昔、茨城県のタクシーで東京まで乗ってきたことがある。「霞ヶ関から首都高に乗って」といっても運転手がわからない。「外堀通りから・・・」といっても外堀通りを知らない。もちろんカーナビがなかった時代なので、都心からNHKにつくまで2時間以上かかった。このとき感じたのは、東京の道が皇居を中心に渦巻き状になっていて、全体を知らない運転手には方角がわからなくなるということだった。
これに対して、欧米の都市の街路は整然としている。これは都市が基本的に城だったからで、中世のままの城壁が残っていることもある。戦争に備えてゾーニングも徹底し、都市が機能的に設計されている。ここでは全体を鳥瞰する「神の目」で都市が建設されているのである。戦争では、全員が生き残ることは問題外なので、中枢や指揮系統を守るために周辺部を犠牲にする設計になっている。日本でも「山城」だった京都だけは都市計画がしっかりしている。
ところが東京は、田んぼの畔道が道路になったところが多く、カーナビなしでは外国人には道がわからない。これは日本が平和な国だったからで、嘆くにはあたらないが、日本人が戦略的に考えることが苦手なのも、対外的な戦争を近代まで経験しなかったことが大きな原因だろう。民主党政権の場当たり的な政策はその典型で、アドホックに「弱者救済」と称する部分最適を求める結果、全体最適からほど遠いシステムになり、全員が損をする(首相が最適化理論のPh.Dだとは皮肉なことだ)。
通信のユニバーサルサービスもその一例で、いまどき固定回線のユニバーサルサービスなんて、地方の人々も望んでいないだろう。これから通信ネットワークを設計し直すとすれば、グラハム・ベル以来の固定回線中心の構造を改め、無線通信を中心にしてネットワークを最適化すべきだ。今のNTTの固定回線は、県域規制などによってきわめて非効率な配置になっており、これをそのまま光化するなんて考えられない。
まず重要なのは、無線通信の帯域を最大化することで、周波数の抜本的な再配分が不可欠だ。その上で無線の基地局を増やし、固定網は基地局を結ぶバックボーンとして最適配置する。アクセス系もメインは無線で、光ファイバーはフェムトセルやWi-Fiモデムまでの中継系と位置づける。終端まで光が必要な業務用については、別途やればよい。
これは都市問題と共通している。1970年代以降の国土開発計画では「国土の均衡ある発展」の名のもとに、都市から地方への所得移転が行なわれ、都市の貧しいインフラ(渋滞する道路や通勤地獄)が放置される一方、使われない高速道路が地方にたくさん建設された。その結果、労働生産性の高い部門への労働移動が阻害され、成長率が下がった。もう「地方の時代」は卒業し、「都市の時代」に生き残ることを考えなければならない。
日本経済は、このままでは遠からず収縮局面に入るだろう。戦争でいえば退却戦で、全員がハッピーになることはできない。まず限られた資源をどう配分するかという全体最適を考え、優先順位をつけて重点配分するしかない。特に今後、中国との都市間競争が激化する中では、都市に資源を集中して知識集約産業を伸ばし、地方を切り捨てて人々が都市に移住する必要がある。沈んでゆく船で、全員を救おうとして水をかき出していると、全員がおぼれ死ぬ。守るべきなのは、船ではなく人である。
ところが東京は、田んぼの畔道が道路になったところが多く、カーナビなしでは外国人には道がわからない。これは日本が平和な国だったからで、嘆くにはあたらないが、日本人が戦略的に考えることが苦手なのも、対外的な戦争を近代まで経験しなかったことが大きな原因だろう。民主党政権の場当たり的な政策はその典型で、アドホックに「弱者救済」と称する部分最適を求める結果、全体最適からほど遠いシステムになり、全員が損をする(首相が最適化理論のPh.Dだとは皮肉なことだ)。
