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昭和のプロレスを代表する名プロレスラー、ラッシャー木村(本名・木村政雄)さんが24日午前5時30分ごろ、腎不全による誤嚥性(ごえんせい)肺炎のため都内の病院で死去した。68歳だった。木村さんは大相撲から1964年にプロレス界入り。39年間で7団体を渡り歩き、ユニークなマイクパフォーマンスでも人気を博した。通夜、告別式は親族のみで執り行われる。訃報(ふほう)を発表したプロレスリング・ノアでは25日の富山大会で10カウントの追悼ゴングを鳴らす。
昭和プロレス史を彩ったラッシャーさんが、天国へ旅立った。関係者によると、ラッシャーさんは内臓疾患で04年から都内の病院で闘病生活を送っていたが、この日早朝、家族に見守られながら息を引き取ったという。
現役ラストファイトとなったのは03年3月1日のノア・日本武道館大会。このころから入退院を繰り返し、04年7月のノアの東京ドーム大会では体調不良を理由に現役引退を表明。ビデオレターで登場し「ごきげんよう。さようなら」の言葉を最後に姿を消していた。
トレードマークは、黒タイツ、角刈り、口回りの泥棒ひげ。ラッシャーさんは大相撲の宮城野部屋に入門し、初土俵は58年3月場所。「木ノ村」のしこ名で、最高位は幕下20枚目だった。64年9月場所後に部屋から脱走して廃業。力道山率いる日本プロレスに入団し、65年4月にプロレスデビューした後は国際、新日本、全日本など7団体を渡り歩いた。最後に在籍したのは故・三沢光晴さんが旗揚げしたプロレスリング・ノアだった。
国際プロレスでエースの看板を背負っていた70年には日本初の金網デスマッチに出場。「金網の鬼」の異名を取ったが、ファンの記憶に色濃く残るのが、巡業先で地元の特産品、時事ネタなどバリエーション豊かな話題のマイクパフォーマンス。全日本プロレスのリングでは、兄弟のちぎりをかわす「ファミリー軍団」(馬場・木村・百田光雄)として、「悪役商会」(永源遙・大熊元司・渕正信・マイティ井上)に対抗。馬場さんを「アニキーッ!」と呼ぶのが定番だった。有名なラッシャー語録の中では「(永源に)最近なんか元気だと思ったら、コノヤローっ! やっぱり、ジャイアントコーン食べてるだろ」などがある。
通夜・告別式は親族の意向で親族のみで執り行われる。
◆ラッシャー木村(本名・木村政雄)1941年6月30日、北海道・中川町生まれ。64年の大相撲廃業後、日本プロレス入団。以降は東京―国際―はぐれ国際軍団(新日本)―第1次UWF―全日本―ノアと7団体を渡り歩いた。得意技はラッシング・ラリアット、永源遙のつば吐きのアシストなど。03年にプロレスリング・ノア終身名誉選手会長に。185センチ、125キロ(ノア発表)。
(2010年5月25日06時02分 スポーツ報知)
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