5月26日
各メディアに村木厚子さんについての記事が掲載されました。
4月30日
『週刊朝日』(朝日新聞社)4月30日号に「村木厚子厚労省元局長を罪に陥れようとした「恫喝」と「脅迫」そして「甘い言葉」」が掲載されました。
村木厚子厚労省元局長を罪に陥れようとした「恫喝」と「脅迫」そして「甘い言葉」 村木厚子厚労省元局長を罪に陥れようとした「恫喝」と「脅迫」そして「甘い言葉」
4月19日
厚子さん第18回公判傍聴記 by ナミねぇ

4月15日(水)厚子さん第18回公判。
小雨の中、予定通り10時開廷。
昨日に続き、厚子さんが証言台に。

弘中弁護士が、昨日の尋問の続きを開始する。
「遠藤検事が、明日から取調官が代わると言って、実際に代わったのか?」
「はい、國井検事に代わりました。國井検事から事件の詳細な説明を受けました。倉沢氏→石井議員→塩田部長→私→北村係長→上村係長・・・といったストーリを克明に語られました。」と、厚子さんが答える。

「質問ではなく、ストーリーを語った?」
「はい、よく覚えてないんですが・・・物語風に説明されました。そして國井検事は、色々な人の話を聞いてるようで、あなたの話と他の人で温度差があるね、と」
「その日、調書は?」と弘中弁護士が聞く。
「とってません。翌日は(他の人を調べた)調書を持ち込み、指さしながらまた詳細に話しました。遠藤検事とは対照的に、私が何を言っても全くメモを取らずに話を続け、口述筆記しながらパソコンに入力するよう事務官に指示しました。そして(打ち終わった調書に)サインしますかと聞かれました。」と、厚子さん。

「内容は?」
「私は上村さんに大変申し訳なく思っている。私の指示がきっかけでこのような事になってしまった。上村さんは真面目な人で、一人でこのようなことはしない。私は責任を感じているという内容でした。」
「サインしたのですか?」と弘中弁護士。
「していません」キッパリ答える厚子さん。
「私は、どのようにでも読み取れる、このような、いやらしさを感じる文章にはサインできません。」
「あなたが言ってないことを調書にしたということですか?」と弘中弁護士。
「はい。」

「そのやりとりで國井検事を、どう思いましたか?」
「信頼関係が結べないと思いました。思い込みが非常に激しく、私は罠にはめられると感じました。」
「國井検事の言葉で、記憶に強く残っていることがありますか?」と弘中弁護士。
「あなたが嘘をついてるか、他の全ての人がついてるかだ、と。」

「私は國井検事がいう『石井議員の案件なので全員が私の指示に従って不正をした』という状況が起こりうる場面を考えてみました。3つの可能性があると思いました。

*部下が全員、議員案件は、何が何でもやるものと思い込んでいる場合
*気づかない間に私が恨みをかっていて、皆が(私を)罪に陥れようとしている場合
*私が重篤な二重人格という疾患で、悪い人格で行った時の記憶が無い場合

の三つです。
しかし冷静に考えてみると、どれもあり得ないと思いました。
まさか検察官が嘘を言っているとは思わず、このようなことを言う理由は何なのだろうと考えたのです。」

「國井検事は、キャリアとノンキャリについても『ノンキャリは汚い仕事ばかりさせられ、仕事がイヤで嫌でたまらない』とも言いました。全く違う、それはノンキャリに対する侮辱であり、大変失礼だと感じました。でも私がどのように説明しても『いや違う!こうだ』と、考えを押し付けるので、この人は、なぜこんな思い違いをしてるのかと思いました。

それから國井検事は、ほぼ毎日来るようになり、なぜかと聞くと、あなたのことが心配だから来る。このままだと重大なことになる、それが心配だ、というような話ばかりされました。」
そして『今回の件はたいした罪ではないんだよ』などと言うので私が『それではたいした罪とはどんなものですか』と聞くと『殺人や傷害です』と応えたので、私は(公務員として)このような罪に問われるくらいなら、恋に狂って男でも刺し、殺人犯と言われるほうがましです、と答えました。」

「上村さんのことは、他に何か言いましたか?」と、弘中弁護士。
「はい。上村さんは私が逮捕された時泣いたそうで、ああいう人が嘘を言うはずがない。彼は孤独でゴキブリが出ないのさえ寂しいと言う、そんな人だ。あなたには責任があると。私は自分の職場で起きた事件には、自分にも責任があると思っているけれど、上村さんについては、なぜそんなことをしたのかと叱りつけたい気持ちですと、応えました。」

「あなたは弁護士である私に、手紙をくれたことがありましたね。」と弘中弁護士が問いかける。
「はい。『記憶がないがありえる』ということと『絶対やっていない』ということをいくら頼んでも書き分けてくれないので、不安になって手紙を書きました。

*倉沢さんに会ったかどうかについては、毎日たくさんの人が来られたり、会ったりするので、記憶に無いがありえること
*上司からの指示を受け、自分が部下に指示をする、という状況はよく有るが、虚偽と知りつつ行うことは絶対にないこと
*倉沢氏に、証明書を手渡していないこと

このよう『記憶がないがありえる』ということと『絶対やっていない』ことを、キチンと区別して調書にして欲しいと言いましたが、聞いてもらえませんでした。

その時の遠藤検事の説明は『調書はあなたから見た真実。客観的事実とは違う』ということでした。つまり、『あるかもしれない=ない』と書けばいいんだと言われサインしてしまったのですが、だんだん不安が募りました。
これは私を『うそつき』という罠にはめようとしてるのじゃないかと恐ろしくなり、お手紙を書いたのです。」

大阪地検に出頭し、いきなり逮捕された時の時の衝撃と、自分の言葉を全く聞き届けてもらえない理不尽さを思い出しながら、それでも落ち着いた声で話し続ける厚子さん。

尋問が、弘中弁護士から白井検事に代わる。
「取調べにおいて、暴行、脅迫などはありましたか?」と、白井検事。「(私が)知らないと言った時『知らないはずはない!』と、大声で言われました。また國井検事は、このままでは重い罪になると言い続けましたが、これは脅迫だと思います。」と、厚子さん。

その後、白井検事は、昨日の尋問で「時期的な整合性が無いことが明らかになった、障害者自立支援法との関連」についての質問などを、再び繰り返した後「あなたは保釈された日に、ご主人同席で記者会見を開きましたね。保釈の条件に事件関係者との接触禁止が有ったのではないですか?テレビカメラは、まずいと思いませんでしたか?」と、唐突に聞く。

「逮捕、拘留中に、全く事実と違う報道をされ続け、身の危険さえ感じていました。
(私が家に帰ることで)マスコミが家に押しかけたり、心ない人がルールを無視した行動をとって、子どもたちが恐い思いをすることなどが無いよう、また真相解明に繋がって欲しいとも考え、弁護士に相談したところ『問題なし』とのことでしたので、会見を行いました。」と厚子さんが答える。

弘中弁護士からは「記者会見は、こちらから呼びかけたものではありません。一度保釈が取り消されたこともあり、マスコミから記者会見の要望が非常に強かったので、それに応えたものです。」との説明がなされた。

最後に、裁判官たちから、厚子さんの多忙なスケジュールや配席図の確認などがあり、裁判長からは「凜の会の倉沢氏に、厚子さんが公的証明書を手渡した」という検察ストーリーについての質問が投げかけられたが、「絶対にありません。もしあったとすれば非常にイレギュラーなことなので記憶に残っています!」と、厚子さんがきっぱり否定し、今日の公判が終了した。

私は厚子さんの公務員としての挟持、理不尽な出来事に屈しない強さ、母親としての温かさを噛みしめながら、残る公判で検察側がどのような反撃を企てたとしても、きっときっと厚子さんの名誉を回復しなければならないと、改めて心に誓って大阪地裁を後にした。

寒の戻りの小雨の中を、肩を寄せ合って歩く厚子さんと二人のお嬢さんの、後ろ姿を見送りながら・・・

4月19日
厚子さん第17回公判傍聴記 by ナミねぇ

4月14日(水)寒の戻り、というにはあまりに寒い朝。地方によっては「寒波襲来」とか。
つい先日、真夏日さえあったのに、今年の天候はホンマに異常やっ!と呟きながら大阪地裁に到着。

厚子さん第17回公判。今日の午後はいよいよ厚子さん自身が証言台に立たれることもあり、厚子さんのお嬢さん2人や、厚子さんを尊敬する厚労省時代の後輩たち数名も傍聴に来られている。今日の厚子さんは、くっきりした縦ストライプのブラウスにダブルのスーツ姿。襟元に着けたオレンジ色のスカーフが濃いグレーのスーツに生えて、表情が明るく見える。
とても落ち着いた雰囲気で入廷して来られたので、傍聴席に穏やかな雰囲気が広がった。

10時開廷。午前中は検察側証人として、取調べを担当した高橋副検事と牧野副検事が出廷したが、二人とも、検事側からの尋問に対しては終始前を見つめて淡々と答える。
結論から言えば、二人の取調官は、常に前田主任検事の指示を仰ぎながら取調べを行った、というか前田主任検事が想定した結論に沿って取調べを進めたことがよく分かる証言だった。

印象的やったのは、高橋副検事が信岡弁護士に「前田主任検事からの指示は・・」と聞かれた時にチラッと検事側席の方を向いたので、すかさず信岡弁護士から「主任検事が居るとプレッシャーを感じますか?」と突っ込まれ「い、いえ・・・」と俯いたこと。
そして二人目の証言者である牧野副検事は、検事側尋問では一度も検事席を見ることなく証言し、反対に弁護側尋問になると身体を弁護側に向けて、身振り手振りを交えて答えるその様子から、証言者交代の僅かな時間にも上司からの指示が飛んでいたことが伺われた。

高橋副検事は、取調べに対して「記憶がない」と一貫して否認し続ける田村元補佐と(厚労省職員)K氏の否認調書を一通も作成して居ないのだが、このことに いて弁護側から問われると「本当は記憶に残っているのに(わざと)隠しているのだから、思い出すまで調書を作成する必要は無い」「否認調書を作成すると、嘘をついても良いのだと思わせることになる」と答える。「証言の変遷を記録することを必要とは思わないのか」と河津弁護士が聞くと「思わない。前田主任に報告したら、不要だ、思い出した部分だけ調書にしといてくれ、と言われた」と答え、取調べ検察官たちは前田主任検事の方針に粛々と従って取調べを行ったことが、傍聴席にストレート伝わった。

「6月7-8日に作成された調書で、多くの証人から一斉に『自立支援法を成立させるため』という文言が出てくるが、これも主任の指示か?」と弘中弁護士が聞くと「指示はなかった。証人が自発的に喋った。」と言いながら「主任の指示で調書にした」と答える高橋副検事。

公判終了後の記者会見で弘中弁護士が明らかにしたのだが、田村補佐、北村補佐が6月7日、塩田元部長、江波戸室長、村松係長、N氏が8日に、「自立支援法を通すために」という調書を、まさに一斉にとられているのだ。

「主任の指示というのは会議などで出されるのか、一対一か?」と弘中弁護士が聞く。
「一対一です。」と答える高橋副検事。「指示はどのように受けるのか?」「取調べが終わってからだけでなく、休憩時間などにも受ける。自分は東京、主任は大阪地検に居るので電話で指示を受ける。」と、忠実に職務に励んでいることを強調する高橋副検事。

う~む、検察という組織は、取調べ内容などを組織全体で共有し、確認や評価、批判をしあいながら捜査を進めるのかと思ってたけど、違うんやな!! 主任検事がストーリを創ったら部下たちは疑うこと無く(疑うことを許されず!?)ストーリに沿って捜査を進めるんや、ということを痛感した。

また取調べでは、すでに取られた別の被疑者の供述調書(否認供述は一切書かれていない)を手元に置いて「誰それはこう言ってるぞ」と迫るのだが、その理由を高橋副検事は「他の取調官以上の調書を取るよう、主任から指示されてのこと」と証言。取調官どうしを競わせる手法が使われていると分かる。

「田村補佐の取調べ前に見た資料は何か?」と弘中弁護士が聞く。「それまでの供述調書や捜査報告書などだが、それが資料の全てかどうか分からない。しかし・・・主任から回って来たものは全て見る」と応える高橋副検事。
高橋副検事が、証人席でただ一度だけ前田主任検事のほうをチラ見したのは、プレッシャーからなのか、忠誠心を認めてもらいたいためなのか・・・いずれにしても「主任検事の判断が、絶対遵守すべき捜査基準なんや!」と、強烈に伝わってくる。

裁判官から「取調べメモ」の破棄について糺された時は、高橋副検事も(今日の二人目の証人である)牧野副検事も、すでに出廷した取調べ検察官たちと同じく「不要だから」と言い切った。高橋副検事は「調書は、どの部分を書き込むか主任からの指示を受けたものだが、メモは自分の走り書きなので役立たない」と”補足”までしてみせる。そして「誰それから、こういう供述を得ているよ、というのは圧力ではないのか?」と裁判官に聞かれると「ちょっと・・・意味が分かりません。」と、本当に戸惑った様子を見せるのだった。

牧野副検事は、記者会見で弘中弁護士から「便利屋」と評されたほど、主任検事の指示によって日替わりで何人もの取調べに当たってるのだが、弁護側の尋問に対しても、裁判官からの尋問にも答えが常にしどろもどろで、時には検察官席に目で助けを求める様子を見せ、裁判官から注意を受ける一幕も。その検察官側には、前田主任検事が奥まった席からガンを飛ばしているというシチュエーション。

二人の副検事の尋問終了後、検察側により河野、倉沢、塩田、木村の4氏の調書が証拠請求された。4氏については、検察官調書と食い違う証言をした重要証人だからという理由だが、「自分に都合の良いところだけを調書にしておきながら、今になって覆した証人の調書を証拠請求するのはおかしい!」と弘中弁護士が激しく抗議して攻防の結果、「証拠物」として採用された。調書がえぇかげんで一方的なものやということは、すでに明確になっているけど、裁判が長引くのが心配やな。

昼休み終了後、なぜかいきなり法廷入り口でボディチェックが始まった。理由の説明は無し。江川紹子さんはじめ傍聴者がすべてチェックを受けたそうやけど、チェックに気付かないで「うっす!」などと言いながら、キャリーバックを引っ張って傍聴席に走り込んだ私は、なぜかチェックを受けずじまい。江川さんに呆れられてしまった。

そしていよいよ、厚子さんが証言台へ。
弘中弁護士から「公務員としての思い」を問われ、「大学の時の恩師から、公務員は国民の願いを法律や制度にして行く翻訳者だ、と言われた言葉を最も大切にしている。」と、少し緊張が感じられるものの、いつもの穏やかな表情を浮かべ、明瞭な声で尋問に応える厚子さん。

「女性、高齢者など、日本において遅れている分野の仕事にはやりがいがある。この分野は民間の人も大変努力されているので、信頼に応えたいと思いながら仕事を続けて来た。平成9年に旧労働省で障害者雇用対策課長として、初めて障害問題に取り組んだ。『働くこと』は、障害の有無にかかわりなく人間の尊厳にとって、とても大切な問題であり、障害があっても働けることが当たり前の社会にしなければならないと思った。女性も障害者も、能力が高くても社会的偏見などで働けない場合が多く、よく似た問題だと思っていた。労働省で障害者に関わる課は一つしかないので、ここだけか・・・と思っていたら、厚労省になって改めて福祉分野で(障害者問題に)携わることができた。」
厚子さんの声が静かに法廷内に広がる。

そう・・・プロップ・ステーションは、厚子さんが障害者雇用対策課長に就任された年に、草の根のボランティアグループから厚生大臣認可の社会福祉法人となり、それからずっと「障害者(チャレンジド)が、当たり前に働ける日本」を目指して、厚子さんと私は二人三脚で歩んで来たのだ。拙著「プロップ・ステーションの挑戦~チャレンジドが社会を変える~(筑摩書房)」を厚子さんに手渡し「これ読んでくれへん」と言うと、一日で読み終え「ナミねぇ、これで私は上司と闘えるわ」とニッコリ微笑みながら言われたのを、昨日のことのように思い出す。「女問題も、障害者が働きにくいのも根っこはおんなじ、日本システムの課題だからね。それを変えなくっちゃ!」と、朗らかに言った厚子さんに「わぁ、官僚にもこんな人が居てはるんや。私ら同士になれるかも!」と強く感じた、あの日。

その厚子さんが、検察の創作ストーリという罠にはまって5ヶ月間も勾留され、公務員の仕事を奪われ、今、裁判を戦っている。こんな理不尽なことが有ってえぇもんか!!
いやいや、怒ってる場合ちゃう。厚子さんが冷静に証言してはるのに、私が血ぃのぼってどないすんねん。どぅどぅどぅ・・・と傍聴席で自分を諌める。

「それが、今回の福祉企画課長ですね。」弘中弁護士の問い掛けが続く。
「はい、もう一度やれる!と嬉しかったです。」と厚子さん。
「でも、支援費で予算が不足し、障害者団体が厚労省を取り巻く状況の中で、自分にやれるかな、やらねばならない、という思いでいっぱいでした。」

支援費制度の導入で、行政が障害者の施設やサービスを規定する制度から、障害者自身がきちんと契約してサービスを得る制度に転換したものの、財政面が脆弱で「補助金の枠」を超えると地方自治体が持ち出すか、サービスを止めるかという状況に陥ってしまい、年度当初は予算を無理に圧縮したり(高齢施策などから)流用したりしたが限界が来たことから、制度の見直しが必要になった・・・という経緯を厚子さんが簡潔に説明する。

そこで、高齢者の介護保険制度の年齢制限をなくし、保険料を支払うことで若い人も障害を負ったら使えるという方向で行けないかということを介護保険の審議会にかけたが、なかなか進展せず、16年8月ごろから新たな制度設計をしようということになり、10月にグランドデザインをまとめた。
サービスの選択、大型(収容型)施設ではなく街の中で暮らす、働くことを当たり前にして行く、国民全体で支える、など支援費の良いところも取り入れ、11月頃に「介護保険を使わずにやる」ということで財務省も説得できた時、自立支援法の骨格が固まった。そして17年1月に始まる国会に法案提出する、という経過をたどりました。

厚子さんの説明を聞いて弘中弁護士が「すると自立支援法は、16年の夏から暮れにまとまった訳ですね」と質問する。「そうです」と厚子さん。
「(この事件は、自立支援法を通すため、石井議員からの要請を断り切れなくて起きたというのが検察のストーリーだが)それなら16年6月に、自立支援法が理由でということは・・・」「あり得ません」厚子さんがキッパリ答える。
「インターネットなどで審議会関連を調べると、経緯がすべて確認できます。」

その後、同僚から「メモ魔」と言われる厚子さんの手帳や、日々細かく綴ったノートの(手書きの)内容をパソコンに移した資料などを元に、弘中弁護士が16年6月1日から10日間の、厚子さんのスケジュールを法廷内のディスプレイに映し出して確認する。
まさに分刻みで会議、打合せ、委員会、与野党議員への説明、関係団体回り、などなどなどがビッシリ続いており、「アポなしで倉澤氏が訪れて、厚子さんから手渡しで偽造証明書を受け取ること」など「やれるもんならやってみなはれ状態」やったことが明らかにされた。

また厚子さんが上村係長に直接指示したという点については「直属の上司の頭越しに、私が係長に指示するような失礼なことは、あり得ない。また交付や通達は通常郵送される。石井議員についてはお名前とお顔は存じ上げていたが、話をしたことは一度も無かったし、石井議員と厚労省との関わり自体も無かった。」と述べた。

逮捕の状況については「遠藤検事から大阪地検に前日出頭要請があった。倉澤氏からの依頼や、上司から指示を受けて部下に自分が指示しただろうと、何度も何度も聞かれたが、記憶にも無いし、覚えてもいないので話が噛み合わなかった。」弘中弁護士が「逮捕は遠藤弁護士から告げられたのか?」と聞く。「知らないことを、知りませんと言って逮捕されるなんて、なんか非常事態のような気持ちで・・・手続き説明では、10日間の勾留が1回更新されて20日間。それから起訴するかどうか決まるが、あなたは起訴されます、と言われました。決まってるなら20日間は何なんだ、と思いました。」と、初めて厚子さんの声が悔しそうに震える。

「真相解明が検察の役割のはずなのに、検察がそんな方針ならどうすれば良いんだろうと、思いました。」

「調書を拒否したことは?」「ありました。長い調書を持ってこられたけど、塩田氏や上村氏への悪口などがいっぱい書かれていて、これは自分の人格と違う!と拒否しました。」
「その調書は面前口授ではなく(遠藤検事が)出来上がったもの持ち込んで来たんですか?」と弘中弁護士。「はい。立派な否認調書ですよ、どこが気に入らないのか言いなさい、と言われて、全く別人格の内容なので一部だけ直せるものではない、と答えました。すると検事が『これは検事の作文です。書きなおします』と言って、作り直されました。でも納得できない部分があったので、明日弁護士に相談させて下さい、と言うと、自分は今日だけで、明日は検事が変わる、と言われたので、徹底的に直してもらって(否認調書に)サインしました。」と、厚子さんが話す。

遠藤検事の直した調書にサインしたことについて「明日は人が代わると言われたことと、逮捕前に女性事務官たちの雑談から、失礼な言い方だけど、割とましな人と思ったので・・・」と厚子さんが言うと、傍聴席からクスクス笑いが起きる。「でも、二人でかなりやり取りして調書を書き直し(私が)サインします、というと『決済を取る』と言って出ていかれたので、もし上司がダメと言ったらどうするの・・・と、すごく失望しました。」

「罰則などについては何か聞きましたか」と弘中弁護士。
「執行猶予がつくだろう、たいした罪ではない、と言われ、非常に腹が立ちました。私にとっては・・・・」厚子さんの声に涙がまじり、嗚咽となる。
「公務員としてやってきた30年間の信頼を、全て失うのです・・・・」
厚子さんの小柄で細い背中が震え続ける。隣の席で傍聴している二人のお嬢さんも目を真っ赤にしている。
「今日はこれで。」裁判長が、閉廷を告げた。

厚子さんの証言は、明日も続く。

<文責:ナミねぇ>
4月15日
各メディアに村木厚子さんについての記事が掲載されました。
4月14日
各メディアに村木厚子さんについての記事が掲載されました。
4月9日
『婦人公論』(中央公論社)4月22日号に「“郵便不正事件”傍聴記 検察証人が冤罪を主張 異例裁判のゆくえ」が掲載されました。
“郵便不正事件”傍聴記 検察証人が冤罪を主張 異例裁判のゆくえ “郵便不正事件”傍聴記 検察証人が冤罪を主張 異例裁判のゆくえ
3月31日
厚子さん第16回公判傍聴記 by ナミねぇ

3月29日(月)花冷えなんてもんやない、寒風の大阪!ぶるぶる…(^o^;
あ、今朝も江川さんが傍聴に来られてる! 早朝東京を出られたそう 。紹子さん、ありがとうございますm(__)m
傍聴席に入ると、江川さんに名刺を渡して挨拶する傍聴者あり。
う~む、さすが著名なジャーナリスト!! 今日は、厚子さんのお嬢さんも傍聴に。

10:05開廷。
今日は上村、河野、木村の3氏を取り調べた國井検事2回目の出廷。
彼こそ私に「検察の取調べノウハウ」を書かせた検事だ。
再度、第9回公判傍聴記(被疑者ノートを公開したTOM氏の傍聴記も併載)を確認の上、今日の傍聴記を読んで戴ければと思う。
http://www.prop.or.jp/court/2010-02-25.html

今日の公判は、検事側からの尋問で公判の幕開け。
白井検事「あなたは遠藤検事と途中で上村氏の取調べを交代してるが、上村氏が村木被告の関与を否定していることを聞いていたか?」「いえ、聞いていません」「遠藤検事の調書は読んでいたか」「いえ、読んでいません。でも前田主任検事からは(村木元企画課長の関与を)聞いていた。」と國井検事が答える。
先日出廷した林谷検事を含め「前田ー林谷ー國井」3検事が、厚子さん主犯切を主導したことが、冒頭から明確になったことを実感する。

「あなたは上村氏の否認証言を調書にしていないが・・・上村氏が(調書に書かれた村木主犯説を)覆す可能性が有ったのでは?」と聞く白井検事。
「最初から単独犯と主張していたので、覆す可能性を感じた」と応える國井検事。
「なので、村木さんやあなたの起訴は決定してるよと(上村氏に)伝え、もう一度きちんとはなして下さいというと上村氏は・・・スラスラと、翻すことなく喋ったので、調書にした。否認している間は不確定な状態なので調書にする必要はない。(被疑者が)『真実』を語ってから調書にする。」と応える國井検事。

どうやら「真実はすでに決まってるんや、それに沿って供述せんかい!」っていうのが、検察の姿勢らしい。もしかして心の底では「裁判も不要」って思ってる!?

「上村氏が、被疑者ノートに取調べの様子を詳細に書いているのは知っていたか?あれは真実か?」と白井検事。「自分の記憶とは違う。彼は揺れていたということだと思う。それにしても、うまく私の会話を取り込んで狡猾に書いているなぁという印象だ。」上村氏の被疑者ノートを真っ向否定する國井氏。
「被疑者ノートに、トランプを2回したことが書かれてるが・・・どんな理由でトランプを?」と白井検事が聞く。

「最初は、両親が面会するという前日に、暗い顔をしてたら心配をかけるだろうということで、トランプをした。2回目は保釈前日。翌日保釈されて外へでるとマスコミが居てインタビューされるので、暗い顔では・・・と(本人が)気にしてたので、気を楽にさせるために、トランプをした。」まるでブラックジョークのような話を、平然と語る國井検事。「もう何を言っても無駄、あきらめた、投げやりな気持ちになった・・・」と被疑者ノートに心情を吐露した上村氏。
そんな上村氏を、まるで親切心からトランプ遊びに誘ったかのような國井検事の証言に、國井氏の取調べに対する冷酷な姿勢が伺える。猛獣が、か弱い小動物を弄ぶかのような取調室の風景を想像し、慄然とする私。

上村氏は被疑者ノートに「取調室に行ったら今日はトランプを持ってきたから一緒にやろうと大貧民とかダウトをやった。嫌だというとどうなるかわからないから応じた。こんなことしている時間があるなら早く調べて早く出して欲しかった。」と記している。

「取調べメモについて聞くが」と話題を変える白井検事。「メモはいつも取っているのか? 破棄の理由は?」
質問にキッとした口調で國井検事が答える「私はメモをとるために取調べをしてるのじゃない! メモは全て調書に反映してるので、破棄に問題はない。」

國井検事に言い返された白井検事は「上村氏は調書が間違っていると公判で証言したが・・・」と尋問しかけ、少し間をおいて尋問内容を変える。「取調べでは号泣した後、村木さんの指示を認めたんですね?」同僚である國井氏の態度に気分を害したが、気を取り直そう・・・と自分に言い聞かせたかのように見える白井検事。微妙な態度の変化が感じられる。

公判直前に、塩田氏に石井議員との交信記録が無かったことや、(倉沢氏の押収物に)実は名刺が無かったことを北村元課長補佐に知らせたばかりでなく、取調べメモの破棄を問題視する白井検事と、今回の事件を政治案件&厚労省ぐるみ犯罪というストーリーに創り上げて、村木厚子現役局長逮捕を実行した、前田ー林谷ー國井3検事ラインとの「確執」が、ほんの少しだが垣間見えた瞬間だった。

白井検事は、上村氏が最初の取調べから「単独犯を主張していた」ことを、どう考えるかと國井氏に重ねて聞くが、「単独犯である動機が、予算で忙しかった、凛の会からせかされて一人でやったなど、同じ国家公務員として私にはそんな動機は理解できない! 
偽造とはいえ稟議書も作成しているし不自然な供述だ。フロッピーのバックデートなど、第3者の指示があったに決まっている、村松氏など周りの者は皆は証言してる、と追及すると、ちくしょう!と号泣しながら、分かりました、認めますと・・・そういう流れだ。」白井検事を鼻先であしらうように応える、國井氏。

ここで尋問が弁護側に変わる。
弁護側は、國井検事が上村氏取調べの当初から「(上村氏が)大臣印を勝手に使って(本事件とは無関係の)証明書を作成したことがある」ということや、「厚労省職員が、法令集への執筆謝金を係長の口座(当時の係長は上村氏だった)にプールしていた、いわゆる裏金事件」などの話題を上村氏に投げかけ、「色んな不正を働いていたことは分かっている」と、あたかも別件での逮捕や勾留延長が有るかのように迫って「村木課長主犯説」を供述させた取調べ手法に、疑問をなげかける。

「それは脅しではないか!?」と問う弁護人に対し「真実を話すことを渋るので(裏金の件などを知ってると伝えて)楽にしてあげようと思った。色々やってるのに、この事件だけ隠しても意味ないことを伝えただけ。」と國井検事。

う~む、検察の取調室に連れ込まれたら、どんなささいな悪事でも(大きな悪事は勿論のこと)調べ上げられ、追い詰められ、いったい自分が今、何の罪状で取り調べられているのか分からんような心理状態に追い込まれ、自分の返答の結果の軽重を自覚する機会も与えられないまま、喋らされ、検察がいうところの『真実』に沿った供述調書が作成されるものなんや、ということを、よ~く覚えておこう!!
そして、疲れ果てたら「トランプ遊び」をさせられることも・・・

心底「怖いなぁ・・・」と思いながら傍聴していたが、少しだけ痛快な場面が。

國井検事は、木村氏(石井議員の事務所に、河野氏とともに口きき依頼をしに行ったことを否定した証人)への取調べで、机を叩いたり大声をあげたことから、木村氏の弁護人から「脅迫まがいの取調べだ」と申し立てがなされ、検察の中で「調査・措置」が行われた。その内部調査の記録を、弁護人が裁判長の承諾を得て法廷内のディスプレイに表示すると、猛烈に抵抗をはじめた。

その記録、大坪弘道特捜部長作成の「取調べ関係申し入れ等対応票」によると、佐賀元明副部長の聴取を受けた國井検事は「(取調べにおける)木村氏は、真摯に記憶喚起に努めており、机を叩く必要はなく、そのような事実は無い」と述べたことになっている。
この弁明によって、大阪地検は「恫喝的取調べは無かった」と判断したようだが、今日の國井氏は証言席で、怒鳴ったことと机を叩いたことを認めている。
証言の信憑性が、根底から疑われる状況に慌てた國井検事は、「副部長と自分の間で認識の齟齬が有っただけだ」と、さかんに弁解を繰り返したが、弁護人から「では、特捜部長 名で出ているこの文章は、作文だと言うんですか!?」と問われ、傍聴席からも失笑が湧いて、唇を噛むという一幕があった。

