2010年05月21日
綱渡りの日々
ずっと体調がよくない日が続いて、ブログを開く気力もなかった。3月末まで治療が順調に進み、痛み止めの薬を飲むのをやめていたのだが、ここ数日は痛みが出てしまい、しかたなくまた痛み止めの薬を飲んでいる。イスに座っているのが苦痛で、原稿を書くことができない日もあった。
いまの状況をたとえると……。いつ地雷を踏むかもしれない、という恐怖ではない。地雷を踏みさえしなければ安全だからだ。そうではなく、時限爆弾を抱えて綱渡りをしている、という心境に近い。進むべき道は見えているので、落ちずに渡り切ればいいのだが、原稿には「締切」という目標地点があるため、細い綱の上を全力疾走しようとしてもがいている……という感じだ。
がんだと宣告されてから、ちょうど半年が過ぎた。いまだに、すべてが悪夢ではないか、と思うことがある。でも、毎朝目が覚めたとき、これは夢ではなく現実なのだ、と思い知らされる。1カ月後、2カ月後はどうなっているのか。この調子では、秋に予定している講演なども無理ではないのか、と弱気になってしまう。病状が安定していないので、あちこちに迷惑をかけることになりそうで、いまはそれが心配でならない。
いまの状況をたとえると……。いつ地雷を踏むかもしれない、という恐怖ではない。地雷を踏みさえしなければ安全だからだ。そうではなく、時限爆弾を抱えて綱渡りをしている、という心境に近い。進むべき道は見えているので、落ちずに渡り切ればいいのだが、原稿には「締切」という目標地点があるため、細い綱の上を全力疾走しようとしてもがいている……という感じだ。
がんだと宣告されてから、ちょうど半年が過ぎた。いまだに、すべてが悪夢ではないか、と思うことがある。でも、毎朝目が覚めたとき、これは夢ではなく現実なのだ、と思い知らされる。1カ月後、2カ月後はどうなっているのか。この調子では、秋に予定している講演なども無理ではないのか、と弱気になってしまう。病状が安定していないので、あちこちに迷惑をかけることになりそうで、いまはそれが心配でならない。
2010年05月13日
頑固者
ここに闘病記を書くと、いろいろな人に心配をかけることになってしまうようで、それも気がとがめてしまう。どうか皆様、あまり気にせず、読み飛ばしてくださいますように。
だが、私にとっていま最も切実なのはがんとの闘病なので、それ以外のことを書こうとすると、月に1回くらいのペースになってしまいそうだし……。友人にあまり電話でグチをこぼして迷惑をかけたくないので、その代わりに、このブログでグチをこぼしているわけだ。前回の検査で、腫瘍マーカーの数値が急に上がり、がんの状態が悪くなったらしいのに、頼みの綱である抗がん剤治療は中止、というダブルパンチ。その上、体調もあまりすぐれないときては、さすがに楽観的な気分になれずにいる。
そのなかで、来月下旬に工作舎から刊行される『古書の森逍遥』の関係で、いろいろなことが同時に進行している。工作舎のHPのこちらのページに、本の案内も掲載された。イベントについても、まもなく詳細をお知らせできると思う。一方、秋に出す予定の堺利彦の「売文社」を中心とした評伝は、いま原稿に手を入れているところで、これも今月下旬までにはなんとかしたい。それ以外には新聞の書評を書いているだけなのだが、毎日、時間が足りなくて焦る一方だ。
この状況が無理をしている、といわれてしまうのであれば、無理でもやるだけだ。だいたい、昔スポーツ選手だったので、無理は当然、と思っているところがある。身体の具合が悪くて、いま思えば、がんが原因だったのに、我慢してずっと仕事をやめなかったのもそのせいだろう。胃潰瘍程度に考えていたのが、まさか、膵臓がんでステージ4まで悪化していたとはショックだったが……。
それだけ身体をはって、長い間書き続けてきた原稿だけに、いまは安静にして書くのを中止したほうがいい、と言われたとしても、それはどうしてもできない。我ながら相変わらずの頑固者で、無茶苦茶なことを言っている、と思いながら、深夜、ベッドのなかでそんなことをずっと考え続けているのだった。
だが、私にとっていま最も切実なのはがんとの闘病なので、それ以外のことを書こうとすると、月に1回くらいのペースになってしまいそうだし……。友人にあまり電話でグチをこぼして迷惑をかけたくないので、その代わりに、このブログでグチをこぼしているわけだ。前回の検査で、腫瘍マーカーの数値が急に上がり、がんの状態が悪くなったらしいのに、頼みの綱である抗がん剤治療は中止、というダブルパンチ。その上、体調もあまりすぐれないときては、さすがに楽観的な気分になれずにいる。
そのなかで、来月下旬に工作舎から刊行される『古書の森逍遥』の関係で、いろいろなことが同時に進行している。工作舎のHPのこちらのページに、本の案内も掲載された。イベントについても、まもなく詳細をお知らせできると思う。一方、秋に出す予定の堺利彦の「売文社」を中心とした評伝は、いま原稿に手を入れているところで、これも今月下旬までにはなんとかしたい。それ以外には新聞の書評を書いているだけなのだが、毎日、時間が足りなくて焦る一方だ。
この状況が無理をしている、といわれてしまうのであれば、無理でもやるだけだ。だいたい、昔スポーツ選手だったので、無理は当然、と思っているところがある。身体の具合が悪くて、いま思えば、がんが原因だったのに、我慢してずっと仕事をやめなかったのもそのせいだろう。胃潰瘍程度に考えていたのが、まさか、膵臓がんでステージ4まで悪化していたとはショックだったが……。
それだけ身体をはって、長い間書き続けてきた原稿だけに、いまは安静にして書くのを中止したほうがいい、と言われたとしても、それはどうしてもできない。我ながら相変わらずの頑固者で、無茶苦茶なことを言っている、と思いながら、深夜、ベッドのなかでそんなことをずっと考え続けているのだった。
2010年05月11日
予想外のこと
やらなければならないことが山積みだが、今日は抗がん剤治療の日。連休明けは混むと聞いて、朝8時に病院へ着いたものの、すでに受付機の前は長蛇の列で、受付番号は123番だった。私より早く来た人が122人いた、ということである。
昨夜から今日にかけて背中に痛みがあって、何となく嫌な予感はしていたのだが、血液検査の結果、白血球が異常値で、今日の抗がん剤投与は中止になってしまった。この5カ月で、中止になったのは初めてである。せっかく病院まで行ったのに、とぼとぼと帰宅する。
抗がん剤を投与し続けると副作用で白血球の数値が下がり、それがあるレベル以下になると、抗がん剤投与は中止になる。だが、今日の結果はそうではなく、白血球の数値が異常に高かったのだ。風邪をひいていないか? どこか炎症を起こしていないか? 熱はないか? などいろいろ聞かれたが、思い当たることはない。
ただし、先月中旬から急に奥歯が腫れて痛み出したので、歯科医院に通っていた。そのことを主治医に伝えると、口調が変わった。歯の治療と抗がん剤治療を並行して行うのは危険な場合があり、もっと強い抗がん剤だと、心臓に影響が出て心不全で死ぬ(!)ことさえあるという。そんな……。
ともかく、歯の治療を早く終えなければ、がんが治療できないことはわかった。それにしても、前回の腫瘍マーカーの数値が悪化したのは、歯が腫れたことの影響だったのだろうか。そして、いま背中が痛いのは、白血球の数値が異常に上がったせいなのだろうか……。不安ばかりが募る。
主治医は、次回のCT検査で画像チェックをしなければ、判断できないという。自分の身体でありながら、自分ではどうにも状態が把握できないのがもどかしい。新刊が出るまで、あと1カ月と少しだというのに。
昨夜から今日にかけて背中に痛みがあって、何となく嫌な予感はしていたのだが、血液検査の結果、白血球が異常値で、今日の抗がん剤投与は中止になってしまった。この5カ月で、中止になったのは初めてである。せっかく病院まで行ったのに、とぼとぼと帰宅する。
抗がん剤を投与し続けると副作用で白血球の数値が下がり、それがあるレベル以下になると、抗がん剤投与は中止になる。だが、今日の結果はそうではなく、白血球の数値が異常に高かったのだ。風邪をひいていないか? どこか炎症を起こしていないか? 熱はないか? などいろいろ聞かれたが、思い当たることはない。
ただし、先月中旬から急に奥歯が腫れて痛み出したので、歯科医院に通っていた。そのことを主治医に伝えると、口調が変わった。歯の治療と抗がん剤治療を並行して行うのは危険な場合があり、もっと強い抗がん剤だと、心臓に影響が出て心不全で死ぬ(!)ことさえあるという。そんな……。
ともかく、歯の治療を早く終えなければ、がんが治療できないことはわかった。それにしても、前回の腫瘍マーカーの数値が悪化したのは、歯が腫れたことの影響だったのだろうか。そして、いま背中が痛いのは、白血球の数値が異常に上がったせいなのだろうか……。不安ばかりが募る。
主治医は、次回のCT検査で画像チェックをしなければ、判断できないという。自分の身体でありながら、自分ではどうにも状態が把握できないのがもどかしい。新刊が出るまで、あと1カ月と少しだというのに。
2010年05月05日
『古書の森逍遥』の新しい表紙
6月刊行の『古書の森逍遥』の表紙が決定した。前に紹介したのは、デザインパターン集に載っている図案を使って制作したものだが、その後、似たイメージの明治の雑誌の表紙を探してみた。そのうちの1つが使えそうだということで、工作舎のデザイナーのかたが新しい表紙をつくってくださった。
実際に百年以上前に刊行された雑誌の表紙を加工したのだが、古くさいどころか、現代のデザインだといわれても信じてしまいそうだ。明治の雑誌をよく見ている人なら、きっと元になった雑誌の題号を言い当てられるだろう。写真は帯なしの状態。
刊行時期は、6月中旬に見本が出て、20日ごろから書店に並ぶことになりそうだ。実は、この本の刊行に合わせて、6月20日(日)から26日(土)までの1週間、東京古書会館の2階で展示会を開催させていただくことになった。私が蒐集した雑書のなかから、村井弦斎と国木田独歩に関連するものを中心に、日露戦争前後の時期の古書と雑誌を展示する予定。
会場ではこの本を販売し、ご希望のかたにはサインもします。会期中、何日かは会場にいるつもりなので、見に来ていただければうれしいです。くわしいことが決まったらブログにアップします。まだ、展示する予定のものを積み上げただけなので、これからキャプションをつけたり、いろいろ準備に追われることに……。
実際に百年以上前に刊行された雑誌の表紙を加工したのだが、古くさいどころか、現代のデザインだといわれても信じてしまいそうだ。明治の雑誌をよく見ている人なら、きっと元になった雑誌の題号を言い当てられるだろう。写真は帯なしの状態。
刊行時期は、6月中旬に見本が出て、20日ごろから書店に並ぶことになりそうだ。実は、この本の刊行に合わせて、6月20日(日)から26日(土)までの1週間、東京古書会館の2階で展示会を開催させていただくことになった。私が蒐集した雑書のなかから、村井弦斎と国木田独歩に関連するものを中心に、日露戦争前後の時期の古書と雑誌を展示する予定。
