいてくるのは、どこにでもいそうな軟派な男――ではなく、明らかに場慣れしている屈強の男だ。
 鍛え抜かれているのであろう、絞り込んだ身体に無駄な部分はなく、それだけで強いということがわかる。
 だが、エビルデインとハーンは焦ることなどない。

『使うか?』

 ハーンはズックから大降りの太刀を取り出そうとする。魔王城からパクってきた業物【斬魔刀】だ。
 本来ならこんなものを必要としないのだが、生憎、エビルデインにとってはとてつもなく大きな制約がある。

「武器なんて使ったことないんですけどね。変異したら人間じゃないってバレますし、使いますか。力試しをしたいので、ハーンは大人しくしててくださいね」
『わかった』

 そう言って取り出そうとしたのだが、その必要がなくなったことをハーンは悟った。
 さっさと出してよ、と言わんばかりにハーンを見るエビルデインであるが、エビルデインもわかってしまった。あぁ、そうか、と。

「おいおい、いたいけな女の子を甚振るのはよくねえだろ?」

 そう言って出てきたのはグレートソードを背に持つ美麗な剣士であった。
 歩き方一つを見ただけで、絡んできた男二人とは戦士としての質が違うことが容易にわかる。とてつもなく、強い。その事実を気づけない哀れな男たちではあった。

「うっせーな。テメェ! ちょっと格好良いからって何を他人の獲物を奪おうとしてんだよっ!」
「ぶっ殺してやる!」

 短気すぎるだろ、とエビルデインが突っ込んでしまいそうになるほどにあっさりと剣を抜く男二人。
 いつでも対応できる程度には緊張感を高めておくが、それも杞憂であった。
 何故なら、剣を抜いた瞬間に男二人の剣の刃がへし折られたのだから。美麗な剣士の手によって。

(速いですね)

 魔物でも高位であるエビルデインですら、体さばきを肉眼でとらえることができなかった。

「まだ、やる?」

 男二人の首にグレートソードの刃を当てながら、低い声で剣士は問う。
 返事はなく、男二人は急いで立ち去っていった。
 それを見送ると、剣士はグレートソードを背に戻し、にっこりと笑って、腰ほどまである蜂蜜色の髪をかきあげて、実に格好よくエビルデインに話しかけた。

「大丈夫? こんなところで可愛い女の子が一人で歩くものじゃないよ。そうだ、俺が護衛をしてあげようっ!」

 冒険譚に出てくるようなヒロインを助けるヒーロー。まさにその鏡といえる登場の仕方にエビルデインは苦笑する。ハーンも少し笑いを抑えている。

「はい。ありがとうございます。えっと……」

 エビルデインが探るように剣士のほうを上目遣いで見る。
 剣士はエビルデインが何を言おうとしているか気づいたようで――

「失礼。俺の名前はアルス。アルス=レイクリッド。見ての通りしがない剣士なんかしている。君は?」

 見ての通りしがない剣士。
 エビルデインとハーンはその言葉に少しばかり疑問を持つ。
 アルスの持つグレートソードはある紋様が書き込まれており、何かしらの属性付加などをされているのだがわかる。これはとても金がかかるのだ。普通の剣士ではそんなことをできる金があるはずもない。
 装備もそう。軽装の上に革の胸当てをつけているだけのように見えるが、見るものが見ればわかる。革は高位の魔物――おそらくはケルベロスなどの高位の魔物の毛皮を使っている。それに、軽装の服だってそうだ。魔法繊維が縫い付けられており、魔法耐性も高そうだ。並の剣士ではない。
 気づいた素振りをみせずに、エビルデインはポーカーフェイスをする。

「あ、はい。私はエビルデインです。こっちは――」
『ハーンだ』
「ほう、魔物使いだったのか。じゃあいらぬ世話だったのかな? そのズックから何か取り出して戦おうとしていたみたいだし……」

 ズックの大きさは実に小さいのだが、その中は異空間に繋がっているという代物。
 重さは変わらないので、重いものを入れれば際限なく重量が増していく。
 その中から武器を取り出そうとしているのをアルスは気づいていた。

「いえいえ、そんなことはないですよ。助かりました。それに、女の子としては貴方のような美しい男性に助けられるというのはロマンですしね」
「そうかい? そりゃ嬉しいなぁ。で、行き先はどこなのかな?」
「初心者でも所属できるギルドを探していまして」
「そりゃまた何で?」

 そう聞くのは当然だろう。女でギルド所属しようとするものは少ない。なりたい職業は『お嫁さん』がNo.1なのだ。

「新しく発見されたダンジョンに入りたいんですよ」
「へぇ? 女の子で珍しいね。それならあっちにあるギルドがいい。『ディコルグの館』っていうんだけどね。そこで試験を受けて入ってみるといい。試験に落ちたら入れないけどね」
「そうですか。では、案内お願いしますね」
「試験内容は聞かないのかい?」

 きょとんとした表情でエビルデインが聞き返す。

「どうせ受かるのに聞く意味はあるんですか?」

 当然のように言った言葉は実力に裏打ちされたものだ。
 エビルデインは強い。普通の人間とは比較にならないほどに。仮にもスライムの王なのだから。
 今の見た目がか弱い少女でしかないのだが。
 ギャップにアルスは噴出してしまう。

「ぷっ、くく、すごい自信だ。それだけそこの犬――失礼。ハーンに頼り甲斐があるということかな?」
『それは違うだろう。エビルデインの無駄な自信は自前だ。ポジティブなんでな』
「実力と言ってよ。無駄な自信じゃなく、私自身の実力です。腕に覚えがあるのですよ」
「へぇ、そりゃ楽しみだ。俺と同じランクになったらパーティでも組んでくれよ」

 アルスにとっては掛け値ない本音だったりする。
 この女の子と一緒にダンジョンに潜るのは楽しそうだ、と素直にそう思った。
 満面の笑みでエビルデインも「そのときはお願いします」と答える。

「では、案内お願いしますね」
「おうよ」

 こうして魔物二匹はあっさりと都市の中へと進入し、ギルドの中へと入っていくことになる。
 空は、快晴だった。



[19034] 2.試験という名の遊戯
Name: ビビ◆12746f9b ID:e6025cc7
Date: 2010/05/25 19:50
 通常、ギルドを選ぶ場合は大きく分けて二つの選択肢がある。
 ギルドに所属する料金が高いが、所属しているメンバーは良質である。もう一つは、ギルドに所属する料金は安いが、所属しているメンバーの質は不明である。
 つまり、安全を金で買うか、買わないか、ということになるわけだが――『ディコルグの館』は後者であった。
 安い。とてつもなく安いのだ。所属料金が。
 なんと所属する一年の料金が1万Gもしないのだ。これは破格である。そこらの飲食店で働くウェイターの三日分の給料くらいでしかない。つまり、質としては押して知るべしなのだが――エビルデインは全く気にしていなかった。気にするとすればそう――見くびられているという現状である。

「お前みたいなガキが冒険者になる? 寝言は永眠してから言えよ、チビっ子。お前じゃ試験を受ける資格すらねーよ」

 内装としては落ち着いた雰囲気である。
 そこらの酒場などよりも余程掃除されているのだろう。テーブル席も多く、それらには傷跡がほとんどない。まばらに座る冒険者であろう人影たちも、性格が悪そうなものが多いが、それでもおとなしく座って本を読んでたり、荷物の整頓をしていたりと行儀良くしている。
 それだけギルドマスターの管理が行き届いているというわけなのであろうが――管理の仕方はきっと恐怖政治だ、とエビルデインは確信した。

「いくら俺がイケメンだからって見つめても何も変わりはしねえよ。さぁ、帰った帰った」

 強面という言葉がこれほど相応しい男はいないだろう。壮年であろう髭を多く蓄えた禿頭の男。それほど低くはない天井に届きそうなほどの身長の上にある頭は見事な禿頭で、片目には大きな傷跡がある。間違いなく元冒険者であろうことが伺える。
 そんな男が今、エビルデインを見下しながら不合格のサインを出した。いらっとして腕が武器に変異するのを抑えるのに必死である。

「それはあんまりだろ、マスター。あんまりなのはマスターの輝く禿頭だけで十分だよ。いいじゃないか、試験くらい。受けさせてやりなよ」

 チャンスすら与えられないエビルデインを見かねて、後ろで黙って見ていたアルスも口添えするが、ハーンはアルスの横で欠伸をかみ殺しながらやる気なさそうに寝転んでいるだけだった。
 カウンターから見ているディコルグはハーンに輪をかけてやる気なさげだ。タメ息を吐き、仕方なく口を開いている様は至極面倒くさそうだ。

「アルス――お前だって冒険者だ。わかるだろう? ダンジョンはこんなガキが踏破できるものじゃねぇんだよ」

 ディコルグだって意地悪をしているわけではないのだ。
 単純に、エビルデインという少女の身を案じて言っているのだ。
 傷跡のない綺麗な顔や身体は戦いに向いているようには見えない。そして、ほんわかとした緊張感のない顔立ちも、決して修羅場を潜り抜けてきた戦士がしている顔ではない。
 そんな細腕で何ができる。魔術師でも力はいるのだ。それに、弱い女はパーティーメンバーに剥かれることだってある。女が弱いという事実は許されないのだ。特に『ディコルグの館』のような無法者が多いギルドでは。

「でも、彼女は『魔物使い』だ。それに自身にも武芸の心得があるみたいなことを言っていたし、試験くらい受けさせてもいいだろう? 試験で死にそうになったら俺が助けるからさ」

 しかし、アルスは必死に言い返す。
 それを見て相変わらずだな、とディコルグは呆れ果てる。人が良すぎる、と。

「お前はいつだってそうだ。だから女に騙される。甘いんだよ」
「辛いのは嫌いでね」
「そういう意味じゃねぇよ……はぁ、仕方ねぇな。ガキ、一度だけ受けさせてやる。二度とチャンスはねぇからな」

