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[17077] ハルケギニア~俺と嫁と、時々息子(転生・国家改造・オリジナル歴史設定)
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/05/20 14:55
始めまして。ペーパーマウンテンと申します。皆様方のSSを読むうちに、書いてみたい!という無謀な欲求が抑えられなくなりました。

(このSSについて)

・ゼロの使い魔の2次創作です(3月14日にチラシの裏から移動)
・主人公はある国のある人物に転生します。そしてある目的のために国内改革にまい進します。
・このSSは原作のはるか前から始まります。姫騎士よりも前からです。書いているときは第1巻しか出ていませんでしたが、これから原作の姫騎士が進むに連れて、齟齬が出てくるかも知れません。その場合、原作にあわせるか、オリジナルストーリーで進めるかは、状況によります。ご容赦ください。
・オリキャラはたくさん出るかもしれませんが、チートはないです(無論主人公も)。ステーキ(ルイズとかサイト)を乗せる皿の下に敷いてあるテーブルクロスの下のテーブル的な、添え物キャラを目指します。
・オリジナル歴史設定(帝政ゲルマニア成立までとか色々)があります

それでもいいという心の広いお方、どうぞ感想・批判、よろしくお願いいたします。

***

5月16日「ラグドリアンの湖畔から」アップ

感想でいただいたアイデアを元に作成しました。Q猫様、ありがとうございます♪

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


ハルケギニア地図(ブリミル暦6214年)

*ウイキペディアのハルケギニアの地図に依拠して作成しました。より詳しく地理を確認したい方は、お手数ですがウィキペディアの地図をご覧ください。宜しくお願いします。

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                           ボンメルン大公国
                北
               部
              都
             市                      
            同
           盟                 ザクセン王国

               ハノーヴァー王国


    トリステイン王国                   ベーメン王国

                            
               ゲルマニア王国
   クルデン
    ホルフ      ヴュルテンベルク王国      バイエルン王国
      大公国         ダルリアダ大公国

                 トリエント公国



ガ リ ア


                                  サ ハ ラ   
                                 (エルフ領)



    グラ        ロマリア
    ナダ
    王国          連合
     
                 皇国


****************************************

・トリステイン・ガリア・ロマリア・クルデンホルフと、ここには書いてありませんが、空に浮かぶアルビオンを除き、あとはオリジナル国家です。帝政ゲルマニアではなく、ゲルマニア王国なのはオリジナルです。この後の展開で帝政ゲルマニアになるかどうかは・・・追々ということでご理解ください。

・グラナダ王国以外の9つの国家や都市同盟を構成する地域(ウィキの地図では帝政ゲルマニア領域)は、旧東フランク王国領と呼ばれています(SSオリジナル設定)。

・旧東フランク王国について(15話)

ガリアとゲルマニアは、かつて「フランク王国」という統一国家でした(以後オリジナル設定)

ブリミル暦450年に西フランク王国(現在のガリア王国)と東フランク王国(旧東フランク地域。ウィキでは帝政ゲルマニア)に分裂します(ネタバレになりますが、この辺に、ガリアの双子のアレが掛かって来ます)。東フランクは2998年に崩壊。1000年近くの戦乱と干渉戦争を経て、今の形に落ち着きました。

・ロマリア連合皇国

サヴォイア王国という王国をSSでは出しましたが、他の王国や都市は、まだ詰め切れていません。いずれ設定します。

・ベルゲン大公国

原作14巻で東薔薇騎士団反乱の際に出てきた大公国です。「代々衛兵をつかさどるベルゲン大公国出身の傭兵が数百名駐屯」という記述のある国です。上の地図では書きませんでしたが、ヴェルデンベルク王国と、ガリア王国の国境にあるという設定です。

・グラナダ王国

ウィキの地図で、ロマリアのあるアウソーニャ半島の西(左?)、ガリア王国の最南端に、ちょこんと突き出た、赤ちゃんの足の様な半島があります。ウィキの地図をよく見ると、おそらく国境線であると思われる赤い線で、ガリアとは確実に隔てられています。

そういうわけで、この半島をイベリア半島と名づけ、グラナダ王国というオリジナル国家をつくったという次第です。

~~~

(旧東フランク諸国の国の面積について)

・基本的には、ウィキペディアの地図をご覧いただけるとありがたいです。

*ゲルマニア・ザクセン・ボンメルン・ベーメン・・・トリステインの約2倍
*バイエルン・ハノーヴァー・北部都市同盟・・・トリステインと同じ規模
*ヴェルデンベルグ王国・・・トリステインの4分の1
*ダルリアダ大公国・トリエント公国・・・クルデンホルフ大公家領と同じ規模。

クルデンホルフ大公国の領域は、ウィキぺディアの地図で、トリステインの下にちょこんとある丸い奴だとおもわれます。



[17077] 第1話「勝ち組か負け組か」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/03/29 20:10
ある日起きると


「・・・子供?」


金髪のガキになっていた



*************************************

ハルケギニア~俺と嫁と、時々息子~(勝ち組か負け組か)

*************************************


その美しさから「白の宮殿」との異名を持つハヴィランド宮殿。現国王の王子にして、第2王位継承者である、ヘンリー・テューダーの寝室も、そこにあった。

コンコン

「殿下、アルバートでございます」
「・・・・」
「殿下、アルバートでございます」
「・・・・」
「殿下?」

その日。いつもの様に侍従のアルバートは、寝室につながるドアをノックしたが、王子からの返事が返ってこなかった。首をかしげながら、先ほどより音量を上げて、ドアをノックする。

コンコン!

「殿下、殿下?」
「殿下、へスティーでございます。殿下?」

王子付のメイド長であるヘスティーも一緒になって呼びかけるが、返事はない。

耳を澄ますと、中から声が漏れてくる


「・・・ちゃ駄目・・・・・だ・逃・・・・だ・・・」


殿下は何かつぶやいておられるようだ。もしや熱を出してうなされていらっしゃるのか?

最近夜は冷え込むと、注意し申し上げたところだったのだが。殿下の本日の予定はすべて取りやめなければならんか・・・いかん、それどころではなかったな。まずは殿下のご様子を確認しなくては

「アルバート、入ります」



部屋に入ったアルバートとへスティーが見たものは



「逃げちゃ駄目だ・逃げちゃ駄目だ・逃げちゃ駄目だ・逃げちゃ駄目だ・・・」



ベットの上で(何故か手鏡を見つめながら)うつろな顔でブツブツつぶやく、ヘンリー王子のイッチャった姿であった


***


「って、どっかの陰気中坊主人公みたいなこと言ってる場合じゃねって」

気分が悪いからしばらくひとりにしてくれと2人を追い出した俺は、手鏡に映る自分の顔をいじくりまわしていた。キンパツに青い目-まるで西洋人形みたいだ。うーん、なかなか可愛い顔して・・・

ゲフンガフンッ

いかんいかん。俺はノーマルなんだ。うん。



てか、自分の顔が可愛いって、どんなナルシーだよ。痛すぎるだろ俺・・・





「夢じゃない・・・」

そう、夢ではないのだ


44歳と2ヶ月と2日・・・それが、この世に生を受けて、昨日布団でいびきをかいて眠りの世界に入るまで、俺が過ごして来た時間だ、・・・いや、だった

某県にある中小商社に勤める俺は、大学時代は暇に明かせて体を鍛えまくったため、体は健康そのもの。腹筋が6つに割れているのが自慢だ。無論仕事も出来・・・たらいいんだが、まぁ・・・会社では可もなく不可もなく。総務第2課課長なんてものをやってはいるが、ぶっちゃけ窓際。不景気だからね、ボーナス削減や給与カットがあっても、雇用があるだけありがたいというものだ。組合万歳(組合費はらってないけど)

最近薄くなってきた後頭部と、反抗期な一人息子に頭を悩ませる。そんな小市民だった・・・はずだ




プリンス・オブ・ヘンリー(ヘンリー王子)-それが俺の今の名前。年齢は9歳と2ヶ月と2日-何故かこの2つだけは自覚できた。

人類の夢、始皇帝ですら為しえなかった若返り(不老不死だったか?)を、俺はやってのけたのだ。すごいぞ俺。ありがとう神様(墓は仏教だけど)。さらば古女房、さらばクソ生意気な息子。


さて、「ヘンリー王子」として人生をやり直す俺だが・・・


王子ってことは、俺人生勝ち組?!

青春をやり直す!しかも人生勝ち組で?!

うっひょ~♪




「・・・殿下?」

再び部屋に入ると、今度は一人でニヤニヤしていた主人の姿に、アルバートは嫌な汗をかき、へスティーは眼鏡越しに冷たい目線を向けていた・・・





*********

1年経ちました(はやっ!)


分かったことがあります




ここは「ゼロの使い魔」の世界でした


そしてここはアルビオン王国でした






・・・まてまてまてまてぇ!!!!

それって、あれじゃん!ほら、レンコン・キス・ドール・・・じゃなくて、レコン・キスタ・・・あれ、レコン・ラキスタだっけ?・・・どっちでもいい!とにかく、貴族の反乱で、王族全員えんがちょー、になった国じゃん!だめじゃん!勝ち組どころか、おもいっきり負け組じゃん!最後はアレか?ニューカッスル城で刺し殺されるの?

いーや~!!

「殿下?」
「おぉ、へスティー。いたのか」
「えぇ、ずっと」

お前はどっかの教師のストーカーかよ!

「すかーと?」

いや、なんでもない

彼女はメイド長のへスティー。メイドさんだ。これでもかっていうくらいメイドさんだ。黒髪のボブカットに、白いカチューシャが実に映える。しかもメガネっ子!いいね、ポイント高いね。でも猫耳付いてないのが惜しい。とっても残念

「殿下」

仕事は文句の付け所がない完璧主義者。掃除が終わった部屋の溝を人差し指でこすって「やり直し」て言ってたのを見かけた時は「どこの小姑だよ」って大笑いしたものだ。イメージとしては優等生・・・いや、委員長だな。眼鏡掛けてるし。

「殿下・・・」

うお!その冷たい目、たまらんぞ!ぞくぞくしちゃうぅ!


「・・・」



ごめん、ちょうしこきました




ふ、あんまりの非情な現実に、おもわず現実逃避しちゃったぜ


妙に若者言葉なのは、体が若返ったからか?精神は体に引っ張られるものなのか。仮にも大学で「心理学研究会」に参加していた俺としては、実に興味深い・・・


まぁ、それはおいといて







俺、思いっきり死亡フラグたってる!頭のてっぺんに!ハ●坊かよ?!



どうするんだじょ~!(by丹下段平)



そんなこと言ってる場合じゃねえ!!



ととと、と、とにかく、現状把握だ。すでに1年もの貴重な時間を「メイドさん萌え~」で、つぶしてしまってるし・・・


俺はそれまで聞き流していた個人授業の家庭教師であるエセックス男爵に、食い下がるようにして質問した。特にハルケギニアと、アルビオンの現状に関して

それまで「もえ~」だの「カチューシャいい!」だのとわけのわからないことばかり言っていた王子が、人が変わったように熱心に質問する姿に、家庭教師のエセックス男爵は「1年もくどくど繰り返し説教してきたことが、ようやく殿下のお心に届いたか」と、自分の努力が実ったことを喜んだ。

まぁ、勘違いではあるが、完全なる間違いではない。なんせ自分の生死がかかっているのだから


そして分かった


今はブリミル暦6198年。えーと、タバサの生まれた年が6227年だったから・・・16足して、原作開始の年、魔法学院の2年で、6243年か。

逆算して・・・あと45年?


・・・半世紀近くあるじゃん。心配して損したぜ




っと思った俺は甘かった



アルビオン王国は始祖ブリミル以来、5000有余年続いてきたが、初代国王の直系子孫がずっと続いてきたわけではない。分家の大公家が跡を継いだり、血筋が近いトリステインに婿養子に出された王子の息子を呼び戻したり。

今の王家は、約500年前にテューダー大公家のウィリアム・テューダーが、国王の娘と結婚して即位して成立したテューダー朝アルビオン王家。現国王のエドワード12世(俺の親父)は、その25代目にあたる。

エドワード12世(口ひげがダンディーなおじ様)には俺を含めて4人の子供がいる。

兄貴で皇太子のジェームズ・テューダー(20歳)
次男(俺)の、ヘンリー・テューダー(10歳)
長女のメアリー・テューダー(8歳)
3男が早世していて
4男のウィリアム・テューダー(7歳)


・・・なんか、微妙に嫌な予感がする


「なぁ、エセックスよ。男爵から見て、兄様はどんな性格だ?」
「そうでございますな・・・まじめ一筋といった感じですな。とかく浮ついたところのない、しっかりしたお方でございます」

・・・うん

「そういえば、先ほど宮廷内で聞いてまいったのですが、弟君のウィリアム様にモード大公家から養子入りのお話があったそうでございますぞ」

「兄貴の俺は?」

「・・・」

男爵、あさっての方向をむいて口笛ふいてるんじゃねえ。てか、わりとお茶目だなお前。


まぁ俺も「メイドさん萌え~」とかいう子供を養子に・・・断固として拒否するな、うん







・・・ちょっと待てよ・・・


たしか、レコン・キスタで殺される国王がジェームズ1世・・・時間的に考えたら、これはまちがいなく、兄貴のジェームズ皇太子だな。原作でも両脇を支えられながら最後の舞踏会に出てきたって言うくらいの老齢だったから、年齢的にも合致する。

ティファニアの親父で、エルフの妾こしらえて、つぶされたモード大公は、ジェームズの弟だったはず・・・まだわからんが、弟のウィリアムが大公家に養子入りするなら、間違いなくこいつなんだろう。



そういや、ウェールズ皇太子と、アンリエッタって、従兄妹同士だったよな・・・たしか、マリアンヌ大后が、フィリップ3世の娘で、旦那はアルビオン王家からの婿養子だったから・・・





・・・ん?・・・って、ことは、だ








・・・あれ?







「・・・おれ、アンリエッタのお父ちゃん?!」
「・・・どなたですか、それは?」







ヘンリーの言葉に、エセックス男爵が首をかしげる。そんなある日の昼下がり。

時にブリミル歴6198年。原作開始まであと45年であった





「へスティー、なに一人でブツブツ語ってるんだ?」
「独り言でございます、殿下」



[17077] 第2話「娘が欲しかったんです」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/03/29 19:56
おっす!おらぁ、ヘンリー!

アルビオンの次男坊で、アンリエッタの将来のお父ちゃん!

でも生家のアルビオン王家は将来貴族の反乱でフルボッコされて滅亡しちゃうし、婿入りするトリステイン王国は、ゲルマニアの成り上がりだの、ロマリアのイケメンでインケンな坊主だの、ガリアのチェス大好き王様だのに翻弄されちゃうんだ!


・・・泣いてもいいですか?


*************************************

ハルケギニア~俺と嫁と、時々息子~(娘がほしかったんです)

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原作どおりなら、俺(ヘンリー)は原作開始3年前に死ぬことになる。サイトのラブコメは見れないわけだ(というか、あんなもん実際に目の前でやられたら殺意を覚える)しかし前世とあわせれば、100歳近くまで生きれる計算だ。寿命に関して言えば、彼に不満はなかった。



突然だが、ヘンリーは前世で娘がほしかった。

彼が20の頃、兄夫妻に三つ子の女の子が生まれた。当時大学生で同居していた彼は、よく面倒を見たものだ。「おじちゃーん」と慕ってくれる姪っ子は可愛かった(20代でおじちゃんと呼ばれるのは微妙だったが)。

ある日、いつものように姪っ子たちと遊んでいる時、彼は何気なく聞いてみた。

「ねー。おじちゃんとお父さん。どっちが好き?」
「「「おとうさーん!」」」

微塵の迷いもなく、純粋な笑顔で返されたその答えに、彼のガラスのハートは砕け散った。

そのときの兄貴の勝ち誇った顔といったら!!


しかしながら、前世で彼は娘に恵まれなかった。出来たのは、くそ生意気で馬鹿でスケベでオタクっぽい息子1人だけ。「息子さん、お父さんによく似てますね」そういわれるたびに、言い知れぬ敗北感を覚えたものだ。


たぶんこのままいけば、自分はマリアンヌと結婚してアンリエッタのお父ちゃんになるだろう。


娘-ドーター。念願の愛娘。


彼の中に、ひとつの「想い」が芽生えた





娘との思い出が作れる、作りたい、作って見せるとも!!








「アンリエッタぁ!!!お父ちゃん頑張るよ~!!!!」







かつてこれほどまで不純な動機の主人公がいただろうか?(いや、結構いる)




***

まだ見ぬわが愛娘のために、今何をすべきか?ヘンリーは考えた。

とりあえずの目標は「アルビオンでの中央集権化=王権強化」だな。たとえ貴族が反乱を起こそうが、返り討ちに出来るくらいにしなけりゃ。史実(小説)なら、俺の死んだ後の話だけど、ジェームズ兄貴やまだ見ぬ甥っ子のウェールズは非業の死を遂げるからな。考えたくもない未来予想図だ。

ウェールズとアンリエッタが恋仲になるのは、全力で阻止したいが・・・でもアンリエッタに「お父様のわからずや!」とか言われたくない・・・いや、一度言われてみたい。そして「結婚は認めん!」とちゃぶ台叩いて反対したい。それで(中略)結婚式で「お父さん、今まで育ててくれてありがとう」って(以下省略)


婿入りしたら「トリステインでの中央集権化」。アンリエッタのため、何より、自分の平和な老後のため。ただでさえトリステインはガリアとゲルマニアに挟まれる小国。ヨーロッパで言えば、第1次世界大戦のときのベルギーや、2次大戦のときのポーランドみたいなものだ。歴史があってもどうにもならんですたい!緊急事態に即時対応が出来るようにしなけりゃ、もう即アボーンだろう。


原作どおりに行けば、俺に関しては「畳の上で死ねる」はずだ。

だがよくよく考えると、それも怪しい。大体すでに『俺』という不確定要素が混じりこんでいるのだ。俺が死ぬまで、トリステインがゲルマニアに滅ぼされていないという確証なんてない。


まだ見ぬ可愛いアンリエッタ、お父ちゃんがんばるよ


ヘンリーは「勉学の一環」と称して、アルバートやエセックス男爵の協力の下、アルビオンの現状を調査することにした。「敵を知り、己を知れば、百戦して危うからず」。未来(原作展開)を知っていても、今の現状が分からなければ、動きようがないからな。てか、原作開始の半世紀前だし、正直アテになるかどうか分からん。

~~~

ところで、なんで前世で40半のオッサンである俺が、ライトノベルである「ゼロの使い魔」を知っているかというと、息子の部屋にエロ本を探しに入って、偶然見つけたから。絵柄からそういう本かと思って部屋に持ち帰り、そうでないと思ってがっかりしながら読んでいくうちに・・・笑った、泣いた。本気と書いてマジと読む。本気で感動しちゃったのである。

特にタバサのお母さんを助けに行く10巻のラスト、タバサのイーヴァルディのくだりは、涙なくして語れない!(電車の中で、文庫本を見ながら泣くオッサンに、周囲はドン引きしていたが、そんなことは些細なことである)

ちなみにさっきからアンリエッタ・アンリエッタとうっとうしくらいに繰り返しているが、それは彼女が(おそらく)自分の娘になるから。どちらかというと俺はマチルダの方がキャラ的に好きだ。ワルドとのあのなんともいえない関係が、たまらなく色っぽくて・・・

~~~

*********

魔法の練習やこの世界の勉強をしている内に、5年が過ぎた。俺は15歳になった。

前世では15歳のときに初めて恋人が出来たんだが・・・この世界では今んところそんな気配はまるでナッシング!言ってて悲しい・・・

「へスティー!ロンリーボーイの俺を慰めてく『何か?』・・・なんでもないです・・・」


ハルケギニアの世界では、ルイズやジョセフの例でも分かるとおり「魔法の能力=評価」。貴族は魔法が出来て当然。魔法の出来ないものは、他の分野で抜きん出て優れていても、軽く見られてしまう。臣下(貴族)に軽んじられては、何かしようと思ってもうまくいくわけがない。

俺の系統は「水」だった。「アルビオン王家は代々風系統の家系なのですが・・・」とエセックス男爵は首をかしげていたが。お袋のテレジア王妃が「水」だから俺は不思議には思わなかった。魔法とDNAが関係あるかどうかは知らないが、ABO式血液型っぽく言えば、水>風なんだろう。

あとは元軍人のエセックス男爵の厳しい指導の下、ただひたすらに一生懸命練習。結果、水の『トライアングル』になれた。すごいんだろうけど、ち~んとならす三角形の楽器みたいで、なんだかなーと思ってしまう。もっと締まりのいい名前はないもんかなと考えている俺の横で、白髪の増えた老男爵は「ご立派になられて・・・」と涙を流しながら喜んでくれた。くすぐったくて、なんともむず痒い。

風の『ドット』モード大公ウィリアム(結局、大公家にはこいつが養子に行った)からは「お兄様すごい!きらきら!←尊敬の眼差し」という手紙をもらった。そうだ弟よ。もっとこの兄を敬うのだ


「ジェームズ皇太子殿下が、風の『スクエア』になられたそうですぞ!」


参りました兄上。調子乗ってスンません


ってか、原作でそんなこと書いてないじゃん!よぼよぼの爺ちゃんとしか書いてないじゃん!反則じゃん!とか考えていたら、ジェームズ兄貴は肩をすくめながら

「弟には負けたくないからな」

・・・兄貴、あんた男前だよ。さすがウェールズのお父ちゃんだ。あんたの息子なら、俺のアンリエッタを嫁にやってもいいよ。



閑話休題



で、エセックス男爵やアルバート侍従にも協力してもらいながら、この5年間で調べ上げたアルビオンの現状だが・・・


問題山積で涙が出ちゃう。だって王子様だもん?


(国王の権力)

王権は強くない。むしろ弱い。西洋史で言うなら、11世紀から13世紀ぐらいの封建制社会が一番しっくり来る。まず魔法が使える貴族諸侯が、それぞれの領土を支配しており、王家はその上に盟主として存在している。アルビオン王家の領土は、空中国土全体の4割程度。2つの大公家領を足しても5割に満たない・・・まさか落ち度もないのに貴族を取り潰すわけにも行かないし(へたすりゃ反乱起こされるからね)。

でもね、軍だの警察だの、国家全体をカバーしなけりゃならないのに「40パーセント」の領土税収で、全土を守れる予算を出せって、どう弄繰り回しても組めるわけないしね。

うん・・・いきなり挫けそう・・・

(農村と都市)

農奴制は「制度としては」存在しない。これは正直ありがたかった。さかのぼること約1500年前のブリミル暦4459年、当時のアルビオン国王エドワード3世(開放王)が、「始祖ブリミルの教えに反する」と農奴制廃止を宣言。貴族の大反対を押し切って廃止したのだ。引き換えに、エドワード3世は「謎の死」を遂げている・・・


これ結構すごいことだよね。いつになるかわからないけど、ハルケギニアで「人権」という言葉が当たり前の時代になったら、必ず教科書で教えられることになるんだろうな。

ありがとうご先祖様。貴方の犠牲は無駄にはしません。今度お墓参りに行くからね。


制度としての農奴はなくなったが、自作農が増えたというわけではない。領主である貴族に雇われている形になっただけで、内実は農奴と変わらない。だが一応は職業選択の道が開かれている。小さなようで、これは大きな差だ。人の流れをさえぎるものがないからだ。将来、農業改革を行ったときに生まれる農村の余剰人口を都市に呼び込んで、将来的に軍人や警官も含めた公務員や、工場労働者の担い手として期待したい。

もっとも都市の受け皿(雇用・住宅など)をオーバーすれば、都市にスラム街が生まれる結果にもなりかねない。治安悪化→政情不安→反乱・・・駄目駄目駄目。

そう考えると、農村での余剰人口を生み出すことになる農業改革は、一気に進めるのではなく、状況を見ながら慎重に進めなければならない事になるが・・・あ~もどかしい~!!


(経済)

経済界はまさに中世。大量生産なんか夢のまた夢の、手工業レベル。鍛冶屋からパン屋まで、ありとあらゆるものづくりに関わる産業が、徒弟制度だ。同業者組合(ギルド)に属して店を構える親方が、その技術を弟子に伝える。弟子は試験に合格すれば、その仕事で独り立ちができる。技術は外部には秘密。ギルドに属さないものが、その商売を行うことは出来ない。

閉鎖的である。無論、競争はなく、大規模な技術革新は望めるはずもない。牛の歩みより鈍い成長速度だ。経済にとって弊害だらけのようにも見えるギルドだが、だからといって、すぐ廃止というわけには行かないところが、また難しい。

昔の日本金融界の護送船団方式のようなものだ。なま温いが、それはそれなりに居心地はいい。なにより、ギルド廃止によって、それまでの加盟者は、明日のおまんまに関わる既得権を奪われることになるのだ。その抵抗は、下手な貴族なんか比べ物にならないだろう。それこそ下手なマフィアより怖そうだ・・・だけど、競争なくして発展はないわけで・・・

そんな中でも割かし自由気ままにやってるのが、商会と金融業者だ。物の流れに国境はなく、金は誰への忠誠心もない。各国を渡り歩き、飛び回らなければ商売にならないのだ。両者を取っ掛かりにして経済改革を進めたいが、どちらも油断してたら、身包みはがされ、尻の毛まで抜かれてしまう。油断は出来ん・・・


(軍事)

大砲や銃は日本の戦国時代末期、ヨーロッパで言う「チンは国家なり」とかいった某14世の絶対王政の時代ぐらいか。改良の余地はあると思うのだが・・・専門家ではないので、よく分からない。分からないことに口出しは出来ないよなぁ・・・


アルビオンでは国家規模の有事の際に、国王が王軍司令官を指名。司令官が王の名において、貴族の率いる諸侯軍を召集する。状況に応じて、傭兵を雇う場合もある。

軍事行動では諸侯軍を率いる大貴族、それも本家筋の当主の意向が反映されることが多い。これは諸侯軍がそれぞれ「○○公爵家とその一族一党」「××伯爵家の一族一党」と言ったように、血族単位で召集されるからである。本家の意向が、一族分家の諸侯軍全体に与える影響は大きい。

そんな中でも王立空軍やアルビオン竜騎士隊といった航空戦力は、王家の影響力が強い。

アルビオン王家はアルビオン最大の地主貴族である。船は金食い虫-金を一番出すものが一番でかい顔ができる・・・というわけだ。空軍は事実上の「常備軍」といっても差し支えないだろう。船というものは、日頃から訓練しておかないと動かせるものではない。

竜騎士隊も同じ理由である。アルビオンの竜騎士隊は、ハルケギニア諸国家の中でも精強で知られるが、少数では対した戦力にならない。某中将の「戦いは数」はその通りなのだ。数で戦うには、集団行動の訓練をしなければならない。当然、中央政府(王家)の影響力も及びやすい。

王家直轄の軍としては近衛魔法騎士隊がある。基本は貴族から選ばれる。推薦ではあるが、その内実は志願制といってもよく、王家への忠誠心は高い。ニューカッスルでジェームズ兄貴と一緒に死んだ多くが彼らだろう。


諸侯軍はへたすりゃ軍閥になりかねん。いざという時のために、最低でも王軍司令官に指揮権を一本化したい。しかしこれに手を付けるということは、貴族の権限に王家が直接介入するということ。暴力装置にかかわることには、特に慎重を喫してとり掛からなければならない。

将来的には諸侯軍を全廃して、変わりに国王直轄の常備軍を創設したい。だけどお金がかかる・・・空軍や竜騎士隊に関わる支出を見たとき、ヘンリーは眩暈を覚えた。

「金食い虫ってレベルじゃねえぞ、こりゃ・・・」

レコン・キスタに、王立空軍の「ロイヤル・ソブリン号」を始めとした主だった主要戦力や竜騎士隊が付いたのは、王家がその膨大な軍事予算の負担に耐えかね、予算削減を行ったからではないか?それで不満を持った軍人がレコン・キスタに・・・確かめる術はないけどね。


(貴族と領地)

魔法が使える領地貴族だが、まだらに入り組んで細分化した領地という厄介な問題がある。

もともと建国当時のアルビオンには、3つから4つの村落を領有する中規模な貴族が多かった。それが家督相続者以外の次男・3男にも土地を与える分割相続であったため、相続のたびに、代々の領地は砕けたビスケットのように小さくなっていった。4000年頃に分割相続の伝統は消えたが、それは単に分け与える土地がなくなったからだ。

当然、領地経営が苦しくなり、その多くが没落していった。その中でも比較的裕福であった貴族は、砕けたビスケット状の土地を片っ端から買い漁り、大きくなっていく。アルビオンの国土に、まだら状の奇妙な領土が出来あがったというわけ。

大貴族と貧乏貴族が固定化される現状は好ましくない。入り組んだ領土のため、街道1本通すだけでも、莫大の手間と時間とコストがかかるというわけで・・・はぁ・・・


(官僚・行政機構)

いろんな俺の構想を実現するには、手足となる官僚機構が必要なわけだが。これはまだなんとかなりそう(あくまでも他に比べればの話。他がほとんど絶望的なのだ)。大臣クラスはともかく、官僚は基本的に下級貴族を採用する。そう、領地経営だけでは絶対に食っていけない貧乏貴族だ。下手な農民よりも貧乏な彼らは、現状への問題意識が高い。ある意味俺と最も通じるところがあるかもしれない。

だが、彼らは少ない。そして権限がない、なにより「忙しい」。

アルビオンは行政部門の専門化がまだ進んでいない。乱暴に言えば、内務卿が「宮内庁長官」「農林水産大臣」「国土交通大臣」「総務大臣」「国家公安委員会委員長」を、財務卿が「財務大臣」「経済産業大臣」「経済財政担当大臣」「金融担当大臣」「国税庁長官」を兼任している。あれも、これも、それも、あっちも、なんのまだまだそれもこれも、なんのこれしきまだまだ・・・多岐にわたる仕事を、圧倒的に足りない人手で処理している。中央集権化を進めるなら、官僚の頭数を増やし、行政機構を整備しなければならないが・・・先立つものが・・・ね?

とにかく、官僚はじっくり育てていくしかない。人材は一朝一夕に育たないのだから・・・


(司法制度)

「三権分立?なにそれ?おいしいの?」てなもんだときたもんだ

貴族の領土では、それこそ貴族が好き勝手している。領土内の司法・行政・警察・軍事を統括しているのが貴族なのだ。国法を徹底するとか、そういうレベルではない。大体、税率も各地で違うから、税逃れであっちこっちへ移る商人もいるらしい。

それくらいならともかく、入り組んだ領地をまたがって暗躍する傭兵崩れの強盗団や、領地国境などお構いなしに人を襲うオーガ鬼などの亜人対策ですら、霞ヶ関も真っ青な縦割り行政が立ちふさがると聞いたときには、柄にもなく頭に血が上った。

貴族領はともかく、国王直轄内ではどうかというと、これがまた・・・。警察は、軍=警察。制度上では区別はあるらしいが、あってないようなもの。とっつかまえた軍人が、即決裁判を行うのも珍しくないらしい。現行犯ならそれでいいが、冤罪だと思うと身震いする。軍事権と警察権、おまけに司法権までごっちゃになってるとは・・・


(議会)

あると聞いて正直驚いた。アルビオン議会は貴族・教会・大商人の3者からなる。ハルケギニア諸国家にも議会はあるが、アルビオンの議会が国政に及ぼす影響は、他国と比べ物にならないぐらい強い。

その歴史はなんと3000年。歴史の長さは伊達ではなく、かつては王朝の交替や、国王の選出にもかかわったという。

味方につければこれほど頼もしい勢力はない。かつてノルマン朝のロバート5世は、弟のブルース大公と王位を争った際、議会勢力の支持を背景に国王に即位した。だが敵に回せば・・・。これまで4人の国王が「体調不良」により退位しているって、ちょっとシャレになってないって(ちなみにその中にロバート5世も含まれるっていうんだから笑える・・・いや、やっぱり笑えん)

貴族も、教会も、大商人も、少なからず既得権益を持っているのだ。派手な行動を起こせば、必ずぶつかるだろうなぁ・・・




現状を一言で言うなら

「あちらを立てればこちらが立たず。なによりお金がない」







「はああぁぁぁぁぁ・・・・・・」


ヘンリー王子は、深い、深いため息をついた。








時にブリミル歴6203年。原作開始まであと・・・40年




「へスティー?何やってるの?」
「バイトです」



[17077] 第3話「政治は金だよ兄貴!」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/03/14 09:08
ジェームズ・テューダー皇太子。

彼は真面目だ。

どれくらい真面目かと言うと、いつ結婚してもおかしくない年齢なのに、これまで浮ついた噂が1度も流れたことがないのだ。そのため社交界では「融通が利かない」とも陰口を叩かれるが、侍従長のデヴォンシャー伯爵などの武人肌の貴族からは「それくらいの方が頼もしい」と受けがいい。

ともかく彼が、不正を憎み、正義を信じ、民を愛し、王族とは、国家とは何かということをいつも考えているという点に関しては誰も疑いようがない。それに、論理と筋を通せば、話が分からないというわけでもない。性格的に、自他共に厳しいだけなのだ。


そんな皇太子の前で

「政治は金だよ兄貴!」

とのたもうたヘンリー王子が、無言で頭を殴られたのは、当然であった・・・


*************************************

ハルケギニア~俺と嫁と、時々息子~(政治は金だよ兄貴!)

*************************************


何をするにも、金・金・金・・・金がかかるのだよアルバート君?

「は、はぁ」

基本的に人のいいアルバート侍従が困ったような顔をしていたので、まぁ気にするなと言っておく。

彼の風貌はどこにでもいるおっさんにしか見えないが、こう見えて非常に優秀な文官である。彼がいなければ、アルビオンの現状調査はもっと手こずったに違いない。その上、従来の慣例に囚われない柔軟な思考も出来るという、得がたい人材なのだ。

「人は見かけによらない」のだ。



さて金。「キン」ではなく、「かね」。ようは財源のことだ。常備軍を作るにしても、官僚養成学校を作るにしても、ネコ耳メイドさん制服を作るにしても、金が要るのだ。


「・・・」

へスティー、最後のは冗談だから。お茶目なジョークだから。とりあえず無言で足踏むのやめてくれない?地味に痛いの。



王家の直轄領は少ない。確かに、王家はアルビオン全土のうち、4割の土地を保有する国内最大の土地貴族ではある。だが、アルビオン全体の政治を行う財源を捻出するのは不可能なのだ。その40パーセントの領土で、100パーセントの国土を治めなければならないのだから。



あーもう!いっその事、開き直って、明治維新政府みたいに「版籍奉還」と「廃藩置県」を宣言して、貴族から土地巻き上げちゃうか?!逆らうものは反逆者ってことにしてさ!

時計の針が40年ぐらい早送りになります。即「レコン・キスタ」です。ありがとうございます。

明治政府が「版籍奉還」と「廃藩置県」を出来たのは、戊辰戦争を勝ち抜いた藩閥政府の強力な軍隊があったからだよね~。今のアルビオンには、そんなもの存在しませんから。残念。



ヘンリーは地道に王家直轄領での税収を増やす方法について考えることにした。


税収の基本は、領民から取り立てる年貢である。これは物納で、小麦を作っている農民からは小麦を、羊毛なら羊毛を、ワインならワインを納めさせる。集めた年貢を市場や商会を通じて売り、初めて王家の収入になる。

だが物納では税収入が不安定にならざるをえない。その時の市場価格によって、売却益に差が生じるからである。不安定な税収では、予算を安心して組めない。いずれ物納から金納にして、安定した税収を確保したいが、まだそういうことに口出しできる権限が俺にはない。


年貢以外にも税収入はある-関所や河川の交通税、ギルドから定期的に徴収する売上税、特産物を物納させる物成など-将来的にはギルドからではなく、個別の商人から売上税を徴収したい。わけのわからん中抜きや、ギルドぐるみのごまかしがないとはいえないからな。だが現状では実務担当の官僚が足りない。今切り替えれば、抜け穴だらけのザルになること間違いなく、税収減は確実だろう。

手っ取り早いのは増税だが、税を増やされて喜ぶものなどいない。それに王家直轄領だけ増税して、他の貴族領地と差がつくのは好ましくない。嫌われることを恐れてはいけないが、不公平感を与えるのは、絶対に避けなければならない。

農業の技術革新で、土地あたりの収穫量を増やすのが手っ取り早いと思うが、土壌改造や農業用水の整備、作物の改良などにしても、俺は専門家じゃなかったから知識があいまいだ。どこかで一度実験するのが望ましい。それに「カクカクシカジカ-こうすれば収穫量が増えるよ」だなんて、土のメイジでもない王子が言い出した所で、誰も信用しないって。「何故ですか?」て聞かれたら、答えようがない。




っていきなり八方塞がりだし!



うぬぬぬぬ!!!考えろ、考えるんだヘンリー!お前はやれば出来る子なんだ!!犬耳メイドさんのため・・・もとい!将来のアルビオンの為、(たぶん俺の娘になる)アンリエッタのため!!



つながれシナプス!走れ電気信号!海馬よ、俺の記憶をアップロードしてくれぇ!





その時、始祖ブリミルがヘンリーに微笑む。海馬が、ホコリだらけの「高校時代の日本の授業」のハードディスクから取り出したしたある単語が、電気信号になり、脳内ニューロンを駆け巡った。



「専売制(せんばいせい)だ!!」


「専売制」とは、江戸時代に日本の藩で財政再建のために行われていた制度である。

内容はいたってシンプル。一定の物産を指定(銀・藍・漆など)して、藩が直接買い上げ、上方や江戸で直接売る-それだけだ。これは、農家や商人に対して、品物を「藩以外」に売ること(直接販売)を禁止したことがポイントである。流通経路を藩に一本化することによって、藩の言い値(有形無形の圧力を加え、出来る限り値段を抑える)で商品を買い上げる→藩が江戸や上方で売る。その差額が藩の収入になる・・・というわけだ。

いい事尽くめのようだが、これは藩領内の商人や農家の犠牲の上に成り立つ。ひどい藩では「紙」「蝋燭」「墨」から「米」「醤油」「酒」「味噌」と、ありとあらゆるものを専売制にした。当然、領民はたまったものではない。江戸時代後期の百姓一揆の中には「専売制廃止」を訴えたものもあるくらいだ。

簡単に言えば「強制的な国営企業」といったところか。やりすぎるのは民間の活力を削ぐが、きちんとした計画目標を立てることが出来れば、対象商品に関わる産業を育成できるだろう。もっとも、注意しないと、どこかの第三セクターみたいに、ただの金食い虫になるかもしれないが・・・

~~~

さて、専売制をするとして・・・何を扱う?まず、小麦(パンの原料)とかブドウ(ワイン)なんかの生活必需品は絶対駄目だろ?なんせ

「ギルドが取り扱っているものは駄目でしょうね」

アルバートの言うとおり。何れギルドとは対立するかもしれないが、わざわざこっちからけんかを売ることもない。だけど・・・そうすると後には碌な物が残らん。採算の取れそうなものは、みんなギルドが手を付けている。さすが商人、目端が利くな。アルビオンは国土が限られている。しかも土地は肥えているとは言いがたい・・・貧乏が悲しいぜ!

・・・泣き言を言ってる場合じゃない。とにかく、何か見つけなきゃ。何かあるはずだ、何か。ギルドも気がついていない、法の盲点的な、脱法的に儲かる何かが!


おぉ!始祖ブリミルよ!我にアイデアを!我にアイデアを!!



ヘンリーは気がついてないが、すでに始祖は一度彼に微笑んでいる。

「『スマイル0ドエニ』じゃあるまいに、そんなホイホイ笑えるかい!」



というわけで、ヘンリーはアルバートに紹介してもらった官僚達をブレーンに加えた。「専売制」構想を説明して、何か対象となる商品がないか考えさせるのだ。さぁ考えろ。俺も考えるから。脳味噌のしわを絞りきるように考えるんだ!

「人」という字は、支えあって出来ているんです!偉い人には、それはわからんのです!



「あー、さよかー」byブリミル


***


結論から言うと「ギルドが目を付けていない」儲け話はなかった

だが、「ギルドが手を出せない・出さない」儲け話はあった。

それは「資本投資の割に、それに似合うリターンが望めない」「政治的リスクが高く、民間資本が2の足を踏む」と、まぁ、見事にめんどくさい物ぞろいだった。


「・・・背に腹は変えられん」

いくつかの候補をまとめた『アルバートレポート』(俺が名づけた)をたたき台に、官僚達と討論を重ね、ギルド商人とも会談を持ち、対象商品の検討を進めた。ギルド商人と話し合ったのは、あとでウダウダけちを付けさせないようにするためでもある。


結果、3つに絞れた。岩塩、木材、羊毛だ。

~~~

「岩塩」

海のない空中国家アルビオンにとって、塩は輸入するしかない。だが、アルビオンにも塩はある。それが岩塩だ。だが、岩塩は精製が難しく、採算が取れないとして、どの商会も2の足を踏んできた。また岩塩の産出場所が、王国首都ロンディニウムを守る防衛拠点の一つ、スタンス城が置かれた山の麓にあり、とても民間資本がおいそれと手を出せる場所ではなかった。

当然ながら中央政府が採掘するには問題がない。報告によれば技術的課題もクリアできないレベルではないそうだ。だが、トリステインやガリアから輸入する塩に比べると、値段が高くなるのは避けられないという


話は飛ぶが・・・50年ほど前、美食大国ガリアで食通で知られたある子爵いわく

「アルビオンで1年暮らすことは、私にとって独房で10年暮らすことに等しい」

・・・全くもっておっしゃる通りである。アルビオンの飯は不味い。ヘンリーは転生してから、朝・昼・晩と出される食事が、何かの嫌がらせとしか思えなかった。石のように固いパン、馬の小便のように温いビールetc・・・どうやったらパンにハムをはさむだけの料理が、こんなに不味くなるのか?

不味いのはまだ我慢できる。我慢ならんのは、味のない飯だ。味のない野菜シチューって何?野菜のゆで汁のほうが、まだ味があるぞ!!

ゲフン・・・

ともかく、そんなヘンリーの食卓を彩る、唯一の心の支えが塩であった。血圧も脳梗塞も心筋梗塞もクソ食らえ、とにかくかけまくって食べた。というか、かけなきゃ食えたもんじゃない。おかげでヘンリーはこっちの世界に来てから、塩にはちょっとうるさくなった。

アルビオンの岩塩は、トリステインやガリアから輸入する海水を乾燥させた塩と違い、味が豊かだ。ミネラルとかが多いんだろう(あくまでイメージだが)。

前述の子爵が、アルビオンで「唯一」ほめているのが、この岩塩だ。昔から食通の間で、アルビオンの岩塩は有名だったという。ブランド化に成功すれば、多少高くても、各国の料理人や貴族がこぞって買い求めるだろう


「木材」

伐採しやすい開けた地帯にある森林や、良材の取れる山林は、決まってどこかの貴族か、王家の直轄地になっている。金の卵を産むガチョウは、どこも簡単には手放さないものだ。

狙うのは、入り組んだ領土境にあって、権利関係がややこしい山や森林。場所が場所だけに、材木を扱う商会や、ギルドも敬遠する。下手に手を出せば領土紛争になりかねないから、貴族も手を出さない。似たような森林が、アルビオン国内に20箇所近くある。

そこでヘンリーは、政府と商会・ギルドがそれぞれ出資して、そういった森林や山の木材を専門に取り扱う商会を設立することを考えた。木材販売の利益のうち、一定の割合を貴族に払い、後は出資比率ごとに政府と商会・ギルドが折半する。

貴族の上にあって、領土紛争に関して調停出来る唯一の存在の王家無しには成立し得ない構想だ。それゆえ、何が何でも王家の出資比率は、イニシアチブが握れる5割、最低でも4割は確保したいところだ。

ギルドや商会に出資を認めるのは、彼らへの配慮と、ついでにノウハウも学んでしまおうという思惑もある。だが実際問題、彼らの協力を得なければ、木材は市場で捌けないのだ。

貴族からすれば、領土問題はすぐに解決するものではないし、森林や山は放置すればモンスターや野生動物が住み着きかねない。王家がでしゃばるのは気に食わないが、何もせずにお金が入り、森林を整備してくれるのだから、頭ごなしに断ることはないだろう。


「羊毛」

これは「アルビオン王は、国内最大の地主貴族」という点を生かしたものだ。

数十年前までは毛織物はぜいたく品であったが、保温性に優れるという実用的観点から、最近ではハルケギニア大陸北方やアルビオンなどの寒冷地域を中心に、平民の間でも定着しつつあり、需要は増える一方である。

まず王家の領土内を、羊の放牧を専門にする地域と、それ以外の農業地域に分ける。囲い込み(エンクロージャー)を行うのだ。王家の土地を使うのだから、どこの貴族にも気兼ねが要らない。アルビオンの気候は、雨が少なく寒冷地域。良質な羊毛の質を育てる気候条件がぴったり重なるので、質も保証できる。

原料となる羊毛-羊の放牧は、広大な土地を必要とする。大体、羊1頭は1年で500メイル四方の草を食べるという。土地が広ければ広いほど、多くの羊が飼育でき、大量の羊毛が取れる。すると、価格交渉能力が高まるというわけで、毛織物を作るギルドに対して、強気で値段交渉に望めるというわけだ。

「大量に作ると製造コストが安くなる」

言われてもピンと来ないだろうが、実際に価格交渉の場面で嫌というほど思い知らされ、いや、知らしめてやるぜ。数は力だ、戦いは数だよ兄貴!毛織物を製造するギルド商人だって馬鹿ではない。彼らが「大量生産」の基本的概念を理解するのは、そう難しくはないだろう。

毛織物製造業で、大量生産の概念を植え付け、いずれはアルビオンの基幹産業に・・・


何年かかるだろう・・・

~~~


「ふぅ・・・」

ヘンリーは最終報告書を読み終えると、疲れたようにため息をついた。いや、実際に疲れていたのだ。ギルドとの調整、関係各所への聞き取り調査と根回し、現地調査etc・・・

だが、目の前ではアルバート以下、専売制計画に奔走した官僚達が、自分以上に疲れた顔をしていた。皆、目の下に濃い隈を作っている。ただでさえ忙しい通常業務の合間に、調査、計画立案に当たったのだ。それも「タダ」で。


繰り返す


「タダ」で



彼らは、国内改革の必要性を訴え、なによりそこにかかる「金」の重要性について語るヘンリーの(かなり不純な動機から生み出される)情熱に触れ、巻き込まれていったのだ。彼らの間に不快な色はない。自分達の能力をフルに生かし、達成したというという満足感だけがあった。

「ご苦労だったな」

王子直接のねぎらいの最中ではあるが、彼らの中には立ちながら眠るものもいた。ヘンリーも、アルバートも、誰もとがめなかった。



***




(だけど王子・・・「政治は金だよ」はないです・・・)

目の前で(何故か)正座させられて、ジェームズ皇太子から説教を受けるヘンリー王子を見ながら、アルバートはあくびをかみ殺していた。



[17077] 第4話「24時間働けますか!」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/05/01 15:43
金だ金だ!金が出来た!いやっふう~!!

さぁ、うさ耳メイド服を作ろうか!へスティー、スリーサイズ教えて・・・痛い、ごめん、マジ許してください。お願いですから、お盆の角で殴らないでください。

「・・・何やってるんですか」

エセックス男爵よ。メイドは男のロマンだぞ?



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ハルケギニア~俺と嫁と、時々息子~(24時間働けますか!)

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「まったく、へスティーはメイド服の良さが分かってないから困ったものだ」
「まったくで・・・違います!」

エセックス男爵、最近ツッコミうまくなったね。しかも今のは伝説の「ノリツッコミ!」。まさかこの世界で見れるとは思わなかった。やっぱりあれかね、海千山千の商人と3年も付き合ってたらそうなるのかね。


*********


3年前、正座でしびれる足を抱えながら、ジェームズ兄貴に専売所設置計画について説明したら「おもしろい」と理解を得られた。兄貴の口添えもあって、行政の最高責任者であるスラックトン宰相に企画書を提出。「予算と人員ちょーだい。おねがい♪」とおねだりするためである。




「ほう、『せんばーいしょ』ですか」
「専売所です、閣下」

スタンリー・スラックトン侯爵。アルビオンの名門貴族・スラックトン侯爵家の当主にして、現在のアルビオン王国宰相である。アゴひげがダンディーだ・・・父上もそうだが、アルビオン貴族は髭を生やすのが好きなのかね?

「抜け目のない男でございます」とエセックス男爵が言うとおり、一見するとニコニコして人のよさそうな爺さんに見えるが、よく見ると顔の表情は能面のように変わらない。しわの1本に至るまで、計算し尽くされているかのように隙がなく、顔の大きさの割に細い目(いわゆる糸目)が、一層その表情を読みづらくしている。

(バケモンだな・・・)

前世では曲がりなりにも商社の人間として、いろんな人間と一通りの付き合いはしてきたつもりだったが、こういった手合いの人間とは会ったことがない。スラックトン侯爵は、魑魅魍魎(←何度練習しても書ける気がしない漢字第1位)だらけの宮廷の中で、政治家として育ってきたと聞く。そういった世界では、仮面を顔に貼り付けなければ、生き残れなかったんだろう。

お近づきにはなりたくないタイプだが仕方がない。

背中に嫌な汗を書きながら、宰相に「専売所構想」を説明する。こちらは王族とはいえ、まだ15の子供。「アルビオン王国宰相」という公職にある、それもかなり年上の侯爵には敬語を使う。

その宰相だが。先ほどから「ふんふん」と相槌を打ってはいるが、その反応はどうとでも取れるものだ。肯定的にも、否定的にも、理解しているようにも、していないようにも、話を聞き流しているようにも。

ウナギを素手で捕まえようとしている感じで、イライラする。

「なるほど・・・ヘンリー殿下、よく練られた計画だと理解いたします」

理解、ね・・・便利な言葉だ。


***


宰相の返事は

「やるならどうぞ。人員は出向させます。予算もスズメの涙ほどだけど恵んであげるよ。ですが失敗したときの責任はヘンリー王子、貴方が取ってね?その時は俺シラネーから。あ、成功したら私の手柄だということも忘れないでね。この忙しいのに人員を出向させるんだからさ」

・・・すらすらとよくもまあ口が動くものだと感心する。責任の所在をはぐらかしながら、成功したときの見返りもばっちり要求するというド厚かましさ。

それなのに嫌らしさを感じかったのは、ひとえに侯爵の上手さか。

どこにもいい顔をして、そしてどこからも恨まれないというのは矛盾しているのだが・・・あそこまで面の皮が厚いと、それも出来てしまうのかもしれんな。まったく、世界は広いものだと感心する。






ともあれ人員と一定の予算は確保することが出来たから、あとは専売所の責任者を決めなければならん。

総合責任者は発案者の俺。ギルドや商会との交渉も俺が担当する。岩塩専売所はエセックス男爵、材木専売所はアルバート。そして羊毛は俺の兼任。

エセックス男爵は元陸軍軍人だから、岩塩採掘地域の要塞司令や陸軍へも顔が利く。アルバートは文官として交渉能力に長けているから、ややこしい土地権利関係のからむ貴族との交渉を丸投げする。



さて羊だ。

「王家の領土内を、羊の放牧を専門にする地域と、それ以外の農業地域に分ける」

言うは易く、行なうは難しという言葉があるが、まさにその通りでした。

まずは現地を歩き回り、放牧に向かない土地を削除する作業。これだけでも一苦労だった。人任せにして、岩だらけの土地を選ばれてはたまったものではないので、現地に赴き、自分の足で見て回る。ここでの地道な作業が、専売所の成否を分けるとあって、俺も必死に働いた。おかげで足腰が鍛えられたぜ。

農業地域と放牧地域に分け終わると、また大仕事が。囲い込み(エンクロージャー)を行うといっても、農民をたたき出すわけには行かない。他の地域に集団移住させる・・・考えるだけでめまいがしそうだ・・・


おまけに、全く油断もすきもない商人との交渉も同時進行でせにゃならんし・・・


というか何だよお前ら。「鴨が来た来た」っていう目してんじゃねえよ。そりゃ、紹介からすれば、15のガキのお遊びに見えるんだろうけどな、こっちは真剣なんだぞ。商社マンなめんなこら。窓際課長とはいえ、伊達に一日に何十枚もの書類を決済してたわけじゃないんだ。なめた文言いれたら、王立魔法研究所の実験台送りにするぞこら。





24時間働けますか~!



*********



そんなこんなで3年たった。




ハヴィランド宮殿の国王執務室で、部屋の主が手放しで喜んでいる。

「でかしたぞヘンリー!それでこそわが息子じゃ!」
「ありがとうございます父上。これもジェームズ皇太子殿下と、スラックトン宰相閣下のご協力あってのものです」

この言葉に嘘はない。ジェームズ兄貴もスラックトンも、実際事業が動き出した後は特に何かしてくれたというわけではない。だが事業は走り出すまでが、一番労力を要する。その時期にこの2人が協力してくれなかったら、専売所事業そのものが、計画倒れになりかねなかったのだ。





結論から言うと、専売所は結構な富を国庫にもたらした。


一番最初に利益を稼ぎ出したのは岩塩専売所だった。技術的課題が早期にクリア出来たため、もともと食通の間で有名だったこともあり、「アルビオンの岩塩は高級でおいしい」というブランド戦略は、あっけないほど簡単に成功した。

担当したエセックス男爵は「最近はわしの事を『塩爺』などど抜かす輩がおりましてな」と怒っていた。


・・・ごめん。それ最初に言い出したのは俺なんだ。だってそっくりなんだもん・・・



材木は、領土権を主張する貴族との交渉こそ多少てこずったが、事業を始めてみると思った以上に儲かった。ほったらかされた森林というので荒れ放題かと思いきや、人の手が入らなかったためか、屋久島の縄文杉レベルのごっつい木がボコボコ見つかったのだ。「どんだけほったらかしだったんだよ」と思う俺を尻目に、商会やギルドは目の色を変えて木材を購入して高値で転売。王家の介入に渋い顔をしていた貴族達も、さしたる苦労もせずに、もたらされた利益に、笑みを浮かべた。


で、羊毛だが・・・これが1番、手間どった。

長年住み慣れた土地を離れたくないという住民連中との交渉は大変だった。むやみやたらに強権を振りかざせば、感情がこじれてしまう。そうなれば後はどれだけ金を積んでも、意地でも立ち退かないだろう。

何度●93に頼んで叩き出してやろうと思ったことか・・・まぁ、商会が「うちの下のものに『処理』させましょうか?」と言い出したときは、血相変えてやめさせたけどね。いい子ぶるわけじゃないけど、寝覚めが悪いのは嫌なんだ。睡眠ぐらいゆっくりとりたいから。

何とか土地を確保したら、あとは金に任せて羊飼いを集め、どかーんと羊をぶっ放すだけ!羊は数匹単位で飼っていても利益が出にくい。そのため羊を持て余している国内の中小貴族の足元を見て、2足3文で買い集めた。その数なんと1500頭!


題して「ちりも積もれば山となる」作戦!


これには協力してくれた商会やギルド商人も目を回していた。散々俺を振り回した金の亡者どもが慌てふためく様は、実に愉快だった。これまで国内で1番羊をもっていた東部の大貴族であるエディンバラ侯爵家が200頭だから、その桁違いの規模が分かるだろう。


けっけっけ!これくらいでびびんなよ?!価格交渉の時に、泣きを見せてやるぜ・・・へっへっへ、貴様らが血の小便流して稼いだ金を巻き上げてやるぜ!!




「・・・」

へスティー!?いたの?

「えぇ、ずっと」

え、えーと、えーと、ね?これはね、そのね、言葉のあやというか・・・

「楽しいですか?」



・・・




***

いろんな事があって、少しだけ痩せた俺は、国王である父親直々に褒められていた。

「ほら、こっちこい!ほおずりしてやる、チューしてやる!」
「結構です!」

親父のエドワード12世は、やたらにボデーランゲージを好むという困った癖がある。親子じゃなきゃセクハラだって。いやパワハラか?昔はお父さま大好きっ子だった妹のメアリーですら、最近では「父上嫌い!」と言うくらいだ。難しいね思春期って。おれもアンリエッタにそんなこと言われたら、立ち直れないかもしんないな・・・

って、親父。チューはやめて、お願い、マジで。

こら、ジェームズ兄貴!目そらしてんじゃねぇ!スラックトン、てめぇ今笑ってるだろ!顔色変えなくても、肩震えてんだよ!

ね、親父。マジで、マジで?や、やめてー!!












「この恥ずかしがり屋め」
「そういう問題じゃありません!」

全くこの髭親父が・・・

あれだけ大騒ぎしたのに、何事もなかったかのようにスラックトンが話を進める。

「それにしても「せんばしょ」ですか。わずか3年で、しかもこれほどまでに利益が出るとは思いもしませんでしたな。ヘンリー殿下の手腕、不肖スタンリー、感服いたしました」

おまえ去年の今頃、「あのような赤字施設を作るとは、ヘンリー殿下の物好きにも困ったものだ」という意味の愚痴をさりげなく宮殿で喋ってたろうがこの野郎。失敗したときはアリバイ工作の為に「私はあの時すでに失敗を予想していました」とかぬかすつもりだったんだろうが。


まぁ、俺も正直不安だったんだけどね。3つのうち1つでも成功すれば御の字だったんだけど、まさか3つとも成功するとは思わなかった。1年目と2年目の赤字を帳消しにするだけの利益を叩き出した結果を見れば、宮廷スズメどもも大人しくなるだろう。ジェームズ兄貴も嬉しそうだ。


「正直なところ、財源がないというのはわしも悩んでいたのだ。いや、本当にでかした!何か褒美をやろう。ほら、チューし『お願いがあります!』







先手必勝。大切なものを守るため、国王の機先を制するヘンリー王子。

時にプリミル歴6206年。原作開始まであと・・・37年




「そこなメイド、何をしておる・・・って、どこから入った貴様?!」
「あ、宰相閣下。うちのメイドですからご安心を」



[17077] 第5話「あせっちゃいかん」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/04/07 16:44
(ブブブブブブブブブ)

ヘンリーです。水のトライアングルである私が『サモン・サーヴァント』で召還した使い魔は「カワセミ」でした。この世界にもいるんですね。羽音がうるさいです。

名前は「ヒスイ」。昔はそう呼ばれていたらしいね。

「どなたに説明しておられるのですか?」(ブブブブブブブブブ)
「・・・妖精さん?」(ブブブブブブブブブ)
「いや、聞かれましてもな」(ブブブブブブブブブ)
「もっともだな、男爵」(ブブブブブブブブブ)

(ブブブブブブブブ「「うるさい!!」」ブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブ・・・)


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ハルケギニア~俺と嫁と、時々息子~(あせっちゃいかん)

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結婚ラッシュです。



一昨年、へスティーが結婚退職しました。お相手は故郷で酒場を営む幼馴染だそうです。結婚式には出席できませんでしたが、花束を贈ってあげました。仕事の最終日、彼女の目に光るものには、気がつかないフリをしてあげます。

「酒場でメイド服着たら、お客さんがいっぱい来るよ?」と言ったら殴られました。

彼女に殴られるのもこれで最後だと思うと、なんだか悲しいです・・・





去年、弟のウィリアムが結婚しました。

お相手はモード大公家の一人娘のエリザちゃん。ウィリアムと同じ年のエリザちゃんは恥ずかしがりやさん。結婚式でモジモジしている姿は、チョー可愛かった!

「・・・」

おおぅ。とうとう弟からも冷たい目線を浴びてしまった。「かっこよくて頼れる兄ちゃん」イメージが崩れちゃったぜ

「大丈夫です。最初っからそんな事考えてませんから」

あぁ。あの愛らしくて素直な弟、ウィリアムはいずこ・・・





先月ジェームズ兄貴が結婚しました。

30歳。晩婚です。お相手は俺と同い年のダルリアダ大公国コンスタンティ3世公王が息女、カザリン・コンスタンティ・ダルリアダさん(20歳)。

ダルリアダはハルケギニア北東に位置する大公国。外国から嫁さんを迎えることによって、国内貴族の無用な対立を避ける狙いがあるそうです。ちなみに俺の母ちゃんのテレジア王妃も、ベーメン王国出身。去年亡くなった祖母ちゃんはガリアの大公家出身。





祖母ちゃんと言えば、一度だけ怒られたことがあったな・・・たしかメイド服に尻尾付けようとしてたところを現行犯で見つかって、杖を突きつけられながら

「『モエ』とは何ですか?この私に説明してみなさい」

・・・怖かった。まじで小便ちびった。だって祖母ちゃん、風の『スクエア』だから、自分の偏在つくって、俺を取り囲むんだもん・・・



閑話休題



カザリンさんに聞いたところによると、ダルリアダ大公家はヴィンドボナを治めるホーエンツォレルン総督家の外戚にあたるそうだ。

たぶんこの家が後のゲルマニア皇帝アルブレヒト3世の実家だろう。「国王」ではなく「総督」なのは、ヴィンドボナが元々都市国家だったから。ホーエンツォレルン家は元々は貴族であったが、ブリミル歴3000年代に没落して、ヴィンドボナにやって来た。金融業で成功して町の有力者にのし上がり、いつしか市長も世襲するようになったという。

いずれはロマリアに献金して「王」の称号をもらうつもりかもしれないが、今はまだその時期ではないとみているんだろう。熟した柿が自然と落ちるように、周囲から推されて戴冠するという体裁を取りたいのだ。

強引にでも国王になってくれれば、反総督家勢力をけし掛けることもできるんだろうけど・・・憎たらしいぐらいに慎重で腰が重い。そのくせ、いざという時の行動の手早さと来たら。


あ~!憎たらしい!!金貸しが嫌われるわけだ!


ヴィンドボナ周辺での総督家支配は揺らぎそうにない。となると、将来でっかくなる前に、周りの勢力をけしかけて、統一を妨害するっていうのもありかね?要はトリステイン北東の勢力が1つにまとまらなきゃいいわけだし。



ちなみに一体誰がホーエンツォレルン家に「総督」を任じているかというと、なんとトリステイン王国なのである。



元々ヴィンドボナ周辺はトリステインの領地だった。それがブリミル歴4000年頃に実質的支配権を失ったという経緯がある。トリステインからすれば(たとえ今は1サントも持っていなくとも)、今でも自国の領土と思っているし、対外的にはそう公言している。

まぁそれも無理はない。わざわざ「うちは領有権を放棄しました」だなんて簡単に宣言したら、「トリステイン与し易し」と、あっちこっちから攻められることは火を見るより明らか。だからトリステインからすれば、口が裂けても「あそこは俺の領土じゃない」とは言えないのだ。


そんなトリステイン側の考えなど百も承知のホーエンツォレルン家。3代前のトリステイン国王アンリ6世(現国王フィリップ3世の父)に対して「ヴィンドボナ及び周辺6都市の総督」に任じるように嘆願書を提出したのだ。莫大な貢物を添えて。喜ぶ臣下に、アンリ6世は手に持っていた杖を投げつけたという。


なんちゅうか、もう、悪辣すぎる。さすが金貸し



ホーエンツォレルン家は、トリステインが軍事力でヴィンドボナを取り返す意思も、その実力がないこともわかっている。外見上はトリステインの統治を認めるような格好でありながら、内実はホーエンツォレルン家が王になるための踏み場でしかない。「嘆願」という形でありながら、内実、その足元を見ているのだ。


アンリ6世のお怒りもごもっともである。


だからといってトリステインにはこの提案断ることは百害あって一利なしなのだ。

もしこれをトリステインが断れば、ホーエンツォレルン家はガリアやロマリアに話を持っていけばいい。ガリアやロマリアからすれば領有権を主張できる好機だから、もろ手を挙げて歓迎するだろう。トリステインからすれば領土紛争の火種を自分からまき散らすようなもの。


もとから「拒否」という選択肢は存在しないのだ。


そんなトリステインにとって屈辱的な話なのに、宮廷では表面上の「ヴィンドボナ領有権の回復」に歓迎ムードに包まれたという。アンリ6世にはただただ、同情するしかない・・・




そんな昔話は置いといて。いま大事なのは、ダルリアダ大公家を通じて、アルビオン王家とホーエンツォレルン総督家が縁戚関係になったことだ。アルビオンからすれば、ホーエンツォレルン総督家など大したことないと思っているんだろうが、いずれ「帝政ゲルマニア」という一大勢力に成長するとわかっているヘンリーからすれば、この結婚が吉と出るか凶と出るか、判断がつきかねていた。



・・・ま、あとで考えよう(ヘンリーはこの世界に来てから「問題の棚上げ」を覚えた)


ところでカザリン義姉さん

「大公家っていうと、やっぱり時計塔に指輪をはめると、秘密の財宝があらわれるという伝説があるんですか?」
「・・・何を言っとるのだ貴様は」

昼食会の席で俺が突拍子もないことを言い出したので、ジェームズ兄貴はあきれている。「大公家は地下で偽札作りしてませんよね?」と尋ねなくて、本当によかった・・・

「おもしろい弟さんですね」

兄貴の横で、はにかんだように笑っているのが俺の義姉になるカザリンさん。茶色掛った金色の長髪。泣き黒子がキュートな人だ。こう、出るところは出てて、しまるところがしまって・・・てててて!!兄貴、痛いって!やめて!わき腹は殴っちゃ駄目だって!

「お前は、人の、この、一度、貴様」

怒りすぎて片言になっている。カザリン姉さんは、そんな俺らを見ながらカラカラと笑っていた。いい人を奥さんにもらったね兄貴。

「カザリン義姉さんは」
「カザリンでいいですよ?同じ年齢ですから」
「じゃあカザリンちゃんで・・・・って、兄貴?!室内で魔法、駄目、絶対!」



ぎゃー・・・




***

「だ、大丈夫ですか?」
「ミリー、いつものことだから大丈夫」
「アルバート。お前結構いい性格になって来たよな・・・って、いてて・・・」

包帯を顔に巻いた俺を心配してくれたのは、後任のメイド長であるミリー。ブロンドのショートカット・・・うん。君に似合うのは犬耳カチューシャだね

「は、はぁ」
「ミリー、無視しなさい」

アルバート、お前な・・・

ミリーは真面目だから、何でもマジで受け取っちゃうから困る。犬耳カチューシャを付けなさいって言ったら、本当に付けかねない。いや、付けては欲しいけどね。絶対似合うと思うし。でもね、命令で付けて欲しくはないんだ。こう、自分から「付けたい!」って思わせたいんだよ。

わかるかねアルバート君?

「わかりませんし、わかりたくもありません」
「貴様!仕事増やしてやろうか!」
「私の仕事が増えると、殿下の仕事も増ます」
「うぬぬッ!」

「え、え?ええ?」

ミリーがかわいそうなくらい慌てているので、心配しなくてもいいと言い聞かせる。

「くだらない事言ってないで、書類決済してください」
「へいへい」

ミリーも何年かたてば、アルバートみたいに生意気になるんだろうかね・・・



ま、それはともかく。ミリーの入れてくれた紅茶で気を落ち着かせてから、手元の書類に視線を落とす。


ハルケギニアで紙が使われているとは思わなかった。てっきり羊皮紙を使っているものだとばっかり思っていたんだが。川原や湿地帯に生える繊維の多い草を、洗って、裂いて、脱色。同じ草を水でふやかしてすり潰しペースト状にしたものと一緒に、木の枠型に入れて形を作って水で晒し、乾燥させたのが、ハルケギニアでいう「紙」だ。

もっとも貴重品なので、こうして政府関係の公文書で使われるか、教会関係の本、もしくは高価な魔術書など、用途は限定される。平民の間では羊皮紙=紙だと思って一生を終わるものも多いという。「支払伝票に良質な紙をどれくらい使っている」かが、商人のステータスになるくらいだ。

安価な紙を大量に作ることが出来たら、儲かるかもな・・・でも需要があるかね?


閑話休題・その2


貴重な紙にインクで書かれた報告書は、ロンディニウム官僚養成学校が提出した「教育カリキュラム変更について」と王立魔法研究所農業局の「土壌改良実験結果について」。


ロンディニウム官僚養成学校と王立魔法研究所農業局は、共にヘンリーが、専売所の利益を元手に、国王に願い出て設置されたものだ。


『ロンディニウム官僚養成学校』-そもそも官僚の採用は、現職の官僚による推薦と面接試験の二部制だ。推薦さえ受ければ事実上合格したのも同じであるため、少なからぬ縁故主義が蔓延り、単純な計算も出来ないものが財務局に所属されるといった、笑えない笑い話もある。

じゃあ新人教育はどうしていたのかとアルバートに聞くと、曰く「仕事は盗んで覚えろ」


どこの職人だよ!てか何?その体育会系のノリ?!


だからといって推薦制を即座に廃止し、試験制度を導入するのは、あまりに性急に過ぎる。第一、採用試験をしようにも、そういった問題を誰も作ったことがないのだ。新人教育を行うよう命令してみても、ただでさえ仕事の割に官僚の数は少ない。仕事に支障が出かねない。


そこでヘンリーの侍従であったアルバートが考えたのが「官僚養成学校」。これは、新人教育と官僚採用を一気に片付けようという、一石二鳥の計画であった。

教育方針は「どんな馬鹿でも卒業時には即戦力」。ただこれだけ。

基本的な読み書き計算に始まり、事務処理手続き、報告書・企画書の作成といった日常業務のイロハまでを3年の集中カリキュラムで詰め込む。

教員は退職した官僚を中心に集めた。せっかくの経験と知識があるんだ。田舎で楽隠居させるのはもったいないからね。

時には現職官僚が教壇に立つこともある。今、自分が取り組んでいる仕事などを話させ、将来の仕事へのイメージを持たせるのだ。

採用規定に「養成学校を出たものを優先する」という条文をこっそり挟み込んで、縁故主義をじわじわと減らし、養成学校出身者を増やす。最終的には、養成学校の試験のノウハウを反映させた採用試験に一本化して縁故主義を完全に排除。

なんとも気の遠くなるような、壮大な計画だ。

いずれは各地に養成学校を設けるつもりである。第1号は首都ロンディニウム。ここの官僚養成学校が、プロトタイプとなるわけだ。初代学長はもちろん発案者のアルバートである。




アルビオンには「外人貴族」と呼ばれる貴族がいる。昔からアルビオンは、空中国家という特殊要因もあり、ハルケギニア大陸で政争に敗れた貴族が多く亡命してきた。「アルビオン貴族の系図をたどれば、ハルケギニア全土の貴族の初代にたどり着く」という軽口もあるくらいだ。

嘘か真かは知らないが、ガリアやトリステインの現国王より、王位継承権の高い子孫がいるとかいないとか・・・



アルバート・フォン・シュバリエ・ヘッセンブルク伯爵-彼の先祖もハルケギニア大陸北東部の貴族だったが、トリステイン王国に終われて、アルビオンに亡命してきた。

アルバートは何かと色眼鏡で見られる外人貴族の中でも目立つ存在である。風貌はその辺のパン屋のオッサンとでもいうべき平凡なものであったが、かつてアルビオン国内で暗躍したドクロベェ盗賊団を、幻のマジックアイテム「ドクロリング」が見つかったというニセ情報を流しておびき寄せ、一網打尽にした功績でシュバリエを与えられた。同時に優秀な文官でもあり、交渉能力や事務処理能力は、その辺の官僚をかき集めても敵わない。


官僚養成学校の初代学長に、彼以上にふさわしい貴族はいないだろう。



「・・・授業の中で、実際に仕事をさせるのか?」
「はい。簡単な事務作業-例えば備品伝票のチェックや、書類に誤字がないかどうかといったものを考えています。こういった仕事は、慢性的人員不足の現役官僚にやらせるのは」
「確かに、考え物だな。だがアルバート。どこに鉱脈があるかはわからんものだぞ」
「・・・おっしゃる意味がわかりかねますが?」

魂は細部に宿る。かつて源義家は、草むらから雁の群れが飛び立つのを見て、そこに敵の奇襲部隊が隠れているのを認識したという。こちらが取るに足らないと思う情報でも、敵国からすれば、涎をたらして欲しがる情報かもしれないのだ。

「なるほど・・・」
「案としては悪くはない。だが官僚養成学校が情報漏えいの発信元になるのは笑えん話だ。その点を勘案して、もう一度練ってみてくれ」
「はっ!」

きびすを返してアルバートが出て行く。慌てて見送るミリーを尻目に、ヘンリーは王立魔法研究所農業局の報告書に目を落とした。



王立魔法研究所は、文字通り魔法を研究する研究所だ。ヘンリーは自分のあやふやな農業知識を実証するための実験施設として、この研究所に目を付けた。

何故魔法研究所かというと

「農業改革のためには、まず肥料だよな。肥料・・・土壌改良か。土壌改良なら土系統のメイジだな。でも土魔法を使う貴族に「肥料を研究して!」っていっても、絶対やらないよね・・・そうだ!魔法研究所!」
「研究所なら、土系統の魔法も研究しているはず!その派生で土壌改良を研究しても変じゃないよね!むしろ自然。うんうん」

いきなり「係・課・部」の3つを飛び越して「局」扱いなのに、変じゃないと思うヘンリーの感覚は、かなりズレていると思うが、まぁそんなことは今はいい。


農業局は(こっそりヘンリーが企画書を混ぜた)草木を燃やした肥料である「草木灰」の効果を実証した。「王立の魔法研究所が言うことなら」と、箔がついたこともあり、草木灰はアルビオン全土に広まった。

以後も農業局は、ヘンリーの理論武装(になっているようで、なっていない屁理屈)の後押しもあり、肥料開発や、土壌改造、農業用水の整備、作物の改良と範囲を広げていく。実際、疑われていた草木灰の散布に効果があったこともあり(ヘンリーの屁理屈は屁のツッパリにもならなかったが)、特に表立った反論はなかった。




「それにしても、ジェームズ兄貴もウィリアムも結婚しちゃったんだよなぁ。」

兄貴はともかく、ウィリアムに先を越されたのはあせった。ヘンリーも今年で20。いつ結婚しても可笑しくない年齢なのだが、「メイド萌え~!」と叫んでいた昔の悪評が、未だに後を引いているのか、一向にそういった話しがこない。

「まぁ、あと何年かすれば、トリステインから養子縁組の話が来るだろうから、気長に待つかね・・・あせってもしょうがないしな」

人材育成も、農業改革も、結婚も。あせってはいけない。一歩一歩、自分の足で進むしかないのだ。








前者はともかく、果たして結婚はあてはまるのでしょうか?私にはわかりません。

時にブリミル歴6208年。原作開始まであと35年の、ある日のことでした




「・・・なにしてんだミリー」
「え、いや、その。へ、へスティーさんから、『伝統』って、受け継いだんですが・・・」



[17077] 第4・5話「外伝-宰相 スタンリー・スラックトン」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/04/07 16:50
ハヴィランド宮殿

ブリミル暦4504年、時の国王エドワード4世(開放王・エドワード3世の子)により23年の月日と、莫大な国家予算をかけて建築された、通称-白の宮殿。東西1リーグ、南北1・5リーグという広大な土地に、整然と石造りの白亜の建造物が立ち並ぶ。大噴水を中心に、四方に広がる庭園の美しさは、かつてここに入った泥棒が、その美しさに目を取られているうちに逮捕されたという逸話を生んだ。

現ガリア国王ロペスピエール3世が、ヴェルサルテイル宮殿(建築中)着工を命じた際、「ハヴィランドに美しさで負けることは許さん」と号令したことはよく知られている。


アルビオンの王弟が、ここを評して曰く「日本なら耐震基準で即立ち入り禁止になるだろう」


この宮殿の初代の主であるエドワード4世は、様々な逸話を残した。


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ハルケギニア~俺と嫁と、時々息子~(外伝-宰相 スタンリー・スラックトン)

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先代国王である父エドワード3世が、農奴解放令に伴う政情不安の中、「不慮の死」を受けて即位した彼は、一切の政務に口を挟まなかった。自ら「箱庭」と称したハヴィランド宮殿の中で、エドワードは一人であった。友はなく、信頼できる家臣もなく。家族でさえ敵に見えた。貴族が政争に明け暮れようと、民が疲弊しようと、国家財政が悲鳴を上げようと、意図的に耳目をふさいだ。

王は、自らの持てる全てを芸術へと注ぎこんだ。絵画・彫刻・骨董といった美術品収集に始まり、文芸作家・音楽家のパトロンとして、稀代の演劇評論家として・・・

しかしそのどれもが彼の心を満たすものではなかった。


箱庭の中で、孤独な権力者は誰にも理解されない情動を日記に綴った。

「なぜこの世に貴族が存在するのか。民を守るため?寄生しているだけではないか。自分があって家がなく、家あって国がない。彼らは自分の欲望にだけ杖の忠誠を誓う」
「なぜこの世に平民が存在するのか。彼らは魔法が使えない。だからどうした?ずるく、卑怯で、陰険で、誰一人として国のことなど考えない。自分の利益ばかりだ!」
「始祖ブリミルがわからない。この世に平民と貴族という、ろくでもないやつらを生み出したからだ」


「哲学王」-彼はそう呼ばれた。ブリミル教の神学には、始祖の予言という絶対の答えが用意されていたが、彼の答えのない問いには、死というゴールしかなかった。

彼は箱庭の一角にある庭園で倒れているところを発見された。その顔は安らかなものだったという・・・



エドワード4世が倒れていた庭園は今はもう存在しない。そこに立てば、誰もが彼の狂気に満ちた問いについて考えざるを得ないからだ。



宮殿は王家の住宅であると同時に、行政府庁としての役割も持つ。時代が下るにつれ、行政府庁としての役割を増していったハヴィランド宮殿は、次第に手狭となる。多くの庭園がつぶされ、代わりに石造りの無機質な建物が立ち並んだ。

だからといって、よりにもよってそのいわく付きの場所に新しく増築、そのうえ「宰相執務室」を移したのだから、誰もが顔をしかめた。


「宰相閣下も、物好きなお方よ」


スタンリー・スラックトン侯爵。宮廷官僚(日本で言えば宮内庁職員)という王家の内向きの仕事から出発した彼は、4代の王に仕えた。王家と貴族。それ自体は何も生み出すことのない「名誉」という名の「プライド」を何よりも重んずる滑稽な特権集団の中を巧みに泳いで、彼は生き残ってきた。


彼ならエドワード4世の問いにこう答えるだろう。

「理由は存在しない。それが理由ですな。」

わかったようでわからない、答えになっているようでなっていない、深いようで、ただの意味のない言葉の羅列にも聞こえる。エドワード4世もあの世でキョトンとしているだろう。


スラックトンはこうして宮廷を生き残ってきた。


彼は誰の考えも否定しない。誰の考えも肯定しない。スラックトンには主義主張が存在しないのだ。引き換えに彼は、あらゆる事象への冷静な対応を、悪く言えば冷めた見方を獲得した。宮廷内の力関係を見抜き、高く自分を売り、気づかれることなく人を蹴落とし、凋落傾向にある勢力からは自然と距離をとる・・・

そして彼は上り詰めた。


自分の生き方が恥ずかしいとは思わない。

スタンリーが侯爵家を継いだとき、家には1メイルの土地も存在しなかった。いわゆる没落貴族である。しかしながら彼は曲がりなりにも侯爵家の当主。公の場では格式を維持しなければならなかった。

パーティでの華やかな顔の裏で、商会に頭を下げた。這いつくばって哀れみをこうた。格式を維持するためには何でもやった。スタンリーは自分の感情が、人としてあって当然の思いが、次第に消えていくのを感じていた。だが、それをとめようとは思わなかったし、とめられるはずもなかった。


「名誉」「貴族としての誇り」これほど滑稽な言葉は、彼には他になかった。


宰相になってもスラックトンは、その冷静なまなざしを失うことはなかった。彼にはこの国の問題点がわかっていた。王軍指揮系統の不確実性、貴族領土の細分化による領地の荒廃・・・国内の各勢力がそれぞれ自分の属する団体の利益だけを主張し、国のことは2の次、3の次・・・

「安定」といえば聞こえがいいが、それは緩やかな衰退と変わらない。彼は宮廷内で権能を振るった勢力が、最後は必ず崩壊する様を何度も見てきた。アルビオンという国が、同じようにならないという理由はどこにあるのか?

建国以来の制度疲労を放置してきた矛盾は、彼の目には明らかだった

(・・・もって50年といったところか)

だがスラックトンが動くことはなかった。「主義主張を持たない」という生き方を、人生の黄昏を前にして、いまさら変えられるわけもなかった。

緩やかに滅び行くわが祖国を見ながら、淡々と書類にサインする。その繰り返し


そのはずだった



***

「『せんばーいしょ』ですか」
「専売所です、閣下」

スラックトンはあごひげを撫でながら、珍しく困惑していた。少なくとも今までの宮廷生活の中で、王族が自ら発案して政治行動を起こしたことは、未だかつて無かったからだ。そして(表情には出さないが)王子の説明を聞いてさらにその度合いを深めた。

「・・・なのです。この岩塩にアルビオンという国家の保証を付ければ、間違いなく各国で飛ぶように売れるでしょう」
「ほうほう」

ヘンリーの言う「専売所」は驚くべきことばかりであった。

国家主導で商品を売る-そんな事は今まで考えたことも無かった。プライドばかり高い貴族からは、脳味噌を最後の1滴まで絞っても出てこない発想だ。貴族やギルド商人といった既得権益を持つ勢力とは、決して正面からぶつからず、「利益」を持って説得する。岩塩、領土係争地の木材、そして大規模放牧・・・一見するとリスクが高いように見えて、これが国家主導ならそのリスクが極めて小さくなるという緻密な計算がされている。

中でも今の王子の発言には驚かされた。「アルビオンという国家の保証」、そこには何のためらいもなかった。言葉と事象の持つ意味を客観的に分析し、それがもたらす効果を最大限に利用しようとしている。これは王子が国家を自分の「私物」とみなしていては、絶対に出来ない発言だ。


まるで商人のような考え方だが、両者には絶対的な違いがある。


王子の根底にあるもの-それはアルビオンという国家全体の利益、すなわち「国益」ともいうべきものだ。



スラックトンは驚愕した。目の前の15の子供に対して畏怖の念すら覚えていた。宮廷の中で、何十年も人間という奇妙な生き物を見てきた自分だから、絶対の自信を持っていえる。

(バケモノだな・・・)

そう、バケモノだ。こんな考え方をする人間が、宮廷社会の中にどっぷり使った貴族の、その盟主であるはずの王家にいるとは。それもまだ15歳の、ろくすっぽ分別もあるかどうかわからない年齢の子供が。

まさに異物としか言いようが無い。

(・・・面白い)


スラックトンは宰相になってから、いや、宮廷に入ってから、初めて自分の意思で行動することにした。

「なるほど・・・ヘンリー殿下、よく練られた計画だと理解いたします」

王子の顔が歪むのがわかる。やはりまだ若い。言葉のニュアンスに込められた真意を、読み取ることが出来ないのだ。さきほどから私が返していた相槌にも、目に見えてイライラしていたのが伝わってきた。

(腹芸の一つも出来ないで、政治は出来ませんぞ・・・殿下?)


