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[13654] 【ゼロ魔】レイナール一夜城【転生もの?】
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/03/10 14:59
皆様の優れた作品に感銘を受け、自らもひそみに倣おうと書いてみました。

この作品には最新刊を含む既刊の「ゼロの使い魔」「タバサの冒険」「烈風の騎士姫」のネタバレが含まれる場合があります。
なお、題名は急に降りてきた言霊に従って作られたもので、本編の内容とは異なる場合があります。
また、私の独自解釈などが内容に含まれる場合がございます。
以上、予めご了承ください。

更新履歴
2009/11/20 チラ裏版に移動

2009/11/23 構成を「第一章→第一話」「第N話→シーンN」に変更

2009/12/01 前書きを一部変更
       同時に感想掲示板での助言に従い、記述内容を一部変更

2009/12/03 誤記訂正
2009/12/04 記述訂正

2009/12/24 ゼロ魔板に移動

2010/03/10 前書きを一部変更



[13654] どんなものにもつなげられそうなプロローグ
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/11/20 10:59
気がついたら、僕は言葉もわからぬ土地で赤ん坊になっていた。

とまあ結果だけいえば一行で済む話だが、この事実に気付くまでには数時間かかった。
そして、その事実を認められるようになったのが今さっきだ。
その間に色々あったが、僕の名誉もあるので省略させていただく。
赤ん坊だから仕方ないのかもしれないが、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

そんなこんなで、現在僕は四方を柵で囲まれたベッドの上に寝かしつけられている。
やることもないし、とりあえず現状の整理でもしてみよう。

Q1:まず、なぜこんなことになったか?
わかるわけがない。
せいぜい「夢の可能性が一番高いが、そう思い込んで好き勝手行動するのは危険」くらいしか言えない。
とりあえずパス。

Q2:こうなる直前まで何をしていたか?
いつものように仕事をしていた。そしたら第九工場で火災が起きたとかいう非常警報が鳴って――覚えてるのはそこまでだ。
第九工場は大量の水素ガスを使う。火災で水素の貯蔵タンクに引火したとしたら工場どころかご近所まとめて吹き飛んでもおかしくない。
その事故に巻き込まれて僕は死に、この赤ん坊に生まれ変わりでもしたのだろうか?
……面白い仮説だがこれ以上考えても憶測の域を出ないな。

Q3:ここはどんなところか?
周りを見たところ西洋風の建物のようだ。周りの大人たちも西洋人っぽい。
服装や調度品は前時代的だが、全体的に上品なつくりをしている。
電化製品どころか機械的な物品が見えないのもあって、近世あたりのヨーロッパにでもタイムスリップした気分だ。
周りの大人の誰が僕の親なのか(そもそも親がいるのか)はよくわからないが、今までの様子から見るに幼児虐待だのといったことはなさそうだ。
むしろ相当大事に扱われているらしい。
一応英語はそこそこ、仏語独語露語は「聞いたらその言語だとわかる」程度には知っているが、彼らの話す言語はそのどれとも違う。
東欧、ルーマニアかどこかの地主階級あたりだろうか?

Q4:これからどうするべきか?
とにかく、周りの大人の言葉がさっぱりわからないのが一番の問題だ。言語の習得は最優先で行うべきだろう。
平行して、ここがどこでどんな場所なのかも知っておいたほうがいいだろう。
こんな突拍子もない事態なんだ。東欧の片田舎とかじゃなく、もっと突拍子もない場所に飛ばされてる可能性も大いにありうる。
そのへんの調査が終わるまで、特に何かするのは控えたほうがよさそうだな。

さて、そうと決まれば……とりあえず泣いて人を呼ぶか。



[13654] 第一話:「一夜城は一日にして成らず」シーン1
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/11/23 14:47
なんとか言語を習得し、状況を把握するため周囲にいろんなことを質問していたらいつのまにやら3年が経った。

とりあえず、僕が置かれている状況はわかっているだけでこんなものだ。


★ここは地球ではなくハルケギニア、つまりあの「ゼロの使い魔」の舞台である世界らしい
 ゼロの使い魔についてはあらすじとwikipediaに書いてたことくらいしか覚えてないが、魔法の存在とそのシステム、貴族と平民の制度、聞く限りでは地名や位置関係などの地理もほぼ記憶どおりだ。
少なくとも「ゼロの使い魔に非常に似た世界」であると言っていいだろう。
年代的にはまだよくわからないが、6~7年ほど前近くの漁村が疫病で全滅したとかいう話を聞いた。
これが「タングテールの虐殺」ってやつなら、大体原作から12~3年前といったところだろうか?
この仮説に基づけば、大体僕が16~7になるあたりで原作のストーリー開始ということになる。
……あまりにも情報量が少ないな。これ以上は考えても仕方ないか。

★ぼくはトリステインのド・ヴュールヌ伯の嫡男、レイナール・ド・ヴュールヌというらしい
 確か原作でルイズの同級生か何かに「レイナール」という人間がいた気がするが、それと同一人物なのだろうか?
年齢的にはほぼぴったりだが……彼の背景はおろかフルネームすら知らんし、レイナールという名前もどうやらそこまで珍しくはないらしい。
まあ「そうかもしれない。そうでないかもしれない。そしてどっちでもいい」な。
 そんなことより僕の立場だ。
両親はともにメイジ。父は土のラインで、母は火のラインらしい。血統的には僕もメイジである可能性が高いだろう。
まあそれは喜ばしい話だ。せっかくのファンタジー世界だというのに魔法が使えないと悲しいからな。
しかし、伯爵家の嫡男というのは問題だ。
僕に今のところ兄弟はいない。弟妹はともかく兄姉が後から増える可能性は極めて低い。
つまりそのうち僕は「あの」トリステインの伯爵になることが内定していることになる……正直勘弁してほしい。

★宗主国であるトリステインは原作どおり衰退しているらしい
 両親や従者の愚痴を盗み聞きしてみたが、どうやらこのトリステインは原作と同じくかなり衰退しているようだ。
原作でもあったような気がするが、王都では没落してスリにまで身を落とすメイジが現れてるとか。
衰退の原因はみんな「鳥の骨の専横のせいだ」で結論付けてしまっているせいで詳しくはわからないが、かなり詰んでいることだけは間違いない。
というか何をどうやったら「懐に隠している財布を持ち主に気付かれないようにレビテーション」なんて器用な真似ができるメイジを失業に追い込むことができるんだろうか。
僕に権限と家に余裕があるなら食客として召抱えたいくらいだぞ。
残念ながら今のところどっちもないけど。

★ド・ヴュールヌに資金力はない
 ド・ヴュールヌ領は沿岸部にある土地だ。領内には漁村が一つと農村が一つ。あとはだだっ広い平原が手付かずで広がっている。
ラグドリアン湖が水源と噂される小川が領土の真ん中を流れており、これが貴賎問わず住民共通の水源となっている。
鉱産資源はもちろん、森林資源にも期待できないという残念な土地だ。
それどころか水すらも一本の小川に完全に依存しており、下手に開墾して農地を広げると水不足で飢饉が起こりかねない。
ご先祖様がそこまで考えたのかは知らないが、とにかくあらゆる産業が未発達だ。
そんなわけで、ド・ヴュールヌ領はろくな収益が上げられない。
幸いにして要求される出費を賄う程度なら何とかなるが、それ以上のことをする経済力はないといっていいだろう。
まあ「今まで何とかやってこれた」からこそ、特に発展もせず現状維持に甘んじ続けたのかもしれないが。
が、そうも言ってられない。僕にはこの環境をどうしても変えなければならない理由があるのだ。

★【重要】ここの生活は快適とは程遠い
 その理由がこれだ。
現代日本の安全で快適な生活に慣れてしまった僕にとってここでの生活ははっきり言って我慢がならない。
電話もねぇテレビもねぇネットもねぇガスもねぇコンビニもねぇ、というかちょっと前まで当たり前のようにあった何もかもがない。
そしてこれが最も重要だが「まともな水がない」。
さっきも言ったことだがド・ヴュールヌ領の水源は上流から流れてくる小川一本である。
で、当然のことだが小川の上流にも人が住んでおり、小川の水は生活廃水で汚染されている事が容易に推察できる。見た目はきれいだが、どんな雑菌や汚物が混入してるかわかったものではない。
さらに、沿岸部にあるせいか井戸を掘っても塩水が出てくるばかりで飲用どころか洗濯にすら適さないらしい。
「だったら魔法で浄水させればいいじゃない」と思ったが、我が家にそんなことができる部下はいない。
下手に小川の見た目がきれいなせいで、それをさらに浄水しようは思わなかったのだろう。
そもそも、当家には僕が満足できるだけの水を浄化できるメイジを雇う余裕がない。
つまりどういうことかというと――僕は安全な水を飲むことすらできないのだ!

ふざけんな! ナメてんのか! アフリカあたりの紛争地域じゃあるまいし貴族ですら安全な水が飲めないなんてそんな馬鹿な話があるか!

今までは赤ん坊の不便さに慣れるのに精一杯だったから特に気にならなかったが、このままではそのうちストレスで病気になるか、アメーバ赤痢あたりにかかってひっそりと幕を閉じることになる。
少しずつでも、せめて僕だけでもいいから、かつて現代日本で享受していた「安全で快適な生活」を取り戻さなければならない。


では、具体的にどうするかだ。
現時点で僕が持っている強みは「伯爵家の血統」「メイジの魔法」「現代社会の知識」「ゼロの使い魔のストーリー知識」だ。
後になるほど確実性が薄れるが、うまく使えたときの効果は後になるほど高い。
まあ実はどれもこれも不確実なのが悲しいところだが、今はそれをいっても仕方あるまい。
これらを有効に使うとなると――

・「現代知識を青写真に、メイジ魔法を主動力とした社会改革を進める」
・「平行して後の禍根になりそうな原作イベントが起きないか注視し、不利にならない範囲で介入を試みる」

といったところか。
 僕の知識程度では現代技術は「すばらしい青写真」でしかない。
「銃身にライフリングを施すと銃の性能が上がる」とか「共通規格で部品を作ると便利」とかいうことは知っているが
「どうやれば鉄の管の中に螺旋状の溝が掘れるか」とか「どうすれば共通規格で物が作れるか」ということまでは知らない。
そりゃ全くの手探りで試行錯誤した地球の先達に比べればはるかに楽だが、ある程度は実験や開発が必要になる。
となれば、ここハルケギニアではゼロから科学技術を構築するより魔法の技術を発展させたほうが早いはずだ。
第一、新しいものを導入する資金がない以上しばらくは今あるもの、つまり魔法で何とかするしかしょうがない。
原作イベント介入のほうは「情報収集力」と「軍事力」が必要になるが、どうせどちらも産業が発達すれば必要になってくるものだ。まあ「余裕があったら気をつけよう」くらいの心持でよかろう。
まあ、いずれにせよ全部領地経営に口を出せるようになってからできることだ。
もどかしいがそれまで我慢するしかないだろう。


これらを踏まえると、今僕が最優先でやらないといけないことは

・「魔法の鍛錬」
・「記憶の書き出し」

この二つだ。
 「魔法をもって貴族の精神となす」とはよく言ったもので、魔法の技能が高い人間はいい扱いを受ける傾向がある。魔法の技術は高いに越したことはない。
これは希望でしかないが、メイジとしての技量が高まればあるいは小さいうちから領地経営に口を出すことを許してくれるかもしれない。
僕の系統が何なのかは不明だが、わかるまでは土と水を中心に鍛錬したほうがいいだろう。
ゴーレムや錬金ができれば重機なしで大規模な工事が可能だろうし、水魔法があれば怪我もあんまり怖くない。
当面の悲願である浄水もたぶん土か水だろう。人を雇う余裕がない以上、これだけは最優先で習得せねば。
それに、エンジニアの端くれとして魔法とやらがどんなシステムで動いているのか非常に興味がある。あるいは新たな発見があるかもしれない。
 記憶の書き出しに関してはいうまでもない。
魔法を習っているうちに市場経済や共通規格の概念を忘れてしまってはかなわないし、何かとごっちゃになって間違った思想を青写真にしてしまうと目も当てられない。
それにおぼろげな記憶しかない原作ストーリーなんかいつ忘れても不思議はない。
というか、今でも相当量忘れてしまっているだろう。急いで記録したほうがいい。
まだこの世界の文字がわからないので日本語で書くしかないが、まあ大事に綴じて机の中にでも入れておけば書き損じのゴミに間違えられることはないだろう。


 というわけで、すぐにでも両親に頼んで紙とペンと魔法の杖をもらおう。「一日も早く勉強して立派なメイジになりたいのです」とでも言えばいいだろうか。
なんだか上司に予算を申請するような気分だ。



[13654] 第一話:「一夜城は一日にして成らず」シーン2
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/11/23 14:47
息子の熱心な向学心を汲み取ってくれたのか、幸いにして半月ほどごねたところで「紙とペンと杖」は手に入った。
ペンと杖はわざわざあしらえてくれたのだろう。どちらも3歳児である僕でも無理なく持てるよう大体4~5サントほどの大きさにそろえられていた。
「もっとちゃんとした杖はもう少し大きくなったら使いましょうね」とのこと。
ペンはともかく杖は一つのものを一生使っていくと思いこんでいたので、これはうれしい誤算だった。
しかし、杖のアップグレードができるのならあるいは複数の杖と同時に契約することもできるのかもしれない。
余裕ができたら試してみよう。
そして――




キング・クリムゾン!
「過程」は消し飛び――“日々記憶をメモに残しながら魔法の修行をした”という「結果」だけが残る!




と、J○J○ネタでも使わないとやってられないほど単調で地味~な作業を繰り返し、7歳の誕生日を前にして僕はいっぱしのドットメイジに昇格した。
具体的に言うと簡単な《錬金》やゴーレム作成といった土系統のドットスペルを使えるようになったのだ。
原作のレイナールが何メイジだったのかは覚えてないが、少なくとも僕は土メイジなのだろう。


そして今、それを祝って従者も含めた一族でささやかな宴が開かれている最中である。
まあ、宴といっても本当にささやかなものだ。
いつもの夕食である「パンとスープと水代わりのワイン」に今日漁村で取れた魚の切り身を焼いたものが加わっただけ。
現代日本人の感覚が未だ抜け切れない僕にしてみればおおよそ貴族の宴とは思えない代物だ。
従者たちは

 「ライ麦パンが小麦のパンに変わるらしい」とか
 「スープに具が入るらしい」とか
 「魚なんて久しぶりに口にする」とか

宴の前から喜んでいたが、それが余計に悲しい。
日本じゃ学生のときでももう少しいいもん食ってたぞ?
っていうか魔法学院で働いてるメイドのほうがいいもん食ってんじゃないか?
それ以前に何で魚を食えないんだ? 漁村で毎日獲ってるはずの魚は一体どこに消えてるんだ?
それにどうせこんなところで節約しても冠婚葬祭など他家が絡むようなイベントがあれば「おつきあい」で盛大に散財してしまうのだ。
このシステムが一体誰を幸せにするというのか。まさに誰得。
くそ! どうすりゃいいのか知らんが絶対改革してやるぞ! あの素晴らしい日本での生活を取り戻すんだ!
ああ、なんか涙が出てきた。

「どうしたレイナール。男がこの程度の祝い事でなくものではないぞ」
「そうよ。うれしいのはわかるけど、何も泣くことはないわ」

両親が僕の涙を見つけて諭す。
この程度の祝い事だから泣いているような気がしないでもないが、せっかくだからここは嬉し泣きということにしておこう。

「はい、申し訳ありません父上、母上。これに満足せず、貴族にふさわしい魔法を身につけるよう精進いたします」

と涙をぬぐいながら模範的に返しておく。それを聞いて両親たちは満足したように頷いた。


とはいえ、言い方はともかく内容自体はこれ以上なく本音である。
今できることなんてコモンスペルを除けばコップ一杯の水を油に変える程度だ。
ぶっちゃけ初登場時のギーシュにも劣る。
まあ、川の水を真水に錬金できるようになったのはうれしいが……。
そんなことを考えながら銅のコップを持つと、何か違和感を覚えた。
なんだろう、何か気にならなかったことが気になるような、そんな違和感だ。

「今度はなんだ? 急にしかめっ面をして」
「いえ、このコップ何か変な感じがして……」
「変な感じだと? ふむ……それはおそらくそれはお前が土属性に目覚めたからだろう。
 私も経験があるが、土のメイジは物に対して敏感になる。触れた感覚で壁の厚さを測ることができるほどにな。
 それゆえ、今までお前が気付かなかった何かに気付くようになったのだろう」
「そうなのですか……」
「しかし、ドットメイジになったその日のうちに感覚に気付くとは思わなかったぞ。私のときは――」

父上が何か思い出話を語り始めたようだが、考察に夢中でほとんど聞いていなかった。


物に対する感覚が鋭くなるというが、だとしたら今感じる違和感は一体何なのだろうか?
例えるなら、銅のコップを触っているはずなのに銅じゃないものに触っている――そんな感じだ。これは……

「――それで私は賊の待ち伏せに気付くことができたのだ。そこから私n」
『そうか! 不純物か!』

僕が突然妙なことを叫んでしまったせいで、あたりを静寂が包み込んだ。
急に話をさえぎられた父上はもちろん、大人しく聞いていた母上も、控えていた従者もみんなあっけにとられた顔で僕を見ている。
しまった。考えるのに夢中で周りのことをすっかり忘れていた。
しかも最悪なことについ日本語で叫んでしまった。
周りには「突然意味のわからない奇声を発した」ようにしか見えないだろう。
科学的考察はどうしても日本語で考える必要があるとはいえ……失態だ。

「……申し訳ありません……違和感が何なのかわかったのがうれしくて……つい……」

とりあえず縮こまって詫びを入れる。優等生的な面を装う余裕すらない。

「ん、ああ……コホン。い、いいかレイナール。貴族たるもの常に領民の模範でなくてはいかん。
 うれしいのはわかるが、常に冷静さと威厳を忘れてはいかんぞ、うん」

父上もどう言えばいいかわからないのか、しどろもどろになり始める。
周りの空気が一気に悪くなり、どうしていいかわからない僕は「仮説を整理する」という名目で現実から目をそらすことにした。


違和感の正体。
それは「コップの銅が含有する不純物」を感じ取ったからではないだろうか。
頭で「これは銅だ」と考えているのに、目と肌が「いや違う」という情報を送ってくる。
これにより頭が混乱してしまったのが原因ではないか、という仮説だ。


とりあえず「このコップは純銅じゃなく銅合金で、今からその成分を調べるのだ」と強くマインドセットしてみる。
すると、今度はコップに触れても違和感を感じない。
それどころか「おそらく亜鉛とスズが数%ずつ混じった青銅」という目星までつけられた。
やってみるもんだ。というか正直本当にわかるとは思わなかった。
まあわかったのは僕に「亜鉛とスズが数%ずつ混じった青銅である十円玉」と「導線に使う電気精錬した純銅」を何度か見たことがあり
今回の情報をその二つと比較することができたからだろう。
でなければ、いくら感覚が鋭くなっても違和感自体を感じないはずだ。


しかしこれは便利な能力を手に入れたものだ。
「事前知識さえあれば見て触るだけで成分がわかる」というのは大きなアドバンテージになる。
ただで何回でも使えるX線成分分析器を手に入れたようなものだ。
もう何年も見たことがない十円玉やらと比較してもこの確度なのだから、今から現物のデータを取ればもっと精密な測定が可能になるだろう。
何で他の土メイジにできないのかはわからんが、まあ僕ができるならそんなことはどうでもいい。
早速明日から魔法修行に加えてデータ取りをやろう。
うは、なんだか今からワクワクしてきたぞ――




「こらレイナール! ちゃんと人の話を聞かんか!」

一人悦に入っていたらまた怒られてしまった。



[13654] 第一話:「一夜城は一日にして成らず」シーン3
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/11/23 17:46
Q:成分分析とかテラチートw サンプル数増やせば何でもわかるようになるんじゃね?
A:ならない。現実は非情である。


……甘かった。
宴が終わると早速そこら辺にあるものを見たり触ったり……要するに“鑑定”してみたが、
成分が誤差±数%程度で把握できたものすら日本にいたときに嫌というほど触れたことがあり、かつ成分が精密にわかっている「日本の硬貨」に似たもの、
要するに「青銅」と「黄銅」くらいだった。
(ひょっとしたら「純銅」「白銅」「アルミニウム」もわかるかもしれないが、我が家にそんな物質はなかったのでなんともいえない)
あとはいくらやっても「右の服と左の服は材質が微妙に違う。多分片方・あるいは両方が混紡繊維」とか
「鋼の剣っていうことになってるから主成分は鉄なんじゃないか」とかいう不確実な情報がわかるばかりだ。


これは仮説だが、僕はある物質Aを“鑑定”する際に
「物質Aから感じる“感覚α”」と「物質Aに類似し、かつ成分が既知である物質Bから得られる“感覚β”」とを
無意識のうちに比較して成分を分析しているのだろう。
そういった“感覚β”がない場合はとりあえず似たような“感覚”を受けた物質を比較したりして
何とかほしい情報を確保しようとしていると思われる。
急に色々わかるようになったからガンダールヴみたいに情報がどこかから頭に入り込んでくるのかと期待したが、
どうやら原理的にはスクラップ業者のおっちゃんが鉄目利きをするのと同じなようだ。
この世界に「成分が既知である物質B」などというものが存在しない以上、確度の高い成分分析はまず期待できないだろう。


しかし、この仮説が正しければ成分分析に限らず「表面状態」「剛性」「靭性」「結晶状態」といったマクロな物性も測定できるはずだ。
というより、確か父上も「触るだけで壁の厚さがわかる」とか言ってたし、むしろ他の土メイジはそういった情報を感覚的に得ているのだろう。
「僕にしかできない」と思っていたが、何のことはない
「僕以外の土メイジもみんなやっているが、近代科学の概念に縛られている僕とは見え方が違うだけ」なのだ。
試しにその辺の剣やら服やらに向かってそういった物性に注目して“鑑定”を行うと、「どこまでの荷重に耐えられるか」や「それぞれの服の表面粗さ」などといった情報がわかってきた。
おそらく、この仮説で間違いはないだろう。少なくとも当面の不都合はない。
何か最初思っていたのと違うが、冷静に考えるとこっちのほうがはるかに汎用性が高い。素直に喜ぶとしよう。


「レイナール、さっきから家中のものを引っ張り出しては色々やっているようだな。
 好奇心が強いのは結構なことだが、家臣が不安がっておる。彼らの仕事の邪魔になるし、もうその辺にしておきなさい」

ふと前から父上の声が聞こえてきた。見ると、確かに回りは宴の後片付けをしている。
いつの間にか素材を求めて蔵の真ん中を陣取ってしまっていたらしく、家政婦たちが不安というか
(片付けの邪魔だからさっさと出て行ってほしいんだけど、何かしてるらしいしどう言えば角が立たないかしら?)という顔をしている。
これではまるで「空気の読めない技術馬鹿」である。
幸い外見は6歳の子供なので、傍からは「テンションが上がってはしゃぎすぎたイタズラ好きの子供」と見なしてくれるかもしれないが。

「申し訳ありません、父上。皆様もご迷惑をおかけしました。すぐに片付けます」

といって蔵の真ん中に無造作に広げられた武器やら服やら食器やらを片付けようとする。
家政婦たちは僕が、というかメイジが平民に丁寧な口調を使ったり素直に非を認めたりするとは思ってなかったのか、心底意外な顔をする。
別にこんな態度をとるのはこれが初めてではない。物心ついたときからずっとやってきたことだ。
貴賎・能力の区別なく、自分の職務や責任を果たす“覚悟”のある人には相応の敬意を払うのが僕のポリシーである。
もう6年になるんだから、新人はともかく付き合いの長い部下はいい加減慣れてほしいものなんだが。

「いや、かまわぬから片付けは家政婦たちに任せて今日は休むといい。
 お前は今日の宴の主役なのだし、明日からは魔法修行も兼ねて私の仕事を手伝ってもらうからな」

だが、とりあえず服を拾おうとした時点で父上がそれを制した。
仕事? まさか6歳のドットメイジにして経営参加か? 喜ばしいことだが全く準備がない今そんなこと言われても困るぞ?

「仕事……ですか。具体的には何をすればよいのですか?」
「なに、そう硬くなることはない。私とともに漁村に赴き、収獲した魚が腐らぬよう固定化をかけるだけだ。
 我が村の魚は諸侯の間でも評判がよく、我がド・ヴュールヌ領の貴重な支えとなっておるからな」


それって要するに出荷用の魚を氷詰めの箱に梱包する作業とかわらないんじゃ……何か伯爵の仕事というイメージと違うような……。
……まあ、とりあえず領内の経営状況を垣間見れるチャンスと考えれば……いいかな……。



[13654] 第一話:「一夜城は一日にして成らず」シーン4(閑話)
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/27 16:54
今日もまた水揚げされた魚に《固定化》をかける仕事が始まるお……。


あれから一月がたち、僕は父上から「この調子ならあとはお前一人でも大丈夫」という印可をもらい晴れて一人前のライン工に進化した。
できればラインつながりでラインメイジにも進化したいところだが、そこまで世の中甘くない。
まあ、それでは愚痴も兼ねてあれからの僕の一日を紹介させていただこう。


★起床
日が昇るのと同じ頃に起きると、控えていた今日の着替え当番が手早く着替えなどの身だしなみを行ってくれる。
正直これくらい自分でやった方が早いし、人の作業をただ突っ立って待ってるのは逆に疲れるのだが、
着替えている間の雑談で従者から世間話や最近の噂を聞けるので我慢する。
父母に知られたらマナーが悪いと怒られそうだが、そう言われたら「貴族として領民の暮らしを知りたい」と言い訳することにしている。


★朝食
食堂に行き、両親とともに3人で食事を取る。
なお、僕にとっては肉の切り方などのテーブルマナーを学ぶ時間でもある。
まあ、もちろん肉は“牛肉に見立てた大麦のパン”だったりするのだが。
ちなみに僕は今のところ一人っ子なため、礼法を教わるべき人間はこの屋敷には僕しかいない。
なので、こういうときには一族郎党総がかりで礼法を叩き込まれる羽目になる。
しかし、伯爵家が一人っ子というのは後々傍流による暗殺に怯えるフラグなので本当に勘弁していただきたい。
夫婦仲が悪いようには見えないし、年齢的にもまだまだチャンスはあるだろう。
……いくらなんでも「二人目を育てる余裕がない」というわけではないだろうし、是非がんばってほしいものである。


★移動
屋敷の近くにある小川の船着場から護衛を兼ねた漕ぎ手とともに大型ボートに乗り、川を下って下流にある漁村へ向かう。
船上から見る景色は正直言ってあまり面白くない。
船着場から出てすぐに川は農村を横切るため、そのときだけ人家や畑、羊の群れなどが見える。
だが、それを過ぎればあとは漁村まで見渡す限り代わり映えのない雑草地である。
見る人が見ればまた趣き深いのかもしれないが、あいにく僕はまだその境地には達していないようだ。
で、この移動時間に備蓄からちょろま――預かった剣やら硫黄やらといった物資をサンプルとして“鑑定”して感覚を鍛える訓練をする。
ボートの上で胡坐をかき、さまざまなサンプルを広げてじろじろ観察するのは少々品のない行為かもしれないが、
まあ偶に混ぜ物をした銀食器やら麦角菌に汚染された種籾やらを見つけているので、多少はお目こぼしいただきたい。

なお、今までの節約生活を聞いてると意外に思われるかもしれないが、漕ぎ手はもちろん我が家の家臣だし、ボートも我が家の所有物である。
むしろ、我が家は馬車や船、そして戦闘訓練を受けた御者や船員を相当数維持している。
というのも、これらは戦争や災害といった有事に物資や人員の輸送を担う大切な軍用品だからだ。
もちろん輸送すべき中身である武器・糧食・軍資金などといった物資自体の備蓄や、兵隊や軍馬などの通常戦力に関しても備えを怠っていない。
これらを「いつ伯爵家の義務を果たす時が来てもいいように」と開闢から代々続けてきたというのだから、馬鹿正直といっていいくらいまじめな家系である。
そんなことだから節約しても現状維持が手一杯なんだとは思うが、
「有事なんて起きないよ」とか「困ったら略奪すればいいじゃない」とかいう幻想を抱いて贅沢するよりはよっぽど健全だろう。


★到着
ボートが漁村につく頃には、漁船が順々に港へ戻ることになっている。
海の向こう、東の空に見える太陽の位置を考えると、一日を24時間と考えて大体屋敷から漁村まで1時間くらいと推察される。
歩いたら片道だけで朝から夕方までかかるらしい。となると大体20~30kmくらいだろうか。
ぶっちゃけ遠すぎである。
拠点は所領の中央にあるべきと考えたのか知らないが、どうせ人里は2拠点しかないんだからもう少し利便性というものを考えてほしい。
そもそも伯爵領のくせに広すぎる。面積だけで言えば侯爵クラスなのではなかろうか。
まあ、そのほとんどは雑草の生い茂る無人の荒野で、人口や生産力で考えると今度は男爵クラス、日本で言えば千石百人扶持の旗本程度なんだが。
初代は何が悲しくてこんな水にも事欠くクズ土地をもらったんだろうか。
なんてことを考えている間にボートが接岸するので、漕ぎ手に船内のサンプルを見張っておくよう頼んで漁港に向かう。
漁港には魚で満ちた樽をいくつも積んだ漁船が1隻停泊しており、その漁船に長い車輪付スロープが船と港を橋渡しするように接続されている。
スロープの上流である漁船側には漁師の家族が待機しており、下流にはなじみの魚問屋が待機している。
そして、僕がスロープの中央付近に待機すると

「船上の漁師が樽から魚を取り出してスロープに流し」
 ↓
「漁師の妻子たちが絞めて形を整え」
 ↓
「僕が流れてきた魚に《固定化》の魔法をかけて」
 ↓
「問屋の主が《固定化》のかかった魚を種類や品質ごとにより分けて」
 ↓
「問屋の従業員が箱詰めにして荷馬車に積む」

という流れ作業を樽の魚がなくなるまで延々と繰り返すのだ。
全ての魚が箱詰めにされる頃には次の船が寄港するので、今の船とさっきの船の漁師の家族が総出でスロープを転がしその船に接続して、僕と問屋が移動したらさっきと同じように――
という作業を村の漁船全てに対して行うのである。
彼らが獲ってくる魚は合計で大体一日数千匹、つまり必要な《固定化》の詠唱回数も数千回だ。
いくら「数日もてば御の字」という手抜き《固定化》とはいえ、数が重なれば膨大な精神力を消費する。
作業時間自体は一時間ほどなのだが、終わった頃には気力・体力・精神力の全てが限界だ。
それでも最初は数匹《固定化》したところで魔法が使えなくなったのだから、確かに精神力の増強には貢献しているのだろう。
単純に「余分な精神力を使わずに魔法を使う技術」や「限界まで魔法を使う気力や体力」が身についただけかもしれないが。
……気力と精神力の区別が紛らわしいな。魔法に関わる精神力のほうはMPとでも呼ぶか。
ついでに《固定化》の詠唱速度も一月で2倍くらい早くなった。《固定化》以外の魔法も1.5倍くらいにはなっている。
要するに早口言葉がうまくなったのだ。
しかし、伯爵領の人口が行商人などの一時滞在者すら全部含めて水増し計算しても千人未満、
トリステインの人口ですら数百万のオーダーだったはずだからこの村の水揚げ量はかなりのものだ。
伯爵が直に出張って出荷を手伝うのも頷ける。
なお、別に今が漁の季節とかそういうわけではなくて「取れる魚の種類や漁場は変われど年中コンスタントにこれくらいは取れる」らしい。
……まあ「今は漁の季節じゃないからこんなもんですよ」とか言われなかっただけまだましと考えよう。


★帰宅
仕事が終わったら住民と一言二言話したくらいですぐにやることがなくなり、帰宅の途につく。
魚の価格や流通に関して色々と知りたいことはあるが、6歳の子供と商談するほど問屋も暇ではないらしく大したことは教えてくれない。
それに実は問屋と魚の取引をしているのは漁師であり、伯爵家は彼らの後見人でしかない。
漁師が定められた税を滞りなく納めている以上、僕に口を出す権利はないのである。

帰りの船上では気力・体力・MPの回復を行う。
要するに休憩するのだが、ただ休憩するのでは芸がないので「MPを効率よく回復するにはどうすればいいか」の実験を行うことにしている。
何しろ、普通に過ごしていると0からMPを全快させるのに1週間かかるのだ。
1/8も回復すれば今日の仕事くらいはこなせるようにはなったが、毎日の《固定化》でMPを0にしていたら実験をする余裕がない。
何より、帰るまでには汚れや磯と魚の臭いをとるための《錬金》を使うMPが欲しいのだ。
いちいち風呂に入って服を着替えていると水や薪を大量に消費してしまう。
ラインになったらMP効率が一気に2倍か4倍かになるらしいが、いつになるかわかった話ではない。
よって「効率よいMP回復の手段」を探求するのは目下最大の急務なのである。
色々試してみたところ、今のところわかっているのは「ぐっすり休む」と普通に活動するよりMP回復が早くなり
「感情を昂ぶらせる」とそれよりほんのちょっぴり回復が早いということである。
たしか原作では「強い感情を抱くと実力以上の魔法が使える」とか「虚無用のMPは感情の昂ぶりで回復する」とかいう設定だった気がするが、
どうやら「強い感情を抱くと系統魔法のMP回復も高まる」ようだ。
これなら徹夜で「この新技術が完成すれば生産力が10倍だぜフゥハハハハハ~」とか妄想していてもMPだけは回復するだろう。
……まあ、「普通に活動」していても「休むのと統計上有意な差はない」程度に回復しているみたいだから単なる気のせいである可能性もあるが。
そんな妄想を抱きながらボートで揺られること1時間、屋敷近くの船着場にたどり着く。
接岸の前に回復したMPで《錬金》を使い、体・服・ボートなどについた汚れや臭いの元を水蒸気などに分解する。
こういった“汚れだけ”を《錬金》する芸当は世界でも僕ぐらいしかできないらしい。
これをやったとき、ラインメイジである父が感心2割・呆れ8割にそう言っていたのを思い出す。
いくらなんでも大げさだとは思うが、この領域に至るまでに数十着もの服を犠牲にしたのも事実だ。
そのときから「精密に魔法を扱うための訓練」といってごまかしているが、周りに「病的な潔癖症」と思われているのは間違いないな。
僕だって事あるごとに風呂に入ったり服を洗濯したりできるならこんなめんどくさいことはしたくないんだが。


★昼食
屋敷に帰り、持ち出したサンプルを蔵に戻したらもう昼食の時間だ。
両親とも領地を廻って今の僕と似たような仕事をしているはずだが、この時間になると必ず屋敷に戻ってきている。
そして食事の時間をフルに使って僕にテーブルマナーを叩き込んでくるのだ。
個人的には「帝王学」とか「領地の近況」とか「社交界の噂」とかのほうが知りたいのだが、まあ礼法もそれに並ぶくらい重要だからありがたく教授してもらう。
6歳の子供に対する教育において“しつけ”を優先させるのは当然だし。


★勉強会
MPがすっからかんになっているため、午後は魔法以外の勉強を行う時間だ。
教師は両親を中心に執事や教会の神父など、要するに領内の知的階級が入れ替わり立ち代り勤める。
とはいえ、やはりここでも主な勉強項目は「貴族らしい立ち振る舞い」「社交界での挨拶」「ダンスの踊り方」「上品な文章や詩の書き方」などの礼法である。
その合間合間に「教会の教えを多分に含んだ“正しい歴史”」や「代々のド・ヴュールヌ伯とそれらが残した家訓」などを教わる。
「帝王学」「領内の経営方針」「財政の現状」などはさらにその合間、それこそ途中休憩の雑談程度にしか話に上らない。
しかし、漏れ聞く話を聞くだけでも両親やご先祖様の涙ぐましい努力が忍ばれる。
伯爵としての体裁や義務を侵さない範囲で出費を限界まで切り詰めたり
今朝僕がやったような「魔法を利用した生産システム」を構築して少しでも生産力を向上させたり
限られた水で収入を最大化するため租税の基準を「使用した水の量」に定めて住民の産業を自由化したりと
とにかく代々思いつく限りの手段を使って赤字財政を免れてきたらしい。
目的が節水のためとはいえ、産業の自由化まで既にやっていてくれたとは予想外だった。
これなら領内の改革は想定よりスムーズに行きそうである。
まあ、逆に言うと生半可な現代チートでは劇的な効果が期待できないということだが。


★夕食
そして夕食だ。
正直、食べてる内容もやってる内容も朝昼と全く同じなので特に書くことはない。


★就寝
夕食が終わったら歯を磨いて寝巻きに着替えさせてもらったらすぐ就寝である。
水と燃料を節約するため、風呂を沸かすのは特に誰かの体が汚れたりしない限り3日に1日くらいである。
……しかたがないので、着替えるときに体の表面に《錬金》をかけて汚れを分解する。
本来なら夕食後に「効率的な《錬金》方法」や「土属性以外の魔法」なんかを試してみたいのだが、明日のことを考えると無駄な体力やMPを消費するわけにはいかない。
というかさっきの《錬金》でもうMP切れである。何をする余裕もない。
しかし、既存の素材で作らせた歯ブラシは性能がいまいちだし、歯磨き粉がないため歯を磨いても爽快感がない。
何とか使いやすい歯ブラシだけでも《錬金》できないかと試してはいるが……道は遠そうだ。


そして起床後、また同じ日々が始まる――。



[13654] 第一話:「一夜城は一日にして成らず」シーン5
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/27 16:55
毎日気絶寸前まで魔法を使い、日々MPの効率化を模索していたら8歳でラインになることができた。
両親ともに「お前は天才だ」と絶賛してくれたが、
年齢一桁の子供がこんなスパルタもびっくりの極限生活をしてたらレベルアップしない限り死ぬような気がする。
とはいえ、極限生活になった責任の大半は
「汚れや匂いの元を可能な限り精査して、器用に汚れだけ《錬金》で分解、または汚れた品を新品に《錬金》」
などというドットスペルとは思えない魔法を連日使い続けた僕にあるだろう。
何しろ「繊維の奥や皮膚に染み付いた汚れや匂いの原因を精密に知覚し、器用に汚れの微粒子だけを魔法の対象に取る」なんて気の使う作業を毎日やっていたのだ。
なんてめんどくさい魔法を使ってたんだろう。というかよくそんな芸当ができるようになったものだ。
冷静に考えたら「髪の毛に阿弥陀如来像を彫る」より変態的な所業である。
「気持ち悪いのはいやだ!」という執念が魔法の威力や知覚力を増大させでもしたのだろうか。
……ひょっとしたら自己暗示で綺麗にしていた気になってただけかもしれないな。今度確認しておこう。


また、あれから僕に弟ができた。
どうやら子供が一人しか生まれないのは両親も心配していたらしく、懐妊がわかったときには家中がほっとした雰囲気になったのを覚えている。
また、弟ができたおかげで両親を含めた一族郎党の目がそちらに向くようになり、僕がフリーに動ける時間がかなり増えることとなった。
誕生式典やら純粋な頭数の増加やら何やらで生活水準はさらに落ち込んだが、まあそれくらいの代償は甘んじて受けよう。
一番しわ寄せを受けているのは僕じゃなくて家臣団だし。


しかし、ラインメイジになったことで本当に行動の幅が広がった。
ラインスペルが使えるとか土以外の系統魔術が使えるようになったとかいうのもあるが、それよりMP効率が数倍になったのが美味しい。
おかげで、魚の《固定化》を果たしても相当数の実験ができる。
今までMPの節約術や回復法をチマチマ考えていたのが馬鹿馬鹿しくなるほどだ。
なるほど、先達のメイジたちが魔法の効率化や技術の向上をまともに考えなかったのも頷ける。
ランクが上がるだけでそれまでの工夫がどうでも良くなるくらい能力が向上するのだから
「何が正解かわからない」新技術を考えるより「あることがわかっている」上のランクを目指すのが賢明な考え方だろう。
まあ僕は根本の目的が「メイジとして大成する」ではなく「近代的生活を取り戻す」である以上、これからも色々小細工を余儀なくされるのであろうが。


そんなある日のことだ。
いつものように物品を鑑定しながら漁村へ川下りをしていると、漕ぎ手の指揮者……要するに船頭であるジャン=ジャックが声をかけてきた。

「若君、川下からボートが上ってきております。漁村のボートのようですが」

そういわれて顔を上げると、確かに川下から一人乗りの小型ボートがものすごい勢いで上ってきていた。
オールのほうを見ながら必死に漕いでおり、進行方向に我々がいるというのに気付く様子もない。
顔は見えないが服装から察するに魚問屋の従業員ではなかろうか。
こちらからよけるのは簡単だが、何であんな必死に川を上っているのだろうか。
ひょっとしたら……漁村で何かあったのかもしれない。

「少し気になるな。ジャン=ジャック船長、声をかけてもかまわないかな?」
「いえ、それでしたら私が――おい、そこな商人! 櫂を止めよ! そのままでは我らのボートに激突するぞ!」

船頭がよく通る大声でそう述べると、従業員はビクッとして手を止め、こちらを見ると突然大声を上げた。

「ああ、若君様! 大変でございます! 賊が、賊が漁村を!」

……なん……だと……?

「詳しく話を聞きたい! ボートを右岸に止めてくれ! ――総員、接岸して彼に合流! ――船長、復唱を! 僕の声を確実に伝えたい!」
「へ? ……か、かしこまりました! そこな商人! 詳しく話を聞きたい! ボートを右岸に止めよ! 総員何をしている! 接岸だ! 早くしろ!」
「イ、イエッサー!」「わ、わかりました若君様!」

訓練もしていない8歳の子供がいきなり仕切り始めたので戸惑ったのだろうが、流石にそこは軍人らしくすぐに統率の取れた動きに戻った。
彼のほうは、パニクっているのかこちらに言われるがまま右岸にボートを止める。
……しかし、つい呼び止めてしまったが本当に良かったのだろうか?


従業員――ピエールというらしい――の話を総合するとこうだ。
男たちが漁に出かけた後、問屋が用心棒として雇っていた傭兵たちが突然裏切り、問屋の主や村長の家族を人質に取ったのだという。
そいつらは村人にまず狼煙などの通信手段を破壊するよう命じると、次に村人や従業員に金品を運んでくるよう要求した。
どうも、父上への情報を遮断し、村に軍が到着する前に金品を奪って逃走するつもりらしい。
ピエールは村人たちが金品を運んでいる隙を突いて村を脱出し、伯爵邸へ事態を伝えようとボートを失敬して川を上ってきた。
ちなみに、現在地から村までは太陽の位置から推察するにあと20分くらいだ。
上りということや彼が舟漕ぎの素人であることを考えても、犯行開始から一時間も経っていないだろう。
傭兵の数は10人、武装は剣などの近接武器が主流、メイジはいないという。

「奴ら本日村にいらっしゃる貴族が若君様だけなのを知ると、とたんに態度を豹変させて……」

要するにこっちの戦力が8歳の子供だけだと高をくくって犯行に及んだのか。

「よく知らせてくれた。二度手間をかけて申し訳ないが父上にも同じ話を伝えてはくれないか? ……誰か! この勇士ピエール殿を父上のもとへお連れせよ!」

僕がそういって漕ぎ手の一人を父上への案内へつかせる。
今父上は兵の訓練で屋敷を離れているはずだ。ちょうどいいからさっさと軍隊をつれてきてもらおう。
……こいつが賊と内通している可能性もちょっと考えたが、賊がこんなことをする理由がない。
穿ってみても「本来漁村に来る予定のない父上をおびき寄せる」か「僕を漁村に来させない」くらいである。
いずれにせよ「後ろから一突き」を恐れて案内を二人もつける必要はないだろう。

「ゆ、勇士だなんてとんでもない! あっしはただの奉公人で、とにかく伯爵様にお伝えすれば何とかなると思っただけでして……」
「いや、君のおかげで村は最悪の事態を免れたのだ。何より、諦めずに自らの責務を果たそうとするその“覚悟”に僕は敬意を表する。
 今の僕には言葉と態度しか与えられるものがないのだ。それくらいはさせてくれ」
「わ、若君様……あっしみたいなもんのためにそこまで……お任せください! この命に代えても伯爵様にお伝えします!」

いや、確かにカッコいい事言うつもりで言いはしたが涙まで流されると恥ずかしいから止めてくれ。
ある意味「厨二乙w」とか言われるよりきついぞ。


案内の漕ぎ手とピエールには彼が乗ってきた小型ボートで父上の下へ行ってもらい、僕は残りの漕ぎ手――ジャン=ジャック含めて8人――とボートに乗った。
そして、彼らがオールを持とうとするのを留める。

「さて、今から先鋭隊として漁村に向かうが、何か作戦のあるものはいるか?」
「お待ちください若君! 賊がいると知りながら渦中に飛び込むおつもりですか! ここは引き返すべきです!」

僕が作戦会議を立てようとするや否や、ジャン=ジャックが引き返すよう進言してきた。
この早さ、こりゃ僕がピエールに案内を「一人だけ」つけた時点でカチこむ気だと見抜いてたな。

「確かに僕の安全を考えれば即座に引き返すべきだ。だが、話によれば今まさに領民がその生命と財産を脅かされている。伯爵家には、僕にはそれを守る義務があるのだ」
「しかし、今我々は数の上でも下回り、装備にしても護衛としての最低限しか持ち合わせておりません!
 仮に行ったとしても人質を前に手も足も出ませんぞ!」
「――いいんだよそれで。僕たちは『変なことすると戦闘になるぞ』っていう抑止力にさえなりゃいいんだから。
 10人程度のメイジでもない傭兵が伯爵軍に勝てるわけないんだから、父上が来るまで持てばいいんだ。
 幸い連中はピエールが村から逃げたことはわかっても、どこに行ったかまではつかめないはずだ。
 僕たちが彼に気付かない振りさえしてれば、伯爵軍の到着を相当遅く誤認させることも難しくない。
 もちろん僕たちだけで早期解決できたほうがいいけど、それは『確実なチャンスがあれば狙う』程度に考えよう。
 それに今の村人には賊が『人質を一人ずつ殺して見せしめ』とかやろうとしても止める手段がないはずだ。
 『通信手段の破壊』なんて自殺行為にまで手を貸してる以上、本当に服従するしかないんだろう。
 せめて『人質を殺そうとすると僕たちがその隙を突いて切り込むかもしれない』と思わせなきゃ賊はやりたい放題だ」

と、横から反論が出てグダグダにならないうちに一気に自分の主張を述べる。
おかげで口調が少々乱暴になったが、そもそも今から殺し合いに行こうなんて状況でお上品にしゃべってられるか。

「……とまあ、こう思うわけだけど……僕は軍事に関しては何も知らない素人だ。
 見落としや勘違いもあると思う。意見があるなら何でも遠慮なく言ってほしい……んだ……けど……」

と、徐々に語尾を落としながら自信なさ気に周りを見渡すと、8人はみんな呆然として僕を見ていた。
そして数瞬後、真っ先に我に帰ったジャン=ジャックが真剣な表情で口を開いた。

「……わかりました。そこまでお考えなら、私から申し上げることはございません」
「いや、作戦とかがあるなら遠慮なく提案してくれると嬉しいんだけど」
「ございません。そのお考えなら、我々はいつものように村へ向かい正面から賊と邂逅すべきと愚考します。
 下手に事前に動くと『我々が知っていると彼らは知らない』という利点を失う危険性があります。
 それより、一刻も早く村へ赴いたほうがいいでしょう――総員、行くぞ!」
「イエッサー!」

そういうと、彼らはオールを持ち、規則正しくボートを動かして川を下りはじめた。
なるほど、軍事のプロがである彼らが賛成するなら僕の仮説もまんざらではなかったということか。


……しかし、あそこまで言っておいてなんだが僕は父上の軍なんかに期待していない。
正確に言うと、父上がこっちの希望通りに動いてくれることは期待できない。
集団行動というのはいくら事前に綿密な打ち合わせをしても不測の事態や伝達ミスが避けられないのだ。
こんな突発的事態、見えない人間が迅速で最適な行動を取れるなどと期待するほうが間違っている。
今のところは伯爵軍など「今日中に来ればラッキー」くらいの気持ちでいたほうがいい。
そもそも、ピエールの持ってきた情報が全く信用できない。
あんなパニックになっている人間の証言なんか憶測や希望的観測が混じっているに決まっている。
まあ偽報でもない限り「村が賊に襲われている」というところは間違いないだろうが、それ以外の情報は与太話と思っておくべきだ。
例えば、彼は傭兵の武装を近接武器が中心といっていたが、いくらなんでもたった10人が近接武器だけで村を制圧し、通信手段を全て破壊できるとは考えにくい。
少なくとも「実際に犯行に及ぶほど成功率に自信が持てる」とは考えにくい。
仮に持てたとしたら、恐ろしくよく訓練された戦闘集団か自信過剰の大馬鹿だ。
射撃武器を保持しているか、10人よりもっと数が多いか、最悪メイジの存在も考えたほうがいいだろう。
となれば――


「みんな、ちょっと思いついたことがあるんだけど――」
僕の一言に、水兵たちはオールを動かしながら耳を傾けた。



[13654] 第一話:「一夜城は一日にして成らず」シーン6(ややグロ注意)
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/27 16:56
「で!? そのレイナールとか言うお貴族様のボートに乗ってる漕ぎ手は武器を持ってるんだな!? 何人だ!?」

普段は村の集会場として使われているのであろうやや広い木造の建物の中。
ショートソードと無精ひげを携え、使い古されたハードレザーアーマーに身を包んだ壮年の戦士が、手足を縛り上げられた柔和そうな初老の男の胸倉をつかみあげながら詰問する。
初老の男は、少し前まで戦士を傭兵として雇っていた魚問屋の主であり、戦士は現在村を占拠している傭兵団の団長、つまり賊の頭目である。

「……人数はよくわからない……」
「よくわからないだぁ!? この期に及んでごまかしてるとてめえの耳を切り刻んでてめぇらの昼飯にしてやるぞ!」
「ごまかしてない! 手のあいた漕ぎ手やボートが日によって変わるらしくて、10人だったり1人だったりするんだ!」
「くそ! だったら最初から言えっての! ……まあいい、じゃあそいつらは最大何人で、どれくらい強いんだ?」
「私は10人以上つれてるのを見たことがないし、実際に戦ってるのを見たこともない……だが一人で若君様の護衛を勤めることもある以上、それなりには使えるんじゃないかと……」
「んなことは素人のてめぇに言われなくたってわかってるんだよ! 全く使えないじじいだ! 武装は!?」

そういったあたりで頭目は周囲に縛られて転がされている女子供や、それを彼以外の傭兵に剣を向けられながら怯えた目で他の村人にも目を向けた。そして

「手前らも知ってることがあったら隠さず言え! あとで嘘や隠し事があったことがわかったら、こいつらのマスケットで蜂の巣にするぞ!」

といい、部下たちにマスケットを構えさせる。村人たちから小さく「ひぃ」という声が漏れた。
マスケットが連射できないことを知っている物は村人にも多い。
賊が「誰か」を撃てば、その銃はしばらく単なる棒切れと変わらなくなるだろう。そんなことはわかっている。
だがその「誰か」に選ばれる危険を犯せる人間は、今のところ村人には存在しなかった。
人質や村人の誰かに命の危機があればまた話は違ったのだろうが、今のところ賊は村人に脅しつけて命令する以外の危害を加えていない。
そのため、村人の誰も動くことができないのである。
限られた手数を最大限に活用する、世慣れた傭兵としての知恵であった。
そのプレッシャーに耐え切れなくなった人質の一人、長老の妻がたまらず声を上げる。

「若君様は護衛として最低限の武装とおっしゃっておりました。たしかお腰に剣をお持ちだったような……」
「……なるほど、本当に最低限だな……くそ、ガキと漕ぎ手しかこ来ねぇとか言ったからやったってのに話が違うじゃねぇか……
 てめえら、いつまでそこでぼけっと突っ立ってやがる! 人質が大事ならさっさと金目のものを持ってきやがれ!」

そういって頭目は周りの野次馬どもを散らせる。そして、これからのことを考え始めた。

(現在の手勢は俺含めて10人、全員が剣とマスケットを装備している。
 ピエールとか言うアホが逃げ出しやがった以上、そいつが伯爵に助けを求める可能性がある。
 もうすぐガキがやってくる時間らしいから、そいつがいつまで経っても来なければそのルートで確定だろう。
 そうなりゃ今から最短で昼にも伯爵軍が到着し、俺たちは終わりだ。
 となれば余裕を見てあと2時間以内にこの村を撤収したほうがいいだろう。それはいい。
 ――逆に、ボンボンがノコノコやってきた場合だ。
 漕ぎ手が単なる人足だと思っていたから、ガキが詠唱する前にマスケットで腕か頭に穴を開ければ終わりと思っていたが
 曲がりなりにも武装した護衛となると厄介だ。
 いくら数でも武装でも俺たちが勝っているとはいえ、護衛どもが盾になって詠唱の間ガキを守りやがったらそんな優位は誤差だ。
 まあガキンチョにできることなんかゴーレムを一体出すくらいだろうが、それだけで十分に脅威なのは戦場で身に染みてわかっている。
 持てるマスケットを全弾撃ち込めば護衛ごとガキも殺しきれるだろうが、マスケットを撃ち尽くしたら村人を押さえつけられない。
 となれば、護衛が俺たちに気付いてガキの盾になる前に不意打ちで殺すのがベストだ。
 それができなかった場合は? 人質を盾にするか?
 話を聞くに相当な甘ちゃんらしいし、杖を捨てろといえば捨てるかもしれん。
 そうでなくとも、ビビって帰ってくれるかもしれないしな。
 期待薄だがそれしかないか。
 断ったら仕方ないから全弾ガキに撃ち込んで蜂の巣にし、村人が暴れる前に今あるものだけ引っつかんで逃走しよう。
 ……くそ、少々見切り発車が過ぎたか?)

頭目がそんなことを考えていると、賊の一人が集会場の扉を開けて中に入ってきた」

「隊長! 川の見張りがボートを発見しました! レイナールとかいう貴族の舟のようです!」
「よし! ガキを撃ち殺せ!」
「……へ?」
「『へ?』じゃねぇ! 撃ち殺せ! いや手段は何でもいい! こっちに気付かれて兵隊がガキをかばう前にガキを殺せ!」

頭目がそう宣言すると、問屋の主が顔を真っ青にして声を上げる。

「待ってくれ! そのような卑怯なだまし討ちで若君様が殺されたら、私も村の人間もただではすまない! 君たちだって死刑は免れないぞ!」

その声を聞くと、他の人質やまだ残っていた野次馬はもちろん、傭兵たちまで動揺し始める。
頭目は舌打ちをした。これでは事前に不意を撃つことができないと。

(俺は指名手配など今更怖くもなんともないが、今の段階で村人にやけを起こされるとまずい。
 それにその辺の覚悟がまだよくわかっていない部下もいるんだ。
 やっちまったあと気付いたなら腹をくくるしかなかろうが、今自覚したら逃亡する恐れがある――)

「ちっ、しょうがねぇ……不意打ちは中止だ! おいそこの野次馬! 人質がいることを若君様に説明して丁重に帰ってもらえ!
 逃げてもかまわねぇが、それで若君様が死んだらてめぇの責任だぞ!」

そういって、彼は野次馬の中から適当に気の弱そうなやつを選んで使いっ走りにさせた。
同時に、そばに仕えている古株の部下に目配せして不意打ちのチャンスをうかがわせる。
ガキがこっちの存在を知って「ゴーレムを出して兵隊と突撃させる」といった強攻策に出る危険性があるためだ。
そうなった場合非常に危険だが、逆にメイジが丸裸になる絶好の機会でもある。
長年の古株はそれと察したのか、頷くと自然な態度で集会場を出て行った。


それから10分ほど後、同じく集会場にて。

「交渉だぁ? レイナールとか言うガキ、何考えてやがる?」

さっき使者として選抜された哀れな村人の報告を聞いた頭目が、片目を吊り上げてそう言った。

「そ、そういわれても。私はただ、人質解放の交渉がしたい、そちらの条件を聞かせてほしい、と伝えてくれ、としか」
「ガキの癖にいっぱしのこと言いやがって、これだから貴族ってやつぁ……」

そういいながらも、頭目は必死に現状を整理していた。

(古株は戻ってきていない。おそらく強攻策をとってはいないのだろう。
 「強攻を成功させる自信がない」のか、あるいは「強攻など必要ない」のか。
 いずれにせよ、相手が話し合いたいというならそれを利用しない手はないな)

頭目は「交渉の名目でレイナールの鎧を剥ぎ取る」作戦に切り替えた。
いくら不意打ちの準備をしているとはいえ、それが失敗して本格的な戦闘になったらこっちにも犠牲は避けられない。
他に手段があるなら、できれば取りたくない手段だった。

「いいだろう。だが条件がある。ボートを降りていいのはガキ一人だ。杖もボートにおいてこい。
 どうしても不安だってんなら杖を持っている間マスケットに狙われ続けることを覚悟してもらう。
 その条件が飲めなければ交渉はできん。そう伝えろ……何ぼけっとしてやがる、さっさと行け!」

頭目は、すっかりパシリになってしまった村人にそう命ずる。
杖を持って来られるのは痛いが、あまり頑なになって交渉が決裂したら元も子もない。
彼は、まずレイナールの鎧である護衛を取り上げることにした。


そしてさらに10分後、頭目の目の前には整った顔立ちの身なりのよい少年――レイナールがいた。
右手には15サントほどの小さな杖をもち、左手にはクルミ大の無色の宝石のようなものを持っている。
右手の杖はメイジの杖としては一般的な指揮棒タイプのものだが、子供である彼が持っているせいかまるで警棒のようだ。
レイナールの周りには4人の傭兵たちが取り囲んでおり、全員がマスケットの銃口をレイナールに向けている。
その中にはレイナールを見張っていた古株の傭兵もいた。
頭目の後ろ、レイナールから見て頭目の向こう側には手足を縛られた人質が転がされており、その横には剣を抜いた傭兵が3人待機している。
そして、それら全てを取り囲むように村人たちが事の趨勢を見守っていた。

「どうやら約束は守ってくれたようだなぁ、若君殿。で、交渉といっていたが、具体的な内容を聞こうか?」
(銃声が聞こえた時点で護衛が上陸してきて戦闘になるのは目に見えている。
 それに、あまりにも堂々としすぎだ。ハッタリかもしれんが、何らかの対策があるのかもしれん。
 となるとマスケットは使えない。こいつはあくまで最後の手段だ。
 なら剣で殺す必要があるが……そのためにはやはり杖が邪魔か)

頭目はレイナールに話しかけながら、彼を殺害する隙をうかがっていた。
そんな彼の心中を知ってか知らずか、レイナールが頭目に話しかける。

「こちらからの要求は一つだ。今すぐ人質と奪い取った財貨を解放し、領外に退去して欲しい。そうすればこの事件は不問としよう」
「何だと!? そんな都合のいい要求が通るわけないだろ! 馬鹿にしてやがるのか!?」
「もちろんただで出て行けとは言わない。今この条件で首を縦に振ってくれるなら、これを差し上げよう」

そういって、彼は左手に持った宝石のようなものを彼に向けた。無色透明な玉が、きらきらと輝いている。
――頭目は、この期に及んで全く物怖じせず堂々とした態度をとり続けるこの子供に言い知れぬ苛立ちと不安を感じていた。
「子供と思ってなめるな」――そう主張されているかのようだった。

「これは僕がたまたま“鑑定”のために持って来ていた伯爵家秘蔵のダイヤモンドだ。
 この大きさなら捨て値で捌いても1万エキューは下らないだろう。
 運ぶ手間や追われるリスクを考えれば、手間をかけて村の金品を持っていくより得かもしれないぞ?」
「……それが本物の宝石であるという証拠がどこにある?」
「なら気がすむまで調べたらいい。まさか目利きもいないのに村の宝を強奪しようなんて考えたわけじゃないだろう?」

そういって、レイナールはツツィっと宝石を差し出す。
頭目は歯噛みした。確かに彼はある程度なら宝石の目利きができる。それは部下も知っていることだ。
そして目の前の宝石が本物のダイヤなら、この条件は確かに魅力的だ。
カットこそされていないものの、あの大きさなら捨て値でも一万エキューは間違いない。
部下も条件の破格さは理解したのだろう、「これなら受けてもいいんじゃね?」という弛緩した空気が流れはじめた。
しかし――

(しかし常識で考えてこんなおいしい話があるわけがない。
 目の前の宝石が「本物のわけがない」。検討するだけ無駄な条件だ。
 だが、向こうがああいっている以上鑑定もせずに「贋物だ」と断言すればそこで交渉は終わりだ。
 最初ならともかく、落とし所を見せられて部下の緊張が解けかけている状況でこちらから交渉を蹴ればどうなる?
 最悪、何人か目の前の小僧の口車に乗せられてあっさり寝返る危険すらある。
 つまり、最低でも「鑑定した振りをする」程度にはこのガキから目をそらさなきゃならねぇ。
 その隙に何か――魔法を使うだろうが、なら――)

「いいだろう。だが鑑定する隙に魔法を使われてはかなわない。我々と取引がしたいというなら、その杖を置いてくれないか?
 それが信頼というものだろう」
「かまわないが、信頼というならせめてその前にこの向けている銃口くらいは納めてくれないか?」
「それは無理だな。代わりといっては何だが、君が杖を捨てるのと同時にでかまわないなら人質に向けている剣を納めさせよう」
「それでいい。一二の三でお互い得物を捨てよう」
「結構だ。お前らもいいな。それじゃ……『一・二の……三!』」

頭目とレイナールがそういうと、レイナールの杖が地に落ち、人質に向けられていた剣が鞘へ納められる。
別に解放されたわけでもなんでもないのだが、人質や周りの村人にもほっとした空気が漂い始めた。
それを確認すると、頭目は右手をレイナールの前に出して不敵に告げる。

「さあ、今度はそちらの番だ。こちらにその宝石を渡してくれ。
 こうして右腕を出せば剣を抜くことはできない。こちらとして精一杯の誠意の証だ」
「……わかった。信頼には報いる必要がある」

レイナールはそう言うと宝石を持った左手を前に突き出したまま頭目の前にゆっくりと歩き始める。
そしてレイナールの左手が頭目の右手に届くや否や、頭目は右手でレイナールの左手をつかんで引き倒し――後ろから何かに貫かれた。
そのまま頭目は急に息ができなくなり、意識を失って倒れる。
頭目の背中には、太さ一サントくらいの棒が刺さっていた。

――厳密に言うと棒ではなくパイプなのだが、そんなことを気にするものはこの場には誰もいなかった――

あわててマスケットを構えていた傭兵たちが反射的にレイナールを撃とうとするが、いくら引き金を引いても一向に弾が発射される様子がない。

――よく見れば火打石がただの石のようなものに変わっており、さらに湿っているのがわかったろうが、彼らにそんな事を観察する余裕はなかった――

同時に野次馬から4人の人影が動き、剣を抜いて人質の近くにいる傭兵3人を切り捨てる。
さらにレイナールの伏せている床から次々と何かが高速で打ち出され、パニックになっている傭兵たちの意識を一人一人奪っていく。
レイナールが倒れてから一分も経つか経たないかのうちに、屋敷内に動いている傭兵は一人もいなくなってしまった。
それを確認するとレイナールはおもむろに立ち上がり、傭兵を切り捨てた4人――野次馬にまぎれていた水兵たちに向かって

「ボートの見張りに2人いた! 銃は無力化済みだ! 人数の確認は取れていない!」

と叫んだ。するとその水兵の一人から

「住民の証言から蜂起した人数は10人と確認がとれております! 本体と合流し、残り2人を確保します!」

と声が聞こえ、そのまま彼らは屋敷をあとにした。


何が起こったのかわからず呆然としている住民たちを尻目に、レイナールはぼそりと

「ここまで魔法なしって事はメイジじゃなかったのかよ。まったくびびらせやがって……。
 だったら屋敷に入ったところでさっさと制圧すりゃよかった」

とつぶやき、右腕の袖をめくった。
そして腕に巻いた包帯を解いて一緒に巻かれている4~5サントの棒――彼の杖――を取り出した。



[13654] 第一話:「一夜城は一日にして成らず」シーン7(第一話エンディング)
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/11/28 18:26
腕に隠していた杖を手にすると、とたんに今頃体中が震えだした。
正直、かなり戦闘というものを甘く見ていた。
特に最後のあれだ。ある程度は覚悟してたものの、まさか呪文が完成する前に腕を引っつかまれてしまうとは。
一応想定はしてたからとっさに奴の革鎧の背部を《ゴーレム作成》で動くパイプに変えて肺に穴を開けさせたが
あの鎧に《固定化》がかかっていたら、下手をするとこっちが切り殺されていたかもしれない。
それでも勝率8割はあっただろうが、1/5なんてロシアンルーレットより死亡率が高いじゃないか。
やっぱり戦闘なんてやるもんじゃないな。僕は心に深くそう刻み込んだ。


ピエールとお別れした直後、僕は「こちらの人数を相手に誤認させる」ために漕ぎ手の半分を別働隊として陸上から漁村に向かわせる作戦を取った。
人質を盾にされている以上は杖と護衛のどちらかをボートに置いておけと言われることが予想できたからだ。
漁村がギリギリ見えない位置から散開し、ボートの漕ぐスピードを調整すれば到着時刻を許容範囲まで合わせることができると判断した。

別働隊の主目的は賊の情報収集、可能ならば人質の解放だ。
完全にボートが門前払いされた場合でも、賊の正確な構成や人質の安置場所がわかれば伯爵軍突入時に不要な犠牲を減らすことができる。
個人的にはボートより先に行かせてあらかじめ情報を取得しておきたかったのだが、それは危険と判断した。
別働隊対策に伏兵が潜んでいる可能性もあったし、なによりピエールが逃亡した時点で賊が「人質を確保したまま即時撤収」する可能性があるため
一刻も早く「抑止力」を村に登場させる必要があったからだ。

そして、万全に備えるため考えうる限りの小細工を練った。
本来の杖を袖の下に隠し、それっぽい棒をダミーとして持ったのもその一つだ。
また、右手にできるだけ注意を向けられないために
左手に“交渉材料”としてその辺の木屑から適当に《錬金》したダイヤモンドを持った。
《錬金》で作ったからか不純物たっぷり、下手に大きいから研磨剤にも使えないゴミクズだ。
まあ、ダイヤであることは確かだしピカピカして連中の注意さえ向けば何でもよかったから問題はないが。
ついでに「ボートを発見しだい問答無用で奇襲」という事態を警戒して、
ボートに寝転がって射線を通さないようにし、《ファイアボール》対策にいつでも川の水を壁にできるよう準備していた。
(まあこれは無駄に終わったが)

で、賊どもに相対する時には杖を従者に預けている振りをして油断させ、
《錬金》の射程内に入りしだいマスケットの火打石を燃えにくい硫酸カルシウム水和物、要するに石膏に変えた。
こうすれば大抵のフリントロックガンは火花が散らなくなるし、杖を隠して小声でこっそりやればまず気付かれない。
ラインになってからやっていた“色々な実験”の成果のひとつだ。
さらに保険で薬室部に火薬ごと《固定化》をかけておいた。ここまでやればほぼ確実に銃は使い物にならない。
要するに、彼らがマスケットに固執する限り僕は安全だったのだ。
魔法の射程外からアウトレンジで狙いをつけられていたら諦めるしかなかったが、彼らが射撃に自信がなくて幸いだった。
そうやって安全地帯を確保した僕は、敵の威力偵察と征圧のチャンスをうかがうため交渉に赴いたわけだ。

しかし、今思えばいくら銃を無力化して安地だったとはいえ、わざわざ僕が行く必要はなかった。
子供なら油断するかと期待したんだが、あいつ全く油断せず交渉中も隙あらば僕を殺す気満々だったじゃないか。
もっと早いうちに「メイジじゃないからさっさと倒そう」と見切りをつけるか、
そうでなければ「父上が来るまでの時間稼ぎができればいいや」と割り切るべきだった。
杖を持ってないのは見ればわかったが、
「僕が隠してるんだから相手だって隠してるはず」とか「後ろの奴が実はメイジかもしれない」とか考えて
なかなか行動に移すことができなかった。
その結果ずるずると話を進めてしまい、ほぼ99%はあった勝率をあそこまで持っていかれたのだ。
「“まだ”は“もう”なり、“もう”は“まだ”なり」とはよく言ったものだ。流れを読むのは難しい。
今後の反省にしよう……というかもう最前線には出ないぞ。命を懸けて運ゲーなんかやってられるか。


その後、残党の二人は頭目が倒れたのを知ると抵抗することなく投降し、賊軍は僕たちの手で無事に鎮圧された。
しかし「問屋が連れてきた傭兵が村を襲った」という事実が消えるわけではない。
結果的に伯爵家の被害はほとんどないし「賠償金とかの民事訴訟は問屋と村人で勝手に話し合ってね」でもかまわないのだが
村人が群集心理と怒りに任せて問屋を魚の餌にすると困るので、とりあえず仲裁を試みることにした。
結果として、

・みんなの幸せのためにもこの事件はなかったことにする
・元々傭兵の所有物だったものは伯爵家が接収
・以降用心棒として雇う人物は伯爵家の紹介がある者に限ること
・発生した損害は問屋が全額負担
・賠償金として損害額と同額を村に支払う

といったあたりで落ち着いた。
まあ、賠償といっても幸い人的被害は心の傷を除けば村人や問屋の従業員が数名僕でも治せる程度の軽傷を負ったくらいだったし
物的被害も僕が《錬金》で全て治せるレベルだった。
要するにその分の治療費や修理代として僕が問屋が払えそうなだけの金を受け取り、半分を村に渡しただけだ。
甘い裁定かもしれないが、今回の件はあくまであの傭兵どもが悪いのである。問屋だって被害者なのだ。
何より彼につぶれてもらっては困る。
今回の件でもわかるように信用できる外注先というのは重要だ。
そして、信用を新しく見つけたり作ったりするのはとても面倒なのだ。


そんなことより、再発防止のためあんな傭兵を雇ってしまった経緯を問屋や捕虜から聞いたところ恐るべき事実がわかった。
彼らは最近トリステインに流れてきた傭兵で、この問屋は「この土地では新人」ということを理由に、かなり護衛料を値切って雇ったのだそうだ。
この傭兵隊はこれまでアルビオンのモード大公に雇われていたらしいが、
国王が大公に色々因縁を吹っかけて処刑しようとしているっぽいので、巻き込まれる前に縁を切ったのだとか。
……危険になったら雇い主を見限る、何の変哲もない極めて一般的な傭兵である。

それより問題は「アルビオン王とモード大公の確執が起きている」ことだ。
確かにアルビオン王がいつモード大公を処刑したのかなんて書かれてたかどうかすら覚えてないし
原因が「エルフの愛妾を引き渡さなかったから」だったはずだからいつ発生してもおかしくはない。
だが、個人的にはこのイベントは可能な限り回避して、モード大公やその臣下たちを守りたかった。
正確には、アルビオンの滅亡フラグを早めにつぶしてトリステインの危機を未然に防ぎたかったのだ。
このイベントはまず確実に「マチルダが貴族嫌いになりフーケ化する」ためのトリガーだし
個人的には「モード大公一派の粛清による国内の疲弊や動揺」が後の「レコンキスタ台頭」の間接的な下地になっていると見ている。
そうでなくても「王弟の」しかも「エルフをかくまっている」モード大公がレコンキスタに組するとは考えにくいため
反乱発生時には確実に王党側の戦力になってくれるはずなのだ。
ゆえに行動の自由を得たら最優先でアルビオン王とモード大公に渡りをつけてその辺を確認し、
あわよくば丸く収めたいと思っていたのだが……今確執を起こされても僕には何もできない。
このままでは下手すると誰も幸せになれない、平穏など全く期待できない原作ルート一直線である。
いくらがんばって生活環境を整えてもそうなったら何の意味もない。


……もちろん、この世界の状況は原作とは異なり、モード大公にエルフの愛妾などいなくて、この確執もそれとは全く無関係かもしれない。
レコンキスタなどいつまで経っても現れず、トリステインは小さいながらも平和にやっていけるのかもしれない。
だが、今日確信したとおり根拠なき楽観は危険だ。
基本的に「あの“ゼロの使い魔”のストーリーどおりに世界は動いている」と考えたほうがいいだろう。
いや、その考えすら甘えだ。
「都合のいいイベントは起きないがバッドイベントは起きる。しかもいつ起きるかわからない」と想定すべきだ。
そうでなければ「法則と名前が似てるだけで完全な別物。比較するだけ無駄」と考えたほうがましだろう。
これからも、いや今までですら、物事が原作どおりに動くことなど証明できないのだから。


現代日本並みの快適な生活を送る――たったそれだけのためにすべきことの多さと大変さを、この日僕は改めて実感していた。



[13654] 第二話:「HBの鉛筆をへし折るかのように」シーン1
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/03 06:48
ド・ヴュールヌ伯は悩んでいた。
悩みの種は、もうすぐ11の誕生日を迎える嫡男のレイナールだ。