 やらせるつもりなどなかったが、アルスの熱意に押されて受けさせる形になってしまったことをディコルグは後悔してしまう。
 だが、その後悔は一瞬で消え去った。

「はぁ、一度で通るんで別に構いません」

 柔らかな印象を受ける顔立ちと小柄な身体から出されたとは思えない自信ある言葉。
 自分が落ちるなどありえない、と考えていることは確信を秘めた目を見ればわかる。
 こんな戦闘すらしたことがないようなガキがしていいような目ではない。生意気な、とディコルグは思う。

「……良い度胸だ」
「あまり褒めないでください」

 褒めたつもりはない。

「奥で試験をする。試験内容は俺たちギルドが飼ってる魔物を倒せるかどうかだ」
「わかりました」
「そこの犬っころもついてこい。お前が戦うんだろう?」
『いや、戦うのはエビルデインだけだ。そうだろう?』
「えぇ、ハーンは見ているだけでいいですよ」

 寝転んだまま視線だけディコルグに向けて言うハーンを見て、ディコルグは少し驚いた。
 言語を操る魔物を従える少女――それなりの腕がないとそんなことはできない。雑魚ではないようだ。

「犬っころ――喋れるのか。なるほど、それなりの魔物を連れているってわけか。ふん、どうやら資格はあるみたいだな」
「まぁそれなりに」
「頑張れよー! 一緒にパーティー組もうなっ!」
「はい、楽しみですね」
「先に試験だよ、クソガキッ!」

 はいはい、と締まりなくエビルデインは返事をし、ハーンが背負うズックを取り上げて、意気揚々とディコルグの後をついていった。
 行く先はカウンターの奥にある部屋。魔物が飼われる試験場……。




 








 主人公はスライムクイーンッ!

                         作者:ビビ




 









 身の丈を越える大きな太刀を片手で軽々と操る戦士が、舞台の中心で大いに暴れまわっていた。
 一度振るわれるたびに二つに裂けた死体が積み重なり、決して広いとはいえない試験場は屍の山と化していた。
 試験場には扉が一つあり、扉の向かいには鉄格子が一つある。そこから順々に魔物が出てくるようになっているのだが――

「魔物が怯えて出てこない――とはな。俺の目が狂ってたようだ。アルス、あのガキんちょ強いな」

 エビルデインの動きは決して流麗とは言えない。
 太刀の入れる角度は適当だし、振るという動作も不恰好だ。全てにおいて力任せ。だが、強かった。
 魔を滅する属性を持つ【斬魔刀】からすれば角度なんて関係ないし、怪力であるエビルデインからすれば重量を最適化するための振る動作なんてものは必要ない。技術というものは力のない弱者に必要なものであって、力のある強者には決して必要なものではない。
 重いものを持つコツがある。では、その重いものを持つ力があればどうなるのだろうか。コツなどいらない。持てるのだから。
 それと似たようなものだ。
 その強さは異質で、人としての強さとは種類が違う。生物として強いのだから。

 闘技場のような作りの試験場の中心で【斬魔刀】を構えていたエビルデインは、構えを解いて地面に突き刺し、ディコルグを見上げた。とても挑戦的な視線で、見上げた。
 観客席として機能していたであろう二階ではディコルグは歯噛みして視線を受ける。完全に敗北だ。

「すみません。魔物が出てこないんですけど?」

 死体となった魔物は弱いものが大半だが、強いものもいる。
 弱いものとしてはゴブリンなどの亜人種でも群れにならないと雑魚なもので、強いものは硬い鱗に覆われたリザードマンなど。一介の冒険者ですらリザードマン相手にここまで大立ち回りできるものなどそうはいない。その死体が積み重なっているのだ。
 合格にせざるを得ない。それだけではない。

「マスター、このままだとエビルちゃんをCランクで出発させなきゃいけないぜ?」
「Cで終われるかよ。まだ余裕綽々な面持ちじゃねぇか。くそっ、あいつを出すか」

 不穏な空気をハーンは嗅ぎ取ったが、無視してエビルデインを見下ろしている。
 当然の結果過ぎて何の感慨も沸かないわけだが。
 仮にも一種族の王がそこらの雑魚に梃子摺るはずがない。能力の大半である変異能力を制限している現状ですら、雑魚が束になっても勝てるはずがない。格が違うのだ。
 つまらない試験だなぁ、と思いながらハーンはぼんやりとしている。微妙に船を漕いでいるのはご愛嬌だろうか。

「もう終わりですかー?」

 一向に出てこない魔物からは既に興味が失せており、エビルデインはディコルグに聞く。

「いや、終わりじゃねぇ。クソガキ、お前はこのままだとCランクで出発することになる」
「システム自体がわからないんで詳しく教えてください」

 実のところ人間の作り上げたシステムについては大半の魔物や魔王――総じて魔族というのだが、彼らは無知だ。
 住む場所も違うし、文化も違う。共通のものなどほとんどないので理解できないのだ。それに、興味がないとも言う。
 かといってそんなことを言ってられるほどエビルデインには余裕がないので、きっちりと聞くつもりではあった。情報はあっても困らない。

「ランクが高ければ高いほど厚遇になるんだよ。パーティも組みやすくなるし、低ランクではいけないダンジョンにも行けるようになる。で、最低がEで最高がSだ。試験ではBランクまで上げることができる。A以上はダンジョンに潜ってそれなりの成果を出すことが求められる」

 E~Sランクまである階級は凄まじく簡単に言えばこうだ。

 E:雑魚
 D:普通
 C:中堅
 B:熟練
 A:強者
 S:英雄
 
 Sランクはほとんどおらず、いるとしてもそれは【真の勇者】と呼ばれる面々か、もしくは余程の功績を残した偉人である。Aランクの時点でかなり凄いのだ。
 そして、Bランクもかなり凄い。駆け出しでBから始められるものなどほとんどおらず、本来なら何年もダンジョンに潜りつつ己の力を高め、武具を揃え、挑戦してやってクリアするものなのだ。

「つまり、Bまではこの場で上がれるわけですね。じゃあさっさと相手を出してください」

 ディコルグとしてはCで終わってほしかったのだが、エビルデインは終わる気などさらさらないようだ。
 こうなるだろうことは容易に予測がついたが、さすがにBは危ない。出てくる魔物が危ういのだ。

「……BからはCなどと段違いだ。下手をすれば死ぬぞ?」
「死にませんて。さっさと出してください」

 忠告をしているにも関わらず、エビルデインの態度は変わらない。
 だから、ディコルグは考えた。まずは実物を見せて脅しをつけてやろう、と。

「……ペトラちゃんっ! かもーんっ!」

 出てきたのは一般の成人男性よりも頭二つは大きいアルスの二倍はありそうなほどの巨躯を持つ、双頭の爬虫類であった。
 それはヒドラと呼ばれる魔物だった。
 ヒドラは首が多ければ多いほど強いと言われるのだが、これは二つしかないのでヒドラの中では弱いほうだが、それでも強い。
 平均的な数としては首が六本。だが、六本もあるヒドラを倒せる実力があるならそれはAランクでもさらに上位の実力が必要となる。首が二本でも強すぎるくらいなのだ。

「ちなみにそのペトラちゃんを倒せたのはウチのギルドではアルスだけだ。一応アルスはこのギルドでは最強の剣士でな。そいつ一人しか倒せてないってことは――わかるだろう?」

 最後の警告と言わんばかりにディコルグは言うが、徒労に終わる。

「倒した前例がいるんですね。では余裕じゃないですか。勝てない相手ではないってことですし」

 目に必殺の意志を込めた戦士の姿が映るだけだった。
 【斬魔刀】を引き抜き、肩にかついで今にも振りかぶらんとする姿からは退却するなんてことは全く考えていないことがわかる。頭が地面につきそうなほどの前傾姿勢で、進むことを考えていないのだ。
 開始の合図を待つように、律儀にエビルデインは待っている。そして、ヒドラのペトラちゃんも待っている。

「はは、凄い自信で余裕だなぁ。惚れちゃいそう」

 そう言いながらもアルスはいつでも助けに出られるように獲物であるグレートソードを引き抜き、飛び降りる準備をしている。
 ディコルグもそれを見て安心し、合図をすることにした。

「ペトラちゃん、相手してやれっ!」

 決戦の火蓋は切って落とされた。
 ご主人様であるディコルグの許しを得て、ペトラちゃんは咆哮する。

――ルオオオオオオオオオオォォォォォォォオオオオオオオオッッッ!

 これまでの魔物とは格が違うということを見せ付けるための咆哮。
 普通の冒険者ならこれだけで足が竦み、腰が砕け、命乞いをする。言葉など通じないのに。意味などないのに。
 眼前で攻撃的な意志を遠慮なくぶつけてくる少女もそうなるであろう、とペトラは思っていたが、そんなことはなかった。

「格下のくせに威嚇をしてくるんですか。不愉快ですね」

 ぽつりとそう呟くと、前傾姿勢を解いて、【斬魔刀】を地面に突き刺し、力いっぱい息を吸い込み――

「ハアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアッッッ!」

 エビルデインは負けじと叫んだ。
 見た目に似合わない荒々しい獅子吼はビリビリと空間を震わせるほど。
 吐き出される声量の中には多くの魔力が紛れ込み、聞くだけで生命力を奪う強者の叫びだ。
 ディコルグとアルスは急いで耳を塞いだ。聞いてはならない声だと感覚で理解して。
 ハーンだけが尻尾を振りながら元気に声を聞いている。エビルデインの叫びはハーンにとっては歌声にしか聞こえないからだ。慣れ親しんだ魔力が身体に伝わってくるのは元気の源でしかない。

――ルオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォオオオオオォォォッッ!
「ハアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアッッッ!」

 息が途切れるまで根競べをするのであろう。
 ヒドラは吐き出すように声を振り絞り、エビルデインも同様に、絞りつくすように声を吐き出していた。

――ル、ルオォォォッ
「ハアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアッッッ!」

 勝者はエビルデインであった。
 胸を張って嘲笑を浮かべながらエビルデインはペトラを見る。ざまぁみろ、と全身で語っている。ペトラの額に大きな青筋が浮かんだ。侮辱されていることを理解したのだ。

――ルオオォォッ!

