とある“街”にて
“ 入国者絶賛募集中 by 神野 彩真智 ”
そんな阿呆な手書きの看板を、勝手に世界中に立てている国が在った。
明らかな亡命の薦めを無断で設置されているというのに、
周辺の諸国が訴えを起こさないのは其の国にある“街”を心の底から恐れているせいだ。
そんな“街”中にある廃墟でのお話。
市街地の中心の筈なのに何故か無人となっている不思議な空間。
そこでは今夜も雄叫びと爆炎と悲鳴と贓物が飛び交っていた。
主賓は軍隊。身に纏うは最新という形容詞が的確であろうメタリックなパワードスーツ。
其の鋼の豪腕に持つは、口径80mmを越える巨大な機関砲。
本来ならば設置式である筈のソレを易々と振り回す事を可能としているのは、
装甲の内に潜む、神経線維の様に根を張った難解で膨大な電子回路による能力強化。
月光を跳ね返す背面装甲に刻まれたエンブレムが部隊の錬度と矜持を示している。
来賓は一人。否、一匹と呼ぶべき人狼。迷彩柄の長ズボンのみを履いた野生的な姿。
其の為に武器は一目で分かる。三メートルを越す肉体全てだ。
自前の灰色の毛皮を纏った凶悪に肥大化した筋肉。
鋼のような光沢を持つ長大で鋭利な爪。子供の頭程度もある拳。
希望を呑み込む様な巨大な口に生えた大理石のような牙。
獰猛なイヌ科の笑みを浮かべ仁王立ちする様は威風と暴威に溢れている。
最新兵器と天然凶器
対立するのも無理は無いくらいに両者はかけ離れている。
繰り広げられる死闘に生存者は其の数を減らしていく。
故に戦況は容易に分かるであろう。
軍隊の敵は一匹しか居ないのだから。
――獣は刎ねて撥ねて跳ね回る。
ソプラノの悲鳴を出し一体の頭部が中身ごと人狼の爪で刎ね飛ばされた。
恐らくは隊長格であろう唯一赤いスーツが人狼の巨体に撥ね飛ばされた。
装甲に幾つもの傷を刻んだスーツが砲撃する。人狼は飛び跳ねて砲弾を回避した。
数えるにして八人と十秒。
何も出来ぬまま次々に葬られていく仲間達。
共に笑い、共に泣き、共に戦った仲間たちの無情な最期を見て
最後の生き残りとなった若者は叫ばずにはいられなかった。
「クゥソッッたれがアアアアアアアアアァァ!!」
――ドッウン!ドッウゥン!!ドッッウウゥゥン!!!
激昂に身を任せ若者は乱れ撃ち、廃港に彼の憤怒が顕在したかのような火炎の華が咲く。
けれど、憎悪と殺意の贄は周囲の壁面と地面のみ。
――思念式発射機構により可能となったスインク&ファイア
――目標到達時間を大幅に削減した多段加速式の豪速砲撃
――実質的に再装填速度を無にした高速連射
――二酸化炭素と熱量と光量、生命体の発する微弱なエネルギーを捕らえる追尾補正
虐殺者の殺戮を存在定義とする特殊怪魔対策室。
其の予算の半分以上を使用した対魔武装が、ただの野生の前に平伏した。
当然であろう。世界有数の軍国主義である若者の祖国を恐怖の渦に陥れた魔獣に
この程度の攻撃が有効な筈は無い。
けれど、そうと知りつつも若者は手を動かさねば気がすまなかった。
――ガッ!
四桁に及ぶ足掻きの末に、一発の砲弾が人狼の胸に炸裂した。
若者は魔獣の胸元で爆炎が轟くのを確かに感じた。
正に万に一つの奇跡。若者は目を見開いて己の原点を思い出す。
――六歳の頃、両親を魔獣に食われた。
――復讐を誓い修練を開始した。
――四年後、女に出会った。
――五月蝿い女だった。
――それから八年の月日が経ち特殊怪魔対策室に配属された。
――魔獣を狩った。ただ只管に直向きに闇雲に。
――嬉しくて楽して何故か空しかった。
――気がつけば女が泣いていた。
――意味が分からなかった。
――更に三年経つと女の涙の意味が分かった。
――女が妻となった。
――息子が生まれた。
――生きる意味を知った。
次々と思い出される自分の歴史。余りの多さに違和を感じたが
爆炎を纏いながら迫り来る人狼を見て走馬灯なのだと納得した。
【独狗】は強靭な肉体の凶悪な嘲笑と強烈な突撃で
叫んだ若者に激突した。
――ドッガアアアアアアアァァン!
