コラム

北朝鮮代表選手を生み出す、名もなきサッカー指導者

黄 慈権

【「朝鮮籍」という無国籍】
川崎フロンターレのチョン・テセ、ベガルタ仙台のリャン・ヨンギ、そして水原サムスンのアン・ヨンハッ。南アフリカワールドカップアジア3次予選、そして今回の東アジア選手権には、3人の日本生まれの北朝鮮代表選手が参加した。

日本生まれの在日コリアンの数は50万人程度と言われているが、その中で「朝鮮籍」を持っている人の数はさらに少ない。

ここで少し説明するが、「朝鮮籍」とは正確には国籍ではない。1945年に日本が終戦を迎えたとき、朝鮮半島には韓国も北朝鮮もなかったが、その当時便宜的に朝鮮半島の出身者の国籍を「朝鮮籍」とした。その後、大韓民国が誕生すると、「朝鮮籍」から「韓国籍」へ変える人が増えたが、終戦から60年以上たったままでも「朝鮮籍」を持ち続ける人がいる。もちろん「朝鮮籍」のままではただの無国籍なので、海外旅行も満足にできない。そこで北朝鮮政府は「朝鮮籍」の在日コリアンにパスポートを与えることにした。北朝鮮のパスポートをもらっても信頼度が低いので、旅行はしにくいが、「パスポートを持つ」ということはサッカー界で大きな意味が出てくる。FIFAの国籍判断は基本的にはパスポートで行うからだ。

こうして無国籍であるはずの「朝鮮籍」サッカー選手も北朝鮮代表に選ばれることが可能になり、日本生まれの北朝鮮代表が誕生することになった。

【人口比率からは異常と言える代表選手数】
最近では特例もあり、「朝鮮籍」、「韓国籍」などと一概には言えなくなってきているが、北朝鮮代表になれる在日コリアンは確実に少なくなっている。正確な統計データがないのだが、おそらく20万人にも満たないのではないだろうか?

こうして考えると、「3人の代表選手」というのはかなり異常なことだと言える。北朝鮮の人口は2330万人と見られ、比率的には「先発メンバーに2人が出場」というのはありえない。その理由は色々推測できるが、僕自身は在日コミュニティ内に根付いている「サッカー文化」が一番大きな理由だと考えている。

そのサッカー文化を最も感じ取ることができるのが、水原サムスンに所属するアン・ヨンハッの浪人期間だ。アン・ヨンハッは高校卒業後、一年間浪人する。そして、その間在日コミュニティ内の大会に出場し、「ある在日コリアンのサッカー好き」に鍛えられた。そのサッカー好きの名前はパク・トゥギ。仲間内からは「闘将」と呼ばれているが、プロのサッカーコーチではない。ただの人である。

しかし、このパク・トゥギの練習ゲーム、通称「Tリーグ」(闘将のTとトゥギのTから命名)からは何名ものサッカー選手が誕生している。Kリーグ、キョンナムFCに所属しているキム・クァンミョン、昨年JFLの佐川急便に所属したチン・チャンスや、同じくJFL、横河武蔵野FCに所属していたキム・ジェドン。アルテ高崎に所属したファン・ヨンジョンなども一緒に練習をした仲だ。J2、水戸ホーリーホックに所属したキム・キス、それにチョン・テセも何度か参加したことがある。

【10年以上続いているTリーグ】
現在でも34歳のパク・トゥギは、営業の仕事をしながら「Tリーグ」を開催している。主に教えているのは母校、東京朝鮮高校のサッカー部。正規の練習が終わった後、グラウンドの端に高校生を集めて「トゥギ練」と呼ばれる練習をしている。もちろん報酬はなし。

「ただサッカーが好きだから」

そんな理由だけで、仕事の合間に寝る間も惜しみながらパク・トゥギはサッカーをしている。



仮にではあるが、この練習の結果、東京朝鮮高校が高校選手権に出場したとしても、評価されるのは監督、コーチ陣であり、パク・トゥギではない。

「なぜこの人はこんなことをしているのだろうか?」

僕はずっと不思議に思っていた。

【アン・ヨンハッを救ったパク・トゥギ】
Tリーグに参加していた「パク・トゥギの弟子たち」の中でも最も有名なのが、アン・ヨンハッだろう。アン・ヨンハッは高校卒業後、一年間浪人生活を送る。このとき、パク・トゥギは毎日のようにアン・ヨンハッと練習をしていた。そして、こう言い続けてくれた。

「ヨンハッは、絶対プロになれるよ!」

浪人中にサッカーばかりやっている人を見ると、普通は「勉強しろ!」とか「働け!」とか言うだろう。しかし、パク・トゥギだけは「必ずこいつはプロになるんだから!」と信じて疑わなかった。
このパク・トゥギに、アン・ヨンハッは救われていたはずだ。「自分はこんなことをしていて大丈夫なのだろうか?」と浪人中は誰しも思う。しかも、高校を卒業してプロになる人はゴロゴロいる。事実、同い年の中村俊輔はスポットライトを浴びていた。

そんな状況の中、パク・トゥギはいつも一緒に練習し、自分の所属する在日コリアンのチームとサッカーをした。今から10年前には、在日コミュニティ内のサッカー大会が盛り上がっており、東京代表のチームとして参加したパク・トゥギやアン・ヨンハッたちは、大阪代表や愛知代表、兵庫代表のチームたちと本気の勝負をし、優勝した。そして、その次の日も朝から晩までパク・トゥギとアン・ヨンハッは練習を続けた。だからこそ、プロになった今もアン・ヨンハッは「闘将」を慕っている。

【サッカー文化の創造】
アン・ヨンハッのみならず、パク・トゥギを慕っている在日コリアンは多い。去年の年末には、大学サッカーで活躍しているサッカー選手や高校生、JFLやプロの選手たちが揃い、Tリーグを盛り上げた。そんな中、僕はパク・トゥギに聞いてみた。

「なぜ監督でもないのに、そこまで情熱を持ってサッカーをしているのか?」

すると、パク・トゥギはこう答えた。

「ただサッカーが好きっていうのもあるし、それに周りからの評価は大事じゃないよ。こいつらとの関係性なんだ。一緒にサッカーをやっているやつらとの関係はすごく大事だよ。今日、いっぱい人来てるじゃん」

傍から見たら、パク・トゥギは「何の得にもならないことに力を注いでいる人」だ。けど、文化というのは損得ではない。間違いなく、パク・トゥギがやっていることはサッカー文化の創造だと思う。その文化のおかげで、日本生まれの北朝鮮代表選手は誕生しているのだ。

しかし、パク・トゥギのような名もない指導者は評価されず、減る一方。日本社会の中にサッカー文化が作られていく中、昔から存在した在日コミュニティのサッカー文化は衰退しているように見える。

それでも、パク・トゥギはサッカーを続けている。

「最近は、高校生相手にサッカーするのが辛いときもあるけどね。あいつら手加減ねえよ」

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