人員を出すといったときの、殿下の喜びといったら。まるで想いが通じて喜ぶ女子のようで。



自身では気がつかなかったが、彼の頬は僅かに緩んでいた。



***

スラックトンは専売所に出来る限りの協力を行った。慢性的な人員不足は深刻であり、本来なら人員は1人でも割ける状況ではなかった。しかし彼は専売所に50人の人員を派遣。予算も財務当局に指示して、小額だが付けさせた。「王子の道楽」だと批判する官僚や貴族には、自ら面談してやんわりと説得し、影から援護した。


普段の侯爵らしからぬ行動に、同僚や部下は首をかしげて理由を尋ねたが、彼はいつものように煙に巻くだけであった。


「理由は存在しない。それが理由ですな。」


愉快そうに顎鬚を撫でるスラックトンに、誰もがそれ以上の追求を諦めた。





*********

スタンリー・スラックトン侯爵は、それから10年の間、アルビオン王国の宰相を務めた。

残された資料や、王室編纂の公式歴史書からは、彼の表立った仕事を見つけ出すのは難しい。「何もしなかったから宰相でいられた」との歴史家の批判もある。

ただ、彼の元で、ヘンリー・テューダーを中心とする「新官僚」と呼ばれる人々が、数々の改革を行ったのは確かである。



スラックトンは現職のまま無くなった。享年72。



国王ジェームズ1世は臣下としては1000年ぶりとなる異例の「国葬」をもって、この老宰相に答えた。葬列には多くの部下や市民が列をなして途切れることが無く、ロンディニウムでは誰もが自然と故人を忍んだ。


王弟ヘンリーは雨の中、彼の入った棺に寄り添うようにして墓地まで歩いたという。



[17077] 第6話「子の心、親知らず」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/04/07 16:54
やぁやぁ、皆さんこんにちは。アルビオン王国第2王子のヘンリーだよ。



実は皆さんにご報告があるんだ。


それはね





結婚することになったんだ。






相手はヨーク大公家の一人娘、キャサリン・ハロルド・ヨークっていうんだ。可愛い名前でしょ?僕と同い年の20歳なんだよ。









あれ?







・・・・どぅええええええええええ????????!?!?!?!?!?



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ハルケギニア~俺と嫁と、時々息子~(子の心、親知らず)

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「いや、お。おま、ちょ、ちょちちょ・・・・」
「で、殿下、すこし落ち着いて下され」

アルバートに代わってヘンリーの侍従になったエセックス男爵(塩爺)が、混乱する自らの主人を必死に落ち着かせようとする。

「ヘンリーよ、嬉しいのはわかるが、少し落ち着かんか」
「でででで、でもの、その、あの、そのそそそそそ、ちちうえうえうえ?!」


エドワード12世は自らの息子の乱心ともいえる言動に困惑していた。

元々、好奇心旺盛な性格で、何にでも興味を持つ息子であった。それが長じるにつれて、新しい政策を考え出すきっかけとなったようで、最近では政治に積極的に関わり、そのいくつかは目覚しい結果を出している。

エドワードは息子の成長を喜んだ。真面目だが頭の固いところのある皇太子のジェームズを補佐するには、柔軟な思考を持つヘンリーの様なタイプが望ましいと考えていた。将来は兄を補佐して、国を支える柱石になって欲しい。

そのためには

(まず身を固めさせんとな)

エドワードは、性格というものがそう簡単に変えられるものではないということを経験的に知っていた。ヘンリーも今年で20歳、いつ結婚してもおかしくない年齢だ。こやつの落ち着きのなさは生来のものであろう。結婚すると人は自然と受身に、守りの姿勢になる。
ヘンリーが人間として成長する上でも、政治家として一皮向けるためにも、一刻も早い結婚を・・・王はそう考えた。






国王には第2王子を「トリステインに婿養子に出す」という考えは「全く」存在しなかった。






原作展開を知るはずもないエドワード12世。当然、目の前の王子の錯乱状態の理由は知るはずもない。ましてや、それが自分に原因があるとは

「あわんわわあわわわわ・・・・あれ、あのそうのう、そ、す、そ、」

やれやれ・・・エドワードは苦笑した。政治では年齢に似合わない慎重な行動をとる息子も、人並みの「恥ずかしい」という気持ちがあるのか・・・いや、こやつは元々感受性の強い性格であったな

最近、子供達に『スキンシップ』を嫌がられ、寂しい気持ちを覚えることの多かったエドワード。息子の見せる過剰ともいえる反応に、困惑と同時に、ちょっとした懐かしさと嬉しさも覚えていたのだ。





親の心子知らず


逆もまた真なり


子の心親知らず





「どわなお・・・おあにな、け、けけけけけけけえええええ・・・・!」
「結婚でございます、殿下」

エセックス男爵が、もはや落ち着かせることを諦めてつぶやく。

「け、け、結婚?!」
「そうでございます」
「誰が!?」
「殿下でございます」
「だ、だ、誰と?!」
「ですから、ヨーク大公のご息女であられる、キャサリン・ハロルド・ヨーク・・・」
「だ、だっだだだだ!誰だよそれ?!」
「ですから!ハロルド2世陛下3男がエドガー・ハロルド公を祖とし、アルビオン西部の要所、プリマスを代々受け継ぎ・・・」
「だ、だれ?!だれなの?!」
「でー、すー、かー、ら!!」


(人の話聞いてるのか、この馬鹿は!)

心中では不遜な言葉でヘンリーを罵りながら、塩爺は顔を真っ赤にしている。額に浮き出た血管は、いまにもはちきれんばかりだ。


二人の言葉はどこまでもすれ違い、互いの真意が伝わることはない。


なぜならエセックス男爵は、ヘンリーが結婚したくないという一心で駄々をこねているか、または余りのショックに現実を受け入れるのを拒否しているか、そのどちらかだと考えていたからだ。

(ならば何度でも言って聞かせるだけじゃ!)

老男爵は「瞬間湯沸かし器」とあだ名される普段の気の短さが嘘のように、何度も何度も、何度も何度も、何度も、王子に同じ言葉を繰り返す。




一方のヘンリー






(キャサリンって誰?!)






そんな言葉が頭の中で何度もぐるぐると壊れたレコードのように繰り返され、思考が停止した彼に、エセックス男爵が同じ事を何度も繰り返す。

曰く

「ブリミル暦3546年、当時のアルビオン国王のハロルド2世の3男であるエドガー・ハロルド公を祖とするヨーク大公家」
「アルビオン西部ペンウィズ半島の中心都市であるプリマスを代々受け継ぎ、歴代の国王に忠誠を誓ってきた名門大公家で、半島の南半分全土を領有する大地主」
「王家への忠誠心が高く、かの『四十年戦争』では、国土の半分が敵国に制圧されてもなお敢然と戦い続けた忠君の家柄」

etc・・・


しかしながら、ヘンリーが知りたいのはそういったことではない。大体、それくらいのことならその辺の幼児でも知っている。それくらヨーク大公家というのは名門なのだ。

ヘンリーが知りたいこと、それは







「なんで歴史が変わっちゃったの?!」
























「「「「「「「「「「「お・ま・え・の・せ・い・だ!!!」」」」」」」」」」



























「という数知れぬつっこみが飛んだような気がする・・・」
「何を言っておられるのですか、さっきから・・・」

目の前では両肩で息をつくエセックス男爵と、愉快そうに口髭を撫でるエドワード12世。


ヘンリーは突っ込みでようやく冷静さを取り戻した。しかし、その脳内ではスパコンも真っ青の「打算」という名の計算を繰り返している。


(うおおおお!やべえ!やべえよこれは!どれくらいやばいかというと、目玉焼きに醤油じゃなくてバルサミコソースかけたくらいやべえよ!!食えないよ目玉焼き・・・って、ちっがあああう!!そういうことじゃねえってぇぇぇ!!原作崩壊どころの騒ぎじゃねえよ!!!アンリエッタ産まれねえよ!お父さんになれないよ!娘が、娘が!むすめが・・・俺がずっとコツコツ考えてきた『娘との思い出を作る45年計画』が!うおおおお~~~!!!!)

・・・こいつは

(は!アンリエッタ生まれないって事はどうなるの?!ルイズはただの胸無しツンデレまな板になるの?!!「アルビオンに恋文取りに言ってね、おねがい♪」任務は?!ないの!?!?!ワルドの裏切りは?サイトとのまな板をめぐる恋の大戦争は?!・・・・てか、そもそも『ウェールズ=アンリエッタ同君連合、いけいけ恋の同盟大作戦』はどうなるの!?)

そもそもそんな大作戦は存在しない


ヘンリーは叫んだ。心の赴くままに。叫ばずに入られなかった

「うがああああ!!!認めん、俺は認めんぞおおおおおお!!!!俺の『娘との思い出アルバム311の道のり計画』が、こんな、こんなところでえええええ!!!途中で、こんなところで!認めん!俺は認め(バキッ)へっぷ?(バタッ)





へんりーハ、タオレタ!

しおじいハ、経験値ガ「3」アガッタ!



「ヘンリー王子は喜んでお話を御受けになるそうです」
「そ、そうか」



えどわーどハ、「見て見ぬふり」ヲ覚エタ!
えどわーどハ、子離レガススンダ!



[17077] 第7話「人生の墓場、再び」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/04/15 18:25
そういえば俺の2つ名なんだけど「冥土」のヘンリーでいい?ってエセックスの爺さんに聞いたら、小1時間ほど説教されたよ。
丸々日本語での当て字なのによく分かったよね。ジョークが通じない人って嫌だね。

結局「水鳥」ってことになったよ。俺は水系統のメイジで、使い魔が「カワセミ」だからだって。普通すぎてつまんないね。

*************************************

ハルケギニア~俺と嫁と、時々息子~(人生の墓場、再び)

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(前回までのあらすじ)

原作の展開が修正できない感じに捻じ曲がっちゃいました。


・・・どうしよう



***

「北京の蝶、か」
「・・・蝶がどうかしましたか?」

北京で蝶が羽ばたく→ニューヨークで嵐が起きる。何でそうなるのかさっぱりわからんが、とにかくそうなるらしい。カオス理論だったか?ジュラシッ○・パークでモジャモジャ頭の数学者が言ってたな。

確か、少しの行動が、結果的に全体へと及ぼす大きな波紋・・・だったはず。


(原作展開が根本から捻じ曲がってしまったのも、無理はないか・・・)


本来いるべきではない「俺」が「ヘンリー」。蝶の羽ばたきで嵐が起こるくらいだ。「俺」という存在が、この「ゼロの使い魔」に、ハルケギニア世界に及ぼす影響は、一体どれくらいになるのか・・・考えるだに恐ろしい。

次に起きるのは一体なんだ?風石が暴走して、アルビオンがハルケギニアに転落するとかか?「杞憂」と笑う事なかれ。大体、空に国土が浮いている事態が非常識なのだ。落ちないほうがおかしい。自然災害レベルになると、最早どうしようもないぞ・・・



ヘンリーは自らの存在によって、行動によって引き起こしてしまった嵐の大きさに、言葉もなく沈み込んだ。










そして



















「・・・ま、いいか♪」






























「「「「「「「「「「ええわけあるかい!」」」」」」」」」」



























「・・・て、声が聞こえた気がする」
「・・・殿下?」
「い、いや、エセックスよ、だ、大丈夫だって、も、もう取り乱さないからさ?」

もう一度手刀を食らわされては敵わない。打ち込む準備をしている侍従を、慌てて制し、自らの正気をアピール。疑いの眼差しを向ける老男爵に、不自然なくらい明るい声で話しかけた。


「し、しかし、ヨーク公のご息女とは、すごいね」
「殿下にはもったいのうございますな」
「・・・」
「ジョークでございます」

エセックス、お前もか。

「真面目な話に戻しますと(今までは真面目じゃなかったのか)殿下はアルビオン王国の(無視かよ爺さん)第2王位継承者なのです。最低でも侯爵家の息女クラスでないと、王家の格が保てません」

「格、ね」

ヘンリーが僅かに顔をゆがめたのを、元家庭教師は見逃さなかった。

「殿下がそういったつまらない格式を好まないことは、この爺がよくわかっております。ですが殿下は王族なのです。王族はすなわち国家そのもの。殿下の言葉で国は動き、殿下の行動で国は揺らぐのです。」

「あぁ・・・」

ヘンリーは昔を思い出した。堅苦しいことが嫌いな俺がパーティに出席したくないと駄々をこねた時、ほかの者はただ困惑するだけだったが、この爺だけは有無を言わさず頭を殴りつけたものだ。そして王族としての心構えを切々と説いた・・・今のように

「一生の伴侶を選ぶ結婚ですら、殿下に自由はないのです。」

不思議なものだ。他の侍従に同じ事を言われれば俺は反発したが、この爺の言葉だけは、自然と心の中に入ってきた。

「ですがそれは、お父上も、お爺様も・・・始祖ブリミル以来、何千年、何百年とこの国を率いてきたアルビオン王家のすべての方々が味わってきたことなのです。そして・・・」

「『すべては国と平民を守るために。それこそが王族が王族であり、王族たりえる唯一の理由であり、誇りである』だろ?」

老男爵は、一瞬ポカンした顔でとこちらを見た後、顔をしわくちゃにして何度もうなずいた。



まったく、この爺は・・・

「わかったよ」

そんな顔されたら、駄々こねるわけには行かないじゃないか



***

大公は王(国王)の下にあり、公(公爵)の上、王家の分家の長が名乗る称号である。大公が元首を兼任するのが「大公国」(ジェームズ皇太子妃カザリンの祖国であるダルリアダ大公国など)。


アルビオンには、王家が絶えた場合、跡を継ぐ家(すなわち王家の分家)が4つ存在する。すなわちウェセックス伯爵、コーンウォール公爵、モード大公、そしてヨーク大公。王位継承権の順位はこの逆で、ヨーク大公→モード大公→・・・という順になるが、現在のモード大公家は、現国王ジェームズ12世の4男・ウィリアムが相続しているので、王位継承権はジェームズ皇太子、ヘンリー王子につぐ3番目を確保している。

ウェセックス伯爵、コーンウォール公爵両家は、すでに没落して領有する土地もなく、宮廷の家禄を食む存在に過ぎない。王位継承権を有しているとはいえ、爵位も劣ることから、大公家よりは一段下に見られている。

話が脱線したが-要するにヨーク大公家は、モード大公家と並んで広大な領地を持つという有力な王族であり、なおかつ本来ならばモード大公家を押さえて、王位継承の権利を持つ、とてつもないビックな家なのだ。


その歴史はブリミル暦3546年、当時のアルビオン国王ハロルド2世の3男であるエドガー・ハロルドが、アルビオン西部ペンウィズ半島の中心都市であるプリマスと「大公」位を与えられたことに始まる。

「歴代の国王に忠誠を誓ってきた」というエセックス男爵の言葉は、決して過大なものではない。実際に大公家は何度もアルビオンの危機を救って来たのだ。中でもブリミル暦4544年にトリステンが領有権を主張してアルビオンに侵攻したことに始まるアルビオン継承戦争(通称・四十年戦争)では、国土の半分がトリステインに制圧されてもなお、ペンウィズ半島に立て籠もり抗戦を続け、アルビオンの勝利に貢献した。

国王ヘンリー5世はその功績を称え「国家永久の守護者」の称号と、「アルビオンが続く限り、大公家の存続を認める」という言葉を与えた。

そういう経緯から、ヨーク大公家領はきわめて高い独自性を保持している。また本拠地であるプリマスは大陸出兵の際には派遣軍集積拠点となる軍事・交通の要所であり、ペンウィズ半島がアルビオン屈指の穀倉地帯であることから、歴史上幾度となく大公家の独立が囁かれ、ロンディニウムの肝を冷やさせたものだ。



しかし、ヘンリーが今気にかかっていることは、そういった大公家の独自性の問題などではない。

「大公家に婿養子に入ったら、国政に口出しできなくなる・・・」


現在のヨーク大公家当主であるチャールズ・ハロルド・ヨーク公は59歳。学者肌の温和な人物。生物研究-特に鳥類の分野では学会でも知られた存在で「鳥の大公様」として親しまれている。

彼には1男1女がいるが、息子のリチャードは体が弱く、29歳の今になっても独身。(ちなみに彼も父親と同じく鳥類研究で知られる。ジェームズ皇太子とは昔から馬が合い、今でも親友である)

となると残った娘-キャサリンの婿となるものが、ヨーク大公家の跡継ぎになるだろうというのが、宮廷内でのもっぱらの観測であった。



そしてその結婚相手に決まったのが、誰あろうこの俺、ヘンリーなのだ。



俺は次男だし、大公家なら養子先として不足はない-国王である父はそう考えたのであろう。

しかしそれは俺にとって好ましい事態ではない。


アルビオンには「国王とその王子以外は、国政の意思決定に関わらない」という不文律が存在する。四十年戦争の際、トリステイン側に王族の一部が加担し、戦後も国内対立を長引かせたという苦い経験から、誰が言うとは無しに、そういった慣習が生まれたのだ。

つまり「ヘンリー王子」なら口出しは出来るが、「ヨーク大公ヘンリー」では出来ない


「拙い・・・」

俺は焦った。

改革はまだ道半ば・・・というより、入り口から2・3歩入った段階。これから、これからが大事な時期なのだ!官僚組織の専門化、農業用水道の整備、街道港湾整備・・・やることは山ほどある。そのどれもがまだ未着手なのに・・・

俺の思考は、エセックス男爵の発言に遮られた。

「しかし、大公家は思い切った決断をなさいましたな」
「・・・ん?何のことだ」
「?殿下はお聞きでないので・・・あ、そういえば私が気絶させたのでしたな」

そうだよ爺さん。痛かったんだぞ

「大公家はこの婚姻と同時に、大公家領を王家に返還するそうです」




・・・爺さん、今何て言った?



「ですから、領地を王家に返還すると。ペンウィズ半島南部が王家の直轄地になるのです」




・・・マジ?




「マジもマジ、大真面目だそうです。無論、大公家は存続しますが、それはロンディニウムの1大公家として。ウェセックス伯爵、コーンウォール公爵両家と同じ扱いですな。いやはや、跡継ぎのリチャード殿下が病弱とはいえ、実に思い切ったことを・・・」


俺は男爵の言う言葉の意味をしばらく理解できないでいた。


「え、えっと。それじゃあ、俺は」

「ヘンリー殿下は何も変わりませんぞ・・・いや、変わりますかな。大公家の跡継ぎはリチャード様のままです。大公家領は「名目上」はキャサリン公女と結婚なされる殿下に譲られます。実際は王家の直轄領になるということなのですか、それを表立って言うと、なにかと不都合が多いもので・・・」



えーと、その、つまり



俺は結婚する

王家直轄領が増える

国政に口出しできる待遇は変わらない


なんという幸運。なんというご都合主義。

「これも始祖ブリミルの思し召しか「違いますぞ」・・・違うのか」
「はい。違います」

俺が珍しく始祖に感謝したというのに・・・

「このたびの大公家領の取り扱いは、キャサリン公女の強い意向で行われたそうです」
「公女が?」
「はい」


エセックス曰く、大公は最初、俺を婿養子にするつもりだったらしい。その父の考えを、キャサリン公女は真っ向から否定した。

「大公領は国王陛下から下賜された、いわば借り物です。それを大公家が統治するのが困難になったのであれば、王家に返還するのが道理ではないですか?」

リチャード公子も(俺に家督をとられるのが気に食わないという感情もあったのか)この妹の意見に賛成したため、ついには大公も了承したらしい。

大公親子(チャールズ・リチャード)は学者肌の人間。共に温和な性格で、領民から慕われる領主ではあったが、それだけだといえばそれだけ。むしろ煩わしい領地経営から開放され、学問に没頭できる環境なら、未練はないのだろう。


(生まれつきの貴族だからな)



貴族や王族は、自らの恵まれた境遇ゆえ、かえってその権限や財産にこだわらない場合がある。

かつてブラジル皇帝ドン・ペドロ2世は、革命の際、帝政存続を行おうと思えば出来た状況でありながら「ブラジルに栄光と繁栄あれ」の一言を残して国を去った。自ら退くことによって祖国に血の雨が降ることを避けたのだ。日本では明治維新期の殿様達が、かつての家臣たちが行う「版籍奉還」や「廃藩置県」といった、自らの存在意義そのものを否定する改革にも抵抗することなく、甘んじてそれを受け入れた。

逆に、試験で他人を蹴落として上がってきた官僚は、自分で勝ち取った権限や権利を死んでも離さない。どこぞの天下り組織だの、官僚上がりの政治家だのを見てればよくわかる。

王族や貴族が自らの権利や財産への執着を持たないがゆえに、結果的には国家に忠誠を尽くすことになり、仕えるべきはずの官僚が国家に仇を為す・・・なんとも皮肉な話だ。


もっとも、そんな高潔な王族や貴族ばかりなら、ヘンリーはこんなに苦労していない・・・


***



今から考えると、俺はこれからの事を考えることに没頭することで、いろんなことから目をそむけていたのだ。


胸に覚える小さな痛みを、忘れるために・・・





***

そして、キャサリン・ハロルド・ヨークとの顔合わせの日。

(か、可愛い!)




小さな痛み?アンリエッタやマリアンヌへの未練は、2つの月の間を抜けて飛び出し、ハルケギニアのお星様になった・・・




なんていうかもう、半端なく可愛い。流れるような金色の髪に、白い肌とのコントラスト。その知的な目はまるでラグドリアンの水の精の流す涙のごとく。白いシンプルなドレスが、彼女の美しさをいっそう際立たせている。ドレスの裾からのぞかせる磁器の様な白い腕、先端の細くて細いその指が動くと、周りの空気が音を奏で・・・

いつもの俺なら絶対言わない、恥ずかしい言葉も、今この瞬間の彼女になら捧げられる・・・

ヘンリーは体をかがめてキャサリン公女の手をとり、古の騎士の様なくどき文句を口にした



「あぁ、わが女神よ。貴方の名前をお聞かせください」






















「・・・なにやってるの高志」










・・・はい?










「しばらく会わないうちに・・・頭に虫でもわいたの?それとも正常運転なの?ま、どっちでもいいけどね」





・・・・えーと









「まさか・・・」

「そうよ。あんたの『元』女房の美香」
























「詐欺だあああぁぁぁ!!!」

「もういっぺん死んで生まれ変われええええ!!!!」


ヘンリー(高志)のアゴに、キャサリン(美香)のアッパーカットが綺麗にはまった。





妻・登場



[17077] 第8話「ブリミルの馬鹿野郎」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/04/07 17:06
始祖ブリミルよ。私は貴方を恨みます


「そんなもんわしにいわれても知るか!大体殆ど、おのれが引き起こしたことやないか!自分のケツぐらい自分でふきさらさんかい、このドアホ!」

・・・じゃあ神を恨みます

「あ?なんやと?お前がこの世界に転生させたって?それこそ筋違いじゃ!!わしは知らんぞ、管轄外や。文句垂れるなら、お前んとこの世界の神さんに言え!」


いまさらだけど、何故関西弁・・・

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ハルケギニア~俺と嫁と、時々息子~(ブリミルのバカ野郎)

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「う、うう・・・」
「あーもう!いつまでも泣いてるんじゃないの!            嬉しいのはわかるけど・・・」

「俺の純粋な気持ちが、俺の初恋が

プチ

ぎゅ~~~~

「そんな事いうのはこの口か?え?この口か!」
「ふぁ、ふぁなふぇェ!」(は、はなせぇ!)
「大体、初恋も何もも、貴方、前世で何人の女の子泣かせたのよ?!え?名前一人づつ上げていきましょうか?!」
「ふゃれはふぁれ、ふぉあえふぉろ」(それはそれ、これはこれ)


ぎゅううううう~~~~


「ふぁああああごだああええええええ~!!」(俺の純粋な告白を返せえええ!!!)

「このスケコマシの甲斐性無しがまだ言うかあぁぁ!!!」




・・・アルビオンは今日も平和だった(まる)



***

美香はヘンリー(高志)の前世での嫁だ。家が隣同士で、小中高と同じ学校で同じクラスという腐れ縁・・・いわゆる「幼なじみ」っていうやつ。

黙っていればなかなか可愛い顔をしてるんだが、これがまた喧嘩っ早い上に、口の悪いこと悪いこと・・・へたなヤ○ザ映画よりも汚い言葉で、見かけに騙されて詰め寄る男子をばっさばっさと斬り捨て御免。ついたあだ名が「辻斬りの美香」

おまけに柔道の黒帯ときている。確か中学生の頃、美香にふられて逆恨みした馬鹿どもがバット片手に取り囲んだことがあった。女相手に情けない限りだが、取り囲まれた当人はというと。口元を「ニヤリ」とゆがめて

「正当防衛♪~」

明らかに過剰防衛です。ありがとうございます

人って、浮くんですね。勉強になりました




俺は俺で、こんな「オトコ女」にホの字になるわけもなく。馬鹿やって笑いあう友達関係だったが、大学、社会人になると、お互いの生活もあって疎遠になった。



そんなある日。失恋してヤケ酒飲んで実家に帰った次の朝










「・・・責任とってよ」

・・・頭が真っ白になりました


「・・・来ないの」

・・・フリーズしました




人生の墓場直行・・・で、転生して、今に至ると


*********

顔を別人のように腫らしたヘンリーが、正座をしている。その前に腰に手を当てて仁王立ちの『元嫁』。

先ほどまでの胸の高まりはどこへやら。神は神でも、破壊神シヴァに見え・・・あ、あれは男か。まぁ、こいつは男女だからいいか・・・

「・・・何か不穏当なこと考えたでしょ?」
「そ、そんなことないって、うん!」

ジト~とした目を向けるキャサリン。ヘンリーは改めて、こいつに隠し事は出来ないことを、身をもって思い知った。


そういえば

「美香、お前は」
「キャサリンって呼んで」
「・・・どこぞのキャバクラ嬢かお前は」

瞬間、顔を真っ赤にして(仮称)キャサリンは反論する。

「な、なによ!だって産まれたときから『キャサリン』って呼ばれてるんだもん!いまさら『美香』に戻れないわよ!高志だって、いまさら『高志』って呼ばれても困るでしょうが!」

それもそうですね。ところで恥ずかしがるのはいいんですが、空いてる手で私を殴らないでください。痛いんですけど

「私は心が痛いの!」

意味がわかりません


***


(仮称)キャサリン曰く。俺は前世でやっぱり「死んだ」ようだ。いわゆる「突然死」として処理されたらしい。

「世話かけたな」

「そうよ!起きたら死んでるんだもん、最初は悪いジョークかとおもったわよ。頭蹴っ飛ばしたり、鳩尾にパンチしたり、股間踏んづけたり・・・」

・・・

「それでも起きないから、『あぁ、死んじゃったんだ』って」

「それだけ?!なんかもっと外にないの?!」

「何言ってるのよ!それから大変だったのよ!救急車呼んで、警察に事情聞かれて、お葬式の手続きして・・・一週間は寝れなかったわ!その後も会社の人だの、学生時代の同級生だのがひっきりなしにやってくるし・・・そうそう!相続、相続よ!税務署の野郎が喪も明けないうちに「相続税のお話が」とか言いながらやってきてね?!少しは間空けて遠慮すりゃいいのに」

「そ、それで?」

「1回目はお茶かけてやったわ」

・・・め、眩暈が

「2回目はホースで水ぶっ掛けてやって、3回目は・・・」


・・・


「冗談よ」

「まったく冗談に聞こえないんですけど!?」
「私だって喧嘩売っていい場合と、少しあとで売ったほうがいい場合はわかるわよ」
「結局は売ったの?ねぇ、税務署と喧嘩したの?」
「ほら、税理士のおばさんいるでしょ、前橋のおばさん。あの人に助けてもらって。家は・・・」

あー、あー。何も聞こえなーい、何も聞こえなーい・・・


***

「じゃあ前世で天寿を全うしたのか?」
「そうなるのかしら?90歳でぼけちゃったから、後はよくわからないんだけど」

男は相手に死なれると落ち込んで早死にするという。女性は逆に清々するのか、元気で長生きすると・・・それにしても、長生きしたんだね・・・

何だ、この複雑な気分は。


「俺は死んでこっちの世界に、この「体」に転生したのは9歳のときなんだが、美『キャサリン』・・・キャサリンはいつからだ?」
「産まれてすぐね。赤ちゃんのときはつまらなかったわ・・・少なくとも15ぐらいまでは目立たないように、適当に合わせた対応をしてあげたの」
「十年以上もずっと演技してたのか?」
「ふっふっふ、演劇同好会元会長は伊達じゃないのよ?」

女は生まれ付いての女優ってか。そういえばこいつ高校でそんな事やってたな・・・ん?

「・・・そういや実際の年齢は90歳だったんだよな。今は110歳ぐらいか?ははッ!ほどんど妖怪(バキッ)・・・痛い・・・」

えーい、話が進まん・・・

***

(痴話喧嘩をすっとばしました)

***

「・・・なんか俺、生傷増えてない?」
「自業自得よ」


「なんか釈然としないが・・・そういえば「俺」に気づいたのはいつだ?」
「はっきりとした確信を持ったのは、面と向かいあった今だけどね。なんとなくそうじゃないかと思っていたわ」
「へぇ、どうして?」

「大声で『メイド萌えー』とか叫ぶ馬鹿は、あんたしか心当たり無いもの」


・・・くやしいが、全く反論できない


「それから舞踏会とかで貴方のこと観察してたんだけど、確信がもてなくて・・・」
「聞けばいいじゃないか?」
「違ってたらどうするのよ」

モ○ダー、貴方疲れてるのよ-間違いなく電波系扱いです

「でしょ?それで確認するためにいろいろ貴方のこと調べてたら、お父様・・・ヨーク大公ね。勘違いされちゃって」

「あぁ、それで」

「そう。国王も貴方に身を固めて欲しかったみたいだし、大公家ならちょうどいいとおもったんじゃない?お父様も、メイドメイドっていう変人だけど、手腕は手堅い貴方の事買ってたみたいだし」


・・・やっぱり変人扱いなんだ


「今度の大公家領の話だけど、美『キャサリン』・・・キャサリンが根回ししてくれたんだって?」
「そうよ」
「何でだ?俺が『高志』だっていう確信は無かったんだろう?」

その言葉に彼女は、思いもがけない返事を返してきた。

「たとえ貴方が何者でも、どっちにしろ何もしないとこの国は滅んでたわよ。『レコン・キスタ』でね。何もしないで死ぬなら、何か残して死んだほうがいいわ」


「?!」


「あらら、思ったことがすぐ顔に出るところは相変わらずなのね。覚えてないの?・・・まぁ無理も無いか。貴方、死んだ日に『ゼロの使い魔』を枕の下に敷いたまま寝てたのよ?」

うっわ・・・めっちゃ恥ずかしい死に方じゃん・・・

「恥ずかしいのはこっちよ!葬儀屋さんとか、鑑識の人とか、すっごい変な顔してたんだから」
「わ、悪い・・・そ、それでお前も読んだのか?」
「そうよ。馬鹿亭主が人生の最後に読んだ本はどんなものなのかってね。流し読みだから良く覚えてないけど、大体の時系列は覚えているわよ」

そ、そうか

「まぁまぁね」

・・・?

「好きな女を守るため、7万の敵に一人切り込む・・・かっこいいじゃない!」



嬉々として語る女房を前に、ヘンリーはこっそり安堵のため息をついた。この分なら俺がアンリエッタのお父ちゃんになるかもしれない可能性には、気がついていないのだろう。

もし、美・・・キャサリンがその事実を知ったらと思うと・・・



「怖い・・・」
「何が?」

何でもない、ないよ?!

***

なにはともあれ

「助かったよ、これで少しは楽になる」

ヨーク大公家領は、交通の要所であり、軍事上の要所である大都市プリマスを抱えている。大陸にも近く、各国の情報を集めやすい。またペンウィズ半島は、アルビオン屈指の穀倉地帯でもあるのだ。


「もうけ、もうけ♪」

うっしっしと嫌な笑い方をするヘンリーに、キャサリンはジトっとした視線を向ける。

「・・・お父さまとお兄様、ちゃんと面倒見てくれるんでしょうね」
「心配するな。俺もそこまで白状じゃない。最低でも領主時代の生活費と研究費は保証するさ」
「そう、ならいいんだけど・・・」
「ともかく助かった!ありがとうな」
「礼なんかいらないわよ。これも私が生き残るため。逆賊には刺し殺されたくないからね・・・最後まで戦い散っていく騎士を見送る悲劇の婦人っていうのもいいけど」

「はははッ!君なら後ろで待ってないで、先陣切って敵軍に殴りかかるだろ『殿下!そろそろ』・・・おう!もうそんな時間か。悪いなキャサリン、これから農業局との打ち合わせがあるんだ」

王立魔法研究所農業局は、名目上の責任者はいるが、実際にはヘンリーが責任者である。定期的な研究報告や、直接査察は欠かすことが出来ないのだ。

キャサリンは俺にむかって手を振る。

「あー、私に気を使わなくていいから。いまさら気を使われるとかえって気持ち悪いし。早く行って、稼いで、私を楽させなさい」

あぁ、懐かしいなぁこの感じ!打てば響く軽口のやり取りが心地いい。

「なんだぁ?!それじゃあ前世と代わらないじゃないか?」
「そうよ!私と貴方はここでも「夫婦」になるんだからね?」
「はいはい・・・『殿下!』・・・今行く!まったく、融通の聞かん奴だ」


10年ぶりにあった美香は、何にも変わっていなかった。曲がったことが大嫌いで、泣き虫で、単純で、そのくせ妙なところで勘がいい、意地っ張りで、そして


「上司にきちんと意見できるのは、優秀ってことよ」

誰よりも優しい-俺の女房

「違いない!」






じゃ、あとでな

うん、またね



***

「殿下、ずいぶんと、その・・・盛り上がっておられましたな」

爺さん、やっぱり聞こえてた?

「ええ。何をおっしゃているのかまでは聞こえませんでしたが、ずいぶんお二方の声が弾んでおられたので・・・もしや殿下はキャサリン公女とお知り合いでしたか?」

んー、そうだな・・・

「そうとも言えなくないな」
「と、いいますと?」

ヘンリーはさも愉快だという表情を隠さずに言う。

「腐れ縁だ、腐れ縁!」

エセックス男爵は、ヘンリーの真意がわかりかねたが、主人の機嫌がいいのでそれでよしとする。

(まぁ、仲がいい事にこした事はないしの・・・)






***

出された紅茶はすでに冷めていた。祭りの後の静けさ-先ほどまでの男女による馬鹿騒ぎとは打って変わり、部屋には物寂しいとも思える、静かな時間が流れている。


キャサリンは一人、ヘンリーの帰りを待つ。



「・・・これでいいのよ。これで・・・」



その呟きを聞いたものは、誰もいない






[17077] 第9話「馬鹿と天才は紙一重」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/04/07 17:45
あ、こ、こんにちは!

私、ヘンリー殿下のメイド長をやらせてもらっているミリーと申します。

私が仕えるヘンリー殿下は、少し変わった所のあるお方ですが(『モエ』っていったい何なんでしょう?)とっても優しい人なんです。


その殿下が昨年結婚なされました。お相手はヨーク大公家のキャサリン様。とっても綺麗な方なんです。お二人は出合った時から、それこそ何年も付き合った夫婦のように息が合っているんですよ?


私も結婚したら、あんな夫婦になりたいな~



「・・・ミリー、紅茶はまだか」


*************************************

ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(馬鹿と天才は紙一重)

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「いやー、王子はお強いですな」
「ははは、たまたまですよ」


ハヴィランド宮殿の一室で、2人の男性がチェス盤を挟んで向かい合っている。


一人はヘンリー・テューダー。アルビオン王国の第2王子だ。

昨年末、ヨーク大公家のキャサリン公女と結婚したばかりの新婚ホヤホヤでありながら、頬が緩む様子も、うきうき弾んだ感じもまるでなく、熟年夫婦のような空気を漂わせている-宮廷ではもっぱら話のネタになっているが、噂というのは本人の周りだけを器用によけて広がるものだ。


もう一人は、きれいに禿げ上がった頭を手のひらで撫でながらがっはっはと豪快に笑っている。口を開けて笑うことは卑しいこととされているが、彼に言わせると「笑いに下品も上品もあるか」。

ウィリアム・ぺティ・シェルバーン伯爵

まだ40代前半でありながら、頭はツルピカだ。もっともそれはどこかの魔法学院の校長から後継者とみなされる教師とは違い、自分でそり上げたのだが。その理由が「朝髪を弄繰り回す時間があったら、何枚の書類が決済できるか」というワーカーホリック的な理由なのが笑える。


ヘンリーとシェルバーンは、互いにチェス盤から目を離すことはない。

その様子は、昼真っから仕事をサボってカフェでふけ込む不良中年にしか見えない。だが、2人が使うチェス盤や駒が、職人が一つ一つ、石から削り出した特注品であることに気づけば、彼らがただの不良中年と暇な学生でないことがわかるだろう。

黒のナイトを持ち上げながら、シェルバーンは口を開く。

「この度、財務卿に昇格する事になりましてな」

内容の重大さに比べ、その声はまるで「紅茶のお変わりを」と頼むような気安さがあった。


現在の財務卿であるウィルミントン伯爵スペンサー・コンプトン卿が、持病の喘息悪化のため、近日中にも辞職するであろうという事は、衆目が一致するところである。いつの時代も(たとえそれが異世界であっても)人事というのは人の耳目を集める。それが自らの出世や仕事に関わるとなればなおさらだ。ましてや1国の財務卿ともなれば-下は下町の酒場から、上は大公家の当主まで、気にならないわけがない。

後任人事が噂される中で、財務官のシェルバーンも有力候補の一人であった。彼の傍若無人ともいえる言動-特に「10メイル離れていても居場所がわかる」というその特徴的な笑い方に眉をひそめるものは多い。だがその実務能力の高さは、誰もが認めざるを得ない。

その彼が実際に財務卿に昇格する人事が内定した事を知るものは、宮廷内でも限られている。

「それはおめでとうございます」

そしてヘンリーは、その数少ない後任人事を知る者の一人であった。当然、その顔には驚きの色などない。妻の様な芝居は、自分には出来ないと開き直っているからでもある。


シェルバーン伯爵は暇ではない。むしろ今が1番忙しい時期だ。任命式の打ち合わせや、前任者であるウィルミントン伯爵から、現在の仕事の進捗状況の説明を受け、財務官の引継ぎ作業etc・・・


だが今ここで第2王子とチェスをする-より正確に言えば、彼の意向を確かめる事は、他の何を差し置いても重要であるとシェルバーンは考えていた。

***

ウィルミントン伯爵は「この人事はスラックトン宰相の推薦」と言っていたが、宮廷の情勢に疎い老伯爵の話を、そのまま信じるわけには行かない。第一、自分は宰相と直接話した事もないのだ。

勘のいい者であれば、スラックトン宰相が(よほど注意していないと気が付かない、些細なものではあったが)これまでの事なかれ主義的な対応とは違った行動をしている事に気がつくはずである。シェルバーンは、その理由がこの第2王子にあると考えている。彼は、宰相の変化は、彼が発案したとされる専売所の設置を前後に起ったと見ていた。


***


宮廷内の、ヘンリー王子への大方の評価は「ちょっと変わったところのあるお方」。そもそも次の国王になることが確実なジェームズ皇太子と違い、第2王子の言動に注目するものは少ない。第2王子についてあれこれ観察する暇があったら、皇太子の覚えを少しでもよくするほうに努力したほうがいいと考えているのだ。(あの堅物皇太子に、ゴマすりが聞くと未だに考えている時点で、彼らの目のなさがわかる)

財務省の中では第2王子の評価は高い。何せ恒常的に財源不足に悩まされ、目を血走らせながら収支計算に取り組む彼らに、専売制という魔法の様な方法で税収増をもたらしたのだ。最初こそ「王子の道楽」「迷惑極まりない」と酷評に近いものがあっただけに、その反動もあってか、この王子に対して、敬意を通り越し、殆どあこがれの様な気持ちを持つものもいるくらいだ。


シェルバーン自身は王子に対して、一歩引いた姿勢であった。専売所にしても、巷間で言われるように王子自身が考え出したとはどうしても思えなかったのだ(ある意味でそれは当たっている)。誰か頭の回る側近がいて、自分の利益になるように王子に吹き込んでいるのではないかと、彼はそう考えていた。

だが最近ではその考えも揺らぎつつある。同じく第2王子が主導したとされる官僚養成学校や王立魔法研究所での農業研究・・・そのいずれもが斬新な発想でありながら、実に手堅い手法で進められている。


(天才っていうのは、いるもんだね・・・)


馬鹿と天才は紙一重という。ならば王子の変な行動(突然「モエ」なる奇怪な言葉を叫んだり、メイド服に異様な執着を見せるらしい。あくまで噂だが)にも説明が付く・・・


シェルバーンはけっこう失礼な男だった。



***


「何故私なのですか?」

回りくどいことは嫌いだ。そもそも、何百桁もの暗算や、膨大な書類の中から意図的な数字のごまかしを見つける作業ならともかく、自分は駆け引きや交渉ごとには向いていない。シェルバーンは自分をそう分析していた。

その自分が財務監査官ではなく、なぜ財務卿なのか?


いきなり本題をたずねたシェルバーンに、ヘンリー王子が始めて顔を上げた。

(・・・どうみてもケツの青い、くちばしの黄色いガキにしか見えん)

シェルバーンはかなり失礼な男だった。

実際、きちんとした服を着ていなければ、王子の顔は、少し小奇麗なだけの、どこにでもいる青年にしかみえない。目の前の人物が、専売所という、増税をしない魔法の様な方法で、何百年ぶりかの大幅な税収増を王国にもたらした人物だといわれて、どうして信じられよう?


こちらのぶしつけな質問に、王子はどうしたものかとあごを撫でて苦笑している。うるさい者がいれば、シェルバーンの対応は「不敬だ!」とがなり立てるに違いない。肝心の王子がこちらの対応を面白そうにして受け入れているのだから「不敬罪」が成立するはずもないのに。

(大体自分が不敬罪なら、国中の殆どの貴族が縛り首だな)


らちもないことを考えるシェルバーンに、苦笑したまま王子が口を開く。

「直球だね。ま、隠してもしょうがないから言うけど・・・伯爵が言うように、財務卿への昇格を提案したのは、この僕だ」

(やはり・・・)

そこまではシェルバーンの予想通りであった。宰相と第2王子との間に何があったかは知らないが、両者は思った以上の強い連携関係にあるようである。もっとも彼自身にとってはさしたる驚きではなかった。何があってもおかしくないのが「宮廷」という場所である。

だからというわけではないが、次の王子の言葉に、シェルバーンが感じたのは「驚き」ではなく「疑問」であった。


「君は『貴族戸籍』をあつかってたね?」



***

貴族戸籍とは通称で、正確にはもっと長くて舌を噛みそうな名前である。管理責任者のシェルバーンですら、その正式な名前は知らない。


そもそも貴族の領地は、国王が貴族に土地を与え、貴族が国王に仕えるという「御恩と奉公」の関係である。領地が事実上、貴族の私有地であっても、アルビオン国内のすべての土地は、建前上「アルビオン国王」のものなのだ。


国家には正当性が必要である。特に王政の場合、何故その王家が国を治める資格があるのかということは非常に重要だ。絶対王政化を進める欧州各国で、王権神授説(神から国の支配を許された)という、一見すると電波系とも思える思想がもてはやされたのは、それが正当性を主張するうえで都合がよかったからだ。(なにせ欧州の王家は、何度も断絶したり没落したりということを繰り返していたから)


国家支配の正当性に疑問がつけば、それがクーデターや反国王勢力に利用されかねない。


アルビオン王国初代国王のアーサーは、父である始祖ブリミルからこの地を治めるようにと指示され、ハルケギニア大陸からこの地に渡った。「始祖から国の支配を許された」からこそ、アーサーの子孫(アルビオン王家)は王家でいられるのだ。

ガリアの傀儡であったオリヴァー・クロムウェルが組織した「レコン・キスタ」。彼らは反乱の正当性を主張するために「現王家は堕落して始祖ブリミルの寵愛を失った」とした。自分は「新たに始祖から啓示を受けた」、だからこそ「虚無を使える(実際にはアンドバリの指輪の効果)」のだと。

そしてアルビオン王家はニューカッスルに滅んだ。

レコン・キスタ壊滅後、トリステインとゲルマニアの共同統治下に置かれたアルビオンだが、「将来的に始祖の血を引くもの」を王に復活させるという文言は、こうした経緯がある。なによりアルビオンは始祖が初めてハルケギニアに降り立った地とされるサウスゴータを抱えている。始祖の血を引かないものが王に即位しても、正当性に疑問がつく。それでは「レコン・キスタ」の残党に付け入る隙を与えかねない―各国はそう考えたと思われる。

~~~

話がずれたが-貴族は家督相続のたびにロンディニウムに赴く。国王は領土を相続する許可を与え、貴族は国王に杖の忠誠を誓う。

その時に必要となるのが『貴族戸籍』である。その内容は、代々その家が王家につかえてからの歴史に始まり、どこそこの領地を、いつ、どこで、誰から与えられ、今どれだけ保有しているかといったことが書かれている。国王はそれに従い、新しい家督相続者の「忠誠の誓い」と引き換えに、領土を相続することを、始祖ブリミルに代わって許すのだ。


もっとも今では「忠誠の誓い」も形骸化して久しい。自分の領土が「アルビオン国王」から、何より「始祖ブリミル」から与えられたものだと自覚している貴族が、いったい何人存在するのか?


財務官として他に多くの仕事を抱えていたシェルバーンにとって、形骸化した領地相続に関わる『貴族戸籍』の管理は、対した重要性を持っていなかった。

「確かに、自分はそれを担当していました。ですが」
「あー、そうだね。説明しないとわからないよね」


そういうと王子はチェス盤から駒を退かせる。

(俺のほうが有利だったのに・・・)

シェルバーンは白黒はっきりさせないと気がすまない性格であった。


一度すべて退かせたチェス盤に、今度はランダムに白と黒の駒を置いて行く。王子の意図がわからず、駒の場所や色をじっと見ていたが、そこには何の規則性もなかった。


困惑の色を深めるシェルバーンに、ヘンリーは視線を合わせる。そこには先ほどまでのおちゃらけた空気はなかった。


「これが今のアルビオンの現状だ」

「・・・そうですな」

今更言われるまでもない事だ。


***

建国当時のアルビオン王国は、空中国土という極めて特殊な土地柄ゆえ、人口が極端に少なかった。初代国王アーサー(始祖ブリミルの子供の一人)は、ハルケギニア大陸からの移民を推進すると同時に、部下に一定区画の土地を与え、積極的開墾を促した。

そのためブリミル暦1000年代には、アルビオンには平均で3つから4つの村落を領有する貴族と、国土の4割を支配する飛び抜けた大地主の国王という、一定の秩序が出来上がった。


けちの付き始めが、コーンウォール大公家での家督相続問題に端を発する「アルフレッド・コーンウォールの乱」である。次男が家督を相続したことに怒った長男のアルフレッドが、父ヘンリーと弟ジェームズを殺害。王家に反旗を翻したのだ。当時コーンウォール大公家は王家に継ぐ広い領地を保有していた。折悪しく、アルビオンは10年続いた飢饉の最中にあり、反乱は不平平民や王家に反感を持つ貴族を糾合して、空中国土を2分する内乱にまで発展する。

ブリミル暦1234年に始まったこの内乱は、西フランク王国(現在のガリア王国)の干渉もあって10年間の永きにわたって続き、ただでさえ貧しい空中国土を疲弊させた。また西フランクの干渉は、それに反発したトリステイン・東フランク王国と、西フランク王国の間で第2次大陸戦争(1236-1301)のきっかけともなった。

1大公家の家督相続が、ハルケギニア全土に広がる騒乱を引き起こしたのだ。


内乱終結後、その事実と、他国の干渉を重く見たアルビオン政府は、一つの布告を出す。


「家督相続の際には、その家財に関して分割相続を基本とする」


家督を相続するものがすべてを独占する現状を緩和すれば、家督相続時の争いがなくなるだろうという考えであったが、それが違う問題を引き起こすことになると想像したものは誰もいなかった。当時の担当者を責めるのは酷である。(ムカつくのはどうしようもないが・・・)

分割相続といっても、現物財産を持っている貴族は少ない。そのため領地を分割して与える、土地の分割相続という事態が発生した。当然相続のたびに、代々の領地は砕けたビスケットのように小さくなっていく。「これ以上分けると領地経営が成り立たない」と誰もが気づいたのがブリミル暦4000年頃。


分割相続の伝統はアルビオンから消え-残されたものは、粉々に砕けた領地。


それでも多くの貴族は歯を食いしばって、狭い領地でぎりぎりの経営を続けていた。


そこに止めといわんばかりの大飢饉が-ブリミル暦4500年に発生した「小麦飢饉」だ。これは「開放王」エドワード3世がアルビオンの小麦と比べて粒の大きいトリステインの小麦を輸入し、全土に広めたことが原因である。最初こそ、輸入小麦は収穫量の増大をもたらしたが、この小麦がアルビオンにだけ生息する害虫によって、壊滅的な被害を受けたのだ。

免疫のあるアルビオン小麦が全土に復活するまで、優に20年の時間がかかった。農民一揆-魔法が使える貴族に平民が反乱を起こすという、ハルケギニアの常識では考えられない社会現象が幾度となく繰り返され、10万人の餓死者と、40万の犠牲者が発生した。

領地経営どころの騒ぎではなく、多くの貴族が没落していった。

一方で、比較的裕福な大貴族-中の大、大の小クラスの貴族は、放棄された土地を二足三文で買いあさり、アルビオンに王家と並ぶ「大貴族」が発生した。彼らは、ちょうど豆まきした後の豆が散らばったような、あちこちに出来た耕作放棄地を片っ端から買い集めた。

そのため、今のアルビオンの貴族領地の境目は、それこそ無秩序ともいえるほどのひどい状況である。一つの村の中に境界があるのはまだ可愛いほう。教会の中に4つの境界が通るという、わけのわからない状況もあるくらいだ。



そう。ちょうど王子がランダムに駒を置いた、このチェス盤のように・・・




「これをね・・・こうして欲しいんだ」


そう言いながら、王子が駒を動かし始める。その意図を探るようにチェス盤を見ていたシェルバーンだが、駒の置き直しが意味するところを察すると、次第に顔から血の気が引いた。


(な、何をやって・・・いや、これが何を意味するのかわかっているのか?)


シェルバーンに構うことなく、王子は次々と駒を置き直していく。最後の駒がチェス盤の上に再び置かれた時、伯爵は息を呑んだ。

「・・・・ッ!」
「ほう、さすがだな伯爵。この謎かけがわかるとは」



・・・前言を撤回しよう。

このガキは間違いなくイカレている。そうでなきゃ、こんなとんでもない、現実を無視した荒唐無稽な事を思いつくわけがない。



「君にはこの仕事をやってもらいたい」







チェス盤の上



白と黒、2つ駒の塊を取り囲むように、ばらけた駒が数個おかれていた






[17077] 第10話「育ての親の顔が見てみたい」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/04/07 17:47
悲劇の○○というフレーズ。

悲劇の政治家、悲劇の武将、悲劇のスポーツ選手、悲劇の画家・・・およそ職業と名のつくものを空欄に入れれば、みんな大好きお涙ちょうだいの物語が出来上がる。


もっとも、その内容は職業によって大きく変わる。


画家や彫刻家などの芸術関係なら、それは死後に評価されたということ。

スポーツ選手であれば、体の故障や不慮の事故などで現役続行ができなくなっている。「あの時出てれば」「あの時○○がいれば」と言われて終るか、新しく第2の人生を始めるか。

武将の場合。十中八九、戦死。悪ければ一家全滅でお家断絶。桜は散るから美しいのだ。自分は散りたくないけど、人のを見るのは気が楽だ。


政治家の場合。

志半ばで暗殺されたり、失脚した政治家を「もし彼があの時」と持ち上げ、その構想力をたたえる。そして「時代に翻弄された」とか「一度首相をやらせたかった」とかいうフレーズをつければ、もう言うことなし。


政治は結果責任。負け犬のありもしない未来をああだこうだといっても始まらない。


だが「なぜ失敗したのか」を考える上で、彼らの人生は参考になる。ぼやく名誉監督いわく「負けに不思議の負けなし」なのだ。


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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(育ての親の顔が見て見たい)

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江戸時代がもうすぐ幕を閉じようとしていた天保十年(1839)、江戸幕府の老中首座(事実上の首相)に一人の男が就任した。

男の名は水野忠邦-のちに江戸幕府最後の抜本的改革と言われた「天保の改革」を推し進めた人物である。


彼はこれまでの改革(享保・寛政の改革)と同じように緊縮財政による財政再建を目指した。だが水野がこれまでの江戸幕府の将軍や老中たちと大きく異なったのは、「国防」を主眼に置いたことである。


この時期、日本各地に外国船が来航し、日本に対して通商を求める動きが続いた。15世紀中頃の大航海時代から続いた、西欧列強の進出が、ついに極東の地・日本にも及んだのだ。そしてなによりアヘン戦争(1840)で清国がイギリスに敗れたという事実。この時代の人間が受けた衝撃は、今からはとても想像できない。なにせ清=中国は、古くは倭の五王の時代から、遣唐使に律令体制の導入、元寇、朝鮮出兵と、長く日本のお手本であると同時に、最大の仮想敵国でもあったのだ。

その東アジア世界の中心だった清が敗れた-水野は震撼した。

相次ぐ外国船の来航。「次は日本」、誰もがその可能性を考えたが、どうしたらいいかわからなかった。水野は国を挙げての海防体制が急務と考えた。彼は老中として幕府の中央集権化を進め、幕府のイニシアチブの下、強力な挙国一致体制を作り上げて、海外と対抗しようとした。


しかし、水野は失敗した。


彼には経済問題のブレーンが存在しなかった。朱子学的な経済政策(緊縮財政・倹約第1・金儲けは悪)から抜け出せなかった。物価下落を狙って株仲間(同業者組合=ギルド)を廃止したが、財政不足を補うために行った貨幣の改鋳が悪性インフレとなり、逆に物価の高騰を引き起こした。不況への不満は時の政権に向かう。緊縮財政による不況-「倹約・倹約」と馬鹿の一つ覚えのように繰り返される標語は、江戸庶民の反感を買った。


経済失政に加え、彼を追い詰めたのは「上知令(あげちれい)」である。


将来、日本にも外国が攻めてきた場合、政治の中心である江戸と、商売の中心である大阪は、何としても守らなければならない。ところが両都市の周辺十里四方(1里は約4キロ、10里は40キロ)は、幕府領(天領)、大名領、旗本領が複雑に入り組んでおり、緊急事態が発生した際、だれが指揮をとるのかはっきりしていなかった。

そこで水野は、大名・旗本に十里四方に該当する領地を幕府に返上させ、かわりに、大名・旗本の本領の付近で替え地を与えるという命令を出す。これが「上知令」だ。そして江戸・大坂周辺を幕府が一元的に管理する方針を固めようとした。

だが、江戸・大阪周辺に領土を持つ大名や旗本は、実入りのいい領地を手放すことを嫌ってこれに反対運動を起こした。同じく領地の移転を余儀なくされる次席老中土井利位を担いで、御三家の紀伊も味方にして反対運動を展開。また領地移動を命じた三藩(庄内藩・長岡藩・川越藩)が移封を拒否したことが、止めとなった。

結果、一度発令された「上知令」は全面撤回に追い込まれ、水野は失脚。一度出した人事移動命令を撤回したことにより、中央政府としての幕府の権威は失墜した。


以後、幕府で抜本改革は行われることはなく、明治維新を迎える・・・



*********

シェルバーン伯は、目の前に座る第2王子を睨み付けていた。殺気を含む物騒な視線を向けられながら、ヘンリーにひるむ様子はない。

鈍感なのか、肝が据わっているのか。それとも・・・

「殿下・・・」

恐ろしいほどに冷たい声-豪快な性格は表面上のものか。見た目や言動通りの大雑把であっては財務省の官僚は勤まるものではない。繊細にして緻密な完璧主義者-それがシェルバーンの持ち味である。見た目とのギャップがありすぎて、よくわからない。


「貴方は、これが意味することをわかっているのですか?」

シェルバーン伯は、王子が置きなおしたチェス盤を指差す。


白と黒の駒が無秩序におかれていたのを、王子は白と黒の2つにわけ、キングを中心に周りを円形に隙間なく取り囲ませた。少し離れて、いつくかナイト(騎士)とポーン(兵士)がパラパラと置かれている。


「無論だ。だから伯爵にやってもらいたいと言っている」


ギリッ

シェルバーンは奥歯をかみ締めた。予想はしていたが、目の前のクソガキは、これ(チェス盤)が意味することが解っている。解った上で、どう反応するか、この俺を試しているのだ。


シェルバーンは自分の仕事に誇りを持っていた。面接試験で「算術が得意だから」と見栄を張ったのが災いして財務省に配属されてから以後20数年間、数字とにらめっこの毎日だ。おかげで大嫌いだった算術も得意になった。

それほど人に自慢できる人生ではないが、少なくとも自分の半分しか生きていないガキに馬鹿にされるほど、安い人生は送っていないと言い切れる。


試されている状況は、反吐が出るほど腹が立つが、何も答えないのは「私は知ったかぶりの無能です」と主張するようなもの。それに、このガキが俺に提示した謎かけは、それなりに-いや、かなり凝った物だ。

・・・それがまた腹が立つ

自分の半分しか生きていないガキと、自分が同じレベルで話している事実が、シェルバーンを苛立たせた。おまけに(今に限って言えば)会話の主導権はその子供にあるのだ。

(この年になって面接を受ける日が来るとはな・・・)

シェルバーンは「面接官」に向かって、口を開いた


「・・・王都といくつかの重要都市周辺を王家の直轄領に、一方で全土に散らばる大貴族の領土は一箇所に集めて領地経営を効率化させる」


にっ!

「まぁ、合格だな」

歯を見せて笑う王子に、シェルバーンは怒りを通り越してあきれた。

***

チェス盤を使った謎掛けは、「上知令」という政策を視覚化するために、ヘンリーが四苦八苦して考え出した方法である。


何故「上知令」なのか


ヘンリーは、アルビオンの細分化した領土が入り組む状況が、江戸時代の日本にかぶって見えた。

行政の最小単位である貴族の領土が細分化したことで、小さな貴族はその行政コストに耐えかね破産寸前である。大貴族といえども、全国各地に領地が散らばっている現状は、経営コストが高くつき、家計を圧迫していた。今は大丈夫でも、中長期的に見れば行き詰ることは明らかである。


本来、王家を中心とした中央集権化を目指すなら廃藩置県-アルビオンの場合なら、貴族の領土を取り上げ、全土を王家の直轄地にする。その後は州や県を設置し、中央から官僚を送り込む-が出来れば一番望ましい。


しかしながら、今軽々にそんなことを口に出せば、アルビオン国内の混乱は「レコン・キスタ」どころの騒ぎでは済まない。

日本の廃藩置県の場合は、大藩から小藩まで殆どの藩が財政危機であり、単独では経営が成り立たないという事情があった。一方のアルビオンは、小規模経営の貴族こそ青息吐息だが、大貴族に関しては(コストは多少かかるが)まだ領地経営に深刻な危機を覚えるレベルではない。

空軍や竜騎士隊の軍事力を背景に無理やり廃藩置県を強行-出来ないことはないかもしれないが、一体どれほどの血が空中国土に流されるか・・・それを考えれば、とても取りうる手段ではない。


(なら間を取ればいい)


それが「上知令」-封建体制の幕藩体制よりあと、明治政府の中央集権政権よりは前の政策である。貴族の領土は残される上知令では、完全な中央集権化は望めない。だが、過渡期の政策としては十分である。第一、今無理やり領地を取り上げたとしても、それを経営する官僚が、まだ十分に育っていないのだ。

最終的には貴族から土地を取り上げるのが目標だとしても、わざわざそれを教えてやることもない。まずは一歩踏み出すことだ。官僚の育つのを待ってじっくり中央集権化を進めればいい。それこそ真綿で首を絞めるように・・・



無論、失敗した政策をそのまま行う馬鹿は居ない。ここでいう「上知令」はヘンリーが独自にアレンジしたものである。


例えば


***


「り、領地を取り上げるですとお!!」

シェルバーンは思わず素っ頓狂な声を上げた。ヘンリーは「まぁまぁ」と手で押さえながら

「取り上げるんじゃないよ。ヨーク大公家のように、王家に領地を寄進させるんだ」
「そ、それはただの言い換えです!」
「じゃあシェルバーン伯、聞くがね。このまま、数百メイル四方程度の土地しか持っていない貴族の領地経営が、これからずっと成立していくと思うのかね?」

「そ、それは・・・」

目端の利くものであれば、やたらめったな開墾の出来ないアルビオンで、小規模の領地しか持たない貴族が、早晩行き詰ることは明白であった。『貴族戸籍』を管理していたシェルバーンは、現実を痛いほど痛感している。

「何も無理に国庫に返還させるわけではない。それに領地を寄進した貴族には、爵位に応じて年金も普及するしね」


ヘンリーはまず、アルビオン国内の貴族の過半数を占める、数百メイル四方以下の貴族に目をつけた。経営の苦しい彼らに、「年金」というエサをぶらさげ、もはや経営の成り立たない領地を寄進させるのだ。

貧乏貴族からすれば、どう考えても明るい展望のもてない領地経営より、首都ロンディニウムでの年金暮らしのほうがいいに決まっている。第一、あのヨーク大公家ですら、領地を国土に寄進したのだ。自分達が領地を王家に差し出しても後ろ指を差されることはない・・・


(まさか大公家の領地返還が、こんなところで役に立つとはね・・・)

ヘンリーはキャサリンに感謝した。


羊を二足三文で全土からかき集めたのと、同じ手段だ。羊は少数では利益が出にくく、領地も小規模経営だと、コストばかりが掛かる。


題して「ちりも積もれば山となる作戦」パート2


片っ端からそういった貴族に声を掛ければ、その領土はヨーク大公家領3つ分ぐらいにはなる。領地を一箇所に集めれば、行政コストを抑えることが出来るし、貴族年金を払っても十分お釣りが出る。


そのお釣りを使って


「大貴族は反対しますぞ。それほど領地経営に困っているわけではありませんし」
「なら領地を増やしてやればいい」
「はぁ?」

大貴族が領地の集積化に反対するのは、「自分の領地に口出しするな」というつまらないプライドか、「先祖代々開拓した土地を人にやれるか」という意地である。


なら札束で横っ面をひっぱたいてやればいい。水野忠邦のように高度な政治的目標を理解させるのは難しいが、お金で理解させることはたやすい。(上品なやり方ではないが)


「貴族年金を払える分を最低限国庫に残すとしてだ、のこりは一人で領地経営を続けるという選択をした貴族どもにくれてやればいい」

「し、しかし・・・」

「領地も増えるし経営コストも下がるとやつらは喜ぶだろう」


シェルバーンには最早、目の前の青年を「ケツの青い、くちばしの黄色いガキ」と侮ることは出来なかった。


「大貴族とはいえ、その領地の広さはたかが知れている。100年もすれば行き詰るだろうしな。泣きついてくればそれでよし。その時になってもまだ領地経営にこだわるなら、無理やり召し上げるだけだ。その時になれば、もはや大貴族といえども恐るるに足らん・・・」


この駒のようにね


そうつぶやいたヘンリー王子は、ばらけて置いた駒の一つを指で弾き、にやりと笑った。


その笑顔に、シェルバーンは寒気を覚えた。彼はただただ、圧倒されていた。これは決して机上の空論などではない。

一体誰に、どんな教育を受ければ、これだけ決め細やかで、根性ババ色な政策を考えられるのか・・・