通信のユニバーサルサービスもその一例で、いまどき固定回線のユニバーサルサービスなんて、地方の人々も望んでいないだろう。これから通信ネットワークを設計し直すとすれば、グラハム・ベル以来の固定回線中心の構造を改め、無線通信を中心にしてネットワークを最適化すべきだ。今のNTTの固定回線は、県域規制などによってきわめて非効率な配置になっており、これをそのまま光化するなんて考えられない。
まず重要なのは、無線通信の帯域を最大化することで、周波数の抜本的な再配分が不可欠だ。その上で無線の基地局を増やし、固定網は基地局を結ぶバックボーンとして最適配置する。アクセス系もメインは無線で、光ファイバーはフェムトセルやWi-Fiモデムまでの中継系と位置づける。終端まで光が必要な業務用については、別途やればよい。
これは都市問題と共通している。1970年代以降の国土開発計画では「国土の均衡ある発展」の名のもとに、都市から地方への所得移転が行なわれ、都市の貧しいインフラ(渋滞する道路や通勤地獄)が放置される一方、使われない高速道路が地方にたくさん建設された。その結果、労働生産性の高い部門への労働移動が阻害され、成長率が下がった。もう「地方の時代」は卒業し、「都市の時代」に生き残ることを考えなければならない。
日本経済は、このままでは遠からず収縮局面に入るだろう。戦争でいえば退却戦で、全員がハッピーになることはできない。まず限られた資源をどう配分するかという全体最適を考え、優先順位をつけて重点配分するしかない。特に今後、中国との都市間競争が激化する中では、都市に資源を集中して知識集約産業を伸ばし、地方を切り捨てて人々が都市に移住する必要がある。沈んでゆく船で、全員を救おうとして水をかき出していると、全員がおぼれ死ぬ。守るべきなのは、船ではなく人である。
コメント一覧
考えは、正しいかもしれませんが、社会的に「地方切り捨て論」が合意を得られる訳がない。これまで、恩恵を受けていた地方が反対するでしょう。情緒的に反感を感じる方も数多くいるでしょう。この「地方切り捨て反対論者」と「情緒的反感論者」がいる限り、合意は無理でしょう。つまり、政治が、部分最適を優先して、全体最適をないがしろにしている事に問題があると思います。なにせ、沖縄の一部の住民の意志で安全保障が大混乱してしまう国なんですから。
都市計画と絡めるのなら、
ドライカッパ = 鉄道
FTTH = 新幹線・地下鉄
無線 = 車
に例えるのが良いんじゃないでしょうか。
現在は昭和40年代か、50年代くらいかな。
横浜に住んでいる都市住民として全面的に賛同いたします。
しかし労働生産性の高いところへの労働力の移動という辺りは如何なものでしょうか?
日本で労働生産性が高いのは製造業ですが、製造業は現在、新興国に新規投資をシフトしており、トヨタでさえ国内生産を縮小すると発表しています。
たとえ日本の行き過ぎた労働者保護が改善されたとしても、労働生産性の高い製造業が新規の雇用を抑制する形で労働生産性を維持しているとすれば、労働力の労働生産性の高い分野への移動は起こらないのではないでしょうか?
労働生産性の違いが固定化され部門間の所得格差が固定化される傾向が日本にはあると思います。
これは地方と都市部の関係より、日本と新興国の賃金格差や潜在成長力、通貨の格差のほうがより強く作用しているからでしょう。
賃金の部門間での収束は起こらずに、格差の固定化傾向が鮮明になってます。
格差が悪いとは思えませんが、少なくても構造改革否定派の攻撃対象にはなります。
この状態で果たして地方から都市への投資の効率的配分は政治的に実現可能でしょうか?