親の欲目かもしれないが、レイナールは非常に優秀である。
幼い頃から向学心が高く、それに応える才能にも恵まれている。
3歳にして魔法に興味を持ち、6歳には簡単ながら我が仕事を任せられるようになった。
8歳の時にはわずかな手勢で賊の反乱を鎮圧し、その後の諸問題も見事に裁ききった。
その際、感情が昂ぶっていたためかスクウェアでも困難といわれるダイヤモンドの錬金にさえ成功したという。
自分では気付いていなかったのだろう。それを指摘したときの驚きようはなかった。
今では既に自分をも凌駕する魔術の腕を持っている。
あるいはトライアングル、場合によれば既にスクウェアの頂にすら至ったのではなかろうか。
にもかかわらず少しも驕った所がなく、貴族としての礼節を王侯貴族はおろか臣下や領民にすら欠かしたことはない。
将来はかの“烈風”カリンやガリアのシャルル王子にも並ぶのではないかとすら思っている。
最近では政治や神学にも興味を抱いてきたのか、
出入りの商人や旅人を捕まえては執拗に領外の噂を集めさせたり
見たこともない奇怪な形のゴーレムを次々に作ったり
兵隊も巻き込んで領内の地形を精密に測量させたり
領内外の様々な教会に小遣いの殆どを寄付したり
挙句に「始祖についての話が聞きたい」といってあのマザリーニ枢機卿に説法を求めたりと、とにかく積極的に活動している。
……内容に関しては色々言いたいこともあるが、積極的なのはいいことだと思っておこう。

だが、あくまでレイナールはわずか11にも満たぬ子供なのである。
いくら天才とはいえ、一人の親として薄汚い政治の世界や現実を見せるのはまだまだ気が引ける。
だが、伯爵家の嫡男に生まれた以上どうせいつかは知らねばならぬことだし、
あれの才能を考えれば凡人である自分が下手に手を出すより自由にやらせてやった方が息子のためかも知れない。
果てさて一体どうするべきか――彼は悩んでいた。


一方その頃――

「くそ! シャルルまで死にやがった! あの根性なしめ、どうせなら兄貴と刺し違えてくれればよかったのに!」

レイナールは父の心配も虚しく“薄汚い現実”にどっぷり浸かっていた。



[13654] 第二話:「HBの鉛筆をへし折るかのように」シーン2
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/11/29 21:19
前回までのあらすじ
「ガッシ!ボカッ!」モード大公とシャルル王子は死んだ。スイーツ(笑)


――現実逃避はこれくらいにして、とりあえず各国および周りの現状でも整理しよう。
毒を吐いても自分や死者を貶めるだけだ。何の得にもならない。


まず、これら各国の情報は出入りの商人や流れの旅人、そして各種行事で時々出会う親戚から聞いた「最近の噂」をまとめたものだ。
情報の確度としては所詮その程度、勘違いやデマや流言が多分に混じっていると思われる。
なお、トリステインに関しては色々理由をつけてマザリーニ枢機卿に接触することもできたし、
何より自国なので他の国よりも情報の確度が若干高い。
その分バイアスも強いのでどっこいどっこいだという説はあるが。
また、原作知識はできるだけ排除して可能な限り「聞いた話」だけをまとめるよう心がけたが、それでもバイアスが入っていると推察される。
というより、それくらい心して整理しないと情報は簡単に「願望の寄せ集め」になってしまうのだ。


アルビオンではあの人質事件から一年も経たないうちにモード大公が反逆者として処刑された。
同時に、サウスゴータ家に代表される一族郎党も大半が改易や追放などの処分を受けた。
詳細は不詳であり、3年ほど経った今もなお社交界や市井で噂に上るほどである。
また、その後処分に対する不満や旧大公領の分配などが原因で諸侯の関係がギクシャクし始めたらしい。

ガリアで起きていた兄弟間の王位継承問題は先月あったジョゼフの正式な戴冠と
その直後に起きたオルレアン公シャルルの死によって終結した。
死因については色々言われており、はっきりしたことはわからない。
兄である新王ジョゼフは無能と呼ばれており、彼が弟の才能を恐れて暗殺したのではないかという噂もある。
また、ジョゼフの統治能力に疑問を持つ貴族も多く、側近による傀儡政治がガリア貴族内で警戒されているそうだ。
いずれにせよ、側近を含めたジョゼフ政権全体で考えれば今までと比較にならないほど磐石であり
以降ガリアは新王ジョゼフの下に安定するであろうというのが世間の見解である。

ロマリアでは最近教皇の体調不良が噂されており、気の早いものが新教皇に関してあれこれと囃したてている。
また、光の国とは名ばかり、神官が平民を搾取する修羅の国であることは噂を聞く気になった人間なら誰でも知ってる公然の秘密だ。

ゲルマニアは最近トリステインへ婚姻をも視野に入れた同盟のアプローチしてきている。
「野蛮人の主が自らの血統に始祖ブリミルの血を入れようと躍起になっている」というのが一般的な見解だが
「国力の低下したトリステインを将来的に同君連合という形で併合するつもりだ」という説もある。
いずれにせよ、公然と他国にちょっかいをかけられるほどの余裕があるのは間違いない。

トリステインとしては今のところゲルマニアと同盟する気はなさそうである。
どちらかといえばアルビオンと「対ゲルマニア・ガリア同盟」を結ぼうと考えているらしく
アンリエッタ姫がそこそこの年齢になった暁には適当な理由を作って姫とウェールズ王太子を会わせ、
あわよくば婚約まで持っていこうと工作しているらしい。
また、先王の死後から王位が空席なため国家体制が曖昧であり、その隙間を利用した汚職が蔓延していると言われている。
そして、相変わらず不景気で国力が減衰している。
改革の必要性を認めている貴族も少なからずおり、着実に増えてはいるのだが
具体的なノウハウや成功例の不足から保守派を説得できるほどの具体案を構築できないらしい。
最近は「このままでは亡国は必至、亡国を防ぐにはアルビオンと同君連合するしかない」という過激な意見も出てきたという。


各国の情報に関してはこんなものだろうか。
国外に関しては最悪なことに予想通りである。これはもう僕ごときが干渉しても焼け石に水だ。
せいぜいラグドリアン湖の精霊に気をつけるよう喚起することと
アルビオン内乱が起きることを前提に、少しでも準備を整えることぐらいが関の山だろう。
最悪ウェールズ王太子をトリステインに亡命させることができれば、その後の惨劇はかなり軽減されるはずだ。
……そう信じておこう。それくらいは期待しないと心が折れる。


だが、贔屓目もあろうがトリステインの貴族が案外まともだったのは幸いだ。
これなら、改革の協力者を見つけることも思っていたよりは難しくないだろう。
一人孤独に近代化したせいで異端審問にかけられて「はい異端~、はい火刑~」とか
そういう状況をかなり警戒していたのでこれは嬉しい誤算である。
……まあ、原作では肝心のノウハウ不足に付け込まれて
「ゲルマニア皇帝とアンリエッタの婚姻」などという未来の併合契約書にサインしたり
急進化してレコンキスタにかぶれたりしたのだろうが。


次に、ド・ヴュールヌ領に関してだが、とりあえず何をするにしても「水が足りない」のが障害になる。
というより、ご先祖様が優秀だったおかげでもうそれ以外に手のつけようがないのだ。
資源が足りないだけなら農業立国なり加工貿易なり中継貿易なり何とでもやりようがあるのだが、水がなければこれ以上人が増えた時点で詰む。
雨がよく降るなら「ため池」を作るだけで済むんだが、僕は生まれてこの方領内で雨を数えるほどしか見たことがない。
小川が枯れたら砂漠化するんじゃないかと思うほどである。
つまり、とにかくどんな手段を使っても水をどこかから手に入れなければならないのだ。

というわけで、我が領内を流れる小川の水源とも言われるラグドリアン湖から運河と水道を引くことにした。
ラグドリアン湖は水の精霊の胸先三寸でいくらでも増えることができるいわば貯水量無限のチート水源だ。
既に3年かけて領内は地上地下ともに測量し、水道網の図面はある程度作ってある。
湖からド・ヴュールヌ領までも「従者を歩かせ、地面の反響音を聞く」という簡単な方法ながらある程度の測量は行っている。
これだけで地下構造がわかるなんて、メイジは本当に便利だ。

もちろん、それだけの大工事をするには莫大な資金はもちろん
「ラグドリアン湖からド・ヴュールヌ領までの土地を持つ諸侯」「トリステイン王家」そして「水の精霊」を説得する必要がある。
場合によっては対岸のガリアにもお伺いを立てる必要があるだろう。
だがやるしかない。それ以外に恒久的に水を手に入れる現実的な手段がないのだ。
メイジを大量に雇って海水を浄化しようかとも考えたが、メイジ一人が一日に作れる水の量を考えたら水道を掘ったほうが安い。
考えるのは説得に失敗してからでいいだろう。
その後、水道工事の公共事業で雇用を提供して移住者の呼び水にし、インフラや民法を整えて自由経済を促進する……とまあ、これが実現可能なラインだろう。
具体的にどんなインフラや法を整えればいいのかまだはっきりとはしないが、
「ゲルマニア」という現実的な青写真と「現代日本」という最終的な青写真はあるので、それらを参考にしながら適宜修正を入れていくつもりだ。
最悪あの馬鹿みたいに広い雑草地が畑になるだけでも儲けものである。
何しろ、測量してわかったのだがうちの領土は大体2000平方km、こっちの単位で600アルパンもあるのに
人の手が入ってる土地が「街道」とか「放牧地、要するにただ生えてる雑草を食わせるだけの土地」を含めても50アルパンしかなかったのだ。
ぶっちゃけ、工事費用が手に入るなら半分くらい売っ払っても元が取れる。
そんな権限ないし、あっても売らないけど。


……権限で思い出した。まず父上を説得しないといけないのか。
情報収集やら測量やらは黙ってやらせてくれてたけど、流石にここまで大規模だと首を縦に振ってくれるとは思えないなぁ……。
とりあえず事業計画書と予算見積書を作成しようか……。



[13654] 第二話:「HBの鉛筆をへし折るかのように」シーン3
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/01 21:41
「お前の熱意はわかった。確かに水の獲得はわがド・ヴュールヌ家代々の悲願だ。
 そして、これらの資料からお前がただ絵空事を言っているわけではないことも理解した。
 ……お前に馬車と御者を含む従者4名、そしてこの件に関する他家との交渉委任状を預ける。
 但し、ド・ヴュールヌ家と現伯爵領の存亡を揺るがすような約定を交わすことは許さん。
 その条件で事業資金を調達し、諸侯や精霊の許可を得られれば私は喜んで計画を許可しよう。
 少々早い気もするが、領外の物事に触れるのもいい経験であろう」

以上が、僕のプレゼンを聞いたあとの父上の台詞である。
要するに「独力でやりたいだけやって現実の厳しさを知ったら帰って来い。爵位や領地を売ったり担保にしたりするの禁止」ということだ。
予想外の高評価である。自分で言うのもなんだが正直息子を信用しすぎじゃあるまいか。


というわけで、僕は馬車に揺られてご近所廻りの旅に出ることとなった。
外回りなんて新製品の説明を営業に頼まれた時くらいしかやらなかったんだが、大丈夫だろうか。

まず計画としてはこうだ。
まずご近所に挨拶して「運河や水道を掘るとこんないいことがありますよ」といって丸め込み、
彼らの領地の工事は彼らにやってもらう。
具体的な利権を言うと、運河があればかなり大きな船を海まで持っていくことができるし、
上下水道を分ければどこでも最上流のきれいな水を使用することができる。
いくら風石を利用したフネがあるとはいえ、空港やフネを独力で維持できるほどの貴族は殆どいない。
水に困ってるかどうかは知らんが、輸送効率の向上に関しては確実に相手に利を与えられると確信している。
自分の領土を他人にいじくられるのは気分が悪かろうし、その辺を突けばまあ何とかやってもらえるだろう。

諸侯を乗り気にして引っ込みをつかなくしたところでマザリーニ枢機卿を通じて王家に国家事業としての工事許可をもらう。
ぶっちゃけ、国土を横断するような大水道など国家事業でもなければ財源が確保できるわけがない。
まあ王家に金を出してもらえるとは思っていないが、国家事業と伯爵の独自事業では信用が段違いだ。
それに、水の精霊との交渉役を推薦してもらわんと僕では精霊に接触することすらできない。
そういえばド・モンモランシ家は既に交渉役を追われているんだろうか?
領地の干拓計画が云々という話を聞いたことがあるので、多分まだ追われていないのだろうが。

それから水の精霊を説得するのだが、これに関しては何の小細工もない。ただひたすら伏して頼むだけである。
まあ、ついでに「アンドバリの指輪を狙っている賊がいる」と忘れずに注意喚起するくらいだろうか。

で、晴れて説得が完了したら出入りの商人や王家を通じ株式を発行して工事資金を集める。
あらかじめ株式のシステムを出入りの商人に提案してみたところ、
最初は「有限責任」とかの意味がわからなかったようだが、ある程度説明したあとは概ね好評だった。
これなら、それこそありとあらゆるところからかき集めれば工事費用を捻出することも不可能ではあるまい。
――しかしあいつらたかが株式のシステムごときで悪魔呼ばわりすることはないだろう。
そんなこと言ったら江戸時代に先物取引やローソク足を考えた大阪の米商人は何なんだ。


――で、いちいち諸侯との交渉を描画すると長くなるので省略して交渉結果だけ簡単にまとめよう。
ぶっちゃけ、誰も何も面白い事言ってくれなかったし。

・諸侯の反応
「王家がやっていいというならどうぞ。ただ我々も余裕ないから工事と管理はそっち持ちね。
 あと完成後の運河と水道の使用権は忘れんなよ。いやならこの話はなし」

・トリステイン中央政府の反応
「今干拓を国家事業として進めてるから同時並行は無理。
 ド・モンモランシ家は紹介するし、別に止めたりはしないけど工事はそっちの責任でやれ。
 ただ、ド・モンモランシ家にも干拓事業を優先させてもらう」

・ラグドリアン湖周辺で交渉の準備をしていたド・モンモランシ伯の反応
「干拓事業で忙しいからまた今度ね。どうしてもというなら娘でよかったら案内くらいはさせるけど」

というわけで現在、僕と同い年くらいのモンモランシー嬢につれられてラグドリアン湖畔に来ている。
……いきなり計画に修正を余儀なくされてしまった。
他の領地までうちで掘らないといけなくなったので工事規模と予算が概算で3倍以上になるだろう。
それにトリステイン王家の後ろ盾が期待できないので株式を発行しても資金が集まらない可能性が上がった。
しかし、彼らは自分の領土を他人に隈なく測量されたり、領内の運河や水道を他の貴族に管理されることに関してなんとも思わないのだろうか?
非常に突っ込みたかったが、下手に突付いて「じゃあ工事や管理はこっちでやるから金だけ出して」などと言われたら最悪なので触れないことにした。
……ええい、逆に考えるんだ。これで完成した暁にはうちだけで権益を独占できる、そう考えるんだ。

「……そろそろ始めてもよろしいですか、ミスタ・ヴュールヌ?」

横で、モンモランシー嬢が僕に尋ねてきた。子供とはいえ、さすがは貴族令嬢、丁寧な物腰だ。
とはいえ、口調こそ丁寧だが若干いらいらしているようだし、記憶にある彼女の原作口調よりかなりよそよそしい気がする。
まあ、いきなり父親に「お客様が来たからラグドリアン湖の精霊にあわせてやれ」などといわれ、しかもその客が自分をほったらかして一人で考え事をしているのだ。
「精霊を呼ぶ」ということは「自分のどこかを切って血を湖に流す」ということだ。
そこまでしようとしてるのに肝心の客がこんな態度だったら誰だってムカつく。僕だってムカつく。
おっと、考えてる暇があったら謝罪しないと。

「申し訳ありません、ミス・モンモランシ。これから伝説に相対するかと思うと緊張してしまいまして……。
 お手数をおかけしました。よろしくお願いします」

「……まあ、気持ちはわかります。ただ、私も実際に精霊に呼びかけるのは初めてです。
 もし精霊が私の声に答えなかったら、申し訳ありませんがお引き取りくださいと父上が申しておりました。
 それと、水の精霊との盟約の儀式はド・モンモランシ家の秘伝です。
 精霊がいらしたらお呼びしますので、勝手ながらしばらくここを離れていてくださいません?
 ……色々とお考えになりたいこともおありのようですし」

そう言うと、向こうの森を指差す。
儀式が実際に秘伝なのかどうかは知らんが、僕が信頼されていないことは確かなようだ。
というかだいぶ機嫌が悪い。京都ならお茶漬けでも勧めてきそうな勢いだ。
これ以上機嫌を損ねることもないので、大人しく湖の見えないところへ向かった。


「ミスタ・ヴュールヌ! 精霊がいらっしゃいました。もういらしてもかまいませんよ!」

森でしばらくこれからのことを考えてると、モンモランシー嬢が湖畔からそう声をかけてきた。
どうやら儀式自体はまじめにやってくれたらしい。
あわてて湖畔に向かうと、不定形の水の塊が少女の形をとって水面に浮いていた。あれが精霊なのだろう。
精霊は特に何を言うこともなく僕の方を見ている……のだろうか。よくわからん。
とにかく、こちらから話しかけないと何も進展しそうにないことは確かなようだ。

「水の精霊、このたびはあなたにお願いがあってきました! あなたの水の一部を我々に分けてもらうため、この湖に運河を掘らせてほしいのです!」

そういい、我が領地がどれほど水を求めているかを切々と説明し、懇願した。
代償としてできることがあるなら何でもするとまでいった。
だが、

「断る、単なる者よ。それを貴様に認める理由がない。貴様に求めるものもない」

と、にべもなく断られてしまった。
確かに、そう言われればどうしようもない。
ぶっちゃけ水の精霊にしてみたら常時増え続けないといけなくなるだけで何のメリットもないのだ。
こう考えると、水の秘薬が必要なときに“たまたま”タバサが精霊を攻撃していて取引材料が発生したサイトの悪運がうらやましい。
麻雀漫画ではないが「サイトぉ、俺にお前の強運をくれやぁ」と言いたくなってくる。
仕方ない。これ以上ごねて機嫌を損ねるリスクを背負うより日を改めたほうがいいだろう。
とりあえず今回は指輪の忠告だけして引き下がるか。
それで実際に指輪が奪われれば、また交渉の機会も出てくるはずだ。
奪われなかったら……まあ、それはそれで喜ばしいことじゃないか。

「……それなら仕方ありません。ですが一つだけお伝えしたいことがあります。
 あなたの持つ『アンドバリの指輪』のことを知り、狙っている者がいます。お気をつけください」
「……単なる者よ、それをどこで知った?」
「詳しくは少々複雑なのですが……そうだ、あなたは確か人の心に作用するといいます。もしよければ僕の心を探ってください!」

僕がそういうと、しばらくの間が開き、湖から何かがヒュッと僕の体内に入った。
一瞬脱力するが、すぐに気を取り戻す。
すると、水の精霊が再び声を発した。

「単なる者よ。貴様の言を真実と認めよう……ならば単なる者よ、その運河と水道というものを掘れ。
 さすれば我はより広がることができ、指輪を守るのも容易くなろう」
「……! ありがとうございます! 水の精霊よ! 我が杖にかけて約束します!」

僕がそう宣言すると、満足したのか水の精霊は水面に沈んでいった。
これは瓢箪から駒という奴だ。
おそらくさっき水の精霊に体を探られたのだろう。そのせいか彼女(?)の言いたいことがなんとなくわかった。
要するに、僕が掘った運河か水道のどこかに指輪を改めて隠すつもりなのだ。
僕は工事ができるし、指輪を奪われるリスクも低減する。いいこと尽くめの条件だ。
どうやらサイトから奪うまでもなく僕にも強運がついているらしい。
後はカネを集めるだけ……いいだろう、やってやる。
世界中でエコノミックアニマルだの悪魔の民族だのと畏怖されるジャパニーズビジネスマンの力、見せてやろうじゃないか。

「ミスタ・ヴュールヌ! 大丈夫ですか!?」

僕がこれからの資金調達に思いをはせていると、突然横から声をかけられた。
そういやあまりの成果につい忘れてたけどモンモランシー嬢がいたんだった。

「ああ、申し訳ありません、ミス・モンモランシ。また少し考え事をしてしまいました」
「そんなことはいいんです! ひょっとして覚えてらっしゃらないんですか!?
 あなたは水の精霊に心を探るよう言った後今までそこでピクリとも動かなかったんですよ!
 そもそも精霊に心を探らせるなど無謀もいいところです! そのまま廃人になる者もいるのですよ!」

……はぁ?

そういわれて辺りを見ると、確かに影の位置がいきなり変わったような気がする。
それと、いつのまにか人影が増えてる。
見ると、僕の従者はおろかド・モンモランシ伯までも自分の侍従を引き連れて僕を取り囲んでいた。
……そうか、一瞬だと思ってたが相当な時間精霊に心を乗っ取られていたのか。
もしできたら手っ取り早いから気軽に「心を覗けばいいよ」といったが、そんなに危険な行為だったとは。
しかし、あの様子だと向こうはやる気になればいつでもできそうだったし、警戒しても無駄なんじゃないかという気はする。
まあいいや。反省は後にして、伯爵がいらしたのならそれを最大限利用させてもらうまでだ。

「ミス・モンモランシ。ならびにド・モンモランシ伯。このたびはお騒がせして申し訳ありません。
 しかし、ご覧のとおり水の精霊との約定で私は運河と水道を何としても掘らねばならなくなりました。
 この約定、水の盟約の交渉役として、確かに存在したという証人になっていただけると幸いです」

二人に向き直ると、ぼくは勤めて平静にそう言った。

(こいつ、バカじゃないか?)

伯爵の表情がそう語ってる気がしたが、あながち間違ってないので特に気にしないことにした。



[13654] 第二話:「HBの鉛筆をへし折るかのように」シーン4
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/29 17:24
ある日の朝、ラ・ヴァリエール公は、先ほど届けられた紹介状を流し読みしていた。
こういった紹介状というものは「誰が」書いたかが重要であり、「何を」書いたかはさほど重要ではない。
紹介状は「紹介すべき人物をほめている」に決まっており、通常それ以外のことは書かないからだ。
とはいえ、書いてある内容が無意味かといえば、それはもちろん“否”である。
ほめている具体的な内容を読むことで、紹介される人物のパーソナリティと「紹介者がその人物についてどう思っているか」を知ることができる。
初対面の人間と相対する際、それらを知ることは非情に重要なことだ。

公爵は、この紹介状を書いた「ド・モンモランシ伯」は紹介すべき人物に対してあまりいい印象を持っていないようだと感じた。
できればあまり関わりたくない。そんな気配が紹介文の随所から漂っている。
だが、それと同時にその人物――レイナール・ド・ヴュールヌという少年に対して、一種畏敬の念を持っていることも読み取った。
彼を評す際に度々用いられる「精霊のごとく」という修辞は、その両方を端的に表しているといえるだろう。
社交界デビューもしていない少年に対する評価としては極めて異例である。

レイナール少年に関する噂は公爵も色々と耳にしていた。
たかが子供が社交界の噂に上ること自体驚愕すべきことだが、内容はそれに輪をかけて非常識だ。
最近はなんと「ラグドリアン湖から自領へ」というトリステインを横断するほどの水道を引く計画を立てており、
この紹介状を信じるなら既に精霊を含めた関係者への根回しも終え、資金があればいつでも始められる段階だという。
非常識極まりない。発想も、計画も、そして現状も、何もかもが常軌を逸している。それが公爵の感想だった。
そんな少年が公爵に何の用かというと「工事費用の調達」である。つまりカネを借りにくるのだ。
しかも、父であるド・ヴュールヌ伯から爵位や領土を担保にすることを固く禁じられているという。

(事実上、ほぼ無担保でカネを貸せと言っているようなものだ。
 クルデンホルフ大公ではあるまいし、そのようなことをしてやる義理も理由もない。
 本来ならふざけるのもいい加減にしろと一蹴するか、場合によっては本人ごと切り捨てるところだが……
 曲がりなりにも他家の者が書いた紹介状をよこしてきている以上話くらいは聞かねばならん。
 門前払いなどにすればド・ヴュールヌ家とド・モンモランシ家の反感を買うことになる。
 扱い次第ではこの話に関わっている全諸侯の心象も悪くするだろう。
 ……それに、噂の少年がこのような条件でどうやって私の首を縦に振らせる気なのか、少し興味がある)

公爵は紹介状を机に置き、同封されていた書類閉じの封を開けた。
いくら量が多くとも、これから会う人物が書いた資料を読まないわけにはいかないからだった。


そしてもう夕食の時刻にもなろうかという頃、屋敷の応接室にて、ラ・ヴァリエール公は待たせていた少年、レイナールと面会した。

「待たせて申し訳ないね。君の持ってきてくれた資料があまりに精密だったので、つい食い入るように読んでしまった」

特に悪びれる様子もなく、公爵はそういった。
待たせた理由は、半分本当で半分嘘である。
資料は確かに予想より読むのに時間がかかったが、読むだけなら流石に半日もかかる程ではない。
だが、書いてある内容があまりにも荒唐無稽、にもかかわらずその論旨が極めて論理的かつ具体的なので、
どこかに詭弁や詐術が混じっていないかとつい重箱の隅をつつくような粗捜しをしてしまったのだ。

「いえ、公爵様にそこまで仰っていただけるなら私も書いた甲斐があるというものです。
 それに、お時間をいただけたおかげで私も色々と心の準備ができました」
「そうか、そういってくれるとこちらも助かる。それで、この資料にある工事を執り行うため、私に資金を融資してほしいというんだね?」
「いいえ、お借りしたいのはそれだけではございません」
「……なんだと?」
「必要な資金のほか、それを保管する蔵もお借りしたく存じます。
 お借りしたい金額が膨大なので、もしよろしければ、殆どを公爵閣下の金蔵にそのまま保管していただきたく存じます。
 当家に返済能力なしとご判断された場合は、そのまま差し押さえて下さって結構です」
「……どういうことだ? それでは金を借りる意味がないではないか」
「それをご説明する前に、当家が恥を忍んで公爵閣下に無心を頼みに来た経緯をご説明したいと存じます。
 まず、ド・ヴュールヌ領に水を運ぶ事業は、当家開闢以来の悲願でございました。
 そして、それを実現させるためには国土を横断する『ラグドリアン水道』を作るしかないと考えたのです。
 そのため、当家は爪に火を灯してその事業費を蓄え、ついにこのたび実現の日を迎えました」

レイナールが、少々芝居がかった物言いでそんなことを語りだした。
確かに、ド・ヴュールヌ家が普段は極限まで節制し、物資を備蓄していることは公爵も知るところだ。
それに目の前の子供が絵図を描いたのではなく、先祖代々の計画だというならこの精密さもまだ納得できる。
さらにレイナールの演説は続く。

「……ですが、水道を掘るための資金は莫大、その財を一度に換金しては金銀宝石の価格が暴落し、物価が混乱する恐れもあります。
 そこで形式だけでも『備蓄を担保に資金を借りた』ということにして、無用な財の市場流出を防ぎたいのです」
「その言い方だと、蓄えというのはエキュー金貨ではないのか? ……しかし、それならばなおさら『借りた金をここにおいておく』意味がないではないか」
「ところがそうでもないのです。
 これだけ大きな事業となると、資材を買ったり人を雇ったりするたびに逐一現金を動かすのは非効率的ですから
 普段は帳簿上だけでやりとりを行い、半年ごとに帳簿を突き合わせて差額だけ支払うことにいたしました。
 これならば、租税も含めて相殺すれば実際に動く金額は最小限で済むため、足りない分だけ現金化すれば済みます。
 そのときだけ、公爵閣下の金蔵から金貨を動かせばよいのです。
 商人たちもそれ自体は納得してくれたのですが、ただ一点
 『途中でどうしても一時的に伯爵家の現金がマイナスになる』のが不安なのだそうです。
 何でも過去に貴族にお金を貸したことで逮捕された平民の商人がいるらしく、
 形式的にでも伯爵家に借金がある状態は避けたいのだとか。
 そのため、帳簿上の現金を増やすために公爵閣下のお力をお借りしたいのです。
 もちろん『公爵閣下が当家に金を貸した』となれば事業の信用も高まるでしょうから
 そういう点でもお力をお借りすることにはなりますが、それが目的ではありません。
 ……不躾なのは承知ですが、哀れな我らを助けると思い、どうかお慈悲をお願いします」

そういうと、レイナールは深く跪いた。
公爵は、そういえばそんなことが何百年か前にあったらしいという噂を思い出した。
確か、土地を担保に金を貸したことが「平民の領土保持禁止」に抵触するとか、そんな内容だったはずだ。
とはいえ、実際にそのようなことをしたら国中から商人がいなくなってしまう。
それゆえ公爵はこの話を単なる流言の類と思っているが、こういった噂は“ある”だけで十分に騒動の種となるのだ。
商人たちが警戒するのも納得がいく話である。

「話をまとめると……財宝を市場に流して物価を混乱させたくないから、少しずつこちらで引き取ってほしい。
 ただそれだと商人が不安がるので、ついでに名目上はここで全額貸したことにしてほしい……こういうことだな?」
「はい。若輩ゆえ説明が回りくどくなり、まことに申し訳ありません」
「かまわん。単刀直入に言われていたならかえって理解できんかったろうしな。それで、その蓄えとやらはいくらで、とりあえずいくら必要なのだ?」
「火急に必要な現金はございませんが……閣下には当家の蓄えを担保に三千万エキューほど融資していただければ幸いです」
「さ、三千万エキューだと! ふざけているのか! そんなカネが……」

(あるわけないだろう!)と叫びそうになるのを必死でこらえた。
このレイナールという小僧は「蓄えを担保に」三千万エキューを要求しているのだ。
この流れでそれを言えば「伯爵家にあるものが公爵家にない」ということを認めることになる。
それだけは絶対に避けなければならなかった。

「……出せるわけないだろう! そもそもそれほどの蓄えが本当にあるのか!
 貴様は領土や爵位を担保にすることを禁じられているのだろう! それでどうやって担保を捻出するつもりだ!」
「そうお思いになるのは尤もです。そこで……私が自由に使える範囲ながら、蓄えの一部をお持ちしました。
 公爵閣下さえよろしければ、お目にかけようかと思いますが」
「いいだろう! 見せてみろ!」
「かしこまりました」

そういうと、レイナールは後ろに向かって手を叩く。
すると、彼が連れてきた従者2人が台車を押し、何故かその後ろを公爵の執事がついて応接室に入ってきた。
台車には何かが詰まれており、大事そうに布がかぶせられていた。
台車は本来一人押しなのか、従者は右端と左端をずいぶんと押しづらそうに押している。
それに、何故か台車を押しながら周りをきょろきょろと見回して落ち着きがない。
布のふくらみ具合から考えて二人掛りで押すほどの量ではないはずなのだが……公爵はそんな疑問を感じた。
そして台車がレイナールの目の前で泊まると、少年は恭しく台車にかぶせられた布を取り去った。


そこにあったのは、山と詰まれた金塊だった。


あっけにとられた公爵を尻目に、

「一つ10リーブルの金塊が100個で計1000リーブルの金塊です。ご確認ください」

レイナールはまるで舞台女優を紹介するかのようにそう宣言した。
公爵はその一つを手に取った。重さや手触りは、確かに金の重さそのものだ。

「馬鹿な……おい! これを鑑定せよ!」

公爵は入ってきた執事に向かってそう命じる、だが

「それならば閣下が資料をお読みの間に執り行っておきました。100個全て間違いなく純金でございます」

長年付き従ってきた部下の宣言は非情であった。
間髪いれず、レイナールが追い討ちをかける。

「当家はこの計画のために血のにじむような努力を続けてきたと申したはずです。
 他にも銀や宝石など、時価総計で三千万エキューの価値はあると自負しております。
 この金塊は閣下に進呈いたします。私のために貴重なお時間を下さったお礼です」

まるで赤子に菓子をやるように、時価10万エキューはあると思われる金塊を進呈するという。
ハッタリだ。そうに決まっている。
公爵はそう確信しているものの、それを否定する要素を見つけることができなかった。

だが――ここで、公爵はふと我に帰った。ハッタリだったら何だというのかと。

(そう、ハッタリだったらなんだというのだ。
 実際に金を渡すわけではない。
 「担保が確認されたときのみ現金を授与する」なら、実質的には現物取引と同じだ。
 実際の取引に関する条件さえしっかり契約しておけば、貸し倒れになったところで損をすることはない。
 この水道工事はトリステインの様々な貴族が恩恵を受ける大事業だ。
 公爵家の出資で成功したとなれば、国内外の発言力も高まることだろう。
 場合によっては、多少持ち出しがあったとしても後で十分におつりがくる。
 逆に、今私が断ればこの小僧は他の所――クルデンホルフ大公家などで同じ事をするだろう。
 もしそこが快諾すれば、ラ・ヴァリエール公家の威信を大いに傷つけることになる。
 ひょっとしたら、あの忌々しいツェルプストーがそのためだけに名乗りを上げる可能性すらある。
 何しろ、この取引に元手はほとんど必要ない。
 ただ「三千万エキューくらいもってそう」という信用さえあればいいのだからな)


要約すれば、この取引で公爵家が損をすることはまず考えられないうえ、
ここまで話を聞いた彼には「出資する」以外の選択肢がなくなっているのだ。
いや、話を聞かずに追い出すという選択肢もなかった以上、
眼前の小僧がこの計画を公爵に持っていくと決めた瞬間に彼の運命は決まったといってもいい。

(なるほど……ド・モンモランシ伯が敬遠するのもよくわかる。この小僧、私もできることなら生涯関わりたくなかった)

「――いいだろう。ミスタ・ヴュールヌ、そちらの持つ金銀を担保にする条件で出資しようじゃないか。
 だが金額が金額だ。細かい内容を詰める必要がある。夕食後に改めて話し合おうとおもうが、どうかね?」
「あ、ありがとうございます!」

公爵がそういうと、レイナールは満面の笑みを浮かべてそう答えた。
それは、公爵が始めてみる彼の少年らしい表情だった。
もちろん、公爵がそれを見て(多少は少年らしいところもあるのだな)などと思うことはなかった。



[13654] 第二話:「HBの鉛筆をへし折るかのように」シーン5
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/03 00:17
なんやかんやで公爵とも交渉を終え、公爵家の客間にて僕は朝を迎えた。
現在僕は公爵家に滞在して父上が来るまで待機している状態である。
今回は今まの交渉でと違い伯爵である父上の正式な調印が必要なため、こういう事態になってしまうのだ。
まあ父上の移動には我が家の虎の子である風竜を使うらしいので、今日中には付くだろう。

もう既に内容は決まっており、内容も「ウチがどういう財政ということになってるか」も父上には報告済みだ。
あとは互いにサインするだけだし、僕なんかいてもやることはない。
さっさと帰ってもよさそうなものだが、父上から

「私が行くまでそこで待ってろ。そして何をやらかしたか直に説明しろ」

と言われてしまったので仕方ない。
……よく今まで何も言わなかったものである。
理解のある親を持って僕は本当に幸せだ。この恩は必ず返さねば。


一応、これから交わすことになる借款契約をおさらいしておこう。
揚げ足取りや勘違いを防ぐために長ったらしい文章になっているが、要約すれば内容はこんなものだ。

1:ラ・ヴァリエール家(以下甲)はド・ヴュールヌ家(以下乙)に三千万エキューおよびそれを保管する金蔵を貸す
2:返済額は利子と金蔵の賃貸料を含めて3500万エキューとする
3:期限は3840日後とする。これまでに乙は上記の金額を甲に返済すること
4:本債権の担保は乙が所有する時価総額三千万エキューの隠し財産とする
5:乙はいつでも甲に対して預けた担保の評価額に相当する現金の出庫を要求できる
6:逆に、甲は相当する担保が預けられていないことを理由に現金の出庫を拒否できる
7:担保の評価額は乙の申告および市場の時価を鑑みて最終的に甲が決定する
8:甲はいつでも乙から預かった担保をその評価額と同額分債権を減額することで乙から買い取ることができる
9:甲はいつでも乙から預かっている現金と担保を全て押収できる
10:但し「9」を行った場合甲が持つ本件における乙への債権は全て消滅する

身もふたもなく言うと
「ウチの帳簿上の所持金が一時的に三千万エキュー増える」
「ウチが持ってきた財宝類を公爵家が適当な値段で買う。その分帳簿上増えてたカネが現金になる」
「公爵家は面倒くさいことに付き合う代わりにウチから10年で500万エキューもらう」
「ただそんなカネが払えるなんて期待してないから適当なときになったら打ち切るよ」
という内容が書かれている。

もちろん実際には先祖代々貯めた隠し財産などない。父上も僕もそれは十分よく知っている。
公爵のほうに三千万エキューあるかどうかは知らない。どうせそんなに持ち出す気はないから興味もない。
いずれにせよ、公爵は僕の行動をハッタリだと見抜き、それと知った上で契約に応じてくれたのだろう。
そうあってほしい。そうでなければ困る。
世界の真実は墓場まで持っていかなければならないのだ。おそらくは先達がそうしてきたように。


事の発端は3年前、父上に「ダイヤモンドの錬金はスクウェアでも困難」と言われたときだ。
だが、僕は現代日本と同様「人造宝石はいくらでもできるからゴミクズ、宝石は天然だから価値がある」と思っていたのだ。
父上は心が昂ぶっていたからだろうと言ったが、あんなフェイクを作る時にそんな気を昂ぶらせるわけがない。
試しに後でこっそりダイヤモンドやコランダムを《錬金》してみたが、何度でも簡単に錬金できた。
純度の高い石炭を原料に、本当に気合を入れて《錬金》すれば、ほぼ不純物のないダイヤモンドすらできてしまった。

これはどういうことだと考えてみたが、一つの仮説に行き当たった。
「《錬金》とは、術者の世界観に基づいて行われるのではないか」と。
これでは意味がわからないから、少し長くなるが解説を試みよう。
普通のメイジ、というか人間は「人間の感覚や価値基準」という世界観を持っている。
その世界観に基づくと土や油は「安い」から、簡単に錬金できる。
金や宝石は非常に高価な「特別な物質」であるため、スクウェアでなければ錬金できない。
そしてジュラルミンやセブンナインの純金属などというものはその世界観に「ない」ため、錬金できないことになる。
だが、僕はその世界観に加え「原子構造」という現代科学の世界観を持っている。
それに基づけばダイヤモンドなんて単なる炭素の固まりだし、金だって原子量が大きいだけで他の物質と本質的には全く変わらない。
まあ流石に「その物質がどんなものかわからないと作りようがない」ため“鑑定”して性質を調べたものくらいしか作れないが、
それさえわかれば後はどんな物質でも大した差はない。
「化学変化より原子変化のほうがめんどくさい」くらいだ。


……ええい、もう取り繕うのは止めよう。
要するに「《錬金》の難易度なんて術者の思い込み」なのだ。
難しいと思えば難易度も消費MPも跳ね上がる。
だが逆に「こんなのHBの鉛筆をへし折るより簡単だ」と“理解して”いれば、どちらも劇的に下がってしまうのだ。
原作世界はともかく、少なくともこの世界では。
そう考え、蔵の中にあったなけなしの金塊をこっそり持ち出して“鑑定”し、それに基づいてその辺のゴミを《錬金》してみた。
結果――あっさり全て金になってしまった。合金である真鍮を錬金するよりも楽だった。


この素晴らしい研究結果に僕はもちろん――あまりの恐ろしさに戦慄した。
この真実は人類には早すぎる。せめて信用貨幣が浸透し、金が単なる工業材料になるまでは公にすべきではない。
公開すれば今まで信じられてきた価値観が崩壊し、経済どころか取引という概念そのものが破綻しかねない。
そうなれば世界的な混乱は避けられない。最悪ハルケギニアの文明が滅んでしまう。
そもそも、僕が気付いたようなことを今まで誰も気付かなかったというのはあまりにも自信過剰だ。
過去にも「別に金って《錬金》で簡単に作れるよな」ということに気付いた人間はいたはずなのだ。
だが、その真実はいまだ世に現れていない。「金や宝石はスクウェアでないと無理」と誰もが信じている。
つまりその先達は事の重大さに気付き自ら口を閉ざしたか……
あるいは、世界の秩序を守ろうとする“何か”に人知れず闇へ消されたのだろう。
異端審問官が大手をふるって世界を闊歩している時代である。それくらいはあってもおかしくない。
というより僕にその権力があるなら絶対にそんな組織を作り、自分を含めてやばそうな奴を監視させる。
僕は無自覚に世界を滅ぼしたくも、滅ぼされたくもないからだ。
そして僕は消されるのもごめんだ。ならばかつての偉大な先人達と同じく、真実を墓場までもっていくしかない。
だから「僕が金銀宝石をアホみたいに量産できる」ということを知られるわけにはいかないのだ。


そこで、公爵を利用させてもらった。
本音を言うとこの真実に気付いた以上、死ぬまで貴金属など《錬金》したくなかったのだが、それをしなければどう考えても事業資金が集まらない。
商人たちに「帳簿を付け合って半期ごとに決算」という反則的なリミットブレイクを認めさせたまではいいものの、誰も投資に乗ってくれないのだ。
どうも国家事業にすることに失敗した時点で「たかが一伯爵にできる事業じゃない」と思われたらしく、運河が通るはずの諸侯ですら1ドニエも投資しやがらなかった。
仕方がないので「貴族が平民の借金を棒引きした」判例を必死で探して口実を作り、さらにこんな詐欺まがいの紛らわしい手法まで考えて
「ド・ヴュールヌ家には時価三千万エキューの隠し財産がある」と声高に主張したのだ。
存在の主張が目的なので、最悪この取引を公爵に、いや、他の全ての人間に袖にされてもよかった。
「ド・ヴュールヌ家の隠し財宝」という言霊をこの世に広く流布できさえすれば後の成果は全てボーナスである。
それさえできれば、黄金も宝石も実際にいくらでも作れるのだから
「だから言っただろう! 財宝は本当にあるんだ!」とでも言いながら必要なだけ換金すればいい。
もちろん、公爵が出資してくれれば事業の信用も高まり、ひいては“財宝”を出動させる危険も減るので
契約がうまくいったのは本当にありがたい。
何度でも言うが、できればもう二度と貴金属の《錬金》なんてやりたくないのだ。


「……さて、それはいいとして、父上にはどう説明したものやら」

目下最大の問題を前に、僕はひとりごちた。
実は完全に失念していた。どうしよう。
……まあしかたない。やったことを丁寧に説明するしかないだろう。
金塊は事業成功のため商人たちに用意させた裏金ってことにすればいいや。
僕がそんな適当なことを考えて現実逃避をしていると、突然中庭のほうから


ドカーン!


という大きな爆発音がした。



[13654] 第二話:「HBの鉛筆をへし折るかのように」シーン6(第二話エンディング)
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/04 11:33
爆発音と振動を感じたとき、僕は頭が真っ白になってとっさに「訓練された動き」を行ってしまった。
もちろん、伯爵家で「爆発音が聞こえたらどうするか」など訓練するわけがない。
つまり、もはや10年以上昔に習ったうろ覚えの「日本での災害訓練」通りの行動をとったのだ。

まず二次災害で閉じ込められないために窓を開ける。
非常ベルがなっていないのを確認し、非常ベルのボタンを探す。
ないのを確認すると同時に、音がすぐに収まったのを確認。
それにより誘爆や大火災が現時点で発生している可能性は低いと判断すると、報告のため電話を探す。
電話もないので、仕方なく初期消火のために消火器を探す。
それも見つからないので(次はどうすればいいんだっけ?)と思いながら現場に――といったあたりで我に返った。
とりあえず、部屋を出たり大声をあげたりしなくて幸いである。

ドアを開けて周りを見てみるが、爆発音が聞こえたというのに何の騒ぎも起きている気配はない。
つまり、あれはこの屋敷の人間にとって「驚くには値しない現象」なのである。
となれば、おそらくあの音は「ルイズの失敗魔法」と見て間違いあるまい。
そこまで原作どおりなのに安堵するべきか落胆するべきなのかはわからんが。
……「物語の世界に放り込まれた」ことに恐怖するべきな気がするが、その辺は僕の心の平穏のために考えないようにしよう。


さて、推測が終わったらとりあえず中庭を確認である。
もちろん、今のルイズに会っても僕にできることはない。
「君の爆発は虚無なんだよ」と言っても絶対に信じないだろう。
現代日本で言えば「実は君はムー大陸の転生戦士なんだよ」とか言うようなものである。
よくて頭のおかしい変な奴扱い、最悪ブチ切れて爆発の餌食にされる。
始祖の祈祷書やら何やらで実際に虚無に目覚めでもしない限り、彼女に自分の系統をわからせることはできまい。
じゃあ何のために行くんだというと……実際、特に意味はない。
いい機会だからルイズも原作どおりなのか確認しよう程度の軽い気持ちである。
まあ「爆発魔法の有効性」くらい解説すれば彼女の心の平衡にも少しは役立つだろうか。
その前に家の恥とか言って家臣団が隠そうとするかな? まあそれなら素直に引き下がろう。


そんなことを考えていると、別に誰に妨害されることもなく中庭にたどり着いてしまった。
中庭は燦々たる有様であり、何と形容していいものかわからないくらいめちゃくちゃになっていた。
従者たちが手馴れた手つきで直径2メイル程度のクレーターを埋めており、使用人が散らばった様々なものを片付けていた。
その横で、桃色がかった金髪という人形みたいな髪をした僕と同い年くらいの少女が、うずくまりながらしきりに

「ねぇ、もうカエルいないわよね? いないわよね?」

とその辺のメイドに尋ねていた。たぶんアレがルイズだろう。
よく見たら泣き顔になっている……カエルが怖いんだったっけ?
何にせよ、あれじゃ初対面の僕がいきなり話しかけてもろくな話は聞けないだろう。
仕方がないので、その辺のメイドから適当にサボりたそうな顔をしている女性を見繕って話しかけることにした。

「お忙しいところ申し訳ありません。一体何があったのでしょうか?」

サボる口実ができたと思ったのか、その女性は手を止めてこちらに話しかけてきた。

「これはお客様。いえ……これは……大したことではございませんので、ご安心ください」
「あの、大したことではないって、とてもそうは見えないんですけど」
「いえ本当に大したことではございませんので……ちょっとルイズお嬢様の魔法が“失敗”なs『何おしゃべりしてるんだ! 早く手を動かさないか!』」

メイドが何か言おうとしたところで、近くにいた壮年の男性が割って入った。
おそらく彼女の上司――主任クラスだろうか。この家は使用人が多すぎてどういうシステムなのかわかりづらい――なのだろう。
タイミングとしては、サボっているのを諌めたというより余計なことを言いそうになったので止めたと言った感じだった。
その彼はこちらに近づいてくると、メイドを作業に戻させ、恭しくこう言った。

「お騒がせして申し訳ありません、ミスタ・ヴュールヌ。こちらは現在作業中で大変危険です。客間にお戻りください」
「何か事故でもあったのですか? 僕もメイジの端くれです。よろしければ片付けのお手伝いくらいはできますが」
「いえ、そのお気持ちだけで十分でございます。わざわざお客様のお手を煩わせたとあっては私どもが公爵閣下に叱られてしまいます。
 それに……こちらにも色々とございますから」

というと、彼がほんの少しだけちらりとルイズのほうを見た気がした。
……なるほど、公爵家ともなればメイジの直臣もいるだろうに、わざわざ使用人が手作業で直しているのは彼女に気を使ってのことか。
しかしそんな変な気の使い方をしたらかえって彼女を傷つける気がするんだが……
まあ、魔法でチャチャッと元に戻したらそれはそれでコンプレックスを刺激するか。
「かくあるべし」というイデオロギーは人をここまで追い詰められるんだなぁ。恐ろしい話だ。
ひょっとしてこれは「虚無の担い手」の精神を追い詰めて効率よくMPを蓄積させるために計算されたシステムなのだろうか。
だとしたら、考えた奴は悪魔だな。


爆発の現場やらを見たわけではないが、ここまで状況証拠がそろっているならルイズの能力もまあおおよそ原作どおりと推察していいだろう。
彼女に何も助言できないのは残念だが、まあそのうちまたチャンスもあるだろうし今回は見送ろう。
そもそも、いくらイデオロギーの犠牲者であろうと自分の運命は自分で克服するしかないんだ。
無責任だが彼女には強く生きてもらおう。

「わかりました。お忙しいところありがとうございます。あとあのメイドの方は僕が無理を言って引き止めたのです。非は私にあります」
「そうですか、それは大変失礼をいたしました。それでは今から客間にご案内します。万一のことがあってはいけませんので」

……これ以上ウロチョロされてはかなわん、ということか。まあそりゃそうだろう。
ここまでフリーパスで来れたこと自体が不思議なくらいだ。
ああ、そんなことを考えてたらどうやらルイズも落ち着いたみたいだ。もうちょっと遅く来ればよかったかな。

「はい。お願いします――しかし、何をどうすればこんな風になるやら……うん、魔法は無理だな」

僕は、あたりの惨状を見渡しながらそうつぶやき、虚無の片鱗に感嘆した。
この爆発を再現しようと思ったら、スクウェアのメイジですらどれくらいのMPを持っていかれることやら。
少なくとも、ろくに攻撃魔法の勉強をしていない僕ではどんなインチキを使っても絶対に再現できない。
大量に火薬を用意して爆発させれば話は別かもしれないが、それは魔法とは違うだろう。第一それじゃ僕が死んでしまう。
そう、純粋にそのでたらめな威力に感嘆していたのだ。だが、

「何で……初対面のあんたに『魔法は無理』とか言われないといけないのよ!」

運の悪いことに僕の独り言を聞いていたピンク色の少女はそう受け取ってはくれなかったようだ。
しまった。声に出ていたか。これは謝罪しないt「デル・ウィンデ!」って、このアマ《エア・カッター》詠唱しやがった!
お前それ攻撃魔法だぞ! 子供の魔法だから死にゃしないだろうが八つ当たりで撃っていい魔法じゃねぇだろ!
だめだ! 避け……!

そこで、僕の意識は途切れた。


自分の身を持って彼女の“失敗魔法”を受け、わかったことがいくつかある。
まず、あの魔法は回避不可能だ。彼女が狙った場所に“即座に”爆発が現れる。
しかもその狙いもあやふやなものだから「彼女の動きを見て爆発場所を予測する」ということすらできない。
使われる前に彼女を無力化するか、彼女が自分とは違う場所を撃ってくれることを祈るしかない。
さらに、あらゆる防御が通用しない。というかどうやって防御したらいいか見当もつかない。
そして、失敗魔法と言うが人を殺すには十分な威力を持っている。
何しろ、そのとき着ていた僕の服の左袖が跡形もなく消滅したのだ。
「頭部のどこかを吹き飛ばす」という小器用な使い方をされたら間違いなくあの世に行っていただろう。
どうして左腕が残っているのか不思議でならない。
無意識に「流石に殺しはまずいわよね」と思って手加減したのだろうか。
もしそうなら、まさに伝説の片鱗に相応しい凄まじさだ。
唱えられたら最後、回避も抵抗も不可能。生き残るためには相手の慈悲にすがる、つまり服従しかない。
それが彼女の“失敗魔法”なのだ。
駄目だ。いくら彼女がかわいそうでも、これだけは伝えられない。
こんな危険な魔法の有効性をまだ10歳の子供に教えるわけにはいかない。
それ以前に「僕はあなたに服従するしかないんですよ」なんて知られるわけにはいかない。
せめて僕が「対ルイズ戦法」を確立させるまで、この真実も抱えておくしかあるまい。
くそう、何で僕だけこんなに秘密を抱えておかなきゃならないんだ。僕は普通の日本人の生活がしたいだけだぞ。


ちなみに、彼女が僕を爆発で吹き飛ばしてくれたおかげで僕は4日ほど意識不明に陥った。
その結果、僕がやらかしたこともうやむやになり
父上も時間が経って落ち着いたのかずいぶん楽に納得させることができた。
僕は恩は忘れない主義だ。この恩には必ず報いよう。
具体的には、後遺症もなかったし治療費も払ってもらったからそれでこの件はなかったことにしてあげようと思っている。
僕の不用意な発言も一因だし、ここは僕が大人になっておかなくちゃ。




……二度目はないぞ。あの爆殺魔め。



[13654] 番外編:「そこには魔物が住んでいる」(閑話・ネタ)
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/04 15:56
註:今回の話は本編と殆ど関係ありません。あくまで一発ネタとしてお楽しみください


ところで、公爵閣下からお借りした3000万エキューで最初に買ったものが何かお分かりだろうか。
当然と思われるか意外と思われるかはわからないが、その答えは「黄金」である。
もちろん、僕もこんな物買いたくはなかった。全ては誤解から起きた悲劇なのだ。
今回は、そんな悲しい事件についてお話しよう。


ド・ヴュールヌ家の隠し財宝およびラ・ヴァリエール公との借款が公表された直後、トリステインで地金、
要するに金貨などに加工されていない黄金の値段が緩やかに下がり始めた。地金が売りに出されたのである。
基本的にこの借款の担保は金銀宝石ということになっている。
地金の価格が下がるということはすなわち担保の評価額が下がるということであり、
それはつまりこの契約の破綻、ひいては水道事業の破綻を意味する。
この事態を知ったとき、僕が考えたことはこうだ。

「やはり出たなヘッジファンド! しかし貴様らが現れることは既に予測済みよ!
 こんなこともあろうかと計画段階から金銀宝石の価格と取引量は商人に記録させている!
 貴様らの攻勢を見逃すことなどありえない!
 そして前々からの交渉で『該当物件の価格が基準の99%以下になったら売り雰囲気がなくなり基準価格に戻るまで淡々と買い支えろ』と指示してある!
 いつかウチの現金がなくなり地金が買い支えられなくなると思っているだろうが、それも想定の範囲内だ!
 100%以上になった時点で地金を契約どおりラ・ヴァリエール公に押し付け、市場に流すことなく黄金をエキューに変換する!
 かなり無茶な話だが、公爵閣下は先だっての「ぼく殺害未遂事件」でウチに負い目を持っている!
 契約上問題ないならそう強くは出ないはずだ!
 そしてこの取引のサイクルでウチも公爵家も帳簿上は一切の損害を出さない!
 帳簿上の3000万エキューがなくなるまで、こっちはノーダメージで金を買うことができる!
 つまり貴様らが金売りをする限りこの架空の3000万エキューは実弾となって貴様らの前に立ちはだかるのだ!
 貴様らにこの幻想をブチ壊す程のチカラがあるか試してやろう! さあ来い!」

まあ、実際のところは「ウチに大量の地金があって近々売りに出される」なんて話を聞いたら
ビビって金売りに走る人間が出ることくらいは予想していたので、市場介入の準備をしていただけだ。
そして案の定金売りが始まったので「市場介入を行うこととその意味」を宣言して実際に市場介入しただけである。
万が一これを利用してウチからカネを吸い上げようと考える狡っからい奴が現れても、
市場介入を宣言した以上しばらくこの動きを見せてやったら撤退すると高をくくっていた。
ウチに3000万エキューあるのは公表済みなのだ。いくらなんでも諦めるだろうと。


だが、いくらやっても金売りは止まらなかった。
ウチが買い支えているから相場は動かず他の市場も安定しているが、それがなければ今頃大暴落を起こしているだろう。
雰囲気売りなら介入を宣言してしばらく相場を安定させ、市場の人間を安心させれば終わるはずだ。
そもそもエキュー金貨の価値は大半が地金の価値で支えられている。常識的に考えて金貨と地金の価格がそこまで乖離するはずがない。
ぼくが架空のエキューを出現させたせいで実はその保障もなくなっているのだが、それなら逆に地金の値段が上がらないとおかしい。
架空の“地金”だって登場はさせたが、今のところそちらは一欠けらも市場に流してないのだから。
僕は恐怖した。この現象は不自然、つまり“仕手”だと。

「ヤバイ! この世界にも本当にヘッジファンドがいたんだ!
 しかもこいつら3000万エキューの前に全くビビってやがらねぇ!
 まさか相場の闇は僕の考えよりもっと深くて実は損をしてるのか? いや、何回計算してもちゃんと利益を出している!
 じゃあ今売りをしている奴は一体いくら地金を持ってやがるんだ! こっちが音を上げて金売りで現金確保に走るまで持つとでも言うのか!
 それともラ・ヴァリエール公がビビって取引を中断するのを狙っているのか?
 いや、それにしたって一体どれだけ地金が必要だと思ってやがる!
 そもそもトリステインにここまでの地金はないはずだ! なぜこんな取引が発生する!?」

「――ハッ! まさかゲルマニア皇帝かジョゼフあたりが裏で糸を引いているのか?
 確かにこれで金の値段を暴落させれば、トリステインの経済に壊滅的な打撃を与えることができる!
 今なら価格が暴落する大義名分もあるし、ついでに水道事業も壊滅できる!
 特にジョゼフなら僕のやったカラクリの弱点を見抜いて『地金の空売り』を行ってもおかしくない!
 ならもうこっちも後には引けない! 僕が撤退したら地金の値段が滝のように落とされる!
 いったん落ちればストップ安の概念がないこの時代、どこまで落ちるかわからん!
 誰か知らんがそうやってこのトリステインを経済的に滅ぼす気に違えねぇ!
 これが相場か! くそ! 僕はなんてモノに手を出してしまったんだ!
 だがこうなったら一か八かだ! 自分を信じて殺るしかなぁい!」

といって全力で市場介入を続け、わずかばかりのカネを巻き上げては借款返済の名目で利益の全てを公爵に流してご機嫌を伺い続けた。
だが返済は同時に帳簿上のカネの目減りを意味する。僕は(早く撤退してくれ)とローソク足に祈りながら毎日取引を続けた。


その結果、ある日ゲルマニアの地金価格が大暴騰を起こした。
ゲルマニアの商人たちが地金の空売りをしており、それを補填するための莫大な地金が買われたからだ。
地金の返済だけでも多数の富豪や平民貴族が破綻し、それに波及して市場が大混乱したらしい。

後々よく調べると、そもそもの発端は「トリステインの地金価格がゲルマニアのそれより高い」ことだった。
トリステインが新金貨を発行して地金を消費したのと、それで発行した新金貨の金含有率が低かったためにトリステイン王家の金準備高が疑問視された結果らしい。
逆にゲルマニアは経済発展著しく、カネさえあれば貴族になれるということで各国から一旗あげようと富豪が大金を持って移住してくる。
そのため金準備高が高く、わずかながらも地金の価格が低かったのである。
これに目をつけていたのがゲルマニア商人、特に中小規模の両替商だ。
かれらはチマチマとゲルマニアの金をトリステインで売却し、差額を稼いでいた。
そこにウチが「隠し財宝の存在」を発表したので、これは金の値段が下がると判断した商人たちが一気に地金を放出した。
これが、最初におきた金の大量売りである。規模がでかいだけで単なる雰囲気売りだったのだ。
本来なら、一時的な乱高下のあとトリステインの地金価格がゲルマニアの地金価格と同じまで下がって終わったのである。
だが、ここでウチが市場介入を宣言したため、いつまで経っても地金価格が下がらなかった。
まあ、それだけなら今度は調整された相場の元徐々にゲルマニアの地金価格がトリステインの地金価格並に上がって終わったはずである。
だが、ウチの挙動を見たゲルマニアの商人の誰かが悪いことを考えた。
「奴はいくらでも買ってくれる! なら市場に関係ないところで金を手に入れればいつまでも儲けられるぞ!」と。
具体的には「地金を他人から借りて、それをトリステインで売る」という、まさに空売りを行ったのだ。
そして、それを真似した大勢の富豪もいっせいに地金の空売りを始めたのである。
その結果「決済日が来て金を大量購入しないといけなくなったら彼らの破滅、それまでにウチの現金がなくなって金価格が暴落したら僕らの破滅」
という誰も幸せにならないマネーゲームが始まってしまった。
だが、半ば本気で対ヘッジファンド用に3000万エキューも架空の現金を用意していたウチに泥縄で空売りを始めた連中がいくら束になってかかろうと勝てるはずがない。
そして「勝てるはずがない」事に気付かない、というか自分がどんな勝負を仕掛けたのかすら理解できない中途半端な小金持ちがゲルマニアにはたくさんいたのだ。
おそらく、このシステムをわかった上でそんな小金持ちたちに不十分な説明で地金の空売りを薦め、上前をはねた悪質な業者もいただろう。
いずれにせよ、僕が疑心暗鬼にとらわれ見えない敵に怯えて本気で攻撃してしまったのもあって
金相場に手を出したゲルマニア商人たちが大量に破滅してしまった。
最終的には仕掛けた向こうが悪いんだし、真相がわかったところでこの流れは止めようがなかったろうが、警告すれば少しは被害も軽減できたかもしれない。
やはり相場には魔物が住んでいる。銭は人を殺すのだ。生半可な覚悟で手を出すのは止めよう。


ちなみに、ゲルマニアの地金価格は“たまたま”大量の地金を保有していたラ・ヴァリエール公がそれをゲルマニア市場で現金化することで一応の安定を見た。
また、この事件を重く見た各国は以後地金を含む貴金属類の輸出入に制限をかけることで合意した。
地球と経緯は違えど重金主義の始まりである。
この事件でのゲルマニアの被害総額は最終的に百万エキュー以上とみられ、世間ではその分が全てラ・ヴァリエール公の利益になったとされている。
(実際にはその被害額の殆どは虚空へ消えたのだが)
さらに事の発端がうちとの取引であることもあって
「ラ・ヴァリエール公がド・ヴュールヌ伯との契約にかこつけ、伯爵をたきつけてゲルマニアの成金どもを奴らの土俵でつぶした」
という噂がまことしやかに流れた。
このため公爵はトリステイン貴族の溜飲を大いに下げ、それに伴い発言力も増すことになったのだが、おそらくちっとも嬉しくないだろう。
僕も嬉しくない。これは不幸な事故なのだ。そんな人に怨まれかねない流言を流すのは止めていただきたい。


ゲルマニアでは大量に両替商がつぶれたせいですっかり人がいなくなってしまった金座通りから、この事件を

「金座通りの虐殺」

と題し「史上初めて商取引だけで大量の人間が破滅した歴史的大事件」として公式に記録したらしい。
再発防止に専門の対策チームまで作られたという話もある。
おそらく心情的にはトリステインに武力行使も視野に入れた文句を言いたいところだろうが、その辺は特になにもなかった。
何しろ、ウチは本当に何も悪いことをしていない。
こちらは「市場介入を行うこととその意味」まで事前に説明し、宣言どおり身を守っただけだ。
後知恵で結果だけ見ても空売りを始めた奴とそれをそそのかした奴が悪い。
さらにラ・ヴァリエール公は市場の安定のためとゲルマニアに地金の放出までしているのだ。
ウチともめたらその市場を安定させる地金が届かない。手打ちにするしかないというわけである。
マザリーニ枢機卿は苦労したようだが、流石は長年王が不在の国をここまで持たせる傑物、うまくその辺で話を落としてくれたようだ。


ゲルマニアの商人とはそのうち仲良く取引をしていきたかったのに、どうしてこうなった。
勘弁してくれ。僕は暗殺者に狙われたくないぞ。



[13654] 第三話:「領民所得倍増計画」シーン1
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/07 01:34
ちょっとした出来事や悲しい事件があったが、何とか水道および運河の工事を執り行うことができるようになった。
ラ・ヴァリエール公が資金提供をしてくれたおかげか他の出資者も徐々にではあるが現れ初めた。
……ゲルマニアのバブルがはじけて投資マネーの行き先が激減したからという説もあるが、気にしないでおこう。
その前からちゃんと資金は集まっていたし、たぶん関係ないよ、たぶん。
何にせよ、これなら“隠し財宝”を出動させる心配はなさそうである。
予定としてはまず運河を掘って領内のペイロードと使用できる水の量を増やし、
しかる後さらに人手を増やして地下上下水道を建設する手はずになっている。
初期段階では作業員が消費する水が許容量を超えるが、そこは馬車での輸送や水メイジを臨時で雇うことで何とかやりくりできる計算である。
もちろん基本設計した僕が土木の専門家ではないので、やっているうちに色々不具合がでるだろう。
それに関しては、まあ適宜修正を入れてもらうつもりである。


なお、国家事業として行われている干拓のほうもどういうわけか順当に進んでいる。
おそらく、ド・モンモランシ伯が水の精霊を怒らせずに済んだのだろう。
原作でなぜ水の精霊が怒ったかまで覚えてないのでなんとも言えないが、あれだろうか。
伯爵が「精霊の力で数時間意識を奪われた」人間を直に見て扱いを変えでもしたのだろうか。
まあ順調ならそれ以上気にすることはない。是非そのまま干拓事業を進めてほしいものである。
特に元干潟なんて塩気の多い土地をどうやって農業が可能なまで塩抜きするのか非常に興味がある。
なにしろ、こっちも「乾燥した土地に大量の水を引き込む」などという暴挙を行うのである。
しかも元々「井戸を掘ったら塩水が出てくる」ほどの土地だ。下手をしなくても塩害が起きる危険性が高い。
とはいえ、僕も嗜みとして「無計画に水を引いたら地下から塩が上がって塩害が起きる」ことくらいは知っているが
「どうやれば塩害を予防・治療できるか」までは知らない。
だから、塩害の予防および対処法を知るためにも彼らには是非先達としてがんばってほしいのだ。
本当は事前にその辺のコツを教えてもらいたかったのだが、曖昧な笑みを浮かべるばかりで全く教えてくれなかった。
どうやらまだこちらを信用していないらしい。
仕方がないから、実際に現地を見て推測するしかないのである。
……まさか「考えてない」とか言うんじゃなかろうな。少し不安になってきたぞ。


少し脱線してしまった。話を水道事業に戻そう。
僕はこの工事に当たって効率を最大化すべくこれまで様々な魔法の利用を考えてきた。
人型でないゴーレム、具体的には日本で使われているような重機を再現したものを作ってみたりもした。
その結果、僕は一つの結論に達した。


「失業者を大量に雇って人海戦術を行うのが一番安くて早い」と。


さすが長年魔法に支えられてきた世界だけあって、僕一人の浅知恵では大して効率化できなかった。
というかジャイアントモールを使い魔にしているメイジが一人いるだけであっという間に掘削ができるのだ。
下手に重機を使うより魔法や使い魔を普通に使ったほうがはるかに早い。チートにもほどがある。
それに今トリステインの労働市場は長引く不況で暴落の一途をたどっている。
さらにここ数年間でアルビオンやガリアに起こったお家騒動の波及か、ハルケギニア全体に仕官先を求めて彷徨う元貴族が大量発生しているのだ。
平民の単純労働者はもちろん、メイジですら雇うのに事欠かない。
正直、現時点ではどんな小細工を考えようと「石油が大量に沸いている土地で石炭の液化を研究する」ようなものだ。
学者としてならともかく、エンジニアとしてやる意味は薄い。
それよりは石油を効率よく精製する方法、つまり「効率のいい人の使い方」を考えたほうがいいというわけだ。
で、そんなもの技術者の僕に思いつくはずがない。
せいぜいかつて勤めていた会社を参考にながら命令系統や組織構成をクリアにするくらいである。
現場の指揮にしても、元貴族であるメイジ浪人のほうが僕なんかよりよほどノウハウや経験を持っているだろう。
もちろん、大量に人を動員すると疫病が発生したり、治安が悪化したりという懸念はある。
工事が終わったあと再び大量の失業者が領内に現れるのも問題といえば問題だろう。
だがまあ、それらに関してはこれだけの大事業を執り行う時点でもはや避けて通れない現象だ。
たとえ作業員を半分に減らしたところで本質的に何かが変わるだけではなかろう。
なら、一時的とはいえより多くの雇用を生み出す手段を用いたほうがむしろ人道的と言えるかもしれない。


まあ何が言いたいかというと、もはやこの事業に関して僕ができることは
「現代知識をフルに使わないと解決しそうにない大トラブル」が起きるまでないのだ。
むしろ、不測の事態のため「普段は余計なことをしない」のが仕事といってもいい。
「事業の裁可・出資先との折衝・人事採用・帳簿決済とかやることは色々あるだろう」といわれそうだが、
そういう「事業経営」は伯爵である父上とその家臣の仕事である。
忘れてもらっては困るが僕は責任者でもなんでもないのだ。単にアイディアを出した発案者に過ぎない。
本来なら事前交渉だって父上にやってもらいたかったくらいだ。子供がでしゃばるのもいい加減にしたほうがいいだろう。


というわけで、僕は再び「適当に領内の仕事をしながら野望実現のため新たな研究をする」地味な作業に戻った。
だが、それにしても僕個人でやるにはそろそろ限界が来ている。
何しろ、こちらは青写真しか持っていないのだ。
話を聞いてもらえるだけの権限と実験させるだけの余裕さえあれば、実用化はその道のプロに任せたほうがはるかに効率がいい。
例えば「排泄物や藁束から肥料ができる」という青写真を元に「実際の肥料作成法」を考えるのは実際に地を耕してる農民にやってもらうのが一番であるし
「縦深防御ドクトリン」を実戦で使える段階に昇華させるのは本職の軍人に任せるしかない。
今までは単なる子供ということでろくに話も聞いてもらえなかったが、今回の一件から父上も色々と僕に発言権を与えてくれるようになったし
水道事業で人や資金が集まるようになったので、ドサクサにまぎれて色々研究させることも可能になった。
つまり、技術研究に関しても僕にできることは「青写真をばら撒く」ことと
「成功に対して名誉や特許などの報酬を保証する」くらいで、やはり特にやることはないのだ。


まあ、やることがないならそれもいいだろう。最近結果を急ぐあまりいろんな所に喧嘩を売ってしまった気がする。
結果だけを求めるとやる気も次第に失せていくというし、初心に戻って計画を見直すのも一興だろう。


僕の最終目的は「現代日本の便利な生活を取り戻す」ことにある。
そのためには何が必要か?
色々あるが、まずは「日本的な生活に必要な財やサービスを手に入れる」ことが必要になる。
だが、そんなものどうやったって手に入らない。なぜならハルケギニアにそんなものはないからだ。
つまり、作るしかない。
厳密には他人に作ってもらうしかない。全部自分で作ってたらいくら魔法を使ってもそれだけで日が暮れてしまう。
独りで延々歯ブラシやら石鹸やらカップラーメンやらを黙々と作るなんてギャグもいいところだ。
それにそれじゃ「必要になったらそのときにいつでも買うことができる」利便性が絶対に手に入らない。

で、他人に何かを作ってもらうためには「それを作れば自分が得をする」と思う人間を増やすのが一番楽だ。
その状況に持ち込むには「僕以外の人間にも僕が欲しいものを欲しがってもらう」のが手っ取り早い。
さらに「欲しがってる人間がその需要を満たすために十分な交換材料を持っている」ならば
「それ作って売れば儲かるんじゃね?」と考える人間も増えていくだろう。
あとは「様々な人間が自由に物を売ったり、買ったりできる環境」があればその閾値はどんどん低くなるはずだ。
まとめれば「需要」「購買力」「インフラ」の三点を満たすのが当面の目的となる。


では、現状を鑑みて「何が足りなくて、それを満たすには何が必要か」を考えてみよう。
ちなみに、基本的には市場でつながりうる領域、つまりハルケギニア全体で考えている。


まず「需要」だが、当然ながら全然ない。
なぜなら、僕以外の人間は「湯沸かし器がどれくらい便利か」なんて全く知らないし、
よほどの上級貴族以外は突然ショートケーキをふと食べたくなったりもしないからだ。
とはいえ、これに関してはライフスタイルの問題なので「こんな便利な生活があるんだよ」ということを気長に宣伝する以外に解決法はないだろう。
あまり派手にやりすぎると異端審問フラグなので、慎重にやる必要があるが。

次に「購買力」だが、これも全くない。
一般庶民は殆どがギリギリの生活をしており、余剰資金など全く期待できない。
貴族の中にはカネをアホほど持っている奴もいるが、そんな少数派の消費量など高が知れている。
超高級品ならともかく、ティッシュペーパーみたいな安物の市場形成には役に立たないだろう。
で、これの解決だが……平民の所得を増やすしかない。
幸いこの世界の生産力はかなりしょぼいため、現在ある需要――食料とか衣類とか――に関して供給過剰が発生するのはかなり先の話である。
しばらくは「一人当たりの生産力の向上⇒所得の向上」になるはずだ。
また平民の殆どは農民であるため、当面は単位面積あたりの収獲倍率の増加と作物の多様化を奨励するのが一番手っ取り早いだろう。
他には、何とかして税負担を下げることができればその分だけ市民の購買力は増加する。
まあ政治の話になるとどんなにがんばっても領内にしか権限が及ばないし、減税自体もなかなか難しいのだが。