~~~

「ふぇっくしゃい!」

「エセックス男爵、風邪ですか?」
「(ズズズッ)最近冷えるからの・・・」

~~~



(こりゃ、スラックトンの爺さんと話が合うわけだ・・・)

シェルバーンは掴みどころのない宰相の顔を思い浮かべ、ため息をついた。もはや声を上げる気力ですら、残っているかどうか疑わしかった。

「だから私なのですね・・・」
「そうだ。『貴族戸籍』を管理していた伯爵なら、貴族の領地について詳しいだろうしね。どこの土地が狙い目だとか、どこの子爵家は貧乏だからすぐに飛びつくだろうとか・・・もう何人かは顔も浮かんでいるんじゃないか?」
「あはは・・・」

シェルバーンは乾いた笑みを浮かべた。



「しかし殿下。その、『あげーちれー』ですか。実際にやるとなると、相当な反発が」
「さっきの僕の話を聞いていなかったのかい?」
「・・・?」



「すぐに全部やる必要はないんだ。長期的目標を立てたら、あとはじっくり、ゆっくり、コツコツと。題して・・・」










『国土改造100年計画』









今度こそ、シェルバーンは開いた口がふさがらなかった・・・



[17077] 第11話「蛙の子は蛙」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:71b89978
Date: 2010/05/17 12:15
地図で見ると、ハルケギニアは、スカンジナビア半島がないとか、イベリア半島に当たる部分がやたらに細いとか、イタリア半島に当たるアウソーニャ半島が太いとかいう細かな違いはあるが、欧州大陸と共通点が多い。

地球で言うとイギリスに当たるアルビオンの国土は、グレートブリテン島を15度ぐらい左に傾けたような形で、ハルケギニアの空に浮かんでいる。

アルビオンのペンウィズ半島は実際のグレートブリテン島にあるペンウィズ半島と同じ場所にあり、南西部に飛び出している。アルビオンのペンウィズ半島には3本の大河(俗に三公爵と言われる)が流れており、川のもたらす豊富な水が、この半島を国内有数の穀倉地帯にしている。

プリマスから10リーグ(約10キロ)に位置するある村は、「三公爵」の一つ、ダブリン川の支流の川べりに位置している人口80人程度の小さな寒村である。



その寒村の村はずれに、一人の老人が住んでいた。



老人は手先が器用で、村では修理屋として重宝されていた。老人は老人で、こういったタイプに多い頑固で偏屈なタイプではなく、むしろいつまでも子供っぽいところのある性格で、子供におもちゃを作ってあげたりして、楽しく暮らしていた。


老人は「水車番」であった。村で取れた小麦を、水車を動力とする石臼で脱穀して袋に詰める。彼の仕事はそれだけではない。常に水につかっていることから傷みやすい水車は、日ごろからきめ細やかなメンテナンスが必要であり、老人の手先の器用さはそういった仕事で鍛えられたものであった。


ある日老人は考えた。


「水車の動力は、他にも使えるのではないか?」


おりしも、ヨーク大公家領が王家直轄領となった時期。村から数リーグはなれた草原が、王家直轄の牧場となった。村にも大量の羊毛が運び込まれた。新しい領主(けんちじ、という名前らしい)が、羊毛から紡績糸に紡ぎだす作業を手伝うよう、領民に指示したのだ。無論、手当を弾んで。

村は久しぶりの現金収入に沸いた。だが、来る日も来る日も糸車や糸巻き棒を使って、羊毛を紡ぐ作業に、さすがに飽きが来た。ましてや羊毛は次々に運び込まれ、まるで終わりが見えない。


「爺さん、なんとかならんか」


賃金はいいが、あまりにも大量な羊毛にうんざりした一人の男性が、老人に泣きついた。


二つ返事で了解した老人はある機械をつくった。水車を動力として、歯車をいくつも複雑に噛み合わせたそれは、これまで10人がかりで一頭の羊毛から紡ぎだしていた作業を、羊毛をセットするだけで出来るようにした。


村人はこぞってこの機械を利用した。すべての羊毛を紡績糸に仕上げると、老人に礼をつげて帰っていく。仕事が終われば機械には用はない。村人たちはワインを飲み、肉を食らい、久しぶりの豪華な食事に舌鼓をうった。

老人にとって、機械は手慰みに過ぎなかった。子供達が複雑に動く歯車に目を輝かせている様子を見ているだけで満足であった。



数週間後、老人は亡くなった。村は深い悲しみに包まれた。



そして新たに水車番となった若者が、この「ガラクタ」を持て余していた時、「彼ら」はやって来た・・・


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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(蛙の子は蛙)

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『シュバルト商会』


トリステイン王国の東に国境を接するハノーヴァー王国。その王都ブレーメンに本店を持ち、ハルケギニア全土に支店を持つ大商会である。その影響力は「ハノーヴァーの影の王」と呼ばれるほどであり、国王ですらお忍びで金を借りに来るという。

シュバルト商会の本店は、ブレーメンの中心街に位置する。外装こそ赤レンガの地味なものであったが、その実際の価値と、「国すら買える」という資産の全貌を知る者は、この世に一人しか存在しない。





アルベルト・シュバルト-シュバルト商会代表は、不機嫌であった。深夜寝ているところをたたき起こされれば、誰でも腹が立つ。だがアルベルトは、商売のチャンスというものが、出物腫れ物と同じように、時間と場所を選ばない事を知っていた。

アルベルトをたたき起こしたのは、デヴィト・アルベルダ-ロンディニウム支店長にして、アルビオン国内でのシュバルト商会の全権を任せている男だ。風貌は「押しつぶされたヒキガエル」のようなものではあったが、小売店の店員でない限り、商売に顔は関係ない。


だが


(寝起きにこの顔はつらいな)


デヴィトは顔を真っ赤にして興奮していた。鼻の穴を膨らませて呼吸する様は、オーガ鬼のようにも見える。


眠気の為か、さしものアルベルトの明晰な頭脳もぼやけていた。

だが、デヴィトが机の上に広げた図面を見ると、眠気は一気に吹き飛んだ。


「これは・・・」


*********


アルベルトが睡眠を邪魔されるより1週間前




「いや、間一髪でした」

ヘンリーの前でそういって肩をすくめるのは、トマス・スタンリー男爵。

内務省でおもに産業政策を担当していた彼は、専売所設置の際、アルバート伯(現ロンディニウム官僚養成学校学長)と共に、ブレーンとして参加。商会やギルドとの交渉ではヘンリーを補佐し、特に木材専売所では、王家出資比率5割を勝ち取った。交渉ごとでの駆け引きのうまさは、前世で商社に勤めていたヘンリーも一目置いている。

その彼を、旧ヨーク大公家領の財務調査官として派遣してのだが、まさかこんな拾い物をしてくるとは・・・



ヘンリーの前には、一枚の図面が広げられていた。あの老人が作り上げた水力紡績機である。



刈り取った羊毛を、綿織物に使えるようにする為には紡績糸にしなければならない。この作業がとにかく大変である。羊毛の様々な汚れを一つ一つ除去。綺麗になった羊毛を、手作業で加工するのだが、これが手間と時間がかかる。糸車や糸巻き棒で、切れないようにすこしづつ、すこしづつ紡ぎ出していく。


大体、羊1頭の羊毛に、10人がかりで二日かかった。

それをこの機械は、なんと3時間で終わらせてしまったのだ。


報告書によると、動力は水車。心棒を中心に非常に細かな工夫が(歯車に秘密があるらしい)されており、途中で糸が切れることは殆どないという。


羊毛の納入が早いことを疑問に思った商人が、この紡績機を発見。木材専売所の関係でこの商人と付き合いがあったトマスは、いち早くその存在を知ることが出来たというわけだ。トマスは独断で、調査費用から流用する形で、商人や村人に「因果を含めさせ」た。


旧ヨーク大公領の責任者であるロッキンガム公爵や、財務省は、この「独断専行」に激怒した。
ヘンリーは報告書を読んで、鼻血を出さんばかりに興奮した。もちろん、その興奮は「怒り」ではなく「喜び」である。



「トマス!何が欲しい?金か、爵位か、それともチューしてやろうか?!」


蛙の子は蛙、キス魔の息子もキス魔であった。トマスは王子のハイテンションぶりに顔を引きつらせながら「遠慮します」とだけ言った。





ヘンリーの興奮もむべなるかな。これが普及すれば、革命的に綿織物の生産性が向上する。大量生産と大量消費-資本主義社会への扉がまさに今、この瞬間に開かれたのだ。


しかもハルケギニアの中でそれを知っていて、行動を起こせるのはこの俺だけ!


ヘンリーは、どれだけ厳罰化してもインサイダー取引がなくならない理由がわかった。お金が目的ではない。この麻薬の様な興奮は、何物にも変えがたい。この興奮を一度味わってしまうと、後戻りは出来ないだろう。


「その爺さんの名前は?」
「えーと、名前は忘れましたが、村ではジェニー爺さんと呼ばれていたそうで」
「ならこれの名前は「ジェニー」だ。ジェニー紡績機だ!」


ジェニー紡績機-のちにアルビオン産業革命の象徴となる機械は、こうして名づけられた。


*********


「くそっ!」

アルベルト・シュバルトはロンディニウムのシュバルト商会支店の貴賓室にいた。デヴィトから報告を受けてすぐ、船をチャーターしてアルビオンに乗り込んだのだ。アルベルトには自ら陣頭指揮をとるだけの価値が、この図面にあることがわかっていた。


しかし、時すでに遅かった。


すでに村にはアルビオン政府の官僚が陣取っていて、他国人の、ましてや規模が大きいとはいえ、所詮は商人でしかないアルベルトが入り込む隙はなかった。他の商会に出し抜かれたのならともかく、まさか現地政府に先を越されるとは・・・アルベルトには予想外の事態であった。

消して自らの行動が遅かったとは思わない。デヴィト支店長も、この図面と情報を得てから行動に移すまでの判断は、褒められこそすれ、決して責められるようなものではない。


アルビオン政府の行動が、早すぎたのだ。


自分の祖国であるハノーヴァー王国も、アルビオンのように迅速に動くことが出来れば、ヴィンドボナ総督ごときにでかい面をさせなかったものを・・・商会の利益が第1とはいえ、アルベルトにも人並みの愛国心はある。彼には祖国の鈍感さがもどかしかった。


千載一遇の商機を逃したことで、アルベルトが沈んだ気持ちで居ると、秘書のサニーが慌てた様子で飛び込んできた。

「か、会長!お、王宮から呼び出しが!」

「ほうっておけ」


ハノーバー王国のリューベック港は「安全性のため」夜間の出航を禁止している。安全性とは笑止千万、夜中に働きたくないだけだ。だがどんなにふざけた理由であろうと、規則は規則。普段のアルベルトなら、明日の朝まで待っただろう。

だが今回は1分1秒でもおしかった-港の役人を脅して無理やり出航させたのだ。

もっとも、すべては無駄であったのだが・・・

それがブレーメンの耳に入ったのだろう。王宮の馬鹿どもは、めずらしく商会が犯した違反を居丈高に取り上げて金をむしりとるつもりなのだ。まったく、そんな足の引っ張り合いばかりしておるから、ヴィンドボナの金貸しごときに遅れをとっているのが、まだわからんのか?

自分が金融業を営んでいることを棚に上げたアルベルトの思考は、サニーによって再び遮られた。


「ブレーメンではありません!」
「何だと?」
「ろ、ろ、ロンディニウムの王宮からです!!」


(・・・つめの垢でももらって帰るか)


秘薬だとか何とか言って、ブレーメンの王宮に献上してやろう。少しは馬鹿がましになるだろうから・・・




***


「・・・というわけです。殿下、足でも結構ですからいただけませんかな?」

「は、ははは・・・」

ヘンリーは引きつった笑みを浮かべた。突拍子もないことを言って相手の調子を乱し、交渉を有利にするのがシュバルト商会のやり方なのか?始祖でもない彼に、アルベルトがわりと本気で言っていたことがわかるはずもない。

「ま、まぁ、その、つめの垢はさすがに・・・な。腹でも壊されたら困る」
「ならばこの図面の紡績機をいただきたい」

懐から取り出した図面に、ヘンリーの顔がこわばる。

「・・・それは出来ん相談だ。あれはわが国の平民が開発したもの。その権利はすべてわが国にある」
「そんな法律、いつ制定されたのですか?」


ヘンリーは言葉に詰まる。本や絵画ならともかく、機械に関しては著作権の「ち」すら存在しないハルケギニアでは、アルベルトの言うことが正論である。

アルベルトはここぞとばかりに攻め立てた。法を犯してまでアルビオンに赴いたのだ。ただでは帰れない。それにここまで来て、後戻りは出来なかった。彼は得意の交渉術で、この苦境の打開を図ろうと考えていた。デヴィトは「あの王子には注意なさってください」と言っていたが、所詮は王族。王宮でぬくぬく育った子供の相手など、ちょろいもんだ。


だがそれは甘かった


「王子はご存じないかもしれませんが・・・図面があれば、すくなくとも再現は出来ます」
「・・・その図面はどこから?」
「言うと思いますか?」

ミリーが紅茶を持ってきた。カップを持つ手が震えている。部屋に漂う空気におびえているのだ。このメイドには悪いが、今はそんなことを気にしている余裕はアルベルトにはなかった。

「パンはパン屋、刀は鍛冶屋、戦争は軍人と相場は決まっております。失礼ながら、殿下がこの機械を手に入れたとして、それを十分に活用できるとは思えません。わが商会に任せていただければ、利益の一部をアルビオン政府にお渡しすることをお約束します」


「・・・」


王子は押し黙り、目を瞑って腕組みをした。

よし、後一押し。アルベルトは身を乗り出す。


「わが商会として



「・・・シュバルト商会はいろいろ手広くやっていると聞いている」



「は?」




「うちの羊毛も扱っているそうだな」









・・・なんだと?








「ワインに、硝石、建材・・・いろいろと助かっている」


「・・・っ!」




しまった!


アルベルトは自らが犯した失敗に気がついた。


アルビオンの政府経営の大規模な羊の放牧は、どの商会にとっても魅力的である。質のいいアルビオンの羊毛を大量に仕入れるために、しのぎを削り、血反を吐く思いでシュバルト商会も受注に成功した。

羊毛の取引停止だけでも、商会にとっては大打撃だ。


だが、それだけで済むはずがない。


シュバルト商会は各国政府とも幅広く取引を行っている。羊毛紙・紙・ペンなどの消耗品に始まり、食料品に建材、はては武具に至るまで-王子はその発注を「他の商会にまわしてもいいんだぞ」と、脅迫しているのだ。


アルベルトの顔から血の気が引いた。


アルビオン政府からの発注停止-アルビオンだけなら、対した損害ではない。問題はそれによって発生するであろう風評被害だ。仮にアルビオンが「注文した商品に重大な欠陥が存在した」と発表したらどうなるか?右に倣えで、各国政府もシュバルト商会との取引を敬遠するだろう。

一番怖いのは、アルビオンが「何も言わない」事だ。

シュバルト商会とアルビオンに何があったのか?取引上のトラブルか?それとも・・・噂は噂を呼び、それが次第に「事実」となる。


下手すれば商会そのものが・・・




さっきまでの自分を殴ってやりたかった。せっせと自分の首を絞める縄を、目の前の王子に編んでやっていたのだ。


力なく椅子に座り込んだアルベルト。最早何をしても手遅れ-死刑執行を待つ囚人の気分だ。ヘンリーは、「縄」片手に、彼に歩み寄って肩を叩いた。



「時に相談があるんだがね」






力なく顔を上げたアルベルト。





そこには



いっそ清々しいぐらいのあくどい笑みを浮かべたヘンリーがいた・・・



[17077] 第12話「女の涙は反則だ」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:71b89978
Date: 2010/04/07 18:26
(某財務卿のつぶやき)

まったく、とんでもないガキだ。末恐ろしい限りだな。わしが凄んでも、まるで気にする様子もなかったし・・・

(某王子のつぶやき)

いやー、シェルバーンのはげ・・・もとい、シェルバーンのおっさん、顔怖すぎるって。小便ちびるかと思った。

(某妃殿下のつっこみ)

ミリー。あの馬鹿のパンツの代え持ってきて・・・


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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(女の涙は反則だ)

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「あくど過ぎます」
「ひどいです」
「根性腐ってるわね」
「やりすぎです」


上から、スタンリー男爵、メイド長のミリー、嫁のキャサリン、シェルバーン財務卿

集中砲火を浴びているのは、無論ヘンリーである。


シェルバーンやキャサリンはともかく・・・ミリーに涙目で抗議されるのは、マジでつらい。あれだ、小さい頃、女の子にちょっかいを出したら、泣き出してあせったときの感じだ。


*********

アルベルトは泣きたくなった。

ヘンリーのあくどい笑みが怖かったからではない。一体これから何を要求されるか、全く想像かつかなかったからだ。


ヘンリーの第一声は

「あの紡績機だが、現物を贈呈しよう。むろん設計図もつける」



「・・・は?」

アルベルトは商人にあるまじき間抜けな声を出した。無理もない。これまでの交渉は一体なんだったのか?商会の命運を懸けて交渉し、結果的に存続の危機に立たされたのに・・・おもわず泣き出しそうになった。


くれるんなら最初からくれよ!(言えないが)


しかし、いつまでもアホみたいに口をあけている場合ではない。アルベルトの商人としての本能が、いち早く紡績機を導入することで得られる利益を計算し始める。だが、喜ぶわけには行かない。相手の目的がわからないのに、タボハゼのごとくホイホイ飛びついて喜ぶなと、これまた商人としての理性と経験が警告を発する。


案の定

「ただ、条件がいくつかあるがね」
「・・・条件が何百もあるんじゃないでしょうね」
「はっはっは。そんなことはないさ。ただ、ちょっと面倒だとは思うがね」


ヘンリーが大きく口を開けて笑う。


喉ちんこが見えた。指を突っ込んでやりたい



「情報というのは漏れるものだ。特に今回の様な、一見すると意味のないような仕事なら特にね」

人の口に戸は立てられぬ。ましてや、問題の重要性に気がつくものが限られている今回のような場合、一見意味のないように思える仕事に借り出される-とくに下の方の人間は、「絶対に情報を漏らすな」と命令されても(命令するほうも命令するほうで「なんでこんなガラクタに」と思っている)、指示が徹底される状況ではない。

シュバルト商会の現地支店も、口外することを禁止されたはずのアルビオンの官僚からこの紡績機の情報を得たのだ。この紡績機械の重要性に気がついたデヴィトは、いくら褒めても褒めたりない。

しかし

(いったい情報の本質に俺が気づくまで、どれくらいの時間がかかったと・・・)

アルベルトは筋違いとはわかっているが、この王子にねたましい思いがわきあがってくることを抑えられなかった。



それはともかく-シュバルト商会ほどの情報網があったからこそ、先んじれたものの、いずれ他の商会が気づくのは、時間の問題だ。

時間との競争である。機械が作れても、それだけでは意味がない。いち早くこの「ジェニー紡績機」を使って紡績糸を量産し、市場競争に勝利したものこそ、真の勝者なのだ。


王子は条件を話し始めた。これによって、シュバルト商会の今後数十年の命運が決まるとあって、アルベルトも緊張した表情を浮かべている。

「まず第1に、工場を作る場合にはアルビオン国内を優先してもらいたい」

紡績機の現物と引き換えの条件としては妥当なものだ。工場を作れば、人員を集めなければならない。当然、アルビオン国内で人員を集めることになる。大量の雇用が出来れば、それだけ町は活性化する。引いては税収増につながり、アルビオンの国益にもつながる。

ギルドに遠慮することはない。もともと、羊毛から紡績糸を紡ぎだす作業は、農家や都市商人のアルバイトなので、ギルド自体が存在しないからだ。

ただ「優先してもらいたい」というのは、お願いの形に見えるが、実際には「別に構わんよ。よそに工場作ってもらっても。そういえば羊毛の取引先を・・・」ということである。アルビオンに工場を作らなければ、シュバルト商会はアルビオン産羊毛を手に入れることは困難になるだろう。機械があっても、原料がなければ商売にならない。


アルベルトの答えは決まっていた。

「いいでしょう。マンチェスターか、リヴァプール・・・どことはまだいえませんが、工場は出来るだけアルビオンに作る事をお約束いたします」

マンチェスターやリヴァプールは、共に市内を大きな河川が流れており、紡績機械の動力である水車の設置場所には困らない。それに両市は人口5万クラスの中規模都市であるから、人出も集めやすい。アルベルトはすでに両市に工場を建てることを決めていた。



第1関門は突破したが、アルベルトの顔から緊張の色が消えることはない。王子自身、「第1に」と言っている。第2、第3の条件は一体何なのか、そして第何個まであるのか・・・



「第2に・・・シュバルト商会には、街道と港湾整備への出資をお願いしたい」

あからさまにアルベルトの顔が歪んだ。



国家にとって道は「血管」である。物流という血液を国家という体の隅々まで通すために、または軍隊を迅速に派遣するために-古くから国は街道整備に力を尽くしてきた。「すべての道はローマに通ず」のローマ帝国は、首都ローマを中心に網の目のように街道を整備。長き繁栄を手に入れた。

ただ、お金がかかる。

目的に応じて道を通す場所を決める-これは地図の上に線を引くだけでいい。そこからだ。道を通すには莫大な金がかかる。原野なら草木を刈り取り、石をどけ、地面をならしてから、重いものを乗せても地面が沈まないように地面を少し掘って、水はけのために砂利・石の順番に生め、最後に舗装用の石をのせて、初めて道は完成する。

造って終わりではなく、維持費もかかる。幾ら丈夫に造っても、長年人が通れば、石は削れて沈み込む。道ががたがたになれば、馬車は時間通りに荷物を運べず、経済活動に支障が出る。


たかが道、されど道なのだ。



港湾の重要性は、海洋国家ならぬ空中国家のアルビオンにとって、ハルケギニア大陸の陸上国家には想像も出来ないぐらい高い。人は空を飛べない。メイジならコモン・マジックの「フライ」で飛ぶことが出来るが、アルビオンからハルケギニアまで飛ぶのは、どんな偉大な魔法使いであっても途中で精神力が切れて、イカロスのように地上に落ちていく。ましてや平民では、まっさかさまに落ちていくだけ。


飛べない豚はただの豚だ

言ってみたかっただけだ


ともかく人は翼の変わりに、風石を利用することにした。風力を持つ石を原動力にすることによって、船は空を飛べるようになった。


空中国家アルビオンは資源に乏しい。掘れば鉱物は多少あるが、やたらめったら地面を掘るわけには行かない。自分の足場を削るようなものだからだ。貿易をしなければ、アルビオン経済は成り立たない。

船を停泊させるためには、港が必要である。風石のパワーは永遠ではない。陸に水揚げして、補給や整備を行うドック、積んできた荷物を一時預ける倉庫、年中朝から晩まで光り続ける灯台・・・

白の国アルビオンの由来は、周囲に雲が厚く覆っていることにある。大陸から流れ落ちる莫大な水が、一瞬で霧となり、莫大な雲を大陸の周りに形成する。空中での事故は、即・死を意味する。灯台がなければ、危なくて大陸に近づくことも出来ない。


これもやっぱり莫大な金がかかる。



「・・・そ、それは・・・いくらなんでも」

いくらシュバルト商会がハルケギニア最大の商会とはいえ、一国の街道と港湾を整備する資金の全額を負担出来るものではない。無い袖は触れないのだ。


顔が引きつるアルベルトに、ヘンリーがまたもあの嫌な笑みを返す


「何、君のところで全部負担することは無い。」

「・・・?」

「他の商会に協力してもらえばいい」


ヘンリーは言う。アルビオンで紡績工場を作るにしても、急に工場用地を取得したりすれば、他の商会は「なにかあるな」と感づくだろう。それはシュバルト商会にとって望ましいことではないだろ?

「はい」

意識を別のところに向けさせるのさ。シュバルト商会がアルビオンの港湾や街道を整備して、その使用権を一手に任されることを狙っているとね。他の商会からすれば、物流を1商会に抑えられるのは面白くないだろう。

そこで俺の出番だ。シュバルト商会に音頭を取らせて、各商会が出資して街道や港湾の建設費をまかなうという調停案を作った・・・という形をとらせる。どうだ?


アルベルトの顔がまた歪む。自分の顔は歪んだまま、元に戻らないのではないか?


「金を搾り取られて、憎まれ役になって・・・何の徳があるのです?」

「工場が稼動するまでのカモフラージュになる。それに紡績で儲けるつもりなんだろう?金は天下の回り物-まわりまわって、めぐりめぐってみんな幸せ。結構なことじゃないかね」



もう何も言うまい。アルベルトはそう心に決めた。



「で、第3の条件だが・・・」


アルベルトは何十年ぶりに、人前で泣いた。



***

よりにもよってその泣いている部分だけを、紅茶のお代わりを持ってきたミリーに見られたのだ。「大人の男の人を泣かせるなんて」と批難のこもった視線を向けられるのはたまったもんじゃない。

ヘンリーだってまさか泣くとは思わなかったから、ぐうの音も出ない。男(アルベルト)がなこうが叫ぼうが知った事ではないが、女の涙を平然と受け流せる男がいたら、そいつはきっと人間じゃない。


「しかし、陛下は根性悪いですね」
「どうしようもないですな」
「クズよクズ。まっくろくろすけね」

ミリーをどうにかなだめすかして追い出したら、これだ。上からスタンリー男、シェルバーン伯、キャサリン。もっともこの3人はヘンリーをからかっているのが、口調に現れているだけましではあったが。


ヘンリーはふてくされたような顔でソファーに腰掛けている。

「ちょっかい出してきたのは向こうなんだ。彼らも商人、これくらいのリスクは織り込み済みだろ?」

「まぁ、それはそうですが・・・しかし、スパイまがいの事をさせるのはさすがに・・・」

スタンリー男は歯切れの悪い言葉でヘンリーを非難する。


***

そう、アルベルトに出した第3の条件とは、各国の情報を提供することだ。諜報組織を1から作るのは大変。なら最初からある組織を利用すればいい-ヘンリーはそう考えた。

当然、アルベルトは強い拒絶反応を示した。商売人にとって、取引先の個人情報を守ることこそが、信頼の基本。信頼の無い商人は、足の無い人間-幽霊と同じ。それを提供しろというのだ。アルベルトの反応たるや、怒る・泣く・叫ぶ・・・


商会の人間に見られたら、彼の「威厳」は、音を立てて崩れ落ちるだろう。


結論から言うと、アルベルトはヘンリーの条件をすべて飲んだ。商人の良心やモラルより、紡績機の情報を独占することで得られる利益を選んだのだ。


アルベルトは目を赤くしながら帰っていった・・・


***

「汚いです」
「根性ばば色ですな」
「根っこから腐ってるのよ」


スタンリー男、シェルバーン伯、キャサリン・・・お前ら楽しんでるだろう。


「汚くて結構、どどめ色のババ色で結構。清廉潔白で国が滅ぶよりましだ」



「開き直りですな」
「見苦しいですぞ殿下」
「少なくとも少しは楽しんでたでしょう」




・・・キャサリンの言葉にだけは反論できない



***

「殿下をからかうのはこれくらいにしまして」

「お前ら不敬罪で縛り首にするぞ!それともロンドン塔に幽閉してやろうか!」

ロンドン塔とは、ハヴィランド宮殿東にある石造りの塔である。謀反した貴族や、廃嫡された王子、または強制的に退位させられた国王などが幽閉される貴人専用の牢獄で、一度入ると、まず2度と太陽を見ることは出来ない。獄死した貴族の霊が出るとかいう話もある、いわくつきの場所だ。


「はいはい」
「わかったわかった」
「やれるもんならやってみなさい」

ヘンリーの脅迫は綺麗に無視された。もはや敬語すら使ってもらえない・・・





「最近の殿下は目立ちすぎます」


財務卿シェルバーン伯の言葉に、それまで塩をかけられたナメクジのようになっていたヘンリーの目に、生気が戻る。

「特に先日の面会に関しては、王族が商人と、それも王宮で会うとは-そういった声が」
「あー、出るだろうとは思ってたけどね」

ヘンリーはため息をついた。



ブリミル教では、日常生活を送るうえで最低限の商売については認めているが、金貸し-金融業者は認めていない。金を貸して利息で生活する-これは「労働なき富」であり、けしからん-ロマリア宗教庁の見解をまとめればこうなる。

金融とは経済にとっての血液である。体中に必要な栄養分を送り、老廃物を運び出す-必要なところに必要なだけ金を貸すものがいなければ、手元に資金のないものは商売が出来ない。「必要悪」という言い方もあるが、とんでもない話だ。彼らは命の次に大事な虎の子のお金を使い、経済の根幹を支えているのに「悪」よばわりとは


無論、法外な利息をぶっ掛け、元から身包みをはぐことが目的の金融ヤ○ザは論外だが。


ヘンリーがそう主張しても、始祖以来、数千年にもわたって継承されてきたイメージというのは、そう簡単に変わるものではない。


「宮廷貴族に避難の声が強いようでして。特にデヴォンシャー伯爵は『王族の面汚しだ!』と公言されています」

「あー、デボンちゃんなら、それくらいは言うだろうね」


デヴォンシャー伯爵ジョン・キャヴェンディッシュ卿。アルビオン陸軍少将にして、現在のアルビオン王国侍従長である。

シェルバーン伯がたたき上げの官僚なら、彼はたたき上げの軍人である。若いころは国内の強盗団取締りに辣腕を振るい、「鬼のデヴォン」と恐れられた。また「軟弱軟派貴族の集まり」と揶揄された近衛魔法騎士隊を、アルビオン屈指の精鋭に育て上げるなど、根っからの武闘派である。

その剛直な性格を国王エドワード12世に気に入られ、現在では侍従長という宮廷内の王族を取り仕切る立場にいる。


デヴォンシャー伯が侍従長に就任したときの第1声が

「ヘンリー殿下をたたきなおす」

メイド服に執着し、モエモエとわけのわからない単語を叫ぶ第2王子は、彼にとって見過ごせるものではなかった。


はいそうですか、もうしません・・・などと素直に言うことを聞くヘンリーではない。デヴォンシャー伯に向かって、メイド服の魅力について力説した。男のロマンを熱く語る王子に、デヴォンシャー伯も(付き合わなくていいのに)いちいち正論で反論した。


水と油に思える両者だが、ヘンリーはデヴォンシャー伯のことが嫌いではなかった。彼はほかの宮廷貴族のように外面だけこちらにあわせて、腹の中でせせら笑うことはない。面と向かって本人に「あなたは嫌いです」という人間だ。することもしないで陰口をたたくだけの宮廷貴族よりは、よっぽど好感が持てた。(向こうはどう思っているか知らないが)


実直で、隠し事が無く、誰にでも自分の信念を曲げない-融通の利かないところまで含めても、兄貴のジェームズ皇太子とそっくりだ。兄貴も伯のことを信用しているらしい。類は友を呼ぶ。

欠点といえば、頭の固いところか。似たもの同士は長所を伸ばせる半面、自分たちの欠点に気がつかない場合がある。



閑話休題



「デボンちゃんは裏表がないからいいよね。さっき俺のところにも説教に来たしね・・・居留守使ったたけど」
「殿下、これはまじめな話なのです」

スタンリー男がとがめる。わかってるさ。お前らが俺を心配してくれていることは。


「出るくいは打たれるっていうのは、どこでもいっしょだからね」


ヘンリーはこの世界に来てから、出来るだけ目立たないようにしてきたつもり(・・・メイドとモエはともかく)だ。官僚養成学校や、王立魔法研究所農業局はアルバートの、貴族年金の拡大と領地の移転はシェルバーン財務卿の、塩の専売所ではエセックス男と、それぞれ自分の意を汲むものを責任者にして、自分に注目が集まらないようにしてきた。宰相のスラックトン侯爵も、宮廷への根回しで、俺に協力してくれている。

だが、国王である父の裁可を得る場合には、俺が同席しないわけには行かない。一臣下である貴族が奏上するのと、王族である俺がいるとでは、奏上の重みがまったく異なる。



口さがない宮廷すずめどものなかには「バカ王子がスラックトン侯爵の操り人形になって、宰相一派が国政を壟断している」という噂をしているらしい。バカなのは認めるが・・・


噂は根拠がないから噂なのだ。そしてそれは、荒唐無稽と思えるほど、大げさで誰もがありえないとおもう内容ほど面白い。



実に厄介な問題だ。俺が否定すれば、むしろ真実味があると思われて逆効果になる。おとなしく噂が立ち消えるのを待つしかないが、だからといって俺が何もせずにおとなしくしているわけにはいかない。



幸いなのは、兄貴のジェームズ皇太子が、俺のことを買ってくれていること。兄貴は昔から「メイド」だの「萌え」だのと繰り返している俺のことを、怒りながらも、よくかばってくれたものだ。兄貴にとって10歳年下の俺は、いつまで立っても手のかかる弟なんだろう。


兄貴が前述のうわさを話していた女官を怒鳴りつけたと聞いたときは、柄にもなく涙が出た。




兄貴の信頼にこたえるためにも、(口ではボロクソだが)心配してくれるこいつらの為にも、くれぐれも行動は慎重にしなければ・・・ヘンリーは自分に言い聞かせた。








時にブリミル暦6210年。原作開始まであと33年の、ある日のことでした。



(へ)「久しぶりだなそれ」
(ミ)「そうですね、7、いや8話ぶりですから」
(キ)「というより、まだ2年しかたってないの?!」



[17077] 第13話「男か女か、それが問題だ」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/04/07 18:04
やぁやぁ皆さん、こんにちは。ご機嫌いかがですか?


毎度おなじみ、アルビオン王国第2王子のヘンリーだよ。




実はご報告があるんだ。



それはね







子供が出来たんだ♪









仕事の合間にやることはやってたんだよ。てへ?




現在妊娠10ヶ月目の臨月。母子ともにきわめて健康。けっこうけっこう!


女の子だと、なおけっこう!



ヘンリーはまだあきらめていなかった・・・


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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(男か女か、それが問題だ)

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ヘンリーは生まれたばかりの赤ん坊を抱いている。この世界では初めてとなる自分の子供だ。山上憶良の歌を引用するまでもなく、自分の子供を抱くのは、他の何物にも代えがたい喜びであることを、彼はしみじみと実感していた。


だが、その顔色はどこか優れない。



彼の目線は、赤ん坊の一箇所に釘付けとなっている







赤ん坊の股間





そこには紛れもない












「しんぼる」(by松本人志)













「男・・・・」


「そうよ?やっぱり子供っていいわね」

息も荒く、顔に玉のような汗を浮かべたキャサリンが、誇らしげに胸を張る。


「なんで?」

「え?何が」

「どうして?」

「・・・何の話?」


ここでようやくキャサリンは夫の異変に気がつく

しかし、時すでに遅し


「なんで女の子じゃないの?!あれだけいろんな食べ物とか、ちょっと名前の出せないマジでやばめの薬とか飲んだのに?!あの行商人、だましやがったな!!あ~!!毎晩毎晩あれだけ女の子が生まれるって言う『た・・・



バキッ ドカッ ゲシッ ミシッ ・・・


まだ起き上がれる体力がないはずのキャサリンが、突然真っ赤な顔をして立ち上がったため、産婆のジェシー婆さんや女官達は驚いて腰を抜かした。いつもの彼女なら女官達を気遣うところだが、あいにく今は、この大馬鹿亭主の口をふさぐことに忙しい




「痛い やめて ごめん まじで」

バキッ ドカッ ゲシッ ミシッ

「黙れ、しゃべるな、くちを、閉じろ!」

バキッ ドカッ ゲシッ ミシッ

「ごめん まじで だから ゆるして」

バキッ ドカッ ゲシッ ミシッ

「エロ、バカ、ヘンタイ、スケベ!」



言葉の合間合間に、鈍い音と、男のうめき声が混じる。


「本当に、悪かったって(ボキ)何かいやな音したんだけど?!」

「ヘンリー、ヘンリー、ヘンリー、ヘンリー!」

「それ悪口?!」







「見ちゃいけませんよ殿下」
「あ~?」

いつの間にかヘンリーから赤ちゃんを受け取っていたジェシーは、赤ん坊の目を手のひらで覆った。



***


父親は転生者です


母親も転生者です









じゃあ息子は?








だぁ?


ばぶ~ぶ~



びええええ~ん!





「・・・ちがうな」
「・・・ちがうわね」

一度子育てを経験したことのある2人の目には、目の前の赤ん坊が、前世での自分たちの一人息子-すなわち転生者でないことは明らかであった。キャサリンは言うまでもなく(おなかを痛めたわが子なのだ。わからないはずがない)、ヘンリーも(一応は)元親。息子かどうかぐらい、気配や行動を見ればわかるという自信があった。

念のために妻の意見を聞く。

「芝居してる感じはしないか?」

キャサリンがこっちの世界に転生してきたのは、生まれたばかりの赤ん坊のとき。元演劇同好会会長の彼女は、それから十数年間、ヘンリーに出会うまで、芝居を続けてきた。

その君から見て、この赤ちゃんはどうだ?

「それはないわ」
「なぜ断言できる?」
「あの子は貴方に似て『馬鹿』がつくほど不器用だし、思ったことがすぐ顔に出る『バカ』正直な性格だから」



・・・まだ根に持ってます?

「何のことかしら?」


怒ってる、絶対まだ怒ってる・・・




世間ではこれを「自業自得」という


*********


「この世界での赤ん坊は、自分たちの前世での子供の転生者ではない」

この事実は、ヘンリーの心に少しだけ平穏をもたらした。



だが、彼の顔色は未だに優れない。



ヘンリー自身が娘が欲しかったどうこうという、個人的願望の話ではなく(そういう感情がなかったかといえば嘘になるが)事はアルビオンの王位継承にかかわる問題なのだ。



ヘンリーは今現在(ブリミル暦6211年)の王家の人間-自分の大切な家族の顔を思い浮かべた。




父親で現国王のエドワード12世(66)。

若いころは「金の貴公子」とも呼ばれた髪は、今はそのトレードマークである口髭を含めて見事な銀髪に。性格は豪快にして剛直。「王たるもの」という自覚と自信、そして威厳を常に纏っている。強固なる精神は強い体に宿るというが、とても還暦を過ぎた爺さんには見えない。

だが今年に入ってすぐに体調を崩した。さすがの親父も寄る年波には勝てないようだ。


テレジア王妃(60)

ハルケギニア北東のベーメン王国出身。アルビオンに嫁いできてから、俺と早世した3男を含めて5人の子供を生んだ肝っ玉母さん。性格は一見温和だが、昔親父が一度だけ女官に手を出したときは、杖片手に精神力が切れるまで追い回したという。



長男のジェームズ皇太子(33)。

親父譲りのでかい体に、くそまじめな性格。一年中、朝から晩まで政治のことを考えている堅物だ。わが兄ながら、よくあれで息が詰まらないなと感心する。嫁さんのカザリン皇太子妃(23)との間に子供はまだいない。


次男は俺(23)。ヨーク大公家から迎えた嫁のキャサリン(23)との間に子供が生まれた。


3男のマイケルは早逝。はやり病だったという。母さんが命日の度に祈りをささげていることは、宮廷に務めるものなら誰でも知っている。


長女のメアリー(21)。

サヴォイア王国のウンベルト皇太子(25)との結婚が来年予定されている。サヴォイア家はロマリア連合皇国の一角を構成する王国で、ガリア南部と国境を接している。ウンベルトとは一度会ったことがあるが、なんというか・・・よく言えば王者の風格、悪く言えば「そうせい」様。戦上手で名高い現国王アメデーオ3世亡き後、彼が大国ガリアとの国境を守りきれるかどうか、正直不安だ。


4男のモード大公ウィリアム(20)。先代大公の一人娘のエリザちゃん(20)と、大公家領でよろしくやっている。こちらもまだ子供はおらず、大公家領とロンディニウムを行ったり来たりしている。



3年前から国政の実権はジェームズ皇太子に移りつつある。エドワード12世は、いきなり代替わりをしては混乱が起きる事を見越して、少しずつ慎重に、しかし確実に実権の委譲を進めて来た。兄貴にとっては、幼少から学んで来た「帝王学」の最終試験。最近では国王はほとんど政庁に顔を出さない。後継者である皇太子を、一種突き放すことによって、自分から自立させることが狙いのようだ。

引き際の鮮やかさは、わが親父ながら、さすがというべきだ。ガリア国王のロペスピエール3世が、70の今になってもなお、政治の実権を握り続けている現状とは、好対象である。



次代の王がジェームズであることには、誰も異存はない。



問題はその次だ。



皇太子夫妻にはまだ子供がいない。
次男である俺には男の子が生まれた。
弟の大公夫妻にも子供はいない。


兄貴が国王に即位したとしよう。王位継承の順番は、①俺、②俺の息子、③モード大公、という順である。

ジェームズ兄貴は33歳。カザリン姉さんがまだ23歳だから、まだ子供が生まれるかもしれない。原作展開なら、ウェールズが生まれるはずである・・・





いや、ちょっとまて。





じゃあ、俺の息子はいったい何なのだ?





あきらかに異質。あきらかに異物。原作に俺の息子は存在しない。


存在しないものが生まれて、存在したはずのものが生まれない・・・その可能性が0と言い切れるのか?





ヘンリーは頭を抱えた。





もし仮に、兄貴が子供が出来ないとあきらめて、俺を皇太子に据えたとしよう。


ウェールズが生まれなければ何の問題もない。

生まれたらどうなる?



皇太子である叔父と、現国王の息子




「おもいっきり、お家騒動フラグじゃん・・・」


俺に子供がいなければ問題なかった。仮に子供が出来たとしても、女ならまだ何とかなった。

アルビオン王家の家督は、男子優先である。仮に俺が皇太子になった後、ウェールズが産まれたこの場合、従姉弟になる俺の娘とウェールズでは、ウェールズの王位継承が優先される(①俺、②ウェールズ、③モード大公か俺の娘)から何の問題もない。なんなら、娘とウェールズを結婚させて、俺の跡に王位を継がせればいい。

原作でのアンリエッタとウェールズとの関係でもわかるように、ハルケギニアではイトコ同士の結婚はタブーではない。



しかし、俺の子供は『男』なのだ。



じゃあ俺が皇太子にならなきゃいい




・・・というわけにも行かない。


もしウェールズが生まれれば、何の問題もないが、ウェールズが生まれなければ、それは大問題だ。


国政の最高権力者である国王、次期国王である皇太子。「はい、貴方は明日から王様です。がんばってちょ!」というわけにはいかない。心構えとかそういった、精神面での準備もそうだが、一朝一夕に「帝王学」は身に付かない。

同じ王族とはいえ、始めから「皇太子」として育てられてきた兄貴と、「一王子」という、いわばスペアとして育てられた俺とでは、受けてきた教育内容がまるで違う。兄貴の側には、次の王になることを見越して、次代の国を担う将来有望な貴族や官僚が付けられる。そういった中から、自分の手足となって働く側近を見出し、国政全体を次第に把握していく。


俺も自分の意を汲む官僚を育てたりしているが、本来ならそういうことはしないし、してはいけない。それこそ、お家騒動の原因になりかねない・・・もっとも「ジェームズ皇太子ではなくヘンリー殿下を我らが王に!」なんて考えるやつは誰も居ないが(それはそれで寂しい)


話を戻すと-皇太子になるということは、1から教育を受けなおすということ。準備は早ければ早いほうがいい。だが、ウェールズがいつ生まれるか-そもそも生まれるかどうかわからない状況で、軽々に動くわけには行かない。



あー、頭痛い。えーと、だから・・・



①ウェールズが生まれたら、皇太子になった俺と、その息子とのお家騒動
②ウェールズが生まれて、俺が皇太子になってなければ-何も問題はないが、絶対にウェールズが生まれるとは言い切れない
③ウェールズが結果的に生まれなくて、俺が甥っ子の生まれる可能性におびえて皇太子になるのが遅れて、継承に手間取ってゴタゴタ
④ウェールズが生まれなくて、俺がその可能性に掛けてさっさと皇太子になる・・・でも彼が生まれないとは言い切れないわけで・・・・


「うぐぐぐ・・・」


内乱フラグを一生懸命叩き潰して、ようやくかすかな希望が見えてきたと思ったら、今度はお家騒動フラグ・・・取り越し苦労ならいいのだが・・・







「始祖よ、貴方は私が嫌いなのですか?」





嫌いです(byブリミル)









「はあああああ・・・・」



ヘンリーはわが子の寝顔を見ながら、深いため息をついた。




*********


そんな父の心労を知るはずもないこの赤ちゃん。名前を『アンドリュー』と名づけられた。





アンドリュー・テューダー





後に「トリステイン中興の祖」と呼ばれることになるアンリ8世は、こうしてハルケギニアの歴史に登場した。





時にブリミル暦6211年。原作開始まで、あと32年。



「私、いつになったら結婚できるんだろう・・・」

ミリーの婚期は、誰も知らない・・・



[17077] 第14話「戦争と平和」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/05/17 12:14
親父が死んだ。



前の日まではピンピンしていた。

次の日は、起きてこなかった。



確かに体は弱っていたが、俺はあの親父が死んだと聞かされても、冷たくなった手をこの手で握り締めるまで、信じることが出来なかった。




「・・・今にも柱の陰から出てくる様な気がしてな」

葬儀の際、兄貴のジェームズ皇太子-国王ジェームズ1世が、ポツリとつぶやいた言葉に、俺は首だけ振って、肯定の意を表した。


『死んだのは冗談だ。驚いたかヘンリー!わっはっは!!』


あの笑い声は、もう聞けない。


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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(戦争と平和)

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ブリミル暦6212年は、政争と政変、そして戦争で幕を開けた。



年明け早々、アルビオン国王エドワード12世が崩御。始祖ブリミルの子孫であるアルビオン王の葬儀には、ハルケギニア諸国から弔問客が訪れた。ガリア王国だけが王族ではなく、ノルマンディー大公が名代で来たが、特にそれを疑問に持つものはいなかった。



2週間後-アルビオン国王にジェームズ1世が即位したその日、ガリアがトリステインに宣戦を布告した。


国境の景勝地・水の精霊が住まうラグドリアン湖は、軍靴によって踏みにじられた。王都トリスタニアまで迫らんとするガリア軍2万と、トリステイン国王フィリップ3世が率いる8千は、セダンで激突(セダン会戦)。この戦いで王太子フランソワが戦死するなど、トリステイン側は大きな犠牲を出したが、ガリア軍にも甚大な被害を与え、何とか退けることに成功する。

以後はリール要塞を中心に、一進一退の攻防が3ヶ月つづいた。


その最中、ガリア国王のロペスピエール3世は、王都リュティスで崩御。71歳だった。


ガリアのシャルル王太子は、トリステイン側に休戦協定の締結を申し入れた。国土を蹂躙され、多くの犠牲を出したトリステインは反発したが、アルビオンやロマリアの仲介もあって、停戦に合意。4ヶ月に及んだ「ラグドリアン戦争」は終結した。


ガリアの新国王-シャルル12世は、前国王の側近集団をヴェルサルテイル宮殿や政庁から追放して、権力基盤を築こうとしている。そのためガリア国内では今、不穏な空気が流れているという。


そして、確実に勢力を拡大していく不気味な存在-ヴィンドボナを治めるホーエンツォレルン総督家。ラクドリアン戦争の最中に、自国出身の枢機卿を通じて、巨額の献金をロマリア宗教庁に始めた。リール要塞で軍を指揮するフィリップ3世は、その端正な顔を歪め、仲介に奔走していたアルビオンの第2王子はうんざりとした表情でため息をついた。





ハルケギニアを覆う戦乱の兆し-各国は息を潜めて、次に何が起こるかを、息を潜めて見守っている。まさに一触即発の状態である。




~~~

ロペスピエール3世の国葬に出席したヘンリーは、ロンディニウムへと帰還すると、国王やスラックトン宰相に報告した後、ただちにハヴィランド宮殿内の息子アンドリューの部屋を訪れた。エセックス男爵から、アンドリューが昨晩から熱を出して寝込んでいると聞いたからだ。気もそぞろに、自分で扉を開け、駆け込むように部屋に入った。

乳母のアリーや女官たちが慌てて立ち上がって迎えようとするのを手で制する。息子が眠る豪華なベットの脇で、キャサリンが椅子に腰掛けて、居眠りをしていた。


アンドリューは体が弱いようで、しょちゅう熱を出す。赤ちゃんのころには熱を出すというが、それにしてもよく体調を崩した。

前世での息子は健康だけが自慢、風邪一つひいたことがないという奴だっただけに、キャサリンは気が気でないようだ。本来、子育ては乳母や教育係に任せるものだが、彼女は暇があると(なければ無理やり作ってでも)しょっちゅう息子の部屋に顔を出している。


妻を起こさないよう、小声でアリーに尋ねる。

「どうだ?」

「熱は下がられました。妃殿下は今朝からずっと側に付いておられたので、お疲れが出たのでしょう」

そう言うと、アリーが伺うようにこちらを見る。キャサリンを起こしたほうがいいかどうか迷っているのだ。ヘンリーは手を振ってその必要はないと伝える。

「いい、しばらく寝かせておいてやれ」



ベットに近づいて、アンドリューの寝顔をのぞく。


ただただ、眠るためだけに寝ている、その顔を






いつからだろう-何も考えずに眠れなくなったのは。以前はベットに入れば、次の瞬間には眠れたものだ。それが今では、あれやこれやと思い悩んで、なかなか寝付けない。


キャサリンと結婚したときか

親父が死んだと知らされたときか

ガリアがトリステインに侵攻したと報告を受けたときか




ちがう




息子が、生まれてからだ





キャサリンが目の前でこっくりこっくり頭を揺らしている。その手元には、編み掛けの『何か』。体の弱いアンドリューのために、何か作っているんだろう。


なんだこれは・・・へびか?それともなまこか?


声を出さずに笑った。













頭を揺らすキャサリンやアンドリューの寝顔を見て、何故か、親父の冷たくなった手の感触を思い出した。感触を振り払う様に、両手を強く握り締める。




小説の世界、しかも王子様という状況を、どこか遠い世界の出来事のように感じていた事に、今頃になって気がついた。

ヘンリーは自分を笑った。

自分はこの世界を生きているつもりだったが、心の中のどこかで「現実じゃない」と思っていたのだ。そう考える事で、自分を守っていた。失敗しても、どうせ現実じゃない・・・だからあれだけ大胆なことが出来た。



子供が生まれて、親父が死んで-ようやくわかった。





この「ハルケギニア」という、ふざけた世界に生きている俺は「現実」なのだと





















生きたいと思った。




生きて、生きて、死ぬまで生きて。その間にやれるだけの馬鹿をやって。怒られて、呆れられて。だんだん大きくなる息子の成長を見守って、いつの間にか追い越されて、足腰の立たないよぼよぼの爺さんになって・・・





「・・・死んでたまるか」




死んだら、ミリーの困った顔を見れなくなる
死んだら、アルバートやトマスに馬鹿を言えなくなる
死んだら、ジェームズ兄貴やデボンシャー伯に怒られなくなる
死んだら、シェルバーンやエセックスの爺さんの説教が聞けなくなる



死んだら・・・キャサリンやアンドリューに会えなくなる





「死んでたまるか」


ふぇ・・・あむ・・・

アンドリューが笑ったような気がした。



*********

「・・・頭が痛いな」

ハヴィランド宮殿の国王執務室。新しく部屋の主となったジェームズ1世は、報告書に目を落としながらため息をついた。

皇太子として国政にかかわる状況と、国王として国政の全責任を担うのはわけが違う。国王に即位してからわずか半年の間に、これだけの国際情勢の急変にさらされたのだ。心なしか、頭の白髪が増えたように見える。


若き国王は、こけた頬を億劫そうに動かす。

「ヘンリー、お前の見解を聞かせて欲しい」


最高権力者は臣下に弱みを見せてはいけない。それは即、王の権威低下に繋がる。たとえどんなに苦しくても、どれだけ重大な判断であっても、最後の判断は自分で下さなければならない。ジェームズ1世は、初めて経験する-そして死の瞬間まで担い続けなければならない、最高権力者としての重責と重圧に、必死に耐えていた。

真面目な兄貴のことだ、適当に息抜きだなんてことは、考えたことすらないだろう。

ならばせめて弟として、出来る限り兄を支える。自分が生き残るためにも-ヘンリーは図らずも、生前のエドワード12世が考えていた、兄を弟が補佐する体制を、自分の意思で決めたのだった。


ジェームズは何よりもまず、この緊張状態を生み出した大国について問うた。

「ガリアはまた動くか?」

ヘンリーはシュバルト商会から手に入れた独自情報もあわせて、自分の見解を述べ始めた。


***

昨日急死したガリアの「太陽王」こと、ロペスピエール3世は、とにかく自尊心と大国意識が強かったことで知られる。


彼の父であるシャルル11世は、諸侯軍を削減して国王直轄の軍を創設しようとしたため、貴族の反乱が相次ぎ、幼いロペスピエール自身も、何度か暗殺の危機に見舞われた。しかし、彼は幸運なことに、かすり傷ひとつ負わなかった。

幼い彼はこれを「自分は始祖ブリミルに愛されているからだ」と考えた。

普通、成長すれば、このような考えは忘れてしまうか、自分の中で馬鹿馬鹿しいと消化してしまうが、彼はそのどちらでもなかった。「始祖ブリミルに愛された自分」を信じつづけたのだ。

彼の父であるシャルル11世は、諸侯軍の削減を推し進め、保護主義と産業育成に重点を置く重商主義的政策で、絶対王政への基礎を築いた。シャルル11世の没後も、その遺臣達は意を受け継いで、ガリアの王権強化に邁進した。


ロペスピエール3世が親政を開始したのは、まさにこの時期であった。以後彼は50数年の長きにわたり国政を担い続けた。対外出兵は大きなものだけで13回。結果、ガリアは長年にわたりガリアを苦しめたイベリア半島のグラナダ王国を屈服させるなど、歴史上最大級の領土を獲得することに成功した。

だがそれと引き換えに、ガリアの財政は危機的なレベルまで悪化した。繰り返される外征の軍事費にくわえ、獲得した領土の支配コスト、ヴェルサイテイル宮殿の建設に象徴される散財・・・


そしてトリステインとの5度目の戦争の最中、ロペスピエール3世は、ヴェルサイテイル宮殿で崩御した。その死は「太陽王」の終焉としては、あまりにもあっけないものであった。



「新しく即位したシャルル12世陛下は、どちらかというと祖父のシャルル11世と同じく現実主義的性格が強いようです」

ヘンリーはロペスピエール3世の葬儀に出席するという名目で、ラクドリアン戦争の仲介役としてリュテイスに赴き、シャルルと会談している。細面の顔は父譲りだが、その目には神の寵愛を信じていた前国王とは異なり、理知的な光があった。


・・・そういえば、ヴェルサイテイル宮殿の礼拝堂に安置されていた棺の横に立っていた、あの髪の青い青年。あれがジョセフだったのかな?逆算したら14歳のはずだけど、そう考えると体がでかかったな。じゃあ、その後ろに隠れて泣いてたのがオルレアン公か・・・あー、よく覚えてない。大体、仲介交渉のことで頭が一杯だったし、忙しかったし。わかってりゃ、もっとガン見したんだけどな。

まぁ、遊びに行ったわけじゃないから仕方がないか・・・


そんなことをつらつらと思い浮かべながら、ヘンリーは続ける。

「財政の問題もあります。なによりグラナダ王国が再び離反の動きを見せていますし、トリステインとも停戦が成立したとはいえ、以前緊張関係にあることに変わりはありません。しばらく身動きは取れないでしょう」

ジェームズ1世は、何か思い出したように視線を泳がせた。

「そうだ・・・シャルルとは昔、チェスで何度か戦ったことがある」
「ほう、いかがでしたか」
「実に堅実で、つまらん打ち方だった」

ヘンリーは声を出して笑った。真面目で面白みがないといわれる兄貴が、まさか他人を「つまらん」と評するとは思わなかったからだ。ジェームズも苦笑しながら続ける。

「だがそれだけになかなか手ごわかったぞ。こちらの動きに合わせて動く-だから隙が出来ない。守りは堅いし、攻めは堅実。チェスの教本の様な、基本に忠実な打ち方だった」

なるほど・・・なんとなく、シャルル12世の性格がわかったような気がする。

「基本的に受身なんでしょうな、シャルル陛下は。先代の負の遺産がこれから襲い掛かってくることも、その対応を誤れば、国そのものの屋台骨を揺るがしかねないことも、十分に承知しておるのでしょう。少なくとも国内で御自身の支持基盤を固められるまでは、動かないですし、動けません」


むしろ・・・ヘンリーは続ける


「気になるのは、ヴィンドボナのホーエンツォレルン総督家です」
「何?あの金貸し上がりの、トリステインの地方総督がか?」

ジェームズ1世の認識は、それほど的外れな物ではない。元は東フランク王国の没落貴族であったホーエンツォレルン家は、金融業で再興を果たし、ヴィンドボナ総督にまで上り詰めた。一度没落を経験したこの家は、貴族的な見栄やプライドに縛られることがなかった。

ヴィンドボナの実権を握ってからも、この地のかつての支配者トリステインを名目上の君主と仰ぐことで、自らの存在を覆い隠し、ホーエンツォレルン家の支配を確実なものにした。

いつの日か、完全に独立するために


だからこそ、この総督家に注目するものは、ほとんど存在しなかった。ヘンリーとて、帝政ゲルマニアが成立するという原作展開を知らなければ、注目することはなかったであろう。それぐらいこの家は、巧みに自らの存在を「トリステイン」という衣で隠していたのだ。


今の情勢は、総督家が長年待ちわびた絶好の機会である。


名目上の宗主国トリステインは戦争で疲弊し、国境を接する大国ガリアも、自国の事で手一杯。両国が軍事干渉を行う可能性は限りなく低い。あとはロマリア宗教庁からのお墨付きさえあれば、王政を宣言出来る。

ロマリア宗教庁のトップである教皇は『始祖ブリミルの地上での唯一の代理人』とされる。つまり教皇から王を名乗ることを許されれば、それはすなわち、始祖ブリミルに認められたということと同じ意味を持つ。

無論「ロマリア教皇が始祖ブリミルの代理人」というのは建前である。だが、始祖ブリミルの子孫であるトリステイン王家から独立するためには、その建前こそが重要なのだ。


自国出身の枢機卿を通じた巨額献金の意味するところは、総督家が王国として独立する最終段階であり、トリステインと決別する意思を固めたということである。

「もはや、古い服(トリステイン)を脱ぎ捨てる時が来た!」

そんな声が、ヴィンドボナの総督府から聞こえてきそうだ。




「・・・献金の事実に間違いはないのか?」
「ラッセル枢機卿からの情報です。間違いはないかと」

ジェームズ1世も、献金の意味するところを察して、頭痛を覚えたのか、頭を軽く振ってから眉間を揉んだ。

「トリステインも、ガリアも動かんのなら、総督家はどう出る?」
「動きませんな」

仮にロマリアへの工作が成功して、王の称号が与えられて独立を果たした場合。宗主国のトリステインは絶対に認めないだろう。だが、軍事干渉は、ガリアと緊張関係にあっては出来ない。ガリアにしても、トリステイン・グラナダに加えて、3つ目の戦線を作ることはしないだろう。

旧東フランク王国領内の諸国家-ハノーヴァー王国、ベーメン王国、ザクセン王国etc・・・あまりにも役不足だ。

「要するに、だれもホーエンツォレルン家の独立を止めることは出来ないということです。総督家も今のところは独立さえ果たせば、満足でしょうから」


黙ってヘンリーの発言を聞いていたジェームズだが、次第に顔から緊張の色が抜け、そのかわりに困惑の表情を浮かべた。

「どこも動かないのか?」
「動けないのです」

3国(ガリア・トリステイン・ホーエンツォレルン家)による冷戦構造だ。先に動いたほうが、残りの2国から袋叩きになる。互いに互いを牽制しあって、動くことが出来ない。


「ただ、この状況がいつまでも続くとは思えません。ホーエンツォレルン家が独立した後、周辺の中小国家に攻め込まないという保証はありません」

実際に原作では「帝政ゲルマニア」という、領土だけならガリアに並ぶ大帝国を建国したのだ。


ジェームズ1世は再び目をつむり、腕を組んだ。考えるときの彼の癖だ。ヘンリーは黙って王の決断を待つ。

ヘンリーは、自分の役割はあくまで参謀的なもの-情報の収集と分析、それに基づく意見を述べる-だと弁えていた。「最終的な決断は、すべて自分の判断で下せ。そして責任は自分で取れ」兄は父から教えられた通りに、国王たらんとしている。それを弟がしゃしゃり出て、したり顔でああだこうだ言うことは許されない-そう考えていた。


ジェームズの下した決断は

「情報だ。もっと詳しい情報が居る。特に総督家に関して。独立だけで満足なのか、それとも東フランクの再興を狙っているのか・・・それでハルケギニアの行方が決まる」


***

若き国王の下した判断は正しかった。



これよりちょうど一ヵ月後。ロマリア教皇ヨハネス19世は、トリステイン王国ヴィンドボナ総督のゲオルク・ヴィルヘルム・フォン・ホーエンツォレルンに「ゲルマニア王」の称号を与えた。

ゲオルグは直ちに「ゲルマニア王国」建国と、トリステインからの独立を宣言。




動き出した歯車は、誰にも止めることが出来ない






時にブリミル暦6213年。原作開始まで、あと31年。



「・・・ヘンリーよ。なんでわしがこんな事を」
「いや、ミリーに任せるにしては、今回は真面目な内容でしたので」

「出番とられた・・・」



[17077] 第15話「正々堂々と、表玄関から入ります」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/04/07 18:07
名言や格言は、短い言葉で、対象となる物事の心理を突く。

たとえば仕事について。アメリカのデパート王いわく

「自分の仕事を愛し、その日の仕事を完全に成し遂げて満足した―こんな軽い気持ちで晩餐の卓に帰れる人が、世の中で最も幸福な人である」

確かにその通りだ。楽しく勉強するものは、いやいや勉強するものより、遙かに効率よく習得できるという。仕事も同じといいたいのであろう。

だが実際には、こんな風に考えることのできる人は少ない。特に宮仕えで、それも上司がとびっきりの変わり者だった場合は・・・


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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(正々堂々と、表玄関から入ります)

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パリー・ロッキンガム子爵は困惑していた。上司であるデヴォンシャー伯爵から呼び出されて、宮殿内の侍従長室に出頭すると、そこに居たのは彼だけではなかったからだ。

「よく来てくれたね、子爵」
「へ、ヘンリー殿下?」

本来の部屋の主であるはずの伯爵の椅子に、深く腰掛けて、机の上で手を組むヘンリー王子の姿に、さしものパリーも驚いた。その左右には、まるで始祖を護る従者のように、デヴォンシャー伯爵と外務次官のセヴァーン子爵が立っている。


「とりあえずこれを」


そういってヘンリーから渡された命令書にパラパラと目を通したが、パリーはますます困惑の色を強めた。

書類には、いたってシンプルな-「大陸での諜報調査を命じる」の文字。問題はその対象が、何も記されていないのだ。これでは一体、何を調査すればいいのかわからない・・・



アルビオン東部の名門貴族、ロッキンガム公爵家の3男に生まれたパリーは、15の時に王立空軍に入隊。各地で盗賊団討伐や、亜人対策で功績を立て、子爵を叙爵されたという、根っからの軍人である。

軍人であるがゆえに、命令には絶対服従の覚悟はある。たとえ「オーガ鬼とキスしろ」と命令されても、命令ならする・・・


「・・・パリー、お前・・・」

ヘンリー殿下、モノの例えでございます・・・な、なんですかその目は?!ですから、本当にそんなことはしません。

「・・・」

デ、デヴォンシャー伯?何で私から離れるのです?

「と、とにかく、諜報活動をするというのはわかりました。ですが、これだけでは、まるで雲をつかむような話です。単独調査か、それとも複数か、そもそも論ですが、一体どこの、何について調べるのですか?」


パリーの質問に、ヘンリーは一見、何の関係もないように思えることを言い出した。

「・・・君にはデヴォンシャー伯と一緒に、サヴォイア王国への使者として赴いてもらう」
「な、何の使者でございますか?」


殿下は何故かわしに視線を合わそうとしない・・・


ヘンリーに代わり、セヴァーン子爵がその目的を告げる。

「メアリー王女とウンベルト皇太子殿下との、本年末に予定されている結婚-これを延期するよう、交渉に赴いていただきたいのです」

「な?!」


パリーが驚くのも無理はない。貴族や王族間での「結婚延期」とは、社交界特有の隠語であり、事実上の婚約破棄を意味するからだ。


ヘンリーは思ったとおりの反応を返すパリーに、苦笑しながら続ける。

「誤解するなよ?これは文字通りの『延期』だ・・・考えても見ろ。ガリアとトリステインがドンパチしたすぐ後に、ガリア南部国境と接するサヴォイア王国とうちが宴席関係を結んでみろ。人の喧嘩にわざわざ首を突っ込むことになる」

「確かに」

現サヴォイア国王のアメデーオ3世は、ロペスピエール3世(先代ガリア国王)の派遣軍を何度も撃退した、いわば『天敵』である。例え以前から決まっていた事とはいえ、この時期にサヴォイア家とアルビオンが婚姻関係を結ぶことは、否が応でもガリアを刺激することになる。

サヴォイア家としても、大国ガリアと事を構えるのは好ましくない。だが、向こう側から「結婚を延期してほしい」とは絶対に言い出せない。通常は「結婚延期=婚約破棄」を意味するからだ。アルビオン側からの申し入れは、渡りに船だろう。


「今年の初めに親父(エドワード12世)が死んだからな。言い訳としては申し分ない。ならこっちから言い出せばいい・・・親父は最後まで娘思いだったよ」


父王の死を揶揄しているようにも聞こえるが、ヘンリーの口調はいたって淡々としたもので-それがかえって、彼の悲しみの深さを表していた。いつも口うるさいデヴォンシャー侍従長も、何も言わない。


「ジェノヴァまでは船で行ってもらう。だが帰りは歩きだ」
「はええ!?」

パリーが素っ頓狂な声を上げた。デヴォンシャー伯も「聞いてないぞ」という表情を浮かべる。快速船ならサヴォイア王国の首都ジェノヴァまで、約5日だが、トリステインのラ・ロシェール(アルビオンに一番近い大陸の港)から、陸上を歩くなら、馬を使ったとしても、ゆうに2ヶ月はかかる。

「ガリアもトリステインも、領空上の船舶航行にピリピリしていてな。行きは通行を許可してくれたが、帰りは駄目だった・・・まぁ、こちらとしてはやましい事はないから、無理にねじ込めば、出来ない事もなかっただろうがな」

パリーはヘンリーの言葉の真意を探る。

「・・・どちらが本題ですか?サヴォイア家への使者か、諜報活動か」

「両方だ」

迷うことなく返された答えに、パリーはたじろぐ。

・・・つまりこういうことか?ラクドリアン戦争の影響で船が使えないことを理由に、堂々と他国の中を歩ける。ついでに諜報活動をして来いと?



しかし



「何故、そのような手間の掛かる事を?ガリアにしろ、トリステインにしろ、そのために高い維持費を払って、大使館や領事館を置いているのではないですか」

ヘンリーに問いながら、視線はセヴァーン子爵に向けられている。そもそも、そういう諜報活動を行うのも、在外公館であり外務省の仕事である。一体貴様らは何をしているのだと、自然と口調や視線も厳しいものとなるが、この外交官はピクリとも表情を変えない。

「今回の調査対象は両国ではありません。そもそも、ガリアやトリステインは放っておいても情報が入るようにしております」

何ら気負うことのない子爵の言葉からは、むしろ絶対の自信が感じられるが、パリーにしてみれば、根拠のない虚勢にしか見えない。(だったら、ガリアのトリステイン侵攻ぐらい予想しておけ)と皮肉の一つも言いたくなる。無論、自分を含めた軍も、誰一人として予想した者はいなかったので、偉そうなことはいえないが・・・


・・・いや、そういえば、近衛隊の若手将校の一人が「ガリアの動きが怪しい」と言っておったな。わしも周りも聞き流しておったが・・・なんといったかな、あやつの名前は・・・


パリーの思考は、ヘンリーが目的地を告げたことにより、いったん中断せざるを得なかった。

「今回の調査対象はヴィンドボナ-ゲルマニア王国だ」


***

ゲルマニア王国建国は、名目上の宗主国であったトリステインを激怒させた。

すでに何十年も前から、ヴィンドボナ周辺のホーエンツォレルン家支配は確立しており、フィリップ3世や軍高官などは、いずれこの総督家が独立するであろうこと、そしてトリステインにそれを止める力がない事を理解していた。

だが、理性と感情はまったくの別物。多くの犠牲を出してガリアを退けたら、後ろから切りつけられたのだ。怒らないほうがおかしい。トリステインで湧き上がった反ゲルマニア感情もむべなるかなである。


それはともかく-『ゲルマニア王国』という国号を聞いた者の反応は2つに分かれた。首をかしげる者と、顔をしかめた人間にだ。

新国王は、ガリア王国のように都市や地域の名前を取って「ヴィンドボナ王国」「ザルツブルク王国」、またはトリステインやサヴォイア王国のように、家名を名乗って「ホーエンツォレルン王国」と名乗ると予想していた。

それが何故「ゲルマニア」-ゲルマン人の国なのか?


「まったく・・・根性の悪い爺さんだ」

顔をしかめた後者であるヘンリーは、忌々しげに新国王の顔を思い浮かべる。



最後のトリステイン王国ヴィンドボナ総督にして、ゲルマニア王国初代国王のゲオルク・ヴィルヘルム・フォン・ホーエンツォレルン(ゲオルク1世)

直接会った事はないが、何度か肖像画を見たことがある。特徴的な鷲鼻と四角い顔。その鋭い目つきは、政治家というより、むしろ前世で何度も石を投げてやろうと思ったことのある人種-やり手の銀行家という印象を与える。

「こんな顔の男が、教条的なゲルマン民族主義者なわけがない」


~~~

ハルケギニアには過去3度の大きな民族大移動があった。ブリミル暦100年代のガリア人、400年代のゴート人、2000年代のゲルマン人である。彼らは東方から砂漠を渡ってやってきたというが、その詳細は明らかではない。わかっていることは、東から多くの人間が流れてきたという事実である。


始祖ブリミルの子供や弟子たちは、ハルケギニアに4つの国家を建国した。

空中国土のアルビオン王国(ブリミルの長男アーサー)
ハルケギニア大陸の西方海岸から北東海岸一体を領有したトリステイン王国(ブリミルの次男ルイ)
ハルケギニア大陸の大半を領有したフランク王国(ブリミルの3男カール)
アウソーニャ半島のロマリア王国(ブリミルの弟子フォルサテ)


アルビオンとトリステインは王国として現在まで続いている。ロマリアはブリミル暦1000年ごろまでにブリミル教宗教庁を中心とする都市国家連合に、そしてフランク王国は、ブリミル暦450年に西フランク(現在のガリア王国)と東フランクに分裂した。

東フランクと西フランクは2500年の長きにわたり、互いを滅ぼし、併合せんと戦いを続けた。しかし、決着は付かなかった。


対立は、ゲルマン民族の大移動にともなう、東フランクの滅亡(2998年)で幕を閉じた。

最初、東フランク王国はゲルマン人の精強さを見込んで、彼らを積極的に受け入れた。ゲルマン人は領内で積極的な開墾を行い、その一部は貴族化した。武力に優れた彼らは、次第に王国の中枢に食い込んでいった。

それが国内に亀裂を生んだ。各地でゲルマン人貴族と元から東フランクに使えていた貴族との間で対立が深刻化し、王家の威信は低下した。最後の東フランク国王バシレイオス14世が、反ゲルマン貴族に暗殺されると、もはや国家としての統一を維持することは不可能となった。

東フランク王国を構成する貴族は、没落する者と、それぞれ王国や大公国として独立する者に分かれた。ホーエンツォレルン家は前者である。一方で王国崩壊の原因となったゲルマン人貴族は、入植して数百年しか経っておらず、領地支配は脆弱で、王国や公国として独立出来た家はなかった。

ゲルマン人は旧東フランク領内に、平民や一貴族として広く居住した。その勇猛さを恐れられ、軍人への道を断たれた彼らは、多くが都市部に居住して商人として活躍した。真面目な彼らは自然と大商人に成長したため、既存の商会や、反ゲルマニア貴族の系図を引く国王・貴族の下で、迫害を受けた。身包みをはがされ、追放されたことも1度ではない。


こうした環境の下で、ゲルマン人の中に「自分達の国を持ちたい」という思いが生まれたのは、自然なことであった。それは最初の「出来たらいいな」という願望から、次第に知識人やゲルマン貴族の中で『ゲルマン民族主義』-ゲルマン人の国を作ろうという、具体的な政治目的へと成長した。


ゲルマン民族主義と、ゲルマン人の現状への不満は、後者が爆発したとき、より強固に結びついた。


第五回聖地回復運動(4507~10)の際、各国は軍の遠征費用をまかなうため、領内で増税を行った。東フランク領内のベーメン王国でも、軍事費をまかなうために、都市商人を対象に臨時増税が行われた。ベーメン王国は国内にゲルマン人が多く、商人、中でも金融部門に占める割合が多かった。増税に反発してデモを行う彼らに、軍は解散させるために威嚇発砲を行った。

その流れ弾が、1人の少女-マリアの心臓を打ち抜いた

少女の死は、何百、何千年と積もらせてきたゲルマン人の不満を爆発させるのには、十分過ぎた。この知らせがもたらされると、旧東フランク王国領内で連鎖的に騒乱が発生した-「マリア・シュトラウスの乱」である。

このゲルマン人の反乱は、3ヶ月余りで鎮圧されたが、ゲルマン人に与えた影響は大きかった。『ゲルマン民族主義』は、自分達の不遇な境遇を解決してくれる「最後の希望」「救世主」として、ゲルマン人の中で信じられるようになった。


それに目をつけたのが、ホーエンツォレルン家のゲオルグ1世。もともとこの家は東フランクの没落貴族である。ヴィンドボナに流れ着いて居住し、金融業で成功して再興を果たした。金融業はブリミル教が「労働なき冨」と批判していることもあり、なり手が少ない。結果的に排他されたゲルマン人が、その多くを占めている-自然と彼らとの付き合いは深い。

東フランクの貴族は、誰もが一度は考える。自分達のルーツである祖国-東フランクの再興を。ホーエンツォレルン家も例外ではなかった。


かつて東フランクの再興は、何度も試みられたが、そのすべてが失敗に終わった。誰もが、割れた皿をくっつけようとしても無理なように、一度分裂した国家を、もう一度元通りの国に統合させるのは不可能なのだと考えた。


ゲオルグ1世は、恐らくこう考えたのだろう。

「上から駄目なら、下からだ」

上から(国家主導)の再統一が駄目なら、下から-平民や商人に「国を作りたい」と思わせればいい。実際これまでの統一が失敗してきたのも「ブレーメンに商売の主導権を握られたくない」「東フランクの再興といいながら○○王国の主導ではないか」といった批判によって、頓挫したからだ。


割れた皿を、割れる前と同じように復元することは出来ない。

だが、接着剤でくっつけて、同じような物を再現することは出来る。


その接着剤がゲルマン人だ


ゲルマン人は東フランク領内の諸国に広く居住している。商会や金融業で強い影響力を持つ彼らは、誰よりも「自分の国」への願望が強い。ホーエンツォレルン家の祖はゲルマン人ではない。だがこの没落貴族は「仕えるものは何でも使う」という点では徹底したものがある。

「ゲルマニア王国」-ゲルマン人の国と名乗るだけで、各国のゲルマン人から無条件にも近い支持を得られるのだ。こんなに安い買い物はない。


現代人のヘンリーには、いろんな国家を無理やり統一しても、ましてや民族を掲げて統一すれば、あとが大変だろうとしか思えなかった。大セルビア主義を掲げて統一したユーゴスラビアの末期を知っているからだが-教条的な民族主義者ならともかく、あの慎重でケチ(リスクに敏感)なゲオルグ1世が、ゲルマン人を使って統一した後の問題点が、わからないはずはない。


だが、往々にして感情は、理性を容易に押し流す-ゲルマン人は「自分の国」を、ゲオルグ1世は祖国「東フランクの再興」を-この両者が結びついた結果生まれる、土石流のような勢いを押しとどめるのは難しいだろう。


だからといってヘンリーは、「はいはいどうぞ」と受け入れるわけにはいかないのだ。ガリアだけでも手一杯なのに、大陸にもうひとつ強大な統一国家が出来るよりは、ある程度の中小国家が互いにいがみ合っていてくれるほうが安全保障上、いいに決まっている。そのほうがラクだし


「大体、民族主義を利用したつもりなんだろうが-利用しているつもりで、逆に利用されているというのはよくある話だしな」


願望に基づいて行動する現実主義者ほど、厄介な者はない-まして、自分は冷静だと思っている分だけ、余計にたちが悪い・・・


~~~

***

ともかく、情報がいるのだが-現在、アルビオンのヴィンドボナ領事館は閉鎖されている。


これは準同盟国であるトリステインに配慮したからである。

トリステインとしては、武力でゲルマニアと事を構える気がなくても、独立を事実上黙認せざるを得ない状況であっても「はいそうですか、どうぞご勝手に」とは、国内的にも対外的にも絶対に言えない。国内では弱腰と批判され、対外的には組し易しと見なされるからだ。

これ以上外交失点を重ねるわけにはいかないが、だからといって軍事的冒険は出来ない-そこでトリステインが考えたのが「ゲルマニアの不承認政策」である。


不承認-国家としてゲルマニアを認めないということだ。

だからどうしたと思うが、国が国を認めないというのは、それなりの意味を持つ。自国の領土を不法に武力占領している武装集団-そう見なしているのだ。ゲルマニアの軍人や役人が、トリステインの実効支配する領内に一歩でも入れば、強盗団と同じく即時逮捕、処刑しても、法的には違法ではない。

実際に行動に移すかどうかとは別問題である。「権利を放棄しない」とだけ言っておけば、それは十分外交カードになりうる。手札は多ければ多いほうがいいに決まっているからだ。


準同盟国たるトリステインが不承認政策をとっているのに、アルビオンが領事館とはいえ、そのまま在外公館を置いておくことは、両国関係にとっても好ましいものではない。「ヴィンドボナとて貴国の領土。なら領事館はこのままでも問題はないはず」と主張できないことはないが、とても同盟国に対する言葉ではない。それにトリステインはアルビオンから出港する船の主要中継拠点港をいくつも抱えているのだ。機嫌を損ねていい相手ではない。トリステイン側からの申し入れ通りに、ヴィンドボナ領事館の閉鎖が決まった。



ゲルマニアの情報収集拠点となる領事館を閉鎖せざるを得なくなった状況に、国王ジェームズ1世も、外務卿のパーマストン子爵も頭を抱えた。王妃カザリンの実家たるダルリアダ大公国はゲルマニア王家と縁戚関係にあるが、大公国は親ゲルマニア-どこまで正確な情報が入ってくるかは疑わしい。

何とかして自前の諜報を-頭を悩ませる2人の前に、ヘンリーがぽつりと言う。



「メアリーの結婚式、どうする?」



何も諜報活動は秘密でなくてもいい。表玄関から入る理由があれば、堂々と国情を観察できる。表に出ている情報だけがすべてではないが、すべての情報が裏に隠されているわけでもないのだ。


こうして「越後のちりめん問屋の隠居」作戦は決行されることになった。


ヘンリーは時代劇マニアであった・・・



[17077] 第15.5話「外伝-悪い奴ら」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/04/07 18:15
トリステイン王国の王宮は、水の国という通称にふさわしく、中央の大噴水を中心に、四方に水路が巡り渡されている。流れてとどまる事のない水が、王宮という、息の詰まるような重苦しい空間に、開放感を与えている。

ただ一箇所、宰相執務室を除いては



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ハルケギニア~俺と嫁と、時々息子~(外伝 悪い奴ら)

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エスターシュ大公ジャン・ルネ6世-若い頃は、社交界の貴夫人達の羨望と嫉妬を集めた美しい長い黒髪は、白いものが増えて灰色になっている。黒い僧服と相まって、聖職者にしか見えない。唯一、腰に差しているメイジの象徴たる杖が、彼が貴族であることを表しているが、その杖ですら、細身の体にはつらそうだ。

彼がまだ30代前半だと聞いたとして、誰が信じようか?


切れ長の目の目じりに刻まれた皺を、ますます深く刻み込むように、エスターシュ大公は、膨大な書類の詰まれた机を睨んでいた。その視線の先は、書類にではなく、どこか遠くに思いをはせているように見える。

考えに没頭するため、人払いを行ったため、部屋には大公以外、誰も居ない。この重苦しい静寂の空気をさえぎる事が出来るのは、この国にはただ一人-トリステイン国王しか存在しない。


しかし、当の国王フィリップ3世が、この若い宰相の部屋を訪問することはないため、それはありえない。端的にいえば、彼を嫌ってるとまではいかなくても、敬遠していることは、トリステインに住む者であれば、3歳の童ですら知っている。国家の緊急事態-先のガリア侵攻などでも起らない限り、国王が彼を呼び出すことはない。


国王の個人的信認-より正確に言えば、トリステインに住む者のほとんど全てからの信頼を失ったのは、彼自身の招いた事態である。情けない自分への怒りはあっても、自分自身の現在の境遇や、向けられる視線に対して、不平不満を言うほど、彼は安いプライドの持ち主ではなかった。


~~~

「トリスタニアの変」

一昨年、権勢をほしいままにしていたエスターシュ宰相が突如解任。彼のユニコーン親衛隊が解散を命じられ、主だった者が閉門や国外追放の処分を受けた事件である。これという失政のない宰相の解任に、宮中は混乱状態に陥り、一大公家の親衛隊に、国王自らが処分を下すと言う異例の事態に、誰もが首をかしげた。


その後、しばらくして一つの噂が、市中で囁かれるようになった。



曰く「大公が国王を追い落として、自ら王になろうとした」と



噂の出所はどこかわからない。若干21歳の若さで宰相と言う、国政の重責を担う立場に就任した彼をねたむ貴族は多かった。男の嫉妬-それは出世が絡むだけに恐ろしく陰険である。

大公の政策は、どんな無理難題の横車を押してみても、倒すことの出来ない完璧な理由が立てられていた。また、誰がどこらかどう見ても実績を重ねている状況が、ますます貴族達の気分を悪くさせた。正しいことは、正しいがゆえに憎まれる。手柄を立てれば、誰もが喜んでくれるわけではないのだ。


エスターシュ大公は、落ち度はなくとも、自身への反感に火をそそぐ言動を繰り返した。小さい頃から彼には周囲の全てが、頭の回転が遅く、気働きも出来ない愚か者に見えた。だからこそ、嫉妬を買わないようにと、できるだけ丁寧な言葉と態度を心がけていた-それが、慇懃無礼な態度だとは思いもせず。

(20そこらの若造に、馬鹿丁寧な言葉で話されたら、馬鹿にされたと思うよな・・・)

振り返ればエスターシュ自身、とてつもなく鼻持ちのならない人間であったと思う。それが如才のない態度だと思っていた自分は、愚か者としかいいようがない。確かに自分は一流の政策立案者ではあった。問題点を正確に把握し、解決策を示す-だがそれだけだ。官僚であっても、政治家ではない。政治とは、人が行うものだということを知らなかったのだ。政治家云々以前の問題だったのだ。



エスターシュは、その「人」に足元を掬われた。それも、自分自身が絶対のコントロールが出来ていると信じていたユニコーン親衛隊によって。裏仕事をまかせていた女僧侶-本当に僧侶だったかどうかはわからないが-が、自分の知らぬ間に、親衛隊を私兵にして、屍兵を使い、あまつさえ国王陛下の命を狙って、阻止せんとする魔法衛士隊と戦ったのだ。

エスターシュ自身は全く関与していなかった。女僧侶に裏工作を任せていたが、「木偶」は、禁制の水の秘薬を使って、精神を支配しているのだろうとばかり思っていた。それがまさか、殺してからよみがえらせると言う、世にもおぞましい事だったとは、想像だにしなかった。いっぱしの政治家気取りだった当時の自分が恥ずかしい。


確かに彼は自身の親衛隊を、正式な近衛隊に昇格させようとしていた。それは魔法衛士隊の能力に疑問を持ったこともあるが、自身の権力基盤を固めようとしたためである。


貴族や宮中で自分が好かれていないという事はわかっていた。大公家といっても、エスターシュ大公家は3代前のルネ3世が領土経営に失敗して、王家に領地を返上。貴族年金をもらって、トリスタニアで暮らす一貴族でしかなかった。ジャン・ルネ6世は、その境遇から抜け出そうと、必死に努力を重ねた。結果、その能力を見込んだ財務卿ロタリンギア公爵の後押しを受けて、ついに宰相に上り詰めた。

ところが宰相就任直後にロタリンギア公爵が病没。人望の篤い大政治家の死は、彼の権力基盤を危うくした。幸いにして、ロタリンギア公爵の「エスターシュは、お国のために必要です」という遺志を、国王フィリップ3世が了としたため、なんとか宰相の地位には居られたが、周囲のほとんどが敵と言う状況に変わりは無かった。エスターシュはその中で、必死に自身の立場を維持しながら、改革を続けてきた。

何とか自身の権力基盤を-彼が目をつけたのが、王の側近集団である魔法衛士隊であった。魔法衛士隊は、貴族の子弟達の志願制である。国王や王族と接することの多い彼らの中から、将来の王の側近が見出されることもある。宮廷政治家への近道として、ここに志願する者も多い。

(ここを押さえれば・・・)

評判の悪い自分が宰相で居られるのも、国王の支持があってのこと。宮中を押さえることが出来れば、将来の国王たる者の側近に、自分の息のかかった者をつけることが出来る。

幸いと言うべきか、国政の責任を負う宰相としては腹立たしい限りだが-魔法衛士隊は、素行が悪いことで知られている。なら、自分の親衛隊を鍛え上げれば、衛士隊に取って代わることも不可能ではない。エスターシュは親衛隊の名前に、将来的には王の近衛隊にする意思も含めて、ユニコーン(一角獣)の名前を付けた。



ところが、その親衛隊がよりにもよって国王の暗殺を図った-反逆罪とみなされても不思議ではなかった。


~~~

自分を救ったのは、以外にも魔法衛士隊の面々だった。事件発覚後、衛兵によって謹慎させられていたため、詳細はわからないが-魔法衛士隊隊長のサンドリオンこと、ラ・ヴァリエール公爵家の三男ピエールと、マンティコア隊隊長の「烈風カリン」ことカリーヌ・デジレ・ド・マイヤール(まさか女だったとは、ユニコーン隊の反乱を知らされた時より驚いた。あの胸で・・・不憫な・・・)が、国王陛下に取り成しをしたそうだ。


その理由がわからない。自分は彼らを排斥しようとしていた本人だ。何故その自分を助ける?謹慎中の身では、本人達に聞けるわけもない。食事を持ってきた家令のイワンに、何気なくその疑問をぶつけてみた。

元々、答えが聞きたくて尋ねたわけではない。この老家令は実直だけがとりえの様な、気の回らない男である。自分より歳は食っているが、それ以上でも以下でもない-その彼が、言い辛そうに話し出す。



「・・・私が、陛下にお仕えするのと、同じ理由だと思います」

「どういうことだ?」


首をかしげる自らの主人に、イワンは意を決して切り出した。


「・・・殿下は、数字や歴史についてはお詳しくても、人というものを知らなさ過ぎます。人とは、殿下のように合理的に、または感情的に・・・ましてや、自分の利益だけのために動くものではないのです」



後頭部を殴られたような衝撃をうけた。



老家令はおっかなびっくりに見返してくる。返事をしなかったことで、機嫌を損ねたと思ったのであろう。返事をしなかったのは意図的ではない。言葉を、返すことが出来なかったのだ。



「ふふふっ」

いきなり噴出した後、口を手のひらで押さえて笑い出した俺に、イワンが思わず後ずさる。若くして宮中の頂点に立ち、影の国王とまで言われた栄光から一転、謹慎を命じられたという衝撃で、おかしくなったと思ったんだろう。エスターシュはその誤解を解こうとしなかった。


「あははははは!」

こらえきれず、腹を抱えて、腰を折るように笑った。外にいた衛兵が何事かと駆け込んできて、笑い続ける俺を見て唖然としている。そんなこと、知ったことか!


こんなに笑ったのは、何年ぶりだろう?


愚か者と、それも一番使えないだろうと自分が思っていた連中に、当たり前のことを教わり、自分の命を救われたのだ。腹が立って、悲しくて、情けなくて、嬉しくて、悔しくて・・・馬鹿馬鹿しくて。

~~~

事件は内密に処理された。宰相である大公の親衛隊の反乱を公表するなど、ガリアの「太陽王」が攻めてくる理由を与えるようなものである。事件解決の功労者であるサンドリオン達の訴えをいい事に、エスターシュが宰相を辞任することによって「トリスタニアの変」は解決した。


エスターシュ自身は、これまでの功績もあって、王都トリスタニアの屋敷に居住することを許された。体のいい軟禁だったが、彼に不満は無かった。自分に反感を持つ貴族達が流す、根も葉もない噂によって「英雄王を追い落とそうとした奸臣」という悪評が、市中で高まっていく状況にも、何もせずにいた。

いまさら政界に復帰しようとは思わない。この事件を前後にして、フィリップ陛下も、政治を熱心に勉強されるようになったと聞く。元々聡明な方なのだ。やる気になれば後は早い。文武両道の名君になる日もそう遠くは無いだろう・・・


エスターシュは心置きなく、残る人生を読書三昧ですごそうと考えていた。



それが、だ



「ガリア軍、トリステインに侵攻!」

目の前が真っ暗になった。



***

戦争には勝った。セダン会戦でガリア軍を寡兵にて打ち破り、リール要塞に篭って、持久戦に持ち込んだことが幸いした。秘密裏に各国に仲介交渉を打診していた最中にもたらされたガリア国王ロペスピエール3世の死は、トリステイン国内を沸かせた。

「ガリアに死を!」「卑怯者を打ち破れ!」

この間、ずっと屋敷の自室にこもっていたエスターシュにも、興奮した市民の叫び声が聞こえてきた。



仮にもこの宰相だったエスターシュには、トリステインの現状は手に取るようにわかる。この勝利が「薄氷の勝利」に過ぎないことも。

もしロペスピエール3世が死んでいなければどうなったか-考えるだに恐ろしい。


国内での持久戦-あの状況では、長引けば長引くほど、ガリアの優位は明らかであった。ガリアはその気になれば、あと5万の軍を動員出来るのに対して、トリステインはセダン会戦で動員した8千が、首都とその他の国境警備を考えると、動かす事が出来る事実上の総兵力であった。会戦で2千人余りの戦死者を出した上で、さらに兵力を動員しようとしても、人がいない。傭兵を雇おうにも、劣勢の軍に好んで付くような者は存在しない。おまけに、ここ数年の不作で、財政状況が思わしくなかった。リール要塞を維持できるか、補給物資が送れなくなるのが先かという状況だったのだ。

もしロペスピエール3世の死が、一ヶ月でも遅れていたら、今、市民がデモを行っているブルドンネ街を闊歩していたのは、ガリア兵だったのかもしれないのだ。

憂鬱な気分に浸る彼の元に、王宮からの召集状が届いたのは、その直後であった。


***

セダン会戦がトリステインにもたらした影響は大きい。ガリア国境線の村々が踏み荒らされて荒廃したことは勿論、2千もの兵が永遠にトリステインから消えたのだ。

実際のところ、兵が2千いなくなろうと、平民や下級貴族が何人死のうと、トリステインの国体は微動だにしない。


エスターシュは戦死者のリスト-中でも、仕官や将官クラスの戦死者を見て、思わず倒れそうになった。王太子フランソワをはじめ、軍司令官のヴァリエール公爵とその長子ジャンと次男マクシミリアン、自身の後任である宰相のブラバント侯爵・・・トリステインの中枢たる人物が、ことごとくヴァルハラ(天上)に召されたのだ。

中でも王太子フランソワの死が、トリステインに与えるであろう影響は計り知れない。彼の死は次の国王たる者が死んだという事だけにとどまらない。



フランソワは、フィリップ3世の子供ではない。その父はアンリ7世-フィリップの兄にして、先々代の国王である。

フィリップはアンリ6世(豪胆王)の三男に生まれた。二人の兄、長兄のアンリと次兄のルイがいたため、まさか彼が王になると思う者は誰もいなかった。元々魔法の才があり、軍事教育を中心に受けて伸び伸びと育った彼は、よく言えば父王譲りの豪胆な、悪く言えば単純な性格に育った。政治的なことを考えず、職務に忠実で命令には絶対服従-王族出の軍人としてはこれ以上ふさわしい性格にはない。

父の死後、長兄のアンリが王位を継いだ(アンリ7世)が、その10年後、はやり病で崩御。残された子供が幼かったため、王弟のルイが急遽即位した(ルイ18世)。

ところがその5年後、ルイ18世もまた突然に病死したのである。混乱する宮中に、ヴァリエール公爵家から、ヴィンドボナ総督領に属するツェルプストー侯爵家と交戦状態に陥ったという知らせがもたらされ、混乱は混沌になりかけた、その時


「何を迷うことがある!貴様らそれでも貴族か!俺は行くぞ!」


そう一喝して飛び出したのが、陸軍少将の地位にあったフィリップであった。下手をすればヴィンドボナ総督家が乗り出しかねないとして、必死にやめさせようとする外務次官の腕を振り払い、単陣出撃した王族のあとを、誰もが必死に追いかけた。

紛争の理由は、ツェルプストー侯爵家の分家である一子爵家の暴走がきっかけであり、軍勢の数も少なかった。それでも、分家を見捨てることが出来ないツェルプストー侯爵家は、しぶしぶながら出陣したというのが実情である。それでも、数少ないゲルマン人の血を直接引く「ゲルマン貴族」のツェルプストー侯爵家は精強で知られ、ヴァリエール公爵家側は苦戦していた。

そこに駆けつけたフィリップ率いる数百の兵が、奇襲を掛けて、散々に打ち破った。


王都に帰還したフィリップを待ち構えていたのは、市民からの熱狂的な歓迎と、王座であった。閣僚や高等法院も、戦功を立てたフィリップより、未だ8歳である先々代の一粒種フランソワを王位につけるのは、さすがにためらわれたのだ。


フランソワを次期国王とすることに、兄を敬愛していたフィリップ3世に異論はなく、フランソワは王太子となった。魔法の才こそ叔父ほどではなかったが、それでもトライアングルクラスと、人並み以上。また政治的手腕に恵まれた彼は、エスターシュ大公の急進的とも言える改革にも理解を示しており、大公が失脚した後も、大公派と貴族の間の仲介者として、国政安定の要であった。



その王太子フランソワの死がもたらすもの-大公でなくとも、少しは見識のあるものなら、暗澹たる気持ちになろうというものだ。

また、宰相のブラバント侯爵は、大公派と貴族の間で、巧みに自身の勢力を保ってきた中間派。その「バランス感覚」は、この難しい国際情勢では何物にも変え難い。


失われた人材を一人一人挙げていればきりが無い。それほど、多くの高官が失われたのだ。

そう、失脚した自分を、再度呼び戻さなければならないほどに・・・


***

久しぶりに会ったフィリップ陛下は、上奏にわかったふりをして厳かに首を振ったり、ダンスやカードで子供のように自分と張り合った彼とは、明らかに違った。

丁寧にチック油で手入れされた顎鬚や、自分とは比べ物にならないがっちりした体格は変わっていなかったが、長かった髪は短く整えられ、その目の周りに、黒々とした隈をつくっていた。相変わらず豪華な服を身に纏っているが、憔悴した気配は隠しようも無い。


「貴様を呼んだのは他でもない。もう一度宰相をやれ」

回りくどい言い回しが嫌いなのは変わっていない。笑う気にはならなかったが、意図せずに、口元を皮肉気にゆがめていた。

「私は、一度失敗した身です。もう一度はこの世界にはありえません」
「それは貴様自身の事だろう。政策には何の関係も無い」

切り返しがうまくなられた。昔は自分の言うことに全く反論できなかった閣下が。思わず笑ったエスターシュを、にこりともせずにフィリップは見ている。

その様子に、思った以上に成長されたと喜びながら、エスターシュは断ろうとした。

「お気持ちだけ「講和する」


その言葉に、エスターシュは初めて反応した。国政への復帰、ひいては宰相への再登板も、予想しなかったわけではない。この状況で王宮に呼ばれて、チェスの相手をして帰るだけだと思うのは、よほどの大器か、大馬鹿者のどちらかだ。

現在、トリスタニアでガリアとの講和を正面きって主張することは、自殺行為に等しい。王太子フランソワをはじめ、多くの犠牲を出した上、国境線が踏みにじられ、多くの難民が発生した。上は貴族から、下は平民まで、怒り狂っている。

その怒り狂っている一員とばかり思っていたフィリップ陛下が・・・


こちらの思惑など知ったことではないといわんばかりに、フィリップ3世は告げる。

「貴様が悪役になれ。いまさら気にする名声もあるまい」


・・・どうやら、思っていた以上の悪人になられたようだ

エスターシュは、今度こそ口元を大きくゆがめた。それが喜びなのか、寂しさなのかはわからなかったが・・・



***

今現在、トリスタニアのみならず、トリステイン国内で「エスターシュ大公」の名は「売国奴」と同じ意味を持っているといってもいい。その名を聞くだけで、老人から赤ん坊までが、嫌悪感をあらわにする。

その嫌悪感の対象たる大公自身は、最近、皮肉げな笑みがトレードマークになりつつある。

(陛下の思惑通りだな)

フィリップ3世の考えどおりに、ガリアとの講和は、国内の猛反発を引き起こした。そしてその不満は、フィリップではなく、宰相に再登板したエスターシュに向かっている。戦場で自ら杖を振るったフィリップの名声は、ボロカスに叩かれる宰相に反比例するように、うなぎ上りである。

おそらくフィリップは、この名声を武器に、国内改革にまい進するつもりなのであろう。表向きは自分を嫌っているような態度をとっておられるが、裏では使い魔を通じて、自分の意見を頻繁に聞いてこられる。もはや思いつきで増税や政策を行う、昔のフィリップ3世ではない。


(これも、あの2人の影響か)

モノクル(片眼鏡)の下から、昔の厭世的な眼差しではなく、強い意思と決意のこもった視線を放つ男と、顔の半分だけを仮面で覆った、胸の薄い-しかしその下に、誰にも負けない正義感と、本当の勇気を秘めている、姫騎士の顔を思い浮かべる。



洗濯板に耳を引っ張られるモノクル男の顔が浮かんで、また笑いそうになったが、それどころではないと気を取り直す。




ゲルマニア王国独立の知らせは、エスターシュに憤懣をぶつけることによって鎮静化しつつあった、トリステイン国民の感情に再び火をつけた。「これもエスターシュが宰相になったからだ!」「宰相はゲルマニアから金をもらっている!」「もう一度反乱をたくらんでいる」無人の屋敷にはデモ隊がなだれ込んだ。

ここに、エスターシュの評価は定まった。

確かに、いまさら気にするような名声も無いのだが、ここまで露骨にあしざまに言われると、さすがに気分が悪い。身の危険を感じたことも一度や二度ではない。なのに


(本当に成長なされた)


昔の彼を知るものからすれば、考えられない変化であった。


***

ゲルマニアへの警戒が必要であるという点で、フィリップとエスターシュの意見は一致する。軍部やリシュリュー外務卿は、ガリアとの国境警備を重視するという立場であったが、エスターシュは、新国王シャルル12世が、ガリア国内を掌握するまでには、まだ時間があると考えていた。

不気味なのは、ゲルマニアとゲオルグ1世-傭兵を見せ付けるように解雇したかと思えば、周辺各国に関税同盟を呼びかけたりと、意図がまるでわからない。平和共存?馬鹿は休み休み言え。トリステインを舐めているのか?いや、あの金貸しに限って、油断の2文字だけはありえない・・・





考えがループに陥りかけたので、気を紛らわせようと、報告書を手に取る。蛇蝎の如く嫌われていようと、宰相の仕事がなくなるわけではない。決済の必要な書類は山ほどあるのだ。

いくつかの書類に目を通してサインした後、外務省報告に目が留まった。


「・・・アルビオン使節団の領空通行を拒否か」


アルビオン王国がサヴォイア王国へ派遣する使節団の、帰りの領空交通を拒否したとの報告。行きは許可して、帰りは駄目・・・ちぐはぐな対応なのは、軍の横槍が入ったからだろう。ラグドリアン戦争で援軍を要請したのに、巡洋艦の一隻すら送ってこなかったと。

アルビオンの判断は責められるようなものではない。空軍力こそアルビオン有数のものであるが、貿易国家アルビオンによって、ハルケギニア1の大国であるガリアとの全面対決は、関連する貿易の断絶を意味する-そんな状況にありながら、むしろ、軍事物資の補給を支援するなど、中立条約違反の危険を冒しながら、最大限の後方支援活動をしてくれた。感謝こそすれ、恨む筋合いはない。

だが、最前線に立っていた兵からすれば、戦場に出ずに、物資だけ売りつけに来た卑怯者と考えるのも無理はないのも事実。たとえ物資を破格の安値で提供していたとはいえ、流した血は、理屈で納得できるものではないのだ。


やれやれとため息をつきならが読み進めていくと、ある一文が目に留まった。


「・・・帰路はゲルマニアを通行する?」


条約違反を覚悟の上で補給活動を行ったのに、という意趣返しか?いや、そんな子供の様な真似を・・・







「そうか」




エスターシュは、口をゆがめて笑った。


まったく、どいつもこいつも、性格が悪いやつらばかりだ




***




半年後、アルビオンはヴィンドボナ領事館を再開した。エスターシュの黙認方針に、抗議を訴える軍や外務省からは猛反発が起ったが、彼は気にも留めなかった。



さらに半年後、エスターシュ大公は病気を理由に宰相を辞職、全ての公職から退いた。余生はヴァリエール公爵家領にある別荘で、晴耕雨読の日々を送り、悠々自適に過ごしたという。



[17077] 第16話「往く者を見送り、来たる者を迎える」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/04/07 18:16
アルビオンの玄関港にして、ペンヴィズ半島の中心都市であるプリマス。

荷物を満載した商船や、取引を行う商人が行き交う港湾は、ここ半年前から例年以上に活気で満ちている。老朽化や取扱量の増加などで、限界に近づいていた港湾施設を拡張する工事が行われているからだ。工事資材を積み込んだ船や、陸揚げされた石材、忙しく走り回る作業員や、それを指揮する現場監督の怒声・・・それらを避けるように、一隻の船が出港した。

軍艦「キング・ジョージ7世」。ブリミル暦2000年代のアルビオン国王・ジョージ7世(騎士王)の名にふさわしく、白で統一されたその船体は、軍艦には見えない優美な姿で知られる。船に乗るのは、デヴォンシャー伯爵率いるサヴォイア王国への使節団59名。本来、軍艦が単独行動することはありえないが、戦時状態が続くトリステイン領空を通過するとあって、単独航海を余儀なくされたのだ。

「トリステインの恩知らずどもめ・・・」

苦々しい顔をした伯爵を乗せた「キング・ジョージ7世」が出港したのと時を同じくして、ハノーヴァー国籍の船が、プリマスに入港した。


「セント・クリスチャン」-ハノーヴァー国王クリスチャン12世の名前を冠した、同国に本店を持つ大商会・シュバルト商会所属の商船である。全長80メイル、航続距離や積載量など、軍船を除くと、ハルケギニアでもこれほどの船を有している国や商会は数えるほどしか存在しない。

商船にも関わらず、国王の名前がついているのは、商会が「この船はハルケギニア中に陛下の御威光を知らしめることになります」と、言葉巧みに王の虚栄心をくすぐったため。船名と引き換えに、莫大な建造費の大部分を国庫から引き出すことに成功した。


その離れ業を成し遂げた舌の持ち主である、シュバルト商会代表-アルベルト・シュバルトは、ここ数年、アルビオンへの視察出張が増えた。

他の商会や、アルビオン政府の下級官僚などは、彼の商会が主導して始めた港湾整備事業を視察するためだと見ていた。シュバルト商会で一定以上の地位にある者は、商会が密かにアルビオン国内で建設中の、水力紡績工場を視察するためであると考えていた。

確かにそれらも重要ではある。だが、アルベルトには、本人とごく一部の側近しか知らない、ある人物との会談を行うという目的があった。


今頃、ロンディニウムの王宮で昼寝でもしているのだろう-世間の広さと、上には上が居るという事を、自分にまざまざと知らしめたその王族が、商会にもたらす莫大な利益と、法外な無理難題の両方を思い浮かべたのか、アルベルトは深いため息をついた。


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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(往く者を見送り、来たる者を迎える)

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「やぁやぁ、よく来てくれたねアルベルト」

両手を広げて出迎えるのは、現アルビオン国王・ジェームズ1世の王弟であるヘンリー王子。王族でありながら、大商会の主とはいえ、商人に過ぎない自分に、まるで十数年来の友人であるかのように、なれなれしく・・・もとい、親しげに声をかけてくれる。

これで自分がこの国の平民なら、感激のあまりに永遠の忠誠を誓うところであるが、残念ながら自分は商会の主。金ならともかく、国家や王族に、ましてや他国の王族に対して、忠誠どうこうという気持ちなど、さらさら存在しない。


ここはロンディニウムにあるシュバルト商会総支店の貴賓室。ハルケギニア全土に名をとどろかす大商会の貴賓室でありながら、まるで教会の待合室であるかのように飾り気がない。シュバルト商会クラスになると、貴賓室に装飾品や調度品などをこれ見よがしに並べてハッタリをかます必要がないからだ。だが、貴賓室に置かれている机にしても椅子にしても、その辺の商人が10年かかっても、買えるような代物ではない。

そんな椅子にどっかり腰を下ろして、親しげな笑みを浮かべるヘンリー。無性に腹が立つのは、自分だけだろうか?紅茶と一緒に塩を出すように命令しておくか・・・


アルベルトが、小学生の様な嫌がらせを思い浮かべていることなど知る由もないヘンリーは、必要最小限だけ付いてこさせた侍従を控えの間に下げ、自ら部屋全体に「サイレンス」を掛けた。アルベルトも秘書のサニーに命じて、人払いを命じているので、これでこの部屋の会話が洩れる心配はない。


机の上にアルビオンとハルケギニア北東地域の地図を広げながら、一見、親しみやすそうに見える笑みを浮かべた王弟は口を開く。

「ロサイス軍港の工事がおわったそうだね。僕も視察に行ったけど、まるで別の町かと思ったよ。さすがシュバルト商会だね」
「ありがとうございます。これもひとえに陛下の御威光あってのものです」

嫌味で答えるが、まったく気にする様子もない。むしろ楽しんでいる気配すらある。塩じゃなくて、明礬にするか・・・



~~~

さかのぼる事2年前、水力紡績機の情報独占と引き換えに、シュバルト商会とアルビオン政府-ヘンリーとアルベルトは、いくつかの契約(密約)を結んだ。そのうちの一つに、国家インフラの整備-港湾街道整備事業への出資が含まれていた。

街道整備に関しては、現在アルビオン財務省が主導して行っている領地再編がひと段落してからの話なので、現状の街道補修と整備にとどまっている。そこで、港湾整備を先攻して行うことになった。


空中国家アルビオンにとって、港の重要性は大陸諸国と比べ物にならないぐらい高い。港とはいっても、海の帆船のように、沿岸部にだけ存在するのではない。風石を使用した船が大型化するに従い、内陸部まで、一度に大量の物資を運搬出来るようになった。そのため、人口の多い内陸部の大都市にも、元々の湖や河川を利用するなどして、港湾が整備されるようになった。


翼をつけた空飛ぶ船という、魔法が存在するSF世界の中でも、飛び切りふざけた存在であるこの船(ニュートンが知ったら「引力なめんな」と激怒するだろう)は、「風石」という鉱物を原動力とする。

風の力の結晶とされる風石は、振動を与えられると、浮力を生じる。この空飛ぶ無限のエネルギーを秘めた鉱物のコントロール技術を、始祖はハルケギニアに伝えた。振れば飛ぶのだから、魔法の使えない平民であっても使用可能だ。

もっとも、風石の鉱脈探しや、採掘・加工に関しては、風や土系統の魔法が必要であるため、完全に平民が自由に扱える代物ではない。そのため、この「魔法が仕えなくても空を飛べる」という風石は、軍事的観点や平民に必要以上に力を持たせることを警戒した貴族や各国政府によって、平民の利用に厳しく規制が設けられた。


状況が変わったのはブリミル暦4531年。四十年戦争と小麦飢饉によって疲弊したアルビオンを立て直すため、国王リチャード12世は、規制緩和を中心とした改革を断行したが、その経済再建策の一環として、平民への風石供給量を拡大させた。民間資本は競って船舶に風石を利用。爆発的な技術革新により、船舶の高速化と大型化が進んだ。

いち早く民間資本への解禁を行ったことにより、アルビオンの船舶建造技術は、ハルケギニア一と呼ばれるまでに成長した。かつて船舶は、50メイル程度の規模が限界だとされていたのが、現在ロサイス工廠で建造中の「キング・ジョージ8世」は、全長150メイルにも達する。


船の高速化と大型化に成功した民間商船は、ハルケギニアに物流の革命をもたらした。以前とは比べ物にならない速さで情報や物が駆け巡り、それによって経済成長のスピードと規模も拡大した。経済成長は人口の増加につながる。ブリミル暦4000年初頭のハルケギニアの人口はおよそ3000万人だったが、5000年の初めには5000万人に、アルビオンも300万人から500万人に達したとされる。


しかし、人口の増加にともない、港湾施設の狭さと老朽化が問題となった。湖や河川を利用して建設された港湾だが、当初の取り扱い予想量を、経済発展と人口増が追い越してしまったのだ。夜間照明も満足にない状態では、港の使用時間は限られている。港湾職員が、朝から晩までフル稼働しても、都市で物資が足りなくなるという、信じられない事態も発生した。

いずれ陸上ドックの拡張など、港湾施設の設備を行わなければならないというのは、誰もが認めるところであったが、必要とされる莫大な資金に、港湾を保有する都市の大貴族は無論、アルビオン政府ですら、理由をつけて後伸ばしにしていた。出資を求められたアルベルトがしり込みしたのもむべなるかなである。




2年前発足した「アルビオン公共交通事業公団」は、そのアルビオン国内の街道・港湾整備事業への出資を目的としていた。ヘンリーのアドバイス(それが気に食わないのだが)によって、シュバルト商会が主導し、14の商会と、アルビオン国内の富裕貴族が出資した、この半官半民の会社は、出資額に基づいて利益を配分される共同出資の形をとっていた。うまみは減るが、リスクも分散できるというわけだ。

港湾整備の計画に関しては、スラックトン宰相を議長に、王立空軍司令官(空軍大将)、内務次官、内務省港湾局長、港湾設備を保有する大貴族に商会側責任者が参加した「港湾設備調整会議」が論議。結果、軍港であるロサイス・プリマスに始まり、人口5万人を抱える大都市のバーミンガム・マンチェスター・リヴァプールの、都市整備も含めた港湾拡張、そして東部のエディンバラ、ニューカッスルへの新港設置などが順次決定された。


都市整備に関しては、シュバルト商会が強く求めた。アルビオン総支店長のデヴィトは、港湾整備事業と同時に、秘密裏に水力紡績工場建設に奔走したが、河川沿いの工場用地の確保、工場作業員宿舎の確保と、事あるごとに用地問題に苦労させられた為である。中途半端な投資をするくらいなら、思い切って俺らの思う様にやらせてもらいたい商会側と、中長期的観点から見れば、願ったりかなったりのアルビオン側の思惑は一致した。

だが、総論賛成各論反対-経済的合理性で物を考える商会側と、行政官として現状から物を考える内務省官僚の隔たりは大きかった。両者は、喧々諤々、時につかみ合い、取っ組み合いの論争(?)を経て、後に「近代都市計画の原型」とされる、都市整備計画案をまとめた。


これまで「都市整備」という考え方は存在せず、教会を中心に、必要に応じて貴族屋敷地区・各職人街・宿屋街・下町などが次々にぶら下がる、いわゆる葡萄型であった。よく言えば猥雑で活気があり、悪く言えば無秩序。入り組んだ道路は、火災などの非常事態への対応を遅らせると同時に、平時では流通を妨げ、経済発展の障害となっていた。

作成された都市整備計画案では、まず中央街(教会や官庁街)を基点に、幅20メイルにも及ぶ中央通を通して、道路を張り巡らせる。道路の下には上下水道を整備して、衛生環境の改善を図り、公共交通機関として、誰もが利用できる駅馬車を通した。将来的な都市の拡張を見込んで、これまでのような無秩序な拡張ではなく、放射線状や碁盤目状に行われるように、先んじて道路で土地区画を区切ることになった。

パリ大改造とまではいかないものの、ここまで出来ればたいしたものだと、計画書を見たヘンリーは唸ったものだ。



「バーミンガムでは、お宅のデヴィトと、うちのスタンリー男が、そうとう激しくやりあったそうだな」

人のよさそうな(蛙にそっくりの)デヴィトと、一見飄々としたスタンリー男爵。ああ見えて両方とも、そうとう強情者だからな・・・可哀相に、間で苦労したバーミンガム市長は、白髪としわが増えたそうだ。

アルベルトは、そんなことは知ったことではないと言わんばかりに、言い放つ。

「議論のないところに、発展はありえません」

どことなく棘のある対応に、ヘンリーは肩をすくめる。まったく、僕がいつ嫌われるようなことをしたかね?むしろ感謝して欲しいくらいだ。王立空軍の説得は大変だったんだぞ?

