きょうのコラム「時鐘」 2010年5月25日

 沖縄再訪から帰った鳩山首相が次のような発言をした。コロコロと中身が変わるのはいつものことだが、これもまた言行録に残る一言である

移設先が辺野古に戻って「お願いせざるをえない」と陳謝したのに、一夜明けると「辺野古案は現行案ではない」と言う。場所は同じでも自民党政権の計画と違うという。これはもう理解の範囲を超えてしまっている

「最低でも県外」の言葉も消えた。いつのまにか「できれば沖縄県外にしたかった」との意味にすり替わっている。「最低でも県外」から「できれば県外」と表現をかえた一見無定見な言葉の中に、恥ずかし気もなく自分が努力をしたことを押し込んでいる

「常識ではとても理解できないような精神の持ち主が、国中が冷静さを欠いた状態にあるときには出てくるものである」。司馬遼太郎氏が、昭和初期の軍部台頭を許した時代を評した言葉である。そんな状況を生み出したのは、政治家なのか国民なのか、後の歴史は問うのである

平成の政権交代も「国中が冷静さを欠いた状態」だったのか。胸に手を当てて考えてみたいことである。