アジア | 北米 | 中南米 | 欧州(NIS諸国を含む) | 大洋州 | 中東 | アフリカ
2009年4月現在
2.2万平方キロメートル(日本の四国程度)(注1)
約705万人(2006年 イスラエル中央統計局)
エルサレム(注2)
ユダヤ人(約76%)、アラブ人その他(約24%)(2006年)
ヘブライ語、アラビア語
ユダヤ教(76.8%)、イスラム教(15.5%)、キリスト教(1.7%)、ドルーズ(1.6%)(2005年)
ユダヤ民族の歴史は聖書の創世記に始まる。紀元前10世紀古代王国が栄えるが、やがて王国は北と南に分裂し、各々アッシリアと新バビロニアに滅ぼされる。その後、ギリシャ、ローマの勢力下におかれ、最終的にローマの圧政に反乱を起こすが、鎮圧されて古代ユダヤ史は幕を閉じる。以後2千年近くにわたりユダヤ民族は世界各地に離散。19世紀末欧州で勃興した反ユダヤ主義を契機としてシオニズム運動が起こり、20世紀初頭よりユダヤ人のパレスチナ移住が増大。1947年国連総会はパレスチナをアラブ国家とユダヤ国家に分裂する決議を採択、イスラエルは右決議を受け入れ1948年独立を宣言。1948年、1956年、1967年、1973年と周辺アラブ諸国と4度にわたり戦争。その後、1979年にエジプトと平和条約を締結。現行和平プロセスにおいて、1994年10月ヨルダンと平和条約を締結。パレスチナ解放機構(PLO)とは、1993年9月、相互承認を行い暫定自治原則宣言(オスロ合意)に署名。その後、暫定合意に従い、イスラエルは西岸・ガザの主要都市から撤退し、代わってパレスチナ暫定自治政府による自治が実施されている。
(注1)数字はイスラエルが併合した東エルサレム及びゴラン高原を含むが、右併合は日本を含め国際的には承認されていない。
(注2)日本を含め国際的には認められていない。
共和制
シモン・ペレス大統領(Mr. Shimon Peres)
一院制(120名)(全国1区の完全比例代表選挙制度)
(1)首相 ビンヤミン・ネタニヤフ(Mr. Benjamin Netanyahu)
(2)外相 アビグドール・リーベルマン(Mr. Avigdor Lieberman)
(1)1948年の独立以来、労働党を中心とする左派政権が約30年間続いたが、その後、リクードを中心とする右派政権、左派の労働党政権、および両者による大連立の政権が交代し、2005年11月に中道新党「カディマ」が結成されるまでの間、労働党とリクードの左右二大政党による勢力拮抗時代が続いた。
(2)2001年3月に成立したシャロン政権は、中東和平の進展を最大の目的として成立した労働党のバラック前政権とは異なり、治安の維持を内政上の最優先課題として取り組んだが、パレスチナとの衝突は激化。2003年1月末に実施された総選挙でシャロン首相率いるリクードが勝利し、2月末に右派・中道の連立政権を樹立するが、2005年8月のガザ撤退の是非を巡って右派政党が分裂する中、国民の大半を占める中道層はガザ撤退を強硬に進めるシャロン首相を全面的に支持。これを受けて、2005年11月、シャロン首相は右派リクードを離党し、中道新党「カディマ」を結成。
(3)2006年1月にシャロン首相が脳卒中に倒れ突然政界を引退するという不測の事態はあったものの、同年3月の総選挙ではオルメルト新党首率いる「カディマ」が他の2大政党を抑えて第一党となり、5月に労働党等との間で左派・中道の連立政権を樹立。
(4)2009年2月実施の総選挙を経て、同年3月にネタニヤフ政権が誕生した。
(1)イスラエルの外交方針は自国の安全確保を第一としている。国外のユダヤ人コミュニティーからの支援を後ろ盾としつつ、特に米国との友好関係を最重要視している。
(2)アラブ諸国のうち隣接するエジプト、ヨルダンと和平を結んだことにより、周辺国との戦争の可能性が低下した一方、その外縁部にあるイランの脅威が相対的に浮上し、同国における弾道ミサイルや核、化学・生物兵器等の開発の動向に警戒感を強めている。
(3)1991年のマドリード会議を皮切りとして始まった中東和平プロセスは、これまでオスロ合意の締結、ヨルダンとの和平条約締結等により、一部アラブ諸国との関係改善を成し遂げる等、大きな進展を見せたものの、2000年9月のパレスチナとの衝突発生以来、同プロセスは停滞。2005年1月のアッバース・パレスチナ自治政府大統領就任以降、数回に亘りイスラエル・パレスチナ首脳会談が開催され、また、同年9月にはイスラエルによるガザ撤退が完了するなど、中東和平プロセスの前進に向けた兆候は屡々見られたものの、依然イスラエル・パレスチナ間の暴力は続き、また、2006年1月のシャロン首相の緊急入院による突然の政界引退、その後のパレスチナにおける過激派組織ハマスの躍進(特に2007年6月以降はハマスがガザ地区を掌握。)などにより、和平プロセスは再び停滞。しかし、そうした中で、2007年11月のアナポリス中東和平国際会議において、オルメルト首相はアッバース・パレスチナ自治政府大統領との間で7年振りに和平交渉を再開することで合意した。