 息を大きく吸い込み、叫び声とともにヒドラは双頭を掲げ、エビルデインへと振り下ろした。
 足に力を溜め、後ろへと飛翔してエビルデインは避ける。もといた場所はヒドラの頭による鉄槌で見事に陥没した。

(まぁ、喰らっても死なないけど)

 ゼリー状のスライムには打撃は効かないので喰らってもよかったのだが、人間なら死ぬのでエビルデインは避けただけだ。全く脅威ではない。人間ではないということを悟られることこそ脅威だ。
 それからは迫り来る双頭を防御することだけに専任していた。
 横から来たら【斬魔刀】の腹でいなす。上から来たら避ける。正面から来たら力を込めて防御する。
 そんな攻防が十分ほど続いていた。

「やばいんじゃねーか?」
「あぁ……」

 ディコルグとアルスは焦る。
 対等の勝負を繰り広げているように見えるが、これではジリ貧だ。人間は魔物ほどスタミナに優れていない。このままでは危うい、と考えながらハラハラと戦局を見つめていた。
 そもそもエビルデインは人間ではないというのに。

『何を遊んでいるんだ?』

 ハーンは意思疎通の魔法【テレパス】を用いてエビルデインに声をかける。
 何度も殺せる場面はあった。それなのに殺さないエビルデインが不思議だったのだ。

「いや、あっさり倒したらあまりに怪しいでしょ。だから、ぎりぎりで倒そうかなぁ、と」

 ヒドラが大きく息を吸い込み、双頭の口から【燃え盛る吐息】を吐き出してきているのに、それを【斬魔刀】を眼前で旋回させるという大道芸じみた仕草で回避している。エビルデインは正しく遊んでいた。

『汗一つかけないその身体でギリギリで倒すなんて無理だろう。血だって流せないだろうし。無理だよ無理』
「やっぱし?」
『さっさと終わらせてくれ。腹が減った』
「了解。エビルデイン、本気出しまーす」

 【テレパス】をしながら顔色一つ変えずに対処できている時点で余裕なのだ。
 ハーンは知っている。エビルデインはヒドラ如きに負けるほど弱くはない。
 ゆえに、本気を出すと言ってからはあっさりと勝負が終わった。

 ――不用意。

 何度も攻撃して防御しかできないと、相手の実力を勘違いしたヒドラが、傲慢にも真正面から、再び双頭を突き出したのだ。
 あらゆる角度から二本の首を攻撃することこそが有効な戦術だというのに。
 だから、この結末はあまりに自然であるがゆえに、あまりに不自然だった。
 
 突き出された首の片方が、断絶される。
 断絶されたことに気づいたもう一つの首はエビルデインに蹴り上げられ、首につられるように巨躯も中空に放り出される。
 放り出された先には、跳躍したエビルデインが飛んでいくペトラを待ち伏せているかのように、【斬魔刀】を振り上げていて――

「んじゃねー。おやすみ」

 振り下ろされた刃に切り落とされ、首の残りはゼロになった。
 重力に従い、ペトラは地面に叩きつけられるかのように落ちて、試験場はこれから先使うことはなくなるであろうほどに破砕される。

「アルス、こりゃとんでもねーな」
「とんでもなさすぎる。完璧に惚れたっ!」

 外野がそんなことを言っているなど露知らず、エビルデインは濛々と立ち込める土煙から出てきて、言った。

「私、合格ですよね?」

 当然だろ、とディコルグは叫び、試験場に飛び降りてエビルデインに握手した。
 アルスもそれにならい、後に続き、ハーンだけはこっそりとペトラの首を食べていた。

『そこそこ美味い』
 
 
 





[19034] 3.だって犬ですもの
Name: ビビ◆12746f9b ID:5cdd62c8
Date: 2010/05/25 19:50
 デコワシティで最近見つかった新規のダンジョン――【フロンティアハーツ】は入場最低ランクはBとなっていて、強者しか入れないことから中にいる魔物の強さがわかる。そして、中にある財宝の価値もよくわかる。強い魔物がいるところは、高価なものが眠っている可能性が高いのだ。
 ランクCまでの冒険者ならかなりの数がいるが、ランクBとなると一気に数が激減する。
 努力次第でCにはなれる。Bからは才能だ、という言葉が冒険者の中での格言となっている。そう、才能がない者はB以上になれることはないのだ。
 どれだけ修練を重ねても、どれだけ強い装備を身につけても、ここからは登れない。絶対の壁があるのだ。
 ゆえに、C以下の者はB以上の者を妬む。自分たちが持たざる者であることを理解しているが故に。
 『ディコルグの館』で二番目のランクBの冒険者が登録されたことで、嫉妬の視線を当事者に存分に放っている。
 当事者とは華奢な身体に頭の中が幸せそうな少女であるエビルデインのことだ。広いとも狭いとも言えない『ディコルグの館』のエントランスでディコルグからランクBの証であるピアスを貰い受け、それを耳に刺している。
 
「あいついきなりBランクになったってよ」
「あんなガキが?」
「おかしいだろ。なんであんな奴が……」
「ペトラを瞬殺したらしいぜ」
「化物だ」

 十人以上いる冒険者たちはヒソヒソと言葉を交わす。
 それはアルスにとっては決して愉快なことではなかった。
 大きく口を開けて注意してやろうとしたのだが、当の本人であるエビルデインがにっこりと笑ったまま首を振ったので、押し留まる。なぜか悲しそうな笑みに見えてしまったのはアルスの気のせいだろうか。握りこまれた掌に爪が喰い込み、ギリギリと歯を噛み締める。女の子に不愉快な思いをさせたまま放置するなど、アルスにとっては許せることではなかった。
 しかし、それを望まれていないのだから黙るしかない。
 アルスは己の無力を噛み締めていたが、実のところエビルデインは全く気にしていなかった。

(えーと、【フロンティアハーツ】でしたね。さっさとクリアして家に帰って小説でも読むとしましょう。人間の街で過ごすなんて過緊張で溶けちゃいそうですしね)

 能天気にこんなことを考えていたりする。
 歯噛みしながら耐えるアルスと、ぽけっとしているエビルデインは実にちぐはぐであった。
 そして、最もこの場で異常なのがハーンである。部屋の片隅でもしゃもしゃと何かを食べているのだが、そのことに誰も気づかない。みんながみんなエビルデインを見ているのだから。だから、ヒドラの首をこっそりとズックに収納して、ちょびちょび引き出して食べていることに誰も気づいてくれはしなかった。

「さて、ピアスをつけたなっ! これでガキ――っていうのもあれだな。エビルデインってのも長いし、エビーでいいだろう。エビーも冒険者だ! しっかり稼いでくれよ、Bランク!」
「――エビーですか。まぁ、ほどほどに頑張ります。とりあえず【フロンティアハーツ】というところに潜りたいのですが、手続とかはありますか?」
「潜るって一人で潜るのか?」

 最低Bランクから許可されるダンジョンにソロで潜るなど自殺行為だ。
 それがわかっているので、ディコルグも引きとめるように言うが、相も変わらず何を考えているのかわからない無邪気な笑顔のままエビルデインは躊躇なく答えてくる。

「だってパーティ組んでませんし。私の友達はそこのハーンだけですし、っていつまで食べてるんですかっ!」
『あと少しで食べ終わる』
「どれだけ食べるんですか。首二つとも食べるなんて大食漢過ぎるでしょう……太りますよ」
『俺のしなやかな身体には贅肉などというものは存在しない』
「はいはい、そうですか。で、私はハーンと潜ることにします。ダンジョンというものは初めてなので少し不安ですが、まぁ何とかなるでしょう」

 普通は緊張するものだ。
 普通ならダンジョンに初めて入る場合は緊張するものなのだ。
 少しでも安全度を上げるためにパーティーを組み、装備を整え、薬草や道具などを準備する。こういった行為を経て、初めてダンジョンへと潜るのだが、エビルデインを見る限り、それらの過程をすっとばしていきなりダンジョンへと潜ろうとしている。
 ディコルグはわからなくなる。
 とてつもなく強いエビルデインという少女は、バランスが壊れている。
 肉体的な強さは類を見ないほどに優れているし、叫んだときの魔力含有量から考えるに、相当の魔力を持っているはず。一流どころではなく、超一流といっていいほどの素材だろう。
 それなのに、武器を操る技術が残念すぎたし、魔法を行使するような素振りすらなかった。それに、知識にしても少なすぎる。これだけの力があるのにも関わらず、今までダンジョンに潜ったことがないなど、おかしい。そして、何故【フロンティアハーツ】にこだわるのか、ということもわからない。
 普通の冒険者ならある程度踏破されているダンジョンで魔物との戦闘に慣れることを選んだり、トラップに対する知識を増やしたりするものなのだが、エビルデインは違う。
 まるでそんなものなど脅威ではない、というような……そんな気がするのだ。
 杞憂であるといいが、とディコルグは考えるが、何が杞憂なのかすら思いつかない。
 難しい顔をしたディコルグのことをエビルデインは不思議そうに見ている。ダンジョンまだ入ったらダメなの、とぼそっと呟いているのだ。見た目が可憐な少女であるエビルデインのこの言葉は、否応なしにディコルグを攻め立てる。
 だが、行かせるわけにはいかない。こんな金の卵を早々に死なせるなどもったいなさすぎる。
 返事を先延ばしにするために、う~ん、と考え込み始めたディコルグの腰あたりをゆさゆさと揺さぶってエビルデインは催促するが、その動作は止められることになる。アルスの手によって。