最後に「インフラ」だが、これはあったりなかったりする。
商取引の概念などはしっかりしているが、基本的に貨幣を使用した現金払いが主である。
最近ウチが帳簿決済という貨幣量のリミットブレイクを提案したが、まだ普及する気配は見えない。
兌換紙幣すら登場する日は遠そうである。
輸送量も空飛ぶフネのおかげで潜在力は相当あるっぽいが、肝心の空港が少ないためその恩恵を受けられる層が極めて限られている。
商店も少ないため、貨幣経済に参加することすらできない田舎もかなり多いようだ。
また、平民の知的レベルというか識字率自体が相当低いため、カモにされるどころか市場へ参加するという概念自体を持てない者も少なからずいるという。
さらに、公正な取引を保障する法制度は全くといっていいほど存在しない。
お前が言うなと言われそうだが殆どのインチキがやりたい放題だ。
だが、じゃあ何ができるんだというと「教育水準の向上」「街道・運河・空港などの流通手段の確保」「商法の整備」という
これまた領内でしかできそうにないことばかりなのが悩みどころだが。


ただ、ド・ヴュールヌ領に関してだけ言えば少しアドバンテージがある。
税金が金納で商人との取引も自由化されているうえ、ろくな資源がないため領民の殆どが貨幣経済に触れているのだ。
生き馬の目を抜く商人から身を守るためか、草の根レベルの教育も他の地域よりは進んでいる。
領内の改革に関しては、比較的スムーズに進むだろう。
他の地域の住民とメンタリティがちょっと違うので後に移住者と軋轢を起こす危険性があるが、発展初期のモデルケースとしてはうってつけである。


以上から、とりあえずド・ヴュールヌ領内で目指すことをまとめると

・水道事業の特需を利用して浪人メイジの登用や技術革新を行い生産力を増加させる。
・現代日本の青写真をばら撒き、新需要を喚起させることで産業を多様化させ、特需終了後の雇用を確保する。
・同時に教育や法の整備、治安機構の効率化を行う。
・これらの行動を誘発するため、減税や報奨金などを図る。

ということになる。
なんというか、ものすごい長期スパンの計画だな。あとどっかで見たことがある気がする。
……ああ、ちょっと違うけど本質的にはあれと同じだ。「所得倍増計画」だ。



[13654] 第三話:「領民所得倍増計画」シーン2
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/08 23:37
ある日のことである。
運河工事もある程度軌道に乗り、全体の原型と簡単な堤防くらいは何とか掘れたくらいのときだった。
朝起きた僕がとりあえず窓の景色を眺めると、近くの小川の幅がどういうわけか数十倍になっていた。
そう、運河工事と同時に拡張する予定だったくらいの幅だ。
場所も運河予定地とほぼ一致している。

「……なんだ! 洪水か!」

あわてて寝巻きのまま川辺に駆けつけると、近所の村人や作業員たちが既に何人か集まっていた。
ちなみに漁村へ行くために使っていたボートは見事に消滅していた。船着場ごと。
大洪水かと思ったが、それにしては流れが穏やかだし、水質も綺麗だ。むしろ荘厳な気配すら感じる。
状況を一言で形容すると「まるで昨夜のうちに拡張工事が完成してしまった」かのようだ。
だが、そんなわけがない。
小川の拡張は確かにペイロード確保のため最優先で行うつもりだったが、
予定地に住む領民の移住を行う必要があったため、現在の進捗は他の地点とどっこいどっこいだったはずだ。
第一、上流の工事もしていないのにこんな大量の水が流れ込んでくるはずがない。
正直理解の範疇を超えた事態に呆然としていると、突然声が聞こえた。

「現れたか。単なる者よ。貴様の中に流れる液体の気配、確かに感じたぞ」

これは聞いた覚えがある。水の精霊の声だ。
下を見ると、水が地面から不自然に染み出して僕の足に触れていた。

「水の精霊! これは一体どういうことですか?」

僕が尋ねると、精霊は特に口調を変えるでもなく淡々と述べてきた。

「我はより広がる場所を求め、貴様との約定に応じた。そして貴様がつけた道のため我が広がるべき“運河”とやらの場所がわかった。
 よって我は貴様との約定に従い、我が広がるべき場所を貰い受けることにした。
 道があれば水が低きに流れるは容易きこと。何を不思議に思う必要がある」

いや、そう言われればそうかもしれないが、土砂を削って運河を繋ぐとかアグレッシヴにもほどがある。
そんなことができるなんて聞いてないぞ。
それに、作業員たちは一体どうしたんだ。

「単なる者よ。貴様の同胞を心配しているのか。ならば気にすることはない。貴様らを飲み込むつもりはない」

いきなり考えていることが当てられてドキッとしてしまったが、水の精霊は心を読めるのだ。
向こうに触れられている以上考えていることを当てられても何の不思議もない。

「単なる者よ。この“運河”で我の求める広さは得られる。あとの“水道”とやらは貴様の好きにするがいい。
 我はそれを告げに、貴様の中に流れる液体の気配を追ってきた。
 これで貴様に用はない。ここは我が広がる場所なれど、留まる場所ではない」

そういうと、地面の水は消え、周りから荘厳な気配もなくなった。
おそらく、水の精霊が去り、ラグドリアン湖へ戻ったのだろう。
だが、向こう岸がかすんで見えるほどの川幅が元に戻ったりはしなかった。
水の精霊の声は他の人間にも聞こえていたらしく、周りが「精霊が云々……」とざわつき始める。

「……ええっと、とりあえず父上に報告、かな?」

僕はどうしていいかわからず、とりあえず家に帰ることにした。
足を精霊に掴まれたせいで靴まで水がしみこんで気持ち悪いし。


その後の顛末を簡単に説明しよう。
父上が言うには、その日から連日領内外の工事現場から「突然運河が完成した」という連絡が相次いだという。
全ての情報を整理したたところ、予定していた運河網が大体数日のうちに完成してしまったとか。
幸いにして誰かが流されたなどの人的被害はなかったが、スコップや簡易テントなど運河予定地に残してあったものが軒並み川底に沈んだらしい。
また、運河を削った土砂を利用して堤防を作る予定だったのが、精霊が勝手に地面を掘ってしまったせいで堤防の高さは予定の半分にもならないという。
さらに、予定ではあと4~5年はかかると予想していた運河工事があっという間に終わってしまったために、
予定していた費用の1/10程度で運河が完成してしまった。
水道工事を含めても、半分程度に削減されてしまうだろう。

こう聞くと嬉しい話のようだが、実際のところはあまり嬉しくない。
何しろ、土木技術のノウハウ蓄積がフイになり、失業者にばら撒くはずだったカネが半分になり、新規事業を開発するまでのタイムリミットが半減したのだ。
特に最後が痛い。
工事の特需が終わるまでに新需要創設や生産力向上を成し遂げないと不足分の作業員が失業者に代わるというのに、いきなり難易度が跳ね上がってしまった。
いくら青写真があるとはいえすぐに新規技術ができるわけがない。少なくとも僕には無理だ。
それ以前に出資者が「予定より楽に終わったからお金余るよね。返して」とか寝言を抜かしたらどうすればいいんだ。
失業者の群れでド・ヴュールヌ領がスラム街になってしまうのはごめんだぞ。

とはいえ、そんな人間の都合など水の精霊の知ったことではあるまい。
約束した取り分を自発的に取りに来ただけだ。こっちには文句を言う権利もないだろう。


「……いやぁ、大自然様の前では人間の浅知恵なんてホントゴミみたいなもんだよなぁ……」

僕は、半ば諦め気味にそうつぶやいた。



[13654] 第三話:「領民所得倍増計画」シーン3
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/09 16:46
水の精霊によって予想外に運河が開通した際、僕は「完成時の大量失業」や「出資者の返金要求」などを心配していた。
だがそんな「アルビオン滅亡より後かもしれない将来」や「最悪《錬金》で何とかなること」ではなく、もっと差し迫った危機が僕たちを待っていたのだ。


あの「水精霊が数晩でやってくれました事件」から一月も経った頃のことである。
僕は、屋敷の執務室で父上と水道事業の進捗書類を読んでいた。
父上も水道事業で忙しくなり、屋敷で書類仕事をしているときでないと親子のふれあいがとれないのだ。
まあ、そんなことを考える健気な子供は一緒に書類を読んでうんうん唸ったりしないだろうが。

僕が主に読んでいるのはドサクサにまぎれて研究させている新技術の進捗状況だ。
しかし月日の流れとは恐ろしいもので、相場をにらめっこしてたり、
青写真をばら撒くため部下に「全軍が整列して行進できるように訓練して」とか「各分隊がどこにいて何をしてるか視覚的に見られるシステム作って」とか頼んだり
町の高札に「歯磨き粉」とか「水道の蛇口」とか「下水の汚物の再利用法」とかの概念を簡単に書いて
「是を実用化させたものには報奨金と20年間の独占的製造権を与える」と懸賞金を募ったりしていたら
いつの間にか、僕も12歳になってしまった。
ちなみに今のところ実用化に成功した研究はないっぽいが、まあそんなものである。
水道事業開始、つまり研究開始から一年ちょっと。運河さえ完成してなければ成功例を調べる気すら起きない時期だ。

「しかし、レイナール。お前の意見で色々と研究させてはいるが……本当にこんなものが役に立つのか?」

水道事業の書類は見終わったらしく、新規事業研究の書類を見ながら父上がそう尋ねてきた。
あれは……「藁クズや廃材などから紙を作る方法」だ。
正直に言うと「わかりません」としか答えようがないんだが、流石にそれで予算を止められると困る。

「このまま商取引が活発になり紙の使用量が増加すると、領内の羊を皆殺しにしても羊皮紙が足りなくなるでしょう。
 少なくとも羊皮紙の価格が日に日に上昇を続けているのは事実です。
 ならば先手を打って代替物の研究をしておくのは、決して無駄にならないと思います」
「まあ、一理あるな……とりあえず様子を見るとするか」

昔とったなんとやらだ。エンジニアとして「その技術に予算をかける理由」をこねるのは慣れている。
とりあえず父上は納得とまではいかないものの、今すぐ予算にメスを入れる気はなくなったようだ。
とはいえ、このまま「事業仕分け」に話が移ると色々都合が悪い。
何しろ中には『使い捨てカイロ』みたいな今のところ僕以外誰も欲しがりそうにないアイテムも混じっているのだ。
僕は話を変えることにした。

「そういえば父上、堤防の土砂はどうなりました?」
「ああ、あれか……新たに雇ったメイジの中に頭の切れる者がおってな。
 その者の提案で『水道を掘った際に出る土砂』を運んで堤防に使用することにした。
 土砂の輸送に大量のガレーや馬車が必要になるが……まあどうせ伯爵軍を増強する暁には必要なものだしな。
 不足分や現状のしのぎは商人どもに外注しようと思っておる。
 運河ができたと聞いて早速使用の許可を求めてきた早耳どもがおるからな。希望通り存分に働いてもらおう」
「河口の港湾整備や途中の渡し場もできていないのに、いささか性急過ぎませんか?」
「お前から“性急過ぎる”などという台詞が聞けようとはな……お前も落ち着きが身についたと見える。
 だがその点に関しても心配するな。既に急ピッチで工事が進められている。
 水道工事が本格化する頃には十分……とはいかんが、我慢できる程度の港や船着場が整備される予定だ。
 だが、こうして見ると精霊のおかげで運河があっという間に完成したのもよいことばかりではないのだな。
 運河網だけできても交通が寸断されるだけで何もいいことがない」

全くだ。僕がそう同意しようとしたそのとき、執務室のドアが勢いよく開かれ、家臣の一人が勢いよく入ってきた。

「こちらにおられましたか、伯爵閣下! 一大事でございます!」
「何事だ、騒々しい。まず落ち着いて息を整えよ。報告はその後でいい」
「は……失礼いたしました。それでは申し上げます。トリステイン王家からモット伯が勅使として参りました。
 先ほどの水の精霊の件について、伯爵直々に説明を要求するとのことです。
 返答如何によっては伯爵家に翻意ありと見做す場合もあるとの強硬な態度をとっております」

「「な、なんだってー!」」

僕と父上は、同時に声を張り上げた。


その後、父上とモット伯とのやり取りは夜にまで及んだ。
本当なら僕も弁明に参加すべきなのかもしれないが、
向こうが勅使として伯爵に説明を要求している以上僕には口を出すどころか話を横で聞く権利すらない。
話し合いが行われている貴賓室内に《サイレント》までかけている念の入れようだ。よほど横槍を入れられたくないのだろう。
僕にできることは自分の部屋でやきもきしながら待っているくらいしかない。

しかし、父上に説明を要求するというのは基本的に筋違いである。
実際に精霊と接触したのは僕なのだから、純粋に「何が起こったか」聞きたいなら伯爵ではなく僕に説明を要求するべきだ。
ならば「水の精霊云々」というのは単なる建前である可能性が高い。
実際にはもっと政治的なレベルでの話なのであろう。
例えば「盟約をすっ飛ばして精霊が直に接触したから王家やド・モンモランシ家の面子がつぶれた。どうしてくれる」とかそういう話だ。
確かに、そんな話ならもはや大した権限のない僕にしてもしょうがない。
どうなるか知らんが、父上の外交努力に期待するしかないだろう。

「……心配してもしょうがないな。寝るか」

こんなとき僕一人がやきもきしたって何の解決にもならない。
小細工を弄そうにも相手の目的がさっぱりわからない以上何もできない。下手に動いて薮蛇になるのはごめんだ。
いくら現代知識や原作知識があっても個人にできることには限りがある。僕はここにきてそれをいやというほど痛感していた。
サイトやルイズのように「伝説の力」を持ち、なおかつあれほどの豪運があれば話は別だろうが、あんな英雄の挙動など何の参考にもならない。
英雄とは「誰にもできないことを成功させる」から英雄なのだ。そんなものを真似したら死んでしまう。
そんなことを考えてて着替え用の従者を呼びに行こうとすると、ドアがノックされた。

「レイナール、まだ起きておるか」

父上の声だ。

「はい。会議は終わられたのですか?」
「ああ。その件に関してお前に話しておくことがある。入ってかまわんか」
「わかりました」

そういって僕がドアを開けると、ものすごく疲れた顔をした父上が入ってきた。
ランプの薄暗い明かりとあいまって、まるで幽霊みたいである。

「結論から話そう。レイナール。我々は国家事業である干拓地の塩抜きをすることになった。
 私は水道事業で手が離せん。そこでお前にこの任務を命ずる。明日にでもド・モンモランシ領に赴き、干拓地を整備してまいれ。
 期限は半年。それができなければ、我々は水の精霊を悪用した罪で改易処分となる。
 ……もちろん費用も人手も我々持ちだ。水道工事に支障が出ない範囲で、何人か引き連れていくがいい」

なんだその罰ゲームは。ウチに何のメリットもないじゃないか。

「それは一体どういうことでございますか? あの水の精霊の動きは我々の関与するところでは……」
「それくらい向こうも承知の上だ。おそらく水の精霊など口実に過ぎん。
 ……レイナール、おそらく宮廷の狙いは運河の利権だ。あるいは例の“隠し財産”も狙っておるやもしれん。
 難癖をつけて我々をつぶし、財政難のトリステイン貴族でそれらを分配しようと考えた輩がおるのだろう。
 本来なら私が何を言おうと我々をつぶす気だったようだが、国家事業に協力して忠誠を見せることで何とかモット伯を納得させた。
 干拓に成功して国力が高まれば結果として似たような利益が得られることを説明できたのが幸いだった。
 ……受けてくれるな?」

なるほど。要は出る杭を打ち、ついでに横から利益を掻っ攫おうという魂胆か。
まあいつかこんな日が来ると思ってはいたが、水の精霊のおかげで準備する間もなくその日が来たというわけだ。
せめてもう少しカネをばら撒けておけば「協力したほうが得だ」と思う貴族も増えていたろうが
この状況じゃ「ウチの一人勝ち」に見えても仕方あるまい。
いずれにせよ、既に伯爵が勅使と取り決めたことだ。たかが嫡男の僕が逆らえるはずもない。


「……王命とあらば是非もありません。このレイナール・ド・ヴュールヌ、杖にかけて当家の忠誠を示してご覧に入れます」

そう、僕にはもはやこういうしか道はないのだ。



[13654] 第三話:「領民所得倍増計画」シーン4
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/10 01:04
前回のあらすじ
「自領民の所得を倍増させようと思ってたら、別の領土の所得倍増計画を命じられた」


というわけで、宮廷陰謀の恐怖の片鱗を味わいながら僕は馬車に揺られていた。
ちなみに、急ぎということでモット伯が乗ってきた馬車に同伴させてもらっている。
さすがに勅使の馬車だけあっていい馬と馬車を使っている。安定性もスピードも段違いだ。
僕以外の他の人手はウチの馬車に乗っているが、早くも相当な遅れが出ている。

「申し訳ありません、モット伯閣下。我々に機会を与えていただけただけでなく、馬車への同伴まで許していただけるとは」
「かまわんよ。これはあくまで個人的意見だが、問答無用で改易はいくらなんでも乱暴すぎる。
 トリステイン王家に悪しき前例を残すことにもなりかねん。挽回の機会くらいは与えられるべきだ。
 本来なら半年などという期限も設けたくはないのだが……おそらくそれが中央の連中を納得させるギリギリだろう。悪いが理解してくれ。
 なあに心配するな。先王から直々に勅使の命を賜ったこの私が応と言ったのだ。宮廷雀ごときに反故にはさせんよ」

モット伯は自信に満ちた態度で僕にそう返してきた。
後半はリップサービスかもしれないが、前半部はおそらく本心だろう。何しろ「本来は改易処分にするつもりだった」のだ。
本人にも何か思うところがなければ、いくらその権限があるとは言えど宮廷の決定をわざわざ曲げることはあるまい。
なおもモット伯の話は続く。

「それに、明日はわが身に降りかかることを恐れてか君たちに同情的な者も少なからずおるのだ。
 ド・モンモランシ伯からもこの件に関して君たちをかばってやってくれと頼まれておる」
「ド・モンモランシ伯からですか?」

意外だった。あの人はむしろ面子をつぶされたことに怒ってこちらを攻撃していると思っていたからだ。

「ああ。場合によっては干拓事業に参加させることを君たちの名誉回復に利用してもかまわないとな。
 そうでなければいくら国家事業といえどド・ヴュールヌ家を干拓に参加させるなど提案できんよ。
 仮に成功したとて、ド・モンモランシ伯の面目に傷がつきかねん」
「そうですか……ありがとうございます。ド・ヴュールヌ家の一員として、皆様のご恩は忘れません」

僕はそう宣言した。
正直何とかごまかしてやろうとしか考えてなかったが、そこまでしてもらっていたなら真面目にやらなければ僕の信念に関わる。
ド・モンモランシ伯にも当然色々と打算があるのだろうが、結果としてウチの利益になることをしてくれたのに変わりはない。
動機が何であれ、ウチに利をもたらす者には然るべき報いが与えられるべきだ。

それはそれとして、こういうことがあると改めてウチが中央から遠ざかっていることを思い知らされる。
いや、むしろウチに気付かれることなくたった一月で根回しを終えた“中央の誰か”の手腕を讃えるべきだろうか。
いずれにせよ、領地をほったらかしてでも宮廷に入り浸る貴族の気持ちもわかる気がする。
領地が半分水没しても死にはしないが、中央に何か変な気を起こされたら下手をすると死ぬのだ。
そう、ド・ヴュールヌ家がそうなったかもしれないように。


トリスタニアで王宮へ報告に向かうモット伯とはお別れして、僕は馬を借りてド・モンモランシ領へ向かった。
ちなみに、乗馬はとても苦手だ。だがそれでもこれが乗れる中では一番早いから仕方ない。

始めて来たド・モンモランシ領は、ラグドリアン湖周辺のように森に覆われていた。
いや、あそこまで鬱蒼とした森ではないのだが、見渡す限り雑草と荒野しかないド・ヴュールヌ領と比べれば天と地の差がある。
しかし、平地を走っているのにいきなり森に出くわすと何か違和感を感じるなぁ。

森を抜ける街道を通り人里に近い位置まで来ると、ド・モンモランシ家の紋章を掲げた騎士隊が向かってくるのが見えた。
どうやら、モット伯から伝令が先んじたようでド・モンモランシ伯が直々に出迎えに来てくれたらしい。
僕が近づくと、ド・モンモランシ伯が声をかけてきた。

「馬上からで失礼する。ミスタ・ヴュールヌ、このたびは災難だったな」
「いえ、伯爵閣下におかれましてはふがいない当家をかばいだて下さったと聞き及んでおります。感謝の言葉もございません」
「気にするな。かの先住が人間の思惑の及ばぬ存在であることは当家が一番承知しておる。
 精霊の気まぐれで家を取り潰されるなどド・モンモランシ家の存亡を揺るがす先例は断じて認められぬ。
 それに、当家の恥をさらすようだが塩抜きで難儀しておるのは事実でな。力を借りられるならこちらとしてもありがたい。
 と、このようなところで話すのは無粋だな。とりあえず屋敷に案内しよう。付いて来たまえ。
 既にモット伯からの伝令が待機している――私は既に話を聞いたが、君も改めて聞くべきだろう」

そういうと、伯爵は颯爽と馬を切り返した。
流石に馬に慣れているらしい。あちらはかなり加減して進んでいるのにこちらはついていくのがやっとだった。


ウチの屋敷より数段立派な建物に案内され、とりあえずと応接室に通された。
そこには既にモット伯の紋章をつけた伝令がおり、僕が入ると恭しく「中央の決定」を告げた。
それによると、とりあえずウチが負うべき条件は以下のとおりらしい。

 1:ド・モンモランシ家を補佐し、干拓地に産業を確立させること
 2:期限は半年間。それまでに完成できなければド・ヴュールヌ家は改易とする

ちょっと待て、塩抜きだけじゃなくて「産業を確立」させないといけないだと?
無理ゲーレベルが上がってるじゃないか。そこまでして中央はウチをつぶしたいのか。

「モット伯も尽力はしてくれたそうだし、マザリーニ枢機卿も何故かこの件に反対したらしいが……
 法務官を中心とした連中に『それくらいの結果は出せなければ納得できない』と押し切られたそうだ。
 自らの借款返済にそちらの隠し財産を当てにしている者がいるという噂があったが、あるいはそのような恥知らずが実在するのやもしれん」

僕が呆然としていると、ド・モンモランシ伯が心底同情するような口調でそう告げてきた。
さらに、今度は強い怒りを内包しているようで話を続ける。

「正直、この条件は当家に対する侮辱だ。当家では満足に産業一つ興せないと言われたようなものだからな。
 恥を忍んで他家に助力を請う以上多少の皮肉は覚悟していたが、ここまでコケにされて素直に従うほど私も心が広くはない――
 この決定を下した連中には絶対に然るべき報いを与えてやる! 絶対にだ!

そう言うと、伯爵は応接室のテーブルを思いっきり「ドンッ!」と叩いた。
モット伯の伝令を含めた周りの人間には特に慌てた様子も見えない。おそらく最初に聞いたときにもっと激しい反応をしたのだろう。
僕が来るというこということで感情を抑えたものの、今話を改めて聞いて怒りが再燃したと見える。
僕はそれを(面子を保つってのは大変なんだなぁ)と他人事のように見ていた。
貴族として育って12年になるが、いまだにその辺の感情はピンと来ない。

いやいや、ぼおっと見ている場合じゃない。このまま伯爵に干拓をほったらかして宮廷闘争をされたら困る。
最悪レコンキスタ登場を前に国が真っ二つになるかもしれない。何とかなだめないと。
とはいえ、事前に工作ができたならともかくこんな状態の貴族をぶっつけ本番でなだめる方法なんて見当も付かないぞ。
……ええい、よくわからないときには正攻法だ。

「伯爵閣下、お怒りは尤もです。当家としてもこのような命令は屈辱に思っております。
 失敗を期待しているということはすなわち『当家には満足に産業一つ起こせないだろう』と思われていることに他なりません。
 ですから、両家の力でそいつらの目が節穴であることを証明してやろうではありませんか」
「……どういうことだ?」
「簡単です。干拓地に立派な産業を興してやればいいのです。
 条件にあるとおりあくまで当家はド・モンモランシ家の補佐でしかありません。
 そして残念ながら奴らの目論見どおり当家では伯爵閣下のお力添えが関の山でしょう。
 ならば半年で産業を興せば、それはすなわちド・モンモランシ家の功績に他なりません。
 ……いずれにせよ、条件を達成できねば当家は宮廷に巣食う亡者によって滅ぼされる運命にあります。
 伯爵閣下、ここは当家を助けると思って、どうか引き続きお力をお貸しください!」

そういって、僕は伯爵の前に跪いた。
正攻法。そう、「全てをうっちゃって頼み込む」!
多少ウチの面子がつぶれるかもしれないが、それよりもっと大事な「爵位と領地」の存亡がかかっているのだ。
ご先祖様も許してくれるだろう。

「なるほどな。当家はともかく、ド・ヴュールヌ家に宮廷の住民どもと敵対して持つほどの体力はないか……相変わらず口のうまい小僧だ。
 まあいい。そちらに期待していたのは事実だ。少々癪だがここは君の口車に乗ることで復讐の代わりとしておこう。
 だが資金までそちらに出されては当家の面子が立たん。悪いがそちらの活動費用も当家が持たせてもらうぞ。
 幸いその辺の条件はないようだからな」

まだイライラはしているようで口調が少々乱暴なままだが、とりあえずこちらに協力はしてもらえるようだ。
しかも活動資金まで持ってくれるという。正直こちらにしてみたら地獄に仏の破格な条件だ。
どうせド・モンモランシ伯には花を持たせるつもりだったし、話が丸く収まるならそれに越したことはない。

「願ってもない話です、閣下! このご恩は忘れません!」

僕はそう答えた。
……とはいえ、本当にできるのかなぁ。とりあえず現場を見ないことにはなんとも言えないけど。



[13654] 第三話:「領民所得倍増計画」シーン5
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/10 15:13
ああは言ったものの、こちらのスタッフが来るまで本格的なことは何もできない。
仕方がないので、それまで伯爵に宛がわれた客間で待機の状態だ。
いつごろ来るのかよくわからんが向こうはトリスタニアを経由したわけじゃなし、まあ遅くとも明日には付くだろう。
というわけで、とりあえずド・モンモランシ家の家臣たちに今までの開発履歴を持って来てもらった。
今までやったことと同じことをやっても意味がないからだ。
何かわからないことがあったときの説明にと、開発に携わったメイジが一人来てくれた。ありがたいことだ。

以下、2マス下げてその概略を示す。

  まず、水の精霊と潮の干満を利用して砂浜の海水を押し下げ、しかる後に土魔法を用いて海岸線に堤防を構築した。
  その総面積は現段階で100アルパン。

100アルパンってことは大体300平方km強か。
こんな大工事があっという間に終わるなんて、流石は水の精霊と魔法の力……って待て。

「砂浜? 干潟じゃなくて?」
「干潟は幾多もの生命が住んでいたためか、水の精霊が協力に応じてくれませんでした。
 近隣の漁民の漁場にもなっているということで、御館様も無理には干拓を行わなかったそうです。
 そこで次善の策として、ろくな藻も生えていない砂浜の干拓を行ったのです。
 そこなら水の精霊も協力してくれましたので」

いや待て。生態系に配慮するのは結構だがなぜそこで諦めずに「ろくに藻も生えない」砂浜なんぞを干拓する。
上流から流れてくる土が堆積していない砂浜なんて塩を抜いたところで砂漠と一緒じゃないか。
……ああそうか。どうせ土魔法で砂を土に変えてしまえばいいんだ。さすが国家事業はスケールが違う。
というわけで気を取り直して続きを読もう。

  その後、ミスタ・ヴュールヌ――要するに僕だ――の言を思い出し、
  水の精霊と水メイジの総力を結集して水を精製して地中おおよそ数百メイルまでの塩分を流しだした。
  その後、土メイジの《錬金》を用いて砂を土に変えた。

やはり伯爵も砂浜なんか役に立たないことくらいはわかっていたらしい。
しかし、この辺はさすが交渉役を任せられるだけの名家なだけはある。
ここまでできる高位、あるいは大量のメイジをインチキなしに召抱えられるなんてうらやましい限りだ。

  だが、一月も経たぬうちに土から塩が析出し、あらゆる農作物が枯れ果てた。
  仕方がないので塩に汚染された土は運び出して再び《錬金》したが今度は3日と持たなかった。
  内部の砂を錬金するからいけないのかと外部から土を持ってきたがそれもやはり塩が析出した。
  それならと干拓地内に近くの川から水を引いて定期的に真水で洗い流したところ
  塩の析出自体は止まったものの、水が塩水になるため耕作が可能なまでには至らなかった。

なんだその怪奇現象は。塩害ってそんな急速に発生するものだったのか?
いやまあ、専門知識があるわけじゃないのでなんともいえないのが悲しいところだが。

その後の文章は延々と「塩を抜くためにあらゆる努力を試みたが無理だった」ということが書かれていた。
正直、僕が試そうと思っていたことは全て試されていた。
だが、一時的に塩が取り除かれても通常は3日以内、徹底的にやっても一月内には塩が析出し始めるらしい。
横のメイジ曰く

「御館様が地下の水の流れを調べたところ、堤防の向こうの海から地下に水が流れていることがわかりました。
 そこで土メイジたちが『もしや堤防に不備があるのか』と思い堤防の土台を強化したり、
 地下構造に《固定化》の重ねがけまで行いました。
 それでも、結果はなんら変わりませんでした。
 農業は諦めて工房などを建設しようとも考えましたが、あまりに地面が柔らかいため掘っ立て小屋程度しか立てることができません。
 下を岩に《錬金》した上で《固定化》をかければ話は別かもしれませんが、正直そこまでして誘致すべき工房もございません。
 最近では作業員の中に『海に住む精霊の祟りだ』と怯える者も現れております」と。

まあ、祟りと考えたくなるのもむべなるかなである。僕だってそんな気がしてきた。
そんなことを考えていると、ド・モンモランシ家の侍従の声がドアの向こうから聞こえた。

「申し上げます、ミスタ・ヴュールヌ。ド・ヴュールヌ家のご家臣が到着なさいました」

意外と早かったな……ああ、僕が馬でタイムロスをしたからか。
まあ過ぎたことだ。このタイミングで来てくれたのならちょうどいいい。早速現場に向かうとしよう。


干拓された砂浜は、それはすさまじい有様だった。
とりあえず現在は何も手をつけていないらしく、土や水が運び込まれている形跡も無くだだっ広い砂浜が広がっている。
はるか遠くにかすかに見える壁のようなものが地平線を覆い隠している。おそらくあれが堤防だろう。
そして、海なんか見えないのに潮の匂いがする。
さらに、ここはまだ砂浜の入り口だというのに地面を踏んだらなんだか湿り気を感じる。
砂をすくってみたところ、“鑑定”するまでも無く塩の結晶が多分に混じっているのがわかった。
砂を払ったが手に引っ付いてなかなか取れない。完全に湿っているようだ。
湿っているのに塩の結晶が析出している……つまりこの水は「塩の飽和溶液」なのだろう。
試しに少しなめてみたが、予想通りアホみたいに塩辛かった。
おそらくだが、この見渡す限りの砂浜一面こんな「塩の混じった砂」だらけなのだろう。
後ろを振り向くと何事も無かったかのように農地や森が広がっている。とてもシュールな光景である。
しばらく歩いてみた。湿った砂に足を取られて非常に歩きづらい。
なるほど、こんな軟い地盤では満足に建物一つ建てることはできまい。

「見れば見るほどどうしようもない光景ですわね……」

横でそう言った女性は今回ド・ヴュールヌ領から来てもらったスタッフの一人、ミス・グリーンだ。
名前から察するにアルビオンから流れてきた女性らしい。
グリーンという姓のとおり、緑がかった黒髪と言うずいぶん珍しい髪をしている。
何でも水道の土砂を堤防に利用することを提案した切れ者で、自身も土のラインメイジらしい。
今回のプロジェクトにうってつけなので、無理を言って水道事業から引っこ抜いてきたのだ。

「まあ、とにかくやるしかないよ。まずはこの砂浜がどうなってるか知りたいところだけど……」
「それなら、めぼしい所を足で調べるしかないのではありませんか?」
「まあそうなるよねぇ……それだけで一日かかりそうだなぁ」

というわけで今日はスタッフで手分けして砂浜を歩き、メイジの視点から気が付いたことを話してもらうことにした。
その夜にド・モンモランシ伯やそのスタッフを含めてミーティングを行ったが、殆ど収獲は無かった。
無理に上げると大体こんなものである。

・堤防に近い部分のほうが湿り気が強く、塩の量も多い(全員の共通見解)
・塩を含んだ水が下から上がってきている気配がする(土メイジの証言)
・地下の水は堤防の向こうにある海から流れてきている気がする(水メイジの証言)
・地下への水はどうやら満潮時に多く流れているようだ(現場作業員からの聞き込み)

どれもこれも、ド・モンモランシ側が既に突き止めていたか常識で推測できそうなことばかりだ。
だがまあ、それでも大体のことは推論できるようになった。多分こんなものだろう。

いくら堤防を作ったところで地面が海とつながっている。地上はともかく、地下深くにしみこむ塩水を止められるはずがない。
そして、満潮になると堤防の向こうにある海の水圧も加わり、さらに多くの海水が染み出してくるのだろう。
さらに……これはあくまで推測だが、干拓で砂浜の海水を取っ払ってしまったため
砂浜の水が蒸発するたびに砂が毛管現象を起こして地下の塩水を引っ張り、飽和を超えて塩が析出するまで塩分濃度が濃縮されるようになったのだ。

そんな現象が本当に起きているのかはわからない。
自分で言っていて「そんな現象が本当に起きると思っているのか」と突っ込みたくなるが、
海の精霊の祟りとかでないなら僕の知識ではこうとしか説明できない。
何にせよ、確実にいえることは「どれだけがんばって塩を除去しても海からいくらでも塩が供給される」ということだ。
それも、リーグ単位の深い地層まで関わったかなり根の深い供給システムである。
そうでなければ「地下数百メートルまで塩抜き」を何度もやったのに一月で塩が析出するなどということは考えづらい。

「……と、今までの御話を総合すると、そのような仮説が成り立ちます。
 いずれにせよ、この地形の塩分除去は絶望的といわざるを得ません」

ぼくが仮説を説明し、二本の棒と水で毛管現象の基礎を見せると、会議室に暗い雰囲気が漂い始めた。
無理もない。今までの努力が全て無駄だったどころか、せっかく呼びつけた助っ人に「これからの努力もおそらく無駄です」と言われたのだ。
そしてウチのスタッフにしてみれば「残念ですが半年後にはまた無職になります」と宣言されたに等しい。

「……ならばその地下層全てを魔法で調整するのはいかがでしょうか?」

ミス・グリーンがそう提案してきた。僕はその案を少し考えて……

「数リーグにわたる地下の構造を全て書き換えられるほどの大魔法があるとは思えない。
 仮にあるとしても半年じゃ間に合わない。コストだって割に合わないだろう」

と却下した。なおも会議参加者の提案は続く。

「土を敷く下に、大きな岩石をしきつめればどうでしょう? その毛管何とかはおこらないのでは」
「悪くはないけど、そのうち岩石の間に土や砂が入りこんで同じことが起こると思う。
 というよりそれは既にド・モンモランシ伯閣下がなさっていたはずだ。履歴によると確か一月で塩が析出し始めたとか」
「ああ。とりあえずやってみた策の一つだが、まさかそんな意味があったとはな。
 ――ならいっそのこと《固定化》した布や板を敷き詰め、下と隔絶してやれば……いや、それもやったな。結局板が塩まみれになって終わったはずだ」

だが、提案すればするほど「何をやっても塩が出てくる」ということを確認せざるを得なかった。


……ん? ちょっと待てよ……。

「伯爵閣下。念のため確認しますが、何をやっても塩は析出してきたんですよね?」
「ああ、君も履歴を読んだだろう。持ち去れるだけの砂を持ち出し、外から土を持ち込んでも塩が出てきたのだ。
 おそらく、君の言うとおり海水から塩が流れてくるのであろう。私の見立てでも水はそう流れている」
「わかりました。ありがとうございます、伯爵閣下。閣下がそこまで調査してくださっていたおかげで、こちらも自信を持ってご提案できます」
「……何をだね?」
「何をやっても塩が出てくるなら、もう塩抜きなんて考えは捨ててしまいましょう。
 逆に考えるんです。『何をやっても塩が抜けない土地』ではなく『いくら取っても塩が枯渇しない土地』と考えるんです」

僕はそこで一息入れ、高らかに提案した。


「あのだだっ広い砂浜、全部塩田にしてしまいましょう」と。



[13654] 第三話:「領民所得倍増計画」シーン6
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/10 22:49
さて、まずは現状の塩市場について説明しよう。
何でそんなもの知っているかというと、もちろん「ド・ヴュールヌ領で塩田ができないか」検討したからである。


まず、塩の流通は完全に各王家に管理されている。
塩は生活必需品であり、軍事物資であり、かつ消耗品だからだ。
そして金のように商取引の媒介に使うこともない。自由化する理由が全くないのだ。
さらに、現在の技術だと塩は「岩塩を掘る」か「ものすごい人手を使って海の水を天日で干すか煮詰める」しか手に入れる手段がない。
そのため、どの国でも全く供給が需要に追いついていない。完全に売り手市場だ。

ちなみに、ここハルケギニアでは岩塩が圧倒的に主流である。
大抵の沿岸部はアルビオンが周回するたびに雨が降り、そうでない地域も風に湿り気を帯びるため天日ではなかなか塩水が乾かない。
ウチの沿岸部で天日塩田ができないのもそれが理由である。
雨こそ降らないものの、塩水がなかなか塩にまでならない。飽和水溶液まで濃縮するのも一苦労だ。
なら煮詰めるしかないのだが、わざわざ魔法や燃料を使って煮詰めるのは非常にコストがかかる。
山という山に木を生やしているうえ、それ以外の方法では塩が取れない戦国日本みたいな土地ならともかく、
岩塩の鉱床がそこそこあるハルケギニアではその手法だとなかなか採算が取れない。
少なくとも、薪炭を輸入する必要があるド・ヴュールヌ領では飽和水溶液がただで手に入るか
薪の値段が半分以下にでもならないとペイしない計算だった。

「売り手市場なのに採算が取れないとはどういうことだ」と思うかもしれないが、必需品の値段というのはいくら売り手市場でもそこまで高くはできない。
むやみに値段を上げても「塩が手に入らなくて死ぬor逃げる」人間が出るだけで、逆に利益が減ってしまう。
要するに「平民の所得」というキャップがかかっているのだ。
流通の全てを王家が管理しているのは、塩が高くなりすぎてそんなことが起きないよう調整するためでもある。

なお、生産を管理するため基本的に「岩塩の鉱床」や「塩田に適した地域」はどこも王領となっている。
とはいえ、貴族なら一応「領土自衛権」の延長で塩を作る特権が王家から認められている。
但しその場合も事前に製造する旨を報告し、さらに自領で消費・備蓄する分以外を王家に売却するのが決まりだ。
その時の価格は王家の一方的な都合で決定される。交渉の余地くらいはあろうが、最終的には王家の胸三寸だ。
まあ、それは仕方あるまい。製造を許可するだけでもありがたいと思えという奴だろう。
そんなわけで、わざわざ塩を生産するような物好きはめったにいない。普通は王家から買ったほうが安いし。

以上の話はここトリステインでも例外ではない。
ただ、トリステインには岩塩の採掘地が少なく半分以上を他の王家からの輸入に頼っている。
アルビオンの周回地が多くて塩が流されるのとそもそも国土が狭いのが理由で、岩塩の鉱床が他国より少ないのだろう。
その代金で毎年結構馬鹿にならない額の金銀が国外に流出しているらしい。
また、塩の供給を外国に握られているのは国防上問題があるのではないかとの声もある。
そのため王領では魔法をも利用して塩を作っているらしいが、輸入物の岩塩に価格で勝てないのが現状だ。

まとめると、塩というのは「相当量作っても値崩れを起こす危険は少なく」「作ることでお国のためにもなる」素晴らしい物資なのだ――採算さえ取れれば。


さて、翻って例の干拓地について考えてみよう。
まず、放っておいたら析出するまで勝手に濃縮されるのだから、これ以上濃縮する手間は必要ない。
砂を取り除く為にはろ過してから煮出す必要があるが、近くに森がある以上燃料に困ることはないだろう。
気候によっては天日干ししたってなんとかなる。塩抜きに困っていたのだからいくらなんでも豪雨地帯というわけではないだろう。
というか燃料が足りる分だけ塩を作ればいい話だ。無理にラインをフル稼働させる必要もない。
後で伯爵に薪炭の価格を確認する必要があるが、ざっくり考えてもウチで作る場合に比べて1/3程度のコストになるのではないだろうか。
少なくとも市場価格だけ考えれば、国内なら十分に既製品と勝負できる。
あとは「それを王宮に売って儲けになるのか」だが、そこはド・モンモランシ伯の交渉次第である。
仮にも国家事業なのだから最悪「干拓地を王家に買い取ってもらう」という話でもいいだろう。


――といった内容を知ってそうな部分を省略したり不穏当な部分をオブラートに包んだりしてド・モンモランシ伯を含む会議メンバーに説明してみた。
何というかみんな「その発想は無かったわ」という顔をしていた。
この顔を見るのはいい。エンジニアをやっていて楽しい瞬間の一つである。今の僕はエンジニアじゃないけど。
しばらくすると、ド・モンモランシ伯が口を開いた。

「アイディアとしては悪くないな。後はいかにして採算の取れる産業にするかと、宮廷が納得するかだが……
 前者のほうは塩田に詳しいものがおらぬためこの場ではなんとも言いかねるな。
 とはいえ塩田職人など王家に囲われておるだろうし……後者の案件も含め、私が宮廷に赴くしかあるまい。
 恥知らずどもに『然るべき報いを与える』ついでに何人か職人を借り受けてくるとしよう。
 ミスタ・ヴュールヌ、悪いがそちらは私が戻るまで薪炭や塩釜などの準備を整えておいてくれ。
 ――誰か他にアイディアのあるものはおるか。無ければ以降は塩田にする方向で動こうと思う」

伯爵がそう尋ねるが、誰も異論を挟むものはいない。というか、何か案があるならもうとっくに出ているだろう。
僕としてはもっと案を検討して欲しいのだが、よく考えたら今日は初日である。そこまで無理をするはずがない。
特にウチのスタッフは日中砂浜を歩き通しなのだ。会議などさっさと終わらせて休みたいというのが本音だろう。
そんなこんなで、結局僕がとりあえずアイディアを一つ出しただけで初日の会議は終わった。
……なんか伯爵が途中すごく不穏当なことを言った気がするが、心の平衡のため聞かなかったことにしよう。どうせ僕にはどうしようもないし。


さて、次の日からウチは塩田事業の準備を行うことになった。
というわけで、僕はスタッフを連れて現地の木こりの案内で森を散策していた。
ミス・グリーンが不思議そうに尋ねてくる。

「若君、塩田を作るというのにどうして森を散策する必要があるのですか?」
「いやぁ、必要があるかといわれると微妙なんだけど……塩田を作るということは今よりも大量の薪が必要になるだろ?
 それで森が無くなったらいけないから、どれくらいの許容量が森にあるか確かめておきたいじゃないか。
 素人の僕がわかるかどうか疑問だけど、植林ができるかとかも調べておきたいし」
「植林……木を植えるのですか?」
「そう。木を切るのと同時並行で苗木とか木の種とかを植えて、森に木がなくならないようにするんだ。
 一応ウチでも研究させてたけど、まだめぼしい成果は出てないんだよなぁ……ここでも研究してもらえればいいんだけど」
「ド・ヴュールヌ領には森どころか木と言えそうなものすら見たことがありませんけれど」
「そうだけど、運河の上流から木材や薪を買ってるだろ? 何百年か先にそれがなくなったら困るじゃないか」
「何百年……気の遠くなる話ですわね……そこまで生きるおつもりですか?」
「そんなわけないけど、いつかなくなるって気付いた以上は対抗策を考えないと気分が悪いし」
「はぁ……それで、森を散策して何かわかりましたか? 私には何がなにやらわからないのですが」

ミス・グリーンがそういうと、他のスタッフたちもうんうんと同意した。
仕方が無いので、僕はこの散策で得た結論を説明してあげることにした。

「……こういうのは僕みたいな素人が見たってわかるもんじゃない……ってことかな」
「「そういうのは歩く前に気付いてください! こっちは昨日から歩き通しで疲れてるんですよ!」」

全スタッフに思いっきり怒られてしまった。
しょうがないじゃないか。実際現地に行かないと“鑑定”でわかるかどうかわからないんだから。

その直後、僕はスタッフにとっつかまって屋敷に強制送還されてしまった。
なお、スタッフは僕を捕まえながらも木こりに「今までの薪や木材の切り出し量」と「過去からどれくらい森が減少したか」を尋ね、
わからないと言われるとどこでどうやれば調べられるか尋ねていた。
流石に領土存亡をかけたプロジェクトに抜擢された優秀なスタッフである。何もしなくても勝手に仕事をしてくれるのは非常にありがたい。
どんな強くても個人の力なんて組織力の前には所詮ワンオブゼムなんだなぁ。肝に銘じておかないと。
……スタッフ総出で簀巻きにされるのはごめんだし。



[13654] 第三話:「領民所得倍増計画」シーン7(第三話エンディング)
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/12 15:23
あの一件以来スタッフから

「ウロチョロされると護衛と連絡に人を裂く必要があるので仕事の邪魔です。ド・モンモランシ邸で待機してください」

と押込めをくらってしまった。
以来僕は伯爵邸に事実上軟禁され「スタッフが提案してくることにサインする」「定期的に父上に進捗を伝える」という仕事しかさせてもらえない。
書類を読んで間違ったことがあったら突込みを入れてやろうとは思っているのだが、
さすが優秀なスタッフだけあって何を聞いてもすらすらと答えられてしまう。
時々ド・モンモランシ側と打ち合わせをするのだが、その際にもスタッフのほうが詳しいので相槌を打つしかやることがない。
元々この世界の技術に関してはスタッフのほうが圧倒的に詳しいのだ。当たり前といえば当たり前である。
にもかかわらず、スタッフが何か悶着を起こしたら僕が責任を取って謝りに行かないといけないのだ。
理不尽だがそれが責任者というものである。諦めるしかあるまい。
偉くなるってつらいなぁ。今までどんだけ父上に迷惑かけていたのか思い知らされる。
……土メイジなら町で職人やっても食いっぱぐれないだろうし、伯爵位なんとかして弟に押し付けられないかなぁ。


そんなわけで全自動判子マシーンと化した僕に大したことができるわけもなく、一度動き出したプロジェクトは完全に僕の手を離れてしまった。
というわけで、結果だけを簡単に説明する。

・王家からド・モンモランシ家は塩を作る許可を獲得し、同時に塩職人を5人ほど借り受けることに成功した。
・王家に卸す価格は2スゥ/リーブルで納得させた。これは王家が流通させる価格の半額程度である。
・今までの析出量から試算すると100アルパンの干拓地から生産できる塩は概算して二千万リーブル/年。
 (ちなみにトリステインの塩需要は三~四千万リーブル/年だ)
・よって、この土地における王家からの支払いはおよそ40万エキュー/年となる。
・製造に必要な経費は人件費を含めても10万エキュー/年程度に収まる計算である。
・また、この事業により王家は黙っていても50万エキュー/年の利益を得られると推察される。
・以上から、塩が完成して王家に納められた時点でド・ヴュールヌ家も主命を達成したと見做される。

……別に意地悪をしているわけではない。僕もこれくらいしかわからないのだ。
上に書いてある数値も向こうの公証であって真実かどうか確認する術もない。
何でも塩職人が「部外者には製塩の秘伝は見せられない。特に独力で塩田に考えが行き着くような奴には絶対に教えられない」と強硬に主張したらしい。
そのため、塩製作に直接携わるド・モンモランシ家はともかく、ド・ヴュールヌ家にはこれくらいの情報しか入ってこないのだ。
……くそ、さすが腕一本で食ってる連中だ。技術の価値をわかってやがる。

なお塩職人には火メイジが多いらしい。
なんでも「負傷などの理由で軍役は無理だが、領地などがあるわけではない平貴族の火メイジ」がよく弟子入りするのだとか。
そのため、彼らの力や技術を持ってすれば温度管理や効率的な燃料の使用などでかなりコストを削減できるとのことだ。
要するに「火メイジである職人が温度や火力を監督・調整し、平民が薪くべや塩の切り出しなどの現場労働を行う」というシステムをとるらしい。
さすが魔法だ。熱効率が段違いだぜ。
まあ、それだけ聞ければあとは試行錯誤でウチも実用段階まで持っていけるだろう。
コストでここに勝てないのがわかってるから絶対やらないけど。

ちなみに、直接関係はないが以下のようなこともわかっている。

・ウチの試算によると塩田を稼動して薪炭の消費量が増加すれば200年後には森が回復不能なまで減少する。
・ちなみに、薪炭の消費量が全く増加しなくても700年後には森がなくなる計算らしい。
・というわけで持続可能な発展のため植林を含めた森の保全に関して両家が共同研究をすることに合意した。

こちらはウチが関わっているのでかなり信頼できる数値である。だからなんだという説はあるが。
あとついでに法務官が4~5人王妃陛下の機嫌を損ねて失職した。この事業との関係は不明。不明ったら不明だ。


そして月日は経ち、塩田で取れた初塩を乗せた馬車が金貨を乗せて帰ってきた時点で僕は軟禁状態から解放されることになった。
馬車を下りたド・モンモランシ家の家臣がド・モンモランシ伯に何か書状を数枚渡し、それを確認した伯爵が僕に向かってこういった。

「王家はド・ヴュールヌ家の忠誠を認め、かの件が精霊を悪用したわけではないことを承認したそうだ。
 今モット伯が勅使としてそれを告げにド・ヴュールヌ領へ向かっているという。
 今までご苦労だったな、ミスタ・ヴュールヌ。これで干拓事業は無事成功した。
 私も鼻が高いというものだ。あとのことは我がド・モンモランシ家に任せてくれ」
「はい、伯爵閣下やモット伯閣下には数々の御力添えをいただき、感謝の言葉もございません」
「しかし、だ。この事業の成功は君の知恵がなければなかっただろう。
 それに対しただ無罪を認めるだけでは当家、ひいてはトリステインの名折れとなる。忠誠には報いるところがなければならない」

なんだろう。塩利権の一部でもウチにくれるのかな。
活動費用はあっち持ちだったし、個人的には恩返しのつもりでやったんだから別に良いんだけど、まあ家としては確かにただ働きじゃ無体過ぎるか。
1:9くらいなら罰は当たらないかな? あるいは取引優先権とかだろうか。

「報いるところ……ですか」
「ああ。私だけでなくラ・ヴァリエール公を含めた諸侯の協力もあってな。
 君とド・ヴュールヌ伯に精霊勲章およびシュヴァリエの称号が与えられることになった」
「は? ……しゅ、シュヴァリエ……ですか?」

い……いらねぇ!

「そんなものなくてもいい」じゃない。積極的にいらない!
爵位や勲章なんかもらったら行事に出席する服のグレードが強制的に上昇するし
ドンパチが起こるたびに「金出せ兵出せ命出せ」って言われるし
何より注目されるから最後の手段「国を捨てて市井にまぎれる」が使いにくくなるじゃねぇか!
しかも同時受賞とか目立つことこの上ない! 迷惑だ!
そんな呪いのワッペンなんかいらないからカネくれよ、カネ!
いや、そんなことはどうでもいい。何とか辞退しないと!

「し、しかし、別に軍役で戦功を立てたわけでもないのにシュヴァリエなどとはおこがましいのでは……」
「塩の増産は立派な軍への貢献だ。下手な大将首より価値があろう」
「それに、父はともかく、まだ社交界に出てもいない12の若造がシュヴァリエなどと……」
「ならば自身の叙勲式が君の社交界デヴューになるわけだな。なかなかないことだぞ。誇るがいい」

つまりそれだけ目立つって事じゃないか。本当に勘弁してくれ。

「いえ、私はただ父の命に従い動いた手足に過ぎません。そのような過分な褒章は王家の歴史に……」
「ミスタ・ヴュールヌ、実はこれは褒章だけの問題だけではないのだよ。
 干拓事業が軌道に乗りはじめた今、運河・水道事業も成功すればトリステイン復権の道が開けるかもしれん。
 そう期待している者が、トリステイン貴族にも少なからず出始めたのだ。
 もはや、今回のように自分の足を食うのが大好物な阿呆に邪魔されるわけにはいかん。
 そこで王家から直接ド・ヴュールヌ家に栄典を授けてもらい、事業の権威を間接的に高めることで後の禍根を防ぐことになったのだ。
 権威を高めるためには『先例にない栄典であればあるほどよい』。わかるな?」

……要するにウチ、というか僕を政治の道具にするのも兼ねてるのか。

「では、今からでも水道工事を国家事業にすれば――」
「ええい五月蝿い! 資金も人手もそちらに集めさせておいて完成まじかに横から掻っ攫うような真似を王家にさせるつもりか!
 何に怖気づいているのか知らんがこれは決定事項だ! 自信を持って叙勲されたまえ!
 これだけのことを認めさせるのに私やラ・ヴァリエール公がどれだけ苦労したと思ってるんだ!」

そういうと、伯爵は持っていた書状の一枚――厳密に言うと書状の写し――を僕に見せた。
そこにはマザリーニ枢機卿、王妃陛下、アンリエッタ姫の三人が国王代理として父上と僕の叙勲を承認する旨が記載されていた。
写しとはいえこの名前で書状が発行されている以上、原書には三人がしっかりサインしているはずである。
三人全員にサインさせるとかどんな念の入れようだ。何か僕に恨みでもあるのか。
……いや、別に恨みとかじゃないんだろう。彼らは本気のはずだ。
彼らにしてみたら「我々に十分な名誉を与え、かつ政治的圧力から守る」ために一生懸命工作してくれたに違いない。

「……申し訳ありません。身に余る栄誉に動転してしまいました。皆様の御力添え、心より御礼申し上げます」

となれば、その好意は素直に受け取るのが仏道にかなう行為なのではなかろうか。
僕に仏道は関係ないけど。ありがた迷惑なことに変わりはないけど。


本当に中央が関わってくるととろくなことがない。
勝手に難癖をつけられたり勝手に偉くさせられたり、こっちの都合なんかお構いなしだ。



[13654] 第四話:「放浪者達の狂詩曲」シーン1(閑話)
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/11 22:26
「レイナール、お前は15になったらトリステイン魔法学院に入れ」

13になったある日、僕は遠出から戻ってきた父上に突然そんなことを言われた。
まあ、後の身の安全を考えたらルイズとかサイトとかコルベール先生とかにはちゃんと接触しておきたかったから
僕も機を見て学院に入学させてもらえるよう頼む気でいたが、藪から棒になんだろう。

「それはかまいませんが……いきなりなんですか?」
「単刀直入に言おう。お前はこのままだと嫁が取れん」

……な、何を言ってるんだこの人は?

「あの、全く話が見えないのですが」
「ん、ああ……すまん。順を追って説明しよう。
 私はお前がシュヴァリエを賜ってから、お前と当家に相応しい婚約者を探していたのだ」

あれから遠出が多いと思っていたら、そんなことをしていたのか。
まあ、それはいい。むしろありがたい話だ。
男女は自由恋愛で結ばれるべしなどというのは「恋愛強者」の傲慢である。唾棄すべきイデオロギーだ。
貴族は親が婚約者を決めるという話を聞き、ぶっちゃけ「手間が省けてラッキー」と思ったものだ。
……で、それでなんで嫁がとれないという話になるんだろう。

「だが、付き合いがあり適当な娘のいる家という家に断られた。
 色々美辞麗句を並べ立てられたが要点をまとめるとこうだ。
 『ド・ヴュールヌ家、特にレイナールは近くに置いておきたいが手元には置いておきたくない』と。
 特にラ・ヴァリエール公やド・モンモランシ伯には殆どストレートにそう言われた。
 ……一言で言うとお前はやりすぎたのだ」

意味がわからん。伯爵家の人脈で嫁が見つからないとか僕はどこまで敬遠されてるんだ。
僕が何か悪いことをしたのか。
ヴィンドボナの金座通りが廃墟になったのは事故だし、中央官僚が数人吹き飛んだのはド・モンモランシ伯の陰謀じゃないか。
……うん。僕が親ならこんな男と親戚になるなんて絶対ごめんだな。娘をやるなんてとんでもない。

「だが、仮にも伯爵家の嫡男が独身というわけにはいかん。
 そこでレイナール。お前は時が来たら魔法学院に入学するのだ。
 学院とは家のしがらみなく等価な交流のできる数少ない場所だ。お前も家に縛られず独自に人脈を築くことができよう。
 それに学院ならレベルの高い教師に専門的な学問を学ぶことができる。お前にとって不利益にはなるまい。
 もちろん私のほうでもさらに伝手を当たってみる。あくまでもお前の入学は保険だ」

つまり何か? 「学校に言って自分の嫁を自分で見つけて来い」というのか?
僕にそんなことができると思ってるのか。それができてたらもう少し日本に未練を残してるぞ。
学校なんて勉強した記憶しかないわい。他に何ができるって言うんだ。
まあいいや。どうせ学院には行かせてもらうつもりだったし、いくらなんでも本当に生涯嫁が見つからないわけはあるまい。
……ないと信じよう、うん。

「何というか……学び舎に通う動機としては不純な気もしますが……喜んで向かわせていただきます。
 学院には元々興味がありましたし」

僕はそう答えた。
いや、父上母上。そんな託したような顔してないでそっちも探してください。
まだ入学まで2年以上もあるんですよ。お願いですから今から諦めないでください。



[13654] 第四話:「放浪者達の狂詩曲」シーン2
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/12 22:21
さて、僕の嫁事情はさておき、現状について説明しよう。

あれから、水道工事も順調に進んでいる。
特に現在の人里を結ぶ分の水道の施工は最優先で進められ、
試験的にではあるがラグドリアンの水がここド・ヴュールヌ領にも届くようになった。
蛇口の開発が間に合わなかったのでとりあえずローマ水道的な「基本的に流しっぱなし、どうしても止めたいときは魔法で栓をする」という方式だ。
水道から汚水の混じっていない水が流れてきたとき

「ヒャッハー! 水だー!」

とモヒカンみたいなことを叫んでしまったが、他の人間も騒いでいたので大して気にされなかった。
……いや、そんなことはどうでもいい。
試験運用なので使用できる水量は知れているが
上下水道により浄水と汚水を完全に分離し、排水を流す前に下処理できるようになったことで領内の衛生環境は格段に上昇するだろう。
もちろん、今はまだ目に見えた効果はない。
というか、あとで話すそれ以外の色々のせいでかえって衛生環境はマイナスになっているのだが。


堤防にはミス・グリーンの提案どおり水道から出る土砂が利用されている。
その土砂を運搬するため、運河に大量のガレー船が動員された。
伯爵家も船を発注はしたもののそんなすぐに船が手に入るはずもなく、不足分は商人に外注することになった。
もちろん、船を保有するほどの大商人が土砂なんて利益率の低い物品だけ運搬するなどというゆとりを見せるはずもない。
ただでさえ折からの水道事業でメイジを含む大量の人間が集まっており、様々な需要が発生している状況である。
商魂逞しい方々はついでとばかりに様々な商品を運河に運び込み、また運び出した。
ウチが十分な量の船を確保できたあとも、ちゃっかり航路を確保して商売にいそしみ続けた。
その結果、運河の途中には船着場や渡し場がいくつも自然発生し、ド・ヴュールヌ領を含めた運河の流域部は俄かに活気付いた。

それら運河の水運と外洋の海運を繋ぐ中継地点として漁村の港湾整備が急ピッチで進められ、いつの間にか漁村は貿易都市の様相を呈し始めた。
しかも首都と違い王宮の防衛を考える必要がないためか、目抜き通りの広さは10メイルもある。
漁民たちも港がでかくなったのをいいことにでかい漁船を購入して遠洋漁業に挑戦し始めた。
また、魚問屋と結託して「わざと漁獲量を制限してブランドイメージを確立させ、一匹あたりの利益率を上げる」ということもやり始めた。
領内で魚が消費され始めたのもあって、かなりの儲けになっているらしい。
僕が昔に「乱獲をするとそのうち魚がいなくなっちゃうよ」といったことを覚えていたかららしいが、
その一言をそんな現代日本の漁師みたいな戦略に結びつけたのはお前らだ。人のせいにしないでくれ。

似たような理由で、ウチの家の周りも雇ったメイジたちが次々家を建て始め、周りにあったのどかな農村はすっかり城下町みたいになってしまった。
中には僕がばら撒いた青写真実現による報奨金と特許を目当てに、裸一貫から一旗上げようとやってくる山師も集まっているという。
ちなみに在来の農民は立退き料を利用して早速領内の荒地に灌漑を通して開墾をし始めた。
ウチの領民はどいつもこいつも機会に貪欲すぎる。本当にここはトリステインなのだろうか。
まあ、人が集まり領土が発展するのはいいことだ――ウチが管理しきれる範囲であれば。


要するにだ。「発展のスピードが早すぎて行政の拡張がおいつかない」のだ。
どうも、この一年でトリステインにいた貧困層が一縷の望みをかけてうちに大量移住したようだ。
何しろ、干拓でできた塩田は確かに金になるが、新規雇用という面では数百人程度のものでしかない。
とてもではないが国内の失業者を吸収しきれる量ではなかった。
それがわかった時点で、そっちにも期待して様子を見ていた人間が一気にこちらに流れてきたらしい。
船便があるのを良いことにロマリアからも密入国してくる気合の入った奴もいるという。
なんで「ようだ」とか「らしい」なんて言うかというと、ウチではもはや誰がどれだけ入ってきてるか把握しきれないからだ。
船漕ぎとしてやって来てそのまま姿をくらます奴、夜陰にまぎれていかだで侵入する奴、運河や海を根性で泳いでくる奴、etc...
そんなファンキーな連中を全部把握できるわけがない。いや、本当はするべきなんだろうが、できないものは仕方ない。
というか、何でこんなに移民が集まってくるんだ。
頼むからウチみたいな生産性の低い土地をアメリカ代わりにするのは止めてくれ。


まあ、流民を把握できないこと自体はまだいい。
どうせ税金は帳簿取引を行っている商人や村長みたいな富裕層から天引きしているのだ。
そいつらに純利益さえあればウチに金が入ってくるシステムになっている。
問題は急激な人口増加によって「衛生環境が悪化していること」と「治安が悪化していること」だ。

水道管理のメイジから聞いた話だが、水道が完成して早々に下水道にもぐって夜風をしのぐ「マンホールピープル」が現れたらしい。
このままでは水道特需終了を待たずしてスラムが完成してしまうだろう。そうなったら根絶にどれだけの手間と年月がかかることやら。

さらに、治安のほうはもっと深刻である。
実は父上もただ僕の嫁探しのためだけにあちこち遠出していたわけではなかったらしい。
貴族の次男三男といった部屋住みをスカウトしたり、信用できる傭兵を常備軍化したりと、治安維持のため伯爵軍の増強に動いてたのだ。
だが、どれだけ軍を強化して犯罪を取り締まっても
貧困と不平等という溝がある限り非合法な方法でそれをジャンプしようとする輩は絶えない。
そして、どんなにがんぱって社会保障を試みようが
魔法というチート行為ができる「メイジ」と
元々ウチに地盤があり、教養も高い「在来の領民・商人」と
地盤こそないものの仕事があるからやってきた「普通の移住者」と
地元で食い詰め、一か八か裸一貫でやってきた「不法移民」とには
生活レベルにかなり埋めがたい差ができてしまうのだ。
その結果「不法移民」が密輸や強盗などの犯罪に手を染めて在来の領民の安全を脅かし、
それにより在来の領民が移住者に対する不信感を強めて排斥し、それにより移住者が在来の領民に反感を抱き……
という負のスパイラルがおきようとしている。
今のところその予兆しか起きていないが、放置しておけばそうなるのは時間の問題だろう。

ちなみにその「予兆」というのは、ロマリアからわざわざ海を渡ってやってきた食い詰め者が中心になって
非合法活動はもちろん伯爵軍に喧嘩を売ることも辞さない気合の入った互助組織を作り上げたことである。
何のことかお分かりだろう。


そう――マフィアである。


現在ド・ヴュールヌ伯爵軍は「潜伏するマフィアとの市街戦」を行っているのだ。



[13654] 第四話:「放浪者達の狂詩曲」シーン3
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/03/14 22:18
僕は、自宅の会議室で最近の町の様子に関する白書を読んでいた。
大半は「港の使用状況」「各商会の経営状況」「レストランの出店具合」といった普通の報告だが、その中にまぎれて

曰く「いつも港町のどこかで闇市が開かれており、盗品・密輸品・禁制品が半ば公然と売買されている」
曰く「許可したわけでもないのにいつの間にか私娼街ができた。店長を検挙するも経営者は不明」
曰く「その店長を馬車で護送中に道で爆発がおき、馬がパニックを起こしているうちにそいつがいなくなった」
曰く「白昼堂々強盗事件が起きた。なのにどういうわけか目撃者の証言が全くでない」
曰く「引ったくりを追いかけていたメイジが複数方向から銃で撃たれ、2日ほど生死の境をさまよった」
曰く「治安部門のメイジが外食したら注文した食べ物に毒が盛られており重体。店は翌日忽然と姿を消した」

などなど、これでもかというくらい「高度に組織化された反社会的集団が領内に浸透している」ことを物語る報告が踊っている。
現在のところ住民は犯罪被害より「メイジに喧嘩を売り、なおかつ押している豪の者がいること」に注目しているらしく、
今のところ移民排斥運動が起きるような気配はない。
だが住民同士の抗争、つまり犯罪者同士の抗争もないとうことは件の組織が既にウチの暗黒街を統一している可能性もある。
少なくとも領内にはまだ一系統しかマフィア組織が成立していないのだろう。
このままそんなヤバイ奴らを野放しにしたら、近いうちに手がつけられなくなるのは目に見えている。
現に色々理由をつけて治安維持への参加を拒否する家臣が増え始めた。メイジがビビってマフィアに屈し始めたのだ。

情けないと思われるかもしれないが、そもそもウチがメイジを直臣として召抱え始めたのは3年前の運河事業からだ。
それも「工事の監督」や「今まで伯爵が一人でやっていた内職を大規模にやるための人手」として雇われた者が殆どである。
こう言っては何だが「ドットスペルをちょっと使えばもうMP切れ」という低レベルメイジや
ミス・グリーンみたいに「何らかの事情で偽名を名乗っているっぽい」素性の怪しいメイジだってかなり混じっているのである。
いくら「直臣メイジとなれば伯爵から準貴族として扱われ、うまくすれば国からも貴族として認められる」とはいえ、
毒を盛るためにレストランを丸ごと掌握する連中と争う覚悟ができなくても責められない。
まだ逃げないだけマシというものだ。それもいつまで持つかわからんが。
だからこそ父上も方々探して治安維持の訓練を受けた貴族や信頼できる兵士をスカウトしているのである。

とはいえ、手がつけられなくなればマフィアの犯罪がエスカレートして住民に危害を及ぼし始めるのは時間の問題だし、
そうなれば一般住民の方も武装してド・ヴュールヌ領でプチ民族紛争に発展する危険性もある。
そのため、今も父上や僕を含めた伯爵家首脳陣が会議室に集まって「マフィア対策会議」を開いているのだ。


「今回皆に集まってもらったのは他でもない。
 この存在自体は未確認だが確実に領内に潜伏していると目される犯罪組織に対する対策を練ってもらうためだ。
 なお、この犯罪組織を以後“マフィア”と仮称する」

会議室にいる人間がある程度白書を読んだことを確認すると、父上がそう宣言した。
平民兵士代表として参加しているジャン=ジャックが、不思議そうに問うた。

「閣下。その“マフィア”とはなんですか?」
「特に意味はない。レイナールが適当につけた名称だ」

本当は適当ではなく「イメージがまんまマフィアだから」マフィアと言ったんだが、そんなことをいっても仕方あるまい。
次に発言したのは、意外にも母上だった。

「このような不逞の輩を領内に、いえハルケギニアに存在させるわけにはいきません!
 草の根分けて探し出し、一人残らず殲滅するべきです!」

そういって立ち上がり両手で机を叩く。いきなり殲滅宣言だ。母上ってこんな過激な人だったっけ?
……まあ、火メイジだからなぁ。いざドンパチとなると血が騒ぐのかもしれない。
あまりの剣幕に皆が気圧されたが、一番初めに我に帰ったミス・グリーンがとりあえずなだめに入る。

「落ち着いてください、伯爵夫人。意気込みも確かに重要ですが、今は『どうやって殲滅するか』を話し合う場ですので……」
「決まっています! 事件や団体に関わったものを一人残らず処刑するしかありません!」
「落ち着け、お前。そのようなことをしても末端の人間が一時的に減るだけだ。いまだ片鱗すら見せぬ幹部どもに手が届くことはあるまい」
「……そうですわね。失礼、少し激昂してしまいました。ミス・グリーンもごめんなさいね」

父上も説得し、ようやく母上は席に戻った。

しかし「どうやって殲滅するか」というが、おそらく殲滅は無理だろう。
仮に組織の全貌をつかんで構成員を皆殺しにできたとしても、第二第三のファミリーが現れるだけである。
貧困と不平等ある限り犯罪を根絶することは不可能だ。そして貧困はともかく不平等を根絶することはできない。
母上ではないが「事件が起こり次第つぶしていく」か、そうでなければ「手懐けてある程度コントロールする」のが関の山だろう。
ある意味、領内のアンダーグラウンドが半ば統一されている今は後者を試みる絶好の機会ともいえる。

……とはいえ、僕はマフィアと接触するなんて絶対ごめんだ。
貴族や商人と交渉するのとは訳が違う。奴らは法を守る必要も体裁を整える必要もないのだ。
それ以前に善良な市民として暴力団になんか関わりたくない。
だが、ここで僕が「マフィアと交渉しましょう」などといって万一採用されたらほぼ間違いなく僕が交渉役をやる羽目になる。
父上が自ら交渉に赴いて何かあったら伯爵の不祥事として家を取り潰されかねないし
あの調子では母上に犯罪組織との交渉など任せられない。問答無用で全面抗争に発展しそうである。
だが、メイジの家臣は交渉を任せられるほどこの家に深い根を張っているわけではない。
「偽名を使ってる」メイジがいるのは公然の秘密だ。あるいはマフィアに買収された者が紛れているかもしれない。
逆に信頼できる譜代の家臣はみんな平民である。向こうがまっとうな交渉役として扱ってくれる可能性は低い。
となると、交渉役として適切なのは僕しか残らない。
まあ、そもそも奴らが完全に闇に潜んでいるせいで交渉したくても接触が取れないからどうしようもないか。
そんなことを考えていると、参加者の一人がこんなことを言い出した。

「……とにかく組織の全貌、せめて幹部クラスを発見することが最優先だと思いますが、その……
 仮に幹部を見つけたとして、我々はどう対処するべきなのでしょうか?」

浪人していたところを治安強化のため召抱えたメイジの一人だ。ミスタ・サンソンとか言ってたか。
何が言いたいのだろうか? 母上がそんな皆の疑問を代弁するように答えた。

「どう対処とはどういう意味ですか? 見つけ次第処刑するに決まっているでしょう!」
「いえ、確かにそれも一つの対処法ですが……その……例えば、例えばですよ?
 向こうは完全に闇に潜んだ組織です。報復に家族を殺害するという可能性だってあるじゃないですか。
 護衛だって一日中ずっといるわけじゃないし、その護衛にしたって家族はいます。絶対はありえません。
 それにひょっとしたら護衛や召使の中にマフィアと関係する人間が紛れているかもしれませんし。
 そんな連中と全面的にやりあうよりは……もっと丸く収まる方法があるんじゃないか……とか……」

途切れ途切れに、ミスタ・サンソンが述べていく。要するに僕と同じく「交渉の可能性」を考えているみたいだ。
だがこの自身なさげな口調だと「マフィアにビビっている」と思われて叱責されるのがオチだな。
あるいは本当にビビってるのかもしれないが。
仕方ない。部下が困ってるときには助け舟を出すのが上司というものだ。

「つまり、マフィアと交渉することも視野に入れるべきだ……ということ?」
「そうそれです! 一日中心の休まる暇もないというのはつらいものですよ。私も無職だった時代が長いのでよくわかります。
 向こうだってそう思ってる可能性も高いです。こちらから手を差し伸べれば交渉の余地はあるんじゃないかと」

僕がそう促すと、何か突然身の上話も交えて交渉の重要性を説き始めた。
すると母上が怒気をはらんだ口調で反論する。

「平民の、それも犯罪者風情に屈しろというのですか。あなたはド・ヴュールヌ家の名に泥を塗れと言うのですか?」
「え? いや……その……別にそういうわけじゃ……」

またおどおどした口調になり始める。全くしょうがない奴だな。

「母上、ミスタ・サンソンはあくまで可能性の話を述べているだけです。落ち着いてください」
「落ち着いています。いくら数をそろえようと平民は平民です。何をそこまで怯えているのです。
 レイナール、あなたまで何ですか情けない。それでも精霊勲章まで賜ったシュヴァリエですか」

いや、どっちも戦闘で得たわけじゃないですよ、母上。少しの口先と極度に政治的な理由で押し付けられたんです。
というかあれです。首脳陣会議で「平民はメイジに勝てない」なんて悪質なプロパガンダを流すのは止めてください。
真に受けて油断する奴が出たらどうするんですか。
僕がついそんなことを言おうとすると、横から父上が

「ここでもめていても仕方あるまい。殲滅にせよ交渉にせよ、組織の中枢を解明せねば不可能なことだ。
 ひとまず伯爵軍は情報収集を最優先に行動せよ。その後の処遇はその情報を見て改めて判断する。
 緊急時には領内の秩序回復を目的として柔軟な手段を用いよ。その際は私の権限で許可できることならあらゆる手段を用いてかまわん。
 ミスタ・サンソン。交渉を試みたいというなら、まずは全力で組織の全貌を明らかにしたまえ。皆も何か意見はあるか?」

と、話をまとめに入った。
正直助かる。このままだと首脳陣というか家族間に亀裂が入るところだった。

「わかりました、父上、私も貴族として全力を――」
「ああ、レイナール。お前はしばらく領内を離れよ。そうだな、前のようにマザリーニ枢機卿に神学でも学びに行くがいい」
「え? それはどういうことですか?」
「お前の知性と正義感と行動力は認める。だがこのたびは貴族や商人と交渉するのとは訳が違うのだ。
 ひとりマフィアの元に赴き、交渉を試みるなどということをしてはどのような危険があるかわからん。
 そこで、お前を一時領外に避難させる。ある程度状況が改善するまで戻ってくるな」

やらねぇよ! 何でそんな好き好んでそんな危険な橋を渡らなきゃならないんだ!
というか父上の中で僕はどんな劇物だと思われてるんだ!

