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きっと、だいじょうぶ。:/4 親の役目=西野博之

 毎年この時期の相談で多いのは「学校の行き渋り」「友だちができない」。それにまじって「運動会の心配」というのもある。

 運動会のシーズンになると、体育の家庭教師がはやるのだそうだ。「うちの子が徒競走で一番になれなかったらかわいそう。速く走れるようにしてあげたい。だから家庭教師を頼みます」「正しいフォームを教われば0・5秒は速くなるんだそうです」。思いつめたように母親はいう。

 待てよと私は思う。徒競走で負けるのは、かわいそうなことなのだろうか。

 「できないよりは、できたほうがいい」。この考え方を否定したり笑い飛ばしたりするのは、実はなかなか難しい。「頑張れ。あきらめちゃダメ。勉強でもスポーツでも、いい成績が残せないのは、頑張れない君が悪い」。そう子どもたちに言いながら、親たちは別の言葉におびえている。「頑張らせない親が悪い」

 まじめな親ほど、この呪縛にとらわれる。子どものために良かれと思って、手を尽くしては子どもを励ます。

 この「親の良かれ」が、なかなかのくせもの。頑張らないより頑張ったほうがいいというのは、一見して正論だから、子どもはそのことに反発しにくい。何でも一番を目指して「理想の子ども像」を演じ続けることになる。演じることに疲れると、子どもたちは自分を責める。親の期待に応えられない自分がふがいないと思い、引きこもったり、自分を傷つけたり。

 成功体験だけでは、人は育たない。かわいそうだからと、親が先回りして手を出すと、大事な心が育たない。

 できないことのひとつや二つ、あっていい。悔しかったり、悲しかったり、恥ずかしかったりの感情もたっぷり味わった方がいい。

 80歳に近づいてきた母が、昔を思い出しながら、私の姉のことを語る。「ミエコは運動会のかけっこで、いつも後ろのほうをニコニコ笑いながら走っていたんだよ」。そう語る母の顔はうれしそう。遅いなりに一生懸命、楽しそうに走る姿が、何十年たっても母のまぶたに残っている。

 勝ち負けに執着しないことに美徳を感じるのは、時代遅れなのだろうか。

 できないことをできるようにしてあげることだけが、親のお役目なのではない。その時できないことも引き受けて生きていける力を育てる。気持ちの切り替えができる。前向きにいられるようにする。そんな力をはぐくむのも、大切な親の役割なのだと思う。(NPO法人フリースペースたまりば理事長)=次回は6月6日

毎日新聞 2010年5月23日 東京朝刊

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