「待て。待つんだ、エビルちゃん」

 はい? と何の気なしに返事をするエビルデイン。
 ハーンはまだ肉を頬張っている。

「俺もついていくさ。ついていくとも。BランクあるってんならAランクの俺と組んでも何もおかしくないしね。だろ、マスター?」

 それもそうだな、とディコルグは思う。
 今までアルスと組めるメンバーがいなかったので、アルスは違うギルドの冒険者たちと臨時パーティを組んでいたりしたのだが、とうとうギルドメンバーにパーティが組める程度の強さを持った人物が現れたのだ。組まない理由がない。
 それにアルスはエビルデインにかなりの好意を抱いている。死に物狂いで護るだろう。
 ディコルグはそこまで考えて、結論を出した。

「……そうだな。エビーなら戦闘面で足手まといになることもなさそうだ。組んでやってもいいんじゃないか?」
「さすがはマスターだ。じゃあ、ダンジョンへの潜入手続よろしく」
「任せておけ。じゃあ、さっさと稼いでこい」
「あいよ。じゃあ、よろしく。エビルちゃん」

 いつの間にかアルスとパーティを組めるようになっていたので、きょとんとしていたエビルデインだが、次第に頬を緩めて笑顔になって、大きく頷く。

「はいっ! よろしくお願いします。ハーンもちゃんと挨拶しなさい」
『はほひく(よろしく)』

 未だに食事中だったので、ハーンはもごもごとした返事しかできなかった。
 しかも、部屋の片隅なのでカウンター周辺で集まっているエビルデインやアルスとは結構遠く、何を言っているのかわからない。

「……先に食べ終わりましょうよ。あぁ、もう、ぽろぽろこぼして……はしたない」

 呆れたようにエビルデインが言うが、ハーンは全く懲りていない。
 急いで肉を丸のみし、口元を盛大に舐め上げた後、立ち上がってアルスを見た。

『では、改めてよろしく。俺のことはハーン様、もしくはハーン君、ハーンちゃんでもいい。なんとでも呼んでくれ』
「じゃあ、ハーンちゃんで」
『……冗談で言ったのだが、まぁいい』
「柄にもなく下らないこと言うからですよ。では、よろしくお願いしますね」
「あぁ、よろしく」

 こうして、『ディコルグの館』で初めてBランク以上のパーティが結成されることとなった。




 








 主人公はスライムクイーンッ!

                         作者:ビビ




 










 だいたいのダンジョンは大きく分けて3区画を保有している。
 上層部・中層部・下層部と、魔物の強さが激変するラインだ。だいたいのダンジョンにこれが当てはまる。
 そして、【フロンティアハーツ】では既に中層部までは踏破されており、残すは下層部だけとなっている。
 そこに生息する魔物の情報はあまり出ていない。なぜなら、下層部に行って帰ってきた冒険者がほとんどいないからだ。
 ゆえに、こう名付けられた。【フロンティアハーツ 人生最後の物語】――ダサい、とエビルデインは評価した。あまりにダサすぎて何も言えない。きっとネーミングセンス皆無の人がつけたのであろうことは容易にわかるというもの。
 それはさておき、ここで重要なことは一つ。
 中層部までのマッピングと生息する魔物の情報は購入することができるということ。
 購入する場所である情報屋や、武器屋や道具屋など、Bランク以上の冒険者がよく利用する“良質な”施設をエビルデインはアルスから教えてもらっていた。

「さっき言っていたみたいに、いくら強いからって何の用意もせずにダンジョンに行くのはあまりに危険なんだ。エビルちゃん程度の強さがあれば魔物に殺されることはほとんどないだろうけど、それでも魔物は一匹で襲ってくるわけじゃない。俺の経験だと一気に三十匹の魔物に襲われることだってざらなんだ。だから、いくら準備したとしても準備しすぎるということはない。それに、食べ物とかもいるしね。毒を喰らったらいくら強くてもあっさり死ぬし。何においてもまずはそれらの対策における準備をすることから始めなきゃいけない。わかる?」
「うんうん」

 とエビルデインは素直に頷いて聞いている。
 食事なら魔物の肉を喰えばいいし、ほとんどの毒に対しての耐性をエビルデインとハーンは持っているから本来なら必要はないのだが、それでも素直に聞いておく。“普通の人間は準備する”というのが大事なのだ。それなら準備しておいたほうがいい。エビルデインは人間のフリをしているのだから。

「見る限り――武器はそのままでもよさそうだけど、防具がなぁ。そのままでいいの? どう見ても普通の服にしか見えないんだけど」

 エビルデインの武器である【斬魔刀】はハーンのズックに入れている。そして、着ている服は、布の服に革のズボン。その上に薄汚れた灰色の外套を羽織るという典型的な旅人ルックだ。防御性能はほとんどない。強いていえば防寒性が高い、ということくらいか。防寒着なのだから当然ではあるが……。
 
「んー、この服だと変ですか? 着心地は良いんでこのままがいいんですけど」
「でも、そんな服だと防御性能がないに等しいし、魔法耐性もほとんどないしね」
「けど、私はお金なんて持ってませんよ? ここにあるものは見たこともないような値段ばかりするので買えないです」

 今いる場所は武具屋『わっしょい』である。
 ふざけた名前のくせになかなかに高性能の装備ばかりが陳列されているのでエビルデインは少々驚いている。ちなみに、ペットは立ち入り禁止だったのでハーンは店先で寝転がっている。いささか不機嫌な表情だ。俺はペットじゃない、と店員に反論していたのだが、魔物もペットも一緒、と言われてしまったのだ。かなり凹んでいる。
 そんなことは全く気に掛けず、アルスは陽気にエビルデインをエスコートしている。むしろ、ハーンがいなくて喜んでいる。異性と二人っきりというだけで男は舞いあがるものなのだ。

「大丈夫。俺が奢るからっ!」

 気が大きくなり、同時に財布の紐が緩むのも仕方がないというもの。
 買ってほしい、とエビルデインが言えば何でも買い与えるつもりであった。
 だが、遠慮がちに「でも……悪いです」と俯きながらエビルデインは言う。おかげでアルスの中のエビルデインの株が上がった。遠慮する女の子は大好きだっ! 俯きがちに言うというのも高ポイントである。おかげで何でも買い与えるという選択肢に新たに追加として、財布の中身が続く限り何でも買い与えるという選択肢になってしまった。バカな男である。そのうち俺が幸せにしてやるっ! と考えるようになったらおしまいだ。それは悪魔のプログラム。財布の中身がなくなった上に、装備品もすっからかんになり、借金塗れに陥る。そんなバカだって世の中にはいる。
 アルスは幸運にもまだ仲間入りを果たしていないが、後一歩で仲間入りできる面持ちだ。何もかもを貢ぐカモの顔である。

「はぁ、じゃあこれを頂いてもいいですか」

 そう言ってエビルデインが指差したのは店の中では安い方に入るローブだ。【星屑のローブ】という全属性に対しそれなりの耐性を持つ対魔法装備の一つ。店の中では安いと言ってもその値段は実に百万G。一般家庭が十万Gで一か月生活をするのだから、それと比較すればどれほど高価なものかがわかるだろう。
 一流の職人が一流の素材を使って縫い上げた【星屑のローブ】。不死鳥フェニックスの翅を丁寧に解いて、それを糸にして紡いでできる極めてレアな一品。初心者がつける装備ではないし、エビルデインも別に欲しいとは思っていない。性能なんてほとんどわからず、ただ可愛いから指差しただけなのだ。
 フードのついたローブはシルクのような肌ざわりで、紅と白の入り混じった色合いをしている。エビルデインの好みだ。本当にそれだけの理由。まぁ、買ってはもらえないだろう、とエビルデインは算段を立てていたが、そんなことはなかった。

「ドルキのおっちゃんっ! 【星屑のローブ】を一つくれ。小柄な女の子のサイズでお願い」

 即買だった。あまりの決断力にエビルデインは数瞬現実を見失う。
 そんな大金を今日初めて会ったばかりの自分に使っていいのか? と幸せな頭をしているエビルデインですら思ってしまう。
 気づいたら更衣室で店員のお姉さんに【星屑のローブ】を着させられているエビルデインがいた。

「似合います。似合いますよ御客様っ!」

 と妙なテンションで褒め称えてくるお姉さんに愛想笑いを浮かべつつ、エビルデインはのっそりと更衣室から出る。

「おお、元がいいから何でも似合うだろうけど、それは殊更似合うねっ! 可愛いよっ!」

 アルスから熱烈な歓迎を受け、エビルデインは少しひきつった愛想笑いを浮かべた。まさか買ってもらえるとは……もっと安いものを指定しておけばよかった、とエビルデインは後悔する。奢られるのはあまり好きではない。
 
「ありがとうございます。防具はこれだけでいいです。これ以上奢ってもらうわけにはいきません」 

 これ以上奢られないようにエビルデインは明言しておくが、うんうんと頷くアルスは理解してくれているかどうかわからない。

「では、これでダンジョンに行けるのですか?」
「そうだね。道具も俺が揃えておいたし――あぁ、その前にあっちの情報屋で情報を買おう。地図と魔物の情報はあって困ることはないから」
「わかりました」

 今度こそは自分が払うぞ、とエビルデインは思いつつこっそりと財布を見る。中に入っているのは二万Gだ。たぶんいけるだろう、いければいいな、と思いながらアルスの後ろをついていく。
 店から出たらハーンがのっそりと起き出し、てくてくとエビルデインに追従するが、情報屋『わっちょい』の店先で再び入店禁止を告げられて盛大に溜め息を吐き、寝転がった。エビルデインはその様を見て苦笑しながらも、情報屋の中へと入って行く。
 そこは武具屋とは違い、何も陳列されてはいなかった。
 細道のよう通路の壁にびっしりと紙がはりつけられている。紙に書かれているのは人間の賞金首や、魔族の賞金首。または幻獣といったレアな魔物の懸賞金などを書いている。その奥には妖しげな雰囲気を醸し出す老齢の女性――名称不明の情報屋がいるだけだ。手元には水晶玉を置き、まるで占い師のよう。
 興味津々といった体でエビルデインは水晶玉をじっと見つめていた。