……とは言えだ。正直父上の申し出はありがたい。
何しろ相手はマフィアである。ミスタ・サンソンの言うとおり、屋敷に篭っていたって安全ではない。
自分の提案した改革で起きた弊害の責任を他人に丸投げするのは多少心苦しいし
僕だけ安全圏に非難するのは弟に悪い気もするが、伯爵命令なら仕方ないというものだ。
――いや、流石に僕だけじゃなくて弟も疎開させるか。部下の手前ここでそんな気弱なことは言えないだけで。
でなきゃ「母上の実家に疎開しろ」というはずだ。おそらく弟はそちらに疎開させるつもりなのだろう。
流石に二人も放り込んだら迷惑だからな。マフィアが遠征する危険性が激増するから。
ならまあ、あとは僕の責任感だけの問題である。
そして責任感も大事だが身の安全のほうがもっと大事だ。大義名分があるなら大手を振って逃亡させてもらおう。

「……一人危機から逃れるのは心苦しいですが、父上の仰ることならば仕方ありません」

もちろん部下の手前堂々と喜ぶわけにもいかない。
僕は内心の安堵を押し隠し、少しの心苦しさを最大限に増幅してそう答えた。


その後特に何か劇的な案が出るわけもなく
「いつ誰に襲われるかわからないと覚悟すること」「組織の全貌をつかむことを最優先すること」という抽象的な注意喚起だけで会議は終わった。
そして僕は翌朝極秘に運河を下って港町に行き、そこから外洋船でトリスタニア近郊まで向かうことになった。
後は馬車でトリスタニアに向かえばほぼ安全圏である。
……そこまでに襲われなきゃ良いけどなぁ。



[13654] 第四話:「放浪者達の狂詩曲」シーン4
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/15 18:52
翌朝、僕は予定通りガレー、というか甲板と補助用の帆がついた大型ボートに乗って運河を下ることになった。
ちなみに弟はその話を聞いて「めだつようなことするからー」といってケタケタ大笑いしやがった。
ホントかわいくない奴だな。お前本当に5歳か。

表向きの理由は「土砂の運搬」なので、その監督としてミス・グリーンが主賓として乗っている。
船長はジャン=ジャック、護衛としてミスタ・サンソンがついている。
ジャン=ジャックは経験深いといっても平民であり、漕ぎ手の指揮も採らねばならない。
とてもではないが護衛をしている余裕はないため、メイジであるミスタ・サンソンが護衛に選ばれたのだ。
港町に着くにはガレーでも1時間弱かかる。その辺のスピードは川幅が広くなった今でも変わらない。
とりあえず万一のため、僕とミス・グリーンとミスタ・サンソンの三人は船長室で到着まで待機することになった。
船長室にはこの船で唯一ガラス窓がある。ある程度安全に周りを観察できるということでここが選ばれたのだ。

しかし、本当にあらゆることが前倒しで起きすぎている。
予定なら今頃は運河が試験的に運用され、港がちょっとづつ拡張されているような頃だったはずだ。
なのにあの水の精霊が余計なことをしたせいで急ピッチで領土を整備する必要に迫られ、
人の流入が管理の許容量を超えてこのざまだ。
人口だってせいぜい人足や出入りの商人も含めて二千人あたりがせいぜいだったろう。。
それが今では正規住民だけで一万、一時滞在者や不法移民を含めれば三万を超えるとまで言われるほどの急成長ぶりだ。
改革前の三十倍、予定の十五倍である。いくらなんでもハルケギニアの人口移動がここまで流動的だとは思わなかった。
移民元の貴族が文句を言ってこないところを見るとどうやら体のいい口減らし先にされているらしい。
もう少し領民に対して愛情と責任を持って欲しいものである。

そもそも何でこんな早くマフィアができるんだ。しかも貴族、というか体制に堂々と喧嘩を売るとか意味がわからない。
そりゃいつかはそんなヤバイ連中も現れるとは思っていたが、その頃にはうちも対抗しうる十分な警察力を持っている予定だったのだ。
体制側であるウチが組織の拡張に苦労しているというのに、どんなインチキをすればそんな組織力を得られるというんだろう。
いくらなんでも早すぎやしないだろうか。やはりメイジと平民の数の差と「団結しなければやられる」という危機感だろうか。
それともどこか外国の……いやいや、そんな対処の仕様がない悪い想像をしてもしょうがない。

まあ、全ては僕がファンタジーをなめていたツケともいえよう。


「しかし、若君を領外にお預けになるということは、伯爵閣下はマフィアを殲滅するおつもりなんでしょうね。
 場合によっては関係のない移民を巻き込んででも」

ミス・グリーンが手持ち無沙汰に土砂の運搬計画書を流し読みしながら、そんなことを言った。
ミスタ・サンソンがそれを聞いて怯えたようにミス・グリーンに尋ね始める。

「……それは一体どういうわけですか?」
「こう言っては何ですが、マフィアへの使者として最も適切なのは若君です。いえ、若君くらいしか使者になれないといっても良いでしょう。
 伯爵閣下や夫人が直接赴けば貴族が犯罪結社に屈したと見做されます。
 かといって我々のような新参のメイジを派遣するわけにも行かないでしょう。マフィアに買収される危険があります」
「……じゃあ、ジャン=ジャックさんみたいな古参の家臣が使者になればいいじゃないですか」
「それは私たちの論理です。普通メイジの直臣もいる伯爵家は平民をここまで重用していません。
 単なる潜入捜査員か捨て駒と思われ、会ってすらもらえない可能性が高いでしょう。
 もちろんそんなことは可能性でしかありませんが……若君ならこれらの懸念が少ないのも事実です。
 それを領外に避難させる以上、閣下は少なくとも当面マフィアと交渉する気がないと思われます」

ミスタ・サンソンには残念ですけど。と付け加える。するとミスタ・サンソンがさらに反論した。

「でも、伯爵閣下だって仰ってたじゃないですか! 事件に関わった人間を一人残らず処刑しても末端が減るだけだって!」
「ですから先ほど申し上げたとおりです。
 場合によっては『事件の有無に関わらず』不法移民を撫で斬りにしてでも殲滅する御覚悟なのでしょう。
 そこまで仰ればあなたのような方が動揺するから、あえて明言は避けたようですが」
「そんな……実際に連中の相手をするのは僕たちなんですよ……」

ミスタ・サンソンががくっとうなだれた。一応護衛なんだからもっと堂々としててくれ。僕まで怖くなってくる。
ミス・グリーンもそこまで察してるんだったらもう少し気を使ってくれても良いじゃないか。
このままだとこの人逃げ出しそうだな。一人脱走すると箍が外れるようにバラバラと逃げ始めるので絶対避けたいんだが……。
さてどうフォローするかと考えていると、その前にミスタ・サンソンが愚痴るようにつぶやき始めた。

「こういうときよく思うんですよ……自分で言うのもなんですが私は結構信心深いほうです。
 毎食のお祈りだって欠かしたことはありませんし、喜捨だって結構な額をしています。
 なのに、何で神様はここまでの理不尽を課してくるのでしょう。信仰とは何なのでしょうか……」

そういって、祈るようなしぐさをし始めた。いや、実際祈ってるのだろう。
ミス・グリーンもその台詞に何か思うところがあったのか、ガラス窓の向こうにある河岸の景色を眺めながら

「……神様なんて、祈ったって何もしてくれはしませんよ」

とつぶやいた。
……レイナールですが船長室の空気が最悪です。


そんな重苦しい雰囲気を察したのか、ミスタ・サンソンがこちらに話題を振ってきた。

「……若君は、どう御考えですか?」
「え? 僕?」
「はい。何でも昔にマザリーニ枢機卿に神学を習ったことがあり、このたびも神学を勉強しに行かれるとか。
 マザリーニ枢機卿といえば次期教皇との声もあるほどのお方です。是非ご意見をお聞かせ願えませんか?」

無茶振りも良いところである。マザリーニ枢機卿には顔をつなぎに行ったに過ぎない。
口実の神学なんて大学の教養講義よりも適当にしか聞いとらんわ。
とはいえ何か気の利いたこと返さないとさらに空気が悪くなってしまうな、仕方ない。

「これはあくまで僕個人的な考えでしかないからあんまりおおっぴらに言って欲しくはないんだけど……
 『何もしてくれないのを理解したうえで祈る』ってのが信仰なんじゃないかな、と」

とりあえず思うことや高校時代に倫理の授業で習ったことを適当にしゃべって間を持たせよう。
港町まであと20分もあるまい。何とか持つはずだ。

「……それは、どういうことですか?」

僕がそういうと、ミスタ・サンソンがとりあえず食いついてきた。
誰かが食いついてくると、ついつい高説をうってしまうのが人のサガというものだ。

「だってほら『救いを求めて祈る』ということは逆に言うと『何もしてくれないなら祈らない』ってことだろ。
 それは単なる取引じゃないか。しかも『こっちの意志で神様がどうにでもなる』って考えに基づいた取引だ。
 本当の信仰って『相手がこちらの意志や思惑を超越した存在であると認める』ってことなんだから
 『神様が何をしようと無関係に祈る』ってのが信仰じゃないかと思うけど」

僕がそういうと、二人は呆れたような顔をしていた。ミスタ・サンソンが力なく「は、はぁ……」とつぶやく。
……しまった。そういえば宗教ネタは雑談においてタブーとされるものの一つ、もしや地雷を踏んだか?
そう考えていると、ミス・グリーンがぼけっとした表情のまま返答した。

「……なんというか、神官の存在を全否定した御考えですわね……聖堂騎士が聞いたら即座に異端審問にかけそうな」
「ちょ、縁起でもないこと言うのは止めてよ。そこは所詮子供の戯言と思って流してよ――
 あ、そうだ。さっきから窓の向こうを見てたけど、何か見えるの?」

なんだか不穏当なことを言い始めたので、とりあえず話をそらすことにした。
窓を見ると、岸辺ではそこそこの身なりの人間がぼろをまとった人たちにスープみたいなものを配っているようだ。
服装から察するに配っているほうは在来の領民、受けているほうは河原に住んでるホームレスのようだ。

「……炊き出し、かな?」
「はい。あれはおそらく商人や在来の領民たちが河原の住居者に炊き出しを行っているのですね。
 新規住民に教育を施しているという話は聞いていましたが、救貧活動まで始めているとは知りませんでした」
「教育? そんなの聞いてないよ? 漁船を新調したり開墾を試みたりしてるってのは知ってたけど」
「そんなはずはないでしょう。運河事業と同時に住民の教育を充実させるよう仰ったのは若君だと聞いておりますよ」
「いや、それは確かにそうだけどさ……」
「第一、人手もないのに漁船を新調したり開墾を試みたりはできませんよ。
 既に技能のある人間は水道事業に行くので、一から教育して何とか人材を確保しているそうです。
 どうせ全部人件費として計上すれば利益が少なくなるからかまわないとか……何で利益が少なくなればいいのかわかりませんが」

税金対策かよ! そりゃろくに報告が来ないわけだ。
経済を活発化するため売り上げじゃなくて「純利益」に税をかけたのを悪用しやがって。誰だそんな悪知恵を考えた奴は。
と、そんなことを言おうと思ったあたりで港町が見えてきた。
ふぅ。どうやら何とか雰囲気をごまかし切ることに成功したらしい。
何で救貧活動をやってたのかは少し気になるが、どうせ今からトリスタニアに行く身だ。気にしても仕方あるまい。


運河側の渡し場と外洋への港は短い直線道路でつながれており、船を下りるときにもう一つの船着場を見ることもできる。
距離こそ短いが事実上のメインストリートともいえる場所だ。
本来なら船から下りても互いを見ることができるのだが、大抵の場合人やら馬車やら露店やらのせいで視界がさえぎられてしまう。
そのためどうしてもどちらかからもう一方を眺めたければ夜中にでも出歩くしかない。
そして、それも堤防が完成すれば不可能になるだろう。というかなってもらわねば困る。
しかし5年前にはこの辺で毎日魚を《固定化》したものだが、今やその面影すらない。
懐古主義や情緒などなんとも思っていないらしい。流石は我が領民だ。

とりあえずカモフラージュである土砂の運搬に携わるミス・グリーンやジャン=ジャックとはお別れして、僕とミスタ・サンソンはタラップを降りた。
このままこの道を行き、そのまま外洋船に乗り込む手はずになっている。
本当は馬車なんかを用意したいところなのだが、極力目立たないようにと徒歩で行くことになったのだ。
もちろん、ひそかに護衛の兵士も多数忍ばせているらしい。
ミスタ・サンソンは護衛として辺りを伺っているのか周りをビクビクきょろきょろ見回してる。
だが、その様子は正直何かやばいものを運んでいる不審者のようだ。
そんなことを考えながら町を歩いていると……

「若君!」

と突然ミスタ・サンソンが叫び、僕をいきなり引っつかんで地面に伏せさせた。刹那、


近くの露店がズタズタに吹き飛んだ。


突然の出来事に一瞬船着場の空気が凍りつくが、すぐに再び時が動き出した。
具体的には、周りがパニックを起こし始めたのである。
僕も何が起こったのかよくわからなかったが、ミスタ・サンソンが何かを震えながら指差していたのでとりあえずそちらの方向を見た。

そこには、レイピアを構え、背中に銃を背負ったフードの男が立っていた。
その銃というのがとても変わっていた。あれはマスケットではない。初めて見る形だ。
いや、実際に見るのは初めてだが、僕はあの銃を何度も見たことがあった。
ニュースで、ゲームで、ネットで、とにかくありとあらゆるメディアでその姿と情報を見られる世界最小の大量破壊兵器――AK-47を。

「あ、あいつです。あいつが魔法を、《エア・カッター》を」

震えた声でミスタ・サンソンが告げた。
《エア・カッター》!? じゃああのレイピアは杖なのか? というかなんでメイジがAK-47を?
いや、それよりあの魔法の威力だ。露店をバラバラにするなんて魔法、かすっただけでも死にかねない!
いや、ミスタ・サンソンがかばってくれなかったら間違いなく露店の代わりに僕がバラバラになってた!
そんなメイジが背中にAK-47? 過剰火力も良いところじゃないか!
――いや、分析より先にやらなきゃいけないことがある!

「何をしている! 総員、住民を避難させるんだぁ!
 ミスタ・サンソン! 使い魔でも何でも良いから早く父上にこのことを報告して!」

僕は立ち上がりながらそう叫び、同時に街道の石を3体ほどのゴーレムに変えてフードの男に向かわせる。
その言葉で潜んでいた兵士たちが十数人ほどはっと我に帰り、何とかパニックになっている人たちを先導してこの場から避難させ始めた。
ミスタ・サンソンも何やらぶつぶつ言っている。どうやら遠くにいる使い魔に連絡しているらしい。

兵士を下げさせるのは非常に痛いが、いずれにせよ住民には退避してもらう必要がある。
向こうが誰か知らないが、こんな往来の真ん中で襲ってきたところを見るに住民を巻き込んでもなんとも思うまい。
下手をすると住民を盾にしたり人質にとったりすることもありえる。
だが、逆に体制側である僕が住民を巻き込むことは許されないのだ。
兵隊を何人か残すより、守るべき足手まといが数百人いなくなるほうがマシだろう。

男はゴーレムに《エア・カッター》を唱えるが、石が一時的に砕けるだけでしばらくすれば元に戻っていく。
よし、どうやら《エア・カッター》じゃゴーレムは殺しきれないらしい。
これならなんとか時間を……そう思っていると、男は違う呪文を唱え始めた。

「ユビキタス・デル・ウィンデ……」

《遍在》ィ!?
ふざけるな! 何で僕が風のスクウェアメイジに命を狙われなきゃならないんだ!
というかスクウェアメイジが「場違いな工芸品」なんか持つな! メイジとしてのプライドはないのか!?
とにかくゴーレムを向かわせるが、男は僕の操るゴーレムの攻撃をレイピアと体捌きだけで回避していく。
……まずい。できるかどうか知らんが《遍在》が一斉にAK-47を掃射してきたら何がどうなろうと死ぬ。

「わわわ、若君、《遍在》ですよ! スクウェアですよ! 何とかなるんですか!?」

ミスタ・サンソンが怯えたように尋ねてくる。どうやら、ここは最後の手段を使うしかないようだ。

「ああ、たった一つだけ策がある……いいかい。《遍在》はスクウェアスペルだ。だから詠唱まで多少時間がかかる。そこが狙い目だ」

そんなことを会話していると、住民があらかた避難し終えたようで、辺りは人っ子一人いなくなった。
海川両方の船着場が昼間に見えるというのはめったに見られない光景だが、こんな理由で見るのはこれが最後にしたいものだ。
そしてフードの男の《遍在》も唱え終わろうとしている。

「狙い目って、どうするんですか?」

ミスタ・サンソンがそう問うので、僕は自信満々に宣言した。


「決まってるだろぉ! 逃げるんだよォォォーッ!」


同時に、最も近くで遮蔽がとりやすい通りへと一気に駆け出した。



[13654] 第四話:「放浪者達の狂詩曲」シーン5
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/16 02:26
AK-47。

ロシアが生み出した伝説的な自動小銃、「世界で最も人を殺した兵器」とさえ評される60年以上のベストセラーだ。
そこまで世界に流布した理由は数あれど、最たるものに「耐久性」と「扱い易さ」がある。
その耐久性は「泥まみれになっても水洗いすれば撃てる」「トラックで踏みつけても壊れない」とまで言われ、
弾切れの際には鈍器として十分実用に耐えるという冗談もある。
また、頑丈で構造が単純なため整備や取り回しが非常に楽であり、
子供ですら数時間から数日の訓練で100m先の的を当てられるようになるらしい。
というか「適当に弾をばら撒く」だけなら引鉄を引いて体勢が崩れさえしなければそれでいい話だろう。
マスケットがあることだし、十分な練習用弾薬さえあれば独学で使用できるようになってもおかしくない。

――もちろん、僕は実物なんか見たことないから全部伝聞と当て推量でしかないけど。


とにかく、そんな武器をぶっ放されたらひとたまりもない。僕は全力で町を駆け抜けた。
裏道に入ったあたりで、ゴーレムからの接続が切れた。おそらく《遍在》に数で押されて砕かれたのだろう。
町中が騒がしいので具体的にどうなっているのかはよくわからないが、とりあえずゴーレムのおかげで完全に見えない位置まで逃げられたようだ。
だが、向こうは風のスクウェアメイジだ。風の動きや《遠見》でこちらを追跡してきても全く不思議ではない。
まだまだ油断は禁物だ。

「若君……あのメイジ……マフィアなんでしょうか? 今までとは雰囲気が違いましたけど」

僕に追随しているミスタ・サンソンがそういってきた。というか付いてきたのか。意外と士気が高いな。

「……多分ね」

僕は走りながらそう返答した。
マフィアのヒットマン、多分そうなんだろう。
今更それ以外に命を狙われる覚えがないとは言わないが、このタイミングで僕の命を狙う奴はマフィア以外に考えにくい。
異端審問ならもっと堂々とやってくるだろうし、普通の暗殺者ならもっと目立たない方法で殺しにくるはずだ。
あれは「ここに何らかの地盤がある」人間の襲い方である。
とはいえ、確かにやり口が違う。今までの陰湿なまでに巧妙な手口に比べてあまりにも直接的だ。
そもそもなんで「風のスクウェアメイジ」が「AK-47を携えて」マフィアのヒットマンなんかやってるんだ。
連中は食い詰め者の互助組織なんじゃないのか。何でそこにスクウェアメイジが混じってるんだ。
まだ「マフィアを隠れ蓑に北方花壇騎士が僕を殺しにやってきた」と言われたほうが納得がいくぞ。
そんなことを考えていると、またミスタ・サンソンが声をかけてきた。

「と、とりあえず逃げましたが、これからどうするおつもりですか?」
「もちろん逃げ切る!」

僕はそう宣言した。正直あんなチートの塊を相手してたら命がいくらあっても足りない。
だがそれを成し遂げるためには「向こうが追いつけない」道を通り続け、
「向こうに対抗しうる勢力がある」ところまで逃げる必要がある。
「向こうが近づけない」場所でも良いが、《フライ》が使える風メイジの近づけない場所など
「地下深くに完全に埋まる」くらいしか考えられない。
あるいは他にもあるかもしれないが、そこまで走りながら考える余裕はない。
「撒く」「隠れてやり過ごす」という手段も考えたが、それができるなら視界外まで逃走できた現時点で既に成功である。
第一ヒットマンがあれだけとは限らないのだ。やはり安全圏まで離脱せねばならない。

じゃあ、その「対抗しうる勢力がある」のはどこか?
まず当初の目的地ある外洋船――これはない。
船舶のスピードは《フライ》のそれを相当下回る。仮に出港できたとしても簡単に乗り込まれてしまうだろう。
《フライ》と《遍在》が同時に使えないならそのときにはまた一人になっているが、
それにしたって軍艦ならともかく普通の外洋船にメイジを射落す銃砲や護衛など搭載しているわけがない。
無双されて終わりである。
つまり、今から船に向かうのは逃げ場のない棺桶に入りにいくようなものだ。よって却下。
次に港町の警邏本部――これもない。
現在マフィア対策と僕の護衛で殆どの人手が出払っており、本部には必要最低限の連絡員しか残っていないはずだ。
逃げる余地があるだけ船よりはマシだろうが、安全地帯とは御世辞にもいえない。よって却下。
伯爵軍が詰めている僕の屋敷――兵力は十分かもしれないが遠すぎる。却下だ。
今まで乗ってたガレー――おそらくこれが一番マシだろう。
確実にミス・グリーンがいるし、船員は平民とはいえ全員戦闘訓練を受けた兵士だ。
伯爵軍や警邏中のメイジが増援に駆けつけるまでなら何とかもつのではなかろうか。

だが、そうなると「どうすれば追いつかれないか」という問題が出てくる。何しろAKの射程は100メイル以上なのだ。
ガレーへの最短距離であるメインストリートを通るのは殺してくれと言っているに等しい。
だが裏通りにはマフィアの増援が潜んでいる危険性がある。
というか僕なら絶対に例の「メイジを狙撃した」ガンナーをどこかに配置する。
それに、僕が街をうろつけばうろつくだけ住民に危険が及ぶ可能性が上がるだろう。
そう考えていたとき、ふと、走っている先に下水道の入り口が目に付いた。

……下水道を設計したのは僕だ。あの入り口からどう進めばガレーの船着場に出るかは完璧に把握している。
地形だって完全に測量済みだし、四方を石に囲まれているので土メイジの感覚が使いやすい。
それに下水道は薄暗いしグネグネ曲がっていて射線もなかなか通らない。いわば僕にとって有利な地形といえるだろう。
仮にここにすらヒットマンを潜伏させる余裕があったとしても、屋外よりは対処しやすいはずだ。
というか、撃たれる危険が低い道は下水道くらいしかない。
管理用の道があるから下水に浸かる必要もないし、最低限だけど非常用に《ライト》を常につけさせている。
移動を阻害されることもないはずだ。
多少不快な気分にはなるが、命と引き換えならかなり安い代償だと思おう。

「ミスタ・サンソン。あそこに下水溝が見えるだろ? あそこから下水道に入って、ガレーまで戻る」
「ええ? 下水なんかに入るんですか? 中は真っ暗ですよ!」
「最低限の明かりはついてるよ。それともこのまま裏通りを走る? どこかから狙撃されるかもしれないけど」
「……わかりました。おつきあいしましょう」

ミスタ・サンソンがそういうのとほぼ同時くらいに、僕は下水道の入り口にたどり着いた。
ぼくは入り国にかかっている木の格子戸を《アンロック》で開け、非常用に《ライト》がかけられた下水道に入り込んだ。


とりあえずミスタ・サンソンを先導させて僕は下水道に入った。
不快臭が僕を襲うが、気にしている余裕はない。
そして格子戸を閉めたのと同時くらいに、フードの男4人が格子戸越しに視界に入ってきた。
……やはり追ってきてたか。

一人はレイピアを構えたままだが、他の3人はAKを構えている。距離にして100メイルくらいだろうか。
そして、その3人がこちらにAKを向けた。
あわててミスタ・サンソンを格子戸のすぐ横、射線の通ってない石壁の裏に引っ張る。

下水が勢いよく水柱を上げ、格子戸が景気よく木片に変わっていく。
見ることはできないものの、背中の石壁が削られているのが振動で伝わってくる。
その直後「パパパパパパ!」という連続した甲高い爆発音が地下に響いた。
この音、この破壊力、たぶん本物のアサルトライフルだ。
少なくともこの世界の技術で作れるような代物ではない。
何発撃ったか音で確認したかったが、あまりにも反響が激しくて「とにかくたくさん撃った」くらいしかわからなかった。
しかし、あれだけ距離が離れていてこの音量とは。下水道内で撃たれたらそれだけで耳がやられかねない。
兆弾の危険も含め、次に射線が通ったらアウトだと思っていいだろう。
ミスタ・サンソンが、また震えながら尋ねてきた。

「な、何ですかこれは。というかなんでまだ追っt「そんなこと言ってる場合じゃないだろ! 死にたくなきゃ逃げるぞ! 付いて来い!」」

そういって、僕は下水を走った。


薄暗く、四方を石壁に囲まれた下水道は僕の感覚を高上させる。
下水の地図が頭に入っていることもあり、床や壁の振動で追ってくる向こうの位置がほぼ丸わかりだ。
だが、何度分かれ道を通り過ぎても四人(?)は相変わらず僕たちを追いかけてきている。
どうやら向こうにも僕たちの位置はわかるらしい。
下水道なら風が読めなくなるかもと期待したが、そこまで甘くはないようだ。
あるいは遍在の1人が《遠見》でも使っているのかもしれない。
だが、暗く曲がりくねった道は連中に警戒心を与えるようで、曲がり角や分かれ道に来るたび奴らは一時足を止める。
そのため、こちらとの距離は徐々にだが広がりつつあった。
これなら、うまくすれば逃げ切れるかもしれない。
あと、奴らがわざわざ警戒している以上横のミスタ・サンソンが追っ手と内通している可能性は低いだろう。
僕が向こうの位置を把握できていることは横にいるミスタ・サンソンにも言ってないし。

しかし、逆に言うとこれは向こうが全く油断していないことを意味する。
この調子では死角にトラップを待機させても吹き飛ばされるだけだろう。
また、こんな密閉された空間で毒ガスや火薬を《錬金》するわけにもいかない。
時限式・トリガー式なんて器用なものはできないので、下手をすると自分がガスや崩落に巻き込まれる。
というか、そんなものが有効な距離に近づかれたらAKに蜂の巣にされて終わりだ。
ワイヤーを張るくらいなら可能だろうが、歩行速度程度で人体を切断できるワイヤーなど作れない。
つまり転倒くらいしか期待できない。《錬金》に必要な時間を考えたらむしろ距離を縮められるだろう。
ということは、こっちは小細工なしに逃げるしかないのだ。
向こうがじれて《フライ》でも使ってくれればまだ小細工の余地もあろうが……。


そう考えて曲がり角を曲がった瞬間、足に何かを引っ掛けて転倒した。
続いて、横で誰かが倒れる音がする。多分ミスタ・サンソンだ。
しまった。後ろに集中しすぎて前の注意をすっかり失念していた。
そう思うと同時にいきなり何者かに背中から上に乗っかられ、手馴れた手つきで頭にフクロをかぶせられた。
すると、急に意識が遠くなる。
薄れ行く意識の中、袋の向こうから「これでもっと良い所に……」とかいう何人かの声がした。

そうか……こいつらマンホールピープルだ……。
確かに……マンホールに住んでるような人間なら……マフィアにつながっててもおかしくない……。
うかつだった……ここも既に……僕じゃなくて奴らのホームだったのか……。


そこで、僕の意識は途切れた。



[13654] 第四話:「放浪者達の狂詩曲」シーン6(閑話)
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/16 21:46
薄暗い下水道の中、みすぼらしい身なりの男たちが2人、質素ながらメイジらしい服をした男と少年を縛り上げ地面に組み伏せていた。
二人の顔には袋がかぶせられている。
この仕事の前に《眠り》の魔法薬が染込んでいると言われて持たされたものだが、詳しいことは彼らにはわからなかった。
その中の一人、少年を組み伏せている男が嬉しそうに隣に語りかける。

「しかし、ついてるな。下水を走ってくる奴を捕まえて追っかけてる遍在のダンナに渡せば1エキューだろ?
 他のもっと奥で張り込んでる奴涙目じゃね?」
「そうだな。とりあえず出口付近で張っておけば来るはずだと思った俺の頭脳の勝利だ」
「よくいうぜ。奥は暗いし寒いし臭いし、とりあえずマシなとこにいようっつっただけじゃねぇか」
「細けぇこたぁいいだろ。とにかくその追っかけてくる遍在のダンナは早くこねぇかな」
「全くだ。こんな水が流れてるとこに長居したくねぇぞ。いつ水道野郎が来るわかんねぇしよ。
 ホントあいつらムカつくぜ。俺たちのこと下水のゴミとしか思ってやがらねぇ」
「そういうなって。水道野郎どもが毎日調査だ点検だ整備だ拡張工事だってやってくれるから
 俺たちも乾いた場所でオネンネできるんだし、明かりにも不自由しねぇんだ」
「それ、元締めが言ってたことまんまじゃねぇかよ。ほんとにわかってんのか?」
「うるせぇな。第一別にオマワリみたいにとっ捕まえにくるわけじゃねぇんだし……
 ってこいつ、オマワリのサンソンじゃねぇか?」

そういうと、男は自分が組み伏せているメイジを指差し、顔の袋をちょっとはずしてメイジの顔を覗き込んだ。
それを見て、もう一人の男も自分が組み伏せている少年の顔を覗き込む。

「……間違いないな。サンソンだ」
「ってこたぁこっちのガキもオマワリか? 俺はこんな奴見たことねぇんだが」

そういうと、隣の奴にも見えるように袋から顔を大きく露出させた。

「ちがうだろ、いくらなんでも。でもなんか見たことあるな……それ、レイナール坊ちゃんじゃねぇ? 伯爵の息子の」
「おいマジかよ! やべぇよ俺たち殺されちまうぞ!」
「大声出すなっての。……と、誰か来るぞ。遍在のダンナじゃねぇかな」

果たして、下水道の奥に足音が響いてきた。
この二人が逃げているほうからは数人が早足で進む音、逆方向から一人が歩いてくる音だ。
二人が何で違うところから足音がするのか疑問に思っていると、逆方向からかなり強い明かりが現れた。
その明かりの持ち主は、二人にとって見慣れた人物であった。

「……お前ら、こんなところで何をしてるんだ?」
「「も、元締め!」」

ふたりに元締めと呼ばれた人物は、杖の先に明かりを携えていた。
下水道に申し訳程度にかけられたものとは違う、本物の《ライト》だった。
急激な光に一瞬二人の目がくらむ。
二人が誰かを押さえつけているのを見て、不機嫌そうに“元締め”は告げた。

「善を貫いて飢えて死ねとは言わんが……せめて下水で犯罪はするなと言ったはずだぞ。
 下水の警備が強くなったらお前らが住処を追い出されるんだからな」
「い、いや、これはあの……遍在のダンナに頼まれまして……」

そういったところで、フードの男たちが《ライト》の明かりに照らされた。
そのまま一人が手に持った銃を撃とうとするが、“元締め”の姿を確認すると舌打ちして銃を納める。
“元締め”も、フードの男が持つ銃を確認するや、不機嫌そうにこういった。

「おい“アレッサンドロ”。お前今何をしようとした。というより今何をしている」

フードの男の一人、レイピアを持った男がそれに答える。

「お前も聞いたはずだぞ“ピエトロ”。今日そこのレイナールがあのマザリーニの元へ行く手はずになったとな。
 それで手遅れになる前に“我らが父”の下へ招待することにしたんだよ。
 賢しい子供だという評判は聞いていたんでな。万一に備えて下水に詳しいこいつらに張ってもらっていた。
 私の部下は屋外に隠れてさせていたもので、どうしても人手が足りなかったのでね」
「俺になんの断りもなくか。しかもお前今『こいつらごと』レイナール坊ちゃんを撃とうとしやがったよな。
 ……てめぇの持ってる“銃”がただの銃じゃねぇことくらいは俺でも知ってるぞ。
 “オヤジ”の前に首でも招待する気か。それ以前に躊躇なく“兄弟”を巻き添えにするとはどういう了見だ」

“ピエトロ”が、不機嫌そうに“アレッサンドロ”をにらむ。
アレッサンドロは特に悪びれる様子もなく答える。

「すまない。まさか本当に貴族ともあろう者が下水に逃げ込むとは思わなかったのでな。
 それとさきほどの行為は事故だ。この暗さで気が立っていたものでね。疑心暗鬼とは恐ろしいものだ。
 ……不満か?」
「当然だ。そもそもこんな荒っぽい手段を用いること自体が不満だ。
 てめぇが兄弟に下らないことを吹き込むせいでファミリーがすっかり犯罪組織じゃねぇか」
「生きるためには仕方あるまい。そもそもは我々を受け入れぬこの時代が悪いのだ。
 それとも伯爵に慈悲を乞うつもりだったのか? 君がそんな死にたがりとは思わなかったが」

アレッサンドロがそういうと、ピエトロはそこでもう何もいえなくなった。
それを確認したアレッサンドロは勝ち誇ったような笑みを浮かべて縛られている二人を担ぎ上げようとする。
だが、それをピエトロが制した。

「待て。今は気がたってるんじゃないのか?
 怒りに任せて護送中にこいつらを殺されたらかなわん。俺がオヤジのところへ連れて行く」
「……お前、私の手柄を横取りする気か?」
「それはこっちの台詞だ。勝手にうちの兄弟に危ない橋渡らせやがって。
 ちゃんとお前の手柄だと伝えておくから、今日はさっさと身柄をかわせ。
 どうせ上の騒ぎはお前がやったんだろ。突き出されたくなかったら大人しく隠れな。
 ……お前が派手に動いたせいで俺たちまで動く羽目になったんだ。少しは感謝しろ」

アレッサンドロは再び舌打ちをした。ここで全員蜂の巣にしてやろうと思ったが、こいつは今「俺たち」といった。
つまり、他の幹部も動いているということだ。
ならば、今ここでこいつらを皆殺しにしたらファミリーにそのことが伝わってしまうかもしれない。
自分の教育した手口で自分が襲われるのは正直避けたい状況だった。

「……まあいい。ここはお前の顔を立てておいてやるとしよう」

そういって、四人のフードの男たちは下水の奥へ姿を消した。
ピエトロは、何が起きているのかわからず呆然としている二人に新金貨を1枚ずつ投げ渡すと

「そいつら二人をこっちに渡してこの件は忘れろ。お前らは何かする前に俺に見つかってどやされた。いいな?
 あとついでだ。他の奴にも解散するよう伝えろ。
 さっさと解散すれば俺に黙ってアレッサンドロの仕事を請けたことは気にしないでおいてやるともな。
 そいつはあくまでパシリの手間賃だ。俺に最初に見つかった幸運をかみ締めな。
 ――それ以外の噂が俺の耳に入ったら、どうなるかわかるよな?」

そう言って、気絶しているレイナールとサンソンを担いでピエトロも闇に消えていった。



[13654] 第四話:「放浪者達の狂詩曲」シーン7
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/03/14 22:22
気が付くと、僕はベッドの上にいた。
あわてて起きあがると、周りは石造りの家……なのだろうか。そんな場所だ。
だが、ドアの代わりに格子戸が付いている。どうやら部屋というより牢獄のようだ。
持ち物を確認する……杖がない。服も今までのものではない。
これは御仕着せの寝巻きのようだ。流石によくわからないが《拘束》などの魔法がかかっている様子はない。

……記憶を手繰らせる。
確か僕は下水で誰か、多分マンホールピープルに不意打ちを食らって意識を失ったんだ。
というかあいつらは汚水の流れてる場所に住んでるのか。そんなことしたら病気になると思うんだが。
いやいや。そのまえになぜ僕はこんなところにいる? それ以前になぜ生きている?
そんなことを考えていると、どこかからか声がした。

「御目覚めのようだな、若君。急にこのような場所にお連れしてしまってまことに申し訳ない」

誰だ? 聞きおぼえのない声だが、声質からすると男だろうか。
みると、格子戸の向こうに仮面をつけた男が後ろに数人の男女を引き連れて立っていた。いずれも見覚えはない。
また、はったりか本物のメイジかはしらないが、仮面の男以外は全員杖を持っているか下げている。
……全く足音や気配を感じなかった。
流石にベッドの上からでは地面の振動を聞くことはできないが、それにしても静か過ぎだ。
いずれにせよこの状況は僕にとって不利でしかない。とりあえずベッドから離れて立ち上がった。
すると、仮面の男が話を続ける。

「名乗りたいのは山々だが、私は既に名を捨てた身でね。
 周りの仲間からは“父”などと呼ばれているが……若君にそう呼ばせるほど不敬ではないつもりだ」
「……ということは、最近領内を荒らしまわっている組織のトップだな?」
「御噂どおりご聡明でいらっしゃる」

この野郎、否定も肯定もしやがらねぇ。余計な情報は渡さないつもりか。

「言いたくないならいい。で? 何でまた僕をこんなところに転がしてたんだ? 服と杖はどうした?」
「勝手ながらどちらも責任を持って預かっている。
 若君がお休みの間に危険物を確かめるのを兼ねて下水の垢を落とさせていただいたのでね。
 その服は御近づきの印に進呈しよう。魔法も何もない安物で申し訳ないが、よかったら受け取ってくれ」
「……まあいい。じゃあ僕を生け捕りにした理由と、わざわざ話しかけている理由を聞こうか。
 まさか暇つぶしで僕に話しかけてるわけじゃないだろう」

僕はそう問うた。
殺すつもりなら気絶している間に何回でも殺せただろうし、人質にするだけならわざわざ話しかけることはあるまい。
つまり、こいつは「僕自身に」何らかの話がしたいのだ……処刑前の余興という可能性も含めて。

「パニックを起こすかと思ったが、なかなか肝が据わってるじゃないか。流石は伯爵の継嗣といったところか。
 なら単刀直入に言おう。我々が静かに暮らせるように協力してもらいたい」

……はぁ?

「そういう交渉は僕を人質にして父上とするものだろう」
「それでは静かには暮らせまい。若君を帰すか、亡き者にしたとたん互いに益のない争いが再開するだけだ。
 そうではない。若君に『自発的に』協力し、伯爵閣下を動かしてもらいたいのだ」
「……抽象的な話だな。具体的にどうしろというんだ」

僕は条件を言うよう促した。


もちろん、こんな奴に従う気などない。
実際に自分が、しかも街の往来で住民ごと襲われて実感した。

――こんな奴らが存在していてはいけない――

守るべき“貧困層”などという甘っちょろいものではない。こいつらは“敵”なのだ。
それも、戦いを覚悟してるわけではない市井の人間をも毒牙にかける許すべからざる敵だ。
そして、もっと肝心なことにも気付いた。

――“貴族”も“マフィア”も大して変わらん――

逃げてるとき思い出したように“貴族”も平気で暗殺者を送ってくるのだ。
ルールや法も恣意的かつ適当なものでしかない。マフィアの掟と同じようなものだ。
貴族のイメージが沸かないから勝手に政府のイメージを当てていたが、本質的にはこいつらとなんら変わりはない。
あるとすれば、僕がたまたま貴族のファミリーとして生まれたために他の貴族が僕を一応は同胞と見做してくれることと
僕が勝手に法治国家の政府として振舞う分には特に何も言われないことだけだ。
こいつらに対して地球のマフィアをイメージして勝手にビビっていたが、そんなものは単なる僕の先入観でしかない。
ならば、何もビビることはない。こっちも既に“トリステイン系ド・ヴュールヌ家”という暴力団の幹部なのだ。

とはいえ、こんな喉元にナイフを当てられてるような状況において否定の言葉は危険だ。
「こいつは話を聞く気がない」と向こうに思われた時点でよくて抹殺、悪くて薬や何やで洗脳コースである。
僕程度の口車に乗るほど甘い相手ではなかろうが、少なくとも「話を聞く気がある」と錯覚させなければならない。
いや、そんな弱気ではだめだ。
「口車に乗せる」つもりでしゃべらなければならない。
現時点で、僕にはそれ以外の武器がないのだから。


そんなことを考えながら相手の出方を伺うと、仮面の男は少し考えるように口を開いた。

「今回の件を単なる事故だったと主張してもらいたい。そしてもう我々にはかまわないで欲しいのだ」

(ふざけるな! 通るか……! そんな虫のいい話が……!)
思わずそう叫びそうになった。要するに「自分たちに治外法権を認めろ」ということを主張しているのだ。
いかんいかん。向こうはいつだって交渉を打ち切って僕を始末できるんだ。こちらが怒っても何の意味もない。
ぼくは、とりあえず心を落ち着けて返事をした。

「僕たちがかまわなくとも治安が悪化すれば国軍が動くだろう。それは平穏な生活とはいえないんじゃないか?
 そもそも街の往来で魔法をぶっ放しておいて静かに暮らすのは相当無理があると思うんだが」
「それに関しては我々も必死だったのだ。君がマザリーニ枢機卿の元に行くと聞いたのでね。
 そのようなところに行かれたら我々には打つ手がない」

ということは、やはり領内の情報は漏れてるのか……うん? それ以外にも何か引っかかるんだが……。

「ずいぶん僕を買いかぶってくれてるんだな。そもそも僕がいなくなるなら父上を捕まえれば良いじゃないか」
「伯爵閣下は最近常に風竜を使って移動されているのでな。恥ずかしながらそこまで上空にいられては対処にも一苦労だ。
 まさか伯爵の屋敷に押し入るわけにも行かないしね。
 第一、君がマザリーニ枢機卿と接触すると何が起こるかわからんのでね」
「なるほど、それでとりあえず殺すことにしたと」
「よんどころない事情が重なってね。だが継嗣を殺害したとあらば伯爵家との全面戦争は必至だ。
 話し合いができるならそれに越したことはないと考えたのだよ。
 ――と、おしゃべりが過ぎたな。まあこれ以上の譲歩をするつもりはない、ということだけご理解いただこう」

そういって、仮面の男はこちらの反応を見始めた。
……これ以上情報を引き出すのは無理っぽいな……仕方ない。不安だが反撃を開始しよう。

「その前に条件を確認したい。君たちは平穏な生活がしたい。それが望みだな?」
「そうだ。それ以外には何も望まない。我々にかまわないで欲しいのだ」
「なら話は早い。御互い納得のいく話にしようじゃないか――全員大人しく刑務所に入れ」
「……ッ! ふざけるのもいい加減にしてもらおうか!」
「ふざけていない。まじめに御互い納得のいく条件を提示しているんだ」
「ならばここまでだな。もう少し話のわかr「君たち、新教徒だろ」」

仮面の男が言葉に詰まった。後ろの人間も一瞬だけ表情をゆがめる。
よし、半分以上あてずっぽうと願望だったがどうやら当たったようだ。

「何でわかったって顔をしてるね。
 ただの流民が短期間でこんな組織力を、しかもメイジを含む大勢力を構築できるはずがない。
 たとえ元貴族でノウハウがあったってそこらじゅうから来た連中どもをまとめるのは不可能だ。
 現役の貴族であるウチだって四苦八苦してることを一犯罪組織が簡単に実現できるわけがない。
 何らかの強い結びつけ……要するに“宗教的権威”ってのが必要だ。
 で、そんな強大な権威を持っているのに表に出られない存在となれば君たち新教徒しかありえない。
 そしてそう考えれば僕がマザリーニ枢機卿に接触することを恐れていたこともわかる。
 せっかくロマリアから逃げてきたのに聖堂騎士なんか呼ばれたら元の木阿弥だからね。
 だから必死で妨害した」

と、適当に思いついたことをしゃべっていく。仮面の男がほんの少し焦りを帯びた口調で返答し始める。

「……ずいぶんと面白い説を唱えるじゃないか。だが全部推論でしかないだろう」
「聖堂騎士に証拠がいるとでも思ってるのかい? 『こういう説が唱えられる』以上君たちは新教徒なんだ。
 おっと、僕を口封じするのは逆効果だぞ。僕の言った話は伯爵家全員が知ってる共通情報だ。
 僕がこんな状況で推理できるんだから、他の誰かだって簡単に同じ結論に達する。
 僕が死んだら君の言ったとおり全面戦争だ。それを否定する酔狂な人間はいなくなるぞ。
 異端者の犯罪集団ってことにすれば皆殺しにする大義名分になるからな。住民の不安も最小限になる」

これ以上反論されるとボロが出かねない。一気にまくし立てるしかない。

「……とはいえ、だ。僕も父上も犯罪者とはいえ住民を異端審問なんかにかけたくはない。
 正直、領民が家で何をしてて内心どう思ってるかなんていちいち踏み込みたくないしね。
 だからこそ今まで部下が殺されかけても領内法に則って治安活動をしてたんだ。
 だが、君たちみたいなほかの領民を脅かすような人間を放置しておくわけにはもはやいかない。
 そこで刑務所だ。今なら単なる世俗的な犯罪としてド・ヴュールヌ領で独立して裁くことができる。
 自首すれば特別な恩赦で死刑じゃなくて懲役200年とかにすることも可能だ。
 その刑務所を君たちのために新しく作ってやる。君たちの影響力を考え脱獄防止に坊主も接触不能な刑務所だ。
 中で何が行われているかも一切公表しない。贅沢は約束できんが、平穏な生活は保障しよう。
 こっちは犯罪組織を一斉検挙できて面子が保てるし、そちらは望みどおりに平穏な生活が営める。
 どうだい? 御互い納得の行く条件だと自負してるんだけど」

割とめちゃくちゃな話である。自分で言っていてなんだが犯罪組織に話す条件ではない。
だが、もし本当に彼らが「純粋に迫害から逃れてきた新教徒」なら、検討する価値くらいはあるはずだ。
こっちだってマフィアと全面抗争したり聖堂騎士に居座られたりする犠牲や経済被害を考えたら
どう考えても刑務所を新設したほうが安い。
そして、これ以上の譲歩は僕にだってできない。
こいつらを野放しにしていれば僕の望む“平穏で快適な生活”は望めないからだ。
マフィアの影に怯えて一生暮らすくらいなら、ここで勝負に出たほうがずっといい。
……その前に殺されるかも知れんけど。

「……その話を信用する保証は? 自首したところを一斉に処刑しない保証がどこにある。
 一度捕まえた以上、そちらに我々を生かしておく理由はないだろう」

食いついてきた!? いや、まだ油断は禁物だ。話を聞く振りをしてこちらを……だます必要がどこにある。
向こうは現時点において圧倒的強者なのだ。そんなめんどくさいことをするならさっさと殺せばいい。
「実は北方花壇騎士団で、ジョゼフの指示で僕が足掻くのを楽しんでる」とか
「実は異端審問官で、形式上僕が変な失言をするのを待っている」とかいう可能性はあるが、
そんな論理の通じない愉快犯や狂信者のことを考えても仕方がない。
いずれにせよ、僕はこれに全てをかけるしかないのだ。

「自発的に出頭した人間を極刑にしたり、刑に反する処罰を行ったりしたら後々の統治に影響が出るじゃないか。
 正直トリステインはそこまで新教徒を迫害する気はないんだ。ウチだって例外じゃない。
 あとは……わざわざここに逃げてきたくらいだ。ウチがどれだけ行儀よくやってるかくらい評価してくれてるんじゃないか?」
「どうしても自首を拒否したものがいたらどうする気だ」
「それは頭目の君が説得してくれ。それでも従わないならそいつは新教徒とは関係ない単なる凶悪犯だ。
 君たちもかばい立てする必要はないだろう」
「……なら、どうやって伯爵を説得する? そちらが我々をどうやって信用するのだ?」
「説得も信用も必要ない。僕が君たち全員を連れて帰って、君たちが自首を宣言するだけだ。
 あとは父上も僕が考えたように判断するだろう。何だったら僕を幽閉したままその旨を父上に確認してもいい」

僕がそう言うと、しばらくの沈黙が続いた。ぼそりと、仮面の男がつぶやいた。

「……いや、その必要はない。確かに伯爵閣下ならおそらくそう考えるだろう」

なんだか父上を知っている口ぶりだが、まあ“表の顔”で会ったことがあるのだろう。
少なくともどうやら仮面の男はこっちの条件を「魅力的な提案」と思ったらしい。
後ろの人間に動揺が走るが、仮面の男が一言「おちつけ」というだけでぴたりとおさまる。そして

「認めよう。我々は若君が予想したとおりの者だ」

と宣言した。
錯覚かもしれないが、なにやら「どうしてこうなった」という雰囲気が感じられる台詞だった。
まだ首を縦に振らせてはいないが、相当な間合いに踏み込めたといって良いだろう。


だが、ならば一つ疑問が浮かぶ。そして、それは僕の未来のためにも確認しなければならないことだ。

「……一つ聞きたい」
「何だ?」
「どうして犯罪に手を染めた?
 さっきも言ったとおり、こっちは君たちのプライベートに踏み込む気はなかった。
 事実、別に移民に対して宗派を確認したりはしなかったはずだ。
 そもそも、トリステインは表立って新教徒を迫害したりはしていない。
 裸一貫で各地から移住して生活が苦しいのは理解できるが、ここまで先鋭化してウチに喧嘩を売る必要はなかっただろう」

そう、これが疑問だ。
さっき「宗教的権威でもなければ急速な組織の拡大は難しい」といったが、
それと同じくらい「別に弾圧をしたわけでもない新教徒が急速に犯罪結社になるわけがない」のだ。
わざわざ弾圧する理由を作るようなものだ。普通に考えたら自殺行為である。
何か、別の力が働いているとしか思えない。

「表向きは、な。だが、ことあらば都合よく我々を火刑台に乗せるのがロマリアの坊主どもだ。
 そして、今我々はその都合に巻き込まれている……君は、今の教皇が危篤状態にあるということを知っているか?」
「もう2~3年前から死ぬ死ぬといわれ続けてるのは知ってるけど。それと君たちの急進化に何の関係があるんだい?」
「順を追って説明しよう。
 現教皇の容態が本当に悪化したらしく、もはや水魔法の延命ではどうにもならんところまで来ているらしい。
 それが鮮明になるに従い、我々への排斥論が日に日に強まっていった。
 全ては、次期教皇候補の一人ヴィットーリオ枢機卿の評判を落とすためらしい。
 詳しくは知らんが、枢機卿の母親は新教徒に改宗したという。
 本来ならただそれだけのことを『教皇として相応しくない理由』に仕立て上げるために、我々は弾圧されたのだ。
 例外がトリステインだった。マザリーニ枢機卿は排斥運動に参加しなかったからだ。
 彼は現教皇派と距離を置きながらも次期教皇候補としての地位を確固たるものにしている。
 妙なことをして民や貴族の反感を買う必要はないと判断したのかも知れんな。
 そのため我々は思い思いにここまで逃げ、自然と集まり始めた。
 ……だが、あまりにも集まりすぎたのだ。
 純粋に地方から逃げてきたものだけで287人、かのダングルテールの人口を倍する人数だった。
 ――とその前に若君。『ダングルテールの虐殺』に関してはご存知かな?」
「……まあ噂程度には。“虐殺”というからには、新教徒を疫病に偽装して虐殺したって噂で良いんだよね?」
「ならその説明は省略しよう。
 われわれはその『ダングルテールの虐殺』が再び起きることを恐れたのだ。
 そんな折……我々の同志の一人、君を追った男が言ったのだ。
 向こうに先んじて力をつけ、怯えて暮らす必要のない安住の地をこの地に作り上げよう、
 われら『実践教義』に目覚めたメイジが、同じ新教徒である力なき人々を導こうと。
 そして、自分には平民にすらメイジに伍する力を与えられるとな。
 その手段、そしてその後の経緯は若君の知るところだ」

なんだそりゃ。こいつらマフィアじゃなくて宗教テロだったのか。
……だがなるほど。これで道が3パターンくらいに絞れてきたぞ。

「あの風メイジが? やっぱりどこかで坊主から荘園を取り上げた革命家だったりするのか?」
「いや。私と同じくロマリアから逃げてきたものだ。どこでこれだけの手腕を磨いたかは知らん」
「――そうかわかった。じゃあそいつは現教皇派の工作員だ」


僕はそう断言した。



[13654] 第四話:「放浪者達の狂詩曲」シーン8
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/21 19:55
後ろにいた人間の表情が不快感と怒りを露にし始める。
頭目(?)の表情は仮面に隠れてわからないが、おおよそ似たようなものだろう。
まあそうだろう。せっかく殺さず捕まえてきた人間が自分の仲間を「工作員」呼ばわりしたのだ。
だが、だからといって攻勢を緩めるわけには行かない。
ここでしくじれば今まで積み上げてきたものが本当に水の泡なのだ。

「そっちに倣って順を追って説明しよう。
 まず、彼は『見たこともない銃を持っている』。それは事実だよね」
「ほう、あれを銃と見抜くとは。やはり若君は聡明でいらっしゃる。
 だが没収しようなどとは考えないほうが良いぞ。
 あれは《遍在》で増えた者以外が使えば一瞬で弾丸がなくなり使い物にならなくなる。
 しかも銃の構造を理解せねば《遍在》を用いて複写しても満足に動かない、まさに奴専用の銃だ」

まあ本当は見抜いたんじゃなくて「知っていた」んだが、そこまで言ってやる義理はなかろう。
しかし、インチキなしでAK-47を弾丸ごと《遍在》でコピーしてやがったのかよ。


「わざわざご解説ありがとう。
 ということは、彼は『彼専用ともいえる非常に強力な銃を持ち』『《遍在》まで使える風のスクウェアメイジ』なわけだ。
 しかも『平民にメイジと戦える戦術を訓練できる』技能まで持っている。
 そして、君たちの言を借りれば『新教徒のための国を作る理想を持って行動している』らしい。
 ――なんでそんな人間が無名のままこんなところに埋もれてるのさ?
 しかもロマリアにいたんだろ? あの司教領だの司祭領だのがごろごろしてるような国に。
 正直、世界中からうちに逃げてきた新教徒よりロマリアで今まさに弾圧を受けている新教徒の方が圧倒的に多いんじゃないか?
 そんな人間なら坊主の荘園の一つや二つ制圧し、弾圧されている新教徒を“解放”していて然るべきなんじゃないのかい?
 でもそうせずに彼はウチに逃げてきた。そして今になっていきなり実力を発揮して君達を犯罪結社に仕立て上げた。
 ……不自然だとは思わないかい?」

と、僕はとりあえず揺さぶりをかけた。
正直、これが本当であるという保証はない。人間が常に妥当で的確な行動をとるとは限らないからだ。
判断ミス・しがらみ・思い込み・うっかり……僕がそうであるように、人は様々な理由で不自然な行動をとる。
だが真偽などどうでもいい。僕としてはこいつらに「仲間に対する疑念」を植え付けられればいいのだ。
奴らの顔を見やる。こっちの話を信じているほどではなさそうだが、動揺していることは確かなようだ。

「……どうやら、僕の話を聞くに値する説だと思ってくれているようだね。
 じゃあ、ここで現教皇派の思惑を改めて整理しよう。
 まず、彼らはヴィットーリオ枢機卿を追い落とすため新教徒を弾圧すべき存在に堕させたい。
 そのためには、君たちのような先鋭化して暴れだす新教徒の集団が現れてくれるのが一番だ。
 静かに暮らしている住民を火あぶりにするより、一般信徒の感情がずっとよくなる。
 むしろ一般信徒が独自に『新教徒討つべし』という動きをはじめるかもしれない。
 さらに、その集団が現れる場所はもう一人の教皇候補であるマザリーニ枢機卿の教区内が理想的だ。
 『今の教区すら管理しきれない無能』という烙印を押すこともできるし
 『あなたが新教徒を甘やかすから付け上がったのだ』と糾弾することもできる。
 さて、これらの状況を整えるために現教皇派がすべきことは何か。
 まず新教徒を適度に弾圧して世界中からトリステインに新教徒を逃亡させる。
 そして、そいつらが集まった先に工作員を放って新教徒をあおり、先鋭化した犯罪集団に仕立て上げる。
 要するに、今ここで起こっている状況だ。
 で、彼が教皇庁の工作員だってんならそれだけの技量を持ちながら表舞台に出てきていないのもうなづける」
「……相変わらず推量でしかない話だな。それで我が同胞を疑えというのか」
「そういうなら調べてみれば良いじゃないか。さっきと違って仲間の背景を洗うだけだ。簡単に確認できるだろ」

僕がそういうと、長い沈黙が走った。


五分か、十分か、あるいはそれより長い時間かの沈黙の後、仮面の男は静かに後ろの人間に告げた。

「……兄弟たちの意見を聞こう。
 皆が若君の口車に乗ってもよいと考えるなら今から我らが兄弟を説得し、同時に伯爵閣下に自首とその条件の打診を取れ。
 法に則って処罰するというなら一生牢獄暮らしになるものは我々を含むごく少数のはずだ。その旨重々伯爵閣下と交渉しろ。
 また、そのついででかまわんから“アレッサンドロ”に詳しい話を聞いてこい。
 ……この中の誰か一人でもそれに不服なものがいるならかまわん。私の名において若君に死を献上しろ」

“アレッサンドロ”とは件の風メイジのことだろうか。
いずれにせよ、ここで僕の運命は決まったということか。
確かに、ここまで話した以上“降伏か、全面抗争か”しかない。
戦うならば妙な情報を知っている僕は必ず殺さなければならないだろう。

……さらにしばらくの時間が経ったあと、後ろの一人、壮年の男性が仮面の男に尋ねた。

「“オヤジ”。俺はいつもオヤジを信じてきた。だからオヤジの希望に従う。
 ……俺は“アレッサンドロ”を調べてくる。確かに奴のやり口は元々気に入らなかったんだ」

そういうと、その男性はその場を去っていった。
それを皮切りに、一人、また一人とこの場を去っていき、最後に仮面の男一人が残された。
仮面の男が、ひとりごちるように告げた。

「どうやら、若君の勝ちのようだな」
「争いが起きた時点で勝ちも何もない気がするけどね。本来ならこうなる前に物事を納めたかった」
「なるほど……若君の話を聞こうと思った価値があるというものだ」
「……そういえば、どうしてわざわざ僕と話をしようと思ったんだい?
 正直、禁制薬品でもつかえば僕の意志くらい何とでもなったと思うけど」
「……ガレー船で神について御話になったことを覚えているか?」

……なんでこいつらがそんな話を知っている? ……まあいい。

「ああ。それが君たちの琴線に触れでもしたのか?」
「いや、全く。神の救いを否定するなど、正直理解に苦しむ考えだ。不快感すら感じる。
 だが、君が神に関して“考えている”ことだけはわかった。思考放棄せず我らと同じく考えていることだけはな。
 ならば理解することはできずとも話し合うことはできるかもしれない、そう言われただけだ。
 ――すまないが話がまとまるまでしばらくゆっくりしていってくれ。欲しいものがあれば何でも進呈しよう」

そういうと、仮面の男も僕のもとを去っていく。
僕は、それを呼びとめて“とりあえずの安全が確認されて始めて聞けること”を尋ねた。

「ちょっと待ってくれ! 僕と一緒にいたメイジがいたはずだ! ミスタ・サンソンはどうしたんだ!」

男は、一瞬だけ立ち止まると

「我々が船の話を誰から聞いたと思っている? ……つまりはそういうことだ」

そういって、姿を消した。



[13654] 第四話:「放浪者達の狂詩曲」シーン9(第四話エンディング)
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/22 01:35
こうして、僕は一人牢屋に残された。
正直、あそこまで言ったが連中が交渉どおり動いてくれる保証はない。
だが、向こうが自首するといっている手前逃亡を試みるわけにはいかない。
ひょっとしたら、逃亡されないために一芝居打たれたかもしれないな。
まあ、どうせ杖もなしに場所すらわからない所から逃亡するなど無茶な話なのだが。

しかし、あの口ぶりからすると例の話はミスタ・サンソンから聞いたのだろう。
となると、ミスタ・サンソンは「風メイジとはつながっていなかったが新教徒とはつながりがあった」か
「僕が気付く前に別室かどこかでミスタ・サンソンを尋問して洗いざらい吐かせた」かのどちらかだ。
とはいえどちらか判断するには情報が足りないし、裏が取れない以上気にしてもしょうがない。
今僕にできることは、万一に備えて部屋にあるものや周辺の内部構造をできる限り調べておくことだけだ。
……いずれにせよ事が終わるまで、あるいは終生まともに彼と再開することはないだろう。そんな気がする。


そんなことを考えながら部屋に何があるか色々確認していると、俄かに周りが騒がしくなり始めた。
慌てて格子戸から射線の通らない場所へ移り、壁に耳や手を当てて感覚を研ぎ澄ませる。
すると、石壁の振動から周りがざわついているのがわかった。
何を話しているのかまではちょっと判別できないが、全員のざわめきから「逃げた」「殺された」という言葉が聞こえてくる。
確証はないが「身内の重要人物が殺され」「逃げられては困る人間が逃げ出した」のだろう。
となると、タイミング的に逃げた人間は2人のうちどちらかしか可能性がない。
ミスタ・サンソンか、例の風メイジ“アレッサンドロ”だ。
そして、ミスタ・サンソンが逃げたというなら僕の逃亡を警戒して誰かがやってくるはずである。
しかし、騒がしくなってからしばらく経つがこちらに人が来る気配はない。
となるとアレッサンドロが逃亡した可能性が高い。
もしそうならば、殺されたのはアレッサンドロを調べに行ったさっきの男だろう。
そう思い「アレッサンドロ」という台詞がないかどうか意識を研ぎ澄ましてみたところ、果たして逃亡したのはアレッサンドロのようだ。
このことから、以下のことが推察される。
まず「彼らは少なくともアレッサンドロの背後を洗おうとした」ということ。
そして「それがすぐにアレッサンドロに露見した」ということ。
さらに「彼は逃亡する必要があった」ということだ。

……って、それはやばくないか?
さっきの話を総合すると、アレッサンドロとやらは本当に工作員で、追っ手を殺害して逃走した可能性が高い。
そうすると、次にやることは決まっている。「現状を上役へ報告し、何とか巻き返しを図る」である。
後者はともかく、前者は絶対だ。
何しろ「新教徒が犯罪組織を結成していることを公表する」だけで奴らの目的はある程度達成されるのだ。
このまま話が進んで全ての事象を「なかったこと」にされる事態を避けるため、プランBに移行する準備をさせるのは間違いない。
まあ、そんなことをされても教皇が死んでヴィットーリオが新教皇になるまでごまかし続けることはできるだろうが、
それによっていろんな人間に目をつけられるようになるのは間違いない。
だが、だからといって牢屋にぶち込まれている僕には何もできない。
せいぜい、アレッサンドロが領外に逃亡する前に新教徒か伯爵軍が彼を捕縛することを祈るだけである――。




その後の顛末を簡単に話そう。

まず、アレッサンドロには逃げ切られた。その際に幹部1人とたまたま騒動に巻き込まれたミスタ・サンソンが殺害されたらしい。
また、この結果新教徒の連中は僕が言ったことを信用したらしく比較的あっさり全員降伏して伯爵の前に出頭した。
彼らの処遇は基本的に父上が決定したが、概ね僕が提案したとおりの結果になったようだ。

ミスタ・サンソンが向こうのスパイだったのか、それとも拷問で殺したのをアレッサンドロのせいにしたのか、
はたまた本当に偶然殺害されたのかは謎のままだ。
だが「部下に犯罪組織のスパイがいた」であろうと「部下を拷問で殺した組織に自首を勧めた」であろうと
伯爵家の面子としてあまりよろしくない。
そんな理由が重なり、ミスタ・サンソンは逃走したアレッサンドロを捕らえようとして殉職したことになった。


そして――僕は解放されてすぐに父上に事情を全て説明し、マザリーニ枢機卿の元へ赴いてもらった。
マフィアを幽閉するための「坊主すら立ち入れない刑務所」の建設許可をもらいに、
具体的には教皇庁が刑務所やその受刑者に干渉を試みても無視して欲しいと頼みに行ってもらったのである。
正直、マザリーニ枢機卿にしてみてもこんな事件が表ざたになったら色々困るはずである。
枢機卿としての立場も悪くなるだろうし、トリステイン宰相としてみれば自分で内政干渉の大義名分を作ってしまうことになる。
そう考えたのかどうかは知らないが、枢機卿はすぐに首を縦に振ってくれたらしい。

その後我がド・ヴュールヌ領に対してロマリアから再三「マフィアに対する異端審問」の要求が来たが、
マザリーニ枢機卿の約束や逃亡の可能性などを盾に最後まで、
つまり現教皇が死んでヴィットーリオが聖エイジス32世になるまでごまかし続けることに成功した。


そんなわけで、根本的には大して何も解決していないがとりあえず領内の治安向上には成功した。
他に得たものは何もない。ただただ色々なものを失った戦いだった。



[13654] 第五話:「ラブストーリーは必然に」シーン1(ほぼ番外編)
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/22 21:35
今年の太后マリアンヌの誕生日は、いつにもまして豪勢に祝われた。
トリステインで随一の名勝と呼ばれるラグドリアンの湖畔にて、数週間をもかけた大規模な園遊会を行うことになったのである。
この贅を尽くした宴には、規模の大小を問わずハルケギニア中から貴族という貴族が招待された。
王族や大貴族は自らの力を誇示すべく身なりを整え、中小貴族は恥を書かないための費用に悲鳴を上げた。

それだけの豪勢な園遊会が開かれたのには、いくつかの理由がある。
塩田や運河などの事業に成功し、トリステインの国力が上向きになっていることをアピールすること。
アルビオンを中心に王権を疑問視する諸侯が出始めたため、国内外の貴族にプレッシャーをかけること。
そしてアンリエッタ姫とウェールズ皇太子を引き合わせ、あわよくば婚約まで持ち込むことである。
特に、最後の一つはトリステインの宮中貴族における長年の悲願であった。

とはいえ、計画された当初と現在とでは少々その目的が異なる。
計画当初は「衰退著しいトリステインをゲルマニアとガリアの圧力から守るべくアルビオンと連合を組むため」というものだった。
だが、現在の目的は「モード大公の処刑以来諸侯の動揺激しいアルビオンを連合により安定させるため」というものに変化している。
もちろん、その根本は「アルビオンで内乱が起こると上向いたばかりで不安定なトリステインにまで飛び火するかもしれない」という
あくまで自国の保全を念頭に置いたものではあるのだが。


園遊会においては様々な王侯貴族が自らを誇示すべく様々な趣向を凝らした。
だが、そんな趣向や家の格とは無関係に諸侯の注目を集めた家が二家あった。
一つはド・モンモランシ家。干拓事業を塩田という形で成功させ、水の精霊との交渉役として今回の宴を取り仕切る旧家である。
そしてもう一つはド・ヴュールヌ家。運河事業を成功させ、現在も水道事業を執り行っている精力的な家である。
特にド・ヴュールヌ家は園遊会の会場であるラグドリアン湖畔が例の運河の始点であることもあり、
この場で最も話題になっている家の一つと言ってもよかった。


とはいえ、その話題は決してよいものばかりとは限らない。

曰く、ラ・ヴァリエール公と結託し隠し財産をでっち上げてゲルマニアの大商人を滅ぼした。
曰く、ハルケギニア中から出自の怪しいメイジを大量に集め、公然と召抱えている。
曰く、ド・モンモランシ伯と結託し干拓や運河事業に反対する宮中貴族を社会的に抹殺した。
曰く、領内の犯罪組織をよくわからないうちに降伏させ、何故か処刑せず独自に作った刑務所に放り込んだ。
曰く、マザリーニ枢機卿と結託しその刑務所を神官すらも入れない謎の領域に仕立て上げた。
曰く、教皇庁が刑務所を調査しようとするも内政干渉だ何だと色々ごねて無視し続けた。
曰く、そうこうしてたらいつの間にか教皇が崩御し、調査の話が立ち消えになった。
曰く、ここまで無茶をやっているのに未だ何の落ち度も見せずのうのうと貴族の地位を保っている。
曰く、かの家に喧嘩を売ったものはなんだかよくわからないうちにいつの間にか破滅・凋落していく。

とりあえず目立ったものだけでこれだけの悪評が立っている。
中にはこれらの噂から
「ド・ヴュールヌ家は犯罪結社を裏で召抱え、独自に闇の組織を作り上げている」という悪い想像をする者も少なくない。

しかも、これらの大半は若干13歳の嫡男、レイナールが関与しているといわれている。
少なくとも彼は一年前に干拓事業と運河事業を成功させた功績でシュヴァリエの称号と精霊勲章の同時受章という異例の褒章を賜っている。
そんな規格外の少年もこの園遊会に姿を現したのだ。注目を浴びないはずがない。

……だが、もちろん「注目を浴びる」ということと「人を引き付ける」ということには越えられない壁がある。
具体的に言うと、レイナールは完全に他の参加者から避けられていた。
そして、元々彼は社交的な人間ではない。自分を敬遠している空気を発している人間に話しかけるような気にはならなかった。
そんなわけで、この園遊会では
「多数の人間に一定以上の距離をとられ、しかもその全員に観察されている少年」という
一種いじめのような現象が発生していたのである。


これは、そんなかわいそうな少年……とは基本的に無関係な人物である皇太子と姫のロマンスにまつわる話である。



[13654] 第五話:「ラブストーリーは必然に」シーン2
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/23 21:25
さて、一言で「ウェールズをアンリエッタと婚約させる」といっても事はそう簡単ではない。
なにしろ普通に婚約すれば「アルビオン王家にアンリエッタが嫁ぐ」という形式になってしまい、
最悪の場合「アルビオンがトリステインを併合」という形にされてしまうからだ。
数年前ならそれもやむなしという状況だったが、トリステインの国力が上向きになった今そこまで弱気になる必要はない。
つまり「婚約の前、最悪でも同時期にトリステイン=アルビオン連合を成立させる」か
「トリステイン王家にウェールズを婿入りさせる」必要がある。
後者は流石にアルビオン王家が許さないだろう。そんなわけで宮中貴族たちの目的は前者であった。
とはいえ計画段階からそれを目標に動いていたのだ。何か行動に変更を迫られるわけではない。
「理想的な目標」が「それ以下なら交渉を白紙にする最低ライン」に変わっただけである。
そう考え、宮中貴族たちは連合計画を遂行していった。


計画の概略はこうだ。
まず、向こうの宮中貴族、可能ならアルビオン王も巻き込んで「連合後の国家体制を事前に仮交渉する」。
その後とにかく何かしら理由を作って「相当な長期間ウェールズ王太子をトリステインに呼びつける」。
そして「のこのこ現れたウェールズとアンリエッタを接触させ、理由を作って滞在期間同行させる」。
その間に二人が両思いになったらそれでよし、ならなかったら「とにかく恋仲であるかのような噂を流し、二人の仲を既成事実にする」。
こうすることにより「結ばれない二人かわいそうという空気を蔓延させる」。
その後「空気を読んだ振りをしてアルビオン王家に連合を正式に打診する」。
策としては単純だが、計画当初のトリステインの国力を考えるとこれくらいしかできなかったし
現在のトリステインの国力を考えるとこれ以上努力を傾ける必要がない。
最悪「同君連合を考えるほど両王家は仲が良いんだよ」ということにできればそれで十分である。