会場ではこの本を販売し、ご希望のかたにはサインもします。会期中、何日かは会場にいるつもりなので、見に来ていただければうれしいです。くわしいことが決まったらブログにアップします。まだ、展示する予定のものを積み上げただけなので、これからキャプションをつけたり、いろいろ準備に追われることに……。
2010年05月03日
第10回不忍ブックストリート一箱古本市(2)
実は一昨日の5月1日は誕生日だった。今年の誕生日をこんな状態で迎えるとは想像もしていなかったが、この数日間、いろいろな方々にメールなどで激励していただいた。本当に感謝している。皆さま、どうもありがとうございました。
昨日は不忍ブックストリート一箱古本市の二日目。絶好の古本日和のなか、谷根千地域を歩き回った。顔見知りの方々、初めてお会いする方々、いろいろな人とお話しできて、楽しい1日を過ごすことができた。主催者や助っ人の皆さんにも、心から御礼を申上げます。
写真は昨日の収穫物。高橋真琴のペーパードール、着せ替え人形だ。年甲斐もなく……と笑われそうだが、“紙フェチ”にはこの可愛らしさがたまらない(笑)。ちなみに、これを販売していた店主さんの屋号は「どすこいフェスティバル」。いったいこの屋号の由来は? とお聞きすると、「ドストエフスキー」をこう聞き間違えた人がいた、とのこと! 空耳にしても素晴らしすぎる……。真相がわかってスッキリしました。
友人たちと根津神社のつつじまつりも見て、その後、夕方までずっとおしゃべり。本の話題だけで、3時間くらい話せるのがうれしい。久しぶりの休養日を心から楽しむことができた。かなり歩いたおかげで、昨日はぐっすり眠れ、今朝は体調もいい。気分一新して、今日からまた原稿に集中しよう。
昨日は不忍ブックストリート一箱古本市の二日目。絶好の古本日和のなか、谷根千地域を歩き回った。顔見知りの方々、初めてお会いする方々、いろいろな人とお話しできて、楽しい1日を過ごすことができた。主催者や助っ人の皆さんにも、心から御礼を申上げます。
写真は昨日の収穫物。高橋真琴のペーパードール、着せ替え人形だ。年甲斐もなく……と笑われそうだが、“紙フェチ”にはこの可愛らしさがたまらない(笑)。ちなみに、これを販売していた店主さんの屋号は「どすこいフェスティバル」。いったいこの屋号の由来は? とお聞きすると、「ドストエフスキー」をこう聞き間違えた人がいた、とのこと! 空耳にしても素晴らしすぎる……。真相がわかってスッキリしました。
友人たちと根津神社のつつじまつりも見て、その後、夕方までずっとおしゃべり。本の話題だけで、3時間くらい話せるのがうれしい。久しぶりの休養日を心から楽しむことができた。かなり歩いたおかげで、昨日はぐっすり眠れ、今朝は体調もいい。気分一新して、今日からまた原稿に集中しよう。
2010年04月29日
第10回不忍ブックストリート一箱古本市
一昨日書いたように、治療経過が思わしくないので、ショックから立ち直るのにしばらく時間がかかってしまった。いろいろ考えたが、ほかにはどうすることもできないので、少し仕事のペースを落とすことにした。私にはあまり時間がない、早くやってしまわねば……と気持ちは焦ってばかりだが、できないことはできない、と思うようにしよう。
今朝は快晴で気温も上がり、ほっとする。毎年恒例の「不忍ブックストリート一箱古本市」の初日だが、午後からゆっくり歩いて回ることにした。カメラを持って行ったにもかかわらず、店主の方々とのおしゃべりに夢中になって、結局、写真を撮ってくるのを忘れてしまった(笑)。そのため、申し訳ないことに、今回は写真はなし。
根津神社のつつじまつりに来た人も多く、いろいろな人が不忍通りを歩いていたが、手に「不忍ブックストリートMAP」を持っている人もたくさんいた。今回が第10回だが、本当にこの古本市が浸透していることを感じる。私も第1回から(一度だけ行けなかったが)客としてずっと参加している。それまではブログだけで知っていて、この古本市で初めてお会いした人も多い。
最近、すぐに疲れてしまうので、全部のスポットは回れなかったものの、あちこちで本を買わせていただいた。天気にも恵まれ、久しぶりにすがすがしい気分で古本市を楽しむことができた。病気のことを気遣ってくださった皆さま、本当にありがとうございました。
今朝は快晴で気温も上がり、ほっとする。毎年恒例の「不忍ブックストリート一箱古本市」の初日だが、午後からゆっくり歩いて回ることにした。カメラを持って行ったにもかかわらず、店主の方々とのおしゃべりに夢中になって、結局、写真を撮ってくるのを忘れてしまった(笑)。そのため、申し訳ないことに、今回は写真はなし。
根津神社のつつじまつりに来た人も多く、いろいろな人が不忍通りを歩いていたが、手に「不忍ブックストリートMAP」を持っている人もたくさんいた。今回が第10回だが、本当にこの古本市が浸透していることを感じる。私も第1回から(一度だけ行けなかったが)客としてずっと参加している。それまではブログだけで知っていて、この古本市で初めてお会いした人も多い。
最近、すぐに疲れてしまうので、全部のスポットは回れなかったものの、あちこちで本を買わせていただいた。天気にも恵まれ、久しぶりにすがすがしい気分で古本市を楽しむことができた。病気のことを気遣ってくださった皆さま、本当にありがとうございました。
2010年04月27日
思うようにはいかない
今日から抗がん剤投与の6クール目で、通算すると16回目ということになる。採血をして、診察までの1時間半の待ち時間に、書評する予定の本を3分の2読めた。その後、抗がん剤の点滴中に最後まで読めたので、今日は病院で単行本を1冊読了してしまった。
迷ったが書いてしまうと、今日は血液検査の結果が予想外に悪く、ショックで落ち込んだ。がんの状態は外から見てもわからないので、2カ月に1回はCT検査で調べるが、それ以外に血液検査でがんの進行を示す「腫瘍マーカー」の数値が出る。これは月に1回調べているが、今日はその日だった。がんになると、「腫瘍マーカー」の数値は、正常値をはるかに超えて高くなる。私の場合も、唖然とするほど高い。
その腫瘍マーカーの数値が、ここまでは順調に少しずつ下がってきていた。ところが、今日の検査では、突然上昇して、3カ月前の数値に逆戻りしていたのだ。理由は不明。今月、雪が降ったころに体調がとても悪かったが、がんにも何か悪い影響を与えたのだろうか。
単なる数値に一喜一憂するのが情けないが、下がれば喜び、上がれば落ち込む。こんなことが、まだまだずっと続くのか、と思うとさすがに嫌になる。でも、これが現実なのだ、と受けとめるほかにはない。次回の検査では、少しでも下がってくれていることを祈るばかりだ……。つい、仕事に夢中になってしまうが、少し安静にしたほうがいい、ということなのだろうか。
迷ったが書いてしまうと、今日は血液検査の結果が予想外に悪く、ショックで落ち込んだ。がんの状態は外から見てもわからないので、2カ月に1回はCT検査で調べるが、それ以外に血液検査でがんの進行を示す「腫瘍マーカー」の数値が出る。これは月に1回調べているが、今日はその日だった。がんになると、「腫瘍マーカー」の数値は、正常値をはるかに超えて高くなる。私の場合も、唖然とするほど高い。
その腫瘍マーカーの数値が、ここまでは順調に少しずつ下がってきていた。ところが、今日の検査では、突然上昇して、3カ月前の数値に逆戻りしていたのだ。理由は不明。今月、雪が降ったころに体調がとても悪かったが、がんにも何か悪い影響を与えたのだろうか。
単なる数値に一喜一憂するのが情けないが、下がれば喜び、上がれば落ち込む。こんなことが、まだまだずっと続くのか、と思うとさすがに嫌になる。でも、これが現実なのだ、と受けとめるほかにはない。次回の検査では、少しでも下がってくれていることを祈るばかりだ……。つい、仕事に夢中になってしまうが、少し安静にしたほうがいい、ということなのだろうか。
2010年04月24日
『古書の森逍遥』6月刊行予定です(2)
『古書の森逍遥』6月刊行予定です
相変わらずの寒さで、また調子が悪い。思うように仕事が進まないので鬱々としていたが、昨日は工作舎のIさんとKさんと打ち合わせをして再校ゲラを戻した。
さて、写真はその工作舎から出る本。といっても、まだ完成したわけではなく、束見本にカバーと帯のデザインのダミーをつけたものだ。デザインを3案つくってくださったのだが、これが編集者のイチオシで、私も一番気に入った。いよいよ本が出来上がるのだ、という実感がわいてきて胸がジーンとした。Iさん、Kさん、デザイナーの皆様、ありがとう!
これにまだデザイン処理をして少し変わるとは思うが、イメージはほぼこのようになると思う。写真でわかるように、帯には透ける特殊な紙を使うので、下の図案が透けて見える。タイトルは『古書の森逍遥――明治・大正・昭和の愛しき雑書たち』でほぼ決定。400ページ近いので、束は2.7センチほどあるが、軽い紙を用いているので、それほど重い感じはしない。自分の本とは思えないほど、洗練されて美しいデザインの本が出来上がりそうだ。
カラー図版が4ページあり、本文は2段組で、全部で220冊の本が登場する。その本文にもいろいろな仕掛けがあり、人名索引もかなりのページ数になりそうだ。さすがに校正が大変で、再校段階でもいろいろなミスを見つけてしまい、怖いので三校まで見ることにした。そのため、発行時期はいまのところ6月上旬になる見込み。6月中旬から下旬にかけて、この本の刊行に合わせて神保町でイベントも予定している。
ずいぶん先だという気がしていたが、5月も目前に迫ってきたので、そろそろイベントの準備にとりかからなければ……。詳細が決定したら、またこのブログでお知らせします。どうかお楽しみに!
さて、写真はその工作舎から出る本。といっても、まだ完成したわけではなく、束見本にカバーと帯のデザインのダミーをつけたものだ。デザインを3案つくってくださったのだが、これが編集者のイチオシで、私も一番気に入った。いよいよ本が出来上がるのだ、という実感がわいてきて胸がジーンとした。Iさん、Kさん、デザイナーの皆様、ありがとう!
これにまだデザイン処理をして少し変わるとは思うが、イメージはほぼこのようになると思う。写真でわかるように、帯には透ける特殊な紙を使うので、下の図案が透けて見える。タイトルは『古書の森逍遥――明治・大正・昭和の愛しき雑書たち』でほぼ決定。400ページ近いので、束は2.7センチほどあるが、軽い紙を用いているので、それほど重い感じはしない。自分の本とは思えないほど、洗練されて美しいデザインの本が出来上がりそうだ。
カラー図版が4ページあり、本文は2段組で、全部で220冊の本が登場する。その本文にもいろいろな仕掛けがあり、人名索引もかなりのページ数になりそうだ。さすがに校正が大変で、再校段階でもいろいろなミスを見つけてしまい、怖いので三校まで見ることにした。そのため、発行時期はいまのところ6月上旬になる見込み。6月中旬から下旬にかけて、この本の刊行に合わせて神保町でイベントも予定している。
ずいぶん先だという気がしていたが、5月も目前に迫ってきたので、そろそろイベントの準備にとりかからなければ……。詳細が決定したら、またこのブログでお知らせします。どうかお楽しみに!