「あの水晶玉にはあらゆる情報が詰め込まれているんだ。どういう原理かは知らないけどね。記憶装置のようなものらしい」
「そうなんですか」
「あぁ、とりあえず情報を聞いてくるよ。興味があるならついてきて」
「そうですね。ついていきます」

 そのまま奥へと行き、老齢の女性の向かいの席にアルスは座る。

「情報を買いたい」
「何の情報かの?」

 ひ~ひっひっひ、と濁音を混ぜながら情報屋は聞く。

「【フロンティアハーツ】のマッピングされた地図と魔物の情報だ」
「あ、お金は私が払いますっ!」

 口をはさむようにエビルデインは言うが――

「ふむ、全部となると二十万Gになるよ?」

 持ち金が全く足りず、項垂れた。
 開いた財布の中身をアルスは覗き見て、苦笑する。こりゃ払えないな、と。

「わかった。ありったけの情報をこれに込めてくれ」

 そう言ってアルスは冒険者の証であるピアスを外し、情報屋に渡す。
 ピアスには小さな石が埋め込まれており、情報屋が受取ったピアスを水晶玉にくっつけると、青色の石が赤く輝いた。

「何してるんですか?」
「情報をピアスに入力してもらってるんだよ。これでいつでも情報が閲覧できる」
「へぇ、そんな機能があるんですか」
「このピアスには他にもいろいろ機能があるんだけどね。後で教えるよ」

 会話している内に情報の入力は終わったらしく、「二十万Gだよ」と情報屋は言う。
 アルスは情報代を払うと店から出て行き、エビルデインも追従して出て行った。
 こうしてようやくダンジョンへと潜入する準備が終わったのである。

『ダンジョンもペット入店お断り――なんてことはないだろうな?』

 ぼやくハーンの言葉には哀愁が漂っていた……。





[19034] 4.悲劇のヒロイン
Name: ビビ◆12746f9b ID:e6025cc7
Date: 2010/05/25 18:13

 人を紙屑のごとく千切れるほどの膂力を持ったミノタウロス。生まれたての赤ん坊でさえ、武装した成人男性を容易に殴り殺す。それほどに生まれついての肉体の性能の差がある。それを覆すために人は己の肉体を練磨し、技術を研鑽し、武器を鍛え上げ、そうして少しでも差を埋めようとしてきた。
 それが実った形が今の光景なのだろう、とハーンは思った。
 一匹のミノタウロスに対峙するは一人の剣士。
 別段筋肉隆々というわけではない、無駄のない鍛え抜かれた肉体を持つ美麗の剣士――アルス。
 手に持つは装飾という概念に真っ向から喧嘩を売るような武骨な剣、グレートソードである。斬れ味はほとんどなく、使用者の体重と武器の重量、そして遠心力による加重を合わせて、初めて叩き斬ることができる剛の極み。

「でぃやあああああぁぁっっ!」

 腰で溜めて、放った剣はまさに必殺。
 振るわれたグレートソードの剣閃は残像すら見えないほどの速度でミノタウロスに飛来する。が、予測されていたのか。胴体を切り離そうとする斬撃をミノタウロスは手に持つ分厚い斧で出迎えた。
 衝突した剣と斧は甲高い、耳に痛い硬質な音が溢れる。
 そして、鍔迫り合い。いや、鍔はないからそれはおかしいのかもしれない。刃と刃を向かい合わせにしながら、アルスとミノタウロスは不協和音を奏でながら、力試しをするように押しあう。
 技術よりも力の求められる押し合いでは、圧倒的にミノタウロスが有利だ。だが、押し勝っているのはアルスであった。
 地面を踏みぬきそうなほどに込められた力は全て前進するためにエネルギーに変換され、腕も膨張しているのかと錯覚するほどに力を込めながら、アルスは全力でミノタウロスと向かい合っていた。

「ふんぐぐぐぐぐっ!」
――グオオオオォォッッ!

 勢いのままミノタウロスを押し倒す。
 巨体であるミノタウロスが倒れたときにかかる重量で、土ぼこりが舞いあがる。そして、その中から斧が飛び出してきた。アルスが蹴り飛ばしたのだ。アルスに力で負けて、組み伏せられて、後は首をとられるだけとなった。
 アルスの勝ちだな、とハーンは確信する。
 そして、隣にいるエビルデインを見てため息をつく。
 呆然と立ち尽くしながら足元を真剣に見ている様はなかなかに愛らしいが、何をしているのかわかれば実に溜め息ものだ。

『そろそろ終わるぞ。早急に結論を出したほうがいい』

 そう言われても、エビルデインは容易に結論を出すことができなかった。
 手が震える。足が震える。人間に化けるために必要な集中力が瓦解しかけているのだ。いつスライムの姿に戻ってもおかしくはない。そんなことになったら元も子もない。王であるエビルデインには責任がある。バレたら許されない。ダンジョンに侵入して魔物を討伐しているなどという事実は決して露呈されてはならないのだ。
 そう、エビルデインは人間のフリをしている。冒険者のフリをしている。
 だから、倒さなくてはならない。殺さなければならない。相手が魔物でも、躊躇なく命を絶ち切らなければならない。
 それなのに――どうしてもできなかった。つぶらな瞳で、信じきった瞳で、自分を見てくる命を奪うなどエビルデインにはできなかった。足元で愛らしくぷるんぷるんと震えながらじゃれついてくる魔物――バブリースライムの赤子たち。彼らの息の根を止めることなど、エビルデインにはできなかったのだ。
 スライムの王であるエビルデインを見て、「あ、王様だ。王様だー!」「かっくいー!」ときゃっきゃうふふしながら遊んでくれと懇願してくる一族をどうして手にかけられようか。かけられるはずもない。彼らはエビルデインにとっては遠縁ではあるが、立派な血族。庇護するべき対象だ。
 【フロンティアハーツ 上層部 地下7階】にて、エビルデインは未だかつてないほどの葛藤を味わっていた。
 このまま手にかけなければ背後でミノタウロスを屠っているアルスが戻ってきてしまう。戦況を見ていないエビルデインでも音を聞けばわかる。ミノタウロスの断末魔のような悲鳴が先程から空間を満たしている。
 このままいけば数分もかからずに勝負は終わり、アルスは戻ってくるだろう。そして、弱者を甚振る愉悦の笑みを浮かべながら可愛い一族の命を奪ってしまうのだろう。

「そんなことはさせない……ッ! 私はこの子たちの命を守るッ!」

 仲間を殺す覚悟を胸に、エビルデインは決意した。
 だが、ハーンがツッコミを入れる。

『親のところに帰って、俺たちに近づかないように命令すればいいだけだろう』
「……ハーン、貴方は天才ですか?」
『それから、お前は魔物使いを名乗っているのだ。仲間になったとでも言えばいいだろう。見る限り言うことを聞いてくれそうだし』
「天才でしたっ!? え~、でも、仲間にしても戦わせたくないので……君たちは早く家にお帰り。怖い人が来るからね~」

 「え~、遊ぼうよ~」と駄々をこねながらも、必死の説得によりスライムベビーたちは家へと戻って行った。
 後ろ姿に手をふっていたエビルデインではあるが、「何してるんだ?」とアルスに声をかけられてギクリとする。
 そんなこんなで、それなりに順調にダンジョン攻略を進めていた。そんな話。




 








 主人公はスライムクイーンッ!

                         作者:ビビ




 












 モンスターハウス。
 何の気まぐれかわからないが、小部屋の中に敷き詰められたように魔物がいる部屋のことをそう呼ぶ。本当にごくまれにしか出てこないトラップのようなものだが、もしモンスターハウスに入ってしまえば名のある冒険者でも死は免れない。いくら強かろうと圧倒的な数の暴力には抗えないものなのだ。抗うには常軌を逸した規格外の力が必要となる。
 そして、不運にもアルスとエビルデインとハーンは、モンスターハウスへと入り込んでしまった。いや、正確には入り込んだのではなく、落ちてしまった。エビルデインが間抜けにも落とし穴に引っ掛かり、無様に落ち、それを追ってアルスとハーンは穴の中へと飛び込んだのだ。
 結果として絶体絶命の危機に陥ってしまったのである。

「こりゃちょっとやばいねぇ」

 グレートソードを引き抜いて、見渡す限りこちらを見る魔物の群れに対して警戒しつつ、アルスは冷や汗をかく。
 冒険者歴が決して短いとは言えないアルスではあるが、モンスターハウスに入ってしまったのは初めてだ。しかも、ど真ん中に落ちるなどというある意味芸術的ですらある失敗を犯したことなど一度たりとてない。真剣にやばい、とアルスは覚悟を決めていた。

『どこかのドジっ子を演じているバカのせいでこんなことになってしまったな』
「てへっ☆」
『てへっ☆ じゃないっ! 自分の年齢を考えてやれっ!』
「まぁまぁ、好きで罠に嵌ったんじゃないですし……そんなカッカしないでくださいよ。寿命が縮みますよ。考えるべきはこれからの展望です。どうやって切りぬけましょう?」