しかし「少しだけ痛快」だったのは一瞬のことで、その後、國井検事が木村氏に「弁護人解任届」を書かせたことが明らかに。弁護費用(の額?)のことを國井検事に相談をした 木村氏に「弁護人は解任できる」と言うやいなや、すぐさま検察庁の紙を持ち出し、書き方を指導(!?)しながら自筆で「解任届」を書かせ、即刻木村氏の弁護人は解任された という。その「解任届」もディスプレイに表示された。

「検察庁に解任届を出しても弁護費用の問題解決にはならないということは、法律の専門家ではない木村氏には分かりませんよね。解任しても、費用の話はそのまま残るんですよ 。」と、國井検事の画策を指摘する弁護士。検察はそれで溜飲を下げたとしても、木村氏が相談したかった「弁護費用の話」には、実はな~んも繋がらないのだ。 弁護士の指摘に、「はぁ」と鼻先で答える國井検事。
「(これで)けっこうです!」と、弁護側が尋問を打ち切った。

検察側、弁護側の尋問が終わり、裁判官たちがとりまとめの尋問に入る。
右陪席裁判官が「組織的犯罪だと國井検事が考える理由」について、聞く。「キャリアからノンキャリは蔑視されており、上村氏はノンキャリ仲間を庇って単独犯だと言っていた 。ノンキャリの仲間に迷惑をかけたくないと思っていたのだ。」と國井検事。「ノンキャリの上村氏が単独でやっても、迷惑をかけることに違いはないのでは?」と裁判官。「単 独と組織的とでは重みが違う。」と答える國井氏。「そのように上村氏が供述したのですか?」と裁判官。「いえ・・・私がそう感じたということです。」

木村氏に対して、大声や机をたたいた理由は?」「足を組むなど態度が悪かったことや、客観的証拠を示しても『分からない』などと言って、真剣に対応しなかったから。」と 國井氏。「机をたたくと、すぐ変わった?」「他人事のように考えていた、申し訳なかったと謝った。」「被疑者としての取調べですよね。逮捕されるのではないかと感じている 状態ですよね。」「はい・・・」

左陪席裁判官からの尋問に移る。「ノンキャリが虐げられ、蔑視されていることが(本当に)動機なんですか?」「それが背景にある。」「本件の背景に?具体的には?」「キャ リアから汚れ仕事をやらされるのがノンキャリ。」「具体的には?何人のキャリアから?」「塩田、村木・・・と聞いた」「かなり特定されますね。」「この話は、特定というよ り厚労省全体に渡っている。この件だけではない。直さなければいけないと上村氏は言っていた。」と國井検事が言う。「それなのに単独犯と主張?  矛盾していない?」と裁判官が突っ込む。「たしかに・・・でも、同僚の心配をしていると思った。」「同僚?具体的には誰?」「・・・一般的に・・・特に誰ということではな く・・・」口ごもる國井検事。
「上村氏の不眠について。眠れないと言ったのですね」と聞く裁判官。「寝付きが悪いと言っていた」と國井氏。「薬は?」「必要なら拘置所で処方されるでしょう」「一般論を 聞いてるんじゃないんです。」と裁判官。実際には、薬は処方されなかった。

最後に裁判長が、メモ破棄に関して再度聞く。「上村氏が公判で(証言を)ひっくり返すという危惧は?」「はい、ありました」と國井氏。「すると調書との食い違いが出ますね 。裏付けをとっておこうとは思わなかった?」裁判長の問に國井氏が声を強めて「メモや被疑者ノートと調書では重みが違います。調書は署名し指印を押してある。メモはとって おく必要は無いと思っています。」と、言い張る。「検察事務官は、たとえば上村氏が泣き出したとか記録はとってる?」「何もメモしてないと思います・・・そんなこと書かな いですね。」となぜか少し笑いを含んだ声で答える國井検事。「(被疑者の供述時の態度は)調書を読むと思い出すので、大丈夫ですよ。」

「こういう時は保釈が難しい、といった話は?」と裁判長。「ふだん刑事事件をやってるので、いくつか事例を・・・一般論で言いました。」「今回の事件で保釈になるかどうか 、という話は?」「調書に書いてる一回だけ。保釈前日に弁護人と迎えの車の話をした時だけ」「余罪について、穏便にすると言ったのは?」「本人が再逮捕を怖がっていたので ・・・個人的には大丈夫と思う・・・と別れ際に言いました。」「あなたが紙に、塩田、村木、上村など相関図を書いたと、被疑者ノートにありますが。」「氏名と矢印を書いた 記憶がありますが・・・あれは彼のほうから、供述の概要を教えて欲しい、弁護人と相談させて、と言われたので、分かりやすくなればと思って書いたのです。」と國井氏。

「終わります!」裁判長が、もう充分、という声で終了を告げる。

最後の尋問で「取調べ中に起きた多くの出来事が、供述調書には記載されていないこと。そしてメモは破棄されていること。」を裁判長が明確にして、國井検事の証人尋問は終わ った。

休憩のあと2名の検事の尋問が残っているが、上京の時間が迫ったので、江川さんに後を託して大阪地裁を出なければならない。 夕刻から、総理主導で設置された「雇用戦略対話」のワーキンググループ(WG)会議に出席するのだ。
過去に2回、官邸で開催された「雇用戦略対話 本会議」にゲストで招かれたが、一人3分間の制限があったうえに意見交換の時間も無かったが、今日から開催されるワーキング グループでは「エンドレスの議論」が出来るという。(注:会議終了後にこの傍聴記を書いているが、残念ながら第1回のWGは、エンドレスではなかった!)

メンバーは、労働界から連合、産業界から経団連と日本商工会議所、全国中小企業団体中央会、有識者として慶応大の樋口教授と北大の宮本教授、そしてナミねぇという顔ぶれ。 厚子さんと一緒に長年取り組んできた「チャレンジドの就労促進とユニバーサル社会の実現」について、厚子さんの分も一生懸命発言しなければ!と決意を新たにする私。

法廷を出る前に、厚子さんとハグを交わす。
今日の厚子さんは、チャコーツグレーでスタンドカラーというとてもお洒落なスーツ姿。「めちゃ似合っててナウいやん!」と、思わず古臭い言葉で褒めてしまう。
「ありがとう」と、はにかむ厚子さん。

今日で、取調べ検事の出廷が終わり、次回からは3回にわたって「被告人質問」つまり、厚子さん自身が証言台に立つ日が続く。
「頑張ってな!!」と厚子さんの耳元でささやいて大阪地裁を後にし新大阪駅へ向かう。
寒風の中で健気に咲く新御堂の桜に、厚子さんの姿をだぶらせながら・・・・

追記
私は第16回公判傍聴を中座したが、江川紹子さんの傍聴によって、國井検事に続く遠藤検事の尋問において裁判長が「取り調べ検事の裁量で録音録画することは認められないの か」と問い「申請したことがない。(取り調べを行った)拘置所には器具はないし」と遠藤検事が答えたところそれに対し… 「ICレコーダーとかがあるでしょう」と、裁判長がソフトな口調で鋭い突っ込みを入れたとのこと。
結局、取り調べ状況を記録に残す「可視化」が必要であると、一連の検察官証人が如実に示す結果となった公判であった。

第16回公判、江川さんのツイッター傍聴記

厚労省元局長村木厚子被告の公判:公的証明書を偽造した上村係長を取り調べた國井検事が前回に引き続き出廷。上村係長は弁護人から差し入れられた「被疑者ノート」に國井検事から言われた言葉や、自分の言うことを調書に書いてもらえない、供述と違うことが書かれていると書いていた。
公判廷で取り調べ状況についての上村係長と國井検事の証言は、まっこうから食い違う。検察側から「上村さんが実際の取り調べと違うことをノートに書いている理由をどう考えるか」と聞かれた國井検事は、次のように答えた。

「当時から、彼は事実を供述するかどうか非常に迷っていた。(村木被告の関与を)供述した後も、単独犯にできないかと言われた。心が揺れ動いていた。(被疑者ノートには) 私の話をうまく取り込んで書いている。狡猾だなと思う」と上村被告を非難。起訴前日には、村木ともども起訴することを伝えたうえで「今までのことは忘れてもらって結構なので、一から話をして欲しい」と語りかけたところ、上村は「スラスラと今までの供述を繰り返した」と取り調べの正当性を強調。上村から署名拒否されたことはないと主張した。

國井検事に対し、弁護人が反対尋問。弘中主任弁護人は、昨年5月26日に上村係長を任意同行・逮捕してから、連日取り調べを行ったのに、5月30日まで事件についての調書を1通しか作っていないことに着目。各日の取り調べ内容を確認したうえで、「なぜ調書にしなかったのか」と追及。國井検事は「内容が裏付けがとれなかったから」などと弁明。弘仲弁護士は「あなたは供述の裏が確認できなければ調書にしないのか」と問うと國井検事は「そうです」と認める。さらに、國井検事がその後村木被告の取り調べをした際、1通も調書を作成していないことを弘仲弁護士が指摘

「被疑者が否認したら、否認調書を作るのは当然。あなたは被疑者が否認しても否認調書を作らないのか」と迫った。國井検事は「ケースバイケース」と。弁護人は「違う検事の取調べに対して、同じように否認しているのであれば、意味がある」と追及。
國井検事は、「従来の供述内容と変わらなかったから」と繰り返すだけだった。その後、河津弁護士が立つ。河津弁護士から驚きの事実が……

法廷に戻らなければなりません。この続きは夕方  ↓

國井検事は、逮捕された上村係長と合わせて、「凜の会」設立者の一人木村氏の任意での取り調べも担当。検察側の筋書きでは、木村氏は倉沢会長と共に石井議員の事務所に口添えを頼みに行ったとされる人物。しかし木村氏も、公判での証言でそうした調書は「検事の作文」と証言している

さらに、國井検事から怒鳴られたり机を叩かれたりして恫喝された、否認しても認められず「いいんだ、サインしろ」と迫れられたなどと証言している。國井検事は、検察側主尋問の中で怒鳴ったことと机を2、3回叩いたことは認めながら、次のように説明していた。「木村さんは足を組んで体を斜めにしていて、とても真摯に話しているとは思えなかった。それで『私も真摯に調べているのだから、あなたも真摯に応じて欲しい』と言った。すると木村さんは姿勢を正して『他人事と考えていた、すみません』と言い、態度が変わった」と。

その後、木村氏は「スラスラではない」ものの、「事実」を認めるようになった、と國井検事。机を叩くなどの恫喝的な取り調べはやめるよう、木村氏の弁護人検察庁に申し入れている。それについて木村氏に確認したところ、「私が出してくれと言ったわけじゃない」と言った、と國井証言。さらに、木村氏の方から「弁護士を解任したい」というので紙を渡して、最初に解任届と書いて、あとは自由に書いてもらった、と。ここまでが検察側の主尋問で出た話。反対尋問に立った河津弁護士は、まずはこの國井検事の言い分を確認。その後、1通の書面を示した 

示したのは、「取り調べ関係申し入れ等対応票」と題する書面。木村氏の弁護人からの申し入れの後、佐賀元明特捜部副部長が國井検事に事情を聞いた時の状況が書かれている。佐賀副部長に対し、國井検事は木村氏の供述態度などについて次のように述べていた。<木村は真摯に供述しており、机を叩く必要はなく、そのような事実はない>。この説明で、大阪地検は國井検事が机を叩くなどの恫喝的取り調べはしていないと判断したもよう。國井検事は上司に対し、机を叩いてないと、嘘を言っていたのか。河津弁護士が証言と書面の矛盾を突くと…

國井検事は「私は恫喝したり恐喝したりするために机を叩いたんじゃない」「机を叩いた後は真摯になった」など述べた後、「私と副部長の間のやりとりに不十分なところがあっ た。恐喝恫喝したことがあるのかと聞かれたが、そういうことはしていない」などと弁明した

國井検事の発言は、上司の事情聴取で述べたことと、公判での証言とどちらが事実なのだろうか……

裁判官たちも國井証言には疑問を持ったよう。たとえば上村係長が当初単独犯を主張していた(國井によれば真実を隠していた)理由について、國井証言は「上村はノンキャリの同僚を庇っていた。厚労省は国民からの批判浴びることが多く。また組織的不正が明らかになったら…同僚が悲しい思いをする」と。左陪席裁判官は「ノンキャリの上村の単独犯でも、他のノンキャリに迷惑がかかるのは一緒ではないか」と率直な疑問。國井は「1ノンキャリがやるのと組織的では、国民の批判の目は違う」と説明。裁判官「上村がそう説明したのか」國井「それは私の想像」

裁判官は重ねて「なぜ、本人に聞かないんですか」。國井「聞いたが、細かいところまで答えてくれませんでした」。裁判官「聞いたんですか」國井「……」

ノンキャリの同僚を守るために、キャリア官僚の村木被告の関与を言えなかったというわかりにくい説明には、右陪席も「矛盾を感じませんか」と至極もっともな疑問を投げかけていた。そして、最後に裁判長も質問。「上村が公判で証言をひっくり返すかもしれないと、捜査段階で思っていたのか」國井「はい」裁判長「取り調べ状況について主張が食い違う可能性があるのだから、裏付けを残しておこうとは思わなかったのか」。裁判長、検事のメモ廃棄について、かなり疑問を感じている様子

國井検事は上村が泣き出した後に供述を始めたと述べているが、そうした状況はメモもせず、記録にも残していない。裁判長はその点について「いつ泣き出したのか分からなくならないか」と問う。國井検事は「調書を見れば思い出す」と。けれど、客観的にその事実を示す記録は何もない

木村氏、上村係長と次々に村木被告の関与を認めるストーリーの通りに「自白」させた國井検事は、最後に、否認を貫いていた村木被告の取り調べを担当。大阪地検特捜部は、國井検事の”捜査手法”を知ったうえで、この配置を決めたのか……

次に出廷した遠藤検事は、当初村木被告を取り調べ、その後國井検事と入れ替わり、上村係長の取り調べをした。事実関係については、ほとんど詳しい調べはせず、心境などと聞き、最後に反省文を書かせた、と。その反省文について、上村は遠藤検事に書き直しをさせられたと述べている。書き直しの理由について、「訂正箇所が多かったので、『清書してください』と言った」と。さらに事件による被害について言及したものを想定していたのに、短いものだったので「短いね」と述べた、と。裁判官は、反省文を書き直しをさせる経緯などを確認。

また、遠藤検事も上村係長が公判では証言を翻すのではないかと感じていたと述べたことについて、裁判長は「取り調べ検事の裁量で録音録画することは認められないのか」と問うた。「申請したことない。(取り調べを行った)拘置所には器具はないし」と遠藤検事。それに対し…
「ICレコーダーとかがあるでしょう」と裁判長はソフトな口調で鋭い突っ込み。ちゃんと取り調べ状況を記録に残す「可視化」が必要であることを、一連の検察官証人が示す結果となった

メモを捨てたというが、メモは個人のものであっても、そこに書かれた情報は税金を使って得た国民の財産だ。メモ紙に価値はなくとも、情報は高額の価値がある。公務員が税金を使って得た情報を勝手に捨てるのは許されない。

今日のポイントは①被疑者が検察の筋書き通りに供述しないと國井検事は調書をとらないのではないか、との疑問が提起された②國井検事は被疑者を恫喝していたという訴えに対し、國井検事が上司に嘘を言ったか、大阪地検ぐるみで「その事実はない」と隠蔽した疑いが持ち上がっていること

3検事の取り調べに裁判所が疑問を抱き、鋭い質問が相次いだ挙げ句、裁判長がICレコーダーによる録音を採ることもできると、可視化の必要性に言及する質問を行った??と いう3点だと思います。それを書いた上ならトランプ話でもなんでもどうぞ、という感じ

3月29日
各メディアに村木厚子さんについての記事が掲載されました。
3月25日
平成22年3月24日 第15回公判がおこなわれました。
林谷浩二・検事と國井弘樹・検事が証人として出廷しました。
「厚子さん、第15回公判傍聴記 by ナミねぇ」

3月24日(水)厚子さん第15回公判傍聴。
昨夜からの雨が止まず、べちゃべちゃ降ってる。晴れやかな公判になって欲しいけど、あの林谷検事の続きなので望むべくもなし。しっかり見て、聴いて、書き留めようと思う。

今朝も東京から江川紹子さんが駆けつけて下さった!ありがとう!
ホンマに心強いです(^Q^)/^
すっかり紹子さんと顔見知りになった厚子さんが、紹子さんを見つけて微笑みながら弁護団席に座る。
グレーのスーツに、エンジのとっくり姿で、少し痩せた感じなのが心配やけど「頑張ろうね!」と、心のなかで厚子さんに話しかける。

10:05、林谷検事出廷。
林谷検事の、今日の証言の特徴は、尋問に対して必ず「はい、はい、はい」と、とても軽く返事を返してから答えること。
子どもの時「はい、は一度でえぇ!」と言う躾を受けなかったのか、それともわざとなのか、いずれにしても、耳障りなことこの上ない。

弁護側尋問開始。今日は弘中弁護士事務所の若手弁護人が尋問に立つ。
まず「メモの破棄」について。「あなたは証人のプライバシーのため破棄したと言ったが、そのメモをコピーしたり、他人に見せたり、持ち歩いたりしたことは?」
林谷検事「仕事中は持ち歩くが、コピーや人に見せたりはしない。自宅にも持ち帰らず・・・といってさほど厳重に管理していた訳じゃないんですが」と、めんどくさそうに答える。

弁護士「プライバシー保護と言いながら厳重に管理していなかったと?」。林谷氏「はい、はい、はい・・・」弁護士「河野、塩田、村松、北村、全ての証人の取調べメモは、同時に廃棄したのか?」林谷氏「はぁ、そうだと思います。」

弁護士「メモを破棄することは指示があったり、相談したうえでのことか?」「それは、ありません。」「他の検事も、メモを全て破棄してますよね。」「はぁ、他の人のことは、知りません」「どのように破棄したのですか?」「コピー機の隣にある・・・役所のシュレッダーです。」

弁護士「供述調書には無いが、メモには書いたということがあるのでは?」「重要なことは、おおむね調書にしてますよ。」「消したり書き加えたりは?」「具体的に覚えてないが、主旨や文言が変われば前のを消して書き直します。」「どのような内容について書き直したか具体的に話して」

林谷氏「よく覚えてないが・・・」と言いながら聞き取りにくい声で何かだらだらと喋る。弁護士「書き加えたことを、具体的に」「よく覚えてない・・・」またもや「だらだらだら・・・・」。「破棄してなければ、供述の変遷が分かったのではないですか?」「はいはい、そうかも・・・だらだらだら・・・」 今日も聞き取りにくい、早口小声。

弁護人「調書を残してない日は、どんなことを取り調べたのか?」「前の日の確認か・・・場面の確認とか・・・むにゃむにゃ」「5月31日も、6月1日も3,4,5日も無いですね」「はぁ。同じようなことです。」「プライバシーに関する事って、どういう事なんです?」「はいはい、河野氏の場合事件に関係ない、交際相手とか、人間関係とか女性の名前とか・・・」と林谷氏。

弁護士「破棄してしまったら、事件に関係あったかどうか分からないじゃないですか。前回の出廷で、メモは証拠開示の対象と知っていたと言われたが、シュレッダーにかけるまさにその時にも、その事は知ってたんですよね」 弁護人の厳しい追及に「はい、はい・・・」とだんだん小声になり、林谷氏は最後に無言となってしまった。
でも「メゲてる訳やないですよオーラ」を全身から発している。要するに「スネてる」のね。

「河野被告の弁護人からは、メモを破棄しないようにという申し入れを受けてますよね」「はぁ、そうだと思います」「裁判長、河野氏の弁護人の申入書を提示します!」弁護人が声をあげると裁判長が頷き、河野被告の弁護人からの申し入れ書が、廷内のディスプレイに写しだされる。弁護人が読み上げる「くれぐれも破棄されませんように。破棄すれば証拠隠滅に該当する・・・この申し入れ書は見ましたよね」「はいはい、当時見たと思います。」林谷検事は悪びれもせず平然と答える。

「これを見てどう思いますか?」と聞く弁護人に「基本的に私は捜査応援なので、私のメモは本件が終われば関係ないものですから。」傍聴席に、呆れたぁ!という雰囲気が漂う中、弁護士は落ち着いて聞く。「検察は、厚労省の江波戸室長が上司に送ったメール(取調べ内容を上司に報告したメール)を、上司が削除したことを、押収したパソコンのデータに基づいて証拠隠滅で取り調べてますね!?」林谷氏「それがどうしたオーラ」発散。弁護人が畳みかけるように聞く。「あなたのしたことは、証拠隠滅ではないと?!」

「そのような証拠を押収したと思うが、取調べは私じゃないですよ。自分が取り調べるのじゃなければ、そんなに深く(証拠書類を)読んだりしません。」「取調べ調書は、検察官どうしで共有してると言ったじゃないですか。裁判長、証人の記憶喚起のため、調書を提示します。」弁護人が厚労省関係者の書面を林谷検事に手渡す。ディスプレイに写しださないのは、その書面に(取調べに関係ない)個人名が入ってるからとのこと。

「記憶が蘇りましたか?」と弁護人。「いいえ、記憶にありません。」と林谷氏。
「このような(上司へ報告の)メールを削除しただけで、証拠隠滅で取り調べた検察官が、自分はメモを破棄しても証拠隠滅じゃないと?」弁護人が迫る。「思いません」平然と答える林谷氏。「証拠隠滅の罪になるのでは、という不安感も無いの?」「はいはい。」「それはあなたが検察官だからですか?」「いえ、自分のメモですからね。」あきれ果てた弁護人が声を大きくして言う。「証拠開示というのは、被告人の防御のために必要なんですよ!」「はいはい、そういう意味もあるでしょうね。」シレッと答える林谷検事。

万一、こんな検事に取調べられた時の事を想像して、ちょっと吐き気を覚える私。

「あなたは供述調書を作成し、署名を求める時、どのようにするんですか?」「被疑者の横に立って、調書を指差しながら・・・」「裁判長!」弁護人が声を張り上げる。「状況を明確にするため、再現を求めます!。」裁判長が大きく頷く。弁護人の一人が被疑者役として証言席に座り、その横に「ゴツイ体格の」林谷検事が、立つ。「書記官からプリントした調書を受け取り、こうして机の上に置き、その調書を指差しながら読み上げて・・・」と林谷検事が説明しはじめると、裁判長がそこで驚きの一言。

「その角度では(傍聴席から)よく見えないので、机の位置を変えて、やり直して下さい。」
裁判官たちが座るひな壇の上に置かれた机が、証言スペースに降ろされ、傍聴席と直角に机と椅子が並べられる。林谷検事が机の上の調書に指を当てると、彼のがっしりした身体が被告人役の若い弁護士の身体に被さるようになり、かなり威圧感を与えるのが、はっきり感じられる。 「横に立たないと署名させられないんですか?」と弁護人。「いえ、座ったままでも・・・」もごもご言い訳する林谷氏。

わぉっ!横田信之裁判長、ナイスですやんっ。今日は座布団5枚差し上げますっ!!!

取調べ調書署名の再現が終わり、弁護人が再び聞く。「あなたは大声を上げることもあるそうですが、どのような意図で?」「被疑者が事実と違うことを言うからですよ。検察官には分かってるぞということを伝える時や、おかしい事をおかしいという場面では声を大きくしなければならないでしょう。」「村松氏は、取調べ開始から2-30分で証言を変えたそうですが、初対面の人に、2-30分の取調べで声を大きくしたんですか?」「はぁ。」と実に不満そうな声で応える林谷氏。

「河野氏の取調べには、どんな資料を示しましたか?」弁護人が、質問内容を変える。「本人が使ってた花柄のノートとか、通帳とか・・・平成16-17年に何をしてたか分かるものを色々。契約書とか・・・」「本件に関係ないものも?」「関係なくても、当時のことが分かるものなら何でも。」「で、石井議員の厚労省への口利きを裏付ける資料は、有ったんですか?」「ダイレクトに裏付けるものは無かったですね。」「河野氏が、厚労省から郵政公社に指示を依頼した具体的な資料は?」「記憶にありません。」「無かった?」畳みかける弁護人。「はい・・・」。さすがに「はいはい」ではなく、でも憮然と応える林谷検事。

「あなたは河野氏に、保釈金の話をしましたよね。」「・・・」「河野氏の弁護人の保釈請求書には金額が入ってないんですが、検察の意見書には・・・」検察の意見書がディスプレイに投影される。「保釈金100万円に相当する、と書かれてるが、これはあなたの判断?」「それは・・・主任検事(前田検事)が判断されます。」「あなたが意見を述べることはないんですか?」「はい」「拘置所で取調べたようですが、勾留が10日ですむとか、長くなることもあると言ったそうですが?」「記憶にありません。」「大阪地検には、録音や録画の装置がありますよね?」「はぁ・・・」「河野氏に、検察をなめるのか、とか一泊か二泊かして行くか、などと言ったそうですが・・・河野氏の弁護人から、録音・録画の申し入れを受けてましたよね?」「記憶にありません」「申し入れに応えなかったのですよね?」「はぁ・・・」「その後、再度申し入れを受けてるはずですが、録音・録画をしてませんね。」「はぁ・・・」
う~む、弁護人から直接催促されても、可視化をする気は無いということやね、大阪地検。

ここで、尋問が弘中弁護士に交代。
弘中氏がメモの破棄について聞く。「メモは聞きながら取るんですか?」「聞きながらテーマごとに分けて・・・」と林谷検事。「テーマごとといっても、初めは何も分からないですよね?」「はいはいはい。後で分かるように、1とか2とか分けてですね・・・」頭上で指を振り回しながら応える林谷氏。「どうやって分けるの?」「後で調書に写す時に。」「別の日に、まとめることもあるんですよね?」「はぁ」「消すこともあるんですよね」「はいはい。」「供述が変遷したり、揺れることもあると思いますが、消したら分からなくなるでしょう?」「日にち、もともと書いてませんから。」「いや、内容を消すと追及できなくなるでしょう、と聞いてるんです。」

「覚えてますよ、ささいな事は書かなくても・・・」「ささいかどうか、後で分かることもあるでしょう? そもそも、メモと調書の内容は同一のものと言われたが、メモが重大なものでないなら、なんのためのメモなんですか?」「追認材料ですよ」「(あなたから)雑談も話しかけますよね?」「はいはい」「それが雑談かどうか、被疑者に分かると思いますか?」「話の流れで分かるでしょう」「それはメモする? しない?」「したり、しなかったり・・・」「それじゃぁ、メモと調書は必ずしも一緒じゃないじゃないですか。」「はいはいはい。」

林谷くん、その「はい、はい」は止めてくれへんかなぁ。私がオカンやったら「どの口が言うてんねん! この口か!?」って、ほっぺたヒネったるのになぁ。でも1回目の出廷では普通に「はい」と言うてたのに今日は「はい、はい」。これって、どういう心境の変化??

