三宅氏は何か勘違いしているのではないか。ジャーナリズムにおいて良好な関係を維持すべきは、その関係が社会的にも法的にも健全な場合に限定される。
とりわけ対象が政治権力であるならば、それはなおさらだ。
むしろ関係悪化を恐れるばかりに、結果として「犯罪行為」の片棒を担ぐようなことになることこそ、恐れるべきなのではないのか。
“賄賂”を受け取らないと
世の中が成立しなくなる?
政治評論家の俵孝太郎氏もこう語っている。
〈昔は一定水準以上の記者が退職したら、その後の金銭提供はいくらでもあった。今は問題視されているが、当時はそれが常識だった。(機密費の使途の一つの)情報収集の経費に領収書は取れない。労働組合や新聞社も同じことで、そうした金がなければ、世の中が成り立たなくなる〉(東京新聞)
所詮、テレビで立派なことを言ってきた評論家はこの程度の認識なのだ。機密費という賄賂を受け取らないと「成立しない世の中」とはいったいどんな世の中か。
それこそが記者クラブ制度のぬるま湯の中で権力と一体化し、自らの既得権益を守るために国家・国民を騙して洗脳し続けてきた戦後の日本の「世の中」ではないか。
広辞苑にはこう載っている。
〈ぎ・ごく【疑獄】 俗に、政府高官などが関係した疑いのある大規模な贈収賄事件をいう。「造船―」〉
まさしく公金でもある機密費が、新聞・テレビなどのマスコミ機関に渡ったことは、「政府高官」である官房長官による「大規模な贈収賄事件」そのものではないか。
すべての新聞・テレビは早急に内部調査を始めるべきである。