(1)兵役:男子3年、女子19-24ヶ月(更に予備役あり)
(2)兵力
正規軍 17.7万人(陸軍13.3万人、海軍1万人、空軍3.4万人)
(内訳:職業軍人約6万人、徴兵兵士約11.7万人)
予備役 40.8万人(陸軍38万人、海軍3,500人、空軍2.45万人)
(3)主要装備:戦車3,510両、装甲戦闘車6,750両、水上艦艇57隻、潜水艦3隻、戦闘機(F-15、F-16)401機、攻撃ヘリコプター88機
鉱工業(ダイヤモンド研磨加工、ハイテク関係、食品加工、繊維、ゴム、プラスチック、薬品、機械、電子機器、カリ、臭素、燐鉱石等)、農業(柑橘類、野菜、穀物、酪農品等)
1,378億ドル(2006年)
19,900ドル(2006年)
5.1%(2006年)
▲0.1%(2006年)
8.7%(2006年 イスラエル中央統計局)
(1)輸出 464.5億ドル(2006年 イスラエル中央統計局)
(2)輸入 477.5億ドル(2006年 イスラエル中央統計局)
(1)輸出 ダイヤモンド、機械類、化学製品、農産品等
(2)輸入 自動車、機械類、光学・医療機器、化学製品等
(1)輸出 米(38.4%)、EU(31.0%)、アジア(18.4%)
(2)輸入 EU(37.4%)、アジア(19.6%)、米(11.1%)
新シェケル(NIS)
1米ドル=4.183新シェケル(2007年6月)
(1)社会民主主義国家として建国したイスラエルはもともと移民国家であり、独立後の移民流入等による人口増加に伴って経済規模を徐々に拡大してきた経緯があるが、その背景には、米国および在外ユダヤ人からの支援が大きな役割を果たしてきた。
(2)同国は周辺に敵対国を抱えており、また対パレスチナ治安対策のために国家財政に占める安全保障費の比重が大きい。また、対外経済の進展も中東和平プロセスの進展が前提となっており、和平が経済に及ぼす影響が大きい。
(3)死海のマグネシウム等を除けばエネルギー資源に恵まれていないが、ダイヤモンド研磨等の高付加価値品の加工貿易を志向する産業構造となっている。最近はハイテク分野の成長が著しい。
米(建国以来、多額の有償無償経済援助を実施。1998年までの援助総額は800億ドル弱に達している。対エジプト平和条約締結後の1981年以降は全額無償援助となり、1985年以降は経済援助12億ドル、軍事援助18億ドル)。イスラエルの提案を踏まえ、1999年より、米の経済援助は毎年1.2億ドルずつ減額され10年間でゼロにすることとされている。(但し、その半額は軍事援助の増額分として振り分けられる。)
年 | 政治関係 |
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1952年 | 日本のイスラエル承認 イスラエルの公使館開設(東京) |
1954年 | 在トルコ大使の在イスラエル公使兼任 |
1955年 | 日本の公使館開設(テルアビブ) |
1963年 | 双方の公使館の大使館昇格 |
(1)主要品目
(イ)対日輸入 自動車、一般機械、電気機器、化学品
(ロ)対日輸出 光学・医療機器、宝石・貴金属
(2)貿易額
(イ)対日輸入 12.9億ドル(2006年 イスラエル中央統計局)
(ロ)対日輸出 8.1億ドル(2006年 イスラエル中央統計局)
(1)1987年総務庁事業によりイスラエル青年招聘及び日本青年派遣。また1989年以来、中近東青年招聘計画により毎年5〜8名のイスラエル青年を日本へ研修招待。1992〜1993年日本文化祭実施。1993年知的交流開始。1998年研究交流開始。
(2)カツィール元大統領が日本国際賞受賞(1985年)。小平(1984年)、早石(1985年)、伊藤(1987年)、槙(1988年)、西塚(1995年)、小柴(2000年)、佐藤(2003年)各教授がウルフ賞受賞。
(3)イスラエル交響楽団来日公演(2000年、2003年11月、2007年3月)、大相撲佐渡ヶ嶽部屋イスラエル巡業(2006年6月)他、両国芸術家の交流事業多数。
700名(2007年10月)
320世帯(約600名)(2007年6月)
年月 | 要人名 |
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1988年 | 宇野宗佑外務大臣 |
1991年 | 中山太郎外務大臣 |
1994年 | 柿澤弘治外務大臣 |
1995年 | 村山富市総理大臣 河野洋平外務大臣(故ラビン首相国葬参列) 池田行彦外務大臣 |
1996年 | 久間章生防衛庁長官 |
1998年 | 鈴木宗男北海道・沖縄開発庁長官 鈴木宗男内閣官房副長官 |
