遅まきながら、中央公論7月号で岡崎久彦氏と著者(孫崎享氏)の対談を読んで、著者の考え方に興味を持ったので、さっそく読んでみた。 駐ウズベキスタン大使、外務省国際情報局長を経て駐イラン大使、防衛大学校教授を歴任しているインテリジェンスのプロの本。ページをめくるたびに常識をひとつひとつ覆される驚くべき内容だ。 あまりに面白いので、以下ひたすら引用する。 1.日米安保条約は実質的に終わっている(「はじめに」) 2005年10月29日、日本の外務大臣、防衛庁長官と米国の国務長官、国防長官は、「日米同盟:未来のための変革と再編」という文書に署名した。日本ではこの文書はさほど注目されてこなかったが、これは日米安保条約にとって代わったものと言っていい。 何が変わったか。まずは対象の範囲である。 日米安保条約は第6条で、「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」とする極東条項を持っている。あくまで日米安保は極東の安全保障を確保することを目的としている。それが「未来のための変革と再編」では、同盟関係は、「世界における課題に効果的に対処するうえで重要な役割を果たしている」とした。日米の安全保障協力の対象が極東から世界に拡大された。 (中略) …オバマ大統領の下、早い段階で、アフガニスタンへの自衛隊派遣が、日本が抱える最大の案件として浮上する。これに日本がどう対応するかが、オバマ政権下の日米関係の緊密度を左右しよう。 (中略) 国民のどれくらいの層が、日本は米国の戦略に沿って中東など世界規模で軍事展開をする約束をしていることを認識しているだろうか。ほとんどの人は認識していないのではないか。日本政府は一方で米国に文書で明確に約束し、他方で国民にはこの文書の意義をさして説明していない。 2.シーレーン構想の真の目的(36〜38p) 多くの日本人は、シーレーン防衛構想によって対潜水艦哨戒機P-3Cを保有したのは、石油を主体とする補給海路の確保のためであると理解している。だがそれは間違っている。次の文献を見ていただきたい。 2001年に国家安全保障会議(NSC)日本・朝鮮担当部長、04年同上級アジア部長兼東アジア担当大統領特別補佐官の任に就くなど、米国国内で東アジアの専門家として信任されているマイケル・グリーンは、論文「力のバランス」で次のような説明をしている。 当時、米国を標的とする核兵器の三本柱の新たな一本である潜水艦のために、ソ連がオホーツク海を海の要塞として使用していることに米国海軍はますます懸念を強めていた。レーガン政権は、米国の焦点を極東の同盟国に役割と任務を割り当てる問題へと移した。 シーレーン防衛の政治的承認を勝ち取るための好機は、鈴木善幸総理が1981年5月、ワシントンを訪問したときに訪れた。鈴木は1000カイリのシーレーンの防衛を意味することを宣言した。 この距離はオホーツク海のソ連海軍力を封じ込めるに十分だった。おそらく、鈴木自身は自分の言った言葉の意味を十分に咀嚼していなかった。これは欧州におけるソ連の攻勢に地球規模で対応するためオホーツク海のソ連の潜水艦を攻撃することを意味していた。 日米同盟は何十年にわたり、アメリカを軍事的にアジアに留め、そして日本を西側に留めておくための道具であった。いまや、この同盟はソ連に対するアメリカのグローバルな軍事封じ込め戦略の中心的な構成部分となった。 …当時、日本政府の関係者の中で、こうした説明を国民に行った人はおそらく皆無であろう。さらに言えば、ぞっとする話ではあるが、当時、日本政府内にこのことを理解していた人はいなかったのではないか。これが日本の安全保障政策の実態である。 3.北方領土の利用価値 丹波實元駐ロシア大使は『日露外交秘話』で、…1951年対日平和条約において、日本に千島列島を放棄させるが、この放棄させる千島列島の範囲を曖昧にしておけば、この範囲をめぐって日本とソ連は永遠に争うことになり……という趣旨の在京英国大使館発英国本国宛の極秘意見具申電報があると、記述している。 多くの人はこの電報を見て、英国人はそういうことを考えていたのかと驚くであろう。 しかし、驚きはここで終わらない。実は米国自身にも同様の考えがあった。 ジョージ・ケナンといえば、20世紀の世界の外交官の中で最も著名な人物であろう。ソ連封じ込め政策の構築者でもあるケナンは、国務省政策企画部を拠点に冷戦後の米国政策形成の中心的役割を果たした。これを前提としてマイケル・シャラーの記述を見ていただきたい。 「千島列島に対するソ連の主張に異議を唱えることで、米国政府は日本とソ連の対立をかきたてようとした。実際、すでに1947年にケナンとそのスタッフは領土問題を呼び起こすことの利点について論議している。うまくいけば、北方領土についての争いが何年間も日ソ関係を険悪なものにするかもしれないと彼らは考えた」 …日本は米英の謀略とも言える構想と軌を一にする政策を進めていくこととなる。多分自信を持って言えることは、日本の北方領土に関与してきた人のほとんどがケナンたちの考え方を知らないことである。 4.CIA工作の傑作(83p) 第二次大戦後CIAは米国国内で本当に必要なのかと幾度となく批判され、その存在を脅かされた。そのときCIAが言う台詞がある。「戦後の日本を見てくれ。われわれの工作の傑作である」。 5.ソ連の脅威が消滅するショック(88p) ソ連崩壊後、米国には二つの選択があった。一つは米国への脅威が軽減したとして重点を経済に移すこと、もう一つは世界で最強になった軍を維持することである。そのいずれの道の選択も可能であった。当時米国は日独の経済的追い上げをうけていた。国民レベルでは米国への脅威が軽減したとして重点を経済に移すことの方が自然であった。 しかし米国では国防省などが中心となり、最強になった軍を維持することを選択した。 その際には国民に対してなぜ最強の軍を維持する必要があるのかを説明しなければならない。