この後、弘中弁護士は、塩田氏の最初の取調べで、塩田氏が業者や自民党議員からの金品の授受があることを林谷検事が言ったことについて「贈収賄で取り調べる可能性もあったのか」と聞く。「贈収賄の可能性もあると思った」と林谷氏。「公的証明書偽造事件の取り調べと言いながら、いきなりそれ?」と弘中氏。「いや、それを聞いたのは午前ではなく、午後ですよ。」と、脅しではないと言いたそうな林谷氏。「塩田氏が、石井議員から電話を受けたかどうか思い出せない、と言ってる時に贈収賄の話をする意味は?」「むにゃむにゃ・・・」言葉を濁す林谷氏。「相手が萎縮して、自分の主張がしにくいのでは?」と弘中氏。「金品もらってて萎縮しなけりゃ、おかしいでしょう!?」と開き直る林谷検事。

「で、村木さんや厚労省関係者はすぐ逮捕されてるけど、塩田氏の逮捕の予定は有った?」「それはなかった」と林谷氏。「色々疑惑は有ったが、その時点で確認できなかったので・・・。」石井議員の電話を受けたとか、村木課長の関与を言わせるための脅しだとは、絶対認めようとしない林谷検事。
弱みがあると、こうして「他の人を陥れるコマにも使われるんやなぁ」と、実感。

その後、塩田氏が名前を出した元大臣秘書官に「裏取りはしたのか?」と弘中氏が聞き、「その時はしていない。後日東京のほうがしたようだが、正直に話せと言われたという塩田氏の証言どおりであった。」と応える林谷氏。

ここで午前の尋問が終わり、午後は弘中弁護士から「塩田氏の交信記録」について尋問があったが「交信記録など残ってないのが常識だ」と林谷検事は言い放つ。しかも交信記録についての会話は「雑談の中で出たことなのでメモも取っていない」と言う。そしてあくまで交信記録の話は塩田氏から出たものだと。「取れないのが常識なら、おびえている塩田氏にそう言ってあげても良かったのでは?」と弘中氏。「塩田氏は当事者ですからね。当事者にそんなことは言いませんよ」と薄笑いを浮かべながら林谷氏が答える。

「あなたは塩田氏の公判での証言録を読み返したそうだが、塩田氏が公判担当の白井検事から交信記録は無いと聞かされ、ショックを受けたと書かれてるでしょう?」と弘中氏。
「はい、はい、はい」またも、林谷くん、はいはいはい反撃!
「白井検事から聞かれたので、そういうこと言ってませんよと伝えましたよ。なぜそうなってるのか、分かりません」。検事席で、メガネの奥の目を少し細めて、頬づえをつくような姿勢で林谷検事を見つめる、白井検事。

「塩田氏から、自立支援法がらみ、という調書を取ってますね。」と弘中氏が矛先を変える。「前田検事から指示されたのではないですか?」「主任から?されてませんよ」「6月7日、8日の両日に、すべての被疑者から自立支援法がらみという調書をとってるんですが、本当に指示は無かった?」「さぁ、偶然じゃないですかね。特に指示はないですよ。」
とぼけまくる林谷検事。

ここで尋問者が白井検事に交代する。
白井検事は林谷検事に、メモの破棄が弁護側から証拠隠滅ではないかと問われた件について聞く。「(証拠隠滅とは)全く思わない!」と言い切る林谷検事。白井検事が、取調べ証人として林谷氏が「脅迫的言動」で過去に2回出廷経験があることを指摘し「録画・録音の必要性」について、問いかけると「裁判員裁判が導入されて、手段の一つとしてそのような話になってるだけ」と林谷氏は言い切った。

弁護側、検事側の尋問が終わり、3人の裁判官から「メモの破棄」について、巷間よく言われる「検事・判事なれ合い」ではない、非常に厳しい尋問が、林谷検事に口々に投げかけられた。そして裁判長の「メモ開示の主旨は理解してますか?!」に林谷氏は・・・「はいはいはい・・・」
わっ!裁判官の尋問にも「はいはい」かよっ!!
「でも、その主旨に則るようなことは書いてません。」と、最後まで平然と答える林谷氏の態度に、法廷中が唖然としつつ、「取調べ検察官林谷氏」の尋問が終わったのだった。

午後3時からは、3人目の取調べ検事である國井氏の出廷だが、冒頭、弘中弁護士から「石井議員が2月25日に行ったゴルフ場へ、裁判所がかけた照会の「回答書」が提示され、ディスプレイに内容が写しだされた。石井議員の証言どおり、4人でプレイし、昼食をとり、カードで決済したが、その決済時間から、ゴルフ場を出たのが2時頃であることが判明。
従って、倉沢被告と1時に議員会館で会うことは絶対叶わなかった、ということが明らかにされた。

國井検事は、いわゆる「イケメン風」で、少し染めた長髪を時々撫でる仕草も。
でも見かけとは違う冷ややかな声で、調書通りの事を淡々と語る。上村氏を取り調べたのがこの國井検事だが、「単独犯行」「村木課長の指示はなかった」「組織的犯罪ではない」という上村氏の供述を「ことごとく突き崩した経緯」を、高飛車に話す。「弁護士と相談させて欲しい」という上村氏に「事件の相関図(石井議員→塩田部長→村木課長などなどなど)を描いて見せ、在宅で取調べられてる村松氏が「こうこう言ってる」という話を聞かせると、いきなり「ちくしょう!」と叫んで机に突っ伏して泣き出した・・・「あなたはおそらくこの事件で懲戒免職になるので、これからの人生を考えましょう。本当のことを言って下さい。」と。

すべてを調書通りに、読み上げるように、國井検事は2時間弱語り続けた。
國井検事の出廷は、次回(3月29日)も続く。

閉廷後の記者室で、報道各社の記者たちと少し話をしたが、皆一様に「裁判官のメモ破棄に対する厳しい姿勢に驚いた!」と口々に言う。
6時半からのNHKニュースも、「メモ破棄」に焦点を合わせたものだった。

「ねぇねぇ、判決って、3人の裁判官が出すのん?」ど素人の質問を、私が江川紹子さんに投げかけると「そうだよ!」との答え。
「横田裁判長、頑張って欲しいよね!」と言うと、再び「そうだよね」とニッコリ。

そして二人して「でもまだ、油断したらアカンよね!」と言い合って、大阪地裁を出る。
紹子さんは「明日の朝、4時から仕事なの」と言いつつ、颯爽と雨の中を、新大阪駅に向かったのでした。

「第15回公判傍聴記 by ジャーナリスト 江川紹子さん

大阪地裁村木公判で、村木厚子被告の上司だった塩田部長が、自民党の国会議員から金を受け取ったことが明らかになりました。ちょうど日歯連の問題がクローズアップされていた時期。取り調べ検事は、「贈収賄の可能性もある」として取り調べを行ったと証言。

調書に書かれた自民党議員とはいわゆる厚生族の「キムラヨシオ氏」とのこと。東京で政界の取材をされているジャーナリストは、ぜひ、真偽の確認を!事実なら、なぜ自民党議員が、この時期に厚労省幹部に現金を?

取り調べで、民主党の石井議員の働きかけがあったことを認めた塩田部長が実は自民党議員から金をもらっていたほか、業者からも金品を受け取っていたことも判明。塩田部長は村木課長(当時)に、公的証明書の指示したとされる人物。なぜ彼は本件でも逮捕されず、贈収賄にも問われない?

話が後先になりましたが、今日の証人は前回に続いて塩田部長ら4人の重要証人の取り調べを担当した林谷検事。今日は弁護側の反対尋問。林谷検事は、取り調べの時のメモを廃棄。その点について弁護人が「取り調べメモは証拠開示の対象になるということは分かっていましたね」と鋭く追及

同検事は、廃棄したメモが本来証拠開示の対象になることは知っていた、と認めた。弁護人はさらに、同検事が取り調べた凜の会の河野容疑者(当時)の弁護人が、捜査が行われている当時に文書でメモを廃棄しないように求めていたことも指摘。同検事がこの文書を読んでいることも確認

にもかかわらず、メモを廃棄したことについて「証拠隠滅に当たるとは考えなかったのか」と弁護人、厳しく追及。検事は「考えなかった」。弁護人「不安は?」検事「なかった」弁護人「それは検事という立場だからか」検事「私がいらなくなったから捨てただけ」

メモが破棄されたのは、公判前準備手続きが始まった頃。しかも、この検事だけでなく、軒並み取り調べメモは廃棄されているとのこと。検察側の組織的証拠隠滅の可能性も?あるいは公的文書の私物化?いずれにしろ、大阪地検の対応は問題

検事に「特捜をなめるのか。一泊でも2泊でもしていくか」と脅されたという証言を否定。「勾留が長くなるかどうかはあんた次第だ」と威嚇されたという証言も否定。河野容疑者の弁護人から取り調べの録音録画の申し入れもあったが、それを読んだ後でも、検事は録音録画はしていない

塩田部長の取り調べについて。検事は、本件に塩田部長がどう関与したのか知らないで調べを始めたと、証言。それなのに「(塩田氏は)びくびくして、『私も逮捕されるんですか』と言っていた」と。初日に4通の調書を作成し、その2通目に、自民党議員から金をもらった件について記載。

弁護人は、「石井議員に公的証明書を作ったという話を塩田さんが否定した後に、贈収賄っぽい話を調べている。相手は萎縮するとか、強く自分の意見を主張できなくなるのではないか」と問う。検事が「そりゃ、気持ち的には萎縮するでしょう。金品もらって萎縮しない方がおかしい」

検事が思うような供述がとれない時に、自分も逮捕されるのではないかとビクビクしている相手の弱みを付いて、検察側に迎合するようにし向けたのではないか、と印象づけるやりとり。塩田部長は被疑者としての取り調べを受けたが、起訴されずにすんだ。

午後の公判:林谷検事への弁護側反対尋問の続き。検察側は厚労省が障害者自立支援法を通すために野党議員からの要請で、実態のない障害者団体に公的証明書を偽造した、という筋書きを立てている。その根拠となった厚労省関係者の検察官調書について弘仲主任弁護人が聞く。

「塩田部長に自立支援法について聞いた調書を作った目的は?」林谷「どういうことで政治家に気をつかわなけきゃならないのかという、当時の背景を聞いた」弁護人「本件の動機について聞いたのか」林谷「ではなくて背景事情。一般論として官僚がどう動くのか聞いた」

弁護人「主任検事からこの点を聞けと指示があったのか」林谷「それはない」弁護人「ところが、他の厚労省関係者も一斉にこの時期に自立支援法について調書で語っている」。弁護人は6人の検事が6人の厚労省関係者が、2日の間に同趣旨のことを調書で語っていると指摘。

弁護人「これが偶然というのか」と追及すると、林谷検事「必要なら調書を取ってくれという指示くらいはあったかもしれない」と証言をぼかす。弁護人は「これが動機だというので、一斉に調書を取れと指示があったのではないか」と追及。林谷「そういうことはない」と否定

続いて、裁判官が尋問。裁判官の関心は、林谷検事の取り調べ態度と、取り調べメモの廃棄問題に集中。左陪席裁判官は、塩田部長に対して、林谷検事が容疑事実を告げず、「なぜ呼ばれたのか分かるか」とただしたのはなぜか、と聞く。林谷「(塩田は)相当ビビっていたので」と。

左陪席は、塩田部長の天下り先で業者からもらった金品などが押収され、収賄の疑いも出てきたことに関連して、「本人は何の件で調べられているのか分からないかもしれないですね」と問う。林谷検事、それを認める。すると左陪席裁判官は……

「なのに『何で呼ばれているか分かりますか』なんて聞いたら、相手は余計にビビるかもしれませんね」と。さらに、柱谷検事が調書内容を被疑者に確認する方法についても確認。

林谷検事は、被疑者を座らせて調書を黙読させ、自分はその右後ろに近接して立ち、右手で一行一行指し示しながら音読するという方法を取っていたと証言。体格のいい検事が後ろから覆い被さるようにする様子が、法廷で再現された。被疑者にはかなりの圧迫感がありそう。裁判官は……

「いつもあのスタイルなんですか」と怪訝そうな顔で、素朴な疑問を呈していた。続いて右陪席裁判官。メモを廃棄したことについて「メモがあれば調書の信用性が証明されるのではないか」と問う。林谷「取り調べのためのメモで信用性を証明するためのメモじゃない」と弁明

裁判官は重ねて「調書の内容がメモと同じであれば、信用性は高まりますよね」と確認。裁判官のメモについての追及に、林谷検事は「そう言っていただけるなら、残す意味はあるかもしれない」などと困惑気味。裁判官が、ここまで検事を突っ込むのは珍しい。

そして裁判長。立ち会い事務官はメモを作っていないのか、主任検事に提出する報告書を作ってないのか、と聞くも、林谷検事はいずれも「作っていない」と。裁判長は取り調べをしても調書を作らない日が何日も続いていることについて「意図する供述が出ないので作らなかったのでは」と

林谷検事は、以前やはり大阪地検特捜部が捜査をした生駒市前市長らの汚職事件でも被疑者ら2人を取り調べ、いずれも公判で取り調べ調書の信用性が問題となって、証人尋問を受けたことがある。裁判長はその時のことについて「やはりメモについてのやりとりが弁護人とあったか」と聞く

「はい」と林谷検事。「その事件ではメモはどうしたのか」と裁判長。「廃棄してました」と林谷検事。裁判長は「その時も関係者とあなたとの間で供述が食い違ったんですね」と確認。林谷は「はい」と認める。そういう経験があるのに、今回もメモを廃棄したことに裁判所は強い関心を示す

続いて3人目の取り調べ検察官は、公的証明書偽造の実行犯上村係長の取り調べを行った国井検事。長髪、細身。検察側の主尋問で、国井検事もまた、取り調べメモを廃棄していることが明らかになった。廃棄に理由を聞かれ「必要ないから」と

国井検事、よく言えばクールなエリート、悪く言えば冷たく高飛車な感じ。上村係長は最初単独犯だと自白した。しかし、上村係長が公的証明書の前に稟議書の偽造を行ったことを聞いても否定し、現物を突きつけ、上村係長の署名を示して、ようやく認めたことを挙げ、「ことさらに虚偽を…

供述しているんだろうと思った、とのこと。上村係長が偽造した公的証明書を保存したフロッピーを自宅に隠した場所についても、すぐに本当のことを言わなかったなど、彼がなかなか真実を語らない人物だったと印象づける証言が続く

その後も厚労省関係者についてなかなか供述せず、ようやく村木課長の指示を認めた後も、詳細を聞いても「もう少し時間をください」といってなかなか語らなかった、と国井検事。厚労省ぐるみとなると、ノンキャリの同僚たちも肩身の狭い思いをするので上村は組織擁護をしたと国井検事

その上村に対し「村木さんも本当のことを話せばすっきりする。悪い人じゃないし、いずれ本当のことを話してくれるでしょう。一緒に村木さんを信じましょう」と言ったら、上村は「分かりました」と納得してくれた、と国井検事。ホンマカイナ?

泣きながら、時に絞り出すような声で国井検事に供述を押しつけられた状況を訴えた上村に対し、時に薄笑いを浮かべているのではないかと思えるくらいの感じで、よく言えば落ち着いた、悪く言えば上から目線の態度で供述を続ける国井検事。次回、弁護人や裁判官は何を尋ねるのだろうか

取り調べ検事の証人尋問は、通常、調書を証拠採用するための儀式に過ぎず、裁判を傍聴していて最も退屈な時間。被告人が無理な取り調べを訴えて検事が呼ばれることが多いのだが、検事対被告人となると、裁判官もおざなりの質問しかせずに、検事の言い分を認めてしまうことが多いからだ

しかし、この村木公判に限っては、検事尋問の中で、検察側の問題点や疑問点が浮かび上がっている。特に、裁判所がメモの廃棄や検事の取り調べ態度、捜査の手抜きなどについて次々に鋭い、あるいは素朴な(つまり普通の人が疑問に思うような)質問を次々に発し、検察側を困惑させている

今までだったら、たいした苦労もせずに裁判官は検察側の言うことを信用してくれたのに、今回は違う…と検察側が戸惑っている有様が、見ていてありあり。それは、被一人ではなく、検察側が出してきた証人が軒並み調書と異なる証言をするのに、裁判所の疑問を持ち始めているからだろう

焦った検察側は、新たな証人申請や証拠申請をしてきた。たとえば、すでに尋問を終えている凜の会の倉沢代表をもう一度呼びたいと言い出した。また、以前は無視していた調書類も証拠申請。石井議員の証言の時、手帳を示そうとしたら、検察官ややっきになって……

「公判前整理手続きで出されてないものを出すなんて、手続きを形骸化させる」と反対してきた。今回の検察側の対応こそ、公判前整理手続きを形骸化させるのではないか?なりふり構わずの態度に、検察側の焦りが伺える

大阪のNHKは結構長く、メモ問題をやってました。けど、関西ローカルなんですよね

ちなみに、この事件の主任検事だった前田検事と取り調べた4人に公判廷で調書を否定された林谷検事は、この公的証明書偽造事件の捜査の後、東京に出張して、民主党の小沢氏を巡る、いわゆる西松事件の捜査の応援をしたそうです

3月25日
各メディアに村木厚子さんについての記事が掲載されました。
3月20日
平成22年3月18日 第14回公判がおこなわれました。
坂口英雄・副検事と林谷浩二・検事が証人として出廷しました。
「厚子さん、第14回公判傍聴記 by ナミねぇ

厚子さん第14回公判傍聴のため、大阪地裁に向かう。今朝は昨日までと、うって変わったように寒い!
今日の出廷は倉沢、河野両氏を取り調べた坂口英雄副検事(51)と、 河野、北村、村松、塩田の各氏を取り調べた林谷浩二検事(34)の二名。う~ん、緊張するなぁ! 
今日は江川紹子さんも傍聴に。心強い!!

大阪地裁201号法廷で、紹子さんと合流。
紹子さんは、東京から早朝の新幹線で(なんとTVのレギュラー番組を蹴って!)日帰りで来られたという。感謝!!

10時開廷。倉沢被告を取り調べた坂口副検事が入廷、証人席へ。
氏名、役職を述べた後、宣誓。

今日は、結論から書こう。
坂口副検事の尋問で、石井議員の関与や企画課長(厚子さん)から倉沢被告が直接証明書を受け取った日時などの証拠は、いずれも倉沢氏のあやふやな供述と、不確実な本人の手帳のみ。検察は裏取りしてないことが判明。「なぜ裏付け捜査をしていないのか?」弘中弁護士の問に 坂口氏は「長期間、長時間、倉沢氏を取調べ、誠実な人柄だと分かり、信頼関係も出来ていたからです。最後の取調べの日は、いつものジャージではなくスーツで応じ『貴方に取り調べてもらって嬉しかった。ありがとう』と言ってくれた。」と述べる。
それって、逆ストックホルムシンドロームみたくない??

坂口副検事は、取調べに使ったメモを全てシュレッダーにかけて破棄したのだが、その理由を弘中弁護士に聞かれ「自費で買ったノートだった。家族のことも書いていた。破棄は倉沢氏のプライバシー保護と名誉のため。」と証言。「メモだけでなく、調書を残していない日もあるが。」との弘中弁護士の問には「メモ帳に必要事項を書いてたので、取調べに支障はなかった」と語る。メモと調書を補完的に使っていながら、メモだけをあえて破棄したことの意味が傍聴者には伝わらない。

「録音、録画をしたことは? あるいはその必要性を(組織として)検討したことは?」との弘中弁護士の問い掛けには「「メモしたことは自分の頭の中にあるので、それで良い。」と、あまりにも素直な(?)答えに傍聴席は唖然。「取調べメモは証拠開示の対象と知ってますか?」と、弘中弁護士が厳しい声で聞く。「は?・・・あの、よく知りませんでした。注意も受けていませんし・・・」と困惑する坂口氏。取調べの可視化が問題になっていることなど、どこ吹く風という感覚に、呆然。

年配の坂口副検事は、(大阪府)堺支部から「身障低料第三種郵便制度を悪用した企業がらみの事件」の捜査応援で駆り出されたそうだが「虚偽有印公文書作成事件」の取調べ責任者と、どちらも共通の検事だったという。「したがって、時々他の検事と取調べを交代した。」と証言。「あなたが他の検察官に取調べを交代した日は、供述調書が残って無いが、それはなぜなのか?」と弘中弁護士が問う。「自分のノートに記載したり、口頭で引継ぎを受けたので、取調べに支障はなかった。」と、坂口副検事。

つまり「取調べを行う側だけが、取調べ側に必要な事実を把握すれば、それで良し。被疑者の立場など考慮する必要は無い。」と言うに等しい答えに、目が点になりそう!
「あまりにも正直で(上に◯◯がつくほど)実直(?)に答える」坂口副検事の、やや寂しい後頭部と、決して高価ではなさそうな背広の後ろ姿に、「組織の歯車」という言葉が胸に浮かぶ。

弘中弁護士の、昨日の記者会見での言葉「検事はシレッと嘘をつく」から、狡猾な検事の出廷を予測していた私は、拍子抜け。あまりにも正直に答えた罰で、坂口氏はどこかに飛ばされるかも・・・と思ってしまったりする。いやいや、同情してる場合やない。 この人が倉沢被告から「公的証明書を、厚子さんから直接受け取った」という証言を引き出した張本人なんやから。

弘中弁護士の尋問が続く。「倉沢氏は、4回も村木課長に会ったことになってるが、倉沢氏の押収物に村木さんの名刺は無かったんですよね?それについて倉沢氏は何と?」「名刺交換したかもしれない、しなかったかもしれないと言ってました。」と坂口副検事。「追求しなかったんですか?」「追求しました。でも倉沢氏は記憶が定かでないと・・・」「じゃぁ名刺交換してない可能性もあるんですよね!どういう理由でしなかったか追求しましたか?」「さぁ・・・村木さんから戴かなかったのじゃないかと・・・」「その程度の説明だったんですか!?」さすがに弘中弁護士の声が荒くなる。坂口副検事の返答は「はい」。

「平成16年6月のはじめごろに倉沢氏は、公的証明書を受け取りに村木課長のところに行った、と証言していますよね。この裏付けとなるものは?」弘中弁護士が聞く。「裏づけは・・・特にないです。」「裏取りをしましたか?」「あくまで倉沢氏本人の行動で、しかも5年前のことなので、非常に難しくて裏付けは取れませんでした。もしこうすれば裏が取れるということがあれば、やったんですが・・・」と困惑したように話す坂口副検事。「河野から連絡があり、証明書ができたので急いで取りに行ってと頼まれ、当日もしくは翌日、遅くとも翌々日には受け取りに行ったようです。」

おいおい、厚子さんのこの事件への関与は、今や倉沢の「受け取り証言」しか無いんやでっ!! 何アバウトなこと言うてんねん、坂口!!

「当日か、翌日かって・・・相手(厚子さん)のスケジュールもあることだし、それは追求してないんですか!?」弘中弁護士が迫る。「追求しました。そしたら倉沢氏が、河野氏に急かされたので、間を空けずにすぐに行ったと言ったのですが、もしかしたらすぐには行けなかったかもしれないと思って、私は当日、もしくは翌日、遅くとも翌々日と、幅を持たせた調書にしたんです。」あまりの回答に、傍聴席は爆笑!・・・と言いたいところだが、静粛を求められる法廷なので、みな笑いをこらえて肩を震わせている。私は思わず声を出して笑ってしまったが、これって笑ってる場合ちゃうやん!!
こんな証言と調書で、厚子さんが「主犯」にされたなんて、アホらしくて涙が出そう。

坂口副検事の証言からは、供述調書が毎回一から書かれたのではなく、証言が変わらない(と思われる)部分は先に入力しておき、聴取時に書き足す方式がとられていたことも判明。
また裁判官からの尋問では「厚子さんが、郵政公社の森という人に電話した」件も、あやふやな倉沢氏の記憶と発言が、検事の誘導によって「確定的なものとして調書に記載された」ことも明らかに。「調書に記載するかしないかは(検察官にとって)必要かどうかで判断され、一時的に(被疑者が)否認したことは書く必要を感じなかった」と、坂口氏は悪びれることなく語った。

あまりのことに裁判官が「本件は、取調べの正当性が疑われているのだが、そのような注意を受けたことは無いのですか?」と厳しく坂口氏に問いかける。「はい」と小声で答える坂口氏。
こうして「ホンマにこれが検察官!?」と言いたくなるような坂口副検事の尋問が終わった。

午後2時半。二人目の証人、林谷検事が入廷。
柔道家のようなガッチリ、ずんぐりした体格、短く刈った髪、黒縁のメガネで、坂口副検事より17歳若い。平成19年4月に、大阪地検特捜部に配属されたという。
坂口副検事とは対照的な外見だが、証言がはじまってすぐ、性格も二人は真逆と判明。
高めの声で、氏名、職責を名乗った後、裁判長の「宣誓を」の声に「宣誓しま~す」と、少し語尾を伸ばして答え、宣誓文を読み上げる。体格もデカいが、態度もめちゃデカい。

先ず驚いたのは、坂口氏と同じく林谷氏も取調べメモを全て廃棄したのだが、同僚であるはずの公判担当検事から「なぜ?」と聞かれて「必要ない」と、きっぱり言い放ったこと。
「被告人の一人である村木さんは、犯行を否認していますよね。そうすると他の関係者の取調べ内容などが必要になることもあるのでは? 手元に取っておこうとは思わないのですか?」と聞かれ「残す、残さないは自分の判断です。」と言い切る。
「証拠開示の対象になるのは知ってましたか?」と聞かれると、高い声で「当然! 残っていれば対象になりますね。」「(あなたのメモは)対象にならないとでも?」「はい。重要なものなら残してますよ。」う~む、まさに傲慢、まさにこれぞ特捜検事の面目躍如!?

弘中弁護士が言った検事像そのもののように、林谷検事は、供述調書を否定した証人たちの証言をすべて切って捨て、事情聴取の正当性を滔々と語る。高い声、早口でまくしたてるので、殆ど聞き取れない。記録を取る書記官が眉をしかめる。公判担当検事が「もう少し、ゆっくり話して下さい。」「もう少し短めに話して。」と何度も呼びかけるが、聞く耳を持たない。喋る、喋る、喋る、林谷検事。
しかしよく見ていると、さかんに水を飲む。もしかして緊張してる? もしかしてホンマは小心者??

自分が担当した4人の被疑者(凛の会:河野、北村元課長補佐、村松元係長、塩田元部長)の「調書は作文」「誘導されたもの」「利益誘導や恫喝が有った」「他の人がこう言ってる、あぁ言ってると話して証言を引き出した」「嘘の証拠を提示」などをガンガン否定し、聴取の正当性について喋り続ける。
塩田元部長に「(石井議員への報告の)4分数十秒の電話交信記録がある」と言って証言を引き出した、とされる件については「塩田氏のほうから、通話記録があるなら教えて、と言い出した。自分は通話記録があるとは一切言っていない」と強調した。

林谷検事の尋問中に5時となり、裁判長が「次回、3月24日も林谷検事に出廷を求めます。では今日はこれで。」と閉廷を告げ、取調べ検事尋問の1日目が終わった。

二人の全く違うタイプの検事の証言を間近で見聞し「どこの組織にも、どっちのタイプも居てるなぁ・・・検察も、普通の組織やん! でも強大な権力を持つ検察が、普通の組織ではアカンやろ! 自浄作用を働かせて、ホンマの正義を追求してくれい!! 」と、強く強く思いながら、大阪地検を出る。

そして、江川紹子さんと顔を見合わせ「今日はなんか、精神的に疲れたねぇ・・・」と、異口同音に話しながら、大阪駅に向かったのでした。

「第14回公判傍聴記 by ジャーナリスト 江川紹子さん

大阪地裁なう。到着が早すぎ。遠い人ほど早く来て、近い人ほど遅刻するって、よくあるけれど。雨が降ると思って長い傘を持ってきたのに、なんと大阪は晴れている!どこかに置き忘れそうな予感。

村木裁判、今日から重要証人などの取り調べに当たった検事の証人尋問が行われる。取り調べ検事の尋問自体は珍しくないが、6人もというのは、かなり異例。検事の証人尋問って、要は「違法な調べはしてません。本人が任意で供述しました」と言うだけなので、かなり地味。弁護側がそれを突き崩せるか

大阪地裁の村木厚子被告の裁判。今日は傍聴券交付はなし。検事の証人尋問は地味です。「すみません、ちょっと被疑者脅しちゃいました」なんて自白する人はまずいないので、全然ドラマがないのが普通。ということで人気薄なのかもしれない

大阪地裁:午前中は凜の会代表の倉沢被告を取り調べた坂口副検事が証人。検察側の主尋問で、取り調べは適切だった強調。「取り調べを始める前に『体調はどうですか』と必ず聞いておりました。倉沢さんか『思わしくないです』と言っていた場合は短時間で終わらせていました」と

「私が『全容解明が検察官としての私の使命であり国民の要請である』と訴えると、倉沢さんは『分かりました。実は厚労省の担当部署にお願いし、正規の申請を得ずして公的証明書を発行してもらいました』と打ち上げました」と

坂口副検事は、取り調べメモを処分。弁護団はこれを問題にしているが、「私が自費で買ったノート。倉沢さんのプライバシーや名誉に関する記載もあったので、プライバシー保護の観点から保管を継続しておくべきではないと判断した」と正当化。検察庁での保管がなぜプライバシー違反?

取調中に検事が机を叩いたとの倉沢証言を確かめられ、「数回はあった」と認める。凜の会が障害者と無関係なことを「いったんは認めながら、責任逃れをするように『そこまでの認識はなかった』という時が何回かあったので、その時に少し机を叩いた」と

それでも、取り調べの最終日、倉沢被告はスーツを着て臨み、最後に深々とお辞儀をして、「ありがとうございました。私の担当が坂口さんで本当によかった」と言ってくれた、と。

倉沢被告は平成16年2月25日に石井議員に口添えを依頼したと述べていたが、取り調べの最終日に「それはアポを入れた日。100%その日とは言い切れない」と述べた、と。前回の法廷で、石井氏にこの日は倉沢被告と会ってないと証言されたためか、別の日の可能性を強くにおわせる

弁護側反対尋問:長時間の取り調べを行いながら、まったく供述調書を作ってない時期があることを指摘。この時期に何を調べていたのかを聞くも、証人「よく覚えていない」と。「全然覚えてないのか」の追及に、いくつか答えるが、それはすでに調書作成済みのこと。不自然さを追及され…

「経緯が長いですから」と苦しい答弁。その間にメモは取っていたのかを問われると、しばしの沈黙のあと「ある程度はとっていました。私の頭の中に倉沢さんの生の言葉として残っておりましたので、あとでまとめて調書にすればいい、と」。そのメモは廃棄されている

「石井議員についての供述は6月3日の調書に初めて出てくるが、この日に言い出したのか」の問いに、「5月末か6月1日」と。弁護人「そういう重要な話を聞きながら、その日に調書にしなかったのはなぜか」と問う

証人「倉沢さんの供述の出方からして、すぐに調書を作成しなくても、翌日、翌々日に作成しても供述は動かないだろうと確信していた。毎日顔を合わせて、人間関係が形成されていた」と。机を叩いて叱りつけなきゃいけないようなこともあったのに?

