新学期が始まって早くも2カ月近く。大学でも、新入生たちはずいぶんキャンパスに慣れてきたようで、教員をしている私にもあれこれと話しかけてくれるようになった。
ここ数年、大学で気づくのは、「先生、精神科医ですよね? 私、うつ病で心療内科に通っているんですよ」などと自らの病気や治療について、積極的に語ってくれる人が増えたことだ。この人たちの多くは、服装もおしゃれで表情も明るく、一見したところ、どこも調子が悪そうには見えない。「統合失調症でね、ちょっと前まで妄想があったんですよ」とニコニコしながら大きな声で話し、まわりの友人たちも「へえー」と自然に聞いている。時代は変わったんだな、とつくづく思う。
私が精神科医になった約25年前には、こうはいかなかった。心の病を患った学生たちは、親に連れられ、ひと目を避けるようにして病院にやって来た。「治療が必要ですね」と言うと、親も本人も「大学はあきらめたほうがいいでしょうか」と落ち込んだ。ちょっとのあいだ休めば、たぶん復学できると思いますよ、と伝えても、「どうしても学校には知られたくないんです。なんとか休学しない手はないでしょうか」と悲痛な表情で訴える人が多かった。
病気を隠しながら通学を続ける学生は、たとえ症状が悪くなって出席できない、リポートが出せないといった事態になっても、理由を担当の教員に説明することができない。からだの病気と違って外からはまったくわからないので、「やる気がないんじゃないのか」などと叱(しか)られ、つらい思いをする学生もいた。
それに比べ、学生たちが気軽に自分の心の病を語ることができるようになったのは、本当によいことだ。ただ、もしかするとそれは私が精神科医だからで、経済や物理の教員にはやはり「言い出せない……」と悩んでいる学生もいるのだろうか。
先日、発表された警察庁の自殺統計でも、20代など若い世代の自殺率の上昇が目立った。こういう中には、心の病を患い、それを学校などで明かすことができないまま、無理を重ねて最悪の結果に、という人たちもいるのではないだろうか。とくに職場ではまだまだ心の病はタブー、という話もよく聞く。「私、うつ病で治療中なんですよ。だから、残業はしばらくパスということにしてもらえませんか」「わかりました」「助かります。よくなったらすぐに言いますんで」「まあ、無理しないでね」。日本の社会でこんな会話が自然にできるようになるには、しばらく時間がかかりそうだ。
毎日新聞 2010年5月18日 地方版