二人が実際に両思いになってくれたほうが話が簡単になるため「接触させる場所はロマンチックな場所のほうがいい」と判断される。
また、プランBである恋仲の噂を流しやすくするため「ウェールズとは別に他の貴族も予め動員しておいたほうがいい」だろう。
そういった条件を満たすため、太后マリアンヌの誕生祭がイベントとして選ばれた。
それ以外に他国の王太子を長期間呼びつけられるイベントは基本的に公式行事であり、
アンリエッタ姫とウェールズを長期間引っ付けておくのが難しい。
誕生祭にしたっていろいろと解決すべき課題が多いが、やむなく消去法で選ばれたのだ。
また、会場としては「誓いの精霊」というふれこみのあるラグドリアン湖畔が選ばれた。
おりしも湖畔は運河の始点であり、移動手段として船を使う貴族にトリステインの発展をアピールすることができるだろう。
どうせ宴で金を使うなら副次効果の多い場所が良い。そんなわけで会場は満場一致で決定された。


アルビオンへの事前の根回しのほうは比較的うまく行った。
何しろ計画当初と違っていまやトリステインのほうが有利な状況にあるのである。
あくまで「もし仮にウェールズとアンリエッタが恋仲になり、王家のしがらみがそれの障害となったらと仮定し、
国家を保ちつつ慣習上・法学上問題なく二人の恋路を祝福するにはどうすれば良いか」という学問的な議論だが
その際にはウェールズ・アンリエッタをそれぞれの国王とし、
強固な軍事同盟を持ちながらも互いの政府は独立を保つ「人的半同君連合」を形成するという内容で話が付いた。
また、気の早い話だがその際の後継は長子がトリステインを、二子がアルビオンを継ぐという条件になった。
ただ、子供が一人だけだった場合まで話し合うのは流石に仮定の範疇を超えると判断し差し控えた。
長子がトリステインを継承すると決まった時点でアルビオンのトリステイン併合はほぼなくなったため
それ以上はどうでもよくなったという説もあるが、真相は当時の交渉役のみが知る話である。


だが、いざ園遊会を行うにあたりとんでもないアクシデントが起こった。
運河の終点であり、海洋との連結口であるド・ヴュールヌ家で不法移民との市街戦が発生したのである。
かの領はこの運河事業で最も発展した地域であり、トリステインの国力を見せ付ける一番のポイントだったのだ。
それの治安が悪化しているとなれば、トリステインの統治能力に各国が疑問を持ちかねない。
最悪、暗殺などを恐れてウェールズが来ない可能性がある。
そのため、彼らはド・ヴュールヌ領の問題解決に向けて全力で協力した。
具体的には「ド・ヴュールヌ家が大量の浪人メイジや貴族の次男・三男を雇い入れるのを追認し」
「何故か自首した犯罪者を処刑しないことに対し疑問を挟まず」
「神官も入れない刑務所という謎の建物の建設許可に対しても文句を言わなかった」のである。
また、当然の帰結としてやってきたロマリアの文句や調査依頼も全て撥ね退けた。
事件解決を急ぐあまり多少ド・ヴュールヌ家の自由裁量に任せすぎた感はあるが、
たかが刑務所ごときでロマリアに内政干渉を許す先例を作りたくはなかったのも本音である。


さらに、アルビオン側においてもアクシデントが起こった。
園遊会の2週間前にアルビオンの貴族間で領土問題が起こったのである。
旧モード大公派の所領を分割する際に「森林地域は誰の領土にするか」でもめ、4~5年経った今でも完全に解決はしていないのである。
皮肉にも、トリステインの発展と園遊会の特需で木材価格が上昇したことから森林利権をめぐって問題が再燃したらしい。
そして、問題解決のためアルビオン王とウェールズ王太子が調整に向かったという。
王と王太子がそろって出かけるところから、問題の根深さが伺える。
そして、常識的に考えてそんな揉め事の調整が2週間以内に終わるはずがない。
これはつまりウェールズ王太子の到着が遅れるということである。
実際、1週間ばかり遅れることのお詫びが使者を通じてトリステインに送られてきた。
欠席すれば「アルビオンは国内問題の解決に手一杯で園遊会に来る余裕もない」と宣言するようなものなので流石に出席はすると思うが、
その間に予定が完全にフリーハンドだったアンリエッタ姫をどうするかという問題が出てくる。
本当にそのままフリーハンドにしてしまえば、適当にふらふら園遊会場をふらついて全然関係ない男性に一目惚れする危険性もある。
まあ流石に一国の姫に対してその心配は老婆心が過ぎるというものだが、リスクの芽は可能な限り摘むに越したことはない。
そんなわけで、とりあえずウェールズ王太子が来るまで姫に御目通りを希望していた貴族との面会を急遽詰め込み、自由時間を極限まで削り取ることにした。


だが、面白くないのが当のアンリエッタ姫である。
せっかく「園遊会では特に予定はございませんから、たまには羽をお伸ばしください」と言われて楽しみにしていたのに
突然意味不明な量の行事予定を組まれてしまったのだ。
そして、園遊会当日は本当に覚えきれないくらいの貴族と面会させられ、やりたくもない詩吟に参加させられる羽目になった。
初めからこうなると思っていたらある程度諦めも付くが、ほんの2週間前まで園遊会では自由にできると聞かされていたのである。
そしていくら文句言っても「申し訳ありません。一時的なものですから……」という要領を得ない台詞しか返さない。
アンリエッタ姫はうんざりを通り越し、怒りすら覚えていた。


そんな折、彼女は園遊会の片隅にとても奇怪な現象を見た。
こういうパーティ会場においては、どうしても人を集める人間というのが存在する。
母であるマリアンヌ太后や、ガリア王ジョゼフ、ゲルマニア皇帝といった重要人物である。
だが、そんな会場で「全ての人からある程度の距離をとられる少年」という極めて珍しい光景を見たのだ。
たまたま人のいない場所にその少年がいるのではない。
周りの人間は常に彼を注視し、彼が移動すると何がしかの理由を作ってある程度の距離をとり始める。
どうみても「この少年は他の貴族たちに避けられている」としか考えられなかった。
アンリエッタはあの少年がなぜそこまで嫌われているか興味を持った。
とはいえ、彼に直接話しかけるような時間的余裕はない。仕方がないので近侍に彼が何者か聞いてみた。


この質問に、宮中貴族たちは戦慄した。
このままアンリエッタ姫がレイナールに興味を持ってしまっては、計画に狂いが生じるかもしれない。
最悪なシナリオはウェールズとの間に立てたかった噂がレイナールと立ってしまうことである。
レイナール少年は危険な人物だ。宮中の人間がほぼ全員「彼を王家に入れてはいけない」と考えている。
だが彼は伯爵家の継嗣であり。個人的にも様々な功績を立てている。
また弟もおり、王家に入って伯爵家の継承権を放棄しても特に問題はない。
彼の知性は宮中貴族としてよく耳に入っており、王国の未来には不可欠な人物であると考えるものも多い。
つまり、実績・家柄・実力ともに王配として「ギリギリセーフ」な人物なのである。
婚姻の話が出たら、なし崩し的に話が進んでしまいかねないのだ。
以上から、彼はアンリエッタ姫が最も興味を持ってはいけない人物の一人なのである。


宮中貴族たちははレイナール少年をどうするか秘密裏に話し合った。
レイナール少年に帰ってもらうという話もあったが、流石に理由もなく帰れと言われて従うわけがない。
というよりあそこまで不愉快な状況でも帰らないのだ。何か滞在する理由があると考えたほうが良いだろう。
ちょっと怪我をしてもらうという物騒な案も出たが、それでアンリエッタ姫が心配したら元も子もない。
色々話し合った結果、彼もこちら側に引き込むことになった。
引き込むいっても大したことはない。
「見るに見かねた宮中貴族がレイナール少年をフォローした」ということにして裏方を手伝ってもらうように頼んだだけのことである。
レイナール少年もあの針の筵には辟易していたのか「手伝えることがあるなら」と会場設営の仕事に回ってくれた。
その結果会場で発生していた怪奇現象は2日で消滅し、
アンリエッタ姫は忙しさとストレスでか3日目にはレイナールのことなど気にもしなくなった。
まあ、そうなるように殺人的スケジュールを組んだのだから当然の結果ともいえるのだが。


そして、待ちに待ったアルビオン王とウェールズ来訪の日取りが決定した。
予定通りの1週間遅れ。取り組んでた問題の根深さを考えたら異例の早さである。
聞くところによると、あまりにも新興貴族たちが勝手なことばかり言うので
アルビオン王が切れて「森林は全部王領にする!」と宣言したらしい。
トリステイン貴族はそのあまりの強引さに一抹の不安を感じたが、
まあそれだけの強権を発揮できるほど王家の基盤は磐石なのだろうとポジティヴに考えることにした。
あとはアンリエッタ姫の今後の予定を全部キャンセルして、ウェールズ王太子と二人っきりにすればいい話である。
が、その王太子が来る予定の夜に最悪の事態が発生した。


アンリエッタ姫が天幕を脱走したのである。



[13654] 第五話:「ラブストーリーは必然に」シーン3
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/23 18:09
最初に姫の脱走に気付いたのは、姫つきの女官であった。
彼女は夜更けに到着したアルビオン王と王太子を出迎えさせるため、アンリエッタ姫を起こしにいったのである。
もちろん、王族とはいえ夜半に遅れて現れた人間を出迎えなくてもそこまで失礼にはあたらない。
明日の朝に改めて出迎えれば良いだけの話である。
全てはアンリエッタとウェールズを引き合わせるための宮中貴族の手回しであった。
だが、アンリエッタ姫がいなければ計画は根本から崩壊してしまう。
それ以前に王家の人間がいなくなったなどとなれば官僚の首の一つや二つ物理的に飛びかねない大事件である。
仕方がないので、アルビオン王には高齢をいたわっている振りをしてさっさと休んでもらい、
ウェールズ王太子にはラグドリアン湖畔の夜景を勧め、散歩してもらうことでとりあえずお茶を濁した。


まず、宮中貴族たちは裏方に命じて園遊会場を封鎖し、姫が手の届かない場所に迷い込まないよう手配した。
次に、風メイジたちが総力を結集して周辺区域を《遠見》で観察し、アンリエッタ姫の行方を捜索した。
果たして、風メイジの一人がアンリエッタがラグドリアン湖畔で泳いでいるところを発見した。
なお、最初に発見したのは男性メイジだったが発見直後に観察者を女性メイジに切り替えた。


宮中貴族たちはまたも頭を抱えた。
間の悪いことに現在ウェールズ王太子はラグドリアン湖畔を散歩してもらっている最中である。
王家としてこのような姿を見られでもしたら非常に体裁が悪い。
さて、どうやってウェールズ王太子に気付かれずにアンリエッタ姫を引き戻そうかと考えていると、ある人物がこんな提案を行った。

「そのままウェールズ王太子に湖畔を散歩してもらったらどうですか?
 我々が紹介するよりロマンチックな出会いになると思いますけど」と。

言われてみれば確かにその通りである。
嫌気がさしていた園遊会を抜け出し、一人水浴びをしているところで端正な王子と出会う。
半分以上我々のせいとはいえ、これ以上の劇的な出会いもそうはない。
それにウェールズ王太子も男である。若い女性の水浴びを見て悪感情を抱いたりはするまい。
ならば、これは二人の仲を進める絶好のチャンスともいえる。
また、この状況なら「夜半に二人が密会している」という噂を流すこともたやすい。
もし雰囲気が最悪になったらその時点でフォローに走ればいいだけである。
そんなわけで、彼らはこのまま事を成り行きに任せることにした。
宮中貴族の中には「計画通り」という輩もいたが、絶対まぐれなので誰も真に受けたりはしなかった。


その後の顛末は、おおよそトリステイン貴族の思惑通りに進んだ。
幸いにして二人は互いに好意を抱いたらしく、夜になると天幕を抜け出して湖畔の密会を繰り返した。
なお、恋というのは周りは下手に応援するより適度な障害になったほうが燃えるものという。
そのため予定を変更して姫君のスケジュールを適度に退屈なものにし、警備と称して見張り(笑)の数も増やした。
アンリエッタ姫が友人であるルイズ公女を影武者に使ったときは流石に一瞬姫を見失ったが、
どうせ目的地はわかっているので大して問題にはならなかった。


それから数日後、二人が結ばれない自らの星の下を嘆き、アンリエッタ姫が水の精霊に愛を誓い始めた。
それは、宮廷力学のみでこの国を支えてきた宮中貴族たちがある程度の勝利を納めた瞬間でもあった。
だがそれで満足するようでは宮中貴族は務まらない。
彼らは計画を最終段階に進めるため、二人の恋仲の噂を社交界に流布するよう手配し始めた――。



[13654] 第五話:「ラブストーリーは必然に」シーン4(第五話エンディング)
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/23 22:43
――とまあ、そんな裏話があったらしい。
なんというか、暇なことを考える人もいるものだ。
しかし、他国の王子を平気で一人散歩させるとか暗殺とかを全く警戒してなかったんだろうなぁ。
まあ、ウェールズ王子は風のトライアングルメイジだし下手な護衛じゃむしろ足手まといになるか。

個人的には二人が出合ってさえくれなければアルビオンの動向をこの先あまり考えなくて済むので
できればこの話は頓挫して欲しかったのだが、そうそううまくはいかないようだ。
まあ、人間には相性というものがある。
どうせここでそんな小細工を弄さずとも、二人の立場上そのうちどっかで出合っていただろう。
そう考えないと、先がある程度予想できる人間としては何と言うか少々やるせない。

それはそれとして、どんな暴言が飛び交ったのか知らないが係争地の森を全部接収するとか
「不満があるなら反乱しろよ」と言ってるようなものである。
それを押さえつけられるほど今のアルビオンは強力なのだろうか。
どっちであっても、トリステインから何とかして仲裁するのは今のところ難しいだろう。
面子の問題として一度決めたことを他国の干渉で変更するわけにはいかないだろうし。
もう少し両国の中が親密になってからとりなすのが関の山ではなかろうか。いずれにせよ僕の権限でできることではないが。

ちなみに何でこんなことを僕が知っているかというと、
イジメ状態だったところを中央の人がフォローしてくれたと思ったら知らないうちに計画の片棒を担がされていたからだ。
具体的に言うと、アンリエッタ姫が天幕から脱走したときに呼びつけられて作戦会議室に放り込まれたのだ。
あとから聞いたところによると、脱走した姫様が僕と出会うことを一番恐れていたらしい。
だったら「風邪でもひいたことにして帰ってくれ」って言ってくれればよかったのに。
僕だってアンリエッタ姫に目をつけられるのは嫌だし、父上に怒られない程度の口実ができればさっさと帰るつもりだったんだから。
お前らじゃないんだから何でもかんでも陰謀に結びつけるのは止めて欲しいものである。
まあ、フォローしてもらったのは事実だったのでつい協力してしまったけど。


だが、一つだけ良いことがあった。
宮中貴族たちがアンリエッタ姫とウェールズ王太子の恋仲の噂を流し始めたので、園遊会の話題の中心がそちらに移り
僕に対する注目度が下がったのである。
おかげで、相変わらず誰も寄っては来ないが凍て付くような視線を浴びることはなくなった。
というわけで、この園遊会において初めて僕は誰彼はばかることなく料理を味わうことができるのである。
……まあ、それくらいしか楽しみがないとも言えるが。

「ずいぶんと満足そうに食べてくれるね。我がガリアの料理は気にってくれたかな」

適当なテーブルの食べ物をとっていると、後ろからそんな風に声をかけられた。
後ろから声をかけるなど、正直あまり礼節にかなった行為とは思えない。
だが、正直まともに声をかけられることなどこの園遊会で殆どなかったのだ。
そのため、僕は特に気にすることもなく振り向いた。

そこには、青い髪と髭を携えた美丈夫がいた。
青い髪の人間など、世の中には殆どいない。僕の知る限りガリア王家の血統くらいだろうか。
ええっと……ということはもしや……。

「気に入ってくれたなら幸いだ。わざわざ料理人を王宮からつれてきた甲斐があったというものだ。
 レイナール・シュヴァリエ・ド・ヴュールヌだね。噂は聞いてるよ」

その美丈夫は、僕が呆然としているのもかまわず話を続けた。
人の誕生祭にガリアの宮廷料理人を連れてきてガリア料理を振舞った?
そんな非常識なことができる人間なんて一人しか心当たりがないんだが……。
何か言おうとするが、突然のことで声が出ない。そしてその隙に彼は僕の眼をじぃっと見て

「その眼が弟に似ているな……あのシャルルと同じ眼だ」

というと、僕の返事も聞かず人の群れの中へと去っていった。


ちなみに、次の日僕は体調不良を口実にド・ヴュールヌ領へ戻った。
口実というか、本当に腹を壊した。
ストレスとか恐怖とかもあるだろうが、純粋に食べすぎで消化不良を起こしたのだ。
どうやら、小さい頃から精進料理もどきの生活を続けた僕の体は豪勢な料理を消化し切れなかったらしい。
……学院での生活が今から不安になる事実である。いろんな意味で。



[13654] 第六話:「舞踏会が多すぎる」シーン1
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/25 00:02
あれから二年。
不気味なほどに何も起きることはなく、僕はトリステイン魔法学院に入学することになった。
なお、遠方から来る生徒のことも考えてか入学式よりも先に寮の部屋が宛がわれた。
この時期は様々な新一年生たちが貴族の嗜みとして様々な調度品や小間物を実家から運び込んでくるらしい。
ただ、僕はその前にトリスタニアでどうしてもやらなければならないことがあった。
何しろ、色々あって結局王都近辺に来るのはこれが3年ぶりくらいなのである。
その間すっかり忘れていたシュヴァリエと精霊勲章の年金を受け取りに行かなければならないのだ。

それくらい取りにいけよと思うのは尤もな話だ。だが、ちょっと待って欲しい。
勲章をもらった当初は新規事業の進捗やマフィアとの抗争が気になってろくに所領を離れる暇がなく
それが落ち着いた頃には発明品の一部が完成し始め、それの精査や実用化を補助する仕事でやっぱり所領を離れる暇がなかったのである。
何しろ、送られてくる自称“発明品”が本当に使い物になるかは残念ながら僕にしかわからないのだ。
父上に丸投げするわけにはいかない。
で、これは売れると思ったものに投資するため出入りの両替商と結託して投資銀行を作り、僕の名前で職人や出資者を紹介して……
などとやっていたら、いつの間にか年金のことなどすっかり忘れてしまっていたのだ。

とりあえず学院に向かう足でついでにトリスタニアに寄る。
学院からトリスタニアまでは馬で2~3時間ほどだ。つまり僕の騎乗技術なら3時間強かかる。
一旦学院に向かっては往復だけで一日仕事である。
そして、王宮で3年間の年金……ほったらかしたペナルティを天引きして2000エキューを受け取る。
こんなうんざりするような金貨の山をみると、横着せずに部下にでも代理でちょくちょく取りに行かせればよかったかなぁと後悔する。
袋詰めにして持ってみるがものすごく重い。
計量すると心が折れそうだからあえてやらないが、20リーブルくらいあるんじゃないだろうか。
魔法を維持し続けて歩くと急な襲撃が怖いが、背に腹は帰られないので《レビテーション》で浮かせて運ぶことにする。
……それはそれとして、この金貨どうしよう。
別にここまで大金を使う予定はないし、実家の事業に利用しようにも2000エキューなど誤差でしかない。
個人としては持て余すが、ド・ヴュールヌ家としては誤差。全く使い道が思いつかない非常に中途半端な金額である。
……まあいいや。寮の部屋に放り込んでおこう。


男子寮はこじんまりとしていて、何と言うか貴族の住む場所としては些か簡素に過ぎる感があった。
これを見てショックを受ける学生も多いのではなかろうか。僕は別に気にしないけど。
ちなみに、ベッド・机・椅子・本棚・クローゼットは備え付けなのか、はたまた卒業した前の住民がほったらかして行ったのか既にあったので
それをそのまま使わせてもらうことにした。
どうせ運ぶの面倒だからこっちで調達しようと思っており、実家からは小道具類しか持ってこなかったのだのだ。
渡りに船という奴である。
で、部屋、特にベッドに住まうノミなどの類を《錬金》とかいろんな魔法で駆逐して、
持ってきたかばんの中の小間物や衣類をクローゼットやら机の上などに適当に突っ込み、
最後に本棚の横にあるデッドスペースに2000エキュー入りの袋を無造作に放り投げた。
一瞬どこに隠そうか迷ったが、片づけを行っていたらだんだん面倒になってきた。落ち着いてから改めて考えよう。
もちろん、全て終わったあとで換気を行うのは忘れずに。


一段落付いたので、とりあえずベッドに倒れこんで今後のことを考えることにした。
正直、ここから先どんなイベントが待っているかなんて殆どおぼえていないし、おそらく最早知っている通りのことは起きないだろう。
何しろレコンキスタが存在せず、まだアルビオンはギリギリのところを保っているのである。
また、かの宮中貴族の努力が実ったのかアンリエッタ姫とウェールズ王太子の婚約とトリステイン=アルビオン連合がほぼ内定したらしい。
つまり、どう考えても来年にルイズがウェールズの手紙をとりに行くイベントは起こりえないのである。
また、主に僕が色々やっちゃっているので他人のパーソナリティもいくらか変化しているだろう。
もしかしたら、このまま特に何事もなく学園生活を満喫できるかもしれない。
まあ、それは期待が過ぎるというものだろうが。

……しかし、学園生活である。
正直、今までと生活レベルが変わるわけではない。むしろ近くに我が家が作り上げた街がない分昔に後退しているとも言える。
豪華な食事があるとか貴族専用の風呂に入れるとかいうがだからどうしたというのだ。僕はそんなもの別に求めてない。
だが、ここは全寮制の学園なのだ。
近くにコンビニどころか街自体ない、交通の便が悪い、食事の自由がない、住居が快適じゃない、etc...
「学生なんだから仕方ない」。そう考えると大抵のことが許せてしまうから不思議だ。

おっと、思考がずれてしまった。話を今後の予定に戻そう。
とりあえず、学園生活中は僕もある程度心に余裕ができる。
そのうちに、まずは主要人物というか目立つ人間のパーソナリティを把握しておく必要がある。
原作どおりの性格をしていると思い込んで接するとエライ目に合う可能性があるし
なによりまっとうな人間の性格が小説に表現されているだけで全てなはずがない。
先入観を取っ払うためにも、その人となりを知っておく必要があるだろう。
あと、これが最も肝心なことだが、僕にまとわり付いている悪名を何とかして取っ払わなければならない。
何しろいつの間にやら着いた二つ名が“殺戮の”だの“災厄の”だのろくでもないものばかりである。
というか魔法関係ないよな? 両方ともこれ魔法関係ないよな?
とにかく、さっさとこの悪名を返上……は無理でも、学友に関してくらいは誤解を解いておきたい。


……ガリア王やロマリア教皇が不気味な沈黙を守っているのが逆に不安なのだが、まあ今それを考えても仕方ないだろう、うん。



[13654] 第六話:「舞踏会が多すぎる」シーン2
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2009/12/25 20:10
入学式も恙無く終わり、僕はほかの90名とともに晴れて魔法学院の一年生になった。
なお、当然のことながら十数年以上前にみたイラストから人物を割り当てられるほど特徴的な人間は殆どいなかった。
ただ、ピンクブロンドの少女・青髪の眼鏡少女・赤髪で褐色肌の多少大人びた少女の3人が理由は不明だが先生に怒られていた。
おそらくあれはルイズ・タバサ・キュルケの3人だろう。
……名前はこれで合ってたかな? 実はあんまり自信がない。

なお、新入生の緊張をほぐすためか学院長であるオールド・オスマンが
「中二階から飛び降り《レビテーション》に失敗して全身を強打する」という
体を張ったボケを見せてくれたが、それを正当に評価していた人間は殆どいないようだった。
ただ、個人的にはタイミングが早いのではないかと思う。
入学式は無難に締めてまずは真面目な学院長のイメージを確立させ、
次のスレイプニィルの舞踏会あたりでボケた方がギャップがあってよかったのではなかろうか。


そう、舞踏会だ。ここ二ヶ月で3つも大きな舞踏会が控えている。
今月のヘイムダルの週の虚無の曜日、要するに次の休日には“スレイプニィルの舞踏会”があり
来月、ウルの月のフレイヤの週・ユルの曜日には“フリッグの舞踏会”、
それから一週間も経たないヘイムダルの週末には上級生主催の“新入生歓迎舞踏会”だ。
個人的にはフリッグの舞踏会はあと1~2週間くらい前倒しするべきだと思うのだが、
何か昔ながらの伝統やら謂れやらがあるらしいので仕方がない。

僕にとってこの舞踏会の意義は大きい。
ここでうまくデヴューすれば、僕の悪名も少しは軽減されるというものだ。
特にスレイプニィルの舞踏会は全員が変装してパーティに参加するという今の僕のためにあるようなイベントだ。
逆に失敗すれば、向こうしばらくの間悪名が燦然と輝いてしまうだろう。


ちなみに、現在の状況は想定よりも比較的良好だ。
具体的には、同級生のうち僕が自己紹介をしても拒否反応を示した人間は全体の1/3もいなかった。
流石は未来のトリステインを担う若者である。噂に惑わされない確かな眼力を持っているものだ。
……まあ、多分噂自体を聞いていないかあまりに突拍子もなさ過ぎて実感がわかないだけだろう。
僕が無造作に2000エキューを部屋に片隅に放置しているようなものだ。
なお、他の人間の自己紹介を聞いたところ僕と同じクラスで名前に聴き覚えがあったのはタバサとキュルケの二人だけだった。
二人とも僕が自己紹介をしても態度が変わらなかった人間だ。
一人は基本的に無表情で表情を読み取ることができず、もう一人は僕が名乗る前から敵意をむき出しにしていた。
前者がタバサで、後者がキュルケだ。
ちなみに、キュルケからは直に「あなたの家のおかげでゲルマニアの友人が何人か姿を消しましたわ」とまで言われた。
遠巻きにじろじろ観察されるより正面から嫌味を言ってくれたほうがずっと気楽だと思うのは僕が疲れているからだろうか。

また、人の不運を喜ぶようで気がとがめるが僕なんかよりもずっと目立つ人間がクラスにいてくれたのも幸いだった。
入学式から1週間も経っていないのにキュルケがクラスで3又をかけ始めてクラスの注目を全て持っていったのだ。
僕の悪名は所詮彼らにとって(半分以上は僕にとっても)“伝聞”である。そして僕個人は基本的に平穏が大好きな小市民に過ぎない。
リアルタイムで破天荒なことをしている人間がいたら、当然僕なんかよりそっちを注目するのが普通の心理である。
とはいえ、これがいい傾向かといわれたらもちろんそんなことはない。
男子は誰がキュルケに相応しいかで喧嘩になりかけているし、女子はどうやってキュルケを止めようかとなにやら物騒な相談をしている。
正直、精神的にはもういい歳である僕には付いていけないノリだ。
この雰囲気が続くと単に僕の存在感が空気になるだけで、学友を作るのは難しいのではなかろうか。
それ以前に、何か派手な揉め事がおきるような気がひしひしとするのだが……。


そう思っていたら、スレイプニィルの舞踏会の前日にとうとうキュルケに交際を申し込んでいた3人が三つ巴の決闘を始めた。
誰がキュルケに舞踏会を申し込むかで口論になり、そのまま殴り合いに発展したのだ。
何で知っているかというと、その決闘の会場が夕食後に男子全員が集まる男子寮の社交場、つまり僕がいる目の前で起きたからだ。
周りの人間がやいのやいのと煽りだし、机や椅子が吹き飛ばされていく。
まあ学生の喧嘩くらいでガタガタ騒ぐのは無粋というものだろう。

と思っていたら、3人が杖を持ち出したので僕は慌てて止めに入った。
具体的にいうと石を飛ばして3人の杖を弾き飛ばしたのだ。
彼らは完全に目の前の二人しか見えていなかったので、いとも簡単に杖を弾き飛ばすことができた。
そして、僕は杖を納めてから

「何を考えてるんだ! 殴り合いの喧嘩ならまだしも、道具まで使い始めたらもう殺し合いだぞ!」

と3人を怒鳴りつけた。
予めルールを決めて試合でどうこうというならともかく、
こんな全員がかっとなった状態で杖を抜いたら本気で命のやり取りになりかねない。
些細なすれ違いでうまくやれば回避できた余計な殺し合いを二度ほどやる羽目になった身として、絶対に看過できないことである。
……だが、杖を抜くほどヒートアップしていた人間がそんな言葉で我に返るはずもない。
一番近くにいた一人が

「優等生ぶって邪魔するな! 大体なんでお前ミス・ツェルプストーに話しかけられてるんだ!」

といって僕に殴りかかり、そのまま僕まで乱闘に巻き込まれてしまった。

なお、その結果完全に青ざめてそそくさと社交場を去るものが十数名、そのまま煽り続けているものが数十名いた。
僕はそんなことを観察していたせいかろくに反撃ができず、いつの間にか3:1でボコボコにされてしまった。


結果、僕を含めた4人は「寮で喧嘩騒ぎをした罰」としてスレイプニィルの舞踏会への参加を禁止された。
また、これにより学院男子には「規律にうるさいが噂と違ってそこまで怖くない。むしろ弱い」という
プラスなのかマイナスなのか判断に困る評判を手に入れた。
ええい、まだだ。まだあと2つも残ってるじゃないか。


余談だが、件の舞踏会でキュルケが4人目のボーイフレンドを作ったことを付記しておく。



[13654] 第六話:「舞踏会が多すぎる」シーン3
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/01/02 14:11
他の3人はともかく僕は完全に巻き込まれただけだったためか、スレイプニィルの舞踏会後の皆の反応は概ね同情的なものだった。
ただ、いくら同情的でも舞踏会の話題が全くないため「だれそれが変な格好で云々」と言われてもピンと来ないのは非常に痛い。
だがまあ、ものは考えようだ。僕が舞踏会に出られなかったのは有名な話なので
ことあるごとに「何だよそれ、詳しく教えてくれよ」と聞けば殆どは自分の武勇伝を自慢げに話してくれる。
それを聞いて逐一羨ましがれば――まあ、実際羨ましいのだが――大半の人間は気分が良くなる。
これを用いれば、とりあえず僕でも会話に参加できるという寸法だ。
僕の悪評を考えると、下手に悪目立ちするよりこうして聞き役に徹したほうが良いかもしれない。
最悪「噂じゃあんなだけど本人はぱっとしない奴だったよ」と覚えられても一応目的は達せられる。
自分でも消極的だとは思うが、状況が一気に改善すると別のところに変なしわ寄せが来るのは経験上身にしみている。
ここは気長に行くとしよう。


なお、件の3人はキュルケに4人目・5人目ができたことで争いあう愚を悟り――
自分が最もキュルケに気に入られるべく彼女に直接アプローチを開始し始めた。
ずいぶんポジティヴな奴らである。これが若さというものだろうか。

ただ、その影響か女子のコミュニティはキュルケを中心、というか爆心地にどんどん険悪な空気に包まれ始めた。
最近では無反応なのを良いことにタバサをからかったり陰口を叩いたりしてストレスのはけ口にする者もいる始末だ。
見ていて気分の良いものではないが、考えなしに「女学生コミュニティ」などという神話的クリーチャーに介入するのは非常に危険だ。
ミイラ取りがミイラになっては元も子もない。ここはとりあえず様子を伺うしかないだろう。


そんな、入学早々ピリピリした雰囲気を内包したまま本格的な授業がスタートした。
基本的な内容は、魔法理論・各属性の実技・礼法といったところだ。
なお、風属性の担当教諭であるミスタ・ギトーの言によると
「今年の学生は殆どがドットで、ラインが数人、トライアングル以上はいない」とのことである。
ミスタ・ギトーはこれをもって「今年は不作」といっていたが、まあこれは方便だろう。
場合によっては入学者資料の内容に関わらず毎年言っている可能性もある。
要するに「お前ら貴族と思って調子に乗るな。世の中上は上がいるんだ。だからまじめに授業を受けろ」
ということを僕を含めた新入生どもに叩き込むのが目的なのだ。
事実、ミスタ・ギトーは「お前らには期待していない」と言いながらもかなり丁寧に《フライ》や《レビテーション》を教えている。
予め釘を刺しておかなければ、気位の高い生徒なら「馬鹿にしているのか」と怒るくらい丁寧だ。
まあ本当に馬鹿にしてるのかもしれないが、少なくともミスタ・ギトーが風魔法に関してのエキスパートで
かつまじめに僕たちを教育するつもりなのは間違いないだろう。
ひょっとしたら、例の逃亡中の遍在AKメイジ対策に関して何かしら知見をくれるかもしれない。折を見て質問しに行こう。

ちなみに、生徒の中では《フライ》《レビテーション》ともにタバサが僕を含めた他の同級生を圧倒していた。
風のラインらしい同級生のヴィリエが全力で飛んでも彼女にかなわなかったところを見ると
最低でも風のライン、場合によってはトライアングル以上と思われる。
そして、それを見た他の皆が今までからかっていた同級生の実力を知り態度を改め……るわけがなかった。
どちらかというと「家名もない庶子の癖に生意気だ」と言う雰囲気になっている。
まあ、そうだよな。数日かけて形成されたヒエラルキーが魔法の実技程度で覆るわけないよな。
あとミスタ・ギトー。生徒を煽るならもっと空気を読んでください。
「一番年若い少女に負けて悔しくないのかね?」なんて言わなくても皆悔しがってるじゃないですか。


その日、昼食を終えた休憩時間のことだ。
僕は早速ミスタ・ギトーに《遍在》に関する知見を教えてもらおうと、彼の居場所を探そうとした。
だが、食事を終えてミスタ・ギトーを探してもミスタ・ギトーどころか他の教師すら半分もいない。
もっとのんびりしたイメージを持ってたんだが、意外と学院教師というのは多忙な職業らしい。
……テーブルマナーの修練もかねてる分、学生の食事が遅くなってるだけという説もあるが。
いずれにせよ未だ勝手の分からない、と言うか職員室(?)の場所すら把握していない学院で人一人を探すのは困難だ。
さてどうしようかと考えていると、同級生のヴィリエに話しかけられた。

「レイナール、ちょっと頼みがあるんだがかまわないか」

ちなみに、基本的に僕は学校では自分のことを名前で呼んでもらうことにしている。
目的は3つある。
「他の皆に親しみを持ってもらう」のが1つ。
「ド・ヴュールヌという家名と僕を切り離す」のが1つ。
「個人的に学生同士で敬語を使っていると違和感を感じる」のが1つだ。
ちなみにこいつは、僕がそう頼むや早々に僕を呼び捨てにし、かつ僕に能動的に話しかけてくる貴重な人間の一人だ。
気さくな奴……というよりは、自尊心の高い人間なのだろう。
まあいずれにせよ、ミスタ・ギトーへの質問はぶっちゃけいつでも出来る。彼への応対のほうが優先事項だ。

「とりあえず、何を頼む気なんだ?」
「大したことじゃない。ミス・タバサに試合を申し込むから審判を勤めて欲しいんだ」

彼が堂々とそう宣言するのを聞いて、僕はしばらく絶句し

「……なんで?」

と、とりあえず理由を問うた。
もちろん、他人に聞かれたらめんどくさいので人気のない場所へ移動しながらだ。


ヴィリエ曰く、自分は風の名門ド・ロレーヌ家の男であり、風で自分の右に出るものはいないと自負していた。
それが、たかが飛ぶだけとはいえあんな家名も名乗れない庶子に負けたとあっては名誉が許さない。
そこで、実際の試合でやりこめることで自らの名誉を取り戻したいのだと。
僕に審判を頼んだのは、シュヴァリエの称号を持ち自分と同じ学年に数名しかいないラインメイジが審判することで試合の格を高めるためらしい。
なお、念のために言っておくと「**の試合」ではなくただ単に“試合”と言った場合通常は「命のやり取りをしない決闘」を指す。
話の流れから言ってそれで間違いないだろう。

……正直、全力で止めさせたい。
僕はまだタバサ本人について良く知らないが「少なくともヴィリエ以上の風の使い手であること」は確認してるし
未確認情報だが「ガリア王弟シャルルの娘」で「北方花壇騎士を勤めるシュヴァリエ」である可能性が高い。
はっきり言って負けに行くようなものだ。最上の結果が「タバサがヴィリエを完全無視」という無理ゲーである。
そして、こいつのプライドから考えて敗北とか無視とかいう結果を受け入れるはずがないだろう。
となれば、厄介ごとの火種になるのは目に見えている。それがウチのクラスという火薬庫に放り込まれたら、どうなるかわかったものではない。
というか、何かそんな事件があったような気がする。つまりストーリーになるようなろくでもないことが起きうるということだ。
だが「失敗しても死なないし誰も死なせない」学生のうちに「己より圧倒的に高次の存在」というものを実感させるのがこいつの将来のためかもしれない。
……まあいずれにせよ、まずはこいつに“自分の行動に対する覚悟”があるかどうか確かめるのが先か。
“覚悟”がないなら失敗するだけ無駄だ。たとえ恨まれたって止めなければならない。

「引き受ける前に、いくつか確認したいことと条件がある」
「何だ?」
「まずはミス・タバサについての確認だ。彼女の家名は不明で、名前も極めて偽名っぽい。
 ……なのに、この学院に入学を許されている。
 学費だってバカにならない額だし、そもそも貴族しか入学を許されないはずなのにだ。
 ここから彼女について何か推理できることはないかい?」
「……そりゃあ、どこかの貴族の隠し子かなんかなんだろう」
「かもね。ならその貴族は
 “隠し子を偽名で学院にねじ込む必要があり、かつそれをオールド・オスマン以下学院の面々に飲ませる実力がある”ってことだ。
 ……どれくらいの家なんだろうね。ド・ヴュールヌ家程度じゃ何かインチキを使わない限り無理だよ」

ヴィリエの顔色が悪くなる。
どうやら過去にウチがどれだけ無茶を通してきたかくらいは聞いていて、それ以上の存在である「タバサの実家」を想像してしまったのだろう。
まあ安心しろヴィリエ。どれだけ悪い想像をしても多分それが真相を飛び越えることはない。

「……まさかあの青い髪……ガリア王の隠し子……とか……」
「まあ真相は本人に聞かないと分からないけどね。少なくとも“風のラインである君に風で勝つ”実力があるのは君も知っての通りだ。
 それ相応の家の人間である可能性が高いと僕は思うね。あるいは何か特殊な訓練を受けてるかもしれない。
 で、次に確認なんだけど……本当にやるの? 冗談だと言ってくれると僕としては嬉しいんだけど」

こう言って、僕は彼に思いとどまるよう頼んだ。
止めろと言うと彼の性格上絶対にやると言い出すだろうし、ここはこう言った方が彼の本音が聞けるだろう。

「悪いがレイナール、ぼくは本気だ。そこまで言われて引き下がったらぼくは貴族ではなくなる」

……どうやらこれでも彼を押しとどめるのは無理なようだ。
だがまあ「生意気な小娘をやりこめる」というより「名誉のために強大な敵に挑む」という考えになっているようだ。
なら仕方ない。ここまで言った以上は取り返しの付かないしこりが残らないよう最後まで付き合うしかない。
彼が平気で僕に話しかけてくれるおかげで他の学生の警戒心もだいぶ薄れているのだ。
僕に利を与える者を見捨てるわけにはいかない。
それに、多分ないとは思うが万一タバサが「人を氷柱で磔にするのが趣味のシリアルキラー」とかだったら困るし。

「……条件がある。まず『ミス・タバサが断ったら僕の顔を立てて諦めてくれ』。
 『断られたり無視されたりしても彼女を侮辱するような貴族らしくない真似は止めてくれ』。
 『僕は審判として危険になったら止めるし、勝敗が明らかと思った時点でそれを宣言する。その判断を信用してくれ』
 最後に『結果がどうであれ、それを潔く受け入れて誰も怨みに思わないことを始祖ブリミルに誓ってくれ』
 どれか1つでも飲めないなら、この話は降りさせてもらう」
「……問題ない。その全てを始祖ブリミルに誓おう」
「わかった。そこまでの“覚悟”があるのなら僕も腹をくくろう。じゃあまずはミス・タバサを探そうか」
「既に調べてある。いつも中庭で本を読んでいるから今日もそこにいるはずだ。ついてきてくれ」

そういうと、彼は中庭に早足で向かっていった。
……ここまで煽っておいてなんだが、実際には「大の男が年下の女の子に喧嘩を売りに行く」のである。
客観的に見たらどう考えてもかっこ悪い。
その辺に関してどうフォローすべきかと、僕はそんなことを考えながら彼についていった。



[13654] 第六話:「舞踏会が多すぎる」シーン4
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/01/03 02:09
果たして、タバサは中庭のほぼ中央にあるベンチに陣取って一人黙々と本を読んでいた。
意味合いはやや違うが、まさに「傍らに人無きが若し」といった風である。
これを毎日続けていたのだとしたら、ヴィリエがタバサの場所を知っているのも納得というものだ。


そんな彼女に、ヴィリエはつかつかと近づいていく。

「失礼、ミス・タバサ。先ほどのフライの魔法、実に見事だった。もしよければ、今からあなたに〈風〉をご教授願いたいのだが」

そういうも、タバサは完全に無反応だ。本に夢中で本当に気付いていない可能性すらあるくらいである。

「ミス。突然話しかけたこちらの非礼は認めるが、人の話を本を読みながら聞くとはそちらも些か無礼ではないか?」

ヴィリエが言葉を続けた。
僕にあそこまで宣言した手前かかなり押さえ気味ではあるが、口調の端々から無視されてイライラしているのが見て取れる。
このまま彼が喧嘩腰になったらさっきまでの僕の苦労が水の泡だ。仕方ないので仲裁に入ろう。

「まあまあヴィリエ。何かに没頭してたら人の話が聞こえなくなることくらいあるじゃないか」
「し、しかしだなレイナール……」

そんなことを言っていると、不意にタバサが

「そっちは?」

と僕を見て聞いてきた。いつの間にか本を閉じている。ヴィリエが「やっと反応したか」と言う顔で答える。

「彼は審判だ。試合とはいえ場合によっては命のやり取りになりうるからな。
 万一のことを考えて土のラインでもあるレイナール・シュヴァリエ・ド・ヴュールヌに審判を頼んだのだ。
 心配しなくても、彼は公正な審判をすると始祖ブリミルに誓おう」
「言われなくてもそのつもりだけど、勝手に人の行動を始祖に誓わないでくれないか。
 ――貴重な休憩時間を割かせて申し訳ない、ミス・タバサ。危険なことになる前に必ず止めるし、偏った審判もしないと始祖に誓おう。
 純粋に自習の一環だと思ってくれ。断ってくれてもかまわないし、それで君の名誉がどうなるものでもない」

と、僕はあえて断りやすいような尋ね方をした。
断ってさえくれればあとはヴィリエ一人丸め込むだけで済むからだ。
だが、万が一引き受けられたら僕は審判を勤めなければならない。
となれば両方に注意して「一方が他方をうっかり殺さないよう」監督する必要がある。
で、ヴィリエが勝とうが負けようが彼をフォローする必要がある。
必要な労力が段違いなのだ。
さらに、何かことがあったら連帯責任で僕まで怒られることになる。
流石にあと一月弱も先のフリッグの舞踏会を出禁になることはなかろうが、いずれにせよ何かめんどくさいことをさせられるのは間違いない。

だが、非情にもタバサは本をベンチに置いて立ち上がり、こちらを一瞥して頷くと杖を持ってついっと開けた場所に向かった。
どうやら、何の気紛れか試合を受ける気になってしまったらしい。
相変わらず表情は読み取れないが……何というか、一瞬だけだが「獲物を狙う狩人の眼」みたいになったような気がする。

「どうやら、やる気になってくれたようだね」

ヴィリエはそういい、彼女から10メイルほど離れた場所に立った。
僕はその中間あたりに立ち、試合のルールを宣言する。

「僕が“始め”と言ってから呪文の詠唱・および移動を行うこと。
 どちらかが転倒する、血を流す、杖を落とす、降参する、その他僕が勝負ありと判断したら試合終了だ。それで良いね」

二人とも、黙って頷いた。


その辺になると、周りにギャラリーが出来始めた。
できれば先生あたりが出てきてこの騒ぎを止めてくれるとありがたいのだが、誰も止めようとはしない。
この状況を把握できてないとは思えない。おそらくこの程度の騒ぎはよくあることなのだろう。
ギャラリーを前にテンションが上がったのか、ヴィリエが高らかに名乗りを上げ始める。

「では、古式ゆかしい試合の作法に則り名乗りを上げさせて頂く! ヴィリエ・ド・ロレーヌ、謹んで御相手仕る!」

だが、タバサは無言のままである。
まあ気持ちは分かる。古式ゆかしい作法に則り偽名を名乗る気にはなれんだろうし、本名を名乗るわけには行くまい。
なら、ここは僕が気を使うとしよう。というかこのままだと「やる気のないタバサを二人がかりでボコにしようとしてる」ように見えかねない。

「昼休みには限りがある。学生として万一にも次の授業に遅れるわけにはいかない。
 そこで、真に勝手ながらここは審判の権限で略儀として『互いに杖を構える』ことで各種作法に代えさせていただく。
 両者、異議がないなら互いに杖を構えてくれ」

そういうと、二人は互いに杖を構えあう。ヴィリエは少し残念そうな顔をしているが、一応納得はしたようだ。
ふぅ。これでやっと試合らしい雰囲気になったというものだ。

「では……“始め”!」

僕がそういうと、両者が呪文を唱え、試合が始まった。


僕は、二人の呪文詠唱を油断なく観察していた。
しかし、正直タバサがここまで試合に乗り気になってくれるとは思わなかった。
何というか、仮に受けるにしても適当にヴィリエの魔法を受け流してあしらうだけだと思っていたが、積極的に最初から呪文を唱えるとは。
ちなみに、ヴィリエが唱えているのは《ウィンド・ブレイク》。風で相手を吹き飛ばす技だ。
「転倒したら負け」と言うことを考えると、まさにうってつけの技といえるだろう。
対するタバサが唱えているのは《アイス・ストーム》。氷と冷気を含んだ竜巻を広範囲に発生させる魔法だ。
確かあれはトライアングルスペル。やっぱり彼女はトライアングルだったのか。



……あれ?



刹那、僕は反射的に呪文を唱えて試合会場を横断する土壁を地面から生やした。
タバサとヴィリエの間ではなく、タバサと僕、ついでにヴィリエの間に。
同時に衝撃に備えて頭を両手で守りながら体を低くする。
そのすぐあとに二人の呪文が完成し――タバサの《アイス・ストーム》が土壁を全て吹き飛ばした。
土壁で吸収し切れなかった風が土を巻き込み、僕の体制を崩す。
直後タバサは間髪いれずにルーンを短く唱えてヴィリエの《ウィンド・ブレイク》をかき消し、その余波でヴィリエをも吹き飛ばす。
舞い上がった土が氷水と混ざり、あたりに冷たい泥のぬかるみを作った。
僕もヴィリエも、そしてギャラリーの何人かすらもその泥はねを体中に受ける。
だが、タバサの体には泥はね1つ付いていなかった。

「……勝負あり! 勝者、ミス・タバサ!」

僕が体制を整えて口の泥を拭ってからそう宣言する。あたりからどっと歓声が響いた。
その歓声でヴィリエが自身の敗北、それも「圧倒的な力の差を見せ付けられての敗北」を実感したようだ。
泥だらけの体や地面を気にすることなく地に拳を叩きつけている。
僕は平静を装いながらも試合の終了を宣言し、二人の健闘を讃えた。

ギャラリーは勝者であるタバサを取り囲もうとするが、彼女は我関せずとばかりにベンチに腰掛け、再び本を読み始める。
だが、力を示した者は何をしても様になるらしい。
試合前とやってることは全く一緒なのに、他のクラスの者や上級生はそれを「クールでかっこいい」と評し始めた。
現金なものでウチのクラスの男子すらそう囃し立て始めている。
クラスの女子はそれを見てさらに忌々しそうな表情をしているみたいだが、今のところその問題は後回しだ。


それよりもタバサである。
――あの女、僕を範囲魔法に巻き込もうとしやがったのだ。
でなければ「僕とタバサの間に作った土壁」まで壊れるわけがない。
というか、そもそも《アイス・ストーム》なんて大魔法を使う必要がない。
だが、僕の土壁程度で殆ど相殺できたところを見るとこれを機に事故に見せかけて殺そうとしていたわけではないようだ。
だったら……何が目的だ?
警告か威力偵察か、いずれにせよ「むしゃくしゃしてやった」程度のくだらない理由ではあるまい。
そんな軽い気持ちでこんな衆人環視の下トライアングルスペルを使うなら、既にクラスの女子が何人か餌食になっているはずだ。
あとで事情を問いただす必要があるだろう。
ひょっとしたらそれで訳の分からない領域に手を突っ込む羽目になるかもしれないが、この調子ならどうせ知らなくても巻き込まれる。
なら、覚悟が出来る分聞いたほうがマシというものである。
……くそ、なんで学院に来てまでこんな命がけのダンスを踊らにゃならんのだ。

まあいい。とりあえずは目下一番の問題を片付けよう。
具体的には、ヴィリエをフォローすることである。
これで完全に心が折れたらせっかくの敗北が台無しだし、何よりこの滅茶苦茶になった中庭の修復を僕ひとりでやるのはめんどくさいからだ。



[13654] 第六話:「舞踏会が多すぎる」シーン5
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/03/14 22:23
ヴィリエをなだめ、とりあえず「自分に伸び代があると信じさせること」と「中庭の修復を手伝わせること」に成功した。
本当なら「圧倒的な強者に無策でぶつかることがどれだけ危険か」も論じたかったが、落ち込んでる今そんなことを言っても仕方あるまい。
それは次また調子に乗り始めてからでいいだろう。こいつの性格上、その日は遠からず来るはずだ。
そういった細々としたことを終えたあたりでようやくミスタ・コルベールが現れ、僕たち二人に罰として中庭の修復を命じた。
……タバサに何の御咎めもなしなところを見ると、どうやら最初から事の次第を観ていたか、あるいは本当に今の今まで気付かなかったようだ。
まあ魔法の使用が禁じられた訳でもなく、修復自体も予め行っていたので僕たちの罰も実質なきに等しい。
果たして、僕たちは次の授業が始まるまでに修復作業を終えることが出来た。
最後に、すっごい久しぶりに《錬金》で体や服に付いた泥を落とす。
できればこんな魔法は使わず普通に体を洗いたいのだが、そこまでしていると次の授業が始まってしまう。
あそこまで言った手前授業をサボるわけにはいかない。
ヴィリエが自分にもかけてほしいといってきたが、すまない。流石に自分や普段身に着けてる服のくらいしかスキャンできないんだ。
原理は教えるから自分でやってくれ。やってることは単なるドットレベルの《錬金》だから。
ああそうだ。予め服に強固な《固定化》をかけてたら服ごと《錬金》しても汚れだけ消えるぞ。

というわけで、泥だらけのヴィリエやその他数名をよそに僕だけほぼまっさらな服で午後の授業に参加することになった。
あの試合騒ぎはかなりの人間の耳に入っていたみたいで何人かが「僕の服が汚れてない理由」を聞いてきた。
嘘は嫌いだし理論上《錬金》ができるなら誰でも出来るはずなので正直かつ懇切に答えるも、みんなの反応は芳しくない。
「まあ、理論上できるのは分かるよ。理論上は……」といった感じである。
挙句に「僕にしか使えないオリジナルスペル」扱いされてしまった。


そしてその日の夕食後、僕は俄かファンの囲みから抜け出したタバサに声をかけることにした。

「ミス・タバサ。今日は申し訳なかった。なんだか騒ぎになっちゃったみたいだし」

とりあえずこんな風体で声をかけてみるも、彼女は全く反応を示さずてくてくと歩いていく。
僕は半ば反射的にそれについていく。
そしてしばらく歩き、あたりに人の気配がしなくなったところでタバサがこちらを向いてぼそりとつぶやいた。

「服の泥がない」
「ん? ああ……《錬金》で泥だけ消したんだよ」

――再び沈黙。
仕方ないな。とりあえず僕が話を続けるか。

「いや、今日はなんだか騒がせてしまったようで申し訳ない。まさかここまで大事になるとは思わなくて」
「あなたが聞きたいのはそんなことではないはず」

“言いたい”ではなく“聞きたい”と来たか。やっぱり何かの意図があったんだな。

「そう言ってくれるなら話は早い。僕を巻き込むような魔法を使った理由があるなら教えてほしい」
「観察」
「……それは、僕がどう反応するか確かめたかったってところかな?」

タバサが小さく頷く。

「それは光栄だな。もしよかったら感想を聞かせてくれないか?」
「弱い」

どストレートだな、おい。

「……こりゃ手厳しいね」
「だから気をつけたほうがいい。そう言えと言われた」

……そう言えと言われた? 何だそりゃ?
誰が命令したかは大体分かる。だがなんでジョゼフがそんなことを僕に言う必要がある?
というか何に気をつけろって言うんだ。君らを含め気をつけるべきものがありすぎてどれか分からんぞ。
そういうと、タバサはそれまでより早足で自室へ向かおうとする。これ以上話すことはないと言わんばかりだ。

「ちょっと待って、一体何に気をつけろって言うんだ!」

僕がそう尋ねるも、タバサは振り向きもせず

「知らない」

と答えるのみだった。
元々こんな性格なのかもしれないが、少なくとも全く好かれてないのは確かみたいだな。
……これ以上聞くのは無理だろう。とりあえずこの件は一旦打ち切るか。


これでとりあえずヴィリエやタバサの件は一段落したのだが、クラスのほうはこの程度で収まりが付くはずもない。
というか、むしろ女子の空気は悪化した。
何しろタバサがものすごい実力者であることを知ったクラスの男子が彼女にも取り巻き始めたからだ。
キュルケと違いタバサは全く相手にしていないようだが、クラスの男子の人気を二人がほぼ独占しているという事実に変わりはない。
最近ではキュルケに大勢の女子が詰め寄っているのを目撃した。とうとう我慢しきれなくなって直談判し始めたのだろう。
この調子だと早晩組織化したイジメが発生してしまう。
もちろん、そんなことになったら危ないのは二人ではなくクラスの女子のほうなのは言うまでもない。
だが、だからこそ事前に丸く収めるのが難しいのだ。
正直、誰をどう説得すればこのいさかいが収まるのか皆目見当が付かない。
組織や群衆に対し一個人というのは本当に無力なものである。
他のクラスの男子にも寮でそれとなく相談してみるものの、尽く「女子たちを敵に回したくない」と消極的だ。
……というか、こういうのって教師が諫めるもんなんじゃないのか? それとも僕が心配しすぎなだけなのか?

そんな波乱を含んだ状態のまま時は進み、フリッグの舞踏会を迎えたのである。



[13654] 第六話:「舞踏会が多すぎる」シーン6
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/01/08 01:07
フリッグの舞踏会の主役は、基本的に使い魔召喚を終えて無事進級を終えた二年生である。
別にそんな決まりはないが、学生の間ではなんとなく雰囲気でそんな不文律が出来てしまっている。
そのため、新入生は一応参加が許されるものの、あくまで添え物に過ぎない。
というか、碌に社交の作法も学ばぬうちからパーティに放り込まれても何をして良いか分かるはずもない。
事前にいくらか予習はしているだろうが、予習と実践では勝手が違うものだ。僕も経験があるからよくわかる。
新入生はスレイプニィルの舞踏会でまず身分や学年の上下なく誼を通じ、フリッグの舞踏会で上級生の立ち居振る舞いをよく見学する。
そして、一週間後の新入生歓迎舞踏会で正式に社交界デヴューとなるわけである。
そう考えると、フリッグの舞踏会の次の週に新入生歓迎舞踏会があるのも納得というものだ。
また、フリッグの舞踏会自体が使い魔召喚の儀式から一月ほどあるのも一応合理的な理由がある。
召喚された使い魔が懐き、舞踏会が出来る程度に手間がかからなくなるのが大体この時期なのだ。
もちろんあっという間に手のかからなくなる使い魔もいるが、
中にはドラゴンのような気位が高くしばらく授業もそっちのけでご機嫌をとる必要がある使い魔もいるらしい。
そういった生徒にも配慮すると、どうしてもこんな時期になってしまうというわけだ。
伝統がどうこうという理由もあろうが、やはり数千年も続く伝統にはそれなりに意味があるんだなぁ。

と、まあ、そんな学術的な考察は部屋に帰ってからでいい。
一年生は添え物だが、別に参加が禁止されているわけではないのだ。
むしろ、既に社交慣れしている人間や失敗を恐れずチャレンジする勇者にはいつでも門戸が開かれている。
当然ながら、僕は前者に該当するため積極的に参加が出来る。
今回はせっかくなのでダンスの基礎もままならないクラスメイトに教授する名目で色々接触を図ることにした。
……が、どいつもこいつも僕に社交やダンスの基礎を教わったらさっさと御目当ての人の元に去っていく。
男子には能動的に送り出してるから良いとして、女子にまで一人残らず去られると流石に少々悲しいものがある。
何というか、僕は同級生に便利アイテムとかヘルプ機能の類だと思われているのだろうか。
まあ別に良い。クラスの女子にはキュルケに嫉妬されるより御目当ての男性に粉をかけててくれたほうが僕としても心が休まるのだ。
それに口コミで広まったのか、他のクラスからも僕に教えを請う一年生が出てきている。
そういう意味では目的をかなり高度に達成できているのだから、それでよしとすべきだろう。


ちなみに、上級生以上に目立っている一年生は以下のとおりである。

まずはルイズ。流石公爵家三女だけあって会場にいる殆ど誰よりも優雅に振舞っている。
だが、彼女のクラスの人間、特に女子からは「魔法もろくに使えないくせに」という陰口がちらほらと聞こえてくる。
入学から一月、まだまともに魔法が使えない人間がいても全くおかしくない時期だ。
公爵家の家名に嫉妬しているか、あの爆発に巻き込まれでもしたのだろう。
……こんな早い時期から特に自分が悪いわけでもないのに敵ができてしまうとは、同じような立場として同情を禁じえない。

次にタバサ。とはいえこれは女性としての人気というより「スポーツ選手」的な人気のほうが近い気がする。
極論すれば「強い奴は偉い。偉い奴は強い」という価値観が根本にあるハルケギニアにおいて
「トライアングルメイジである」ということはただそれだけで周囲に好印象を与えるのだ。
周囲のダンスの誘いも無視して大量の料理、特に皆が敬遠するハシバミ草のサラダを摂取する姿が
顰蹙ではなく感嘆の的になっていることからもそれが伺えるだろう。
……まあ本人は特に気にしていないっぽいし、僕が気にすることでもないか。

次にモンモランシー。
塩田事業で威信も上がり、ウチと同様に彼女自身も社交界に出ることがあったのだろう。旧家の令嬢に相応しい立ち居振る舞いだ。
とはいえ、基本的には縁のある家の上級生が挨拶に来ているという感じが強く、前述の2人に比べれば目立ち具合は多少劣る。
まあその代わり誰かに敵対的な視線を向けられていることもなさそうだが。

ある意味目立っているのがギーシュ、とにかくキャラが面白いので男子寮では人気な男である。
薔薇を自称するだけあり、ところかまわず女性に声をかけている。
肌蹴た感じの服に薔薇を仕込み、時折その薔薇を咥えるところなど、芸風の一貫性ぶりに拍手を送りたいくらいだ。
というか僕の記憶が確かならあれは彼の杖なはずだ。
こんなパーティ会場で堂々と杖を振り回して少しも警戒させないとは、流石軍事の名門ド・グラモン家の一門である。
僕が同じことをしたら絶対ドン引きされる自信がある。あれがカリスマという奴だろうか。

で、最後に最も目立っているのはご存知キュルケだ。
今回も派手なドレスと容姿で男性たちを魅了し、一年生にしてパーティの中心にいる。
というか、上級生も含めて十数人は彼女に群がっているのではなかろうか。
御目当ての男子を取られた女子が嫉妬の視線を彼女に投げかけているが、相変わらず右から左だ。
というか、群がる男子への対応が忙しくてそれどころではないのだろう。
既に対処が面倒になってきているのか、適当にはいはいと相槌を打っているような感がある。


そうやってクラスメイトに社交の基礎を教えながらいつものように周囲を観察していると、一年生の女子が集まってなにやら話し込んでいた。
クラスを超えて十数人もの女子が集まって話し込んでいるのはなかなか見られない光景である。
それとも、女子寮の社交場ではいつもこんなものなのだろうか?
まあ、それ自体は別におかしな話ではない。
添え物として放り出されている以上、一年生同士で集まっているのが一番恥をかかない行動だからだ。
だが、漏れ聞こえてくる内容はかなり物騒なものだ。
彼女たちは、時折周りをちらちらと眺めながら「やれゲルマニアが云々」だの「ちょっと魔法が使えるからって云々」だのと言い合っている。
どうやら、同じ一年なのに目立っている女子たちに対しての悪口大会が始まっているらしい。

……これはそおっとしておいたほうが良いか思っていると、うちのクラスの何人かと眼が合った。
というか、あれは「わざわざ僕を探していた」眼だ。
とりあえず愛想笑いを返すが、正直嫌な予感がひしひしとする。
彼女たちは少しの間ひそひそと相談すると、リーダー格らしいトネー・シャラントが僕に近づいて声をかけてきた。

「ミスタ・ヴュールヌ。たびたびで恐縮なのだけれど、私たちにもう少しダンスを教えてくださらない?
 来週にも舞踏会があることだし、少しでも自信をつけておきたいの」

こ、怖えぇ!

クラスメイトを疑うのは心苦しいが、僕の直感が「絶対あとでさらなる面倒を押し付けられる」と声高に警告している。
おそらく、彼女たちはキュルケなど気に入らない女子をやり込めるのに僕を巻き込もうとしているのだ。
だが、ここで断るのは甚だ具合が悪い。
そんなことをしたら、最悪クラスどころか学年全体の女学生コミュニティを敵に回してしまう。
何より、今のところは「僕がさっきから申し出ていることを頼んできた」に過ぎないのだ。
どこかで勇気を持って引くとしても、そのタイミングは今ではない。
つまり、僕に出来る返答は事実上1つである。すなわち

「僕でよければかまわないよ」だ。

タバサがそんなつもりで言ったのかどうかはさておき、確かに僕は「敵対的な態度を取らない」人間に弱いのである。


ふと横を見ると、ギーシュやヴィリエといった一年にしては目立つ男子面々が僕と同じように一年の女子に囲まれていた。
何か知らんが皆嬉しそうである。
きっと僕と同じように誘われ、僕と違ってうまいこと乗せられているのだろう。羨ましい話だ。
できれば彼らの態度が正しく、僕の心配が杞憂でありますように。



[13654] 第六話:「舞踏会が多すぎる」シーン7(閑話)
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/01/15 02:11
フリッグの舞踏会のあと、クラスメイトを中心に一年生がたびたび僕に舞踏会の作法を習いに来た。
まあ気持ちは分かる。今週末には上級生が主催する新入生歓迎舞踏会があるのだ。
フリッグの舞踏会で完全に添え物に甘んじてしまった汚名の返上に燃えているのだろう。
まあおかげで知り合いも増えたし、僕も色々自分でも気付かなかった癖などが分かるので持ちつ持たれつである。
だが、そのためにギトー先生やコルベール先生に接触を取る暇もないのはつらい。
ギトー先生には「《遍在》で銃などの精巧な細工物をコピーできるか」質問しただけで回答すらもらえていないし
コルベール先生にいたっては「魔法を応用する実験をしている」という話を聞いた程度という有様だ。
まあ週末までの辛抱だ。それくらいの代償は甘んじて支払うとしよう。


そんなとある放課後、僕は中庭で何人かのクラスメイトに挨拶の口上などを教えていた。
傍らでは相変わらずキュルケが男子生徒に囲まれている。おそらく舞踏会の相手に誘われているのだろう。
するとトネー・シャラントがこんなことを言い出した。

「そういえば、レイナールさんのご実家はたいそうなお金持ちなのよね?」

……いきなり何だ? 意図が分からないんだが。

「ええっと……どうなんだろうかなぁ」

僕は曖昧に答えた。
はっきり言いたくないというわけではない。どう説明して良いのか分からないのだ。
自由に扱っている金額や「現代的な資産総額」で言えば確かにウチは大富豪だ。
最近のド・ヴュールヌ領はトリステイン有数の大経済圏に進化しつつあり、伯爵家の予算は毎月百万エキューに届く勢いである。
この予算は伯爵家が保持する資産による収入で賄われている。土地使用料・水道代・発明事業の収益などだ。
やろうと思えば大抵のものを殆ど痛痒なく買えてしまう。これほどの金を毎月動かしている伯爵家はそうあるまい。
だがこの収入や資産は殆どが帳簿上の数字、伯爵領内でしか通用しない幻のカネである。実際に動く現金はその数%もない。
また予算の殆どは人件費・装備やインフラの保守・新規事業への投資などで殆ど使い切ってしまう。
わずかな現金も出資者への配当や借金返済などで殆ど領外に放出しており、手元に残る金貨はほぼゼロだ。
もちろんあえてそうしてるのだが、それでも従来の価値観で言えばウチはカネに縁がない貴族なのである。
そんなわけで、金持ちだとも貧乏だとも言いがたいのだ。
どう言おうか迷っていると、トネー・シャラントが話を返してきた。

「また謙遜を。先祖代々3000万エキューの財宝を蓄え、見事運河・水道事業を成功させているお話はトリステイン中で語られてるわよ。
 それにラ・ヴァリエール公に協力してあのゲルマニアの成金どもを彼らの土俵でやっつけたとか。
 でも嫌よね。向こうから喧嘩を売ったのにあのゲルマニアの田舎娘ったら未だに根に持ったりして」

最後あたりは周りにも聞こえるような声量だ。なるほど、キュルケにあてこする話の枕だったのか。
とはいえ、キュルケには入学初日に一言皮肉を言われたくらいでその後大して交流がない。
その後の彼女は火遊びで手一杯であり、僕のような小物に関わっている暇などないのだろう。

「いやあの、彼女にはそこまで何か言われたわけじゃないよ。
 それにそういう話は突き詰めるとご先祖様の因縁まで遡っちゃうし、止めたほうが良いんじゃないかなぁ」

僕はとりあえずそう言って彼女を軽くたしなめた。
根に持つことで言えば数百年前の何々家が云々という話を一番しているのは間違いなくトリステイン貴族だ。
仮にキュルケが反応したら不毛な悪口合戦になりかねない。面倒な芽は早めに摘むべきだろう。
だが、この言い方は逆効果だったようだ。

「なによそれ。貴族たるもの侮辱されたというのにそんな木石のような態度を取るべきじゃないわよ。
 前々から思ってたけどレイナールさんは弱腰すぎるわ。もっとトリステイン貴族としての矜持を持たないと。
 そんなことだからこの伝統ある魔法学院で外国の女や出自の怪しい小娘がのさばるのよ」

周りの女の子たちがそうよそうよと囃し始める。
まずいな。この空気を放置すると知らないうちに僕とキュルケの対立構造を作り上げられてしまう。
とはいえ、ここまで出来上がった空気に論理で太刀打ちするのは不可能だしなぁ……仕方ない。

「まあその件に関する忠告はありがたく参考にさせてもらうよ。
 そういえば伝統で思い出したけど、礼法って『なんでこんな作法が成立したか』考えると結構面白いんだよ。
 一見無意味な形式に見える作法も、根本まで遡れば意外と合理的な理由があったりするんだ」

こういうときには「関係ありそうでない話題を振ってごまかす」くらいしか抵抗の術がない。
まあ、今僕は舞踏会の礼法を自習しているところなのだから話を戻したといったほうが正しいのだが。

「……例えばどんな?」

露骨に話題を変えられたのは分かるだろうが、無関係な話題を本題に戻された以上強くは言えないのだろう。
憮然とした口調ながら、彼女は僕に話を合わせ始めた。

「分かりやすい例で言うと握手や軍隊の敬礼は利き腕を相手にさらすことで杖や武器を隠し持ってないことを示すためだし
 乾杯も杯の中身を混ぜて毒を仕込んでない、つまり相手に敵意がないことを示す行為が発展して今の形になったんだ。
 そんな感じで突き詰めると大抵の礼法は『敵意もなければ騙すつもりもないと示す』ことに行き着くんだよ。
 だからそういう心がけでいるとただ訳も分からず形だけやるよりは綺麗に出来るようになるんじゃないかな。
 人間嘘付くより本当のことを言うほうが自然に出来るからね」

とまあ、誰かから聞いた受け売りを話してみる。
「だから人に敵対的な態度を取るな」と言いたいのだが、そこまで察してくれるだろうか。

「……まあいいわ。どうやらレイナールさんは寛大な方みたいだし、今はそんなことを言う場じゃないしね」

トネー・シャラントも含むところがあったのだろうか、露骨に失望したような顔を見せつつもとりあえず攻撃的な態度をおさめた。
以降彼女が僕に何かけしかけるようなことを言うことはなかった。言っても無駄だと思ったのだろう。


夕食を終え、風呂や社交場で男子連中と適当にだべってから自室に戻る。
色々と仕事が多いため、消灯ぎりぎりまで遊んでられないのが勤労学生のつらいところだ。
とりあえず、水を持ってきて歯を磨くことにする。
最近ようやっと僕も満足できる性能の歯ブラシが量産段階に入り、いちいち魔法でブラシを自作しなくて済むようになったのが地味に嬉しい。
まあ量産といっても職人による手工業であり、どうがんばっても小売価格が1本1エキュー弱になってしまうらしい。
《固定化》により耐用年数が数年以上あるとはいえ、平民が手を出すにはちょっと度胸が必要だろう。
というわけで、まずは貴族間で流行らせるため1本10エキューで売り出させている。
ついでに、細工やグリップに気合を入れた高級品(製造原価従来品の2倍)を1本100エキューで売り出させ、
オーダーメイドの注文を1本500エキューから受け付けさせた。
後ろ二つは単なる見せ筋というか洒落のつもりだったが、現状一番売れているのは残念ながらオーダーメイド品だ。
まだ実用品ではなく「500エキューだから買う大富豪のおもちゃ」としか見られていないということであろう。

僕の夜はこのように「発明品の進捗確認や売り出し方の指示」を行う時間である。
寮の部屋に戻る時刻に大体あわせて実家から投資銀行を通じてペリカンが試作品や事業の進捗を送ってくる。
それに対して色々と返答を考え、復路のペリカンに持ち帰らせるのが日課だ。
おかげで毎夜毎夜僕の部屋からペリカン便が往復していることになる。
冷静に考えたらかなり変な学生だが、別に後ろ暗いことはしていないからご容赦願おう。
なお、ペリカンが襲撃されて情報が漏洩する危険性に関しては
「被害は最大でもペリカンが殺されて何らかの試作品とその大まかなプロデュース法がパクられる程度」
なので特に気にしていない。
それ以上の情報を扱う必要がでた場合は虚無の曜日にトリスタニアで部下や商人と打ち合わせることになっている。
個人的にはパクって実用化してくれるなら是非やって欲しいものだ。投資やらのリスクが分散される。
それ以外は財務データなど「近々公開するつもり」か「既に公開している」情報だ。
見たければ勝手に見れば良いだろう。ペリカンが殺されるのは心苦しいのでできれば直接聞きに来て欲しいが。

財務状況といえば、2000エキューはとりあえず物置の奥に突っ込んでおくことにした。
両替商に預けて手数料を取られるのはもったいないし、投資銀行に預けたらいざ火急に現金が必要になったときに困るからだ。
どんな状況で2000エキューの現金が火急に必要になるのかぱっとは思いつかないが。


そして、寝る前に幼少の頃作った備忘録を一応読み返す。
とはいえ未来に関することが分かるわけではない。
ストーリー進行なんかそもそも殆ど書いてないし、書いてあっても完全に別物になっているだろう。
技術に関しても僕個人が出来そうなことは思いつく限りやった。これ以上は人手と時間が必要である。
もはや役に立ちそうな情報は「地下水」というインテリジェンスナイフとか、エルフの精霊魔法《カウンター》とかそんな豆知識程度だ。
基本的には日本語の文法や文字、そして知識を忘れないためにやっているようなものである。
発音は殆どしていないのでおそらくサイトが召喚されても日本語での会話は困難だろう。
まあ、本当にサイトが召喚されるかどうかも怪しいものだけど。

しかし「地下水」か。ここに書いてある性能が本当なら「相手の意思を乗っ取り、自分で魔法を使える」らしい。
情報収集や暗殺にも最適だし、場合によっては敵に持たせて第三者を襲わせ、二虎共食させることも可能だろう。
そして確かに「地下水」という謎のフリーランスのヤバイ噂は聞いている。ここに書いてある事と矛盾もしない。
現在の所在は知らないが、今この学院に放り込んだらえらいことになりそうだな。僕はそんなことをぼんやり考えながら寝る準備を整えた。