倉沢被告が石井議員に会って依頼をしたという日が100パーセントではないと述べたと主張する坂口証人に対して右陪席裁判官が鋭く突っ込む。「手帳に書いてあるのは予定、変更になった可能性もある」と弁解。さらに右陪席は「あの手帳では予定を消化すると赤線で消してある。この日も赤線で消してある」と指摘。「本当に倉沢さんはそんなこと言いましたか」と検察官の証言に疑問を呈した。

裁判長、倉沢被告が本件で逮捕された後、裁判所で行われた勾留質問で、「証明書偽造されたものとは知らなかった。そういうもの作成するよう共謀したことはない」と述べている点を指摘。逮捕後、そういう趣旨の検察官調書ができてないことについて「否認の調書を作らないんですか」と質問。さらに「否認の弁解をそのまま調書にとることはないんですか」と重ねて質問。取り調べをしているのに調書がなく、否認の調書もない状況に、裁判所は不自然さを感じているよう。検察は否認調書は作らないのではないかという裁判長の質問は、本件捜査の本質を突いている

続く検察官側証人は、凜の会の河野被告、村木被告の上司だった塩田元部長ら3人の厚労省関係者を取り調べた林谷検事。スーツがはちきれんばかりの”豊満な”肉体の大阪地検特捜部検事は、ペットボトルを片手にヒョコヒョコ軽い足取りで登場。いかにもこういう場は「慣れている」雰囲気

それもそのはず、捜査中の取り調べが問題になって証人出廷するのは、これで3回目という。「宣誓してください」と裁判官に言われて、「は~い」と間延びした返事。リラックスのし過ぎなのか、それとも余裕を演出しようとしているのか……こういう態度の証人はちょっと珍しい

しかも林谷検事の話は、声が小さく、とにかく早口。いくら主尋問の検察官が「ゆっくり」と言っても、改まらない。速記官が、最初は困惑顔、そのうち、うんざりした顔をしている。中身のあるなしはともかく、ぺらぺらとまくし立てて、相手を圧倒しようとするタイプのようだ。

林谷検事もメモを取ったノート2冊は廃棄している、と。理由を聞かれ「私にとって必要ないから」と。大阪地検特捜部では、被疑者が否認しても調書にしない、取り調べの時のメモは廃棄する、というのが慣例なのだろうか

林谷検事に取り調べられた4人は、いずれも公判の証言で調書の内容を否認し、捜査段階で無理な取り調べがあったと証言している。しかし林谷検事は、大声で追及したことはあったと認めながら、威嚇的な取り調べや取り引きなどは一切なかったと、4人の公判証言を否定

村木被告の上司である塩田厚労省部長は、公判で「石井議員との通話記録がある」と林谷検事から言われて、それならば電話をしたことがあるかもしれない、と認めた旨を証言している。しかし、後でそのような通話記録はなかったと知らされ、欺かれたとショックを受けたというのが法廷証言

林谷検事は、そうした塩田証言を一切否定。自分から通話記録についての話を持ちかけたことはないと述べた。そのうえで、塩田部長を2度目に取り調べた時に、「すみません。実は昨日は隠していました」と石井議員とはこの件で2回話をしていることを供述した、と証言

本当のことを話そうと思った理由を尋ねると、塩田部長は小泉元首相の秘書だった飯島氏に相談したところ「本当のことを話なさい」と言われたからと述べた、と。自分自身の逮捕をおそれた塩田氏が、かねてから知り合いの飯島氏に相談をしたが、当たり前の返答しか返ってこなかった。

林谷証言によれば、飯島氏は、以前厚生省次官だったO氏が逮捕された時のことを引き合いにして、「あの事件のことはよく覚えているだろ」「嘘をついてもばれるから正直に話した方がいい」と、至極まっとうなことを勧めたとのこと。林谷検事は、そのいきさつを調書化しようとしたが塩田元部長が飯島氏の名前を出すのを嫌がり、その部分は調書にしなかった、と。それにしても、なぜ検察側はここで飯島氏の名前をわざわざ出したのか?一部で、飯島氏がこの事件の黒幕であるかのような陰謀論が出回っていることを意識してのことか、それともマスコミがこの名前に飛びついて、検察官の取り調べの問題よりも、飯島氏に関心が移ることを期待してのことか?あるいは、特別な意図はなく、事実経過を単に述べただけなのか?その意図はいまいちよく分からない

弁護側の反対尋問で、捜査情報がマスコミに伝わっていたことについて質問が及ぶと、検察側が相次いで異議申し立て。「誤導だ」「関連性がない」と検察側は主張した。リークが問題になることをおそれてなのか、検察側の過敏な反応が印象的

凜の会の河野被告の弁護人が林谷検事の取り調べは問題だと大阪地検に抗議。林谷検事は、特捜部副部長から注意を受けた。その辺の事情を聞かれ、「大きな声で追及はしたかもしれない」と。ただし、「大きな声で何を言ったか」と問われても「覚えていません」と

林谷検事は、任官10年にして大阪地検特捜部は7カ所目の任地であることも明らかになった。あまりに優秀なので、あちこち引っ張りだこになったのか、それとも……その辺は次回の弁護側尋問で明らかにされるかもしれない。

3月18日
平成22年3月17日 第13回公判がおこなわれました。
田村一・元社会参加推進室補佐と江波戸一敏・元社会参加推進室長が証人として出廷しました。
「厚子さん、第13回公判傍聴記 by ナミねぇ

3月17日(水)東京で、例年より早く桜がの開花が見られた、とのニュースが流れる。
朝から暖かい。
コートを着ることなく大阪地裁に向かう。

今日の証人は二人。公的証明書偽造事件があったとされる、平成16年当時、厚労省社会参加推進室補佐であった田村一氏と、室長であった江波戸一敏氏。

午前の証人田村氏は、倉沢被告に会ったこと、室長と一緒に厚子さんの席に倉沢を案内したこと、倉沢を交えて凛の会について話しあったこと、企画課長(厚子さん)から「大変な案件だけど(石井議員からの依頼なので)よろしく」と言われたこと、などなどなど・・・全てを「全く、覚えていないことだった」と言い、調書に書かれていることは、「(単独犯であると証言した上村元係長の前任者である)村松係長が、貴方がああした、こうしたと証言しているぞ」という検事の誘導的尋問の結果だ、と証言した。

田村氏は、そのような調書にサインした理由を「自分の記憶が欠落していたので、村松さんがそういってるなら、そうだったのだろうと思った」という。
「取調べ検察官に、覚えていないと言ったけれど聞いてもらえなかったし、記憶に無いということは、(逆に)そのような可能性もあるなぁ」と思ったので「可能性はある、と一般論として話した」と、淡々と語る田村氏。
「調書が重大なものとの認識もなかった」ともいう。

「あなたの供述調書が証拠として使われることや、その調書で罪に落ちる人が出るかもしれない、逮捕される人が出るかもしてないとは、考えなかったか?」という検事の(弁護士でなく検事の!)問いかけにも、平静な声で「はい、思い至りませんでした」と答える。

「よく覚えていない、と言うと、よく思い出しなさい! と取調官に言われ、サインした。」と答えつつ、恐怖にかられるような取調べではなかったとも言う。
「いったい、この人はどういう神経してんねん!」と思うほどの「いうなり証人」だ。
取調べ検事がほくそ笑む顔が目に浮かぶ。

それでも一度だけ取調官が「机をたたいて、大声を出した場面があった」という。
「覚えてないはずはない!」「こちらにも考えがある!」と言われたが、田村氏はその時「なぜそういう言い方をされるのか、分からなかった」とここでもまた、平静な声で語る。

田村氏の証言を聴き続けるうちに、なんだか少し背筋がゾッとするような感覚が湧いてくる。
あまりにも平静で、淡々としすぎている・・・もしかしたら、この人は、生まれて初めての「検察での取調べ」体験で、どこか壊れてしまったのかも・・・と。

尋問が検事から弁護士に変わったが、尋問を交代した信岡弁護士も戸惑った声で質問する。
「公判前に、お会いしたいとのお手紙を差し上げたが、(地裁への)到着時間の関係で無理とのことで、お電話を下さいましたね。その時、何分くらい話したか覚えておられますか?」「2-30分だったと思う。」と田村氏。「話の内容は覚えておられる?」「私の記憶に関することだったと思う。」とそっけなく答える田村氏。

そこで初めて、田村氏が「弁護側証人」ではなく「検事側証人」として出廷したのだということが分かった。
そうか「まるで感情というものを失ってしまったような、声と態度」の秘密は、もしかしてこれやったのか・・・と、思い至る。

それでも弁護士が示した「事件当時の企画課と社会参加推進室の見取り図」に関する質問への田村氏の答えで「両室は、窓際までロッカーで仕切られており(倉沢被告の証言のように)窓際の通路を通って、村木課長の席に行くことは不可能」ということが、証明された。

約1時間の昼休みの後も田村氏の尋問が続き、3時から弁護側証人として出廷した、江波戸元室長の尋問に移る。

江波戸氏も、田村氏同様「調書はすべて検察官の誘導で作成された」と語ったが、田村氏と違った点は、取調べにおいて上村元係長の「稟議書や公的証明書の偽造を、知っていたはずだ」と何度も言われたが「知らない」と答え続けたこと。
とはいえ調書に関しては「議員案件などという、私の使っていない言葉が書かれたので、直して欲しいと言ったが、検事は『まぁ、まぁ』と言って応じてくれなかった。」という経緯を辿り、最終的に「(事件が起きたことは事実だが)私は知らなかった」ということが調書に記載された、と語った。

明日から、いよいよ取調べ検事の出廷だが、記者会見での弘中弁護士の話によると「検察官は、平気でシラッと嘘をつく。塩田元部長に電話の交信記録が有ると言って証言を誘導したことや、北村元課長補佐に、倉沢被告があなたの名刺を持っていると言って、二人が会ったことがあると言わせたりしたことなど、すべて『そんなことは言っていない。被疑者の勘違いだ』などと証言するはず。」とのこと。

えっ、ホンマかいな!? と思うが、本当に検事は公判で「平気で嘘をつく人たち」というのが、弘中弁護士の、長年の経験則だそう。

しかし弘中弁護士は「厚労省の証人がすべて証言を覆したので、検察は『省ぐるみの犯行』と言い募るはずだが、今回の公判では検事側証人もすべて証言を覆しているので、出廷する検事たちがどのように対応するのか・・・お手並み拝見だ。」と、自信を見せた。

判決は、最終的に裁判長の判断になる。
横田信之裁判長の、公平で怜悧な目と心に期待しつつ、明日からの公判もしっかり傍聴し続けようと思うナミねぇやけど「平気で嘘をつく人」って怖いなぁ・・・と、ちょっと弱気にもなる私。

改めて、一人でも多くの方が公判の行方を見守り、支援して下さることを切に願っています!!!

 
3月18日
各メディアに村木厚子さんについての記事が掲載されました。
3月10日
平成22年3月10日 第12回公判がおこなわれました。
間隆一郎・元企画課長補佐が証人として出廷しました。
「厚子さん 第12回公判傍聴記 by ナミねぇ

3月10日(水)すっかり寒さが戻ってしまった。
六甲山に住む友人からの「今朝も雪が降り続き、外に置いたバイクが雪だるま状態!」とのメールを読みながら、9:45、大阪地裁201号法廷傍聴席に到着。

グレーのツィードスーツの厚子さんが明るい笑顔で入廷し、傍聴者たちに「おはようございます」と声をかけながら、信岡弁護士と控え室へ入って行く。

10時開廷。
今日は、検事側5名(女性1名)弁護側7名(女性2名)、厚子さんは弁護側に着席。
証人の出廷を待つ間、S検事、なぜかまばたき多し。
10:08、間隆一郎(はざま りゅういちろう)元企画課課長補佐が入廷。180センチの大きな身体を丁寧に折って一礼。証言席でも再び深く一礼。弁護側証人として出廷した間氏は、今までの証人と違って堂々としており、全身から落ち着きが感じられる。

間元補佐は、裁判長に促され氏名を名乗ったあと、宣誓書を読み上げる。今朝は栗林弁護士からの尋問で公判開始。「今回の事件を、どのようにして知りましたか?」。間元補佐が「昨年5月28日、外郭団体に行かれた塩田元部長の電話で知りました。」と答える。

その内容は「職場(塩田氏の転職先)に検察の捜索が入り、携帯まで持っていかれた。検察に(自分は)狙われてるようだ。検察官に、石井議員から障害者団体への証明書発行について依頼の電話を受けただろうと言われたが、自分は全く記憶が無い。もし電話が有ったのなら、きみや村木さんに連絡や相談をしたはずだが、覚えてないだろうか?」という電話だったという。

間氏は「全く覚えがない。石井議員の名前も聞いたことがない」と答えた後「石井議員は障害福祉に関係ないですもんね」という会話を交わしたという。

栗林弁護士「その時、どのように感じましたか?」。「当時、塩田氏に議員から色々電話が有ったことは知っているが、政策的に重要なものなら私も相談を受けているはず、と思った」と間氏。弁護士「あなたは、当時どのような仕事をしておられたのですか」。間氏「課長補佐であると同時に、厚労省独自のポストである、政策調整委員という役目を担っていました。」
弁護士「政策調整委員というのは、どのような役割なのですか?」。間氏「国会関係の情報収集や答弁の指示を出す役割です。塩田氏に石井議員から重要な電話が有ったなら、必ず聞いているはずの立場です」。

弁護士「村木さんとあなたは、仕事上どのような間柄だったのですか」。間氏「毎日数回、情報交換し、議員や障害者団体とのやりとりが有れば 全て話しあっていました。村木課長の行動で自分が知らないのは、外で村木さんが職務上あまり重要でない人と名刺交換したような場合くらいだといえます。」「村木さんは、大変仕事熱心なうえにメモ魔で、省内外で常にノートを携帯していました。私と村木さんは、そのノートをお互いに参照しながら、今日の出来事の引継ぎや案件の打合せなど、短いときは数分、長いときは2ー30分の会話を、毎日4,5回交わしていたのです。」

間氏は、厚子さんがメモの中でも重要なものは、手書きだけでなくパソコンにも入力して保存し、仕事に漏れ落ちが無いよう幾重にも記録を残すタイプだったと証言。そして自分は役目柄、自席を離れることが殆どない(というか、離れてはいけない役職としての)日々を送っていたので、厚子さんを訪ねて来た人や厚子さんの仕事内容を最も熟知する立場にあった、こと、厚子さんが石井議員の依頼を処理するよう塩田元部長から指示を受けた、という報告を厚子さんから聞いたことは無く、厚子さんが自身の席で、倉沢被告に会ったり証明書を手渡したりしたなら必ず目にしているはずであるが、そのようなことも全く無かったと、証言した。

また、間氏の証言で、厚子さんが倉沢被告に「偽造公的証明書を手渡した」という、当時の「企画課の配席図」も明らかになり、倉沢被告が証言した「窓側の通路(のようなスペース)を通って、村木課長席に行った」という動線は、当時背の高いキャビネットで塞がれていたことが判明。通路が無いばかりか、厚子さんの机の前には半透明の衝立があって、真正面から書類を手渡すのは不可能だった、ということも明らかになった。

間氏の証言を聞きながら私は「検察が間氏を、重要証人として扱わないことの意味、というか意図」が、よ~く理解できた。厚子さんに、いわば密着して仕事をしていた間さんの証言を重要視すると、検察のストーリーが成り立たなくなるんやね!
間氏は何度か検察の事情聴取を受け、その都度、厚子さんの仕事ぶりを克明に話し、検察官に反論し、検察官の言いなりにならなかった・・・つまり検察にとっては邪魔者というか、無視したい存在やったのね。検察の恫喝や誘導に負けたり、取引可能な人だけが、検事側証人として残された、という訳。

検察が「省ぐるみの犯罪」というなら、厚子さんの直属の部下として密着してた上に、厚子さんを庇う証言をする間氏は、ホンマは最も怪しい人物のはず。検察って、どんだけ意図的にストーリーを創り上げる組織か、はっきり見えたわ!

検察は、上村元係長が厚子さんから「議員案件なので急いで」と言われたという供述調書をとっていたけど、上村氏が所属する社会参加推進室は、厚子さんが課長を務める企画課の下部組織でありながら、独立した部屋で独立した業務を行っており、一緒に仕事をすることは無く、従って上村元係長と村木課長には「仕事上の接点は全く無かったのです。」と、間氏。

「事件当時は、制度が大きく変化した時期とされているが」と弁護士の尋問が続く。「障害福祉予算が大幅に不足して、大変な状況だった」と間氏。「平成15年4月に、障害者の生活や施設を行政が決める措置制度から、障害者自身がサービスを選択する支援費(しえんぴ)制度に転換し、サービスを実現するための予算が大幅に不足してしまったのです。秋ごろからは16年度予算をどう確保するか、あるいはどう切り詰めるかが最大のテーマでした。他のセクション・・・児童や高齢者福祉予算から分けてもらうようなことも含め、関係部署との折衝も大変だった」と、当時を思い出すように語る間氏の声に苦渋が満ちる。

「後に自立支援法が成立したが、当時その法案との関係は?」自立支援法を通すため、大物国会議員であった石井氏の依頼を断り切れなかった、という検察側のストーリーの妥当性について、弁護士が確認を始める.。「平成16年春には、自立支援法についての議論は全く始まっていませんでした。」と、きっぱり答える間氏。

「当時、状況打開のために議論されていたのは、高齢者のための介護保健法が障害者にも適用出来ないか、ということでした。高齢者の中には、若くして障害を持ち、高齢になった方もいるので、法の整合性を取ることは可能ではないかと、議論が開始されたのです。しかし障害者団体から反対意見や慎重論が相次ぎ、議論がまとまることは有りませんでした。」「自立支援法に関する議論は、そのような経緯を経て、平成16年8月末から始まりました。私はそのグランドデザインの策定に関わり、17年2月、自立支援法は国会に提出されたのです。従って、本事件と自立支援法は、時期的に全く関係が有りません!」間氏の説明に、傍聴席の多数が大きく頷く。

記事を送るため、法廷を出る記者もいたが、今やもう誰一人、検察のストーリーが崩れる事態に驚くことのない、静かな法廷。

午前の残り時間で、検事側尋問が有ったが、間氏の当時の仕事内容の確認や、配席図の確認などに終始し、するどいツッコミが何一つ無いまま12時となり、裁判長が「休憩」を告げる。

午後は、裁判官から午前のやりとりを確認する尋問が行われたが、ポイントは「当時の配席図を、どのように確認したのか」ということ。
間氏は「厚労省では、どの席に誰が座っているか・・・名前と電話番号を書いた配席図を使っており、人が変わると配席図も変わるので、当時のものを見ながら自分の記憶と違っているところはないか、当時の補佐など職員に聞取りをした」こと。その結果「自分の記憶どおり、窓際の通路が無かったことが明確になった」と答える。

その後、裁判長から、間氏の入省からの経歴が問われ「健康保険、老人福祉、秋田市役所への出向。年金局に戻って、その後、和歌山県庁の出向を終え、平成15年4月から、厚労省社会援護局障害保健福祉部に在籍。平成15年6月から17年8月まで、企画課課長補佐として働いていました。」 「そして・・・社会保険支払基金を経て、平成20年7月から医政局に1年在籍。その後、大臣官房人事課でキャリア職員の人事と研修を2年担当し、21年7月からは、政策企画官として社会保障全般を担当しています。」と、現在の職責を語って、間氏は経歴の説明を終えた。

裁判長が、再び質問を投げかける。
「あなたは平成16年に、石井議員の名前を聞いたことは?」
間氏「全く、一度も、ありません。」
「石井議員のことを塩田氏から聞いたことは?」
「ありません。」
「村木課長から聞いたことは?」
「ありません!」

「あなたは、未明まで部屋に居ることや、泊まり込むことはありましたか?」
「はい。あまりよろしくないことだが、忙しい時はありました。国会審議をお願いしている時などは、朝まで仕事が続くときもあります。でも・・・」と、そこで間氏の声に、少しハニカミが混じる。
「私は、帰って朝ごはんを食べたいタイプなので、できるだけ帰ります。」

厚子さんから「間氏の愛妻ぶり」を聞いたことのある私は、思わず傍聴席でにっこり。

「朝の8時ごろに、職員は部屋にいますか?」
裁判長が、上村氏が書類を偽造した翌朝の8時に、課長印をこっそり押しに来た時の状況確認、と思われる質問をする。
「厚労省の勤務シフトは、8:30~17:15、9:00~17:45、9:30~18:15 と3種類なので、8時にはまだ誰も居ない場合が多く、その時は鍵がかかっています。」と、間氏。
上村氏が「管理室で鍵を借りて部屋に入った」と証言したことを、思い出す。

こうして、第12回公判は、しごく冷静に、クールに終わった。
公判後の記者会見で、記者から弘中弁護士に質問が。
「次の公判では、もう少し・・・なんというか、キャッチーな・・・見出しになるような事は予定されてますか?」

弘中弁護士の苦笑いを後に、大阪地裁を出たナミねぇでありました。

「裁判傍聴メモ 3月10日 by 花ずきんs」

村木課長と綿密な情報交換、情報レベル合わせをしていた課長補佐が証言

真冬のような寒い一日だった。今日の証人で村木さんの当時の部下の一人であった間課長補佐が全身から自信を漂わせ大柄な体で堂々と入廷してきた。
 尋問を通じ、彼が証言で明らかにし強調したことを記しておきたい。

第一は、村木課長と間課長補佐は毎日一日に数回も課長席のそばの丸椅子にかけひざ詰で綿密な情報交換、情報レベル合わせをしていたと言うことである。ことに一日の業務がすべて終わってからは、夜遅くてなっても出先から村木さんが企画課にもどり、「メモ魔」(間証人の言い方による)の村木課長のノートのメモに基づいて情報の共有が行われていた。村木課長が塩田部長から指示されたことがある場合はその内容ももちろん含まれるという。しかし、この中で、今回の石井一議員から要請があったとされる凛の会への証明書のことなど一切なかったと明言。通常通り出される証明書なら重要度が高いとはいえないが、もし議員から圧力があるような案件だととても重要なウエイトになり、村木さんが聞いていた件なら当然、自分も共有する情報だが聞いたことはなかったというのだ。

第二は、「障害者自立支援法を成立させるために石井一議員の要求を呑んで不正な証明書を作成した」と言うことは、法案準備の時期からして全くありえないことだということであり、昨年6月29.30日の検察の事情聴取では詳しく説明したと言うことだった。自立支援法の準備に入ったのは8月末であり、石井議員から厚労省に要請があったとされる平成16年2月には、介護保険の適用などの検討をしていた時期で、それが無理と判断したのは8月末でそこから自立支援法の準備に入ったのだ。検察から示された資料を見ながら、これについて詳しく説明したことは、検察に素直に聞いてもらえたと言う。

ならば、検察はこの時点で自らの描いたストーリーに無理があることに気づいていたのではないか。それでも、村木さんを犠牲にしてでも石井議員がらみとして主張し続けるのにはどんな背景があるのだろうか。

第三は、彼自身の業務が政策の塊ごとに1名配置される政策調整員というもので、障害保健福祉部の中で政策国会対応の案件は自分の所を必ず経て各課,各室に議員への説明の仕方など指示して結果の報告を受けていたということだった。その彼が、凛の会のことは、事件となった昨年5月まで全く知らなかったということだ。

 

政治がらみでも議員案件でもなく、上村係長本人が言うように彼の単独犯行だということなのだ。 取調べの検事を証人として申請する予定の検察は、まだできることがあると思っているのだろうか。取調べ検事の証人尋問は18日ころから始まる予定。

上村証人が、当初から単独犯行を供述していたことを裏付け、村木課長関与を作文する検察の取調べの様子を記録した被疑者ノートが証拠として認められ、きょうの公判は閉廷。きょうは堂々とした人だけに証言は補聴器を頼りの難聴の私には聞きとめやすくありがたい1日だった。

 
3月6日
 25日午後の公判では、上村証人に対する検事の取り調べ状況について、弁護側から被疑者ノートに基づき尋問が行われました。
 結論から述べると、上村さんが一貫して単独犯行を供述していたこと、検察官が村木課長指示の供述を執拗に押しつけ再逮捕などの脅かしや早期保釈などの利益誘導を続けていたこと、そして一度指示を認めた調書にサインすると後はいくら訂正を求めても検察官は全く聞く耳を持たないためついにあきらめの心境に至ってしまったことなどの経緯が明らかになりました。
 被疑者ノートとは、逮捕・拘留されている被疑者が毎日の取り調べの状況や健康状態を記したノートです。その日のうち(あるいは翌朝)に書くため検事とのやりとりや感想が生々しくつづられています。公判では弁護人がこのノートの主要部分を1日分ずつ読んだ上で上村証人に質問する、というやりとりを繰り返しました。  読み上げられた被疑者ノートの内容と上村証人の証言を出来る限り忠実にご紹介します。(『 』は被疑者ノート、◎は証言)
5月26日(上村証人逮捕)
5月28日
『「証明書は倉沢が村木から直接もらったことになっている。私の記述は浮いている」と言われた。どうしても私と村木をつなげたいらしい。』
◎何でこういう展開になっているのかわからなかった。
『だんだん外堀から埋められる感じ。私の供述さえ得られれば検察のパズルは完成か。いつまでも違った方向を見ていると拘留期間が長期化しそうで怖い。しかし、現時点で村木の関与は思い出せない。』
5月29日
『下に責任を押しつける厚労省の体質を改めるべき。このままいくと上村さんがうそをついていると思われてしまう。』
◎それは検事が言った言葉。「厚労省の膿を出す」と言うのが検事の口癖。
◎「うそをついていると思われてしまう」というのは自分の独断でやったという主張を貫くとぼくがうそをついていると思われるということ。
『証明書を渡したのは私、というのと、関係者の話では村木から倉沢にわたっている、がどうしてもつながらない。』
◎自分の記憶と検事の話がどうしてもつながらなかった。
『偽証罪に問われるのか心配だ。』
◎法廷で村木さんが関わっていないのに関わっていると供述すると偽証罪になるのではないか、ということ。
5月30日
『これだけ固められると逃れられない。記憶はないけど私が村木に証明書を渡したことを認めた。凛の会側のメモや手帳という記録には記憶は勝てない。』
◎検事の話と新聞報道でそう思った。検察側の意向を認めないと拘留が長期化するという気持ち。
『弁護士さんの指示に従えなくて申し訳ない。』
◎自分の記憶に残っていることだけ話せ、というアドバイスをもらったのに検察に負けてしまった、ということ。
5月31日
『私が証明書を渡したことを「うそ」ということにされてしまった。私の記憶にないことを作文されている。こういう作文こそ偽造ではないか。』
『いかにも厚労省のため私のためとか言っているが信用できない。』
『冤罪はこうして始まるのかな。』
◎最初からぼくの供述なんてどうでもよくて、村木さんの関与を認めればそれでいいという感じだった。検事の口から「村木さんの指示」というのがパアァと出てきてそれを事務官がパソコンに打ち込んで署名させられる。検事のいいとこ取りで作文された。
『(訂正されなかったのは)私が村木に証明書をわたしたこと、村木から私に証明書を作るように指示があったこと、キャリアがノンキャリアを踏み台にしていること。』
『今日のことは弁護人には言うな。』
◎違いますと言ったのに訂正してくれなかった。
『自分でリークしているのに、マスコミは面白おかしく書くと言っている。』
◎自分と検事しか知らない話が翌日新聞に載っているので、検事が自分でリークしていると思った。
6月1日
『村木のデスクに呼ばれたところを近くの人が見ている。』
◎検事にそう言われた。
『(訂正されなかったのは)村木に指示されたこと、村木に証明書を渡したこと。(書いてもらえなかったのは)凛の会の関係者に(自分で)証明書をわたしたこと。』
◎弁護士には本当のことを話せといわれるが、一人になると負けてしまった。検察官と1個人ではとても真実を通しきれない。
6月2日
『当時の室長補佐の供述調書読みきかせ。』
◎自分の単独犯行なのに、3月以前に上司とか企画課の人がこういう動きをしていたことを知って驚愕の気持ち。そのころは検察官の言うことは本当と思っていた。後々疑いも持つようになった。
6月3日
『(訂正されなかったのは)村木からの指示、村木から渡したという点。』
◎そういう前提でいつも始まる。言い分を全く聞いてくれない。聞くだけ聞いて検察官が話し始めると村木さんの関与のことばかり。
6月5日
『(取調事項)1回目は塩田と村木を中心に国会議員とのつきあい。2回目は当時の政治的背景』
◎調書では政治的背景、裏事情を私が語ったことにされたがそんな話はしていない。一般論として話すとうまいことつないで犯行動機に結びつくよう作文する。
『(大きな字で)もうあきらめた。何も言わない。』
◎もう好きにしてくれという意味。抵抗する気力を無くした。
6月6日
『(取調官の言葉)全然覚えていないから他人の力を借りるより仕方がない。偽証罪にはかからない。』
◎検察官に言われた。他人の力とは倉沢、河野、塩田の供述のこと。
『密室での調べでは検察に勝てない。』
『調書の修正は完全にあきらめた。』
6月7日
『村木が倉沢の目の前で郵政公社に電話した。郵政公社の支社長と村木の夫が知り合い。』
◎こういう風につながっているからやっぱり村木はつながっていると検事に言われた。信じられない思い。検事に自分一人でやったのは違うと説得され、記憶が揺らいで抵抗をあきらめる思い。
6月8日
『面倒なことは先送り。責任回避の性格。相談する相手がいなかったことも原因ではと検事が言っていた。』
◎自分を分析するとこういう自覚症状。一人で抱え込んじゃったからこういう話になっちゃったと言ったら、検事がこう言った。
6月9日
『村木、塩田の関与について取り調べ。厚生労働省の組織的犯罪にしたいようだ。
村木から後づけの決裁は必要ないと指示という調書になっている。作文に近いが、検事の作文にのるという決断をした以上しかたがない。』
◎検事の作文にのる、というのは「あきらめた」と同じ意味。
6月10日
『余罪、大臣印3件の無断使用。』
◎いずれ取り調べすると検事に言われた。1回目の拘留満期に近い時期だったが、余罪についても再逮捕があると思った。
6月14日(村木元局長逮捕、上村証人再逮捕)
◎村木さんの逮捕を知ったのはラジオのニュースかもしれない。検事が検事総長まで了解している、と言っていた。自分の記憶と反しており、自分が偽りの供述を維持したことがかなり影響したのかな、申し訳ないと思った。
6月15日(裁判所の拘留質問で村木さんの関与は記憶があいまいと供述)
『裁判官に話したことは訂正しないと言ったら、検事は少し涙目になった。』
◎拘留質問の時に、村木と共謀していることは違います、と裁判官に言って書いてもらった。9時頃に裁判所に出かけて夕方までかかった。夜に取調べがあったが、検事がそれまでの取調の時は淡々としていたのに涙目になり、鬼気迫る様子で怖かった。すぐさま、今日言ったことは違います、と巻き返すような調書を取られた。もしかしたら偽の証明書が2枚あるのではないか、私が言っていることも正しいけれど検事が言っていることも正しいのかな、という気になった。
『余罪については実害が生じていないから穏便にすまそうと思っている。利益誘導?』
◎利益誘導とは穏便にすますということ、それによって偽りの供述を維持しようとしていると感じた。夜の取調で、巻き返しの調書を取られた時に出た話。
6月16日
『捜査の構図は当初から決められていてこれに私の証言と倉沢の証言を合わせる必要があるので、検事も上から言われて苦しんでいるのではないか、と聞いた。しかし、私は村木から指示され証明書を渡したことは記憶にない。思い出せない。』
◎検事は本当は私の言うことを信じてくれていて、でも上の人の構図にのらざるをえなくて苦しんでいるんじゃないですかと聞いた。捜査方針に沿わないことを自分が言っていると検事も周りから責められているのではと見えた。検事の顔を立ててやろうとまでは思わなかったが、組織の中で苦しんでいるように見えた。
6月17日
『(取調官の言葉)検事が司法修習生との懇談会に出た時、「どうしても自白しないときはどうするか」と聞かれて、検事は「拷問する」と答えて上層部から注意を受けた。
記憶にないといつまでも言っているといずれ強引な手段もあると聞こえプレッシャーを感じた。』
◎検事がそのとおりに言った。
6月18日
『取調べ時間が今週に入って急に長くなっている。最近は、思い出せるものならとっくに思い出している、という怒りにも似た感情がわいてくる。』
6月19日
『眠い。けど眠れない。弁護士接見の時に少し寝かせてもらった。』
◎接見の時に寝かせてもらうのは何度かあった。健康状態は大変悪く、食欲が無くて、40日間で6㎏やせた。
6月21日
『村木の関与について全く聞く耳を持たない。毎回毎回バカバカしい。』
◎検事は私の主張を否定して、村木が関与と言い続けていた
『検事はいつも「ここからは想像でしか無いんだけどね」と言って私に聞いてきて、それをパソコンに打ち込み、それが調書になる。いつもこのパターンで架空のストーリーを作り上げる。「ちゃんと眠れている?」とか「心配事があったら何でも相談して」とか言うが、調書作成の時になると私の言っていることには耳をかさない。この割り切りを見ているとまるで機械のようだ。』
◎ここからは想像でしか無いんだけどね、というのは一つのパターン。調書になるときもあればそのまま終わることもある。
『睡眠薬を出すようにするらしい。強引な取調がなければ薬なんかいらないのに。』
◎結局、睡眠薬は出なかった。
6月22日
『今でも単独でやったと思っているかと検事に聞かれて、私の記憶では私が決断して河野に渡した。と答えると、否認するわけね。関係者全員の証人尋問だ、と言われてプレッシャーを感じた。』
◎(村木さんの関与を認めろという)やりとりは1日1回はあった。こういう風にストレートにプレッシャーをかけられたのはこの日だけ。
6月24日
『(取調の状況)トランプ遊び約2時間。この余裕は一体何?』
◎取調室に行ったら今日はトランプを持ってきたから一緒にやろうと大貧民とかダウトをやった。嫌だというとどうなるかわからないから応じた。こんなことしている時間があるなら早く調べて早く出して欲しかった。
6月25日
『村木からの指示は無く、村木が証明書を渡したのではなく弁護士会館のB1のメトロで河野に渡したのが自分の記憶である、と供述したが、調書はすでにできあがっていて署名捺印は拒める状況ではなかった。保釈という甘いえさの誘惑に負けてしまった。』
◎検事が代わっていた。(これまでの担当検事をA検事、代わった検事をB検事とする)調書はすでにできあがっているものを持ってきた。保釈の日程などの話をした後に調書が出てくるので、やっぱり違うと言って拒めば保釈も反対されると想像した。
6月26日
『保釈は検察庁としても反対しない。』
『留置管理係の上司が部屋を訪ねてきて、村木から指示されて証明書を作り村木に渡したというのは記憶と違うことをありのままに話した。今が一番苦しいが検察と闘わなければならない、と励ましてくれた。』
◎なぜ来てくれたかはわからない。私の記憶と違うことが調書になっていると話したら、今が一番苦しいが闘わないといけないと諭された。弁護人以外にも味方がいて嬉しかったが、このとおりできるはずがないなと思った。
6月29日
『(再び検事が代わり)A検事がプレッシャーをかけてきた。前日のB検事とトーンが違う。』
6月30日
『拘留中の調書について、精神的に不安定になって妄想を語った訳ではない、と私が語ったことになっている。悔しく不本意。余罪の自白時期について調書の訂正を申し出たかったが黙っていた。』
◎調書の明らかな間違いは直してくれるが、直したところ以外は正しいとされるので気をつけろ、と弁護士に言われた。
7月1日
『凛の会について組織的犯罪ではないとするならば余罪についても考え方を変えなくてはならない。再逮捕?』
◎A検事に言われた。この段階でもまだ抵抗を試みていたかは覚えていない。
7月2日
『裁判における反省の言葉を書けと言われた。裁判で想定外のことを言われたら困るから一筆書かせて洗脳しておけ、と言われているのかもしれない。これ以上のことは出てから考える、今は冷静になれない、と言ったら明らかに目の色が変わった。』
◎目の色が変わったのはA検事。取調が3回あったが、保釈の話と反省文の話は同じ時。
7月3日
『調書がたくさん取ったのはよほど不安なんだな。こんなに調書を取るとかえって裁判官に不審がられないだろうか。かえって逆効果のように思える。』
◎A検事が作ってあった調書をB検事が持ってきて確認させられた。
7月4日(保釈決定)
『この期に及んでトランプとは。これで私を手の内に入れたつもりなのだろうか。』
◎この日のゲームは覚えていない。2回取調べがあり、2回目はA検事がトランプを持ってきた。
3月4日
平成22年3月4日 第11回公判がおこなわれました。
石井一参議院議員が証人として出廷しました。
「厚子さん 第11回公判傍聴記 by ナミねぇ
~「これは政治案件ですよ」は、真っ赤な嘘~」

