いじめに悩んでいるかたがいるようです。
いじめを受けているのではなく、いじめをしてしまいそうになる、とのこと。
「いじめはやっぱり参加しちゃいけないよね?」
心が痛くなる質問でした。
このままいじめに参加しなければ、自分が次のターゲットになるかもしれないという恐怖心から生まれた質問のようですが、何とも複雑です。
今日は私の体験談。
私は、学生時代、一度もいじめにあったことがありませんでした。
いや、分からない。低学年の頃は、同級生の男の子に毎日ボコボコに殴られていました。あれをいじめと言うならいじめだけど、その子、みんなのことボコボコにしてる子だったし、私は母が守ってくれていたし、とにかく私は「ボコボコ」に対して何とも思わなかった鈍感な子供だったのでしょう(今考えると凄まじい精神力)。
でも実際に今思い出しても、全然辛くないし、トラウマのトの字もない。鈍感すぎてある意味、幸せ者ね私。ともかくいじめられた認識がまるでない私ですが、
中学の頃のある1年間は、クラスに友達がいませんでした。元々友達は多いほうだったのですが、何故かクラス替えの時に大勢の友人のうちただの1人とも同じクラスにならず、「あれれ?」という感じでした。でも、女の子同士でよくやる「一緒にお手洗い行こう」とか「マラソン一緒に走ろう」とかよく分からない絆の深め方も元々しないたちでしたので、特に焦って新しい友達を作ることもせず、ぼんやりと日々を過ごしていました。
私の学校は土曜日がお弁当で、その時は好きな友達と一緒にご飯を食べるのですが、その時も、私ともう1人の女の子Aを除いては、みんなそれぞれの仲良しグループで机を寄せ合います。私は1人でご飯。「酒井さんんもうちのグループで一緒に食べよう」と言ってくれる子がいても「大丈夫」とお断り。何故なら、私が1人でご飯を食べることをやめたら、このクラスで1人でいるのはAだけになってしまうから。
そして、何がきっかけだったのかは忘れましたが、いつからか土曜日のお昼ごはんを、私はAと2人で食べるようになっていました。
その光景を見て、ある女子が「酒井さんは、こっちで一緒に食べたほうがいいよ」と随分優しい口調で私にまた声をかけました。別の女子は「酒井さんがAといることはないよ」と。
Aはいじめられっこでした。
いじめは伝染る、と言いますが、私はどんなにAといても、あるいは1人でいても、いじめられませんでした。あまりにも贅沢な物言いですが、それがいやでした。
ある日、クラスの人気者の女子Bが、香水をつけて学校にやってきました。
とてもいい香りに、私はうっとり。まんまと影響された私は、お金を貯めて700円の香水を買いました。
変な匂いでした。
でも、「香水」という響きが大人びていてそれだけで嬉しくて、次の日には変な匂いの香水を身にまとって意気揚々と登校しました。
朝のホームルームの後、クラス中がざわざわこそこそし始めました。
変な匂いがする、と。
ある男子が私の隣の席に座っているAを指差して言いました。
「お前だろ」。
結果、Aのせいだということになりました。
Aは、黙って俯いたままでした。
1時間目の授業の後、人気者Bの親友に「みんなで縄跳びやるから酒井さんもやろ」と誘われました。彼女は、つい一時間ほど前、Aに向かって鼻をつまんで見せていました。
私は意を決して「いいよ」と答え、彼女達と共に校庭に出ました。そして、Bとその親友に言いました。
「あのね、さっきみんなが言ってた香水の変な匂いね、あれ、ほんとは私なんだ」
驚いた彼女達は互いに目を合わせます。私は告白をしようと「みんな」とクラスメイトを集めようとしました。
が、Bが私を制します。
「酒井さん、いいの」
そして、人差し指を口元に当て、彼女は続けました。
「あれは、Aってことになったからいいの。酒井さんは大丈夫だから安心して」
そう言って、まるで私を守ってくれているかのような優しい笑みを私に向けた後、二人は長縄跳びの列に混ざっていきました。
違う。
Aじゃない。
私なのに。
なんで?