ブログの世界では小泉改革ぐらいの穏便な構造改革でさえ未だにネガティブキャンペーンの対象になっています。
わたしは構造改革支持派なのですが、小泉改革が日本を駄目にしたという声が圧倒的に多く、逆に味方はほとんどいません。
やはり日本は一旦破綻してリセットするしかないかもしれません。
>労働生産性の高い部門への労働移動が阻害され、
にもかかわらず企業間でも大手と中小とで、労働生産性が大きく乖離しているらしい。
情報サービス部門は全体が輸入超過になる中で、最大手の富士通だけが22.9%輸出増大とのこと。
●情報サービス部門の輸入超過が近年急激に拡大
情報サービス部門の輸出入の状況を示すのが図表2-1-2-12である。情報サービスでは
大幅な輸入超過となっており、輸出額の減少が続く一方で、平成12年以降減少していた輸入額
が平成17年以降に急増し、輸出入比率は平成20年で4.19に達している。
http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h21/html/l2124000.html
①サービス
売上高は2兆5,104億円と、前年比3.4%の増収になりました。
国内は5.8%の減収です。
http://pr.fujitsu.com/jp/ir/finance/2009/pdf/02.pdf
自分の見方が間違っている可能性もあるかもしれないので、異論があれば歓迎する。
どうしてこういうことになるのか、理由を聞きたい。
ただ、色々と考えていて気になったのが、地方から都市へ移住する際の、精神的な影響です。
金銭面は効率化によってある程度吸収可能だろうというのは想像出来たのですが、重度のホームシックなどの精神面の影響が気になります。
住環境の変化による、精神への影響について詳しい方の意見も聞いてみたいですね。
>nippon5050さん
>日本で労働生産性が高いのは製造業
これは誤りです。あなたがこのように指摘しておられるとおり
>製造業は現在、新興国に新規投資をシフトしており、トヨタでさえ国内生産を縮小すると発表しています。
海外のほうが「生産性が高い」ので、製造業は生産を海外シフトしている。そのため業績が良いので、「日本国内の製造業は生産性が高い」のではありません。
東京の道路は江戸時代を引き摺っていますからね。
江戸時代は軍事上の目的の為に、江戸城までまっすぐ進撃されたら困りますから、江戸城を中心に渦巻状になっているんです。
都市の機能性より、軍事的な目的が優先された時代ですよ。
ある意味欧州と同じではないかと。
日本の城下町から発展したところはみなその流れを引き摺っています。長い直進の道は古い町にはまずありません。
そしてそれを直すために、バイパスとかを地方都市は作っているわけですよ。ちなみに地方都市でも慢性的な渋滞が解消されてません。高速で10分の距離が下道なら1時間以上というのが、私の住んでいる道路がいいといわれる山口ですらざらです。
>6. v_schenkopp さま
それは心配ないのではないでしょうか。
地方に住んでいる人が全員、都市に出て来いと
強制されているわけではないですから。
それに、日本人全部が東京に住め、という話でも
ありません。九州なら福岡、北海道なら札幌に
集中すればいいのではないでしょうか。
いまでも、地方の学生が東京や大阪の大学に
集まる傾向はあります。そういえば、一時期、
八王子など不便なところに校舎を建てた大学が
最近は23区内に戻ってきています。
勉強するにも、アルバイトをするにも、色々な
社会経験をするにも、都内のほうが便利だと思います。
都市には都市のよさがあり、地方には地方のよさがあります。
一度、東京に出ても、何かのタイミングで地方に戻って
また、のんびり暮らすというのも素敵だと思います。
10年ぐらい前でしょうか、テレビで自治省の役人が同じことをおっしゃってました。生活の社会的コストが高い山間部から地方の中核都市にひとびとが集まるようにしたい、と。
じつはだましだましこの方向で政策がすすめられているのではないかと思っています。
そして国からの関与を排除して自力で踏ん張っている山間部の町村も存在しているようです。
わたしはどちらも支持です。
私は東京の派遣労働者で、ほとんどの地方の人より貧乏です。病気等もあり過去十年年収200万ぐらい。
でも、地方の人のために税金を払っています。さらに、スーパーで食料買っても地方に税金払っていると同じ。海外から自由に輸入できれば安くて家計助かるけどね。
私は地方在住者ですが、論には全面的に賛成です。
日本全体が沈没して、石油も来ない状態で、道ばかり立派でも意味ないですし、均衡ある発展なんぞといってコンクリートで固められずとも、本当に良いと思えば、どんなド田舎でも人は住みますから。