シュバルト商会の要請で、港湾の管理は、内務省港湾局に一元化することになった。港湾施設の管理権を持つ大貴族達は、港湾の維持管理費を政府に丸投げできると、同意したが、軍港に関しては、司令官のチャールズ・カニンガム空軍大将をはじめ、王立空軍が渋った。スラックトン宰相が粘り強く(しつこく)説得、最終的には、非常時の管轄権は軍を優先するという条件で、折り合いをつけた。


・・・あれ?俺何もしてない?






「んんッ・・・ところで・・・」

次にヘンリーが切り出す内容が予想できたアルベルトは、商売上の笑みを浮かべていた顔を不自然にゆがめた。自分にだって最低限の良心くらいはある。ましてや、自分がやっていることは、商人として失格といわざるを得ない。


顧客の情報を、特定の人物に洩らしているのだから・・・


・・・という具合に、自分で自分を罵倒することで、最低限の良心に言い訳をするアルベルト。とはいえ、いつもいつも、この糞が・・・王弟に先んじられるのは面白くない。


顧客の欲しいものを予想するのも、商人として必要な能力だ。



「ゲルマニアの何を、お聞きしたいのですか?」

一瞬、驚いた顔をしたヘンリーだが、すぐに笑みを浮かべる。

「勘が良くて助かるよ」

~~~

先の水力紡績機を巡る密約の一つ-シュバルト商会が、アルビオンの耳として(ヘンリー個人に)情報提供を行う。もしこれが第三者の耳に入れば、シュバルト商会は、ハルケギニアで、2度と商売が出来なくなる。築き上げた信用を全て失うかもしれないというリスクを犯してでも、水力紡績機の情報を独占することを、アルベルトは選択した。

シュバルト商会は、旧東フランク諸国を中心に、ハルケギニア全土に支店を持つ。「エルフ以外となら、誰とでも商売をする」と陰口を叩かれる情報網は伊達ではない。ガリア国王ロペスピエール3世崩御の情報も、ヘンリーはシュバルト商会経由で得ることが出来た。

そのシュバルト商会をしても、先のガリアのトリステイン侵攻は予測できなかった。元々、ガリアを中心とした旧西フランク諸国は、ロマリアに本店を持つロンバルディア商会の勢力圏で、シュバルト商会は遅れをとっていた。折悪しく、その時アルベルトはロンディニウムに滞在していたため、否が応でもヘンリーと顔合わせをせざるを得なかった。

その時の、目の前の男の笑みときたら!

密約がなくとも、これだけの軍事作戦を、察知することが出来なかったのだ。情報こそ生命線である商会にとって、これは深刻な事態だ。もし戦争が長引けば、国境を越えて行う商取引や、金融業に与えた影響は計り知れなかったのだ。アルベルトは各支店に、情報収集機能の強化を命じていた。


同じ失敗は2度としない。簡単なようで難しいことだが、アルベルトはいつでもそれを成し遂げてきた。


さあ、どんな質問でも、ばっちこーい!


「・・・どういう意味だ?」
「・・・わかりません」

「まぁいい・・・ゲルマニアについてだが。近日中、もしくは半年以内に、軍事作戦を起こす兆候はあるかね?」

ヘンリーの言葉に、大商会の代表は首をかしげた。



ラグドリアン戦争終結の戦塵覚めやらぬ緊張状態の合間を縫って、トリステイン王国ヴィンドボナ総督のホーエンツオレルン家が独立を宣言したのが2ヶ月前のこと。

トリステインは、上は国王から、下はトリスタニアの平民にいたるまで、反ゲルマニア一色に染まった。アルベルトが付き合いのあるトリステイン貴族から集めた情報によると、王宮は、リシュリュー外務卿を初めとする外務省や文治官僚は強硬派、逆に軍部が慎重論を唱えて二分されている。「軍事介入も辞さず」という一部強硬派の意見を、宰相に返り咲いたエスターシュ大公が矢面に立って、不満を一身に引き受けながら、押させている状態だという。

国王フィリップ3世も、軍の派兵には反対なのだろう。「ゲルマニア討つべし」一色の世論では、表立って反対意見を述べられないために、わざわざエスターシュ大公を再登板させるという、遠まわしなことを行ったのだ。

「・・・」

アルベルトの解説を聞くヘンリーの反応は思わしくない。腕組みをしながら、机に広げた地図に視線を落としたままだ。服の下にいやな汗をかきながら、話を続ける。

「国境を接するガリアは、国内の引き締めで手一杯です。イベリア半島のグラナダ王国、トリステインに続いて、3つ目の戦線を戦線を自分で築くとは思えません。王の称号を与えたロマリアにしても、わざわざ喧嘩を吹っかける理由が見当たりません。旧東フランク諸国にしても・・・」

ヘンリーが口を開いた。

「そんなことは、君に言われなくともわかっている」


アルベルトは心の中で舌打ちをした。

まただ。小麦の相場だの、次のロマリア教皇の予想に関しては自信がある。だが、この王弟の考えだけは、さっぱり解からない。暗闇の中で、鼻と耳をふさがれて歩かされているようだ。会話の主導権を握られっぱなしなのは、商人として情けないかぎりだが、事実だけに受け入れざるを得ない。

ワインでもがぶ飲みしたい気分だと思いながら、アルベルトは尋ねる。


「・・・殿下は、ゲルマニアが軍事行動を、軍事作戦を他国に起こすとお考えで?」

肯定だと頷くヘンリーに、アルベルトは肩をすくめた。

「ありえませんな。あのケチな金貸し-ゲオルグ1世ですぞ?現実主義者を絵に描いたような男が。独立できただけでも御の字なのですから・・・」
「国際情勢の講義を受けるつもりで、貴様に会いに来たわけではないぞ」

アルベルトはそれまでの商売上の笑みをやめて、まるで悪戯が見つかった子供のように頭を掻いた。ついつい先走るのは、自分の悪い癖だ。いつもならこんな失敗をしでかすことはないのだが、この王子相手では、どうも調子が狂う。貴賓室をごてごてと飾り付けないように、いまさらヘンリー相手に、見栄やハッタリをかましても仕方がない。


「失礼・・・私の考えはともかく、現状でゲルマニアには軍事作戦の兆候は見られません。食料や武器弾薬など、平時か、それ以下の注文しか受けておりません。他の商会も同様です」

ガリアやロマリアならともかく、旧東フランク諸国の中で、シュバルト商会を出し抜けるものなど存在しない。これは自信でもハッタリでもなく、事実である。

「市場はラグドリアン戦争から以降、下がりっぱなしで、買占めの兆候は見られません・・・それと、ゲルマニアは傭兵団に対して、雇用の延長契約を結ばないと通告しました。つい三日前の話です」

ガリアが常備軍を採用して以降、その有効性(1年中、軍を自由に動かすことができる)は、ハルケギニア諸国で広く理解されていた。だが、実際には財政的な面から、常備軍の導入を始めた国は少なかった。金のかかる常備軍より、問題行動があろうとも、短期の雇用ですむ傭兵のほうがいいと考えていたからだ。

「これから戦争しようという国が、そんなことをするでしょうか?」
「・・・わざと油断させるために、これ見よがしに解雇を行うという可能性は?」

アルベルトは胸の前で手を振った。

「ありえませんな。腹が減っては、戦はできんのです。武器も何もなしの、パンツ一丁のゴーレム軍団だけで作戦を行うというのなら話は別ですが」

何故かブリーフをはいたゴーレムが頭に浮かんで、ヘンリーは噴いた。アルベルトも、ようやく難関を乗り越えたかと、ほっとした表情で続ける。



「これは関係ないと思いますが、ゲルマニアが近隣諸国に関税同盟を呼びかけたそうです。これから戦争しようという国が、商売しようと呼びか「なんだと?」


ヘンリーの口調が厳しくなる。和らぎかけた空気は、一瞬で吹き飛んだ。

「間違いないか?ゲルマニアが、関税同盟を?」
「え、ええ。旧東フランク諸国に対して。私ども商会としては、願ったり叶ったりなのですが・・・」


すでにヘンリーの関心はこちらにはない。眉間に皺を寄せ、腕組みをしながら、考えに没頭している。いつものことだが、彼の考えていることが、さっぱりわからん。ゲルマニアが関税同盟を呼びかけたのが、そんなに重要な事態なのか?

机の上に広げた、旧東フランク地域の地図を見ながら、ヘンリーは呟いた。



「まったく、金貸しが嫌われるわけだよ」


(貴方にだけは、絶対言われたくない)と、金融業も営むアルベルトは思った。



[17077] 第17話「老職人と最後の騎士」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/04/08 19:24
「自由のためなら、名誉のためと同じように、生命を賭けることもできるし、また賭けねばならない」


そう言った「騎士」がいた。


男は生まれながらの騎士ではなかった。貴族でも、軍人でも、ましてや役人でもなかった。田舎の故郷で、少しばかり裕福な家に生まれただけである。すでに時代遅れとなっていた、理想の騎士について書かれた物語を読んでいくうちに、自分を「騎士」だと思い込んだ-善良で、哀れで、愚かな男だった。

架空の姫を恋い慕い、ロバのようにやせて小さい馬を愛馬とし、哀れみか、真性の馬鹿かはわからないが-ただひたすらに、滑稽なまでに忠誠を誓う、気のいい農夫を従者として。自称「騎士」は世直しの旅に出た。


男は、自分が英雄でも、ましてや騎士でもないことを、そして本の中の、自分があこがれた、古き良き伝統に基づく騎士道を守る騎士が、世界からいなくなっている事を、認めようとはしなかった。それゆえ、自分が排斥され、馬鹿にされ、精神病扱いされ、再起不能の大怪我を負っても


粗末なあばら家のベットで、従者に見取られながら、「騎士」は、一人満足して、神の元に召された。

最後まで戦い続けた男の死により、世界から「騎士」を名乗るものはいなくなった。そして、この世から、この自称「騎士」の記憶を持つものがいなくなると同時に、騎士と言う存在すら忘れられる・・・かと思われた。


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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(老職人と最後の騎士)

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ガリア王国の首都リュテイスは、ハルケギニアでも有数の大河・シレ河と共に成長してきた。ロマリア大王ジェリオ・チェザーレの遠征により、火竜山脈から南を支配されると、当時の国王ロペスピエール1世が、防衛に適したシレ河の中洲に首都を移したのが始まりである。

ロマリアを叩き出した後も、王家はこの地にあり続けた。東フランク崩壊後、名実共にハルケギニア1の大国となったガリアの首都に、人や商会が集まり、今では河に沿って5リーグ以上の都市が広がる、ハルケギニア一の大都市へと成長した。

旧市街地から川を挟んで東側、商会の本店や、銀行が連なるトルビヤック街。その一角に、しっかりと石を組み合わせ、漆喰とコンクリートで固めた、4階建てのひときわ高い建物が存在する。

「リュテイス商工会館」-リュテイスに本店を置く、すなわち、ガリア国内で商会や銀行を営む、ガリア商工界の主要メンバーが寄付して建設された会館である。「平民商人の社交場」と言われるように、ガリアで商売をする者にとって、ここで開かれる会議やパーティーに招かれることが、一種のステータスとされていた。




「あのブレーメンの、ロリコンの、ケツの穴がミジンコよりも小さい、イカサマのイン○ン糞野郎が!!」



・・・ここはリュテイス商工会館。ガリア商人のステータスとされる場所・・・のはず



会館3階の大会議場には、円形の大机と、それを取り巻くように20脚の椅子が置かれている。机が円形なのは、商人に上下は無いという建前と、いつでも他者を蹴落として、自分がトップに躍り出るという本心を現しているからだとされる。もっとも、そんな話はただの噂でしかない。実際には、上座だの下座だのといったくだらないことで、貴重な時間をつぶしくないという、味も素っ気も無い理由からだ。ここに集う者は、皆が「時は金なり」を身をもって知るものばかり・・・のはず


机の一角に陣取り、先ほどの、余り上品とは言えない内容を叫んでいた男が続ける。


「あの金貸しの吸血鬼野郎が!あ!?貴様らが着飾った服を切れるのは誰のおかげだと思ってる?!あ?私ら『毛織物ギルド』が、一からコツコツと、え?何十年もかけて、ド素人を職人に育ててきたからだろうが?!一体、一人の職人を育てるのに、どれだけの、どれだけの・・・何百、何千年という、先人の、職人たちの汗と血と、魂がこもっていると!!」

興奮の余り、椅子から立ち上がって、机の上に身を乗り出さんばかり。日ごろめったなことで感情をあらわにしない彼には珍しく、ワインも飲んでいないのに顔は真っ赤。太った白髪混じりの髭面と、威圧感を振りまくその言動は、一見傭兵崩れの強盗のように見えなくも無いが、その職業は腕利きの毛織物職人だ。


男-ドミニコは、ただの職人ではない。いくら腕利きとはいえ、それだけで、このリュテイス商工会館はくぐれない。ドミニコは『ガリア毛織物ギルド』の組合長という肩書きで、この会館への入館が許された。


ガリアは元々、その広大な領土から放牧が盛んで、自然と毛織物産業が発達した。自然と、ガリア毛織物産業の元締めである毛織物ギルドは、他国のギルドより優位に立つ。数年前まで-いや、半年前までは、「ガリア毛織物ギルド」は、トリステインやロマリア諸国のギルドをも傘下に治め、毛織物製品の価格決定に関しては、ハルケギニアの5大商会すら口出しさせないという影響力を持っていた。

その影響力を背景に、原料の羊毛の購入価格決定に関しても、意のままに進めていたのだが、今回それが、初めて覆される危機に直面した。誰あろう、ドミニコの言う「ブレーメンのロリコン」によって。



「ブレーメンのロリコン」とは、ハノーバー王国の首都ブレーメンに本店を持つシュバルト商会の代表-アルベルト・シュバルトその人である(何故ロリコンかというと、彼は5年前に、17歳年下の、それもかなりべっぴんな女性を後妻に迎えたから-ようは嫉妬だ)。


***

アルビオンで稼働し始めた水力紡績工場の噂を聞いた毛織物職人の誰もが、その荒唐無稽な施設と機械、その目的を聞いた瞬間、鼻で笑った。シュバルト商会がなにやら大規模な用地を取得して、工場を建設しているということは知っていた。それが、まさか、そんな荒唐無稽なことをするためだとは!

羊毛を糸に加工するという、複雑で手間の掛かる作業。羊毛と一口に言っても、一頭一頭、毛質はまるで違う。汚れを取って、質を見極め、少しづつ糸に繰っていく-魔法でも不可能な、神の創りたもうた精密機械-人にしか出来ない。

それを、平民の老人が作ったという機械が、代弁する?馬鹿も休み休み言え。お前ら、一度でいいから糸を紡ぎだしてみろ。そんな世迷い語とはいえなくなるだろう。糸は現場で繰ってんだ、帳簿でしか数えたことのないお前らに何がわかる?

「現場の人間なめんな、商人ども」

職人達は、長年の実績と経験から、それが不可能だと判断した。


それゆえ「羊1頭の羊毛なら1日以内で糸に加工する、出来なければ違約金を払う」という、シュバルト商会の条件を、法外ともいえる手数料契約を後払いで結んで、笑いながら受け入れた。「やれるもんならやってみろ」とでも、言わんばかりに



結果は、言うまでもないだろう


「人間なめんな、石頭」とでも言うべきか?それとも神か。



シュバルト商会は、この契約をギルドを通さずに行った。国内外の「ガリア毛織物ギルド」に所属する職人や商会に、個人の伝を頼って人を派遣。一軒一軒、「どうか、お願いします」と頭を下げさせたのだ。

本来、紡績作業はアルバイトとして農家などに外注していた作業。職人達は、わざわざギルドに相談することもない(実際これまでもそうであった)と、たかをくくり、気前よく発注した。ギルドから割り当てられた手持ちの羊毛の全てを任せた職人もいる。

冷静に考えれば、大陸一の大商会が、自分たちのような小さな職人と、わざわざ不利益な契約を結びに来るという、不自然な話。警戒して当然、疑問に思わないないほうがおかしいというものだ。


だが、彼らは目先の小遣い稼ぎの誘惑に酔いしれて、契約の不自然さに気付くことはなかった。ギルドに割り当てられた仕事だけをしていれば、食いっぱぐれることはないが、それ以上儲けることはできない。ギルドを出し抜くことは、最低限の生活保障さえ失うことを意味する。

今回の場合、やたら権限にうるさいギルドの機嫌を損ねる心配がない上に、適度な臨時収入が手に入る。それも自分だけが「つて」があったお陰で、他の職人を出し抜いて-信じる者達は、都合のいい事実だけを信じ、始祖と神に感謝しながら、前祝の酒に酔った。



題して「ちりも積もれば山となる作戦、パート3」

パート1と2の発案者である、アルビオンの王弟ですら「お前・・・刺されても知らんぞ」と、呆れたぐらいだ。



糸を持って真っ青になった職人達がギルドに駆け込んでも、時すでに遅し。シュバルト商会は、後払い契約金の支払いを、職人達の後見役であるギルドに求めた。積もり積もった契約金総額は、小国の国家予算にも匹敵する莫大なもので、たとえ「ガリア毛織物ギルド」といえども、そう簡単に払えたものではない。


なんのことはない。シュバルト商会は、最初から嵌めるつもりだったのだ。




そんな商会に狙われた、ハルケギニアでも有数の大ギルド「ガリア毛織物ギルド」の組合長に、何故ドミニコのような、腹芸の出来ない、昔かたぎの職人が就いているのかというと・・・話し出すと長いので、端折って言う。


かつて「神輿は軽くてパーがいい」と言った権力者がいたそうだが、組合員の利益を守る同業者組合の代表がパーでは困る。とはいえ、あまり切れ者なのも、その・・・なんだ、あれだ。ギルド全体の利益主張と見せかけて、当人だけが肥え太ろうとしたことは数知れず。切れすぎる刀は、扱いが面倒くさいのだ。交渉ごとでは、圧倒的な組合員を背景に、いけいけドンドン。そんなものに交渉術といったものは求められておらず、むしろ名誉会長的な存在が望ましい。そして・・・

言い出すとキリがないので、求められる人物像をまとめると・・・


「裏表のない性格で、度量がでかくて面倒見がよく、組合のめんどくさい仕事も嫌がらずにやってくれるが、金の使い込みや、せこせこした策謀を起こす心配はまるでない。人格的に気難しい職人たちからも尊敬を受ける、一流の毛織物職人」


いたのだ、そんな都合のいい人間が。ドミニコは(太い指からは想像も出来ないが)職人として一流であり、また見た目とたがわない面倒見のよさと、裏表のなさを見込まれて、組合長に推された。



そんな、決して軽くとも、パーでもないドミニコを責めるのは、酷と言うものだ。


一体誰が想像しよう?

10人掛りで一週間以上かけて行っていた、糸を紡ぎだす作業を、わずか1日足らずで完成させてしまう機械が存在するとは?




ドミニコ自身は、シュバルト商会から同様の提案を受けていたが、丁重に断った。昔から外注していた農家にすでに発注済みだったこともあるが、人の弱みに付け込んだような契約は、彼の好むところではなかったからだ。それに、人の弱みを知ったからとて、その情報を人に伝えるほど、ドミニコの口は軽くなかった。


彼は良くも悪くも、職人だった。




ドミニコに付いて来たギルド所属の職人達は、組合長のように純粋に怒ってはいない。小遣い稼ぎをしようとしたのは、下っ端の職人達だけではなかった。自分達が欲を掻いた為に招いたという負い目もある。これ以上、恥をさらしたくなかった。


ましてや、金の無心に来ている今は


~~~

「お話は理解しました。要は、失敗の尻拭いをして欲しいと、こういうわけですな」

リュテイス商工会館役員にして、ガリア銀行協会会長のリチャード・アークライトの、突き放した言葉に、組合役員は下を向き、ドミニコは顔色を変えた。

「会長!それは、余りにも・・・」
「事実でしょう?自分達の間抜けさの後始末を、尻拭いを手伝えとおっしゃる-童にならともかく、大の大人相手に、これ以上に丁寧な言い方は、私の辞書にはありませんな」

ドミニコは机の上に置いた両手を握り締めた。自分に全く落ち度のない(気が付かなかったという瑕疵はあるが)、組合員達の独断専行の末の失敗であるのに、ギルドの長として、そこから逃げずに、打開のために奔走する彼は、ある意味理想の上司ではある。

だが、理想の上司が、必ずしも有能とはいえないのが難しいところだ。


「確かに、その紡績機とやらは、これまでの常識を覆す物だったのでしょう。そして、シュバルト商会が、あなた方の無知と欲に付け込んだ-それも間違いではない」

アークライトは鼻眼鏡を指で上げながら続ける。

「だが、あなた方は『出来るはずが無い』と勝手に即断した。現物の機械も見もせずに-職人でありながら、書類上の金に踊らされた、まさに『労働なき冨』を追い求めた結果ではありませんか?」

痛烈な皮肉に、組合役員達は言葉も返せない。


「労働なき冨」は、ロマリア宗教庁や、熱心なブリミル教信者が、金融やそれに携わる者を批判する言葉。働きもせずに、利息で生活する者はけしからんと、そう言いたいのだ。

信者から献金を搾り取り、何の富も生み出さない馬鹿でかい教会を立てている貴様らはどうなのだと、聖堂騎士に聞かれれば、間違いなく胴と首が泣き別れになるようなことを考えているのが、アークライトの今日この頃である。


閑話休題


ブリミル教の教えはともかくとして、職人というのは、腕一本で生計を立てているという自負心から、押しなべて自尊心が強い。それゆえ、金融業者を、どこか一段下に見ているところがある。

日頃、自分達を見下しておきながら、この様か-これ以上無い嫌味だ。


そんな嫌味や皮肉の視線にも、ドミニコは目を逸らさらず、逆に睨み返している。組合員達や職人、その家族-自分が逃げることは。彼らを路頭に迷わせることになる。それに、3千年以上続く、毛織物職人の伝統を背負っているのだという自覚があるからだ。

覚悟は買うが、それだけで金を貸すことは出来ない。


「で、シュバルト商会はなんと言って来てるのです?」

ドミニコは目を見開いた。これ以上わかりやすい驚いた表情があるだろうか?何故シュバルト商会が、債権取立ての猶予と引き換えに、条件を突きつけてきた事を知っているのかと、どうしてばれたのかと-それを見たアークライトは、初めて苦笑いを浮かべた。ドミニコの正直さが、滑稽でもあり、うらやましくもあった。

「あ、あぁ、はい。それが、ギルド主導で、業界再編を、業者の数を減らすようにと」
「ほう、それはそれは」

アークライトはドミニコにあわせて、驚いたような顔をしたが、シュバルト商会の提案は、予想通りの回答だ。

現状、毛織物価格が高止まりしているのは、価格交渉に絶大な影響力を持つ「ガリア毛織物ギルド」の存在もあるが-何より、独立した職人の数が多すぎるのだ。少数経営のため、製造コストが高くつき、それが販売価格に影響する。商会などはその事実に気がついていたが、その弊害を是正するのは容易ではない。ギルドに手を突っ込むことは、一人一人の職人達が持つ、既得権益を奪うということなのだ。


今回のシュバルト商会の「だまし討ち」も、一気に業界再編を行うことによって、有無を言わさず、職人達の権益を巻き上げることが目的なのだろう。牙を抜き去った狼など、豚にも劣る。飢えを待って、丸焼きにするなり、家畜にするなり、好きに出来るというわけだ。一番勢力の強いギルドを狙い撃ちにすることによって、あとは各個撃破すればいい。


こうして、シュバルト商会は、ハルゲギニア毛織物産業の新たな王となるのだ。



前述のアルビオンの王弟は、そう言って高笑いするブレーメンのロリコンを見ながら、しばらくお付き合いを控えようかなと考えていた。一緒に恨まれたら、たまったものではない。



アークライトがシュバルト商会の立場なら、同じことを主張していただろう。

そして「ガリア銀行協会会長」のアークライトも、同じ事を要求する。



「協会として融資の条件は唯一つ、シュバルト商会と同じですな」
「・・・っ、な、何を!何ですと?!」

憤然とするドミニコとは違い、組合の役員達は、ある意味予想していたのか、さして驚きもせず、そして愕然としながら、その言葉を受け止めた。


高コスト体質を改善しない限り、毛織物ギルドに-なにより毛織物産業全体に、明るい展望は開けない。そして、血を流す改革は、組合員同士の権益を守りながら、品質を維持するという、同業者組合の理念と矛盾する。


「ガリア毛織物ギルド」は、その成り立ちや名前からして、ガリアの職人業者の指導力が強かった。それが、次第に他国の職人達の技術が上がるにつれて、組合のガリア指導に反発が出始めていた。先のラグドリアン戦争の際、トリステイン国内の毛織物ギルドが脱会。それを切っ掛けに、ロマリア諸国のギルドも、ロンバルディア商会が主導する業界再編に、櫛の歯が抜けるように脱会届が届けられ、体制は動揺を始めていた。

この状況で、シュバルト商会からの一撃-シュバルト商会の提案を受け入れるにしろ、ガリア銀行協会から融資を受けるにしろ、「ガリア毛織物ギルド」には、解体という選択肢しか存在しないのだ。




第五回聖地回復運動に参加し「最後の騎士」と呼ばれた、イベリア王国のアマディス・デ・ガウラ子爵は、エルフの攻勢に、聖戦軍が総崩れとなる中、一人で敵陣に突入することを表明。無謀だと止める周囲に、彼はただ一言だけ告げて、馬を返した。


「俺は、騎士なんだ」と


必死に、毛織物職人としてのプライドを守ろうとしている、目の前の老職人を見ていると、何故か、この無謀な騎士の姿が思い浮かぶ。


アークライトは、目の前の、おそらく「最後の組合長」と呼ばれるであろうドミニコに、慰めの言葉をかける事はしなかった。


「・・・いかがしますか」

ドミニコは、その両手で、顔を覆った。彼の職人としての人生を刻み込んだ、太くて短い、タコと節だらけの、ごつごつした手で。

震える唇で、何とか言葉を紡ぎ出す。

「・・・何故だ?何故、こうなった?」
「時代、ですかな」

柄にも無いことを言っているのはわかっているが、それ以外に言葉が見当たらなかった。

「ガリア毛織物ギルド」と言えば、ハルケギニアの毛織物職人達の憧れであり、目標であった。それが、今では存亡の淵に-いや、解体へのカウントダウンを始めている。騎士の時代が終わりをつげたように、職人達が腕一本で、国をまたいで渡り歩く時代が終わろうとしていたのだ。水力紡績機は、その切っ掛けでしかない。


アークライトは、もう一度尋ねた。

「いかがいたしますか?」


返事はない。それが返事であった。


***

「帰られました」
「あぁ、そうか」

秘書の報告に、気のない返事を返すアークライト。ドミニコたちが出て行った後も、大会議場から出て行かず、わざわざ持って来させたワインを、浮かない顔でデキャンタからグラスに注ぐ。

誇り高き老職人の幻想を打ち砕く役回りが、面白いわけがない。ドミニコはここで断られても、それこそ「ガリア毛織物ギルド」の看板を背負う、最後のひとりとなっても、金策に走り回るのだろう。

間抜けな組合員の尻拭いのためではなく、自らの、毛織物職人としての誇りを守る為に。


ワインのコルク片を手で弄っていると、報告を終えた秘書官が部屋を出て行かないことに気がついた。若い秘書は、躊躇いがちに、こちらを伺っている。

「なんだ?」
「え、ええ、その」
「早く言いたまえ」

いつもハキハキとした彼にしては珍しく、歯切れの悪いその態度。秘書は、やはり言葉を選びながら尋ねた。

「・・・ドミニコ氏は、どうなるのでしょう」

気になることは誰でも同じらしい。アークライトは、唇の端を吊り上げながら、若い秘書官に答えた。

「心配いらん。腕のいい職人は、どこでだって必要とされるものさ」



ギルドがなくなることにより、一番泣きを見るのは、中から下の腕しか持たない職人達である。ギルドという後ろ盾をなくした彼らが、ましてシュバルト商会から莫大な借財を背負った身で、ひとり立ちをしていくことは不可能である。いずれ、職人としての誇りもプライドも捨て、単なる一熟練労働者として、機械の下で働くのであろう。

人の手でなければ、不可能だと考えられてきた紡績ですら、機械化できたのだ。それ以上の事、糸から布地に織り出す作業が、そこから先の工程が不可能だと、神ならぬ-なにより、神に嫌われているとされる金貸しの我らが、どうして判断できよう?



そうなった時、生き残れるのは-ドミニコのような、名実兼ね備えた職人だけ



安心した顔で出て行く秘書を見送りながら、アークライトは、誰もいなくなった大会議場に向かって呟く。

「騎士は死して名を残し、職人は作品を残す、か」


手元のグラスを一気に傾ける。


タルブの5990年-悪くないはずだが-何故か、渋い苦味を感じた。



***

3年後、ドミニコは「ガリア毛織物ギルド」の解散を宣言。残った資本金を、最後まで残った組合員達に分けると、故郷のカルカソンヌで、自分と家族だけの小さな工場を立ち上げた。

太い指に似合わない、きめ細やかな仕事振りは、高い評価を受け、後に、彼とその子孫の毛織物は、高級ブランド『ドミニコ』として確立。長く王家や貴族達に愛されることになるのだが-アークライトはそれを知らない。


まして、異世界の愚かな男が死んだ後に、どうなったか等・・・所詮は一銀行家でしかない彼が、知るはずもない。




男は、「騎士」として、物語の主人公となった。

様々な言葉に翻訳され、多くの人々に、時代と年齢を超えて、長く読み継がれることになった自身の生涯が、故郷の村で、彼が憧れたような内容であったのかどうかは-「騎士」として、その一生を駆け抜ける事が出来た彼にとっては、どうでもいいことであろう。



[17077] 第18話「御前会議は踊る」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/05/17 12:37
「水と安全はタダ」

水と安全のある星には、双子宇宙人が襲ってくる。そして子供達のヒーローである、紅白模様の宇宙人がやっつけてくれる・・・残念ながら、ハルケギニアにはインスタントラーメンの完成を待てない、せっかちな宇宙人は存在しない。よって、この法則は成り立たない。


安全とは何か?

対外的には軍事的脅威にさらされない、国内的には治安が保たれるということに集約されるだろう。後者は前者の担保があってのこと。逆はありえない。国境線の向こうから、いつ鉄砲玉が飛んでくるかわからない場所で、治安がどうこうという話になるわけがない。

それこそ、38度線のように、極度の軍事的緊張によって「安定」はもたらされるかも知れないが、軍人と外交官以外は立ち入り出来ない場所で、安心して商売が出来るわけが無い。


要はその場所が、どこの国に属しているか。国防や治安の責任を負う組織と、責任の所在が明らかであり、共にその実力を兼ね備えているか-この最低限のリスクさえ把握できれば、商人はどこへだって出かける。なにせ、あのエルフの住むサハラにも、密かにキャラバン(商隊)を派遣して、交易を行う商人もいるくらいだ。確かに、あの砂漠のど真ん中で、エルフ以上に、信頼できる秩序は存在しない。それなら・・・異端審問の恐怖より、金への執着のほうが勝った、いい例である。

そんな商人がいるおかけで、某エルフの女学者の部屋は、彼らのいう「蛮人」の装飾で満ちているのだ。


閑話休題


ガリアが大国なのは何故か-それは広い国境線と領土を護る強大な常備軍、そして治安を守る責任の所在が明らかだからだ。この裏づけがあってこそ、ガリアの広大な領土と、そこに住む1500万人は、一つの「市場」たりえる。ガリアの貴族領土で、トラブルに巻き込まれても、最終的にはリュテイスに訴えれば、最終的に責任を持って対応してくれるのがわかってるから、商人たちは安心して商いに集中できる。


現在(ブリミル暦6214年)ハルケギニア大陸で、ガリアに匹敵する領土を持つ国は存在しない。統一国家としてはトリステインが続くが、その広さはガリアの10分の1程度。アルビオンにいたっては、トリステインの2分の1程度でしかない。

唯一、ガリアに匹敵する領土と人口を持ちえるのが、東フランク地域-ガリア王家の忌まわしき伝統原因ともなった、双子の兄を祖とする王国の治めていた地域である。統一出来れば、その領土はガリアに匹敵する、人口2000万人の一大国家-市場が誕生する。


東フランク地域の統一-それは幾度も試みられ、国や都市のエゴによって、ことごとく失敗してきた。4210年のロマリア条約によって、名目上存在しつつけていた東フランク王国が、完全に解体されると(擦り切れて紙屑のようになっていたが)数少ない統一の大義名分さえなくなった。



「人のいく 裏に道あり 銭の花」



コロンブスのアメリカ大陸発見しかり、パナマ運河しかり。誰もが夢物語だと決め付け、無理だと諦め、考えることすら放棄した事にこそ、思いもがけない儲け話が転がっているかもしれない。


そして、ヴィンドボナの旧総督府-現在のゲルマニア王国王宮の主である老人も、「東フランクの再統一」という夢物語に、莫大な金の臭いをかぎつけていると、ヘンリーは考えていた。

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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(御前会議は踊る)

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「そもそも、このような議題を検討すること自体に、意味はあるのですかな?」

ゲルマニアに対する外交政策を検討する御前会議の冒頭。いきなり全ての前提を否定する言葉をぶちかましてくれた、アルビオン王立空軍参謀長ジョージ・ブリッジス・ロドニー空軍中将の発言に、参加者達はそれぞれの反応を示した。



アルビオン国王ジェームズ1世は、手元の書類から目だけを上げて、鋭い視線を参謀長に向けていた。

ジェームズの実弟にして、長らく空位となっていたカンバーランド公爵の称号を相続したヘンリーは、会議の波乱に満ちた幕開けに頭痛を覚えたのか、こめかみを押さえていた。

外務卿のパーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプルは、細い顔に不似合いな、その大きな眼を、さらに見開いていた。驚いているのではなく、この若い空軍中将の意図するところを探るため。まるで出目金である。

王立空軍司令官のチャールズ・カニンガム空軍大将は、参謀長の暴言はいつもの事だと、平然と鼻毛を抜いていた。船の上では鼻毛の伸びが早いのだ。王族を前にして、いい根性である。

そんな空軍大将に眉をひそめているのが、侍従長代理のエセックス男爵と、外務次官のセヴァーン子爵。内務卿のモーニングトン伯爵に至っては、参謀長の発言に「ぽかん」と口を開けるばかり。


王国宰相のスタンリー・スラックトン侯爵は、各々の反応を、少しこけた頬まで覆う、見事な顎鬚をしごきながら、面白そうに眺めていた。




そして、そんな部屋の空気を、いっそすがすがしいほど無視するロドニー参謀長。

名門出身でも、閥族の後ろ盾もなく、若干45歳にして、王立空軍の軍事作戦の全てに責任を負う参謀長となった彼には、朝から晩まで、膨大な嫉妬や羨望の感情が向けられている。この程度の反応では、蚊に刺されたほども感じない。

人を人とも思わぬ言動で、兵は勿論、下士官や、カニンガム以外の空軍将校の殆ど全てから嫌われているロドニーは、悪感情を差し引いても認めざるを得ない、その明晰で冷徹な頭脳から、会議の議題についての疑問点を列挙していく。


「そもそも、何故ゲルマニアなのです?確かに、ゲルマニア王国が、わが国の準同盟国たるトリステイン王国の仮想敵国なのは間違いありません。ですが、それはあくまでトリステインの話。わが国とゲルマニアには、何の外交問題も存在しません」

立て板に水、流れるように、そして無駄なく要点だけを的確に述べるロドニー参謀長。セヴァーン外務次官がかすかに頷きならが、同意見だと表明する。


外交とは(特に問題のない限りにおいては)現状の維持が目的となる。問題が起きなければいい-悪く言えば「ことなかれ」なのが、大方の外交官の心情だ。特に、通商こそが国家の生命線であるアルビオンにとって、大陸諸国、たとえどんな小国であっても外交問題を抱えたくないという全方位外交-八方美人外交こそが正しいという見解に至るのは、ごく自然な流れであった。昨年のラグドリアン戦争でも、外務省は、準同盟国トリステインへの軍事行動への支援を渋り、セヴァーン次官が、国王ジェームズ1世直々に叱責されるという事態を引き起こした。

確かに、超大国であるガリア王国に睨まれることは、避けるべき事態ではある。通商的にも、最大の貿易相手国でもあるのだから。だからといって、同盟国の危機に知らんふりをする国は、最終的にはどこからも信頼を受けることは出来ないという、ある意味当然な主張を、パーマストン外務卿や、今はサヴォイア王国からの帰途にあるデヴォンシャー侍従長が声高に主張したため、トリステインへの後方支援活動は決定された。

とはいえ、何もトリステインへ同情したことや、同盟国を見殺しにしたという外聞をはばかったことばかりが理由ではない。アルビオンからの貿易船は、その多くがトリステイン領のラ・ロシェールで補給を行ってから、大陸各国の目的地へと赴く。目的地まで補給無しに航海出来るほど、風石や食料を積載できる船は限られている。港湾使用権をちらつかせながらの補給要請に、アルビオン政府はしぶしぶ認めたというのが実情であった。


そんなアルビオンで、わざわざゲルマニア王国を対象にした外交戦略を検討するというのだから、外務省だけではなく、軍とて面白かろうはずがない。確かに、様々な可能性を考え、事前の戦略を検討しておくことは大事だが、むやみやたらに検討する必要はない。


そして、最大の懸念にして、ロドニー参謀長やセヴァーン子爵が抱く、最大の疑問-「何故ゲルマニアなのか」

確かにゲルマニアは、準同盟国たるトリステインの仮想的だ。まともな空軍も存在しない中規模国家のゲルマニアなら、敵に回してもたいしたことはない。武力衝突が起きれば、アルビオンは間違いなくトリステインに付くだろう。わざわざ検討するような国ではない



ヘンリーは文字通り「まいったな~」と言わんばかりに、あごを撫でていた。「帝政ゲルマニア」の成立を知らないのであれば、彼らの懸念や疑問はもっともである。帝政ゲルマニアが出来ることを知っているのは、原作展開を知っている自分と、妻のキャサリンしかいない。これが百歩譲って「未来を知っている」のなら・・・それでも電波扱いなのは間違いないが、それなりに説得力のある事を言えるのだが、これはあくまで小説の話。しかも彼は結論しか知らない。どうやって帝政ゲルマニアが成立したのか、まるでわからないのだ。

結論は知っているけど、過程は知らない。カレーの味は知っているが、どうやって香辛料を作るのか知らないのと、同じ理屈だ。「スパイシーで、辛くて、茶色い」これだけでカレーを作れといわれても、魔法でも無理というものである。


その無理を承知で、ヘンリーは会議の開催を訴えた。スラックトン宰相は「まぁよろしいでしょう」と後押ししてくれたが、この爺さんの「いいでしょう」は「手伝うけど、責任者はあんただからね」という、究極の丸投げだということを、最近ようやく知った。

完全に任せるということは、最終的には共通して責任を負うのだという、絶対の信頼の裏返しということも。


カレーの味だけでカレーを作れというような話だが、それでもやらなければならなかった。少なくとも原作ではカレーの注文(帝政ゲルマニアの成立)があったのだ。同じ共通認識を持つことは無理でも、いきなり注文されるより、「注文あるよ」と知らせておくことは意味がある。会議を開催したことだけでも、ヘンリーの目論見は、ある程度達成されていた。


さて、どうやって説得するかなと、ヘンリーが考えていると、先にパーマストン外務卿が口を開いた。


「検討すること自体は必要だ。ガリアとの冷戦状態がしばらく続くだろうと仮定した場合、武力衝突が起きる可能性が最も高いのは、かの国だ。その国について検討することは、意味はあると思うが?」

先代国王の時代から19年の長きにわたり、アルビオン外交を主導してきた子爵の発言に、納得はしていないが、ロドニーやセヴァーンも耳を傾ける。亀の甲と年の功の両方を、そして実績を積み重ねてきた老外交官だからこその芸当だ。


その老人にしても、ヘンリーの考えに全面的に納得しているわけではない。特にゲルマニアだけを主眼におく事には反対であった。パーマストンにとって、ゲルマニアは旧東フランク地域に出来た、新興の一国家でしかない。この国だけを重視することは、かえって外交戦略全体にゆがみをもたらすという、国家間の勢力バランスを重視しながら、アルビオンの国益を追求するという、きわめて彼らしい考え方からである。

あぁ、せめて、スパイスの種類ぐらいわかってればなぁ・・・と、ないものねだりをしても仕方がない。とりあえず、現状でわかっている事から、検討できることを列挙し、可能性のあることを述べていくしかない。


ヘンリーは会議の前に、あらかじめシェルバーン財務卿に、その可能性の一つを話しておいた。やらせというわけではないが、自分だけが目立つことは好ましくない。もしこの会議の内容が漏れて、王族である「自分だけ」がゲルマニアを警戒しているということがわかれば、両国関係に無用な緊張をもたらしかねない。その点、閣僚とはいえ、シェルバーンはアルビオンの一貴族に過ぎない。替えだってきく。



ずるい?作戦といって欲しいですな。作戦と



どうせまたろくでもないことを考えているんだろうと思いながら、シェルバーンは綺麗にそった頭を光らせて、発言の許可を求める(余談だが、彼のあだ名は「逆さホタル」である。無論、名づけ親はヘンリーだ)


「まず、ゲルマニア王国に関する動きですが-つい先月『ヴィンドボナ通商関税同盟』が締結。参加国は、主導したゲルマニアを始め、ダルリアダ大公国、トリエント公国、バイエルン王国、そしてヴュルテンベルク王国の5カ国が参加しました」

「・・・旧東フランク地域南西諸国か」

机に広げられた、縦横7メイルにもなるハルゲギニアの大地図を見下ろしながら、カニンガム大将がつぶやく

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(ブリミル暦6214年の旧東フランク地域)



                          ボンメルン大公国
               北
              部
             都
            市            ザクセン王国
           同
          盟
              ハノーヴァー王国

    トリステイン王国                 ベーメン王国

                            
              ゲルマニア王国

            ヴュルテンベルク王国          バイエルン王国
                     ダルリアダ大公国
                 トリエント公国
ガ リ ア

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クルデンホルフ大公国は未だ国として確立していないが、トリステインに属する大公として、大公国時代と同じ領土を、ガリアとの国境に有しており、先のラクドリアン戦争でも最前線で奮戦した。

ヴェルサイテイル宮殿を護衛する傭兵で有名なベルゲン大公国は、ガリアとヴェルデンベルク王国の国境に存在するが、外交権はガリアに属するため、ここには書かれていない。同じように、外交権を保有していない公国や侯国も未記載だ。

領土の規模で言えば、ゲルマニア・ザクセン・ボンメルン・ベーメンの4カ国が、トリステイン領の約2倍、バイエルン・ハノーヴァー・北部都市同盟が、トリステインと同じ規模の、ヴェルデンブルグ王国がトリステインの4分の1で続き、ダルリアダ大公国・トリエント公国がクルデンホルフ大公家領と同じ規模の領土を領有している。


ヘンリーは何十年前に見た、ウ○キペディアのハルケギニアの地図を思い出して比べてみる。ガリアがいかに桁違いか、帝政ゲルマニアの領土が、どれほど広大だったかがわかる。


ってか、よくこれでトリステイン滅ぼされなかったよなぁ・・・ジョセフがその気になれば「プチ」でやられちゃうよ、「プチ」で。帝政ゲルマニアとなら、塵のように吹き飛ばされるって。よくゲルマニアを「成り上がり」って馬鹿に出来たよな。俺なら怖くて出来ねえよ。無謀と勇気を履き違えてるよな・・・いつまで大国気分なんだか、まったく・・・



ヘンリーの思考がいつものように脱線する中でも、会議は続く。

「私は経済には疎いのだが・・・その、関税同盟とは何だね?」

エセックス男爵の疑問は、大方の参加者の共通した疑問であったようで、カニンガム大将などは「よく聞いてくれた」という感謝の視線を送っている。聞きたいことやわからないことを素直に聞けるのが、スラックトンの長所である。塩爺曰く、「戦場では、知ったかぶりは死を招く」という、現場の人間らしい台詞だ。こういう人間がいる限り、アルビオンは大丈夫だ。

シェルバーンは、さてどう説明したものかと頭を撫でながら、言葉を選びながら言う。

「そうですなぁ・・・まず、関税は、その国が、物の輸入にかける税金です。この関税同盟が締結された国と国の間では、その関税を一定の割合で下げる、もしくは完全に0にするということです」


財務卿は出来るだけ、噛み砕いて説明したつもりだったが、参加者の頭上には「?」が飛び交っていた。

シェルバーンがそれを見て笑うことはない。自分も経済概念を理解するために、何年も実地で学び、本を読み漁ったのだ。今それを聞いて、すぐに理解できるほうがおかしい。

もっとも、ヘンリー王子は、言われるでもなく理解しておられたようだが。いつもの事だが、この王弟には、感心するやら、悲しくなるやら、呆れるやら・・・

こちらもいろいろと思いを巡らせながら、シェルバーンは説明を続ける。




関税は、文字通り「関」でかかる税金。国境の港や関所で、国内へ持ち込まれる物資に応じて徴収される。元々は、間接税の一つでしかなかったが、ディドロ商会代表にして、ハノーヴァー王国財政顧問だったジャン・ディドロ(6070-6120)が「保護貿易関税」を訴えたことで、一躍その税としての価値が高まった。

ディドロは関税に「国内産業の保護育成のために、海外製品に税をかけて、国内での競争を有利にする」という、新しい政策的意味合いを見出した。それは、まず将来性が見込める未成熟な産業の育成と保護に重点をおき、関税機能を強化。貿易を統制することによって、金銀貨幣の流出を防ぐことで、物価の安定をはかり、経済成長と産業育成を両立させようというものであった。

ディドロ自身は、これが自由貿易を求める他の商会や、ハノーヴァー王国に影響力を持っていた北部都市同盟の反感をかって、追放される憂き目を見た。その後、彼の考えに共感したガリア国王シャルル11世に招かれ、王国経済財政顧問に就任。経済構造改革の理論的支柱として、ガリアの中央集権化政策に尽くした。

後世、彼のガリア行きは、歴史家に「ハノヴァーの最大の失策」と言わしめることになるが、この時点では、ディドロに高い評価を与えている者は、数えるほどしか存在しない。ヘンリーやシェルバーンは、その数少ない評価する側に入る。



話を戻すと-彼の登場によって、間接税の一つであった関税は、国内産業政策の一環として確立した。各国は競って関税を上げたが、それはガリアのような計画的な産業育成というものではなく、莫大な上納金と引き換えに、商会やギルドの言うがままに上げただけであった。即位当初のトリステイン国王フィリップ3世も、戦費をまかなうために、同じように関税を上げて、かえって国内産業の衰退と、物価の高騰を招いた。


「長々と解説はいらん。要はどういうことだ」

苛立たしげに、カニンガムが頭を掻き毟る。根っからの空の男は、遠まわしな言い方が苦手なのだ。ロドニー参謀長が宥める様に、紅茶のカップを勧めるのを、ひったくるようにとって飲み干す。さすがにこの若い空軍中将は、シェルバーンの言いたい事を、何となく察しているようだ。明確に「何か」とまではわかっていないようだが


「関税同盟は、これを一歩進めたものです」

旧東フランク各国は、共に国内市場(領土と国民)が限られており、その中での産業育成には限界があった。ガリアの様な広大な領土と、ずば抜けた人口がなければ、産業育成など出来るものではない。

そこでゲルマニア王国財務大臣のフリードリッヒ・フォン・リスト伯爵が提唱したのか関税同盟だ。

リスト伯曰く「市場がなければ作ればいい」-確かに、国境という障壁さえ取り払えば、ガリアを越える市場が誕生する。だが、経済の主導権をゲルマニアに握られることを嫌った北部諸国や、北部都市同盟は不参加を決め込んだ。それでも、国境を接する4カ国が呼びかけに賛同し、関税を引き下げること、一部の完全撤廃で合意した(合意形成までに、参加5カ国の代表団は、ヴィンドボナの旧総督府宮で、3ヶ月にわたって言葉の戦争を繰り返した)。

限定的とはいえ、関税が引き下げられたことは大きい。どんな小さな変化でも見逃さないのが商人。どのような商機を見出すのかは様々だが、ヴィンドボナを中心にして生まれた新たな市場に、少なからぬ資金が流れ込むのだろう。



「なんです?それでは、ゲルマニアは金儲けに忙しくて、トリステインなどかまっている暇はないということですか?」

内務卿のモーニングトン伯爵が、拍子抜けしたように、間の抜けた高い声を出す。わざわざ御前会議まで開くからには、もっと差し迫った危機があるのかと思ったら、この結果だ。エセックス男爵にいたっては、不機嫌そうな表情を隠そうとしていない。


「短期的に言えばそうなるのでしょうかね」

肩をすくめながらシェルバーンが言うと、視線が自然と一人に集まる。スラックトン宰相が発議したことになってはいるが、この場にいる誰もが、彼が音頭を取って、会議の開催を求めていたことを知っており、どのような意見を持っているのか、興味があった。

その人物は、視線にも気づかず、腕組みをして地図を見下ろしている。

「カンバーランド公」

セヴァーン子爵が、せっつくように声をかけるが、ヘンリーは返事を返さない。

「?」
「・・・ヘンリー、お前のことだ」

機嫌を損ねたかと、戸惑う外務次官に、国王が考えにふける弟のわき腹を小突くことで、助け舟を出した。

「あ、そうでした。私がカンバーランド公でした」
「しっかりせんか」


カンバーランド公爵家は、2000年ほど前のアルビオン国王チャールズ2世の庶子を祖とする公爵家。領地経営に失敗して早くに没落、長く宮廷貴族として活躍してきたが、300年ほど前に当主が亡くなった後は、領地もない爵位を継ぐ者は無かった。

ジェームズとしては、弟にヨーク大公家を継がせたかったが、リチャードという成人した跡継ぎがいるのに、無理強いは出来ない。ヘンリー自身が無頓着とはいえ、自分を補佐する弟が、いつまでも「王弟」という肩書きだけでは、少し頼りないのも確かだ。国内ならともかく、対外的に、アルビオンの王弟が、ただの「ヘンリー王子」というのは、いくらなんでも見栄えが悪い。

ジェームズから諮問を受けたスラックトン宰相は、頭を抱えるデヴォンシャー侍従長を差し置いて、カンバーランド公爵の称号を提案した。こうした「実」はないが、決して馬鹿に出来ない、名目上の政治問題の場合、軍人のデヴォンシャーは、「1000年に一人の宮廷政治家」と呼ばれるスラックトンの敵ではない。

ヘンリー自身は、名を飾り付けることに興味は無いが、肩書きの重要性は理解している。

だからと言って、急に「今日からお前は公爵」と言われても・・・この辺が、前世で一市民だったところの人間の悲しいところで。「カンバーランド公爵」と呼ばれても、いまいちピンと来ないのだ。この点、最初から、この世界の王族として育てられ、いきなり4つもの称号を与えられて、すぐに順応してみせた、現モード大公の実弟ウィリアムとの意識の差を思い知らされる。



閑話休題



いつもの事だが、王弟の間の抜けた対応に、会議の場にぬるんだ空気が流れる。わざとらしく咳き込むが、しらじらしいという視線が返されるだけ。


「うん、その、何だったかな・・・そうそう。ゲルマニアだけどね」

ヘンリーは樫の木で作った指棒を手に取り、ヴィンドボナ通商関税同盟の結ばれていた地域をぐるりと囲む。

「この関税同盟によって、旧東フランク地域南部に、トリステインを凌駕する巨大市場が生まれました。いずれこの地域は、経済的利害関係が生まれ、強固に結びつくでしょう。単に商売上にとどまれば、結構なことです。わが国にも経済的なチャンスが生まれるからね」

参加者達が、それぞれの反応で、静かに肯定の意を表す。それを見てヘンリーは続ける。

「しかし問題は、それだけにとどまらない場合だ。この通所関税同盟締結において、各国の調停機関がヴィンドボナに設置された事からもわかるように、これはゲルマニアの主導色が強い」

樫の棒で、北部地域を指す

「それを嫌がった北部都市同盟や、その影響化にあるハノーヴァー王国、独立独歩の傾向が強いザクセン王国は拒否しました。彼らの懸念は、ある意味正しい」

参謀長や外務卿が、何かに気づいたように顔を上げるが、両者の反応は対照的であった。ロドニーは困惑の表情を、パーマストンは感心したように頷いていた。

「旧東フランク地域に何かあれば、これら関税同盟の参加国は、ゲルマニアに付かざるを得なくなる。そして、それは時間が経過するにつれ、経済的利害関係が深まるにつれ、ますますその傾向を深める」

日頃冷静な彼には珍しく、取り乱したようにロドニー参謀長が口を開く。

「考えすぎではないですか?いくらなんでも、そのような事が・・・」
「ないとは言い切れるか?確かに前例のないことだ。だが、可能性は検討しておくべきだと思う。少なくとも、この南部地域で、ゲルマニアの主導権が強まることは確実なのだから」

遠まわしな言葉の応酬にたまりかねたカニンガム大将が叫んだ。

「いったい、何の話です?殿下は、ゲルマニアが、何を考えているというのです?!」


再び注目が集まり、ヘンリーは唾を飲んだ。喉がからからだが、紅茶を飲む気がしない。








「・・・旧東フランク地域の、再統一。これを長期的にもくろんでいると考えている」







参加者達が、冒頭のように、それぞれの反応をし、スラックトン宰相は楽しそうに眺めていた。











時に、ブリミル暦6214年。原作開始まで、あと30年















「結婚したーい!!」


「って、こらミリー!珍しく俺がカッコよかったのに、余韻壊すな!」

「だってしたいんですもん!それに最近私の出番ないし!ここで主張せずに、いつ主張できるっていうんですか!このままじゃ私、読者にも婚期にも忘れられちゃいます!だって私、今年で・・・きゃー!乙女の年齢聞かないでくださいよ!」

「いや、聞いてないし・・・ってか、お前、キャラ変わってない?」



[17077] 第19話「老人と王弟」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/04/13 20:19
「悲観主義者はすべての好機の中に困難を、楽観主義者はすべての困難の中に好機を発見する」

葉巻の似合う、島国の首相の言葉だ。

そして、同じ「島国」とも呼べなくない・・・いや「空国」というべき、アルビオン宰相の老侯爵も、どちらかというと楽観主義者であった。

もっとも、それが、彼の先天的な性格だったというわけではない。王宮という舞台で、権力を握った舞台俳優が何度も入れ替わるのを、脇役として見続け、そして自分がその立場になったがゆえに、たどり着いた境地であった。

文化と芸術の国の哲学者と同じように、老侯爵は、悲観主義はその時の気分により生まれ、楽観主義は、自己の意志によるものだと知っていた。そして、ままにならぬ事だらけのこの世の中で、唯一自分が自由にできるもの-意志を、その場の空気に流すほど、彼は「楽観主義者」ではなかった。


楽観主義を貫くには、お気楽な極楽鳥では務まらない。

強靭で、しなやかな、本当の意味での「強い」精神が必要なのだ。


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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(老人と王弟)

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「カンバー・・・いや、ヘンリー殿下。少しよろしいですかな」

会議終了後、最後まで椅子に腰掛けていたスタンリー・スラックトン宰相は、エセックス侍従長代理と打ち合わせをしていた王弟ヘンリーに声をかけた。


杖を突いて立ち上がろうとするが、思わずよろけて机に手を突く。今年で72歳になる老侯爵は、昨年末に宮中で転倒して以降、足が不自由になった。そのため国王ジェームズ1世から、鳩杖を下賜され、宮中での使用を許可されている。手を突いたスラックトンに、ヘンリーが慌てて駆け寄る。

「大丈夫ですか?」
「ははは・・・お恥ずかしいところを。よる年波には勝てませんな」

笑うと不思議な愛嬌のある侯爵に、ヘンリーも笑みを返す。

「で、お時間はございますかな」
「あー、いや。これから、ヴォルフ所長と会う約束があってね」

アルビオン王立魔法研究所所長-チャールズ・ヴォルフ。4系統全ての魔法技術に通じた才人。彼の実家のヴォルフ子爵家は、アルバート(現ロンディニウム官僚養成学校学長)と同じく、大陸からの亡命貴族を祖とする「外人貴族」である。同時に、彼は東フランク王国史-特に王国崩壊後の諸国の歴史についての専門家としても知られていた。


大げさなそぶりで肩をすくめるスラックトン

「やれやれ、殿下はここ最近、寝ても覚めてもゲルマニアですなぁ。ゲオルグ1世(ゲルマニア王)も罪なお人です」

苦笑いしながら、老宰相に拾った杖を渡すヘンリー。肩を借りながら、ゆっくりと立ち上がるスラックトンは、いたずら小僧の様な目をしていた。

「別に好きで調べてるわけじゃないさ。必要だからだよ」
「いやいや、キャサリン妃殿下も、大変なライバルが・・・」
「人の話聞いてる?」

ほっほっほっ、と笑うスラックトン。こりゃ、死ぬまでぼけないタイプだな。

「同席してもよろしいですかな?」
「別に構わんが・・・いいか、エセックス」
「はっ」

侍従長代理とはいえ、王国宰相の決定に、エセックスが口をはさむ権限はない。不満げな表情を見せながら頷くエセックス男爵に、スラックトンが「すまんの」と声をかけるが「ぷいっ」と横を向いて歩き出す。とても同じ年齢の老人のとる態度ではない。


スラックトンとヘンリーは顔を合わせて、今度はそろって肩をすくめた。


この2人は専売所設置以来、よく言えば二人三脚、悪く言えば「共犯者」として行動してきた。ヘンリーの急進的とも言える改革案にスラックトンが手を加え、根回しによって摩擦を抑える環境を作り上げ、ヘンリーの意を汲んだ者や組織が、実績を積み重ねる-いつしかそういう役割分担が出来ていた。

最初こそ、宰相のやり方を「まどろっこしい」とヘンリーは反発したが、敵を作らず、時には味方にもしてしまう、その政治手腕には学ぶところも多く、なにより宰相の「根回し」により、自身の構想した様々な規制緩和や制度改正が、結果的にはスムーズに進んでいる事もあって、次第に初対面の時の悪い印象を打ち消していった。


そんな共犯関係も今年で早10年。実際、キャサリンから「最近、宰相さんと仲がいいわね~」という、見当違いの嫌味を言われたことも1度ではない。スラックトンの爺さんには、からかうネタを与えるようなものであるので、秘密にしていたのだが、やっぱりいつの間にか耳に入っていて、大いにからかわれた。



歳の離れた「悪友」は、一人がもう一人に合わせて、歩き出した。




***

「そもそも『ゲルマン民族』という言葉自体が、架空と妄想の産物なのです」

チャールズ・ヴォルフの言葉に、さすがのスラックトンも面食らったようだ。ヘンリーとキャサリンは、唖然として声も出ず、エセックス男爵は、紅茶が器官に入って咳き込んでいた。


「げっふ、げっは、っがが!、、ん・・・んん!な、何をおっしゃるのですかな、一体!」
「・・・唾が飛んでるんですがな」

しぶきが飛んだため、ハンカチで頭を拭くヴォルフ所長。顔ではなく頭なのは、彼が極めて・・・その、小柄な体格であるから。「小さい」「低い」という言葉は、彼の前では禁句である。

所長室には、いつでもカラフルな試験管が並んでいるとだけ言っておこう。

蛙が人語を喋ったとかいう噂もあるが、きっと気のせいである。うん・・・


「素人が差し出がましいようですが、過去、確かに『ゲルマン民族の大移動』と呼ばれる民族移動はあったのでしょう?」

キャサリンが首をかしげながら尋ねる。

ここは王弟夫妻の住むチャールストン離宮の一室。「たまたま」部屋で編み物をしていたキャサリンは、知的好奇心から立ち会うことにした。決して、スラックトン宰相への対抗心からではない・・・うん・・・


「確かにそう呼ばれる民族移動はありました。だからこそ、勘違いしやすいのですが」


風石が民間商船に使われるようになり、はや1千年。だが、アルビオンの人間にとって、ハルケギニアの地が、遠い存在であったことに変わりは無い。平民・貴族を問わず、一度も大陸に下りずに、空中国土で生を全うするものが殆どであった。

歴史的に関係の深いトリステインや、ガリア、ロマリア諸国であれば、ヘンリーも何度か訪れたことはあるが、旧東フランク諸国を訪問したことは無い。そのため、一般的な知識はあるが、実際に旧東フランク地域で、ゲルマン人とはどういう存在なのか、よくわかっていなかった。


どうやら、自分の考えを修正しなければならないと考えながら、ヴォルフの説明を聞くヘンリー。心の中で、以前からあった「嫌な予感」が、急速に形をとりつつあったが、それをあえて無視した。


ヴォルフは続ける。

「大陸から離れた我らアルビオン人には想像しにくいのですが、あの地域では『私はゲルマン人』と名乗れば、その人間はゲルマン人なのです」

「・・・そんなに、いい加減なものなのか?」

興味を引かれたのか、エセックス男爵が質問する。


聞かれたら、聞かれた事だけを過不足なく答えるのが学者。10倍にして、自分の言いたい事を言うのがオタク。そしてヴォルフは後者に近い前者であった。

目をらんらんと光らせて、獲物を逃がさないといわんばかりに話し出す彼を見て、エセックスは初めて、敵の正体に気が付いた。


「そもそも、ゲルマン民族と呼ばれる集団が、砂漠のかなたから、ハルケギニアにやってきたのが、ブリミル暦2000年から2100年頃。名前の由来は、自らをゲルマンから-元々の彼らの言葉で、東を意味するのだそうですが-来たと名乗ったので「ゲルマン人」と呼ばれるようになりました」

助けを求める男爵と視線を合わせないようにする王弟。その夫人は、あさっての方向を向きながら口笛を吹き、最年長の宰相は面白そうにそれを眺めるだけ。エセックスは、自分の味方がいないことを知った。

「西フランクに比べ、人口が少ないことで悩んでいた東フランクは、ゲルマン人の移住推進政策を進めました。彼らが次第に東フランクで頭角を現し、滅亡をもたらしたのは、ご承知の通りで「アー、そうだな!それはわかっとる!わかっとる!!それがどうした!」

強行突破を図ろうとしたエセックスは「その答えを待ってました」といわんばかりに目を光らせる所長を見て、精神力が切れたことを悟った。


さすがに哀れに思ったのか、スラックトンが援護に回る。


「所長。出来れば手短に。『ゲルマン民族は架空の存在』とは、どういう意味なのだ?」



エセックス男爵は、現役の陸軍軍人時代、予算折衝係として、何度もスラックトンに直訴した経験から、この老人を敬遠していた。言語明瞭・意味不明瞭な「宮中弁」で、のらりくらりと、つかみどころがなく、最終的にはいつの間にか「はい」と答えざるを得なくなる-

それが「嫌い」という感情にまで至らないのは、彼が、最終的には、こちらの利益と顔を立ててくれる折衷案を出すから。妥協と調整に掛けては、これまた老宰相の右に出る者はいない。「政治とは、利害調整と妥協」というのが、スラックトンの唯一とも言えるモットーだ。



そんな彼が苦手なのは、ヴォルフも同じようで。気まずそうに視線をそらして言う。


「・・・要はですな、コーヒーに砂糖を混ぜたものを、もう一度完全に分けることは不可能ということでして。「ゲルマン民族主義」とは、砂糖だけを取り出すような話なのです」


膨大なデーターを持ち出し、嬉々として語る彼にしては珍しく、結論を比喩で答えた。それほどスラックトンの「宮中弁」は評判が悪い。



4000年以上前に移住してきた「ゲルマン人」。東フランク崩壊(2998)から数百年の間は、元からいた住民や、王侯貴族から、ゲルマン人は徹底的に排斥された。ステレオタイプ的なゲルマン人のイメージ(好色・ケチ・つつしみが無い)が形成されたのも、排斥された彼らが、金融業で勢力を伸ばしたのもこの時代である。


だが、砂漠を越えてやって来た「よそ者」では会っても、オーガ鬼やエルフではない。赤毛や色の濃い肌、火系統の魔法が得意という特徴はあるが、それだけといえばそれだけ。話せば通じるし、通じれば交流が生まれる。そして、男と女はどこにでもいる。国境も人種もないわけで。年頃の男と女がいれば、いろいろあるわけで・・・



コーヒーと砂糖は、文字通り「混じ」った。




それが4千年。4千年だ。日本の歴史の2倍だ。




現在、旧東フランク地域に住むもので、ゲルマン人の血を引いていない者を探すほうが難しい。それを知識ではなく生活で知っている平民の間では、次第にゲルマン人に対する蔑視も薄れつつあった。いまだに蔑視が残る貴族の中でも、たまに髪の赤い赤ん坊が生まれる。そうした赤ん坊は、持参金に応じて、修道院や孤児院へと流れていくという。


「つまり、ゲルマン民族主義者のいう、ゲルマン人の国を作るという目的は、現実を無視した幻なのです。ゲルマン民族主義の一大契機とされる「マリア・シュトラウスの乱」にしても、実際には新教徒たちが主体であったことは、研究で明らかにされております。都合がよければ「ゲルマン人」だといい、排斥の風潮が強い時代には「ゲルマン人」でないと主張する、その程度のものなのです」

トリステイン王国が、現在のゲルマニア王国の地域(ヴィンドボナ総督領)の人々を、「ゲルマニア人」と呼んでいたが、それはこの地域の住民に赤毛が多かったので、トリステイン人がそれを揶揄したものだという。

それこそ、ツェルプストー侯爵家のように、自らゲルマン人の血を引くを誇りとする者と、さかのぼれば家系の中にいるかもしれないという者の間では、意識に格段の差はあるだろうが、克服できないものではない。


コーヒーの中から、溶けた砂糖だけを取り出そうとするほど、多くの人間は暇ではないのだ。





「・・・ということです。お分かりいただけましたか?」
「うん、わかった。ご苦労だったね、さがっていいよ」

何故か疲れたような顔をして言うヘンリー王子。何故だろう?せっかく要点だけを端的に、たった2時間で申し上げたのに・・・



むしろ越えられない壁が、今ここにあるような気がするが・・・いまはそれはいい。


***

ヴォルフが出て行き、全員でため息を付いた後、さすがに疲れた顔をしたスラックトンは、目だけをヘンリーに向けて言う。

「殿下の取り越し苦労でしたか?」

言葉だけだと、からかうように聞こえるが、口調は至って真剣。実際、スラックトンも、この王弟の考えを「取り越し苦労」だとからかうつもりは毛頭なく、むしろその懸念を深めていた。それゆえ、彼の考えを確認しておきたかったのだ。


そのヘンリーは、苦りきった顔で、親指のつめを噛んでいた。今までに見たことがない、自らの仕える主人の厳しい表情に、エセックスは「東フランクの再興」という夢物語を心配しているだけだと考えていたが、どうやら思ていった以上に重要な問題だと、認識を改めた。

塩爺など目に入らないのか、ヘンリーが自分の考えを述べ始める。



「どうやら俺は、あの金貸しを-ゲオルグ1世を、勘違いしていたらしい」


ゲルマニア王国初代国王-ゲオルク・ヴィルヘルム・フォン・ホーエンツォレルン(ゲオルク1世)。ゲルマン民族主義を利用して、東フランクの再興をたくらむ、現実主義者だと自分を勘違いした、ロマン主義者-ヘンリーは、この老人をそう考えていた。


今の、ヴォルフの説明を聞いて、「嫌な予感」を、妄想だと笑い飛ばせなくなった


「あの爺は、東フランクの再興など、毛頭考えてない」

その言葉に、いつも飄々としたスラックトンが、表情を消す。


キャサリンが声を掛けようとしたが、ヘンリーの思いつめた気配に、それを諦めた。こうやって自分の考えに没頭しているヘンリーには、何を言っても無駄だということを、前世からの長い付き合いで知っていたからだ。


「新たな国を、新たなホーエンツオレルン家の『帝国』を打ち立てようとしているのか・・・」


「昔はよかったと」いう表現は、新しくて古い言葉だ。まして、その時代が遠ざかれば遠ざかるほどに

解体された以降も「東フランク」という名前は、旧東フランクの貴族や知識人にとって、ロマン的な懐古主義の象徴であった。古きよき時代-騎士が騎士らしく、貴族が貴族らしくあり、エルフから聖地を奪還するために、結束して戦った-単なる昔話が、彼らの中では、それが「東フランク」という単語と結びつくことによって、特別な意味を持つのだ。

それを「ゲルマニア」という国号で、否定する。ゲルマニア-ゲルマン人の国と名乗ることで、古きよき時代の象徴である「東フランク」という名前を、根底から否定するつもりなのだ。



割れた皿を、ゲルマン人という接着剤でくっつけるのではない。

全く新しい皿を、自分の手で作り出そうとしているのだ。



「一瞬でも、ゲオルグ1世を、金儲けだけが目的の男と考えた俺が馬鹿だった」

キャサリンもエセックス男爵も、口を閉じて、何も言わない。

「あの老人は、あの地のブリミル以外の全ての秩序と、全ての歴史を否定したいのではないか?そして、そこに、全く新しい、自分だけの秩序を・・・正気の沙汰とは思えん」

言わないのではない。言えないのだ。


「全てを壊し、否定する-それゆえの『ゲルマニア』なのか」




別に『ゲルマニア』でなくとも良かったのだ。それまでの全てを否定できれば。



ゲオルグとて、東フランク貴族の血を引く者のはず-それが何故、自分のルーツを否定するようなことをする?ホーエンツオレルン家という、自己の家の否定にもつながりかねない危険性をはらんでいるのに・・・



ヘンリーは、自分の考えが妄想だと願いたかった。そうであって欲しかった。


このハルケギニアに、今この時代に、ガリアの無能王と同じ「狂気」を持つ人物がいるなど



だが、ヘンリーが、ゲオルグ1世やゲルマニアについて、調べれば調べるほど、考えれば考えるほど、自分の考えが-老人の思考形態の予想が、当たっているという確信を深めるばかりだった。

全てを否定し、全てを壊し、新たな自分の考えを押し付ける-その原動力は何だ?どうしてそこまで、自分のルーツを、歴史を、文化を、慣習を。今まで築いて来た財産を、信用を、知人・友人を、家族を・・・おそらく、老人の中では、自分の存在そのものですら、必要とあらば否定できるのだろう。




ヘンリーは、身震いした。この世界に来て初めて、恐怖を感じた。



恐ろしかった



すべての破滅を望む「無能王」とは違う、しかし本質的には変わらない妄執



老人の、冷たい『狂気』が








いっそ全てが「妄想」だと笑い飛ばせれば、どれだけ楽になれるか







・・・どうする?




一体、自分に何が出来る?




























「ま、どうでもいいことですな」





・・・・は?





「どうでもいいことです」


「・・・・は?」


あまりのことに、あほの様な顔をして、あほの様な返事しか返せないヘンリー



キャサリンは、たった一言で、ヘンリーの作り出した重苦しい空気を転換させた老宰相の言動に、素直に感心していたが、その掌にはべっとりと汗をかいていた。

エセックス男は、ヘンリーの説明に圧倒され、続けざまに、スラックトンの「どうでもいい」という発言を聞かされ、何が何だか、もういっぱいいっぱいだった。早く退官して、領地に引っ込みたいと、これほど切に願ったことはない。



「・・・」

ヘンリーは未だ、間抜け面のまま、反応出来ないでいた。彼にとって、今のスラックトンの言葉は、倶利伽羅峠と鵯越と屋島の奇襲をいっぺんに受けたようなものである。

ゲルマニア関連の、それこそありとあらゆる情報を集めて、徹夜で報告書とにらみ合い、何度も仮説を立てては否定し、立てては始めから検討しなおすという作業を、ゲルマニア王国建国以来、1年以上に渡って、延々と続けてきた-その仮説を、血と汗と涙と友情と努力と勝利と・・・途中から変なものも混じったが、ともかく、一生懸命考えた仮説を、目の前の、この妖怪ジジイは何と言った?



「どうでもいい」


ええわけあるかい!



怒りの感情にまかせて、細頸を締め上げブリミルの元に送ってやろうと手を伸ばしてくるヘンリーを、スラックトンは「どうどう」と制す。


おれは馬か!「馬並みなのね~♪貴方とおっても~♪」ってか!


確かに、声は似てるって言われたことはあるけどさ!!