3月4日(木)、朝から小雨そぼふる中、大阪地裁へ。今日はジャーナリストの江川紹子さんも東京から傍聴に来られ、地裁で合流。

今日は石井一参議院議員の出廷日ということで傍聴券の抽選があるため、駐車場に人の列。初公判が4倍だったことを思うと想像したほど多くない。私は家族傍聴券を戴いていたが、運だめし(?)と思って並んでみたが・・・くじ運の悪い私は、やっぱり外れた! せっかくなので抽選券に当たった江川さんと記念写真を撮らせて戴こうとカメラを構えたら「敷地内撮影禁止っ!」と、警備員にどえらく怒られる。朝からとほほな私・・・(^^;)

仕方なく、地裁の敷地から出て、傍聴券の当たった江川さんとツーショット。

10時開廷。石井議員入廷。白髪、大柄。選挙区が私の住む「兵庫一区」なので、選挙カーや路上演説などでお見かけしたことはあるが、間近に会うのは初めて。「こわもて」の印象を抱いてたが、終始、穏やかな声で話された。証言席に移る前に、秘書がペットボトルのお茶を渡し、一口飲んで証言席へ。

石井氏は弁護側証人なので、宣誓の後、弘中弁護士からの質問で尋問開始。まずは1969年衆議院議員初当選から今日までの経歴や所属した委員会などが語られる。外交、防衛・安保、国土交通、都市開発に関する委員や選対委員長歴任など。

弘中弁護士が「厚労省の委員会はありますか? 」と聞いたあと「いわゆる厚労族議員かということですが」と直截にいったので、廷内にちょっと笑い。「厚労委員会に属したことはなかったと思うが・・・私は何省の族議員でもない」と、ちょっとムッとした口調で石井氏。

「本事件に関わった倉沢を知ってますか?」弘中弁護士の質問が核心に触れ始める。「勿論!」と、石井氏。弘中氏「どんな人でしたか?」「1982年に秘書公募で採用した。礼儀正しい人だったが、1年後の選挙で私が落選した時に事務所を離れ、その後、職を転々とした後、弟(石井一二氏)の秘書になったので、わたしにとっては弟の秘書という印象が強い。」と石井氏。「1年で辞めたので、重要な仕事は担当していない。」とも。

この後、何度も石井氏は、 倉沢被告が自分にとって重要人物ではないことを繰り返し述べる。「彼は私のインナーサークルの人ではない。奥さんが働いて支えてるとも聞いたし、失礼な言い方になるが、職を転々としてるので、どこで何をしてるか知らない。いわば周辺の人だ。」クールでかなり突き放した言い方。「インナーサークルの人ではない」という言葉を聞いた時は、なぜだか背筋がゾワッと。

弘中氏「あなたは、倉沢氏とどの程度の接触が有ったのでしょう?」石井氏「私は克明に手帳をつける性格で、いつ誰と、どんな要件で会って、どう対応したかなどを全て書いている。それによると・・・倉沢に会ったのは、2001年1回、02,02年0回、04年2回・・・007年は選挙があり、 かなり会っているが、それでも6回。つまり平均すると年に1-2回事務所に顔を出す程度ということです。」と石井氏。

弘中氏「次にお聞きしますが、あなたは厚労省社会援護局元部長の塩田幸雄氏との面識はありますか?」。石井氏「覚えがありません。長年議員をしていると、相手は僕を知っててもこちらは記憶がないということが、いくらでもあります。塩田さんというのは直接会ったこともないし、顔も思い浮かばない。」弘中氏「塩田氏は、阪神淡路大震災後の復興委員会であなたに会ったと言ってますが・・・」石井氏「兵庫一区は被害が大きかったので、会った事実がないとはいえないが、覚えがありません。」

「では・・・」弘中氏の口調が少し厳しくなる「平成16年2月下旬頃、あなたが塩田氏に、障害者団体の件で相談が行くので、よく聞いてやって欲しいと、電話したことは?」。石井氏「全くありません。働きかけなど一切していません。」弘中氏「そのようなことが、あたかも有ったような報道が多々なされて、あなたは名誉毀損の訴えを起こされていますね。」

「訴訟など起こしたくなかったっんですが・・・」石井氏の声のボリュームが少し上がる。「報道がなされた2009年春は総選挙前の大変な時期ですよ。まして党副代表でしたから。その時期に、新聞、TV、週刊誌などで毎日毎日、身に覚えのないことが報道され、カメラやマスコミがいつもついてくる。そんな状況が続いて本当に困りました。

そのうち「キャリアウーマンが私の依頼に抗しきれなかった!」などというタイトルが地下鉄の中吊りにも載る有様で・・・」石井氏は真剣に訴える。しかし「ついには男女関係でもあるのかという電話までかかってくるようになり・・・」と話しはじめると、廷内のあちこちで笑いが起きる。
う~ん、ちょっと自慢っぽいかも。(^^;)
「まぁ、そのような訳で弁護士に相談して、身の潔白を証明するために週刊誌を訴えたのです。」

その後、石井氏は「今日なぜ出廷したか」を問われ「私自身もマスコミに書かれて相当辛い思いをしたが、村木さんという女性局長は高知の大学を出て東大卒の競争の中であそこまで上り詰めた。それなのに被告人の席に立たされて、さぞ 辛く苦しいだろうと、その心情を思い、同情の気持ちから、今日の出廷を決めた。」と語った。

「では問題の、平成16年2月25日についてお聞きします。」弘中弁護士の厳しい口調に、廷内が静まる。「これが倉沢の手帳ですが・・・」法廷内の左右の壁にかけられた 大きなディスプレイに、手帳が写しだされる。
「この日の倉沢の手帳には<13時 石井一、木村>との記述があり、これが本事件にあなたが関与している・・・口添えを依頼され、厚労省に働きかけた、という疑いに繋がってるのですが、あなたはこの日、倉沢と会われてますか?」。石井氏「絶対ありえません!私は過去40年間、その日の出来事を手帳に記録してますから・・・200冊になるんですよ。それを確認してもらえれば・・・」

石井氏の言葉を受けて弘中氏が「手帳を!」と、裁判長に要請したとたん、検事が「異議あり!」と大声で叫びながら立ち上がる。公判前整理手続で証拠採用していないものを、突然出すな、というのが検事の言い分だ。「採用できません!」検事の顔が真っ赤になる。「ダメです!」「認められません!」

「では、証拠採用が必要な理由を述べます。」と弘中氏が冷静に話し始める。「まず何より、石井氏の関与を言ってるのは検察官です。これを争う場で、否定材料を提出するのは、当たり前ではないですか?」。立ち上がった検事は着席するのも忘れて、真っ赤な顔のままで弘中氏を見つめている。

「公判前整理手続の段階では、石井氏が克明に手帳に記録をとる方だとは分かりませんでした。しかし本件について、昨年9月に石井氏が事情聴取を受けた時、実は石井氏は手帳を検察官に見せているんですよ。検察官がきちんと見なかっただけです。石井さん、その時の検察官がここに居ますか?」「はい」石井氏が 検事席を見ながら答える。
「そこにおられる・・・少し太られてメガネもかけておられるので別人のように見えるが、あの方です。」名指しされたM検事、ちょっと顔を赤らめて、俯く。

私は驚いて傍聴席で飛び上がった。なぜならこの事件は「石井議員の口利きに端を発した、政官がグルになって犯した犯罪」と検察は言い続けているにも関わらず、捜査時点はおろか逮捕・起訴後3ヶ月の間、倉沢の供述の裏付け捜査を一切行っていないということが明らかになったからだ。ようやく9月に入って、あわてて石井議員から話を聞いたのだろう。
検察は、事件の端緒になる口利きについて最も基本的な裏付け捜査もせずに、主犯の供述だけを基にして厚子さんを逮捕・起訴していたことになる。何という暴挙! 何という怠慢! 開いた口が塞がらないとは、こういうことだ!!

「そのような訳で、手帳の証拠採用をして戴きたい!」弘中氏の言葉に、裁判長が頷く。
ディスプレイに、石井氏の手帳がアップで映し出される。「2004年2月25日・・・この日に丸印がついてますが、これは?」「それはゴルフの日、という印です」と石井氏。「7:56ティーオフと書かれてますね。どこのゴルフ場ですか?」「成田です。」しばらく、参加メンバーやスコア、何時頃終わったというような会話が続く。

「この手帳を、あなたはM検事に見せたんですよね。事情聴取の場所は?」「大阪のリーガロイヤルホテルでした。」と石井氏。
う~む、国会議員を呼び出す時は一流ホテルで話を聞くのか・・・と心のなかでツッコミを入れる私。
「(事情聴取なので)会話は録音されてるはずですね?」と弘中氏。うなずく石井氏。その後、手帳を精緻に点検しながら弘中氏と石井氏のやりとりが続き、その日はどのようにしても石井氏が倉沢に会うことは出来なかったことが判明。

記者たちが、バラバラっと法廷外に飛び出す。今日の報道は「石井議員、その日はゴルフ!」やね、きっと。
弘中弁護士の辣腕ぶりが、いかんなく発揮された午前の法廷だった。

11時過ぎ、少し休憩がとられると、石井氏は笑顔とドスの利いた声で弁護団席に座る厚子さんに近寄り「初めてお会いしますね」と声をかける。
立ち上がって微笑みながら一礼する厚子さん。

休憩の後は検事が尋問に立ち、石井議員の秘書の人数や役割分担、陳情対応などを聞いた後「あなたが凛の会を知ったのは?」と石井氏に問うた。
「2006年11月6日です。」と石井氏。それは偽造証明書が発行されてから、2年10ヶ月も後のことだ。「議員会館ではなく、十全ビルのオフィスで会いました。」

「選挙の手伝いをすると言って来た倉沢が、選挙関係の話をした後、新聞のようなものを僕に見せて、これを選挙に活用してはどうか、と提案するので見ると<凛>と書いてあった。これを選挙公報に使うと、障害者郵便なので安く送れる。8円だかなんだか、そんな話だった。でも障害者関係を熱心にやってる議員は他に居るし・・・障害者にしか送れないんじゃあまり意味もないし・・・あ、もしかしたら、誰にでも送れるのかな?これは村木さんに聞いたほうが早いか。」と、そこまで言ってニッコリ笑う石井氏。傍聴席にも笑い声。

「まぁそんな訳で、断ったよ。倉沢もそれ以上言わなかったしね。」
「僕はね、倉沢には犯罪は構成できないと思うんだ。使われたり、利用されたりするタイプだよ彼は。今はどうしてるか全く知らんね。」

12時過ぎたので、ここで昼休みとなる。地裁駐車場前の喫茶店で、アイスティを飲みながらツイッターに「公判傍聴記速報」を打ち込む。パソコンを閉じる前にツイッター・サイトをのぞくと、江川さんも凄いスピードで速報をUPしている。わぁ~い、ツイッター競演だ! とちょっと浮かれてたら、午後の法廷に入るのが少し遅れてしまった。
そろりと法廷の扉を開けると、わっ、なんやなんや! 検事と弘中弁護士が大声で言い争っているやないの!!

検事がまだ石井議員の手帳を「証拠採用できない!」「不意打ちだ!」などと叫んでいる。往生際の悪いやっちゃなぁ。「公判前整理手続で提示していなければダメだという法律など無いでしょう!」と弘中弁護士。怒鳴り合いが終わらないので裁判長が「ではこの件は後ほど。」と公判を続けるよう促す。

そして公判が再開されたが、その後の検事側の言動にはズッコケた。なんと検事側も、石井氏の手帳の平成16年2月25日のページをディスプレイに映し出して尋問を開始したのだ。しかもすでにゴルフ場に色々裏をとってることが丸わかりの尋問が続く。弘中氏が立ち上がり「そっちの調べたことも、証拠提出しなさいよ!裁判長、証拠請求します!」

「いや、これはまだ調査中のことなので・・・正式な書面化もしていないので、証拠ではない!」
検察側は、平成16年2月25日に石井氏がゴルフに行っていたことに気づき、こっそりゴルフ場や同行した関係者にあたっていたのだろう。弁護団に先を越されたことが悔しくてならないんやね、きっと。

検察側は、ゴルフに同行したK議員が、当日予算関係の委員会に出席していたことの「証拠」となる「委員会出席者名簿」を持ち出して(これだって証拠採用されていないコピーものやのに、自分が証拠のように使うのは、良いらしい)石井氏のゴルフというアリバイを崩そうとした。しかしその委員会は、出席してもしなくても「委員全員の名前が出席者名簿に掲載される」という慣習だということを石井氏が暴露し、もう法廷はしっちゃかめっちゃかの様相に。

最終的に裁判長の判断で、石井氏の手帳の「平成16年2月24日と25日」が「証拠採用」され、今日の公判が終わった。

傍聴者たちがみな、席からザワザワと立ち上がりかけた時、石井議員が「ひとこと、お話させて戴きたいことがある。」と声を張り上げた。
裁判長、検事、弁護団、傍聴者全員が石井氏が何を言うのかと耳を傾ける。
石井氏の、政務に鍛えられた大きな声が「私は、この裁判の結果は、検察庁の倫理・存在(意義)を問うていると思っている。検察が、公正無私で善であることを私は希望している。」と語った。

そして石井氏は、公判後の記者会見でも「あなたたちマスコミは、私を犯人扱いしてこられた。村木厚子さんも、大変つらい思いをしておられる。事実に基づかない報道を続けてこられた皆さんは、いったいこの責任をどうとるのか。情報の集め方にも問題があるのではないか」と、問題提起を投げかけて、大阪地裁を後にした。

最後に、今日の石井氏の証言の中で、最も印象に残った言葉を記しておこう。
「私は、顔はいかついが、実は心は優しいのですよ。」
笑いを誘うことも忘れない、関西人の石井さんであった。

「第11回公判傍聴記 by U」

倉沢が石井事務所を訪問して、証明書発行の口添えを依頼したという「2004年2月25日は、成田市でゴルフをしていた。倉沢とは会っていない。」「厚生労働省の塩田部長は、会話をした記憶はない」~石井一氏

第11回公判は、弁護側証人として石井一参議院議員(民主党選挙対策本部長)の証人尋問で裁判所横の通用口にもカメラがきていた。事件がマスコミでセンセーショナルに報道されていた時期は、2009年夏の総選挙の直前であり、いろいろな影響を受けたことを思い出しながら、抽選会場に行った。第1回公判でSさんとともに抽選に外れた私は、並んでいる人は初日の3分の一ぐらいだけれど、又外れるのかとどきどきしていたが、今回は二人とも大丈夫だった。私は、様々な日程と重なり、約1ヶ月ぶりの傍聴。傍聴席は、前に来たときは、1列目が記者席だったのに、2列目も記者席になっていた。

マスコミの頭撮りの後、始まった公判は、冒頭弁護人が証拠採用を求めた石井氏の手帳の採用を巡って検察側の異議と弁護側のやりとりが行われた。検察側曰く「公判前整理手続きの際も、事前手続きとしても示されていないのでやむを得ないとは判断できない。」これに対して弁護側は、事実関係について争うと第1回目公判でも表明しているその一環。手帳そのものが手に入ったのは最近。」と主張。証拠採用については公判後裁判長が判断するとされ、証人尋問が始まった。(当日の毎日新聞で「石井氏不在証明主張」などと報道があったので冒頭のやりとりはさもありなんという感じだった。)

*弁護側の石井氏の経歴と倉沢氏との関係についての質問で、石井氏は、

「1966年から40数年の議員生活で外交、防衛、安全保障、危機管理、都市問題、国対、選対関係が中心の活動で、文教や厚生労働は縁がなかった」「倉沢邦夫は、1982年公募で採用し1983年の選挙で落選するまでの約1年私設秘書だった。事務所を辞めた後は、2007年の参議院選挙に全国比例で出ることになった2006年8月に全国にいる元秘書と同じく、協力を要請し、倉沢くんには後援会の北関東の担当としてボランティア選挙スタッフとして協力をしてもらった。過去10年の事務所への出入りは、2001年に1回、2002年2003年は0回、2004年2005年は各2回、2006年4回、2007年6回、2008年2回、2009年0回、1983年~2001年までは年に1~2回程度で私のいないときにはきていないのではないか」

*「凜の会」との関わりについては

「2006年11月に選挙対策で事務所に来てもらい打ち合わせをしたが、その話が終わったときに、倉沢がタブロイド版の新聞『凜』を見せて、ここに写真や原稿を載せて全国に発送してはどうか。料金は8円ぐらいでとても安いと言ったが、私は、障害者の皆さんをバックにした候補者はすでにいるので、今更とってつけたようなことをしても効果はないし、失礼だと断った。その際、倉沢が会の代表を頼まれていていると聞いた。当日の案件の重要部分ではなかったので(断ったので)手帳にメモも記載していない。忘れていたが、この件が報道され、私の関与が取りざたされて、そういえばそんなやりとりをしたと思い出した。そのとき以外に倉沢と凜の会のことで会話をしたことはない。」

*倉沢氏が石井事務所を訪ね、口添えを依頼したという2004年2月25日について

石井氏は、約40年の議員生活中の活動について自身で振り返り返りができるように115㎜×100㎜厚さ10㎜の手帳を2ヶ月単位(1年で6冊)で作成・利用しており、日程の行き違いを避けるように神戸と東京の事務所にも大学ノートで同内容のスペアをおいており、事務所に戻ると秘書が日程について書き加え共有化していたという。

◆ここで弁護側が、石井氏の手帳を示そうとした時に検察側が、またもや冒頭と同じ主張を繰り返した。弁護側とのやりとりの中で、1月20日の石井氏と広中弁護側との打ち合わせの際、2004年2月25日どこにいたか解らないかと尋ねられ、石井氏は手帳が神戸に保管してあるのでと、神戸の秘書に問い合わせ、該当ページをファックスしてもらい、公判の4~5日前に本体を弁護士に渡したとのこと。また、このやりとりの中で、2009年9月に前田検事(当日在廷し、検察側尋問の多くを行った)が大阪のホテルで石井一氏を事情聴取した際に、石井氏は2004年分6冊を持参し、机上においた。それを、検事はパラパラとみたが、内容についての質問ややりとりはなかったとのこと。(このときに、検事が詳しく日程を検討すれば、その時点でシナリオは崩れた・・・?)

倉沢氏の手帳にある「2004年2月25日13時石井一」という内容について、石井氏は、2004年1月2月分の手帳を示し、当日は、ゴルフに行っていたと証言。当日は、予算委員会の集中審議の日で、メンバー以外は、国会の予定は入らない日となったので、一両日前にゴルフをセットし、千葉県成田市にあるゴルフ場に行った。帰りは4時少し前に出て、6持から予定していた赤坂での会合に間に合った。その間、事務所には立ち寄っていない。

検事から、当日2時からの文部科学委員会に出席しているとの議事録の記載の指摘があり、4時前まで一緒と言うことの矛盾を突いたが、石井氏より「国会の議事録は、出席者という記載は、差し替えや事前欠席届のあったもの以外は、メンバー全員の名前が記載される。出席時間など詳細な記録はない。出席予定で結果として欠席の人も出席者として記載されている。本人に確認しないと解らない。採決の時は厳密に把握する。予算委員会の集中審議の日は、原則として他の委員会は開かれないが、例外的に与野党の合意で短時間新しい大臣の基本質疑を入れたのだと思う。」と国会の議事録のファジーさが説明された。

また、ゴルフ場の当日の石井氏と参加メンバーの行動内容についてすでに検察側が捜査していることもやりとりの中で判明し、弁護側が判明している内容の開示を求めたが、検察側は、証拠としうる内容に整理できていないと言い張り、後日の取り扱いを主張した。広中弁護士と検事とのの激しいやりとりの上で弁護側から、裁判所として開示を求めることを要請。(検察側は、石井氏の手帳を証拠採用することを拒みながら、反論材料をそろえていたことが判明。のらりくらりと同じようなことを質問しながら、「これはどうだ」と出してくる。やはり、したたか・・・)

*塩田部長との関わりについて

塩田元部長は石井氏とは阪神淡路大震災の復興支援の会議で一緒だった。としている点について、石井氏は、多くの役人の方とお会いしたが、名前と顔に覚えがない。従って、働きかけたこともない。石井氏は、厚生労働関係に限らず、役所関係の陳情については、各省庁の国会詰めのメンバーに、前さばき的相談をしている。石井氏は、重ねて、問題になっている内容については、手帳も、面会録も陳情録も再度精査してもいいが、一切記載も記憶もないと述べた。

その他、週刊誌の報道への名誉毀損の民事訴訟が係争中であることや、倉沢氏の新会社設立パーティへの参加のいきさつなど、石井氏の思いが、縷々述べられた。

*今回の事件についての石井氏の思い

石井氏は、「弁護側証人となることを当初は少し躊躇したが、何故このような事件が起こるのか。どこに原因があるのか。30年前に秘書だった以外何もない。私は、政治家、世論に耐える。私がこれだけつらい思いをしているのに村木さんは法廷に立つ、つらいだろうと思った。自分の名誉回復という面もあるが、村木さんのために証人に立つと決めた」と今日が初対面の村木さんへの気遣いの発言もあった。

最後に、今日示された手帳は、必要箇所のみの抄本を証拠採用すると裁判長が述べ、閉廷を、宣言しかけたところで、石井氏は、「党は、昨日参議院選挙の公認を発表した。選挙対策本部長の私に今日は、何十組も面会に党本部に来ている。しかし、公の約束なので本日はここに来た。今日申し上げたことはすべて真実。今度の事件は、何か政治的な意図があるのか。何ら関わりのないものが巻き込まれ、多大な迷惑を被っている。前田検事にも申しあげたが、この裁判の結果は、検察庁の存在、公正を問うている。公正無私の面目を示してほしい」と少し、演説口調で締めくくられ、閉廷となった。

記者が何度も途中で法廷をどたばたと出て行く場面、法廷のスケッチする人が3人もいたなど注目度の高い公判だったが、この間、検察側の捏造が何度も明らかになっているのに、検察はなお、続けようというのかと怒りが改めてわいてきた。と同時に村木さんの穏やかな表情に励まされている自分に気がついた。季節の変わり目、村木さんには、一層健康に気をつけて、乗り切ってほしい。

3月3日
平成22年3月3日 第10回公判がおこなわれました。
前回に引き続いて元係長・上村勉被告と、北村定義・元企画課長補佐が証人として出廷しました。
「厚子さん第10回公判 傍聴記 by ナミねぇ」

3月3日、お雛祭りの今朝は、数日間の暖かさが去り、コートを羽織って自宅を出る。ゆとりを持って出かけたのに、JRが事故で(?)30分も遅れ、大阪地裁201号法廷に10時5分過ぎに駆け込む。でもなぜか上村氏の入廷が少し遅れ、10:10開廷となったので、冒頭から傍聴できることに。 ホッ。

検事から、被疑者ノートを中心とした尋問が続く。検事が確認し続けたのは「取調べ検事の作文だとあなたは証言してきたが、あなたはノートの各所で(調書に)同意してるだけでなく、取調べに不満が無い、という欄にもチェックを書き入れているではないか」「後日、書き加えたり書き直したりしたのではないか」の2点。

それに対して上村氏は「法廷で証拠として公開されることは全く知らなかったが、自分が後で(取調室で何があったか)読み返す必要を感じていたので、書き直しはしていない。」「不満がない、にチェックした時は、何を言っても無駄と感じて、もうどうでも良いやと投げやりになっていたから」と証言。

「村木課長は本当のことを言って欲しい、という記述もあるが?」と検事。「塩田さんが村木さんに指示したとか、誰かが郵政の森さんに電話したとか、検事から色々聞かされて、もしかしたら自分が単独で偽造した以外に、もう1枚証明書は偽造されたのでは?と思ってしまうほどだった。」

「だんだん僕は頭が混乱し、村木さんが何か知ってるなら話して欲しいと思った時もあったが、検事から偽造証明書は1枚だと聞いて、村木さんは絶対関与してないと確信できた。でもそれを何度言っても調書に書いてもらえなかった。」

検事「村木課長の関与を自分から言ったことは?」。上村「全くありません!」。検事「でも被疑者ノートに<村木関与を認めた>と書いてますよね」。上村「違います。認めさせられたという事です」。検事「自供したんじゃないんですか?」ここで弁護側より「異議あり!」の声。裁判長が異議を認める。

「でもあなたは・・・」検事が問いかけ方を変える。「村木さんの関与を積極的に否定してませんよね」。上村氏「はい」。検事「この段階(起訴前日)で、それをほのめかしでもしておかなければいけなかったのでは?裁判官からも最後のチャンスと声をかけられたのでしょう?」。

上村氏「怖くて・・・迷いに迷って、ああいうあいまいな書き方になってしまった。申し訳なかった。勇気がなかった。本当はしっかり書きたかった!」聞き取れないほどの声で証言を続ける上村氏の声が高まって来る。検事「村木さんが関与を否定してることは、知っていましたよね」。上村氏「はい。 でも追いつめられて、与えられる様々な情報に混乱して・・・」上村氏の声に嗚咽が混じり、ついに泣きながら叫ぶ。「今は、はっきり村木さんの無実を確認しています。村木さんは無実です!!」

検事側尋問が終わり、弁護側と交代となる。弘中惇一郎弁護士が立ち上がり、穏やかに話し始める。 弘中弁護士「厚労省と、あなたが河野氏に証明書を手渡しに行った弁護士会館の図面を確認してもらえますか。」図面が法廷のプロジェクタに映し出される。弘中氏「厚労省~地下道~エスカレータ~階段・・・ここで一瞬空が見えたというのは、こういう感じですね」次々写真が投影される、うなずく上村氏。

次に、弁護士会館地下の「喫茶メトロ」の写真と図面を弘中弁護士が提示し、それが法廷内のプロジェクタに映し出される。「この喫茶で間違いないですか? この写真にあなたと河野氏が座った席が写ってますか?写ってたら、図面に印をつけて下さい。」「はい、写っています。ここです。」と答えて上村氏はしっかりと記しをつける。

弘中氏とバトンタッチした信岡弁護士からは「改めて聞きますが、被疑者ノートの<不満が無い>にチェックしたことと、供述調書の修正を完全にあきらめた、ということの関連を教えて下さい」。上村氏「何度言ってもダメなんだから、もうどんな欄でも関係ないや、と投げやりになってしまっていました。」

最後に裁判長はじめ3人の裁判官から、証言全体を俯瞰した質問がいくつかなされ、上村氏の証言がすべて終わった。

「あんたの証明書偽造せいで、厚子さんは罪に陥れられたんやで!」

上村氏の証言を初めて聞いた日、私は怒っていた。傍聴席で怒りに震えながら上村氏の証言を聞いていた。厚子さんがそんな彼を慈母のような瞳で見つめていることにも「厚子さんも、もっと腹を立ててもえぇんちゃうん!」と感じながら傍聴記を書いた。でも3日間にわたる上村氏の証言を聞き、彼が取調べ室で、実は最初から一貫して「僕一人でやったことです。」と言い続けていたことが心底信じられた今、やはり厚子さん冤罪事件(と、はっきり言おう)を生み出したのは、上村氏ではないことを確信する。

