【連載企画】激震口蹄疫・川南町の叫び(2)

(2010年5月14日付)

■殺処分の現場/「なぜこんなことに」 無力感、黙々と作業

 殺処分され、横たわる生後間もない子豚に手を当てた。体温を感じる。傷一つない。そして心臓の鼓動も。口蹄疫に感染した疑いのある豚が見つかった農場の男性従業員は「なぜこんなことに」と疲れ切ったように惨状を語った。

 別の養豚農場の60代男性が異常に気付いたのは早朝だった。懐中電灯で照らした豚の口の回りには赤い発疹(ほっしん)があった。ウイルスの侵入におびえながら、1日4回の消毒を繰り返してきた。「これだけ抵抗しても、周囲より何日か(発症が)延びただけ」と無力感を口にする。

 埋却地が決まり、殺処分を待つ豚舎では抵抗力のない子豚が死に、それに気付かないのか、乳の張った母豚が腹を突き出していた。男性は「ウイルスの製造工場のようだった。こんな形で豚の命を絶たんといかん気持ち、理解してもらえないでしょう」と、とつとつと話す。

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 「地獄絵図よ」。ある役場職員の脳裏には、農家の悲痛な表情と牛や豚が息絶えていく瞬間が焼き付く。それでも、作業の手を休めることは許されない。「慣れてはいけないはずの作業に慣れてしまった」と声を絞り出す。

 「日ごとに農家の気力が奪われている。国は川南を小さな点にしか見ていない」。5月から防疫作業に加わった50代の獣医師は、人ごとのような国の姿勢に憤りを隠さない。

 家畜を助けたくて選んだ仕事。今は、仲間数人とチームを組んで、朝から夕方まで黙々と殺処分を続ける。「たまんないですよ」と声を詰まらせる。作業後のシャワー設備が整っていないことにも疑問を抱く。「せめてわれわれ防疫員がウイルスを運ぶ心配をしなくていい作業環境を整えてほしい」と切望する。

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 今月上旬、感染疑いの豚が見つかった養豚農場の40代男性は、殺処分を待ちながら畜舎と豚の消毒を続けてきた。午前6時半に起きて餌を与え、合間を見て消毒を繰り返す。感染前と変わらない作業。ただ、豚だけが死んでいった。ウイルスを運ぶ可能性を考え、外出を自粛した。男性は「まるで犯罪者のような気持ちだった」と自嘲(じちょう)気味に笑う。家族以外との接点の少なさ、乏しい情報が孤立感を深めている。

 宮崎大農学部の学生有志が12日、国へ支援策の拡充を求める署名と募金活動を学内で始めた。大声で協力を呼び掛け、多くの学生がこれに応じている。発起人で同学部3年の中村陽芳(はるか)さん(20)は「被害農家の人たちに、一人じゃないと伝えたかった」と思いを明かす。「本当は現場で役に立ちたい。ただ、行けばまん延のリスクも高くなる」。歯がゆい思いをかみしめながら、今日も声を上げる。

【写真】殺処分された家畜の埋却現場は、戦場のような雰囲気が漂う。想像を絶する被害の拡大に関係者の心身の疲労は限界に近づいている(町役場提供)