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この人と飲みたい(第2、4木曜更新) : 古田敦也(野球解説者)<後編>「もう一度、監督をやりたい」
投稿日時: 2010-03-25 11:20:00

二宮: スワローズでの18年間は、リーグ優勝5回、日本一4回。毎年のように主力が他チームへ流出する中での成績ですから、これは立派です。
古田: 当時の野村克也監督が“ID野球”“考える野球”を掲げて、チームに徹底させましたからね。今でこそデータ野球は当たり前ですけど、当時はまだまだ斬新だった。もちろんデータをとってくるだけなら誰でもできるんです。その中から必要なデータをチョイスして、どう生かすか。その準備を通常の練習に加えて、みんなでしっかりやってきたことが好成績につながったと思っています。



 新庄にマニュアルは通用しない

二宮: 野村さんは常に“弱者を勝者にする方法”を考え、策を巡らせてきました。その戦略の一端を教えてください。
古田: 野球は1点差でも勝ちは勝ちですし、逆に10点差で負けてもただの1敗です。戦力差がある相手でも、接戦に持ち込めば1点差で勝てるチャンスは出てくる。まず試合ではそこに集中していましたね。
 そして強者には必ずスキがある。「普通にやったら勝てる」と思っていますから、たとえばクセに無頓着だったりするんです。それを見抜いて予測できればヒットの確率も上がってきます。ひとつはキャッチャーの配球にパターンがあることもありますし、ピッチャーの性格から傾向がみえてくるかもしれない。そして、ボールの握りやフォームにクセが出るケースもある。少なくとも3箇所で予測のヒントが落ちているんですね。

二宮: なるほど。そこを狙うわけですか。
古田: 具体例を挙げると、ピッチャーがベテランで、キャッチャーが若手だとします。キャッチャーのサインにピッチャーが首を振ると、たいていは投げる球種が変わる。ピッチャーはピンチになると得意なボールで勝負したがるタイプが多いですから、キャッチャーはそれを見越して、なるべく違う球を投げさせたいんです。それでも「イヤだ」と首を振られたら、若いキャッチャーでは先輩ピッチャーの意思を尊重してしまう。こうなったら、バッターとしては予測しやすいですよね。当然、すべてがうまくいくわけではないですけど、最後はイチかバチが勝負しないと弱者は勝てませんから。

二宮: バッティングだけでなく、古田さんはマスクをかぶっていても、バッターのしぐさや、見逃した時の体重のかけ方、相手ベンチの動きまで、常にキョロキョロしながらヒントを探していましたね。
古田: 勝負においては、お互いにベストパフォーマンスを出して戦う方法と、相手の出方に対応して長所を消す方法と、大きく分けて2つのやり方があります。僕がやっていたのは後者です。そのためには相手の変化に敏感でなくてはいけない。
 とはいえ、バッターの顔を見ていても何もわからないことも多いですよ。ただ、周囲が「アイツはよく見ているな」となると、バッターが勝手に意識してくれる。「次はどんなことをやってくるかな」と考えてくれているうちに、次のボールを投げればいい(笑)。

二宮: キョロキョロする動作には、単なる観察のみならず、そんな心理的な効果もあるんですね。
古田: 一般的にバッターは、前の打席で空振りや凡打したボールで打ち取られるのはイヤなもの。だから、その球種を待つ傾向があります。特にプロの選手はプライドが高いですからね。こちらとしては、それを逆に利用する。1打席目に真っすぐで詰まらせて、2打席目は同じ球を使わずに変化球で泳がせれば、バッターは「次は何を待てばいいだろう?」と勝手に混乱してくれます。そうなればこっちの思うツボです。
 ところが、新庄(剛志)なんかにこの攻めは通用しない。彼は1球目、2球目とカーブを思い切り空振りして、「さすがに今度はカーブを狙ってくるやろ」と真っすぐを要求したら、バコーンとホームランを打つ。「どこまで、真っすぐ待っとんねん(笑)」と思うくらい、狙い球を変えない。こういうマニュアル外の人間をチェックしておくことも大切です。