おそらく彼には「障害者団体に、書類審査のスピードを上げることくらい、してあげても良いんじゃないか。ちょっとだけ便宜を図って、彼らの活動を少し応援することくらい、いいじゃないか・・・」という、親切心や同情心も有ったのではないか、と思う。そんなふうに思えるほど、上村氏の証言の正直さと涙は、私の胸に切なく残った。

でもその心情を巨額の利益に利用した詐欺師たちがおり、その詐欺事件の構図を「政治家と省ぐるみの巨悪の構図」に書き換え、厚子さんを大犯罪者に仕立て上げた輩が居る。今日から先の公判は、その輩が断罪される公判であるべきだ。

午後の公判は、上村氏の上司であった企画課課長補佐、北村氏の出廷。

ここでもまた、今まで出廷した証言者のすべてが語ったように「検察の誘導尋問」が明らかになった。北村氏は、厚労省を訪れた倉沢被告を、村木厚子企画課長や社会参加推進室の室長らに引き合わせ、上村氏の証明書偽造を直接指示したとされている。

彼も取調べで一貫して「そもそも、倉沢氏に会った記憶がない」と言い続けてきたが、検事から「倉沢があなたの名刺を持っている。これは政治案件であり、石井議員、村木課長、そして社会参加推進室という流れは分かってるんだ。」と、東京地検に呼び出された最初の日に言われたそうだ。

「倉沢氏が名刺を持っているというだけではなく、誰それがこう言って、誰それもこう証言している、と言われ続け、自分も記憶力に自信があるわけではないので、いつしか、そういうこともあり得るのか・・・と揺らいでしまった。」

しかも最初から「被疑者」としての尋問で、恐ろしさから逃れたい気持ちでいっぱいだった。「知らない」「記憶に無い」と言うと「一泊でも二泊でもして行くか!?」とか「検察をなめるなよ」とか大声で言われ、調書に署名してしまった。と語る北村氏。

その後、度重なる取調べと何通も作成された調書をとりまとめる日もあったが、訂正や修正を言い出せなかった。村木さんを陥れるつもりなど、全く無かったし、こういう結果になったことを大変申し訳なく思っている。

しかし・・・と、ここで声をあらためた北村氏の証言に、法廷内の皆が驚愕することに。「倉沢が私の名刺を持っている、ということが実は嘘だったんです! 私はやはり倉沢と会ってなかったんです。」「いつそれを知りましたか?」と弘中弁護士。「つい先日。公判のために検事と打合せをしている時です。」

前回の傍聴記で私は「検察の取調べノウハウ」を書いたが、後一つ「嘘の証拠をでっちあげて、ストーリー通りの証言を引き出す」を、加えなくてはならない。塩田元部長の証言を引き出した「石井議員への報告電話の通信記録がある」もそうだったが、こうなると本当に「嘘の証拠の提示」が取調べにおいて「常態化している」と言わざるを得ないだろう。

ジャーナリスト江川紹子さんが、上村氏の公判傍聴後、自身のブログに書かれた『地検「特捜部」は本当に必要か』を今、全国民が真剣に考えねばならない時かもしれない。
http://www.egawashoko.com/c006/000319.html

ところで、かくも深刻かつ馬鹿げた状況に陥った公判であるが、裁判長の最後の一言が、法廷を沸かせたことを記しておこう。今日の証人である北村氏へ投げかけたその一言は・・・「取調べ検事の、一泊でも二泊でもして行くか?というのは、東京の自宅(我が家?)にお泊まりなさい、という意味ではないですよね」という、お茶目なもの。思わず私は「裁判長に座布団3枚!」と声をかけてしまいそうになりましたよ、ははは。

そして特筆すべきは、厚子さんが今日はとてもファッショナブルなスーツを着ておられたこと。毎回私が傍聴記で「地味!」などと書くので、意識されたのだろうか。今日は濃いグレーのスーツなんやけど、襟とポケットとボタンに濃い緑のベルベットがあしらわれ、中に着ているブラウスも同色でシルクのタートルネック。しかも、髪を後ろでひとまとめに括る髪飾りはスーツと同色という、トータルコーディネイト!
う~む、今日はキャリア官僚っぽくてしかも上品だ。公判の行方がだんだん明確になってきて、気持ちが落ち着いて来られたのかなぁ、と嬉しく思う。

え、私のファッション? そらいつも通り、ジーンズに「ケバい」メッシュ頭でございますよ。毎回、大阪地裁の警備員に、胡散臭そうな目で見られながら、法廷に通っておりますのよ。

さぁ、この出で立ちで、明日の石井議員出廷も見届けるわよ~!!!

「裁判を傍聴して by ゆきこ」

3月3日雛祭り、東京駅6時30分発ののぞみで大阪へ、村木厚子さんの裁判を初めて傍聴。最前列の記者席はいっぱい、穏やかな表情で入廷する村木さんにホットする。

午前中は前回に引き続き、上村氏に被疑者ノートをもとに検事が厳しい口調で尋問。

被疑者ノートを「後から修正、加筆したのではないか」としつこく迫り、裁判所の勾留尋問の際村木さんの関与を否定していないことなどを指摘して、村木さんの関与を否定する今回の証言との矛盾を突く。

ぼそぼそと小さな声で答える上村氏が、村木さんの関与に話が及ぶと「絶対ちがう」と大きな声できっぱりと断言。村木さん関与を認める調書に署名してしまったのは「自分のことだけ考えた、卑しい人間になっていた」からだと絞り出すような声で詫び、うその供述をして村木さんを冤罪に引き込んでしまったことを心から悔いている様子が伺われた。

異動早々に支援費の予算作業が待ち構えていたという職場の厳しい状況と他にも大臣印を不正使用したという本人のモラルの低さが、今回の犯罪の原因ではないか―上村氏の直属上司である室長補佐が充分にフォローしていればこのような事件は防げたのではないかと思う。

午後は村木さんの直属の部下であった企画課課長補佐の北村定義氏の証人尋問。上村氏逮捕の当日(5/26)被疑者として取調べを受け、仕事仲間がそう言っている、倉沢が自分の名刺を持っているなどと聞いて、記憶にはないがストーリーとしてありえないことではないと思ってサインしてしまった。「企画課からきた案件、北村定義氏から呼ばれた」という村松証言、倉沢氏の来訪などについても、記憶にないというばかり。被疑者としての取調べに動転し、自分の逮捕、勾留をおそれたとのこと。

供述調書には、案件が入ってきたときの流れ(企画課長から指示があり、推進室に連絡したこと)や、村木さんとの具体的会話(検事の創作とのこと)が記載されているがよく覚えていないという。

さらに村木さんが逮捕されて3日後(6/17)、村木さんの関与を認める調書に重ねてサインしている。自分の供述が村木さん逮捕のきっかけになったと知っていたか、逮捕後も関与を否定している村木さんに不利になると考えなかったのかという問いかけには、そこまで考えが及ばず、最初の時点で署名していたのでやむをえないものとして署名したという。

供述調書に入っている「村木さんを陥れたり、自分が罪を免れるためにうそをついたり作り話をしたりするのでなく、事実をありのままに話す」という文言が誠にそらぞらしく聞こえた。

北村定義氏も検察の意図的な誘導で村木さん関与を供述したことが明らかになったが、彼の証言を聞いていて午前の上村氏の時とは違う怒りを感じた。というのも塩田氏と同様北村定義氏も、仕事上村木さんと最も近い距離にあった人、そういう人が、たとえ被疑者としての取調べに動転したとはいえ、ありもしない村木さんの関与を供述することなどどう考えても理解できない。塩田幸雄と北村定義という村木さんを挟む両氏のウソの供述がなければ、村木さんが冤罪に巻き込まれることはありえなかったのではないか・・・そう思うと心底やりきれない思いがするのは私だけだろうか。

まだ裁判はやっと折り返し点にきたところ、村木さんが元気に闘い続け無罪を勝ち取る日が一日も早いことを祈るばかり、これからも皆で応援していきたい。

3月3日
各メディアに村木厚子さんについての記事が掲載されました。
・「厚労省女性局長逮捕事件 最重要証人が被疑者ノートにつづった「冤罪はこうしてつくられるのか」」
「厚労省女性局長逮捕事件 最重要証人が被疑者ノートにつづった「冤罪はこうしてつくられるのか」」
週刊朝日 2010年3月12日号 より転載
2月26日
平成22年2月25日 第9回公判がおこなわれました。
前日に引き続いて元係長・上村勉被告が証人として出廷しました。
「第9回公判 傍聴記 by ナミねぇ
~私たちは、裁判の行方を見誤ってはいけない~」

2010年2月25日(木)。
今日は2月というのに春のように暖かく、大阪の街はコート不要。
北区西天満の大阪地方裁判所に、開廷15分前の、am9:45到着。

今日の午前の公判は、1時間半検事側尋問、30分が弁護側。
午後も傍聴したかったが、神戸市内での講演活動が入っていたので、お昼休みに裁判所を後にした。

昨日・今日の公判で、上村氏の証言から、密室の取調室において検察官が「筋書き通りの供述を引き出し、調書に残すノウハウ」が明瞭になったので、上村氏の証言を再現しながら、綴ってみよう。

おそらくこのような事情聴取や取調べが行われたら、小心な人でなくても「落ちてしまい」その結果「事実と全く違う調書ができあがる」可能性が非常に高いと思う。

実に練られた、冷酷なノウハウである。

ノウハウその1。

「事件に関係無い一般的な会話(いわゆる世間話)の内容を、検察の筋書きにジグソーパズルのように嵌め込んで行く」

  • 上村氏は、キャリアとノンキャリの一般的な関係について聞かれ「交流が殆どない」「軍隊的な上下関係もある」など、率直に感じていることを話した。
    すると・・・「従って、課長からの指示に従うほかなかった。」「そのような厚労省の悪しき体質を改善するため、自分が捨石になろうと思って、(共謀したという)本当のことを話しました。」などという調書が作成された。
  • 自分の性格が小心であることや、通院歴があって睡眠薬が必要なことなどを指摘され、それに同意すると「だから自分には、証明書の偽造を独断で行う度胸はなかった(つまりこの犯罪は、村木課長の指示による組織ぐるみのものである)」という調書が出来上がった。そのうえ不安から睡眠薬を求めても「医師の診断により」ということで却下され、眠れない夜が続いた。

ノウハウその2。

「瑣末なことは、しっかり正しく調書に書く」

  • 上村氏の「公的証明書の偽造は、自分ひとりでやった」との訴えに、検事は全く耳をかさず(本当に、全く無視するのだそう)、検事の誘導によって引き出された文言のみ調書にする。しかし「○○課長は、筆頭課長という職責だ。」というような、事件の中ではどうでも良い瑣末なことを口にしたら、検事は書記にわざわざ声をかけ、それをさも重要案件であるかのように記録させたうえで「修正文」として調書に添付した。どんな細かい証言も、きちんと記録しているのだよ、という体裁を装うのだ。

ノウハウその3。

「暴力(腕力)は使わない。言葉で脅す」

  • 本当のことを喋っても、検事のストーリーと違っていると「正直に話さなければ拘留期限が長引くぞ」とか「再逮捕するぞ」とか、言われる。また「河野はキチンと話さなかったので、酷い目に遭ったなぁ」などと、さりげなく、暗にお前もそうなると匂わす。
  • たしかに暴力(腕力)は振るわないし、ペンを持つ手を無理やり引っ張って調書にサインさせたりもしないが、囚われているものにとって「勾留延長や再逮捕」は非常に恐ろしいことであり、実際の暴力を振るわれる以上の恐怖を感じる。

ノウハウその4。

「弁護人のアドバイスに従わせない」

  • 弁護人から「自分の言っていないことが書かれた調書にサインする必要はない」と言われたが、取調室ではサインするまで、上記のような言葉の暴力を浴び続ける。
  • 検事はどうしても単独犯ではなく「村木課長からの指示あり」「組織ぐるみ」という調書を作文したいのだな・・・と感じて「弁護人に相談させて下さい」と言って抵抗してみたが、やはり「保釈できないな」「勾留が長引くぞ」などと脅され、ついには諦めて言いなりになった。弁護人から「抗議文を出せば良い」とのアドバイスもあったが、怖くて出せなかった。それどころか、最後には「反省文」まで書かされた。

ノウハウその5。

「言いなりになったら褒める」

  • 恐怖心や諦めの境地から、検事の望むような態度や発言をするようになると、「良い表情になってきたね。」「本当のことを話したからだね。」などと優しく言われる。また調書にもそのように記載される。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今日までの、9回にわたる公判で、殆ど全ての証人が「事件は検察が創り上げたストーリー」「100%作文」「壮大な虚構」「でっちあげ」などと語るという、まさに異常な情景が展開されている。

この裁判は、いったい何を明らかにし、何を裁こうとしているのか。

この裁判に、これから求められるのは「虚偽有印公文書作成事件」の解明以上に、「この事件を利用して、何かを成し遂げようとした巨大な企図」を、明らかにすることではないかと思う。

そしてその企図こそが、厚生労働省現役局長であった村木厚子さんが「巨悪を成した犯罪者であること」を、必要としたのではないだろうか。

私たちは、裁判の行方を見誤ってはいけないと、思う。

「裁判傍聴メモ 2.25 <上村証人>二日目 by 花ずきんS」

どうしても村木さんの指示を言わせたかった取調べが浮き彫りに

きのうのあなたの証言は (1)文書は独断で作成 (2)河野さんに自分が渡した (3)村松さんからはこの件の引継ぎは受けていない、これでまちがいなかったですか?

他の人の証言と違いますね。「はい。」

二日めの尋問は、白井検事から昨日の上村証人による証言の確認から始まった。

「被疑者ノート」が語る当時の取調べと供述の真実

きょうの傍聴でもっとも私の心に焼きついたことは、午後からの弁護士による尋問で示され、読み上げられた「被疑者ノート」とよばれるものだ。

これは、取調べのあった日その日のうちに上村証人自身によって記録されたものであり、取調べについての記憶が生々しいもので信憑性がある。この記録の力は大きい。(弁護士から差し入れのあったA4一枚の記録用紙使用)

検事の取調べ項目、自分の供述、検事の対応、体調、取調べに対する自分の気持ちなどである。5月28日に弁護士から差し入れされた日から7月4日までの拘留期間の記録だ。私のメモでは書かれていない日は三日くらいか。5月26日の一日目の取調べでは村木さんの関与については検事は何も言っていない。28日から村木さんの関与が検事から言われ始めている。

今日の公判で信岡弁護士が読み上げたノートには、彼の次のような記述があった。

  • 5・28 検事はどうしても私と村木をつなげたいらしい。しかし、村木の関与は思い出せない。
  • 5.29 検事は「このまま行くと上村だけが嘘を言ってることになる。他の人は村木の関与を言っている。」という。
  • 5・30 これだけ周りを固められると逃れられない。記憶に無いことを認めてしまった。
  • 5.31 凛の会に私が渡したことを、嘘ということにされ、聞き入れてもらえなかった。
  • 5.31 冤罪はこうして生まれるのかな。
  • 6.1 調書の中で、村木の指示でつくり村木が凛の会の倉沢に渡したとなっている、ここだけは訂正してもらえなかった。私が凛の会の河野に渡したと言うことは書いてもらえなかった。(同内容のメモは3日間続いていた)
  • 6・6 調書の修正は完全にあきらめた。
  • 6.9 組織犯罪にしたいようだ。検事の作文にのると決断した以上仕方ないや。
  • 6・14 村木逮捕は検事総長も了解していると検事が言った。
  • 6.25 保釈という甘い誘惑に負けてしまった。
  • 7・1 裁判で供述調書と違うことを言うと余罪で再逮捕されるのだろうか。

印象的だったごく一部を紹介したが、こうしたノートの記録の読みあげを聞きながら、上村証人は、最初の取調べから一貫して (1)私の独断で文書は作った (2)私が凛の会の河野に近くの喫茶店で渡した と言っていたのだということを確信し、上村係長が昨年秋以降になって初めて村木さんの関与は無かったといい始めたのではなかったのだと知った。

こうしたノートに基づく尋問に答え「僕の話なんてどうでもいいんだ、村木さんの指示さえ認めれば。どっちでもいいやという心境になった」と吐露。

さらに驚いたことに、彼は他にも3回大臣印の無断使用で文書を作成していたのだ。この件の取調べの中で検事が「あの件は、実害が無いので穏便に済ませようと思っている」とその件でもさらに取調べがあり、拘留は長引くことを恐れている上村にえさをまき、村木さんの関与だけは執拗に認めさせていった模様である。ここでも、倉沢、河野、塩田同様余罪をつかまれ、それをねたに検察物語を追認させられていったのであろう。ここから出たい、長引くことは避けたいそれだけを考えている人間の弱さにつけこむ検察と自分が嘘を認めてしまうことで無実の人がどうなっていくのかに思いを至らすことのできない上村、どちらも許しがたく、しかし悲しい。私には耐えられるだろうかとも。

上村証人の次の証言も書きとめておきたい。

(6・15検事が涙目になったとあるノートに関しての尋問の中で)

僕は取り調べの時(6・20前後か)国井検事も上から言われて苦しんでいるんではないですかと言いました。僕の言うことを信じたいけど、上の方針に沿ってやらなければならないのではと思った。国井検事も取り調べの様子を周りから見られているのかもしれない、涙目になった姿も・・・僕と同じように苦しんでいるように見えました、と。

午前の部を簡単に書きとめておく。

村木さんの指示で作成したことをどうしても書かせたい検事

上村証人は検事から偽の文書を作ったことの反省文を書くよう求められて書いた。しかしそれには、村木さんの指示で作ったとは書いていなかった。それについて検事に「抽象的だね」「具体的に書かれていないね」などと言われた。

村木さんの指示の部分は、「それは書けません、弁護士に相談したい」と言ったが「弁護士に相談なんかしてどうするんだ。」と言われ、心理的圧迫を感じた。いつまでも拘留されたままになるのがいやで、書き直したと証言した。

取調べのとき隣の部屋からすごい音が聞こえた。検事は「河野が嘘をつくのでとっちめられている」と言った。彼は自分も検事の言うように話さないと同じようにされると思ったに違いない。

接見した弁護士から取調べに対する抗議文を出そうかと言われたが、拘留がもっと長引くと思って出してもらわなかったのだとも。ここから出たい、拘留から逃れたい、それだけを思っていたのだろう。そのために村木さんと言う無実の人の一生を左右する嘘の調書を認め署名・押印したのだ。

すべての調書は断片的な話を都合よく補った検事の作文です

白井検事から順に調書を見せながら、この署名・指印はあなたがしたものですねと何度も尋問され、「はい」と答えると共に、上村証人は何度も「一般的なことを言ったり、断片的に話したものを都合よく検事が補って作った作文です」と証言した。同様の証言は何度も繰り返された。

2月26日
各メディアに村木厚子さんについての記事が掲載されました。
・「厚労省女性局長逮捕事件 最重要証人が被疑者ノートにつづった「冤罪はこうしてつくられるのか」」
「厚労省女性局長逮捕事件 最重要証人が被疑者ノートにつづった「冤罪はこうしてつくられるのか」」
週刊朝日 2010年3月12日号 より転載
2月26日
ジャーナリスト江川昭子さんが、ご自身のサイト「Egawa Shoko Journal」に、第8回公判を傍聴し、次の文章を発表されました。
2月25日
平成22年2月24日 第8回公判がおこなわれました。
元係長・上村勉被告が証人として出廷しました。
「厚子さん、第8回公判傍聴記 by ナミねぇ」

2月24日(水)am9時45分、すっかり通い慣れた大阪地裁に到着。
今日の上村元係長の出廷は「事件の天王山」とあって、傍聴券の抽選を待つ人の列が。
私は東京から来られた厚子さんのお嬢さんと合流し、家族傍聴席に着席。

今日の弁護団は、弘中弁護士はじめ8名が臨席。検事側は5名。報道関係者がいつもより非常に多い!

10時ジャストに裁判長が開廷を告げ、証人席で上村氏が自分の氏名を名乗った後「決して嘘を言わない」との宣誓文を読み上げ、第8回公判がはじまる。

結論から言うと、今日の公判は「天王山」どころか、「検察発表と真逆の」まるで「大山鳴動して鼠一匹」とも言えるような、あきれ果てる結果であった。

「大きな法改正の直前でもあり、予算策定という重要案件の前には、こんな瑣末な(障害者団体への証明書発行という)案件は、偽造してでも早く片付けようとの思いから、偽造も手渡しも全て自分の独断でやったことである。」というのが、今日の上村証言の発言要旨でありかつ、結論だ。

上村元係長は、まず平成16年のゴールデンウイーク頃に「公的証明書発行手続きのための稟議書」を偽造。
その後、6月1日未明に、誰れも居ない職場の自席で公的証明書をパソコンで偽造。
そして、午前8時過ぎにプリントアウトし、(課員なら)誰でも取り出せる所においてある「企画課長印」を押印し「凛の会」に連絡。
その日のうちに、厚労省と隣接する弁護士会館の地下の喫茶店で河野に会って、証明書を手渡した。

後ろめたい思いがあったので、厚労省内に河野を入れたくなかった。
手渡してすぐ、厚労省に走って戻った・・・と証言する上村氏。

この証明書で河野らが何億もの利益を上げるなど予想だに出来ず、従って偽造証明書の発行がバレルとは、全く思わなかった。
証明書を手渡した後は、瑣末な案件を処理出来たので「これで重要な予算の仕事に専念できる」と安堵した。

消え入るような小さな声で、ぼそぼそと、淡々と証言する上村元係長。

今日は検事側尋問だったが、検事もあきれたように「上司に相談しなかったのはなぜか?」「何度も正式な決済を仰ぐ機会があったのじゃないか」「公務員として偽造に不安などを感じなかったのか?」と、公務員の倫理観について問いただすが「早く処理したかった」「目の前からこの案件を消したかった」と、応え続ける上村氏。
その声は聞き取れないほど小さく、時折、鼻水をすすり上げて泣き声となる。

この人には、公務員としての倫理観も矜持も無いのか!?
こんな部下の一人芝居のために、厚子さんは逮捕され、長期間勾留されたのか!
厚子さんの無念を思い、傍聴席で怒りに身体を震わせながら私はメモを取り続ける。

上村氏の証言が続く。
河野からは、脅かしも、強い催促もなかった。議員案件と言われているが、石井議員の名前については、証明書を手渡した喫茶店で河野に見せられた名刺に、手書きで「衆議院議員 石井一」と書いてあったので、あぁ政治家も関わってた案件だったのか、と感じた程度だ。

自分には政治家のことなどどうでもよく、早く偽造証明書を渡して職場に戻りたかったことだけ覚えている。決してバレないと思っていたのに・・・・・こんなことになるなんて・・・と、まるで「自分は不運だった」と言わんばかりの上村氏の証言に、怒りと驚きを通り越し、遂には情けなさが胸に広がってくる。

と同時に、大きな疑問がわきあがる。

上村氏は、検察での取調べ当初「独りでやった」と供述していたようだが、いつの間にか「村木課長の指示」「政治案件なので急いで、と言われてやった」などと証言が変わって行った。
それはなぜなんだろう?

上村氏が河野被告に偽造証明書を直接手渡したのなら、「倉沢被告が、受け取った日付けも思い出せないくせに、村木課長から、課長席で証明書を手渡されたと、執拗に言い続ける」のはなぜなのか?

今日、上村氏はこの倉沢証言を「全くの嘘。自分が河野に渡した」と何度も明言した。
「厚子さん関与説」の決定的証拠とも言うべき「倉沢証言」の筋書きを創造し、彼にそれを言い続けさせているのは、いったい誰なのか!!??

巨額の利益を得た河野、倉沢らが罰金刑で短期間で保釈され、上村氏も250万円の保釈金で釈放。厚子さんの元上司は逮捕すらされず、厚子さん一人が「逮捕され、地位も名誉も剥奪され、5ヶ月間も真夏の冷房すら無い拘置所に勾留されたうえに、1,500万円もの保釈金を積まねばならなかった」のは、いったいなぜなのか!?

裁判の行方を見つめる私たちにとって今必要なのは「現代日本に起きた、こんな理不尽な出来ごとのプロセスを、きっちり解明することだ」と、私は思う。

今日の厚子さんは、ごげ茶色のスーツにクリーム色のとっくりセーター、そしてひっつめ髪といういつもの清楚な(っていうか、地味っ!)な姿。
傍聴席で私の隣に座る厚子さんのお嬢さんも、厚子さんと同じように髪をキュッと後ろでまとめ、でもそこには愛らしいリボンが揺れている。静かに公判を見守るお嬢さんからは、「母が突然逮捕・勾留される」というショッキングな出来事を前にしても、母の無実を信じる強い意思が伝わってくる。

「人は弱いものだから・・・」
取調べに「ポロポロ落ちて」、その結果、厚子さんを陥れた男たちを私が非難した時、静かにつぶやいた厚子さんの声を思い出す。
そしてその厚子さんは、いま法廷で、泣きながら偽造証明書作成の顛末を証言する上村氏を、慈母のような眼差しで見つめている・・・

「私も冷静に公判を見つめ続けよう・・・」そう心のなかで誓った時「午前の公判はこれで終わります。」と、裁判長の宣言が耳に届いた。

13:20、午後の公判が開廷。検事側尋問が続く。
尋問のポイントは「上村元係長は、なぜ今日の公判で供述調書の内容を覆し、単独犯だと証言しているのか」「どのような取調べが行われたのか」に絞られて行った。

公判担当のS検事は、取調べで作成された何通もの「供述調書」を、時系列に上村氏に示し「あなたはこの調書を確認し、署名し、指印を押していますね」と問いかけ「はい」の返事を聞いてから、「今日の公判での証言と調書の内容がなぜ違っているのか」を問いただしていく。

S検事「あなたの今日の証言は、供述調書と同じですか?」

上村氏「全く違います。調書では、『石井議員からの依頼を部長が受け、村木課長を通じて指示が社会参加推進室に降りてきて、公的証明書の偽造がなされた』という流れになっているけれど、すべて検事の作文です。いくら『私が単独でやった!』と言っても全く聞いてくれなかったんです。全部でっちあげです。」

S検事「100%作文なんですか?」

上村氏「真実を語ってる部分もありますが、単独でやったことが書いてないので、すべて作文といえます。」

S検事「でもあなたは弁護人から、供述内容と調書が違っていたら署名しないようにと、アドバイスを受けていたでしょう? だからあなたは、調書が証拠になると分かっていたと思いますが。」

上村氏「全然知らない所に連れてこられて(注:上村氏はいったん東京地検で取調べを受け、その後検事に新幹線で大阪地検に連行され、そこで逮捕された。ちなみに、自分の旅費はATMでその時に下ろしたという)自分に起きていることが何が何だか分からなくて・・・ドキドキしたりして・・・眠れなくて睡眠薬を頼んだけど、医師の診察で却下されました。今も睡眠薬が必要な時があります。」

S検事「取調べの時、検事が怖かったんですか?」

上村氏「いえ、優しい・・・普通の人です。でも自分に都合の良いことだけをメモして調書にして・・・私の言うことはメモも取らないんです。この事件は、厚労省の組織犯罪だ。あなたはトカゲの尻尾切りされてるのだ。厚労省の膿を出し切って良い組織にするには、事件を糺さねばならない、というのがその検事の口癖で、何度も何度も聞かされました。ノンキャリはキャリアに蔑視され、差別されてる・・・というのも検事が言ったのに、僕の供述のようになっています。たしかにキャリアとノンキャリとはあまり交流がないし、ノンキャリ同士でつるむ(飲みに行ったり?)ことが多いけど、それを伝えたら蔑視や差別と書かれたんです。」

傍聴席から失笑が漏れる。

S検事「でも、村木さんの関与について書かれている調書に、あなたは署名してますよね?」

上村氏「村木さんの関与なんて、自分は一度も言ってないのに、拘留期間が長引くよとか、再逮捕をちらつかされたり・・・有形無形の圧力が有って、関与について『はい』と言ってしまったんです。それだけじゃなく、あの人はああ言ってる、この人も認めてるって、外堀を埋められるような感じで言われると、弱い立場なので、もういいや・・・と諦めの気持ちになってしまいました。自分の意思とは違うけれど、大人しくしないとダメだ・・・と、ずるいかもしれないけど、自分の身を守ることだけを考えるようになってしまいました。検事さんはね、体調はどう?とか食事はちゃんと食べれてる?とか、優しく聞いてくれるんですが、僕の供述は無視して、自分の考えをどんどん冷静な態度で調書にして行くんです。この人が豹変したら僕はどうなるんだろうって・・・その冷静さがすごく恐ろしかったです。話が、どんどん大きくなって行き・・・恐怖感でいっぱいでした。」

上村氏が、涙を流し鼻水をすすりあげながら語るのを聞きながら、私は思った。

上村氏の小心な性格、公務員としての倫理観の希薄さなどによって、証明書が偽造されたのは確かなことであり、恥づべきことである。
でも上村氏の小心につけ込んだり、厚子さんの上司であった元部長に「嘘の証拠」を突きつけて偽証を引き出したりしてまで「この事件は、国会議員案件から発した厚労省ぐるみの犯罪であり、その要は村木厚子元課長である」とのストーリーを創作し、厚子さんを極悪な犯罪者として逮捕・勾留し続けた検察の卑劣な行為は、偽証させられた証人たちの比ではない。

なぜこのようなストーリーが創作されたのか、かならずや明らかにしなければいけない、と。

今日の公判が終わり、法廷を後にする人の中に「見知った女性」がいたので、思わず会釈すると、彼女も少し怪訝な顔をしながら会釈を返してくれた。
「誰やったかなぁ・・・?」考えながら地裁を出たとたんに「あ、ジャーナリストの江川紹子さんやったんや!」と気づく。
見知った人と思ったのは、TVでよく拝見するからだったのですね。
怪訝な顔をされたのも当然と、一人で赤面。

江川紹子さんも今日の傍聴記をツイッターに書いておられるので、ぜひ読んで下さい。
http://twitter.com/amneris84

上村氏の声が小さくて私には聞き取れなかったんやけど、江川さんのツイッターには
「もう一つ上村証言より。村木課長(事件当時)の逮捕は、検事総長が了解したと、(國井検事が)言っていました」 との記述があります。
さすがにジャーナリストの耳、ですねっ!

