天正十年某月某日
京の都にある公家屋敷の一角にある東屋に四人の人物が車座となって集っていた
暗がりに、蝋燭の炎がポツポツと在るだけの暗い部屋に集った四人の顔には動物の面が着けられており、人相は判然としない。
しかし着ているものは仕立ての良いもので身分の高さを伺わせる。
特に蛇の面を着けた人物は公家であるのか、ぞろりとした衣装であった。
その公家風の蛇面の人間が声を発する、面によってくぐもってはいるが、充分に通りの良い、しかし甲高い声である。
「首尾はどうか」
この声に応じるのは他の三名、それぞれが猿、狸、狐の面を被った人間たちだ。
仕立ての言い着物をきており、太刀を脇に置いている事から武士、それも大名であるように見える。
蛇面の対面に座した狐面を被った男は行儀良く両手を膝に置いたまま言葉を繋げる。
「弾上忠は破竹の勢いでございます。このままでは朝廷の権威は失墜し、日の本全て弾上忠の物となるも近いかと」
この言葉に蛇は明らかに気分を害した様子へと変わる、手に持っていた扇を閉じてその先で床をコツコツと叩き始めた。
「その様に苛立ったところで妙案は浮かびませんぞ」
蛇の右側に座る狸面を被った男が取り成すように声を掛けると、声を発した狸に他の三つの視線が集る。
狸は小太りと表現して構わないだろう体型と相まって、中々にひょうきんな感じを受ける。
「先の戦でも雑賀衆を下し、京周辺に敵は無し。残るのは中国の毛利と九州の島津、関東の北条ですな、誰も遠地にあって頼みにするには足りないかと」
特に北条は朝廷の権威からは遠いところに居る大名だ、力は有るのだが坂東武者は平将門以来、自律心が強い。
もとより鎌倉幕府を開いた源頼朝からして関東にて力をつけ京にいた平家を討ったのだ。
その辺りの事情は此処に集った者ならば皆承知している。
「ならば貴殿には妙案があるか」
蛇が眼を輝かせて尋ねるが、狸は肩を竦めるばかりである、そこへ蛇の左隣に座っていた猿面から一つの意見が出てきた。
「然らば、暗殺しかありますまい」
暗殺、確かにその手段は何度も考えられていた、否既に何度か実行されてもいた。
しかし、差し向けた手練の者は悉く返り討ちにあっていた。
警護の小姓である森蘭丸のみならず、その弟である力丸、坊丸も確かな腕を持っており、更に標的である織田信長自身が若い頃から戦場にて兵卒と共に戦ってきただけあって強い。
既に齢五十に手が届こうかというこの段になっても、未だ三十そこそこにしか見えぬ程の外見と相まって覇王とも魔王とも言われる所以の一つである。
その事を蛇が指摘すると猿は笑いながら続ける。
「並みの手練で敵わぬならば、日の本一の手練を用意いたそう」
「そう簡単に言うが、誰か当てでもあるのか」
「当ては無い、しかし此処に集る者には心当たりはあろう。そやつらを互いに咬み合わせて最も強い者を当てましょう」
なるほど、自分達の国許や市勢にも当代一と嘯く者は数多い。そいつらを戦い合わせて生き残った者こそを刺客にしようということだ。
「如何か?」
猿の知恵は悪い手ではない、特に市勢の者を使う事で自分達との繋がりを薄くする事が出来る。
駄目で元々、上手くいけば上々の出来だと残りの三人も知恵を巡らせる。
問題はそれに相応しい力量を持ったものを見つける事が出来るかどうかだが、それについても問題は無い。
ここに集った者達にすれば、強い人間を集める事はさほどの苦労を伴うものでも無いからだ、最もその中でも真に天下に是ありと思うほどのつわものとなれば難しいだろうが、そこは其々が知恵を巡らせれば良い。
後はその人間に与える報酬という名の餌を用意しなければならない。
「餌は好きなものを与えると言っておきましょう、余りに欲張るならば消せばよいこと」
天下人に近い信長とは違い、市勢の民など権力を持つものにとっては、どれ程個人の力量が優れていようともそれ以上の力を持って排除出来る。
問題は信長亡き後の事を誰が継ぐかが問題だ、それは此処に集った人間の内より出なければ、何の為に危険な橋を渡るのかが判らなくなる。
集ったものは共通の敵を討つための同士であり、天下を狙うにあたっては敵であるのだ。
無論この場でそれを態度に出すような者は一人も居ない、まるきり狐狸の化かし合いのような会合は続く。
「ではそれぞれに準備に入ろう、それぞれに思う者を挙げよ」
蛇の声に従って其々が噂に上る人間を挙げてゆく。上がった名は両手の指では足りぬほどに出てきたがその中でも是はと思われる人間は多くは無い、そこで名の上がった者の中からそれぞれ2名を選び出した。
「つごう八名、競い合わせ、喰らい合わせ最も強きものを当てましょうぞ」
「異議なし」
声と共に蝋燭の炎が吹き消え、東屋は夜の闇に沈む。
消えた蝋燭より立ち上る紫煙が、これより始まる血闘の開始を告げる狼煙であった。