意図はよくわかります。前提である、「感謝を知ること」が大事なことであることも言うまでもありません。「通りいっぺんの無難な研修では学生気分から脱却させることはできない」という会社側(社長)の思いも、理解できなくはありません。
しかし、怒鳴り上げ、精神的に追い詰めることでしか、学生気分から脱却させることはできないのでしょうか?最後に感激して涙を流すと言いますが、本当に感激の涙なのでしょうか?苦役から開放された感激で泣いてしまう新入社員もいそうです。
研修後、新人たちから本音のフィードバックはあるでしょうか?おそらく、彼らが「本当に感じたこと」は、会社側に伝わることはないでしょう。なぜなら、恐怖感に支配されて研修を終えているでしょうから。
この研修を、確信をもって導入している会社側には、洗脳と教育とは全く別物である、などということは、いくら説明しても理解できないでしょう。
怒号や恐怖や圧力によらない
“通過儀礼”はありうる
社会人生活のスタートにあたって、「通過儀礼」が大事であることを前回、述べました。学生からの意識転換はもちろん必要です。
また、接客マナーなど、「型にはめる」研修も目的によっては必要です。それは、個人の解釈の余地の少ない、身につけなければならない事柄ですから。基本的な業務知識も、そうかもしれません。
しかし、そのようなものを除けば、私は新入社員であっても「自分で考える」トレーニングこそが、よりよく効率的に人を育てる手法であると思っています。
前回ご紹介したダイアローグの手法による「仕事への心構え」研修では、一方的に話しを聞かせる研修にはない真剣な参画があり、また、「自分たちで解を見出す能力」が彼らに備わっていることがわかりました。
この会社の場合、出身校で判断する限り、母集団が抜きん出て優秀だったとは思いません。それでも「なぜ給料をもらえるのか」というテーマについて、かなり多角的な対話がありました。