明日は、検事側が1時間、その後弁護側尋問。
私は、午後神戸で講演するので、午前中のみ傍聴する予定です。

「第8回公判 傍聴記 平成22年2月24日 by 花ずきんS」

<上村証人尋問>

実際に虚偽有印文書を作成したという上村証人の証言だけに大いに注目して傍聴席に着いた。大柄な人が入廷してきたが、声はこの人も消え入るように小さい。身を乗り出すようにして聞き取った。

「稟議書を作って凛の会にFAXし、証明書の作成を先送りしてきたが、先送りでにっちもさっちも行かなくなり、もうやっちゃえ!と・・・作った」と。

開廷から1時間ほどたったころ検事が、「あなたの先ほどからの証言にある“この件を目の前から消したかった”と言うこと“先送りのため”との関係はどういうことですか?」という質問に上村証人は上のように答えたのだ。

村木さんは当時企画課長でお顔は知っていたが、仕事の話をしたことは無いと冒頭から村木さんからの指示を受けていないと思われる証言で始まった。

検事が問題の虚偽有印文書を示し、「これを作成したのはあなたですか?」と質問すると「はい」と認めた。

前任の村松係長からも凛の会の件について引き継がれた記憶はない。4月半ばに凛の会河野氏からの電話で初めて証明書の発行を求められていることを知ったが、4月は係長になり立てで予算の仕事をするのがまず第一だったので、この件は先送りにした。前任者(村松)には、予算に関しては電話でたずねるなどしたが、この件では記憶に無い。と。

検事が「上司である室長補佐や企画課に相談したことはなかったのか」と質問すると「ありません」と。村松さんが知っているだろうとは思ったが、他に誰も知らないと言う認識だった。上司に相談しなければいけないとも思わなかった。と。「上司に報告しなければいけないとは思わなかったのか」ときかれ「予算が仕事の中心だと思っていたので、証明書は勝手に出してしまえばいいと思っていた。いつまでも引きずらず自分の前から消してしまいたかった。5月中旬あたりから予算の仕事はどんどん忙しくなった。制度が変わったので去年の予算をいじればよいと言うものではなかった。抱え込んで堂々巡り・・・自分の性格もあり・・・・と。当時を語り、冒頭の証言となったのだ。

ばれることは無いと思ったとも。上司は誰もこの件を把握しているとは思わなかった。とも証言。

検事が「村松係長は、先日の証言で国会議員絡みの案件だと口頭で引きついだと証言したが」と聞くと、きっぱりと「私は引継ぎなど受けていない」と。

凛の会 河野に私が手渡し、走って帰った

夜中に偽の証明書を作り、翌朝八時に課長の印を押してその日のうちの厚労省近くの喫茶店で河野さんに手渡した。サンダル履きのまま行って走って帰った。けりをつけて1分1秒でも早く職場に戻りたかった。河野さんに渡した時、河野さんの名刺と倉沢という名刺をもらった。その倉沢の名刺の上に手書きで石井一事務所と書いてあった。このことがすごく印象に残っており、このとき初めて石井先生が絡んでいるんだなと思った。渡した相手は河野さんだったと明言できる。怪しい団体だと思った記憶は無い。その後、凛の会のことは一切話していない。縁が切れた、とも。

嘘です  倉沢証言、河野証言 

河野証人は「証明書を受け取ったのは私ではない」と証言し、倉沢証人は「私が村木課長から受け取った」と証言したがと、検事に言われ「嘘です」と即座に二つの証言を否定した。

またしても、「村木さんが指示し作らせ、渡した」と言う検察側の主張は覆された。

上村証人は、自分で作り自分で渡した。罪の意識はあったが自分の胸にしまっておけばばれないと思ったと言うのだ。この証明書が莫大な利益を生むために使われることなど考えもしなかったと。国会議員絡みとは、渡す時知ったのであって、その圧力があったとは言わなかった。河野からの圧力も無かったのだろうか。明日もっと聞きたい。

2月24日
各メディアに村木厚子さんについての記事が掲載されました。
・当時の部下、元局長との共謀否定 郵便不正(2010年2月24日 日テレニュース24)外部リンクを開く
・元部下、公判で村木被告の指示を否定(2010年2月24日 TBSニュース)外部リンクを開く
・「郵便不正 厚労省女性局長逮捕事件 検察がまた「冤罪」「私は特捜検事に脅迫された…」」
「郵便不正 厚労省女性局長逮捕事件 検察がまた「冤罪」「私は特捜検事に脅迫された…」
週刊朝日 2010年3月5日号 より転載
2月17日
平成22年2月17日 第7回公判がおこなわれました。
木村英雄・「凛の会」元メンバーが証人として出廷しました。
「第7回公判(2月17日)傍聴記 by U」

「石井議員を訪問し、依頼したとする検察の供述調書は、検事の作文。全く記憶にないと何度も言ったのに、調書にサインをさせられた。」と「凛の会」元メンバー木村氏

昨日に引き続き、検察側証人の証人尋問が10時から3時まで行われた。証人は「凛の会」元メンバーの木村英雄氏

主な内容は、凛の会での役割と証明書発行へのかかわり。⇒上村さんへの思い⇒検察の取り調べ調書内容との整合性⇒検事の取り調べに対する申し入れ書を弁護士に提出してもらったという流れ。

<証言の主な内容>

*凛の会は河野氏から自分がやっている活動と木村の活動を合わせて会の設立を呼びかけられた。倉沢氏を代表にしたのは、国会議員の秘書で顔が広く産業界のつながりもあり年齢的にも上なのでお願いすることになった。役割分担は、河野が司令塔で倉沢が許認可関係、木村が機関紙、広告関係を黒木。事務所は、バートルという黒木の会社と日本映像文化支援センターとの共同利用。第3種の認可をとれば広告が取りやすいということで日本橋局に申請した。費用の20万は河野と折半した。機関紙の発行人は自分であり、申請も木村英雄名で行った。規約や名簿など文書関係は河野が文案を作り自分がワープロ打ちをするという流れ。

*厚生労働省にお願いに行ったことはない。役回りが違う。障定協へは河野の道案内的に一緒に行った。佐藤事務局長にお願いした。倉沢からの指示はない。

*証明書は、6月初めころ、事務所近くの喫茶店で河野から「証明が出たよ」とカラーコピーをもらった。機関紙と一緒にファイルした。

*証明書がどのようにして届いたかは、この事案が起こってから、河野と話して、黒木のところに郵送で届き、机上に放置されているのを見た手伝いの方の連絡で河野が取りに行ったということだと推測している。

*<倉沢氏の手帳が示され、2月25日の欄に13時石井、バートル木村とある点への質問>
に対し、平成16年2月に議員会館の石井一議員事務所に倉沢氏と行ったことはない。この年、岩国議員、羽田議員の事務所には行ったことは明確に覚えている。石井事務所は全く記憶にない。私が石井代議士にあったという供述調書は、検事の作文。私は行っていないと申し上げたが、供述調書には「凛の会設立をして、証明をもらうために河野の指示で行くことになった」とか「先生から口添えしてほしい」「厚労省に知り合いがいるから電話しておいてやる」と言われたと書かれていると思う。障定協の佐藤事務局長に「石井代議士からお墨付きもらっている。石井議員からも厚労省に電話してもらっている」と書かれている。上村さんへの思いとして「巻き込んでしまった責任の凛の会の一員の自分にもあり、上村さんに謝罪したい」とも書いていると思う。石井議員のところへは行った覚えないと申し上げ、障定協の佐藤さんには石井の名前を出したことはないと否定した。上村さんのへの思いは言った。上村さんへの思い以外は明確に否定した。それなら、調書になぜ署名したのかといわれても、始めから押しつけられ否定しても、事実だお前が間違っていると否定される。明確に記憶にないと申し上げ、岩国・羽田は明確に覚えているのに。石井議員のところに行って首実検してほしい。石井議員がお前来てたなと言われれば、腹を切るとまでいった。検事が何かの情報でシーンを作り作文をした。

検事は、声を荒げて立ち上がったり、机をたたいたりはした。圧力は感じた。取引は持ちかけられなかった。私が行ったことはないといっても「いいんだ、いいんだこれにサインすればいい」と言われ、夜の8時を回っていたので、圧力を感じ仕方なく署名した。

*河野さんに弁護士を紹介してもらい、取り調べの内容を説明し、申し入れ書を提出してもらった。検事の名前が国井なのに林谷と間違っているのは、河野の弁護士が書いた申し入れ書をベースにされたからと思う。

*障定協の佐藤事務局長にわたした木村の名刺に<石井―TEL―村松>と記載されていることについて、やり取りの中での記憶もない。代表が倉沢であり、国会議員の秘書で年齢も高く顔が広いと申し上げたと思うが名前までいったかは記憶にない。

*村木さんとは面識がない。法廷にはいった時、会釈をしたのは、ご迷惑かけて申し訳ないという思いで。

傍聴し終わって、検察のストーリーは明らかになりつつあるが、本当に誰が動いたのかがやはり霧の中・・・村木さんの無実だけがクリアになっていると実感。

今日は、下の娘さんが傍聴に来られ、村木さんもうれしそうだった。昨日同様村木さんは、熱心のメモをされていた。

「裁判傍聴2.17 木村証人尋問 by 花ずきんS」

前日の不快感が残ったまま法廷に向かったが、始まってみるときのうのことは忘れて証言に耳を傾けていた。木村証人は、倉沢、河野と共に凛の会を設立したメンバーの一人で、凛の会の会報紙を作ることを担当していた人物である。元業界新聞の記者だったという。

第3回公判で証人にたった凛の会会長倉沢が、石井一国会議員に厚労省への口添えを頼みに行くとき同行したとされる人物である。

石井一事務所に私は行っていない、映像が全く浮かばない

木村証人は検事の質問にも弁護士の質問にも明確に答えた。

その理由として、倉沢は顔が広いこともあり厚生労働省への申請などが任務、河野は司令塔の役割、木村は広報紙凛の作成と明確に任務が違っていたから。

取調べの検事から「倉沢と行っただろう」と言われたが否定した。しかし、供述調書に石井一のところへ行ったと書かれているので、「違うでしょ、それは検事さんの作文でしょ」ときつく言ったが、「お前は間違いなく行っている。」と聞き入れてもらえなかった。検事は立ち上がり、声を荒げ、机をそのたびに叩かれ圧力を感じたと証言。

今回改めて倉沢と一緒に石井一国会議員に会いに行ったかと聞かれ「石井一事務所に私は行っていない、映像が全く浮かばない」と供述調書の記述を否定した。

なぜ、供述調書にサインしたか

木村の言い分は聞き入れられず、石井一国会議員に倉沢と共に口ぞえを依頼するために会ったと言うことは調べる前から書かれていたと言うのだ。「検事さんの作文でしょ」と言うと「いいんだ、いいんだ。これにサインすれば」と。

 署名するしかないとした。しかし、自分の意思に反するので取り調べ後直ちに弁護士に相談・依頼し、抗議の申し入れ書を検察庁に送ってもらったと証言。

 村木さんにはきょう初めて会った。なぜ今朝村木さんに会釈をしたのかと聞かれると、良かれと思って団体をスタートさせたが、局長にも上村さんにも大変なご迷惑をかけたので心からのお詫びのつもりで会釈をしたと

  • 今回もやはり供述調書がいかに事実とは無関係に作られるかということを知らされた一日だった。なぜ検察はその物語が必要なのか。北村課長補佐は、石井一国会議員絡みの団体だと事前に知っていたのか。後任の上村係長は、誰のどのような圧力で虚偽証明書を発行したのか。まだ眼が離せない。
2月17日
各メディアに村木厚子さんについての記事が掲載されました。
2月16日
平成22年2月16日、第6回公判がおこなわれました。
元係長・上村勉被告の前任だった村松義弘・元係長が証人として出廷しました。
「第6回公判傍聴記 2010年2月16日 by U」

「企画課長村木さんから直接指示があることは、通常の仕事ではあり得ないし、指示されたこともない。」「村木さんは冤罪だと思う」と村松元社会参加推進係長。

2月16日午前10時から検察側証人の村松義弘元社会参加推進係長の尋問が、休憩を挟んで、午後3時半頃まで行われた。村松元係長は、当時公的証明書の発行担当で平成14年4月から平成16年3月末までの在任期間中の取り扱いは、証明書が1件のみで、相談は「凜の会」案件のみであったという。

証人尋問の主な項目は、

  1. 凜の会の案件に関わったいきさつ。
  2. 村木課長との関わり。
  3. 検察の取り調べの状況

<証言の主な内容>:「記憶にない」が連発され、発音も不明朗で聞き取りにくかった。

*証人が「凛の会」関係者との面談で明確に覚えているのは、2回、検察官から3回と言われそうかなと思ったという。

第1回目は、2月下旬頃企画課事務室で、事前に北村企画課長補佐から「近々障害者団体の証明のお願いに来るよ」と言われていたが、北村課長補佐が何故知っているのか解らない。企画課から社会生活推進室に呼びに来られたので、田村補佐と金井室長の3人で企画課に行った。課長席あたりで挨拶をした。そのときは、村木課長と北村補佐がいた。

倉沢さんが国会議員の石井一の事務所のものと自己紹介し、「証明書の発行をお願いする」と言った。村木さん北村さんが何を言ったかは覚えていない。

場所を変えて倉沢さんに手続きについて(必要書類などについて)説明した。田村補佐も同席していた。倉沢さんの凜の会の説明が今ひとつ要領を得ないので大丈夫かなと疑問を持った。しっかり書類を出してほしいと言った。

2回目に凜の会関係者と会ったのは、河野さんとで、3月に入ってから。具体的やりとりを覚えていないが、私から河野さんに障害者定期刊行物協会(障定協)に行って相談のってもらったらと言ったと思う。河野さんに言ったか倉沢さんに言ったかは記憶が曖昧。少し怪しいかと思い田村補佐に相談したと思う。障定協に行かせたのは、二重チェック的意味合い。障定協の加入を待つつもりではなく書類が整えば厚労省独自で証明を発行するつもりだった。(何故、障定協を紹介したのか、何度もやりとりがあったが証人からは、明確な理由は示されなかった。)きちんと書類があれば判断できるし、基準満たせばいいが、基準満たさなければ障定協の加入が必要と考え河野に障定協を紹介したと思う。

<障定協の佐藤事務局長が持っていた凜の会の木村さんの名刺>が示され、そこに「石井TEL→村松」と書いてあるメモについての質問については、「解らない、石井議員からの電話はない」。

「4月に人事異動があるので田村補佐から後任の上村さんに引き継ぐよう言われた。」

*上村係長への引き継ぎ書には、「凜の会」の案件の記載がなかった点について、前任者からの引き継ぎ書に手を加えたので、なかった項目を付け足すことをしなかった。(手抜きなのかわざとなのか不明)口頭で引き継いだ。

引き継ぎとしては、石井国会議員がらみの問題だが今までのところ実態がよくわからない団体なので慎重にやるように引き継いだ。

<会則、機関紙>が示された。これへの証人のコメントは、「障害者というより高齢者福祉の色合いが強いと思う。」ということだった。

*取り調べの様子と供述調書についての尋問

村木課長から「ちょっと大変に案件だけどよろしくね」といわれたと調書にある件については、「私からは言っていないし、そんな事実もなかった。村木課長には、決裁とるときに説明するという場面になる。(決裁の流れが説明され、)通常、推進室長を飛び越えて直接課長からの指示はない。この件でも村木課長からの直接の指示はなかった。」

「議員案件であろうと理由がないものはできないし、議員さんは、理由をきちんと説明すれば理解してくれる。議員案件とそうでないものと明確に取り扱いを変えることはない。」

*北村企画課長補佐に誰が指示したのか解らない。課長か部長と思っていた。

*上村さんの逮捕直後でもしかしたら私も関与しているとされるのかと、私は捕まらないですよねと林谷検事に聞いた。検事は、ここで洗いざらい言わなければどうなるか解らないと言われ、いやだった。これ以上逮捕者は出ないと言われて、覚えていることは話そうと思ったが、覚えていないというとそんなことはないだろうと検事に厳しく言われた。上村さんの関係で証拠になるとは思ったが他の人に影響があるとは思わなかった。

*村木さんの関与について

証人は、「私が検察側の証人であることは心外。村木さんが上村さんに指示したというが、それなら前任の自分に指示があって当然。それがなかったので村木さんは冤罪と思う。事情聴取の時にも何度も申し上げた」と証言。

*取り調べが終わって厚生労働省によって長谷部補佐に取り調べの様子を報告した。どのようなことを聞かれどのように答えたのかと言うことを報告した。

<村松係長の取り調べ状況>と言う長谷部メモが示され、その内容の確認が行われた。証人は、内容はおおむねその通りだが、最初の文章の下りで、「村木課長から依頼があり・・・」とあるのは、自分は言っていないと述べた。長谷部メモは、長谷部が私の話を聞いてまとめたもの。私は、当日それを見ていないし、確認していない。

*証人尋問に当たって検事とは2回打ち合わせた。弁護士からの打ち合わせ依頼は、自分が検察側証人なのでまずいと思い断ったが、検事からは、断らなくてもよかったといわれ、あってもよかったと思っている。

村松証言は、「企画課長村木さんから直接指示があることは、通常の仕事ではあり得ないし、指示されたこともない。」「村木さんは冤罪だと思う」ということは、明確に証言したが、他のことは、ほとんど記憶があいまいであると言い続け、本当の経過がどうなのか、霧の中のような証言だった。

村木厚子さんは、始まる前、私とHさんに「おはようございます。有り難う。」と元気に声をかけて法廷入り。キャラメル色のセーターとこげ茶のスーツで終始、メモを取っておられた。

「裁判傍聴2.16 村松元係長証人尋問 by 花ずきんS」

真冬の再来のような寒い朝、偽の証明書を作成したとされる上村係長の前任者の村松係長の証人尋問が始まった。前回の公判で村木さんの元上司塩田元部長の証言により、電話の更新記録があるという検察の虚偽説明が明らかになり「すべては壮大な虚構だったと思う」「村木課長に指示はしていない」と検察側主張を覆す証言があった後だけに、今回は前回より傍聴席の人も増えた感じであった。

村松証人の証言は私には聞こえにくいだけでなく、あいまいでわかりにくい証言が多いという印象であった。私はどこか疑いながら証言を聞いている自分に気づく。それでも今回も、村木さんが無罪だという点での証言は、明確だった。

  • 村木さんは冤罪じゃあないかと思う。
  • 村木さんから指示はまったく受けていない。
  • 村木さんには倉沢に説明後も何も報告もしていない。
  • したがって、報告したとき「ちょっと大変な案件だけどよろしくお願いね。」と言われたと供述調書にあるがその事実はない。と

その一方で、これは国会議員案件だと当初から思っていたような証言がしばしば聞かれるのに、いつ・誰からそのことを聞いて受け止めたのかは明確でない。

  • 事前に北村課長補佐から「近々証明書の依頼にくるよ」と聞いたような気がすると、その時議員案件と思っていたようにも受け取れる。倉沢が2月下旬初めて企画課社会参加推進室に証明書の発行を依頼に来た時、国会議員の石井一事務所のものと名乗ったと言い、その時点で議員案件と認識したようでもあり、どの時点で誰の言葉で国会議員案件との認識をしたのかあいまいである。にもかかわらず、後任の上村に引き継ぐ時には、必要書類が出たら証明書発行を、ただし、石井議員絡みであること、凛の会の実態は良くわからないので慎重にと、口頭で引き継いだと言う。「上からきた案件」と言ったのではなく議員案件と言ったとも証言。
  • 議員案件なら、必ずそうしなければということはなく、基準を満たしていなければダメな理由をいえば議員はわかってくれる。取り調べでも言ったとも。

村松証人は公判前の弁護側からの打ち合わせの要請を断っていた。理由を聞かれると「自分は検察側証人だから」と。検察官があわてて「それは悪いことではないんですよ」と。

彼は一体何を恐れて真実を言い切らないのだろう。私が知りたいのは、真実であり、物語の作られた背景である。村松証人の話はとても疲れた。ロバの耳がほしい。

2月16日
各メディアに村木厚子さんについての記事が掲載されました。
2月8日
平成22年2月8日、第5回公判がおこなわれました。
塩田幸雄・元障害保健福祉部長が証人として出廷しました。
「厚子さん、第5回公判傍聴記 by ナミねぇ」
~塩田元部長、すべては壮大な虚構と証言~

「すべては壮大な虚構だったと思う」。

塩田元部長の証言に法廷内のすべての人が唖然とし、法廷内が凍りついた。次の瞬間、記者たちが(速報を社に送るため)法廷を飛び出す。

塩田部長が、石井一議員から電話による依頼を受け、部下で企画課長であった村木厚子さんに「きちんと対処するよう」指示を出し、厚子さんが「重大な議員案件」と感じて、部下である上村係長に「何度も、強く命じ」実態の無い「凛の会に、身障低料第三種郵便物発行のための偽造証明書が作成・発行された。

そして厚子さんが「凛の会元会長:倉沢被告」に偽造証明書を手渡し、「無事に案件処理できた」と塩田元部長に報告したところ、元部長はそのことを、石井議員に電話で報告。

そのような厚労省内の流れの結果、河野・倉沢両被告が多くの企業と組んで発行したDMは、数百億円分の郵便料金を不正に浮かせるという詐欺事件を産んだ、というのが、検察側が描いた本事件の全容である。

ところが今日、塩田元部長は「(自分が取調べで供述した)石井議員から電話依頼を受け、倉沢から挨拶され、厚子さんに処理を指示した、という供述を行ったのは、厚子さんから受けた結果報告を石井議員に電話で報告した時の<4分数十秒にわたる電話交信記録がある>と、取調べの検事から言われたことを信じたからである。そして石井議員からの依頼、倉沢に会ったこと、厚子さんに指示したこと、すべて記憶に無いことだったが、交信記録によって『石井議員への報告』が明確になっているなら、記憶には無いが、そのような流れで厚労省内に指示が流れて行ったに違いない、と思い込んで取調べ検事に証言したものである。」と語った。

検事も自分も「誇りあるプロの行政官である」という、信頼関係基づいて供述したものであったが、最近になって公判担当検事から「通信記録は実はありません」と言われ、ショックを受けると共に「大変な(誤った)供述をしてしまった。」「厚子さんを無実の罪に陥れてしまった」と気づき、今日は「実は記憶に無いことを、供述させられてしまった」ということを証言するために法廷に来た、と述べた。

「すべては壮大な虚構だったと思う」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

法廷にいる者たち全員が、厚子さんの無実を確信するとともに、検察の無謀で悪質な取調べに、怒りを覚えた瞬間であった。

「厚子さん公判傍聴記 その2。 by ナミねぇ」
~誰が厚子さんを陥れたのか!?~

第5回公判を傍聴し、一日が過ぎたが、塩田元部長の証言を思い出すたびに、驚きあきれると同時に、怒りがふつふつと込み上げる。

厚子さんの不当逮捕・長期勾留というだけでも許せない思いでいっぱいだが、「虚偽の証拠によって、証言を誘導する」などという異常な取調べを検察が行うなど、許せないばかりか、背筋が寒くなるような恐怖を感じる出来事だ。

昨日の公判での証人出廷まで、塩田元部長については「厚子さんを罪に陥れ、自分は安全圏に隠れている」と、多くの人が思っていた。卑怯だ、許せない、出て来い、塩田元部長! という声が多数あった。そんな声に対して、厚子さんがいつも静かに「人は弱いものだから・・・」と話されることに、歯がゆい思いを抱いた者もいたくらいだ。

でも、吹っ切れた態度で法廷に現れた塩田氏は「密室の取調室で検事から、私が石井議員に証明書が発行されたことを報告する4分数十秒の電話交信記録がある」と言われ、「それならばきっと、記憶には無いが、最初の依頼も自分が石井議員から受け、村木さんに対応をお願いしたのだろう・・・と思い込んでしまった。」

「何度も何度も、交信記録があるのは本当か?本当なら見せて欲しいと頼んだが『有る』というだけで検事は最後まで見せてくれなかった。私は、お互いにプロの行政官であるという信頼感があるので『それが嘘だ』と思って聞いたのではない。自分が石井議員に報告した交信記録の内容を、正確に知る必要を感じたからだ。」

しかし「嘘」だった。

「交信記録は無い」のだと、裁判が始まってから、他の検事から聞かされた時のショックは、とても言葉では表せないくらいだ! 今ではこの事件は「壮大な虚構だと思っている」と、怒りを込めて証言し、そして何度も塩田氏は「村木さんに、本当に申し訳ないことをした。」と、証人席で繰り返した。

そんな塩田氏に裁判長が「では、あなたにとって事実といえることは何ですか?」と問うと「事情聴取を受けたことと、今ここに座っていること。それだけです。」と言って、唇を噛み締めた。

つまり事件の「出口」に自分が確実に関わっているなら、石井議員から電話を受けたという「入り口」にも、議員対応が仕事であった自分が関わったに違いない・・・いや、きっとそうだ・・・と、塩田氏に思い込ませる姑息な手口を使っ たH検事。

取調べに関する検察側のメモがすべて廃棄されて存在しない、という事実も含め「まさに日本の特捜検察の力量と倫理観は、地に堕ちた。」と言わざるを得ない。

虚偽の証拠によって誘導した供述調書と、虚構のストーリーを目の当たりにしながら公判に臨まねばならないS検事、E検事はじめ、公判担当検事の皆さんに、同情を覚えるほどである。

とはいうものの、裁判はどうやら、予定通り粛々と23回にわたり開催されるようである。もしかしたら検察側の必殺技が繰り出されるのかもしれない。厚子さんの完全な名誉回復までの道のりは、裁判の全てが終わり、無実が確定されてはじめて、その一歩が始まるのだから、気を緩めることなく見守り、支援し続けて行こうと思う。

「裁判を傍聴して思うこと(その2)」by 花ずきんS

2月8日(月)10:00~16:00

塩田元部長(村木さんの元上司)尋問

検察物語の根幹崩壊

民主党石井一国会議員から電話を受け、村木さんに対応を指示したとされる上司であった塩田証人の尋問。

 私が注目して聞きたかったことは以下の3点だった。

  1. 石井議員から電話要請はあったのか
  2. 村木さんに対応を指示したのか、無かったのか。
  3. 証明書ができたことを石井議員に電話報告したのか

 すべては取り調べ検事が言ったある前提とひとつの思い込みに元づくもので本当の自分の記憶ではないと、塩田証人は三点すべてを否定した。

検察は「供述調書に指印を押したのは、あなたですね。間違いないですね」と繰り返し尋問していく。

そのたびに、塩田証人は以下のような趣旨の証言を重ねた。

  • 指印を押したことに間違いはありません。しかし、その内容は違います。
  • 村木さんに指示したというのも幻想で、自分が石井議員から電話を受けたという前提でそう思った。受けたなら、通常対応については課長に指示するものだからと。本当の記憶では指示していません。
  • 石井議員から電話があったといわれると、国会対策は自分が対応していたいから電話に出たのも自分しかないと思い込んでいた。記憶とは違う。
  • 証明書ができたことを石井議員に電話報告したことになっているのは、取調べ検事から「4分余の交信記録がある」といわれ、それなら自分がしたのだと、交信記録があることを前提に答えたものだ。記憶にはない。
  • 何度も交信記録を見せてください、といったが見せてもらってない。
  • 公判担当の検事から交信記録はないと聞き、大変驚いた。

検事からの尋問にこのように答え、開廷から一時間あまりたったころ、塩田証人は「この事件は、壮大な虚構だと思った」と。

 この瞬間、検察の嘘の説明、その前提の上に供述させた検察物語は崩壊した。調書というのは本人の口から語られたことがつづられるのではなく、検事の提示する情報と状況設定を前提に、その中で作られた細部を含めて検事が語り、「はい」、「そうだと思います」などを本人に言わせ、まるで本人の語りのように繋いでいき、指印を押させるものなのだと知らされた。

 6時から、支援してくれている人たちに報告する場を持ちました。村木さんの無罪はますます多くの人たちに確信されることとなった。

2月8日
各メディアに村木厚子さんについての記事が掲載されました。
・「村木厚子元局長無罪主張 ここでも崩れる!? 検察側ストーリー」
「村木厚子元局長無罪主張 ここでも崩れる!? 検察側ストーリー」
週刊朝日 2010年2月12日号 より転載
2月4日
平成22年2月4日 第4回公判がおこなわれました。
前日に引き続いて倉沢被告に対する証人尋問がありました。
「厚子さん公判傍聴記 その2。by ナミねぇ」(後編)

第3回 2月3日(水)10:00~17:00 証人:河野・倉沢
第4回 2月4日(木)10:00~17:00 証人:倉沢

2日間の傍聴記を、まとめて書きます。

自分自身の予定では、2月3日のみ傍聴。4日は娘マキの病院で開催される誕生会(マキは2月2日、37歳になりました!)のため欠席と思ってたんやけど、3日の傍聴で「倉沢被告と弁護団の攻防は最後まで聞かねば」という気持ちが強くなり、2日連続で傍聴に出かけました。

開いた口が塞がらないようなやりとりが続く法廷でしたが、最も不可解なのは、倉沢被告が「公的証明書を、村木課長から直接受け取った」という証言を最後まで変えなかったことです。

河野(または、凛の会の黒木か木村)から「証明書ができたそうなので、厚労省に受け取りに行って欲しいと連絡があり、村木課長のところへ行くと、机の上に厚労省の封筒と、その上にB5サイズの証明書が置いてあり、それを村木課長が、ご苦労様といって手渡してくれた」という証言です。

多くの報道関係者や、報道を見聞きした人たちがが「今回の事件は、検察が描いたストーリではないか」と疑いながらも「厚子さん有罪説の根拠」と考えている部分です。

この「受け渡しの場面」について、倉沢被告は非常に詳細に厚労省の部屋の様子(机の配置など)や、その部屋を自分がどのように移動して入退室したかを図面で示してみせました。
それはもう、つい昨日、厚労省に行ったかのような詳細さです。

しかし課長がこのような証明書を直接手渡すことは制度上ありえませんし、またアポもとらずに受け取りに来る人のために証明書を課長が机の上において待機しているというようなことが有りうるというのでしょうか。

そこで弘中弁護士から、誰から取りに行ってと言われたか、それはいつか、そして実際に受け取りに行ったのはいつか、などと聞かれると、聞かれる度に答えが二転三転し、6月上旬といいながら、弘中弁護士が倉沢被告の手帳を見せて、6月1日から一日づつ聞いていくと、倉沢被告は「その日には行っていない。」と答え続けました。

圧巻は、弘中弁護士に「あなたは検察官と、公判について打合せしましたか?」と聞かれ「していません」と倉沢被告が答えると、慌てて検事が「法廷で嘘を言ってはいけません。打合せをしたじゃないですか。」と注意し「あ、そうです。4回打合せしました。」と言い直した場面です。

「なぜ打合せてない、などと嘘をついたんですか?」と聞く弘中弁護士に倉沢被告は「打合せをするのは、悪いことなのではないかと思ったので・・・瞬間的に言ってしまいました。」と答えたのです。
馬脚を現す、というのはこういう場面をいうんですよね!!