ただ、揚げ足取りみたいですが、欧米の道云々はちょっと単純化だと思います。例えばロンドンはぐちゃぐちゃですし、港町(マルセイユとかハンブルクとか)は概して道がうねりくねっていて、鳥瞰的視座云々からは程遠い。
軍事的側面をいうなら、私が在住する熊本の町は、加藤清正が軍事的理由から、クランクばかりの道路計画をたて、各ブロックに寺社を配して、有事の際の陣地を確保するという形で構成されています。
でも、それあるがために街区がぐちゃぐちゃしているわけですが、、、。
論旨全体には賛成ですが、欧米の都市計画の比較論を援用するのは、ちょっと無理があると思います。
これを言うと選挙に負けるんだよ。
だから、結局は政治の問題になるわけだね。
最初の方に、だいぶ適当なこと書いてますね~。
そもそも、京都のもともとの都市計画は、奈良の平城京を受け継いだものでしょう。
さらに、奈良時代に京都は、渡来人の住む土地であまり栄えていなく、山背国と言われていた。
奈良や大阪から見て、山の向こうの国、という意味ですね。
平安時代になって、都が京都に移ったから、名前を山城国に変えただけで、山城国という名前と京都の都市計画にはなんの関係もない。
しかも、平城京は応仁の乱で荒廃して、今の京都を復興したのは、豊臣秀吉です。
だから、今の京都と大阪の中心部は、非常に似ている。
例えば、どちらも碁盤目の区画で、寺町が一箇所に集められていて、堺町という名前の通りがある。
つまり、京都だけでなく、大阪の旧市街も計画都市だし、名古屋や札幌もそうでしょう。
東京の区画がめちゃくちゃなのは、単純に地形があまりにも複雑だからです。
江戸の旧市街は、局所的には整備された区画をしているし、皇居から少し離れたところに外堀の遺構を見つけることもできます。
とりあえず地方のコメント。畑の中にジャ○コがあり、近くに国道が続いて、次第にテナントに収まらない店が集まってくる。モデルハウスがなぜか近くに展示され(売り物である可能性は少ないけど)…おっとげふんげふん。地元から見ればとんでもないバージョンアップですね、良い悪いは別にして。でも車かバスか自転車か押し車は必要なんです。もうコメント関係ないや。
人口の減少、経済の縮小を見越せば、池田さんの言うように伸びきった戦線を縮小する政策が当たり前と思いますが、痛みを伴うだけになかなか賛同が得られませんね。
先の戦争で力量の伴わない戦線拡大が、惨めな崩壊をもたらすことを学んだんじゃなかったのでしょうか?
uranoonさんわたしの言葉が足らなかったようです。
申し訳ありません、
日本の製造業の労働生産性が高いとは日本の他部門、サービス業や農業に対してです。
労働力の移動の話ですから当然国内の話をしているわけです。
労働力の硬直性がなければ、比較優位部門への労働力の移動が起こり、賃金が収束していくという話は、少なくとも日本では起きない。
なぜなら労働力を受け入れてしまえば労働生産性が下がってしまうからです。
わたしは製造業の現場で働いていますから、労働生産性を上げるとはどういう事かわかっています。
それは人を減らす、時間を短縮する。
という事です。
実際わたしもつい先月まで二人で行っていた作業を今一人でやってます。
製造業の現場は常にこんな感じです。
そして新規の投資と雇用は新興国にシフトする。
つまりこれは明らかに撤退戦です。
やがてわたしの仕事も無くなるでしょう。
日本の製造業が新興国にシフトするのは労働生産性だけが理由ではなく、新興国の市場その物が成長しているからです。
そうでなければ人民元高が予測される中で中国に投資するわけありません。
日本の悪循環を断ち切るには日本市場を成長させるしかないのです。
その為には池田先生のおっしゃるとおり、まず日本がまっとうな資本主義国になることです。
地方へのばらまきは社会主義としか見えません。
長くなり申し訳ありません。
夜勤明けですのでこのまま寝ます。
おやすみなさい。
池田さんの記事を見ていると、哲学も経済学などの諸社会科学の記事は限界にきたのだと感じます。そういった分裂症的退屈なものはそこらへんにいる暇な学者に任せて、池田さんには、地方産業や地縁Gemeinschaftを重視する経済学を研究してほしいです。もちろん、規制改革や保護貿易主義の撤廃、財政再建は最も優先されるべきものですが。地方には有望な「観光」産業や「芸術」産業があると思うけど、官僚的な首長・公務員に無視されて育たない。「観光」をn対nの市場で考えられない。分裂思考的だから、「芸術」を科学と同じレベルでしか考えられない。
絵画のフェルメールや庭園のランスロット・ブラウン、建築のコルビュジエ、日本では琳派、徳川達孝のようなイノベーションを興す人間が現代はでないから面白くない。単調な様式美はもうじゅうぶん。
円安・低金利は首都圏の労働者、地方の圧力団体にモルヒネを打って、延命させているだけ。
> 日本でも「山城」だった京都だけは都市計画がしっかりしている。
京都は朝廷官僚による, 長安を真似した計画経済の都市です.