2010年04月18日
4月の雪
昨日の雪には驚いたが、それ以上に、自分の身体がこれほど気候や環境と直結していることに驚く。急激に気温が下がったこの3日間、体調が突然悪くなって、ひたすらじっとしていた。寒さにふるえているように見える葉桜が、自分の身体のように思えてしまう。本を読んでも頭に入らず、原稿も書く気力が出ない。こんなときもあるとあきらめて、ひたすら睡眠をむさぼっていた。
昨日の午後から少し気温が上がったので、ほっとする。再校ゲラが出たので、今日からそのチェックにかかる。もう1冊も、近日中に打ち合わせをして、原稿を一部リライトして完成させる予定。なんとか今月中には、次の山を超えることができるだろう。いまは、2冊の本が完成した日のことを想像して、心の支えにしている。それまで何としても頑張らなければ……。
自分が病気になると、他の人の健康がとても気にかかる。体調不良だった人が、検査を受けて悪い病気ではなかったとわかれば、心からよかったね、と言いたくなるし、子供が怪我をしたと聞けば、その痛みを感じて、一日も早く回復してほしい、と願わずにはいられない。昨年の秋の出来事で、ほんのささいなことで人間は不幸のどん底に陥ってしまう、ということがわかってしまった。もうこんなつらい思いは、誰にも味わってほしくない。
いろいろな方々から激励の手紙などをいただき、本当に心から感謝している。新鮮や野菜や果物はありがたいし、いただいた本もすぐには読めないものの、少しずつページを繰っている。やはり本はうれしい贈り物だ。他には何もないけれども、本に囲まれていればそれだけで幸せを感じる。他には何もできないけれども、こうして本だけは書いている。これは子供のころに描いていた“夢の作家生活”に近いではないか、と思うと一人で笑ってしまった。
2010年04月14日
4月も半ば
この不順な気候は何とかならないものか、と思いつつ、元気になったり、喘ぎそうになったりしながら日々を過ごしている。気がつけば4月も半ば。書かなければいけない原稿が、まだいくつも残っている。なんとか6月までには一段落つけたいものだが、どうなることやら。
先週は、アメリカで仕事をしている友人が一時帰国して、一緒に食事をしていろいろ話した。昨日はヨルダンから一時帰国した友人を囲む食事会があって、女性ばかり10人が集まってにぎやかにすごした。軽々と世界へ飛び出して活躍している友人たちの姿は、見ているとまぶしいほどだ。すごいなあ、と思いながら、私はこれから外国へ行く機会があるのだろうか、とつい思ってしまう。まだ見たこともない国々がたくさんあるのに。
古書市や古書展には行っていないが、一昨日届いた古書目録を見ていると、欲しい単行本が何冊もあった。この珍しい本がこの値段なら、と思うと注文したくなってしまうが、なんとか思いとどまった。ところが、雑誌のページで、明治期の珍しい雑誌がかなりの冊数載っているのを見つけてしまう。夢かと思い、号数を確認してみると、載っている記事からほしいものが3冊出てきた。値段ももちろんそれなりで、3冊で計19,000円。ウーン……。これはかなり痛い。でも、注文しないとずっと後悔しそうだったので、ついに注文してしまった。現実問題として、こんなことにお金を使っている場合ではないのだが。
昨日は東大病院で抗がん剤投与。これでようやく5クールが終了した。計15回の抗がん剤を投与したことになるが、主治医によれば「10クールくらいやると、かなり効果が出る」ということなので、まだ半分にすぎないわけだ。やれやれ。さすがに少々気が滅入る。先は長い。
東大病院の混み加減は異常だ。一日の外来患者が平均三千数百人で、最高では四千数百人を記録した日もあるという。昨日も採血の受付から長蛇の列で、これでは医師も看護師も大変だろう、と同情してしまう。抗がん剤も、私のように午前中の場合はあまり待たずにすむが、昼近くなると控え室で順番待ちをしている人がいる。抗がん剤を投与する化学療法室は、ワンフロアにカーテンで仕切られた19人分のスペースがあるのだが、それが満員になってしまう。こんなに大勢のがん患者がいるとは……。私も病院では、そのなかのワンノブゼムにすぎない、と痛感する。
せっかく東大まで行くのだから、と思っていながら、これまでは行かなかったのだが、昨日は午後から東大明治文庫で資料を閲覧した。すぐに終わる予定だったが、かなり時間がかかって、結局、閉館時間までいることになった。気分が悪くなることもなく、調べようとしていたことはほぼ片付いたので、ほっとした。でも、まだ国会図書館にもあと何度か行かなければならない。資料調べは永遠に終わらないような気がしてしまう。昨日も新事実がいくつかわかって驚いた。まだ本が出る前で、原稿を訂正できるのが救いだ……。
先週は、アメリカで仕事をしている友人が一時帰国して、一緒に食事をしていろいろ話した。昨日はヨルダンから一時帰国した友人を囲む食事会があって、女性ばかり10人が集まってにぎやかにすごした。軽々と世界へ飛び出して活躍している友人たちの姿は、見ているとまぶしいほどだ。すごいなあ、と思いながら、私はこれから外国へ行く機会があるのだろうか、とつい思ってしまう。まだ見たこともない国々がたくさんあるのに。
古書市や古書展には行っていないが、一昨日届いた古書目録を見ていると、欲しい単行本が何冊もあった。この珍しい本がこの値段なら、と思うと注文したくなってしまうが、なんとか思いとどまった。ところが、雑誌のページで、明治期の珍しい雑誌がかなりの冊数載っているのを見つけてしまう。夢かと思い、号数を確認してみると、載っている記事からほしいものが3冊出てきた。値段ももちろんそれなりで、3冊で計19,000円。ウーン……。これはかなり痛い。でも、注文しないとずっと後悔しそうだったので、ついに注文してしまった。現実問題として、こんなことにお金を使っている場合ではないのだが。
昨日は東大病院で抗がん剤投与。これでようやく5クールが終了した。計15回の抗がん剤を投与したことになるが、主治医によれば「10クールくらいやると、かなり効果が出る」ということなので、まだ半分にすぎないわけだ。やれやれ。さすがに少々気が滅入る。先は長い。
東大病院の混み加減は異常だ。一日の外来患者が平均三千数百人で、最高では四千数百人を記録した日もあるという。昨日も採血の受付から長蛇の列で、これでは医師も看護師も大変だろう、と同情してしまう。抗がん剤も、私のように午前中の場合はあまり待たずにすむが、昼近くなると控え室で順番待ちをしている人がいる。抗がん剤を投与する化学療法室は、ワンフロアにカーテンで仕切られた19人分のスペースがあるのだが、それが満員になってしまう。こんなに大勢のがん患者がいるとは……。私も病院では、そのなかのワンノブゼムにすぎない、と痛感する。
せっかく東大まで行くのだから、と思っていながら、これまでは行かなかったのだが、昨日は午後から東大明治文庫で資料を閲覧した。すぐに終わる予定だったが、かなり時間がかかって、結局、閉館時間までいることになった。気分が悪くなることもなく、調べようとしていたことはほぼ片付いたので、ほっとした。でも、まだ国会図書館にもあと何度か行かなければならない。資料調べは永遠に終わらないような気がしてしまう。昨日も新事実がいくつかわかって驚いた。まだ本が出る前で、原稿を訂正できるのが救いだ……。
2010年04月08日
山をひとつ越えた
ここしばらくの間、原稿の追い込みにひたすら没頭していた。このブログでも何度か書いてきた堺利彦の評伝である。最後のほうはさすがにきつかったが、3年前から手がけてきたので、ここまできたらやるしかないという感じで、他のことは一切放り出してこれだけに集中していた。そういえば、6年前に村井弦斎の評伝を書いたときもこんな感じだった……。
昨年秋、がんだとわかって入院した段階では、全体の約5分の4までを書いていた。その時点ですでに原稿枚数は1,000枚を超えていたのだが、退院後に残りの5分の1を書いて、予定していたラストになんとか到達した。ただし、原稿が1,220枚になってしまったため、リライトしながら削る作業を今日まで3カ月間続け、やっと全体の3分の1を削って約780枚に収めることができた。800枚を切るのを目標としていたので、ほぼ予定通りの枚数である。
計算すると440枚分の原稿を捨てたわけだが、考えてみると本1冊分ではないか……。使おうと思って買った資料で、使わずに終わってしまったものも多い。山のような本とコピーの束。相変わらずの非効率と時間の浪費だ(笑)。だが、1冊の評伝を書くとなると、それくらいのことは覚悟しなければならない、と思ってあきらめている。部屋のなかは、嵐が去った後のような惨状をさらしている。
今日は編集者のNさんに原稿を渡し、4時間余り打ち合わせをした。一応は仕上げたものの、まだ完璧な原稿とはいえないので、これからいくつか確認しなければならない。渡すのを急いだ理由は、この先、体調がどうなるかわからないからだ。書けるうちに書いておかなければ、という思いにせきたてられている。この原稿も、一時は完成させられないのではないか、と思ったこともあった。それだけに、今日はうれしくてたまらない。健康ならワインか何かで祝杯を上げるところだが、代わりに日本茶を飲んだ。
実際に本が出るのはまだ先になる予定だが、余裕をもって焦らず、いいものに仕上げていきたいと思う。これから出す本の1冊1冊が、自分にとっては本当に大事なものになるはずなので……。
昨年秋、がんだとわかって入院した段階では、全体の約5分の4までを書いていた。その時点ですでに原稿枚数は1,000枚を超えていたのだが、退院後に残りの5分の1を書いて、予定していたラストになんとか到達した。ただし、原稿が1,220枚になってしまったため、リライトしながら削る作業を今日まで3カ月間続け、やっと全体の3分の1を削って約780枚に収めることができた。800枚を切るのを目標としていたので、ほぼ予定通りの枚数である。
計算すると440枚分の原稿を捨てたわけだが、考えてみると本1冊分ではないか……。使おうと思って買った資料で、使わずに終わってしまったものも多い。山のような本とコピーの束。相変わらずの非効率と時間の浪費だ(笑)。だが、1冊の評伝を書くとなると、それくらいのことは覚悟しなければならない、と思ってあきらめている。部屋のなかは、嵐が去った後のような惨状をさらしている。
今日は編集者のNさんに原稿を渡し、4時間余り打ち合わせをした。一応は仕上げたものの、まだ完璧な原稿とはいえないので、これからいくつか確認しなければならない。渡すのを急いだ理由は、この先、体調がどうなるかわからないからだ。書けるうちに書いておかなければ、という思いにせきたてられている。この原稿も、一時は完成させられないのではないか、と思ったこともあった。それだけに、今日はうれしくてたまらない。健康ならワインか何かで祝杯を上げるところだが、代わりに日本茶を飲んだ。
実際に本が出るのはまだ先になる予定だが、余裕をもって焦らず、いいものに仕上げていきたいと思う。これから出す本の1冊1冊が、自分にとっては本当に大事なものになるはずなので……。
2010年03月31日
仕事と治療とどちらが大事?
病院とクリニック通いに加えて、いよいよ原稿が締切に間に合うかどうか切羽詰まってきたので、あちこちからいただくメールや手紙や会へのお誘いなどに、ほとんど返信できていない状態で、本当に申し訳なく思っている。どうかお許しを。
昨日から抗がん剤治療の5クール目に入った。4クール目が終了して、先週はCT検査で抗がん剤はお休み。抗がん剤の点滴がない週は本当にうれしい。これまでに抗がん剤治療をすでに12回やったが、やはり楽しい気分のものではない。
CT検査は2クール終了ごとに行うことになっていて、2カ月前に撮ったCT画像と先週撮った画像を主治医が見せてくれた。それを比較すると、前回の画像に比べて、今回はがんが顕著に縮小しているのがわかった。とくに、肝臓の転移がんのほうは、半分くらいになっているものもあった。昨年11月に撮ったCT画像では、肝臓がまだらに見えるほど“がんだらけ”で、絶望しても無理はないような状態だったのだ。それが、4クールでここまで縮小したのは、抗がん剤の効果が早く出ているといっていいらしい。
さすがにほっとした。まだ先は長くて、この先何クールやるのかわからないが、この調子でいけば、少なくとも、転移がんはかなり消えるのではないか、という希望がもてた。親玉である膵臓がんのほうは、元がかなり大きいので、そう簡単にはいかないだろうが……。
抗がん剤治療が終わると、時間がないので午後は国会図書館へ。いま執筆中の原稿で確認すべきことが山ほどあるのだが、昨年秋以来ずっと、国会図書館へ行くどころではなかったのだ。書籍と雑誌と新聞とそれぞれ別のフロアを駆けめぐり、4時間半ほどこもって集中的に資料を閲覧する。
久しぶりだったが、幸い勘はにぶっていなかったので、4時間をすぎてこれなら大丈夫と思ったころ、突然ひどい吐き気に見舞われて、あわててトイレに駆け込む。やはり、副作用で吐き気が出やすい抗がん剤治療と、マイクロ資料閲覧を同じ日にするというのは、いくらなんでも無謀だったか……。
その日、夕方から参加する予定だった会も急きょ欠席することにして、よろよろと帰宅した。情けないことに、しばらくは何もできずにボーッとすごすしかなかった。現状はこのありさまだが、原稿の追い込みになると物に憑かれたような、一種異様な状態になっていて、いまもそれが続いている。物書きとしてここまで没頭できる機会は、そう滅多にあるわけではないので、至福のひとときだともいえる。全身全霊を捧げて、なんとか納得できるものに仕上げなければ、と心の底から思う。
その一方では、仕事と治療とどちらが大事で、どちらを優先すべきか、という声も聴こえてくる。もちろん、命あってこその仕事であるわけで、理屈ではわかっているが、気持ちの上では、執筆のほうをどうしても優先したいと思ってしてしまう。そう思いながら、きちんと治療も続けているが、睡眠時間は短縮傾向にある……。1日は24時間しかない、ということをしみじみ感じる春だ。
昨日から抗がん剤治療の5クール目に入った。4クール目が終了して、先週はCT検査で抗がん剤はお休み。抗がん剤の点滴がない週は本当にうれしい。これまでに抗がん剤治療をすでに12回やったが、やはり楽しい気分のものではない。
CT検査は2クール終了ごとに行うことになっていて、2カ月前に撮ったCT画像と先週撮った画像を主治医が見せてくれた。それを比較すると、前回の画像に比べて、今回はがんが顕著に縮小しているのがわかった。とくに、肝臓の転移がんのほうは、半分くらいになっているものもあった。昨年11月に撮ったCT画像では、肝臓がまだらに見えるほど“がんだらけ”で、絶望しても無理はないような状態だったのだ。それが、4クールでここまで縮小したのは、抗がん剤の効果が早く出ているといっていいらしい。