[13654] 第六話:「舞踏会が多すぎる」シーン8(第六話エンディング兼第七話への引き)
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/01/19 18:48
新入生歓迎舞踏会は、前評判どおりキュルケが中心となった。
彼女が黒と赤を基調とした派手な装いで会場に現れると、それだけで彼女はこの会場の男たちを支配する女王となった。
彫刻のような容姿で下級生の憧れとなっていた二年生の男子がキュルケにダンスを申し込むと、周りの男女から嘆きの声や恨みの視線がもれた。
この時二人に何の羨望も抱かぬ学生は、ルイズ・タバサ・レイナールなど両手で数え切れる程度であった。
そんな様子だから、学生の何人かはここ最近噂になっていたことを思い出していた。

――キュルケに恨みを持っている人間が、彼女に恥をかかせようとしているらしい――と。

とはいえ、その人物が誰かまでは誰も分からなかった。
何しろ、彼女はこの学院でかなりの人間の恨みを買っていたからだ。
入学式でタバサやルイズをからかい、クラス分けすぐにレイナールに皮肉を投げかけた。
その後は多数のボーイフレンドを作って多数の男子にショックを与え、それ以上の女子に嫉妬心を植え付けた。
ルイズにいたっては寮の部屋が隣なのを良いことに毎日のようにからかっている。
学院の誰が襲い掛かってもおかしくない、彼女が置かれている状況は極論すればそんなものであった。

当のキュルケもその噂は聞いており、ある意味誰がどんなサプライズを用意しているのか楽しみにしていた。
取り巻きの男子たちはルイズが怪しいなんて言っていたが、キュルケはそれだけはないと確信していた。
しょっちゅうからかっているからこそ分かる。ルイズは「貴族らしく」ということに強い拘りを持っている。
だからそんなこそこそした真似は嫌うはずだ。キュルケはそう判断していた。
いずれにせよ、キュルケもむざむざ良いようにやられてやるつもりはなかった。
立ちはだかるものはなんであれツェルプストーの炎で焼き尽くす。それが彼女の信条であった。


一方その頃、キュルケが大量の男性を引き連れているため必然的に余る形になった一年生の女子たちが集まってひそひそ話をしていた。

「そっちはどうだった?」
「ばっちりよ。そっちは?」
「のんきにサラダ食べてるわ。見世物にされてるだけなのにいい気なものね」
「そう。レイナールさんはどう?」
「噂を聞いて私たちを怪しんでるみたい。まああの方は口だけっぽいし、気にしなくて良いんじゃない?」
「それもそうね。別に私たちが何かするわけじゃないんだし」

そんなことを言い合うと、彼女たちは三々五々散っていった。


彼女たちの話題に上がったレイナールは、彼女たちがキュルケに嫌がらせをするとすれば何が出来るかをシミュレートしていた。
カーテンやテーブルなどは軽く調べたが誰か隠れている気配はなかった。となるとこっそり魔法を使うという可能性は低いと彼は考えた。
クラスの女子連中がなにやらごそごそ相談しているのも気付いていたが、向こうも警戒しているらしく内容までは分からない。

(となると誰か第三者を雇ったか、舞踏会はブラフで帰りに仕掛けるつもりか……人死にがでなきゃいいけど)

そんな物騒なことを考えながら、舞踏会の中心たる男女を眺めていた。
すると片割れの女性、具体的に言うとキュルケが踊りを終えてレイナールの下へ近づいてきた。

「どうかなさったのミスタ・ヴュールヌ、こちらのほうをじっと見て。ダンスのお誘いかしら?
 それとも何か愉快なイベントでもご存知なの?」

キュルケとレイナールが不仲という噂は、ちょっと耳聡い学生なら誰でも知っていることだ。
事実キュルケは家の事情的にも個人の感情的にもあまり彼と仲良くしたいと思わなかったし、時折それを公言すらしていた。
だから、周りの人間は「キュルケがレイナールを疑っているのだ」と判断した。
だが、キュルケはレイナールが犯行を計画しているとは思っていなかった。
むしろ、この男はそういう揉め事を嫌い積極的につぶしに回るタイプだと判断していた。
だから何がしか情報をつかんでいないか純粋に気になったのだ。

「……ミス・ツェルプストー。そういう言い方をされるとまるで僕が何か計画してるみたいじゃないか」
「あらそれはごめんなさい。でもご安心を。あなたがそんな小粋なイベントを考えるとは思ってないわ。
 何か面白いことでもご存知なら教えていただけると嬉しいのだけれど」
「そりゃどうも。ただ、ご期待に添えなくて申し訳ないけどあんまり芳しいことは分かってないかな。
 物陰に誰か隠れてるって訳でもなさそうだけど」
「ふぅん、感謝するわ。それじゃわたしはこれで」

そういって、キュルケはさっさとレイナールから離れ、自分の信奉者たちの元へ戻っていった。


ギーシュはクラスで最も気になる女の子、モンモランシーを口説いていた。
今回はどうやら彼女一本に絞り込んだらしい。
モンモランシーのほうも何が気に入ったのか知らないが、まんざらではない様子でダンスを受けていた。
そして宴もたけなわになり、音楽も盛り上がるメインの曲に変わった。するとギーシュは急に杖の薔薇を手におさめ、

「モンモランシー、君への愛の証としてこの薔薇を送るよ!」

といい、杖を振るい魔法を使い始めた。
モンモランシーは突然の行為に驚愕したが、すぐに「彼の水の流れがおかしい」事に気付いた。
彼女はそれを見て《ギアス》という特定の条件で相手に特定の行為を行わせる水の禁呪の噂を思い出した。
だが、悲しいかな彼女には彼の行動を止めるという「とっさの判断」を行うにはまだ経験が足りなかった。
ギーシュが短い詠唱を終えると、会場に大量の薔薇の花びらが舞い散り、会場全体の視界を半ば遮った。
突然の状況に、そこにいた誰もが面食らった。

それゆえ会場で起こっていることを一部でも把握できたのはごくわずかだった。
その中の一人、視界が遮られたのを受けて即座に目をふさぎ手と膝で床の振動を探知することにしたレイナールは
こんな状況で平然と歩いている奴がいることを確認した。
そいつはまっすぐにキュルケ……ではなく、タバサのほうに向かっていた。
そいつは何かを地面におくと、又も平然と舞踏会場を去ろうとする。
魔法で捕らえたいが今現在自分に杖はない。徒手で取り押さえるには距離が足りない。
突っ込むには他の人間が邪魔だ。何より返り討ちにあう可能性が高い。
レイナールは目を開き、せめて次善の策として「やってきた人間」と「そいつが何を置いたのか」を確認しようと試みた。

一方タバサも、風の流れを読むことで一部なりとも状況を把握していた。
人の動きはあまりに人が多すぎて正確には分からないが、複数方向から何らかの呪文が聞こえてきた。
それはどちらもギーシュではない。彼は自分で何をやったのかも分かっていない感じだ。
ふと反射的に、傍らにあった自分の杖を取り詠唱を行おうとする。
そこで彼女は気付いた。
――なぜ、こんなところに私の杖があるの――と。
彼女の杖は常人のものよりはるかに大きい。パーティドレスに隠すのはほぼ不可能だし、デザイン的にも携帯に相応しくない。
なにより、最低でも片手が完全にふさがるので食事が極めて食べにくくなる。
さしものタバサといえどもそれを平気でパーティ会場に持ち込むほど非常識ではなかった。
仕方がないので入り口の給仕に預けていたはずだ。
自分の元からまるで花びらがないかのように去って行く人影に気付いたのは、その直後のことであった。
タバサは反射的に呪文を唱えその人影を《束縛》しようとした。
だが、その不審者は混乱するクラスメイトを遮蔽に取りながら逃亡するためなかなか照準が定まらない。
タバサはとりあえず追跡のほうは後回しにし、風で花びらを吹き飛ばして顔を確認することにした。

キュルケは、これが例の“サプライズ”の一環であろうと判断していた。
そこで彼女は胸元に隠していた杖を抜き、とりあえず目障りな薔薇の花びらを丁寧に焼き飛ばした。
だが焼いても焼いてもきりがない。どうしようかと考えていると、ふと会場に風が吹き荒れ、薔薇の花びらが吹き飛んだ。
この風量は間違いなくトライアングルクラスの魔法、おそらくあのタバサの魔法だ。キュルケはそう直感した。
それにあわせてつむじ風が舞い、キュルケの衣装も風に乗せて吹き飛ばしていく。
その二つは別の魔法だったのだが、タバサの風があまりにも強力だったためもう一方のほうは完全にそれに隠れてしまった。
そして気付かなかったのはキュルケも例外ではない。
彼女はタバサが薔薇を吹き飛ばすついでに、あるいは薔薇を吹き飛ばすのを隠れ蓑に私を攻撃したのかもしれない。そういう疑念を抱いた。


薔薇の霧が晴れたときの主だった状況を説明しよう。

まずギーシュが「なんで僕はこんなことをしたんだ?」という表情でぽかーんとしていた。
レイナールが恥も外聞もなく地面に手と膝をついて辺りを観察していた。そして時折何かを考えるような表情を見せる。
他の人間は状況が全く把握できていなかった。急に薔薇が現れ、急に風で視界がはれた。その程度しか分からなかった。

そして――キュルケのほうはドレスをずたずたにされて生まれたままの姿をあらわにしていた。
その目の前にタバサがいつの間にか現れ、これまたいつ持ち出したかわからない杖を抱えて周りを観察していた。
キュルケも同様にどこから取り出したか杖を構えている。
周囲は何が起こったのか分からずただ絶句するのが関の山であった。
そんな状況を、一年の女子たちはくすくすと含み笑いをして眺めていた。
キュルケが笑実を絶やさぬまま、まるで女王のように周りの男たちに告げた。

「申し訳ありませんけど、どなたか上着を貸していただけないかしら。流石に今の季節にこの格好じゃちょっと涼しいわ」

回りは彼女の肢体を食い入るように見ていたが、その一言ではっと我に帰って我先にと上着をかけようとする。
そのうちの一着を羽織るとつかつかとタバサのほうに赴き、穏やかな口調のままで告げた。

「このイベントはあなたの企画かしら?」
「わたしじゃない」

タバサはまるで「あなたに関わっている暇はない」と言わんばかりにその場を去ろうとした。
実際、タバサは「この杖を持ち込み、即座に去って行った人物」を完全に見失っていたのである。
なんでキュルケの服がなくなっているのか知らないが、彼女の相手をしている暇があったらさっさと足取りを追いたいところだった。
だが、その態度がさらにキュルケを苛つかせ、さらに疑念を深めた。
元々「予告までされていたのにまんまとしてやられた」という怒りが正常な判断力を鈍らせていたところである。
あるいは無意識のうちに「これを口実に軽んじられた侮辱を晴らそう」と考えたのかもしれない。
いずれにせよ、彼女の中では証拠もないのにいつの間にかタバサが犯人ということになってしまっていた。

「いいわ。あなたがそこまで記憶力が悪いと言うなら、後でいやでも思い出させてあげる。
 ほんとに風って、こそこそいやらしいったらないわね」

そういうと、キュルケは周りの男子に「今日は体調が優れないのでこれで失礼させていただきますわ」といって舞踏会場を去ろうとした。

だが、その手をつかんだものがいた。キュルケの寮の隣人、ルイズである。
公爵家の令嬢に相応しく上品なドレスに、それに合わせて結い上げられたピンクブロンドの髪が美しさを引き出させていた。
ただ、今の彼女の髪は無残にも半分くらい焦げてちりちりになってしまっていたが。

「待ちなさいよキュルケ……あんた自分の魔法で人の髪をこんなにしといて謝罪の一つもないわけ……?
 あんたが考えなしに薔薇を火で焼くもんだから、こっちまで飛び火してきたのよ……」

ルイズは、鬼の形相でキュルケにそう詰め寄った。
だが、キュルケはその焼け跡を一瞥すると

「わたしじゃないわよ。私の炎が燃え移ったんなら今頃あなたの髪はミスタ・コルベールみたいになってるわ」

としれっと宣言した。
実際そうなんだから仕方ないし、今はルイズをからかっている心の余裕もない。
仕方なくつっけんどんな態度を取ってしまうが、それがルイズの態度をさらに硬化させていった。

「バカにするのもいい加減にしなさいよ! 今この場で杖を持っているのはあんたとそことそこの三人しかいないじゃない!
 そのうち炎を使ってたのはあんただけ! それで風が吹いたときに私の髪が燃えたのよ!
 どう考えたってあんたの火の不始末以外に考えられないじゃない!
 それとも何!? わざとやったとでもいうの!?」
「そんなくだらないことする暇はないわよ。他に杖を隠し持ってる奴でもいたんじゃない?
 悪いけどわたし今ちょっと疲れてるの。詳しい話は明日にしましょう?」

そういうと、キュルケはルイズの主張も無視して悠然と舞踏会場をあとにした。


こうして、新入生歓迎舞踏会は大混乱のうちに幕を閉じた。
これが後に「一歩間違えれば戦争の引き金になっていた」とまで言われる事件の発端である。
ただ、そんな波乱を予感していたものはレイナールなど学院に片手で数えるほどもいなかった。



[13654] 第七話:「四魔貴族バトル」シーン1
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/01/20 19:40
新入生歓迎舞踏会の後、学院内で大小さまざまな事件が連続して起きた。

まず舞踏会当日、タバサの部屋が火事になりベッドや本棚など一切の家具が焼き尽くされた。
通常、学院の生徒が使用するような家具や書物などの貴重なものには《固定化》がかけられている。
それを焼き尽くす炎となると、もはや魔法によるもの以外に考えられなかった。

次の日である虚無の曜日、早朝にレイナール少年が学院のメイドたちになにやら聞き込みを行っていた。
聞き込み内容は「歓迎舞踏会のとき何をやっていたか」であるらしい。
また、レイナールに件のモンモランシーやギーシュが接触を図り、なにやら相談していたのが目撃されている。

そしてその日の昼ごろ、ルイズが部屋に保管しておいた仕送りが盗まれているのが本人によって確認された。
ルイズは午前中キュルケに先日の謝罪を要求し続けており、その事実はかなりの人間に知られていた。
先日の火事で警備は強化されており、事件を調査した人間の殆どは内部犯の可能性を考慮した。

さらに夕暮れ、かなり高級な家具や大量の書物がタバサ宛で運び込まれた。
火事で失った以上買い換えるのは当たり前の話だが、その金がどこから出たのかは不明であった。


週が開けた次の日、それらの噂が舞踏会の一件を交えて学院中を駆け巡った。
タバサもルイズも自分から事件を話すようなことはしなかったが、不運にも二人は歓迎舞踏会の一件で学院中の注目を受けていた。
そのため、あっという間に事件は表ざたになってしまったのである。

これら一連の事件は学生たちの想像力を大いに刺激した。
そして、憶測が憶測を呼び様々な噂が飛び交いだした。

曰く「タバサがギーシュと結託してキュルケに風の魔法を使用し、名前をからかわれた恨みを晴らしたらしい」
曰く「いや、タバサが結託したのはモンモランシーでギーシュはモンモランシーに焚き付けられたらしい」
曰く「いやいや、実はギーシュはタバサに《ギアス》をかけられただけらしい」
曰く「タバサの火事は一足先に退出したキュルケが報復でやったらしい」
曰く「いや、キュルケを葬る大義名分にするためタバサが自分でやったらしい」
曰く「レイナールは一連の事件について何がしかつかんでおり、独自に行動しているらしい」
曰く「火事で財政難になったタバサが留守にしているのが分かっているルイズの部屋から金品を盗ったらしい」
曰く「いや、盗難はルイズの自作自演で魔法の才能があるタバサを陥れようとしてやったらしい」
曰く「待て慌てるなこれはド・ヴュールヌの罠だ」

様々な噂が無責任に飛び交ったが、いずれにせよほぼ全員の学生が一致して持っている見解があった。

――このまま、何事もなく終わるはずがない――と。


一方その頃、生徒たちとほぼ同じ結論に至った教師たちは臨時で緊急会議を開き、関係者を一人一人呼びつけて事情を聞きだした。
基本的には全員自らの関与を否定するだけだったが、モンモランシーやギーシュの証言から彼が《ギアス》で精神を操作されていた可能性が示唆された。
《ギアス》は使用はもちろん習得も国法で禁止されており、王立アカデミーでも一切研究されていないことになっている。
勿論それが建前であることくらい皆も理解しているが、少なくとも一介の学生が使用できるような代物ではない。
つまりそれは、この学院に非合法工作員が紛れている可能性があるということだった。
いずれにせよ、ギーシュが「いつ《ギアス》をかけられたかよくわからない」と言っている以上他の学生も毒牙にかかっている危険がある。
だが《ギアス》は条件がそろうまで《ディテクトマジック》でも探知できない忌むべき魔法という噂もある。
騒ぎを大きくしてまで大々的に調査する価値があるのかわからない。
仕方がないので「まずは渦中の人物を中心に地道な情報収集を行うべし」と決め、以後は情報が入り次第臨機応変に対応することとなった。
彼らを事なかれ主義と笑うのは容易い。
だが、上級貴族の子弟が集う学院で大事件がおきたと公になれば外交問題や国家分裂の危機に発展する恐れもあるのだ。
教師たちもそれが分かっているからこそ、慎重かつ秘密裏に動かざるを得ないのであった。


渦中の人物たちは増幅された噂や教師に呼びつけられたことから疑心暗鬼や危機感を徐々に募らせていった。

キュルケは、状況証拠から一連の事件の黒幕はタバサであろうと当たりをつけていた。
なにより、あの舞踏会場でいつの間にか杖を持っていたのが怪しすぎる。
あんな巨大な杖を隠し持てるはずがない。あのタイミングを狙って周到に用意されたと考えるのが自然だと判断した。
だが、引っかかるのが「タバサの部屋が本棚ごと焼かれた」一件であった。
キュルケの見立てでは、彼女にとって本は唯一の友といってもいい存在だ。
いくらこちらを攻撃する大義名分にするためとはいえ、大切な本を焼くだろうか。
とはいえ、彼女自身も自分の見立てに絶対の自信を持っているわけではない。
あるいは複数の勢力が自分を落としいれようとして、そいつらがタバサをけしかけたのかもしれない。
いずれにせよ、面倒だけどこれからは命のやり取りになりそうね。キュルケはそう覚悟した。

タバサは、キュルケが報復で部屋の本を焼いた可能性を考えていた。
《固定化》のかかった本を原形を留めず焼き尽くすなど、よっぽどの使い手でなければ不可能だからだ。
だが、彼女は「それ以外に何か裏がある」と考えていた。
何しろ、自分はキュルケの服を破いてなどいない。
ギーシュがなぜあんな妙な行動をとったのかも知らない。
キュルケがわざわざ人手を使って自分の杖を会場に持ち込むなど考えにくい。
自分からそんなことをしておいて報復で部屋を焼くなどどう考えても不合理だ。
つまり、キュルケ以外にも何か「未だ見えない敵」が存在する可能性が高いのだ。
そいつらの目的は不明だが、放置すれば自身の“任務”に差しさわりがあるのは明白であった。
となれば残念ながらクラスメイトであっても手加減をしている余裕はない。タバサはそう覚悟した。

モンモランシーは、無責任な噂とその火元である「黒幕の誰か」に腹を立てていた。
なんで私がろくに話したこともないタバサなんて女の子と結託して何の恨みもないキュルケに喧嘩を売らなければいけないのか。
しかも誰か知らないが禁呪まで使って自分やギーシュを陥れた者がいるのだ。決して許せることではなかった。
同時に、事件が大事になることを恐れてもいた。
何しろ、ギーシュには《ギアス》、あるいはそれに類する何かがかけられていたのである。
そして、自分の部屋には小さい頃からの趣味で魔法の香水や秘薬の原料がたくさん保管してある。
その中には「これとこれとこれをこんな感じで調合したらご禁制の秘薬の誕生だ~」なんて代物もある。
勿論そんな目的で手に入れたわけではないし、そもそも自分はご禁制の秘薬の具体的な調合法なんて知らない。
だが、原料を持っている以上は治安組織が動いたら自分に容疑がかけられかねない。
確かに、塩田事業以来トリステイン有数の富豪になったからといって深く考えず秘薬の原料を大人買いした自分にも責任がある。
だからといって周囲を納得させるための「一応の下手人」にされるのは真っ平ごめんであった。
そんなわけで、名誉回復と自身の保身のためにも彼女は事件を収束させる決意を明らかにした。

ルイズは、とにかく謝罪しないキュルケに腹を立てていた。
そこに加えて大切な仕送りが盗まれたことで怒りのバロメーターは頂点に達していた。
タバサとか言う昨日火事で部屋が焼けた子が盗んだと言う説があるが、それが本当なら貴族にあるまじき卑怯者である。
さらに、どういうわけか被害者である自分がタバサを陥れようとしているなんて噂まで流れている。
いくら自分が魔法を使えないからといって、そんな屈辱を受けるいわれはない。
いずれにせよこの事態を放置していては貴族とは言えない。何が出来るかわからないが、彼女は事件解決のため動くことにした。

レイナールは、自室で分かっているだけの情報を元に現状がいかに抉れているかを確認していた。
そして、そこからおきうる最悪の事態を想定し、どうすればそれを防げるか頭を抱えていた。
こんな悪質なシナリオを女学生が「同級生に恥をかかせる」程度の目的で書けるはずがない。
絶対どこかが協力者を装って嫉妬深い女学生たちを傀儡に仕立て上げたのだ。
つまり、このまま事件をなぁなぁに終わらせれば第二第三の事件が起きる。彼はそう確信していた。
だが、教師を大々的に煽動すれば最悪の事態は免れても厄介な禍根を後に残す危険性もある。
そして、それを行えば自分が持つ事件解決のための最大のアドバンテージが失われる危険も高い。
よって教師に頼る案はひとまずプランBとし、まずは秘密裏に完全解決を試みる必要がある。彼はそう覚悟した。


一方ギーシュはモンモランシーが困っているようなので良いところを見せようと張り切っていた。



[13654] 第七話:「四魔貴族バトル」シーン2
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/01/21 17:11
ウルの月 エオローの週 ユルの曜日 夕食後


レイナールはまず同じ寮にいるギーシュの部屋を訪ね、事件解決の協力を申し出ることにした。
何しろ、彼にはやらねばならぬことが大量にある。
自分独りで目的を達成することは期待できなかったし、またそのつもりもなかった。
ならば、事件へ積極的に関与している渦中の人物を味方につけていくのが最も確実だと判断したのだ。
幸いギーシュとモンモランシーは昨日「禁呪使いをとっちめるのに協力してくれ」と頼んできたばかりだ。
彼らの真意はともかく、表面的な目的は完全に一致していた。

「助かるよレイナール! さしものぼくも杖がなければただの人だからねぇ。
 モンモランシーに良いところを見せようと思ってはみたものの、どこから手をつけて良いかさっぱり分からなかったんだ!」

レイナールが協力を申し出ると、ギーシュは堂々とした態度でそう答えた。
なお彼は今朝「悪気はなかったとはいえ不用意に魔法を使った責任は重い」として、教師たちに今日から3日間杖を没収された。
魔法の実技のときだけ杖が返され、授業が終わるとまた没収される。貴族にとってほぼ最大級の屈辱的な罰であった。
そして彼は最悪の場合生贄にされる「一応の下手人」に最も近い人間の一人でもあるのだ。
そんな状況で「女の子に良いところを見せるために動く」と言える彼にレイナールは敬意を覚えた。

「杖に関しては素直に反省したほうが良いと思うけど……まあともかく、僕も君たちの協力が必要なんだ。
 些細なことで良いから、君とモンモランシーとで女子たちが学外の誰と接触を取ったか聞いてきて欲しい」
「それなんだが……なんでだ? 女の子たちの誰かが僕に《ギアス》をかけたとでも言うのかい?」
「そんな物騒な。ただ調査のために少しでも外部の人間に関する情報が欲しいんだよ。
 僕じゃそれとなく女の子に聞くのは難しいからどうしようと困っててね。正直君が協力してくれてありがたい。
 ただ君にも都合があるだろうし、僕に義理立てする必要はないよ。面倒になったら気にせず切り上げてくれ。
 その間に僕は僕で伝を当たってみる。何か困ったことがあったらいつでも言って来てくれ」
「レイナール……ありがとう。きみは良い奴だな。噂とはえらい違いだ」
「よしてくれよ。僕は自分が平和に学生生活を送りたいだけだ。そこまで感激されると心苦しい」

君たちを助けるのはその一環でしかないしな。レイナールは心中でそう付け加えた。


ルイズは、とにかく噂をしている生徒たちに手当たりしだい当たってみることにした。
キュルケのほうは昨日散々議論して「どうしても認めるつもりはないらしい」と判断したからだ。
だが、常識的に考えて悪い噂の当事者にその噂を話す人間など滅多にいない。
ましてや、自分もよく知らないし興味もない「噂の出所」など教えられるはずもない。
勿論その辺は話し方・聞き方しだいなのだが、箱入り娘である彼女にそんな手練手管などあるはずもなかった。
結局彼女の行動は学生たちに「ルイズがこの一件に興味を持って調べているらしい」という新たな噂を提供するだけに終わった。

「確かタバサってあの青い髪の子よね……こうなったら彼女に直接聞くしかないわ」

そうひとりごちながら、ルイズは次に「タバサがどこにいるか」を聞いて回ることにした。


タバサは、ひとまず安全確保のために出来るだけ「視界が広く人の多い場所」を選んで移動することにした。
本当は姿をくらませたかったが、そうすればそれに付け込んで「例の見えない敵」が流言を流す恐れがあると考えたからだ。
仕方なく次善の策として「不意打ちの確率を下げる」方針をとることにした。
それに、今キュルケに襲われたら可能な限り迅速に排除するしかないのだ。
そんな事態は可能な限り避けたかったし、仮にそうなっても正当防衛が認められるようにしなければならない。
そのためには出来るだけ第三者がいる場所に留まる必要があると考えた。
そうしながら向かった先は、モンモランシーの部屋であった。
彼女からなぜギーシュがあんなことをしたのか問いただし、あわよくば「見えない敵」の片鱗をつかむのが目的であった。

彼女との面識は殆どないが、それでも寮のどの部屋に住んでいるかくらいはすぐにわかった。
本当はギーシュを直接尋問したかったが、この時間は流石に男子寮に戻っているはずだ。
男子寮の部屋割りまで調べている余裕はないし、忍び込むのはリスクが大きい。そう考えた末の妥協案であった。
部屋のドアをノックする。

「どなたかしら?」

声が聞こえる。ドア越しで確信はもてないが、声の主がモンモランシーだろう。そう判断した。

「タバサ」

そう答えるも、ドアを開こうと言う気配はない。
まあ警戒するのも当然だろうと考え、そのまま話を続けることにした。

「一昨日ギーシュがあなたのためといって花びらをばら撒いた。理由を知っているなら教えて欲しい」
「……あなたがやったんじゃないのね?」

その返答だけで、タバサは「ギーシュは魔法か何かで操られていたらしい」と推定した。
もちろん「彼女が自分にそう思わせたがっている」可能性も否定は出来ないが。

「違う」
「……なんにしても、私から言うわけにはいかないわ。彼に直接聞いて頂戴。
 あと何をする気か知らないけど、大事件を起こすのは止めてよ。私やギーシュまで巻き込まれるのはごめんだわ」
「善処する」

これ以上警戒している人間から聞けることもあるまい。なら時間を浪費するより次の行動に移るべきだ。
タバサはそう考え、彼女の部屋をあとにした。


モンモランシーは、いきなりタバサが自室にやってきた意味を考えていた。
タバサが何かしら行動しているのはわかる。と言うより主にタバサとキュルケの確執が今回の騒動の中心なのだ。
だが、その真意が彼女には今ひとつ見えてこなかった。
キュルケを倒すつもりなら私に関わる必要はないし、ギーシュの行動に関して私に聞くなんて論外だ。
私をキュルケの一派と疑っているのなら、素直に引き下がる理由が分からない。
やはりレイナールが危惧しているように「後ろにこの騒動の絵を描いた黒幕がいる」のだろうか。
彼の言動はいつも非常識だが、精霊と取引できるほどのよくわからない情報網を持っていることは間違いない。
あまりお近づきにはなりたくないタイプだが、こういう非常時には頼りになる知恵袋だった。

「問題は、皆仲良くあいつに嵌められてる可能性だけど……正直、考えても仕方ないわね」

何しろ向こうは幼少の頃から父上、ラ・ヴァリエール公、あの“鳥の骨”、さらには水の精霊まで口車に乗せてきた男である。
本気で私たちを陥れるつもりならもう私ではどうしようもない。
彼が今までここトリステインで積み上げてきた実績を投げ捨てることはあるまい、そう信じるしかないのだ。
全く、こんなときに学生を守らなくて何が教師よ……と、教師に頼りきれない後暗い部分があるのを棚に上げて彼女は嘆いた。
とはいえ、この状況で秘薬の原料を廃棄するなどという怪しい行為をするのは非常に危険だ。
となれば、この後ろ暗いブツを隠すためにも事件が解決するまでこの部屋を何としても死守しなければならない。
そんなことを考えていると、またもドアがノックされた。

「ごめんなさい、ミス・モンモランシ。ちょっとお時間いいかしら?」

今度はキュルケの声だった。


キュルケは、ちょっと考えてひとまず「誰がタバサに協力しているのか」確認することにした。
あれからタバサはこちらを避けるように動き、まだ仕掛けてくる気配を見せない。
おそらくこちらを無為に警戒させ、疲労したところを一気に突くつもりだろう。
ならば、向こうが暢気に様子を伺っているうちに敵の全貌を把握しておいたほうがいい。
存在するかもしれない第三勢力も確認しておく必要がある。
それにこちらが命のやり取りを覚悟した以上、関係ない人物まで巻き込むのは心苦しい。そう判断したのだ。
ひとまず確認するべきは、事件の発端であるギーシュとモンモランシーであった。

「……その声はミス・ツェルプストーね。一体何の用?」

ドアを開けることなく、モンモランシーは答えた。
どう聞いても友好的な態度ではないが、キュルケは女性に敵対的な態度をとられるのは慣れているので別段気にしなかった。

「大した用じゃないわ。あなたやミスタ・グラモンが例のイベントについてどうお考えかお聞きしたいだけよ」
「……あなたも?」

キュルケは少し疑問に思った。“も”ということは、自分より前にこの件について彼女に尋ねた人間がいると言うことだ。
だが、ちょっと考えてそれもそうかと判断した。
事件渦中の人間の中で、最も実のある話を聞けそうなのは彼女だ。自分もそう判断したからこそ彼女を尋ねたのではないか。
同じ結論に達した噂好きの人間が彼女を問い詰めたとしてもなんら不思議ではない。そう考えた。

「そう。たびたびみたいで申し訳ないわね。でもこちらもツェルプストー家の名誉がかかってるの。
 ちょっとお話したいんだけど、部屋に入れていただけないかしら?」
「……心苦しいんだけど、今のあなたと親しくしてると思われて騒動に巻き込まれるのはごめんだわ。
 私は無関係よ。分かったら帰って頂戴」

キュルケはモンモランシーの態度に少しイラッとしたが、気持ちは分からないでもないのでとりあえず抑えた。
本来なら彼女の表情や体温を確認して発言の真意を確認したかったのだが、どうやら予想以上に警戒されているようである。
これは次の日食堂でギーシュから聞いたほうがよさそうね。そう判断して帰ろうとしたとき

「ちょっと! なんでタバサじゃなくてあんたがいるのよ!」

と言うルイズの声が聞こえた。


タバサの居所はルイズにも容易に聞くことが出来た。
理由は分からないが、タバサは人通りの多い場所を好んで歩いていたからだ。
そして何人かにタバサの行方を聞いた末にたどり着いた先には、何故かキュルケがいた。

「何よルイズ。昨日あれだけ言ったのにまだ納得できないの?
 あれはわたしがやったんじゃないし、犯人ならこれが落ち着いたら一緒に探してあげるって言ってるでしょ?」
「誰がツェルプストーの手なんて借りるもんですか! それに今はあんたなんかに用はないのよ。
 わたしはタバサを探してるの。モンモランシーの部屋を探してたらしいんだけど、あんた見なかった?」

ルイズがそう尋ねるも、キュルケが知っているはずもない。
だが、それを聞いてキュルケに一つの疑念が浮かんだ。

「ねぇ、ミス・モンモランシ? どうしてミス・タバサがあなたに会いに来るのかしら?
 ……まさか、今その中に彼女がいるって言うんじゃないでしょうね?」
「ミス・ツェルプストー。言いがかりはよして頂戴。
 彼女はあなたと同じくギーシュがあんな変なことをした理由を聞きに来ただけよ。関わりたくないからすぐ帰ってもらったわ」

キュルケは、モンモランシーの返答でさらに疑念を深めた。
タバサがそんなことを聞きに来る必要などない。
仮にギーシュの行動がタバサにとって予想外だったとしても、その動機など気にするとは思えないからだ。
つまり、モンモランシーはタバサをかばおうとしている可能性がある……キュルケはそう考えた。

「ふぅん……もしよろしければ、確認させてもらってもよろしいかしら?
 私に関わるのがいやって気持ちは分かるけど、ルイズを部屋に入れるだけなら問題ないんじゃなくて?」

その提案にモンモランシーは焦った。
ルイズのパーソナリティはよく知らないが、魔法知識に関しては学年一であると伝え聞いている。
ならば部屋の中の機材や原料を見て「これはご禁制の秘薬!」と勘付く可能性が高い。
そして、ドアの外のやり取りからして彼女が「思い込みが激しく人の話を聞かない性格」であることは容易に想像がついた。
正直、現時点ではキュルケより中に入れたくない人物であった。
だが今更「ルイズを入れるくらいならキュルケのほうがマシ」などと言えるはずもない。

「あなたの提案でミス・ヴァリエールを中に入れたって知れたら後でミス・タバサにどんな難癖をつけられるか分からないわ。
 私は本当に無関係なの。正直あなたたちに部屋の前に立たれているだけで巻き込まれないかって心配なのよ」
「……正直に言うと、いまわたしは『あなたが彼女側』と疑ってるわ。だから入れてくれないとそう思うわよ。
 最悪、力づくで入っちゃうかも」
「……それは、私がド・モンモランシ伯爵家の人間だと知った上での発言なの?
 キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストー」

この発言でキュルケの疑念はほぼ確信に変わった。「少なくとも彼女はこの部屋に何かを隠している」と。
ならば、もうこれ以上ここにいる必要はない。クラスの女子など、他に確かめるべき人間はまだまだたくさんいるのだ。

「……冗談よ。じゃあごきげんよう、モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ」

そう言って、彼女は部屋を去ろうとした。
だが、それをルイズが制する。

「ちょっと待ちなさいよ! なんで私がキュルケの手先扱いされないといけないのよ!」

キュルケはその台詞を聞いて(ああ、この子はまだ状況が分かってないのね)と思った。
同時に、今から起きるであろうと言うか起こすであろう事態に彼女が巻き込まれるのを忍びなく思った。

「ルイズ、何のつもりか知らないけどこの件に関わるのはもう止めなさい。怪我じゃすまないかもしれないわよ」

そういうと、今度こそ彼女は去っていった。


納得いかないのはルイズである。
今日一日何の収獲も得られなかったばかりか、会う気もなかったキュルケに手先扱いされた挙句に雑魚扱いされたのである。
だが、彼女も「モンモランシーが部屋に何か隠してるらしい」ということくらいは勘付いていた。

「モンモランシー……何を隠してるのか知らないけど、隠し事したってためにならないわよ」

そう言ってモンモランシーの部屋のドアをどんどんと叩く。
一方モンモランシーはさっきの対応が完全に失敗だったことを認識していた。
おそらく、キュルケは完全に自分を敵だと認識してしまっただろう。
わずかなリスクを恐れる余りもっと大きな危険を呼び込んでしまった。そう彼女は後悔していた。
しかも、何が楽しいのかルイズはまだ諦めずに部屋に入ろうとしている。
タバサを探してたんじゃなかったのか。それともまだここにタバサがいると疑っているのか。
そんな悩みを無視して能天気にドアを叩く音を聞いていると、モンモランシーはだんだんイライラしてきた。
元はといえば彼女が空気を読まずにこんなタイミングでここへ訪れたのがここまで抉れた原因じゃないか、と。

「ここにタバサはいないって言ってるでしょ! さっさと他を探しに行きなさい! いい加減にしないと本気で怒るわよ!」

ルイズはその発言に怒りを覚えたが、冷静に考えてみたら確かにその通りである。
仮にこの中に隠れているのがタバサだとして、いくらドアを叩いても彼女がドアを開けることはないだろう。
だからといって力づくで侵入したらこっちが悪者である。
ならば、ひとまずは他を探すのが賢明というものであるろう。
いくらなんでもこの時間に寮の外に出ているということはないだろうし。

「まあ……確かにそうね。失礼したわ」

そういうと、来た方向とは逆のほうへ歩いていった。


女子寮でそんな剣呑な雰囲気が流れていたのと同時期、レイナールは寮の社交場でヴィリエと話していた。

「しかしレイナール、君も暇な奴だな。ギーシュの杖を取り戻すのを手伝ってるんだって?」
「まあ成り行きでね……そんなわけで一応聞くんだけど、あの時何か変わったことはなかった?」
「そう言われてもな……実は花びらが広がってから収まるまであんまりよく覚えてないんだ。
 恥ずかしながら混乱してしまったんだろうな。確かにきみの言うとおり僕はまだまだ未熟みたいだ」
「ああ、ご、ごめん……あ、そうだ。
 そういやフリッグの舞踏会では女子に人気だったみたいじゃないか。あれから何か進展した子はいるかい?」
「露骨に話題を変えないでくれ。却って傷つくじゃないか。
 大体それも大したことじゃないぞ。何回かギーシュとか他の男子も混じってカードゲームをしたくらいだ」
「何が大したことないだ。僕が必死になって皆にダンスを教えてるときにそんな面白そうなことやってたのか。
 誰が主催で他に誰が参加してたんだよ。次は混ぜてもらわないと」
「ああ、そう言えば君の家も色々と大変らしいな。ちょっと待て、今思い出すから……」

そんな感じで、のほほんと談笑が行われていた。



[13654] 第七話:「四魔貴族バトル」シーン3
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/03/14 22:24
ウルの月 エオローの週 エオーの曜日 早朝


最も早く目が覚め、行動を開始したのはタバサであった。
現在彼女は部屋が火事になったため復旧までの間他の空き部屋を仮に使わせてもらっている。
とはいえ同じ女子寮である。セキュリティに関しては以前の部屋と似たり寄ったりであろう。
つまり、この宿舎も「やろうと思えばいくらでも襲撃できる」ということに変わりはなかった。
となれば長居は危険である。そのため使用人たちが動き始める頃には部屋を出たほうがいいと判断したのだ。
だが、昨日に情報収集の真似事をやってみて彼女は現状における情報収集の難しさを痛感していた。
まず噂が錯綜しすぎている。違う人間に聞くたびに話が違うのは勿論、ひどいときには一人が複数の噂を話すこともある。
それにタバサはこの学院に友人がいないため、噂を聞こうと思ったら《遠見》などを応用して他人の話を漏れ聞くぐらいしかない。
そんなわけで、タバサは現在非常に確度の薄い情報しか持っていなかった。

使用人が起き始めた時間に人手の多い場所に行くとなると、必然的に使用人が働いている場所に向かうことになる。
タバサはふと「レイナールが使用人に何か聞いていたらしい」と言う噂を思い出した。
とはいえ具体的に何を聞いたのかまでは噂が錯綜していて分からない。
せっかくなので、タバサは直接使用人たちに聞いてみることにした。
とりあえず、一番初めに目に付いた籠を抱えたメイドに近づいて声をかけてみることにする。
すると、そのメイドは若干の恐怖を見せた。「私が何か悪いことをしただろうか」と言う顔だ。

「先日か先々日、あなたたちに何か話を聞いた生徒がいると聞いた。その件で話が聞きたい」

そういうと、そのメイドは怪訝そうな顔をして答え始めた。

「は、はぁ……確かに舞踏会のときに何か変なことはなかったかお尋ねになった方がいました。
 私は厨房で食材の皮むきを手伝っておりましたのでよくわからないと申し上げましたけど……
 あとはまあ、他の人にも聞きたいからって出入りの業者さんも含めて知り合いを聞かれました」
「他に誰に聞いたかわかる?」
「私の知る限りでは本当に出入りの業者さんにまでお尋ねになっていたらしいです。
 使用人たちの間でも噂になってましたから、たぶん間違いないんじゃないかと」
「ありがとう」

そういうと、ぶっきらぼうに返答して即座に彼女から離れた。
あまり深く関わらせると巻き込んでしまうかもしれない。そう考えた彼女なりの親切心であった。
これ以上は直接本人から聞けば良いだろう。そう考え、一足早くアルヴィーズの食堂へ向かうことにした。
ギーシュにもレイナールにも話を聞くことがあるが、とにかく先に来たほうから話をすればいいだけである。そう考えた。


ギーシュは、とりあえず今後の方針を説明しにモンモランシーの部屋へ向かった。
その途中で同じく部屋を出ていたモンモランシーに出会ったが、彼女は何故か見るからに落ち込んでいた。
ギーシュは一瞬声をかけるべきか悩んだが、すぐさま気を取り直しモンモランシーを慰めるべく彼女に話しかけた。

「ああ、愛しのモンモランシー。きみにそんな顔は似合わないよ。一体何があったんだい?」
「……ちょっと困ったことになったのよ……」

そういって、モンモランシーはギーシュに昨日起きたことを簡単に説明した。
勿論「自分がそのような態度をとった理由」に関しては「関わりたくなくてついムキになった」で押し通したが。

「それは怖かったろう……だが安心してくれ。ぼくがきみのためにこの騒動を解決してみせるよ。
 それにレイナールも手伝ってくれるらしいんだ。心配要らないよ」
「ああ、そう……彼はなんて?」
「とりあえず伝を頼ってみるってさ。
 ただ情報が少しでも欲しいとかで、女子たちに知ってる学外の人を聞いてきて欲しいって頼まれてるんだ。
 まあそういうわけで……あくまで、あくまで君のために、ちょっと他の女の子にも話を聞かないといけない。
 いやぁ、薔薇というのもつらいものだ。じゃあ、早速行って来るとするよ」

そういうと、ギーシュはその辺にいた一年女子に手当たり次第に声をかけ始めた。
彼女たちは基本的に朝食のため食堂に向かう途中であったため、ギーシュも自然と食堂に向かうことになった。

一方、モンモランシーはギーシュの言っていたレイナールの態度に嫌な予感を覚えていた。
ギーシュが知っているかどうかはともかく、キュルケやタバサに反感を覚えている一年女子が大勢いることは女学生の中では公然の秘密だ。
正直、彼女たちがこの事件を裏で糸引いていると言われても納得するくらいであった。
勿論彼女たちに《ギアス》レベルの禁呪が使えるとは思っていなかったが、外部のフリーランスを雇ったと言うなら話は別だ。
あの男は、それを警戒しているのではないだろうか。
こんな学生の騒ぎに《ギアス》が使えるフリーランスを雇うなどと常識では考えられない話だが、
そんなことを言ったらそもそも学院内で《ギアス》が使われること自体が非常識な話である。
自分の身を守ることに夢中でその辺深く考慮していなかったが、もしや自分はとんでもないことに巻き込まれたのではないだろうか。
そんな予感をひしひしと感じていた。


ルイズは、珍しくいつもよりかなり早めに起きた。正確には変な夢を見て中途半端な時間に起きてしまったのだが。
今から食堂に行っても朝食にはかなり早いが、かといって二度寝すると確実に寝坊してしまう。そんな中途半端な時間だった。
最近何もかもうまくいかない。
魔法は上達せず、ツェルプストー家の人間には馬鹿にされ、クラスメイトにはまともに相手もされない。
髪の毛は燃やされ、仕送りは盗まれ、犯人探しも満足に進めることが出来ない。
ルイズはそんなやり場のない怒りを抱いた。

(最近――ううん、生まれてこの方、私のやることがうまくいったためしがないわ――)

どんな魔法も爆発し、両親には叱られ続け、平民の使用人にまで変な気を使わせて過ごしてきた。
小さい頃抱いた夢が日に日に下方修正され、「せめて魔法が使えるようになりたい」まで下がったにもかかわらず一向に届く気配が見えない。
態度や礼法だけでも貴族らしくあろうとするも、魔法の使えない貴族など何をしても認められるはずがない。
せめて勉学だけでも一人前であろうと努力を続けるが、いくら勉強しても魔法が使えるようにはならない。
一縷の望みをかけて学院に入学するも、魔法が使えるようになるどころか「なぜ爆発するのか」すら分からない始末だ。
――このまま死ぬまで魔法が使えない惨めな一生が待っているのだろうか――
慣れぬ早起きで思考が鈍っているからか、ルイズは昔のことまで思い出してそんな憂鬱な気分に沈んでいた。

「……悩んでいてもしょうがないわ。とにかく今できることをやらないと」

そうひとりごちながら、ルイズは服を着替えた。
今すべきは学生として勉学に励むこと、そして盗まれた仕送りを取り返すことである。
被害額としては1000エキューとルイズにとって大したことのない金額だが、あれはただのお金ではない。
仕送りとは両親が自分を信用して預けてくれた自分で使い道を決めていいお金である。
言わば、仕送りは両親からの信用の証なのである。少なくともルイズは仕送りをそう位置づけていた。

(とにかくタバサって子に会って話を聞かないと……食堂に行けばそのうち来るかしら?)

ルイズはそんなことを考えながら食堂へと足を運んだ。
昨日はタバサを探し始めたのが夕食後だったためあんな無駄骨を折ったが、どんな生徒も朝食にはアルヴィーズの食堂で食事をする。
つまり、食事前ならどんな生徒にも会うことが出来るのであった。

ルイズが食堂に向かうと、タバサと思しき青い髪の少女がギーシュとか言う花びらをばら撒いた男子となにやら話しているのが見えた。
とはいえ、二人は二言三言話すとすぐに別れ、ギーシュのほうはさらに違う女の子と談笑をし始めた。
ルイズは小走りでタバサに向かいながら彼女を呼び止めた。

「ちょっと待ちなさい! あなたがタバサね?」と。

タバサは、呼び止めたルイズのほうをいつもの無表情な顔で振り向いた。
ルイズは感情の読み取れないタバサの表情に多少面食らうが、すぐさま言葉を続ける。

「ちょっと聞きたいことがあるの。私のお金をあなたが盗ったって噂があるんだけど、それって本当なの?」
「そんなことしない」

タバサは即答した。実際身に覚えのないことだからである。

「じゃあ火事で焼けてすぐに家具を買い換えたらしいけど、そのお金はどうしたの?」
「私のお金」
「……それは、始祖に誓える?」
「誓える」
「じゃあなんでそんな噂が流れたのよ!?」
「知らない」

タバサはルイズの問いに即答し続けた。嘘をつく理由もなければ返答に迷うこともない質問だからだ。
ひょっとしたらこの単純な質問の裏に何か意図が隠されているのかもしれないが、分からない以上正直に答えるしかない。
だが昨日から、いや入学してから他の生徒に軽く見られ続けてきたルイズはタバサの態度に不快感を覚えた。
「彼女も他の人間と同じように私を馬鹿にしているのではなかろうか」と疑念を抱いたのだ。
そして、不幸にも彼女はその疑念を払拭できるほどの客観的根拠も自己評価も持ち合わせていなかった。

「~~っ!」

ルイズは何かを叫びたそうな表情を見せながらも何の声も出すことはなく、不機嫌そうに食堂の定められた席に着いた。
まだ朝食が並べられてもいないこの時間に談笑もせず独り席に座るという事実が、彼女の孤独を朗々と主張していた。


キュルケは、いつもの時間に起きていつもの時間に食堂に向かうことにした。
クラスメイトと殺し合いをするかもしれないとはいえ、それで日常生活を崩してはツェルプストー家の名誉に関わる。
恥を濯ぐために恥の上塗りをしては本末転倒である。
それにどうせ授業で一緒になるのだ。こんなところでこそこそしても何の意味もないことだった。


レイナールは、いつもより少し遅めに起きた。
昨夜にカードゲームの参加者たちからゲームの状況を聞き、今までの情報と総合して現状はある程度推理できていた。
問題は、今後どうすれば良いかである。
カードゲームなど様々な事柄から爪弾きにされていることを考えると、レイナールが警戒されているのは明らかであった。
特にクラスメイトの女子はだいぶ彼を警戒している。少なくとも全く信用していない。
また、黒幕のほうもこちらの動向を気にしている可能性がある。
下手に動けば対策を練られ、逆に罠に嵌められるだろう。
一手でも仕損じることの出来ない、まさに詰め将棋をやらされている気分であった。
勿論「最善手をとっても勝てることが保証されていない」というゲームとしては下の下もいいところの詰め将棋ではあるが。
レイナールは少し考えて現時点で独りでも出来ることはないと判断し、食堂に向かうことにした。


キュルケが食堂に着くと、珍しくルイズが食堂に独りぽつんと座っていた。
ルイズは基本的に朝に弱い。分かりやすく言うとなかなか起きない。
そして仲のいい友達もいないため、早く来たところで独り淋しくああして座っているのが関の山だ。
だから食堂に来るのはいつも最後のほう、既に朝食が並べられて皆が定位置に座り始めてからである。
珍しいこともあるものだと眺めていると、不意に横から声をかけられた。

「あらどうしたの、ミス・ツェルプストー? そんなところでぼおっとして」

クラスメイトのトネー・シャラントだった。後ろに何人か他のクラスメイトもいる。
彼女たちが自分を敵視していることはキュルケも十二分に理解していた。
それをわざわざ話しかけてきたところを見るに、何かしら皮肉を言いに来たのだろう。キュルケはそう判断した。
案の定、トネー・シャラントは皮肉気に言葉を綴る。

「またあんな素敵なショーをご計画なのかしら? 全く、ゲルマニア人らしい素敵なイベントだったわ?
 わざわざ予告までするなんて、わたしにはとてもじゃないけど真似できないわね」

そう言うと、皆してクスクスと嘲笑しあう。
回りの人間も聞いていたのか、何人かの女子が釣られて笑い、何人かの男子が呆けたような表情をした。

「あら、あれはあなた方の差し金だと思ってたんだけど?」
「そんなご謙遜を。もしそうだとしたらミスツェルプストーは
 『他人が自分に何かすると知っていたのに、裏をかかれてドレスを切り裂かれた』ってことになるわよ。
 まさか、まさかまさかいくらなんでも、そ~んな間抜けなことがあるわけないわよねぇ?」

キュルケが苛立ちながら答えるも、トネー・シャラントはさらに勝ち誇ったように言い返す。
「わたしだったら生きていけないわ」と後ろの誰かが囃し立て、どっと笑いが上がった。
いつもキュルケに言い寄る男子たちも、女子たちの諍いに巻き込まれるのを恐たり善からぬ妄想に夢中になっていたりして碌に動こうとはしなかった。
そうして皆で笑いあったところで、トネー・シャラントはレイナールがこちらを射抜くような目で見ているのに気付いた。

「あら、レイナールさんが怒ってるわ。もう朝食の時間だし、この辺にしておきましょ」

彼女はそう言い、クラスメイトを率いて自分の椅子へと向かった。


ギーシュはしばらくの間食堂で女の子たちと談笑をしていたが、レイナールがいつの間にか食堂で突っ立っているのに気付くと彼に声をかけた。

「やぁおはようレイナール。調子はどうだい?」
「……ああ、おはようギーシュ。そうだな、君の半分くらいはご機嫌かな。ずいぶん人気じゃないか」
「その言い方はひどいじゃないか。ぼくだって色々がんばってるんだぞ?
 ああそうだ。今朝色々と聞いてみたけど、誰か女子が学外の人と接触したって話は見たことがないらしい。
 いくらなんでも誰にも見られずに学外に接触するのは難しいだろうから、多分ないんじゃないかな。
 せいぜいきみが毎日ペリカンを往復させてるのが噂になってたくらいだぜ。
 期待してくれたのに申し訳ないが、収獲なしってところかな」
「おいおい謙遜するなよ。『誰も接触してない』ってのはかなり重要な情報だぞ。
 僕が聞いてたら『よくわからない』で終わらされてたところだ。やっぱり君にお願いして正解だった」
「そうかい? そう言ってくれると助かるよ――ああ、あとモンモランシーなんだけど――」

そう言い、ギーシュはレイナールにモンモランシーがキュルケやルイズに悪印象を与えたことを説明した。
レイナールは(ああ、やっぱり彼女は何かヤバイ薬品を隠し持ってるんだな)と推測したが、それ以上の感慨は特に抱かなかった。
むしろ、昨日のうちに余計な戦闘が発生しなくてラッキーとすら思った。

「それは災難だったな。けどギーシュ、そんなに彼女が不安に思ってるんなら傍にいて安心させてやればポイント高いんじゃないか?
 それに僕のほうはまだ伝を当たりきれてないんだ。だから僕に関しては気を使うことはない。むしろ少し待ってくれると助かる」
「それは良いんだが……いまぼくは杖をもってないぞ」
「人を安心させるのに杖はいらんだろう。それに杖なくしても目的を果たすメイジこそ真の貴族とも聞くぞ。
 冒険譚の英雄も大抵は杖を盗られたりM……精神力が切れたりして魔法が使えなくなったところを機転で乗り越えてるじゃないか」
「そう言われれば確かにそうだな。じゃあすまないがレイナール、何か進展があったら教えてくれ」

そう言って、ギーシュはモンモランシーの元へ向かっていった。


そのあたりで大体その辺で朝食の配膳が終わり、今日の朝食が始まったのである。



[13654] 第七話:「四魔貴族バトル」シーン4
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/02/01 23:33
ウルの月 エオローの週 エオーの曜日 昼休み


タバサは、朝の食堂の一件でレイナールが何がしか動いており、かつ何らかの情報をつかんでいることを確信していた。
だが、今それを聞けばキュルケにも聞かれる可能性がある。
かといって彼を違う場所に呼びつければこれまたキュルケを警戒させることになりかねない。
キュルケの立場が不透明な現状、どちらも得策とは言えなかった。

一方キュルケもタバサと似たような結論に達していた。
タバサと違う点は、人前でそれを聞くことをためらわなかったことである。
キュルケは昼食前に彼を呼び止めた。

「ミスタ・ヴュールヌ。今朝は気を使わせちゃったみたいね。遅れたけど礼を言っておくわ」
「ん? ああ……いや、別に僕は何もしてないよ」
「そう? じゃあなんでこちらを見てたのかしら? それに、最近色んな人に声をかけてるらしいじゃない?」
「なんでって……」

レイナールは返答に困った。
別にキュルケに知っていることを隠す必要はない。むしろ伝えたいし、伝えるべきだ。
だが、こんなクラスメイトがたくさん聞いている状況で話すわけにはいかない。
少し考え、レイナールは勝負に出ることにした。

「あんまり自分の周りでトラブルを起こして欲しくないんでね。君とミス・タバサの揉め事を何とか丸く治めたいんだよ」
「あら、それは仲裁を買って出てくれるということかしら?」
「望むんならやっても良いけど……それで収まるんなら舞踏会で話は終わってるだろ?」
「まあそうね」

キュルケは同意した。自分はあの舞踏会で堂々とタバサに敵対宣言をしたのである。
それに、いくつかの疑念はあるもののタバサがあの一件に関わっていることはほぼ明白である。
何もなしに今更手打ちにすれば「ツェルプストーが逃げた」と謗りを受けても仕方のない話であろう。
そしてタバサも「自分はやってない」と宣言した以上は言を違えられない。
つまり「真偽が明らかにならない以上は先に折れたら負け」なのである。
だが、この男はそこまで理解した上で「丸く治める」と言っているのである。
一体どういうインチキを使うつもりなのか、キュルケは少々興味を覚えた。

「……じゃあどうやって丸く治めるって言うのかしら?」
「あの時何があったか明らかにする。それなら誰の責任であれ納得できるだろ?」

そう言いながら、レイナールはまだ何人か学生が残っている教室をぐるっと眺めた。
残っている人間にはタバサも含まれていた。
こちらに視線を向けているところを見るに自分たちの話を聞いているのだろう、レイナールはそう判断した。

「それで、使用人やら色んな人間に話を聞いてるってわけ?」
「そう。当事者である君たちが直接聞くより向こうも話しやすいだろうしね。とりあえず思いつく限り聞いてみたよ」
「へぇ……具体的には?」
「当時会場にいなかった使用人は事件があったことすら気付かなかったらしいし、会場にいた人間も何が起こったかよくわからないってさ。
 今日はいい魔法でもないか食後にでも図書館で文献漁りでもしようかと思ってるところだよ」

その台詞に、キュルケは違和感を感じた。
もしそれが本当なら彼は「今の今まで無駄足を踏み続けている」ことになる。
にもかかわらず、彼の口調や態度はまるで「順調に真実に近づいている」と言わんばかりだ。
そしてこの男は「自然と思っていることが表情に出る」タイプの人間ではない。
つまり彼は自分に「ここでは言えない重要な情報を掴んでいるから図書館に来い」と伝えたいのだ。キュルケはそう判断した。

「ふぅん……長々と失礼したわね。それじゃ、わたしのためにも健闘を祈ってるわ。何かあったら教えて頂戴」

そう言ってキュルケは食堂へと向かった。クラスメイトがひそひそと話をし始めたが、内容は推測がつくので特に気にも留めなかった。


昼食後、モンモランシーはどうやって自分を守ろうか考えていた。
どう考えても自分は妙な事件に巻き込まれている。何とかして関わらないようにしないといけない。
だが、間の悪いことにとっくの昔に降りられないところまで来てしまっている。
キュルケは完全にわたしを怪しんでいるだろうし、薬の原料も処分しようがない。
《錬金》での処分も試みたが、強固な《固定化》がかかっているのかもともと魔法抵抗力があるのか彼女の魔法ではびくともしないのだ。

「どうしたんだいモンモランシー。何か困ったことがあるなら何でもぼくに相談してごらん?」

ギーシュがそんな悩めるモンモランシーを見かけて声をかけた。
モンモランシーは怒鳴り返したくなったが、すんでのところで思いとどまった。
彼は彼なりに自分を安心させようとしているのだ。
確かに、彼の能天気な態度を見ているとなんだか悩んでいるのがばかばかしく思えてくる。

「……ほんと、その根拠のない自信はどこから来るんだか……」

モンモランシーは呆れ半分、感心半分にそうつぶやいた。
するとギーシュは髪をかきあげ、自信満々に宣言した。

「自信の源は――勿論きみだよ」
「……何言ってるの?」
「簡単な話さ。きみは困ったことがあると真っ先にぼくに相談してくれた。つまりきみはぼくを信じてくれてるってことだ。
 きみが信じてくれたのだ。このギーシュ・ド・グラモン、その期待に応えないはずがないじゃないか。
 愛する女性の期待があれば、見事応えるのが貴族の男というものだ」

ギーシュは堂々とそう言いきった。いつもの薔薇の杖があれば、間違いなく口にくわえているだろう。
モンモランシーは結局彼が何を根拠にそんな自信満々なのか理解できなかったが、とにかく悪い気はしなかった。
ギーシュはさらに言を続ける。

「それに、だ。ミス・ツェルプストーが怒っているのも結局は誤解の産物なのだろう?
 なら正直にそのことを伝えれば良いじゃないか。怖いというならぼくがついていってあげるよ」
「え?」

モンモランシーはギーシュが珍しく出した建設的な提案に内心驚き、同時にその内容を吟味した。
キュルケに弁明したいのは山々だが、あれ以降彼女の周りには緊迫した空気が漂っている。
そこに突っ込んでさらに厄介ごとに巻き込まれたくなかったから、その選択肢は切り捨てていたのだ。
だが「第三者が間に立っている」なら、最悪問答無用でボコボコにされることはないだろう。
ギーシュが完全な第三者かと言われると疑問だが、ギアスの件も自分から説明するよりギーシュに直接説明してもらったほうがいい。
とりあえずの行動として、悪い選択ではないはずだ。少なくともここで座っていてもジリ貧である。

「……そうね。確かに話し合いは大事よね。お願いできる?」
「もちろんだとも。今のぼくはきみの騎士だからね。じゃあミス・ツェルプストーを探そうか」

そういって、ギーシュはモンモランシーの手を引いてキュルケがいつも座っている席のほうへ向かった。


ルイズは昼食を終えても席に座ったまま途方にくれていた。
午前中にもクラスメイトに情報収集を試みたが、ちょっとした噂を聞く程度で自分の知りたい情報は全く得ることが出来なかったのだ。
人に話を聞く、それだけのことがこれほど難しいとは思わなかった。
まあ確かに、我が身に置き換えて冷静に考えれば親しくもない人間に問い詰められてなんでもぺらぺらしゃべるはずがない。
ましてや面と向かって泥棒扱いされて「はいそうです」などと告白するはずがないではないか。
というか自分なら怒り狂う。そう考えれば朝のタバサの反応はむしろ穏当な方だ。
じゃあどうしようかしら……そう悩んでいると、不意に声をかけられた。

「ミス・ヴァリエールよね?」と。

見ると、一年のマントをつけた女子が立っていた。名前はよく思い出せないが、確かキュルケと仲の悪いグループの一人だ。
ルイズも同じグループに入らないかと誘われたことがあるが、よってたかって一人を攻撃するなどという卑劣な真似はやりたくないと断ったことがある。
まあ何にせよ、改めて名前を聞けるほど疎遠ではないが座ったまま話ができるほど親しくはない。ルイズはとりあえず席を立った。

「何の用?」
「いえ、あなたがお金を盗まれたって聞いたもので、ひょっとしてこれじゃないかと思って」

そう言って、彼女は大きな紐付き袋を手渡してきた。ルイズが一瞥すると袋の口から金貨のような輝きがもれていた。
袋に見覚えはない。というか盗まれたのは金貨だけだ。
とはいえ、金貨だけ盗んだということはその盗賊は「自前の袋に金貨を詰めた」可能性が高い。
つまり、これだけならなんとも言えないということだった。

「それはどこで見つけたの?」
「あの……その前にもしよかったら確認していただけないかしら? これ、結構重いのだけれど」
「? ええ、わかったわよ」

そういって、ルイズは彼女から袋を受け取った。彼女の言うとおり、体積の割りに重量感がある。
重さから考えて確かに1000エキューくらいはありそうだ。でもその割には嵩高い気もする。
とりあえず簡単に確認するが、金貨が盗まれたものかなど分かるはずもない。
何か手がかりはないかと袋の紐を緩め中を探っていると、ルイズは不意に手を止めた。

「ああ……確かにこれみたい。ありがとう」

そういうと、ルイズは袋から皮で包まれた何かを取り出し、それを懐にしまった。
そして袋の紐をきゅっと締め、紐に左腕を通す。

「ふぇ……あれ? わたしなんでこんなとこに……」

ルイズに袋を渡した少女が、辺りをきょろきょろと見回す。

「何変なこと言ってるの? わたしにお金を届けてくれたんじゃないの?」
「へ? ……ああ、そういえばそんな気が……」
「ありがとう、礼を言うわ。じゃあわたしはこれを部屋に持って帰らないといけないから、失礼させてもらうわね」

そういうと、ルイズはそのまま左手で袋を抱えて食堂を去っていった。何故か、寮とは正反対の方向に。

「……? あんな袋、どこで拾ったのかしら……?」

その場に取り残された少女は、不思議そうな顔でその場に突っ立っていた。



[13654] 第七話:「四魔貴族バトル」シーン5(多少残虐シーンあり)
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/02/03 12:18
キュルケは図書館へ向かっていた。
あの男の言うとおりに動くのはなんとなく癪ではあったが、独りでタバサとの背後関係を洗うのに限界を感じていたのも事実だった。
もう今夜あたりにでも彼女に一勝負申し込もうと思っていたところだ。夜までの暇潰しと考えればかなり実のある行動といえた。
問題はレイナールがタバサと裏で結託している場合だが……まあそのときは一緒くたに燃やせばいいだろう。
キュルケはツェルプストーの炎がもつ制圧力に絶対の自信を持っていた。

「キュルケ、ちょっといい?」

そんなことを考えながら図書館への近道である裏庭を抜ける人気のない渡り廊下を歩いていると、キュルケは後ろから声をかけられた。
この声は何度も聞いたことがある。ルイズの声だ。
一体何の用かと振り返った刹那、後ろに風を感じた。
反射的に身をかがめると、頭上を重量感のある紐付き袋が舞った。
「誰かが奇襲をして来るかもしれない」と気を張っていなかったらあれが後頭部を直撃していたかもしれない。
いや、あの形状なら杖や腕で受けても紐が絡まるだけで結局後頭部に当たっていたであろう。

そんな簡易フレイルを振り回したのは、果たしてというか意外にもというかルイズであった。
キュルケは文句を言ってやろうかと思ったが、そんな余裕はなかった。
身を屈めて不安定なところへ、ルイズがナイフを振るってきたからだ。
不安定な状態にあったキュルケは避けきることが出来ず、右の二の腕を切り裂かれた。
シャツの右袖が瞬時に赤く染まり、そのまま赤い雫を垂らす。幸いにして切断は免れたようだが、出血のショックか右腕に力が入らない。
恐ろしく鋭いナイフであった。

キュルケは力なく血の滴る右腕を下げながらルイズを見据えた。
左手に金貨の袋を、右手に血で染まった銀色のナイフを握っている。
その瞳はいつもと同じ鳶色を湛えていた。
人の腕を切り裂いたというのに、まるでバターを切り分けているかのような表情であった。

(――違う、ルイズじゃ……ない!)

キュルケは直感した。
あれは「パンをむしるように人を殺している」者の瞳だ。
少なくとも、直情的でなんだかんだ言っても箱入り娘であるルイズがとれる態度ではない。
だが、その正体を確かめるような余裕はなかった。
そんなことを試みれば眼前の敵は容赦なくキュルケの命を刈り取るだろう。
キュルケはまず体制を整え、隙を見て距離をとろうと試みた。
距離をとらなければ杖を取り出すのも難しい、かといってこのまま接近戦を続けても不利なのは火を見るよりも明らかだ。
ツェルプストーの戦いは真正面からの力押しに限る。キュルケはそう教わってきたし、自分もそう信じていた。
これは「何も考えず戦え」という意味ではない。「力押しでも勝てる状況を作り上げてから戦え」という意味だ。
キュルケは経験豊かで実戦的な家庭教師に感謝しながら、訓練された動きで体制を整えた。
だが、体も頭も思うように働かずなかなか距離をとる隙を見出すことが出来ない。
どうやら自分は予想以上に出血しているようだとキュルケは判断し、同時に死を覚悟した。


そこで、女子の絶叫が響いた。

「ちょ、ちょっと! あ、あなたたち何やってるのよ!」

キュルケを探して来たモンモランシーであった。
その一瞬の隙を突いて、キュルケはルイズから一定の距離をとって左手で杖を抜いた。
そしてルイズを打ち倒すべく《ファイア・ボール》を唱え始める。
それに反応して、ルイズも左手の袋を捨て、左手で杖を抜いて呪文を唱え始めた。
どさりじゃらりと貨幣の詰まった袋特有の音がする。
モンモランシーはルイズの呪文詠唱を見て彼女の「舞踏会時のギーシュと似たような」奇妙な水の流れに気付いた。
おそらくあのときのギーシュを間近で見ていなかったら決して気付くことはなかったであろう、その程度の小さな違和感だった。

「――! ミス・ヴァリエール! あなた操らr「危ない!」」

モンモランシーが何か言おとしたのと同時に、ギーシュがモンモランシーに抱きついて彼女ごと跳んだ。

ギーシュには、いくつかの幸運があった。
ルイズを含め色んな女の子をチェックしていたため「いつものルイズではない」ことを一瞬で見抜けたこと。
ルイズの視線がこちらに向いたと気付けたこと。
色んな人間と交友があったため「ルイズの魔法は何でも爆発する」と知っていたこと。
「とにかくモンモランシーを守ろう」と心に強く誓っていたため、行動がぶれなかったこと。
そして最後に――皮肉にも杖を取り上げられていたため、魔法という選択肢を最初から切り捨てられたことである。
彼が二人で跳んだ直後にルイズの呪文が完成し、モンモランシーのいた場所を綺麗に吹き飛ばした。
ギーシュの魔法でかばっていたら、絶対に詠唱が間に合わないほどの早さであった。
とっさに身を挺してかばっていなければ、モンモランシーは爆風を受けてバラバラになっていただろう。
ギーシュも至近距離で爆風を受けてただではすまなかったに違いない。
現に今、彼は背中に爆風を受けて満足に呼吸もできない状況であった。

「ギーシュ、あなた……そ、それよりミス・ツェルプストー! 気をつけて、その子誰かに操られてるわ!」

モンモランシーはそう叫ぶと、起き上がってキュルケに近づこうとする。
遠目にはよく判断できないがキュルケの右腕が真っ赤なのはわかる。とにかく近づいて治療しなければと考えたのだ。

そして、それとほぼ同時にキュルケの《ファイア・ボール》が完成した。
炎の弾はすばやく、そして正確にルイズの杖を狙う。
だが、それがルイズに届くことはなかった。
ルイズがさらにすばやく呪文を唱え、炎の弾を爆破したからである。
炎が爆ぜ、周りに熱量をばら撒く。

(なによあれ……反則じゃないの?)

