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【芸能・社会】

郷ひろみインタビュー連載第3回 すごいパワー感じた「GOLDFINGER’99」

2010年5月25日 紙面から

「GOLDFINGER99年」が大ヒットするも、ニューヨークで武者修行することを決めた。当時の苦悩ぶりを明かす郷ひろみ=東京都内で(石井裕之撮影)

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 「GOLDFINGER99年」をめぐっては、忘れられない事件がありました。(1999年8月に)渋谷の交差点でプロモーションとしてゲリラライブを行ったんですが、大騒ぎになった上、無許可だったため、関係者が道交法違反で書類送検されてしまったんです。

 あの行為自体は本当に反省すべきことだし、二度とあってはいけない。渋谷って街がある種冷めてきているところだと思っていたから、あそこまで熱狂的になるとは想像もしていなかった。

 この曲に、ものすごい力があって、なんだか分からないけど、通り過ぎる人もタクシーの中の人もみんな注目して、車の屋根に上っちゃう人まで出てきて…。あり得ないことでしたね。

 あの曲のデモテープを聴いたとき、すごいパワーを感じました。実は、僕が歌わなければ歌いたいって人がいっぱいいたんですよ。藤井フミヤ君とか。

 ヒットっていうのは、楽曲や歌詞がいいとか、アレンジがいいとか、時代が求めているとか、そういう小さな歯車の組み合わせで大きな歯車が動いて生まれるんです。「GOLDFINGER」は、その一番分かりやすい例ですよね。

 ただ、当時、歌は歌えていたんですけども、納得できない自分がいた。(98年に二谷友里恵と)離婚してから半年ぐらいたって、自分で人生を立て直そうっていうのと、「自分はこの程度でいいのか。もっと違うレベルにいきたい」って思っていた。

 それで、芸能活動をお休みして3年間ニューヨークに行くことにしたんですが、スタッフやファンに対して、いろんな意味での準備期間が必要だった。だから3年後(2002年)って決めました。それを決めた直後に「GOLDFINGER」に出合ったんです。

 その後「GOLDFINGER」がヒットしてどんどん(自分の)状況が良くなっていくんだけれども、(米国に)行くという意思が全く変わらなかった。ただの思い付きじゃなくて、これは本当に強い意思なんだなって思いました。

 ごまかしながら人生を終えていくか。アメリカで自分の納得できるテクニックを手に入れてくるのがいいのか。3年の間に僕は忘れられてしまうかもしれないけど、日本でこのまま続けて駄目になったら後悔しか残らないだろうなって。納得した人生を生きるのは僕らしい。それでアメリカへ行ったんです。

 

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