これまでのソ連(ロシア)の脅威は消滅した。これに代わる脅威が必要である。そこでイラン・イラク・北朝鮮を脅威と認識し、これへの積極的軍事関与を決定した。逆に言えば、イラン・イラク・北朝鮮の脅威を十分に説明できなければ、国防政策を根本的に変え、最強になった軍の維持ができない状況にあった。しかし、この事情は米国特有の選択である。国際社会の大多数が支持する考えではない。ここから、米国は決定を国連に委ねることなく、単独主義を志向した。最強の軍隊を維持する、そのためには新たな敵が必要となる、これが危険であると説明する必要がある、かつ、この論理は国際的に支持されるとは限らない、したがって単独主義を追求する、これが冷戦後の米国戦略の基本である。 6.冷戦終結後の対日工作(102p) 冷戦終結後の米国の対日政策は、(1)経済的に日本は最も強い脅威となっており、この脅威とどう対応するか(2)新しい米国戦略の中に日本をどう組み込むか、の二つの課題が存在した。 (中略) …当時のカーラ・ヒルズ通商代表ら、米国側の交渉担当者は、日本経済の強みは、政界・官界・経済界の共同体とも言えるシステムにあると見なしていた。 逆に日本の脅威を除くには、この政官財共同体の破壊が最も重要視された。そのうち政党の自民党内には、米国との良好な人的関係を作れなければ政治家として大成できないという意識が存在している。米国としては対応は難しくない。唯一国益の概念を持ち出す官僚の存在だけが思うようにいかない。 ここから米国は日本の官僚機構、特に経済官庁の排除に焦点を絞った。その後、日本のマスコミが、大蔵官僚への接待に代表されるような官僚の腐敗摘発キャンペーンを張り、この腐敗は全ての官僚に共有されているとの印象を醸成し、官僚批判は社会の正義となった。 7.日米同盟はどちらに有利か(123p) 日本国内に、「米国は日本を守る、しかし日本は米国本土を守らない、これでは不公平だ、これを補うため、日本は他の分野で、できるだけ米国に貢献しなければならない」という論がある。一見もっともらしい。この論は勢いを増し、今日日本の安全保障論議の主流を占めている。しかし、この論は正しくない。 日米安全保障関係の取引は、米国が日本国内に基地を持つ、日本が米国側の陣営につく、日本に攻撃兵器を持たせないこととの引き替えに米国は日本を守る、という取引である。この取引の主唱者は、米国である。米国は現在もこの取引は十分意義があると見ている。 (中略) …1997年から2001年にかけて駐日米大使特別補佐官として日米安全保障問題を担当したケント・カルダーは、『米国再編の政治学』で、次のように記述している(要約)。 (1)米国の基地プレゼンスは五つに大別される、そのうち最も重要な役割をになう戦略的価値を保持している主要作戦基地では、ドイツの空軍基地と日本の嘉手納空軍基地が典型である。(これをいったん失い)再建設するとなると法外な費用がかかる (2)海外の米軍基地の中で将来を考えても深い意味を持つのがドイツと日本の施設である。日本における米軍の施設の価値は米国外では最高である (3)日本政府は米軍駐留経費の75%程度を負担してきたが、この率は同盟国中最も高い。ドイツは20数%である 8.先制攻撃ドクトリン(130p) 「ブッシュ政権の戦略で最も論議を呼んだのは、『先制攻撃ドクトリン』だろう。2002年9月、合衆国国家安全保障戦略報告書では『敵は核を持とうとしている。脅威が実現する前に行動をとる』と言っている」「歴史的に先制攻撃はある。しかしこれは実質的に予防戦争だ。先制攻撃は通常切迫した軍事攻撃を打ち砕くための行動と理解されている。対して、予防戦争は、何ヵ月あるいは何年も先に実現しそうな脅威を除去するための軍事作戦である。つまりアメリカは、国家の主権を尊重し既存の政府と協力する必要があるというウェストファリア条約以降の概念を捨て去った」(フランシス・フクヤマ『アメリカの終り』より要約) …これはある意味で西欧社会が築きあげてきた知性の否定でもある。西欧知性の代表人物カントは、『永遠平和のために』の中で次のように述べている。 「いかなる国家も、ほかの国家の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない」 この理念が、国連憲章の「人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく」に繋がる。 この思想は国連憲章にとどまらない。…アイゼンハワー大統領の離任の辞…の中で彼は次のように述べている。 「われわれの世界は恐れや憎悪の共同体ではなく、相互信頼と尊敬の共同体でなければならない。こうした共同体は平等の集まりである。最も弱い者もわれわれと同じ自信をもって会議に臨めるようにしなければならない」 アイゼンハワーもまた、カント的考え方を継承した人物である。今日の米国はアイゼンハワーの主張からもかけ離れている。 9.対日工作はそう難しくない(140p) 対日工作は米国にとり、おそらくそう難しい作業ではない。米国は日本の政治家、ジャーナリスト、官僚、それぞれの分野で自分たちと価値観を共有する者を支援する。彼らに対し、他の者が入手できない米国の情報を与える。米側とは密接な話し合いを行い、交渉の成立を容易にする。するとその人間の価値は飛躍的に高くなる。さらに特定人物が価値観を共有していないと判断したら、その人物を然るべき場所から外すように工作をする。こうしたことが執拗に実施されてきたと思う。 (続く) |
<< 前記事(2009/06/15) | ブログのトップへ | 後記事(2009/07/01) >> |
タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
---|
内 容 | ニックネーム/日時 |
---|
<< 前記事(2009/06/15) | ブログのトップへ | 後記事(2009/07/01) >> |