さすがにほっとした。まだ先は長くて、この先何クールやるのかわからないが、この調子でいけば、少なくとも、転移がんはかなり消えるのではないか、という希望がもてた。親玉である膵臓がんのほうは、元がかなり大きいので、そう簡単にはいかないだろうが……。
抗がん剤治療が終わると、時間がないので午後は国会図書館へ。いま執筆中の原稿で確認すべきことが山ほどあるのだが、昨年秋以来ずっと、国会図書館へ行くどころではなかったのだ。書籍と雑誌と新聞とそれぞれ別のフロアを駆けめぐり、4時間半ほどこもって集中的に資料を閲覧する。
久しぶりだったが、幸い勘はにぶっていなかったので、4時間をすぎてこれなら大丈夫と思ったころ、突然ひどい吐き気に見舞われて、あわててトイレに駆け込む。やはり、副作用で吐き気が出やすい抗がん剤治療と、マイクロ資料閲覧を同じ日にするというのは、いくらなんでも無謀だったか……。
その日、夕方から参加する予定だった会も急きょ欠席することにして、よろよろと帰宅した。情けないことに、しばらくは何もできずにボーッとすごすしかなかった。現状はこのありさまだが、原稿の追い込みになると物に憑かれたような、一種異様な状態になっていて、いまもそれが続いている。物書きとしてここまで没頭できる機会は、そう滅多にあるわけではないので、至福のひとときだともいえる。全身全霊を捧げて、なんとか納得できるものに仕上げなければ、と心の底から思う。
その一方では、仕事と治療とどちらが大事で、どちらを優先すべきか、という声も聴こえてくる。もちろん、命あってこその仕事であるわけで、理屈ではわかっているが、気持ちの上では、執筆のほうをどうしても優先したいと思ってしてしまう。そう思いながら、きちんと治療も続けているが、睡眠時間は短縮傾向にある……。1日は24時間しかない、ということをしみじみ感じる春だ。
2010年03月26日
4カ月ぶりの東京古書会館
またしばらく、ブログを書くことができずにいた。書こうという気持ちになれなかったこともあるが、体調が悪かったわけではなく、がんの治療の合間に1冊の本の初校ゲラのチェックをし、もう1冊の本の原稿執筆の追い込みにかかり、読売新聞の書評の執筆をし、さらに打ち合わせなどが重なって、物理的にもまったく時間がなかった。こうなると、いくら無理をするなといわれても、それが無理というもので、睡眠時間だけは十分とりながら、1日も休まずひたすら仕事に没頭していた。
今日から明日まで東京古書会館で「趣味展」が開催されている。先日、その古書目録で、国会図書館に所蔵されていない明治期の本(5000円)と、堺利彦自筆ハガキ(1万円)を注文していた。注文品が当たればすぐに受け取りたいので、今日は東京古書会館へ。11月中旬にがんだと宣告されて以来、じつに4カ月ぶりである。ようやく古書を買おう、という気持ちになれたことがうれしかった。なにしろ、本を買って増やすどころではなく、身辺整理をするために本を処分しよう、ということしか考えられなかったのだから……。
注文品は2点とも無事に入手。結局、そのほかにも何冊も買ってしまい、約1万8000円の出費。こんなことにお金を使っていていいのか、という声も聴こえてくるが、やはり古書を買うのは楽しい。見たことのない雑書・雑誌に出会うと胸がわくわくする。そう頻繁には行けないと思うが、これからもきっと足を運んでしまうだろう。
私が知らないところで、いろいろな方々が私の病気のことを知って、心配してくださっているらしい。昨日も、元勤めていた会社の同期の友人からそうした話を聞いた。あまり更新できずにいるこのブログだが、読んでくださっている方々もかなりいらっしゃるようだ。本当に、感謝の気持ちでいっぱいだ。いろいろな方々に支えられて、こうして生きていられることを実感している。
落ち込むこともあるが、朝起きると「今日も生きていてうれしい」と思い、「明日も生きよう」と思うようにしている。そうやって1日ずつ生きていけば、10年くらいすぐに経ってしまうのではないか。いつ死ぬかわからない、という恐怖から落ち込むこともあったが、考えてみれば、それは誰もが同じ。人間はみな、いつかは死ぬ。多少、長いか短いかの違いにすぎない。私はここまで半世紀も生きたが、もっと早くがんで亡くなった友人もいる。そう開き直って、1日1日を精一杯生きられればいいと思う。
当面の目標は、9月までに本を2冊完成させること。さらに、それぞれの本の発売に合わせて、あれこれイベントの計画も進んでいる。著者は何もしていないが、周囲の人たちが私の病気を知って、どんどん仕掛けてくださっている。話が広がって、東京以外でも展開することになった。なんとか体調を整えて、その計画を実現させなければ……。イベントの日程などが確定したら、このブログで改めてお知らせします。
今日から明日まで東京古書会館で「趣味展」が開催されている。先日、その古書目録で、国会図書館に所蔵されていない明治期の本(5000円)と、堺利彦自筆ハガキ(1万円)を注文していた。注文品が当たればすぐに受け取りたいので、今日は東京古書会館へ。11月中旬にがんだと宣告されて以来、じつに4カ月ぶりである。ようやく古書を買おう、という気持ちになれたことがうれしかった。なにしろ、本を買って増やすどころではなく、身辺整理をするために本を処分しよう、ということしか考えられなかったのだから……。
注文品は2点とも無事に入手。結局、そのほかにも何冊も買ってしまい、約1万8000円の出費。こんなことにお金を使っていていいのか、という声も聴こえてくるが、やはり古書を買うのは楽しい。見たことのない雑書・雑誌に出会うと胸がわくわくする。そう頻繁には行けないと思うが、これからもきっと足を運んでしまうだろう。
私が知らないところで、いろいろな方々が私の病気のことを知って、心配してくださっているらしい。昨日も、元勤めていた会社の同期の友人からそうした話を聞いた。あまり更新できずにいるこのブログだが、読んでくださっている方々もかなりいらっしゃるようだ。本当に、感謝の気持ちでいっぱいだ。いろいろな方々に支えられて、こうして生きていられることを実感している。
落ち込むこともあるが、朝起きると「今日も生きていてうれしい」と思い、「明日も生きよう」と思うようにしている。そうやって1日ずつ生きていけば、10年くらいすぐに経ってしまうのではないか。いつ死ぬかわからない、という恐怖から落ち込むこともあったが、考えてみれば、それは誰もが同じ。人間はみな、いつかは死ぬ。多少、長いか短いかの違いにすぎない。私はここまで半世紀も生きたが、もっと早くがんで亡くなった友人もいる。そう開き直って、1日1日を精一杯生きられればいいと思う。
当面の目標は、9月までに本を2冊完成させること。さらに、それぞれの本の発売に合わせて、あれこれイベントの計画も進んでいる。著者は何もしていないが、周囲の人たちが私の病気を知って、どんどん仕掛けてくださっている。話が広がって、東京以外でも展開することになった。なんとか体調を整えて、その計画を実現させなければ……。イベントの日程などが確定したら、このブログで改めてお知らせします。
2010年03月17日
それでも古書を
昨日も東大病院で抗がん剤の投与。これで4クールが終了した。1クールが3回なので、これまでに12回、抗がん剤を体内に入れたことになる。まだこれから先も延々と続くわけだが……。
朝早く病院で採血をし、その結果が出た1時間余りのちに主治医と面談をする。血液検査の結果、抗がん剤治療にさしつかえない状態なら、面談後に別の部屋で抗がん剤投与を行うことになる。抗がん剤の投与は腕からの点滴で、吐き気止めの薬と抗がん剤を、約1時間かけて入れる。
その間はずっと管につながれた状態だ。しかも、私は血管が細いと言われ、点滴の針が一度でうまく入らず、二度、三度とくり返してようやく針が入る……という痛い目にときどきあう。昨日も、最初に刺したときはうまくいかず、二度目でやっと入った。これは本当につらい。針を刺されるとき、今度は大丈夫なのかとどきどきしてしまう。二回続けて失敗されると、かなりトラウマになる。ひどい場合は、腕がアザだらけになる。
毎週この点滴をしている時間に、書評する本を読んでいる。チューブにつながれている片腕は動かせないので、ページをめくるのも不自由だが、1時間はじっとしているので、集中して読むことができる。自宅では読書ノートをつけながら読むが、片手ではさすがにそこまで器用なことはできないので、付箋を貼るだけに留めている。まさか病院で抗がん剤の点滴中を受けながら、こうして読んでいるとは、本の著者は夢にも思っていないだろう。
お金のことを書き始めると、完全に憂鬱になってしまうので忘れたふりをしているが、毎月医療費だけで、最低でも10万円が消えて行く。もちろん、他にも生活費はかかるわけで、ほとんど無駄な出費はできない状態だ。なにしろ、昨年11月の時点で、しばらく仕事をしないようにと医師に言われて、新規の仕事を全部キャンセルしてしまったのだから……。フリーランスは、仕事をしなければ収入はゼロだ。
そんな状態なので、この3カ月余りは古書展にも一度も行かず、古書もわずか数冊しか買っていない。古書目録が届くたびに、ため息が出るので見ないようにしていた。だが、昨日は「趣味展」の目録が届いたので、つい眺めていると、いま書いている原稿の関係で、どうしても欲しいものが何点か載っていた。一晩考えて、結局、計1万5000円も注文してしまった……。我ながら、大馬鹿者と呼びたい。
朝早く病院で採血をし、その結果が出た1時間余りのちに主治医と面談をする。血液検査の結果、抗がん剤治療にさしつかえない状態なら、面談後に別の部屋で抗がん剤投与を行うことになる。抗がん剤の投与は腕からの点滴で、吐き気止めの薬と抗がん剤を、約1時間かけて入れる。
その間はずっと管につながれた状態だ。しかも、私は血管が細いと言われ、点滴の針が一度でうまく入らず、二度、三度とくり返してようやく針が入る……という痛い目にときどきあう。昨日も、最初に刺したときはうまくいかず、二度目でやっと入った。これは本当につらい。針を刺されるとき、今度は大丈夫なのかとどきどきしてしまう。二回続けて失敗されると、かなりトラウマになる。ひどい場合は、腕がアザだらけになる。
毎週この点滴をしている時間に、書評する本を読んでいる。チューブにつながれている片腕は動かせないので、ページをめくるのも不自由だが、1時間はじっとしているので、集中して読むことができる。自宅では読書ノートをつけながら読むが、片手ではさすがにそこまで器用なことはできないので、付箋を貼るだけに留めている。まさか病院で抗がん剤の点滴中を受けながら、こうして読んでいるとは、本の著者は夢にも思っていないだろう。
お金のことを書き始めると、完全に憂鬱になってしまうので忘れたふりをしているが、毎月医療費だけで、最低でも10万円が消えて行く。もちろん、他にも生活費はかかるわけで、ほとんど無駄な出費はできない状態だ。なにしろ、昨年11月の時点で、しばらく仕事をしないようにと医師に言われて、新規の仕事を全部キャンセルしてしまったのだから……。フリーランスは、仕事をしなければ収入はゼロだ。
そんな状態なので、この3カ月余りは古書展にも一度も行かず、古書もわずか数冊しか買っていない。古書目録が届くたびに、ため息が出るので見ないようにしていた。だが、昨日は「趣味展」の目録が届いたので、つい眺めていると、いま書いている原稿の関係で、どうしても欲しいものが何点か載っていた。一晩考えて、結局、計1万5000円も注文してしまった……。我ながら、大馬鹿者と呼びたい。
2010年03月13日
東大生協書籍売り場
悪いこともあれば、いいこともある。先日、ある人が、本郷の東大生協の書店に拙著『音のない記憶』(角川ソフィア文庫)が平積みされている、と知らせてくださった。知人がいるわけでもないので、意外だったが、先週、編集者のTさんと一緒に御礼にうかがった。東大生協の書籍売り場は、風格のある旧い建物の一角にあり、とても雰囲気がよかった。
拙著を読んで平積みしてくださった店員のかたと、店長さんにお会いして、いろいろお話しさせていただいた。あのような地味な本に目をとめてもらうと、著者としては本当にうれしい。しかも、『音のない記憶』は昨年5月に、10年ぶりに文庫になったのだが、私にとってはデビュー作で、もっとも思い出深い本だ。
他の作家のかたが手書きPOPを本に添えていたので、私も言われるままに、手書きのメッセージを書いてきた。もちろん、生まれて初めてである。著者が顔をさらすようで、ちょっと気恥ずかしい気もしたが……。そのPOPがきっかけで、拙著を手に取ってくれる学生さんが一人でもいれば、それくらいのことは何でもない。
数日後、編集者のTさんから、メールでこの写真が送られてきた。驚いたことに、『音のない記憶』だけでなく、文春新書も一緒に並べた私の本のコーナーができていた! 井上孝治さんの写真集『想い出の街』も並んでいる。もちろん、全国の書店で唯一だと思う。ベストセラーでもない拙著を、こうして売ってくださっているなんて……。東大生協書籍売り場の皆さまに、心から御礼申し上げます。
拙著を読んで平積みしてくださった店員のかたと、店長さんにお会いして、いろいろお話しさせていただいた。あのような地味な本に目をとめてもらうと、著者としては本当にうれしい。しかも、『音のない記憶』は昨年5月に、10年ぶりに文庫になったのだが、私にとってはデビュー作で、もっとも思い出深い本だ。
他の作家のかたが手書きPOPを本に添えていたので、私も言われるままに、手書きのメッセージを書いてきた。もちろん、生まれて初めてである。著者が顔をさらすようで、ちょっと気恥ずかしい気もしたが……。そのPOPがきっかけで、拙著を手に取ってくれる学生さんが一人でもいれば、それくらいのことは何でもない。
数日後、編集者のTさんから、メールでこの写真が送られてきた。驚いたことに、『音のない記憶』だけでなく、文春新書も一緒に並べた私の本のコーナーができていた! 井上孝治さんの写真集『想い出の街』も並んでいる。もちろん、全国の書店で唯一だと思う。ベストセラーでもない拙著を、こうして売ってくださっているなんて……。東大生協書籍売り場の皆さまに、心から御礼申し上げます。
2010年03月11日
最悪な日々
ブログを書く気になれないまま、いつのまにか3月になってしまった。毎日、死というものと向き合いながら生きるのは、楽なものではない。そのなかで、ブログに何を書けばいいのか、と思うと、手が止まってしまうのだった。
意外に思う人もいるようだが、私はいま「膵臓がん」というものについて、情報を集めることはしていない。それでも、最初のころは少しネットで検索してみたが、どれを読んでも落ち込むようなことしか書かれていないので、すぐにやめてしまった。
