サイエンス

文字サイズ変更
はてなブックマークに登録
Yahoo!ブックマークに登録
Buzzurlブックマークに登録
livedoor Clipに登録
この記事を印刷

技術遺産を歩く:噴水型ジュース自販機(1962年)

 ◇試行錯誤で実現、冷たく甘い夢 「街のオアシス」ブームをけん引

 幼いころの楽しみは、年に何度かデパートに連れて行ってもらうことだった。一張羅を着て、屋上で飲んだ自動販売機のジュース。冷たく甘いオレンジ色の噴水がガラスの容器を満たす様子は夢のようだった。今も保存されているという「夢の機械」に会いに行った。【元村有希子、43歳】

 ■いつでも冷たく

 販売機の名前は「オアシス」。「街のオアシス」のコピーで、当時流行していた「粉末ジュース」ブームをけん引しただけでなく、冷却装置を組み込んだ自販機のさきがけだった。製造したのは業務用厨房(ちゅうぼう)機器大手のホシザキ電機(愛知県豊明市、当時は星崎電機)。それは本社の記念館に保管されていた。

 白い本体にヤシの木と「Oasis」の涼しげなロゴ。カラフルなテントが愛らしい。残念ながら今は動かせず、現存するのもこの1台だけという。「1947年の創業以来10年で初のヒット商品でした」。坂本精志(せいし)社長(73)が目を細めた。

 きっかけは、坂本さんの父親で創業者の薫俊(しげとし)さん(03年死去)が55年、視察で訪れた米国で流行していたウオータークーラーだった。当時は冷蔵庫すら珍しかった日本。「冷たい水がいつでも飲める、これは受ける」と直感し、取り寄せて研究を重ねた。57年、地元名古屋の経済界の集まりで、水の代わりにジュースを入れて振る舞ったところ「これを自動販売機にしたら」とアドバイスされた。

 披露の場に選んだ「名古屋まつり」まで2週間。技術者たちは徹夜を重ね、10円玉を入れると冷たいジュースが紙コップ1杯分出るよう改良した。

 ■水洗トイレ参考に

 最も苦労したのは(1)硬貨を認識して(2)定量を注ぐ、という基本的な仕組み。レバーを押す間は出続けるウオータークーラーとはそこが異なる。試行錯誤のさなか、薫俊さんがアイデアを出した。「水洗トイレを参考にしては」

 水洗トイレは常にタンクに水をためておき、レバーをひねると一定量の水が出る。この原理を応用し「傾転式定量機構」という方式を編み出した。

 本体内のタンクではジュースが冷やされ、常に循環している。一部はガラスの透明容器を噴水で満たし、タンクに戻る。その途中に設けた、ジュースで満タンの「ます」を、投入されたコインがスイッチとなって傾ける。1杯分がコップに注がれ、空になったますは元に戻る--という仕組みだ。傾きを変えることで量の調節もできた。同社はこれで特許を取得。その後相次いだ模造品対策にも活躍した。

 技術者同様、利用者の多くも自販機は初体験だった。「お金は入れてコップを置き忘れる人が相次いだ」(坂本さん)。社員がつきっきりで使い方を教えた。装置を傾けてジュースを多くつごうとしたり、10円玉の代わりに1円玉を使ういたずらも多かった。

 改良を重ねた62年の製品が「オアシス」。名前もヤシのイラストも薫俊さんの発案。爆発的に売れた。

 ■前例なしの挑戦

 入社してすぐ自販機開発に携わった佐野信義さん(73)=豊明市=は「すべて前例なしの挑戦でした。生まれて初めて東京に行ったのも、オアシスを上野のデパートに納めるのに同行した時。どこでも皆に喜ばれ、技術者冥利に尽きました」と振り返る。

 「当時は自販機の石器時代、わが社の技術も縄文時代」と、生前の薫俊さんは社史で語っている。1日1台だった生産能力は年間6000台近くまで向上した。しかし、同じ年に導入された「コカ・コーラ」の自販機(1本35円)の人気と翌63年の冷夏があいまって、オアシスを買ってくれていたジュースメーカーが相次ぎ倒産。同社は危機に陥る。

 再起に奮闘していた坂本さんは、ある米国人から「社会が豊かになれば、人々は紙と水と氷に金を使うようになる」と言われたのを機に製氷機開発に取り組み、それが危機を救った。製氷機は今も同社の主力商品だ。

 「自分の頭で考えたオリジナルなものがいちばん値打ちがある。それを忘れなかった父の信念は受け継いでいます」と坂本さんは言う。

   ◆  ◆

 日本の発展を支え、私たちの暮らしを変えた科学技術の成果を「遺産」として登録し、引き継ごうとする動きが盛んです。各地の遺産と、それを生み出した人たちを記者が訪ねます。=随時掲載

 ◇国内に522万台 治安の良さと高品質で普及

 日本自動販売機工業会(東京都港区)によると、国内の自動販売機は09年末現在、約522万台(両替機やコインロッカーなどの自動サービス機含む)。売り上げは、たばこの成人識別により減少傾向だが、約5兆2600億円に上る。人口当たりの稼働台数では米国をしのぐ「自販機大国」だ。

 同工業会の黒崎貴・専務理事は「普及のかぎは治安の良さだった」という。屋外でも破壊や盗難の心配が少ない日本は設置に向いていた。高度成長期、人手不足を自販機で補う側面もあった。

 急速に普及したのは67年以降。この年、100円玉が銀貨から白銅貨に切り替わり、大量に出回った。旧国鉄が自動券売機を本格導入し、中高年にも利用が広がった。「最大の功労者は国産自販機の高い品質」と黒崎さん。故障や釣り銭切れが少ないことで信頼が高まり、利用者増が自販機産業を支えた。

 現在、国内の自販機の約半数が飲料だ。熱い缶コーヒーと冷たい炭酸飲料を同時に販売できるのも日本独自の技術。最近は省電力への取り組みも進む。

 通信機能を備えた最新機器は、現金なしで商品を買えたり、ニュースを電光掲示板で流せる。飲料用自販機の4割を占める日本コカ・コーラは、災害時に自販機内の飲料を無料で提供する支援を始めており、04年の新潟県中越地震では約1000本を提供した。

==============

 ■あのころ

 ◇1962年

 【事件・事故】サリドマイド薬害で日本も販売停止・回収【国際情勢】キューバ危機【スポーツ】王貞治選手が初めて一本足打法で本塁打【流行語】無責任時代、交通戦争、回転レシーブ、あたりまえだのクラッカー【芸能】マリリン・モンロー謎の死、美空ひばりと小林旭が挙式【科学】DNAの二重らせん構造解明にノーベル医学生理学賞=「20世紀年表」(毎日新聞社)より抜粋

毎日新聞 2010年5月25日 東京朝刊

PR情報

サイエンス アーカイブ一覧

 

おすすめ情報

注目ブランド