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【格闘技】

ラッシャー木村さん死去 68歳

2010年5月25日 紙面から

 “金網デスマッチの鬼”の異名で人気を集めたプロレスラーのラッシャー木村さん(本名、木村政雄)が24日午前5時30分、腎不全による誤嚥性(ごえんせい)肺炎のため、都内の病院で亡くなった。68歳だった。

 通夜、告別式は、遺族の意向により親族のみで執り行う。

 木村さんは、1941(昭和16)年6月30日、北海道中川郡生まれ。大相撲・宮城野部屋の幕下で活躍後、64年秋に日本プロレス入門。65年4月2日、高崎山戦でデビュー。その後、東京、国際、新日本、UWF、全日本、ノアと7団体を渡り歩いた。

 国際では70年10月の大阪大会で、ドクター・デスと日本初の金網デスマッチを行った。以来、この試合形式は連戦連勝で、一時はジャイアント馬場、アントニオ猪木と並ぶ日本の3大エースとなった。国際崩壊後の81年9月、アニマル浜口、寺西勇とともに新日本の東京・田園コロシアム大会に殴り込みをかけたが、マイクを持って猪木に宣戦布告する第一声で「みなさん、こんばんは…」と、ほのぼのとしたあいさつをやってのけたお笑い事件は、あまりにも有名。

 84年の全日本移籍後は、ジャイアント馬場との義兄弟タッグや、ぼそぼそとつぶやくマイクパフォーマンスで前座の人気者に。00年にノアの旗揚げに参加したが、03年に脳梗塞(こうそく)で倒れ、入退院を繰り返した。04年7月、東京ドーム大会中のビジョンで引退を表明。ノア選手会の終身名誉会長となった。昨年6月、三沢光晴さんの葬儀に車いすで現れたのが、公の場に顔を見せた最後の姿となった。

 得意技は逆エビ固め、ブルドッキング・ヘッドロック、頭突き、クロスチョップ。全盛時のサイズは185センチ、125キロ。

 

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