自分の病状がステージ4で、さらにaとbがあるうちのbという最悪の段階だと気づいたのも、しばらく経ってからだった。本当に死ぬ一歩手前だったのだと思い知らされた。さらに、膵臓がんのステージ4bの患者の5年後生存率は10%、と書かれている記事をつい読んでしまった。これは、言い換えると、5年以内に9割が死ぬ、ということではないか……。
突然、そんな死刑宣告のようなものを突きつけられて、ニコニコ笑って暮らすことはできない。どうしてそんなことにならなければいけないのか。まだ、やりたいことがたくさんあるのに……。先月はかなり落ち込んだ。知らなければよかったと思い、人と会っていても、食事をしていても、夜寝ようとしても、死のことばかり考えてしまう。そんな日がずっと続いた。
結局、悪いことを忘れていられるのは、仕事に没頭しているときだけだった。原稿を書いている間は、それに集中することができる。そのため、できる限りの時間を書くことに使おうと決めた。ただし、夢中になって長時間書き続けると、とたんに体調が悪くなって痛みが出て、愕然とした日もあった。
そうはいっても、外見上はやつれてもいないし、元気に見えるので、ご心配なく。人と会えば、余計な心配をかけたくないので、笑顔で普通に話している。抗がん剤投与を続けているが、髪も抜けていないし、それだけでもありがたいと感謝している。
とにかく、2冊の本を完成させることを最優先に、これからの日々を1日1日大切に過ごしていく。そして、なんとかして生き抜くつもりでいる。絶望はしていない。このブログを読んでくださっている皆様のご支援を力にして、これからもがんばっていきたいと思っている。
※昨日と今日の「朝日新聞」夕刊に、コラム「私の収穫」を書きました。来週の17日と18日まで4回連載しますので、もしご興味があればご覧ください。
意外に思う人もいるようだが、私はいま「膵臓がん」というものについて、情報を集めることはしていない。それでも、最初のころは少しネットで検索してみたが、どれを読んでも落ち込むようなことしか書かれていないので、すぐにやめてしまった。
自分の病状がステージ4で、さらにaとbがあるうちのbという最悪の段階だと気づいたのも、しばらく経ってからだった。本当に死ぬ一歩手前だったのだと思い知らされた。さらに、膵臓がんのステージ4bの患者の5年後生存率は10%、と書かれている記事をつい読んでしまった。これは、言い換えると、5年以内に9割が死ぬ、ということではないか……。
突然、そんな死刑宣告のようなものを突きつけられて、ニコニコ笑って暮らすことはできない。どうしてそんなことにならなければいけないのか。まだ、やりたいことがたくさんあるのに……。先月はかなり落ち込んだ。知らなければよかったと思い、人と会っていても、食事をしていても、夜寝ようとしても、死のことばかり考えてしまう。そんな日がずっと続いた。
結局、悪いことを忘れていられるのは、仕事に没頭しているときだけだった。原稿を書いている間は、それに集中することができる。そのため、できる限りの時間を書くことに使おうと決めた。ただし、夢中になって長時間書き続けると、とたんに体調が悪くなって痛みが出て、愕然とした日もあった。
そうはいっても、外見上はやつれてもいないし、元気に見えるので、ご心配なく。人と会えば、余計な心配をかけたくないので、笑顔で普通に話している。抗がん剤投与を続けているが、髪も抜けていないし、それだけでもありがたいと感謝している。
とにかく、2冊の本を完成させることを最優先に、これからの日々を1日1日大切に過ごしていく。そして、なんとかして生き抜くつもりでいる。絶望はしていない。このブログを読んでくださっている皆様のご支援を力にして、これからもがんばっていきたいと思っている。
※昨日と今日の「朝日新聞」夕刊に、コラム「私の収穫」を書きました。来週の17日と18日まで4回連載しますので、もしご興味があればご覧ください。
2010年02月24日
春はもうすぐ
いろいろなことがあって、ブログをずっと更新する気になれずにいた。心配してくださっている人には、本当に申し訳ないと思いながら、誰の目に触れるかわからないインターネットの場には、さすがに書けないことが多い。わずかな一言、一行の文章にもショックを受けて、落ち込む。不安に苛まれて眠れなくなる。気がつくと一人で泣いている。そんなふうに精神的に大きく揺れ動いているので、お見舞いの言葉をいただいても、放っておいてほしいと思うこともある。そんなふうに思う自分が、許せなくもあるのだが。
苦手な冬もあとわずかで終わりそうだ。春が近いと思うだけで、生きようという気力がわいてくる。私にとって「生きることは、書くこと」だ。ぼやぼやしているわけにはいかない。がんがおとなしくしている間に、今年出す予定だった2冊の本を何とか完成させなければならない。そのためには時間がほしい。治療以外の時間はほとんど執筆につぎ込む覚悟なので、ブログもあまり書けないと思うが、本が出たときに手に取って読んでいただければうれしい。
苦手な冬もあとわずかで終わりそうだ。春が近いと思うだけで、生きようという気力がわいてくる。私にとって「生きることは、書くこと」だ。ぼやぼやしているわけにはいかない。がんがおとなしくしている間に、今年出す予定だった2冊の本を何とか完成させなければならない。そのためには時間がほしい。治療以外の時間はほとんど執筆につぎ込む覚悟なので、ブログもあまり書けないと思うが、本が出たときに手に取って読んでいただければうれしい。
2010年02月16日
治療疲れ
がんだと宣告されてから、ちょうど3カ月。この間、自分では精一杯頑張ってきたつもりだが、そろそろ精神的なストレスがたまって、耐えられなくなってきた。ここには書けないさまざまなことが起こり、どうするべきかと考えて悩み始めると、夜も眠れなくなる。これは、がん患者で、とくに一番悪いステージ4の患者にしか、なかなかわからないだろう。どこにも逃げ道がない感じなのだ。
数日前に、乳がんで闘病中の友人に会った。彼女は私などよりずっと苛酷な闘いをしている。乳がんの抗がん剤は副作用がひどく、頭髪が全部抜けてしまっている。毛が抜けるということは、まつ毛、眉毛、鼻毛も抜けるのである。さらに、吐き気がひどくて、抗がん剤を投与したあとの2、3日は、何もできないほどだという。慰める言葉もなかった。
彼女は「がん患者でない人とは会いたくない」と言っていた。その気持ちもよくわかる。そんなことを言われても、と思う人が多いだろうが……。私もブログを書く意欲がなかなか出ずにいる。心配していただくのはうれしいが、これは自分の闘いであり、誰にも代わってもらうことはできない。
今日の抗がん剤投与で、3クールが終了した。抗がん剤の点滴もやはり楽しいものではない。1クール3回なので、やっと9回の点滴を終えたことになる。医師によれば、10クール、30回くらい投与を続けると、かなり治療効果が出てくるという。つまり、この程度で弱音を吐いてはいけないのだが、この先、何年続けることになるのだろうか。針を刺す痛みよりも、精神的にきつい。効果が出ていることを祈るばかり。
数日前に、乳がんで闘病中の友人に会った。彼女は私などよりずっと苛酷な闘いをしている。乳がんの抗がん剤は副作用がひどく、頭髪が全部抜けてしまっている。毛が抜けるということは、まつ毛、眉毛、鼻毛も抜けるのである。さらに、吐き気がひどくて、抗がん剤を投与したあとの2、3日は、何もできないほどだという。慰める言葉もなかった。
彼女は「がん患者でない人とは会いたくない」と言っていた。その気持ちもよくわかる。そんなことを言われても、と思う人が多いだろうが……。私もブログを書く意欲がなかなか出ずにいる。心配していただくのはうれしいが、これは自分の闘いであり、誰にも代わってもらうことはできない。
今日の抗がん剤投与で、3クールが終了した。抗がん剤の点滴もやはり楽しいものではない。1クール3回なので、やっと9回の点滴を終えたことになる。医師によれば、10クール、30回くらい投与を続けると、かなり治療効果が出てくるという。つまり、この程度で弱音を吐いてはいけないのだが、この先、何年続けることになるのだろうか。針を刺す痛みよりも、精神的にきつい。効果が出ていることを祈るばかり。
2010年02月09日
病院の待合室での会話
今日は東大病院へ。いつものように血液検査を受けたあと、一時間余り待って主治医から結果を聴く。これまで、抗がん剤の副作用の白血球の減少はあまりなかったのだが、今回の血液検査ではかなり下がっていた。もし、この数値がさらに下がると、抗がん剤投与は中止しなければならないという。この一点だけが不安材料だが、あとは大きな問題はなかった。
ともあれ、「順調です」という言葉に救われた。いまのところ、抗がん剤が効いていて、がんを叩いているということだろう。その抗がん剤が効かなくなる前に、自己治癒力を高めなければならない。
それにしても、病院というのはすごい所だ。今日も待合室で壮絶な話を聴いてしまった。いや、聴くつもりはないのだが、お年寄りは耳が遠い人が多いためか、どうしても聴こえてしまうような大声で話している。つい、その話に聴き入ってしまうのだ。
その男性は、大腸がんを手術したら、肺に転移しているのが見つかったという。医師からは余命3カ月と言われ、そのあと半年と言われ、年内いっぱいと言われながら、すでに4年生きているという! その患者の言葉がすごかった。「医師にずっと、あなたは死にます、あなたは死にます、と言われているんだから、やんなっちゃうよ」。まさにそのことを帯津良一氏が本に書いていた。医師が患者に対して、あと何カ月とか、あと何年とか宣告するのはおかしい、と。
たしかに、あなたはあと3カ月しか生きられません、と言われたら、それを信じた患者は3カ月後に死ぬのだ、と自分でも思ってしまうだろう。そうではなく、あと何年生きるかは患者次第、というのが帯津氏の考え方で、そのために一緒になって治療していきましょう、と患者に話すのだという。実際にこの男性は、あと3カ月しかもたない、と医師に決めつけられながら、4年以上生きている、というではないか。
もう一人の男性患者の奥さんもすごい話をしていた。はじめのうち、抗がん剤の点滴がなんと7時間で、終わると外が薄暗くなっているのが悲しかった、というのである。7時間の点滴中、食事やトイレはどうするのだろう……。朝から夕方まで点滴の管につながれているなんて、想像を絶する。
しかも、治療費がけた外れで、最初のとき3万円くらいかと思っていたら、請求金額は15万円だったそうだ。一回の抗がん剤治療で15万円! だからクレジットカードで払うしかない、と話していたが、たしかにそんな金額を、いつも持ち歩いている人は少ないだろう。
私はいま、一種類の抗がん剤だけなので、点滴は1時間弱で終了し、1回の支払いは血液検査や薬代を含めて2万円程度ですんでいる。だが、これはむしろ幸運なケースなのだ、と思い知らされた。
他にもいろいろなことを話していたが、最初の男性患者が「がんになったとき、お金を湯水のように使える人と、お金がない人はあまり考えなくていいけれども、中途半端にお金を持っている人が一番困る」といったのが印象に残った。その人の奥さんによれば、医療費が1カ月にだいたい24万円はかかり、年300万円くらいになるとのこと。
こうなると、お金がない人は、高額な治療をあきらめざるをえないのだろうが、中途半端にお金がある人にとっても、この金額はきびしい。といって、その治療を受ければ延命できる、と言われれば、やはりやろうと思うだろう。そのとき、年300万円の医療費をどうやって捻出するのか……。病院の待合室にいると、こんないろいろな人生模様が見えてくる。小説家なら、すぐに短篇数編の材料を得られると思うのだが。
ともあれ、「順調です」という言葉に救われた。いまのところ、抗がん剤が効いていて、がんを叩いているということだろう。その抗がん剤が効かなくなる前に、自己治癒力を高めなければならない。
それにしても、病院というのはすごい所だ。今日も待合室で壮絶な話を聴いてしまった。いや、聴くつもりはないのだが、お年寄りは耳が遠い人が多いためか、どうしても聴こえてしまうような大声で話している。つい、その話に聴き入ってしまうのだ。
その男性は、大腸がんを手術したら、肺に転移しているのが見つかったという。医師からは余命3カ月と言われ、そのあと半年と言われ、年内いっぱいと言われながら、すでに4年生きているという! その患者の言葉がすごかった。「医師にずっと、あなたは死にます、あなたは死にます、と言われているんだから、やんなっちゃうよ」。まさにそのことを帯津良一氏が本に書いていた。医師が患者に対して、あと何カ月とか、あと何年とか宣告するのはおかしい、と。
たしかに、あなたはあと3カ月しか生きられません、と言われたら、それを信じた患者は3カ月後に死ぬのだ、と自分でも思ってしまうだろう。そうではなく、あと何年生きるかは患者次第、というのが帯津氏の考え方で、そのために一緒になって治療していきましょう、と患者に話すのだという。実際にこの男性は、あと3カ月しかもたない、と医師に決めつけられながら、4年以上生きている、というではないか。
もう一人の男性患者の奥さんもすごい話をしていた。はじめのうち、抗がん剤の点滴がなんと7時間で、終わると外が薄暗くなっているのが悲しかった、というのである。7時間の点滴中、食事やトイレはどうするのだろう……。朝から夕方まで点滴の管につながれているなんて、想像を絶する。
しかも、治療費がけた外れで、最初のとき3万円くらいかと思っていたら、請求金額は15万円だったそうだ。一回の抗がん剤治療で15万円! だからクレジットカードで払うしかない、と話していたが、たしかにそんな金額を、いつも持ち歩いている人は少ないだろう。
私はいま、一種類の抗がん剤だけなので、点滴は1時間弱で終了し、1回の支払いは血液検査や薬代を含めて2万円程度ですんでいる。だが、これはむしろ幸運なケースなのだ、と思い知らされた。
他にもいろいろなことを話していたが、最初の男性患者が「がんになったとき、お金を湯水のように使える人と、お金がない人はあまり考えなくていいけれども、中途半端にお金を持っている人が一番困る」といったのが印象に残った。その人の奥さんによれば、医療費が1カ月にだいたい24万円はかかり、年300万円くらいになるとのこと。
こうなると、お金がない人は、高額な治療をあきらめざるをえないのだろうが、中途半端にお金がある人にとっても、この金額はきびしい。といって、その治療を受ければ延命できる、と言われれば、やはりやろうと思うだろう。そのとき、年300万円の医療費をどうやって捻出するのか……。病院の待合室にいると、こんないろいろな人生模様が見えてくる。小説家なら、すぐに短篇数編の材料を得られると思うのだが。
2010年02月07日
公開シンポジウム「大逆事件と知識人」
このブログを読んでくださっている方々から、このところずっとメールや手紙をいただき、本当に驚いている。まさか、中学時代の友人たちも読んでくれていたとは……。ありがとう!