二トン近い肉塊の驚異的で狂意的な速度の衝突に
質量的にも硬度的にも理論的にも存在を圧倒された
人類の戦意の象徴である二百四十七枚もの装甲は粉々に砕け散った。
肺に残った酸素を根こそぎ奪われて、呼吸も出来ずに若者はくの字に折れて飛ぶ。
一里を越える距離を地面に接触することの無いまま吹き飛び続けた若者の快速飛行は
廃工場の壁面に奥深くめり込むことで漸く終わった。
――バッコオォォン!
パワードスーツの頭部が砕け、破片が残る隙間から青い右眼と鼻梁が覗いた。
口と後頭部から鮮血を吐き出した。肋骨も何本か折れているだろう。
けれど、若者は現実から逃れようとする肢体を気迫でねじ伏せ、獣に眼光と砲口を向けた。
其の瞳は未だに死んでない。
「む、まだ息があるか。すまんな。今楽にしてやる」
砲弾が炸裂した辺りを前足の爪で掻きながら、二本足で立つ人狼【独狗】は喋った。
恐ろしいことに人語を解せるようだ。
「ぐるぜべぇよ」
――戦車でも壊せるシルバーブリットが直撃したってえのに痒いだけかよ
悪態すら上手く吐けない。代わりに血を吐いた。
左半身のコントロール権が無くなった。規格外の衝撃で回路がやられたのだろう。
――だからどうした、まだ半分もある
視界を埋め尽くす天然の赤で自分がデッドラインを越えた事は分かっている。
――だからと言って即座に死ぬわけじゃねえ
ぼやける意識と鳴り響くアラームが白旗を挙げて己の尊厳を投げ捨てろと嘲笑う。
――黙ってろ
終わりたがる肢体のせいで銃すら上手く持てない。
――だからって
背骨が折れようと臓腑が潰れようとも曲げられぬ砕けぬモノが若者の眼光に殺意を灯す。
口が裂けようと語るべき事は握り締めた砲銃が語ってくれる。
手に持つ砲口が代弁するのは殺意溢れる命令文
襲い来る睡魔を払いのけ、折れぬ刃心で眼光に力を込める。
――テメエの恋人と子供を食い殺されといて許せる訳が無えだろうが
「しかし、この“街”にまで追っ手が来るとは。
気づかれるのが予想以上に早かったな。
商談まで十日を切ったとはいえ、此の調子では奴等が来る可能性すら否定できんぞ」
向けられた殺意を気にも留めず【独狗】は呟き、考える。
“狩能人”が来る可能性を。
人狼側も高位の魔人が派遣されるから成否には問題はない。
けれど、両者の争いに巻き込まれれば・・・。
自分の立場と自らの胃に含んである箱の重要性を噛み締め、思わず人狼は苦笑を漏らす。
【独狗】は分かりきった未来予想を忘れ、今は食事でもしようかと
壁にめり込んで身動きが取れない若者に八つ当たり気味に近づいていく。
「それにしても、爵位持ちの上級魔人すら生きては帰れなかったという噂の割には
この“街”は拍子抜けだな。
出向を言い渡された時は死をも覚悟したのだが、なんてことは無い。
“街”に狩場を移して一週間が過ぎたが、ただの住み心地の良い歓楽街ではないか」
【独狗】が呟いたのも無理の無いことだ。この“街”は外から余りにも恐れられている。
化け物と呼ばれる【独狗】でも入るには相当な覚悟が必要なぐらいには。
駐在する警察官は戦場における国軍兵士レベルの武装を常時義務付けられているだの
世界最凶の治安を誇り年間死者数が小国の人口と比較しても桁が変わらないだの
人間は一切住んでおらず化物が往来を闊歩する魔王の領土だの