 だが、隣では――言葉ほど焦っていない一人と一匹のペアがいる。
 ミノタウロスやオーガ、ゴブリンなど様々な亜人種に囲まれながら、漫才のような会話を繰り広げながら、実際は用心深く対応しているペアにアルスは感心していた。
 ハーンは背中合わせに武器を構えるアルスとエビルデインの周りを回りつつ、周囲に対し威嚇している。全身の体毛を立たせて唸るハーンに怯え、睨まれた魔物は群れの中へと引っ込んでいく。
 初めて冒険者になったと言う割には場馴れしているな、とアルスは思う。全く緊張していないことからも、何度もこういう状況に陥ったことがあるのではないかと予想してしまうする。戦端を開くべく攻め込もうとしてくる魔物を威嚇し、委縮させ、場をコントロールするハーンと、それを操るエビルデイン。これで初心者など信じられない。名のある冒険者が名前を隠して冒険者をしているのではないか、と邪推してしまう。
 こんな思考が頭を過ぎったことが余計だった。
 ぎりぎりまで高められた緊張感に耐えきれなかったオーガがアルスに襲いかかる。
 巨体をいかしてぞんぶんに反り返った身体から振り下ろされるのは鉄槌。全体重を乗せたそれを受ければ人間などぺしゃんこだ。考え事をしていたアルスは瞬時に思考を切り替えることができず、対応が遅れてしまう。避けられるほど余裕はなく、苦肉の策としては鉄槌をグレートソードで受けるという絶望的な対策しか残っていない。
 脳内で己の愚かさを全力で罵り、歯を食いしばり、目を見開いて、来るべき衝撃に備える。だが、それは徒労に終わった。
 鉄槌は急に力を失い、当てずっぽうなところへ振り下ろされる。何故かと思えば、オーガの頭がなくなっていて、首から噴水のように血栓が飛び散っている。ハーンが瞬時に飛び掛かり、オーガの首を食い千切ったのだ。

『何をしている。エビルデインじゃあるまいし、ぼ~っとするな!』
「どういう意味ですかっ!?」

 ミノタウロスの胴体を【斬魔刀】で切り裂きながら、エビルデインは抗議する。そして、難しい顔をしながらどんどんと魔物を切り伏せながらも、ハーンと会話をしていた。

「ぼ~っとしている、というのは聞き捨てなりませんね。なら、勝負でもしますか?」
『ほう? エビルデインよ――戦闘面で俺より優秀だと錯覚したか?』
「たまには実力の差を見せつける必要があるみたいですね。あなたの鼻っ柱を叩き折ってあげましょう」
『いいだろう。嘘の報告はなしだぞ』
「犬じゃあるまいし、するわけないでしょう」
『……勝負だっ!』

 アルスはモンスターハウスを遊びとしか捉えていないエビルデインとハーンに違和感を覚えるも、頼もしさも感じてしまった。
 襲いかかってくる魔物を叩き斬りつつ、熱くも冷やかな思考を保ちながらも、アルスは思う。
 今まで組んできたパーティではなかった感覚だった。
 所属するギルド以外のパーティメンバーと組んだときは、いつもギリギリの戦況下での戦いを強いられていた。普通は同じギルド内で固定パーティを組むのだが、それを出来ない者たちが他ギルドのメンバーと臨時パーティを組む。いわゆる、落ちこぼれというものだ。
 アルスは強かったが、致命的なまでに仲間に恵まれなかった。
 アルスはAランクの剣士だ。パーティの前面に立ち、敵から後衛を守ることを求められるとても重要なポジションだ。だが、ギルド内にはAランク付近のメンバーはいなかった。そのせいで他ギルドのメンバーと仕方なく組んでいたが、あくまで臨時。それに、固定パーティを持っていないメンバーというのは弱い者が多い。パーティを組んで、仲間の弱さに苛々するということが多々あり、最近はソロが多かった。
 だが――今はパーティを組んでいる。襲いかかってくるゴブリン三匹を一太刀で薙ぎ払いながら、尻目にエビルデインの状況を見た。

「せいっ、やぁっ、とぉっ!」

 間延びした可愛らしい掛け声とともに【斬魔刀】を振り回しながら、魔物の群れの中で暴れ回っていた。
 技術というよりも身体能力で圧倒している戦い方はかなり特異だ。
 普通の人間ならば、多かれ少なかれ、敵の攻撃を“予測して”避ける。しかし、違う。エビルデインは“視て”避けていた。避け方も実にアクロバットである。オーガの頭を殴られそうになったら急いでしゃがみこんで、腕の力のみで【斬魔刀】を切り上げていた。振り上げつつ、その斬撃の勢いを利用して立ち上がる。重心が崩れて危うい体勢になっているところをゴブリンに殴りかかられるも、その体勢からのヤクザキックでゴブリンを蹴り飛ばす。
 魔物たちに囲まれながらも、エビルデインは野性的な動きで対処し、切り殺し、蹴り殺していた。
 放っておいても大丈夫だ、という安心は実に心強かった。今までにないことだ。
 確信を得て、アルスはエビルデインから目を離した。そして、ハーンのほうを見る。
 すぐ近くでエビルデインは戦っていたのだが、ハーンは少し離れたところで戦っていた。

『フフ、ハハハハッ! ストレス発散には運動が一番だな! 良い……実に良いぞっ! この爪をッ! この牙をッ! 是非ともクソ店員どもに味わわせてやりたいところだなぁっ!?』
 
 俺はペットじゃないんだあああっっ! と悲痛な嘆きを轟かせながら、八つ当たりのごとく魔物たちの肉体を貪っていた。
 あまりに速い身のこなしに魔物たちは反応することすらできず、アルスの肉眼ですらほとんど見ることすらできなかった。
 消えたと思えば血飛沫が舞う。絶対的な俊敏性。見えなければ触れることすらできない。そして、絶命したことすら気づけずに、魔物たちは死体と成り果てていく。
 鋭い爪で切り裂き、凶悪な牙で噛み砕く。原始的な強さ。だが、圧倒的な頼もしさ。
 アルスは初めてパーティを組んだときの喜びを思い出した。
 自然と笑みがこぼれる。
 グレートソードを盛大に振り上げながら、叫ぶ。

「俺も競争――混ぜてくれよっ!」
「いいですよ」
『まぁ、人間如きにこの俺が負けるはずがないけどな』

 今までなら危機的な状況だったモンスターハウス。
 だが、今はそうじゃない。それがとても楽しくて、アルスは――

「負けるつもりはない。使う必要はないんだろうけど、それでも――俺のとっておきを見せてやる。代わりに勝負はもらうぜっ!」

 そう言ってアルスは地面に剣を突き刺した。
 突き刺されたグレートソードの紋様は妖しい輝きを帯び始め、莫大な魔力を刀身から放ち始める。

「何ですか、これはっ!?」
『違う。あの武器だ。あのグレートソードが魔力を放ってるッ!』

 まるで魔王が降臨したのかと錯覚するほどの膨大な魔力の出現により、エビルデインとハーンは動揺を隠せない。
 嵐が吹き荒れていると錯覚するような魔力の奔流が溢れ出し、魔物たちが混乱する。あたふたと慌てふためいて、逃げ出すものは逃げ出して、怯えきったものたちは腰が砕けてへたり込んだ。
 魔力はだんだんとある一点に収束されていった。

「封印術式解除。覚醒しろ……【エタニティトリガー】!!」

 近辺に充満していた魔力は消え去り、残ったのは膨大な魔力が詰め込まれた一振りの剣――【エタニティトリガー】。
 血のようなどす黒い赤光を明滅させる不吉な剣の刀身はごく普通のショートソードくらいまで落ち込んでいる。

「あ、あれは――伝説のっ!?」
『知ってるのかっ!?』
「うんにゃ、知らないです。言ってみただけ」
『……だろうよ』

 場が落ち着いたおかげでへたり込んだ魔物たちも落ち着きを取り戻し、アルスに向かっていった。
 アルスは魔物を迎えるように剣で薙ぐ。刀身が届いていないというのに、襲い掛かった魔物たちは両断された。刃先からは薄っすらと見える透明の刀身が見え隠れしていた。
 再びアルスは地面に剣を突き刺した。
 先ほどよりもなお高まった魔力がアルスを中心に壁のように顕現する。
 赤黒い光を纏う壁はいったい何なのか――その壁に巻き込まれた魔物たちが塵すら残さず消え去ったことから考えると決して人体に優しいものではないだろう。
 でも、これだけでは終わらない。
 
「久しぶりに使うな。じゃあ、エビルちゃん、ハーンちゃん、よく見ててくれ。これが奥の手――」

 アルスは初めて人前で奥義を出す。
 エビルデインとハーンを認めて、奥の手を晒すという暴挙に出る。

「【極光壁(グランドリーム)】だあああああああああああッッッ!!!」

 壁が広がっていく。
 アルスを中心に張られていた壁が、魔物たちを消滅させながら動き出す。

「ええええっ!? 私たちもあれ喰らったら死ぬんじゃないですかっ!?」
『いやまさかそんな馬鹿な死ぬなんておかしいだろ……と思うが、とにかく背に乗れ! 逃げるぞっ!』

 ハーンは慌ててエビルデインの横に移動し、逃げることを提案する。
 だが――

「大丈夫」

 アルスはそう言った。
 だから、エビルデインは深く考えずに信じてみようと思った。

「まぁ大丈夫って言ってるから大丈夫なんでしょう」
『お前馬鹿かっ!?』
「馬鹿って言ったほうが馬鹿なんですー」
『あ~もうっ!』

 仕方なく、ハーンもその場で座り込んで待つことにした。
 魔物はとうに逃げ去るか、死んでいる。
 どうせ襲われることもないのだ。

『今回だけだからな』

 こうして、エビルデインとハーンは壁の中に飲み込まれた。

 
 
 
 

 




[19034] 5.アンデッド・パーティ
Name: ビビ◆12746f9b ID:e6025cc7
Date: 2010/05/26 19:07
 【極光壁(グランドリーム)】に巻き込まれた魔物は影すら残らず、この世から去った。
 見渡す限りただのダンジョン。だが、そこに生き物が全くいないというのは少々寂しいものだ。エビルデインとハーンは少し呆けたように座り込みながら、きょろきょろとあたりを見回していた。

『生きてる……生きてるぞっ!』
「競争は絶対負けですね。アルスが一番倒してます」
『今更そんなこと気にしてどうするんだ』
「あっ!」

 何かに気付いたように、エビルデインは急いで立ち上がる。心底焦っているようで、今にも走り出しそうなほどに動転していた。

『どうした?』
「同族たちの安否がっ! 安否がっ!」
『情報屋でもらった情報の中には8階より下はスライムが生息していないって書いていただろう。おそらく大丈夫だ』
「それなら安心です……」 