これがヘンリーでなければ、スラックトンはすでにブリミルと対面していたところだが、この王弟がそんな事をするはずがないのは、キャサリンもエセックス男爵も-何よりも、当事者である宰相自身がよくわかっていた。

ヘンリー自身も、自分がそう見られていることはわかっていた。それが一層、彼の感情を逆なでする。「70を超えた爺さんをどうこうするのは、人としていかがなものか」という思いと「こんな妖怪爺に情けは無用、思い切ってやっちゃえ!」という欲望が、心の中で、取っ組み合いの大喧嘩を繰り広げている真っ最中だ。



そんな自分の主人を無視して、キャサリンは、この老宰相の振る舞いを、じっくりと-それこそ髪の毛一本に至るまで見落とさないように観察していた。


爵位と家柄以外は何もない没落貴族に生まれ、宮廷という場所で育ち、実質上の最高権力者に上り詰めたこの老人は-自身の行動が、他者からどう見えて、どう評価され、それがいかなる反応を引き起こすか、わからないはずはない。

キャサリンも社交界という虚実入り混じった世界の出身。そして前世での経験もある。相手の表情を読むことや、望む所を察することに関しては、多少なりとも自信はあった。だが、この老宰相に関しては、まるで感情が、表情が、考えていることが読み取れない。

深い皺を刻んだ顔で、いつも笑っているような表情をしているが、額面通り受け取れるほど、キャサリンは素直でもなかった。もしかすると、相手にそう考えさせることが、宰相の目的であるのかもしれない。そうだとするなら、この爺さんの思惑通りに考え、踊っている自分は、いい面の顔-いっそ馬鹿馬鹿しくなってくる。



そしてなによりも、自分よりも、よほどヘンリーをうまくあしらっている事が、彼女にとって、どうしようもなく悔しかった。

嫉妬とは違う。女である自分が、決して入り込むことの出来ない(本人達は否定するだろうが)男同士の「友情」が、うらやましかった。

自分だって、ヘンリーの-『高志』の事を、全て理解しているとは思ってはいない。だが、何十年も連れ添ってきた自分と夫よりも、精々10年しか付き合っていない二人の間にある「絆」のほうが、強いものに見えた。



・・・うん、やっぱり認めよう。自分はこの爺に嫉妬している。



スラックトンは、そんな視線に気が付かないのか、気が付かないふりをしているのか、気付いていて楽しんでいるのかは解らないが、顔の皺をより深く刻み、顎髭をしごきながら、未だに憤りを隠せないヘンリーに向き合っている。


さて・・・見せてもらいましょうか。貴方達の「絆」を。「1000年に一人の宮廷政治家」とされる、貴方の手腕を



スラックトンは厳かに、神官が祈りの言葉をささげる前のように、間を取ってから、口を開く。


「殿下、今検討すべきことは、ゲルマニアがいかなる目的の元で行動するか。それを受けて、わが国がどう行動するかということです」

「わかっている。それくらいわかっている、だが、それがどうした」

ヘンリーも子供ではない。反論しながらも、スラックトンに目線を合わせ、話を聞く姿勢に入っている。キャサリンには、スラックトンの目が、少し笑ったように見えた。


「最悪の事態を想定し、最善の計画を立てろ-古代の賢人の言うとおりです。まずゲルマニアが、旧東フランク地域を-いかなる手段によるのかはわかりかねますが、統一しようとしている可能性について検討をすることには、賛成致します」

可能性だけなら、アルビオンに宣戦布告をしてくる可能性はあるが-「Can」の選択肢でなければ、検討する意味はない。その点で考えれば、ゲルマニアによる東フランク地域統一という選択肢は、可能性も意味もあった。


「ですが、その行動の理由を「何故か」と考えることは、余り意味のないことなのです」

反論しようとするヘンリーを、宰相は、再びその手で制して続ける

「確かに、理由を知ることが出来れば、何故その行動を起こすかという理由を知っていれば、より効果的な対応を打つことが出来るでしょう。しかし・・・」

「・・・っ」

スラックトンはいったん言葉を切る。もどかしそうに続きを促すヘンリー。完全に宰相のペースである。

そして老侯爵は、決定打を放つ。



「他人の考え方を、一部の違いも狂いもなく理解できる人間はいないのです」



そう言って、片目を瞑るスラックトン。普通、爺のウインクは気色悪いだけだが、この老人がやると、何故か可愛げがある。



完全に毒気を抜かれたのか、椅子に座り込むヘンリー。



キャサリンは、舌を巻くと同時に、顔を赤くした。相手を煽って、会話の主導権を握る。押して引いて、相手の矛先をかわし、興味を持たせるための会話の間-詐欺師でも、こうはいかないだろう。

そして顔を赤らめた理由-スラックトンのウインクは、この自分にも向けられていたのだ。「安心しなさい、貴方の主人を奪いはしませんよ」とでも言うかのように。



な、なんで私が、あんたみたいな爺と、この馬鹿を取り合いしなきゃいけないのよ!!




くるくると顔色を変えるキャサリンを、視線だけで楽しそうに眺めながら、スラックトンは、座り込んだ若き王弟を、文字通り懇々と諭すように、話し続ける。その光景は、まるで実の祖父と孫のようで-いや、年齢の離れた教師と、出来の悪い生徒か?心なしか、宰相の口調が、弾んでいる様に聞こえた。


「殿下のご心配はわかります。ですが、考えても仕方がないことなのですよ。人の心など、神でもなければ、確かめようのないことですからな」

「だがな、宰相」

一旦そのように考えると、全てがそう見えてしまう。ヘンリーの口調も、どことなく教師に甘える生徒のように聞こえてくるから、不思議なものだ。エセックスなど、久しぶりにヘンリーの、素の表情を見ることが出来て、嬉しそうだ。


「殿下はお優しいですな・・・しかし、人の力には限りがあるのです。それは、王とて、王族とて同じことだということを、忘れないでください。その目と手の届く範囲でしか、出来ないことが、いかに多いことか・・・」


何かを思い出すように、言葉を選びながら言う老宰相。綺麗も汚いも、酸いも甘みも知り尽くしたこの老人は、その皺を一本刻む間に、どれくらい多くの出来事を諦め、どれほど多くの人の手を振り払ってきたのか?


「何もかも、ご自身で抱え込むことはありません。その為に、我ら「貴族」がいるのですから」

エセックスが頷く。立場は違えど、同じ年数をアルビオンに仕えてきた者同士、通じるものがあるようだ。


「まずはご自身のことをお考えください。殿下は、もっとご自身を大切になさるべきです。自分の大切なものを守れないものに、国を語る資格はありません。ましてや、自分を粗末に扱うものには」


ヘンリーは、居住まいを正し、老宰相の諫言に耳を澄ます。何故か、そうしなければならないと思ったから。



10年以上この王弟を見続けてきたスラックトンには、彼の「優しさ」が心配だった。


あふれる創意と斬新な視点で(多少理解に苦しむものも混ざってはいるが)、様々な改革の原動力となったこの王子は、自分の存在を軽んずる傾向がある。知識としては、王族だということ、重要な立場にいることを理解してはいるようだが、それが自分のことだとわかっていないように思える。

どこか「他人事」なのだ。客観的に自分を観察できるといえば聞こえがいいが、それは小説の主人公を眺めているような、劇を観覧する観客の様な-無責任とまでは言わないが、必要とあれば自分の死でさえ、平然と受け入れるような・・・


それでは駄目なのだ。


現実は物語のように奇麗事ばかりでも、救いようの無い悲劇ばかりでもない。地面を這い蹲り、泥まみれになり、傷だらけになりながら、死ぬまで歩み続ける。歩み続けなければならない。それが生きる人間の権利であり義務だと、スラックトンは信じていた。

この王子は、それを見ているだけだ。

確かに、彼は必要とあれば、汗を掻くことも、手を汚すことも厭わない。それは認める。だが、自分自身が、泥だらけの傷だらけな惨めな姿になっても生きるという、生への執着が、本質的に感じられないのだ。


キャサリン妃殿下と夫婦となられ、アンドリュー殿下がお生まれになって、すこしは生きることに執着を持たれたようだが・・・スラックトンからすれば、まだ弱いといわざるを得ない。


何に重きを置くか-大切なものに順序を付け、そのためには、他の物を、他者を切り捨てても守り抜くという腹が決まっていないからだ。


優しさともいえる。

だが、それが命取りにもなりうる



全ての人間を幸せにすることは出来ない



自分のように、大切なものを失ってから気付いても遅いのだ




「2羽のウサギを追う者は、結局1羽も捕まえることが出来ないのです・・・いけませんな。どうも年寄りは説教臭くなりまして」

照れ隠しなのか、顎鬚を撫でながら口元を隠すスラックトン。


ヘンリーは笑った。キャサリンも、エセックスも笑っていた。





















それが、アルビオン王国宰相スタンリー・スラックトン侯爵が、ヘンリーに残した「遺言」となった。



「1000年に一人の宮廷政治家」は、執務室の椅子に腰掛けたまま、息を引き取っていた。


浮かべていた笑みの意味について知る者は、誰もいなかった



[17077] 第20話「漫遊記顛末録」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/04/13 20:21
「棺桶のふたが閉まる時、始めてその人物の評価が定まる」

スタンリー・スラックトン侯爵は、その典型だ


老宰相の葬列には、貴族・平民、老若男女問わず、多くの人が並び、途切れることがなかった。国葬だったからではない。この老人だったからだ。


30にして妻が亡くなった後は、妾を置くこともなく、独身を貫いた。宮廷貴族でありながら、職を利用した蓄財をすることもなく、宰相になっても、側近集団を作ることや、権勢を振るうこともなく、それまで通り、変わることなく働いた。遺言書には「家は継がせないように」とだけあり、4千年以上続く侯爵家の歴史に、自ら幕を下ろした。

これも一つの、貴族の終わり方に違いない




「去り際まで、出来すぎだよな」


教えてもらうことはまだまだあった。早過ぎる、そして見事な散り様だった。


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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(漫遊記顛末録)

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「・・・惜しい人でした」
「あぁ」

デヴォンシャー侍従長の使節団が帰国したのは、宰相が亡くなった日。帰国報告をしたその足で、国葬の準備に走り回った。そのため、ヘンリーが、デヴォンシャーやパリーから、直接帰国報告を受けるのは、これが初めてとなる。

自然と、故人の話題となった。葬儀で慌しい時は思い出さなかったが、一週間もすると、亡くなった人の存在が大きければ大きいほど、その喪失を思い知らされ、次々と思い出がよみがえって来る。

「妙に愛嬌のある人でしたね」
「いやいや、殿下はご存じないでしょうが、あの爺は若いときはそれはもう嫌な嫌なやつでしたぞ!あの「宮中弁」も、そりゃあ、話は長いし、粘着質で・・・」

故人について話す事が、最大の供養というのは、異世界でも変わらないようだ。



話題が尽きると訪れる、静かな沈黙も



***

「さて、早速だが『越後の縮緬問屋の隠居一行、お忍びゲルマニア漫遊記』について、聞かせてもらえるかね」

ヘンリーは前世で、小・中・高・大・社会人と、「あいつにだけは、命名を任せるな」と言われ続けた実績(?)の持ち主だ。何故だろう。こんなにナウくてイカすタイトルなのに・・・


「それがダサいと思うのですが」

うるさいぞエセックス。

「大体、その『マンユーキー』というのは何なのですか?」

デヴォンシャーよ、聞けば必ず答えが返ってくると思うのは、大間違いだ

「いや、そういうことではなく・・・」
「伯爵、聞いても無駄だと思います」

パリー、お前ね・・・まぁいい。



侍従長デヴォンシャー伯爵率いるサヴォイア王国への使節団は、アルビオンのメアリー王女と、サヴォイア王国のウンベルト皇太子との結婚延期を交渉するために、サヴォイア王国の首都ジェノヴァに赴いた。

ラグドリアン戦争からまだ半年。ガリアとトリステインとの緊張状態が続く中で、ガリア南部と国境を接するサヴォイア王国と、トリステインの同盟国たるアルビオンとの婚姻締結は、その気が無くとも、波紋を呼ぶことは明らか。昨年初頭に先代国王エドワード12世がなくなったこともあり、メアリーには悪いが、どちらにしろ、延期せざるを得なかったのだ。

メアリーから、無言の重圧を受けながら、軍艦「キング・ジョージ7世」に乗って出国した使節団には、もう一つの目的があった。

船舶の航行をガリア・トリステインが規制していることを口実に、ジェノヴァからラ・ロシェールまでの帰途として、堂々とゲルマニア領内を通り、国情を視察させる-使節団には、スラックトンやデヴォンシャーの推薦した、軍人や若手官僚を多数同行させた。アルビオンの次代を担う彼らに、旧東フランクの一王国ではなく、将来の仮想敵国(になるかもしれない)ゲルマニアを、体感として実体験させるためである。


報告する際、パリーには、その中でも特に見込みのありそうな軍人を連れて来るように言っておいたのだが、彼は近衛魔法騎士隊の、体格が良く、やたらに眼光の鋭い若手士官を一人だけ連れてきた。特段、一人だけだといったわけではないが、それでもパリーやデヴォンシャーの眼鏡に適った人物が、ただの木偶の坊なわけがない。


そして、その予想は当たった。


「アルビオン近衛魔法騎士隊第1師団第2連隊長のホーキンス子爵です。例の、ガリアによるトリステイン侵攻作戦を事前に予想していたのが彼です」

「ルイス・アレクサンダー・ホーキンスであります!」


緊張した面持ちで、見事な敬礼を返すホーキンス・・・ん?ほーきんす?どっかで聞いたことあるような・・・

当たり障りのない質問で、場を繋ぎ、その間に、思い出そうとするヘンリー。はて、どこで聞いたのだったかな・・・

「ホーキンス子爵、君の階級は?」
「陸軍中尉であります!」
「6205年に士官学校をトップクラスの成績で卒業。参謀本部作戦課を経て、外務省に出向。駐在武官としてロマリア諸国を転任。3年前に近衛隊の士官候補として引き抜きました」

ヘンリーは、カチコチのホーキンスも、パリーの説明も全く聞いていなかった。



ホーキンス?ホーキンス、ホーキンス、ホーキンス・・・





・・・・って・・・ホーキンスって、あのホーキンスか?!


「あのホーキンスといわれましても、ホーキンスは一人しかおりませんが・・・」

困惑するパリーやデヴォンシャーの反応は、普通の対応だが、当のヘンリーは原作キャラと出合った興奮で、まったく気付いていなかった。



ホーキンスって言えば、アルビオンのレコン・キスタ側の将軍で、サイトが一人で突っ込んだ7万の軍を率いてた奴じゃん!あ~なるほど。トリステインやゲルマニアの将軍よりも、よっぽど将軍らしかった、あいつね。どおりで眼力が半端じゃないわけだ

そうか、あと30年あるから、今はまだ20代の後半ぐらいなのか。こんな男が敵に回ったら、そりゃ王党派駄目になるよね。なんであんなクソ坊主に味方したんだろう・・・やっぱり、アルビオンの内乱って、単に王党派対貴族派じゃ、説明付かないよな。

それにしても、こんなところで原作キャラに会えるとは。類は友を呼ぶ・・・とは少し違うが、原作キャラ(パリー)は、原作キャラを引っ張ってくるものなのかね。しかし、こいつがあの・・・う~ん、何だか感慨深いなぁ・・・


ヘンリーがそんな事で感慨に耽っているとは、知るはずがないホーキンスは(私ごときの名前を、ヘンリー殿下がご存知とは!)と、感動に身を震わせていた。知らず知らずのうちに、レコン・キスタの将軍を、心情的に王党派寄りに引き込んでいたのだが・・・ヘンリーもそれを知るはずがない。



美しきかな「勘違い」。そして、指摘するものがいない限り、勘違いは「真実」となる。




「じゃ、報告をお願いするよ」
「はっ!」

大いなる勘違いを続けながら、ホーキンスは張り切って報告を開始する。

「ゲルマニアの軍事力と、それを支える工業力は大した物です。その気になれば、数年で、2・3個艦隊程度は配備することが可能になるでしょう」

ある程度は予想していたが、実際に視察してきた者の口から語られると、やはり衝撃が大きい。ヘンリーは静かに、その報告を聞いた。


~~~

現在のゲルマニア王国の中心地域であるザルツブルグ地域は、古くから製鉄業が盛んであった。


領内にはこれといった目立つ鉱山は存在しなかったが、南の火竜山脈からは、少数の火石のほかに、鉄鉱石に銅や石炭など、多くの鉱物資源が産出した。ザルツブルグは森林地帯が多く、製鉄に欠かせない燃料としての薪材や、木炭が豊富に取れることから、これらの鉱物は、ハルケギニアを南北に貫くライン河によって、川沿いの村々に運ばれ、鉄に精製された。

そうした村々の中から、ダルムシュタットやマインツといった、製鉄を生業とする人々の都市が誕生した。この地域に集まった職人達は、初期の-莫大な鉄鉱石や砂鉄、木炭に、燃料として使う薪材の割には、僅かしか精製できないタタラ製鉄から、長年の試行錯誤と数え切れない失敗-そして、声高にはいえないが、聖地回復軍の引き上げ兵が持ち帰ったエルフの技術を研究しながら、何百年もかけて技術革新を行い、地球で言えば産業革命前の製鉄レベルまで引き上げた。

当然、この地域を支配する東フランク王国は、製鉄法を門外不出としたが、王国崩壊(2998年)と同時に、その技術は、職人と共に、ハルケギニア各国に流出した。そのため、それまではハルケギニアで貴重品だった鉄が、農具に使われるまでに、一般に普及することになった。


ところが、そこでハルケギニアの製鉄の技術革新は停滞した。技術者の流出により、ザルツブルグ地域の独占体制は崩れ、各国に流れた技術者達は、それぞれ「ギルド」を作って、作り上げた既得権の維持という守りの体制に入った。聖地回復運動が行われなくなると、エルフの技術も流れてこなくなり、技術の革新は、それまでとは比べ物にならない緩やかなものとなった。


ザルツブルグ地域が、他国に比べて優位性を保てたのは、この地域に流れてきた旧東フランク貴族-ホーエンツオレルン家と、それに従ったゲルマン人貴族達のお陰である。


ホーエンツオレルン家は、銀行家時代から、ザルツブルグ地域の植林に取り組んだ。薪材や木炭のため、伐採されて禿山や荒野となりつつあったザルツブルグは、1000年をかけて、元の豊かな森林地帯に戻った。この、呆れるほどの長期的視野に立った森林再生は、結果的に「持続的開発」を可能にした。

一時期、イベリア半島のグラナダ王国は、ザルツブルグを越える製鉄量を誇ったが、全土が禿山と化したのと同時に、その繁栄が幻のように消え去ったことからも、ホーエンツオレルン家の正しさが証明され、発言力を増すきっかけとなった。


そして魔法にそれほどの神聖性を感じていないゲルマン人貴族達は、得意の火系統の魔法技術を惜しげもなく使い、製鉄の技術革新に貢献した。ザルツブルグの製鉄業者が、いち早く木炭から石炭に転換したのも、大規模な反射炉を導入したのも、銅の精錬に手を出したのも、全て彼らのアドバイスがあってのことだ。


こうして、製鉄業での優位性を保ち続けたザルツブルグ地域は、総督を経て国王となったホーエンツオレルン家の庇護のもと、肝心要な技術は、厚い「企業秘密」というベールに覆い隠し、ますます精力的に活動を続けている。

おまけに、ライン川上流のヴュルテンベルク王国、ダルリアダ大公国、トリエント公国の3ヶ国とは関税同盟を締結済みと来ている。ダルリアダとトリエントは、それぞれ国内に豊富な鉱物資源を抱えており、ゲルマニアと利害が共通する。間のヴュルテンベルク王国を巻き込むことによって、鉱山と製鉄所を一直線に結び、完全に後顧の憂いを断った。


(本当に嫌なやっちゃなー)

ゲルマニア王国の、長期的視野に立つ、堅実で隙の無い-それゆえにムカつく行動は、伝統に基づく嫌らしさだったのか。あー、腹が立つ。完璧な人間は嫌われるって、わかってんのか。味方なら、これほど頼もしい者はいないが、敵に回せば、こんなに嫌なやつはない。


はあああ・・・・


ため息をついていると、亡くなったスラックトンの言葉が頭をよぎる

『2羽のウサギを追う者は、結局1羽も捕まえることが出来ないのです』


・・・俺にとっての「1羽」って何だろうな


東フランクなんか知ったこっちゃないって、開き直りが出来ればいいんだが、俺はそこまで薄情でも無責任でもない。第一、あの地域がまとまれたら、安全保障上、すっげーめんどくさいからなぁ・・・

だからって、ゲルマニアの邪魔をすることは、火遊びではすまない。それこそ命がけで、国運を賭けての「邪魔」をしなければ、止められるものではない。中途半端に邪魔をして、仮に失敗した場合、帝政ゲルマニアの報復を考えると・・・考えたくも無い。


やるならやる、やらんならやらん。どっちにしろ、俺が腹をくくらないとな。俺がふらふらしてたら、アルビオンの国論ですら統一出来ない。




(それにしても、兄貴はすげえよな)

兄-国王ジェームズ1世は、王弟という、ある意味無責任な立場のヘンリーとは違い、その行動の全てが、アルビオンという国の命運に繋がる。あの必要以上の厳粛な態度は、国の反映も没落も、全ては自分の決断にかかっているという覚悟があってこそ。

「自分こそがアルビオン」-傲慢ではない。それが事実なのだ。

もし自分がその立場になったとして、ジェームズと同じように行動出来るとは思えない。皇太子時代から、その重責と向き合い続けてきた兄-権力の孤独に耐える気分とは、一体どんなものなのか?



(まさか兄貴に聞くわけにもいかんしな)と脱線した思考でヘンリーが唇をゆがめると、ホーキンスが困ったような顔をしていた。


「悪い、続けてくれ」

「はっ・・・先ほど述べましたように、ゲルマニアは豊富な森林地帯を抱えております」


アルビオンが大陸1とも呼ばれる空軍を保有できるのは、船に頼らざるを得ない国土で古くから船の建造技術と航海技術が発達した事と、風石技術の民間利用をいち早く認めたこともあるが、大火を教訓とした都市部での建造物への木材使用禁止により、豊富な森林資源を抱えているため。

ザルツブルグでは石炭の利用により、薪材や木炭のために森林を伐採する必要性が減っており、その分を船の建材にまわせば、1個艦隊ぐらいはすぐに出来る。劣る操船技術は、鉄砲や大砲で補えばいい。長所で弱点を補うのだ。


使節団に同行した空軍士官たちは、一様に顔が青ざめたという。艦隊決戦では、万に一つも負けることは無いだろうが、それでも無視の出来ない規模の艦隊が、いつでもハルケギニアの空に浮かぶとあっては、安心は出来ない。

仮にゲルマニアが、アルビオンと戦争状態に入った場合、地上を拠点に、片っ端から商船を襲えばいい。艦隊決戦だけが空の戦いではない。ゲリラ戦も立派な戦争だ。

歴史上、アルビオンは、それを嫌というほど味わっている。それゆえ、通商航路の防衛に関しては、過敏といっていいほどの警戒を強いている。空賊が出たと聞けば、それが駆逐艦1隻程度であっても、一艦隊を派遣するほどの念の入れよう。「アルビオンを怯えさせるには、空賊が出たと騒げばいい」という戯言があるくらいだ。


ホーキンスの話を聞く限り、若手将校たちはゲルマニアへの印象を改めている。ゲルマニアの現状を実体験させるという思惑は成功しているようだと、ヘンリーはほくそえんだ。






そんな些細な喜びを、真っ向から否定する報告が、目の前のホーキンスから行われようとは、神ならぬヘンリーが知るはずもなかった。







「他に気になることはあったかね」
「はっ・・・」

この発問は予想していなかったのか、考え込むホーキンス。突発事態には弱いのかと思ったが、それは間違いのようで、数秒の沈黙は、考えをまとめるためのものであったようだ。


「・・・新教徒が多いような印象を受けました」

「ほう、新教徒が」

新教徒-ロマリア教皇をトップとするロマリア宗教庁と、ブリミル教団のあり方に疑問を持ち、始祖ブリミル本来の教えに戻るべきだと主張する一派。

彼らにとって「旧東フランク」という地域は、国境警備が甘く、歴史的に新教徒に甘いということもあって、いざという時に逃げ込める場所がいくらでもあるという、数少ない安住の地である。

「別にそれはゲルマニアに限った話ではあるまい」

「はい、確かに・・・個人的な話になって申し訳ないのですが、ヴィンドボナ郊外のヴォルムスで、新教徒シンパと噂されるクロムウェル大司教にお会いしたもので。噂どおり、実践教義にも理解のあるお方でした」

「ほう、大司教がねぇ・・・」


まぁ、心あるものなら、誰だって、今の教会のあり方には疑問を持つだろうからなぁ・・・







・・・





・・・あれ?



何か、聞き捨てならん単語が聞こえたような・・・









『クロムウェル大司教』









おーけー、落ち着こう







リピート・アフター・ミー









『クロムウェル大司教』






(ポーン♪)


内乱フラグが立ちました

















「き、きたぁぁあああああああああああ!!!!」






「へ、ヘンリー殿下?!」

「ほっとけホーキンス、いつもの事だ」



[17077] 第21話「ホーキンスは大変なものを残していきました」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/04/21 19:44
ホーキンスは大変なものを残していきました


それは「内乱フラグ」です



・・・


・・・・・・・



・・・・・・・・・・・



馬鹿野郎


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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(ホーキンスは大変なものを残していきました)

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クロムウェル姓は珍しいものじゃないよね。うん、きっとそうだよ。佐藤や田中ほどじゃなくても、加藤ほど・・・はいなくても、森さんぐらいは・・・森田さんなら・・・



・・・うん。無駄な足掻きはやめよう。クロムウェル姓は、はっきり言って珍しい。



その珍しい名前で、教会関係者・・・




「どう考えても、オリヴァーの親父かじいさんだよなぁ・・・」

なんで会ったときに始末しておかなかったんだ・・・だなんて、ホーキンスには言えない。言いたいけど。今すぐ命令したいけど。すぐに行って、やっちゃって欲しいけど。

無論、本当に命令するわけではない。あくまで冗談だ。冗談だとわかっているからこそ、好き勝手なことを思える。クロムウェル一族の男を『強制的』に去勢してこいだなんて、言うわけがないじゃないか・・・ふふふ・・・

というか、聖職者って、一応結婚しちゃだめだったはず。何ガキこさえてるんだよ、このエロ坊主



いかんいかん。現実逃避してる場合じゃない。



ここ最近、ゲルマニアにかかりっぱなしで、すっかり忘れかけてた「内乱フラグ」。原作では、国王ジェームズ1世の王党派と、オリヴァー・クロムウェルを盟主とする貴族派「レコン・キスタ」は、1年にも及ぶ内乱を戦い、敗れた王党派はニューカッスル城に滅んだ。

アルビオンは「神聖アルビオン共和国」という名前の、ジョセフ1世の駒となり、トリステインに卑劣極まりない奇襲をして、ゼロ戦&ルイズによって返り討ち。ウェールズの死体までいいように扱われ、遠征軍によって国土を蹂躙され、一度は撃退するが、最終的にはゲルマニアとトリステインの共同統治になるという、散々な経緯をたどった。



この間、アルビオン国民のおかれた環境は、ハルケギニアの中でも最も苦しい環境だったことは、容易に想像が付く。彼らに王党派も貴族派もない。内乱に巻き込まれた平民達が、幸せなわけがないのだ。悪化する治安、増える一方の税。突然故郷が戦場となり、財産どころか、命までが危機にさらされる。

ようやく内乱が終わったかと思ったら、「自作自演の三文芝居」でトリステインに喧嘩を売って返り討ち。祖国はハルケギニア中の信用を失った。そして、報復としての遠征軍により、再度国土は踏みにじられ・・・フーケでなくとも、これで祖国に忠誠を誓えといわれても、無理な話だ。


原作に登場したアルビオン王国の人物達-ウェールズやホーキンス、ボーウッド・・・それぞれ、いぶし銀の良さはあるが、それはサイトやルイズの物語に、花を添える役回りとして。

決して自ら物語を動かすプレイヤーには、自分の相手にはなり得ない-少なくとも、ジョセフはそう思っていたのだろう。



「ふざけやがって・・・」



確かに、この世の中を、自分の思うとおりに生きていけるものは、ほんの僅かだ。多くの人間は、しがらみに囚われ、壁にぶつかり、挫折を味わいながら、それでもままにならぬ事ばかりの世の中を生きている。

その人の意思を、運命をもてあそぶ権利は、たとえ神であってもないはずだ。ましてや、権力者の気まぐれな「人形遊び」に付き合わせていいはずがない。個人的に、ジョセフの境遇には同情するが、だからといって、あいつのお遊びを認めるわけにはいかない。


何故なら、俺はアルビオンの王族だから。キャサリンの夫であり、アンドリューの父親だから。


「『人形』にさせて、たまるか・・・」



悲劇の主人公ゴッコをする無能王-せいぜい、「人形」のあがきを見せてやるさ



~~~

これまでヘンリーは、アルビオンという国家に溜まった6000年分の垢とヘドロを洗い出し、その原因となった制度疲労を何とかしようと取り組んできた。


改革に必要なのは、共通した問題意識を持ち、中核となり実行する人々。幸い、先日亡くなったスラックトン宰相を初めとして、アルバートやシェルバーン財務卿といった、少なからぬ人々と、「アルビオンは中央集権化が必要である」という目的意識を共有する事が出来た。兄である国王ジェームズ1世も、同様の認識で一致している。


中央集権化=王権の強化は、仮に反乱が起った場合にも即座に対応できるようにするため。そしてそもそも反乱自体を起こさせないようにするため。勝ち目の無い戦を、好き好んでするものは少ない。



歩のない将棋はへぼ将棋。まずは、反乱の中核となりえる困窮貴族対策。

アルビオンでは歴史的経緯から、100メイル四方の領地しか持たない貴族が、全体の3分の2を占めていた。こうした貴族達は、狭い領土で、殆どが赤字経営を強いられている。今はそれでもなんとか領地を経営していられるが、あと20年もすれば、そのうちの何家が残っているかわからない。こうした貴族が、現状に満足しているわけがない。反乱が起れば、いの一番に参加するであろう奴らだ。

そうした細分化した領地をまたがって、王家の直轄領も点在しており、経営コストがやたらに高くつく。街道一本通すだけで、膨大な書類と手間がかかっていた。


こうした問題を一挙に解決するために、ヘンリーが考えたのが「上知令でアゲアゲ大作戦」


細分化した領地を再編し、領地経営に行き詰っている困窮貴族に、貴族年金と引き換えに領地を差し出させ、ついでに官僚に組み込んでしまおうという、一石三鳥のお得な作戦は、開始から5年で、思った以上の成果を上げていた。


アルビオン全体の4割程度であった王家の直轄領は、領地再編計画(シェルバーンはこちらの名前でしか呼ばない。何故だ?)開始以降、5割半(55%)にまで拡大した。100メイル四方しかない困窮貴族の領地も、集まれば馬鹿に出来ないのだ。貴族年金を払ってもお釣りが来る。


こうして王家の直轄領を再編するのと同時に、大貴族の領地を、その本拠地近くに集積させた。大貴族達は、飛び地の運営コストにそれほど困っていたわけではない。切羽詰った必要性を感じていない彼らを納得させるため、領地再編の責任者であるシェルバーン財務卿に、貴族年金を払ってもあまる領地をくれてやるように命令した。これがなければ、王家直轄領は6割半-アルビオン全土の3分の2にまで拡大しただろう。


それを差し引いても、ヘンリーは大貴族の領地を確定させることを望んだ。


たびたび話が飛んで恐縮だが-反乱は兵士(貧乏貴族)だけではできない。指揮官が、主導する大貴族が必要だ。仮に反乱が起こった際、この大貴族の飛び地があちこちにあっては、軍をどこに派遣していいかわからない。治安を乱すこと事態が目的になりうる反乱軍とは違い、政府は治安を維持しなければならない。治安維持を考えると、そう簡単に、全軍を動かすわけにはいかなくなり、自然と作戦の幅が狭まる。

その点、大貴族の領土を集積させておけば、反乱が起った際、戦闘地域が限定される。反乱軍の進路を予想出来るため、迅速に鎮圧軍を派遣することも可能だ。必ずしも戦闘を有利に運べるとはいいきれないが、それでも、後方に不安を抱えて戦うよりはよっぽどましだ。



こうして、涙ぐましいまでに、摩擦を避けながら、少しずつ少しずつ、中央集権化を進めてきた。




・・・正直に言うと、ここまでしたんだから、よほどの事がない限りは、反乱は起きないだろうという慢心があったことも事実だ。

それが、クロムウェルという名前が、自分が「ゼロの使い魔」という世界において「異物」だということを、改めて思い出させてくれた。


(ホーキンスに感謝しないといけないな)


素直に喜べないのは仕方がない。むしろ、この皮肉ともいえる状況に笑いすらこみ上げてくる





オリヴァー・クロムウェル


「レコン・キスタ」の盟主であり、神聖アルビオン共和国議長。そして、死者に偽りの生命を与える魔法-「虚無」を使うもの。


レコン・キスタの言い分をまとめればこうなるのだろう

「現王家は堕落し、始祖から与えられた聖地奪還という使命も忘れ、惰眠をむさぼっている。我らレコン・キスタは、始祖の寵愛をなくした王家を打倒し、聖地の奪還を目指す。それゆえ、我らが盟主のオリヴァー・クロムウェルは、始祖から『虚無』の力を与えられた」


虚無自体は、ラグドリアン湖の水の精から盗んだマジックアイテム「アンドバリの指輪」の効果であり、平民の司祭でしかないクロムウェルは、虚無どころか魔法すら使えない。

反乱軍にとって、彼の虚無魔法が真実か否かはたいした問題ではない。始祖ブリミルの子孫であるアルビオン王家に対抗するための正当性(大義名分)として「虚無」を名乗るのが都合が良かったのだろう。なにせ、誰も伝説と化した虚無魔法について、正確な知識が無い。だからこそ、マジックアイテムの効果であっても、無理やり取り繕うことが出来た。


聖地奪還云々は、神と始祖の地上における代理人であるロマリア教皇に、余計な口出しを出させないという狙いがあったと考えたほうが自然だ。ロマリアなら、クロムウェルの「虚無」魔法が、偽りのものだと気が付くだろうが、幾度もの大敗で、気運が地に落ちていた「聖地奪還」を声高に叫ぶ勢力-どれくらい本気かはわからないが、わざわざ潰す事もない-そういう結論に至るであろう事は、誰だって想像が付く。


ついでに言えば「貴族による共和制」というのも曲者だ。始祖ブリミルの子孫であるアルビオン王家を倒して、大公家や王家の分家の公爵家などを担ぎ上げて新しい国王を立てたとしても、著しく正当性に欠けることは否めない。それならいっそのこと反王制を掲げればいい-発想の転換というべきか、詭弁というべきか。


初代議長(事実上の王)が、「レコン・キスタ」盟主であるクロムウェルなのは当然として、その次はクロムウェルの子孫でなくてもいい。後継議長は、貴族の互選になる可能性が高い。国政運営にしても、歴史的にアルビオンでは議会の権限が比較的強いため、議会が行政府と一体化するだけだという、青写真も描ける。「共和制」という建前上、意思決定は貴族の合議制になるだろうから、クロムウェルの独裁は阻止できるし、何より彼には直属の兵が無い。上手くいけば、自分達の傀儡に・・・


これだけお膳立てすれば、額に刺青を浮かべた女秘書は、妙な薬を使わなくとも、貴族達の耳元でこう囁けばいい

「アルビオンは変わりません。抱く元首を王家から議長に代わるだけ。そして貴方も、新生アルビオンへの忠節によっては、議長になれるかもしれませんよ?」

貴族達にとっては、余りにも魅力的な響きだったろう。


(・・・悔しいが、ジョセフの能力は認めないとな)

こんなに緻密で悪辣非道な計画を立てた男が「無能王」なら、この世に有能な人間はいなくなる。

そして、そのシナリオにそって動いたクロムウェルも、アルビオンの貴族やジョセフに言われるがままの人形であったとは考えにくい。すくなくとも、自分が「虚無」を主張することによってもたらされる、反乱の正当性を理解し、貴族達がどのような思惑で自分を擁立しているのかはわかっていたはずだ。

その上で、ジョセフや貴族に望まれた役回りを見事に演じて見せた。

台本を覚えたとおりに読むだけの役者より、自分の役割を理解して振舞うほうが、芝居が上手いと相場は決まっている。ましてや彼は、結果的に、その舌だけで国を滅ぼしたのだ。言われたことしかしない役者が、仮にもジョセフの駒の中で、反乱軍の盟主という重要な役回りを任されるとは思えない。



閑話休題



平民や兵士達にとっては、反乱の正当性に興味は無い。戦争が起きれば真っ先に苦しめられる彼らのほうが「勝てば官軍」という冷めた見方を獲得していた。一方で、王家から領地を与えられている貴族達にとっては、その王家に反乱を起こすという特殊状況において、数少ない大義名分を求めたのは、これまた自然なことであった。

立場変われば、考え方も変わるのだ。




さて、このロジックを崩すためには、どうすればいいか?

クロムウェルの使う虚無を「嘘だ」と主張しても、意味が無い。何故ならレコン・キスタは確信犯であるから。虚無が真実か否かはどうでもいいのだ。

アルビオン王家に、虚無を使える人間が生まれれば、全ては丸く収まる。偽者は所詮ニセモノ。本物には敵わない。デモンストレーションに、エクスプロージョン1発唱えてやれば解決する・・・のだが、残念ながら、国王ジェームズ1世にしても、俺を含めた王族達も、すべて4系統に分類される魔法が使える。


姪のハーフエルフの誕生を待つか?


でも、地味だよなぁ・・・「記憶を消す」って。第一、忘れられたら意味ないし。


そもそも、この姪の存在を明らかにした時点で、王制どころか、アルビオンという国家の枠組みそのものの存続が危うくなりかねない。始祖ブリミル以来の、人間の仇敵たるエルフと、王弟である大公が情を通じ、子供までこさえて、しかもその子供は「虚無」使い。

原作ではルイズは「虚無」だと公式に認知されると、その他の序列を全てすっ飛ばして、アンリエッタに次ぐトリステインの王位継承権を獲得した。直系の王族よりは下だとしても、少なくとも大公家や、王家の分家よりは継承権が上という事。


その虚無を使うものが、ハーフエルフ。


ブリミル教に喧嘩売ってます?



というわけで、「胸革命で、貴族革命をパッフンしちゃおう作戦」却下

(寝物語でキャサリンに作戦名を自慢したら、無言で一本背負いされたのは秘密だ)


どっちにしろ、その気になれば、大義名分はいくらでもでっち上げが出来る。


クロムウェル姓の男を片っ端からヤッちゃっても、根本的な解決にはならない。クロムウェルがたいした役者だったのは間違いないが、所詮は役者。彼を殺したとしても、第2・第3のクロムウェルが現れるだけだ。それがクロムウェルより使える役者だったら、目も当てられない。


諸悪の根源たるガリアの王太子を・・・駄目だな。成功するにしても失敗したとしても、ちょっかいを出したことがばれたら、よくて外交問題、悪けりゃ戦争だ。ハルケギニア一の大国と正面切って戦う国力は、正直言ってない。そんな博打は打てない。


となると

「要は、付け入る隙を与えなければいいんだよな」

繰り返しになるが、まずは貴族に反乱を起こしても、絶対勝てないと思わせること。そもそも、反乱を起こさせないように、彼らの不平不満をひとつずつ解消していくこと-2番目の月の司令官曰く「戦法は正攻法、正面から行くぞ!」である。


ヘンリーが進めている中央集権化=王権強化策は、貴族の不平不満を解消することによって、反乱軍の参加者を減らし、反乱が起ったとしても迅速に対応できるようにという目的がある。順調に成果を上げているので、このまま慎重に進める。


あと出来ることは


「陸軍と、治安機関の強化だな」

アルビオンの軍事ドクトリンは「空で勝て」-狭い領土、少ない人口のアルビオンは、早くに大陸進出を諦め、国土防衛を基礎においた。空中国土を攻める際、外国勢力は必ず船で侵攻してくる。水際で叩くのは、防衛作戦の基本。空軍を使い、哨戒網を張り巡らせた。そのためアルビオンの空軍は、その規模に加えて、操舵技術も含めた技術的な面も含めて、ハルケギニア1と呼称される。


それに比べると、陸軍はお粗末としかいいようが無い。元々、国家の緊急事態(反乱・国土防衛)に応じて召集される王軍(陸軍)は、諸侯軍が主体であり、常備軍は存在しない。アルビオン程度の国力では、大陸に派兵するほどの常備軍を持つことは不可能に近い。空軍予算を削って、陸軍を整備することも、やろうと思えば出来るが、それでは本末転倒だ。


だが、反乱軍を牽制できるだけの常備軍は欲しい。空軍で牽制することは可能だが、最終的には地上部隊で制圧しなければならないのだ。


同じ理由で、治安機関の強化は必須である。

軍=警察といっていいハルケギニアでは、軍を動かせば、それだけ治安機関の能力が落ちる。治安専門機関も存在するが、その実情はごろつきと変わらない。それはともかく、まず軍隊と警察機構をわけなければならないが、なかなかそれが難しい。予算の確保もだが、人手が足りないのだ。

アルビオンのメイジ人口は、単純計算でガリアの10分の1。貴族出身者だけで警察機構を整備するのは不可能に近い。だからといって、メイジ崩れの犯罪者の場合、平民では手出しが出来ない。両者を混合した組織が作れればいいのだが・・・


「・・・考えるだけで面倒くさいなぁ」


予想される軋轢と予算に、ヘンリーは頭を抱えた。


***

「殿下、紅茶を持ってまいりました」
「おう!飲もう飲もう!」

山と詰まれた資料の奥から、ヘンリーの声だけがする。初めてヘンリーの部屋を訪れた者は、この異様な光景に戸惑うが、小さい頃からこの王族に仕えてきたエセックス男爵からすれば、見慣れた景色。ミリーにしても、いい加減慣れてきた。


何故なら

「・・・いい加減、片付けられたらどうですか」


ヘンリーは片付けが下手だった。

本人は散らかった部屋で仕事をするのが好きだと言い張っている。メイドが片付けようとすれば「それは違う!」「勝手に触るな!」と怒る始末。めんどくさい事この上ないと、誰もが手をつけるのを嫌がった結果-書類の摩天楼が出来たというわけ。


アルバートがいれば、仕事が大分楽になるんだが、彼ほど優秀な官僚はどこでも引っ張りだこ。第一、彼はロンディニウム官僚養成学校の学長として、自分以上に忙しい日々を送っている

いっこうに片付く気配が感じられない資料の山の一つに、お盆を置いて、ミリーが手馴れた手つきで紅茶を注ぐ。



紅茶カップに口をつけながら、ヘンリーは、改めて自分の「存在」について、思いをめぐらせていた。


(異物だよなぁ)


これだけ好き勝手に「ゼロの使い魔」の世界で振舞ってきたのだ。人の体で言えば「病原体」として、白血球だの、キラーT細胞だのにフルボッコされてるに違いない。それが排除されなかったのは、自分が原作主要キャラクターの父親だからだと考えていた。


それも、キャサリンとの結婚で、それ相応の変化か、報いがあることは覚悟していたつもりだった。


それが、まさかこの段階で「クロムウェル」の名を聞くとは思わなかった。その情報自体が、自分にとって、有利か不利に働くかは、まだわからないが、少なくともそのおかげで内乱の可能性について、再度じっくりと検討することが出来たのは確かだ。

(敵の名前で気づかされるとは・・・皮肉としかいいようが無いな)



なかなか、ライトノベルの世界も洒落た真似をしてくれたものだ。


「ミリー、お代わりだ」
「かしこまりました」















ヘンリーは知らない







迷い込んだ「異物」に対して、この世界が、どのように「対処」しようとしているのかを







そして、それが自分のすぐ側まで迫っていたことを













「・・・っつ!」

「殿下?」





「何でもない。紙で切っただけだ」







切った指を、逆の手で抑えて止血するヘンリーは、気が付かなかった





血が紙に落ちて

赤い花を咲かせていた事に




[17077] 第22話「ある風見鶏の生き方」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/04/21 19:51
「老いた政治家の中には、ついにひとつの意見に固まるものがいる。人生の冬が風見鶏を錆びつかせ、動けなくしたのだ」

ポール=ジャン・トゥーレ

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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(ある風見鶏の生き方)

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アルビオンは、やたらに貴族が多い。人数という意味ではなく「家」という意味でだ。分割相続で一代限りの子爵・男爵家を立てたものは数知れず。また、歴史的に大陸で政争に敗れた王族や貴族を多く受け入れてきた結果である

ハヴィラン宮殿では、亡命貴族を祖とする家を指して「外人貴族」と呼ぶ。アルビオンは、彼らの能力や独自の人脈、そして家柄を利用するために、積極的に受け入れた。ガリアに公爵家が10家しか存在しないのに、メイジ人口が10分の1のアルビオンに15家も公爵家が存在し、その内、6家が「外人貴族」の子孫という事実からも、その歪な構造がわかるというものだ。

公爵家は、アルビオン王族が臣籍降下した家か、亡命王族を祖とする家がほとんどである。


そのため、両者を家祖としないロッキンガム公爵家は、アルビオンの生え抜き貴族といっていい。

東部と中部のヨークシャー地方に広大な領地を持つ、数少ない大土地貴族でもあるこの家は、ブリミル暦2000年代から今に至るまで、代々王家に杖の忠誠を誓い続けてきたが、それ以上に、政治的な無節操さで政界に知れ渡っていた。「ロッキンガムを見れば、王宮の実力者がわかる」というのが、社交界の共通認識になるほど、政策も信条もあったものではなく、それまで敵対していた人物であろうと、文字通り親の敵であろうとも、臆面も無く諂うとされた。そして実際にそうしながら、この家は4000年近く家を存続させてきた。


第230代ロッキンガム公爵チャールズ・ワトソン=ウェントワースは、そのいかにも人のよさそうな、茫洋とした物腰とは裏腹に、彼も歴代当主と同様、政界風見鶏として知られていた。父の死により襲爵。貴族院議員を務めながら、内務省道路局長・ロマリア特命全権大使・ハノーヴァー大使等を歴任。着実に政界や官界での足場を築いてきた。

風見鶏というのは、風見鶏なりの流儀があると、彼は考えている。政界情勢に敏感なだけでは駄目だ。それでは宮廷スズメと変わらない。ただでさえロッキンガム家は領地を保有する大土地貴族。馬鹿ではいいカモに、切れ者では粛清の対象になりかねない。「敵に回すと厄介だが、警戒するほどではない」という具合に思わせなければならない。

同時に、これから力を持つであろう勢力や人物の見極めも大事である。スラックトン宰相を通じて、カンバーランド公爵ヘンリー王子に、早くからよしみを通じたのも、その一環だ。

色物ではないかと心配もしたが、この先物買いは成功だったようで、旧ヨーク大公家領を統括する責任者に抜擢され、プリマス県知事兼プリマス市長として、ペンウィズ半島南部を任されることになった。港湾整備事業や、都市整備事業の陣頭指揮を取りながら、このまま順調に行けば、次の内務次官にはなれるかとソロバンをはじいていたのだが・・・



どうやら、先物買いに『成功し過ぎた』ようだ




「・・・あの、今なんとおっしゃいましたか」

ヘンリー王子に呼び出されて、チャールストン離宮を訪れたロッキンガムは、紅茶カップを持ったまま固まっていた。


何故か、スラックトン宰相のニヤニヤした笑みが頭に浮かんだ。あの妖怪爺は、この場にいたら、唖然とする自分を見て、そんな顔をしていただろうなぁ・・・


その宰相の「お気に入り」だった王弟は、貴重な角砂糖を2個も3個も・・・あ、4個入れやがった・・・も、小さなカップに投入して、スプーンでかき混ぜていた。あんなに入れたら、甘くて飲めたものでは・・・あ、飲んだ。

「聞こえなかったか?君をだね、後任の宰相に推薦したいと、そう言ったんだ。兄上-国王陛下の内諾も得ている。正式な発表はもう少し先になるだろうがね」

そう言ってヘンリー殿下は「あの」紅茶を飲み干した。メイド長(たしか、ミリーとかいったな)も、引いてるぞ。しかし殿下が、極度の甘党だったとは、知らなかった・・・

「・・・聞いてる?」
「・・・飲んでもよろしいですかな」
「そりゃ、その為に出したんだからね。飲んでもらわないと」


そりゃどうも・・・・うん、やはり紅茶は、何もいれずに香りを楽しむに限る・・・


「で、引き受けてくれるよね。『はい』か『謹んでお受けいたします』かで答えてね?」


・・・香りも味も感じなかった





***

「いやー快く引き受けてくれて嬉しいねぇ」
「拒否権は無いとおっしゃったような気がしますが・・・」
「え?そんな事いったかな?」

平然とのたまうヘンリー王子。これは、あの妖怪爺と仲が良かったというのも頷ける

宰相という行政の最高責任者になるという内示を聞かされたのにもかかわらず、ロッキンガム公爵はこれ以上ないくらいに渋い顔をしていた。



正直に言うと、ロッキンガム自身も「宰相」というポストを聞かされて、嬉しくなかったわけでは無い。「風見鶏」にも人並みの出世欲はあった。だが彼はそれ以上に、王宮や政界に渦巻く「嫉妬」を、身をもって知っていた。

ポストが一つ埋まれば、それから弾かれた者は、ポストについたものを恨む。それが実際に検討された候補者だったらともかく、「自称」候補者も混じっている。馬鹿馬鹿しい限りだが、人が皆、他者の出世を手放しに喜ぶ聖人君子でないのは間違いない。

その上、ロッキンガム公爵家はいろいろと筋違いの恨みを買う条件がそろっていた。経営コストばかりかかる広い領地をもっていれば「金持ち」と見られ、名門貴族であるだけに、出世すれば「あそこは公爵だから」と貶され、金のかかるばかりで実のない社交界の付き合いを、少しでも断れば「ケチ」だの「実は家計が火の車」だの・・・

実際のロッキンガム家は、貧乏でも裕福でもない、公爵の格式は維持できるだけの財は持っているが、それ以上でも以下でもなかった。だが、それを言ったところで誰も信用しない。


「大貴族」を維持し続けるのも、大変なのだ


男子として生まれ、貴族として最高の地位に上り詰める自分を夢見たこともあった。だが、実際に政界に身をおいて、それが自分と「家」の破滅をもたらしかねないという、コインの裏に気が付くと、おいそれと人事を受け入れるわけにも、ましてや喜ぶわけにも行かない。


宰相として、一国の経綸の才に、自身が欠けているとは思わない。アルビオンに数ある貧乏貴族とはちがい、学費には困らなかったので、家庭教師ではなく、イートン・カレッジにオックスフォード大学という私学校で教育を受けることが出来た。外交官としても、地方官としても、そこそこ-いや、人並み以上の実績は上げてきたつもりだ。少なくとも、家柄だけの貴族様よりは、上手くやれるという自信も自負もある。「自分ならこうする」という、夢とも政策とも付かぬ想いもあった。



「辞退する」という選択肢はなさそうだが、少なくとも、これだけは知っておきたい。



「私は、何をすればよろしいので?」

それを聞いたヘンリー王子は、じつにムカつく笑みを浮かべられた。



「そうだね・・・一言で言えば『省庁再編』・・・どこ行くの?」

「い、いや、改めて自分の能力を鑑みますと、とても宰相という重責を担えるような能力は無いという考えに至りまして、今回のお話は辞退させていただきたいと・・・殿下、肩の手をどけていただけますか」

向い側に座っていたはずのヘンリーは、いつの間にかロッキンガムの後ろ側に回って、その両肩に手を置いて、逃がさないといわんばかりに押さえつけていた。


「どっちも駄目」


紅茶のお代わりを注いでいるメイドと、眼があった。

同情の目線が、一瞬だけ嬉しかった


***

アルビオンの警察組織をなんとかしようと考えたヘンリーは、その実情に頭を抱えた。

農村部では領主が平民を徴集した兵(諸侯軍)が、時には領主自らが杖を振るい、治安維持の役割を担っている。だが、人口の多い都市では、到底軍だけでは人手が足りない。それに、万引きごときの軽犯罪にまで一々、軍が出動すれば、無用な混乱を招きかねない。

そのため役所は、自前の治安組織の他に、町の「顔役」に金を出したりしながら、地域の治安を任せていた。

いたのだが、その内情は


「まるで、や○ざだな」

十手持ちの如く、「安い給金では生活できない」と嘯きながら、自分の権限を嵩に来て、威張る・たかる、おまけにサボるの三拍子。とにかく評判が悪い。リヴァプール市などは、マフィア化した治安組織の解体に乗り出すために諸侯軍に出動を要請するなど、本末転倒のことを繰り返していた。


近代警察でも何でもそうだが、組織を作り上げるためには、金とノウハウと人が必要である。


財源のめどはある。確かに万年金欠なのは確かだが、上知令で直轄地が増えたこともあり、無理にでもひねり出そうと思えば、出せない額ではない。シェルバーン財務卿は、一回こっきりでは無く、恒常的に人件費がかかるとあって、渋い顔をしていたが、必要な経費をケチってはいけない。無理にでも押し切るつもりだ。


ノウハウも、当てが無いわけではない。近衛魔法騎士隊だ。「弱兵」の代名詞であったこの騎士隊は、デヴォンシャー伯爵(現侍従長)が王国有数の精鋭に鍛え上げた。国王の意思一つで自由に動かせるとあって、スラックトン前宰相はこの部隊を、領土の境界が定まっていない地域や、領土紛争を抱えている地域の治安活動に当たらせた。国王直轄の兵であるため、領主も文句が出しにくいという、実にあの人らしい「上手い」やり方である。

そうした経緯から、治安出動の経験に関しては、アルビオンのいかなる組織よりも蓄積されている。トップ人事にも腹案がある。デヴォンシャーの秘蔵っ子、パリー・ロッキンガム子爵だ。父のロッキンガム公爵と対立して軍に志願した彼は、「風見鶏」の父とは対照的に、実直で無骨。腹芸とは無縁の軍人肌な人物で、治安出動の経験も十分にある。

とはいっても、器だけつくっても、そこに入れる中身がお粗末では意味が無い。寄せ集めの兵に鉄砲を持たせても、張子の虎にもならない。まずは集団行動と治安活動のノウハウを叩き込む警察学校を設立するつもりだ。学校で新人を鍛えさせながら、パリーたちも組織のトップとしての自覚と経験をつませる-教えることは、学ぶことでもある。


問題は「人」だ。

上知令で領地を返還した貴族に仕えていた家令や役人達を、そのまま採用-というわけにはいかない。彼らの殆どは、そのまま地方役人として中央政府に雇用されている。

中央にくすぶっている年金貴族-領地と引き換えに、中央での生活と年金を保証された貴族達から、希望者を募って・・・そんな荒事に好き好んでつくものはいない。それに、元々腕っ節に自信のあるものは、パリーのように最初から軍に志願している。

なら平民はどうか?確かに、平民は山ほどいる。身分も給料も保証される公務員になれるとあっては、多少の危険があろうとも、人は集まるだろう。だが、彼らに、没落貴族が加わった強盗団や、傭兵団崩れの犯罪者、そしてオーガ鬼などの亜人と十分に戦えるかというと-よほど厳しく鍛え上げないと、厳しいといわざるを得ない。ぶくぶく太って、戦場の「せ」の字も知らないドットクラスの貴族であっても、杖を持たせれば、訓練をしていない平民よりは(多少は)役に立つ。

なにより、貴族と平民が一緒に治安組織を構成する-現場の人間であるパリーは、そんな事を気にするような性格ではないのは百も承知だが、貴族にとって面白かろうはずが無い。「平民びいき」だという評価は、そのまま貴族層の不満に繋がる。「レコン・キスタ」フラグがあるアルビオン王族としては、それは出来るだけ避けたいところだ。



そして、スラックトン前宰相の秘蔵っ子であるヘンリーが考えたのが

「木の葉を隠すには森の中」作戦。

大規模な省庁再編というでっかい花火を打ち上げて、平民を治安組織に組み込むという事実を小さく見せようという、一言で言うと



「・・・せこいですな」

せこいって言うな。





「遅かれ早かれ、機構改革は必要なんだ。改革にはパワーがいる。小分けにやっていくより、一度にドカーンと全部片付けた方がいいだろう」

「おっしゃる事はわかりますが・・・」

ロッキンガム公爵は、いかにも人のよさそうな顔に困惑の色を-はっきりいえば(迷惑だ)という表情をしていた。

無理難題を押し付けられて困っている、善良な村役人に見えないことも無いが、実際は政界風見鶏として知られる、目端の利く男だ。ヘンリー王子の言いたい事も、自分に求めている事も、その意図もわかっていた。



行政改革にはとてつもないパワーがいる。ブリミル暦4540年、アルビオン王リチャード12世が王家の財政と国家財政を分離させるために財務省の設置を検討したが、その実現のためには6年の月日と、王宮の勢力図が2回塗りかわるという政変を必要とした。

リチャード12世を支えた功臣にして、初代財務卿のダービー伯は「改革は戦争よりも難しい。何故なら味方と敵がはっきりしないからだ」と言ったとされる。同時に「周囲の全てが敵になろうとも、自分の信念を貫き通す覚悟がいる」とも。

家の存続を第1において行動してきた「風見鶏」のロッキンガム公爵家とは正反対の概念だ。そもそも敵や味方をはっきりさせては、政界遊泳など出来ない。信念など邪魔なだけ。便所紙ほども役に立たない。

(何でよりにもよって自分が)


ヘンリー王子が自分の性格を知らないわけがない。むしろこの王弟は、自分(ロッキンガム公爵)の性格を調べつくした上で、自分を推薦したに違いない。


大土地領主の公爵家というだけで、いわれの無い嫉妬を受ける身。しかもそれが宰相となれば、絶対に失敗は許されない。政治的失脚などもってのほか、即お家の没落になりかねない。少なくとも、大きな失政を犯さず、円満に退職する環境を整えなければならない。

失政を犯さないためには、何もしないのが一番だが、だからといって、この王弟の-すなわち国王の意思を無視できるわけがない。すざましい抵抗と反発が予想される行政改革を、出来るだけ穏便な形で、反発を買わないように実行するという-相反したことを行わなければならない。何もせずにいれば、それこそ「更迭」の2文字が待っているだけ。


とにかく、これまでのように片手間で仕事をしていては駄目だ。自分の持てる能力と、今まで培ってきた政界遊泳術をフルに活用して、死ぬ気で働かなければ、活路は開けない。

(・・・それが狙いか)


ヘンリー王子は、否が応でもやらざるを得ない立場に追い込んだ上で、馬車馬の如く働かせようというのだ。顔は見えないが、自分の両肩に手を置いて、肩を揉んでいる王弟の顔は想像が付く。どうせむかつく笑みを浮かべているんだろう。肩揉みはねぎらいのつもりか?


(本当に、あの妖怪爺は、とんでもない後継者を育てたものだ)


これからのことを考えると、ロッキンガム公爵は、ため息しか出てこなかった。





アルビオンの風見鶏は、人生の冬ではなく、与えられた「地位」によって、動けなくさせられた。






「う~ん、こってるねー」
「色々ありましてね・・・いてて、あ、そこ、そこですぅ・・・」


ロッキンガム公爵チャールズ・ワトソン=ウェントワース

アルビオン王国の初代首相となる老人は、肩甲骨のつぼを押されて、あえぎ声を上げていた



[17077] 第23話「神の国の外交官」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/04/21 20:07
「黒い猫でも白い猫でも ネズミを捕るのが良い猫だ」

鄧小平(1904-1997)

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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(神の国の外交官)

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アルビオン王国外務卿のパーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル卿は、いろんな意味で目立つ男だ。身長180サントと、アルビオン人にしては比較的身長が高く、その細身の体に、面長の顔、そして離れたどんぐり眼と、一目見たら忘れようがない風貌をしている。

当然ながら、当人からすれば、それが少なからぬコンプレックスとなっていた。女性受けする顔ではない事は百も承知だが、それ以前に、自分の風貌が、仕事にまで影響を与えているとあっては、笑ってもいられない。



外交とは本来、地味なもの-裏方だと彼は考えている。外交問題や戦争を未然に防ぐためには、ボヤの段階で消すことが一番だ。早期に問題に気が付くことが出来れば、いくらでも対応が出来る。火が大きくなってから、腕まくりをして「自分の出番だ」などと乗り出す外交官は、無能を知らしめている以外の何者でもない。

パーマストンは19年間、ハルケギニア中の「ぼや」を、各国と協力しながら、消し続けてきた。

だからといって、アルビオン外務省内の日和見的な八方美人策を良しとしたわけではない。省内の大反対を押し切って、トリステインと同盟関係を締結したのも、その一環である。パーマストンは、それがアルビオンのためになると確信したのであれば、摩擦を恐れずに、断固として主張した。


そんな外交姿勢や、自身の「風貌」もあって、パーマストンは否が応でも、国際政治の中心だと目されるようになった。ロンディニウム・ダウンニング街の各国大使館が、彼の一挙手一投足に注目する中で、秘密裡の会談など出来るはずがない。





その点、目の前の特徴のないのが特徴の様な男は、人ごみに紛れ込むことも、たとえ街中で堂々と密会していても、気付かれる事がないだろう。

一言で言えば「無味無臭」、空気の様な男だ。背格好は中肉中背。目や鼻が付いているのに、特徴がまるでなく、髪の色は、ハルケギニアで最も多い、薄い金髪ときている。覚えようにも、とらえどころのない顔-まるで「のっぺらぼう」だ。

(・・・外交官というより、諜報屋か?)

これは「勘」だが、この大使は根っからの外交官ではない。聖堂騎士隊(バラディン)で、異端者を焙り出す活動でもしていたのではないか?必要とあれば、眉一つ動かさず、いかなる残忍な拷問でもやってのける-そんな臭いがする。



つい昨日、ロマリア連合皇国から派遣された教皇大使のヌーシャテル伯爵フェデリコ・ディ・モンベリア卿の、特徴のない顔を見ながら、パーマストンはそんな事を考えていた。

「のっぺらぼう」は、薄い唇を動かしながら、淡々と説明を続ける。眠気を催すのは、おそらくそれが、神官の説教の調子と似ているからだ。


「・・・だということです。アルビオンとしてはいかがお考えでしょうか?」
「ふむ・・・」

神官との違いは、神の教えではなく、現実の「世界」について語っているということ。

「反対する理由はないが・・・これで、トリステインが納得するのか?」
「納得するのではなく、させるのだとか。水の国の宰相はそう仰られました」
「エスターシュ大公がか」

パーマストンは小さく息を吐いた。

(大した自信だ)

国内の反発は、自分の首と引き換えに収めてみせる-条約と刺し違えるつもりか。しかし、あの若造、昔はそんな人間ではなかったはずだが・・・何があの男を変えたのか。それとも一度失脚して、政治の世界に嫌気がさしているだけなのか?

案外、これを口実に、さっさと引退したいだけなのかもしれんが・・・


(どちらにしろ、わが国にとって悪い話ではない)


パーマストンは、この案件は終わったといわんばかりに、ヌシャーテル大使が差し出した書類を閉じた。この件に関しては、所詮ロマリアやアルビオンは第三者に過ぎない。隣近所が盛り上がっても、夫婦喧嘩は止められない(もっとも、夫婦ではないが)。


それにもまして、パーマストンは、このロマリア大使との会談を、出来るだけ早く終わらせたかった。この「のっぺらぼう」な男と、生理的に話していたくない-様々な修羅場をくぐってきた歴戦の外交官であるパーマストンに、そう思わせる何かが、ヌーシャーテル大使にはあった。


「さて・・・本題を聞かせていただけますかな」
「ご賢察、感謝いたします」

馬鹿に丁寧な言葉遣い。それがかえって、この男の気味悪さを際立たせている。

そもそも、あの若造の、最後の芝居の筋書きを説明させるために、わざわざ教皇大使を派遣するのは、風石の無駄遣い以外の何者でもない。何か別の-本当の目的があるはずだ。


ヌシャーテル大使は、先ほどと同じように。何の抑揚もない声で切り出した。

「神と始祖の教えに背く、不心得者について、ご相談したく」

パーマストンは心の中で(どの面下げて)と悪態を尽いた。



***

ヌーシャーテル大使の言う「不心得者」とは、新教徒のことである。


ロマリア連合皇国は「光の国」と呼ばれるが、同時にその歴史から「不死鳥の国」という陰口を叩かれている。

聖フォルサテの子孫である歴代の「大王」は、「始祖の墓守」という権威を背景に、アウソーニャ半島の都市を纏め上げ、「聖なる国」の拡大を目指した。ブリミル暦2000年代のロマリア大王-ジェリオ・チェザーレ(この頃の大王は聖エイジスを名乗らず、自身の名を名乗った)の時代には、ガリアの火竜山脈から南西部一帯を含む領土を獲得するなど、絶頂期を迎えた。

しかし、ジェリオ・チェザーレの死を切欠に、国は衰退へと向かう。領土の拡大に伴い、都市間の結束が乱れ、そこをガリアにつかれて、南西部からたたき出された。半島外の領土を失うと、都市間の紛争はますます拡大。「大王」の権威は失墜し、フォルサテの子孫も、かろうじて半島が統一国家であると主張するための象徴として、祭り上げられるだけの存在となった。


本来なら、ここで消えていくところだが、そうはいかないのが、この国のどしぶといところである(消えてくれれば良かったのにと、パーマストンは思う)


庶流の大公家から即位した大王・聖エイジス20世(2890-3050)は、即位と同時に、なんと「大王」の称号を放棄。混乱の中、彼は自身を『ロマリア教皇』と名乗ると宣言した。世俗の王ではなく、「始祖の墓守」という宗教的権威に価値観を見出したのだ。


現在にまで続く、ブリミル教をつくりあげたのは、この聖エイジス20世である。ブリミル教の教義は、彼が一人でつくり上げたといってもいい。

聖エイジス20世には「文才」があった。「始祖と愉快な仲間達」だの「始祖のお言葉集」だのをかき集めて作った『始祖の祈祷書』を教典に、始祖の名を冠した、体系的な一神教である『ブリミル教』を確立させた。元々、ハルケギニアの民に始祖ブリミルへの英雄信仰があったこと、王侯貴族にとって、その教えが都合が良かったこと(始祖を称えることは、王権と支配の正統性の強化に繋がる)もあり、身分を問わず、広く受け入れられた。

こうして、聖エイジス20世は、新しく名乗った『ロマリア教皇』という地位に「始祖の墓守」に併せて、「神の代理人としてのブリミル教の協議の唯一の正統な解釈者」という権威を付け加えた。


彼のもくろみは成功した。ロマリア連合皇国は、ブリミル教という新たな衣をまとう事によって、再び国際政治の主要プレイヤーに躍り出た。ブリミル暦3000年代に再び行われた一連の『聖戦』-聖地回復運動を主導して-「聖戦」による諸国の荒廃や、「異教徒狩り」などの消えない傷を、ハルケギニアの民と大地に刻みながら、ハルケギニアでの影響力を回復した。




『停滞の3000年代』をもたらした報いは、当然の如く撥ね返ってきた。




聖エイジス20世は、教えの中に「妻帯の禁止」を盛り込んだ。民間信仰の神官は、その多くが妻帯を禁止しており、対抗するために盛り込まざるを得なかった条文だが、これが自分の首を絞めた。フォルサテの子孫として延々と継いてきた世襲の王家が、その前提となる妻帯を禁止したのだ。

聖エイジス20世は、得意の弁論で、何だかんだと理由をつけて「祖王・聖フォルサテの血統を絶やさないため」には「妻帯は駄目だけど妾ならOK」という、女性の全てを敵に回すような、とんでもない抜け穴を作り出した。


堤防は蟻の穴からも崩れる。聖エイジス20世がこの抜け穴を設けた時点で、ブリミル教が堕落していくのは当然の運命とも言えた。

自制の美しさはどこへやら、酒は飲む、女は抱く、「宗派」という名の派閥をつくり上げての権力争い。修道院の領地では、貴族領主も真っ青な暴政-無論、すべての神官が堕落していたわけではないが、100人の普通の神官より、1人の堕落した神官の方が目立つのだ。




ブリミル暦4000年、この現状に、ハノーヴァー王国の平民出身の一司祭が声を上げた。

司祭ウィリアム・ロードは「教皇聖下への30の質問」と題した弾劾状をばら撒いて、教会の腐敗を弾劾。『始祖の祈祷書』に記された、始祖ブリミルの教えに立ち戻れと訴えた。


当時のロマリア教皇・聖エイジス27世の答えは「破門」であった。


確かにウィリアム司祭の言う、教会の腐敗批判にしても、始祖の教えに立ち戻れも、もっともなことであったが、それを判断するのは、ハルケギニアでただ1人-ロマリア教皇だけ。そのようなことを主張すること事態、「ブリミル教の協議の唯一の正統な解釈者」であるロマリア教皇をトップとする、ロマリア宗教庁の秩序に、喧嘩を売るものであった。

ブリミル教では、「破門」された人間の魂は、天上にも地獄にもいけずに、永遠にさ迷い続けるとされる、最も重い罪であった。教皇権が絶大なブリミル暦3000年代には、破門と脅すだけで、ガリアの王が自らロマリアに謝罪に来るなど(カルカソンヌの屈辱)その効果は絶大であった。聖エイジス27世は、生意気な司祭もこれで黙るだろうと考えた。



「例え舌を切られ、この身が火で焼かれようとも、私の動きは止まらない」



黙らなかった。


ウィリアム司祭は、むしろ声高に教会を批判し始めた。


そして独自の教典解釈-「実践教義」を唱え始めた。

実践教義とは、大まかに言うと「人間の本姓である欲は自制しようとしてもできるものではなく、むしろそれをあるがままに受け入れるこそが重要」「働いて稼ぐことは悪ではない。商人が商いをすることは、騎士が戦場で杖働きをすることと同じこと。社会に還元さえすれば、商人といえども、天上に迎えられる」いうものであった。

その是非はともかく、一司祭でしかないウィリアムが、独自の教義を唱え始めたとあっては、その教会批判を苦々しく思いながらも聞き流していた宗教庁としても、見過ごせるものではなかった。ブリミル暦4010年、ハノーヴァー王国に聖堂騎士隊を送り込んで彼を捕らえさせ、ロマリア大聖堂前の大広場で、望みどおりに火炙りにした。


炎で皮膚がただれ落ち、異臭と煙が立ち込める中、ウィリアム司祭は聴衆に向かって叫んだ


「自由!自由!自由!」


自由が何を意味していたかはわからない。だがウィリアムの処刑後、「実践教義」を実行するブリミル教徒が増加した。実践教義を唱えるブリミル教徒は、自らを「新教徒」と名乗り、中にはロマリア教皇の権威ですら否定するものも現れた。商人の間では「稼いでもいい」という解釈が歓迎されたのだ。

一時期のアルビオンでは「石を投げれば新教徒」という状況になり、聖堂騎士が諸国を回っても、沈静化どころか、火に油を注ぐ結果となった。



その傾向は今に至るまで続いている。

さすがにお膝元のアウソーニャ半島には、新教徒は「いない」。歴代の王が熱心なブリミル教徒であるガリアやトリステインなどでも、新教徒は数えるほどしか存在しない。だが、長く騒乱が続き、教会権力が弱く、国境警備の甘い旧東フランク地域諸国の領内では、「新教徒」の活動はむしろ活発化している。司祭や、中には修道院長や大司教の中にも新教徒がいると噂される始末だ。


不倶戴天-新教徒とは共存できないと、歴代のロマリア教皇は(本心はどうであれ)唱えており、それは現在の教皇ヨハネス19世も一貫して宣言していた。



***

パーマストン外務卿は、この人には珍しく、顔をしかめて嫌悪感をあらわにしていた。

(気に食わん・・・)

ロマリアも、ブリミル教も、新教徒も-彼は全てが「嫌い」であった。そんなこの世で嫌いな物の話を、ヌーシャーテル大使という気味の悪い男としなければならない・・・私が何かしたか?

「人は罪深き存在。気付かぬうちに、人を傷つけているものです」

罪の塊のような貴様らには言われたくはないと言わんばかりに、パーマストンは鼻を鳴らす。それにしても、説教くさいことを言う。まるで坊主・・・坊主の国から来たのだから、当然か



不機嫌な雰囲気を隠そうともしないパーマストンに、ヌーシャーテル大使は神学生に教義を説く神官のように話す。

「貴国も、新教徒にはお悩みでしょう」
「何、教皇聖下ほどではありません」

嫌味を眉の一つも動かさずに受け流したヌシャーテル大使は、逆に逆ねじを食らわせてきた。


「いえいえ。教皇聖下も、アルビオンの歴史には、非常に関心を寄せておられまして」


ピクリと、膝の上で組まれていたパーマストンの手が動く。





アルビオンは、旧東フランク地域と並んで、新教徒の活動が盛んであった。「解放王」エドワード3世の「善意」が引き起こした、小麦飢饉(4500-4521)で苦しむ平民達は、この実践教義に飛びついた。飢饉の対応で手一杯な王政府は、ロマリア宗教庁からの度重なる抗議を受けたが、政変が相次ぐ状況では、打つ手がなかった。

ブリミル暦4544年、トリステイン王アンリ4世が、アルビオンの王位継承権を主張したことに始まる四十年戦争(アルビオン継承戦争。4544-4580)では、反王家勢力の中核として、新教徒が活躍した。

四十年戦争終結後、アルビオンでは徹底的に新教徒が弾圧された。「再建王」リチャード12世も、その治世を通じて、新教徒の「改宗」に力を注いだが、それでも「実践教義」は、植物の根のように、深くアルビオンの大地に根付き続けた。5900年には東部のアバディーンで、アルビオンの王族を担いだ新教徒による大規模な蜂起(アバディーン騒乱、またはジャコバイトの乱)が発生し、一時は反乱軍の支配地域が東部全体に及ぶという反乱へと発展した。




前述のヌーシャーテル大使の発言は、このようなアルビオンと新教徒の歴史的な経緯があるからである。


パーマストン自身、曽祖父が「ジャコバイトの乱」で戦死しており、新教徒にいい感情は持ってはいない。だからといって、私情を外交政策に挟むほど、彼は子供ではなかった。少なくとも、目の前の男が-その後ろにいるロマリア教皇が、何を目的としているかわからない限りは、うかつなことを話して、言質を与えるわけにはいかない。




ヌーシャーテル大使の言葉には答えず、どんぐり眼でじろりと相手の顔を見据える。沈黙は、時には雄弁に勝るのだ。


(それにしても・・・)

見れば見るほど、特徴のない顔だ。つかみどころのない風貌も、意識的に作っているのだろう。こんな人間がゴロゴロいるだろうロマリアの機嫌を損ねることは望ましいことではないが、アルビオンの外交をつかさどる立場として、出来ないことは出来ないと言わざるを得ない-ともかく、全ては目の前の男の発言次第だ。




相変わらず表情に乏しい顔のヌーシャーテル大使が、来訪の目的を告げる。

「新教徒に対して、アルビオンとロマリアが連携を強めるために、ロマリアの大使である私が訪れた-というのが『表向き』の理由です」
「前置きはいい。本題は?」

やたらに言葉を飾るのが、ロマリア人の悪い癖だ。下手に相槌を打てば、何時間でも話し続けかねない。

言葉を遮られた事への不満も見せず、大使は「では」と本題を切り出す。


「私は『ロマリア』の大使としてではなく、『教皇聖下』の使いとして参りました」

(聖下の使いと出たか・・・)

パーマストンは舌打ちした。国と自分が必要だと判断すれば、どんな馬鹿馬鹿しい建前でも、始祖像のごとく崇めて来たが・・・虚構の上に立ち、虚構の権威を唱えながら、それを虚構だと知る者たちの派閥争いの片棒を担ぐとあれば、面白いはずがない。


「なるほど・・・教皇聖下はお優しい御心の持ち主のようだ」

ブリミル教の総本山であるロマリアと、アルビオンとの連携は、大陸諸国-特に新教徒の多い旧東フランク諸国を刺激する。いくら新教徒対策が必要だとはいえ、妥協はありえないロマリアと手を組むとなれば、関係悪化は必至。アルビオンにとっては、得るもの少なくして、失うものが多いばかりの「同盟」である。

「教皇聖下は、信仰篤きお方ですが、それを強要する事はありません」
「なるほど・・・友人としては望ましいかぎりですが、ブリミル教のトップとしてはどうなのですかな」




そして、ヌーシャーテル大使が、初めて表情を作って見せた。


口の端だけを半月状に吊り上げて造った笑みに、パーマストンはゾッとすると同時に、生理的な嫌悪感を覚えた。






「最終的にネズミを狩ればよいのです。そして、狩るのは猫でもネズミ捕りでも構いません」





・・・国の土台を揺るがすという点では、同意する。同時にパーマストンは、どこか引っかかるものを感じることの出来る自分の感性に安心もした。





現ロマリア教皇ヨハネス19世-バルテルミー・ド・ベルウィックは、ガリアのベルウィック公爵家出身。教皇選出会議(コンクラーベ)では、保守派のイオニア会系勢力と、ガリア出身の枢機卿らの支持を得て、第94代教皇に選出された。


聖エイジス27世は、新教徒対策に失敗したため、任期途中の弾劾まで検討されるほど、権威が失墜した。新教徒の爆発的な増加と、揺らぐ教会の権威に危機感を持った宗教庁では、いくつかの改革が行われた。


教皇選出会議(コンクラーベ)の不文律打破も、そのひとつである。

聖エイジス20世は、建前上「教皇」を、世襲ではなく、枢機卿の投票によって選出されると既定した。しかし実際には、聖フォルサテの血を受け継ぐ7つの侯爵家(選帝侯)出身の枢機卿から選出され、外国貴族出身の枢機卿は勿論、ロマリアの貴族出身であっても、いかに選帝侯出身の枢機卿より優秀であっても、選ばれたことはなかった。

聖エイジス27世崩御後、選帝侯出身の枢機卿には、平時ならともかく、この非常時を乗り切るだけの器量を持った人物はいなかった。そして「教会の因習打破」を訴えたトリステイン出身のパウロ枢機卿がコンクラーベで選出された。

こうしてロマリア史上初の、聖フォルサテの血統以外からの教皇-グレゴリウス1世が誕生。聖エイジスは、聖フォルサテの血を継ぐ選帝侯家出身のみが名乗ることとなったのだが・・・


待っていたのは、教会改革ではなく-血こそ流れないが、反吐が出るほど薄汚い権力闘争劇であった。


いくら権威が失墜したとはいえ、始祖ブリミルの弟子・聖フォルサテの子孫というのは、それだけで敬意を持たれる存在。教皇の権威(使徒座)とは、「神の代理人」でも「ブリミル教の最高権威」でもなく、「始祖の墓守」の子孫という事実だけだったのだ。

ところが、ただの(ただのと言うと変だが)貴族出身の教皇には、そんなものは存在しない。選帝侯出身ならまだ納得できるが、貴族出身となれば「なんであいつが」「俺のほうが」という我執が出てくるのは、むしろ自然なことだった。

こうして、それまでは選帝侯家の綱引きに過ぎなかったコンクラーベが、以前にもまして重要な地位を持つことになった。「即位すれば死ぬまで教皇」とあって、有力候補は支持を得ようと、本来の仕事を放り出して走り回り、支持者は、教皇就任後の見返り(ポスト)を期待して、金をばら撒きの、女を抱かせのと支持獲得に奔走した。「聖人になりたきゃ、大聖堂の連中と反対のことをやればいい」という戯言が、ロマリア市内で流行したのも、無理からぬ話だ。


宗派間の対立が激化したのも、この時期だ。「保守派」だの「改革派」だのは、それまでは一応「祈りの言葉の順番は」「始祖の祈祷書第4節第3節の解釈の違いにより」と頭に関していたのだが、これを境に、教皇選挙を優位に進めるための「派閥」と化した。


当初の目的とは反対に、コンクラーベの不文律打破は、教会の分裂をもたらしただけであった。



選挙は投票ではなく、事前の活動が本番だ。教皇が死ぬ寸前でなくとも、むしろピンピンしている間から、選挙準備は始まっている。現教皇とその派閥は、自身の後継候補を、非教皇派の派閥は、対立候補を据えようと、虎視眈々と活動している。


現教皇が後継者を認めさせるためには、まずは実績を残すことである。「何もしない」という安全策もあるが、他派閥から「無策だ」という批判を受けかねない。


教皇の出来る仕事は多くはない。宗教庁改革は、自分の支持者を失うことになりかねず、歴代教皇は手を出すことはなかった。となると、一番望ましいのは、全教会が結束して対応できる「新教徒」対策となる。

とはいえ、新教徒対策は「心の問題」というだけでなく、国家主権も絡んでいるだけに、効果的な対策が難しい。

アウソーニャ半島内の新教徒は、早くに「改宗」させたため、国外に住む新教徒が対象となるが、実際のところ、国内に新教徒を抱える国に対して「対策」を求めるぐらいしか、とる手はなかった。トリステイン王国やグラナダ王国のように、王家が熱心なブリミル教だといいが、旧東フランク諸国のように、新教徒対策に熱心でなく、むしろ黙認しているとなると、効果的な「改宗」は難しい。昔のように、聖堂騎士団を送り込むわけにも行かない。


聖ヨハネス19世は、「対応を求めた」という事実が欲しいのだ。効果を上げれなくとも「行動した」という点数稼ぎにはなる。アルビオンが新教徒に良い感情を持っていないことは、大陸諸国は知っている。連携は出来なくとも、拒否することはないだろう・・・



「現実主義者」と噂される教皇らしい、姑息なやり方だ。




点数稼ぎに付き合わされるパーマストンは、苦々しげに掃き棄てる。

「やはり教皇聖下のご心痛、一方ならぬものがあるようですな」
「さすがパーマストン卿。ご賢察、恐れ入るばかりです」

歯の浮くような台詞でありながら、頭の一つも下げようとはしない。これが自分の部下なら、杖の一つでも振っているところだ。手土産の一つも持ってこないで、何を言うか



そんなこちらの気持ちはお見通しといわんばかりに、ヌーシャーテル大使は「手土産」を広げ始めた。


「何、ただとは申しません。わがロマリアが手に入れた、お望みの情報を提供いたします」


大体想像は付くが、確認のために尋ねる


「ジャコバイトか?」


パーマストンの言葉に、わが意を得たりと膝を打つ大使。これで気味の悪い笑みさえ浮かべていなければ、どこぞの劇場で役者として食えるだろう。



「ジャコバイト」は、四十年戦争の際、トリステイン側に属したスチュアート大公家と、その子孫こそが、正統なアルビオン王と主張する者を指す。四十年戦争で、スチュアート大公家のヘンリー・ストラスフォード3世は戦死し、その子ジェームズ(老僭王)の擁立を訴えたことから「ジャコバイト」と呼称されるようになった。

ジャコバイトは長く、反王家勢力の中核として活動し、国内の新教徒と結びついて、長くアルビオンを苦しめた。アルビオンの反新教徒感情は、1500年以上の長きにわたるジャコバイトとの戦いによって形成されたといってもいい。

5900年のアバディーン騒乱で、スチュアート大公家のジェームズ8世が戦死したことにより大公家は絶えたが、ジャコバイトは、いまだにアルビオンの大地の下で蠢動し続けている。




そしてアルビオンは、ジャコバイトの、大陸における活動拠点を掴めないでいた。




「さすがアルビオンにこの人ありというパーマストン卿、とても私ごとき非力非才の及ぶ所では・・・」
「世辞はいらん」


世事を聞いて嬉しくない者はいないが、この大使に言われていると思うだけで、全ての言葉が不快に感じる。それにしても、非力非才とは・・・どの口が言うか

「ネズミは誰がとってもいい」とはよく言ったもの。ロマリアは自分の手を汚さず、新教徒を始末させるつもりだのだ。確かに、ロマリアが「新教徒対策」といえば内政干渉という批判も飛び出すだろうが、アルビオンが「反アルビオン勢力の取り締まり」と申し入れれば、表立った反論は難しい。

ロマリアの手のひらで踊らされているようで気分が悪いが―それも、1000年以上に及ぶジャコバイトの因縁を断ち切れるのなら、どんなくだらない芝居にでも付き合ってやるさ







「それで、やつらはどこにいる?」




ヌーシャーテル大使は、相変わらず気味の悪い笑みを浮かべながら、一つの地名を告げた








「トリステイン王国西沿岸部、神から見捨てられし地-アングル地方」

「ダングルテールか」


パーマストンは、その地名を何度も繰り返した。



[17077] 第24話「太陽王の後始末」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/05/17 12:38
―――ロペスピエール3世陛下の下、わが王国は歴史上最大の国土を獲得し、イベリア半島のグラナダ王国をも屈服させるという偉業を達成した。『太陽王』の名は、ハルケギニアに鳴り響いたが、万事の例に漏れず、陛下の御武威に屈しない、唯一の例外が存在した。

北に国境を接するトリステイン王国-『英雄王』フィリップ3世である。ロペスピエール3世陛下は、4度にわたり英雄王と杖を交えられたが、陛下の御采配をもってしても、決定的な勝利を得た事はなかった。


ブリミル暦6212年初頭-陛下は英雄王と雌雄を決すべく、ラグドリアン湖畔へ電撃的に軍を進めた


「ラグドリアン戦争」である



(シャルル・モーラス著『太陽王ロペスピエール3世』より)

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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(太陽王の後始末)

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トリステイン王国王都トリスタニアは、その中心を流れるアムステル川によって、東西に分断されている。「東には貴族が 西には平民が」と言われるように、東側は王城やサン・レミ寺院を中心に、官庁街や貴族屋敷が、西側には商会や職人街、共同住宅や市場が立ち並んでいる。

「住み分け」の理由は土地の高低差にある。高い東側に貴族が集住しているのは、表向きは「国家の中枢を、水害の危険性にさらせない」という危機管理上の理由だとされたが「水捌けの悪い土地を、平民に押し付けたのだ」というのが、チクトンネ街でのもっぱらの噂であった。



アムステル川東側の川沿いに、赤レンガを漆喰で固めた外観の、ひときわ目立つ建造物が、トリステイン王国外務省庁舎である。その建物の主である外務卿アルチュール・ド・リッシュモン伯爵は、最上階の執務室の窓から、西側の平民街と、アムステル川に掛かるタニア橋を見下ろしていた。


リッシュモンは、ここから見える景色を気に入っていた。王国一の劇場と名高いタニアリージュ・ロワイヤル座で上映されるどのような歌劇よりも、面白いものが見れるからだ。


かつて、川は平民と貴族の越えられない壁そのものであった。平民が東側に居住する事はありえず、貴族が西側に赴くことはない-それがいつしか、両者の境があいまいになった。ここ最近では、裕福な商人が東に住居を構え、没落した貴族が西側に住居を移すことも珍しくなくなったと聞く。


その原因はただひとつ-金だ


金がないゆえに、何代も続く名門貴族はその身を落とし、金を稼いだ結果、ぽっとわいて出たような平民の商人が、大邸宅を東側に構える。

あのいまいましいゲルマニアでは、平民でも貴族の戸籍を買うことができるように、戸籍法の改正を検討しているという。メイジ=貴族という、ハルケギニアの秩序を否定しかねない行為に、トリスタニアの貴族たちは「やはり伝統も知らぬ田舎者よ」と失笑したものだが、リッシュモンは「悪くはない買い物だ」と関心さえしていた。

爵位は、王がその気になればいくらでも与えることができる、元手がかからない「商品」。こんなにぼろい商売はないだろう。そして、財力と才覚のある平民を国家体制に組み込み、国力を充実させるために働かせる-

失笑した貴族どもとて、本当は解っているのだ。自分たちがやせ衰えていく一方、平民たちが力をつけていることに。自分たちを「古き伝統と知性の守護者」と称し、平民を「下賎な成り上がり」と見下して溜飲は下げたところで、所詮はやせ我慢。いくら否定してみたところで、平民が発言力を増して行く傾向は止められるものではない。


それは、タニア橋を往来する人の流れを見ていればわかる。


街の東側と西側を繋ぐタニア橋は、一日中、人の流れが途切れることがない。そして、人の流れは、金と同じく、高きから低きに流れる。東から西へ、貴族から平民へ。土地の高低と同じなのは、皮肉としか言いようがない。


こんなに面白い「劇」が、他にあるか?