実は神により築かれた永久を冠する楽園だの
生きるモノの居ない黒穴だの
外との交流が無い為に曖昧で根拠のない憶測が言われ放題の孤独な“街”。
確実な事は“現実と幻想の戦争”から逃れられた唯一の場所ということだけ。
しかし所詮は旧時代の遺物か、と鼻で笑いながら【独狗】は続けた。
「これ程に豪勢な量を食しても誰一人騒ぎ出さないとはな。
私の様な者にとっては実に棲みやすい土地柄をしている。
まあ化け物が棲むと言うから当然と言えば当然か」
「あっ、オ客君たち見ぃつけた」
唐突に何者かの声が【独狗】の狩場に響いた。
修羅場に混ざる心算にしては気が抜ける程の間延びした声だった。
「何者だ!?そこで何をしている」
【独狗】は瞬時に跳躍し反転し、声が鳴った方角に爪牙と咆哮を向けた。
人狼の眼光には油断も恐怖もない捕食者特有の輝きが顕れていた。
「フーでもワットでもバイトだよ。それだけ五月蝿けりゃ馬鹿でも気付くと思うけど。
まあ、それはともかく昨日の夜に大きくて汚い寂れた酒場の外でオ食事しなかった?
確か5人家族だったと思うけど」
【独狗】の金色瞳に映ったのは、白いカッターシャツに黒の長ズボン。
黒い短髪の下に位置する顔立ちは女人の様に整っている。が、
半笑いと呼ぶべき奇妙な表情に歪められたせいで奇怪で歪な雰囲気を醸し出している。
右手はズボンのポケットの中に入れており警戒を感じさせない完全な棒立ち。
乱入者は典型的な夏場の学生といった風な日系少年だった。
若干アクセントのおかしい挨拶のような口調に呆けたが少年が“称号”を持っておらず
無防備な無手である事に気付くと、警戒を解き【独狗】は口角を吊り上げて嗤った、
また一人餌が増えたと。
―――話しかけられる寸前まで気配に気づかなかった事も忘れて
異形の笑みに何を感じたのか、怪物にも劣らない奇妙な貌で少年は喋り続ける。
壁にめり込んだ若者は逃げろと叫びたかったが声に力が入らない。
「折角、店の近くまで来たのなら入れば良かったのに。
やっぱり近所の野良犬にも不味い店って評判立ってるのかねェ?
まあどうでもいいけどさ、オ行儀良く食べましょうよ。
君が食い散らかしたせいで烏とか猫が集まって鬱陶しかったんだからさあ。
でも、営業妨害されたのにオ客さんは減らなかったんだよ。凄いでしょ。
近所の人に言ったら、不況に負けない逞しい発想転換だなって褒められたしね」
「・・何の話だ?」
状況に合わない長口上な台詞に人狼は思わず尋ねた。
「近所の人から何故か僕のせいにされてね。今日一日ずっと掃除させられたんだよ。
其の時、オ食事したのは外から来た人だって気付いたんだ。
ソレを近所の人に言ったら、食い散らかした犯人に迷惑料払わせろって頼んできてね。
ってことで迷惑料払ってよ」
結局、理解できない説明に獣は少年に対して興味より食欲を優先することにした。
「断る。お前で食事をすることに決めたからな」
「ケチ。じゃあいいよ、身体で払ってもらうから。
だけど、狗汁なんて犬の餌にもならないくらい不味いらしいんだよねぇ」
少年はそこで言葉を一旦切り、思い出したかのように人狼に尋ねる。
「答え聞いてないから、もう一度聞くけど君だよね。
掃除したときに嗅いだ匂いがしてるし。
まあ余分な匂いが八十人くらい混じってるけど“街”の外で食べたんだよね?