ブログの更新が途絶えると、何かあったのではないか、と心配する人がいるので、できるだけ更新したいと思っている。ただ、土日を除いて毎日のように病院やクリニックに出かけている状態なので、予想以上に自由になる時間がない。がん患者がこんなに忙しいとは思わなかった(笑)。両腕とも注射針の跡でボコボコだし、薬はたくさん飲まねばならないし、医療費だけで月数十万円も消えていくし、1日も早くこの状態から逃れたいものだが……。
おかげで、ずっと元気に毎日を過ごしている。昨日は専修大学で開催された公開シンポジウム「大逆事件と知識人」を聴きに行ってきた。4人の講師が話をして、最後に会場からの質問を受けて終了。午後1時から5時15分までの長丁場だったが、気分が悪くなることもなかったので、ホッとした。
4人の方々の講演は、私にはとくに目新しい事実はなかったが、国際啄木学会理事の伊藤和則氏の「吼える坂本清馬」は、伊藤氏が84歳の坂本清馬に会って話を聴いたという内容だったので驚いた。そのときの録音テープも流したのだが、まさか坂本清馬の肉声を聴けるとは思わなかった。坂本清馬を知らない人もいると思うが、大逆事件に連座して無期懲役となり、戦後まで生き抜いた最後の“生き証人”である。再審請求をしたが、結局、かなわずに89歳で没している。
私にとって残念だったのは、4時間15分にわたるシンポジウムのなかで、「堺利彦」の名前が出たのが、わずか1回だけだったこと。大逆事件といえば、主役は幸徳秋水であり、秋水の女房役だった堺利彦のことは、まったく無視されてしまうのが現状である。たしかに堺利彦は、表面的には大逆事件に関わっていない。秋水ら多くの同志が捕えられる前年から、赤旗事件という別の事件で2年間も獄中につながれていたからだ。大杉栄、荒畑寒村、山川均も堺と同様に、獄中にいたため、大逆事件に連座せずにすんだ。
秋水らが処刑される4カ月前に釈放された堺は、親友や同志のために監獄に面会に行き、差し入れをし、手紙を書き、被告人たちの家族の世話をし、あらゆることを一手に引き受けている。当時、検挙されなかった社会主義者たちの多くは、身の危険を感じて姿をくらませたり、主義を捨てたり、宗教に走ったりしていた。そのなかで、堺は孤軍奮闘していたのだ。
秋水らが処刑されると、遺体の引き取りから葬儀の手はず、遺族への連絡、遺品の保管、秋水の遺稿の刊行など、すべて堺利彦が行っている。さらに、堺は各地に散らばっている処刑者の遺族たちと、無期懲役囚の家族たちを慰問する旅に出た。当時、堺利彦は生き残った社会主義者のなかで、もっとも危険人物としてマークされていたので、ずっと尾行刑事がついている。自分にも家族がありながら、冤罪で殺された同志の遺族たちを慰めるために、自ら足を運んでいるのである。
大逆事件はそうした堺利彦の存在抜きにしては語れない、と私は考えている。堺がいなければ、大逆事件後の日本は、もっと悲惨なことになっていたに違いない。その思いから、いま堺利彦の本の原稿を書き下ろしている。もう少し時間が必要だが、この本だけはどうしても大逆事件100年の今年中に完成させたい。いや、させなければならない、と思っている。
ブログの更新が途絶えると、何かあったのではないか、と心配する人がいるので、できるだけ更新したいと思っている。ただ、土日を除いて毎日のように病院やクリニックに出かけている状態なので、予想以上に自由になる時間がない。がん患者がこんなに忙しいとは思わなかった(笑)。両腕とも注射針の跡でボコボコだし、薬はたくさん飲まねばならないし、医療費だけで月数十万円も消えていくし、1日も早くこの状態から逃れたいものだが……。
おかげで、ずっと元気に毎日を過ごしている。昨日は専修大学で開催された公開シンポジウム「大逆事件と知識人」を聴きに行ってきた。4人の講師が話をして、最後に会場からの質問を受けて終了。午後1時から5時15分までの長丁場だったが、気分が悪くなることもなかったので、ホッとした。
4人の方々の講演は、私にはとくに目新しい事実はなかったが、国際啄木学会理事の伊藤和則氏の「吼える坂本清馬」は、伊藤氏が84歳の坂本清馬に会って話を聴いたという内容だったので驚いた。そのときの録音テープも流したのだが、まさか坂本清馬の肉声を聴けるとは思わなかった。坂本清馬を知らない人もいると思うが、大逆事件に連座して無期懲役となり、戦後まで生き抜いた最後の“生き証人”である。再審請求をしたが、結局、かなわずに89歳で没している。
私にとって残念だったのは、4時間15分にわたるシンポジウムのなかで、「堺利彦」の名前が出たのが、わずか1回だけだったこと。大逆事件といえば、主役は幸徳秋水であり、秋水の女房役だった堺利彦のことは、まったく無視されてしまうのが現状である。たしかに堺利彦は、表面的には大逆事件に関わっていない。秋水ら多くの同志が捕えられる前年から、赤旗事件という別の事件で2年間も獄中につながれていたからだ。大杉栄、荒畑寒村、山川均も堺と同様に、獄中にいたため、大逆事件に連座せずにすんだ。
秋水らが処刑される4カ月前に釈放された堺は、親友や同志のために監獄に面会に行き、差し入れをし、手紙を書き、被告人たちの家族の世話をし、あらゆることを一手に引き受けている。当時、検挙されなかった社会主義者たちの多くは、身の危険を感じて姿をくらませたり、主義を捨てたり、宗教に走ったりしていた。そのなかで、堺は孤軍奮闘していたのだ。
秋水らが処刑されると、遺体の引き取りから葬儀の手はず、遺族への連絡、遺品の保管、秋水の遺稿の刊行など、すべて堺利彦が行っている。さらに、堺は各地に散らばっている処刑者の遺族たちと、無期懲役囚の家族たちを慰問する旅に出た。当時、堺利彦は生き残った社会主義者のなかで、もっとも危険人物としてマークされていたので、ずっと尾行刑事がついている。自分にも家族がありながら、冤罪で殺された同志の遺族たちを慰めるために、自ら足を運んでいるのである。
大逆事件はそうした堺利彦の存在抜きにしては語れない、と私は考えている。堺がいなければ、大逆事件後の日本は、もっと悲惨なことになっていたに違いない。その思いから、いま堺利彦の本の原稿を書き下ろしている。もう少し時間が必要だが、この本だけはどうしても大逆事件100年の今年中に完成させたい。いや、させなければならない、と思っている。
2010年02月03日
生きる希望
このブログは最初、購入した古書のことを忘れないために、覚書のように書こうと思ってスタートした。そのため、あまりプライベートなことは書かない方針だったのだが、意外にも、ブログで私のグチを読むのを楽しみにしている、と言う人が何人もいたので、そんなことも多少は書いてきた。
しかし、「闘病記」などを書き始めてしまうと、これはまさにプライベートな事柄そのもので、生身をさらしているようなものだ(笑)。恥ずかしいのだが、このブログを読んでくださっている方々には、やはり病状をご報告しておくべきだろうという思いがあるので、これからも随時書いていこうと思う。もしかすると、書けないことが出てくるかもしれないが。
抗がん剤投与が2クール(6回)終了したので、先週、造影剤を入れてCT検査を受けた。2カ月弱ごとに1回、CT画像でがんの様子をチェックするのだ。抗がん剤投与を始めて最初のチェックなので、主治医によれば、「ひどくなっていないかどうかを見る」ということだった。もし、がんが以前より大きくなっていれば、抗がん剤がほとんど効いていないことになり、別の治療法を検討しなければならない。その場合には、また入院という可能性もある、という話。
昨日は、そのCTの結果を聞いてきた。2カ月前のCT画像と、先週撮ったばかりの画像を並べて見せてもらったが、明らかにひと回りがんが小さくなっていた。これはうれしかった。そういわれればそう見えないこともない、という程度ではなく、小さくなっているのがはっきりわかったからだ。やった!と叫びたいような気持ち。
現在、私が受けている抗がん剤治療は、あくまでも標準的な治療なので、人によって効果はさまざまで、よく効く人もいれば、中にはほとんど効かない人もいる。私の場合、抗がん剤がたしかに効いている! 主治医に前に聞いた話では、6クールくらい終えると効果が出てくる、ということだったので、昨日は「2カ月にしては小さくなっている」と言ってもらえた。
この結果を受けて、今後も抗がん剤治療を継続することになり、昨日から3クール目に入った。また6回終了した段階でCTを撮ってチェックする。どれくらい続けたら、がんがどこまで小さくなるのか。先のことはまだわからないし、とにかく長い闘いになることだけは覚悟している。それでも、昨日の結果を聞いて、明るい希望がもてた。人間は一つでも希望があれば前向きに生きていける、ということを痛感させられた。応援してくださっている皆様、本当にありがとう!
しかし、「闘病記」などを書き始めてしまうと、これはまさにプライベートな事柄そのもので、生身をさらしているようなものだ(笑)。恥ずかしいのだが、このブログを読んでくださっている方々には、やはり病状をご報告しておくべきだろうという思いがあるので、これからも随時書いていこうと思う。もしかすると、書けないことが出てくるかもしれないが。
抗がん剤投与が2クール(6回)終了したので、先週、造影剤を入れてCT検査を受けた。2カ月弱ごとに1回、CT画像でがんの様子をチェックするのだ。抗がん剤投与を始めて最初のチェックなので、主治医によれば、「ひどくなっていないかどうかを見る」ということだった。もし、がんが以前より大きくなっていれば、抗がん剤がほとんど効いていないことになり、別の治療法を検討しなければならない。その場合には、また入院という可能性もある、という話。
昨日は、そのCTの結果を聞いてきた。2カ月前のCT画像と、先週撮ったばかりの画像を並べて見せてもらったが、明らかにひと回りがんが小さくなっていた。これはうれしかった。そういわれればそう見えないこともない、という程度ではなく、小さくなっているのがはっきりわかったからだ。やった!と叫びたいような気持ち。
現在、私が受けている抗がん剤治療は、あくまでも標準的な治療なので、人によって効果はさまざまで、よく効く人もいれば、中にはほとんど効かない人もいる。私の場合、抗がん剤がたしかに効いている! 主治医に前に聞いた話では、6クールくらい終えると効果が出てくる、ということだったので、昨日は「2カ月にしては小さくなっている」と言ってもらえた。
この結果を受けて、今後も抗がん剤治療を継続することになり、昨日から3クール目に入った。また6回終了した段階でCTを撮ってチェックする。どれくらい続けたら、がんがどこまで小さくなるのか。先のことはまだわからないし、とにかく長い闘いになることだけは覚悟している。それでも、昨日の結果を聞いて、明るい希望がもてた。人間は一つでも希望があれば前向きに生きていける、ということを痛感させられた。応援してくださっている皆様、本当にありがとう!