「外務卿、お時間です」


とりとめもない思考は、面会予定を知らせる秘書官の声によって遮られた。


(やれやれ・・・ゆっくり考えることもできんのかね)



***

「ジェリオ・チェザーレと、ロペスピエール3世には、共通点があるんですが・・・おわかりになりますかな?」

年長者であるリッシュモンの投げかけた質問に、内務省行政管理局長のアンドレ・ヴジェーヌ・ド・マルシャル公爵は、はてと首をひねる。

「-強欲ですか?」
「この世に強欲でない人間がいますか」
「そう言われると・・・」

マルシャル公爵は、30の半ばと「青年」と呼ぶには年を食い過ぎているが、どう控えめに見えても20代にしか見えないその童顔と、卵のようなつるんとした肌が合わさって「青年貴族」と呼んでもおかしくない雰囲気を漂わせている。

その丸みを帯びた顎に手をやりながら、考え込むマルシャル。

ロマリア大王も『太陽王』も、毀誉褒貶はあるが、外征で領土を拡大して、それぞれの祖国とハルケギニアに一時代を築いたことに間違いはない。両者の共通点か・・・ふむ・・・


「戦上手・・・というのはどうです?」
「うむ、半分は当たっています」
「では、もう半分とは?」

リッシュモンは、マルシャルの横で不機嫌そうな顔をして立っている秘書官に(貴様は分かるか?)とからかう視線を向ける。

「『戦(いくさ)』は得意でも、『戦争』下手だということです。何事も始めるのは簡単ですが、終わらせるのは難しいものです」


「大王」ジェリオ・チェザーレのもと、ロマリアはガリア南西部まで領土を広げたが、急速に拡大した領土を十分に統治することが出来ず、大王の死後は、アウソーニャ半島へと押し戻された。「戦い」に勝っても、後始末が悪いために、結局は国の衰退を招いたいい例である。

なるほど、現在のガリアも「太陽王」の死後、空白となった権力の座をめぐり、新国王派と前国王派が派閥争いを続け、屈服させたはずのグラナダ王国も離反の動きを見せるなど、当てはまる点は多い。


「子供が玩具の片づけが出来ないのと同じ事ですな。食い散らかして、あとは知らんふり。大人はいつも、子供に振り回されるものです」

感心したように頷くマルシャル公爵とは対照的に、秘書官―アルマン・ド・リッシュモンは「父」の言葉に噛み付いた。

「お言葉ですが、子供でなかった大人がいるんですか」
「そう、今の貴様のようにな」
「なッ!!こっ・・・」

「えっふん・・・んん!」

わざとらしく咳き込むマルシャル。ここで新しい「戦線」を開かれては叶わない。


「それで、条約案に関して、エギヨン卿は何と?」
「クルデンホルフ条項を除いて、外務卿の案に同意されるそうです」
「うん、まぁ・・・そうでしょうな」

行政を管轄する内務省の反対は、ある程度予想はしていたが、こうもピンポイントで反対されると、さすがにやりにくい。ここはまた宰相閣下に泥をかぶってもらうか・・・



***

「ラグドリアン戦争の勝者は誰か」-後年、戦史研究家達の間で長く論争となったこの問いに答えることは難しい。



先手を打ったのはガリアだ。ロペスピエール3世は、アルビオン王エドワード12世の崩御を聞くと同時に、密かにオルレアン大公領への軍の集結を命じた。トリステインの同盟国たるアルビオンが、軽々に軍を動かせない状況を見越して、即位式の当日、駐トリステイン大使パレオログは、宣戦布告を通知した。

ガリアはトリステイン国内の侵攻拠点として、ハルケギニア有数の景勝地-ラグドリアン湖畔を選んだ。モンモランシ伯爵を初めとするこの地方の領主は、戦わずにラグドリアン湖畔を明け渡したが、トリスタニアで、その判断を批判するものは誰もいなかった。水の精が何よりも嫌う「戦の流血」-水の精の怒りを買う事は、たとえ国境を明け渡してでも、避けるべきだという共通認識があったからだ。

神話としてしか残されていない、水の精の怒り-すべての生命を飲み込み、無へといざなうとされるそれは、トリステインにとっては伝説ではなく、疑いようも無い脅威その物であった。何より、王家自身が、水の精についての恐ろしさを知っていたからである。


戦いは仕掛けるほうが有利である。時と場所を選べるからだ。一見奇抜に思えるが、ロペスピエール3世は、戦の常道を踏み外してはいなかった。さすがに長年に渡って自ら軍を率いてきた「太陽王」といったところである。



トリステインも、ただやられるに任せていたわけではない。


ラグドリアンを経由して、グリフォン街道に兵を進めたガリア軍に対して、国王フィリップ3世は、王都トリスタニアから20リーグにまで防衛線を下げ、戦力をリール要塞に集中させた。リール要塞は、数百年前に立てられた古い石造りの城で、すでに放棄されて数十年が経過していたが、フィリップ3世は土メイジを総動員して、要塞の強化にかかった。


斥候に出した竜騎士隊からの情報により、ガリア軍司令官のベル=イル公爵は、トリステイン側はリール要塞での籠城を選んだと考え、進軍を停止。機動力の劣る砲亀兵を前線に集め、要塞攻略のための部隊再編を開始した。



フィリップ3世はその時を待っていた。

坂道を転げ落ちる巨石のように、勢いのついた大軍を止めることは難しい。しかし、大軍というものは、いったん止まってしまうと、再度動きだすまでには、最初以上に労力を要することを、英雄王は知っていた。おまけに、ガリア軍は「篭城するだろう」という思い込みから、敵の眼前で野営の準備まで始めている。


トリステイン軍は、弛緩したガリア軍に襲い掛かった-「セダン会戦」である。

ガリア軍2万は不意を突かれ、8千のトリステイン軍に散々に破られて敗走。勝利したトリステインだが、それは王太子フランソワを含めた2000余りの将兵の犠牲の上に成り立っていた。

フィリップ3世は、満身創痍の軍を率いて、再びリール要塞に入場。すぐに軍勢を立て直して、リール要塞を包囲したベル=イル公爵は顔を曇らせた。手負いの虎を無視して、トリスタニアへ進軍することも可能だが、背後を突かれては、いかに数が多いガリア軍といえども苦戦は必至である。

元々、大義名分のない戦争の上に、敗戦も重なって士気が下がる一方のガリア軍は、やる気のない言葉合戦をずるずると続けた。

篭城戦は3ヵ月続き―「太陽王」の崩御と、ガリアの新国王シャルル12世が、軍の引き上げを命じたことによって、アルビオンやロマリアの仲介のもと、停戦条約が成立した。


―――以上が「ラグドリアン戦争」の顛末である。




先手を取って戦略的に優位な立場のガリアを、セダン会戦の戦術的勝利で痛みわけに持ち込んだ-トリステイン贔屓の歴史学者の主張を、多くの学者は否定した。

ガリアのロペスピエール3世が、何故トリステイン侵攻を考えたのかは、当人以外の誰もわからない。それまでの彼は「太陽王」らしく、一応「大義名分」を掲げて、正々堂々とした戦を好んでいた。

すでにトリステイン侵攻時に「太陽王」の体を病魔が蝕んでいたことは周知の事実。あるトリステイン貴族が「あの子供は、英雄王と、最後の決着をつけたかっただけだ」と吐き捨てたのが、事の真相なのかもしれない。

そんな理由で、血を流させられた将兵はたまったものではないが。



理由がどうであれ、国と国の喧嘩は、国力の差がものをいう。確かにトリステインは豊かな国だが、自国の10倍の領土を持つ国と、単独で戦うだけの国力は存在しなかった。

ガリアがこの戦争で動員したのは、予備兵力や輜重隊も含めて4万に上る。一方で、トリステインが動員できたのは僅かに8千。セダン会戦をもう一度行う兵力は存在しなかった。

そして国内での防衛線-このままジリジリとにらみ合いを続けていれば、根を上げるのはどちらかは、火を見るより明らかだった。おまけに、ここ数年、トリステインを含めたハルケギニア北西部は天候不順により、収穫が思わしくなく、お世辞にも財政状況が良いとはいえなかった。リール要塞が攻略されるか、兵糧切れで降伏するのが先かという状況だったのだ。

「ロペスピエール3世があと一月生きていれば、トリステインという国は、地図から消えていただろう」といわれる所以だ。




「本当に、よく死んでくれたよ」

『太陽王』崩御の知らせに、ハノーヴァー王国へと援軍要請に赴いていたリッシュモン外務卿が漏らしたとされるその言葉は、多かれ少なかれ、トリステインに属するものが共通して持った感情だった。


***

その停戦から、2年が経過しようとしていた。

ブリミル暦6214年の今になっても、ガリアとトリステインの「戦争状態」は終わっていない。互いの国境警備隊は増強され、民間人の通行も厳しく制限されるという、準戦時体制が続いていたのだ。

だが、次第に準戦時体制に対する不満の声が、主にトリステイン側から上がり始めた。


平民-中でも商人たちが、戦争を忘れるのは早かった。いくら嘆いて怨んだところで、死んだ人間は戻ってこないということを、民草は知っていた。死者とは違い、自分達は生きていかなければならない。そのためには、好き嫌いを言ってはいられないのだ。


平民や商人たちに言われるまでも無く、トリスタニアの王宮も、平時への復帰-ガリアとの和平条約調印と国交回復をしなければならないことは理解していた。戦時体制の維持のための軍事費や、交易途絶による税収減は、両国の財政を-特にトリステイン側を確実に圧迫していた。そのため、戦場となった国内の復興事業は思うように進んでおらず、この状況が続けば、国内の治安の悪化は避けられない。


必要性は理解していたが、軍部や貴族を中心とした反ガリア派の存在が、それを妨げた。


殴った方はすぐにその事実を忘れるが、殴られたほうは忘れるはずがない。大国の余裕か、傲慢か、ハッタリか、そのいずれかは分からないが「講和してもいいぞ」という姿勢を崩さないガリアと、王太子まで骸をさらして「何が何でも、最低限でも謝罪が無ければ」というトリステインではかみ合うはずがなかった。


誰もが必要を認めながら、ある者はプライドや感情が邪魔をし、ある者は批判を恐れ、またあるものは復讐のための強攻策を唱え-2年間はそうして無為に費やされた。




トリステイン王国宰相-エスターシュ大公ジャン・ルネ6世を除いては


「1に講和、2に講和。3・4が講和で、5に講和」

どこぞの国営放送の探偵アニメに出てきた変態忍者のような事を呟きながら、エスターシュ大公は、王宮内を講和で意思統一するため、着々と根回しを続けていた。

かつて20代の若さで、一国の内政・外交・経済を一手に担った弁論さわやかな青年宰相は、失脚を経て、政治的老練さを増していた。名誉や冨、そのうえ宰相という地位にも頓着しないと来ている大公に、「講和反対」と唱えて、弁論で勝つことの出来るものは、トリスタニアの王宮には存在しなかった。


やり場のない感情が、宰相への不満となり充満しつつあった空気の中、エスターシュ大公は御前閣議で「ガリアとの和平条約の締結」を提案。閣僚の多くは、消極的ながら賛成意見であり、少数の強硬な反対派閣僚も、国王の前とあっては、露骨な反対意見を述べることが出来なかった。内心は講和に大賛成のフィリップ3世は(表向きは渋い顔をしながら)裁可を与えた。


エスターシュ大公は、反対派の牙城である高等法院の法務貴族を説得するため、和平条約会議の開催地と、条約案のたたき台作成は、自ら推薦した全権首席に丸投げしたのだが、『全権団首席-アルチュール・ド・リッシュモン外務卿』という人事を、誰もが驚きを持って受け止めた。


外交使節団の全権に、外交の責任者である外務卿を充てること自体は自然であったが、リッシュモン外務卿は、元々講和条約どころか、停戦条約にも反対の「対ガリア強硬派」とみなされていたし、一貫して主張していた。彼の息子であるアルマンも、講和賛成派のエギヨン財務卿らと、どうやって父を説得するかで頭を悩ませていたのだ。



そのリッシュモンが、何の反論も無く講和条約に賛成した挙句、まとめあげた条約のたたき台に、トリスタニアの王宮は、まずその目を疑った。

その内容を要約すると

①国交の回復と同時に、国境線を開戦前の実効支配地によって決定する。
②開戦前に結んでいた通商条約を再度締結(通商の再開)
③謝罪を要求するが賠償も要求しない。
④両国共に軍備制限は設けない。
⑤両国の緩衝地帯として、クルデンホルフ大公家を「大公国」として独立させる。


①や②はトリステインにとって願ったり叶ったりである。国境線の画定は、両国にとっての長年の懸案。確かに厳しい交渉となるだろうが、初めに殴ったガリアからすれば、トリステイン側の要求は断りにくい。真摯な「話し合い」で、両者が合意できる線引きが出来れば、交易の拡大にも繋がる。

④は、互いの国家主権を制限しないという意味では当然である(軍縮という概念は、ハルケギニアには存在しない)として、問題は③と⑤である。


ガリアが謝罪などするはずがない。③の条文が、完全にはったり-真剣に要求するつもりでないことは、誰でもわかる。本気で「謝罪」を要求するつもりなら、賠償とセットで要求しているはずだ。

セダン会戦で戦死者を出した貴族を中心に「最低限でも謝罪と賠償」という空気は根強いものがあっただけに、対ガリア強硬派は激昂した。特にリッシュモンは、開戦から一貫して、対ガリアへの強硬意見を唱えていただけに、外務卿の「変節」に対して、困惑をもって受け止めた。


そして⑤-「クルデンホルフ条項」に関しては



「何言ってんのあんた?」



息子であるアルマンですら、父の正気を疑ったほどだ。わざわざ、領土を分割して、独立させてやるなど・・・外務卿は何を考えているのか?正気を疑う声は出ても、まともに検討するものはいなかった。


トリスタニアの反応は、エギヨン財務卿の「わけがわからない」という一言に尽きた。




無論、アルマンもそれは変わらない。立ち上がって、応接室の窓から外を眺める父の背中を、息子は、じれったそうに見ていた。飄々としているようで、リッシュモンは肝心な点に関しては口が堅い。

「アルマン-貴様、わしが本気で、あの大国意識の塊の様なガリアに、賠償金や謝罪を求めていたと思っていたのか?」

リッシュモンの口調は、出来の悪い生徒の質問に答える教師のような調子で-アルマンは悔しさで顔を赤くしながら、反論する。完全に蚊帳の外に置かれたマルシャルは、苦笑しながら、この親子のやり取りを見物することにした。


「し、しかし、父・・・外務卿は、宣戦布告以来、一貫して『非はガリアにある』と・・・」

その言葉に、初めてリッシュモンが息子のほうを見やる。ほとほと呆れたような父の視線に、アルモンは、今度は顔が青ざめた。血の気が引くとはこの事だ。怒るのは相手に期待するから。自分には怒る価値も無いというのか―――


肩をすくませながら、顔面蒼白の秘書官を気の毒に思ったマルシャル公爵は、口を開こうとして、振り返ったリッシュモンと目が合った。目の奥に、微かな怒りの感情が-ふがいない息子への怒りが見え、マルシャルは言葉を発する変わりに、小さく息を吐いた。

それに気がついたのか、リッシュモンはいたずらっぽく目だけでマルシャルに笑いかけながら、あくまで言葉は厳粛に続ける。

「アルマン・・・わしは外務卿だ。トリステインの外交の全責任を負う閣僚だ。そのわしがだ、少しでも弱気な事を言ってみろ-それが出発点となってしまうではないか」
「・・・はったりだったと、そうおっしゃるので」

リッシュモンは再び窓に視線を向けた。顔を上げた息子に、自分の表情を見られたくなかったのだろう。


ちょうどタニア橋を、樽を積んだ馬車が何台も通過しようとしているところであった。橋の上で、布を敷いただけの粗末な店を広げていた商人たちが、慌てて商品を片付けている。「規制とは破るためにある」とは誰が言ったのか知らないが、完璧な規制などありえない。現にタニア橋の上では、薬だの両替商だの、一番規制が厳しいはずの商売が行われている。

ブリミル教で言う「自制の美」が、いかに現実離れした馬鹿げたものか-目の前の光景が証明しているではないか。


「父上、それでは国内を、陛下を謀っていたと、そうおっしゃるのですか?」
「必要とあらば、陛下だろうと始祖だろうと嘘をつくのが、この仕事だからな」
「なっ・・・」

言葉にならないアルマンに、リッシュモンは、今度は笑いながら答えた。息子の、経験不足ゆえの裏表のない考え方を笑ったのだ。

「言葉のたとえだ。手札は多ければ多いほうがよく、それを知っているものが少なければ少ないほうがいい。そして、札を切るのは私の仕事ではない。私の仕事はプレーヤーの望む環境を準備することだ」

興奮しやすい性質ではあるが、馬鹿ではないアルマンは、父の言葉の真意をすぐに悟った。


「・・・陛下も講和をお考えでしたか」

フィリップ3世は、この件に関しては意向を示さず、沈黙を守っていた。それをいいことに、講和派も反対派も、王を味方につけようと、引っ切り無しに上奏に訪れ、フィリップ3世の片言節句をとらえて、王の真意はこちら側にあると主張していた。

「まぁ、そういう事だ。陛下の意図的に意見を表明しないという態度が賢い選択だろう。下手に言うと、無用な政争に巻き込まれかねないからな」
「・・・『御進講』の面々を見ることで、王宮内の空気も分かるというわけですか」

リッシュモンは、息子の答えに満足そうに頷きながら、一応は自分の主君を褒めたたえた。

「そうだ。そしてやってくる連中のおかげで、否が応でも王座の権威が上がる・・・たいしたものだ」


再び二人の正面の椅子に腰掛けたリッシュモンに、アルマンはまだ何か言いたそうだったが、それまで黙って聞いていたマルシャル公爵が、先に口を開いた。


「うち(内務省)には話を通して欲しかったというのが、正直なところですがね」
「エギヨン卿がどうこうという問題ではないんですが、陛下のお考えですからね。悪く思わんでください・・・それとおわかりでしょうが、陛下の意向は、どうぞ御内密に」


最初から伝える気などなかったくせに・・・大体、それが陛下の御意向だという確証はどこにあるというのか。腹の中で悪態をつきながら、水掛け論をするつもりも、時間も無いマルシャルは、本題を切り出した。


「・・・内務省としましては、このクルデンホルフ条項は、受け入れることが出来ません」
「それは、エギヨン卿のご意見ですか?それとも『行政管理局長』としての、貴方の個人的ご意見ですかな?」

マルシャルはその質問には答えない。

「クルデンホルフ条項に関しましては、閣下が主張された内容とお聞きしました」
「ははは。耳が早いですな、公爵」


リッシュモンは足を組み替えながら、内心で舌打ちをしていた。

「クルデンホルフ条項」の内容に関しては、講和派・反対派を問わず、大規模な反対が予想された。エスターシュ大公には、発案者を秘密にするよう頼んでおいたのだが、目の前の童顔公爵はどこから聞きつけてきたのか、自分がこの条項の発案者だということを知っていた。

これについても大公に泥をかぶってもらうつもりだったのだが、いったいどこから聞きつけたのか。さすがに、この年齢で局長に就任しただけの事はある。油断したわけではないが、どうにも、この・・・公爵の、卵顔を見ているとな。

これが素だから、余計にたちが悪い。


そのマルシャルは、先ほどからハンカチを取り出して、しきりに汗をぬぐっていた。視線だけはしっかりとこちらを見据えており、説明するまでは、梃子でも動きそうにない。


「裏も表もありません。実際に、先の戦争でのクルデンホルフ大公の働きに報いるというのが、唯一の理由です」
「ラグドリアン戦争で、それほどクルデンホルフ家が働いたとは思えませんが」
「そうです。それに軍の間では、大して働きもしなかった大公家だけを特別扱いするなという声、が・・・」

口を挟んだアルマンを、リッシュモンはじろりと睨んで黙らせる。

「杖働きも満足に出来ない貴族の言うことを真に受けてどうする」

再び言葉に詰まるアルマンに、内心ウンザリしながら、マルシャルは話を円滑に進めるために、親子の間をとりなして、話を本筋に引き戻した。


「評価は人それぞれですが、クルデンホルフ大公家というのが話をややこしくしているのは事実です」




クルデンホルフ大公家―――トリステイン王国の大公家の一つで、ガリアとトリステイン国境の最南部に領地を保有している。

この大公家は、現在のトリステイン王家とは何の血縁関係もない。現在の当主はハインリヒ・ゲルリッツ・フォン・クルデンホルフ大公-名前にフォンが入っていることからも分かるが、元は旧東フランク王国の貴族。しかもただの貴族ではなく、さかのぼれば東フランク国王カール12世の王弟であるマクシミリアン宰相を先祖とし、東フランクの宰相を何人も輩出したクルデンホルフ大公家という、ハルケギニアの貴族の中でも指折りの名門である

東フランク滅亡後、ザクセン王国の首都ドレスデンに逃れたこの家は、ブリミル暦3500年代に断絶。ザクセン王家のヴエッテイン家が名跡を継ぎ、ザクセンの1大公家となった。

それがブリミル暦3910年、政争によってザクセンを追われて、トリステインに亡命してきた。当時トリステインは、ハノーヴァー王国と連合を組んで、ザクセンと対立しており、国王フィリップ2世は、クルデンホルフ大公家に、対ザクセン戦の切り札と、その貴種-旧王家に繋がる大公家を東フランク地域進出の際の旗頭として利用する-という価値を見出し、大公一家を喜んで受け入れた。


そうした家柄や歴史もあって、クルデンホルフ家は「大公」として、それなりに敬意を払われてきた。トリステインが完全に旧東フランクの進出を諦めた後も、ガリアとの南部の最前線である領地を堅守してきた戦上手の家でもある。


その大公家を、何故「大公国」として独立させなければならないのか?



「それは、そうでしょうなぁ。あの程度の戦いぶりだけなら、私だってそう思いますよ」
「それならば!」

父の言葉に食い下がろうとするアルマンの膝頭に手を置いて押さえながら、マルシャルは、リッシュモンのもったいぶった言い回しの裏に、どのような思惑が隠されているのかを、何となく察した。


リッシュモンの言うとおり、クルデンホルフ大公家は、ラグドリアン戦争で、際立った功績や、目立った戦果を上げたというわけではない。

確かに、ハインリヒ大公は、大公軍を率い、ガリア領内への逆侵攻や、補給路を分断するなどして、ガリア軍の背後からプレッシャーを掛け、撤退に一役買った。だからといって、それが「大公国」として独立させてやるほどの、飛びぬけた功績だとは、誰も納得しない。


つまり「ラグドリアン戦争での働き」云々は、あくまで表向きの理由で、クルデンホルフ大公を「大公国」として独立させる、表ざたに出来ない理由があるはずなのだ。


「違いますか?」
「はははッ、公爵は想像力が豊かなお方の様だ」

特に気分を害した様子もなく、マルシャルは「それはどうも」と答える。リッシュモンは、断りを入れてから、巻き煙草に火を付けた。


100年ほど前、東方から伝わってきたという煙草は、新しい物好きだったロペスピエール3世や、変わり者で知られるアルビオン王弟(何故か涙を流して喜んだとされる)が愛好していることで、一躍有名となった。ただ、煙を吸うという行為に、眉をひそめる向きも多い。

何より、その常習性を酒と同じようなものだとして(間違っているようで、間違ってもいない)ロマリア宗教庁は何度も禁煙令を出しているが、何度も出している時点で、殆ど効果が無いということを証明していた。


煙を燻らせながら、リッシュモンは、ハインリヒ大公の「働き」について、何故か口をゆがめながら話し出す。


「クルデンホルフ大公家は、金融業者に顔が利きますからね。停戦に合意するよう、ガリアにプレッシャーを掛けさせたというわけですよ」

その言葉を聞いた瞬間、マルシャルの顔が、リッシュモンと同じように曇った。リッシュモンが口をゆがめた原因にすぐに思い至ったからだ。アルマンに至っては、露骨に顔を顰めている。



元々、金融業者は「労働なき冨」と教会に批判されることから、領主や国王から厳しい規制と、不定期に莫大な税を課せられるのが常だった。

クルデンホルフ大公家は、その金融業を積極的に保護した。税制度を簡素化して、一定レベルの税率を維持することで、業者を誘致。同時に、金融業に関する法律を決め細やかに整備。領土が狭いという欠点を「監督しやすい」という長所にして、悪質な業者を速やかに排除し、真面目な銀行家を育成した。

そうした地道な努力が実を結び、クルデンホルフ大公領に本拠地を持つ金融業者は、その機密性の高さと、冒険はしない堅実な融資姿勢が評価されるようになり、いつしか「クルデンホルフ銀行」と呼ばれるようになった。大公家の庇護と保障もあって「クルデンホルフ銀行」は、ハルケギニア全土に展開。大公領の中心都市リュクサンブールには、各国の銀行が軒を連ねるようになった。


リッシュモンの言う「顔が利く」とは、決して大げさな表現ではない。クルデンホルフ大公家が制定した「銀行法」は、ハルケギニアの金融業に関する法律の基本となっており、各国の金融行政に与える影響力は、ロマリア教皇など足元にも及ばない。当然、各国の銀行協会や、金融業を商う大商会は、リュクサンブール大公宮の一挙手一投足に注目している。


ハインリヒ大公は、そうしたつてを使って、ガリアに撤退するよう働きかけた。大国ガリアの貴族といえども、左団扇の家は数えるほどしか存在しない。多くの貴族は、金融業者から借財をしている。ロペスピエール3世死後、リュテイスで急速に撤退論が高まったのは、そうした背景があった。


多くのトリステイン貴族は、そんな大公家を苦々しい思いで見ていた。「労働なき冨」云々はともかく、自分達は領地経営に四苦八苦しているのに、手品の様な手段で金を稼ぐ銀行家と宜しくしながら、一人だけ儲けているように見える大公家。

そんな大公家の働きによって、停戦が成立したからといって、諸手をあげて喜べるはずがない。



アルマンは、怒りで顔を赤く染めながら、憤りを口にする。


「それは、確かに表ざたに出来ませんね・・・セダンで死んだ彼らに、一体どんな顔で報告すればいいのか。彼らの犠牲は、無駄だったと、そういうことですか」
「さあな。軍人ではないから、よくわからんよ。だが、ハインリヒ大公の功績は評価されてしかるべきだということだな」

父の言葉に、息子は嫌悪と侮蔑を含んだ声で、掃き捨てた。


「結局は『金』ですか」



リッシュモンは煙草の火を灰皿でもみ消しながら、何も答えず立ち上がった。


「古きよき伝統」が、金という新しい秩序に蹂躙されている現状が、我慢ならないのだろう。現実を直視した上で、自分の力ではどうすることも出来ないとわかっている。わかっているがゆえに、何も出来ない自分の力のなさが歯がゆいのだ。




リッシュモンは、古い友人を思い出した。



誰よりも貴族足らんとした彼は、領民から過度の取立てを行わず、飢饉のときは年貢を免除し、結果、積み重なった借金で首が回らなくなった。彼こそが、将来のトリステインには必要な男だと、貴族が商人に負けてはいけないという思いから、彼を救おうと、貴族の論理で、正々堂々と戦った。

だが「貴族の論理」は、一枚の契約書によって、あっけなく敗れ去った。

貴族としての誇り以外の全てを失った彼は、何も言わずに、何処へとなく去っていった。



今、彼がどこでどうしているのか――生きているのか、死んでいるのかさえ分からない。今や習慣ともなった、執務室の窓からタニア橋を眺めるのは、雑踏の中に、彼の姿が見えないかを探しているからだと、最近ようやく気がついた。




「納得しなくてもいい。ただ現実は現実として受け入れなければならん。目を背けても、何も変わらん・・・そうでなければ、この国は生きていくことが出来ないのだ」

「トリステインといえども、ですか」

マルシャル公爵の呟きにうなずきながら、再び窓からタニア橋を見下ろすリッシュモン。




雑踏の中に、友人の姿を見たような気がした。




[17077] 第25話「水の精霊の顔も三度まで」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/05/12 17:35
ラグドリアン湖-トリステインとガリアの国境に位置する、ハルケギニア有数の景勝地。広さは六百平方キロメイル。水の精が住まう湖は、いつも満々と水をたたえており、訪れる者に何らかの感慨を抱かせずにはいられない。


ド・モンモランシ伯爵家は、ブリミル暦3000年代からこの地を治め、代々トリステイン王家と、湖の主である水の精霊との盟約の交渉役を務めてきた。

交渉役とはいうものの、その実情は、「呼び出し係」に過ぎない。水の精を呼び出した後は、王族が水の精と一対一で交渉・契約するのを見守る。そして万が一の時には、自らの身を投げ出して王族を守る-とされていたが、実際には水の精が、古き盟約の盟主たるトリステイン王家の者に危害を与えることはありえない。

それなら交渉役など必要ないように思えるが、そうではない。

いくら「彼女」の時間の概念が、人間からすれば、気の遠くなるようなゆっくりとしたものとはいえ、用のある時だけ訪れて「後は知らん」といわんばかりの態度をとれば、誇り高き精霊でなくとも、気分を害する。

つまり交渉役とは、水の精霊の「ご機嫌伺い」なのだ。

モンモランシ伯爵家の前の交渉役は、この「ご機嫌伺い」を何年かサボった。そのため、就任したばかりのトリステイン国王ルイ8世が、水の精霊と契約を行うためにラグドリアン湖畔を訪れた際、交渉役は、自身の使い魔を、精霊の元に送った。

だが


「そなたの血に覚えはあるが、そなたは誰だ?」


モンモランシ伯爵家の家祖であるユーグリッド・ド・モンモランシは、ルイ8世の侍従として、契約の場に立ち会っており、呆然としてなすすべを知らない交渉役に痺れを切らした国王から「ユーグ!貴様が何とかしろ!」というムチャぶりを受けて、三日間かけて、水の精霊の機嫌を取り戻し、契約にこぎつけた。


そのとき、家祖ユーグリッドが、水の精霊の関心を引こうと、使い魔であるカエルと漫才をしたり(一瞬たりともウケなかったが)、腹踊り(同前)した事は、モンモランシ伯爵家の触れてはいけない歴史である。


そんなわけで、モンモランシ伯爵家の若き当主であるロラン・ラ・フェール・ド・モンモランシも、腹踊りこそしないものの、三日に一度は湖を訪れて、トリスタニアを離れられない国王フィリップ3世やマリアンヌ王女に代わり、精霊のご機嫌を伺う日々を送っていた(そのため、代々モンモランシ伯爵家は、トリスタニア務めや、軍役の一部を免除されている)。


そして、現在、水の精霊はというと―――若き当主がご機嫌伺いをするまでもなく、不機嫌の極みにあった。


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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(水の精霊の顔も三度まで)

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明鏡止水-波風の立たない水面のように、心を平穏に保てば、あるがままの物事を感じ取れる・・・という、異世界の言葉を、モンモランシ伯爵は知らない。もっとも、知っていたところで、目の前の、波一つ立たない湖面に、心穏やかでいられるわけがないが。

風が無いわけではない。先ほどから春の香りを伴う涼風が、周囲の木々の枝葉を揺らし、自分の頬を撫でている。


では何故、湖面が揺らいでいないのか?


(怒ってる・・・)

そう、ラグドリアン湖の主である「彼女」が怒っているのだ。


水の精霊が感情を表す手段は、そう多くない。水害をわざと引き起こすことは、多くの生命(人間ではない)を危機にさらすので、彼女の好む手段ではない。もっとも、あくまで「好まない」だけで「やらない」わけではない。

容易に行動へ移れないとあれば、言葉で表現するしかないが、人間ごときにむかってわざわざ「あれこれが気に食わない」と伝えることは、そのプライドが許さない。数えるほども馬鹿らしい年月を存在し続けた精霊のプライドは、下手な貴族よりも高いのだ。


不機嫌な彼女が、まず行う「表現」は、自らの分身である湖を満たす「水」総てに、意識を集中させること。これでも気が付かなければ、今度は自分の存在をじわじわと増加させて、水位を上昇させる。それでも気が付かなければ、最終手段の「水害」で主張する。

構って欲しいけど、素直に伝えることはプライドが許さない―残念ながら「ツンデレ」という言葉を、モンモランシ伯爵は知らない。自分を振り回す、プライドの高い精霊にため息をつくだけだ。



そんな彼の心痛の種を増やすように

「どうだ?『お姫様』のご機嫌は」

という言葉が投げかけられ、湖面を厳しい顔で見つめていたモンモランシ伯爵は慌てた。水の精に聞かれたら、体の膨張という「第2段階」に進みかねない。

慌てて「素人は引っ込んでいろ」と怒鳴りつけてやろうと振り返ったのだが、モンモランシは自分の考えを実行に移さなかったことに、安堵すると同時に、面倒な奴がやってきたと、軽い頭痛を覚えた。


「ら、ラ・ヴァリエール公・・・」


ピエール・ジャン・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール公爵。トリステイン南西部ブロワ地方を治める、国内有数の大貴族にして、王家の庶子を祖とする名門ラ・ヴァリエール公爵家の現当主。

モンモランシと同じ26歳の若さでありながら、魔法衛士隊隊長として数々の戦功を上げており、その名は各国に知れ渡っている。その上、人格高潔にして、読書家であるという、物語に登場する「騎士」を絵に描いたような貴族だ。


国王フィリップ3世の信任篤い側近中の側近に向かって「素人が!」と怒鳴ろうとしていたことに、今更ながら顔が青ざめるモンモランシ伯。そんな彼の肩を、人懐っこい笑みを浮かべながら叩くヴァリエール公爵。


「ロラン。堅苦しいのは勘弁してくれ。王宮ではないんだから」
「そ、そうは言うがな、ピエー・・・あ」

思わず学生時代のように呼んでしまい、再び顔を強張らせるモンモランシに、若き公爵は、モノクル(片眼鏡)のチェーンを揺らしながら笑った。



二人は、トリステイン魔法学院で机を並べた同級生である。勉強家だが、意外といたずら好きなピエールに、ナルシス・ド・グラモンやバッカスらの悪友(まとめて3馬鹿と呼ばれていた)らと共に、チクトンネ街の酒場や悪所を連れ回されたものだ。水の精霊に、お気に入りの酒場の女の子と同じ格好をさせようとして、危うく廃嫡させられかけたのも、今となっては、いい思い出である(ピエールやナルシスはとっくに逃げ出していたが。最後まで残ったバッカスも「水の精霊に可愛い格好をさせたい」という、かなり不純な動機だったが)

元々真面目にお勉強する気のない3馬鹿は、放校処分となったのを幸いとして、彼ら曰く「馬鹿を生産する監獄」の様な学院を飛び出したが、良くも悪くも真面目な(この頃になると3バカの影響でエロ博士の異名を持つまでになっていたが)ロランは、無事学院を卒業して、家督を相続する。


魔法衛士隊に入隊した3馬鹿の軌跡はここに触れるまでもない。ラグドリアン湖畔で、水の精のご機嫌を伺う毎日を送っていたモンモランシにも、彼らの活躍は耳に入ってきた。


旧友の出世を喜びながらも、雲上人となった彼らと、モンモランシは自然と距離をとるようになった。自分が王宮に赴くと、彼らは昔のように話しかけてくれたが、それがかえって辛く感じるようになったのだ。

いつまでも、学生気分ではいられない。日のあたる場所を歩く彼らとは違い、水の精霊のご機嫌を取る為だけに一生を送る自分。

やっかみだとはわかっている。彼らが、日のあたる場所を歩くまでに、どれほどの地獄を見てきたのかは、ここで湖面を見続けただけの自分には想像も出来ないものだった事は想像が付く。そして今も、華やかなライトを浴びながら、茨の道を歩いていることも。



ピエールの人懐っこい笑みは、バッカスの馬鹿話は、ナルシスの妄想話は、ロランのつまらない葛藤を、いつも綺麗に吹き飛ばしてくれた。学生時代に彼らが見せてくれた世界は、ラグドリアンの湖畔にいては、気付く事が出来なかったものばかりだ。

彼らは自分に「可能性」を示してくれた。決められた道以外にも、自分さえ踏み出せば、いくらでも世界が広がっていることを、ラグドリアンの湖畔しか知らなかった自分に教えてくれた。


そしてロランは、水の精霊との交渉役となることを選んだ。


踏み出せなかった自分に、安堵しながらも、ロランは、彼らがうらやましかった。


まばゆいばかりの広い世界を、自由に歩ける彼らが。



(あの時・・・)

3馬鹿が、オスマン学院長の寝顔に落書きをして放校された日。彼らに付いて行けば、今の自分は、どこで何をしていただろう?



「何だロラン?あまり悩んでいると禿げるぞ」
「余計なお世話だ!」

過去を振り返っていても仕方が無い。今、こうしてピエールと笑い会える事こそが、大切なのだ。



「・・・良く生きて帰ってきたな」
「あぁ・・・」

ピエールの顔に影が差す。

責任感の強い彼のことだ。実際に救えたはずの命も、どう足掻いでも救えなかった命も-背負わなくてもいいものまで背負い込んで、全てを自分の責任のように感じているのだろう。

そして、そんな彼に、慰めの言葉を掛けるほど、ロランは空気の読めない人間ではなかった。黙って自分の横に立った、若き魔法衛士隊長の顔を見ることなく、視線は、波一つ立たない湖面に向いていた。


同じく湖面に目をやったラ・ヴァリエール公爵が、水の交渉役であるモンモランシ伯爵に尋ねた。すでに、学生時代を懐かしむ雰囲気は、そこには存在しなかった。

「やはり怒ってるか?」
「そりゃ、な。精霊にトリステインもガリアも関係ないさ」

ラグドリアン湖畔に軍を進めたガリアに対して、モンモランシ伯爵家を初めとするこの地の領主は、戦わずしてこの地を明け渡した。流血は、水の精霊がもっとも嫌うことであるからだ。

いち早く常備軍を導入したとはいえ、ガリアの輜重部隊はお粗末なもので、食料以外の飲料水や薪などは、現地調達が基本であった。よそ者が断りもなく、自分のシマで好き勝手に水を組んだり、薪を伐採したのだから、不機嫌にならないほうがおかしい。


停戦条約が成立し、ガリア軍が撤退した後、モンモランシは毎日のようにラグドリアンの湖畔で、彼女のご機嫌を伺おうとしたが、1年ぐらいは返事すら返してもらえなかった。

「ようやく言葉を交わしてくれるようになったんだぞ?それが今回のことで全てパーだ。パーチクリンだ」
「ぱ、ぱーちくりん?」
「リッシュモンのくそ爺が・・・一度、彼女と交渉してみればいいんだ。褒めたら『追従は嫌いだ』、何も言わなければ『お前の気持ちはその程度なのか』。してもしなくてもふて腐れるし・・・」

喋っているうちに、段々モンモランシは腹が立ってきた。

「『私なんかどうでもいいのね』って、いいわけないから、来てるんだっての!どれだけ彼女のご機嫌をとるのがどれだけ大変か、分かるか、ピエール!」

「・・・水の精霊の話だよな」

何故だろう。惚気られているような気がする。


「?当たり前だろう」

何を言っているんだという友人の顔に、軽い自己嫌悪に陥るピエール。モンモランシはそんな魔法衛士隊長の態度を訝しがりながら、今度はリッシュモン外務卿への不満を口にした。

「大体、なんで会議の場所がここなんだ?」
「・・・『大人の事情』ってやつだな」

苦し紛れのピエールの言葉に、聞き飽きたといわんばかりにうんざりした表情をするモンモランシ伯爵。その後ろでは急ピッチで会場の設営が進んでいた。




ガリアとトリステインの講和会議の会場として選ばれたのは、ガリアが土足で踏みにじった場所であるここ-ラグドリアン湖畔であった。

この講和は、あくまで「対等の講和」であるため、リュテイスやトリスタニアといった当事者の王都は最初から検討されなかった。仲介交渉をしたアルビオン王国の王都ロンディニウムや、ロマリア連合皇国の首都ロマリアなども候補に挙がったが、前者はトリステインの同盟国でもあることから、ガリアが難色を示し、後者は、いまさら教会に大きな面をしてほしくないないという思惑でガリア・トリステイン両国が一致したため却下された。

それでも、この仲介交渉で影響力を見せ付けたいというロマリアは、アウソーニャ半島のアクレイア市や、ジェノヴァなどを提示して「交渉の足を引っ張るな」と批判された。


ラグドリアン湖畔は、北がトリステインのモンモランシ伯爵領、南がガリアのオルレアン大公領となっている。湖という天然の国境によって、漁業権を巡る争いこそ絶えなかったが、「水の精霊」の存在もあり、この地は平和を謳歌してきた。「ラグドリアン戦争」は、例外中の例外であり、今後、この地を軍靴が踏み荒らすことはないと思われていた。


「両国の国境境でもあるラグドリアンの地で、水の精を立会人に両国の永遠の平和を誓う」


―――ありきたりのつまらない脚本だが、演じる役者によっては、カーテンコールの鳴り止まない歌劇にもなりえる。




貧乏くじを引かされたのが「交渉役」のモンモランシだ。

「何故あやつらが再びやって来るのだ」と、珍しく怒りをあらわにした水の精霊相手を、どうにかこうにか宥めすかして、黙認してもらうことで折り合いをつけたのが、つい昨日のこと。

それが、会場の設営が始まって以降、『あること』に気がついた彼女が怒ったため、再び返事を返してくれなくなったのだ。

モンモランシは、両手のひらを上に向けて「お手上げ」のポーズをした。

「精霊様に、そんなこと言えるわけないよ」
「そう言ってくれるな。生きている人間の相手もなかなか大変なんだから」
「大体、ガリアも何を考えているんだ?水の精を怒らせたら、困るのはお互い様だろう」


モンモランシは、視線を対岸のガリア領-オルレアン大公領に向けた。湖畔で、なにやら設営工事をしているのか、船が行き来しているのが、微かに見える。

「オルレアン大公は反対だったと聞いたが。『太陽王』を止められなかったんだろう」
「止められなきゃ意味がない。国王が暴走したときに、親族が止めなくて、誰が止められるというんだ」
「ははは、手厳しいな、君は」

ピエールはモノクルのチェーンを、指で遊びながら続ける。

「ガリアは先々代のシャルル11世陛下の時代から、王権の強化を進めてきたからな。一大公家が反対しようと、国政の意思決定には影響しないのさ。実際に、オルレアン大公軍は、先陣を切って攻め込んできたからね」
「要するに、王をいさめるだけの根性もない腰抜けぞろいというわけか。王権が強いのも考えものだな。失敗を人の所為には出来ないからな」

おいおいと、ピエールはロランの肩を叩きながら「不敬だぞ」と冗談めかした口調でとがめる。ガリアの人間が聞けば、条約会議に水を差しかねない。それでも、ピエールの顔が笑っているのは、多かれ少なかれ、その意見にうなずく所があるからだ。

「その辺にしておけよ。どこにガリアの者がいるか、わからないからな」
「到着は三日後だろ?今ここにいるとすれば、そいつらのほうが咎めがあってしかるべきだ。なんせ、一応はまだ『戦争中』だしな」

不穏当なことを言いたてる友人に、ピエールは苦笑するしかなかった。



一通り、ガリアをけなし続けた後、「それにしても」とモンモランシは、疑問を口にする。

「仲介交渉役のアルビオンやロマリアが使節団を派遣するのは分かるが、なんでハノーヴァーやザクセンが使節団を派遣して来るんだ?」
「あーそれはな、大人の事情・・・聞きたいか?」
「けっこうだ」
「まぁ、そういうな。実はな・・・」
「聞きたくないと言ってるだろうが」


今回の会議には、当事者である2国以外に、仲介交渉に当たったロマリアやアルビオンが出席することが決まっていた。

それが、トリステインが、ハノーヴァー王国の使節団を受け入れることを表明した途端、関を切ったように、ザクセン・バイエルン・ベーメンなどの、主要な旧東フランク諸国が、我も我もと使節団派遣を打診してきた。ハノーヴァーだけ受け入れて、他を断るのは都合が悪く、断る理由もないトリステインはそれを受け入れた。新興のゲルマニアは、一応、使節団の派遣を打診したのだが、トリステインが黙殺した。


「要するに顔を繋ぎたいんだろう。ガリアやロマリア、おまけにアルビオンまで首脳クラスの人員を含んだ使節団を派遣して来るんだ。諸国会議でもないのに、これだけのメンバーが集まるのは、ここ数年でも珍しいんじゃないか?」

ピエールがあげた国の中に、自らが属する祖国の名前が入っていなかったことに、モンモランシは顔を顰める。

「トリステインは入っていないわけか。水の国もなめられたものだ・・・というか、聞きたくないといってるんだがな」
「何、それもガリアとトリステインの講和会議だからだよ。そうでなければ、ロマリアやアルビオンも顔を出さないと考えれば・・・」
「おまけ扱いに納得しろと?ステーキの付け合せみたいな扱いだな・・・ところでさっきから、聞きたくないといっているだろう。聞けよ人の話を」

ピエールは肩をすくめた。

「酷く気が立ってるね」

(そりゃ、君の解説に長々と付き合わされたからだ)と呟くモンモランシ。



モンモランシ伯爵が不機嫌なのは、何も水の精霊との交渉がうまくいっていないというだけではない。会場設営の役目を担わされるのは、誰あろう、この地の領主であるモンモランシだ。何百人もの人員を宿泊させるだけの施設が、「のどか」という言葉が、これ以上似合う田舎に存在するわけもない。

領民は臨時収入に喜んでいるが、金を出させられる方はたまったものではない。

「何も全て自腹というわけではあるまい。外務省から幾らかは出るだろう?」
「人員を出すのはうちだぞ?それに、水の精になんと言い訳したらいいんだ・・・」

結局はそこに行き着く。洗面で使う水、料理で使う水、飲料水・・・これらに関しては、まだ水の精霊に対して、説得のし様がある。

問題は下水の処理だ。水メイジを使って、浄化することは可能だが、その役目は地元領主-モンモランシ家に回される。それだけでもうんざりなのに、浄化した後の水をどうするか-ラグドリアン湖に戻すにしても、また水の精霊に許可を得なければならない。黙ってそんな水を流し込んだら、どんな事になるか・・・考えるだに恐ろしい。

彼女はそれに気がついて、口を利いてくれなくなった。



「どうすりゃいいんだ・・・」

頭を抱える友人に同情したピエールに、部下の衛士隊員が駆け寄った。

「隊長。アルビオン王国の使節団が到着されました」
「何?到着予定時刻まで、あと2時間近くはあるぞ」
「それが、予定より早く到着されたようで・・・カンバーランド公爵ヘンリー殿下夫妻が、あちらに」


部下の指した方向に、視線を向けるピエールとロラン。そこには


「さすがラグドリアン。綺麗なものだ。こういうところで余生を過ごしたいね」
「何を年寄りくさいこといってるのよ・・・でもその意見には同意するわ。着ているものを脱いで、泳ぎたくなるわね」
「ははは、君の美しさを晒したくないから、遠慮して欲しいね」
「やだ、もう!恥ずかしいこと言わないで」


あれ、おかしいな。空気が、ピンク色に見えるよ?


「ははは!本当のことじゃないか」
「もうッ貴方ったら、知らない!」
「待ってくれよ、マイハニ~なんちゃって♪」



恥ずかしげもなくいちゃつくアルビオンの王弟夫妻。そのそばを通る人足たちは、あさっての方向を向き、わざとらしく咳払いをしたり、口笛を吹いたりしている。自分に報告に来た騎士など、恥ずかしさの余り、顔を真っ赤にしてうつむいてしまっている。


(・・・俺とカリンも、ああいう感じに見えるのかな)


見えるも何も、毎回それ以上のことをしでかしてくれているのだが・・・人のことはともかく、自分の事は案外見えないものだ。2人の世界にいたたまれなくなったピエールは、視線をそらした。










そして「悪魔」を見た

















ド・モンモランシ伯爵家-水の精霊との交渉役という役目上、この地を離れることが出来ない。社交界からも自然と遠ざかるため、出会いの機会が少なく、歴代当主は嫁探しに苦労したとされる。


そして、現当主ロラン・ラ・フェール・ド・モンモランシも、同じ悩みを抱えていた。












「・・・湖の底に沈んじまえ」








全身から嫉妬と怒りのオーラを撒き散らす友人に、ピエールは(結婚の報告はしばらくしないでおこう)と、心に誓った。



[17077] 第26話「酔って狂乱 醒めて後悔」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/05/12 17:35
やあ、みなさん。こんにちは・・・ごぶさたしています。アルビオン王弟のカンバーランド公爵、ヘンリーです。


突然ですが、妻が口をきいてくれません。


いいわけするんじゃないんですがね。だってさ。アルビオンのワインってさ、葡萄の種と皮だけ絞ったみたいに、渋くて苦いんですよ。それをね、この世界に生まれてこの方、ずっと飲まされてきたんですよ。

ガリアやロマリアへ出かける用事が出来たときは、お小遣いをはたいて、ワインを買い集めるのが楽しみなんだ。高いんじゃなくていいの。安いワインで。それでもアルビオンのぶどうジュースの出来損ないみたいなやつよりは、ましだから・・・どうよ、この慎ましやかな贅沢?


そんな環境で育ってきてさ。常日頃から、美味い酒には飢えてるんですよ。


トリステインワインの中でも、高すぎず安すぎず、庶民が贅沢して手の届くぐらいの値段で知られるタルブ産のワインを出されて、ちょっと羽目を外して、かぱかぱ空けちゃったのは、そんなに責められる事じゃないと思うんですよ。


それで、キャサリンが悪酔いしやすいっていうことを、きれいさっぱり忘れちゃってたのも、無理ないと思うんですよ。


その悪酔いに、乗っかっちゃったのも、そんなに悪くないと思うんですよ。だってさ、いつもツンケンした態度の目立つ彼女がさ「あ~な~た♪」とかいって、甘えてくるんですよ?据え膳食わぬは、アルビオン男児の名が泣きますよ。





そして、ラグドリアン湖畔で繰り広げた「きゃははは」「うふふ」(目撃者多数)




「・・・もう一度、生まれ変わりたい」
「いや、生まれ変わらなくていいから。ずっと墓の下にいていいから」

・・・泣いてもいいですか

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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(酔って狂乱 醒めて後悔)

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後に「ラグドリアン会議」と呼ばれることになる、ガリアとトリステインの講和会議は、予定の5日をはるかにオーバーして、2週間にわたって続いた。そのため、トリステイン王国領の地元の領主は、水の精霊に平身低頭、謝り続けたとされる。


通常、こうした国際会議では、事前に入念な調整が行われる。大筋で合意してあるので、会議自体は、どれだけ波乱があろうとも「出来レース」である場合が多い。

ラグドリアン会議は、この「出来レース」はすぐに崩れ、ガリアとトリステインの「チキンレース」と化した。その理由は、両国ともに、国内世論の一本化に失敗したためである。



トリステインは国内の反講和派を睨みながら、最後までガリアとの条件闘争を続けた。

国王フィリップ3世、宰相エスターシュ大公を初め、主だった閣僚は、講和で一致していたが、細部の条件となると、閣僚間でも意見噴出でまとまらず、一応は首席全権のリッシュモン外務卿に一任された。だが、下手な条件で妥協すると、反対派の牙城である高等法院が、条約の受け入れを拒否しかねないという危険性があった。その場合、責任はエスターシュだけに止まらず、フィリップ3世の権威失墜に繋がりかねない。

そうした微妙な国内の政治バランスに配慮しながら、ガリアと交渉するという綱渡りを、リッシュモンは強いられていた。



ガリアはガリアで、内憂外患の悩みを抱えていた。

「太陽王」の死後、ヴェルサイテル宮殿では、宰相のバンネヴィル侯爵を筆頭とした前国王派(宰相派)の閣僚と、現国王シャルル12世の側近集団が主導権争いを繰り広げていた。互いが互いを蹴落とそうと、講和条約に関しても「無条件賛成派」「条件付賛成派」「断固反対」と、トリステイン以上に方針が定まらず、仲介交渉にあたったロマリアのエルコール・コンサルヴィ枢機卿は「リュテイスは、頭が複数ある竜のように、意見が定まらない」と、一時交渉を諦めたほどだ。

そんな不穏な空気の漂うガリアを見透かしたかのように、イベリア半島のグラナダ王国が蠢動しているという噂が流れた。先王の三度による遠征によって、服従を強いられたこの国は、虎視眈々と独立の機会を狙っていたのだ。そして、先の戦争を巧みに利用して独立を果たし、着々と基盤を固めつつある不気味な存在-ゲルマニア王国のこともある。

この状況を重く見たガリア国王シャルル12世は「講和条約の締結」でリュテイスの意見を統一し、会議の開催にこぎつけたという経緯がある。もしこの会議が失敗に終わると、就任してまだ2年目と権力基盤の弱いシャルル12世には、致命傷になりかねない。

ガリア側の首席全権であるサン=マール侯爵は、宰相派とも、シャルル12世の側近集団とも距離があるという理由で選ばれた。中立派といえば聞こえはいいが、どこにも足場が無いということ。講和会議が失敗に終われば、自分に訪れるであろう「失脚」の2文字に、自然と厳しくなる顔で、サン=マール侯爵は会議に臨んだ。



どちらも折れる事は許されず、机の下で互いの足を蹴っ飛ばし、踏みつけながら、美辞麗句で着飾った「早よ譲らんか」「己が先に折れんかい」という言葉の応酬が続いた。

もっとも、サン=マール侯爵も、リッシュモン伯爵も、悲観はしていなかった。共に最高意思決定者の「何が何でも講和条約を結んで来い」という意向を知っていたので、いざとなればトップ同士で何とかするだろうという安心感があったからだ。



奇妙な「チキンレース」が続く中、使節団を派遣した各国は、交渉の行方に気を揉みながら、それぞれが情報を交換し合い、会談や密談、時には商談を繰り広げていた。



言葉の応酬だけでは、余りにも殺伐としている。恋愛と交渉は同じ。雰囲気が大切なのだ。ぎすぎすした空気を緩和させるために、食事があり、ユーモアがあり、そして







「おや、ヘンリー殿下。トリステインのワインはお口に会いませんか?」
「い、いや・・・そういうわけでは・・・」

赤ら顔でグラスを持ち上げているのは、トリステイン王国内務卿のエギヨン侯爵。「ルネッサ~ンス」という言葉が実に似合いそうな髭と体格の持ち主だ。

エギヨン卿はいかにも人のよさそうな顔を、酔いで赤く染めながら、ワインに手をつけないヘンリーを、いぶかしげな目で見ている。酔わせて口を滑らそうというのではなく、純粋に「これ旨いから飲んでみなさい」という、親戚のおじさんのノリだ。

下手に断れば角が立つと、苦笑いで誤魔化そうとしたヘンリーに代わって、彼の弟が答えた。

「兄上は一度痛い目にあってますからね」
「う、ウィリアム・・・」

アルビオン王ジェームズ1世の末弟、モード大公ウィリアム。

彼は「王子様」っぽい、王子様だ。絵本の中にしか出てこないようなケバケバしい衣装でも、軍服でも、たとえ平民のボロ服であっても、彼が着れば、それらはウィリアムが着る為に作られたのかと思わせる気品が、彼にはある。

何をしてもさまになるという、キザったらしいこの弟は、先ほどから何本瓶を空けたか解らないぐらい飲んでいるはずなのだが、一向に顔色も、飲むペースも変わらない。ハンサムなくせに酒にも強いという、本当に嫌な男だ。


エギヨン卿は、興味を引かれたのか、ウィリアムの話に食いついた。

「ほう、どのような話か、ぜひお聞かせいただきたい」
「それがですね・・・」

だから、やめいっちゅうに・・・こら!ウィリアム、たまにはこの兄の言うことを聞け!

「貸しにしておきます。いつか返してくださいね?」

そういって、ウインクするこの馬鹿の顔に、グーでパンチを入れたくなる気持ちを必死に抑えた俺はえらいと思います。公共の場所で王族同士が殴り合いの喧嘩をしたら、外聞が悪すぎる。何より「貸し」がどれほど膨らむかわかったものじゃない。



昔は「ヘンリーお兄様!」とか言いながら、三歳年上の俺にじゃれ付いていたこの弟は、いつの間にか、クソ憎たらしいガキに成長していた。ハンサムなだけなら許せるが、こいつは仕事も出来やがるんですよコンチクショウ・・・


聡明で知られた弟は、モード大公家の一人娘であるエリザちゃんと婚約して、大公家を相続することが早くから決まっていた。そのままいけば、順風満帆で御気楽な生活を送れたはずなのに、例の、アルバートが学長を務める官僚養成学校2期生の名簿に、こいつの名前を見つけたときは、椅子からひっくり返らんばかりに驚いた。

なんでも「エリザにふさわしい男になるため」に入学を決意したとか。なんです、そのカッコいいお答え。性格までハンサムですかこの野郎

海兵隊並みのド汚い言葉でのスパルタ教育がモットーのところで、王族がやっていけるのかという、兄らしい思いやりは「ウィリアム殿下が、校内の不良グループを纏め上げた」だの「知力体力ともに優秀で人望が厚い」だのという報告によって、一瞬でもそんな事を考えた俺を、猛烈に後悔させた。

父親のエドワード12世や、兄のジェームズ皇太子(当時)から、猛烈なプレッシャーを与えられる俺の心痛など知るはずも無いウィリアムは、実にのびのびと学生生活を楽しみ、案の定というか、実力によって、養成学校を首席で卒業。そしてウィリアムは、先代大公の隠居に伴い、モード大公家の家督を相続。今では大公領の行政の傍ら、財務省官僚としても働いているというスーパーマンぶりだ。


一体いつ寝てるのか・・・とおもってたら、去年、エリザちゃんとの間に、男の子(チャールズ)が誕生した。


わーおめでとう(ぱちぱち)




・・・何故だろう。猛烈な嫉妬を覚えるよ?

ジョセフ、君の同士になりたいな






冗談です




真面目な話で言うと、この弟と、どう向き合ったものか困っているのが現状だ。


個人的には掛け値なしに気のいい男だから、酒を飲んだりして一緒に騒ぐ友達としては、これ以上魅力的な奴は、そうはいない。

だけど、彼が「胸革命」のパパだと知っている身からすれば、そうも言ってはいられないのだ。エリザちゃんっていう可愛い嫁さんがいるくせに、妾までこさえるとは。しかも胸革命のお母ちゃんってことは、相当の・・・げふん、がふん。

今なら「世界扉」開いて、異世界から死ね死ね団を呼べそうだぜ・・・


閑話休題


『レコン・キスタ』の3年前、原作開始の4年前にモード大公は、テファニアとその母の存在がばれて、ロンディニウムで自害。テファ母子を確保するために、アルビオン王政府は軍を派遣し、大公家やテファの匿いに加担したサウスゴータ家はお取りつぶしとなった。

これを恨んだサウスゴータ太守の娘であるマチルダが、貴族専門の泥棒となって「忘却」で難を逃れたテファを、養うことになる。「土くれのフーケ」誕生というわけだが・・・そんなことはささいなことだ(あの胸は些細ではないが・・・)。



問題は「モード大公お取りつぶし」の理由が、決して表ざたには出来ない理由だということにある。


封建領主としての国王が、王たるものとして認められるには、何が必要か。この世界ではまず「魔法」を使えることだが、それは王以前に、貴族としての常識であるので、ここでは問題ではない。

それは「公正な裁判」を行うことである。

鎌倉幕府初代将軍の源頼朝は、自身は一人の直轄兵が存在しないにもかかわらず、将軍として独裁的な権力を振るえた。それは、頼朝の下す判決が、筋の通ったものであり、例え親族といえども、法に背いたものには、厳しい処分を下したからだ。武士にとって、命よりも大事な私有地である領地に関わる紛争では、常に公正な判決を心がけた。誰もが納得する判決はありえないが、道理に通った判決を下すがゆえに、直属の兵が無いにもかかわらず、頼朝は将軍として振舞うことが出来、彼の裁定に誰もが従った。

彼の死後、将軍となった息子の源頼家は、この反対をやった。身びいきの判決に、妻の実家である比企氏の優遇。感情に任せての情実判決・・・結果的に頼家は強制的に隠居させられ、最後は暗殺されるという結末をたどった。


ジェームズ1世の下した「モード大公家お取りつぶし」を、真の理由を知らない貴族達が、どのように捉えたか、誰だって想像が付く。なりふり構わず、王権強化に邁進し始めた(様に見える)老王に「次は自分」との思いを深めた貴族の前に、刺青を入れた女秘書があらわれれば・・・水の秘薬を使う必要も無い。



逆に言えば、この「モード大公事件(仮称)」さえ防ぐことが出来たら、後はどうとにでもなるということだ。今、アルビオンでヘンリーが主導して進めている、地道な中央集権化を続ければ、表立って反抗しようという勢力は国内にはいなくなる。原作開始まであと30年、十分間に合う計算だ。



だが、テファの母ちゃんと、どこで出会ったんだろう・・・それがわからないと、手の打ち様が無い。今のウィリアムとエリザちゃんとの夫婦仲を見ていると-それにあいつの性格上、妾を作れるほど、器用でもないし、とてもじゃないが、想像できない。

かといって「浮気するなよ」と、正面から言うわけにもいかない。(どんな嫌味で返されるか、わかったもんじゃないしな)弟の周りを監視させるか・・・ばれたら、言い訳の仕様が無いな。政治的に俺の立場が不味くなるわけだし。それこそ、下手に感情がこじれて「モード大公が謀反!」ともなりかねない。

個人的な関係だけで、どうこうなるほど、王族は気楽な家業ではないのだ。


さて、どうしたものかね・・・



突然黙り込んだ兄が、そんな事を考えていると走るはずも無いウィリアムは(どうせ、新しいメイド服のデザインでも考えているんだろうな)と思いながら、エギヨン卿と埒もない話を交わしていた。

日頃の言動は、やはり大切である。




「いやーっはっはは!ウィリアム殿下、それは面白いですな」
「いえいえ、エギヨン卿のお話も実に興味深いものがあります」

デキャンタを手づかみにして、手酌でワインを注ぐエギヨン卿。相当酔っている様に見受けられる。役目を取られたメイドが、所在なさげに佇んでいるのを、気の毒に思ったウィリアムは、手で下がってよいと命じた。




そして、部屋の空気が一変した。


「・・・そろそろ本題に入りましょうか」


それまで自分の斜め前の席で、馬鹿笑いをしていたはずのエギヨン卿の顔は、酔いが一気に抜けたかのように、一瞬で素面に戻った。とっさに、今まで飲んでいたものが、ただの水だったのではないかと、疑ったほどだ。

侯爵の変わりように息を呑むウィリアムの前で、エギヨン卿は腰に指した杖を振るおうとしたが、ヘンリーがそれを止めさせた。

「『サイレント』を掛ければ、密談していますといわんばかりじゃないですか?」
「・・・それもそうですが」
「ご安心を、人払いはしてあります」

エギヨン卿の息は酒の臭いがしており、先ほどまで浴びるように飲んでいたのが水ではないということの、これ以上ない証明になっていた。ということは、先ほどまでの振る舞いは・・・

今まで経験したことのない感覚に、いい知れぬ感情を覚えるウィリアム。そして、横に座る兄が、平然とそれに対応しながら、かつ対等に会話をしていることに、畏敬の念と、かすかな嫉妬を覚えた。



昔から、この三歳しか年の離れていない兄に、勝てる気がしなかった。国王であるジェームズ兄さんのように、尊敬できる人格ならまだ許せるが、いつもの態度が態度なだけに、尊敬できるはずがない。なのに、専売所や、領地再編といった行政改革の影には、いつもこの兄の影があった。

自分と大して年齢の代わらない兄が、政治の中心にいることが悔しくて、なんとか追いつこうと、努力を重ねてきた。

だが、その「努力」が、いかに子供じみたものであったのか、たった今、身をもって思い知らされた。



何も言うことが出来ず、黙り込むしかないウィリアムを横目に、ヘンリーが本題を切り出した。


「西沿岸部のアングル地方ですが、いまは誰が管理しておられるのですかな?」
「・・・なるほど、ジャコバイトですか」
「お分かりなら話が早い」


現在では同盟関係にあるトリステインとアルビオンも、かつて杖を交えたことがあった。

ブリミル暦4544年、トリステイン国王アンリ4世が、アルビオンの王位継承権を主張したことに始まる四十年戦争(アルビオン継承戦争。4544-4580)である。


この時、アルビオンのスチュアート大公家は、大公ヘンリー・ストラスフォード3世の妻がアンリ4世の姪という関係から、アルビオン王家に反家を翻した。十数年にも及ぶ内乱の末、ヘンリー・ストラスフォーフォ3世は戦死。その子ジェームズは、トリステインに逃れた。

ジェームズ・スチュアートは「アルビオン王ジェームズ3世」を名乗り(老僭王)と称された。トリステインもジェームズ3世を「正等なアルビオン国王」とみなしたが、敗戦国の主張はむなしく響くばかりであった。

このジェームズ三世とその子孫こそ、アルビオンの正当なる支配者だと訴えた人々を総称して「ジャコバイト」と呼ぶ。トリステインに亡命した大公派の貴族や家臣とその子孫が中心となり、長く反王家勢力の中核として、アルビオンを苦しめた。

5900年のアバディーン騒乱で、スチュアート大公ジェームズ8世が戦死したことにより、大公家は絶えた。これをきっかけに、ジャコバイトを構成していた貴族や家臣の子孫達は、各地へ四散し、あるものはトリステインに仕え、あるものはアルビオンへと密かに帰還していった。


かわって「ジャコバイト」を自称するようになったのが、アルビオンの「新教徒」である。

実践教義が唱えられるようになった頃のアルビオン王は、熱心なブリミル教徒が多く、新教徒を迫害していた。そんなアルビオン国内でも、スチュアート大公領では、迫害されることもなく、逆に庇護を受けた。

ヘンリー・ストラスフォード3世としては、反王家勢力として使えるものは何でも使う考えから行った行為だったとされるが、新教徒にとってはまさに唯一の希望で。こうした経緯から、四十年戦争の際、スチュアート大公を中心とする反王家勢力の中核として、新教徒が行動したのは、むしろ自然なことであった。

ヘンリー・ストラスフォード3世死後、その子ジェームズと共に、多くの新教徒が、トリステインに逃れた。彼らは、大公家が絶えた後も「ジャコバイト」を名乗り続け、アルビオンの反政府勢力として活動を続けている。



アルビオンにとって、ジャコバイトは「うっとうしい」存在であった。すでに王家を打倒するほどの勢力は無いが、時折思い出したかのように引き起こす爆弾テロや、破壊活動は、アルビオンの威信を傷つけるには十分だった。

このジャコバイトの大陸での拠点が、おそらくトリステイン国内にあるであろうことは、アルビオン側も把握していたが、それがどこにあるかまでは特定できていなかった。それが、新教徒駆除をアルビオンにしてもらおうという思惑から、ロマリア教皇大使ヌシャーテル伯爵がもたらした情報によって、アングル地方(ダングルテール)にある事を掴んだ。


ロマリアの手のひらで踊ることは気に食わないが、ジャコバイトを何とかしたいのは、アルビオンも同じ。こうして、奇妙な同盟関係が、2国間の間で成立した。



この情報をパーマストン外務卿から聞かされたヘンリーは、何もかも放り出して、修道院にでも籠もりたくなった。


ヘンリーからすれば、この情報は「モード大公事件(仮称)」についで、一人で背負うには、あまりにも重過ぎる-ダングルテール虐殺事件へのフラグに他ならない。


かといって、何もしないというわけにもいかない。この地方にジャコバイトの拠点があることは、ヌシャーテル大使からの情報提供の後、アルビオンも独自に調査を行って、事実であることを確認している。手を打たずに、ずるずると破壊活動を継続されてはたまらない。

なんとか、穏便な形でお引取り願いたいのだが・・・そう上手く行くかどうか。


パーマストン外務卿や、ロッキンガム宰相とも相談したヘンリーは、ともかく、当事者であり、全ての種をまいたともいえるトリステインに「われ、てめえの尻はてめえで拭きさらさんかい」とかましを入れることにした。同盟国相手に、余り強いことはいえないが、それでもこの件に関しては、完全にトリステインに原因があるため、強気に出ることが出来た。


「・・・ジャコバイトの存在は、我が国としても確認いたしております」
「地元の領主は何をしておられるのです?まさか、新教徒だとでも・・・」

その言葉に、苦々しげな表情になるエギヨン卿。トリステインとしても、ジャコバイトの扱いに頭を悩ませているのだろうということを窺わせた。

「あの地方は、実は王政府の直轄地でして・・・誤解しないでいただきたい。トリステインとして、あのもの達を支援しているわけではないのです」
「・・・にわかには信用しかねますな」

トリステインが四十年戦争後、長きにわかってジャコバイトを支援してきたことは、公然の事実である。

エギヨン卿は、ヘンリーの言葉に慌てて否定するでもなく、疲れた顔で見返した。先ほどまでの馬鹿騒ぎは、むしろ疲れを誤魔化すための空騒ぎだったのかもしれないと、ウィリアムには思えた。

「我が国の貴重な同盟国であるアルビオンにとって、不利益なことは致しません。先の戦争でも、貴国の補給活動がなければ、どうなっていたか・・・」
「ハノーヴァーは日和見しましたからね」
「・・・否定は致しません」

ため息をつきながら、エギヨンは続ける。

「信じる、信じないはお任せしますが・・・アバディーン騒乱以降、我が国はジャコバイトを支援しておりません」

エギヨンの言葉に嘘は無い。トリステインとアルビオンの関係改善が進み、現在の様な同盟関係となるなかで、ジャコバイトはむしろ足手まといな存在となりつつあった。特に今回の戦争で、アルビオンとの同盟関係が、トリステインの生命線だということが明らかになった今、火遊びをしている余裕は無い。

ヘンリーはワイングラスに視線を落とした。

「アングル地方にジャコバイトを与えたのは・・・」
「与えたのではありません。勝手に住み着いたのです」

強い調子で、ヘンリーの言葉を否定するエギヨン。よほどジャコバイトが腹に据えかねているんだろう。こりゃ、よほど強く申し入れを行わないと、強制改宗とかいいかねないな・・・


ヘンリーが懸念を深める中、エギヨンが説明とも愚痴とも付かぬことをいい続ける。

「アバディーン騒乱で敗れた新教徒たちが『入植』と称して、あの地域に住み着いたのです。当時のアングル地方は水に乏しい荒地で、人より獣が多い土地でした。我が国といたしましても、荒地を開拓してくれるならという程度の気持ちで、追認したのですが・・・

それが間違いだったとエギヨンは言う。

独立独歩の姿勢を崩さない彼らは、実践教義を実践し、慎ましやかな生活を送っていた。まともな産業も無いため、税収を取り立てることは難しく、そのうえ、トリステインへの帰属意識が極めて薄いとあって、歴代の領主とはことごとく対立。そのため、名目上は王政府の直轄地ということにして、一種の「自治区」を形成することにした・・・


「・・・というわけです。歴史的経緯もありますし、無碍に扱うわけにもいきません」


ヘンリーは「虐殺フラグ」を避けるために、釘をさすことにした。

「あらかじめ言っておきますが、強制改宗はできれば避けていただきたい。無論、火あぶりだの、拷問での改宗を迫るのは論外です」

ジャコバイトに苦しめられているアルビオン王族とは思えない発言に、訝しがるエギヨン卿。アングル地方を管轄する内務省のトップであるエギヨンとしては、当事者の穏便な解決を望む発言はありがたいかぎりだが、ヘンリーの真意がわからない。




ヘンリーはワイングラスを手に取り、口をつけようとして・・・止めた。透き通った赤いワインの色が、一瞬、血の色に見たのだ。





頭を振りかぶって、嫌な考えを追い出してから、ヘンリーは答えた。



「強攻策ばかりでは芸がありません。押して駄目なら引いてみろ。それに・・・」

「それに?」




「・・・寝覚めが悪いのは嫌ですからね」




ヘンリーは最後まで、ワインに口をつけなかった。



[17077] 第27話「初恋は実らぬものというけれど」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/05/17 12:16
会談を終えたエギヨン内務卿の顔には、再び赤みがさした。

この初老に差し掛かった貴族は、それまでいくら飲んでいようとも、仕事となると、態度も言葉も一転して素面に戻れるという、変わった特技の持ち主である。だが彼は、ここ最近、酒に酔えたことが無かった。むしろ飲めば飲むほど頭が冴えわたる。

この国の行く先、馬鹿息子達の将来、そして後継問題・・・そして決まって、2年前に天上(ヴァルハラ)へと旅立たれた、一人の王太子のことを思い出す


フランソワ・ド・トリステイン-フィリップ3世の甥にして、水の国の将来を担うはずであった王太子は、ラグドリアン戦争で滅亡の危機に瀕した国を救うために、率先して戦い、セダン会戦で敵軍の中に消えた。

誰よりも国を憂い、誰よりも民を愛した、真の王たる素質のあったお方。王宮の澱んだ空気を見るにつけ「殿下さえご存命なら」と思ったのは、自分だけではないはずだ。



フランソワ殿下亡き後、王位継承権第1位はフィリップ3世陛下の一粒種であるマリアンヌ妃殿下にある。亡きクロード王妃に似て聡明な方だが、女王となるための帝王学を受けてこられたわけではなく、考え方に甘さが目立つ。

何より、妃殿下の結婚相手-王配は誰を選ぶべきかという大問題がある。

海外王室から王配や国王を迎えたことはあるが、いずれも「出身国の操り人形」という批判が付きまとい、国内は混乱した。「ならば国内の貴族から」とはすんなり行かない。外戚が国を誤らせた例も数え切れないほどある。何より年頃の男子は、先に婚約を結んでいた。これが、最初からマリアンヌ様に王配を迎えることが前提であれば、またいろいろと手を打つことも出来たのだが・・・



ワインをグラスに注ぎながら、エギヨンは、先ほど見送ったアルビオンの、2人の王弟を思い出していた。


モード大公家のウィリアム殿下は、年相応の若さが印象的だった

・・・まぁ「あれ」が横にいたからかもしれんがな。殆ど口を出すことが出来ずに、悔しさを隠そうともしなかった。不甲斐ない自分への怒りを、自己研鑽の動機付けにしようとしていた姿勢には、好感が持てる。おそらくヘンリー殿下は、ハッパをかけることが目的で、ウィリアム殿下を随行されたのだろう。


そのカンバーランド公爵ヘンリー殿下は、年に似合わぬ手ごわい交渉相手という印象を受けた。私が気おされるなど、エスターシュの若造以来だ。「大胆な発想をする変わり者」という評価は、いいえて妙というべきか。長年苦しめられてきた仇敵であるジャコバイトに、穏便な対応を望むなど・・・真意がよくわからない。何か隠された意図があるのか・・・



少なくとも、これだけは断言出来る。あれはエスターシュより「面倒くさい」奴だ。



アルビオン国王ジェームズ1世陛下は、まだ36歳。フィリップ陛下より11歳年下だ。若い力に満ちたアルビオン王家に比べ、自身が杖の忠誠を誓う王家と国の行く先に、不安を覚えないといえば嘘になる。仮にも王家の禄を食むものとしては、あってはならない不安だが・・・



それでも、たとえ国と共に滅ぼうとも、自分は水の国の貴族であり続けるだろう。

「英雄王」への忠誠心からではない。それが、貴族としての、自分の「意地」だからだ。



「フランソワ殿下・・・」

エギヨンの呟きは、虚空に消えていった。

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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(初恋は実らぬものというけれど・・・)

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講和会議が始まって5日目。日が高く天頂に差し掛かった頃-グリフォン街道を南下して、ラグドリアン湖畔に向う一行があった。

総勢500名にも及ぶ一行を守るために、マンティコアに跨った魔法騎士が、油断なく周囲を警戒し、騎士や銃を担いだ歩兵が整然と行進している。トリステイン王家を象徴する百合の紋章を付けた馬車を引くのは、ユニコーン。




厳重に護衛された馬車の中で、マリアンヌ・ド・トリステインは、腰まで伸びた栗毛色の髪の毛先を指に巻きつけて、くるくるといじりながら、浮かない表情を浮かべていた。時折、手元の書類に目を通してはいるが、心ここにあらずというのが丸解りである。

一見すると、恋に悩む乙女のようだが、今のマリアンヌには、想いを寄せる騎士も、色恋沙汰にかまける精神的余裕も、その両方が存在しなかった。

年頃の女の子として、それはどうよ?と(マリアンヌ自身も)思わないこともなかったが、片付けても片付けても、油虫のごとく湧き出る書類を前にすれば、そんなことを言ってはいられない。


そんな第一王位継承者の様子を、じっと見詰める視線が馬車に乗り合わせていた。より正確に言えば、視線の本当の主は、はるかトリスタニアにいながら、娘の様子をうかがっているのだ。

主の『目』となっていた使い魔である鸚鵡は、今度は『口』の役目を果たした。


『マリアンヌ、なにか心配事かい?』
「いえ、お父さま」

トリステインで彼女のことを「マリアンヌ」と呼ぶのは、トリステインにはただ一人-この鸚鵡の主にして「英雄王」フィリップ3世だ。娘を溺愛する父は、マリアンヌの公務には、いつも自分の使い魔を同行させ、怪我をしないか、危ないことはないか、おなかは痛くないか、忘れ物はないかetc・・・と、ハラハラしながら見守っていた。




マリアンヌからすれば「うっとうしい」の一言に尽きたが





「使節団の労をねぎらう」という名目の親善訪問団は、膠着状態に陥った講和会議の打開を図るために、トリステインが打った、窮余の一策であった。

「対等な講和」だの何だのといいながらも、ガリアよりはるかに国力の劣るトリステインには、これ以上の戦争状態の継続は不可能であり、何が何でも講和条約を結ばなければならなかったのだ。


まず考えられたのは、国王フィリップ3世。だが、国王直々に乗り出して失敗に終わった場合、いくら英雄王といえども、批判は免れない。なにより、ガリアはジョセフ王太子ですら派遣していない段階で、トリステインは国王を出したとあれば、自身が格下と認めるようなもの。昔ほど頓着しなくなったとはいえ、そのような屈辱は、仮にも英雄王と呼ばれた男にとって、受け入れられる物ではなかった。

エスターシュ宰相が出向くことも検討されたが、仮にも「親善訪問団」であるのに、蛇蝎の如く嫌われている彼が訪れても、誰も喜ぶものはいない。何より、トリステイン国内の反講和派の牙城である高等法院に籠もる、頑迷で弁の立つ法務貴族を説得できるのは、彼しかおらず、トリスタニアを離れることが出来なかった。


そこで白羽の矢が立ったのはマリアンヌ王女である。国民からの人気も高い彼女は、親善訪問団のトップとしては相応しく、また第1王位継承者でもあるという事で、トリステインのプライドと、ガリアの面目が、何とかつりあうことの出来る人事であり、宰相の上奏を受けて、フィリップ3世はすぐに裁可を与えた。


フィリップ3世は「父親」としては、心配で心配で心配で、しんぱーーーーーーいで!たまらない。おかげで、夜も8時間しか眠れないくらいだ。

だが、国政に私情を挟むわけには行かない。感情で判断を誤り、国を傾ければ、結果的にマリアンヌが不幸になる。英雄王は自分にそう言い聞かせて、周囲が思わず諌めるほど、厳しくマリアンヌに帝王学を叩き込んだ。自身の使い魔を公務に同行させるのも、何も彼女が心配なだけではなく、その言動をチェックし、時には使い魔を通じて指導するためである。


もっとも、鸚鵡の口からは「足元注意してね」「おなか痛くない?」「生水飲んじゃ駄目だぞ」と、どこまで本気かわからない注意が、壊れたオルゴールのように繰り返されるだけであり、マリアンヌは、その存在をあえて無視していた。


『マリアンヌ、どうかし・・・あ、こら!マリアンヌ!何をする!アルバトロスを放せ、放さん(モガモガ)・・・』

いつものように、うるさい鸚鵡(アルバトロスは名前)を紐で縛りあげて、座席に転がすマリアンヌ。おとなしそうな顔をして、やっている事はかなりえげつない。(フィリップ3世は「娘が冷たいんだ」と、エスターシュに愚痴る回数が増えた)



ようやく静かになった馬車の中で、マリアンヌの大きな目が、物憂げに揺れていた。


マリアンヌは、今回の自分の役回りをよく理解していた。もとより、交渉のテーブルに自分が着いても、何も出来ないことは百も承知。豪華な食事を前に、おべっかを使いながら、裏で何を考えているかわからない貴族達とダンスを踊り、会話を交わす・・・今回は、それを王宮や大貴族の邸宅ではなく、ラグドリアン湖畔のテントの下で行うだけの話だ。


これも必要な事だとわかってはいるが、虚飾と虚構に満ちた社交界よりも、マリアンヌには、お忍びで出歩いたチクトンネ街の酒場での、平民達との会話のほうが、よほど実があり、楽しいものに思えた。

記憶は美化されるもの。見るもの全てが珍しく、そして今となっては出歩くことも叶わなくなったがゆえに、あの時の体験が、よりきらめいて感じられるだけかもしれない。


だけど、楽しい思い出を振り返ることぐらいは許されるでしょう?





