※画像をクリックするとPDFで当時の記事をご覧いただけます。
【解説】
栃木県足利市で起きた幼女誘拐殺人事件の犯人として1991年に逮捕され、無期懲役が確定していた菅家利和さんが、今年の6月4日、再審が確実となり釈放されたことは、ご記憶の方も多いでしょう。逮捕の決め手は、当時のDNA鑑定によって遺留品に付着していた犯人のDNAと菅家さんのそれが一致したことでしたが、今年になって再鑑定された結果、一転して不一致という結果が出たことから、菅家さんの無実が明らかになったのでした。
17年以上も殺人犯という濡れ衣を着せられてきた菅家さんを救い出すきっかけとなったのが、「現代」に94年12月号を皮切りに、今回ご覧いただく96年8月号、そして同9月号と3回にわたり掲載された小林篤さんによるレポートでした。
一審で無期懲役の判決をうけ控訴した菅家さんの担当弁護士が、各マスコミに配布した分厚い控訴趣意書を読んだ小林さんは、これは冤罪かもしれないと疑問を抱きました。そして、ほかのどのマスコミも疑わなかった菅家さんの犯行を一から検証すべく、膨大な数の関係者への取材を執拗に重ねていきました。すると、菅家さんが警察に強要された自白の内容を覆す新たな証言がいくつも得られ、さらには「決め手」のはずだったDNA鑑定が、実際は菅家さんを逮捕するため恣意的に行われていた可能性が高いことが明らかになったのです。
「現代」の一連のレポートはしかし、ほとんど報道メディアでは注目されませんでした。その後、これらに加筆した書籍『幼稚園バス運転手は幼女を殺したか』(草思社)が刊行されますが、やはり、この事件が見直されるような動きは起こりませんでした。風向きが変わったのは、大手メディアのごくわずかな人たちが、この事件に関心を持ちはじめてからでした。彼らが小林さんの取材成果をもとに新証人、新証言にあたり、「現代」よりもはるかにマスな媒体で冤罪の可能性を訴え続けたことが、やがて司法を動かし、DNA再鑑定の機運を醸成していったのです。菅家さんが千葉刑務所から釈放された当日の夜、関係者が集まっての祝いの席で、菅家さんの小さな手を小林さんが大きな手で握りしめたときは、私にも思わずこみ上げてくるものがありました。
しかし菅家さんは救われたものの、この事件がはらむ本質的な問題点は、いまだに解決していません。それはDNA鑑定というものが本来抱えているあやうさです。菅家さんの逮捕当時、マスコミは警察発表を鵜呑みにし、まだ精度が低かった鑑定能力をまるで指紋と同等であるかのように喧伝しました。しかし精度そのものは格段に向上した現在でも、DNA鑑定は人間がその運用を誤れば、また無実の人を罪に陥れるかもしれないのです。
菅家さんが釈放されたあと、当時の捜査関係者がおもにネット上で、大変なバッシングにさらされました。菅家さんの人生を奪った極悪人として、身の危険さえ感じさせる罵詈雑言を浴びせられました。それを見て小林さんは言ったものです。
「みんな、また同じことやってるよ・・・・・・」
DNA鑑定の本質を理解しようともせず、一致したからと菅家さんに「人殺し」のレッテルを貼ることと、不一致になったからと捜査関係者に「極悪人」のレッテルを貼ることは、思考停止ぶりにおいてまったく同じなのではないでしょうか。
今回ご覧いただく記事で小林さんが本当に伝えたかったことも、そこにあると思います。誰だって、冤罪がいけないことくらいはわかっている。警察にしても大変な犠牲を払って真摯に捜査を続けていたのです。にもかかわらずなぜ、菅家さんは犯人にされてしまったのか。警察やマスコミを責めるだけではなく、私たちひとりひとりが胸に手を当てて、その理由を考えてほしい。そう伝えたかったのだろうと私は勝手に思っています。
最後に、小林さんというライターについて誤解のないよう補足させていただきます。決してドラマに出てくる事件記者のような颯爽とした、あるいは苦みばしったカッコいい人ではないのです。いや取材における常軌を逸した執念、機転、果敢さ、思慮深さなどは男が見ても惚れ惚れすることもあるのですが、いざ原稿用紙に向かったとたんの優柔不断さ、苦吟悶絶ぶりは、初夜を迎えた乙女でもなければ許されないレベルのものです。過剰な取材意欲と、ほぼ皆無の執筆意欲、こんなアンバランスなライターはほかにいません。
しかし、取材を積み重ねて真実に迫るのがノンフィクションライターの仕事であるならば、小林さんこそはその究極の姿ではないかと、締め切りを破られた怒りが収まるにつれいつも思ったものでした。
人間は誰しもウソをつくし、自分の都合のいいように記憶を編集するものです。ノンフィクションは、そんな人間の証言によってしか成り立たない、いくら「事実」を収集してそれをもとに仮説を構築したところで、ピースの1つが白から黒に変わればすべてが瓦解してしまう。そんな「おそれ」がますます彼を執筆から遠ざけ、取材へ駆り立てるのではないか。しかも真実の多くは、相手が隠しておきたいことのなかに潜んでいます。ようやくそれを探り当てたと思っても、今度はそれを文字にすべきかどうかでまた苦悶する・・・・・・。この果てしないスパイラルにしか、本来のノンフィクションはありえないのではないかと思えてくるのです。
もちろん、ノンフィクションにも締め切りがあり、規定の紙数があります。「作品」あるいは「商品」としての完成度も求められ、何より取材費の問題がある。しかし、それらのために小林さんの取材にストップがかかっていたら、おそらく菅家さんはいまも刑務所にいた。このジレンマをどうしたらいいのかと問われると、そこで私は言葉に詰まってしまうのですが。
なお、前掲の小林さんの著書が講談社文庫より『足利事件 冤罪を証明した一冊のこの本』と改題されて刊行されました。すべての日本人に読んでいただきたい本です。
本稿発表当時の担当編集者・山岸浩史