2010年01月31日
大逆事件処刑100年追悼集会
いろいろな方から心配していただいていますが、おかげさまで、自分ががん患者だということを忘れてしまうほど元気です。これほど体調がいいと、もっと仕事をバリバリやりたくてたまらず、ブレーキをかけるのが大変。この無謀な性格が、病気の発見を遅らせた原因なのですが……。大いに反省しつつ、無理をしないようにしながら、いまの生活を維持していきたいと思います。
昨日はありがたいことに暖かく、午後から正春寺で開催された「大逆事件処刑100年追悼集会」に出席してきました。もっと少人数かと思っていたのですが、80人くらいはいたでしょうか。部屋からあふれるほどの人が集まり、イスが足りず、立ったままの人もいました。処刑された人のご遺族や、それぞれの地元から来た人など、さまざまでした。新聞社の人たちも来ていました。
写真は管野すがのお墓。読経をしてお参りをしたあと、再び部屋に戻って、いろいろな人の報告や挨拶を聞きました。今年は100周年ということで、大逆事件と日韓併合についてのシンポジウムや展示が各地で行われるようです。会の終了後、処刑された人のご遺族からお話をうかがうことができました。100年前の事件が、いまもこうして大勢の人たちによって受け継がれ、語り続けられていることに、感慨を覚えずにはいられません。“生きた歴史”とは、まさにこういうことでしょう。
私が身体に変調を覚えたのは昨年夏ごろでしたが、実はそのときずっと、大逆事件関係の資料を読んでいたのです。いま、菅谷さんの冤罪事件が話題になっていますが、それどころではない誘導訊問や“うつつ責め”と呼ばれる訊問(睡眠させずに、頭を朦朧とさせて行う)のひどさ、12人の処刑のことなど、リアルな記述を連日のように読んでいて、夜ほとんど眠れなくなってしまったのでした。
当時、死刑囚と無期懲役囚たちの家族はどんな気持ちだったのか、と想像せずにはいられません。しかも、戦後になっても再審請求は拒絶されています。国家によってこうした“犯罪”が行われ、我が身に火の粉がかかるのを怖れて、誰もが口をつぐむという状況……。こうしたことが二度と起こらないようにするためにも、明治末期の大逆事件のことを、多くの人に知ってほしいと思います。
昨日はありがたいことに暖かく、午後から正春寺で開催された「大逆事件処刑100年追悼集会」に出席してきました。もっと少人数かと思っていたのですが、80人くらいはいたでしょうか。部屋からあふれるほどの人が集まり、イスが足りず、立ったままの人もいました。処刑された人のご遺族や、それぞれの地元から来た人など、さまざまでした。新聞社の人たちも来ていました。
写真は管野すがのお墓。読経をしてお参りをしたあと、再び部屋に戻って、いろいろな人の報告や挨拶を聞きました。今年は100周年ということで、大逆事件と日韓併合についてのシンポジウムや展示が各地で行われるようです。会の終了後、処刑された人のご遺族からお話をうかがうことができました。100年前の事件が、いまもこうして大勢の人たちによって受け継がれ、語り続けられていることに、感慨を覚えずにはいられません。“生きた歴史”とは、まさにこういうことでしょう。
私が身体に変調を覚えたのは昨年夏ごろでしたが、実はそのときずっと、大逆事件関係の資料を読んでいたのです。いま、菅谷さんの冤罪事件が話題になっていますが、それどころではない誘導訊問や“うつつ責め”と呼ばれる訊問(睡眠させずに、頭を朦朧とさせて行う)のひどさ、12人の処刑のことなど、リアルな記述を連日のように読んでいて、夜ほとんど眠れなくなってしまったのでした。
当時、死刑囚と無期懲役囚たちの家族はどんな気持ちだったのか、と想像せずにはいられません。しかも、戦後になっても再審請求は拒絶されています。国家によってこうした“犯罪”が行われ、我が身に火の粉がかかるのを怖れて、誰もが口をつぐむという状況……。こうしたことが二度と起こらないようにするためにも、明治末期の大逆事件のことを、多くの人に知ってほしいと思います。
2010年01月29日
大逆事件100年カレンダー
これは、昨年暮れにいただいたもの。いままでたくさんのカレンダーを贈られたり、買ったりしてきましたが、これほど迫力のあるカレンダーは初めてでした。1910(明治43)年に幸徳秋水らが検挙され、翌年1月に大逆罪によって処刑されるわけですが、当初、死刑判決が出たのは24人で、天皇の特赦という形で半分の12人は無期懲役となり、絞首刑になったのは12人でした。
全部のページを紹介できないのは残念ですが、このカレンダーでは、大逆事件に関連してさまざまな写真を紹介しています。日露戦争期の平民社のことや、戦後の再審請求などにも触れていて、興味深い資料になっています。カレンダーの日付の部分に、誕生日からさまざまな事件や出来事など、関連情報が小さな文字で印刷されていたのには驚きました。
このカレンダーの編集・発行は「アナキズム文献センター」。連絡先は、東京都新宿区新宿1-30-12-302 三月工房気付 アナキズム文献センター。メールはinfo●cira-japana.net です(●は@)。
全部のページを紹介できないのは残念ですが、このカレンダーでは、大逆事件に関連してさまざまな写真を紹介しています。日露戦争期の平民社のことや、戦後の再審請求などにも触れていて、興味深い資料になっています。カレンダーの日付の部分に、誕生日からさまざまな事件や出来事など、関連情報が小さな文字で印刷されていたのには驚きました。
このカレンダーの編集・発行は「アナキズム文献センター」。連絡先は、東京都新宿区新宿1-30-12-302 三月工房気付 アナキズム文献センター。メールはinfo●cira-japana.net です(●は@)。
2010年01月27日
堺利彦の墓
このところ毎日、目まぐるしく動いているので、忘れないうちに書いておきます。1月23日は、私がいま本を書いている堺利彦の命日でした。堺利彦は、1933(昭和8)年1月23日に満62歳で没しています。堺の親友であり、1911(明治44)年に大逆罪で処刑された幸徳秋水の命日が、翌日の1月24日だというのも、何か不思議な因縁を感じずにはいられません。
昨年の堺利彦の命日には、どうしても都合がつかずに行けなかったのですが、今年は前日の22日に、堺利彦の孫の方々と一緒にお墓参りをすることができました。お墓は鶴見の総持寺にあります。
写真では大きさがわからないかもしれませんが、予想していた以上に堂々とした大きなお墓でした。とはいえ、すっきりしたいいお墓で、「堺利彦之墓」という文字は三宅雪嶺の筆によるもの。大逆事件(幸徳事件)から100周年の今年、こうして初めて墓前に立つことができたのも、何かのご縁だろうと思います。
また、1月30日(土)13時〜16時には、「大逆事件処刑100年追悼集会」が開かれます。毎年開かれていて、昨年も案内をいただいたのですが、参加できませんでした。でも、今年はなんとかして行こうと思っています。
「大逆事件処刑100年追悼集会」の場所は、管野すがが葬られている正春寺(渋谷区代々木3-27-5)で、参加費は500円と『ニュース』(第49号)代金として500円。正春寺は、JR新宿駅南口から甲州街道の文化女子大学側をまっすぐ進み、高速道路のすぐ下にあります。徒歩約10分。
なにしろ、今年は100年という節目の年です。大逆事件について知らない、という人も多いと思うので、今年はできるだけ、この事件のことを伝えていきたいと思っています。
昨年の堺利彦の命日には、どうしても都合がつかずに行けなかったのですが、今年は前日の22日に、堺利彦の孫の方々と一緒にお墓参りをすることができました。お墓は鶴見の総持寺にあります。
写真では大きさがわからないかもしれませんが、予想していた以上に堂々とした大きなお墓でした。とはいえ、すっきりしたいいお墓で、「堺利彦之墓」という文字は三宅雪嶺の筆によるもの。大逆事件(幸徳事件)から100周年の今年、こうして初めて墓前に立つことができたのも、何かのご縁だろうと思います。
また、1月30日(土)13時〜16時には、「大逆事件処刑100年追悼集会」が開かれます。毎年開かれていて、昨年も案内をいただいたのですが、参加できませんでした。でも、今年はなんとかして行こうと思っています。
「大逆事件処刑100年追悼集会」の場所は、管野すがが葬られている正春寺(渋谷区代々木3-27-5)で、参加費は500円と『ニュース』(第49号)代金として500円。正春寺は、JR新宿駅南口から甲州街道の文化女子大学側をまっすぐ進み、高速道路のすぐ下にあります。徒歩約10分。
なにしろ、今年は100年という節目の年です。大逆事件について知らない、という人も多いと思うので、今年はできるだけ、この事件のことを伝えていきたいと思っています。
2010年01月25日
北大路魯山人『春夏秋冬 料理王国』(中公文庫)発売です
お知らせです。北大路魯山人著『春夏秋冬 料理王国』が、中公文庫から発売されました。定価は税込み680円。その解説の執筆が、昨年入院する前の最後の仕事でした。この本で魯山人は、村井弦斎への批判を書いているのですが、解説ではその件にも触れています。
未見ですが、ちくま文庫からも魯山人のこの本が今月出たとのこと。初の文庫化が、2社でピッタリ重なるなんて……。こんな偶然もあるのですね。ちなみに、定価はちくま文庫のほうが少し高いようですが(笑)。料理に興味のあるかたは、ぜひ書店で手にとってみてください(中公文庫です!)。
**************
相変わらず、コメントに答えられなくて申し訳ありません。ご心配をおかけしていますが、おかげさまで治療は順調に進んでいて、2カ月前よりずっと体調もよくなり、元気に出歩いていて、会う人ごとに驚かれています。原稿も書いていますし、仕事の打ち合わせもしています。いま、睡眠時間を7〜8時間は取るようにしているので、活動時間が短く、忙しくてブログまで手が回らずにいる、というのが実情です。
少しずつ執筆しているものの、締切までの日数が短い原稿や講演はまだ無理なので、しばらくスローペースでやっていくつもりです。抗がん剤治療は週1回のペースで3週連続行い、次の1週間はお休みです。今週はその休みの週なので、ちょっとホッとしました。抗がん剤治療の日は、どうしても半日ずっと病院にいることになり、「なぜこんな場所にいるのだろう」と思って、落ち込んでしまうからです。まだ寒い日が続くので、皆様どうかくれぐれもご自愛ください。
未見ですが、ちくま文庫からも魯山人のこの本が今月出たとのこと。初の文庫化が、2社でピッタリ重なるなんて……。こんな偶然もあるのですね。ちなみに、定価はちくま文庫のほうが少し高いようですが(笑)。料理に興味のあるかたは、ぜひ書店で手にとってみてください(中公文庫です!)。
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相変わらず、コメントに答えられなくて申し訳ありません。ご心配をおかけしていますが、おかげさまで治療は順調に進んでいて、2カ月前よりずっと体調もよくなり、元気に出歩いていて、会う人ごとに驚かれています。原稿も書いていますし、仕事の打ち合わせもしています。いま、睡眠時間を7〜8時間は取るようにしているので、活動時間が短く、忙しくてブログまで手が回らずにいる、というのが実情です。
少しずつ執筆しているものの、締切までの日数が短い原稿や講演はまだ無理なので、しばらくスローペースでやっていくつもりです。抗がん剤治療は週1回のペースで3週連続行い、次の1週間はお休みです。今週はその休みの週なので、ちょっとホッとしました。抗がん剤治療の日は、どうしても半日ずっと病院にいることになり、「なぜこんな場所にいるのだろう」と思って、落ち込んでしまうからです。まだ寒い日が続くので、皆様どうかくれぐれもご自愛ください。
2010年01月19日
“週刊”ですが……。
気がつけば、週1回の抗がん剤治療の日に、ブログを更新しなければ、という気持ちになって書いています。これではまるで『週刊古書の森』ですね。皆様からのコメントも読んでいるのですが、なかなか返事を書くきっかけがつかめず、そのままになってしまっています。こちらも失礼をお詫びします。
ブログを書かないと、もう死んだのではないかと言われそうなので、せめて週1回でも書きたいのですが、最近は古書展にも行っていませんし、古書もほとんど買っていません。さすがに、いまはそれどころではないので、自分の命を守るために時間を費やしています。
まずは毎日の食事。これを完全に変えました。玄米食、菜食、肉なし、塩抜き……といった具合で、全部自分でつくっているので、そのためにかなり時間がかかります。ほかにも、がんに効果があると言われていることをいろいろ試しています。友人たちからも、身体にいい食材などを送ってもらっています。感謝!!
体調は良くなってきたので、先週は読売新聞の読書委員会にも出席。気分が悪くなることもなかったので、自信がもてました。あと1年任期が残っているので、少しずつ書評も書いていきたいと思っています。11月と12月の2カ月間欠席してしまったので、新委員の方々と初めてお会いし、とても新鮮でした。
その一方で、工作舎から4月に出る予定の本に合わせて、いろいろなプランが浮上してきています。どこまでできるかわかりませんが、春までにはもっと身体が良い状態になっていると思うので、ぜひ実現させたいと思っています。書き下ろし途中で中断していた原稿にも、少しずつ手をつけています。亀の歩みのようなペースですが、これも絶対に完成させます。
そんなこんなで毎日忙しく、じっくり本が読めるだろう、原稿をたくさん書けるだろうと思っていたのに、あっという間に1日がすぎてしまっています。お手紙などをいただいても、なかなか対応できていませんが、そういう事情なのでどうかお許しください。
本当に、あちこちからお見舞いの手紙やメールを送っていただき、感謝の言葉もありません。この先、がんを死滅させることが無理でも、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)を保ちながら、うまく共存できるようになれば、落ち着いて仕事も再開できると思っています。ですので、どうかあまり心配なさらないでください。私も、まずは苦手なこの寒い冬を乗り切ることを第一に考えて、前向きに闘病していきます。
ブログを書かないと、もう死んだのではないかと言われそうなので、せめて週1回でも書きたいのですが、最近は古書展にも行っていませんし、古書もほとんど買っていません。さすがに、いまはそれどころではないので、自分の命を守るために時間を費やしています。
まずは毎日の食事。これを完全に変えました。玄米食、菜食、肉なし、塩抜き……といった具合で、全部自分でつくっているので、そのためにかなり時間がかかります。ほかにも、がんに効果があると言われていることをいろいろ試しています。友人たちからも、身体にいい食材などを送ってもらっています。感謝!!