キュルケは再び詠唱を行いながら心の中でそう毒づいた。
まず詠唱の速度が違いすぎる。こっちは正確に呪文を詠唱しないといけないのに対し、ルイズは適当にルーンを並べるだけで爆発するのだ。
現にこっちが《ファイア・ボール》を一回唱えている間にルイズはモンモランシーと炎の弾を爆破した。単純に考えて攻撃回数が2倍だ。
そして「高速で飛翔する炎の弾をピンポイントで爆破した」ことからわかるとおり、正確性も破壊力も十二分な威力を持っている。
今までのルイズでは考えられない行動だ。特に狙いの正確性など、どう操れば付加できるのか想像もつかない。
いずれにせよ、ここから得られる結論は――彼女の視界に入ってはいけないということだ。
そう判断したキュルケは渡り廊下の柵を乗り越え、そのまま裏庭の茂みへ逃げ込んだ。
頭がくらくらする。血が足りないのに派手な運動をしたからだろう。

茂みの影からルイズたちの様子を伺う。
モンモランシーは《治癒》の呪文を唱えながらキュルケのほうに駆け寄っている。
ギーシュはルイズとの間に入ってモンモランシーの盾になるように動いている。
そして、ルイズはキュルケのほうを一瞥すると長めの呪文を詠唱し始めた。
おそらく、自分たちを全てまとめて爆発させるつもりなのだろう。キュルケはそう判断した。
自分の呪文が間に合うか――キュルケが焦りを感じたそのとき、空気が動いた。
刹那、ルイズはとっさにあさっての方向を爆破した。
スクウェアクラスの土メイジが数人がかりで念入りに《固定化》した渡り廊下の柵が玩具のように吹き飛び、土煙が周囲の視界を遮る。
その隙にキュルケ・モンモランシー・ギーシュの3人は合流し、ルイズとさらに距離をとった。
モンモランシーが《治癒》をキュルケにかける。
秘薬がないゆえ失った血を回復させるには至らず、モンモランシーには止血と痛み止めだけが限界であった。
だが、それだけでもキュルケは九死に一生を得た思いであった。
いくらあの騒ぎとはいえ、教師たちがここに駆けつけるにはもうしばらくかかるだろう。
その前に出血多量で死亡という最悪の結果が回避できたのだ。
右手もあまり力は入らないが十分動く。どうやら千切れてはいないらしいとキュルケは少し安堵した。


そんな3人に、さらに一人の少女が合流した。

「加勢する」

タバサであった。



[13654] 第七話:「四魔貴族バトル」シーン6
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/02/04 20:00
土煙は未だ周囲の視界を遮り続ける。
ルイズの爆発が来る気配はない。どうやら爆発で土煙を吹き飛ばしても新たな土煙を生むだけだと判断したらしい。
そして、大多数の一般的なメイジと同様にルイズも視界以外にこちらを認識する手段がないらしい。
つまり、この間だけが互いに話し合えるチャンスということだった。

「! ミス・タバサ、どうしてここに!?」
「音が聞こえた」

モンモランシーがタバサに尋ねると、タバサはにべもなくそう答える。
本当はそれまでにも色々あるのだが、この貴重な時間に説明するほどのことではないと判断して省略した。
ギーシュが何とか息を整え、安堵したような表情で言う。

「なら、もうすぐ近くの先生たちが来てくれるはずだ。
 だったら向こうがこっちを見失っているうちに逃げよう。そうすれば先生が何とかしてくれるよ」
「逃げるならあなたたちだけでどうぞ。敵前逃亡は私のプライドが許さないわ」

だがギーシュの提案をキュルケはそう却下した。
それに、彼女が操られているというなら何とかして「その事情を知っている」自分たちで無力化させなければならない。
さもなければ下手をすればルイズは退学になってしまうだろう。
自業自得ならともかく、他人に操られて退学処分というのは流石に忍びない。

「ミス・モンモランシ。ルイズはどんな感じで操られてるの?」
「……そんなこと言われても水の流れがちょっと変だとしかわからないわよ。
 ギーシュの件がなかったら違和感にすら気付かなかったかもしれないわ」
「ならしょうがないわね……ならとりあえず気絶させるわよ」

そういって、キュルケは《ファイア・ウォール》を唱え始めた。
詠唱速度では勝負にならない。ならば爆発で消去しきれないほどの面制圧を仕掛けるしかない。
範囲を最大限まで広くする代わりに炎の温度を下げる。
制圧力と非殺傷性を同時に獲得できる一挙両得の調整であった。

「ああ、もう、しょうがないわね! まず私が眠らせてみるわよ?」

モンモランシーは腹を括って《スリープ・クラウド》を詠唱した。これが決まれば、かなり穏当に事を納めることが出来る。
抵抗できる相手にはちょっとふらつかせる程度の効果しかないが、それでもこの多対一の状況なら十分だろうと判断した。

タバサも《ウィンディ・アイシクル》の詠唱準備をした。
《スリープ・クラウド》に抵抗し《ファイア・ウォール》を回避した場合の保険として杖とナイフを弾き飛ばして無力化する作戦だった。
というより、そうやって攻撃法を奪うほかには意識不明に追いやるしか全員が生きる道はない。
タバサは眼前の敵をそれくらいまで評価していた。


一方、ルイズ――正確にはルイズを乗っ取っているインテリジェンスナイフ“地下水”――は焦っていた。
本来なら奇襲が失敗した時点で逃走を図るべきであるが、宿主が操られていることに感づいた奴がいる。
このまま奴らを放置しておくとスポンサーが作戦を切り上げて自分を切り捨てにかかる可能性がある。
それだけならまあよくある話だが、最悪の場合自分の正体がばれ、さらには広まる恐れがある。
それは“地下水”にとって死にも等しい結末であった。
つまり、どうしてもこの場でこいつらを始末しなければならない。地下水はそう決意した。
だが、現状の手札はあまりにも限定されていた。
この宿主の精神力は底知れぬものがある。おそらくあの程度の爆発なら一日中連射しても枯れることはないだろう。
落ち着いて狙いを定めれば望む場所に爆発を起こすことも出来る。
宿主自身がその気になれば、1~2時間の訓練で立派な殺人兵器になることが出来るだろう。
だが、残念ながらこの精神力を利用して自分の系統魔法を使うことが出来ない。なんというかうまく混ざらないのだ。
この調子ならたとえ自分の使える系統魔法を使おうとしても全て爆発してしまうだろう。
実際に試したわけではないが、ぶっつけ本番で使うのはあまりに無謀と判断した。
つまり宿主の魔力を期待せず「まるで平民を操っているように」自身のみで系統魔法を使う必要がある。
また、宿主の魔法は詠唱を止めた瞬間に爆発してしまう。予め爆発を“予約”しておくことが出来ない。
詠唱速度を考えると通常ならそのようなことをする必要もなかろうが、こういう状況では困った制限だった。
おそらく連中はこの土煙を利用して各自呪文を準備して待ち構えているだろう。
一人は杖を取り上げられていたはずだから、同時に3つの魔法を対処しなければならない。
いくら詠唱が早いとはいえ、爆破呪文だけで対応しきれるとは思えない数だ。
つまり、多少リスクはあれど自身の系統魔法を“予約”しておくしかない。地下水はそう判断した。


そして――土煙が薄れ、互いの姿が顕になった。
まずモンモランシーがルイズを視認して《スリープ・クラウド》を放とうと試みる。
だが、それより一歩早くルイズが《スリープ・クラウド》を4人に放つ。
強烈な眠気が4人を襲い、爆風でダメージを受けていたギーシュとモンモランシーが抵抗しきれず意識を失った。
キュルケも出血と疲労のせいか完全な抵抗は出来ず、意識を朦朧とさせる。
ほぼ反射的に《ファイア・ウォール》をルイズに向かって放つが、予定より威力が出せずルイズの爆発を相殺するのが精一杯であった。
そして唯一抵抗しきったタバサが、ルイズの呪文詠唱の隙をついて《ウィンディ・アイシクル》を唱えた。
だが、モンモランシーの《スリープ・クラウド》が不発に終わった分ルイズにはまだ行動する余裕があった。
ルイズは呪文を詠唱しながらステップをとり、氷の矢を回避しようと試みる。
しかし、そこでルイズの動きが止まった。
いつの間にか両足が《アース・ハンド》につかまれていたのだ。
慌てて爆破を解き放とうとするも間に合わず、タバサの氷の矢がルイズの握っていた杖とナイフを跳ね飛ばした。
その瞬間、ルイズはまるで糸が切れた操り人形のように力なく地面に崩れ落ちた。
タバサが一言、

「来てたなら早く加勢して欲しかった」

と渡り廊下の向こう側、壁の裏に隠れていたレイナールに告げた。

「悪いけど文句はあとにしてくれないか」

レイナールはその一言を受け流すと、大急ぎでナイフに駆け寄り《クリエイト・ゴーレム》で籠を吊ったゴーレムを作り、籠にナイフを閉じ込めた。
そして、ナイフに向かってこう問い詰める。

「始めまして“地下水”どの。単刀直入に言うがこちらに協力してもらう。
 このままだと向こうは全部君が悪いことにするだろう。君は破壊されるしこっちは色々と面倒だ。
 だから御互いの幸せのために君らのスポンサーとその居所を教えてくれ。君たちが彼女たちと交わした契約書を持ってる奴らだ」

だが、ナイフからの反応はない。

「仕方ない。なら全部君のせいになるんだしついでだからインテリジェンスナイフの耐久性でも試してみよう。
 君は王水という金でも溶かせる酸をごz「わかったわかった! 俺の負けだ!」」

レイナールが淡々とそう言うと、ナイフから声が響いた。


「……ちょっと……そいつ何よ……」

ようやく意識が回復して来たキュルケが、よろよろと立ち上がりながら唐突に現れたレイナールに向かって問いかけた。

「こいつは他人の意識を乗っ取って活動するインテリジェンスナイフだ。世間じゃ“地下水”って名前の傭兵として有名だけどね。
 皆に色々ちょっかいをかけて――ミス・ツェルプストーの殺害を計画していた連中の一味だよ」

レイナールは至極あっさりとそんなことを言った。

「……それを釣るために、わたしを囮にしたってわけ?」
「まさか。それで失敗して君が操られた学生に殺されでもしたらこいつらの目論見どおり外交問題になるじゃないか。
 こんな状況は正直予想してなかった。本当に申し訳ない」

レイナールはそう釈明して詫びた。
実際、レイナールはこの状況を望んでいなかった。
クラスに地下水が紛れていることを承知で揺さぶりをかけたのは事実である。
だがそれはあくまで「スポンサーへの連絡」や「宿主の乗り換え」を誘発し、地下水の場所を特定するためであった。
いくらなんでも失敗の可能性が高いキュルケ暗殺を強行する可能性は低いと判断していたのだ。
万一に備えて図書館で《遠見》でキュルケの周りを監視していており、様子のおかしなルイズを早めに発見できていなければ彼は何も出来なかっただろう。
そんな運否天賦はレイナールが最も嫌う状況の一つであった。
まあいずれにせよキュルケには悪印象を持たせてしまっただろう、レイナールはそう諦観した。
さらに、ガリア王家の人間と思しきタバサに現場を目撃されてしまった。
どうせジョゼフクラスの傑物には遅かれ早かれバレるだろうが、それにしたって望ましくない状況だった。

「こいつらは学生たちを心理的にも魔法的にも操って君を殺させようとしたんだ。
 そうしてゲルマニアとトリステインの外交関係に緊張を与えようとしてた。
 君の周りで変な事件が起こってたのも、全てはそのための仕込みだよ。
 『ああ、こういう経緯でミス・ツェルプストーは殺されたんだな』と周囲に思い込ませるためのね」
「全部御見通しってわけかい。噂には聞いてたが、なるほど大した悪党だ」

地下水が皮肉気に声を発した。さらに言葉を続ける。

「まあいいさ。自分の置かれてる状況くらいは理解できる。スポンサーを売らないと俺はトカゲの尻尾にされるんだろ?
 どうせ連中もそのつもりだったんだ。俺だってそこまで義理を立てる気はない。
 案内するから早くしな。急がないと逃げられちまうぜ。何しろあんたの予想通り『ヤバイ手紙はある』んだからな」

地下水の話を聞くと、レイナールは舌打ちをした。
だが、そんな話を聞いてもキュルケはまだ納得がいかない。

「ちょっと待ちなさいよ。誰がそんな暇なことを考えたっての?」
「知らないよ。ツェルプストー家の人間がトリステイン学院で惨殺されたら喜ぶ連中なんて多すぎて絞りようがない。
 というわけで、僕は両国の平和のために先生たちとそいつらをとっ捕まえに行って来る。
 このままその手紙が表ざたになると、御互い面子のために不要な意地を張らないといけなくなるからね」

そういってレイナールが適当にやってきた教師を捕まえようと辺りを見回してると、キュルケが彼の肩を捕まえた。
レイナールのマントに真っ赤な手形がつく。

「……待ちなさい。私も行かせてもらうわ。このまま黙って引き下がったらわたしは家に帰れなくなるの」
「いや、ミス・ツェルプストー。頼むから止めてくれないか? それに君、ひどい怪我じゃないか」
「正直そんな話だけじゃ到底信じられないわ。確認のため被害者として同行させてもらうことを主張するわよ」
「……わかった。ただ言っとくけど基本的には先生にやってもらうよ? 僕も後ろで見てる気満々だから」
「わかってるわよ。私だって死にたくはないんだし」

キュルケがそう言ったところでタバサが杖でレイナールのキュルケにつかまれていない方の肩をとんとんと叩き

「私も行く」

と言った。
レイナールは内心勘弁してくれと思ったが、どう断ろうか考えているとさらにタバサは

「そんなに世の中甘くない」

と付け加えた。
「教師がまじめに戦うと思ったら大間違いだ」という意味なのか「ガリアの手から逃れようとしても無駄だ」という意味なのかはわからなかったが
とにかく有無を言わせる気がないことだけはレイナールにも理解できた。
さらに、ルイズがゆっくりと起き上がりながらレイナールのほうをにらみつけた。

「勝手に話を決めないで。そういうことなら私も行くわよ……私だって貴族の義務を果たすんだから!」

そう言って、胸を張って堂々と立ち上がった。
どうやら、崩れ落ちてから体の自由こそ利かなかったものの話だけは聞こえていたようだ。
レイナールの話を聞いて義憤に燃えているのか操られていたことを知って怒っているのかは不明だが、とにかくすごい剣幕だった。
レイナールは諦めた。

「……頼りにしてるよ」

そう言って、後のことは現場を見て臨機応変に対応する――つまり今は思考を放棄することに決めた。


そのあたりでミセス・シュヴルーズが駆けつけた。
爆発の起きた時間を考えると実は迅速なほうではあったが、その実直さが幸運となるのか不運となるのかは誰にもわからなかった。



[13654] 第七話:「四魔貴族バトル」シーン7
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/03/14 22:28
駆けつけたミセス・シュヴルーズは熱心な教師であった。
そんな彼女が現場を見た際の状況を説明しよう。
まず、学院自慢の渡り廊下が見るも無残に粉砕されている。
そして、裏庭の茂みでギーシュとモンモランシーが倒れている。
モンモランシーのほうは杖を握っており、ギーシュのほうは背中のマントが煤けている。
その近くに、杖を持ち無表情のタバサと徒手で怒りの表情を浮かべているルイズが突っ立っている。
そして、キュルケが赤い雫が滴るほどに袖を血でにじませた右手をレイナールに乗せている。
レイナールのほうは籠を片手にしたゴーレムを操っている。籠の中には血で染まったナイフが入っている。
経緯はよくわからないものの、彼らが大規模な戦闘を行ったことだけは理解できた。

「一体これはどうしたことですか?」

ミセス・シュヴルーズは、勤めて平静を装いながらレイナールに視線を合わせてそう問いかけた。
立っている人間の現状や性格を鑑みると、レイナールが一番話がしやすそうだったからだ。

「要点だけかいつまんで説明すると、このナイフがミス・ヴァリエールを操ってここで暴れたんです。
 今からこのナイフを雇ったスポンサーを捕まえにいきたいので、できれば協力してください」

そう言ってレイナールは籠の中の地下水をミセス・シュヴルーズに見せた。
当然だが、そんな説明で納得できるほど彼女は異常ではなかった。

「言っている意味が理解できません。もう少し順を追って説明なさい」
「……わかりました。少々長くなりますがご容赦ください。
 まずこのナイフは『手にした人間の精神を乗っ取り、自在に操るインテリジェンスナイフ』です。
 ミス・ヴァリエールがこのナイフを持たされ、ミス・ツェルプストーをここで襲いました。
 たまたま現場に居合わせた僕たちが何とかこのナイフをこうして捕まえました。
 周りが壊れたのはそのときの余波です。
 ですがこのナイフが言うには『自分を雇ってミス・ツェルプストーを襲わせた奴』が現在も潜伏中だそうです。
 逃げられる前にそいつを捕まえたいので、先生も協力してください」

レイナールは出来るだけ「話が長くならない程度に」説明を試みた。
キュルケ・タバサ・ルイズも彼の説明に頷いて同意する。
ミセス・シュヴルーズはその態度から少なくとも彼の説明が嘘や勘違いではないらしいと判断した。
スクウェアクラスの土メイジが数人掛かりで《固定化》した建物といえど、物理的衝撃を与えれば壊せないことはない。
どんな派手な戦闘をしたのかは知らないが、実際に壊れているからにはそういうことがあったのだろう。

「なるほど。その場所はどこですか?」
「いえ、これからこのナイフに案内させるところです」
「わかりました。ではそのナイフは私が預かります。
 事情は後で聞きますからとりあえずミスタ・ヴュールヌ、ミス・タバサ、ミス・ヴァリエールは他の3人を医務室に運んであげなさい。
 犯罪者を追いかけるなんて危険な真似を学生がしてはいけません。そういうことは先生に任せておきなさい」

ミセス・シュヴルーズはそう言うとレイナールと同じような籠付きゴーレムを作成した。
そして有無を言わさず地下水をレイナールのゴーレムから取り上げ、自分のゴーレムに乗って早々に立ち去っていった。

「え!? いや、ちょっと待ってください! ミセス・シュヴルーズ!」

レイナールがなんとか引き止めようとするが、ミセス・シュヴルーズは全く聞く耳を持たない。
キュルケとルイズが追いかけようとするが、二人とも急に走ろうとしたために立ちくらみを起こした。
レイナールとしては全力で追いかけたいところだったが、皆から離れるわけにはいかないため追跡を断念した。


学生たちが追ってこなくなったことを確認すると、ミセス・シュヴルーズは本当にナイフがしゃべるのか確認することにした。
教師として学生に危険なことをさせるわけにはいかない。
だが、血気にはやった学生に理を説いても引き下がらないことが多い。
だから有無を言わさず情報源を絶ってしまったほうが学生の安全を確保できる。
ミセス・シュヴルーズは常識と経験に照らし合わせてそう判断したのだった。


「さて……本当に話せるならとりあえずなにかしゃべって御覧なさい?」
「別にかまわないが……あんた、ずいぶん生徒を信用してるんだな」

割とあっさりナイフは声を発した。
完全に黙ってただのナイフと誤認させるという手も考えたが、この後のことや連中が生存した場合を考えるとその方法はリスクが高い。
それよりは先生方にも媚を売っておいたほうがいい、地下水はそう判断したのだ。

「それは勿論。生徒たちが嘘をついてるかどうかくらいはわかりますからね」
「そっちじゃないさ。よくあいつらだけで医務室に行かせたなってことだ。
 ……一応聞くが、まさかスポンサーが『こんな周りに何もない学院の外側』に潜伏してるなんて思っちゃいないよな?」
「馬鹿なことを言うものじゃありません。あなたのような小さいナイフならともk「《フェイス・チェンジ》って魔法を知ってるか?」」
「……あなたがスポンサーに《フェイス・チェンジ》をかけたとでもいうのですか?」
「いや、使えるのはスポンサーのほうだ。だからやろうと思えばいくらでも顔を変えられる。
 ついでに言うと《遍在》を筆頭に風の魔法を極めたスクウェアで、その他《ギアス》みたいな違法性の高い技術も一通り習得してるヤバイ奴だぜ」
「な、なんでそのようなことを早く伝えないのですか!?」
「あんたが有無を言わさずどっか行くからだろうが」

地下水は責任をミセス・シュヴルーズに転嫁した。
本音を言うと「恩を高く売るタイミングを計っていたから」なのだが、そんなことをバラすほど地下水は間抜けではなかった。


話をレイナールたちに戻そう。
気が付くと、ミセス・シュヴルーズも地下水も見えなくなっていた。

「あ……。ちょっと、どうすんのよ! あのナイフがなきゃ追いかけられないじゃない!」
「いや、それはどうでもいいよ。どうせ先生にやってもらうつもりだったんだし、皆も無傷ってわけじゃないんだろ?
 ――はぁ、仕方ないなぁ。お~いギーシュ、ミス・モンモランシ、頼むから起きてくれ~」

ルイズがレイナールを責めるが、レイナールはどこ吹く風とばかりに受け流して寝ている二人の様子を確認しに行く。
元々《スリープ・クラウド》で眠らされていただけの2人は、レイナールが介抱するとすぐに目を覚ました。
レイナールが眠ってしまった後の経緯を知らない2人にかいつまんで現状を説明する。
ギーシュとモンモランシーの2人はとりあえず当面の危機が去ったことに安堵した。
だが、せっかく戦闘を決意したのにいきなり肩透かしを食らったキュルケとルイズはそれどころではなかった。

「「な、なによそれ……」」

そういうと、二人とも眩暈で片膝までついてしまった。

「彼の言うことは尤も。そんな状況で戦うのは無茶。それに――世の中そんなに甘くない」

タバサが脱力した二人を支えると、淡々とそう告げた。

「そういうこと。僕たちは別に安全になったわけじゃないんだよ。
 全く……医務室に向かう途中で僕たちが襲われたらどうする気なんだろ」

レイナールは、二人とは違う意味でミセス・シュヴルーズがいなくなったことを悔やんでいた。
ギーシュは「まだ何かあるのか」とつぶやきつつも、とりあえず建設的な意見を言おうと考えた。
そしてふと視界の端に移ったものを見て、彼は反射的にこう言った。

「まあ、襲われるのが不安だったら使用人あたりに誰か先生を呼んでもらえばいいんじゃないか?」
「どこにいるんだよ。それに例のスポンサーは使用人に紛れ込んでる可能性が高いんだぞ」
「……? なんでそんなことがいえるんだい?」
「僕が虚無の曜日に使用人たちに聞き込みをしてたのは知ってるだろ?
 それで話を聞いた人間の位置を“誰と仕事をしてたか”まで含めて整理したんだよ。
 そうしたら舞踏会のときに『何人か同時に複数の地点で目撃された使用人がいる』のがわかった。
 いつからか知らないけど、誰かが《フェイス・チェンジ》あたりで顔を変えてのうのうと学院に潜入してる奴がいる可能性がある」
「ちょっと待てよ。舞踏会のときだけならともかく、そんな奴が滞在してたら流石にわかるだろ?
 使用人は住み込みで働いてるんだぜ? どこに寝泊りするって言うんだい?」
「長年学院に従事してる使用人の中には個室を宛がわれている人間もいるだろう。そいつと入れ替わって部屋を譲ってもらえばいい。
 あるいは適当な学生と入れ替わってもいいかもしれないな。
 入れ替わった元の人がどうなったかは知らないよ。本当に『なんとでもできる』から。
 ちなみに複数地点で目撃された使用人はいずれも中肉中背の男性で、比較的長年学院に関係している人間だった」

ギーシュはそこまで聞くと、震える手で遠くを指差した。

「それはひょっとして……あんな感じかい? いや、そこに使用人がいたんで、彼らに先生を呼んでもらおうと思ってたんだが……」

そこには、数人の中肉中背の使用人が、一人一人布でくるまれた棒状の何かを運んでいた。
ギーシュが指差すと同時に、そいつらはレイナールたちに駆け寄りながら布からくるんでいた何かを取り出す。
それを見て、レイナールが顔を真っ青にしながらゴーレムを使用人たちに突っ込ませた。
同時に即座に呪文を唱え、高さ1m、幅2mくらいの横長の土山を出現させる。
そして全員に向かって大声で叫んだ。

「みんな隠れろ! 藪じゃだめだ! 硬い場所に隠れろ!」

レイナールがそういった瞬間に使用人たちに向かっていたゴーレムに穴が開いた。
さらに勢いよくはじけ跳んだゴーレムの破片か何かが土山を襲い、土をえぐる。
ゴーレムや土山が前にいなければここにいる誰かの体が削り取られていただろう。そう思えるような光景であった。
レイナールは自身が作った山の一面、使用人たちに向いている面を鉄に《錬金》し、そこに身を寄せた。
何が起きているのかよくわからなかったルイズたちも慌ててそれに倣う。


「……ふざけやがって……なんであの工作員がこんなところに潜んでやがるんだ……」

懐かしくも忌まわしいAK-47の恐怖を思い出しながら、レイナールはそうひとりごちた。



[13654] 第七話:「四魔貴族バトル」シーン8
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/03/14 22:27
4人の贋使用人たち――実際には《遍在》を用いた工作員が一人いるだけなのだが――は
レイナールたちが防壁を作り上げたことを確認すると同時に引鉄を戻し、全員で《フライ》を詠唱した。
自慢の銃による奇襲で鏖殺できればよかったのだが、それは例のレイナールという小僧に完全に読まれた。
まあそれくらいは想定の範囲内である。いちいち驚くにはあたらない。
とはいえ、さしものこの銃も鉄板に穴を開けるのは少々手間がかかる。
そしてあまり時間はかけられない。ここは魔法学院である。いつ増援が来るかわかったものではない。
教師どもはどいつもこいつもトライアングル以上とくる。
いくら戦闘は素人とはいえ、10人も来られたら数で押し切られかねない。
この銃は極めて優秀であり、遍在が用いることで残弾というくびきからも半ば解き放たれている。だがそれでも万能ではないのだ。
それに、この学院には確か「眠りの鐘」とかいう広範囲の人間を眠らせるトンチキな性能のマジックアイテムがあったはずだ。
そんなものを使用される前に速攻をかけるしかない。
そのためには《フライ》である程度散りながら奴らの上空に突っ込み、遮蔽を丸裸にした状態で上から一斉射撃をかける。
それも防がれたら遍在に《フライ》を解除させつつ範囲魔法を使わせ、本体はそのまま撤退を図る。
彼はそういう作戦を立てていた。


「ちょっと! あれは何なのよ!」
「威力が桁違いな銃だ。ちなみに連射が出来る。実際に襲われたから間違いない」
「はぁ!? そんなものがあるわけないでしょ!?」
「あるんだ。とにかく現実を受け入れてくれ」

ルイズがレイナールに問いかけるが、それをまともに相手にしている余裕など今のレイナールにはなかった。
「AKメイジをどう対処するか」に頭がいっぱいであり、とりあえず聞かれたことを反射的に答えてしまう。

「《フライ》を詠唱している。おそらく上から襲うつもり」

タバサが、風にもれるかすかな音を察知してそうつぶやいた。
ルイズがさらに疑問をぶつける。

「え? あれって銃なんでしょ? なんで杖もないのに魔法が使えるのよ」
「小さい杖を腕に巻きつけてるんだろ。僕もやったことがある……そんなことより突っ込んでくるなら迎撃しよう。
 ミス・タバサとミス・ツェルプストーは適当に攻撃魔法を準備して。全員で一斉攻撃しよう」
 ミス・モンモランシはこれでミス・ツェルプストーに《ヒーリング》をかけてほしい」

そういって、レイナールはポケットから水の秘薬を取り出してモンモランシーに投げた。
キュルケとタバサは小さく頷くとそれぞれ《フレイム・ボール》と《ライトニング・クラウド》を唱え始めた。
モンモランシーはなんでレイナールが秘薬を持ち歩いているのか一瞬不思議に思ったが、すぐに納得した。
今までの話を総合すればこの男は「近いうちに学院で戦闘が発生する」と確信していたのだ。
そりゃあ傷薬の一つや二つくらい用意しておくだろう。そう考えて秘薬を触媒にキュルケの傷を癒した。
キュルケの上空に巨大な火球が育ち始め、タバサの周りに強風が吹きすさぶ。

「ミス・ヴァリエールはとにかく短い呪文で奴らに魔法を連射してくれ。相手の機動力を削ぎたい」
「ちょっと! なんで私はそんな地味な役なのよ! 私だって戦えるのよ!」
「知ってる。君にしか出来ないから弾幕を張ってくれと頼んでるんだ。助けると思ってやってくれ」

ルイズは不満を漏らすが、レイナールの鬼気迫る懇願に根負けしてしぶしぶ《ライト》で手当たり次第にあたりを爆破する。
いや、実際には攻撃してきた4人を狙っているのだが、数を優先させている上に距離が距離なので滅茶苦茶な場所が爆発してしまうのだ。
そうしていると、ギーシュがレイナールに問うた。

「僕は何をすればいい? 悪いが今の僕じゃ魔法は使えないぞ」
「じゃあ後の指揮は任せる。状況を判断して攻撃のタイミングを計って指示をくれ。ぼくも魔法を使う」
「ええ!? おい、ちょっと待ってくれよ!」

ギーシュが抗議しようとするが、レイナールは既に呪文詠唱に入った。
だが、自分ひとり呪文が使えない以上は観察と攻撃指示を自分が行うというのは確かに合理的だ。
それに、自分は軍事の名門ド・グラモン家の一門であり、部隊の指揮を父や兄から学んだこともある。
やってやろうじゃないか。何、タイミングを見計らうだけじゃないか。ギーシュは腹を括った。

「わかった。じゃあぼくが様子を見るから、皆は僕が『撃て』といったら一斉に魔法を撃ってくれ」

全員がそれを聞いて頷いた。


工作員は突如として連射される爆風に出鼻をくじかれた。
これの威力は先ほど《遠見》で確認している。中るどころかかすっただけでも作戦が破綻しかねない威力だ。
しかもそんな爆発がでたらめな場所に次々と出現する。これは安全圏が全てつぶされたことを意味する。
正直、こちらを狙い撃ちされるよりも厄介だった。
爆発の数自体は少ないため回避自体は容易だが、接近する時間が大幅に遅れるのは避けようがなかった。
これは上空についた頃には連中の攻撃呪文が完成しているだろう。
だが、だからといって向こうの射程外を迂回していたら今度は連中に完全に地中に潜られる危険もある。
いや、むしろ最短距離をとらなければ防壁をさらに積まれてしまうだろう。
多少危険は上がったが、このまま予定通り突っ切るしかない。彼はそう覚悟した。


そして――土山の遮蔽がはがれ、6人の姿が工作員に確認された。
だが、周囲に飛び交う爆発でなかなか狙いが定まらない。
彼はより確実な射撃ポイントを求めて接近し、そしてとうとう6人の魔法の射程まで踏み込んだ。

先に攻撃したのは空にいる方だった。
散開した3人の持つAK-47の十字砲火が地上にいる6人を襲う。
だが、その攻撃はルイズの爆風とレイナールが作り上げた湿った土壁に阻まれる。
そしてレイナールは注ぎ込めるだけの精神力を土壁の再生に注ぎ込んだ。
その結果弾丸自体は土壁で止めることができたが、それだけで土壁がはじけ飛び泥の塊が6人に叩きつけられる。
衝撃でキュルケの傷口が開く。秘薬で治療していなければそろそろ出血多量で意識不明になっているだろう。

「いまだ! 撃て!」

破片で血とアザと泥だらけになりながらも、一瞬の隙を逃さすギーシュが叫んだ。
同時に巨大な火球と雷撃が上空の4人を襲う。回避は不可能なタイミングだった。
だが、彼らのうち2人が避けようとせずに突っ込み、至近距離で風のルーンを唱えてその攻撃魔法に体当たりする。
炎が爆ぜ、雷が暴れ、その2人は跡形も残さず消滅する。遍在であった。
さらにもう一人が《フライ》を解いて《アイス・ストーム》を唱えながら落下してくる。
最後の一人、本体が舌打ちをしてそのまま《フライ》で撤退を試みた。

「あんたが! 本体ねぇ!」

それを目ざとく見つけたルイズが、本体に向かって《ライト》という名の爆発を仕掛ける。
勿論命中するわけがないのだが、今の今まで爆風を回避してきた彼は条件反射で一瞬だけ動きを止めてしまった。
そこに向かって、レイナールが抜き打ちで《ブレッド》を撃ちこむ。
小指の先ほどの弾丸は本体の胸を貫き、彼の体から意識を奪う。
そして彼は《遍在》と《フライ》を失い、そのまま放物線を描いて地面に激突した。


この間1分足らず、教師たちが駆けつける間もなく戦闘は終結したのであった。



[13654] 第七話:「四魔貴族バトル」シーン9(第七話エンディング)
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/02/08 15:32
ウルの月 エオローの週 エオーの曜日 夕食後


レイナール、ギーシュ、キュルケ、タバサ、モンモランシー、ルイズの6人は学院長室に呼ばれていた。
キュルケは水の秘薬で治療を受けたものの、まだ本調子ではないらしく顔色が悪い。
ちなみに、何故かトネー・シャラントまで呼ばれている。彼女はなぜ自分が呼ばれたのかわけがわからないという表情だ。

「……ここに呼ばれた理由がわかっとらん者もおるようだし、まずは状況を簡単に整理しようかの」

学院長、オールド・オスマンが厳かな口調で今までの経緯を説明しだした。
間諜たちが学院に潜伏し、キュルケの暗殺を計画していたこと。
その前準備としてキュルケ・タバサ・ルイズの対立構造を煽っていたこと。
あの後6人や“地下水”の供述もあり、学院内に潜伏していた間諜を一網打尽にしたこと。
銃を初めとする彼らの持っていた危険なアイテムは学院の宝物庫に封印されたこと。
6人を襲った工作員は幸か不幸か“命だけは”取り留めており、水メイジによる延命治療ののち王宮に送還されたとのこと。

「そしてまあ……ミスタ・ヴュールヌの言うた通りそいつらの一人がこんなものを持っておったわい」

そういって、一切れの手紙を取り出した。
それは、トネー・シャラントがキュルケへの嫌がらせのために“地下水”を初めとする使用人たちを雇ったという契約書だった。
ばれたときの言い訳用にか極めて曖昧な文章だったが、そのため悪意があるようにとれば「彼女がキュルケの暗殺を依頼した」ようにも取れる内容だった。
そのことを指摘され、トネー・シャラントは青くなる。

「こんなものが表ざたになったら……仮に何も起きてなくても色々面倒なことになっとったはずじゃ。
 まして本当にミス・ツェルプストーが殺されておったら……下手をすると戦争がおきとったぞ?
 少なくともラ・ヴァリエール家とツェルプストー家の紛争が再燃するのは確実じゃな」
「わたし……別にそんなこと……考えたわけじゃなくて……」

オールド・オスマンがそんなことを言い始めると、トネー・シャラントは半泣きになり始めた。
レイナールはそれを聞いて少々脅しすぎではないかと思った。
いくら辺境伯家の娘とはいえ、学生が一人殺されたくらいで戦争になる可能性は極めて低い。
もし起きたならそれは「すでに殺る気満々で、大義名分を得るきっかけを探していた」時だけだ。
それとも今のトリステインとゲルマニアはそれくらい緊張しているのだろうか?
まあ、ラ・ヴァリエール家とツェルプストー家の境で紛争が起きるくらいはあるだろうし、
オールド・オスマンを筆頭に教師たちが責任を取らされるのは間違いないだろう。レイナールはそう考えた。
オールド・オスマンも少々灸をすえすぎたと思ったのか、口調を変えてフォローに入る。

「泣くほどのことはないわい。彼らのおかげで事件は未然に防がれたのじゃからな。
 ……一応聞いとくが、君らが書いた書類はこれだけじゃな?」
「あとは……私が持っているこれだけで……」

そう言いながら、彼女は懐から全く同じ内容の契約書を取り出す。
オールド・オスマンは頷くと、ルーンを唱えてその二枚を一瞬で影も形もなく焼き尽くした。

「……ならこれでこの件は終わりじゃ。これからは何かにサインするときにはよく考えてからにせいよ。
 ――それと! 彼らにあとでよく礼とお詫びをしておくんじゃぞ。
 そもそも学友を陥れようなどと考えること自体が善からぬことなんじゃからな。
 ……とりあえず今は帰りなさい。一晩ゆっくり考えて、それからすべきことをするんじゃ」

そういってトネー・シャラントを退出させる。ミセス・シュヴルーズが、彼女についていった。
やけになって変なことをしでかさないよう監視するつもりなのだろう。残された6人はそんなことを考えた。


トネー・シャラントが退出した後、オールド・オスマンは6人に向き直った。

「おぬしらにも色々注意したいことはあるんじゃが……まあ何にせよようやってくれた。事が未然に防がれたのもおぬしらのおかげじゃ」
「オールド・オスマン。あの間諜たちは一体どこからのものでしたの? 私には聞く権利があるはずですわ?」

キュルケがそう尋ねる。
オールド・オスマンは少し間をおいて、仕方ないといった口調で語り始めた。

「奴らから簡単に『話を聞いた』だけじゃから真実かどうかは分からんがのう。やつら、アルビオンの反王党派だそうじゃ。
 今のアルビオン王家に不満をもっておる貴族や神官たちが結託し、現在の国王を退位させようと画策しておるらしい。
 トリステインに介入されてはたまらんので、トリステインとゲルマニアを緊張状態にしてそれどころではなくそうとしたらしいの」
「そんな! なんてことなの! 始祖に連なる王家に逆らう恥知らずがいるなんて!」

ルイズがそう叫んだが、一緒になって激昂する生徒はいなかった。
キュルケとモンモランシーは今までのアルビオン王家の行動を聞いていたため「そりゃいるだろうなぁ」という感想しか抱かなかった。
レイナールは「なるほど、今までは根回しのために潜伏していたのか」とすら思っていた。
タバサは王家の血に対して負の感情しか抱いていなかった。
そしてギーシュは手柄を認められた喜びのあまりオールド・オスマンの話をろくに聞いていなかった。
とりあえずルイズ以外は冷静に話を聞いているっぽかったので、オールド・オスマンは話を続ける。

「神官たちも教皇が代わって色々とやりづらくなった者がアルビオンに結構逃げ込んでおるらしいしの。
 トリステインにまでちょっかいをかけてきたところを見ると、反乱は時間の問題といったところじゃろう。
 じゃがまあ、今回の一件でその計画も明らかになった。大規模な内戦になる前に鎮めることも出来よう。
 おぬしらのおかげで要らぬ戦争が一つ防がれた。大手柄じゃ。
 アルビオンの反乱が未然に防がれた暁には、そなたらに勲章が与えられるじゃろう。学院からもそう申請しておく。
 ご苦労じゃったな。とにかく今日はゆっくり休むがいい」

オールド・オスマンが誇らしげにそういい、その場は解散となった。


その後の顛末を簡単に話そう。

アルビオンでは大規模な粛清の嵐が吹き荒れ、反乱に関与していたものは処刑、その一族郎党も貴族位を剥奪された。
功績のあった6人にはアルビオン王から「反乱計画を看破し、未然に防いだ功績」として精霊勲章が賜られた。
キュルケ暗殺未遂など、都合の悪いことは色々となかったことにされた。その詫びや口止めも兼ねての表彰であった。

割を食ったのは「反乱のことなど聞かされずに仕えていた何の罪もないメイジ」たちである。
突然職どころか貴族の地位まで奪われてしまった彼らは、とりあえず生きるために国外の親戚を頼った。
結果的に大半がド・ヴュールヌ領へと亡命する形になった。
アルビオン王も処刑を試みて窮鼠になられるよりはマシと判断したのか「追放後の人生はお構いなし」としてその現象を黙認した。
その代わり外国で労働するアルビオン人の保護を名目にド・ヴュールヌ領に領事館を作った。
これがド・ヴュールヌ領に滞在するメイジを監視する目的で作られたのは誰の眼にも明らかであった。

キュルケとタバサは御互いの対立が仕組まれていたことを知って和解した。
また、ともに前線で死線を潜り抜けたからか、二人の間に友情や信頼感が芽生え始めた。
なお、その後トネー・シャラントはキュルケたちに頭が上がらなくなり、キュルケは事実上クラスの女帝となった。

ギーシュは積極的にモンモランシーにアタックし、モンモランシーもまんざらではない様子であった。
ただ、当たり前だがギーシュの生来の女好きが治るわけもない。
以降、ギーシュが浮気をしてはモンモランシーが愛想を尽かすという光景が彼らのクラスの日常となった。

ルイズだが、不幸にも「彼女の爆発がどれだけ脅威か」理解できた人間は学院に殆どいなかった。
後に彼らの戦いが表ざたになっても、学生たちからは「でも結局一発もあたらなかったんでしょ?」と言われる始末であった。
だがそれでも「自分は何も出来ない役立たずなのだ」というネガティブな考えは多少鳴りを潜めた。
少なくとも自分にだってできることがある。そう考えられるようになった。

レイナールは……まあ、ろくな目にあわなかった。
舞踏会後に流れた数々の噂を覚えておいでであろうか?
それらは事件が明るみになるたび、そして皆が飽き始めるたび、次第に人々の話題から消えていった。
そして情報は磨耗していき、最後に生存したのは意味がわからないがとにかく語呂のいい台詞だけであった。

そう――「待て慌てるなこれはド・ヴュールヌの罠だ」――である。

そのせいでとにかく「思いがけないトラブル」のことを「ド・ヴュールヌの罠」、さらに縮めて「ヴュールヌ」というのが学生たちの間で流行った。
別にそれで学生たちのレイナールへの態度が変わるわけではなかったし、誰も本気でレイナールが罠に嵌めたと思っているわけではない。
だが、それはそれとして何かあるたびに自分の姓が呼ばれるのはやはり複雑な気分であった。


こんな言葉で自分の名前が残ったらやだなぁと、レイナールはそんなずれた感想を抱いた。



[13654] 第八話:「ぼくのなつやすみ」シーン1(短編予定)
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/02/09 21:58
もうすぐ夏休みという時期の虚無の曜日、僕は父上にトリスタニアの別邸に呼び出された。
首都の近くに別宅を作るのは伯爵以上の上級貴族の嗜み、つまり事実上の義務である。
たとえ封建貴族でめったにトリスタニアには現れないとしても、その義務から逃れることは出来ない。
当然ながらただ建てるだけではなく、それを綺麗に維持していなければならない。
つまり、たとえ殆ど使わないとしても馬鹿にならない維持費がかかるのだ。
駐在員に中央の噂を収集させることができるとはいえ、ウチのような法衣貴族ギリギリの弱小諸侯には大きな負担だった。
ちなみに今は中央官僚との折衝や商人との会議などで毎日のように使用しているし、維持費の金額自体も予算に比べれば誤差である。
まあ、使いもしない家の維持費で家計が圧迫されることのほうが異常なのだ。あるべき姿に戻ったといえよう。

我がド・ヴュールヌ家の別邸はトリスタニア郊外……というより都市圏ギリギリの閑散とした野っ原にあった。
ウチのような雑魚伯爵では、そんなところに建てるのが限界だったからである。
だが、現在は商家の本部や職人の互助団体――いわゆるギルド――が軒を連ねる「新市街」に建っている。
建て替えたのではない。彼らがウチの近くに屋敷を構え始めた結果、別邸の周りが新市街になってしまったのだ。
その多くはド・ヴュールヌ領を活動拠点にするギルドの支部だが、一部ゲルマニアやガリアなど外資系商人の国外拠点もある。
確かに新参者としては新築を建てて自身の勢いを誇示するのも手なのだろうが……おかげでウチの別邸だけ建築様式がひどく浮いている。
少しは旧来の住民に配慮して欲しいものである。
まあ過ぎたことを悔やんでも仕方ない。おかげで目印には困らないとポジティヴに考えよう。


僕が別邸の父上の部屋に行くと、父上は何故か大礼服で待機していた。
大礼服というのは戴冠式や栄典授与式などといった「正式な式典」で着る服装だ。
別邸に来るのにわざわざ大礼服を着る必要はない。というか着るべきではない。
直近で何か行事があった記憶はないし、一体何のつもりだろうか?

「ああ来たかレイナール。相変わらず壮健なようで何よりだ」

そんな疑問をよそに、父上は僕にそう声をかけた。

「ありがとうございます。父上も壮健なようで何よりです。ところでなぜ大礼服をお召しなのですか?」
「ああこれか……喜ばしいというか何というか知らんが、色々あってド・ヴュールヌ領は侯爵に陞爵することになった。
 本日の午後から叙勲式があるのだ。お前を呼んだのもそれに参列させるためだ」
「……な、なんでですか!?」
「なんでいきなりという意味か? そんなことは中央政府に聞いてくれ。私も一昨日聞いたばかりだ。
 陞爵の理由はお前も推測がついているだろう。我がド・ヴュールヌ家が王家に義務として負っている軍役負担の件だ」
「ああ、なるほど……」

父上の一言で、ある程度の状況は理解できた。
最初から散々言っている通り、元々我がド・ヴュールヌ家は弱小諸侯だ。
何しろ、数年前までどんなに水増ししても人口1000人だったのである。なんで伯爵だったのか不思議なくらいだ。
そのため、王家と交わしている軍役契約も伯爵としては異例の少人数になっている。
具体的には従者含めて200人だ。
……結果として頭の悪い動員率を強要されていた点については気にしないで欲しい。
実際にはとりあえずかき集めるだけ集め、足りない分は負担金という形で賄ってきた。
というかまあ、最近では軍役よりも「王家が諸侯から税としてカネを巻き上げる口実」に使われることが多い。
だが、その収支バランスもこの数年で大きく変化した。
具体的には総人口が「定住していることが確認されている市民」だけで10万人を超えているのだ。
行政や治安維持でやることも増え、水道事業用の一時雇用を除いた正式な家臣や役人だけでも数千人は召抱えている。
今度は逆に何で伯爵なのか不思議なくらいの大勢力だ。
そんな大領主が有事の際に200人分しか兵やカネを出さないのはおかしいと近年突っ込まれ始めたのだ。
だが、ド・ヴュールヌ家は代々古式ゆかしい封建契約に従い実体以上の義務を果たしてきたのだ。
実体と名目が逆転したとたんに義務を上乗せされたらたまったものではない。
金額的には今のド・ヴュールヌ家なら余裕で払える。だがそんなご先祖の努力や叡智を無にするような真似はできない。
何の見返りもなく売り払えるほど人の努力は安くないのだ。
他の諸侯だってそんな横暴は認めたくないだろう。一度先例を作れば明日はわが身なのだ。
そんなわけで今まではのらりくらりとかわしてきたのだが、とうとう中央も最後の手段に出たのだ。
それが「ウチを侯爵に陞爵することで軍役負担を再契約」というウルトラCである。
まあこれくらいしか全員が甘受できる案はなかろうから、ある意味予定調和とも言えるが。

「お前がアルビオン王からも精霊勲章を賜ることになったからな、中央の連中もちょうどいい口実と思ったのだろう。
 モット伯の話によると軍役負担として『有事には従者含めて5000人を動員する』という契約内容になりそうだ。
 まあ、爵位の格や経済状況から考えて妥当な線だろう。
 いや、別にお前を責めているわけではない。むしろよくやった。
 確かに軍役負担も増えるし種々の費用も桁違いになるが……まあ悪いことばかりではない。
 陞爵はそれ自体が名誉なことだし、他家からの信用も高まるだろう。
 侯爵ともなればかなり独立した統治が可能になるし、権利としての武装もかなりの自由が許される。
 現在建設中の空港にもコルベット程度なら駐留させることができるようになるだろう。
 そうなれば海賊・空賊対策として商船や輸送船に『護送船団』を貼り付けることも可能だ。
 せっかく見つけた風石の鉱脈を王家に取り上げられることもない。
 デメリットに見合うかどうかはともかく……中央の計らいにしては破格じゃないか」
「そう仰っていただけるとこちらも気が楽になります」

しかしまあ、自分で言っておいてなんだが陞爵したってのにこんなにテンションの低い貴族親子も珍しいだろう。
だがド・ヴュールヌ家は代々「収入に見合わない爵位」でキュウキュウ言ってきたのだ。
「爵位というのは高けりゃいいってもんじゃない」ということは身に沁みているのである。

「ところで、その護送船団や発掘の進捗はいかがですか?」

僕はせっかくなので気になっていたことを尋ねてみた。
いきなりなんの話だと思われるかもしれないので、簡単に説明しておこう。

まず「空港」だが、これはわかりやすいだろう。領内に空港を作り、ラ・ロシェールなどと繋ぐのである。
こうすることにより、ド・ヴュールヌを陸・海・空の流通のハブとする計画である。
うまくすれば運河の通せない他のトリステイン地域にもインフラを通すことができ、市場がさらに拡大するだろう。
まあそううまくいくとは思わないが、そうでなくともフネのペイロードは魅力的だ。

次に「護送船団」だが、これは要するに「領内の商人が持っている船舶やフネが襲われないよう、コルベットあたりの小型軍艦を併走させる」という計画である。
従来は「空海賊が出そうな場所に王軍が討伐船団を派遣する」という行動をもって海賊対策としていたが、それでは所詮対処療法にしかならない。
商船は大抵の場合丸裸で移動するしかなく、空海賊は王軍にさえ気をつければ後はやりたい放題という状況である。
それなら、馬車に護衛をつけるがごとく軍艦を併走させて抑止力にすればいいじゃないかというのがコンセプトである。
本来そういうことは王軍がやるべきだろうが、中央の連中に「王軍は商船の護衛をするほど安くない」と却下された以上自前でやるしかない。
ド・ヴュールヌ領は資源を輸入して加工することで収入を得ている。つまり交易で食っているのである。
空海賊による被害は勿論、商人が被害を恐れることで流通が滞ったら死活問題なのだ。

で、最後の「風石の鉱脈」だが……これは地質調査の結果偶然ド・ヴュールヌ領の地下に発見されたものである。
大体地下1リーグ弱、500~1000メイルのあたりに、大規模な風石の鉱脈が発見されたのだ。
そして地下1リーグ以内というのはコストさえ考えなければ理論上は掘れる深さである。
もちろん本当に「理論上はそこまで穴が届く」程度の話であり、ハルケギニアの常識でもそんなものを「採掘可能な資源」とは言わないが。
だが大量の風石があれば自前でフネをガンガン飛ばすことが出来るし、海洋船舶だってスピードの安定性が段違いになる。
というわけで長年採掘方法を極秘に考えていたのだ。
だが、風石は地球における石油のような存在であり、塩以上に戦略資源としての性格が強い。
そんなものの鉱脈があると知れればどこかから難癖をつけられて戦争が起きる可能性もある。
それにわが国で風石を管理しているのはもちろん無茶振りとコスト意識のなさに定評のあるトリステイン中央政府である。
下手すると掘れもしないのに「じゃあその鉱脈は王家のものだから。そっちのカネで採掘してね」なんて言われる恐れもある。
そんなことになったらウチは破産するか反旗を翻すしかない。
そうなればせっかく上向いてきたトリステインの景気もパァである。誰も幸せにならない。
というわけで、せめて採掘技術が確立してからでないと怖くて報告も出来なかったのだ。

……一応言っておくが、僕も父上も王家や中央に関して反感や不信を抱いているわけではない。
父上はトリステイン貴族として王家と国家に深い忠誠を抱いているらしいし、僕だって「一般的な日本国民が日本に感じる程度の」愛着くらいは持っている。
ただ単に「奴らが宴の準備以外に力を入れると碌なことにならない」と思っているだけである。

「空港やフネは建設中だ。人員の訓練は購入した旧式艦を使用するとしても1~2年はかかるだろうな。
 海洋のほうは既に訓練に移っている。まあ夏の終わりには見れるものになっているだろう。
 風石の方は『採掘の動力に地下の風石を利用する』という採掘法を現在試験運用中だ。
 風石の価格が今の3倍以上に跳ね上がれば何とかペイできる程度までコストダウンできたそうだ」
「なるほど……まあ、どれも時間の問題そうですね」
「そうだな。それから陞爵祝いとして、王家から型落ちしたコルベットを一隻下賜されることになった。
 まあ、我が領が航空戦力を保持することを王家が認めたという証明のようなものだな。
 これを練習艦として空軍の訓練を行う予定だ。せっかくだからお前にも夏期休暇の間それに搭乗してもらおう。
 フネの操作や艦の指揮は将来重要な技能であろうからな」
「はぁ……諒解しました」

とまあ、そんな軽いノリで僕の夏休みは空のクルージングに決まったのである。



[13654] 第八話:「ぼくのなつやすみ」シーン2
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/02/17 19:28
今年の夏休みをコルベットで過ごすことが決まったわけだし、せっかくだからコルベットについて簡単に説明しておこう。
コルベットというのは一言で言えば小さい軍艦である。これ以上小さい船に関しては“艦”ではなく“艇”と呼ばれるのが通例だ。

なお、ややこしいのだが海洋船舶であってもフネであっても全く同じ用語を用いる。
これは昔のフネが両用艦隊と同じく空海両用から分化していったことの名残であるらしい。
というかつい最近まで“海洋船舶”も“フネ”も同じ言葉だったし、普通の港と空港も区別されていなかった。
いくらなんでもややこしいからウチ発で無理矢理新語を流行らせたのだが、流石に軍事用語にメスが入るまでには至らなかったようだ。

話をコルベットに戻そう。
一般的には全長が10~40メイル、砲門数4~20門程度の小型艦を指す。
横幅は設計思想にもよるが5~10メイル程度であることが多い。
ちなみに艦隊戦の主力である戦列艦は全長50メイル以上(一般的には100メイル前後)、砲門数50門以上である。
さらにいうと一般的な戦列艦の横幅は10~40メイル、コルベットの全長と大体同じくらいだ。
装甲は通常の戦列艦の1/3程度しかなく、大砲が直撃すれば簡単に穴が開く。
そんなわけで艦隊戦の主役を張るような代物ではない。

その特徴は「とにかく早く、安く作れること」と「小回りが聞くこと」である。
全長が1/4程度ということは必要な資源が単純計算で1/4の三乗、つまり1/64ということである。
勿論そんなに単純にはいかないし、さすがに作業量まで1/64にはならない。
それでも戦列艦一隻に比べればはるかに省資源・短期間で簡単に出来る。
さらに、総重量や全長が小さければそれだけ簡単に旋回できるようになる。
そんなわけで、不測の事態に対応可能でかつ戦列艦に打撃を与えうる最小の艦として艦隊に組み込まれるのだ。
またフネの場合「運行時に消費する風石の量が戦列艦より少ない」という特徴もある。
そのため、警備用に常時動かしても比較的費用がかからない。

以上の理由から「沿岸や空港の警備」「哨戒による制海空権の確保」「緊急時の予備戦力」などがコルベットの主な役目とされている。
また、フネの場合はまれに「空対地攻撃」や「戦列艦の上空に肉薄してのトップアタック」などを行う場合もある。
とはいえどちらも一般的にはより機動性の高い竜騎士隊が担う任務とされており、そんな活躍を期待されることはまずない。

あとこれは豆知識だが、どの艦でもフネは海洋船舶に比べ大きくなり、その割に砲門数が少なくなる傾向がある。
これは風石を積むスペースを確保する必要があるためである。
また、一般的な空賊が乗り回すフネは最大でもコルベットである。
よっぽどのことがない限りそれ以上大きなフネで空賊をやったら風石消費だけでコスト割れするからだ。
海賊に関してはその限りでもないが、それでもコルベット以上の船舶を使う海賊は滅多にいない。
そもそも。単なる商船を襲うなら大砲をぶっ放すだけで大抵白旗を揚げるからそれ以上の武装をする必要はない。
少なくとも砲門数50超のガチ戦列艦が襲ってきたら間違いなく「私掠船または偽装船による通商破壊」である。
「お前のようなでかい海賊がいるか」と心の中で突っ込みながら素直に白旗を上げるといいだろう。

さて、これらを踏まえてド・ヴュールヌ家が王家から下賜されたコルベットについて簡単に説明しよう。
全長40メイル、横幅10メイル、砲門数8門。左右の真横に二門ずつ、斜め下に向けて二門ずつ設置されている。
コルベットとしては最大級の大きさだが、体積の割りに砲門数が異様に少ない。
これは長距離飛行を前提に作られた哨戒・警備用のフネだからだ。
アルビオンとの同君連合に際してトリステイン空軍の艦が刷新されることになり、そのあおりを受けて廃棄されることになったフネの一つである。
名前は元々“ラ・バルカロール”とつけられていたので、そのままの名称で運用することにした。
何の酔狂でこんなでかいフネに「ゴンドラ漕ぎの舟歌」なんて名前をつけたのか知らないが。


で、夏休みが始まって早々ラ・バルカロールに搭乗するためド・ヴュールヌへと帰郷することになったのだが……。
なぜか、家路へ向かう馬車にギーシュとタバサとキュルケが同席している。
ギーシュとキュルケは「せっかくだから帰郷の前にかの『混沌の地』ド・ヴュールヌを観光しておきたい」と言い出しやがったのだ。
ちなみにタバサの目的は不明であるが知らないうちについてきていた。
なんだ『混沌の地』って。ウチは人外魔境か。
とはいえ、だ。上級貴族の子女、というか友人が自分の故郷を観光したいというなら無碍には出来ない。
僕一人なら近所の港から貨物船にでも同席させてもらって海上経由で家に帰ったほうが早いのだが、流石に彼らにそれを強要させるわけにはいかない。
かといって僕たちが帰るためだけにいちいち船をチャーターするくらいなら馬車を使用したほうが早い。
よその港湾を臨時で使用するには色々と面倒な手続きが必要なのだ。
そんなわけで、彼らには馬車を使ってウチの屋敷に泊まって貰う事になったのだ。

「……一応言っておくけど、ほんとに普通の場所だよ。見てて面白いもんじゃないと思うけど」

ド・ヴュールヌ領に入るあたりで、僕が3人に釘を刺す。
彼らがどんなものを期待しているのか知らないが、勝手な期待感を持たれてがっかりされても困る。

「いいわよ。例の水の精霊が作ったっていうド・ヴュールヌ領に張り巡らされた運河網だけでも見物しておく価値があるわ。ええっと、なんて名前だったっけ?」
「ラグドリアン運河」

キュルケの発言にタバサが相槌を打つ。
この名称を決めるのにも一悶着あったのだが、最終的にはどこにも角が立たないように水源の湖から名前をとることにした。
ついでに水道網の名前も「ラグドリアン水道」である。

「なかなか洒落た名前じゃないか。ところでレイナール、ド・ヴュールヌは数年前まで寂れた荒野だと聞いていたんだが、こうしてみると結構豊かな場所だと思うんだが」

ギーシュがガラスの窓から見える景色を見ながらそう言った。確かに、周りには豊かな田園や美しい草原が見える。

「まあ、ここはまだウチの領土じゃないからね。ウチに近づくにつれてだんだん植生が貧相になっていく。
 裸の岩肌が目立ち始めたあたりからド・ヴュールヌ領だ」
「……何でまた君のところだけそんな荒れ果ててるんだい?」
「逆だよ。荒れ果ててるからウチが領地にしても誰も文句を言わなかったんだ。でなきゃあんな広い領土はもらえないよ」

そうこういっている間に、周りの景色は徐々に寂れていく。
そして何かに呪われたかのごとく荒れ果てた荒野と、そこでなにやら作業している大量の人員がが前方に見え始めた。

「ああ、見えてきた。あれがド・ヴュールヌ領だ」

僕は少々の懐かしさをこめてそう言った。たった二ヶ月だが、久しぶりの我がド・ヴュールヌだ。


懐かしのとは言うものの、最後にこの辺を見た頃と現在とでは似ても似つかない景色が広がっていた。
こんな領境にまで水道工事の手は及び、工事のための道がいたるところに整備されている。
地平線は数メイル程度の土壁に遮られて見ることが出来ない。あれは運河網の堤防だ。
そして、水道が通った場所や運河の近くには瞬く間に灌漑の手が伸び、あっという間に農地に早変わりしてしまう。
道路・建築物・灌漑農地・運河・水道・工事現場……ありとあらゆる場所が人工物で覆われ、日進月歩で姿を変える土地、それが現在のド・ヴュールヌ領である。
ここは領境に近いため、まだまだ手付かずの荒野も残されている。
まあ、近くで水道工事をやっているので土砂置き場や資材置き場と見分けがつかなくなっているが。

「うわぁ……領地全部を水道網で覆うって話は聞いてたけど、こんなところにまで水道を通す気なのね……」

キュルケが呆れたようにそう言った。

「本当はここまでやる気はなかったんだけど……予定より移民が増加したせいでこれくらいやらないと農地も住む場所も確保できなくなったんだよ。
 ああ、もうすぐしたら運河網の一番外側に着くから、そこからは船に乗り換えるよ。
 ウチは何重にも運河網が張り巡らされてるから、馬車だと何回か横断船に乗る必要があって不便なんだよ。
 流石に船が下を潜れるほどの橋を作るのはまだ技術的に不可能だしね」

僕が返答をした。ちなみに、ここから僕の屋敷がある中心地へはおおよそ20リーグくらいある。
馬車で行けば着くのは夜になるだろうか。まあそんな面倒なことはせずに運河をたどって船で行くから日没までに着くが。


運河の船着場にたどり着くと、そこは物資の積み下ろしをする者たちや定期船を待っている者たちで賑わっていた。
勿論、そんな連中を目当てに商売をする店や旅籠も軒を連ねている。
ここは今回の僕たちのようにトリスタニア方面につながる陸運と船便を切り替える中継地点なため、かなり大規模な町になっている。
そして、周辺には水道による灌漑を利用した農園が立ち並んでいる。
本来こんな町が出来る予定はなかったのだが、全運河が突然完成しまったために既存の街道がそのまま使用され続け、気がついたら町が出来ていた。
おかげでこっち方面の水道事業を急ピッチで進める必要に迫られ、計画に大幅な変更を余儀なくされてしまったわけだが……まあ過ぎたことだ。

「衛星都市でこの賑わいとは、本当に小さい頃聞いた話とは大違いだな。ここはなんていう町なんだい?」

ギーシュがそんなことを言ってくる。

「まだ決まってない。数年前まで無人の荒野だったから地名もなかったしね。伯……侯爵家としては町が出来た順番から『四番街』なんて仮称してるけど」
「芸のない名前だなぁ。もっと洒落た名前は付けられなかったのかい? 例えば……ええっと……ほら、薔薇の都とか」
「な? いざいい名前を付けろって言われてもなかなか出てこないもんなんだよ。あと悪いが薔薇の都は却下な」

そんなことを言っていると馬車が止まり、外側から馬車のドアが開けられた。
馬車を降りて船着場の役人たちに社交辞令的な歓待を受けると、慌しく用意していた船に乗り込む準備をする。
まあ、実際に荷物の積み込みなどの準備をするのは船着場で働いているうちの使用人なのだが。

「しかし、嫡男が帰ってきたというのに失礼な領民だな。歓声を持って迎えるとまではいかずとも、挨拶に来るくらいはするべきだと思うだが」
「そういえばずいぶん静かなものね。ひょっとしてあなた領民に人気ないの?」

周りの人間や町の住民が僕たちをスルーして自分たちの仕事を黙々とこなしているのを見て、ギーシュやキュルケがそんなことを言ってくる。

「人気は知らないけど……この辺は領外からの流入者も多いから僕の顔なんか知らない人間もいるし、何よりそんな集まられたら警備が大変じゃないか。
 だから遠慮してもらってるんだよ。ドサクサに紛れて暗殺者が襲って来ても困るし」
「暗殺者とはえらい物騒なことを言うなぁ。まるで襲われたことがあるみたいじゃないか」
「あるに決まってるだろう。数年前までウチは犯罪結社とガチ内戦してたんだぞ?
 今は対策も進んで家臣一同が頑張って治安維持に当たってるからかなり改善されたけど、昔は『高いところにはスナイパーがいると思え』って言うくらいだったんだから。
 今でも万一に備えて懐に治療と毒消しの秘薬をそれぞれ携帯しておくのがド・ヴュールヌ家一門のマナーだよ」
「ああ、それであの時普通に秘薬を持ってたのね。ところでそんな剣呑な風習がある土地のどこが普通なのか説明してくださらない?」

キュルケが何か妙なことを言っているが、気にしないことにした。


用意された船は我が家が所持している中では一番豪華で巨大な、貴人の送迎に使用するものだった。
とはいってもそんな立派なものではない。
数年前に大量の船舶を注文する際、不況で注文もないのに技術継承のために作っていたストックボートも引き取ってくれと各地の造船所に泣きつかれた。
そんな船の一つで、無駄にデカくした所為で波浪や衝撃に弱くなったために交易にも軍船にも使えないという失敗作を遊覧船に改装したのがこれだ。
まあ運河内で客人を厳かに送迎したり、遊覧しながら船内でパーティをするにはハッタリが効いてちょうどいい。
というか、ぶっちゃけそれ以外には船員の訓練くらいにしか使い道がないという我が家で一番暇な船だ。

「いやぁ~僕たちの送迎にわざわざこんな立派な船を使ってくれるなんて、ド・ヴュールヌ候は気前がいいなぁ」

そんな内部事情を知らないギーシュが素直に喜びながら甲板からの景色を眺めていた。
この船甲板からは堤防を飛び越えて領内の様子を見ることが出来る。
あたり一面広大な農地と街道が広がっており、街道が交差する場所に集落が、街道と運河が交差する場所に船着場が見える。
集落の近くには温室が建っている。山師どもが持ちよった胡椒や茶や木綿などの珍しい作物を実験栽培しているらしい。
ウチは殆ど雨が降らず、水はどうせ水道から確保するしかないため温室のデメリットが少ないのだそうな。
……しかし、こんな技術レベルで板ガラスが大量生産できるなんて《錬金》は本当に恐ろしい魔法だ。
僕がそんなことを考えていると、ギーシュがそんな温室の一つを指差してこう聞いてきた。

「あの温室は何を作らせてるんだい?」
「いや、そんなこと聞かれても温室は農家のだからわからないよ……届出はしてるはずだから調べればわかると思うけど」
「へぇ、農民が温室を持ってるのか! 君の領地にはすごい富農がいるんだな!」

個人的には何が面白いのかよくわからないどこにでもある農村の風景なんだが、まあ楽しんでいるようで何よりだ。
ちなみにキュルケはもう飽きたのかさっさと客室に戻っている。タバサに至っては初めから客室にこもりきりだ。


運河を上り下りすること数時間、日が西に傾き始めた頃には運河の下流に僕の生家がある城下町、仮称“一番街”が見えてきた。
運河沿いにやたらめったら住宅や武家屋敷や工房が立ち並んでいる。
中には「いやお前、それは工房というより工場だろ」と言いたくなるような建物もある。
日が落ちてきたからかぽつぽつと《ライト》による街灯や家の明かりが灯り始めている。
少し遠く、町を挟んだ下流側に建設中の空港があり、その端に仮設塔が見える。急ピッチで作られたラ・バルカロールの搭乗口だ。
現在は訓練中らしくラ・バルカロールの姿は見えない。
もうすぐ到着ということもあってか、キュルケとタバサも甲板に上がってきた。

「へぇ、不思議な建物がたくさんあるわね。それに町全体を《ライト》で照らすなんてずいぶん洒落たことをするじゃない」

キュルケが町の景色を眺めながらそんなことを言う。

「いや、別に洒落じゃなくて便利だから点けてるだけなんだけど」
「便利だからの一言で町全体に明かりを点けさせるだけのメイジを動員するなんて聞いたことないわよ。
 よく気位の高いトリステイン貴族にそんな仕事させられるわね」
「いや、殆どはマジックアイテムだから。あとどうでもいいけどウチの家臣の大半はトリステイン貴族じゃないよ」
「ああ、そういえばそうだったわね。いずれにしても夜にはキラキラ光って綺麗な景色になりそうね」

キュルケとそんなやり取りを行う。
実際には、大半どころか殆どの家臣が貴族ですらない。
メイジに限ったところで1/4程度がアルビオンからの追放組、1/5程度がガリアからの追放組、そして1/2程度が「平民出身のメイジ」である。

始祖ブリミルから王国が興って6000年。尋常でない安定を見せているハルケギニアであるが、その中で一貫して増加し続けているものがある。
それが「全人口に対するメイジの比率」である。
メイジのほうが子供が生存しやすいというのも勿論ある。全人口の10%も貴族がいるのもそのためだ。
だが、追放された貴族が野に下り平民に紛れたり、貴族が平民を愛人にして隠し子を作ったりすることでもメイジの血統は広がっている。
そんなわけで実は平民のメイジというのは結構いるし、学と余裕のある平民はこっそり杖の契約の儀式をやっているのである。

ちなみに、ウチの領民は全員が物心ついたら秘密裏に杖の契約の儀式を試みている。
頻繁に商人や傭兵がやってくる開放的な社会だったためか、結構な数がメイジになるという。
それにウチは代々外に出て魔法を領民のために活用していたのだ。中には領民の娘と懇ろになったご先祖様もいただろう。
最近領民も隠し切れなくなったのか「我々はド・ヴュールヌ家開祖の直臣を祖に持つからメイジが出てもおかしくない」とか言い出し始めたが、明らかに後付である。
一応言っておくがウチにメイジの直臣がいたなんて記録はない。そもそも当時の記録がろくにないから当たり前だが。
まあ「我々は全員ド・ヴュールヌ家の血を引いているのだ」とか言われるよりマシだから、ウチとしては黙認している状況だ。
そして、今まではメイジであることがわかったらもっとメイジの需要があるところに出稼ぎに出ていたらしい。
下手にウチみたいな貧乏一家の家臣になって貴族としての出費に苦しむより平民としてこっそり魔法を活用したほうが良いと判断していたとか。
領内に千人弱いたのにウチの一家以外には家臣団にすらメイジがいなかったのにはそういうカラクリがあったのだ。
多少癪だが、実際にメイジの家臣なんか雇ってたら破産していただろうからこちらとしても賢明な判断だと言わざるを得ない。
平民の割には高い教養と魔法、そして元貴族と違ってプライドが高かったり性格が破綻してたりしなくて使いやすいと密かに重宝されていたらしい。
……なんというかまるでユダヤ人である。

なお、まだ事業が海のものとも山のものとも知れない時期に馳せ参じたメイジは殆どがそんな「ド・ヴュールヌ領の血統」を名乗る平民メイジだ。
というか、今でも領内に引っ越してくる平民メイジはどこかの追放組でない限り大抵「ド・ヴュールヌ領の血統」を名乗る。
「そいつの祖父が領内に在住」とかいう一部の例外を除いて真実は分からないし興味もない。
腰をすえてウチに仕えてくれるなら「先祖を辿ればド・ヴュールヌの直臣」程度の自称は大目に見るべきだろう。
というか統計上6000年も経ってるんだから交流があったなら当然どこかに共通の先祖がいるはずだ。
日本人のほぼ100%が先祖を辿ると中臣鎌足にたどり着くようなものである。

「ああ、あの高い城壁が君の屋敷かい? すごいな。小さな村くらいあるんじゃないか?」

そんな物思いに耽っていると、ギーシュが上流側の町外れにあるひときわ高い塀――甲板からでも中が見えないほどの高さだ――を指してそう尋ねた。
まあ、何の前情報もなしに見たらそう思うだろうなぁ。リュティスの王宮も郊外に建っているらしいし。

「いや……あれ、刑務所」
「え? ああ……あれがかの有名な『カサンドラ監獄』か。確か犯罪結社の構成員を丸ごと収監してるんだっけ?」
「まあ……自首してきた人間を処刑したら後々誰も自首しなくなるから仕方なく、ね」

といって言葉を濁す。正直、あんまり触れて欲しくない事柄なのだ。
ああ、勿論監獄の名前を決めたのは僕である。凶悪犯の収容施設というとカサンドラしか考えられなかったのだ。

「いやぁ、何にしてもこれだけ珍しい建物があると見てて面白いねぇ。しかもこれって殆どが今から4~5年以内の建物なんだろ?」
「まあそうだけど、どうせあと4~5年もすればそこら辺で見れるようになるって」
「それはない。これだけの建物を国中に作らせる資金は王家にもない」

タバサがそう突っ込んだ。いや、殆どはウチが作ったんじゃなくて住民が勝手に作ったんだけどな。


小さい頃から何度も往復した船着場につくと、母上が何人かの家臣団をつれて僕たちを出迎えた。
この船着場は運河が完成してから何度も改築・増築を繰り返しており、今ではウチが保有する大量の船舶が停泊する侯爵家専用の軍港と化している。
市街戦対策や箔付けのため外側を屋敷や蔵や行政機関ごとぐるっと半円状の城壁と堀で囲っており、港と屋敷で一つの平城のように見える。
そのため、何というか懐かしいという感覚は沸かない。まあそもそも小さい頃に使ってた船着場は水の精霊に流されたんだが。
ちなみに、一般の船舶はもうちょっと下流側に作られた新しい船着場を利用している。

屋敷は、僕が生まれたときとほぼ同じような概観を残していた。多少離れが追加されたくらいだろうか。
とはいえ、同じなのは見てくれだけである。
水道が完成しだい全力で内装工事を行い、厨房やトイレなど屋敷の各場所に上下水道を通したのだ。
もちろん「僕がやりたかったから」というのもあるが、領主が率先してモデルケースとなることで上下水道の普及を促すという言い訳めいた目的もある。
とはいえまだ蛇口が開発されていないので各地で水が流しっぱなしである。気分的にもったいない。
やはり「精密測定」とか「共通規格」とかいう概念が普及しないとバルブのような精密機器は作れないのだろうか。
長年なんとか普及させようとがんばって職人と打ち合わせたり規格化したノギスを配ったりしているのだが、職人の機密という事情もありなかなか根付く気配がない。
なお、せっかくの最新設備だというのに3人は特に感慨もなく普通に水道を使用していた。
これだから生まれながらの大貴族は贅沢に慣れてて困る。

その後父上が戻ってきてから皆を歓迎する晩餐会を開き、父上からラ・バルカロールの具合と明日からの訓練スケジュールを聞いた。
それが終わってから領内の近況を家臣たちから聞いたり、懐かしの狭い一人用の風呂に入ったりして帰郷初日が過ぎていったのである。


ちなみに、晩餐の後3人はそれぞれ勝手に見張り塔から夜景を見たりウチの家臣やその娘をナンパしたりウチの蔵書を読んだりしていた。
ほんとにお前ら何しに来たんだ。



[13654] 第八話:「ぼくのなつやすみ」シーン3
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/02/20 01:37
僕がフネに乗り込むに当たり、侯爵家空軍艦隊提督という肩書きを父上から拝謁することになった。
……何で後数年は学院にいないといけない僕が空軍に関して全責任を負わんといかんのかよくわからんが、まあ名誉職のようなものだと判断しておく。
現に、今回の訓練でも実際にフネを動かすのは艦長であり、僕のやることは殆ど技術者や航空士に質問をするくらいである。

ギーシュ・キュルケ・タバサはあと数日は滞在して色々見物していくらしい。
滞在中の費用はこちら持ちである。まあ僕だって小さい頃は使者として散々よその家でただ飯を食っていたわけだし、文句を言う気はない。
それに彼らは「領民を煽って犯罪結社に仕立て上げ、領内を恐怖に陥れた挙句に逃走した当家史上最悪のテロリスト」を退治してくれたのだ。それくらいの礼はすべきだろう。
奴の逮捕を知ってやっと安心して眠れるようになったという家臣も少なくないのだし、家臣たちも迷惑がったりはしないと思う。
……ガリアからの追放組がタバサを見て何か妙な反応をするかもしれないが、まあ突然短絡的な行動を取ることはあるまい。
一応、タバサの素性予想に関しては父上にも告げてあることだし、注意くらいはするだろう。

全然関係ないが、水道関係者に聞いたところどうしても水を止める必要があれば仕切りなんかで栓ができるらしい。
が、下手に止めると上水が淀んで悪くなったり下水のU字管に溜まった水自体が悪臭を発したり他の水圧が急上昇したりするのでわざと一定量流しっぱにしているのだとか。
「しばらく置いておいても『一般的な基準』としては飲用に足りますが、若君が望む水質にはほど遠いかと」と言われたらもう僕はそうだねと言うしかない。
まあ、今の技術レベルで上水道を消毒するよりはそっちのほうがコストが安い……かな……?
ひとまず今後の課題としておこう。


閑話休題。

ラ・バルカロールに搭乗した際、とりあえず最初にフネ中を回って船内構造とその反響音を記憶しておいた。
全長40メイル程度のフネならがんばれば全状況を把握できる。
何の役に立つかは未知数だが、とりあえず初見の場所は歩き回って地面の反響音を確かめるのがもはや習慣づいてしまったのだ。

現在、ラ・バルカロールはフネの操船経験のある人間を中心に編成された試験部隊の面々によって管理・運営されている。
必然的にアルビオンの追放組が中心となるが、流石に現役空軍士官が我が領に亡命しては来なかったようだ。
その代わり、商船・軍艦問わず航空士だけなら訓練の必要すらないレベルの人間が流れ込んできている。
仕方がないので、海軍のシステムを流用しながら彼らの視点から意見を聞いてボトム・アップ方式で運用システムを構築している段階だ。
この手法は前もって「何のために空軍を作り、どのように運営するか」というドクトリンを確立させていないと迷走する可能性が高いので注意が必要である。

……しかし、本当にやることがない。
というより、艦長や他の航空士の仕事や命令系統を確認する以上のことをすると邪魔になってしまう。
当然である。僕はフネの操縦も軍隊の指揮も訓練したことはないのだ。
仕方がないので迷惑は承知の上で休憩室でくつろいでる航空士に混じって陳情という名の愚痴を聞くのが主な仕事になってしまった。
なんというか、もう今生をあわせると20年は昔になろうかという新入社員の頃を思い出す。
まあ、その頃に陳情を聞くほどの余裕や権限はなかったわけだが。

そうしてあらかたの航空士に話を聞いたあと、彼らの話を纏め上げて不満や不備を整理し、それを元にシステムの欠陥を洗い出す……というのが、訓練中の基本的な僕の仕事になった。
それから、意外と「何でこんな訓練を行っているのか」わかっていない航空士もいたので「その訓練を行うことによってどういう戦力増加が見込めるか」を説明してみた。
これにより、その視点に基づいた改善案が下から上がってくるようになった。
「命令の絶対性」という軍隊のシステム上、命令されたらどんなに理不尽でも従ってもらわないといけない。
その代わりにその行為に対して命令者は一切の責任を負う。それが軍隊と言うものである。
だが、その結果一般的な企業よりも下の不満や意見が上に届きにくいという欠点もある。
だからまあ、僕が一旦それを吸い上げて勘案するのは決して悪いことではないはずだ。
名目上とはいえ一番上にいる以上、それくらいは利用しないとやってることが下士官と変わらない。


そして数日後、家が最も遠い場所にあるキュルケが一足先に帰ることになった。
キュルケは、というかツェルプストー辺境伯はわざわざゲルマニアの船舶をこちらに遣してきた。
ツェルプストー家が船舶を保有していたとは寡聞にして知らないが……見栄のためにわざわざチャーターしたのだろうか。
そして、せっかくなので送迎として公海まではラ・バルカロールで送迎することになった。
こっそり商船護送や地上目標の追跡の訓練を兼ねていることは秘密だ。
とはいえ、こっちは上空1リーグくらい上にいるので御互い殆ど連絡は取れないだろうが。

そうしてキュルケの乗った船舶を上空から追跡していたときのことだ。
流石に送迎時まで休憩室にいるのはあれなので、僕は艦橋でキュルケの乗っている船舶を眺めていた。
この時期にゲルマニアに向かう船は結構多いため上空から見ると船舶が群を成しているようで見ていて面白い。
すると、最近空海賊の被害が多発している場所――それでも通らねばならないチョークポイント――に来たところで突然見張り台に使い魔を待機させていた通信士が大声で叫んだ。

「見張り台から通信! 左舷後部上方の雲から未確認の航空船団が出現! 距離、およそ20リーグ! こちらに高速接近中!」

艦橋の人員に緊張が走った。ここら一帯で空海賊がよく出現すると言うのは事前に周知させていたからだ。
特に空賊は着水できる両用艦を利用して上空から海洋船舶を襲うことも多い。
それはそれとして20リーグ? そんな遠くのフネをよく視認できたな……。
僕がそんなことを考えている間に、横にいた艦長がすばやく指示を出す。

「所属を確認しろ!」
「所属確認、アイ・サー!」

そういうと、通信士が今度は見張り台のメイジが所有している使い魔に連絡を飛ばす。

「《遠見》で確認したところ所属旗は確認されません! 空賊です! その数6隻!」

それを聞き、後方を確認する窓からその姿を確認する。
そこには船団が確かに存在した。
とはいっても、下にいる船舶のようなごちゃっとした塊ではなかった。
その六隻のフネはまるで一個の生き物、さながら蛇のように規律正しく列を成していた。
その船団――いや、艦隊――は海洋船舶に合わせているこちらとは比べ物にならないスピードでこちらに近づいてくる。
列の長さは、距離20リーグと言う報告が正しければ大体3リーグほど。接近しているのでもう少し小さいだろうか。
船の大きさはまだ点なのでよくわからないが、こんな距離で視認できるほど巨大で、一隻あたり数百メイルも距離をとり、かつあんな動きをするようなフネなんて一つしか考えられない。

そう――戦列艦だ。


お前のような空賊がいるか!