この辺で三年前にオ婆さんや幼児が食べられたって話は聞かないし」
“目覚めて”初めての食事の種類と時期を当てられて獣は少年に対する認識を
僅かに改めた。
「・・お前も追っ手か、丸腰とは笑わせてくれる」
言いながら人狼は前足をズルリと地に着け、狩りの構えを取る。
「オ手?別にしなくても良いよ。何か湿ってそうでヤだ」
ギチギチと音を鳴らしながら凝縮し隆起していく人狼の脚に何も思わないのか、
少年は軽口を返す。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァッッ!!」
獣は会話を断ち切る雄たけびを挙げ、四肢に込めた力を解放した。
コンクリートの地面が爆ぜ、人狼に爆発的な推進力を与える。
その叫びは自らが踏み砕いた地面の悲鳴を掻き消す野生溢れる轟音だった。
少年と人狼の距離は優に二十メートルは有る。
どう考えても一跳びでは少年には届かない筈の突撃は、
常軌を逸した筋力により一呼吸の間も置かず少年に到達しようとする。
「ガア?犬語って分からないんだけど」
爆発的加速で迫り来る獣の咆哮に、少年は反応できないのか一歩も動かない。
唯一の動作といえば挨拶する様に左手を挙げた事ぐらいか。
そんな化け物と少年が交錯した。
壁にめり込んだ若者は声にならない声で叫んだ。
少年の左半身が赤く染まったのを見てしまったために。
――マズイな
少年の左手を口に含んだ人狼の感想はその一言に尽きる。
少年は千切れかけた右腕から噴水のように昇る赤い血を眺め
「あちゃあ。しくじったなあ」
血に塗れた自分の胸元を見た少年は自然と呟きを洩らした。
少年は振り返った。
少年は既に遠く離れた背中を見ながら言う、
「口開き過ぎだよ。服が汚れちゃったじゃんか、血って落ちにくいのにさあ」
“左手に右腕を”持ったまま。
――少年が左の逆手で引き裂いて奪った人狼の右上体の一部を
返り血に染まる少年の半笑いに翳りは無かった。
常識では有り得ない異形が襲い掛かってきたというのに
自らの半身以上を赤に染めたというのに少年の眼光に驚愕や怯えは見えない。
震えない胆力が意味するのは経験。
揮われた暴力が意図するのは余裕。
つまりは起こりえる常識の範囲内だと確信した動き。
故に少年にとっては当然で日常なのであろう。
【独狗】が漸く其の事実に気づいた。
自分は少年にとっては既に幾度も狩られた事のある存在なのだと。
「バイバーイ。あっ、迷惑料どうしよ」
――こんな化物と出会ってしまうとは
【独狗】は心の中で呟きながら左寄りに倒れこんだ。
身体の四分の一もある膨大な質量を損失した為にバランスが悪化したせいだ。
「まあコレで良いや。ところで壁にめり込んでるオ客君も外から来たんだよね?
オ仕事取っちゃたみたいだし飲んでいってよ。
半世紀くらい寝かせたワイン並のオ値段がする濁酒が飲めるよ?」
コレと呼ばれた、右頬から右脇腹までもある肉塊は少年が来た方向に投げ捨てられた。
投げ捨てた左手にこびり付いているのは人狼の舌肉であろうか。
少年の黒い瞳は屍の山ではなく、最後まで健闘していた若者に向いている。
完全武装した一個中隊を惨殺した獣。
ソレを刃物すら持っていない少年が片手だけで狩ったと言われて何人が信じるだろうか。
――“街”の人口は不明である為、正確な解答は出来ない。
「ん? あーあーあ。もう少し保てばいいのに。
コレも僕のせいにされるじゃないか。証言者が一人ぐらい居ても罰は当たらないよ?
まあ早めに掃除しとくか」
そんな独り言を呟いて少年は人狼の屍に近づいた。
そして、地に伏す獣の腹を踏んでそのまま歩き出す。
死に絶えた獣は自らが散らした汚物を纏いながら進んでいった。
灰色の毛皮が地面から汚物を略奪していく様は自然の摂理を体現しており
其のアクセントは捕食者から転落した人狼には業火よりも似合っていた。
壁にめり込み砕けたパワードスーツから瞳孔の開いた青い目が見える。
其の瞳には迫り来る雑巾と成り果てた人狼が映っていた。
獣の表情は左頬から下が欠けている為に不明。
獣の生死は剥き出しになった心臓からも明白。
若者が其のことを理解できたとしたら何を感じるのだろうか。