 再び、エビルデインはへたり込む。そして、アルスのほうを見た。
 地面に【エタニティトリガー】を突き刺したまま、瞑想しているのだろうか。眼を閉じて、落ち着かせるように深呼吸を繰り返していた。ひっひっふー、ひっひっふー、と特別な呼吸法を用いた痛みを抑える呼吸法。ラマーズ法だ。全身痛むのか、冷や汗を流しながら深呼吸をする姿は酷く困憊していうように、エビルデインには見えた。

『これだけの規模を飲み込んだ魔法だ。疲労ですんでいるだけでも、化物だな』

 敵を見るような目でアルスを見ながら、ハーンは呟いた。
 さきほどの【極光壁(グランドリーム)】を見て、エビルデインとハーンは魔王が降臨したのかと錯覚したのだ。魔族の王たる魔王の魔力は規格外のもの。比肩し得る存在がほとんどいない。それに匹敵するほどの魔力を、確かに肌を感じたのだ。
 それほどの魔力を解き放ちながらも、代償はスタミナの激減だけのように見える。

「アルスは放っておいても【真の勇者】になるんじゃないですか? 今まで倒してきた勇者とは別格ですよ」
『それはどうだろうな。今まで見てきた【真の勇者】は皆仲間に恵まれていた。アルスは仲間がいないから、一人だと限界があるだろう』
「それもそうですね」

 ハーンの言うことにも一理あるな、とエビルデインは思った。
 エビルデインは【真の勇者】を何人か血の海に沈めたことはあるが、全ての者が個としての戦力が特段高かったというわけではない。強かったものもいるが、それでも圧倒的な魔力を放つものなどはいなかった。全ては人間の枠に収まる強さだったのだ。
 過去魔王を倒した【真の勇者】というものはいる。エビルデインが生まれてからは一度もそういう話は聞いたことはないが、彼らはきっとこれくらいには強かったのかもしれない。幸運か不運かは判断ができないが、エビルデインは強い人間と会ったことがないのかもしれない、と考えた。そして、今出会ったのかもしれない、とも考えた。

(……戦闘狂なら喜ぶんでしょうけどね)

 生憎とエビルデインは戦闘が好きではない。勝てる勝負しかしたくないし、そもそも勝負をするくらいなら家で引きこもってのんびりと過ごしたいのだ。
 人生最大の汚点としては、自分の秘めたる能力をディバビールに見出されたことであろう。そのせいで働くことを強要される立場というものを与えられた。無理やりに。
 おかげで素質ある人間と出会えた。そして、これを倒さなければならないのかと思うと絶望する。正直なところ勝ち目が見当たらない。

「……フゥ、疲れたー! やっぱコレ使うとしんどいな」

 肩を叩きながら、既にグレートソードに戻っている【エタニティトリガー】を背に持って、くたびれた様子でアルスはエビルデインに話しかけた。
 悶々と思考の海を漂っていたエビルデインにアルスは話しかけられて意識を取り戻す。
 これに勝たなきゃいけないのか、という義務を頭から放り出して、いつものようにほんわかとした笑みを浮かべつつ、応対する。
 エビルデインは少しでも勝率を上げるために敵となるであろうアルスの情報を聞き出そうと頭の中をフル回転させている。

「お疲れ様です。アルスのおかげで楽ができました。けど、競争は負けちゃいましたね。少し悔しいです」
『だな。もはや数える気も起こらん』
「ははっ、武器のおかげだよ」

 疲れた笑みでアルスは答える。
 都合よく武器の話になってくれたのでエビルデインはこっそりと含み笑いをした。いきなり情報ゲットの予感。

「非常に興味があるのですが、その武器はどういった経緯で……?」
『俺もあるな。それほど強力な武器は見たことがない』

 んー、と難しい顔をしてアルスは唸る。
 話してもいいのかどか、と検討しているのだろうか。さっさと話せ、とエビルデインとハーンは目力を込めてアルスの顔を見上げていた。かなり真剣な眼差しだ。
 懲りずにじっと見てくる二人に根負けしたのか、長い吐息の後、アルスは閉ざされた口を開いた。

「……我が家に伝わる由緒ある剣らしいよ。お爺ちゃんが勇者だったみたいだからね」
「勇者の武器ですかっ!?」
「まぁ、俺が生まれたときにはお爺ちゃんは亡くなってたから真偽のほどはわからないけどね」

 なるほど、勇者が使っていたというのならエビルデインとハーンも納得する。確かに勇者に相応しい一品だ。いや、強すぎると言ってもいい。果たして、これほどの力を手に入れたものがわざわざ魔王などに立ち向かうだろうか。人間を統治する方がよほど利口だ。エビルデインはそう考える。
 だが、思っていることを口に出すことなどせず、話を引き出すために演技をする。
 顔を輝かせて思ってもいないことを言うのは得意だ。何せエビルデインはディバビールの部下を長年やっている。本音を出したら殺されてしまうことばかり考えながら、表面上は取り繕う。中間管理職に必須のスキルだ。

「お爺さまは絶対に勇者ですよっ! ハーンもそう思いますよね?」
『勇者かどうかはわからんが、その武器を使いこなせるならどこかの国で聖騎士として名を馳せるくらいはしていそうだな』
「案外自由気ままに冒険者をやっていたかもしれませんよ」
「そこらへんは不明でね。親父も話してくれなかったし。ついでに親父には剣の才能がないらしくてね。俺に託された、と。そういう訳だよ。だから、俺もこの武器については今いちわからないんだ」

 話が途切れる。
 話す気が失せたのか、アルスは地下へ繋がる階段の方へ歩き出した。
 慌ててハーンはそれを追い、エビルデインもハーンの背中の上で急いでアルスに話しかける。もっと情報を手に入れるために。

「そうですか……。ところで、なんでその、え~っと、グラントリクームでしたっけ?」
『【極光壁(グランドリーム)】だろう』
「そう、それですが、そんな便利なものがあるのに何でパーティー組めないんですか? 仲間に対しては無害な広範囲魔法を使える人なんて喉から手が出るほど欲しそうなものですが」

 【エタニティトリガー】から生み出された魔力の障壁――【極光壁(グランドリーム)】。
 あんな魔法を持っているのなら、パーティーから外されるなんてことはあり得ないようにエビルデインには思えた。自分なら絶対に手放さない。
 だから、きっと欠点があるのだろうと考える。あんな魔法がぽんぽん使われたら魔物をやってられない。急いで引退を考えなければならない。だから、自ずと結論が出た。とてつもなく使用条件の縛りが厳しいのだろう、と。

「これは早々使えるものじゃないんだよ」

 やはり、とエビルデインは脳内で喜んだ。穴がなかったら困るのだ。戦うことになるのかもしれないのだから。
 だが、現実はそこまで都合よく出来ていないようで……

「なんでですか?」
「ん~、内緒で!」
「えー」
「ごめんね」

 教えてはもらえなかった。【テレパス】でハーンが『自分で弱味を教える馬鹿はいないだろう』という痛烈なツッコミを加えてくるが、エビルデインはめげない。
 絶対に聞き出してやる、と決意しつつ、いつもの茶化した態度に戻る。

「謝ることはないですよ。私にだって隠し事はありますし」
『秘密が多くても魅力はないな』
「失礼な」

 ハーンも乗ってきて、いつもの情景に戻る。
 アルスは呆けて、笑った。
 至極楽しそうに、笑った。





 








 主人公はスライムクイーンッ!

                         作者:ビビ




 









 
 【フロンティアハーツ 上層部】は踏破し、最奥にある転移施設で転移した途端にがらりと変わった。
 【フロンティアハーツ 中層部】は腐臭が漂い、食人花やアンデッドが跋扈していることから【死霊庭園】と名付けられている。
 庭園――そう呼ぶのは少しばかりおかしいようにも思える。愛でることができないのだ。近づいたら噛みついてくる花ばかりだから。
 ずっとこんな臭いと、ゲテモノの花、そして、包帯まみれのマミーやゾンビ、他には生ける鎧であるリビングアーマーなど、不気味な生物ばかりと遭遇するのかと思うと、さすがにエビルデインもげんなりしてきた。アンデッドは嫌いだ。きもいから。
 鬱蒼としげる木々が頭上に生い茂っており、ざわざわと鳴る木々のざわめきがより一層不気味さを醸し出していた。

「ダンジョンっていろいろあるんですね……さっきみたいに整然とした建物のような様式からいきなり森の中になるとは驚きました」
「上層部、中層部、下層部が全部違うなんてことはよくあることだよ。息も凍りつくような洞窟を突破して転移したら、すぐ近くに溶岩が流れている洞窟に飛ばされたりとかね」
「うわぁ、体験したくないですね」
「下層部に関しては情報が全くないから、どうなるかはわからないよ? 覚悟しておいたほうがいい」

 パーティ一行は寄り道を一切せずに階段のみを目指している。
 ハーンが先頭を歩きながら、エビルデイン、アルスという順番で隊列を組んでいた。
 地面を臭いながら耳と鼻の性能を生かし、罠を発見するのがハーンの仕事。アルスは一番後ろで周囲を索敵するのが仕事。エビルデインは二人の邪魔をしないのが仕事だ。罠を一度踏んでいるので、そういう面では信用が全くなかったりする。
 不意にハーンは立ち止まり、ふんふんと鼻を鳴らしながら空気の臭いを嗅ぎ、顔を歪めた。

『……この先から濃密な血の臭いがする。たぶん、人間のだ』
「距離はどれくらいありそうですか?」
『それほどはないな。このまま進めば数分もしない内に遭遇するだろう』

