プロレス記者の独り言

取材歴25年の大ベテラン・川野辺記者のブログです。豊富な知識・経験をもとにプロレスの醍醐味を書き尽くします。

「業界通信」にも載せなかった 函館のスナックママとの夜

スポーツ2010年05月22日 12:45 | フォルダ : 

関連キーワード :プロレス取材

まだFAXなる文明の利器がなかった時代、原稿の送りは電話送稿だった。書いた原稿を電話口で読み上げ、受けた人間が原稿用紙に書き上げるというスタイルを取っていた。

 初期のFAXは今のようにコンパクトではなくかなり大型。壊れないようにとジュラルミンケースに電話FAXを入れ、プロレス担当記者は巡業に持ち歩いた。そして会場に引かれた臨時電話のラインに接続して使用。重さにして約20キロ。電話送稿からは解消されたが、肉体的な辛さは増したものである。

 と同時にプロレス担当記者の間で流行り出したのが「業界通信」なるFAX通信だ。東京に残りとなった記者に旅の香りを届けようと言うことがスタートの趣旨だったが、要は暴露レポートである。試合後、誰がどこそこで酒を飲んでご乱行といった内容が逐いつFAXで報告されてくるのである。

 恥ずかしくて口にも出せないことで、さすがの「業界通信」にも載せなかった事柄がある。もう時効なので公にしよう。

 昭和天皇が崩御されたときプロレス担当記者は北海道は函館にいた。試合後、食事を取ろうとしたが、ほとんどの店が喪に服してクローズ。やっと見つけたのは韓国レストランの焼肉店。肉をたらふく食い、焼酎をガッチリ飲むと「サー飲みに行こう」ということになり、繁華街・松風町をぶらり。一軒のスナックが営業していたので飛び込んだ。

 時間にしてPM11時近かった。カウンターに7〜8人、ボックスに10人位座れる小ぢんまりした店だった。ママは黒い喪服姿で、3人のホステスさんも黒めの服だった。

 ボトルをキープしてプロレス担当記者の決めゼリフ。「ボトルの肩に埃が溜まった頃にくるから」の言葉が終わらぬうちに一本が空いて2本目。全員がしこたま酔った。そのとき誰もが疑問に思っていたことを記者はつぶやいた。「ママ、その格好でピンクのパンツじゃないよね」酒が言わしたのだ。ところがママも相当に酔っていたのか「そうよね。ピンクなの」とスカートを自らまくし上げピンクの下着を披露したのだ。

 そこから打ち解けあい不謹慎だが、飲めや謡えやのドンちゃん騒ぎ。確か5人の記者がカウンターにへばりつくように飲んでいた。その時、ママの姿が見えない。ママはボックスの席にN紙のK記者といた。「ママ、ダメだよ。簡単に下着を見せちゃ。ま、我々は紳士だから問題ないが、トラブルの元だよ。勘違いする奴もいるからね」K記者は酔うと説教癖がある。延々と説教は続き、そして「僕はOホテルの604号室。遊びに来るといい」で締めた。その後、どうなったのか誰も知らない。K記者の反論を待つ。

投票してね!東スポトピックスランキング

この記事をブックマークする Yahoo!ブックマークに登録 はてなブックマークに追加 Buzzurlにブックマーク livedoorクリップに投稿 newsingに投稿 Choixにブックマーク イザ!にブックマーク twitterでつぶやく

前の記事次の記事

このページのトップへ