始業の鐘が鳴り、すごすごと教室に戻った私は、それまでと同じように、Aの隣りだった自分の席に座りました。
そして。
私はついぞAに本当のことを打ち明けられぬまま、月日は経ち、気がつけば彼女に対するいじめもなくなっていました。
Bやその友人が、いじめの対象を私に変えることも最後までありませんでした。
なぜいじめられる条件が揃っている私がまったく標的にならなかったのかは分かりません。
そして、何故、Aに謝らなかったのか。みんなの前でもう一度「Aじゃない」と言えなかったのか。
いじめに参加しちゃいけないの?と聞くあなたへ。
私は、Aを無視したり、意地悪を言ったりはしませんでした。
だけど、15年経った今も、あの日の後悔が拭えないままでいます。
成人をしてから、街中で偶然彼女と会いました。
彼女は思い出話を私にします。
私は、何も言えません。
察したのか、彼女は言いました。
「そういえば、あなたに言わなきゃいけないことがある」
ドキッとする私。彼女は言いました。
「あの時、唯一の救いが酒井だったんだよ。ありがとう」
違う。私は救いになんかなってない。
「一緒にお弁当食べてくれてありがとね」
違う。私も友達がいなかっただけ。
が、この後彼女は、思いもよらぬ言葉を発しました。
「気にしないで」
「え?」
「香水のこと」
「…」
「○○(Bの親友)ちゃんがね、あの次の日に教えてくれたんだ。酒井が私を庇ってくれてたって」
「庇ったんじゃないよ、ただ」
「酒井は憶えてないの?あの後、いじめがなくなったでしょ?」
「え?うん」
「○○が『もういじめたくない』って私に言ったんだ。それで、その後、○○と酒井が、学級会してくれたじゃん」
「なんの話?」
「あなたはみんなの前で言ったんだよ。『あれは私だった』って。だから、Aのこといじめるのはもうやめて、って」
記憶が少しずつ蘇ってきます。
「そうだ。そうだった。で○○が『もうこんなのバカみたいだからやめよ』ってみんなに訴えたんだ!」
「そうだよ。それがきっかけで、私へのいじめはなくなったんだよ」
そして最後に言いました。
「酒井は恩人だよ。ほんとにありがとね」
すっかり忘れていました。
香水事件の数日後、私は○○と2人でビービー泣きながら、クラス会議を開き、Aへのいじめをやめるように訴えていたのでした。
そして確かに、この日を境に、いじめはなくなりました。
これは、美談ではありません。
言いたいのは、いじめに関する記憶は、都合の悪いことしか残らない、ということです。
その後どんなに撤回作業をし、いじめをなくし、恩人だと思ってくれていたとしても、プラマイ0には戻せないのです。
そして、これからも、一生忘れない記憶として、私に刻まれていくことは間違いありません。
15年です。
こんなに月日が経って、しかも私の場合彼女にお礼を言われても、私の15年前の香水事件の記憶は絶対に薄まることはありません。
あの時の匂い、温度、気まずくて視線を落とした先にあった机の傷の形が今でも忘れられないのです。
快楽的にいじめをする人の気持ちは分からないけれど、少なくとも「いやだな」と思う気持ちがあなたにあるのなら、必ずあなたも忘れられない記憶としてそれが頭に残ります。
後悔しても、例えいじめ自体はしていないという自負があったとしても、一生拭えないまま背負っていく。絶対に取り返しはつかない。
あなたよりずっと年上の私が、まだあなたの年齢で持った記憶を忘れられないのです。
それが、罰です。
それが、いじめに関わるということです。
それ位の覚悟を持って、いじめに参加するかどうかを考えていますか?
それでもあなたは、いじめに参加しようと思いますか?
私が今中学生に戻れるならば、絶対に参加しません。
だけど私は、戻れないんだよ。
あなたを責めているわけじゃないんだ。
同じ思いをしてほしくないんです。
そして、いじめられている子供を持っているというお母様。
守ってあげてください。
私は、低学年の頃、下校中にボコボコにされている時、2、300メートルほど先でたまたま井戸端会議をしていた母がその光景を見つけて、それまで見たことがない恐ろしい形相で私達の元に走ってきました。そして、私の髪の毛を鷲掴みにした男の子の手を払って、怒鳴りつけ、そのまま彼の家に彼と私を引っ張っていって、その子の母親と大喧嘩をしました。母が他人に怒鳴っている姿を見たのは、それが最初で最後です。
相手のお母様のことを考えればそれは胸が痛みます。
しかし、私の胸には「あー。お母さんは、きっと、これから先、私が死ぬまで、一生守ってくれるんだ」と刻まれました。
モンスターペアレントなんて呼ばれる人達もいますが、子供は、そうかそうじゃないかくらい見抜けます。
だから、「あなたが好き」だと伝えてあげてください。
そして、これは子供さんの性質にもよるので迂闊には言えませんが、私は、いじめられる子にも問題があるという一般論は全否定はできないと思っています。問題という言い方は御幣があると思いますが。
特別なのです。だから目立っちゃうの。でもそれって、魅力的だからなの。すごくすごく魅力的なの。お母様の娘でしょ。一番魅力を知っているのでしょ。
「好きで好きで仕方ない」って、伝えてさしあげてください。
今日のブログも偏っているので、あまり力になれたような気はしません。すみません。
説教じみたブログはどぅわい嫌いです(大嫌いの意)。
だので、このブログは後々記事ごと削除するかもしれません。
勢いに任せて書きました。
生意気街道一直線ですみません。あしからず。
明日も良き一日を
ちなみに、香水の商品名は「フェロモン香水」です。
ごきげんよう