 ふむ、とエビルデインは少し考え込む。

「魔物の臭いはしますか?」
『わからん。ここらは腐臭がきつすぎるせいでよほど強い臭いじゃないと判別できない』
「どうします?」

 エビルデインはアルスのほうを見て判断を仰いだ。
 この中ではアルスが一番冒険者歴が長い。だから、任せたのだ。
 唐突に振られたアルスは少しだけ考える素振りをしつつ、答える。

「そうだね。まだスタミナは戻ってないけど……もし怪我人がいるのなら見捨てるわけにはいかないな。急ごう」
『了解。走るぞ』
「わかりました」

 そして、二人と一匹は走り出した。



 ◇◆◇



 レメディウス=ウェルバーンは筋骨逞しい青年だった。
 フルプレートの鎧を着た姿は物々しく、手に持つ巨大なモーニングスターが凶悪さに拍車を立てている。敵からすれば恐ろしい風貌ではあるが、その背に守られる後衛たちからすれば頼もしい。
 首なし騎士――デュラハンの繰り出す斬撃を全て真正面から受け止めながら、レメディウスは背後で詠唱をする後衛たちを守っていた。
 人の中では十分に巨体であるレメディウスよりもなお三回りは大きなデュラハンは、見た目通りに力も強く、それでいて無駄のない剣閃を放ってくる。
 少しでも読みが外れれば斬り殺されるという緊張感で冷や汗が流れる。フルフェイスの兜の中にあるレメディウスの顔は苦渋に満ちていた。

「くっ、あまり持たないぞ! 支援魔法はまだかっ!」

 少し距離を取って詠唱を続ける後衛二人に対してレメディウスは罵声に近い叫びを上げた。
 後ろに控えているのは漆黒のローブと三角帽子を被った魔法使いの少年のリュート=ウェルバーンと、純白の――といってもところどころ染みがあるが――ローブとそれについたフードを被った僧侶の少女のコムカ=ウェルバーンである。
 ともに必死に形相を浮かべて早口言葉を紡いでいる。

「地の底に眠る星の火よ、古の眠り覚まし、裁きの手をかざせ……」
「静寂に消えた無尽の言葉の骸達、闇を返す光となれ……」

 少年と少女は詠唱を完了する。
 立体的な魔法陣が眼前に出現し、魔力のうねりが暴走しないように二人は必死に制御する。制御に失敗すれば魔法が暴発し、術者の身体に致命的なダメージを与えるのだ。
 そして、鋭い眼差しを、少年はデュラハンに、少女はレメディウスに、各々向けながら、魔法のキーワードとなる言葉を紡ぐ。 
 
「【爆炎】ッッ!!」
「【反射】ッッ!!」

 光がレメディウスを包み込み、その上から被さるように少年の手から迸る炎が舞い降りる。
 膨大な量の炎は全てを飲み込み、辺り一帯全てを巻き込んだ。天から降りてくる神の怒りの如き浄化の炎。炎系最大の威力を誇る【爆炎】である。
 そして、その炎は決してレメディウスを傷つけない。【反射】の光によって魔法全てを弾き飛ばすのだ。
 これこそがこのパーティが最も得意する戦略である。
 前衛のレメディウスが時間稼ぎをし、後衛の二人が支援魔法と攻撃魔法のコンボを決める。不敗を誇る勝利の方程式であった。
 後は魔物が炎に燃やされて死ぬのを見ているだけで済む。
 だが――炎の中で揺らめく二つの人影がある。
 【爆炎】は全てを焼き尽くす炎だ。ただの魔物なら一瞬で消し炭となる圧倒的熱量。デュラハン如きが生き残れるはずがない。それなのに、影は二つあり、大きな影は次第に小さな影へと近づいていく。

「ぐ、が、ああああああぁぁぁぁっぁっっっ!! がっ、ごきゅっ、か、ひゅぅぅっ」

 リュートとコムカがよく知る声で――断末魔のような悲鳴が轟き渡る。
 大きな影が小さな影の首元を掴み、そして、放り投げたのだ。
 放り投げられた先にはリュートとコムカがおり、二人は言葉を失った。放り投げられたのはフルプレートの青年。首は砕け、頭がおかしな方向に向いているそれは確かにレメディウスであった。
 既に事切れている。
 コムカは虚ろな瞳でレメディウスだったものを見下ろした。
 絶命したときに叫んでいたのだろう。苦痛で歪んだ死に顔は――コムカの心を引き裂くには十分だった。

「お兄ちゃ……ん……?」

 現実を見て、どういった状況かは頭ではわかっているのに、感情が追いつかない。どうすればいいのかわからない。
 凍りついた時間の中で、コムカは呆然とレメディウスを見続けていた。膝をつき、レメディウスの絶望で見開かれた、今にも飛び出さんばかりの眼を撫でて――いや、撫でようとした。だが、リュートに手を引っ張られ、無理やりに立ち上がらされた。

「コムカ……ッ! 現実を見ろ。死んでる。死んでるんだっ!」
「お兄ちゃん……え? 死んだ?」
「ダンジョンにはつきものだろっ! いつも覚悟してダンジョンに来てただろっ! 自分を取り戻せっ!」
「リュー……ト……」

 リュートはコムカの肩を揺さぶり、さとそうとした。
 だが、これは間違っていた。そんなことをしている暇があったら、死体に背を向けて全力で走るべきだった。貴重な時間を意味のない会話に費やしたことが敗因だろうか。

『人間の分際で小賢しい魔法を使う。だが、所詮人間の魔法。程度が知れている』

 【爆炎】によって生み出されていた業火の海は消失し、中からデュラハンが出てきた。
 漆黒の鎧を纏った首なしの騎士は全くの無傷。何も消失することなく、両刃の騎士剣を地面に引きずりながら、ゆっくりと二人へと近づいていく。
 抗えない敵。勝ちへの展望が全く思い浮かばない。
 リュートは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、そして、何かを振り切ったようにすっきりした笑顔になる。

「コムカ、お前は逃げろ」
「え……?」
「何も考えずに、走れッ!」

 リュートはすぐに詠唱を開始した。
 足を震わせながら、腕を震わせながら、足止めをすることを決意した。
 代償は――命。
 それでも姉であるコムカを助けられるのなら安いもの。

「命ささえる大地よ、我を庇護したまえ。止めおけ! 【封縛鎖】ッッ!!!!」

 大地から生えた鎖が呪縛となってデュラハンの動きを止める。
 ぎりぎりと相手をきつく縛る鎖は今にも振り切られそうなほどに、脆い。デュラハンを抑えておくのは短時間しか無理そうだ。
 魔法に意識を集中させながら、少しでも時間を引き延ばそうと全魔力を注ぎ込む。

「リュート……ッ!」

 コムカは逃げずにリュートに声をかけるが、リュートは噛み切った唇から血を流している。
 あらゆる血管は破裂し、全身から赤い霧が噴出している。

「――さっさと……行けぇぇぇっ!」
「絶対、絶対助けるからねっ!」

 そう言ってコムカは駆け出していった。
 助かるわけないだろ、とリュートは笑う。だって、あと少しで死ぬのだから。
 身体を伝う命の雫が残り少ない命の残量を的確に教えてくれる。寒い。熱が生み出せない。

『ふむ、美しい友情だな。それとも愛か?』

 やけに穏やかな声が印象的で。
 デュラハンは敵であるにも関わらず、敵意のない言葉をリュートにかける。

「……ハッ、どっちでもねぇよ。ただの意地だ」

 血を吐くように切れ切れに答えるリュートに余裕はなく、今にも倒れそうだ。
 だが、その意地とやらで必死にデュラハンを睨み付けながら、【封縛鎖】を展開し続ける。

『女を逃がすことがか? それとも、孕ませているのか? それなら納得できる。親が子を命がけで助けるのは当然のことだからな』
「生憎、そういう方面は未経験でね。孕ませた経験はねぇよ」
『なら、なぜ助けたのだ?」
「言っただろ。ただの意地だ」

 視界が歪む。頭がぼやける。力が抜ける。命が消える。
 それでも、その意地で、姉であるコムカが逃げるための時間を稼ぐためだけに、そのためだけにリュートは命を繋いでいた。
 脳裏には走馬灯が駆け巡り、涙が毀れるのが止まらない。
 リュートは思う。こんなふうに死ぬのも悪くはないけど、もう少し生きたかった……。

『意地より命を取るべきだろう?』
「意地の張れない人生に意味なんかないだろ」
『人間とは、よくわからぬな』
「わかってほしくもねぇよ。ただ、あんたはここで黙って突っ立ってればいい。俺の命尽きるまでな」

 泣きながらも、死にそうになりながらも、それでも力のある声を出すリュートのことを、デュラハンは理解できなかった。
 コムカを見捨てて逃げればよかったのに、とすら思う。勇気ある少年なのだろう。それが少しだけ好ましい。
 だが無意味だ。

『……あぁ、これのことか。このような鎖が我が肉体に効くはずがなかろう』

 少し力を入れただけで千切れてしまう、脆い鎖。それはまるで人間のようだ。
 簡単に壊れる。

「なっ!?」
『貴様に興味が沸いたのでな。だから、ここにいただけだ。だが、その時間も終わりだ』

 そう、終わり。 

『貴様は我が同胞を幾人も殺めた。その罪を知れ』

 彼らのパーティは幾人ものアンデッドを殺害した。
 もともと死んでいるのだから殺したわけではないのかもしれないが、それでも、彼らは生きていた。その命を摘み取った。それは罪だ。
 デュラハンは同胞たちの命を刈り取った敵を許すほど甘くはない。
 魔法に全てを使い尽くしたリュートは膝が折れ、死刑囚のように首を差し出して項垂れている。
 零れ落ちている涙の意味は何なのだろうか。それはもう、デュラハンの興味の外だった。

『すぐに逃げた女も殺してやる。安心して死ぬがよい』
「……くそぉぉぉぉぉぉっっ!!!」

 赤い華が一輪、咲いた。


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