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【ドラニュース】


落合監督500勝

2010年5月22日 紙面から

西武−中日監督通算500勝を達成して岩瀬(右)と握手する落合監督=西武ドームで(谷沢昇司撮影)

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 祝、500勝! 中日は21日の西武戦(西武ドーム)に勝利し、落合監督はチームとしては星野仙一氏に次いで2人目となる監督通算500勝を達成した。節目の1勝は落合竜らしい試合運び。先発チェンが7回途中まで踏ん張り、あとを受けた中継ぎの浅尾、抑えの岩瀬がきっちりと仕事をこなした。交流戦では敵地で初勝利。連敗も止まり2位浮上。さあ再加速だ。

 感慨にふける余裕などなかった。監督通算500勝。節目の星すら落合監督は「忘れてた」。思い出したのはハイタッチの後だった。チェンが運んだウイニングボール。ようやく思い出した。

 息を抜けなかった。接戦でこそ采配(さいはい)が際立った。7回1死一塁。チェンが投ゴロ二塁へ悪送球。じだんだを踏んで悔しがった。1死一、三塁。リードは2点だった。

 スパッと切り札を投入した。浅尾だ。「ゲッツー? 取れたらいいなとは思いましたけど、簡単に取れるものではないので」。とりあえず力勝負。浅尾が4番・中村をねじ伏せた。結果は遊ゴロ併殺打だ。流れを呼び戻した。

 最後は岩瀬だ。無失点で12セーブ。「最後に一番やっちゃいけないことをやってしまった」。2死から2番・栗山への四球を反省。一発のある3、4番を迎えるところ。それでも結果は出す。今年の命綱・浅尾と、落合竜の砦(とりで)として君臨し続ける岩瀬のリレーで節目を飾った。

 達成スピードはドラゴンズの指揮官としては驚異的だ。中日の500勝以上は星野監督に次ぎ2人目。星野監督は955試合かかった。47試合も少ない最速記録だ。

 積み上げた500勝。思い出深い1勝については「ないね」と、さらり。ただ1つ、オレ竜の原点となった星がある。

 「いつも言ってることだけど1つ目がなきゃ2つ目はない。そういう意味では2004年の開幕戦の1勝、ということになるのかな。こっちは川崎、向こうは黒田…」

 世間を「奇襲」と騒がせ、勝ったあの「開幕・川崎憲次郎」の試合だ。

 「オレがピッチングコーチに話もせずに開幕投手を決めたのは、あの一度きりだ」。独断。背景には川崎という男が背負った過去があった。

 「ずいぶん前のことだからハッキリとは覚えてないけど、FAでドラゴンズに来て、一度も投げてなかったんだろ? それで前の年にオールスターのファン投票で1位になったんだろ?」

 沢村賞を獲得するなど球界を代表するエースだった。功績を残した男が、ファンにまでもてあそばれる存在になった。

 以前のようなボールは投げられない。最後の1歩になるかもしれない1歩。それが踏み出せない。「怖がってるからな」。落合監督は背中を押した。一歩を踏み出すには勇気がいる。その力を得るには「開幕」という舞台の他にはない。

 「雨で流れて、最後がうまいことヤクルト戦になったんだよな…」

 その年の最終戦、感動的な古巣との引退試合になった。もちろん、戦術的な理由がまずあっての「開幕・川崎」。ただ、この起用が1人の男に立派な花道を用意したのは事実だ。

 1軍から2軍まで、選手個々の力、背負っているものを正確に把握する。効率的に動かす。巨人のような頻繁なビッグネーム補強をしなくても、適材適所で競り合い、勝てる。落合野球の象徴のような500勝だった。 (生駒泰大)

 

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