そこまで考えが及んだ王女は、突如、顔を強張らせる-マリアンヌ・ド・トリステイン、一生の不覚である、ある事を思い出したからだ。

そして、その自分の恥部を思い出させる人物が、馬車の外からマリアンヌを気遣って、声を掛けた。


「マリアンヌ様、ご気分はいかがですか」
「・・・えぇ、変わりありませんわ、カリン『殿』」

どこか棘のある物言いに、トリステイン魔法衛士隊マンティコア隊隊長のカリン・デジレ・ド・マイヤールは、顔の下半分だけを覆う鉄の仮面の下の素顔を引きつらせた。

馬車にマンティコアを寄せ、周囲に気付かれない程度の「サイレンス」を掛けた「彼」は、口調だけを「カリーヌ」に戻して、じろりと馬車の中にいる友人を睨みつける。

「何よ急に・・・私、何かした?」
「いえ、何も。正々堂々と『男装』しながら、わたくしをお守りしていただいているだけです」

これにはさすがの「鋼鉄の規律」をモットーとするカリーヌもカチンときた。不敬を承知で、馬車の窓を開き、直接マリアンヌのご尊顔めがけて、大人でも小便をちびるとされる、鋭い眼光を投げつける。

当のマリアンヌはというと、カリーヌの事など目に入らないかのように、澄ました顔をしていた。


遠くから見ると、マンティコア隊隊長と、王女が密談しているように見えなくも無い。だが、多くのマンティコア隊士官は、我らが「烈風のカリン」と、王女との「関係」を知っているため、冷や汗を流しながら、訝しがる隊員達を下がらせた。




「姫様、またいつもの『ご病気』ですか?何、殿下が心中を悩まされることはありません。「初恋」とは麻疹のようなもの。誰もが一度は罹る病なのです」

マリアンヌの眉が動く。

「そうですわね。どこかの誰かさんが、見事な『男装』をしていただいたおかげで、私の初恋は台無しにされたのですけどね?」


なるほど、魔法衛士隊の制服を着て、マンティコアの刺繍入りの黒いマントを羽織り、隊長の証である羽飾りの付いた帽子をかぶった「彼」は、どこからどう見ても「男」である。


カリーヌは、とぼけた受け答えで、その矛先をかわそうとした。

「そんなこともありましたか」

「えぇ、見事な『男装』でしたわ、特に、胸とか胸とか胸とか」



カリーヌの乗るマンティコアが、おびえたような声を上げる。彼は、仲間のマンティコアに助けを求める視線を送ったが、一様に視線を逸らした。


「・・・私も成長しましたわ。昔の私ではありません」
「あら?そうでしたか。初めて王宮で出会ったとき、13歳の私に、すでに負けていたではありませんこと?」


マンティコア隊所属の、ド・セザール中尉は、そのとき確かに、空気が凍る音を聞いたと、後に語っている。


「今もさらしを巻いているということですけど、本当かしら?「貴方」なら、巻かなくても大丈夫じゃないですこと?」


ほほほと、口に手を当てながら笑うマリアンヌ。無論、目は笑っていない。






プチ





カリーヌの、何かが切れた。










『あなたってほんとうに、その詩集から抜け出してきたみたいに綺麗ね。驚いちゃう』


マリアンヌの顔が凍った。


明らかにカリーヌのものでもカリンのものでもない声色で、魔法衛士隊マンティコア隊隊長は『誰かさん』のモノマネを続ける。



『いいですこと?私の部屋に来ることは、誰にも内緒よ?な・い・しょ!』


何の感情も無い顔色で、やたらと可愛い声で話し続けるカリンは、はっきり言って不気味だ。


『すてき!カリン殿とおっしゃるのね!なんて美しい護衛士かしら!わたし、気に入ったわ!』
『ねーカリン!あれはなんという食べ物なの?とってもおいしそう!』
『カリン、この服私に似合うかしら?』

怒涛の如く繰り返される精神攻撃に、マリアンヌは手に持った杖をへし折らんばかりにまげながらも、なんとか笑顔を維持していた。





『わたくし、本当は あなたと二人きりで来たかったの』






プチ



王女も、何かが切れた。








「オカマ」

「ファザコン」

「まな板」

「脳内ピンク姫」

「男装の仮面変態」

「売れ残り」





(精神衛生上、かなりよろしくない言葉が含まれていたので、省略いたします)






***

「・・・お疲れのようですね?」
「えぇ、ちょっと・・・」

マリアンヌの憔悴した顔に、出迎えたモンモランシ伯爵やエギヨン内務卿らは、一様に驚いた。ただリッシュモン外務卿だけは、同じように疲れた雰囲気をまとうマンティコア隊隊長の様子に、何があったかを察した。



リッシュモンの呆れた視線には気が付かないふりをして、応接間に通されたマリアンヌは、挨拶もそこそこに、条約交渉について尋ねた。

「交渉の進展具合はいかがです?」
「あまりよろしくないですな。全くの平行線です」

言葉とは裏腹に、焦った様子も見せない外務卿に、マリアンヌはどういうことかと説明を求める。

「昔から『慌てる何とやらはもらいが少ない』と申しましてな。足元を見られて買い叩かれるのがオチです。たとえどれだけこちらが困窮していようとも、表面上は霞ほどもそれを見せてはいけないのです」

老練な外交官の言葉に、マリアンヌは不安げな視線で返す。

「・・・私は、来ないほうが良かったですか?」
「ははは姫様はそのような心配をなさらなくてもいいのです」


笑いながら胸の前で手を振ったリッシュモンだが、王女の言葉を否定はしなかった。



リッシュモンから言わせれば、エスターシュもフィリップ3世も、まだまだ青いといわざるを得ない。彼は今回の親善訪問団派遣は、あきらかにトリステインの「焦り」を表すもの以外の、何物でもなかった。ガリアはそれを見透かしており、訪問団派遣が発表されてから、態度が一段と硬化した。

(余計なことを)と舌打ちをしたくなるが、目の前の王女にそれを言っても仕方がない。それよりもリッシュモンには、すぐに自分の立場を理解したマリアンヌの方が驚きだった。


「何、マリアンヌ様が来られようと来られまいと、わが国に余裕も猶予もないこてとは、周知の事実ですからな。交渉には大した影響はありません」

「・・・そうですか」

仮にも王女に対して(いてもいなくてもいい)とは、リッシュモンもよく言ったものだ。だが、彼は彼なりに、この王女を気遣っていた。下手な慰めは、かえって、この聡明な王女を傷つけると考えたからだ。それに、どうやら事実を事実として受け入れるだけの理解力はあるようだ。心配はいるまい。



そしてリッシュモンが考えたように、マリアンヌはいつまでもぐずぐず落ち込んでいるような「お姫様」ではなかった。



「わかりましたリッシュモン卿。もとより交渉に口出しするつもりはありません。思う通りにやってください。私も、踊れと言うなら、誰とでも踊りましょう。笑えというなら、笑いましょう・・・それが、トリステインのためならば」



毅然とした態度で決意を表明された次期王位継承者に、リッシュモンは何も言わず、頭を下げた。






***


た、確かに、何でもやるって言ったけどね


「だ、だらしないわよ、カリーヌ・・・」
「椅子に座り込んでいる貴女に、言われたくないわ・・・」


ガリア全権使節団の表敬を皮切りに、ロマリア・ハノーヴァー・ザクセンetc・・・と、数知れない訪問客の相手をした王女と、その横に突っ立っていたカリーヌは、屋敷に到着するまで、延々と「暴言のキャッチボール」を繰り返していた精神的疲れもあって、完全にグロッキーだった。

マリアンヌは椅子に、もたれかかるように座り込んでいる。カリーヌに至っては、部屋の床に寝転がって、うめき声を上げていた。



そのカリーヌだが、今は魔法衛士隊の制服ではなく、女官の服を着ていた。

さらしを取った胸はなかなかのもの・・・げふんがふん。誰もが振り返る、彫像のような顔立ちに、ピンクブロンドの髪が実によく映える。仕えるべき主人の前で、あおむけに寝転がっているという無作法極まりない態度であるのに、それが一向に、彼女の気品も美しさも損ねないのは、不思議としか言いようがない。



カリーヌには2つの顔がある。魔法衛士隊の一つ、マンティコア隊隊長としての顔と、マリアンヌ王女付女官長カリーヌ・デジレ・ド・マイヤールの顔だ。

騎士になるという夢を実現するため、性別を偽って魔法衛士隊に入隊した彼女は、語りつくせない冒険を経て、マンティコア隊長にまで上り詰めた。だが、成長期の彼女が性別を隠し続けることは困難であった。


最初に、彼女の性別に気がついたのはマリアンヌだった。


彼女とカリン(カリーヌ)の関係は、最初は「王女」と「護衛士」の関係から始まった。あえて男っぽく振舞おうとするカリンに、すっかり参ってしまったマリアンヌは、知らぬこととはいえ、女に恋してしまったのである。



トリステイン王家の紋章が百合だという事とは、当たり前だが、何の関係も無い。



しかし、いつまでも隠しとおせるわけもなく。

『か、カリン・・・女だったの!?』
『ひ、姫様、これは、その・・・』



初恋が、これ以上無いほど綺麗に、そして無残に砕け散ったマリアンヌは、その衝撃で、とんでもないことを口にした。



『う、うそよ!こんな胸の薄い女の子なんかいないわ!』




「第1次ウェリントンの肉弾戦」は、こうして幕を切った。


二人の本当の関係は、この時始まったといっていい。殴り合いの喧嘩を経て、いまさら隠すこともなくなった二人は、気のおけない友となり、親友となるには、時間は掛からなかった。


その後もなんだかんだで、いろんな人物に性別がばれていったのだが、表向きのこともあり、性別は秘密とされた。だが、同時に問題も出てきた。カリンは、いまさら王宮で隠すこともないと「カリーヌ」としてマリアンヌと付き合うようになったのだが、貧乏貴族のマイヤール子爵家の令嬢が王宮をうろつくことはあまりに不自然だった。

そのため、マリアンヌ王女の個人秘書官である女官長に据えることで「カリーヌ・デジレ・ド・マイヤール」は、初めて王宮内での公式な立場を得ることができた。


ピンクブロンドの髪の持ち主はそう多くはない。勘のいいものは、薄々「烈風カリン」の正体に気が付いていたが、命が惜しいため、自然と口を閉じた。





「それにしても・・・」

床に寝転がるカリーヌを見ながら、マリアンヌが口を開いた。

「ハノーヴァーは、よく顔を出せたものね」


ハノーヴァー王国。トリステインの東に国境を接し、旧東フランク領の諸国家の中でも、バイエルンと並んで長い歴史を持つこの国は、トリステインと長きに渡り、同盟関係を結んできた。旧東フランク地域への進出を図るトリステインと、ザクセンとの対抗上、トリステインの軍事力を借りたいハノーヴァーの思惑が一致したのだ。

それが、ラグドリアン戦争では、トリステインの度重なる援軍要請に関して、ハノーヴァーは一兵も出さなかった。それどころか、クリスチャン12世以下の王政府は、ガリアの恐喝に屈して、トリステインとの国境を閉鎖して物資を断った。

ハノーヴァーからすれば、大国ガリアとの戦に勝ち目がないと踏んだうえでの判断であったが、ロペスピエール3世の死により、完全に目算が狂った。ハノーヴァーとトリステインとの関係は完全に冷え込んだ。一応、軍事同盟は継続していたが、完全に形骸化しており、ブレーメン(ハノーヴァー王国王都)は、ザクセンの脅威に、再び怯えることになったのだ。

あわててハノーヴァーはトリステインとの関係修復に躍起となったが、「何をいまさら」とトリスタニアの反応は冷たく、リッシュモンですら「どうしようもない」と匙を投げた。



「ハノーヴァー」の名前が出た瞬間、カリーヌの表情が険しくなったのは、そうした経緯がある。この日和見国家への嫌悪感は、カリーヌだけではなく、セダン会戦に参加したトリステイン将兵に共通した思いであった。


「貴族の風上にも置けない腰ぬけどもに頼ったのが間違いだったのよ。自分を守れるのは自分だけ。いい機会じゃない。あの国の本性がわかったんだから」
「カリーヌの言う事はわかるんだけどね・・・」

マリアンヌはため息をつく。

ガリアと敵対し、ゲルマニアが離反した今、国境を接するハノーヴァーとの関係悪化は、トリステインとしては(感情としてはともかく)避けるべき事態だった。現在のところ、トリステインの味方になりそうなのは、空中国家のアルビオンしかない。確かに、空軍力は大したものだが、陸軍はお粗末極まりない。

下手すると、トリステイン一国で、ガリア・ゲルマニア・ハノーヴァーを相手にする事態に陥りかねない。ガリアとは講和条約会議にまで持ち込んだとはいえ、いまだ情勢は不透明。


せっかく向こう(ハノーヴァー)から頭を下げてきているのだ。断る手はない。


だが、先のハノーヴァーの日和見への反発が、トリステイン国内では思った以上に激しいのだ。ガリアは正々堂々と戦ったからまだいい。ゲルマニアにしても、あの総督家がいつかは独立するだろうと思っていたから、まだ心の準備はできた。

だがハノーヴァーは違う。2000年以上同盟国としてあり、トリステインの軍事的援助を受けておきながら、突如裏切った「恩知らず」。怒りを通り越して、軽蔑の感情も湧かないというトリステインの冷めた態度に、ハノーヴァーの使節団は一様に青ざめているという。


マリアンヌは、先ほどあいさつに訪れた、ハノーヴァー王国外務大臣のハッランド侯爵の、なんとも形容しがたい気まずそうな顔を思い浮かべながら、半ば同情も含めて言う。

「どんな味方でも、敵よりはましよ。邪魔しないでくれるならね」
「そうかしら?足を引っ張られるのがおちだと思うけど・・・」


その時、戸をノックして、モンモランシ伯爵が入室した。

「失礼いたします。晩餐会の支度がととのいました」

「ありがとう。すぐ行きます・・・まったく、落ち着く暇もないわね」
「『働かざるもの食うべからず』よ」


皮肉で返すカリーヌ。まだ根に持っているようだ。

だが、今回はマリアンヌのほうが上手だった。


「今回は食事も仕事のうちよ」
「・・・口の減らない王女さまね」
「それよりカリーヌ。同席するのは?」

手帳をめくるカリーヌ。最初は「柄ではない」と嫌がった事務仕事も、板についてきた。


「アルビオン王国使節団です。カンバーランド公爵のヘンリー殿下とキャサリン公女が同席される予定で・・・」
「・・・どうかしましたか、モンモランシ卿?」


突然、異様なオーラを発し始めたモンモランシ伯爵に、驚きを隠せないマリアンヌ。カリーヌに至っては、杖に手を伸ばして警戒した。


だか、水の精霊の交渉役である彼の答えは、二人の予想のはるか斜め上を行くものであった。




「・・・人生の不条理を実感しておりまして」





何かを押し殺すように、低い声で呟くモンモランシ伯爵に、王女と女官長の頭上に、果てしなく「?」が浮かんだ。



[17077] 第28話「交差する夕食会」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/05/08 17:35
人は見た目が大事だというが、9割だと見も蓋もない。

「15からは自分の顔に責任を持て」という言葉がある。14とも、20からとも言うらしいが、ともかくある一定の年齢に達すれば、そこから先は自分の生き方が顔に出るという。真面目な人間は真面目な顔に、卑怯者は卑怯者の顔に、胆力のあるものは腹の据わった顔に。

初対面の人物に、第一印象で抱くイメージというのは、よほどの観察力の持ち主でない限り、容易に覆る。だが、「生理的に合うか合わないか」という点に関しては、外れない場合が多い。

一説によると、人は初対面の人間に二分で飽きるらしい。逆説的に言えば、最初の二分は、集中して相手を観察しているということ。好きか嫌いか、得か損か-突き詰めれば「敵か味方か」なのだが、それを見分けるために、五感を総動員して、相手を観察する。


カリーヌ・デジレ・ド・マイヤールが、アルビオン王弟ヘンリーに抱いた第一印象は、少なくとも、悪いものではなかった。

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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(交差する夕食会)

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夕食会は、マリアンヌ王女が、ヘンリー夫妻を招待するという形式で行われた。主賓はもちろんヘンリーと、その妻キャサリン。ヘンリーと向かい合うようにマリアンヌが位置し、その横に同席を許されたカリーヌ。そして当然のごとくリッシュモンが腰掛けている。

リッシュモンとは会議冒頭から何度も顔をあわせているので、すでに顔なじみといっていい。ヘンリーはマリアンヌに手を伸ばして握手を求めた。



「お久しぶりですね。マリアンヌ妃殿下。ヨハネス19世の即位式以来ですか」
「えぇ、6年ぶりです。ヘンリー殿下もお元気そうで」


ヘンリーとマリアンヌは、以前一度だけ対面したことがある。ロマリア教皇の即位式は、ハルケギニアの各王族がそろって参加する。教皇に敬意を表する・・・というのは建前で、王族の顔合わせや、首脳間外交の場として利用されていた(当のロマリアも、新教徒の勃興で衰えつつある教会の権威や影響力を誇示するために、むしろそれを推進している面もある)。

当然、ヘンリーとマリアンヌも参加していたのだが、顔合わせをする人物が多く、時間も限られていたため、挨拶をした程度にとどまっていた。そのため、今回の夕食会が、初めての会談といっていい。


「ははは、元気だけが取り柄です・・・それではさっそくですが」
「えぇ、交渉の進展についてはリッシュモンから「何を食べさせていただけるのですかな?」・・・は?」


何かの冗談かと思って見返したが、ヘンリー殿下は、いたって真面目な顔をしていた(目だけは期待に輝いていたが)。ふと、目線を横にやると、キャサリン公女も同じような目をしている。

マリアンヌはその目の輝きに覚えがあった。自分の使い魔の犬が、おやつをおねだりする時の目と同じなのだ。見えないはずの尻尾が、パタパタと触れているのが見える気がする


まぁ、すぐその理由に思い至ったわけだが。


(((・・・あぁ、そうか。この人たちはアルビオン人だったんだ)))


マリアンヌは、あいまいな笑みを浮かべながら、鈴を鳴らして、料理を持ってくるように命じた。


***


食事というのは、一種の「物差し」である。

毎日必ず、最低でも一回は行う動作には、知らず知らずのうちに癖がついているものだ。それを利用して、まず初対面の人物に食事を供応して、相手の器量を測るということは、昔から行われてきた。貴族が魔法を使う以上にあたりまえのことだから、食事を綺麗に食べることが出来ない人物は、軽くあつかわれる。

悲しいかな、典型的な貧乏貴族に育ったカリーヌは、食べれる時に食べるという習慣が、未だに抜けないでいる。「ご飯は美味しく、楽しく食べるもの」という家に育った彼女にとって、いちいち口をぬぐってワインを飲むだの、フォークの上げ下げの角度などは「どうでもいいじゃん!」。

そんな彼女も、ピエールに「人に不快な思いをさせないのがマナー」といわれると、反論できなかった。(マナーの由来を延々と語られるのにつき合わされるのが嫌だったということもあるが)


だが、解ったこともある。マリアンヌにお相伴して、多くの貴族と食事を共にしたが、名門といわれる貴族であっても、食べ方が汚い人物は多かった。マナーとやらは完璧だが、何故か嫌な感じを人に与える人物は、いけ好かない根性の持ち主であることが多い。


その点、ピエールは(以下ノロケのため省略)



ヘンリー殿下の食事風景は、こういう表現が妥当かどうかはわからないが「気持ちがいい食べっぷり」である。マナーは完璧だが、それ以上に「おいしそう」なのだ。

マリアンヌ王女と会話を交わしながらも、その手が止まることはない。そして口に入れた途端、この世の全ての喜びの感情を凝縮されたような笑顔を浮かべられる。見ているこちらもなんだか嬉しくなる。


「うん・・・おいしい。おいしい・・・おいしい」


アルビオンへ訪問経験のあるリッシュモンは、ヘンリーの「おいしい」に、涙を誘われた。




色々と思うところもあるマリアンヌだが、すぐに自分の立場を思い出して、同盟国への、感謝の言葉を口にした。

「アルビオンには、先の停戦合意の仲介交渉でも、また今回の会議開催にもご尽力頂きました。トリステインを代表してお礼申し上げます」
「同盟国として当然のことをしたまでです」

そのつもりがあるのかどうかは解らないが、リッシュモンには、ヘンリーの言葉が、ガリアの軍事力に怯えて、日和見を決め込んだハノーヴァー王国への皮肉に聞こえた。

「ですがまだお礼を言われる段階ではありません。何より、会議の先行き自体が不透明ですからね」

口をぬぐい、リッシュモンに視線を向ける。

「所詮我らは仲介者にすぎません。入ってくる情報も限られます・・・聞くところによると、交渉は平行線との事。エルコール・コンサルヴィ枢機卿は決裂もありうると憂いておられました」
「坊主は悩むのが仕事ですからな。神から与えられた試練を乗り越えてこそ、真の信仰が得られるといいます」


人を食ったような外務卿の言葉に、ヘンリーは苦笑するしかない。


カリーヌはそんなリッシュモンを苦々しく思っていた。生理的に、こういうもったいぶった言い回しが苦手なのだ。

頭をかきむしりたくなる思いをこらえながら、平気な顔をして聞いているヘンリーや、次第にそうしたやり取りに慣れていくマリアンヌを見ていると、やはり王族というのは、自分達とは違う世界の生き物だという思いを禁じ得ない。


「神ではなく、人の起こした不始末の尻拭いだと思うのですが?」
「見解の相違はよくあることです。我らにとって『太陽王』は天災以外の何物でもありません」


ヘンリーは、今度は笑わなかった。




これで、口の横にソースがついていなければ完璧だったのだが・・・




「正直なところ、どうなのですか?交渉の当事者として、率直な感触をお聞きし・・・な、なんだキャサリン?」
「・・・ついてるわよ」

キャサリンにソースを拭いてもらうヘンリー。威厳も何もあったものではない。言葉に表現できない、むず痒い空気が漂う中、そうしたことにトンと縁のないマリアンヌは、内心(いいなぁ)と羨望の眼差しを送っていたが、リッシュモンの咳払いに、慌てて居住まいを正す。



「このまま行けば、決裂は間違いありませんな」


かすかに残っていた妙な空気は、その一言で吹き飛んだ。


***

講和会議は、トリステインとガリア双方の提示した条約案の突合せから始まった。

仲介交渉にあたったロマリアやアルビオンは「国内の意思統一にさえ手間取った両国が、果たしてまともな条約案が出せるのか?」と、心配していたが、トリステインの条約案を見て安心し、ガリアの条約案を見て、頭を抱えた。



トリステイン案(リッシュモン案)は、5つのポイントから成り立っていた。


①国交の回復と同時に、国境線を開戦前の実効支配地によって決定する。
②開戦前に結んでいた通商条約を再度締結(通商の再開)
③謝罪を要求するが、賠償は要求しない。
④両国共に軍備制限は設けない。
⑤両国の緩衝地帯として、クルデンホルフ大公家を「大公国」として独立させる。


③の謝罪は、賠償を要求しない点で、真剣に求めていないことは明らかである。本気で謝罪を求めるつもりなら、賠償を盛り込んで、条件闘争を行うはずだ。国境線の決定の仕方にしても、通商の再開にしても「完全な被害国」と言っていいトリステインが出した条約案とは思えないほど、現実に即した解決策であり、このまま成案としてもおかしくないほどの完成度であった。

当然、トリステイン国内では、セダン会戦で戦死者を出した貴族や兵士の遺族、家や財産を失った平民を中心に「ガリアに対して譲歩し過ぎだ」という反発も出たが、大方はこれを「仕方なし」と、半ば諦めながら受け入れていた。

無論、心から得心して受け入れたわけではない。だが、大国意識の塊であるガリアに対して、謝罪と賠償を求め続ける無意味さは、長年隣国として付き合わざるを得なかったトリステインは、よくわかっていた。むしろ、さっさと講和を結んで通商を再開したいという、実利的な考えが、2年という冷却期間もあり、この国を諦めという感情に落ち着かせたのだ。



それに引き換え、ガリアの条約案は「講和を結ぶ考えがないのではないか」と、温厚な性格で知られるロマリアのエルコール・コンサルヴィ枢機卿が、色を成して、ガリアのポンポンヌ外務卿に食いかかったというぐらいであるから、相当なものであった。


①開戦前に結んでいた通商条約の再度締結(通商の再開)
②トリステインの謝罪と賠償
③ラグドリアン湖畔を初めとした領土の割譲
④トリステインの軍備制限(国境より10リーグの城と要塞の破却など)


さすがのリッシュモンも、しばらく何もいえなかったという。


②は、殴っておいて「手が痛いじゃないか」と言いがかりをつけているに等しい。最初に最大限の要求を提示して、条件闘争を行うのが外交交渉の定石とはいえ、いくらなんでもこれは・・・と、会議に参加した各国は眉を顰め、トリステインは激怒した。これではどちらが最初に殴ったのかわからない。




これはひとえに、ガリア側の事情に原因があった。先々代の国王シャルル11世から始まった中央集権化は、先代のロペスピエール3世の治世下の下で、国王個人への権限集中化という形をとって現れた。それに反対する、又は異議を唱えた大公家や大貴族は、理由をつけて改易、または領地を削減されて、牙を抜かれた。

だが、そのロペスピエール3世が突如崩御すると、中枢部に権力の空白が生まれた。独裁者の死後、主導権を握るために、暗闘が始まるのは、歴史が証明している。むしろロペスピエール3世という強烈な個性(キャラクター)に依存していた面の大きいガリアの中央集権化が、その死を境にして揺らぎだしたのは、当然ともいえた。


現国王のシャルル12世は45歳と働き盛りだが、その基盤は余りにも貧弱である。太陽王は死の当日まで権力を手放さず、30年にも及んだ王太子時代、国政には殆ど干渉を許されず、グラン・トロワでくすぶっていたためだ。

突然国王となったシャルルは、リュテイスで孤立していた。だが、官僚機構も、軍部も、封臣議会も、ましてやパンネヴィル宰相を筆頭とする行政府も、手をこまねいているという点では同じである。新国王の統治の方針や考え方が解らない段階で、また次にヴェルサイテルの主導権を握る人物や勢力がはっきりしない中で、政治的アクションを起こす事は、リスクが高すぎる。誰だってモルモットにはなりたくないのだ。


各勢力が、互いに牽制しあいながらの暗闘が続く中、政治的緊張の原因となったのは、新国王の「側近集団」を自称する勢力であった。


官僚集団や行政府との接触が許されなかった王太子時代のシャルルの下には、ロペスピエール3世に不満を持つもの、または排斥された外戚や大公家などが集まり、自然と側近集団を成した。(こうした行為が、父王の怒りを誘い、国政から遠ざけられる一因となったのだが、シャルルからすれば「じゃあ、他に誰と話せというのだ」と反発。それがまた父王の怒りをかうという、悪循環に陥った)


即位後のシャルルは、王太子時代の側近を遠ざけた。国王の中央集権体制を望まない彼らを側におく危険性に、今更ながら気がついたのだ。だが、他に頼れるものも知るものもいないシャルルは、一部の侍従や側近を、彼らに頼らざるを得なかった。


彼らの登用は、必然的にパンネヴィル宰相を初めとする行政府や官僚機構を刺激した。


そうした中で、当面の政治課題となったトリステインの講和は、政争の具と化した。


ガリアは、巨大な戦艦が、急に方向転換が出来ないように、突発的事態に関しての反応が遅れがちであった。ハルケギニア一の人口と領土が、かえって自分の首を絞めていたのだ。先々代のシャルル11世の時代から始まった中央集権化は、そうした意思決定の遅れを、国王への権限集中で解決しようとしたものである。

だが、今の国王シャルル12世の権力基盤が定まっていない状況では、中途半端な中央集権化が、誰も責任を取らないという政治的無責任を許すことになり、以前にもまして、意思決定が混乱した。百家争鳴、それぞれが、それぞれの立場で言いたい事を言い合う状況では、まとまるはずがなかった。


***

駐ガリア大使からの情報を元に、ガリア側の事情を(ヘンリーというより、マリアンヌに解説するような調子であったが)説明し終えたリッシュモンは、関心するように言う。

「そうした状況下で、国内を、一応は『講和』で一本化したのですからな。シャルル陛下は、なかなかの手腕の持ち主のようです」

自分の父ではなく、相手を褒めるような外務卿に、内心、面白くないマリアンヌが異議を挟んだ。

「ですが、あの内容では、本当に講和を望んでおられるのかどうか。まるでわが国をわざと怒らせて、会議がつぶれるのを望んでおられるような条文ではありませんか?」
「おそれながらマリアンヌ様、それは違います」

外務卿の言葉の意味がわからず、首をかしげるマリアンヌ。

「・・・どういうことです?」
「表に出ていることは単純のようで、単純ではないのです。ガリアの条案だけをみれば、一見強硬論に見えます。しかし、物事とは『何を言ったか』ではなく『何をしようとしているのか』が大事なのです。言葉や言動ではなく、相手の意図-真意を汲み取ることが」

急に説教臭い調子になった老臣に、何も今、ヘンリー殿下の目の前で言わなくてもという感情的反発を覚えたマリアンヌだが、この老人の言いたいことぐらいは解かる。

だが、彼女がそれを言う前に、鴨のステーキを口に運んでいるヘンリーが答えた。


「考えうるだけの強硬論を、シャルル陛下自らが唱えることにより、国内の講和反対派の声を掻き消してしまおうというわけですか」

「いかにも。そしてこれはシャルル陛下の真意が『講和』にあるという事の、何よりもの証明になります」

「最初から講和を結ぶつもりでなければ、そのような政治的行動を起こす必要もありませんからね。このままずるずると、現状を追認すればいいわけですから。もっとも、それは貴国にとって、望ましいことではないでしょうが」


ヘンリーの言葉に頷くリッシュモン。そんな老臣の態度がますますマリアンヌの感情を逆なでする。自分を子ども扱いする老臣も、先を越された形のヘンリーも見る事が出来ないでいると、ふと、自分に向けられている視線に気が付いた。


(キャサリン公女?)


他ならぬ主賓のヘンリー王子夫人であるキャサリン公女が、自分に露骨な視線を向けていることに、マリアンヌは戸惑った。

観察するとか、そういったレベルのものではない。それこそ、全身をなめるように、こちらをじっとりと見据えている。一度意識すると、気が付かないことができるほど、柔な視線ではなかった。

蛇が獲物を見据えるように、狼が、群れからはぐれる羊を見定めるように、一種の殺気すら感じさせるような眼差しを向けられる覚えのないマリアンヌは、ただただ困惑するしかない。


だからといって、自分から視線をそらすのは、なにかこう、女として負けた気がする(何の勝ち負けかはわからないが)。マリアンヌは失礼にならない程度に、微笑みながら視線を返す。


すると、キャサリン公女は、スッと視線をそらした。


(勝った)




「・・ンヌ様?マリアンヌ様?」
「は、はい?!」

勝利の余韻に浸りながら心の中でガッツポーズをしていたため、急に話を振られたマリアンヌは素っ頓狂な声を出してしまった。


「大丈夫ですか?」
「い、いえ、なんでもないです。大丈夫です、ヘンリー殿下」
「ならいいのですが・・・」


怪訝な顔をするヘンリーに、慌てながら言い訳をする王女。これが「あなたの嫁さんのせいよ!」と言えたらとも考えるが、妙な対抗意識を燃やした自分にも責任があるため、マリアンヌは、その愉快なアイデアを没にするしかなかった。



特に気に留めることでもなかったのか、ヘンリーはすぐに話題を戻す。

「完全決裂ということはないだろうと私も見ています。クルデンホルフ条項-大公家の独立は、ガリアにとっても望ましいでしょうから」
「・・・耳がお早いですな」
「蛇の道は蛇ですよ」

シュバルト商会の事は伏せながら、独自の諜報組織があるかのように臭わせるヘンリー。同盟国といえども、すべてを明らかにする必要はない。



ロペスピエール3世崩御後、ガリアが停戦に応じた背景に、トリステインに属するクルデンホルフ大公家が、領内の金融業者を通じて、停戦に応じるようプレッシャーをかけていた事は、市場では周知の事実であった。

クルデンホルフ大公領に本店を持つ金融業者は、その匿名性と堅実な融資姿勢から「クルデンホルフ銀行」と信頼性が高く、商会だけではなく、王侯貴族も密かにリュクサンブールに足を運んでいた。

その中には当然、ガリアの貴族も含まれている。領地経営に行き詰った貴族達は領地や年貢を担保に、当座の運転資金を借りて、なんとか破産を免れていた。金融機関からの融資が、生命線となっていた彼らにとって、大公家からの圧力は、封建貴族の頂点であるはずの「太陽王」よりも恐ろしかったのだ。


ガリアにとって、クルデンホルフ大公家が、このままトリステインに属するより、名目上でも独立させたほうがいいに決まっている。問題はトリステインだ。なぜ貴重な外交カードである「クルデンホルフ大公」を、何故切り離すような条項を入れたのか?



「本当ならば、手放したくはないのですが・・・」

そう言うマリアンヌの眉間に皴が寄っている。自分たちの力ではなく、金融業者の圧力によって停戦が成立したということは、この古い王国の王族たる彼女の自尊心をいたく傷つけたことは、想像に難くない。


「ハインリヒ大公を見ていると、さすがに旧東フランク領で生き残ってきた家系の御当主だという思いに駆られます。古のザクセン「豪胆王」オットー1世や、ハノーヴァーのグスタフ2世も、あのような人物だったのでしょうね」


昨日、夕食会で顔を合わせたハインリヒ・ゲルリッツ・フォン・クルデンホルフ大公の、物静かな顔を思い浮かべるヘンリー。鼻眼鏡をかけて書類に目を通す姿は、哲学者か聖職者を思わせる白髪の紳士が、「金を信仰している」と陰口をたたかれる人物と、同一人物だとは、どうしても思えない。だが、実際に、この初老の大公が、ガリアとトリステインが疲弊したラグドリアン戦争の中、ただ一人だけ利益を-長年の悲願である独立を果たそうとしているのは、紛れもない事実であった。


ワインを忙しなく口に運ぶヘンリーの言葉には答えず、リッシュモンが口を開く。

「いつ戦場になるかわからないところでは、安心して商売ができませんからな。特に政治リスクの高い王侯貴族への貸し出しを行っている『クルデンホルフ銀行』としては、リュクサンブールがいつ戦場になるかわからないという地政学的リスクまで抱え込んでは、金貸し共も、おちおち寝てもいられないでしょう」

いつも感情を交えることのない老外務卿の言葉尻に、やりきれない思いが混じっていた。

「あの大公家は最初からそれを考えていたのでしょうかな?リュクサンブールに金貸し共を呼び込んで、誰も手出しができないような状況を作り上げる-まったく、とんでもない大公様です」


カリーヌは、初めてリッシュモンの意見に同意した。あのセダン会戦を経験したものにとって、クルデンホルフ大公家だけが利益を得る現状は、とてもではないが納得の出来るものではなかった。(祖国の地と犠牲の上に、自分たちだけが・・・)言葉には出さなくとも、それが、多くのトリステイン貴族の共通した考えであった。



「国境に『大公家』という緩衝地帯が出来る事は、わが国にとって、悪い話では・・・むしろ、いい話なのは間違いありません。ですが・・・」

言葉を濁すリッシュモン。


ヘンリーはデザートのチーズケーキを頬張りながら唸った。



「『太陽王』様々ですか・・・やり切れませんな」







ブルーベリーソースを下あごにつけたその姿に、威厳などあるはずもなかった事は、言うまでもない。



[17077] 第29話「宴の後に」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/05/09 19:21
「ねぇ、カリーヌ」

「何?私、こう見えて忙しいんだけど」

女官長の不満はいつもの如く無視して、マリアンヌは尋ねる。

「あの人、私を見ていたわよね」

「えぇ、見ていたわね」


「見ていた」「あの人」とは、先ほどまで夕食を共にしていた、アルビオン王弟ヘンリー王子夫人のキャサリン公女のこと。職業柄(?)マリアンヌは、見られることには慣れている。キャサリン公女のものは・・・そう、貴族達が、自分に向ける視線に似ていた。

しかし、何かが決定的に違う。

それが何かがわからない。貴族達が自分を観察するのは、結局は彼らの利益や出世に結びつけるため。当たり前だが、キャサリン公女は、そんな事をする必要はない。ならば、彼女の個人的興味ということになる。

公女とは、初対面のはず。近い縁戚関係というわけでもなく、ましてや国も違う公女が、何故自分に興味を持つのか?あの視線に「敵意」が含まれていたかどうか、魔法衛士隊で一隊を率いる友人の意見を聞いてみたくなったのだ。マリアンヌですら気が付いた視線に「烈風のカリン」が、何も感じなかったわけがない。


紐で縛っていたピンクブロンドの髪を解きながら、カリーヌがひやかすように答える。髪を解く仕草が妙に色っぽい。

「何か恨まれる様なことをしたんじゃないの?王女様ともなれば、色んな所で妬み嫉みの種を撒き散らしてるでしょうから・・・特に貴女だと」
「何よそれ」

こちらは真剣に相談しているのにと、頬を膨らませるマリアンヌ。とても21の女性の態度とは思えないが・・・これはこれでいいものだ。

冗談よとひらひらと手を振りながら、カリーヌは言う。

「ともかく、気にしてもしょうがないんじゃない?『なんでこっちを見てたんですか』なんて、本人に聞くわけにもいかないし。気に悩むだけ無駄よ、無駄」
「そうかしら・・・」
「そうよ。ただでさえ貴女は、色々と一人で抱え込んじゃうタイプなんだから。余り抱え込みすぎると潰れちゃうからね。いらない荷物は横に置いておこうよ」

荷物を横に置くジェスチャーをするカリーヌ。口調こそおどけたものだが、目は真剣そのもの。女官長でもマンティコア隊隊長でもなく、一人の友人として心配してくれる彼女に、マリアンヌは「ありがとう」と、一言だけ返した。



(だけど、気になるのよね)


「あの人」の、---な目が

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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(宴の後に)

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こちらも用意された部屋に帰ったヘンリーは、入るや否や、勢いよくベットに飛び乗った。

「あ~終わった、終わった!」
「今日の予定が、でしょ」
「水を差すような事をいってくれるなキャサリンよ。人間は今日一日を精一杯生きれればいいんだよ」

「いい事いうなぁ」と、自分の言葉にうんうんとうなずくヘンリー。仰向けに寝転がりながら「うい~」と呟き、腹をさするその姿は、オッサンそのものである。ステテコと腹巻が似合いそうだ。

(何で私、これを選んだんだろう)と、割と真剣に悩み始めたキャサリンに向かって、オヤジと化したヘンリーが、ようやく今日の予定を消化し終えたという解放感から、のん気な事を口にする。



「それにしても、マリアンヌ王女は」


キャサリンの眉がかすかに動く


「可愛かっ(ブオンッ!!)・・・って、うおわぁ!!」


忍者のような身のこなしで飛びのいたヘンリー。それまで彼がが寝そべっていた場所には、石製の灰皿が転がっていた。有に5キロはあるそれを、片手で投げつけたキャサリンの腕力に震えながら、ヘンリーは食い掛かった。


「な、何をするんだ、お前は!」

「あら御免なさい。手が滑って」


ほほほと笑うキャサリンだが、目が当然の如く笑っていない。さすがのニブチン大魔王のヘンリーも、これはヤバイと気が付いた。以前・・・というか、前世の学生時代、こいつがこの目をしたときは、4人のチンピラが宙を舞った。


「い、いやね!無論、君のほうが可愛いよ?!」

泡を食って、水の精霊の交渉役である某伯爵もびっくりな、ご機嫌取りを始めるヘンリー。彼の辞書の「威厳」という文字は、黒の油性マーカーでぐりぐりと、ご丁寧にページの裏面まで塗りつぶされていた。


「でも、ほら!・・・何ていうの?可愛さの種類が違う?・・・そう、そう!違うんだ!君は彫刻の様な美しさで、マリアンヌ王女は野に咲く・・・」



自分の亭主を、冷たい目で見下ろしていたキャサリンだが、しばらくすると、諦めたように息を吐いた。

(何で私が怒っているかなんて、わかっていないんでしょうね)

そうでなければ、自分のご機嫌取りの最中に、王女の名前を出すわけがない。おまけに自分と彼女を同列にして褒め称えるなんてことを・・・いつもの事とはいえ、彼の鈍感さには、怒りを通り越して呆れるしかない。


・・・まぁ、敏感すぎても困るんだけどね。そうなると私が逆に恥ずかしいし・・・



そして、彼女の目の前に正座しているニブチン大魔神は、案の定というべきか、ため息に続く沈黙を、自分に都合のいいように解釈した。



「わ、わかってくれたか!」



とりあえず殴ってやった。


***

「煙草はいいねぇ。リリンの生み出した・・・なんだっけ」
「煙草じゃなくて音楽」

キャサリンのツッコミにも堪えた様子も見せず、ヘンリーは、まぶたを青く腫らしながら、煙草をふかしていた。

前世では、1日に3箱吸うヘビースモーカーだった彼は、この世界で煙草を見つけたときに、思わずほお擦りしたものだ。だが、自販機もタ○ポもないこの世界では、煙草は貴重品である。ブリミル教が禁煙を推奨していることもあり、表立って栽培する農家も少ない。そのため、王族といえども、何十本もバカスカと吸える代物ではない。

(次は煙草の専売所をつくらせるか)と胸算用をはじいていると、耳の痛い言葉が投げかけられる。ヘンリーの趣味丸出しの行動を止める事が出来るのは、アルビオン広しといえども、今やこの人しかいない。


「血税を趣味に流用しちゃ駄目よ」

「そ、そん、なことするわけナイジャナイデスカー」


語尾がおかしいが、気にしてはいけない。気にしたら負けなのだ。




あははと乾いた笑いを続ける夫とは対照的に、じっと何かを考えるように頬杖を付いていたキャサリンが、口を開いた。

「・・・マリアンヌ王女の横に座っていた女官長って」
「あぁ、間違いなく『烈風のカリン』だな。あんなド派手な髪色は、そうはない」

ヘンリーは、自信を持って言い切った。



日本のアニメは、髪の色がカラフルになる傾向があるらしい。「ゼロの使い魔」の世界に放り込まれたヘンリーが、密かに興味を持っていたのが、原作キャラクターのど派手な髪の色である。ガリア王族の蒼髪、キュルケを初めとしたゲルマニア人の赤髪、フーケの緑髪、そしてルイズのピンクブロンド。

アニメだと違和感がないが、実際にはどんな色なのか?多少色が薄まっているのか、それとも、目にも鮮やかな原色なのか・・・


「・・・ピンクだったな」
「・・・えぇ。ピンク以外の何物でもないわね」

一言で言うと「ザ・ピンク」。どこかのきゃばくらの名前のようだ。大体、ブロンドって「金髪」ていう意味だろ?ピンクブロンドって、そんな生易しいものじゃねえぞ「アレ」は。


気になっていたことがひとつ解決して、すっきりとした表情で、ヘンリー達は満足げにうなずいている。


やはり似たもの夫婦である。


「そういえば、貴方はガリア王と会った事があるんでしょう?」
「あぁ、シャルル陛下か。ラグドリアン戦争の仲介交渉でリュテイスを訪れたことがあるからな」

「・・・どうなの?」

その必要はないと思うのだが、声を潜めて聞く妻に、ヘンリーは首をかしげながら、顎に手をやった。

「・・・蒼だったな。蒼。ブルーといったほうがいいかもしれないが・・・」
「それじゃ解らないわよ。ほら、青空みたいな青とか、海の様な青とか」
「そういわれてもな。とにかく蒼だ。そうとしかいいようがない」

ヘンリーはシャルル12世の顔を思い出そうとして・・・諦めた。靄が掛かったように、顔がぼやける。それくらい、蒼髪の印象が強烈だったのだ。

「交渉の内容は覚えているんだがな」
「また自慢?」

「違う違う」と手を振るヘンリー。

「とにかく口が重いんだ。2、3喋ったと思うと、すぐに黙り込む。全部ひっくるめると5時間ぐらい会談したはずだけどな。シャルル陛下は、そうだな・・・30分も喋っていないと思うぞ」
「何よそれ。殆ど貴方が喋っていたって事?」
「喋らないからしょうがないだろうが」


今のリュテイスでのシャルル12世の立場は、非常に脆弱なものである。30年にも及ぶ王太子時代、国政への関与を許されなかったシャルルは、国内の各勢力に、自分の勢力を築く事が出来なかった。

国内での基盤が弱いとはいえ、最高権力者の意向は、国政に与える影響は大きい。最終的には「陛下のご意向である」として押し切ることが可能だからだ。だからといって、毎日毎日「ご意向」とやらを振り回していては、伝家の宝刀が竹光になってしまう。

「おそらくシャルル陛下は、意図的に口数を減らしているんだろう。日頃から口数を少なくしておけば、いざと言うときの重みも増すからな」
「・・・貴方とは正反対ね」
「ほっとけ!」

人それぞれにやり方と言うものがある。どの方法を選ぶかは、結局はその人の性格だろう。ヘンリーが急に無口になったところで「変なものでも食べたか」といわれるのがオチだ。

つき合わされるこっちはたまったもんじゃないんだぞと愚痴るヘンリー。よほどシャルルの口をこじ開けるのに苦労させられたようだ。ほうって置くと、延々と不満を言い続けそうな夫に、キャサリンは、気になっていたことをたずねた。


「ねぇ、今って、原作が始まる30年前なのよね」

「・・・逆算すればそうなるな。今がブリミル暦6214年。タバサが産まれたのが6227年で、魔法学校は15歳で入学だろ?2年の時に召喚試験があるから、6227+16で『ともかく30年前なんでしょ!』・・・です」

せっかくいいところ見せようとしたのにといじけるヘンリー。机に「の」の字を書く彼を無視して、キャサリンが続ける。

「ジョセフとオルレアン大公シャルルの兄弟って・・・」
「その2人かどうかはわからないが、シャルル陛下には2人の王子がいる。王太子のジョセフと、シャルル王子だ」


その言葉に顔をこわばらせるキャサリンに、ヘンリーも、渋い顔をしながら頷いた。何せ、原作では、影で暗躍しまくった「無能王」の兄と、にこやかな顔をして、裏では手段を選ばずに王位を狙った弟という、とんでもない兄弟なのだ。


「ジョセフ王太子は15歳。シャルル王子は10歳だそうだ・・・まぁ、普通に考えれば、この二人がそうなんだろうな」

肩をすくめるヘンリー。

「何か打つ手は・・・ないか」
「あぁ。仮にも次のガリア国王だかなら」


キャサリンの黒い提案を即座に否定するヘンリー。相手はハルケギニア一の大国の王族。それも次期王位継承者と、その弟なのだ。

確かにジョセフさえいなくなれば、確かにレコン・キスタフラグも、ガリア内乱フラグも潰せるかもしれない。だが、失敗したら目も当てられない。成功したにしても、それが発覚すれば、アルビオンとガリアとの戦争になりかねない。「王弟(俺)の独断」といっても、ガリアは信じないだろう。それに、ジョセフを潰したからといって、レコン・キスタフラグが完全に潰れるわけではない。そんなあやふやな博打に、命を張ることはできない。


ならば、ジョセフが暗黒面にとらわれる切っ掛けとなったシャルルを狙うのはどうか?確かに彼のほうが警備は薄いかもしれない。だがジョセフのときと同じく、発覚時の危険性は変わらない。第一、すでに「ジョセフ王太子は魔法が使えない」という噂は流れてきている。そんな状況で、魔法が使える弟が死ねば、ジョセフから永遠に「弟に勝つ」という選択肢を奪うことになる。下手すりゃ、その時点で暗黒面に堕りかねない。





そこまで言うと、ちょいちょいっと、手で呼ぶ仕草をするヘンリー。


何かいい考えが浮かんだのか、それとも重大な相談でもあるのかと、キャサリンが顔を寄せると、ヘンリーはいたって真面目な顔で、一言



















「・・・やっぱり、下のけ「黙れこの大馬鹿野郎」





***

「だってさ、興味あるじゃない・・・ゴメンなさい」

汚いものを見るような、蔑んだ視線に、何も言えずに黙り込む。「るーるるー♪」とという哀愁を誘う音楽が、どこからか聞こえてきたが、不思議と全く同情する気持ちにならない。



「ねぇ、貴方・・・」


腫れた頬を撫でていたため、ヘンリーは、キャサリンの表情に気付くことはなかった。




「貴方は、この世界で何がしたいの?」

「ははッ、何言ってるんだキャサリン」


突拍子もない、しかし、自分の存在意義そのものを問いかける質問に、ヘンリーはいつもの口調で、迷わず答える。父の冷たい手を握り、自分の家族の寝顔を見て決意した想いに、微塵の揺らぎや迷いが、ある筈がなかった。



「ファンタジーだろうと魔界だろうと、俺は俺だ。君とアンドリューと、家族で楽しく生きていけたらいいよ。あと、この世界の俺の知り合いは皆幸せになって欲しいな。あと・・・」

指を折りながら、次々と「幸せになってほしいリスト」の名前を挙げていくヘンリーは


「・・・それは、贅沢というものじゃない?皆がハッピーだなんて、ありえないんだから」


妻の言葉に、断固とした口調で反論した。





「どうやら君は忘れているみたいだけどね。ここはリアルな『おとぎ話』の世界だぞ?」








昔からおとぎ話の結果は相場が決まってるもんだよ「めでたし、めでたし」ってな







いい事いうなぁと、またも自画自賛するヘンリーに、キャサリンは苦笑しながら思い出した。


自分が、何故この人を好きになったのかを







「あ、あと娘がいれば完璧だな!じゃ、さっそくこずく(バキ)



ムードもへったくれもない馬鹿の顔にパンチを食らわしながら、キャサリンは笑った。




















***


















夢を見た












そこは、前世の自分の家。



狭いリビングに、自分の「家族」が集まっていた。




美香や、成長した息子、その孫達にかこまれて、皺だらけの顔を、さらにクシャクシャにしながら笑う、自分がいた。











楽しい夢だった




[17077] 第30話「正直者の枢機卿」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/05/17 12:22
「アウソーニャ(半島)は、何であんな形をしてるのか、知っているか?

ありゃな、大聖堂のクソ坊主どもに、自分の罪深さを認識させるためさ

理由?地図を見てみりゃわかるだろうよ・・・ほら。親指を下に向けているように見えるだろう?」


*************************************

ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(正直者の枢機卿)

*************************************

少年は得意げにこの小話を語る叔父に、温厚な性質の彼にしては珍しく、血相を変えて食いかかった。

ハルケギニアに生を受けたものは、誰しもが一度は「光の国」の首都ロマリアへの憧れを抱く。「始祖の眠る地で、教皇聖下と神官たちの指導の下、敬虔なるブリミル教徒たちが、自らを慎み、幸せに暮らしている」-そんな「理想郷」が、この世界に存在していると。彼もそれを信じていたからこそ、それを茶化すような叔父の言動が許せなかったのだ。


叔父は「お前は正直者だな」と言って笑った。


「正直者」の少年は、成長するにつれて(自分の周りの狭い世界ではあるが)現実を経験し、そんな理想郷は存在しないであろうことを、誰に教えられたというわけでもなく悟った。「光の国」ロマリア連合皇国も、この世界に幾つもある国の一つにしか過ぎないと。


宗教庁は、各国に跨る組織という性格上、連合皇国を構成する王国や都市の出身でなくとも、優秀であれば出世の道が開かれている。「自分こそは未来の教皇」という野心を燃やす者、純粋に信仰心から聖職者を志す者、教会の現状に不満を持ち、自分が変えるという改革の志を持つ者、果ては「でもしか」司祭に至るまで-多くの若者が、こぞってロマリアを目指した。その中に、理想郷への想いを捨てきれない「正直者」もいた。





それから40年近い年月が経ち、「正直者」の青年-エルコール・コンサルヴィ枢機卿は、ラグドリアン戦争講和会議に、ロマリア連合皇国の使節団を率いて参加していた。



***

予定の五日間を越えてもなお、終わりの見えない講和会議。ラグドリアン湖畔には「丁寧な罵り合い」の場所として、いくつもの仮設テントが設営されていた。テントが一つ設営されるたびに、モンモランシ伯爵は、波ひとつたたない湖面に向かって、ひたすら頭を下げている。(役目とはいえ、気の毒なことだ)と、真面目で気の弱そうな伯爵に同情しながら、枢機卿のみが着用を許される真紅の衣とマントを身に纏ったエルコールは、ロマリア使節団に割り当てられたテントの一つに、客人を迎え入れていた。





「アルビオン王国財務卿のシェルバーンです。お噂はかねがね」
「エルコール・コンサルヴィです」

差し出した手を握り返したエルコールは、シェルバーン伯爵の、野太い声と体格に似合った、太い指と肉厚な手のひらの感触を確かめながら、彼の隣に所在なさげに立つ初老の貴族に視線をやった。

「枢機卿、こちらは」
「存じております。ようこそいらっしゃいました、ハッランド侯爵」


トリステインの国境を跨いで以来、初めて自分に向けられた歓迎の言葉に、ハノーヴァー王国外務大臣のベルティル・ハッランド侯爵は、一瞬顔をほころばせたが、すぐに顔を引き締めた。


「ベルティ・ハッランドです。お忙しい中、時間を割いて頂きましたことを・・・」
「まずはお掛けください」

「立ち話もなんですから」と椅子を勧めるエルコール。緊張を顔に貼り付けたハッランドは、ぎこちなく一礼して、勧められた椅子に座った。エルコール・コンサルヴィ枢機卿といえば、現教皇ヨハネス19世の右腕として知られ、ガリア国内の8つの教区を統括する司教枢機卿。教会の権威が衰えたとはいえ、ハノーヴァー王国の閣僚の首の一つや二つ、簡単に吹き飛ばせるだけの影響力があった。

むしろそんな大物を前にして、微塵も緊張した態度を見せないシェルバーンのほうが変なのだが、彼の場合、年がら年中その言動に頭を抱えざるをえない王弟の言動によって鍛えられていた。「アレ」と仕事をすれば、大抵のことには驚かなくなるものだ。

(その点に関しては、あの王子様に感謝するべきなのかね)と、シェルバーンが埒も無い事を考えていると、緊張で顔を強張らせたハッランド侯爵が意を決したように、本題を切り出した。



「単刀直入に申し上げます。トリステインと我が国の新政権との、橋渡しをお願いいたしたく・・・」

仲介したシェルバーンは当然だが、エルコールの顔にも、予想出来た内容に驚きはなかった。ハッランド自身も、思うところは多いのだろう。机の上で組んだ手を、忙しなく組み替えている。

「お恥ずかしい話ですが、我が国には単独でザクセンに立ち向かうだけの力はありません。トリステインに頼るしかないのです」
「人の窮状は見て見ぬふりをしながら、自分の時は助けて欲しいというわけですか」

言葉に詰まるハッランド。淡々とした口調で、事実を告げられるのは「恥知らず」と罵られるよりも、この貴族の胸を突き刺した。唯一の救いは、エルコールの視線に非難するような気配が感じられないことだが、それはこの枢機卿に仲介交渉を行う気がないからではないかという不安を、ハッランドに感じさせた。

こつこつと机を指で叩きながら、エルコールは尋ねる。

「・・・この話を私のところに持ってきた理由をお聞かせいただけますかな?」

「まさか告解にこられたわけでもありますまい」と言いながら、こちらを見据える枢機卿の眼差しは、聖職者というより、報告書と証拠資料を丹念に読みこんだ上で、判決文を考える裁判官を思わせた。納得するまではどのような決断も仲介もしないという姿勢に、ハッランドはハンカチで汗をぬぐいながら、直球でぶつかるしかないということを再度認識した。手持ちのカードは無いに等しい。まな板の上の魚である自分が出来ることは、おとなしく裁かれることだけだ。


「枢機卿の、ロマリアのお力をお借りしたいのです。トリステインの貴族は熱心なブリミル教徒が多いと聞きます・・・教皇聖下の右腕と言われる枢機卿の言葉が欲しいのです。枢機卿の口利きとあらば、トリステインとて耳を傾けざるを得ないでしょう」
「・・・かえって『英雄王』の自尊心を逆なでする事になるのではありませんか?」
「枢機卿ならば、そのあたりを上手くやっていただけるものと確信いたしております」

あまりに露骨な要望に、エルコールは苦笑した。正直は美徳だが、欲に正直では困る。

だが、嫌いではない。言葉を飾りたがるロマリア人に辟易していたガリア人のエルコールには、この初老の侯爵の率直さが好ましく思えた。それだけハノーヴァーがなりふり構ってはいられない状況にあるのだろうが、それも合わせて考えると、ハッランドの立場には、同情を覚えないわけではない。



***

ハルケギニアでは「国旗」と王家の紋章はイコールである。王権は、始祖から王家に与えられ、その王家が国を治める。実際がどうあれ、名目上、国家は王家の私有財産という格好。そのため、国家の象徴たる国旗は、王家の紋章と同じとみなされるというわけだ。

ハノーヴァー王家は、金の盾に3頭の王冠をかぶった青いライオンを紋章とする。それぞれ「自由・不屈・真実」を意味するライオンの威信は、ラグドリアン戦争で、大きく傷ついた。




ブリミル暦2998年、東フランク最後の国王-バシレイオス14世が暗殺されたのをきっかけに、東フランク王国は崩壊。ゲルマン人を巡る対立や、元々の王権が脆弱だったこともあり、バシレイオス14世の伯父アルブレヒト大公が、王都ドレスデンで王位継承を宣言したものの、杖の忠誠を誓うものは、殆どいなかった。

何百もの諸侯が独立を宣言した旧東フランクは、およそ1000年にも及ぶ戦乱と干渉戦争を経て、いくつかの王国と都市連合に再編される。その中でもザクセン王国(アルブレヒト大公の子孫)と並んで、勢力を振るったのが、ハノーヴァー王国のオルデンブルグ家だ。


オルデンブルグ家は、元々東フランクに幾つもある侯爵家の一つでしかなかった。だが、この家は代々子宝に恵まれる回数が、よその家よりも多いという特徴があった。歴代の当主は、婚姻関係や養子縁組を活用して、国内での勢力を拡大。ブリミル暦2998年の王国崩壊の際には、王国領は何百もの諸侯に分裂したが、オルデンブルグ家はその殆どに相続権利を持っていた。

極め付きはハノーヴァー初代国王グスタフ・アドルフ1世(2950-3030)が、つシレイオス14世の岳父であったという事。東フランクの後継を名乗る権利は、十分にあった。婚姻政策を活用して周辺諸侯領を次々に併呑。グスタフ2世(3201-3290)の時代には、ザクセン「豪胆王」オットー1世(3250-3303)と旧東フランク地域を二分するまでに成長した。


だがその内実は、王家の婚姻関係で結びついただけの、緩やかな同君連合王国とでも言うべきものであった。一度下り坂になると、諸侯は次々と離反・独立。元々、戦が得意な家でもないオルデンブルグ家に、軍事力で国家をまとめるという考え方も、武力も存在しなかった。


この事態に、ハノーヴァーは西と北の2つの勢力と結ぶことで、勢力の維持を図った


ハノーヴァーから見て西に国境を接するトリステイン王国は、東フランク王国崩壊以降、旧東フランク領への進出を狙い、ハノーヴァーとも何度も衝突した経緯がある。ハノーヴァーは、このトリステインと軍事同盟を結ぶ事によって、ザクセン王国の軍事力と対抗した。トリステインとしても、「旧東フランクの盟主であるハノーヴァーを助ける」という大義名分と、オルデンブルグ家の縁戚関係を利用するために、積極的に同盟関係を喧伝した。

ブリミル暦4500年代にトリステインが東方進出を諦めた後も、この同盟関係は、現在に至るまで続いている。ハノーヴァーが、国土防衛のためにトリステインの軍事力が欠かせないという環境は変わらず、トリステインも、東の守りとしてハノーヴァーを位置付けた。



ラグドリアン戦争では、ハノーヴァーは、その長年の同盟国を見捨てる決断を下した。ガリアの大軍の前に、国家存亡の危機に瀕したトリステインからの、度重なる援軍要請にも耳を貸さず、それどころか、ブレーメン(ハノーヴァー王都)の王政府は、トリステインとの国境を閉鎖して物資を断った。


ロペスピエール3世の死により、からくも生き延びたトリステインと、ハノーヴァーとの関係は、当然の如く冷え込んだ。ハノーヴァーは「トリステインが滅びるだろう」という目論見が外れたことに頭を抱え、ザクセンの脅威に怯えることになる。

特に後者、ザクセンの脅威は、ハノーヴァーにとっては、抜き差しならぬ問題であった。ザクセン初代国王アルブレヒト1世(2950-3002)が、東フランク王を宣言した際、ハノーヴァーの初代国王、グスタフ・アドルフ1世が真っ先に異論を唱えて以来、両国は文字通り「不倶戴天の敵」であった。同じ旧東フランクに領地を持つ王国でありながら、ザクセンは武人肌、ハノーヴァーは文人肌と、とかく気が合わないのだ。

無論、すぐに攻めかかってくるということはないだろうが、それでもザクセンからすれば、今は千載一遇のチャンスである。いつエルベ川を、ヴェティン王家の紋章をつけた軍勢が越えてくるかもしれないという状況に変わりは無い。



この事態に、ハノーヴァーは青くなってトリステインとの関係修復に乗り出した。東にザクセン、西にトリステインを抱えることが出来るほど、ハノーヴァーには余裕はない。だが、ここ一番の肝心なときに見捨てられたと感じたトリステインが、ハノーヴァーに向ける視線は、嫌悪感を通り越して、軽蔑の感情に満ちていた。


この講和会議を利用して、少しでも関係を修復したいと考えていたハノーヴァーだったが、取り付く島もないトリステインの反応に、困り果てた。万策尽きたハノーヴァー使節団は、ハッランド外相の発案で、ロマリアを頼ることを考えたというわけである。





「・・・枢機卿のお口添えがいただけないかという次第でして」

台所事情を、文字通り苦しい顔で語り終えたハッランド侯爵は、目の前の枢機卿の様子を伺った。エルコールは、最初と同じように口元に笑みを浮かべていたが、僅かに細めている目の奥には、何の感情も読み取れなかった。一体、自分はどう見られているのか。愚かなピエロか、それとも・・・

エルコールは視線をハッランドからそらし、この仲介交渉を自分のところに持ち込んできた当人に向ける。交渉が成立したわけでもないのに、ドッと肩の力が抜けるのを、ハッランドは感じた。



「シェルバーン卿。アルビオンも同じ考えと見てよろしいのですか」

シェルバーンは、つるりとそり上げた頭を撫でながら「そう考えていただいて結構です」と、口を開く。

「ご存知の通り、我が国は空中国家であります。大陸の拠点たるトリステインが不安定になることは、国家の存立に関わります」
「トリステインではなく、ラ・ロシェールが気になるのではありませんか?」

「中継港が欲しいのだろう」という、生の本音をぶつけてくるエルコールに、シェルバーンは苦笑を漏らなしがら、肩をすくめる。

「身も蓋もありませんな・・・まぁ、港だけあっても仕方がないのです。風石を初めとする航海に必要な物資を補給するためには、ある程度の規模の国家や都市の後ろ盾が必要なのです」



アルビオンにとって、ハノーヴァーとトリステインとの関係悪化は、他人事ではない。アルビオンから大陸に向けて出港する船や、逆にアルビオンに向かう船は、トリステイン南部の港湾都市ラ・ロシェールに立ち寄る。得にアルビオンに向かう商船は、この山岳の港町で補給を受けなければ、航海すらままならないのだ。



地上3000リーグという高度に浮かんでいるアルビオンは、過去何度もガリアやトリステインの大軍の侵攻を受けたが、そのたびに退けてきた。その大きな要因が、侵攻軍の兵士を襲った「空中病」である。船乗りの間では古くから知られていたこの病は、船の高度を急激に上げた場合に発生する。頭痛や眩暈、吐き気に始まり、手足のむくみ・睡眠障害や運動機能の低下と症状が悪化。少なからぬ兵士が命を落とした。

アルビオンの平民は、これを「風の精霊がアルビオンを守っているのだ」として喜んだが、風のメイジたちは「空中病」が、上空と地上の空気が違うことによって発生することに気が付いていた。

風のメイジがいれば、船全体に空気の幕を張り、上昇の速度に合わせて外の空気との差を調整させて、フルスピードで自由に船を動かすことが出来る。だが、風メイジ全体の数が限られており、船団全体をカバーすることが出来ない。結果、侵攻軍は、船の速度を落として高度を少しづつ上げていくしかなく、それが作戦の幅を狭めた。

アルビオン王立空軍は、これらすべてが追い風となった。元々高高度の空気には慣れている上、メイジ人口は少ないが、風のメイジの割合は多い。数こそ少ないが、自由自在に船を動かすアルビオン空軍は、数は多いが動きは鈍い侵攻軍と互角か、それ以上の戦いを見せた。



閑話休題。



軍船なら風メイジを乗せることが出来るが、商船となるとそうはいかない。高度を少しずつ上げると、使用する風石も増加する。航海に必要な食料品や医薬品の積み込みなど、補給が必要となる。アルビオンに一番近いラ・ロシェール港が「玄関港」と呼ばれる所以だ。



アルビオンとトリステインの同盟関係は、アルビオンから申し込んだものである。幾ら精強な空軍を持つとはいえ、資源も少なく、大陸に拠点を持たない国は根無し草でしかないことを、白の国はよく知っていた。ラ・ロシェールを持つトリステインと、過去の遺恨はあろうとも、関係を結ぶ道を、アルビオンは選択した。


ラグドリアン戦争では、そのトリステインの存続が危ぶまれ、ハノーヴァーとは違った意味で、ロンディニウムは頭を抱えた。ガリアがトリステインを抑えれば、ラ・ロシェールの使用権がどうなるかは解らない。だからといって、アルビオンが加勢したところで、大陸1の陸軍を有するガリアに、トリステインが勝つとも思えない。

ジレンマの中、アルビオンは陰ながらの軍事物資支援活動を行うことでお茶を濁した。後でガリアに抗議を受けても「知らぬ存ぜぬ」をきめ込むつもりで。それでも、日和見を決め込んだハノーヴァーよりも、旗幟を鮮明にしただけ、トリステイン首脳部は、飛び上がらんばかりに喜んだ。苦しいときの情けは、何よりも身にしみるのだ。




エルコールは、目の前の二人の人物が背負う国家の対照的な現状に、運命の皮肉を感じざるをえなかった。もしロペスピエール3世の死が、1ヶ月でも遅れていれば、両者の-両国の運命は正反対となっていただろう。それを考えると、ハノーヴァーの選択を愚かだと笑うことは「正直者」の彼には出来なかった。


「なるほど、白の国の意図は承りました」

ほっとしたような表情を浮かべるハッランドだが、次の瞬間、再び顔を強張らせる。


「それで、何故わがロマリアが、その尻拭いを手伝わなければならないのですか?」


確かに、ロマリアがラグドリアンに出張ってきたのは、ガリアとトリステインの講和を仲介するため。トリステインやハノーヴァーの仲介をするためではない。仲介とは、下手をすると、両国からの批判を浴びる危険性がある。安易に譲歩を求めれば「相手国に肩入れしている」と、痛くない腹を探られかねないからだ。今回の講和会議でも、ロマリアやアルビオンは、条約の交渉に関しては、当事者同志に任せて、口を出すことを控えている。

わざわざ火中の栗を拾う義理が、どうしてロマリアにあるのか?

動揺するハッランドに対して、シェルバーンは慌てる様子がない。事前に、こうなるであろうという事を、ある王弟から聞かされていたためである。そして、その際にどう返せばいいかと言うことも、事前に打ち合わせ済みであった。

「ジャコバイトに関して、我が国はトリステインへの申し入れを行いました」

その言葉に、エルコールが机を叩く指を一瞬止める。


ジャコバイト-反アルビオン王家を掲げる新教徒の集団が、トリステインの南西部アングル地方(ダングルテール)に拠点を築いているという情報を、ロマリア教皇大使ヌシャーテル伯爵から得たアルビオンは、トリステインに善処を求めた。

その内容が「強制改宗や追放といった強硬手段を伴わない」という条件付のものであることは、エルコールはすでに聞き及んでいる。


「新教徒対策を求めるという、貴国の義理にお付き合いをしたのです。祈祷書には「借りは返すべし」という言葉があったと思いますが・・・」

身を乗り出して、シェルバーンは続ける。エルコールの目には、シェルバーン財務卿と、その後ろにいるアルビオン王弟の顔がかぶさって見えた。



「「今度はロマリアの『誠意』を見せていただきたいのです」」



エルコールは目頭をつまみながら、ため息をつく。もう一度顔を上げたとき、彼の顔には、歪んだ笑みが張り付いていた。

「・・・まんざら、馬鹿というわけでもないようですな」

馬鹿という言葉に、驚くハッランド。そして言われた当人であるはずのシェルバーンは、怒りもせずに、むしろ笑っているのが、彼の疑問を深める。何故、シェルバーンが、枢機卿が笑っているのか、ハッランドに解るはずがなかった。


さも愉快だといわんばかりに、シェルバーンは、その評価を口にする。



「私も未だに分かりません、アレが馬鹿なのか、そうでないのか」




***


結論から言うと、エルコール・コンサルヴィ枢機卿は、仲介交渉役を引き受けた。会議終了後、枢機卿はその足でトリスタニアを訪問。両国の関係維持によってもたらされるトリステイン側の利益を-おもにトリステイン側に説いて、ハノーヴァーとの軍事同盟の維持をとりつけることに成功する。

水の国がハノーヴァーに抱いた不信感が消えたわけではない。だが「唇亡びて歯寒し」、トリステインとしても、東の守りであるハノーヴァーとの関係改善は必要であり、ブレーメンからの、そしてエルコールからの申し入れは渡りに船だった。





「トリステインは伝統的に西南の-ガリアに対する防衛を重視してきた。ハノーヴァーのために、東に新たに要塞や城を築く事は、あの国の財政では耐えられまい。ましてやそのためにガリアの正面の軍勢を割くことはあり得ない。本末転倒というものだ」

部屋に戻ったエルコールは、服を緩めながら、ソファーに腰掛けた。急ごしらえで建てたのにもかかわらず、造りに粗いところは感じられない。トリステインがこの会議にかける意気込みが感じられる。

深紅のマントを脱いで、秘書に渡しながら、エルコールは「独り言」を続ける。


「トリステインは焦らしているのだ。ハノーヴァーが頭を下げただけでは、国内感情も納得しないが、それだけが目的ではない。トリステインが求めているのが何か-わかるか?」


質問と同時に、観察するような視線を傍らに立つ秘書官に投げかけるエルコール。先ほどまでの「独り言」は、すべからく、この秘書官を教育するためのものであった。



本当のところを言えば、この秘書のような仕事をしている彼は、正規の秘書官ではない。しかも司祭でも助祭でもなく、ロマリアのナザレン神学校の一学生でしかない。


彼は美しかった。見るものが誰しも息をのみ、振り返らずにはいられない容貌の持ち主である彼は、多くのお誘いを受けたが「神と民に仕える神官になる」という決意は、微塵も揺らぐことはなかった。

もっとも、彼の容貌が、エルコールが彼をわざわざ身の回りを世話をするために選んだこととは、何の関係もない。古くからの知り合いであるナザレン神学校のヴィンセンシオ・ア・パウロ学長から「ヨハネス枢機卿以来の秀才」とされる彼を「鍛えてやってくれ」と託されたのだ。



目つきの鋭さが、その容貌を損なっていたが、そんなことを気にする性格でもない彼は、しばらくの沈黙の後、すぐに答えを出した。


「同盟関係を、トリステイン主導という形に位置付けるということですか」

確かに、この神学生は優秀だった。1を教えれば2を知り、2を知れば3を答え、10を聞けば、0の概念について尋ねてくる。そんな教えがいのある生徒を、生の教材を基に鍛えることが出来るとあれば、エルコールの頬も緩むというものだ。


「そうだ。ハノーヴァーは『対等の関係』を盾にして出兵を拒否したからな。負い目もあるこの機会を利用して、上下関係をはっきりさせておきたいのだ。ハノーヴァーの弱兵といえども、トリステインと合わせればそれなりの兵力になる。ゲルマニアやガリアへの防衛作戦も立てやすくなる」
「・・・ブレーメンがそれで納得しますか?軍の指揮権をトリスタニアに握られることに」
「何、文民政府とやらは、その日が平穏に過ごせればいいのだ。主権がどうのこうのは、ザクセンからの脅威が和らぐとあれば、議会の大半は納得する。納得しなければ、今までの通りにザクセンに怯える日々に戻るとあれば、反対派も受け入れざるをえまい」


ハルケギニアではガリアやアルビオンにも議会は存在するが、ハノーヴァー王国議会は、他国とは比べ物にならないほど、政治に及ぼす影響は大きい。確かにアルビオンでは、サウスゴータ太守領などの一部の地方自治体レベルなら、議会に政治の実権があるが、国政レベルで議会に実権があるのは、ハノーヴァーぐらいのものである。

ブリミル歴5000年頃、ザクセンとの戦いで、エルベ川東の領地割譲に追い込まれたグスタフ20世(4970-5010)の権威が失墜したことを契機に、貴族層が政治の実権を王家から奪い取り、議会に移譲させたのが、そもそもの始まりである。綺羅星のごとき家系図を誇りながらも、結局は「始祖ブリミルの子孫」ではなく、諸侯の代表として国を治めていたにすぎないオルデンブルグ家は、王家でいるためには、それを受け入れるしかなかった。

王権は制限されたが、完全に制限されたわけでもないため、首相の決定や閣僚の選任で、ある程度の意思を表すことは認められており、その時の政治状況により国王、議会、内閣と三者の間でパワーバランスのシーソーゲームが繰り広げられていた。


ラグドリアン戦争では、国王クリスチャン12世は、トリステインへの援軍を出すことを主張したが、閣僚や。議会の大多数から反対されると、受け入れざるを得なかった。これで、ロペスピエール3世の死があと1月遅れていれば、ハノーヴァーは、今のアルビオンのような立場にいたはずだが、実際にはそうはならなかった。



「だからといって、クリスチャン12世陛下の判断が正しかったとはいえない。あの時の客観的な状況から判断すれば、行政府や議会の判断は、それなりに筋の通ったものだ。今それを批判したところで、それは所詮、結果論にすぎない」
「・・・王権の制限は、望ましくないということですか」
「そうとも言えない。ロペスピエール3世の死後、ハノーヴァーはすぐにウィルヘルム首相以下の閣僚を辞任させた。一種の人身御供だな。これが国王に権限が集中するようなガリアなら、閣僚の辞任カードなど、まるで効果を成さない」
「首のすげ替えがきくというわけですか」

露骨な物言いに、エルコールは苦笑した。

「まぁ、そういうことだな。失政のたびに国王のすげ替えをやっていては、王家の-ひいては国家の威信を損なう危険性がある。閣僚なら、その点が緩和される・・・もっとも、あまり頻繁に挿げ替えると、こちらも威信を傷つけかねないが。ともかく嫌われているなら対処のし様があるが、軽蔑されるとどうにもならん」
「『神は侮るべき者にあらず。人のまく所は、その刈る所とならん』ですか?」
「祈祷書第6章の7節だな。どうやら君にはユーモアのセンスもあるようだ」

笑いかけたエルコールに、ニコりともせずに、その言葉を受け流す秘書官。どうやら、そのように受け取られるのは心外だったらしい。だが、仏頂面をしているのは、それだけが理由ではないようだ。

「納得できんか?」
「はい。ハノーヴァーのトリステイン感情はそれほど悪いものではなく、むしろ良好だったと聞きます。確かにあの時の情勢として、トリステインを切り捨てる選択が、あながち間違っていたとは思えません・・・ですが」
「何かね?遠慮せずにいたまえ」
「・・・ハノーヴァー議会では、ほとんど反対論が出なかったそうです。ガリアに怯えたといえばそれまでですが、ハノーヴァーの貴族が全員腰抜けだというだけでは、どうにも納得がいかないのです」


(ほう・・・)


エルコールは、この神学生の勘の良さに感嘆した。今の疑問は単なる秀才では出てこない。人というものを僅かながらも知っているからこそ、出てくる疑問だ。


「・・・君は北に行ったことがあるかね」
「いえ。自分はアウソーニャ半島から出たことは」

答えに興味はなかったのか、エルコールは最後まで聞かずに切りだした。

「北部都市同盟-聞いたことぐらいはあるだろう?」


北部都市同盟。文字通り、ハルケギニア北東部の都市による経済同盟である。旧東フランク王国時代は、王家の直轄都市であったが、王国崩壊後、それぞれが自由都市を宣言して、経済同盟を組んだのは始まりである。各都市の間に上下関係は存在しない緩やかな同盟だったが、ハノーヴァーやザクセンの侵攻にさらされ、次第に政治・軍事連合としての役割を増している。

キール、リューベック、ハンブルク、スモレンスクなどが知られており、ハノーヴァーの王都ブレーメンも、かつてはこの都市同盟の一翼を担っていた。


秘書官は首をかしげた。それくらいは神学生である自分でも知っている。だが、それがどうしたというのだ?