体調は良くなってきたので、先週は読売新聞の読書委員会にも出席。気分が悪くなることもなかったので、自信がもてました。あと1年任期が残っているので、少しずつ書評も書いていきたいと思っています。11月と12月の2カ月間欠席してしまったので、新委員の方々と初めてお会いし、とても新鮮でした。
その一方で、工作舎から4月に出る予定の本に合わせて、いろいろなプランが浮上してきています。どこまでできるかわかりませんが、春までにはもっと身体が良い状態になっていると思うので、ぜひ実現させたいと思っています。書き下ろし途中で中断していた原稿にも、少しずつ手をつけています。亀の歩みのようなペースですが、これも絶対に完成させます。
そんなこんなで毎日忙しく、じっくり本が読めるだろう、原稿をたくさん書けるだろうと思っていたのに、あっという間に1日がすぎてしまっています。お手紙などをいただいても、なかなか対応できていませんが、そういう事情なのでどうかお許しください。
本当に、あちこちからお見舞いの手紙やメールを送っていただき、感謝の言葉もありません。この先、がんを死滅させることが無理でも、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)を保ちながら、うまく共存できるようになれば、落ち着いて仕事も再開できると思っています。ですので、どうかあまり心配なさらないでください。私も、まずは苦手なこの寒い冬を乗り切ることを第一に考えて、前向きに闘病していきます。
2010年01月12日
生きる力
ブログを書くのがきつい。こんなにきついと思ったことはなかった。でも、書きたいという気持ちもある。がんになる前の自分を取り戻すためにも。
打ちのめされたかと思えば、希望を抱いて明るい気持ちになり、絶望したかと思えば、絶対に負けるものかと心に誓う。毎日そのくり返し。「生きる」には力がいる、ということをいまさらのように痛感する。誰もが、ただ生きているわけではない。一人で生きているつもりでも、大勢に支えられて生きている。
今日の抗がん剤治療も無事に終了した。幸い、まだ副作用はほとんど出ていない。こうした一つひとつのことに、心から感謝したくなる。病院へ行くたびに、こんなに多くの人ががんと闘病している、という現実を目の当たりにする。私よりずっと病状が深刻な人もたくさんいるのだ。弱音ははけない。
******************
昨日は、元の会社関係の女性たちの新年会。その場で思いがけない話を聞いて涙がとまらず、恥ずかしい姿をお見せしてしまいました。何と書いていいのか、正直なところ言葉も見つからないのですが、このブログを読んでくださっている元のU社と関係者の皆様、本当にありがとうございました。
本来ならお一人ずつにお礼状を書くべきで、それができずにいて心苦しいのですが、いまはご厚意を素直に受け取らせていただきます。皆様の「応援しているよ」というお気持ちが、私には一番の「生きる力」であり「生きる支え」になっています。いま執筆中の本を完成できるように、精一杯頑張ります。皆様、やさしさと愛をありがとう!
打ちのめされたかと思えば、希望を抱いて明るい気持ちになり、絶望したかと思えば、絶対に負けるものかと心に誓う。毎日そのくり返し。「生きる」には力がいる、ということをいまさらのように痛感する。誰もが、ただ生きているわけではない。一人で生きているつもりでも、大勢に支えられて生きている。
今日の抗がん剤治療も無事に終了した。幸い、まだ副作用はほとんど出ていない。こうした一つひとつのことに、心から感謝したくなる。病院へ行くたびに、こんなに多くの人ががんと闘病している、という現実を目の当たりにする。私よりずっと病状が深刻な人もたくさんいるのだ。弱音ははけない。
******************
昨日は、元の会社関係の女性たちの新年会。その場で思いがけない話を聞いて涙がとまらず、恥ずかしい姿をお見せしてしまいました。何と書いていいのか、正直なところ言葉も見つからないのですが、このブログを読んでくださっている元のU社と関係者の皆様、本当にありがとうございました。
本来ならお一人ずつにお礼状を書くべきで、それができずにいて心苦しいのですが、いまはご厚意を素直に受け取らせていただきます。皆様の「応援しているよ」というお気持ちが、私には一番の「生きる力」であり「生きる支え」になっています。いま執筆中の本を完成できるように、精一杯頑張ります。皆様、やさしさと愛をありがとう!
2010年01月05日
抗がん剤治療の待合室での会話
なんだか、とんでもない年末でしたが、おかげさまで無事に年を越すことができました。このブログにも、いろいろな方々からコメントをいただきました。返信を書けずにいますが、本当にありがとうございました。今年は年賀状も一枚も書いていません。いただいた年賀状に返事を書くべきか、と考えただけで、心理的に負担になっているので、失礼させていただくつもりです。ゴメンナサイ。
年賀状もたくさんいただいたのですが、このブログをご覧になっていない人たちから、「お元気ですか」とか「ご活躍ですね」と書き添えられたのを見て、複雑な気分になっています。例年、私も年賀状を出す際に「お元気ですか」と書くことが多かった気がします。でも、相手が闘病中だったり、つらい出来事に遭遇しているとき、そのメッセージを読んでどう思うか、ということまでは思いが至りませんでした。悪気はなくても、傷つけていたかもしれません。反省しています。
さて、今日は今年初めての抗がん剤治療のために、朝から病院へ行ってきました。まだ4回目ですが、ずっと副作用らしいものはなく、体調も良くなってきています。ある意味、開き直れたと言うか、こうなってしまった以上、いまできることを精一杯やるほかはない、と達観できるようになったからでしょう。
抗がん剤治療を受ける部屋の待合室で、60代から70代くらいの女性3人が大声で話をしていました。それぞれ肝臓がん、十二指腸がん、膵臓がんだということで、思わず膵臓がんの女性の話に聞き入ってしまったのですが、その膵臓がんのオバチャンの元気なこと! テンションの高さは関西人のノリかと思うほどで、「いま2人に1人はがんになり、3人に1人はがんで死ぬんだってね」「お互い流行に乗り遅れなくてヨカッタネ!」……。がんは「流行」ですか! 私は、できれば乗り遅れたかったけど……。
さらに、「膵臓がんだとわかって死にかけていたのを、先生に救ってもらった」「1年前に手術をした」「膵臓だけでなく胃の一部と胆嚢も取った」「手術は14時間かかった」……。エッ、手術が14時間! 話している内容はものすごく壮絶なのに、日常茶飯事のようにアッケラカランと話していることに驚愕。
もう一人の十二指腸がんの人も手術は8時間だったとのこと。その人は3人中一番年上で、多分80歳近く、体重はわずか30キロという痩身。それでも8時間もの手術に耐え、その後もこうして遠方から抗がん剤治療に通ってきているとは! 驚きのあまり、目をみはってしまいました。
いやはや、元気づけられましたね。世の中にはがん患者など山ほどいて、私よりきつい治療を受けている患者もたくさんいるわけです。しかもそうした患者が、病気を笑い飛ばす勢いで明るく生きているのを、目の当たりにしたのですから。とくに、私と同じ膵臓がん患者の人が、相当悪かったらしいのに、ゲラゲラ笑って底抜けに明るいことに、救われる思いでした。
しかも、「膵臓がんは再発しやすいんですって」とその人は現状を把握しつつ、いまはそんなことを気にしたってしょうがないじゃないの、という感じでした。まったくその通り。悪いことを考えてもしかたがないので、今年はきっと良い年になると信じることにします。みなさま、今年もどうかよろしくお願いします。
―追伸―
むのたけじさんのファンの方々が、このブログを読んでくださっていると知って、とてもうれしかったです。ちょうど、いま発売中の『週刊朝日』(1/15号)のP32〜35に、むのさんの談話が載っています(聞き手は元朝日新聞記者)。この1月2日に95歳になったむのさんですが、鋭い意見にハッとさせられます。また、絶版だったむのさんの『たいまつ十六年』が、2月に岩波現代文庫から復刊されます。ぜひ手に取ってご覧ください!
年賀状もたくさんいただいたのですが、このブログをご覧になっていない人たちから、「お元気ですか」とか「ご活躍ですね」と書き添えられたのを見て、複雑な気分になっています。例年、私も年賀状を出す際に「お元気ですか」と書くことが多かった気がします。でも、相手が闘病中だったり、つらい出来事に遭遇しているとき、そのメッセージを読んでどう思うか、ということまでは思いが至りませんでした。悪気はなくても、傷つけていたかもしれません。反省しています。
さて、今日は今年初めての抗がん剤治療のために、朝から病院へ行ってきました。まだ4回目ですが、ずっと副作用らしいものはなく、体調も良くなってきています。ある意味、開き直れたと言うか、こうなってしまった以上、いまできることを精一杯やるほかはない、と達観できるようになったからでしょう。
抗がん剤治療を受ける部屋の待合室で、60代から70代くらいの女性3人が大声で話をしていました。それぞれ肝臓がん、十二指腸がん、膵臓がんだということで、思わず膵臓がんの女性の話に聞き入ってしまったのですが、その膵臓がんのオバチャンの元気なこと! テンションの高さは関西人のノリかと思うほどで、「いま2人に1人はがんになり、3人に1人はがんで死ぬんだってね」「お互い流行に乗り遅れなくてヨカッタネ!」……。がんは「流行」ですか! 私は、できれば乗り遅れたかったけど……。
さらに、「膵臓がんだとわかって死にかけていたのを、先生に救ってもらった」「1年前に手術をした」「膵臓だけでなく胃の一部と胆嚢も取った」「手術は14時間かかった」……。エッ、手術が14時間! 話している内容はものすごく壮絶なのに、日常茶飯事のようにアッケラカランと話していることに驚愕。
もう一人の十二指腸がんの人も手術は8時間だったとのこと。その人は3人中一番年上で、多分80歳近く、体重はわずか30キロという痩身。それでも8時間もの手術に耐え、その後もこうして遠方から抗がん剤治療に通ってきているとは! 驚きのあまり、目をみはってしまいました。
いやはや、元気づけられましたね。世の中にはがん患者など山ほどいて、私よりきつい治療を受けている患者もたくさんいるわけです。しかもそうした患者が、病気を笑い飛ばす勢いで明るく生きているのを、目の当たりにしたのですから。とくに、私と同じ膵臓がん患者の人が、相当悪かったらしいのに、ゲラゲラ笑って底抜けに明るいことに、救われる思いでした。
しかも、「膵臓がんは再発しやすいんですって」とその人は現状を把握しつつ、いまはそんなことを気にしたってしょうがないじゃないの、という感じでした。まったくその通り。悪いことを考えてもしかたがないので、今年はきっと良い年になると信じることにします。みなさま、今年もどうかよろしくお願いします。
―追伸―
むのたけじさんのファンの方々が、このブログを読んでくださっていると知って、とてもうれしかったです。ちょうど、いま発売中の『週刊朝日』(1/15号)のP32〜35に、むのさんの談話が載っています(聞き手は元朝日新聞記者)。この1月2日に95歳になったむのさんですが、鋭い意見にハッとさせられます。また、絶版だったむのさんの『たいまつ十六年』が、2月に岩波現代文庫から復刊されます。ぜひ手に取ってご覧ください!
2009年12月31日
みなさま、良いお年をお迎えください
あちこちからお見舞いのお手紙やメールをいただき、このブログが思いがけない方々にも読まれていることを知って、驚いています。本当にありがとうございました。また、ブログを読んで気遣ってくださっているすべての方々に、心から御礼申し上げます。
いま、入院していたときと同じ規則正しい生活を心がけ、睡眠時間も十分過ぎるほどとり、食事のメニューを一変させ、仕事のストレスのない心穏やかな日々を過ごしています。体調もかなり良くなりました。早く仕事を再開したいと思いつつ、無理するな、と周囲の人たちにきびしく言われているので、どの程度が「無理」なのかを自分で見極めながら、少しずつ書いていくつもりです。
今年は12月に2週間以上も入院していたので、ついに年賀状を買わないままになってしまいました。申し訳ありませんが、いただいた年賀状にも、返事は書けないかもしれません。今年はこの1カ月半で1年分くらい泣きましたが、来年は笑顔で年賀状を書けることを願うばかりです。
一時は、ブログを書くのもやめようかと思いましたが、ささやかながら5年以上書き続けてきたこの場が、自分にとって心の支えにもなっていることを、今回痛感しました。暗い話はなるべく避けて、来年は古書のことも書きたいと思っています。お時間があれば、またこのブログに遊びにいらしてください。
みなさま、どうか良いお年をお迎えください! 来年またお目にかかれますように。
いま、入院していたときと同じ規則正しい生活を心がけ、睡眠時間も十分過ぎるほどとり、食事のメニューを一変させ、仕事のストレスのない心穏やかな日々を過ごしています。体調もかなり良くなりました。早く仕事を再開したいと思いつつ、無理するな、と周囲の人たちにきびしく言われているので、どの程度が「無理」なのかを自分で見極めながら、少しずつ書いていくつもりです。
今年は12月に2週間以上も入院していたので、ついに年賀状を買わないままになってしまいました。申し訳ありませんが、いただいた年賀状にも、返事は書けないかもしれません。今年はこの1カ月半で1年分くらい泣きましたが、来年は笑顔で年賀状を書けることを願うばかりです。
一時は、ブログを書くのもやめようかと思いましたが、ささやかながら5年以上書き続けてきたこの場が、自分にとって心の支えにもなっていることを、今回痛感しました。暗い話はなるべく避けて、来年は古書のことも書きたいと思っています。お時間があれば、またこのブログに遊びにいらしてください。
みなさま、どうか良いお年をお迎えください! 来年またお目にかかれますように。