藤原京に始まる都市は, 糞尿処理の失敗による疫病の流行で, 次々転都を余儀なくされます. 平安京は最もましでしたが, それでも政治中枢が京都内を移動することになりました. 官僚の予想を超えた人口集中で, 「羅生門」に描写されるような状態に陥りました.
池田さんはtwitterで「国策で『エロで電子出版』とは言えない」と書いていますが, 朝廷官僚も「天皇に『糞尿が最大の問題』とは奏上できなかった」のでしょう.
鎌倉時代, 武士の実態は農場経営者で, 現代的に言えば企業経営者です. 彼らは実務家で, 実用的な都市を作りました.
・ 軍事的に守りやすいよう, 地元の人間以外にはわかりにくい構造にする.
・ 水を重視した都市を作る.
・ 糞尿は可能なら肥料にする.
徳川幕府の官僚は, 水を重視した江戸作りをしました. 官僚の予想を超えた人口集中は起きましたが, 大きな疫病はほとんど起きませんでした.
>日本経済は、このままでは遠からず収縮局面に入る
それが小泉改革であり、バブル崩壊以降ずっと言われていた公共事業を抑えようというマスコミの声だったのでは。地方に住んでいたらまっとうな中産階級は公務員か公共事業従事者だから、誰も公共事業の縮小なんてセリフは言いませんでした。
>沈んでゆく船
その場合、「みんな逃げよう!」ではなく「けして犠牲が出て欲しいなんて思わないが、私は何も告げず救命ボートで逃げよう。」と考えるでしょうね。
諸悪の根源は一票の格差だと思います。
コストパフォーマンスの悪い地方の議員が多く、その各地方議員が地元への利益誘導を行うため、コストパフォーマンスの悪い行政になるのは当たり前です。
必然的に司法も責任の一端を担っていると思います。
「一票の格差は違憲とは言えない」などと訳の分からない判決を出すことが事態を改善に向かわせない原因の1つです。
ソフトバンクの松本さんと池田先生の議論の食い違いも、このへんが最大の原因だと感じます。
松本さんたちは、いまだに「地方の時代」タームに生きており、一方、池田先生は日本を都市の時代に移行させるべきと考えておられる。
地方の非都市部に「光の道」を引いても採算取れっこないし、数十年を待たずに廃墟になる。しかも引いても鳥の巣になるだけで、全然性能が発揮されず、ADSLで十分な容量のお年寄りの趣味のブログぐらいにしか使われないで、日本の生産性やイノベーションには全く何も寄与しない。
・・・というように非都市部としての地方をどのように評価しているか、がこの手の議論に対するスタンスに、越えがたい壁となっているのではないでしょうか。
言わずもがなですけど、私も「光の道」は無駄と思います。構造分離でも何でもやればよいけど、非都市部に投資を都市部の負担でするのだけは、無駄だから止めてくれ、ですね。都市部だけ限定なら、光の道でもなんでもOKです。
もう一度関東大震災がおきたら、だいぶ日本も変わるんじゃないですかね
高齢化は大都市で進行してます。これからは大都市より地方都市が主力になるでしょう。「地方の時代」でも「都市の時代」でもなく、現実は「地方都市の時代」になるのでは?
「光の道」は、民主党がやることなので、私は無視してます。自民党が政権を取り戻せばやりません。