「・・・現実というのは、必ずしも書物に書かれている事だけとは限らんのだ。特に、自分にとって外聞を憚ることは、正直には書かない」

エルコールは一つしわぶきをしてから続けた。

「ハノーヴァーの王権は議会に握られているが、経済は北部都市同盟に握られているのだよ」

その言葉に、秘書である神学生は、初めて「驚き」という感情を見せた。

「し、しかし、ブレーメンに本店を持つシュバルト商会などは、独自に販路を広げていると聞きますが・・・」
「大陸有数の大商会といえども、所詮は一商会にすぎない。都市をまたがった経済同盟にかなうわけがない。特にブレーメンは、元々が同盟の一員だけあって、同盟の影響力は強いのだ。そして、貴族が貴族らしく生活をするには金がいる。年々苦しくなる領地経営には商人の力がいる」

再びしわぶきをしてから、エルコールは目の前の神学生を見据えた。

「ハノーヴァーは議会が治め、議会は北部都市同盟の顔色をうかがっておるのだ。今回のハノーヴァーの『失策』は、彼らのミスではない。北部都市同盟の失点なのだ」




金の力で国を動かす商人どもの目論見が外れたと知った時、エルコールは「正直者」らしく、素直に喜んだ。


やはり神はいるのだと。


エルコールが、そう考えることができるようになるまで、十数年かかった。目の前の神学生が、自分とは反対に、社会や世の中のありように対して、若い正義感を燃やすことを、否定するつもりはない。ただ年長者として、またかつて自分も同じ思いに駆られた身として、まんじりともせず、その美しい顔の眉間に、深いしわを刻みながら考え込む彼に、助言することぐらいはするつもりだ。


「わかっただろう。書物だけがすべてではない。自分の足で歩き、目で見て、手で触れなければわからない事が、この世にはあるのだ。多くの神学生は、それを任地で、手痛い経験で知るが、君は同級生より早く知っただけの話だ」

「はい・・・」

「書物の知識は確かに大切だ。だが、それだけにとらわれるな・・・無論、自分の経験にもとらわれてはいけない。要は、自由であることだな」

「・・・神に仕える身として、それでいいのですか?」





エルコールは、神学生の頭を小突いた。









「それは自分で考えることだよ-マザリーニ君」










ジュール・マンシーニ=マザリーニは、不承不承という顔で頷くしかなかった。



[17077] 第31話「嫌われるわけだ」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:71b89978
Date: 2010/05/15 20:35
ラグドリアン講和会議の主役が、ガリアとトリステインであることは間違いないが、会議の期間中、最も注目を集めたのは、慰問に訪れたマリアンヌ王女でも、酔った勢いで桃色遊戯を繰り広げたヘンリー夫妻でも、ましてやサン=マール侯爵でもなかった。


クルデンホルフ大公家-旧東フランク王家に連なる名門は、トリステイン王国の大公家として、南西部のガリアとの国境を長く守ってきた。そして、先のラグドリアン戦争における「戦功」と、この大公家を取り巻く様々な政治状況により、「大公国」として独立が認められることが、確実視されていた。


クルデンホルフ大公家のハインリヒ大公は、参加各国の使節団からの注目と疑惑、そして嫉妬を一身に集めながら、ある目的の為に、アルビオン使節団のカンバーランド公爵ヘンリー王子との接触を繰り返していた。


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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(嫌われるわけだ)

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講和会議が始まり10日目。果てしなく続くと思われていたチキンレースに、唐突に決着が付いた。ガリア使節団が、トリステインの条約案(リッシュモン案)を前提に交渉を進めることに合意したのだ。

~~~

(リッシュモン案)

① 国交の回復と同時に、国境線を開戦前の実効支配地によって決定する。
② 開戦前に結んでいた通商条約を再度締結(通商の再開)
③ 謝罪を要求するが、賠償は要求しない。
④ 両国共に軍備制限は設けない。
⑤ 両国の緩衝地帯として、クルデンホルフ大公家を「大公国」として独立させる。

~~~

ガリア首席全権のサン=マール侯爵は、③の謝罪は受け入れを拒否したものの、それ以外の条項(通商の再開、戦前の実行支配地域に基づく国境線の設定、クルデンホルフ大公領の独立)は、リッシュモン案を事実上、丸呑みにした。条約案を取りまとめたトリステイン外務卿のリッシュモン伯爵は「当然だろう」と、笑みを浮かべていたが、前日までの強硬姿勢とは正反対のガリアの対応に、各国使節団は首をかしげた。




何はともあれ、交渉に進展が見えたことで、会場全体を覆っていた重苦しい空気は、華やいだ気配へと一変した。元々、会場のラグドリアン湖畔は、ハルケギニア有数の景勝地。観光や会食を楽しむ使節団随行員らの笑い声が、彼方此方から聞こえてくる。


そんな湖畔の空気とは無縁なのが、クルデンホルフ大公家にあてがわれた一角である。独立が認められるのは確実な情勢にもかかわらず、隣接するトリステイン使節団に遠慮するかのように、静かな空気と時間が流れていた。




「シャルル陛下の決断を待っていたということでしょうね」

そして、その静かな時間の中心にいる老人-大公家当主のハインリヒ・ゲルリッツ・フォン・クルデンホルフ大公は、アルビオン王弟のカンバーランド公爵ヘンリーの言葉に、静かに頷いた。

「リュテイスは事大主義者の集団ではありません。そうした傾向が強いのは事実ですが・・・初めから落し所が(リッシュモン案)なのは、ガリアもわかっていたのでしょう」

「釈迦に説法ですがね」と、自嘲を交えながらワインに口をつけるヘンリー。

「シャカ、ですか?」
「あ・・・え、えーと・・・そ、そうです東方(ロバ・アル・カリイエ)の、神です」
「ほう、ヘンリー殿下は博識ですな」

乾いた笑いに、あまり触れてほしくない話題と見て取ったハインリヒは、話題を戻した。


「殿下のおっしゃるとおり、ガリア使節団は、トリステインの譲歩を待っていたわけではなく、リュテイスの意見が落ち着くのを待っていたのでしょう。最初から交渉するつもりであれば、サン=マール侯爵のような中立派ではなく、自分の意を汲む側近を無理にでも押し込んだはずです」
「その側近がいるのかどうかが、問題ですが・・・」

鼻眼鏡の奥の目を細めるハインリヒ大公。フルフェイスの髭も含めた総白髪という好々爺の、値踏みするような冷たい眼差しは、ヘンリーも、薄ら寒いものを感じざるをえない。


「シャルル陛下が『皇太子病』に陥っていると?」
「立太子以来、30年近く国政へ携わることを禁止されていたそうですからね。魔法はスクエアクラス。学問も体力も人より優れていると聞きます。なまじっか優秀であるだけに、その状況はつらかったのではないのかと」
「ふむ・・・」

ハインリヒは、よく手入れされた顎鬚をしごきながら頷く。


先々代のシャルル11世(シャルル12世の祖父)以来、国王個人へ権限を集中させるという中央集権化政策を進めるガリアにとって、次期国王たる王太子といえども、国政への干渉を許すことは出来なかった。そのため、現ガリア国王シャルル12世は、15歳で立太子されてから、父のロペスピエール3世が崩御するまで、28年の長きにわたり王太子であったが、国政に携わるどころか、接触すら制限されていた。

無能でも無知でもなく、ましてや無策でいることは彼のプライドが許さなかった。シャルルは側近集団を形成したり、若手官僚や貴族と接触しようとしたが、それが父王の怒りを誘い、また国政から遠ざけられるという悪循環に陥った。



今からは想像も出来ないが、昔のシャルルは明朗闊達な性格であったという。グラン・トロワの自室で燻り続けた28年の歳月が、彼を寡黙で慎重な性格に変えたのだ。




「『太陽王』は罪なお人ですな」
「まぁ、あの老人がいなければ、良くも悪くも、現在のガリアはないわけですから」

こめかみを掻きながら、何ともいえない表情で言うヘンリー。とかく政治家の評価というのは難しいものだが、功罪の両方が、計り知れないほど多いロペスピエール3世の様な場合、ますます困難である。ただ「太陽王」が、名実共にカリスマであったことは間違いない。

「本当の大人物というのは、常人の物差しで測ることが出来ないのかもしれませんな」
「評価すること事態がおこがましいのかもしれません・・・殿下も、太陽王と同じタイプの人物なのではないですか?」

「まさか」と手を振るヘンリー。

「私は『英雄王』や『太陽王』の足元どころか、同じ場所に立つ事すら憚られる、ただの小心者ですよ」
「そうかもしれません」

深く頷くハインリヒに、顔を盛大に引きつらせるヘンリー。自分を卑下した謙遜を、そのまま「そうですね」と受け入れられると、立つ瀬がない。顔を顰めるべきか、聞かなかった事にするべきかで悩む王弟の顔を見据えながら、ハインリヒは声に出さずに呟いた。


(しかし、そうでもないかもしれない)


ハインリヒは、傍らに置いた鞄から書類を取り出しつつ、本題を切り出した。

「それで、先の話は検討していただけましたかな?」
「あぁ、あれですか・・・」

すぐに大公の言うことに当たりをつけたヘンリーは、眉間に皺を寄せながら、あいまいな表情で答えた。

「空軍創設のための、指導員の派遣、でしたか?」


ハインリヒ大公がヘンリーに要請していたのは、空軍設立のため、アルビオン王立空軍からの指導員の派遣であった。


クルデンホルフ大公家は、ガリアとの南部国境を守る為、地上兵力を持つことは許されていたが、航空兵力-軍船や竜騎士隊を所持していなかった。トリステインが、王家と直接の血縁関係にない、いわば「客人」である大公に「翼」を与えることを警戒したのだ。「ただでさえクルデンホルフ家は、一大公家としては過ぎたる影響力を持っている。そのうえ、航空兵力を与えては・・・」というわけだ。

ラ・ヴァリエール公爵家など、王家と血縁関係にある家や、トリステイン生え抜きの有力諸侯が保有しながら、クルデンホルフ家だけが一騎の竜騎士すら持つことを許されないという状況は、この名門のプライドを酷く傷つけた。

そして大公国として独立するにあたり、悲願ともいえる空軍の整備が可能となった。そして、航空兵力運用のノウハウがないクルデンホルフ家が、指導員として選んだのが、宗主国のトリステインではなく、アルビオンだったのだ。



ヘンリーは先ほどとは打って変わり、慎重に言葉を選びながら答える。

「・・・本国に問い合わせました。検討はいたします。ですが、実際に派遣するかどうかは、トリステインの反応を見てからということになります」


アルビオンにとって、この指導員派遣は、非常に政治的な問題である。同盟国たるトリステインが、クルデンホルフ大公家の独立を快く思っていないことは明らかであり、その上、独自の航空兵力を持つとなれば、心中穏やかでいられるはずかない。おまけにそれに同盟国のアルビオンが協力するとあれば・・・下手をすると、同盟関係にひびが入りかねない。

そしてなにより、ガリアがどう受け取るかである。中立地帯を作るために、大公家の独立を承認したのにもかかわらず、トリステインが同盟国のアルビオンを使って、軍事力の強化に乗り出したと捉えられては、アルビオンが講和会議をぶち壊すという、最悪の結果をもたらすかもしれない。

同盟関係の亀裂と、講和をぶち壊す-空軍士官の派遣により、大公家から支払われるであろう、莫大な謝礼を差し引いても、とても割に合わない。


それがわからないハインリヒではあるまい。それが、ヘンリーには気になっていた。



ハインリヒは、鼻眼鏡の汚れを、ハンカチで拭きながら「武装中立ですよ」と答える。

「先の戦争で、銀行家諸君も動揺しましてね。このままトリステインに属していては、ガリアに侵略される恐れがあると。「侵略のどさくさにまぎれて、証文を隠滅するために火をつけるかもしれない」と、真顔で訴えるものもいたくらいです」

(それは貴方が煽り立てたんだろうが)とヘンリーは悪態をつこうとして、止めた。ガリアとトリステインとの対立を利用し、両国の金融界に圧力を掛けて、大公家の独立を認めさせたことは、ハルケギニアの貴族であれば、誰でも知っている。その仕掛け人であるハインリヒ大公の話を、そのまま信じることが出来るほど、ヘンリーはお人よしではなった。

「彼らに安心して、金融業を営んでもらうためにも、独自の航空兵力が必要なのです」
「・・・トリステインが認めますか?」
「認めるかどうかは問題ではありません」


それまではっきりとした物言いをすることがなかったハインリヒが、初めで断定するように言い切った。


「認めさせるのです」


これほど根拠のない滑稽な言葉もないが、ほかならぬハインリヒ大公の口から出ると、確実な裏づけがあるように聞こえる(そして実際にそうだったのだが)。不適に笑う大公に呆れながら、ヘンリーは本国と相談した結果を伝えた。


「とにかく、トリステインが認めるなら派遣しましょう。謝礼が欲しくないといえば嘘になりますが・・・信用は金では買うことが出来ないのです」


その答えに、ハインリヒは再び目を細めた。


***

ガリア使節団がリッシュモン案を大筋で受け入れることを表明してからは早かった。翌日には条約の草案が出来上がり、二日後には両国使節団が合意に至ったことが発表される。ここに「ラグドリアン戦争」は、名実共に終結する事となった。



トリステインで水の精霊との交渉役を務める某伯爵は、久しぶりに「彼女」に、良い知らせを持っていけることに、素直に喜んだ。



「シャルル12世陛下と、フィリップ3世陛下が、直々にラグドリアン湖畔で、条約に調印することになった。随行員はおよそ1000人・・・まぁ、その、なんだ。頑張れ」





旧知の魔法衛士隊長の前で、某伯爵は白く燃え尽きていた。








そんなやり取りがあったことは全く知らない「英雄王」が、魔法衛士隊のグリフォン・ヒポグリフ・マンティコアの幻獣に厳重に・・・洒落ではない。厳重に護衛されながら、ラグドリアンの地を踏みしめたのが、会議が始まってから13日目のことである。




(なんというか、いかにも『王様』だよなぁ)


ヘンリーは、フィリップ3世と握手を交わしながら、そのオーラに圧倒されていた。

アルビオン人は何事もあけっぴろでフランクな性格である。王家もその例外ではなく、先代国王(ヘンリーの父)のエドワード12世も、平民に気さくに話しかけることで知られていたし、厳格な性格のジェームズ1世も、威厳のための威厳を取り繕うことは好きではない。

元々は小市民である上に、そんな環境で育ったヘンリーには、人一倍伝統を重んじるというトリステインを体現したかのような「英雄王」と会談することは、荷が重すぎた。遠慮できるものなら遠慮したいところだが、それが仕事なのだから、嫌だの何だのとは言ってられない。

フィリップ3世が、プライベートでは、エドワード12世以上にフランクな話し方をし、子供っぽいところもあり、そして娘を溺愛する父親であることは、これまでの付き合いで知ってはいる。だが、自分が今から会談するのは「トリステイン国王」としてのフィリップ3世であり、その内容が「英雄王」の機嫌を確実に損ねるであろうことを考えると、ヘンリーは、憂鬱な気分にならざるをえなかった。



「おう、大きくなられましたな、ヘンリー王子。アンドリュー王子は元気かね?」
「えぇ、ここ最近は体調もいいようで」
「それはよかった!」

握手を交わしながら、忙しなく話しかけるフィリップ3世。明瞭で力強い言葉や、自信にあふれた立ち振るまいは、まさに「英雄王」という呼び名に相応しいものであった。

(逆立ちしても自分には出来ないな)と思いながら、フィリップの質問に答えるヘンリー

「キャサリン公女はいかがされた?」
「一足先に帰りました。会議は5日間ということでしたので、公務が立て込んでおりまして。ご挨拶も致さず、申し訳ありません」
「いやいや。我が水の国とガリアが意地を張り合っていただけですからな。そんな事に付き合って頂いただけでも、ありがたいことです。そのような言葉は不要ですぞ」

そういって豪快に笑うフィリップ3世。なんというか、見た目どおりの人だ。


椅子に腰掛けながら、ヘンリーは、すぐにクルデンホルフの話題を切り出すことは止め、とりあえずは別の話題を振ることにした。題して「ホップ・ステップ・ジャンプ」作戦。

「それにしても、陛下自らが調印式にお越しになられるとは・・・」
「意外だったか?点数稼ぎだよ」

平然と言ってのけるフィリップ3世に、ヘンリーは今度も顔を引きつらせた。どう反応していいかわからず、とりあえず愛想笑いを浮かべようとして、見事に失敗している同盟国の王子の顔を面白そうな顔で眺めながら、英雄王は続ける。

「平民とは怖いものだ。持ち上げるだけ持ち上げておきながら、落とすときは一瞬だ。熱中すればするほど、飽きられた時の反動は恐ろしい」

場当たりな増税で、一時は反乱を招きかけた経験を持つ国王の言葉は、使い古された格言や書物よりも、説得力があった。そして、戦場で後れを取ったことがないとされる英雄王が「恐ろしい」という言葉を口にしたことに、ヘンリーは驚き、黙って二人の会話を聞いていたエスターシュ大公は、にやりと笑った。

「恐ろしい、ですか」
「あぁ、恐ろしい。一見、高等法院が厳重に取り締まっても、それは表面上のこと。一度平民達が不満を持てば、それは燎原の火の如く燃え広がり、止められるものではない」

そういってフィリップ3世は、隣のエスターシュに視線だけを向ける。

「貴様は『政治家は嫌われるぐらいがちょうどいい』と言うが、それはお前が宰相だからだ。王となるとそうはいかん。誰のせいにも出来ないからな・・・それが解らんから、貴様は、この椅子を手にすることが出来なかったのだ」

ポンポンと、自分の座る椅子のひじを叩くフィリップ3世。

「へ、陛下・・・」

思わぬ奇襲にうろたえたエスターシュだが、フィリップとヘンリーが顔を見合わせて笑い出したのを見て、自分がからかわれた事を悟った。



「さて、うちの宰相をおちょくるのも楽しいが・・・」

戦場を駆け巡った者だけが持つ凄みを含んだ、鋭い一瞥をヘンリーに向け、フィリップ3世は「用件を聞こうか」と、どこぞのスナイパーの様な台詞を口にする。(この場合はクルデンホルフ銀行に口座があるんだろうな)と、ずれたことを考えながら、ヘンリーはハインリヒ大公から依頼を受けた、空軍士官の派遣について話し始めた。



~~~


「ホップ・ステップ・ジャンプ」作戦は「ホップ・肉離れ・痙攣」となりました。



ヘンリーから、大公家への空軍士官派遣について聞かされたフィリップ3世を一言で言うと「ザ・不機嫌」。ヘンリーは(言うんじゃなかった)と、猛烈な後悔の念と戦いながら(何で俺がこんな役回りを)と、心の中でハインリヒを罵ったが、そんなことを言っても、何の解決にもならないことぐらいわかっていた。

「・・・というわけでして、はい」

むっつりと口を真一文字に結んで、髭先をねじるフィリップ3世に代わり、先ほどおちょくられていたエスターシュ大公が口を開く。

「それで、アルビオンとしては、どう対処なされるおつもりで?」
「・・・貴国次第です」


クルデンホルフ大公の思惑や意図がどうであれ「武装中立」は、選択肢としては悪くない。現状の大公軍の兵力(しかも地上軍限定)では、ガリアがその気になれば、鎧袖一触で蹴散らせる。これでは、わざわざクルデンホルフ大公を独立させた意味がない。

かといって、トリステインが兵を駐留させれば「中立構想」という前提自体が崩れる。となれば、独自に兵力を整えさせればいいという構想自体は悪くない。金は腐るほど持っている大公家。航空兵力の指導をアルビオンが行うなら、同盟国経由で、大公領の情報も手に入れることが出来る。


フィリップ3世も、それは理解している。


だからこそ、ハインリヒ大公の手のひらで踊らされているように感じるからこそ「英雄王」は不機嫌なのだ。何もかもが完璧にお膳立てされていて、自分がすることと言えば、ただ承認を与えるだけ。例えそれが気に入らないとして、それ以外に有効な選択肢がないということが、ますますフィリップ3世の眉間の皺を深くしていた。



「本当に、金貸しは嫌なやつらばかりだ。クルデンホルフも、ヴィンドボナの死にぞこないも・・・」

ゲルマニア王国国王のゲオルグ1世は69歳。かなりの高齢だが、未だに矍鑠としている。ラグドリアン戦争の戦塵が色濃く残る時期に、名目上はトリステインに属していたヴィンドボナ総督のホーエンツオレルン家は「ゲルマニア王国」の建国を宣言。それ以来、フィリップ3世を初めとして、水の国は「ゲルマニア」と聞くだけで、激昂するとされていた。

(こりゃ、やぶへびだったかな)と、ヘンリーが考えていると、フィリップ3世はゲルマニアに対する不満を並べ始めた。


「ダルリアダ大公国・・・ジェームズ陛下の奥方の出身国でしたな」
「は、はぁ」

ヘンリーの実の兄であるアルビオン国王ジェームズ1世王妃のカザリンは、ダルリアダ大公国の出身。現大公ヨーハン9世は、カザリン王妃の弟にあたる。

「この会議にも使節団を送ってきたが・・・その中にゲルマニア人が混じっておるのだ」
「なんですって?」

驚きを隠せないヘンリー。ゲルマニアとトリステインは、ゲルマニア建国の経緯から、正式な国交がない。それどころか、トリステインはゲルマニアの不承認政策を掲げ、一歩でもゲルマニア王国の官吏や軍人が入り込めば、処刑にする・・・かもしれないというブラフ込みの、穏やかではないことを公言している。

そのトリステインに、堂々とゲルマニアの官僚が乗り込んできているとは・・・大胆というか、無謀というか・・・

「ダルリアダの使節団にですか」
「元々その傾向がありましたが、ゲルマニアと関税同盟を結んで以来、ダルリアダは親ゲルマニア一色ですからね。国庫から平民のサイフまでスッカラカンだったのが、いまでは好景気に沸いているといいます。使節団に紛れ込ますことぐらいの便宜は図っておかしくはありません」

主の言葉に補足を加えながら、エスターシュはヘンリーの様子を伺っていた。それに気がついたヘンリーは、手を振って「気にしないでください」と答える。

「縁戚関係があるとはいえ、それはそれ、これはこれです。第一、そんなことを気にしていたら、ハルケギニアで戦争は起こりませんよ」

ハルケギニアの王家や大公家は、過去をさかのぼれば、その殆どが婚姻関係を結んでいる。ヘンリーの言葉に、フィリップ3世は大きな笑い声を上げた。



「はっはっは!なるほど、閨閥だけが自慢のブレーメンが、臆病になるわけだ!」



英雄王の機嫌が直ったことに安心しながら、笑いが収まるのを待って、ヘンリーは答えを聞いた。



「ハインリヒの思惑に乗る様で面白くないが・・・いいだろう。ジェームズ陛下に伝えてくれ。『適当に強く育ててくれ』とな」



ヘンリーは、硬い造り笑いを浮かべながら頷いた。エスターシュが、自分の顔を見ながら笑っていたので、帰り際に足を踏んでやった。






***



翌日。ラグドリアン湖畔で、トリステイン国王フィリップ3世と、ガリア国王シャルル12世が、硬い表情で、握手を交わした。両国王は相互に署名を交わして条約を承認。この「ラグドリアン条約」の締結により、2年にも及んだガリアとトリステインの戦争状態に、終止符が打たれた。



両国を初め、各国使節団は惜しみない拍手を送り、訪れた平和を喜んだ。



























そして、その夜。晩餐会の会場で、クルデンホルフ大公と談笑していたシャルル12世の下に、王都リュテイスから急報がもたらされる。

























グラナダ王国、宣戦布告










ノルマンディー大公-ルイ・フィリップ7世、御謀反




[17077] 第31・5話「外伝-ラグドリアンの湖畔から」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/05/20 14:40
人間同士の男女でも、互いを理解しあうことは難しい。ましてや人ならざるものと、人では。生きる時間も、場所も、考え方も、すべてが違いすぎる。それらの矛盾を「愛」という一言で乗り越えようとすることは、果たして可能なのだろうか?



ハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話『人魚姫』では、嵐の夜に助けた王子に一目ぼれをした人魚は、その美声と引き換えに人間となる。だが、彼女の思いは通じず、何も知らない王子は、隣国の王女(村娘とも)と結婚。人魚は王子の幸せを願い、海の波の泡となった。


一方で、ジャン・ジロドゥの戯曲『オンディーヌ』に登場する水の精は、まるで趣が違う。

美しい水の精オンディーヌと青年ハンスは恋に落ち、水の精は人間界へとやってきた。ところが、彼女の自由奔放な性格に嫌気をさした青年は、人間の娘ベルタに心変わり。水の精霊は「裏切れば相手に死を」という神と約束に従い、青年に魔法をかけて破滅に追い込む。再び水の精霊に戻った彼女の記憶から-ハンスとの思い出は消えていた。

記憶を消したのは、神の情けだったのか。愛したものを手にかけるという行為を背負い続けることの苦しみは、精霊といえども人間と同じなのかもしれない。だが、それは同時に、楽しかった思い出も含めて、その時、確かに感じたものまでをも、消し去ってしまった。



果たしてそれは、水の精霊が望んだことなのだろうか?




確かなことは、今日も水はそこにあるということだけである。


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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(外伝-ラグドリアンの湖畔から)

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いつから「彼女」がそこにいるのか-水の国の記録には、トリステイン初代国王のルイ1世と、彼女が契約を結んだとある。その時点では「彼女」は存在していたということになるが、6000年以上も前の記録が本当かどうかなど、確かめるすべはない-「彼女」以外には


もっとも、そんなことは「彼女」にとっては、何の興味もないことである。覚えていないわけではないが、聞かれても答える気はない。



月が交差した回数を数えるのが、面倒くさいのだ。



とにかく数えるほども馬鹿らしい月日の間、ここに存在していたという事は「彼女」自身もわかっている。そして、自らの存在と、ほぼ等しい時間の間、『アンドバリの指輪』を守り続けたことも。


なぜこれを守り続けなければならないのか、誰からそれを命じられたのか・・・「彼女」は覚えていない。


最初の1千年ほどは、それが「彼女」の心を波立たせた。

(私に命令したのは誰だ?)

この湖のすべての生命と、それによって生かされている周囲の生き物を統べる存在である、この自分に命令できるもの-それがわからないとは


しかし、それも次第に気にならなくなった。あらゆることが移り変わっていくのを見続けた「彼女」にとって、変わらない指輪は、数少ない自分と同じ存在とも言えた。それを守ることに、理由など必要ない。





「彼女」は、変わらない指輪と共に、変わり続ける周囲の世界を、ただ一人で見続けてきた。過去も、今も、これからも。「彼女」が存在し続ける限り、それは変わらないのだろう。














ポチャン





(・・・来たか)


「単なるもの」は、我を「ラグドリアン湖」と呼ぶ。「契約の精霊」や「水の精霊」とも呼ぶが、「単なるもの」になんと呼ばれようと、我は気にしない。


「単なるもの」は、多少岸辺でお痛をしようと、我は気がつかないと思っているようだが、それは違う。水の一滴にいたるまで、「私」の感覚は通じている。「単なる者」のいう感覚とは、多少趣が違うらしいが-それでも「感じる」ことは出来る。

例えば・・・そう、今なら、あのまがまがしい色をした使い魔が、湖底に鎮座する「私」に向かって、我の体を泳いでいるのがわかる程度に。



(水の精霊様。水の精霊様。ケロロであります。ケロロであります)
(・・・聞こえている)
(はッ!申し訳ありません!!)

湖底の「私」の前で、蛙の使い魔が、直立不動・・・の蛙座りをしている。矛盾しているが、確かにそうなのだから仕方がない。

「あやつ」の使い魔のケロロは、アマガエル・・・らしい。私は不明瞭な答えは好まないが、こればかりは断定が出来ない。確かに、その形はアマガエルだ。どこからどうみても。

だが・・・紫色に、ゴールドの水玉模様の「アマガエル」とはな・・・最初は、「あやつ」が私を笑わせるために色を塗ったのかとも思ったが、違った。代々「あやつ」の家のものは、カエルを使い魔としておるが、どれひとつとして色が同じだったことはない。

・・・何かが決定的に間違っていると思うが、そう思うのは、わが身の見識が足らぬゆえか。


(・・・世界は広いな)
(なんでありますか?)
(なんでもない)
(はッ!)

再び直立不動の・・・蛙座りをするケロロ。しかし、見れば見るほど、毒々しい色だ。正直なところ、こやつに我の体の中を泳がれていると思うと、こう・・・体中をかきむしりたくなる。「あやつ」は、よくこれと接吻出来たものだ。



「あやつ」の家-モンモランシ伯爵家は、我と、水の国の主との「交渉役」を家業としておる。何代か前の「あやつ」の先祖が、言っていたが、つまりは我を湖底から呼ぶためだけに、「あやつ」の家は、この地に縛り付けられているそうだ。「単なるもの」は、我の中に棲む魚とは違って、その足でどこへなりとも歩いていくことが出来るのに、なぜそれをしないのか・・・まったく、度し難きは「人間」か。



(あの、精霊様)
(わかっている。『あやつ』が呼んでいるのだろう)
(はっ!ありがとうございます!)



まったく、精霊使いの荒い奴だ



***



「水の精霊よ。旧き盟約の一員、ロラン・ラ・フェール・ド・モンモラ(何用か)・・・ンシです。私の血に覚えが(あるもなにも、ここ最近は毎日顔を合わせておるだろう)・・・私に分かるやり方と言葉で返事をして・・・ますね。ありがたき幸せ」


まったく、水臭い男だ・・・我が言うのも変な話だが

今の当主-ロラン・ラ・フェール・ド・モンモランシは、ユーグによく似ておる。子孫だから似ていて当然なのだが、それにしてもそっくりじゃ。



ユーグとは、「単なる者」の数え方で言うと、およそ3000年前、水の国の主から、交渉役に指名された、ユーグリッド・ド・モンモランシのこと。

前任者・・・もはや名前も思えだせぬが-は、我よりも、主の機嫌取りに忙しかった。最初の頃こそ、単なる者と自分は違うものだからと考えることも出来たが・・・それがいけなかった。段々と我の所に訪れる回数と間隔が反比例するようになり、最後のやつにいたっては、子供が生まれた時の報告にすらこなかった。

そやつの時代に、水の国の主が代わり、新しき主を連れてやって来たのだが-その頃、このあたりの人間どもが、湖の魚を、自然の理に反し、必要以上に採ることで機嫌が悪かった我は、呼び出しを無視した。あのときの青い顔は見ものだったが・・・あれ以来、そやつの家につらなる者の顔は見ていない。


我ながら、大人気なかったと反省しておる。許せ



いくら呼んでも我が出て行かないことに、水の国の主は痺れを切らし、新しい交渉役を指名した。それがユーグじゃ。


まずユーグは、前の交渉役と同じように、使い魔を我のところに送って来おった。泳ぎ方や水の流れから、おそらくカエルだろうと目星をつけてはいたんじゃが・・・








れいんぼーのカエルを見た時の衝撃、そなたらにわかるか?







一瞬でも動揺したことが、「単なるもの」にしてやられたようで、しばらく返事をしないでやった。意趣返しじゃな。我ながら子供じみたことをしたと思うが・・・若気の至りじゃ、許せ。




そしたら、ユーグの奴、何をしおったと思う?





いきなり、そ・・・その・・・服を脱いでだな。は、は・・・は、腹に、顔を描いて・・・そ、そ・・・ぷッ・・・くくく・・・は、は、腹踊り、を・・・くくくッ!



その前に行ったカエルとの「漫才」はチクリとも面白くなかったから、その落差が激しくてのう・・・それ単体では面白くなかったじゃろうが、その、あれじゃ。ツボにはまるというやつじゃな。

ユーグからすれば、我は顔色一つ変えていないように見えただろうが・・・内心、大爆笑じゃった。笑いをかみ殺すのに、苦労したぞ?




ともかく、それ以来、ユーグの家のものが、我と水の国の主との仲介を務めているというわけじゃが・・・腹踊りをしたものは、後にも先にもあいつだけじゃな・・・



だから、ユーグに似た「こやつ」に、いたずらをしたくなる気持ち、わかるじゃろ?





「水の精霊よ、会場の撤去が完了いたしました」
(そのようじゃな・・・)


全く、嵐の様な日々じゃった。今から月が27回交差する前のこと、あの恥知らずな青髭の軍団が、我の治める地を、土足で踏みにじりよった。「単なるもの」の間では、「がりあ」という集団は、それなりに敬意を払われているようだが、我は、世の理を知らないものは、子供とみなすし、そのように扱う。

・・・時間にさほど頓着しない我が、あれほど人間が時間にこだわる意味が、初めて解ったような気がする。あやつらがいた時間は、月が3回交差した間だけ-それが我には数千年にも感じたぞ。


それでも、我が「怒ら」なかったのは、ロランの顔を立てたからじゃ。


あやつにしてみれば、あの恥知らずの連中は、彼が仕える主の敵。我が「怒った」ほうが、水の国は、もっと楽に戦うことが出来たであろう。


それをロランは「やめてください」と言ったのだ。


それが、水の精霊の力を借りたくないという、つまらない意地や見得の為ならば、または、後始末が大変だという下らない理由ならば、我は気にも留めなかったのだが・・・



あやつ、ぬけぬけと、こう言いおった。






『貴方に、人殺しはさせたくない』







我は呆れた。一体貴様は何様だと。


同属相食むのは、何も人間だけではない。我の体の中でも、体の小さなものは微生物から、大きなものは魚まで、ありとあらゆる生命が、生きるための戦いを繰り返している。人間は多少、その理由が他の生物より多いだけじゃ。



我にとっては、人間も魚も「単なるもの」にすぎない。











その「単なるもの」が、我を貴様らと同等に扱うか















・・・だが、悪くない。この我を「単なるもの」と同じ目線で扱う-その無知で、傲慢で、身の程知らずが心地いい。


だから、ロランの願いを聞き入れた。傍若無人な青髭どもを殺さないでやり、もう一度あの礼儀知らずどもがやってきたときも、受け入れてやった。



思えば、ユーグもそうであった。馬鹿で、おっちょこちょいで、すぐに付け上がる、間抜けな男










(血は争えぬということか)

「は?」

(気にするな、独り言じゃ)









ラグドリアン湖の湖面は、日の光を浴びて輝いている。水面は、風に揺れて、美しい波紋を作り上げていた。






「彼女」はそこにいる。過去も、今も、これからも







変わるものの中に、変わらぬものを持ちたいという-「彼女」自身も気が付いていない願いが叶うのかどうか・・・それは誰にもわからない





[17077] 第32話「兄と弟」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/05/20 14:45
魔法を使うと、皆が褒めてくれる。




でも、誰も僕を見ていない。




皆が見ているのは、僕の兄さん。僕を褒めることで、皆は魔法が出来ない兄さんを馬鹿にする。







だけど、僕は知っている。



兄さんは僕より喧嘩が強いことを

兄さんは僕より勉強が出来ることを

兄さんは僕よりチェスがうまいことを



僕は知っている



兄さんが、誰よりも優しいことを


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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(兄と弟)

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「ノルマンディー大公の反乱」と「グラナダ王国の宣戦布告」の知らせは、華の都リュテイスに、暗い影を落としていた。市街地や市場は、いつもどおりの喧騒に満ちていたが、行きかう人々の顔色は優れず、そこかしこで額を寄せ合っている。

「まさか叔父上のルイ・フィリップ様が反乱を起こされるとは」
「先王陛下の弟君がなぁ・・・」
「シャルル陛下を擁立した張本人だぞ?」

「噂」に根拠はない。だが、未だに行政府からの公式発表が行われない状況下では、噂は貴重な情報源として重宝され、市民達は「ここだけの話」を交換しあった。

その中には当然、荒唐無稽なものもある。

「グラナダが、国境を越えて攻め込んできたらしいぞ」
「僅か3000の兵に、2万のガリア軍は大敗したそうじゃ」
「シャルル陛下がラグドリアンで、トリステインに暗殺されたって本当か!」
「いや、すでにトリステインはゲルマニアと一緒に攻め込んでいる・・・」

ここまでいい加減なものは嘘だとわかるので問題はない。問題は、根拠のない噂には変わりないのだが、真贋がわかりにくい「ありえそう」な噂である。

「今度の事態は、トリステインが絵を描いたらしい。グラナダと、先代アルビオン王の葬儀で恥を掻かされたノルマンディー公を巻き込んで・・・」
「ノルマンディー領の港に、アルビオンの軍船が入港したというぞ」
「グラナダとも相談の上か?」
「ちがいない。あまりに上手く行き過ぎている・・・」


本来なら流言蜚語を取り締まるはずの官憲も、意図的に聞こえないふりをして、見逃していた。自分が信じていないことを、さも事実であるかのように振舞うことは難しい。中には、市中で聞いた噂話を同僚連中に「講義」するものもいるくらいだ。


そんな状況をみすみす許しているのが、ヴェルサルテイル宮殿の実情であった。官僚や政治家たちが忙しそうに走り回ってはいるのだが、それは自らの役目を果たしているからではなく、「誰の命令に従えばいいか」「何をすればいいか」わからないだけである。

国王シャルル12世不在の宮殿を預かるのはパンネヴィル侯爵。前国王ロペスピエール3世の時代より、宰相の印綬を帯びてきた人物だ。だが、多くの軍高官や閣僚がシャルル12世に随行していたため、文官上がりのパンネヴィルには、討伐軍の編成といった重大な決断を下せなかった。それでもリュティスで、表立った混乱が見られないのは、彼の、ヴェルサルテイル宮殿を生き延びることで培った老練な政治手腕によるものであり、市民もそれを信頼していたからである。



貴族たちが、上を下へ、下を上へ、右を左へ、左を右へと、指示を求めて走り回るヴェルサルテイル宮殿。


その混乱に乗じて、ガリア王国第2王子のシャルル・ド・ヴァロワは、お付の侍従の目をかいくぐり、窓から抜け出していた。この状況下で、グラン・トロワの自室で大人しくしていることが出来るほど、10歳のシャルルの好奇心は、大人しくはないのだ。

不安感が先にたつのは、貴族達と同じだが、シャルルは責任のない子供の特権として、この状況を「楽しい」と感じてしまった。すぐにいけないことだと思い直したが、それでも、日頃澄ました顔をしている大人たちが、泡を食っている様子や、兄さんを馬鹿にする宮廷貴族が、青い顔をしているのを見るのは、気持ちが良かった。いつもの場所なのに、いつもと違う空気。日常なのに、非日常。そのギャップが、新鮮で面白かったのだ。


抜け出したシャルルが向かうのは、決まって兄の部屋。まるで百科事典が頭の中に入っているかのような兄は、どんな家庭教師よりも、いろんなことをわかりやすく教えてくれる。いつもはチェスをしながら、兄の「独り言」(と言い張っている)を聞くだけなのだが、しかし、今日に限って言えば、聞きたいことは決まっていた。



不安な気持ちに駆られながら、シャルルは5歳の時に使えるようになった風魔法「フライ」を唱えて、兄の部屋へと飛んでいった。




***


コン・コン・コン


(・・・あいつ、また来たのか)

ガリア王国王太子のジョセフ・ド・ヴァロワは、窓の「外から」のノックに、軽くため息をついた。いつものように、シャルルが部屋を抜け出してやって来たのだろう。まったく、あの弟は、家庭教師や侍従にいくら叱られても、まったく堪えた様子がない。

(一度父上に叱ってもらうか)とジョセフが考えていると、ノックが強くなった。見なくても想像が付くから見ないが、シャルルは「早く開けてよ」と腕か杖かを振り回しているに違いない。


もう一度、今度は先ほどより深いため息をつくと、傍らに立つ人物が、ちらちらと伺うような視線を向けてくる。視線を将棋盤(チェス・ボード)からそらさず、ジョセフは言った。

「このまま締め出すのも、面白いと思うんだが」
「ええ?!え、えー・・・そ、それは・・・」

目の前の軍人が、真面目・・・というよりは、融通の利かない性格であることを思い出したジョセフは、仕方なく窓を開けるために立ち上がりながら「冗談だよ」と言う。これくらいのジョークには付き合ってほしいものだが、彼には無理だろう。

足取り軽く・・・というよりも、駆け込むように窓枠を踏んで飛び込んできたシャルルにも、ジョセフの言葉は聞こえていたらしい。

「兄さんが言うと冗談に聞こえないよ。だって兄さん性格悪いから・・・」
「ソワッソン男爵を呼ぶぞ」
「お兄様ゴメンなさい。生意気言ってゴメンなさい」


ジョセフ王太子に呼ばれて、部屋を訪れていたオギュースト・ド・ベル=イル公爵は、二人の王子のやり取りに、目を細めた。始めてこの小芝居を見せ付けられた時こそ、あっけにとられたが、今はもう見慣れた景色である。何より、ご兄弟の関係が良好だということが、親族間で王位争いを繰り返して来たガリア王家にとっては、それ自体が貴重な財産であるといっていい。

(特に、今のような状況では、な)

公爵が考えにふけっていると、シャルルは、いつものようにジョセフに駆け寄った。


「兄さん、兄さん!」
「何だシャルル。チェスならまた後でな」
「違う!」

年相応の幼さの残るシャルル王子の言動は微笑ましいものがある。顔をしかめながら、王太子はどこか嬉しそうだった。

「大叔父様が、反乱を起こしたって本当なの?!」

その言葉に、ジョセフは顔を強張らせる。険しい表情の兄に「本当なの?」と、言葉を重ねるシャルル。いつもの大人ぶる為の、背伸びをした質問ではなく、信じたくないけど確かめなければならないという弟の態度に、ジョセフは(誤魔化しは効かないな)と、先ほどとは違うため息をついた。



「・・・そうだ。大叔父様は、ガリアに-父上に対して、反乱を起こした」




***

ノルマンディー大公家-文字通り、ガリア北東部のノルマンディー地方を治める大公家である。ブリミル暦4460年、当時のガリア国王シャルル8世が、庶子ロベール1世にこの地方を与えたのが始まりである。1800年の歴史を持つ大公家といえども、西フランク時代を含めると、6000年以上の歴史を持つガリアにとっては、さほどの名門というわけでもなく、王位継承権も下から数えたほうが早いとさえ言われた。

だがこの大公家は、その広大な領域や歴史の長さとは関係なく、王国の中で特殊な地位を占めている。


ノルマンディー地方は、中央から離れているためか、多くの海賊や傭兵を輩出するという血気盛んな土地柄ゆえか-おそらくその両方であろうが、独立独歩の精神が根強く、たびたびリュティスに反乱を起こした。無論、中央政府は反乱の度に、それこそロマリアの神官が、異教徒狩りと間違えるほどに徹底的に弾圧を加えながら、一方で大公領として半独立させることで、「ノルマン人」のプライドを満足させるなどして、やっとの思いでこの地域をガリア王国の中に組み入れた。


そんな領地を治める大公家が、この地域の気質に無縁でいられるわけがない。2、300年に一度、思い出したように反乱を起こしたり、当主が「突然死」したりと、これがまた言うことを聞かなかった。何かと反抗的な大公家をコントロールしようと、中央政府は、たびたび時の国王の弟や王子を無理やり跡継ぎに送り込んだものの「はやり病で」「事故で」「ドラゴンに連れ去られて」・・・最後のに至っては、リュテイスをおちょくっているとしか思えないが、大公家側は「事実」と言い張り、反乱を起こされては面倒な中央政府は、それを受け入れるしかなかった。



こうしてガリアの枠組みの中で「半独立国」として歩んできたノルマンディー大公家だったが、さしもの「太陽王」の前には、その高い頭を下げ、膝を折った。

大公家はこれまで何度も反乱を起こしたし、精強な大公領の兵は、討伐軍を苦しめた。だが、最終的にはすべて鎮圧された。歴代の国王は、国家の威信と、鎮圧にかかる手間と兵の犠牲を天秤に掛け、多少のわがままには目を瞑ることを選択。ノルマンディー家も、すべて承知の上で、中央の逆鱗に触れない程度のわがままを通してきた。

ところが「始祖ブリミルの申し子」と本気で信じている太陽王-ロペスピエール3世には、その暗黙のルールが通用しなかった。神と始祖以外に、自分の権威に従わないものが国内に存在する状況を、絶対に許すことが出来なかったし、そのためには、兵がいくら犠牲になろうがかまわなかった。リュティスの官僚たちは、この王の性格を利用して、目の上のたんこぶだった大公家を、中央に従わせようとした。「言うことを聞かないと、あの王は本気でやりますよ」と。



結果、大公家に養子として送り込まれたのが、ロペスピエール3世の弟であるルイ-現在のノルマンディー大公ルイ・フィリップ7世である。

ルイ・フィリップは、それまでの王子や王弟とは違い、むやみやたらに王家の威光を振りかざそうとはしなかった。「ガリア王弟」ではなく「ノルマンディ大公ルイ・フィリップ」として、大公家の歴史と伝統を尊重する姿勢で、大公領の家臣や領民の信頼を得ながら、中央の意向に沿う政策を進めた。

兄であるロペスピエール3世は、着実な政治手腕をもつ弟を-その温和で従順な性格(自分に逆らわない)も含めて信頼した。晩年に、ますます猜疑心が強まった「太陽王」に対して、唯一諫言できる存在だとみなされており、実際にそうであったがために、先のトリステインへの電撃侵攻(ラグドリアン戦争)では、アルビオン王エドワード12世の葬儀に大公が出席している間に、ロペスピエール3世は既成事実を固めてしまった。


そして「太陽王」が崩御した後、自身を推す声があったにもかかわらず、甥のシャルル王太子(シャルル12世)を新国王に擁立する勢力の中心として活動したのも彼であった。



そのノルマンディー大公が反乱を起こすなど、いったい誰が想像しようか?



否、存在していなかった。ルイ・フィリップが大公に即位して以降、リュテイスは伝統的な大公家への備えを解き、その兵力を他の地域に転換。ノルマンディー大公領の中心都市ルーアンと、王都リュテイスの間には、要塞どころか、満足な関所すら存在しないのだ。







「どうして、大叔父様が・・・」


シャルルのつぶやきは、リュテイスが受けた衝撃を物語っていた。

シャルルにとって、大公はいつも優しい大叔父であり、気難しい父よりも、どちらかというと好きであった。いつも丁寧で、ニコニコしていて、自分のような子供にもきちんと挨拶してくれた。


そのおじさんが、父を、大好きな兄さんを、そして・・・・・・自分を殺そうとしている。


信じたくはなかった。



だけど、それを事実だと僕に教えてくれた兄さんは、別に驚かなかったみたいだ。そして、いつものように、眠たそうな目で、僕をチェスに誘う。


「シャルル、指さないか?」
「兄さん!」

シャルルにはわからなかった。どうして兄さんは、そんなに落ち着いていられるの?あのおじさんが、今この瞬間も、僕たちを殺そうとしているのに

「兄さんは、何も感じないの?殺されてもいいの?!」
「落ち着けシャルル」

いつものように、後手の黒の駒を選択した兄さんは「公爵も座ってくれ」とベル=イル公爵に言う。たしかに、大人の中でも体格のいい公爵に立たれていると、なんだが息苦しい。座っていいものかどうか悩んでいると、兄さんが質問をしてきた。


「シャルル。なぜお前が、チェスで俺に勝てないかわかるか?」

そんな場合じゃないと思うが、教えてもらう立場のシャルルはどうすることも出来ず、ふてくされたように答える。誤魔化されたという思いもあるが、自分で、自分が負けた理由を答える状況が、10歳の子供に面白いはずがない。

「・・・弱いから」
「どうして弱い?」

この質問は2度目だ。以前は「兄さんが強いから」と答えて「じゃあ、お前は一生俺に勝てないのか?」と返され、掴み合いの大喧嘩になった(その上、負けた)。力で勝てないなら、知恵を働かせるしかないと、シャルルは必死に考えた。


「駒の数は一緒。ルールはお互いが十分に知っている。つまり条件は同じだ」


ジョセフの「独り言」が始まった。あくまで独り言で、決して答えを聞いているわけじゃない。

「駒の色以外、何が違う?」

シャルルは、何かに思い当たったのか、喜色を浮かべて顔を上げた。

「いつも、兄さんは後手だ!」
「何故だ?」
「え、それは・・・あ、そうだ。僕がいつも先手を選ぶから」
「それは何故だ?」
「え・・・えーと・・・」

ジョセフは軽く鼻をこする

「その方が勝てると考えているからじゃないのか?先に仕掛けたほうが、相手より有利だと、そう思っているからだろ?」
「・・・そういわれてみれば、そうかも」

正直に言うと、そんなこと考えたことなかったと思う。白のほうがカッコいいからという理由だったし。だけど、兄さんに言われると、そんな気もしてきた。もしかしたら、心の奥底では、そういう風に考えていたからかもしれない。

「俺は先手の動きに合わせて駒を動かす。ポーンを動かせば、それに合わせ、クイーンを動かせば、それに合わせる」

「じゃあ・・・」


「僕が後手になれば」そう言おうとして、兄さんに遮られた。


「それがお前の負ける理由だ。なんでも物事を単純化したがる。表か裏か、白か黒か、○か×か」


兄の「答え」に黙り込むシャルル。


「2つのカードしかないお前に勝つには、3つの方法を用意すればいい。それだけの話だ」
「お話中のところ申し訳ありませんが・・・」

そこでベル=イル公爵が口を挟んだため、シャルルは反論するために開こうとしていた口を閉じる。同時に、これ以上は恥をかかなくてすむ事に、胸をなでおろしていた。



「私はチェスのお相手として呼ばれたということでしょうか」

(それならば勘弁して欲しい)と、硬い表情で答えるオギュースト。ラグドリアン戦争で、トリステイン侵攻軍の総司令官であった彼は、停戦後、責任を負わされて「陸軍省参事官」の閑職に追いやられ、「無能」と評判の王太子の遊び相手に甘んじている(彼自身は、多少ジョセフの評価に異論があったが)。

ところが、多くの軍高官がシャルル12世に随行したため、無役の陸軍大将である彼が、リュテイスにいる軍人の中で、最も高位の将校となった。パンネヴィル宰相は、この陸軍大将に諮問した上で、予備役の召集や、王都に通じる街道の警備強化などの対策を指示していた。

そしてベル=イル公爵自身も、この反乱鎮圧で功績を立てれば、先の戦争で負わされた失点を回復できるという考えもあって、ここ数年にないほどの高揚感に満ち溢れていた。現に今も宰相から呼び出しを受けている途中でジョセフに呼び出されたのだ。チェスの相手などしている暇はない。


「申し訳ありませんが、色々とすることがありまして・・・」
「まぁ、話だけでも聞いていかないか」


王太子の言葉を最後まで聞かず、再び「申し訳ありませんが」と断りを入れて、きびすを返して退出しようとするオギュースト。その背中に、ジョセフは「独り言」を投げかけた。


「わざわざ、その身を捧げにいくのか」


その言葉に立ち止まって振り返るベル=イル公爵。シャルルの目にもそれとわかるほどの怒気が走った後、顔を引きつらせた。


「パンネヴィル宰相は内務官僚上がりだ。文官として、軍参事官である卿の意見に従った・・・上手くいけば自分の手柄、そうでなければ」


オギューストは、背中に杖を突きつけられたような悪寒を覚えた。ジョセフ王太子がわざと言葉を切った続きは、宮廷政治に疎い彼にでもわかる。

『パンネヴィル宰相が自分の意見を取り入れるのは、軍事の見解を求めているわけではなく、スケープゴートとして都合がいいから』

王太子に指摘されるまで、「もう一度表舞台に戻れるかもしれない」という期待と、なにより、軍人としての意見を求められるという環境に舞い上がって、そこにある落とし穴に全く気がついていなかった。

いくら緊急事態とはいえ、全軍の最高司令官であるシャルル12世を差し置いて、中央の宰相が軍の招集をかけることは、あらぬ疑いをかけられる恐れがある。その点、自分は、閑職とはいえ「軍参事官」という現役の陸軍大将であり、後に政治問題化しても、責任をかぶせられる・・・


(ふざけた真似をしてくれる)


「嵌められた」と怒ったところで、それに気がつけなかったわが身の不覚を責めたところで、もう遅い。すでに自分の名前で、軍を召集する命令書へのサインは終わっている。



オギューストは、顔を引きつらせたまま、力なくジョセフの向かい側に座った。


「・・・どうしろとおっしゃるので」
「やってほしいことがあってね」

「自分の言う通りに動けば、父上へのとりなしをする」という意味を含んだ王太子の言葉に、苦々しげな表情でうなずくベル=イル公爵。宮廷政治とは距離を置いてきた自分が、その中心である王太子の私兵となれと言われているのは、どういった皮肉か。だが、ベル=イル公爵家を潰さないためには他に選択肢はなかった。戦場で倒れるならまだ諦めがつくが、宮廷で政治的に殺されるのは、我慢がならない。


「チェスの相手が弟だけというのは淋しいからね」と呟きながら、目線をチェス盤に下ろすジョセフ。オギューストは2年近く、この王太子と接してきたが、世評で言われるほど「無能」だとは思えない。確かに魔法の才能はからきしだが、それを補って余りあるものが、この青い髪の子供にはある。

ただの勘だが、オギューストはその勘によって、何度も命拾いをしてきた。

「集まった軍勢の一部を率いて、出来れば、ここの防衛に最低限必要な兵力を除いた全軍を率いて、カーンに行ってほしい」
「カーン、ですか?」

その命令の意味するところがわからず、首を傾げるベル=イル公爵。



「東方には『腹が減っては戦が出来ぬ』という格言があるそうだ」



言葉を失うという体験を、オギューストは初めて体感した。セダンの平原で、息子が死んだと聞いた時にも止まることのなかった、軍人としての思考が、完全に停止した瞬間だった。



カーンは、ノルマンディー地方の南西に位置する人口5000人程度の小さな都市である。だが、この王政府直轄の街は、ノルマンディー地方を含む王国北西部の物流の中心都市という顔を併せ持つ。町には王政府直轄領や諸侯の領地で収穫された作物を収める倉庫が立ち並び、収穫期にもなると、買い付けや差し押さえに来る商人たちで町は賑わう。

ここに集められた物資は、所有者を幾度も変えた上で、商人の手によって、再び東北部一帯に流れていく。こうした仕組みが出来上がったのは「個別に商会と取引をするより、一括して行ったほうが有利である」という、先々代の国王シャルル11世の考えによるもので、ガリア国内には、こうした商品の集積拠点がいくつか存在していた。


カーンを抑えること-それは、ガリア北西部の物流を抑えることであり、ジョセフの命令の意味は「物資の流れを断って、大公を締め上げろ」ということに他ならない。



まるで、ガリア全体を将棋盤(チェス・ボード)に見立てたかのような、壮大な戦略に、ベル=イル公爵はしばらく返答することが出来なかった。しかし、そこは仮にも長年軍歴を重ねた軍人。この王太子の戦略には、重大な欠点があるとも感じていた。


「ノルマンディー大公軍は精強だ。まともにぶつかっては、わが軍の損害も大きいが、腹が減った兵士など、恐ろしくともなんともない」
「恐れながら、王太子殿下のお考えには、重大な欠点があります」

ジョセフが視線を上げて、静かにこちらを見返したことを確認してから、オギューストはそれを指摘する。


「まず殿下の策には、グラナダ王国への備えがありません。もしノルマンディー大公軍とグラナダが共同してこのリュテイスを襲えばどうなるか。軍勢の出払ったこの都市を落とすことは、難しくありません。落城させなくとも、ヴェルサルテイルに火をつけるだけでよいのです。それだけでガリアの威信は地に落ちます」

ジョセフの横で、シャルルもうなずいていたが、こちらはどこまで理解しているか解らない。

「そして決定的に抜けているのが、お父上-シャルル国王陛下の身の安全です」


ガリアは先々代のシャルル11世以来、国政の基本路線として中央集権化=国王個人への権限集中化を進めている。良くも悪くも、ガリアとは国王がいなければ機能しない組織なのだ。現国王にして、ジョセフとシャルルの父であるシャルル12世は、現在リュテイスにではなく、隣国のトリステイン領内にいる。パンネヴィル宰相が軍を動かすのをためらったのは、なにも自己保身のためだけではなく、宰相といえども、独断で軍を召集する権限がなかったからだ。


一時が万事、そのような状況であるのに、仮にシャルル12世が今狙われたらどうなるか-



ところが、その指摘に対するジョセフ王太子の答えは、ベル=イル公爵の予想のはるか斜め上をいくものだった


「父上の安否は心配いらない。そして叔父上はヴェルサルテイルの主にはなれないし、アルフォンソ10世は、ピレネーのはげ山から出てくることはない」


オギューストは一瞬あっけにとられた後、あわててジョセフの言った内容について考え始めた。明瞭に、この戦争の終わりを見てきたかのように言い切るのは、預言者でも、未来人でもなく、たかが15の子供なのだ。

そしてその理由が、自分の勘のようなあいまいなものではなく、一つ一つの情報を精緻に積み上げた結果、導き出されたものであることを、すぐに知るところとなる。



「『英雄王』は暗殺という卑怯な手段はしない・・・なんていうつもりはない。あのエスターシュとかいう大公なら、それ位のことはやってみせるだろう」

講和会議の会場であるラグドリアン湖畔は、トリステイン領内。ガリアが内乱に突入したという情報を聞けば、講和のテーブルをひっくり返してでも・・・という思いに駆られても不思議ではない。各国使節団の目があろうとも「突然死」として処理できないことはない。

「だが、その後が問題だ。今父上が死ねば、誰だってトリステインが怪しいと考えるだろう。そうすると『英雄王』の威信は地に落ちる。セダンで屋台骨が揺らいだあの国を支えているのは、英雄王の名声だけだ。それを自分で壊すようなことはしないだろう」
「・・・第三国が、陛下のお命を狙う危険性は」
「それこそ、トリステインは命がけで父上を守るさ。少なくとも国境まではね」

領内でシャルル12世が襲われれば、本人がいくら否定しようとも、関与の疑いは残る。そんなことを自分の領内でみすみす許すほど、トリステインも馬鹿ではない。

ベル=イル公爵が言い辛らそうに切り出す前に、ジョセフがその言葉を先取りして言う。

「オルレアン大公が、父上を暗殺するのではといいたいのだろう?」
「・・・っ、はい」

これがほかの貴族なら「ご賢察恐れ入ります」と世辞を言うか「そんなことはありません」と否定するかのどちらかなのだが、公爵は言葉に詰まりながら、素直にその通りだと答えた。いかにも無骨な軍人らしい回答は、ジョセフの好みに適っていた。

オルレアン大公領は、ラグドリアン湖を挟んで、トリステイン王国のモンモランシ伯爵領と接している。現大公のガストン・ジャン・バティストは、ノルマンディー大公ルイ・フリップ7世の娘婿であり、先のラグドリアン戦争では、最後まで開戦に反対した。材料は十分そろっている。


「それはない」

ジョセフは言下にその可能性を否定した。

「オルレアン家の行動基準は、まず第1に国境を守ること。今、父上を殺したら「主君殺し」と、トリステインに干渉する材料をみすみす与えるようなものだ。そんなことをするほど、ガストン卿は迂闊かい?」

シャルルは、兄の話についてこようと、必死に食らいついていた。そんな王子の様子に頼もしいものを感じながら、ベル=イル公爵は話を進める。


「・・・グラナダ王国は何故動かないとおっしゃるのです?あの山賊どもにとって、今のわが国は格好の獲物なのでは」
「山賊か。言いえて妙だな」

ジョセフは笑うと奇妙な愛嬌がある。だが、その笑顔を知るものは少ない。自らを「無能」とあざける貴族たちの前で屈託なく笑うことができるほど、彼は大人になりきれていなかった。


ガリア王国南東部に突き出た「赤ん坊の足」ことイベリア半島。この半島は南北にピレネー山脈が貫き、平地がほとんど存在しない。この半島を治めるグラナダ王国は、山を切り開き、数少ない盆地や扇状地を開拓して地道に国を豊かにする・・・なんてことは、上は国王から、下は平民にいたるまで、誰も考えていなかった。


先代のグラナダ国王フェルデイナンド7世曰く

「平地がないなら、ガリアから奪い取ればいいじゃない」


どこかで聞いたような台詞だが、それはともかく、この言葉が「グラナダ人」の気質を、よく表していた。反抗するために反抗するノルマンディー人とは違い、グラナダ人は「確信犯」なのだ。

必要なものだけ奪い取って、あとはピレネーのはげ山に立てこもる。富を使い果たすと、またガリア南部に攻め込むということを、この国は繰り返して来た。当然ガリアも警戒はしているのだが、サルのようにすばしっこいグラナダ軍に、ガリア軍は対応しきれず、いつも苦渋をなめさせられた。本拠地を叩こうと半島に攻め込んでも、山間の急峻な地では、ガリアの大軍の利点はまったく生かせないどころか、むしろ足手まといとなる。ガリア軍は地団太を踏んで帰るしかなかった。

こんなふざけた国が隣にあることを「太陽王」が認めるはずがなく「はげ山をグラナダ人の血で染めろ」という号令の下、3度のイベリア遠征が行われる。足掛け10年の年月と、6万の大軍、そして両軍の将兵に膨大な犠牲を強いて、この国を屈服させたという経緯がある。



「山賊には山賊の流儀がある」とジョセフは言う。ふとベル=イル公爵の目に、王太子の机に積み上げられた書籍のタイトルが飛び込んできた。『イベリア半島史』『グラナダ王国の支配構造』・・・優に20冊は積み上げたグラナダ関連の書籍。そのすべてに付箋が挟んであった。

「山賊は通行人から銭を巻き上げる。だけど通行人すべてから銭を巻き上げては、その道は誰も通らなくなる・・・『仕事』として成り立たなくなっては、意味が無い。適当に金のありそうなものだけを狙わなければね」

「馬鹿は山賊を『職業』としては続けることが出来ない」と言うジョセフの顔を、ベル=イルはじっと見据えた。

「短い期間ならそれでいいが、グラナダはそれを数千年以上も続けてきたんだからな。その見極めが出来なければ、とうの昔にあのはげ山の中で餓死しているさ」
「・・・今回は、独立を宣言することで、満足というわけですか」

軽くうなずいて、ジョセフは続ける。

「もちろん警戒は必要だ。隙を見せれば、いつでも攻め込んでくるに違いない。しかし、彼らもお爺様に痛めつけられて、ガリアの『本気』を思い知ったはず。それに『勝ち目の無い』勢力に雇われる傭兵がいないように、義侠心のある山賊はいないよ」


淡々とした表情で話す兄の口から語られる内容に、顔を青くするシャルル。対照的に、ベル=イル公爵は、あごに手をやりながら、かすかな唸り声を上げた。すでに彼の中で、王太子の「無能」という評価はなく、代わりに「畏怖」の感情が、その心中を支配していた。


ジョセフは再び将棋盤から視線を上げる。その顔には、叔父への憐憫の感情さえ浮かんでいた。


「どう考えても、叔父上に勝ち目は無い。オルレアン大公が父上を殺してトリステインを引き入れたというなら話は別だが・・・これで、公爵の疑問に答えたことになるかい?」

「・・・もうひとつお聞かせください」


その回答は予想外だったのか、ジョセフが面白そうな顔でオギューストを見つめ返す。


「何故ご自分で動かれないのです?そこまでわかっていながら、何故ご自分で宰相閣下や軍に働きかけないのです?」

王太子という立場にありながら、何故このような、自分を通じた回りくどいことをするのか


一瞬、ジョセフの顔から、浮かべていた微笑が消える。だが、すぐに笑みを浮かべて、その質問に答えた。




「僕の言うことを、誰が聞くというんだい?コモン・マジックすら使えない『無能』の言うことを」




その言葉に衝撃を受けたベル=イル公爵は、今度こそ、何も言うことが出来なかった。立ち上がると、王太子に深々と一礼しながら「失礼します」と言い、部屋から出て行く。

公爵の背中を、自嘲の笑みを浮かべながら見つめる兄にかける言葉を、シャルルは持っていない。



「シャルル、一局付き合え」
「うん、兄さん」



苦いものを感じながら、シャルルは将棋盤(チェス・ボード)を挟んで、兄と向かい合った。



[17077] 第33話「加齢なる侯爵と伯爵」
Name: ペーパーマウンテン◆e244320e ID:b679932f
Date: 2010/05/21 21:04
ラグドリアン湖畔を出発して、グリフォン街道を馬車で北上することおよそ2日。王都トリスタニアから20リーグに、荒涼とした平原が広がっている。街道に沿って3リーグばかり続くその平原には、街道沿いにあってしかるべきの宿場町どころか、羊小屋すら存在しない。

かつてそこに人の営みがあったことを、かろうじて証明しているのは、ぽつぽつと草の中から顔を出している、朽ち果てた柱のみ。夜になると、狼の遠吠えが響くという荒地で野宿するのを避けるため、旅人や隊商は足早に次の宿場町へと急ぐという。


(・・・ひどいものだな)


馬車の中からその荒れ果てた光景を見ていたヘンリーは「まるで墓場だな」と呟いた。同乗する駐トリステイン大使のチャールズ・タウンゼントも、重々しく頷く。



セダン-それがこの荒涼とした平原と、この地にあった町の名前だった。


西フランク王国とトリステインの最前線であったこの地に築かれたセダン要塞は、ブリミル暦1000年代の様式を残す、数少ない古式城郭である。王都から近いという地理的要件もあって、観光客を相手とした宿場町で賑っていた―――2年前までは。



「セダン会戦」



「ラグドリアン戦争」の行く末を決めたとされる、ブリミル暦6000年代に入ってからは最大級の会戦。セダン要塞の攻城戦の準備を始めたガリア2万の大軍に、「英雄王」フィリップ3世率いる8千の軍勢が奇襲を掛け、ガリアを一時退却に追い込んだ。


双方合わせて、6000近い戦傷者を出したこの戦いにより、セダンは廃墟と化した。


そして町には-「死」が残った。会戦後、セダン要塞に籠もったトリステイン軍を、態勢を立て直したガリア軍が包囲。ロペスピエール3世の死まで3ヶ月間の篭城戦が続いたが、その間も休むことなく、遺体の処理が行われていた。

従軍司祭だけでなく、近隣の教会や修道院から集められた聖職者が、祈りの言葉も早々に、遺体の腐敗を防ぐため「固定化」の呪文を掛けて廻った。それでも手が足らず、両軍の水メイジまで借り出したほどに。故郷のあるものは、無言の帰還を果たし、帰る場所のないものは、そのまま埋葬された。


戦後、廃墟と化したこの町に、復興の鎚の音が響くことはなかった。セダンの平原にしみ込んだ血の穢れを忌み嫌い、多くの住人がこの地を捨てたのだ。


「停めてくれないか」
「は、しかし・・・」
「頼む、公爵」


警護責任者の魔法衛士隊長は、未だ20の半ばだと聞くが、年齢に似合わぬ落ち着きを感じさせた。さすがにトリステインの精鋭が集まるという魔法衛士隊の隊長を任されるだけのことはある。ヘンリーの唐突な申し入れにも、戸惑いを見せず、モノクルのチェーンをいじりながらしばらく考えたあと、右手を挙げ「止まれ」という命令を出す。

急な命令にもかかわらず、混乱もなく行軍を停止したその動きに、タウンゼント大使が感嘆の声を上げるが、魔法衛士隊の錬度の高さを知るヘンリーはこれといった関心を見せない。町娘に扮した王女様の警護に比べれば、楽なものだろう。


そのトリステインの精鋭部隊の視線や関心が、警護対象の乗った馬車に集まる。予定にない行軍停止が、誰の意思によるものかは明らかだ。(では何のために?)まさか、セダン要塞を観光したいというわけでもないだろう。


警護対象者-アルビオン王弟カンバーランド公爵ヘンリー王子は、馬車から降りながら「すまない」と礼を言う。警護対象者からの感謝の言葉に、少し驚きを見せた公爵だが、すぐに「仕事ですから」と答えた。


しかし、その時すでにヘンリーの関心は彼には無く、セダンの荒野にあった。



荒れ果てたセダンの平原とセダン要塞-2年前、自国が存亡の危機に陥ったことを、トリステイン人は貴族も平民も、意図的に忘れようとしていた。だが、この地に立つと、その事実に向き合わざるを得ない。

かつてはここに人の営みがあった。そして今、廃墟と化したこの地の下には、帰る場所のない、名も無き兵士達が眠っている。焼け焦げた黒い柱が、まるで墓標のようだ。



その柱の一本に手をやりながら、ヘンリーは思った。


彼らがどんな気持で死んでいったか、死の瞬間に何を考えたか-自分にはわからない。想像することは出来る。国のため、家の名誉のため、故郷のため、友人家族恋人のため・・・しかし、それらはすべてヘンリーの独りよがりな考えに過ぎない。一度死んだ身とはいえ、それは寝ている間の話。「死んだ」という実感が無いのだ。今でも、この世界にいる「自分」は、覚めない夢の中にいるのではないかという気持ちにさせられることがある。

そんなあやふやな自分が、他者の「死」について考えることなど-死者への冒涜でしかない。




知らず知らずのうちに、『前世』の癖が出た。



トリステインの将兵は、警護対象の見慣れないその仕草-両の手を、胸の前で合わせるというそれに、首をかしげたが、それが「祈り」の仕草だと気付くのに、時間はかからなかった。



トリステイン魔法衛士隊隊長のラ・ヴァリエール公爵は、その後姿を、微動だにせず見据えていた。


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ハルケギニア~俺と嫁と時々息子~(加齢なる侯爵と伯爵)

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「政治パフォーマンスとしては満点ですな」



エスターシュ大公ジャン・ルネ6世の露骨な言葉に、ヘンリーは不快感をあらわにした。


同盟国の王子が、トリステインの存亡を掛けた戦場で、戦死者の鎮魂を祈った-それがトリステインでどう受け止められるか。それがわからないほど、ヘンリーは馬鹿ではない。実際、王政府-エスターシュからのリークで、新聞が「追悼」を報じたことにより、これを知ったトリスタニアの平民達は、ヘンリーをこぞって賞賛した。


曰く「白の国の王子は、民の痛みがわかる」「貴族だけではなく、平民の兵士も含めて祈られたそうだ」「かの王子こそが、真の王子だ」「神官どもの見せ掛けだけの祈りの言葉なんぞクソ食らえ」etc・・・


国と国との同盟とは、王家の婚姻や、国の都合だけで成立するものではなく、互いの国民の支持があってこそ、初めて効果的に機能する。ヘンリーの追悼を、新聞を通じて宣伝することは、トリステイン国民全体を「親アルビオン」へと向けさせるためには、格好の材料だった。

同盟関係の基盤強化は、確かに必要なことだ。しかしヘンリーは、自分が誉めそやかされることに後ろめたいものを感じ、エスターシュの行為を「政治家」として理解した自分自身に、生理的な嫌悪感を覚えていた。

セダンの荒野に降り立ったヘンリーに、政治パフォーマンスの考えがなかったかといえば嘘になる。だがそれでも、あの時衝動的に行った「祈り」は、ヘンリー個人として、あくまでも鎮魂のために行った行為であった。


(・・・くそったれ)


それは、エスターシュへの怒りではない。いつの間にか「人の死」に疑問を感じなくなっている、そしてそれを平然と利用しようとしていた自分自身への怒りであった。


キャサリンとアンドリューの為と言いながら、俺は一体何をやっているんだ?


「偽善でもいいではありませんか。追悼の行為事態は、何も責められるようなものではありません」
「・・・ここは『リークして申し訳ありません』という言葉が先にあってしかるべきだと思うのだが」
「謝ってほしいのですか?」

薄く笑みを浮かべながら言うエスターシュに、ヘンリーは首を横に振る。


「いや・・・つくづく自分が子供だと思ってね」


まったく、王族になんぞ生まれるものではない。一応はトリステインの王位継承権を有するエスターシュ大公は、肩をすくめる。

「子供は自らの未熟さに気がついた瞬間、大人になるといいます」

「それに気がつかないまま、図体だけは大きくなる者もいますが」と続けるエスターシュは、黒い僧服も相まって、神学校の教師に見えなくもない。


「慰めているのか?」

「褒めているのですよ」


そう言って、トリステイン王国の『現』宰相は笑った。


***


「嫌なやつでしょう」


トリステイン王国外務卿アルチュール・ド・リッシュモン伯爵の言葉に、危うくうなずきかけたが、慌てて首と手を振って否定するヘンリー。その様子をニヤニヤしながら見るリッシュモン。まったく、油断もすきもあったものではない。



講和条約に調印が行われたまさにその日、ガリアで内乱が勃発したという知らせを受けて、ラグドリアン湖畔にいた各国使節団は、蜘蛛の子を散らすように本国へと帰っていった。

ロンディニウムに帰るべきはずのヘンリーが、わざわざトリスタニアを訪れたのは、セダンの戦没者追悼でも、水の国の観光でも、ましてやトリステインのワインを買いあさりに来たわけでもない(最後の点に関してはすでに手配済みだ。抜かりはない)。


トリステインが国境を接しているのは、南のガリアだけではない。北東の北部都市同盟とハノーヴァー王国、東のゲルマニア王国、南東のヴェルデンベルグ王国と、5つの国家と都市同盟と国境を接している。

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(ハルケギニア大陸北西の地図-6214年)

         北
        部
       都
      市
     同               ザクセン
    盟
          ハノーヴァー   
 
 トリステイン
           ゲルマニア

 クルデンホルフ  ヴェルデンベルグ
      
       
ガリア

****************************

2年前のラグドリアン戦争を境に、トリステインを取り巻く環境は一変した。大陸一の陸軍国家が、本気で水の国に侵攻したと考えた周辺諸国は、手のひらを返してトリステインから距離を置き始めた。

ヴェルデンベルグ王国は、元々トリステインと国境線を巡る対立関係があったこともあり、厳正中立を宣言。圧倒的なトリステイン不利の状況下での中立は、ガリアに味方するということに等しい。

ヴェルデンブルグの対応は予想されたことであったが、トリスタニアに衝撃を与えたのが、2000年にも及ぶ同盟関係にあったハノーヴァー王国の「裏切り」である。ウィルヘルム首相以下の王政府は、トリステインの悲鳴の様な援軍要請を黙殺。それどころか、国境の閉鎖して、物資の流れを断った。

この判断には国政の実権を握るハノーヴァー王国議会に絶大な影響力を持つ北部都市同盟の意向が影響したという噂も流れた。それが事実とあれば、北部都市同盟も水の国を見限ったということである。


まさに「四方八方敵ばかり」。そんな状況下でも、トリステインは国内での持久戦に持ち込み、ロペスピエール3世の死により、なんとか停戦にこぎつけた。


ほっとしたのもつかの間、その1ヵ月後には「ゲルマニア王国」の建国宣言である。踏んだりけったりとはこの事だ。


ハノーヴァーの裏切りに憤慨し、ゲルマニアの足元を見るような言動に激昂しながらも、フィリップ3世は、エスターシュ大公をスケープゴートに仕立てて、ガリアとの講和にとりくんだ。いくら「英雄王」といえども、周囲を全て敵に回して勝てるはずがない。



「ラグドリアン講和会議」でようやく講和に持ち込んだガリアが内乱に突入した今、トリステインはどうするのか-ヘンリーはそれを確認に来たのだ。




「断じて、ワインのためではないのだよ」
「・・・は?」

首をかしげるトリステイン内務卿のエギヨン侯爵シャルル・モーリスに「独り言だ」と真顔で答えるヘンリー。嘘はついていないが、全てを語っていないのも確かだ。マリアンヌ王女主催の夕食会で、再びトリステイン料理に舌鼓を打った後、本来ならばワインの飲み比べでもしたいところを我慢して、リッシュモン外務卿の招きに応じた。

そして今、へンリーは王宮内の宰相執務室の豪華なソファーに腰掛けている。仕事がなければ、断固として断ったはずだ。そうでなければ、なんでこんな加齢臭薫るオヤジどもと・・・


「で、どうするんです?」

いきなり本題に切り込んでくるアルビオンの王弟に「相変わらず、ぶしつけですな」と苦笑するリッシュモン。「回りくどいことは嫌いでね」という王子に、シガーケースを勧める。前世からの愛煙家であるヘンリーは、ありがたく受け取った。

「殿下、火を」
「ありがとう」

軽く杖を振り、ヘンリーの加えた煙草の先端に火をつけるリシュモン。神聖な魔法で、教会が口すっぱく禁煙令を出している煙草に火をつけるなど、口うるさい神官に見つかったら、数時間は説教を受けることが確実な光景だが、そんなことを気にする2人ではない。


「神官で思い出したが、エルコール・コンサルヴィ枢機卿の訪問が取りやめになったとか」
「ええ、ノルマンディー地方は枢機卿の管轄区ですから。今はリュテイスで釈明の為にてんてこ舞いだそうで」


ラグドリアン講和会議で、ハノーヴァー王国外務大臣のハッランド侯爵が、エルコール・コンサルヴィ枢機卿を通じて、トリステインへの接触を試みているという情報は、ヘンリーも得ていた。というより、それをけしかけた当事者である。

空中国家のアルビオンにとって、大陸の同盟国であるトリステインが不安定では困る。ヘンリーは、兄のジェームズ1世とも相談の上で、シェルバーン財務卿を通じて、ハッランド侯爵に枢機卿を紹介した。エルコール・コンサルヴィ枢機卿は、現教皇ヨハネス19世の右腕とされる人物で、その交渉能力の高さは、外交上手とされるロマリア宗教庁の中でも、群を抜くものがある。彼ならば、ハノーヴァーとトリステインの仲介をうまくやってくれるだろうと。


ところが、当のエルコール・コンサルヴィ枢機卿自身が、ガリアの内乱の影響をもろに受けてしまった。

司教枢機卿のエルコールは、ガリアで8つの教区を管轄しているが、反乱軍が本拠地とするノルマンディー地方は、そのうち3つの教区が含まれており、特にルーアンは、かつて大司教座がおかれていた、ガリア北西部の教会機構の中心地である。

そのうえ反乱の首謀者とされるノルマンディー大公ルイ・フィリップ7世と、エルコール自身が、公私にわたる親交があったことはリュテイスではよく知られていた。戦後「反乱を幇助した」として、修道院や教会領が没収される危険性は十分にあった。


自分の家に火がついているのに、人の家の喧嘩の仲裁をしている場合ではない。エルコールは、あわててリュテイスに入り、自身と教会の潔白を主張しながら、何とか大公を説得しようと奔走しているという。自身の基盤が危ういとあっては、力の入りようも違うだろう。



枢機卿がしばらく動けないとあっては、仕方が無い。ここは自分の腕の見せ所・・・と勇むところであるが、ヘンリーのモチベーションは上がらない。


「いつまで焦らすのですか?」


表向き、トリステインは『ハノーヴァーとの関係を修復するつもりは無い』という態度を示していた。だが、それを声高に叫んでいるのが、エスターシュだの、リッシュモンだのという、言っている言葉と、腹の中が全く違う人種とあれば、額面どおり受け取るわけにはいかない。

リッシュモンは、その見事な白髪に手をやりながら「さて何のことでしょうか」とトボけてみせる。ヘンリーはこめかみに青筋を浮かべたが、それではいかんと、自身を落ち着かせるために、深く煙を吸い







げほげほがはははっげは!







むせた


***


ハノーヴァー王国が、長年トリステインとの同盟関係を結んできたのは、東の強国ザクセンに対抗するためである。オルデンブルグ家を盟主とする同君連合の色合いが濃いハノーヴァーは、王権が弱い。したがって軍は、文字通り諸侯軍の寄せ集めであり「ハノーヴァーは弱兵」と呼ばれる原因となっていた。勇猛果敢なザクセン兵と対抗し、諸侯の離反を防ぐために、ハノーヴァーはトリステインの軍事力を頼るという選択肢を選んだ。

そのトリステインが滅亡の危機に至ると、ハノーヴァーはガリアに乗り換えた。「余りにも無節操だ」との批判を受けたが、水の国と心中するつもりは無いブレーメンは、トリステイン滅亡後の「ガリアと連携し、ザクセンに対抗する」という青写真まで書いていた。

それは文字通り「取らぬ狸の皮算用」となったわけだが、苦しい状況の中、国の生き残りのために「恩知らず」と罵られようとも、長年の同盟国トリステインの切捨てという決断を下したウィルヘルム首相以下の判断は、責められるべきものではない。


トリステインに、独力でガリアの干渉を撥ね退けるだけの「力」がないことが悪いのだ。

外務卿として、始祖の血を受け継ぐ祖国が-いまやハルケギニアに幾つもある国家のひとつでしかないということをリッシュモンは認識していたつもりであった。だが、ラグドリアン戦争は、そんな自分の認識がまだ甘いものであったということを、明確に突きつけた。


(ガリアがその気になれば、トリステインなど吹けば飛ぶような存在でしかない)


「力なきは罪」なのだ。その点、自身に「力」が無いことを認識していたという一点に限れば、ハノーヴァーはトリステインより優れていたのかもしれない。




ならば自分は、それに学ぼう。『生き残るためには何でもやる』という姿勢を。何物にも変えがたい「自由と独立」を守るために。



~~~


「二度と逆らえないようにすること、これが我が国の望みです」

『ハノーヴァーを属国化する』というに等しい同盟国の外交責任者の言葉に、ヘンリーは息を呑んだ。同席するエギヨン侯爵―次期王国宰相の表情にも、驚いた様子は見られないので、これがトリステイン首脳部の「総意」であると受け取っていい。

「また、思い切った決断をしましたね」
「そう突飛な発想ではありますまい。ハノーヴァーも、何の見返りもなしに同盟関係が継続するとは考えてはいないでしょう」

淡々と返すリッシュモンに、ヘンリーは煙草をふかしながら尋ねる。

「それで、担保は何ですか?私には領土の割譲か、人質ぐらいしか思い当たりませんが」

同盟とは、互いが互いを助け合い、補完しあってこそ成り立つ。リッシュモンが言うように、一度「裏切った」ハノーヴァーとしては「誠意」を見せないことには、トリステイン国内も収まらない。それを説き伏せるためには、ラグドリアン戦争の時のようにハノーヴァーが日和見を決め込まないと納得させるにたる「担保」が必要である。「信用」はすでに使えない。ではその代わりになるものは何か?


リッシュモンは一言だけ答えた。


「何も」

「何も?」ヘンリーは思わず尋ね返した。

「人質も、領土も求めないということです」
「・・・何を考えている?」

真意のわからない言葉ほど、気持ちの悪いものはない。今更ハノーヴァーの『善意』を根拠にしているわけではないだろう。では一体何を「担保」にするというのだ?どうやってトリステインの国内を同盟意地でまとめるというのだ?言い様のない、薄気味悪い予感が、じわじわとヘンリーを襲う。


そしてリッシュモンの返答は、ヘンリーの予感の正しさを証明していた。




「ザクセンと手を組めば、ブレーメンは5日と持ちません」

「・・・・・・・なッ」




ヘンリーは行きあったりばったりのちゃらんぽらんな性格に見えるが、実は事前にしっかりと準備しておくタイプである。それは性格が緻密で繊細・・・というわけでもない。準備がないと不安で仕方が無い小心者だからだ。そんな性格であるため、ヘンリーは毎日ありとあらゆる事態を想定し、一人で熟考する。

小心者であるだけに、どんな些細な可能性でも見逃さない。困難な事案であろうとも、事前に準備しておけばどうにでもなる。パターンに応じて、事前に何十何百と想定しておいた台本通りに進めればいいだけの話。それに相手より心理的に優位に立てる。


当然ながら、このやり方では、事前の自分の想定を超えた事態-突発的な事件や、事前の想定を超えた問答には弱い。



そして今、ヘンリーはまさに「事前の想定を超えた」回答を理解することが出来なかった。そしてその言葉の真意を察した途端、煙草を持った右手を襲った震えを、しばらく止めることも出来なかった。



ザクセン王国―エルベ川を挟んで、ハノーヴァーと国境を接する。旧東フランクの盟主を持って自認する、誰もが認めざるを得ない強国。その軍の強さは「ザクセンの平民銃兵で、ガリアのドットメイジに匹敵する」という、ハルケギニアの常識では考えられないほどの評価を得ていた。ハノーヴァーの「仇敵」であるこの国は、その同盟国であるトリステインの東方進出にも立ちふさがり、水の国とは何度も杖を交えてきた。お世辞にも関係が良好とはいえない。

そのザクセンとトリステインが組む-ハノーヴァーにとっては、まさに悪夢の様な事態だろう。西のトリステイン、東のザクセンに攻められれば、「ブレーメン(ハノーヴァーの王都)は5日と持たない」というリッシュモンの言葉は、けして大げさなものではない。むしろ3日もつかどうかだ。


ようやくの思いで震えを止めたヘンリーは、強張った顔に、何とか苦笑を浮かべて、皮肉を口にする。

「・・・ずいぶんと、えげつない事をしますね」

ヘンリーは、ハノーヴァーの駐アルビオン大使に同情した。ようやくのことで接触できたトリステインの外務卿の口からこれを聞かされたとき、彼は自分のようにハッタリすらかますことが出来るかどうか。ショックの余り気絶するのではないか?

そしてブレーメンは、自らが払った代償の大きさに、恐れおののくだろう。


「確かに、二度と逆らおうという気にはならないでしょうね」

ヘンリーの皮肉に、リッシュモンはにこりともせず答える。

「褒め言葉として受け取っておきましょう」

これでトリステインに逆らおうという事になるのであれば、ハノーヴァーもたいしたものだが、そんな気概があるはずがない。ウィルヘルム前首相以下の決断は、確かに見事であったが、それは所詮「ガリア」頼みであるとも言える。


自分の国の運命を、一部でも他者にゆだねた時点で、ハノーヴァーは「外交の独自性」を失っていたのだ。



「独立を維持する為には何でもする」というリッシュモンと、彼の背後にあるトリステインの執念に気圧されて、しばらく沈黙していたヘンリーだが、何かに気付いたのか、ふと顔を上げた。


「では何故存続させるのです?」
「・・・殿下、貴方は」

リッシュモンは正真正銘呆れた。先ほどまでは自分達の判断を「人ではない」とでも言うかのように非難しておきながら「それならハノーヴァーをさっさとザクセンと山分けしてしまえ」と言うヘンリーがわからない。一体、どういう神経をしているのだ?


「大義名分は何とでもなるでしょう。『盟邦を見捨てた裏切り者を討つ』と言えば、誰も文句はつけにくい」

(・・・こいつは)


馬鹿なのか、それとも大馬鹿なのか、もしくはアホなのか?


(アホが一番しっくり来るな)と、とんでもないことを考えているリッシュモンに代わり、エギヨン侯爵が答える。この老侯爵は、ガリアとの講和を望む英雄王の意を受けて行動し、国内の不満を一身に背負ったエスターシュ大公の後任として、宰相に就任することが、内々ではあるが決まっていた。


「二つ理由があります。まず王家であるオルデンブルグ家」

ハノーヴァー王国を治めるオルデンブルグ家は、旧東フランクの侯爵家時代から、婚姻政策や養子縁組で勢力を拡大してきた。王国崩壊時(2998)には、旧東フランクは数百もの諸侯に分裂したが、その殆どに相続権を有していた。ブリミル暦3200年代にはザクセンと旧東フランクを二分するまでに成長したのも、それが理由である。

そしてその縁戚関係の広さは、今に至るまで続いている。「オルデンブルグ家と縁戚関係にない貴族はもぐりだ」というジョークが流行るほどだ。

元々外交とは、王と王、王家と王家、貴族と貴族という、個人的な友人関係や縁戚関係を頼ったものであった。今でこそリッシュモンの様な「職業外交官」が認知されるようになったが、程度の差こそあれ、王制国家が主流のハルケギニアに、その傾向があることは否めない。綺羅星のごとき系図をほこるオルデンブルグ家を取り込んでおくことは、それだけで価値があるのだ。


「それに、力で押しつぶすことが出来ても、どこから領有権が主張されるか解ったものではありませんからね」

オルデンブルグ家が領有権を持つということは、逆も成り立つ。一種のパンドラの箱を開けた状態となり、旧ハノーヴァーを巡る争いが勃発する可能性もありえる。



「そして第二に、我が国は占領コストに耐えられません」


戦争に勝った!領土を広げた!めでたし、めでたし・・・とはならない。

占領地の治安維持を行い、新しい領主が決まるまでの行政機構を代理し、税率や法律はハノーヴァー時代のものを維持するのか、トリステイン式に切り替えるのか、領土の配分はどうするのか、ザクセンとの国境はどうやって策定するのか・・・そしてそのどれか一つでも失敗すると、全てがパーだ。


「領土を広げて、国がつぶれたでは本末転倒です」


エギヨン侯爵の言葉に、ため息を付くヘンリー

「上手くいかないものですね」
「最初から成功が約束された物事などありません。我々が意思を持って行動すれば、結果は我々が望むようになるのです」


そう言いきったリッシュモンに、ヘンリーは視線を合わせた。元気な爺さんだよ、本当。もう一度ため息をつきたい気持ちをこらえ、もう一つの案件-ゲルマニアについての話題を切り出す。




「アルビオンはヴィンドボナの領事館を再開いたします」




爺×2とヘンリーの夜は、まだ続く・・・


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