こうして、第3回と4回目の公判が終わりました。
合計12時間の傍聴で、メモを取る指がガチガチになってしまったけど、自分自身の目と耳で確認できて本当に良かった、と思いながら帰路につきました。

今日の厚子さんは、グレーのツイードのスーツで、ひっつめ髪はいつもの通りやけど、とても元気そう。
休憩時間に「ナミねぇ、ありがとう!」と話しかけて下さり、嬉しかったです!!(^^)/~

傍聴席はほぼ満席。アトリエinカーブの今中さんも、車いすで来られてました。

次回公判は2月8日(月)10:00開廷です。

「2月3日、4日の公判を傍聴して」by あい

2月3日、4日の公判を傍聴して

公判の中で、村木さんが無実であるという証拠が着実に積み上げられていくのを、3日、4日の傍聴で確信しました。

国会議員の元私設秘書だった倉沢証人(凛の会元会長)は、取り調べ段階で作られた自身の供述調書の多くの部分が事実と異なっていると証言し、「民主党国会議員からの働きかけがあり、厚生労働省の担当課長が公文書偽造を行った」という検察の作り上げたまことしやかなストーリーはあっけなく崩れました。

なぜそのような間違った内容の調書に署名したのかと問われ、倉沢証人は「逮捕され動揺していた。拘留され不眠症になり、精神的に不安定だった。投げやりになっていた」・・・

さらに、「自分の記憶と違っていても、検察の”お調べ”で関係者が認めていることだと言われて、サインした」「何度も調書が書き換えられ、よく見ていなかった」とも・・・。

まさに、「冤罪はこうして作られる」というお手本のような証言でした。

窮地に陥ったとき、その人間の本質が否応なく現われると思いますが、自身の偽りの供述が罪のない人にまでどんな影響を与えてしまうのかということに考えが及ばず、無責任に嘘をついてしまう人間の弱さ・・・。そしてその弱さにつけ込み、冤罪がつくられたことに強い憤りを覚えます。

村木さん起訴の根拠とされたでたらめなストーリーはほとんど崩れたものの、検察側の最後の砦かのように、倉沢証人は、村木さんから公的証明書を受け取ったと述べています。

几帳面な倉沢証人の手帳にも全く記録がなく、証明書を受け取ったという日を特定できず、受け取ったあと、その証明書を凛の会の誰に、どこで、どのように渡したかということもはっきりしない状態でありながら、なぜ村木課長から受け取ったという場面だけは細かく覚えていると証言しているのか? 不思議でなりません。

倉沢証人自身が、いけないことと認識していたという「検察との事前打ち合わせ」でどんなことが話し合われたのでしよう? 

倉沢証人自身の弱さから事件に巻き込んでしまった村木さんに対し、人間としての良心が少しでも残っているなら、せめてものつぐないとして、残された真実をすべて語ってほしいと切に思いました。

そして、検察側からの一方的な情報によるマスコミ報道のせいで、多くの人たちは真実を知らされていません。一日も早い無罪判決を待ち望むばかりです。

2月3日
平成22年2月2日 第3回公判がおこなわれました。
午前中は前日に引き続いて河野被告に対する証人尋問、午後はやはり共犯として起訴されている「凛の会」元会長、倉沢邦夫被告に対する証人尋問がありました。
「厚子さん公判傍聴記 その2。by ナミねぇ」(前編)

第3回 2月3日(水)10:00~17:00 証人:河野・倉沢
第4回 2月4日(木)10:00~17:00 証人:倉沢

2日間の傍聴記を、まとめて書きます。

自分自身の予定では、2月3日のみ傍聴。4日は娘マキの病院で開催される誕生会(マキは2月2日、37歳になりました!)のため欠席と思ってたんやけど、3日の傍聴で「倉沢被告と弁護団の攻防は最後まで聞かねば」という気持ちが強くなり、2日連続で傍聴に出かけました。

マキの誕生日は来年もあるけど、厚子さんを罪に陥れ、自らは巨額の利益を得た輩の顔・声・人品を、しっかり確認しておきたいと思ったからです。

2日間の傍聴で印象的だったのは、「凛の会元代表 倉沢被告」が、厚子さんから証明書を受け取った時「(証明書を出すのに)苦労した」とか「大変だったのよ」とか言われたという供述について、「そのようなことを言われていないと、なんど事情聴取で言っても聞き入れてもらえず、最後は体調不良にもなり、投げやりになって、サインした」と発言したこと。

また「郵政公社の森代表に、厚子さんが目の前で電話してくれた」という供述調書については、「村木課長に挨拶するつもりで机のそばで待っていたが、村木課長が電話中で、3分ほど待っても終わらなかったので、声をかけることなく退出した。その時、村木さんの電話の会話の断片が聞こえ、その中に森という名前があった、と事情聴取で話したら「それは郵政公社の森代表で、村木課長のダンナの知人であり、村木課長はその森に電話で審査を進める依頼をしたのだ」と検事に言われ、調書もそのようになっていたこと。

石井議員に議員会館のオフィスで「障害者支援組織を作ったので、認可に協力して戴きたい」と依頼し「電話しておくよ」と言ってもらい、すぐに厚労省へ行ったが、石井議員の電話の確認はしていないこと。

自分は「石井事務所」の名刺を出し、凛の会会長ではなく「石井事務所の者」と名乗って、社会推進室:村松係長に認可の相談をした。しかしながら、活動実績が殆ど無いなどで認可は難しいことや、規約や会員名簿など多くの書類が必要と分かり、その後は河野にまかせて自分は手伝っているふりをしていた、などと供述したが、検事から「これは政治案件なので、厚労省は大変重く受け止めて、塩田部長が村木課長に指示し、上村係長が証明書を偽造したという流れになった」と言われた。
自分はそのような厚労省内部の事情は分からないが、そんなものかと思って調書にサインした。でも自分は塩田部長にも上村係長にも会っていない。村松係長に会った事実しかない。

また、村木課長が(認可を求める倉沢被告に)不審そうな顔をし「困ったな、これは難しい」と言ったという供述調書については、村松係長が「これでは認可は難しい」と言ったのであって、村木課長ではない。村木課長とは、松村係長から「本件の責任者は村木課長なので挨拶しますか」と言われ、村木課長の机に行って(名刺も出さず)「石井事務所の者です。障害者組織の認可にことで伺いました。」と挨拶すると村木課長は「ああ、そうですか」と言い、それだけで自分はすぐ退出した。

それでも「政治案件」という重大な話になっている調書にサインしたのは、検事から、厚労省の関係者の方々は認めているよと言われ、また「新たな裁判員制度が導入されたので、平易な調書が必要だ」とのことだったので、納得してサインしたものである。

このような証言を倉沢被告が続けたので、法廷内がざわめき、検事が「あなたは取調べで暴力でもふるわれたのですか!?」と聞き糺す一幕がありました。
その時の倉沢被告の応えは「暴力は振るわれていませんが、テーブルを叩かれるなどがありました」というもので、「どんな時にテーブルを叩かれたのですか?」という検事の質問に対しては「証言を変えたり、言い直したり、答えを間違った時です」と返答したので、私は思わず傍聴席でズッコケそうになりました。(>_<)

倉沢被告を事情聴取したのは、坂口副検事という人だそうです。

「裁判を傍聴して思うこと(倉沢証人)」by 花ずきんS

傍聴
2月3日(火)10:00~11:30 河野証人、 13:15~17:00 凛の会 倉沢証人
2月4日(水)10:00~17:00(昼1時短15分昼食休憩)凛の会 倉沢証人

<倉沢証人>尋問

凛の会代表の倉沢とは、どんな人なのだろうか、この人はどうしてもこの目で見ておきたいと思っていた。検察側・弁護側双方申請の証人である。私がとんでもない人だと思えてきた三点を記す。

  • 自分で数え切れないくらいたくさんの会社の役員の肩書きを持ち、名刺を使って暮らしている怪しげな仕事振り。(ただし、尋問中、それは会社の登記簿上のものではないと証言)
  • 名だたる会社との打ち合わせなどの日程も、毎日当日の朝出勤してからその日のことを電話で連絡して行っていると証言。だから、村木さんから証明書を受け取る時もアポも取らずに近いので直接行ったと。前者もどの企業でもありえないこと。後者もアポもない人をフリーパスで厚生労働省に入れることなど今も、かってもないことを平然と言う。
  • 弁護側尋問で「事前に検事さんと打ち合わせをしたか」と聞かれると「していません」と言い、あわてて検事が「打ち合わせはしたでしょう、正直に答えるよう何度もいいましたね」といわれ「良くないことかと・・・・」と。検察側にとって良くないことは言わないように・検察の意向にそってという姿勢を決め込んでいるとみえる。

証言で重要だと感じたことが三点あった

  • 村木さんから証明書を受け取ったとしながら、手渡しされる際の会話「なんとかご希望に添える形に・・・」などは、はっきりと否定した。手渡し場面の倉沢の証言は、立ち位置や周囲の状況からも矛盾に満ちており、彼が村木さんから受け取ったことがうそであることが強く感じられた。
  • 村木さんとは、二回あっているのに一度も名刺交換したことはないとも証言。誰かわからない人の要請を受け、誰かわからない人に証明書を渡すことなどありえない。虚偽のものとすればなおさらである。
  • 元部長には会ったことがないと証言したこと。取調べの検事調書には村木さんが倉沢を元部長のところに案内し、倉沢が証明書の発行を要請したとされていたのだが

これらのことは、倉沢が村木さんから受けっていないのに検察側の作ったストーリーに沿い、受け取ったことにして辻褄を合わせようとしたことが破綻したことを物語り、村木さんの関与はなかったことをますます明確にする結果となってきた。

これから元部長などの証人尋問で、うそで塗り固められた物語が崩壊していく過程を見届け、実際に作成した人が誰にどのように追い込まれていったのか明かされることを期待して傍聴をつづけたいと思う。

「裁判傍聴紀」by J

2月3日と4日に裁判を傍聴しました。初日に傍聴希望者が多く行列ができたと聞いていましたので、念のため家族・関係者用の傍聴席をお願いし、東京から出かけました。

2日に関西在住のHさんとUさんが出かけたところ抽選はなく席が空いていた聞き、3日は開廷される15分ほど前に大阪地裁に行きました。まだドアが空いてなく、少し待ち受付も荷物検査もなく201号室に入りました。4日は15分前にドアは空いていました。

私は2日間、Hさんは3日間、10時から17時まで傍聴しました。傍聴席も1/3ぐらいは空いていました。

前日の検察側証人の河野氏に対する双方からの尋問、午後からは同じく倉沢氏に対する尋問が行われました。検察側の証人なので、障害者郵便の悪用の企て、民主党の石井議員との接点、村木課長に会ったかどうかが、焦点でした。しかし、「村木課長に挨拶した」「証明書を受け取った」ということは出てくるのですが、その確証となる名刺交換はしていない、日程となるといつかは曖昧な供述でしかない。この人たちはどうみても詐欺の常習犯のような感じでした。

今後、厚労省側の証人から聞くことになっており、実際がどうだったのか早く明らかになって欲しいものです。

裁判所の入廷も退席も自由であり、是非大勢の方に出かけていただきたいと感じました。

2月2日
平成22年2月2日 第2回公判がおこなわれました。
共犯として起訴されている自称障害者団体「凛(りん)の会」元会員・河野克史被告に対する証人尋問がありました。
「裁判を傍聴して思うこと(河野証人)」by 花ずきんS

傍聴 2月2日(月)10:00~17:00(昼1時短15分昼食休憩)凛の会 河野証人

公判1日目の1月27日は、傍聴希望多数で抽選だった。残念ながら私は抽選はずれでこの日が始めてである。

<河野証人>尋問に関して

河野証人は、村木さんとの接点はない。障害者団体の実態も実績もないので証明書の発行を受けるのは難しいとの認識は最初からあったという。

河野は、それでも低料金第3種郵便を悪用するために民主党石井一国会議員の元秘書の倉沢を通じ、不正に証明書の発行をさせ悪用したというもの。河野はこのことを一貫して認めるとしながら、本裁判の肝心の村木さんの関与の有無にかかわる以下の3点については、検察の意向に沿う証言を繰り返し、自分は証明書を受け取っていないと明言した。

  • まもなく証明書の発行ができるということを郵政公社に伝えるために決済の途中であることがわかる文書についても、後日の捜査で郵政公社と障定協にFAXのコピーがあったということから考えると、うちから送ったのかもしれないが全く記憶にないと証言。
  • 厚労省から証明書を発行するとの連絡があり、その電話を自分が受けたのか誰かほかの人が受けて自分に伝えられたのか、この点はわからないと答え、倉沢にお礼の電話をしたことだけを強調する証言をした。
  • 事務所で公的証明書を自分がコピーしたことは明確に覚えているというのに、それが郵送されてきたものか、誰かが受け取りに行ったものか、事務所のどこにどのように置かれていたものかについては、全くわからない、私は受け取っていないと証言。

民主党国会議員の元秘書の倉沢に働きかけてもらったということ、そのルートで「政治案件」だったと感じられるように証言させること、だから村木さんが関与しているという結論につなぐのが検察側の意図だと思われる検察側尋問であったが、村木さんの関与を証言させることには失敗。

河野証人自身が上村係長に証明書を作らせ、自分が受け取ったという「虚偽有印公文書作成・行使」では、検察にとっての意味ある起訴にならないということなのだ。国会議員の元秘書の介在が不可欠な検察の作成ストーリーとみた。

「2月2日傍聴記」by U

大阪在住の私とHさんは、1月27日の第1回公判の傍聴券の抽選に外れ、すごすごと引き上げたので、2月2日朝からの裁判の傍聴に「家族枠傍聴券」をいただくということで張り切って参りました。ところが、第1回の混雑に懲りたのか、傍聴者は30人弱で拍子抜けでした。

201号法廷の入り口で待っていますと、やってこられた弁護団の中になじみの方がおられ、お互いにびっくり・・・

村木さんとは法廷の入り口で会話ができました。前々日から大阪に来ておられるそうで、気力は充実しているようでした。

10時に開廷し、検察側の証人尋問が始まりました。河野 克史という「凜の会」の元幹部で偽装された「証明書」で障害者特別割引郵便を悪用した罪で起訴されている人の尋問です。凜の会の設立時のいきさつや、郵便局への申請をしようとした動機、休眠会社を活用して総代理店を作ったいきさつ、倉沢という元代議士秘書を会長に据えた理由(人脈、役所に顔が利く等々)、厚生労働省の担当者(上村被告の前任者)とのやりとり、障害者定期刊行物協会で証明書を発行してもらう経過と、「凜の会の機関誌発行部数では証明書は必要ないといわれ、必要のない努力をした」と後任の担当者上村被告に抗議したやりとり、などなどが細かく、尋問された。12時過ぎたので、裁判長が「まだかかりますか?」と聞き、検事が「あと1時間半位」と答え、昼食休憩になった。

1時15分、再開された証人尋問が、引き続き行われ、厚生労働省の「障害者団体」の認可を出してもらうために、どのような働きかけを、河野、倉沢が行ったか、担当者の上村被告とのやりとり、証明書を誰がどのように受け取り、郵便局に提出したのかが尋問されたが、取り調べの際の検事調書との表現の違い、なぜ違うのかが問われた。証人は、「質問に答えた中での文章なのでニュアンスの違いはある」「推測や状況説明からは自分しかないと思うが記憶が定かでない」と繰り返すことが多くあり、非常にもどかしい感じがした。

さらに、検事が、検察の取り調べの際の検事調書の内容と取り調べの際の暴力的なことの不存在、を確認し、証人・河野被告の弁護士から「申し入れ書」が出され取り調べの中で「恫喝」があったとされている点が紹介されたが、「途中経過の中でのことで、恫喝という表現は自分は使っていない。」とのべ、起訴前に「反省文」を「倉沢に頼み、石井先生の力を使ったことが、結果としてみんなに迷惑をかけた。どんな罰でも受ける」という内容を書いていることが紹介された。

証人は「供述調書と今日の法廷での証言の内容の食い違いは、供述調書の方が実際の内容」と証言した。

倉沢さんへの思いを聞かれて「ああいう人だから気の毒に思う。罪を軽くしてあげたい。記憶の定かでない分は、倉沢さんの話にあわせてあげたい」

上村さんと村木さんへの思いは「すべて我々が申請したことで関係の方々に迷惑をかけた。申し訳ない」

というような内容で検事の尋問が終わり、3時の休憩に入った。再開後は、弁護側の尋問が予定されていた。

検事は、尋問の中で、石井一代議士の元秘書倉沢被告の名前と倉沢を活用したのは、石井代議士の力を使いたいからということを、導きだそうだそうとしていることが伺われ、意図的なものを強く感じた。

弁護側の反対尋問を残念ながら聞くことはできなかった。というのは、私、昨日引っ越しをした。その関係で、インターネットの接続の設定に業者との約束があり、帰宅せざる得なかった。10時から5時までびっしりやるとは正直、思っていなかった。3日も4日もこの調子で証人尋問が続くのかと村木さんと弁護士の皆さんのご苦労を今更ながら実感した。6月まで日程が過密だが、今後も、可能な限り傍聴にいくつもりです。

1月27日
裁判が始まりました。
第一回公判では起訴状朗読、被告人意見、検察側・弁護側の冒頭陳述などがありました。詳しい内容はそれぞれのところをクリックして下さい。双方の主張を比較するとどちらが真実としての説得力を持つか明らかです。
次回からは証人調べが始まります。
「厚子さん初公判、傍聴記 by ナミねぇ」

厚子さん公判傍聴記 2010.1.27初公判

13:00少し前、大阪地方裁判所に到着すると、駐車場に傍聴券を求める長蛇の列。
「家族傍聴枠」を厚子さんの上のお嬢さんから受け取り、抽選の列に並ぶことなく「応援の皆さん、ありがとう」と心のなかで呟きながら、お嬢さんと一緒に初公判が開かれる201号法廷へ。

法廷は、裁判官が座る高いひな壇と、その下の左右に検察側の席と弁護側の席。
検事2名と、弘中惇一郎弁護士ら5名は、すでに着席。
中央に被告や証人が発言する立席。
「テレビで見たのと、そっくりやなぁ」と思いながら「携帯の電源を切って下さい。撮影は冒頭の報道関係者撮影以外は禁止です」という注意を聞く。

13:20。法廷右側のドアから、厚子さんが信岡弁護士と共に、いつもの清楚なひっつめ髪で入廷し、弘中弁護士の隣に着席。
横田信之裁判長が開廷を告げ、公判が始まる。

まず検察側が「起訴事実」の書面を読み上げる。

「国会議員から便宜依頼を受けた元部長の指示に従って、企画課長だった厚子さんが部下に命じて、障害者組織として実態の無い<凛の会>に郵便料金割引のための証明書を偽造発行させた」という内容だが、聞けば聞くほど、読み上げられた「起訴事実」の不可思議さを感じる。

凛の会に実態が無いことは、多くの厚労省担当部局職員が気付いていた、と言いながら、誰もが村木課長からの「議員案件なので進めるように」という指示に逆らうこともなく、しかも上村係長が書類を作成することを黙認し、なおかつその書類は、他の申請書類を改変偽造したものに課長印を勝手に押捺したものであり、その上、手続きを終えた証明書は、企画課長である厚子さんが、倉沢被告に課長席で手渡した・・・という。

「んな、アホな!」としか言えないような検察側の論に、発言を許されない傍聴者の間に、静かなざわめきが広がる。

厚子さんが「被告人意見」を述べるため、中央の席に立つ。
毅然とした後ろ姿。
紺のスーツにアイボリーのとっくりセーター。あ、今日のスカートは、いつもの「膝丈のシンプルなタイトスカート」じゃなく、プリーツが入ってて、ちょっとフレアーっぽい・・・女学生風やんか。
思わず「可愛い・・・」と呟いてしまった私。

「私は無罪です。」厚子さんの声が法廷内に響き渡る。
「誰かと共謀したり、誰かに指示したりということは一切ありません。私は、国家公務員としての仕事に誇りを持って取り組んで来ました。事件には一切関わっていません。」

弘中弁護士の冒頭陳述が始まる。

村木被告は全く無実です。共謀したり指示するどころか、上村氏がそのような書類を作っていることさえ知らなかった。
村木さんは、31年間綱紀を順守し、真面目に公務に励んで来た。国会議員の依頼であっても、可否を明確にして対応してきた。書類を不正発行して議員の機嫌をとる必要など無い。
検察は、村木さんが上村氏に指示したと上村氏を誘導し、結論を導き出したが、上村氏はすでに「自分の独断で行ったことであり、村木さんの指示ではない」と弁護士に語っている。事件は、検察が「別件逮捕するぞ」とか利益誘導などで上村氏を追い詰め、供述書面に署名、押捺させたものであり、あらかじめ検察が作り上げたものといえる。

弘中弁護士の陳述が、静まり返る法廷に続く。

倉沢氏は村木さんに会ったと言っているが、村木さんの手帳にも倉沢氏の手帳にも、どれだけ精査しても面会の記述も、本件に関する記述も無い。倉沢氏の数千枚に及ぶ名刺の中にも、村木さんのものは無い。村木さんが倉沢氏の前で「要請の電話をかけた」という、日本郵便の森代表も記憶に無いと証言している。

何より、書面の偽造が上村氏の単独の行為だとの裏付けは、彼が書面を作成したフロッピーの記録だ。作成と保存が、平成16年6月1日の未明。午前1:20ごろという深夜である。そして偽造書面作成後、課長印を持ち出して押印したのである。

村木さんが、倉沢に「証明書が出来たので取りに来るように」と連絡したことはないし、倉沢が厚労省に受け取りに来たこともない。記録もない。
検察の話は、全ておかしい!

何より、村木さんに議員案件だからと手続きを命じた塩田元部長が共犯で逮捕されていない。塩田氏が共犯でないのなら、村木さんが個人で全てを行ったことになり、ますます検察の論はおかしなことになる。
従って、検察官の描くストーリは、およそ合理性を欠き、破綻している。すべての調書は、脅し、すかして創り上げたものにすぎず、村木さんの無実は明々白々である。裁判長は、一日も早く、結論を出して戴きたい。

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これ以上の初公判の詳細は、報道各紙から出る「詳報」に譲るが、公判後の記者会見では、「検察がなぜか調書作成経過のメモを全て破棄したこと」も、弘中弁護士から明らかにされた。

寒風の中、車いすの人も交え、60枚の傍聴券に約200人が並んだ初公判。今後23回の公判が続くが、厚子さんが体調を崩されることなく乗り切って行かれることを、心から願う。

「今、この時点で、無罪を勝ち取る自信は?」という記者の最後の質問に、厚子さんは力強く、こう応えました。

「これだけ力強い弁護士と支援者がいて下さることに感謝している。真実は必ず明らかになると信じています。」

「村木厚子さんの第一回公判を傍聴しました by K」

村木厚子さんの第一回公判を傍聴しました。

公判は、起訴状朗読、被告人意見陳述、検察側冒頭陳述、弁護側冒頭陳述の順で進み、その内容はナミねえの秀逸な傍聴記を含むこのホームページですでに明らかになっているとおりですが、そのあと、裁判長による10数項目に及ぶ主要争点の開示と、検察側、弁護側双方による証拠開示がありました。

次回から始まる合計11人の証人調べでは、主要争点について時系列的に緻密な立証合戦が展開され、裁判官の心証が形成されていくものと思いますので、ご参考までに主な項目を記しておきます。

・塩田元部長の被告人に対する指示の有無及びあったとすればその内容

・倉沢氏の被告人に対する当初の要請の有無及びあったとすればその内容

・被告人の村松係長ら(部下)に対する指示の有無及びあったとすればその内容

・倉沢氏の被告人に対する郵便公社への要請の有無及びあったとすればその内容

・倉沢氏の被告人に対する日付をさかのぼらせた証明書発行の要請の有無及びあったとすればその内容

・上村係長の被告人に対する報告・相談と被告人の指示の有無及びあったとすればその内容

・被告人の塩田元部長への報告の有無及びあったとすればその内容

・被告人の倉沢氏への証明書交付の有無

・被告人の上村係長に対するあとづけ決裁不要との指示の有無

・被告人の動機の有無

・上村、倉沢の供述調書の真実性

この事件は、要は厚子さんが「共謀」「指示」という形で加担したのかどうかということがポイントです。

きわめて不自然、不合理、ムリムリの検察ストーリーが法廷でパタンパタンとくつがえされることを固く信じています。

1月26日
司法記者クラブでの記者会見の模様が竹中ナミさんのHPに掲載されました。
1月26日
各メディアに村木厚子さんについての記事が掲載されました。
・村木被告が会見「勇気を持って臨みたい」(2010年1月22日 産経ニュース)外部リンクを開く
1月8日
各メディアに村木厚子さんについての記事が掲載されました。
・「郵便不正」元厚労省女性局長「女は一生に一度理不尽な目にあうもの」
「郵便不正」元厚労省女性局長「女は一生に一度理不尽な目にあうもの」
週刊文春 2009年12月31日・2010年1月7日号 より転載
・元局長の指示 一転否定
元局長の指示 一転否定
朝日新聞 2010年1月7日 より転載
11月26日
村木厚子さんが11月24日、逮捕以来約5か月ぶりに保釈されました。
11月2日
ジャーナリストの小宮英美さんがPIECE17号(2009年秋号)に書かれた記事を紹介いたします。
PIECE 17号(2009年秋号) 入手希望の方は下記までお問い合わせください。

  特定非営利活動法人 全国地域生活支援ネットワーク事務局
  〒891-1201鹿児島市岡之原町1005
  tel:099-822-8705 fax:099-822-4073」

村木厚子さんのこと~厚生労働省の局長逮捕・真実はどこに~(2) 村木厚子さんのこと~厚生労働省の局長逮捕・真実はどこに~(1)
PIECE17号(2009年秋号)より転載
9月30日
村木厚子さん面会記(清水さん、西嶋さん)
大阪で村木さんのいらっしゃる大阪拘置所を訪問しお会いしてまいりましたので、
村木さんのご様子を報告させていただきます。 ……
9月21日
最近の状況についての家族からの報告です。
9月10日に第1回公判前整理があり、裁判所、検察側、弁護側、本人が出席しました。
検察側が出している証明予定事実と関連証拠に対して、
弁護側から詳細な説明や関係する調書の提出を求めました。 ……
8月4日
村木厚子さん面会記(北岡賢剛さん)
本日、厚子さんに会ってきました。
本当にいつもと変わらない雰囲気で、笑顔で迎えて下さいました。
滋賀県の渡邊光春さんと、愛知の戸枝陽基さんと私の三人でした。 ……
8月3日
村木厚子さん面会記(戸枝陽基さん(社会福祉法人「むそう」理事長))
厚生労働省:村木厚子さんに会ってきました。
世間を騒がせた。障害者の第三種郵便許可の偽造疑惑で。
僕は。間違いなくえん罪だと思っていますので。そう表現しますが。
不当に拘置されている。村木さんに大阪拘置所で面会できました。
どうして。無実の人が。こんな囲いの中に。
こんな長期に拘置されるのか。腹立たしい気持ちでいっぱいです。……
7月31日
7月30日(木)の毎日新聞に玉木達也記者による接見記が掲載されました。
支援感謝「焦らない」村木元厚労省局長と接見
毎日新聞 2009年7月30日 より転載
7月14日(金)の毎日新聞に「記者の目:郵便不正の虚偽公文書作成事件」が掲載されました。
記者の目:郵便不正の虚偽公文書作成事件
毎日新聞 2009年7月14日 より転載
7月23日
「村木厚子さんへの賢い差し入れ実践法」を掲載しました。
先日面会の後、拘置所正門の向かって右にある「差し入れ屋」に行っていろいろ差し入れているうちに、さまざまなことが分かりましたので、 お伝えしておきます。……
7月22日
村木厚子さん面会記(小宮英美さん、ジャーナリスト(NHKチーフ・プロデューサー、元解説委員))
16日木曜日、田島さんと小宮が、厚子さんと面会しました。
前日、大阪駅近くのホテルに泊まった私たちは、事情を知らない誰かに、
面会の先を越されることがないよう、朝8時にホテルを出ました。
大阪拘置所にはタクシーで20分ほどで着きます。
正門脇の受付に厚子さんに面会に来たことを告げると、番号札が渡されました。
一番乗りのつもりで来ましたが、8番と9番でした。携帯電話を預けて、荷物の中にカメラなどがないことを確認してもらい、
金属探知機のようなゲートをくぐって待合室に行きました。
ここで、住所氏名などの必要事項を用紙に書き込み担当官に渡すと、しばらく待たされます。
ここには差し入れ窓口もあるので、待っているあいだに、
書籍などの差し入れの手続きもできます。
田島さんは「宮城の乱」という本を差し入れました。……
7月21日
『婦人公論』(中央公論社)8月7日号に「村木厚子・厚生労働省前局長の逮捕に戸惑う人たち」が掲載されました。
村木厚子・厚生労働省前局長の逮捕に戸惑う人たち 村木厚子・厚生労働省前局長の逮捕に戸惑う人たち
7月8日
ご家族の方に寄せられたメッセージです。
橋本みさおALS患者です。
どうぞ報道に心揺らぐことなく、お母様をお待ち下さい。
私は人工呼吸器を使用している重度障害者ですが、
課長時代の村木さんには夜遅くまでお付き合い頂きました。
この気候で、健康状態が心配です。
皆様もご自愛下さいませ。
橋本操さんは、手足はもちろん、しゃべることも不可能な重症のALS患者で、まばたきを活用して1文字、1文字を介助者に伝えて、上記の文章をお書きになりました。このメッセージも1文字に数分、全部仕上げるのに2時間程、かかって書いて下さったそうです。操さんたちのことは、http://www31.ocn.ne.jp/~sakurakai/に写真や文章が載っています。