 優勝は最高の瞬間

二宮: 他球団と比べれば、ピッチャーの層も決して厚くない中、リードには苦心したと思います。ピッチャーの長所を引き出す上で大切なことは?
古田: いいボールを投げるんだけど、試合では結果が出ないピッチャーがいますよね。いわゆるブルペンエース。そんなあるピッチャーがブルペンでこんなことを言いました。「古田さん、僕は19カ所チェックすれば、いいボールが行くことがわかりました」って。つまり、彼は細かいことを気にしすぎて、うまくいかないタイプだったんです。

二宮: そのピッチャーはもしかして私と同郷……。
古田: まぁ、具体名は差し控えましょう(苦笑)。そんな彼が、ある試合で急にストライクが入らなくなったことがありました。マウンドに行って、僕はこう言ったんです。「オマエ、左肩が2センチ開いているぞ」と。すると、今度は見違えるようにストライクがバンバン入るようになった。ベンチに帰るなり、「古田さん、ありがとうございます。僕の肩が2センチ開いていたのに気づくなんて、さすがです」と彼は感謝していましたね。でも、常識的に考えて、2センチの開きなんて見えるわけがない(笑)。僕はとりあえず言ってみただけなんですよ。

二宮: つまり細かいことを気にする性格だけに「2センチ」という具体的な数字が心理的に効いたわけですね。
古田: そうです。こちらとしてはダメ元で言ったことが、たまたまハマっただけ(苦笑)。今、彼はピッチングコーチをしていますけど、きっちりしている人間なので、指導者としては向いていると思いますよ。

二宮: そういった苦労の末に優勝した時の喜びは格別でしょう。
古田: 極端なことを言うと、僕らは優勝した時のビールかけのために1年間、頑張っているようなものですから。いい年した大人が、あんなにはしゃげる瞬間なんて、ビールかけ以外にない。最高の瞬間ですよ。

二宮: 一般企業で売上がトップになったからといってビールかけをするわけではない。これもプロ野球選手の特権ですね。
古田: ところがスワローズは決して裕福ではないので、ビールの本数が少なかった。ものの5分、10分で終わってしまう。この時ばかりは、マジで球団にクレームをつけましたね(笑)。

二宮: その後、本数は増えましたか?
古田: 日本シリーズで勝った時に、ちょっとだけ増えました(苦笑)。それでもあっという間に終わってしまうので、僕らはプールに飛び込んでいましたよ。

 監督2年間の反省点

二宮: 現在はフリーで野球をネット裏から見る立場になって、ユニホームを着ていた頃と見方に変化は出てきましたか?
古田: 変な言い方かもしれませんが、今は落ち着いて野球を見られますね。特にベテランになって、監督も務めるようになると、スタッフも含めて選手起用や作戦面で最善を尽くそうと一生懸命考えますよね。それでも勝ったり負けたりですから、うまく行かなかった時の落胆は大きい。自分が選手であれば「野球なんて、いつも勝たれへんわ」って、まだ切り替えられるんですけど、監督となるとそうはいかない。敗因をしっかり探さなくてはいけないし、その改善策も求められる。突き詰めれば突き詰めるほど、疲れるし、どうすればいいかわからなくなってしまうジレンマにも陥っていました。

二宮: やはり監督業は激務だったと?
古田: 毎日が必死でしたね。常にピリピリしていて、胃が痛くなるってよく言いますけど、本当にそんな感じでした。引退してから胃カメラを飲んだら、胃が真っ白に変色して荒れていましたよ。主治医からは「これは痛かったでしょう」と言われました。

二宮: 2年間、選手兼任で監督を務めましたが、今振り返ってみての反省点はありますか?
古田: スワローズの場合、若い選手も多くて、戦力的に他より劣るチームですから、僕としては選手たちに技術面でも精神面でも自立してほしかったんです。だから、彼らの自主性に任せた部分も多かった。だけど、強制というと言葉は悪いかもしれませんが、もう少しガンガン言っても良かったかなとは思っています。

二宮: つまり、選手を大人扱いしすぎたと?
古田: えぇ。それに大人であっても、強制したほうがいいこともあるんですよ。これは去年、初めてフルマラソンに挑戦した時に感じたんです。最初に目標タイムを設定して、コーチから練習メニューをもらって走っていたのですが、いざ一緒にトレーニングをすると、めちゃくちゃ厳しい。「ほら、もっとスピードあげて」とか、コーチがいろいろ言ってくる。初めは正直、「もう40歳超えてんのにムリムリ」と思いましたよ。でも「そんなの関係ない。行ける!」と言われて、頑張ると意外にクリアできた。だから大人であっても、ある程度、強制的にやることも大切だなと思えるようになったんですよ。