1999年 | 高村正彦外務大臣 町村信孝外務政務次官 中馬弘毅衆議院外務委員長 |
2000年 | 東祥三総括外務政務次官 |
2001年1月 | 石破茂防衛庁副長官 |
2001年7月 | 杉浦正健外務副大臣 |
2001年8月 | 鈴木宗男衆議院外務委筆頭理事 |
2001年9月 | 衆議院憲法調査会議員団 |
2002年1月 | 与党3幹事長一行 |
2002年5月 | 山崎拓自由民主党幹事長一行 |
2002年6月 | 川口順子外務大臣、有馬政府代表(中東和平担当特使) |
2002年8月 | 有馬政府代表(中東和平担当特使) |
2002年11月 | 有馬政府代表(中東和平担当特使) |
2003年3月 | 有馬政府代表(中東和平担当特使) |
2003年4月 | 川口順子外務大臣、有馬政府代表(中東和平担当特使) |
2003年8月 | 有馬政府代表(中東和平担当特使) |
2004年1月 | 有馬政府代表(中東和平担当特使) |
2004年8月 | 有馬政府代表(中東和平担当特使) |
2004年11月 | 川口順子特派大使(総理補佐官:故アラファト議長弔問) |
2004年12月 | 福島啓史郎外務政務官 有馬政府代表(中東和平担当特使) |
2005年1月 | 河井克行外務政務官(パレスチナ大統領選挙監視団団長) 野呂田芳成衆議院議員(日・イスラエル友好議連会長)他一行 町村外務大臣 |
2005年3月 | 有馬政府代表(中東和平担当特使) |
2005年4月 | 岡田克也民主党代表他民主党代表団 中山泰秀衆議院議員他日・イスラエル友好議連一行 |
2005年6月 | 有馬政府代表(中東和平担当特使) |
2005年9月 | 有馬政府代表(中東和平担当特使) |
2005年11月 | 有馬政府代表(中東和平担当特使) |
2006年1月 | 伊藤信太郎外務大臣政務官(パレスチナ立法評議会選挙監視団長) |
2006年2月 | 有馬政府代表(中東和平担当特使) |
2006年5月 | 三浦一水農林水産副大臣 |
2006年7月 | 小泉純一郎総理大臣、鈴木内閣官房副長官、有馬政府代表 |
2006年8月 | 伊藤信太郎外務大臣政務官 |
2006年11月 | 有馬政府代表(中東和平担当特使) |
2006年12月 | 木村隆秀防衛副長官 |
2007年2月 | 有馬政府代表(中東和平担当特使) |
2007年5月 | 小池百合子安全保障担当総理大臣補佐官 |
2007年8月 | 麻生外務大臣、有馬政府代表(中東和平担当特使) |
2008年2月 | 中山外務大臣政務官 |
年月 | 要人名 |
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1985年9月 | シャミール外相 |
1989年2月 | ヘルツォグ大統領(大喪の礼参列) |
1989年11月 | アレンス外相 |
1990年11月 | ヘルツォグ大統領(即位の礼参列) |
1992年12月 | ペレス外相 |
1994年12月 | ラビン首相 |
1997年2〜3月 | レヴィ副首相兼外相 |
1997年4月 | シャランスキー産業貿易大臣 |
1997年8月 | ネタニヤフ首相 ネエマン蔵相 |
1998年5月 | エイタン副首相兼農業相 |
1999年3月 | ティホン・クネセット議長 |
2000年6月 | ベン・エリエゼル通信相(故小渕恵三首相葬儀参列) |
2000年8月 | ペレス地域協力相 |
2001年12月 | シトリート司法相 |
2002年1月 | ハネグビ環境相 |
2002年8月 | リヴリン通信相 |
2003年9月 | シャローム副首相兼外相 |
2004年9月 | ラッサービ・クネセット議員(イスラエル・日本友好議連会長) |
2005年4月 | オルマート副首相兼産業・貿易・労働相 |
2006年2月 | カラディ・イスラエル警察長官 |
2007年1月 | リヴニ筆頭副首相兼外相 |
2007年2月 | フィッシャー・イスラエル中央銀行総裁 アブラモヴィッチ外務次官(第1回外務次官級協議) |
2007年3月 | ヘルメッシュ・イスラエル日本友好議員連盟会長 ペレス副首相兼ネゲブ・ガリラヤ地方開発担当相 |
2007年8月 | アハロノヴィッチ観光相 |
2008年2月 | オルメルト首相 |
2008年7月 | エズラ環境保護相 |
2008年10月 | シトリート内相 |
航空協定(2000年1月)
科学技術協力協定(1995年8月)(2000年7月、更に5年間延長)
文化教育取極(1994年12月)
租税条約(1993年12月)
査証免除取極(1971年)
日本・イスラエル友好議員連盟(1984年2月)
日本・イスラエル商工会議所(1996年6月)
日本・イスラエル親善協会(1965年)