二宮: 潜在能力を引き出すためには、いくつになっても、ある程度のムチは必要だと?
古田: 僕らは中学、高校、大学とすごく封建的で厳しい環境の中、野球をやってきました。それでプロになったのに、またあれこれ言われるのは立場的にどうかなという気持ちがあったんです。一方で程度の問題はあるにせよ、強制されてでもやってみると、達成感、満足度が高まるケースもあるんですよね。

二宮: 古田さんはプレーイングマネジャーとして失敗したという意見が多いですが、私はそうは見ていません。なぜなら、若松勉監督時代からピッチャー交代のタイミングは、古田さんに任されていた部分が大きかった。実質的なプレーイングマネジャーだったと言っていいでしょう。
古田: いやいや。確かにピッチャーに関しては、よく意見を求められていました。ただ、チーム全体を見る視点は実際に監督になってみないと養えない。スワローズの場合、レギュラー争いといっても、ジャイアンツのそれとは質が違う。スワローズは選手層が薄いので「ひとつ(ポジションが)空いているからガンバレよ」と、まだこれからの選手にもチャンスを与えなくてはいけない。そうなると、たとえば足は速い、バッティングもいいけど、ちょっと抜けているようなヤツでも将来性があれば使っていきますよね。反面、実際にジャイアンツのようなチームに勝っていくには、いくら若手でも結果が出ない人間を使い続けるわけにもいかない。このあたりの「どちらが少しでもベターなのか」という選択は非常に悩みましたね。

二宮: その点、古田さんは難しい時期に指揮を執りましたよね。普通、1軍の監督は戦力がある程度、整った中で、それをどう生かすかが問われる仕事です。ところが、古田さんの場合は選手育成もしなくてはいけなかった。となると選手が伸びるまで2、3年は犠牲にする部分も出てきます。何より1軍は結果が求められる場所。育成や戦力補強は本来、フロントの仕事です。本音としてはそんな余裕はないと言いたかったのでは?
古田: でも、ちょうど僕も含めて90年代の主力選手がベテランになってきて、世代交代の時期に入っていましたから、どちらにしてもチームを変えなくてはいけなかったんですよ。なので、できる限り若手を使いつつ、少しでも勝てるように試行錯誤してきたつもりです。まぁ、1年目はまだしも2年目がダメだったので、あまり大きなことは言えませんが。

二宮: かつて山本浩二さんが最初に広島の監督を辞めた際に、「また明日から監督をやりたくなった」と発言していたのが非常に印象に残っています。古田さんの現在の心境は?
古田: 2年間、監督をやらせていただいたことは自分にとって大きな経験です。反省点も多々ありますし、ユニホームを脱いで、いろいろな場所に行って、いろいろな人に出会う間に見えてきたこともたくさんあります。どの球団であってもチャンスをいただければ、またチャレンジしてみたいですね。

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<古田敦也(ふるた・あつや)プロフィール>
1965年8月6日、兵庫県出身。川西明峰高、立命館大を経て、トヨタ自動車時代は日本代表としてソウル五輪に出場。銀メダルを獲得する。90年にドラフト2位でヤクルトに入団。91年には捕手としてリーグ初の首位打者を獲得。92年にはチームの14年ぶりリーグ制覇に貢献する。その後も扇の要としてチームを牽引し、計5度のリーグ優勝、4度の日本一に輝いた。06年からは選手兼任で監督に就任。07年限りで現役を引退した。またプロ野球選手会長として、04年の球界再編騒動の際にはストライキを決行。球界縮小の動きを阻止した。現役時代の通算成績は2008試合、2097安打、217本塁打、1009打点、打率.294。MVP2回、ベストナイン9回、ゴールデングラブ賞10回。近著『フルタの方程式』(朝日新聞出版)、『「優柔決断」のすすめ』(PHP新書)が好評発売中。
>>オフィシャルブログはこちら


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(構成:石田洋之)


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