僕はそう叫びそうになるのを必死でこらえた。



[13654] 第八話:「ぼくのなつやすみ」シーン4
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/02/22 23:38
艦長は忙しく下の船団に所属不明の不審船が来たことを信号で告げさせている。
また、何とか向こうに所属を明らかにするよう信号を試みているが、あちらに反応はない。
まだ遠すぎてこちらに気付いていないのか、それとも反応する気がないのかは不明だ。
まあ、勿論こんな状況で希望的観測は危険だから艦長は「あれが敵艦隊であるとして」航空士を動かしている。

下の船団は大急ぎで海域の離脱を試みるが、船舶の速度でフネに勝つことは難しいだろう。
風石を積んでる積んでないと言うのもある。だが、それ以前に上空と海上では吹いている風の力が段違いなのだ。
アルビオンが浮いている距離である上空3リーグあたりになると、自然風から船体を守るために風石の力を使わないといけないほどである。
地上なら「暴風」として建物を吹き飛ばすほどの風が上空では常に当たり前のように吹いているのだ。
いまいちピンと来ない人は、地表面積推定3万メイル、平均地表深さ推定1リーグという馬鹿でかい岩の塊であるアルビオンが「吹いている風」で動いていることを思い出して欲しい。
なお、アルビオンでは「風と一緒に移動している」ことと「アルビオン内部の風石がバリアのようなものを形成している」ために余り風を感じることはないらしい。
詳しいことはよくわからないが、とにかくアルビオンの上で暴風に曝されることがないのは確かである。

おっと。現実逃避もいい加減にして、状況を整理しよう。
艦長だけの判断で出来るのは「戦闘準備」までと「実際の戦闘指揮」からだ。最終的な行動指針は僕が決めなければならない。
接近している所属不明の艦隊は6隻、最新の望遠鏡で確認したところ果たしていずれも戦列艦だった。
左右舷に各29門、前後に各8門、合計74門の大砲を積んだ通称「74門艦」と呼ばれる戦列艦のベストセラーである。
火力・防御・帆走性能のバランスの取れたコストパフォーマンスの高い艦種だと考えられており、その正しさは歴史が証明している。
完全な航空用なら左右舷の砲うちいくつかを真下に設置しているのだが、あの艦隊は水陸両用にしているためか真下に砲は設置されていない。
まあ、下から戦列艦に大砲を撃っても傷一つつかないか反動で撃ったほうの甲板が破損するかのどっちかなので真下に張り付いても全く意味がない。

単なる数の差でも6:1、砲門数で言えば444:8、各艦の一番砲門数が少ない面がウチの装砲門数と同じという絶望的な戦力差だ。
スピードは若干こちらが上だが、そこまで有意な差はない。忘れてはいけないがこれは旧式艦なのだ。
有利な点と言えば細かな動きが出来ることくらいだろうか。
常識的に考えれば距離があるうちに逃げるのが最善策だ。
だが、残念ながら現在の状況でそれは出来ない。
なぜなら現在ラ・バルカロールは軍艦としてフネを送迎しているからだ。
つまり、当艦は下の船に対して責任を負っていることになる。
ここで下の船を見捨てて逃走すれば、最悪王家から空軍保有の許可が取り消される恐れがある。
少なくとも「保身を優先させて警護対象を守らない治安部隊」として領内の犯罪者どもがウチを侮る可能性が高い。
つまり、少なくとも下の船が安全区域に離脱できるか、援軍が到着するまで奴らを食い止めなければならない。
同じ理由で降伏も却下だ。つまり戦うしかない。

次に、何を目的にどうやって戦うかだ。
援軍が到着する可能性を考える。ここはチョークポイント、つまり海上交通や空輸の要衝であり、多数の警備船が巡回している。
だが、そのうち海洋船舶は基本的に役に立たない。大砲が上空に全く届かないからだ。
となるとフネの哨戒艦しかありえないが、そういうフネは大抵ラ・バルカロールとどっこいどっこいの性能である。
戦列艦6隻という無茶な艦隊を何とかしようと思ったら、戦列艦や竜騎士隊を動員するしかない。
そこまで大きな艦隊を編成してここに持ってくるには相当な時間がかかるだろう。泥縄というやつである。
なら、当艦の目的は「下の船団が安全区域に離脱するまで艦隊をひきつける」か「艦隊を戦闘不能に追い込む」の二択だ。
そして、ここで言う安全圏とは「連中の視界外」つまり「船舶が波に紛れて見えなくなるまでの距離」を意味する。
その時間を勘案すれば……。

「高度上昇、あの艦隊よりも上空へ移動しろ。哨戒カラスの主人は今のうちに使い魔を空軍司令部に飛ばして緊急事態を告げろ。
 通信士は『返信なき場合交戦の意志ありと見做す』と警告を続けろ。下の船団にも危険がわかるよう堂々とな。
 向こうが砲の有効射程内に入っても通信なき場合、または向こうが交戦の意思を見せた場合は即座に旗艦を攻撃する。各員は準備を急げ」

僕はそう告げた。要するに「今からガチ戦闘をやる」ことを宣言したのだ。

「戦列艦隊とまともに戦うおつもりですか!?」

艦長がそう尋ねる。まあ常識で考えてありえない選択肢だろう。僕だってそう思う。

「なら艦長、対案は」
「……いえ、当艦の生存と護衛目的を同時に達成するには短期決戦の勝利しか……失礼、もっとも確実です」

艦長はしばらく考えた後、僕と同じ結論に達したらしくそう返答した。
日米開戦を決意した旧日本軍の大本営もきっとこんな気持ちだったんだろう。

「わかってもらえて何よりだ。なら総員、戦闘準備、急げ! 日ごろの訓練の成果を見せてやるんだ!」
「サー・イエス・サー!」

艦長以下全員、そういうときびきびと戦闘準備を促し、フネの高度を上昇させていった。


戦列艦隊はほぼ最大戦速でこちらに接近してきている。下の船が散り始めたのを見てスピードを上げたようだ。
だが、こちらに気付いたらしく徐々に高度を上げてきている。
そして、向こうから信号が発信される。
『各船、停船・武装解除シ降伏セヨ、サモナクバ攻撃スル』と。
あくまでも空賊だと言い張る気らしい。ならこちらとしても予定通り徹底抗戦しかない。

「見張り台から伝令! 《遠見》での確認によると敵艦隊に竜騎士の搭載はないようです!」

通信士からそんな声が聞こえる。まあそうだろう。そんなもの積んでたらさっさとこちらに竜騎士を向かわせているはずだ。
それだけでもうこちらは成す術もなくワンサイドゲームで沈められてしまう。
だが、それでも明らかな彼我の戦力差に艦橋に不安感が広がっている。
床の反響を見るに、他の場所でもかなりの人間が浮き足立っているようだ。
これはまずい。なんとか兵を鼓舞しなければ戦闘にもならない。
僕は伝令管のふたを開け、とりあえず大声を上げた。

「栄光あるラ・バルカロールの航空士諸君! ド・ヴュールヌ侯爵空軍艦隊提督のレイナール・シュヴァリエ・ド・ヴュールヌである!」

艦内に声が響いているのが床からも聞こえてくる。そして動揺もとりあえず収まったようだ。

「我々は今から卑劣な空賊どもと交戦状態に入る! 敵は戦列艦6隻! 不安に思っている航空士も多いだろう!
 だが! 我々は勝利する!
 戦争は数だ! そして空戦における数とは砲弾の数、つまり『砲門数×発射速度』で決まるというのが常識だ!
 その公式で考えれば砲門数は444:8だ! 我らが今までの修練によって発射速度を2倍にしたところで未だ20倍以上の開きがある!
 諸君らが不安に思うのもよくわかる!」

とりあえず空軍兵士の常識を大声でがなりたてながら次の言葉を考える。

「だが! その常識は間違っている! 正しい砲弾の数は砲門数×発射速度『×命中率』だ!
 諸君らは今まで敵の砲弾を避けるため、そしてこちらの砲弾を確実に中てるため今まで訓練を重ねてきた!
 奴らの弾は中らない! なぜなら我らは避けるからだ!
 ならば我らの戦力差は444:8ではない! それは奴らの思い込みであって、真の戦力差は0:8だ!
 奴らの弾は中らない! 侯爵軍は史上最強! 復唱!」

僕がそう叫ぶと、伝令管からぽつぽつと「奴らの弾は中らない……侯爵軍は史上最強……」と聞こえてくる。

「声が小さい! やり直せ! 『奴らの弾は中らない! 侯爵軍は史上最強!』」
「奴らの弾は中らない。侯爵軍は史上最強」
「もっと大きな声で!」
「奴らの弾は中らなぁい! 侯爵軍は史上最強ぉ!」
「よし、その意気だ! でかいフネ揃えればいいと思ってる勘違い野郎どもを教育してやれ! 以上!」

そういうと、熱狂がさめないうちに伝令管に蓋をした。
まあぶっちゃけ詭弁である。ぼろが出ないうちに話を切ってしまったほうがいい。

「ふぅ……じゃあ艦長、後の具体的な戦術は任せるよ」
「了解しました。御見事です、提督。しかし……あれでは一発でも砲が命中した瞬間に兵が恐慌するのではないですか?」
「いや艦長、その心配は必要ないよ」
「なぜですか?」
「こんな老朽化したコルベットが戦列艦の大砲を食らったら一撃でバラバラになるって。なら、中らないと思いこんでた方がいいじゃないか」

僕は恐怖で手を震わせながらそう言った。
真実というのは、基本的に知らないほうが幸せなのだ。



[13654] 第八話:「ぼくのなつやすみ」シーン5
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/02/24 10:46
一方その頃、トリステイン空軍司令部ではトリステイン艦隊司令官であるラ・ラメー伯が不機嫌な顔で報告書に目を通していた。
アルビオンとの同君連合と同盟が決まって以降トリステイン空軍はアルビオンとの合同演習を多数行い、数年前とは見違えるほどの錬度を手に入れた。
戦列艦も多数新造中であり、今年中には相当数の74門艦がトリステイン艦隊を飾ることになるだろう。
彼もそのこと自体に不満はない。だが……アルビオンとトリステインでは錬度も経験も規模も違いすぎた。
合同演習とは名ばかり、我がトリステイン空軍は「アルビオン空軍に鍛えてもらっている」というのが実情だ。
ド・ヴュールヌ候から訓練教官の派遣要請があったが、教官が足りないのは王国空軍だって同じである。
そんな技能のある士官や退役軍人がいるならこっちが派遣して欲しいくらいだった。

また、新型艦の建造に至ってもかなりの数をアルビオンやガリアやゲルマニアへの外注に頼っている。
御粗末な話だが、トリステインに最新型の軍艦を製造できる造船所が殆どないらしく、国中の造船所に発注を断られたのだ。
最近頭角を現しているド・ヴュールヌ領の造船所は発注を受け付けたが……流石に一地方の造船所だけでは生産が間に合わないと判断せざるを得なかった。
王国の空、ひいては国土そのものを守るべき王家の翼が外国の手を借りねば満足に育めない。
ラ・ラメー伯は空軍提督として大いに屈辱を感じていた。
だが、それと同時に「わが国はこれほどまでに衰えていたのか」という危機感も抱いていた。
艦隊や竜を育成・維持せねばならないと言う性質上、空軍力はどうしても国の生産力に縛られる。
そして制空権は制海権となり、同時に領土の支配権となるのだ。
つまり空軍の劣化は国力衰退の証左であり、同時に国家存亡の危機なのである。
空軍将官としての贔屓目もあろうが、ラ・ラメー伯はそう考えていた。
そんなことを考えていると、情報将校の一人が突然手紙を持って司令官室に駆け込んできた。

「閣下! ド・ヴュールヌ侯爵家の護衛艦ラ・バルカロールから緊急通信です!
 例の海域で商船護衛中に所属不明の戦列艦6隻に襲撃され現在交戦中、至急救援を求むとのこと!」

『例の海域』とは、最近空賊が多発する交通の要所のことである。
早いうちに何か適当な名前を付ける必要があるなと、ラ・ラメー伯はそんなことを思った。
情報将校が持ってきた手紙を見ると、確かにド・ヴュールヌ家の封蝋がされている。
念のため手紙を確認するが、内容に間違いはないようだ。

「戦列艦6隻だと? ラ・バルカロールはコルベットだぞ。まともな勝負になるはずがない……
 竜騎士隊と艦隊に伝令! 勇敢なラ・バルカロールを救援に向かう!
 竜騎士隊は今すぐ例の海域を哨戒し、状況を確認し連絡せよ! その後艦隊が到着するまでは竜騎士隊長の判断に委任する!
 艦隊の乗組員を招集しろ! 出撃準備だ! 急げ! 準備完了にどれだけかかったかしっかり記録するぞ!」

ラ・ラメー伯はすばやく御付の連絡官やその辺の情報将校にそう命令した。
ラ・ラメー伯の記憶が確かならラ・バルカロールに積まれている砲は現行フネに搭載できる最大の大型砲である。
そのため理論上は戦列艦にも打撃を与えうる。だがそれはあくまで「理論上は」だ。
常識的に考えて戦列艦6隻を相手にしてまともな勝負になるわけがない。
せいぜいその身と引き換えに1隻道連れにするのが関の山であろう。
間に合うかどうか微妙なところだが……彼らは商船、つまり国民を守るために無謀な戦いを敢行しているのだ。
それを見捨てればそれはもはや軍隊ではない。せめて彼らが守ろうとした商船だけでも守る必要がある。ラ・ラメー伯はそう考えた。
だが、それを聞いて情報将校が制止した。

「お待ちください、閣下! 空賊が戦列艦6隻を従えているなど常識的に考えてありえません!
 これは誤報・偽報・あるいは艦隊を誘引するための罠である可能性があります!
 のこのこ艦隊を差し向けた場合、その隙を突かれて第三国に国境を侵犯されるかもしれません!」
「ほう、なら聞くが我が国の国境警備隊は隣国艦隊の動向を把握できているのかね?
 それから、そのような報があった際に我が艦隊はすぐに動ける体勢になっているように見えるかね?」
「そ、それは……」
「いや別に君を責めているわけではない。だがそれが我が空軍の現状なのだ。ならば緊急発進の訓練だと思って向かった方が有用だろう。
 それに現在トリステイン空軍が真っ先に排除すべき危険はまさに例の海域の空賊なのだ。優先順位からしても艦隊を差し向ける価値がある」

そういうと、ラ・ラメーは旗艦『メルカトール』に乗り込むべく司令官室を後にしようとした。
だが、その前に振り返り、退室しようとした情報将校に向かって

「ああそうだ。情報部に戻ったら今回の状況を報告して空軍司令官が情報処理に関して改良を要求していたと伝えてくれ。
 『かもしれない』で軍の動向を決定するのはできれば避けたいのでね」

とだけ告げて去っていった。


一方その頃、私掠艦隊は上空のコルベットに気付いて高度を上昇した。
警告の通信を送るも向こうに停戦する様子はない。どうやらコルベット一隻で戦列艦6隻と戦うつもりのようだ。
鬱陶しい。艦橋でその姿を確認した私掠艦隊の提督はそう考えた。
まともにやったら勝負になるわけがない。おそらく大砲を一発叩き込むだけでバラバラにできるだろう。
しかしそれは同時に「あのフネを倒しても何も得るものがない」ことと「あちらがまともに戦うわけがない」ことを意味する。
せっかくあのフネにド・ヴュールヌ候の嫡男が乗っているという情報を聞いたというのに、これでは身代金も期待できない。
しかも位置取りは最悪だ。向こうのほうが上空かつ風上に位置している。
まあ風石の力で風に逆らって移動することはたやすいのだが、相当の時間を相手に与えることになる。
また、しばらくの間向こうに一方的な攻撃を許すことになる。
コルベット一隻の砲撃が中るわけもないし仮に中ったところで1~2発程度で戦列艦が沈むはずもないが、ひたすら一方的に砲撃されるとそれだけで士気に関わる。
だからと言って無視して商船を襲おうとすると本当に上から一方的な攻撃を受けることになる。そうなったら流石に1~2隻は沈められかねない。
倒しに行くのも面倒、放置するのはもっと面倒、これを「鬱陶しい」と言わずして何といおうか。

「ひとまず、上昇しながら風上に回りこめ」
「上昇しながら風上に迂回、アイ・サー」

提督は、セオリーに従った命令を下した。そこまでする価値があるかどうか微妙だが、油断して成すべきことを怠り屍を曝した例は過去枚挙に暇がない。
どうせ回り込むために必要な時間は定石をはずしてまで惜しむほどではないのだ。
だが、こちらが風上に回り込もうとすると上空のコルベットはそれに対応して位置をずらし始める。
いくら74門艦が旋回力に優れるとはいえコルベットに勝てるほどではない。
どうやら風上を取るのは諦めざるを得ないようだった。
そうこうしていると、上空のコルベットから信号が発信される。

『貴艦隊ハトリステイン艦隊ノ包囲ヲ受ケテイル。今ナラマダ間ニ合ウカラ降伏セヨ』
「ハッタリもいいとこだな。各艦に無視するよう伝えろ。それから作戦を変更する。最短距離で奴を沈めるぞ」

しかし、そういうと旗艦の艦長が提言する。

「よろしいのですか? このタイミングで作戦を変更すると乗組員に『援軍を恐れて短期決戦に走った』と誤解を与えかねませんが」

その通りだった。
この私掠艦隊は上級航空士こそ軍事訓練を受けているが、機密性保持のため一般の乗組員はそこらのフネ乗りや空賊上がりを利用している。
死んでも何の痛痒もないという利点はあるが、何かあると簡単に士気が崩壊する恐れがあった。

「……しかたない。しばらくこの戯言に付き合ってやれ。頃合を見て作戦を変更する」
「アイ・サー」

そして私掠艦隊はしばらく不毛な回り込みを強いられた。
そして私掠艦隊の船乗りたちも「回り込むのは無理なんじゃないか」と気付き始めたあたりで作戦が直進に変更された。
これにより、ラ・バルカロールは優位な位置を保ちながら地球時間に換算して十数分の時間を稼ぐことに成功した。


そうして、私掠艦隊が風下からある程度接近したところで、ラ・バルカロールが左右に舵を振りながら砲撃を始めた。
左右に舵を振るのはかつて風上に向かって移動する際に行われていた伝統的な航法である。
逆風に向かって移動する際に風石の使用を節約できると言われているが、現在では基本的に意味のある行動と見做されていない。
また、いくら下にいるとはいえこの距離は大砲の有効射程距離の数倍である。
曲射すれば理論上届かないわけではないが、到底当たるとは思えない。
私掠艦隊提督が怪訝な表情でそれを眺めていると、旗艦から右前方に数リーグ、というか敵艦から程近い場所で爆発が起こった。

「炸薬弾だと? あいつらなんでそんなものを……」

提督はいぶかしんだ。
炸薬弾とは、花火のように「火薬を封じ込めた弾」である。というより、これの応用が花火と言ってもいい。
威力を高めるために弾丸の中に鉄球や刃物状の破片を封じ込めたものもある。
こう書くと強いようだが、中の火薬が誘爆しないように大砲の火薬を調整せねばならないため取り扱いが難しい上に初速が極めて遅い。
また導火線の問題で「ある程度の時間になると爆発」するため、弾道が合っているのに途中で爆発して無意味になることも多い。
そして、これが肝心なのだがそもそも至近距離で爆発しない限り城壁や艦にダメージを与えることは困難な火力しかない。
そんな至近距離に当たるのなら実体弾で十分な破壊力を与えることが出来る。
以上の理由から実用的な武器とは見做されておらず、現状「信号弾」かせいぜい「上空から歩兵を牽制する」際にしか用いられない。まさに花火である。
とはいえ、艦の近くで爆発が起きれば火薬の煙で視界が多少悪くなるし、破片が風石によるバリアを飛び越えてマストや艦橋のガラスや甲板の作業員に当たる危険性がある。
なにより、轟音で乗組員の士気が下がる。特に実害はないが、うざったいのは確かであった。
そんなことを考えてると、再び砲弾が発射される。今度は左前方数百メイルあたりで爆発が起こった。

「甲板から通信、炸薬弾の破片が帆に刺さり微小な穴が開いた模様、航行に影響はありませんが、兵が動揺しています」
「破片で怪我をしてもつまらん。甲板にいる人員をとりあえず船室に避難させろ」
「乗組員を船室に一時収容、アイ・サー」

提督がそう命令すると、艦隊の人員が次々と船内に帰還していく。
だがこれによりマストを移動させることが困難になり、移動力が若干低下する。
向こうが後退し始めたため、しばらく相対距離を縮めることは出来ないだろう。
なるほど、嫌がらせと時間稼ぎには十分な効果じゃないか。提督はそう考えた。
それから何発か炸薬弾が発射されたが、いずれも艦隊に損傷を与えることはなかった。

そうしてチェイスを続けていると、不意にラ・バルカロールから光る砲弾が一発発射された。
その砲弾は放物線を描いてこちらに近づいてくる。

「なんだあれは? おい、すぐに正体を確認させろ」

提督がそういうや否や光る砲弾は旗艦の右十数メイル横を通り過ぎて、そのまま落下していった。

「見張りから報告! さ、先ほどの光源は《ライト》が付与された通常弾とのこと!」
「な、なんだと!」

提督は驚愕した。そして連中の今までの砲撃の意図を把握した。
あいつらは炸薬弾を使ってこちらの速度を下げるとともに弾道を測定してたのだ。
そしてある程度の目星が着いたところで、通常弾に《ライト》を付加して弾道の最終確認を行ったのだ。
そうでなければ、有効射程距離の数倍で「旗艦から十数メイル」などという距離に砲弾を撃てるはずがない。

「いかん! 取り舵いっぱい! 砲撃が来るぞ!」

提督がそう宣言したのと、旗艦の艦橋に砲弾が命中したのはほぼ同時であった。


「旗艦艦橋大破! 提督・旗艦艦長との連絡が途絶えました! 現在旗艦は慣性移動を行っている模様!」

第二艦の通信士が艦長と副提督に叫ぶ。

「何だと! ばかな! この距離で、曲射で、しかも大砲で艦橋を狙撃するだと!」

副提督はそう叫ぶが、目の前の現実が否定できるわけでもない。
偶然にせよ何にせよ、敵艦の砲弾が旗艦の艦橋を撃ち抜いた。それは否定しようのない事実である。
さらに、見張りと通信士から悲痛な通信が届く。

「右舷方向から飛行物体が高速接近中! トリステイン竜騎士隊です! その数10騎! 現在距離推定30リーグです!」
「敵艦が右舷方向に通信! 傍受したころ『作戦ハ順調。引キ続キ当艦ハ作戦ヲ続行スル。貴艦隊ハ包囲ヲ継続サレタシ』との内容です!」

副提督は状況が把握できなかった。
入手した情報によると、ツェルプストー家の令嬢が故郷に帰還するためにこの海域を通過し、その護衛にド・ヴュールヌ家嫡男が私有艦を率いて護衛をしているはずだ。
それがなぜ旗艦を攻撃され、さらに包囲されるなどという状況になっているのか。
落ち着いて思考しようとするが、提督が戦死した可能性が高いと言う事実と突然全責任が圧し掛かってきた重圧でまともな考えが浮かばない。
そして――

「そうか! これは罠だ! あの情報自体が我々をおびき寄せ、一網打尽にするための陰謀だったんだ!」

そう判断してしまった。
仮にそうであった場合、最悪な結果は何か――もちろんそれは全艦撃沈、ではない。
我々艦隊士官のうち誰かが捕らえられ、この私掠艦隊の正体がばれることである。
となれば、取るべき行動は一つしかない。

「現段階を持って作戦を放棄! 撤退する!」

副提督がそういうと、艦長が悲痛な声で叫ぶ!

「無理です! 戦列艦の速度では竜騎士を振り切ることは出来ません! 戦いましょう!
 竜騎士10騎程度なら墜としてみせる自信があります!」

だが、そういっている間に再び光る砲弾がラ・バルカロールから撃ち込まれる。
今度は、第二艦の左横数十メイルの位置を横切っていった。艦内に緊張が走る。
副提督は半分パニックを起こして宣言した。

「やむを得ん、艦隊を放棄する! 脱出艇を用意しろ! 艦を囮にするんだ!」
「副提督!」
「今は私が提督だ! この作戦は失敗だ! 今は被害を最小限に食い止めることを考えろ!」
「……脱出艇を用意、アイ・サー……」

そうして数分後、戦列艦隊から多数の脱出艇が飛び出していった。
士官が脱出した私掠艦隊は総崩れとなり、乗組員たちは次々と白旗を掲げ始めたのであった。


一方その頃、

『ラ・バルカロール、先ホドノ通信ノ意味ヲ伝エヨ、アルイハ暗号カ?』

竜騎士隊長は、突然ラ・バルカロールから送られてきた訳のわからない通信に対して《ライト》の魔法でそう返信していた。



[13654] 第八話:「ぼくのなつやすみ」シーン6(第八話エンディング)
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/02/24 01:42
前回のあらすじ
嫌がらせでアウトレンジ攻撃していたら旗艦艦橋にクリティカルヒットした上に敵幹部が逃げたでござる


竜騎士隊と合流して白旗を揚げた各艦を着水させ制圧していると、数時間後にトリステイン艦隊が救援に現れた。
数年前では考えられないスピードである。これなら本気で時間稼ぎだけしていても助かっていたかもしれない。

ラ・ラメー提督には一体何をやったのかと問われたが、正直会戦中の指揮はほぼ全て艦長がやっていたので僕からは説明のしようがない。
僕がやったことと言えば開戦直後と竜騎士隊到着直後に通信士に信号を打たせたことくらいだ。
その艦長も「訓練どおり相対位置をキープしながら曲射させていたら空賊幹部が勝手に逃げた」ということで、相手が何であっさり逃げたのかなど聞かれてもわからない。
そりゃ相手の士気を挫くために通信で偽報をかけたりと小細工はしたが、その程度である。
まさに「勝ちに不思議の勝ちあれど、負けに不思議の負けなし」である。「なんか知らんがとにかく勝った」としか言いようがない。
とにかくラ・ラメー提督には「こんなものを後の参考にしないでください」と釘を刺しておいた。

「私はあくまで戦闘教義に従い訓練通り指揮を執っただけです。真の功労者はこの作戦を行えるまでよく訓練した航空士たちです」

というのが艦長の弁である。
これを聞くと謙虚なようだが、空軍の戦闘教義作成にも訓練にもこいつが主軸で関わっているのだ。
要するに彼は「こんなまぐれの勝利ではなく事前準備と訓練内容の方を褒め称えろ」と言いたいのである。
実に頼もしい発言である。勿論僕としてもこんなまぐれ勝ちよりもそちらの方を評価したい。
ただ、後で艦長に聞いたらとりあえずこれくらいは作戦を考えていたらしい。

1:炸薬弾を撃ち込んで風向と風力と弾道を確認するとともに敵艦の乗組員の士気を下げて敵艦速度を下げる
2:曳光弾を撃って弾道を敵味方ともに確認させ、こちらの砲撃精度を見せ付けてさらに士気を下げる
3:敵が回避行動を取った場合、さらに距離をとってこちらへの攻撃を断念させる
  回避行動をとらなかった場合、そのまま照準を補正して艦に命中させる
4:諦めて敵が帰還したらそれでよし、下の船舶を狙い始めたら上から空爆する
5:再度上昇してきた場合1に戻る。仮にこの間に援軍が来たらその指揮下に入る
6:砲撃が全然命中しない場合は風石を利用して炸薬弾を空中にばら撒いて敵を足止めする
7:援軍到着前に距離をつめられた場合、覚悟を決めて戦列の間に割って入ってドッグファイトする

まあ後から聞いた話なので実際にどれだけ事前に考えていたのか、そして実際にやった場合どれだけ効果があったかは不明である。
何しろこちらは基本的に「安全圏を確保しながら組織力の高さを見せ付けて相手の士気を挫き攻撃を諦めさせる」というドクトリンに従って訓練していたのだ。
それ以外の行動がどれだけ出来たかはなはだ疑問と言わざるを得ない。

なお、拿捕した戦列艦に乗っていた乗組員たちは基本的にそこらで雇われた傭兵の類らしい。
流れ者を雇っていたのはウチだけではなかったというわけだ。やはり現在の労働市場は異常である。
艦隊を指揮していた連中は艦を放棄してとっとと脱出したという。
まあその時点で「我々は何か隠している後ろ暗い組織ですよ」と宣言しているようなものだが、証拠も情報もない以上正体を突き止めることすら出来ない。
まあ、乗組員の処遇も含めて後は王軍に任せればいいだろう。それ以上しゃしゃり出ても中央の面子をつぶすだけで碌なことがない。
こちらとしてはツェルプストー家の船舶(とついでに周りの商船)を無事ゲルマニア領海まで護衛できたのでそれで十分である。
とりあえずツェルプストー家の心証が悪化することはないだろう。ビビられた可能性はあるが。


戦利品として拿捕した戦列艦は「忠誠の証として全て王家に献上」した。
正直言って戦列艦やその備品なんかドクトリン的にも要らないし、王軍だって一領主に戦列艦なんか渡したくないだろう。
また一日も早く空軍力の増強を行いたい王軍にとって「せいぜい小破した程度の戦列艦」は喉から手が出るほど欲しいはずだ。
そして、救援に来たのだから王軍だって戦利品を受け取る権利を主張できる。
だが、こちらとしても何かもらわないと後々ただ働きをさせられる先例になりかねない。
仕方がないので所有権をめぐって揉めないうちに「名目上は侯爵家が接収し、自主的に王家に献上する」ということで妥協することにした。

その見返りとしてド・ヴュールヌ家に艦隊および竜騎士隊を保有する権利が正式に認められた。
また、艦長以下「ラ・バルカロール」の乗組員全員に感状と報奨金が、僕には「ド・ヴュールヌ伯」という意味のわからない爵位が与えられた。
それによって土地や年金がもらえるわけではないし、義務が追加されるわけでもない。
ぶっちゃけ「ド・ヴュールヌ侯爵の嫡男は公に伯爵を名乗っていいよ」という名誉称号である。
はっきり言ってゴミクズ同然の恩賞だが、実利を譲渡した以上栄典くらいは受け取っておいたほうが安全である。
「カネも名誉もいらん奴は扱えないから殺すしかない」と昔の偉い人も言ってたし。


余談だが、王家から乗組員たちに報奨金が渡されたせいで困った事態が発生した。
侯爵家から恩賞が渡しにくくなったのである。
王家の面子を守るためには報奨金より多く渡すわけにはいかないし、王家の定めた基準を逸脱するわけにもいかない。
それが妥当ならこっちも追随すればいい話だが、連中「艦長」とか「旗艦に砲を命中させた砲手」とか目立つ奴ばかり優先して
「そもそもドクトリンを考えて炸薬弾などを準備していた戦術研究者」とか
「20リーグ向こうの艦隊を発見し、武装を特定した見張り」とか
「砲撃しやすいよう左右に艦を振りながら相対位置をキープし続けた操舵士」とか
「訓練時に間接射撃のデータを取り、弾道計算の精度を向上させた技術士官」とかそういう真の功労者を完全に軽視しているので非常に困る。
仕方がないから別の形でそれとなく報いるしかなくなってしまった。実にやりづらい。
恩賞は政治の問題だから中央官僚が決めるのはわかるが、せめてこちらの軍政くらい汲み取って欲しいものだ。
こんな英雄志向の賞罰をされると組織力重視の侯爵家にはマイナスにしか働かないじゃないか。
感状はいいとして、陪臣の賞与体制にまで口を出すような真似は止めて欲しいものである。



[13654] 番外編:「情報を処理するだけの簡単なお仕事です」(閑話・読切)
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/05/20 19:36
註:1000カウントをとった「ねりけし◆06734b25様」のリクエストにお応えして執筆いたしました。ご期待に添えたかどうかわかりませんが、ご笑覧くださると幸いです。



「本当に残念だわ。せっかくだからタバサには私の城に遊びに来てもらおうと思ったのに」

外洋と運河の連結地点である旧漁村、通称“二番街”の港で、キュルケは見送りに来たタバサにそう言った。
キュルケはせっかくだからとタバサをツェルプストー家に誘ったのだが、タバサは実家の用事があるからとそれを断ったのだ。

「まあいいわ。じゃあまた学院で……というかその実家の用事ってのが片付いたらいつでも遊びに来て頂戴。歓迎するわよ」

そう言って、キュルケはツェルプストー家の紋章がついた船舶タラップを上っていった。
ツェルプストー家は沿岸に領地を持っていなかったはずなのだが、なぜ海洋船舶を保有しているのかという野暮な突っ込みを入れるものはいなかった。

なお、ツェルプストー家の見得のためかかなりの人数が見送りとして動員されることになった。
タバサはド・ヴュールヌ家の人間たちが「そんなどの船に乗るか公開するような真似をしたら襲撃されるかもしれませんよ」と苦言を呈していたのを思い出した。
まあ、上空に護衛としてコルベットが控えているのだ。
それも1リーグ以上の高高度で少しのブレもなくピタっと制止できているところから、かなりの錬度があると推察される。
海賊はおろか生半可な空賊でも圧殺できるだろう。タバサはぼんやりとそんなことを想像していた。


タバサの実家の用事、つまり北方花壇騎士としてイザベラから与えられた任務は「ド・ヴュールヌ家の調査」であった。
嫡男の友人として堂々と内部を闊歩できる立場を利用して怪しまれない程度に内部情報を手に入れて来いということだった。
いくら間諜を送り込んでも公開情報と同じ情報しか手に入らないし、各国の間諜が次々と姿を消していくので内情を調べる必要があると判断したらしい。
同時に「お前を唆してガリア王家に反旗を翻そうという旧ガリア人がいたら報告しろ」とも言われていたため、タバサはできるだけガリア出身者とは会わないようにしていた。

だが、今に至るまでタバサは殆ど公開情報に毛が生えた程度しか情報収集出来なかった。
とはいえ、公開情報だけでも一人では把握できそうにないほどの情報量がある。
何しろ本来貴族にとって最大の秘密であるはずの「財務状況」や「領内の地図」ですら公開しているのだ。
とても真実を記しているとは思えないが、確認する限り公証と矛盾するような財や地形は見当たらなかった。
そのくせ「領民の現住所」のようなどうでもいい情報はものすごく厳重に守られている。
滞在初日、厳重に秘匿されているからよっぽど重要な書類なのかと一日かけて盗み見てみたら単なる領内のロマリア料理店一覧でひどく拍子抜けした覚えがある。
これをそのまま報告した間諜は間違いなく「やる気があるのか」と叱責されるだろう。
一体何を考えているのだろうか。タバサはこのド・ヴュールヌ家という集団に得体の知れない感情を抱いた。
だが、すぐにある意味納得した。これがあのレイナールという変人を生み出し、許容してきた土地なのだろうと。

タバサは、レイナールという人間が苦手であった。
はっきり言って戦闘能力は大したことがない。真正面から戦うとなったら簡単に平押しできるだろう。
だが、逆に真正面からの平押し以外で勝てる手立てが全く思いつかない。
昔彼に「弱いから気をつけろ」などと言ったが、一体何に気をつけろというのか。タバサは伯父の不可解な命令とその時の伯父の眼を思い出した。
そして、その眼がレイナールを苦手と感じる最大の理由でもあった。
レイナールの眼があの伯父の眼にとても似ているのである。
自分と同じものを見ているはずなのに全く違う景色が見えているような、まるで根本から私たちと精神構造が違うかのような眼。
よく言えば天才の、悪く言えば狂人の眼をしているのだ。

伯父ほどかどうかはともかく、少なくともレイナールがかなり世間とは逸脱した感性を持っているのは間違いない。
端的に表されるのが、行きしなに彼が言った「4、5年でこの辺の建物も見られるようになる」という発言だ。
おそらく彼は「ウチがうまくやっているのを見れば近いうちにみんな真似し始める」と言いたいのだろう。
たしかに「誰かが建てる気になれば」どの建物も予算集めから設計・施工までで3年もあれば建つものばかりだ。
しかし、この領土の施設は基本的に「領民が、自分たちの利益になるように」作ったものだ。
しかも、どれもこれも莫大な資金がかかる。真面目に全て揃えようとしたらガリア王家でも財政が傾くだろう。
そんな施設をわざわざ建てようとする領主はまずいないし、領民は作りたくても資金が無い。
仮に資金があっても領民が自身の力を増すために何か施設を建てることを許す領主などいないだろう。
領民だってわざわざ領主の機嫌を損ねてまでそんなものを作りたいとは思わないはずだ。
要するに、ここ1~2年の間に資金を持った平民が現れ、かつ上から下まで劇的に価値観が変動しない限り彼の言う通りにはならないのだ。
それとも彼は「ここ1~2年のうちにそういった価値観の激変が起きる、あるいは起こす」と言いたいのだろうか。
もしそうだとしたら、なるほど伯父のような眼をしているのも頷ける。


キュルケの乗った船舶が遠くなると、見送りに来たド・ヴュールヌの家臣たちが慌しく動き出した。
「どの勢力まで情報を入手可能だったか調査が云々」という声が聞こえてくる。どうやら本気でキュルケが乗った船舶の襲撃を警戒しているらしい。

「どうかなさいましたか、ミス・タバサ?」

しばらく周りの声を聞いていると、今まで観光案内として二人に付き従っていたミス・グリーンと名乗るド・ヴュールヌの家臣がそう尋ねてきた。
何でも領土開発の責任者を任されており、数年前トライアングルに開眼したという土メイジだ。
本来はここにいないギーシュの案内も任せられているはずだが、彼は基本的に二人と別行動を取るので彼女の部下がついているらしい。
その正体はモード大公に付き従い滅亡したサウスゴータ家の末裔、マチルダ・オブ・サウスゴータであるとも噂されている。
少なくとも彼女はド・ヴュールヌ内にある派閥の一つ「アルビオン派」と呼ばれるアルビオンからの追放組で構成された派閥のまとめ役らしい。
まず彼女から話を聞いたほうがいいだろうか、タバサはそう考えた。

「少し聞きたいことがある」

ミス・グリーンが声をかけてきたのをいいことに、タバサは質問を投げかけてみることにした。

「なんですか?」
「なぜここは財務や領土の地図を公開しているのか気になった」
「はあ……財務に関しては私ではよくわかりませんが、地図に関しては公開した方が物の流れがスムーズになるからです。
 絶えずどこかで工事が行われていて地形が変わるので、領民が迷うと危険という意味もありますね。
 おそらく財務に関しても似たような理由があるのではないでしょうか。
 いずれにせよ侯爵邸の敷地内など本当に知られてはいけない場所は非公開ですから、ご滞在中の安全はご心配なく。
 ……ところでミス・ツェルプストーの船はもう見えなくなってしまいましたし、そろそろ移動いたしませんか?」

そう言われたタバサが周りを見ると、あれだけいた見送りがすっかり引けて周りは雑多な港湾の風景に戻っていた。
ただ、よく見るとド・ヴュールヌ家の家臣と思しき服を着た人間が何人も周りの風景に溶け込んで交通を整備したり辺りを見張ったりしている。

「ここはそんなに危険なの?」
「そういうわけではありませんが……なにぶん人が多く、旅行者や移住者の方も多いものですから放っておくと時々『色々と道に迷う』方が出ますので。
 そうなる前に、侯爵家からもできるだけのことをしたほうがお互い幸せになるだろうという判断ですね」

「道に迷う」とは言いえて妙だとタバサは思った。
この人の出自が噂通りなのかはともかく、貴族の地位を失いアルビオンを放逐されたのであろうことは間違いない。
通常、そのような没落貴族は傭兵になるか盗賊になると言われている。
それまで貴族として生きてきた人間が平民社会に溶け込むことはまず不可能だからだ。
そもそも一般的な社会は外部から来た異分子を認めないことが多い。気位の高い没落貴族ならなおさらだ。
そういう意味では、彼女もここに来なければ「道に迷っていたかもしれない」人間の一人なのだろう。
……しかし、開放的な社会と言うのはいいことばかりでもないはずだ。
自分が言うのもなんだが、誰彼かまわず受け入れていれば簡単に間諜が紛れてしまうだろう。
せっかくだから、タバサはその辺どう思っているのかミス・グリーンに聞いてみることにした。

「そんなに人を受け入れていたら間諜などが簡単に入れるのでは?」

そう尋ねると、ミス・グリーンは苦笑いをしながら答えた。

「まあそうですけど、治安担当が言うには領内のどこにどの組織からの間諜が何人潜んでいて何を探っているか全部把握してるらしいですよ。
 それに大抵はありもしない『本当の地図』とかを探して徒労を続けたり、大量に公開される情報が処理し切れなくて機能不全に陥ってるとか。
 3年前に比べても管理する情報が桁二つくらい増えましたからねぇ。家臣ですら全部の情報を把握している人間はいないんじゃないでしょうか」
「あなたも?」
「それはノーコメントということでお願いします」

ということは、彼女も全部の情報は把握できていないのだろうな、とタバサは考えた。
それはそれとして、彼女はあっさりと言っているが「領内の間諜は全て把握している」なんて本当に公開していいのだろうか。タバサは少し疑問に思った。

とはいえ、これでおおよその事情は把握した。
この領土には「大事そうに隠されているが実はゴミ情報」と「当たり前のように公開されていてどう見ても本当に見えない重要情報」と「公開されている大量のゴミ情報」が溢れていて
「隠されている本当に重要な情報」がわかりづらくなっているのだ。
姿を消した他国の間諜というのも、ゴミ情報を送ってしまって本国に送還されたのだろう。
とりあえず他の家臣にも話を聞いて確認はする必要があるが、それ以上この場所で情報収集をするのは無理だろう。
それより連中を納得させるだけの手土産をどう捏造しようか。タバサの思考はそちらにシフトしていた。



[13654] 第九話:「Great Old Ones are coming to town.」シーン1
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/02/27 12:59
あれから特に変わったこともなく、僕たちは春の使い魔進級試験を迎えた。

変わったと言えば学院内でのみんな、特にルイズと僕の立場くらいであろうか。
まず、ルイズが「どんな魔法を使っても爆発する」ということが周知のものとなってしまい、密かに馬鹿にされるようになった。
いくら「爆発だって十分役に立つ」とはいえ、それくらいで長年のコンプレックスや周辺の強固なイデオロギーが払拭されるわけではない。
それに、ラ・ヴァリエール家などという名家の公女が実は魔法がろくに使えないというのは溜飲を下げる格好の的だ。
流石にそこまでおおっぴらに言われることもないが、時々こそこそと彼女を「ゼロ」と揶揄する学生も出始めている。
ルイズにしてもその現状を親に訴えたり爆発を持って報いとするような性格ではなく、何とか見返してやろうと必死で努力を続けている。
……まあ、親に訴えるのはともかく爆発魔法を連発されるとそのうち本当に死人が出る、と言うか小さい頃それで殺されかけたので自重してくれて幸いである。

僕のほうは何というか……褒めそやす学生と「成り上がり」と陰口を叩く学生がずいぶんと増えた。
なんだかんだ言ってもハルケギニアは英雄志向……というか、戦闘大好きな人間が多い。
旧式のコルベット一隻で戦列艦6隻を拿捕した英雄として、僕は結構持ち上げられ始めた。
だが、節操無く人を集めて新しい建物を建築しては大金を動かす姿が「ゲルマニアみたいで下品だ」という貴族も現れた。
さらに侯爵に陞爵し、嫡男に名誉伯爵号がつくなどという様々な特権を受けた我が家に反感を覚える人間も少なくない。
特に「艦隊・竜騎士隊保有の特権」は目立つ分反感を買いやすいようだ。
父上も「まるで見せびらかすように竜を領内で飛ばし、商船にまで艦隊を張り付かせるとは」などと嫌味を言われたらしい。
ウチとしてはあのだだっ広い領土を効率よく統治したりシーレーンを確保したりするのに便利だからこき使っているだけなのだが。


しかしこの「使い魔召喚の儀式」であるが、常識で考えたら不可解極まりない制度である。
何しろ、自分の属性が何かなんて使い魔を見なくてもわかる……というより、使い魔を見たってわからないのだ。
「あなたは猫を召喚しました。さてあなたは何属性でしょう」と言われて属性がわかるだろうか。
勿論わかることになっている。だがそれは「自分は*系統の魔法が得意だから*属性なんだな」というメイジが猫を召喚したからである。
因果関係から考えても、精度誤差から考えても「使い魔で属性を決定する」というシステムは不合理なのである。
じゃあこれは何のための儀式かというと……僕は「虚無の担い手を探すためのシステム」だと考えている。
要するに一般的な謂れは全てカムフラージュであり、生徒の大多数を占める「王族の血を引く上級貴族」から稀に生まれる虚無の担い手を探すのがこの儀式の目的なのだ。
それが虚無の担い手が現れないまま数千年の月日が経過し、本来の目的が散逸してしまったのだろう。
こう考えると、魔法学院にだけこんな妙なしきたりがあるのも納得がいく。
ついでに「最も術者に危険が及びやすい」《サモン・サーヴァント》を教師の管理の下に行うことで危険性を減らすという副効果もあるだろう。
「子供が一人で《サモン・サーヴァント》をやって化物を呼び出し食い殺された」という事故は今でもまれに起きるらしいし。


ところで、この「使い魔召喚の儀式」だが実際に体験してみるとものすごく待ち時間が長い。
一人が儀式を始めて《コントラクト・サーヴァント》を終えて退出するまで、おおよそ5分くらいかかる。
それを90人分である。朝から始めても終わるのには夕方になってしまう。
それまでずっとこの草原で待機である。「使い魔が興奮してなだめる」などの特別な理由が無い限り、自分の儀式が終わってもずっとだ。
これで「さあやっと最後の一人だ」と思ったところにルイズが何度も儀式を失敗させ何度もやり直しを要求すると仮定すると、まあ間違いなくみんなルイズに苛立ちを覚えるだろう。
そんなことを言っていると周りがわぁっと沸いた。どうやらタバサが風竜を召喚したらしい。
確かに何かウチにいる風竜たちとは目つきが違う気がする。
あれがシルフィードか……いや今その名はついてないから確か……まあ何か適当な名前がついた韻竜の何とかだ。
その他サラマンダーだのカエルだのジャイアントモールだの、それぞれみんな順調に使い魔を召喚していった。


そして、僕の番になった。
しかし、僕の使い魔は一体何になるのだろう。
個人的には偵察能力の高い使い魔がいいのだが、そういう使い勝手のよさそうな使い魔は大抵風属性である。
何というか、風使いは優遇されすぎな気がする。移動、偵察、防御、攻撃、とりあえず単体で出来ることが殆どそろっている。
《フライ》《レビテーション》が風魔法なことを考えると、風属性に全く触れないでいられるメイジは殆どいないだろう。
まあ《錬金》と《クリエイト・ゴーレム》さえあれば工夫次第で何でも出来る土使いが言えた台詞ではないが。

「我が名はレイナール・ド・ヴュールヌ。五つの力を司るペンタゴン。我の運命に従いし、使い魔を召還せよ」

僕がそういうと……突然草原の植生が一変した。
あたり一面、2メイル弱の背の高い草に覆われたのだ。

「うわぁ! なんだこれ!」
「なんだ!? 突然生えてきたぞ!」

まわりがちょっとしたパニックになり始める。
下を見ると、今まで生えていた草はそのまま生えている。その間を突き抜けてこの背の高い草が生えてきたようだ。
所々土が圧迫されて盛り上がっている。おそらく地下茎だ。
どうやらこの草原は「地下茎でつながった巨大な一個体の草」らしい。
落ち着いてみてみると、これは確かその辺に生えている雑草の一種だ。
基本的には秋から冬にかけて伸びる草だが、暑いところなら一年中青々としていることもあるらしい。
その名はミスカンサス……要するに「ススキの仲間」である。
ってまさかこれが僕の使い魔だって言うのか。
……まあいい。とりあえず契約でもしてみよう。何か反応があるはずだ。

「我が名はレイナール・ド・ヴュールヌ。五つの力を司るペンタゴン。このものに祝福を与え、われの使い魔となせ」

そういって、適当な茎に口づけをしてみる。
すると、背の高い草の一部が黒色に染まり始めた。
そして、頭の中に土質だとか周辺の湿度だとか訳のわからない情報が大量に流れ込んでくる。
何とか気合を入れて入ってくる情報を遮断すると、とりあえず元に戻った。
おそらく本当にこれが僕の使い魔なのだろう。
多分あの黒くなった部分は「使い魔のルーン」なのだろうが、余りに巨大すぎて文字と認識できない。
そうこうしていると、辺りから響くような声が聞こえた。

「我をまといし風よ、我の姿を変えよ」

そういうとそのミスカンサスは姿を変え、人間みたいな姿をとった。
そして、そいつはこちらを向き、首のような部分にあるルーンを見せながらこういった。

「お前が俺に声をくれた人間か。礼を言うぞ。一度『しゃべる』『動く』ということをやってみたかったのだ」

認めたくないが、こいつが僕の使い魔ということで間違いないようであった。
……やってしまったことはしょうがないが、こんな衆人環視の元で精霊魔法なんか使わんでくれ……。


へ? ルイズ? ああ、普通にサイトを召喚したみたいだけどそれがどうしたの?
悪いが僕は今後のこいつの対応で精一杯なんだ。そういう話は後にしてくれないか?



[13654] 第九話:「Great Old Ones are coming to town.」シーン2
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/02/27 13:42
Q:で、この使い魔何なの?
A:ただのルーンの力でしゃべれるようになったでかいススキです
  とはいえそもそもススキがヤバイ植物なので、結局ヤバイ使い魔です
  ちなみに「ヤバイ」と「役に立つ」は全く別の概念なのでお気をつけください


とりあえず、コルベール先生に使い魔を登録してもらった後、新たに使い魔になった5つほど突起物がある人型の緑色の物体をつれて部屋に戻ってきた。
ひとまず、こいつがどういう奴なのか確かめておく必要がある。

「ええっと……とりあえず、君の本来の姿はそれでいいの?」
「いや。最初にお前に見せたのが俺だ。今は言葉が使えるようになったのでとりあえず人間の姿をとっている」
「他の姿にはなれないのかな? こういう人間の姿とか」
「とってるじゃないか」

使い魔はしれっとそう主張する。どうやら本気で「自分は人間に化けている」と思っているらしい。
とりあえず「他の生物に変身できるか」試してもらったが、どれもこれも「突起物が生えた緑色の物体」としか見えない。
というより、こいつは「動かないものを“植物”」「二足の動物を“人間”」「四足の動物を“獣”」「それ以外の動物を“虫”」という4種類でしか生物をカテゴライズしていないことがわかった。
ルーンの力か「僕が他の人間と違う」ということはわかるが、どう違うのかはよくわからないという。
僕にススキとオギの見分けがつかず、その辺の草を全部“雑草”で一くくりにしているようなものだろう。
このカテゴライズだと鳥や蛇が虫扱いになるんじゃないかって? ああ、その通りだったよ。
また、蝶などになることも出来ないようだった。どうも人間大以下に小さくはなれないらしい。
これは変身能力には期待しないほうがいいだろう。ネズミと象の区別がつかない奴に人間の個体識別が出来るわけがない。


次に“貴族”などの業界用語や人間の姿形などを教える傍ら彼(?)の身の上話を聞いてみた。
それによると彼は生まれてこのかた「色んなところに広がろう」と地下茎を伸ばしては種をばら撒いていたらしい。
しばらくすると彼の左手辺り(厳密には違うが、大体その辺に対応する場所らしい)に「姿を変える音声」を使う獣が住みはじめた。
それを感じて彼は「その音声を使って動き回れるのではないか」と考えたらしい。
だが、彼には音声を発することが出来なかったためとりあえず考えるだけに留まっていたという。
その獣がどこかに去ってしばらくすると今度は右足の辺りに人間が住み始め、自分の体を刈り取ったり焼き払ったりし始めたらしい。
彼らの話を聞くうちに言葉という概念を学習し、そこから「使い魔」になれば言葉を話せるようになることや時折現れる光る丸いものに触れば使い魔になれることを知ったという。
その後すぐに自分の触れるような場所にそれが現れたのでこれ幸いと受け入れ――今に至るというわけだ。
ちなみに「しばらく」とか「すぐ」とかが具体的にどんなタイムスパンなのかは不明だ。
だが、少なくとも十年単位ではきかないだろう。つまりこいつは「十数年程度で寿命になる品種ではない」ということだ。


「しかしなってみると使い魔とはなかなか面白いな。今までとはまるで違う世界にいるようだ」
「それはなによりで……ところで『使い魔』というのは何をするのかは知ってるかな?」
「知らん」
「ええっと……じゃあかいつまんで説明するよ……」

といって、とりあえず通り一遍等の使い魔の仕事を説明することにした。

「まずは使い魔が見たり聞いたりしたものを僕も見られるようになるわけなんだけど……」
「そうなのか。まあ好きにすればいいんじゃないか?」

とりあえず今視界のリンクを試みてみる。
この状態なら何とか普通に見える。あの時はこいつがあまりにもでかい所為で情報量が僕の処理できる量をフローしたのだろう。

「あとはまあ、人間が立ち入れない場所に入っていって珍しいものを取ってくるんだけど……」
「人間が立ち入れない場所というと大体この辺りだな。特に何もないぞ」

そういって、彼は腹の辺りを左手で指した……この話は止めよう。

「いやまあ、それはいいよ。後は僕を危険から守るのも仕事なんだけど……」
「危険? ああ、そういえば人間は体を切られたり焼かれたりしたら二度と動けなくなるんだったな。
 それで俺に何をしろというんだ?」
「ええっと……噂では『姿を変える』のと同じ力で植物を動かしたりできるとか……」
「そんなことが出来るのか。便利だな」
「……つまりできないんだね」


それからある程度聞いたり本来の姿を検証してみたりしてみたが、彼に出来ることは以下のとおりらしい。
 
 1:一般的なススキ属の野草に出来ること(とにかく死なない。大抵の土地で生きていける)
 2:人間並みの知性(本来のものかルーンの効果かは不明、彼も特に気にしていない模様)
 3:しゃべる(彼曰くルーンの効果)
 4:たぶん他の使い魔とも会話が出来る(彼曰くルーンの効果)
 5:変身(話せるようになったため。唯一知ってる精霊魔法。生物の区別は絶望的。人間はほぼ最小サイズ)
 6:動物に変身することで自力で移動できる
 7:本来の姿がとにかくでかい。但しその状態だと自力では一切動けない。葉を動かすことすら無理
 8:一見他の動植物とも会話ができそうだが別にそんなことはない。自分の子とすら意思疎通は不可能

あとルーンを調べてみたが「人里近くに住む一般的な生物によく刻まれる普通のルーン」だった。
……確かにこいつは「人里近くに住む一般的な生物」だが、そんなことを言ったらあの悪名高きスノードリフトだって単なる狼になりそうな気がするぞ。
まあ、少なくともこれ以上のルーンによるブーストは無いだろう。

……役に立つのか立たないのか微妙な性能だが、確実にいえることが一つある。
「こいつの挙動は一挙手一投足とにかく目立つ」ということである。
「精霊魔法を使う」「変身する」「しゃべる」「知性が高い」「でかい」「死なない」などなど、とにかく一般的に「ヤバイ」とされる文言がこれでもかとはっついている。
今までの挙動ですらどうやって誤魔化そうか必死で考えているくらいなのだ。これ以上何かされたらかばいきれない。
既に学生たちの中には彼を精霊の類か何かと誤解している奴がいるようだ。下手に活用しようとは思わず、大人しくしてもらったほうがお互いのためだろう。
しかもこいつはイネ科の植物、つまり「ド・ヴュールヌの荒野にも生え、《錬金》で隙間を埋めたはずの石道路すら突き破る生命力の高い草」なのだ。
そんな草のハイパーコロニーなんか放置したら間違いなく周辺の生態系に多大な影響を与える。
どうしてもいやだと言うならまことに残念だがアカデミーにでも突き出すしかない。


「――とまあそんなわけで、君が派手な行動を取ると色々と困ったことがおきそうなんだ。
 できれば他の生物の形か、せめて一株程度の小さい姿でいてくれると助かるんだけど……」
「かまわんぞ。俺もせっかく動けるようになったのだから飽きるまでは動き回るつもりだ。
 それにこの辺の土に慣れるためにもそれくらいからから始めたほうがいいだろう」
「……そう、助かるよ。じゃあまあ、これからはお互い協力し合っていこう。ところで、僕は君をなんて呼べばいいのかな?」
「好きに呼べばいいじゃないか。人間は俺のことを『ススキ』だの『アシ』だの『ミスカンサス』だの『雑草』だの『草原』だのと適当に呼んでいたぞ」
「……言い方を替えるよ。君はどう呼ばれればそれが「ほかではない自分を指した言葉だ」と判断するの? そういうのを人間の言葉で『固有名詞』っていうんだけど」
「じゃあその『コユウメイシ』でいいじゃないか」
「……つまりないんだね。ええっと、じゃあ僕が付けてもいいのかな? ええっと……そうだな……じゃあ『マリーシ』で」

とりあえず適当に思い出した名前を付けてみる。確か地球のどっかの神様か仏様の名前のはずだ。
多分ハルケギニアでこんな名前を付ける奴はいないだろう。間違いなくかぶらないはずだ。

「わかった。マリーシといえば俺のことなんだな」
「まあ、そういうことになるね。あと、僕のことはレイナールと呼んでくれ」
「わかった。俺がマリーシでお前がレイナールだな」


その辺のこまごました話が一段落してからは、本格的に人間の姿形をレクチャーすることにした。
こんな「緑色の塊」のままウロウロされるとますます精霊と勘違いされる。とりあえずちゃんと人間に見えるように変身してもらわないといけない。
そして人間大が最小サイズであることを考えると、人間か一株程度のススキになってもらうのが一番目立たないと判断したからだ。
余り賢明な判断とは言いがたい気もするが、僕が細かく姿形をレクチャーできるのが人間くらいしかないのだから仕方がない。
それに、意外と忘れがちだが人間は動物の中でいうとかなりの巨大生物なのである。
それ以上の大きさで「しゃべる」生物となると、もはや人間以外だと災害レベルのモンスターしか存在しない。

レクチャーは夜中までかかったが、何とか「服を着せれば人間に見える姿」に安定して変化できるようになった。
とはいえ「ちゃんと顔のパーツはそろっているが髪や瞳の色とかは真緑、皮膚の部分は薄い褐色」というどう見てもカタギに見えない外見だ。
……なんだか造形が細かくなったぶん余計「高位の生物」っぽくなった気がする……。

「ええっと……やっぱりできれば普段は小さい草の姿になったほうがいいような気が……」
「何を言ってるんだ。俺は『動き回りたい』んだぞ。普段から草なら使い魔になった意味がないじゃないか」
「ええっと……その志はとても立派だと思うんだけど……」

その後「マリーシがどういう行動をすると目立つか」と「目立つことによって彼が被るであろう不利益」などを説明するも、彼は頑として「普段は動き回る」という主張を崩すことはなかった。
仕方がないので「僕も出来る限りのフォローはするけど、どうしようもなくなったら自分で何とかしてくれ」とだけ釘を刺し、サイズが合いそうな服を渡して今日はもう寝ることにした。
だが、寝しなになると突然マリーシがこんなことを言い出した。

「……ところでレイナールとやらよ。結局俺は使い魔として何をするんだ?」
「ああ……ええっと……その時々でやってもらうことを言うからその都度対応して。あと普段はさっきまで言ったような事を避けてくれれば他は自由でいいんじゃないかな」
「なるほど、なら俺はとりあえずその辺を適当に動き回っておこう」
「だからそういう目立つことはやめてって! 頼むから回りの人間が動いてない時期に人として動き回るのは止めてくれ」
「わがままな奴だな。まあいい。じゃあ誰かが動き出すまではじっとしておくとしよう」

そういうと、マリーシは窓から地面に飛び降りた。
思いっきり地面に激突したはずなのだが、ダメージを負ってるようには見えない。
そして、開けた場所まであるいていくとそのまま一株のススキの姿になった。
服が枝に引っかかってまるで案山子のようになっている。
……まあ、こいつにとっては下手な建物内より地べたのほうがいい環境なんだろう。


……おかしいなぁ……今日中にサイトにコンタクトをとって「ナイロン等の合成高分子」と「電池」を触らせてもらう予定だったんだけどなぁ……。



[13654] 第九話:「Great Old Ones are coming to town.」シーン3
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/02/28 17:10
次の日の朝は、かなり早めに起きた。
寝る直前に冷静になって「一日で人間の造形をある程度覚えられる」マリーシの学習能力が明らかに高いことに気付き、少し心配になったからだろうか。
しかし、さすが横で聞いていただけで精霊魔法を覚えられただけのことはある。
この調子だとそのうち他の精霊魔法や、精霊魔法以外の先住の技(そんなものがあるのか知らんが)まで覚え出すかもしれない。
……困ったものだ。
いや、マリーシが役に立たないとは言わない。というか、猫だろうがネズミだろうが活用できない使い魔などない。
それがこれだけヤバイ生物だと色々悪い活用法が考えつく。
だが、それをやって事を穏便に済ませられる自信はない。思いつく活用法はどれもこれも下手すれば災害クラスの大騒ぎだ。
少なくとも僕の平穏と社会的安定性が無傷で済むことはないだろう。
もっと小さかったら、せめて喋らなかったら、最悪《変化》が使えなければ、もう少し穏やかな活用法もあるだろうが。
世の中、ハイスペックなら良いというモノではないという典型である。

窓を見やると……マリーシはいない。
おそらく使用人たちが動き出したのを見て自分も動き始めたのだろう。そう信じたい。
集中して彼の視聴覚を見ると――水場で学院の使用人と会話していた。
いや、どちらかというと「あれは何だこれは何だ」と使用人たちを質問攻めにしている。
視界の端ではよく見えないがサイトが洗濯をしているようだった。
多分ルイズに「雑用をやれ」とか言われて断りきれなかったのだろう。律儀な奴である。
だが……基本的に学生の服や下着は絹か毛織物だぞ? そんなものの洗濯方法なんか知ってるのだろうか?
使用人たちは二人(?)の乱入者にたいして明らかに迷惑そう、かつ怯えたような顔をしている。
だが、彼らがメイジの使い魔であることくらいは理解しているようでまるで腫れ物に触るような扱いだ。
どちらも先例にないケースだから、とりあえず似た例である「喋る使い魔」と同じような対応をしてるのだろう。

この季節、学院ではこうやって喋る使い魔が使用人やら教師やら学生やらに唐突に話しかけるケースはそこまで珍しいものではない。
というのも、この季節は新たに召喚された使い魔たちが一斉に出現するからだ。
文献によると、使い魔の大多数はルーンの力によって人間並みの知性が与えられるらしい。
そして、それまで人に近い場所で生活をしていた生物はかなりの確率で人間の言葉を話す。
そういう使い魔にちょっかいをかけられたとき、使用人たちは「とりあえず機嫌を損ねない程度に応対をする」ということにしているとか。
フクロウ辺りの余り人里で見ない生物が喋り始めるのはかなりのレアケースだが、喋る猫や犬はそこまで珍しいものでもないのだ。
……まあ、それにしたって召喚して次の日に話し始めることはあんまりないみたいだが。

まあそんなことはどうでもいい。見る限りサイトはともかくマリーシのほうは明らかに仕事の邪魔になっている。
それにうまいことサイトに接触するチャンスでもある。早く着替えてマリーシを迎えに行かないと。


着替えて水場に向かうと、マリーシは依然として色んな使用人を質問攻めにしていた。

「マリーシ! 何をやってるんだ!」

僕がそういうと、マリーシと彼に捕まっていた使用人がこちらを振り返る。
日光の下で改めて見るとまだまだ人工的な雰囲気が感じられる。何というか「よく出来た人形」みたいだった。

「ああ、レイナールか。俺は喋っているのだが」
「あのなぁ。今彼らは仕事中……といってもわからないか。とにかく君に関わるよりもやることがあるんだ――そちらの方も、仕事の邪魔をして申し訳ない」
「い、いえ、学生の使い魔のお世話をするのも我々の仕事ですから……ええっと、珍しい使い魔ですね。
 話に聞くガーゴイルというものでしょうか? ド・ヴュールヌ伯は植物を召喚なさったとお聞きしていたんですが……」

……やっぱりその類に見えるか。まあその程度に見てくれるならそのほうがいいか。

「まあそんなようなものかな。っとすまない、その荷物からすると朝食の準備だろう? こっちはもういいから、本来の仕事を優先させてくれ。
 厨房係の人に何か言われたら僕の名前を出してくれてかまわないから」
「それは御心遣い感謝します。それでは失礼いたします」

そういうと、使用人はそそくさと去っていった。それにあわせて、サイト以外の使用人たちがこれ幸いとこの場を忙しそうに去っていく。
僕はマリーシのほうに向き直る。

「……マリーシ。他人と喋るなとは言わない。だが君にもやりたいことがあるように他の人間にもやることがあるんだ。
 自分の都合で他人のやりたいことを邪魔するのはできる限り避けたほうがいい。やるにしてもそれなりの手順を踏むべきなんだよ」
「そんなものなのか。だがおれが喋るとみんな手を止めてたぞ」
「それは昨日言っただろう。僕は“貴族”できみはその“使い魔”だ。
 で、貴族とか使い魔っていうのは言っちゃあ悪いが一般的に怖がられてるんだ。
 人間は怖いものに命令されると大抵言うことを聞く。ただそうやって無理矢理言うことを聞かせるのは余りいいことじゃないんだ。
 君だって体中に火をかけられたくなければ言うことを聞けといわれたら嫌だろう?」
「俺に火をつけたいやつは勝手につけるだろう」
「じゃあ動けない状況に閉じ込められたら?」
「まあそいつが死ぬまでじっとしてればいいと思うぞ」
「……土のない場所に放置するっていわれたら」
「俺がしばらく生えてたら下は勝手に土になるんじゃないか?」

……だめだ。根本的にメンタリティが違う。
まあ当たり前といえば当たり前である。こいつはそもそもコミュニケーションを必要とする種族ではないのだ。
水の精霊のときもそうだが「ほぼ不老不死」「ほぼ食事不要」という生命体はやっぱり扱いにくい。
これはたとえ話や脅しは一切使えないと思ったほうがいいだろう。

「……じゃあとりあえず『人間は他人から無理矢理やりたくないことをやらされることがある』ってことと『そういう状況は好ましくない』ってことだけでも覚えておいてくれ。
 ああ、あと『他人を好ましくない状況に追い込むのは避けるべき』ってこともな。
 下手をすると君はともかく僕が死ぬかもしれないんだ。そうなると君も喋れなくなるかもしれない」
「なるほど。そうなるとまたあの光るのを待たないといけないのか。それは面倒だな」

これは流石に嫌がってくれるか。
……つまり誰かがこいつを何とかしようと思ったら僕の命が危険になるのか。いよいよもって厄介な。
まあしかし、こいつが「自分の目的のために他者を平気で踏み台にする」生物でなくて助かった。
こいつの能力を考えると可能なら僕を仮死状態にして土中かどこかに隠すのが妥当行動だからな。


さて、マリーシのほうが一段落したところでサイトのほうを見やった。
……ものの見事に服をクッチャクチャにしていた。
いや、洗濯をしている、というか「したい」というのはわかる。
だが洗濯板も洗剤もなく、絹織物も毛織物も一緒くたにぎゅうぎゅう桶の中に押し込んでは雑巾絞りをしている姿を見ているとそう形容せざるを得ない。
よくわからないから適当にやっているのが半分、理不尽に雑用を押し付けられたストレスを解消しているのが半分といったところだろうか。
ここまでひどいとメイド辺りが見るに見かねて手助けをしてもよさそうなのだが、どうやらマリーシの所為で仕事がだいぶ滞ったらしく、サイトを手助けする余裕はなさそうだ。
……となると、この状況には僕にも責任の一端があるというわけか……。
仕方ない。部下のミスをフォローするのは上司の役目だ。
僕はそう考えて、サイトに話しかけてみることにした。

「君も災難だったねぇ。ウチの使い魔が迷惑をかけたみたいで申し訳ない」

すると、サイトがすっごい不機嫌な顔で振り返った。
左手にはしっかりと使い魔の印がある。予め調べておいたガンダールヴのルーンとほぼ同一であった。

「何だよお前? 俺は今忙しいんだぞ?」

彼の声だけ日本語に聞こえる。僕が普通に日本語を理解できるからだろうか。
僕はハルケギニアの共通語で話しかける。実にシュールだが、おそらくこれで話が通じるだろうから気にすることはあるまい。

「ああ、名乗りもせずに申し訳ない。僕はレイナールだ。ええっと……それは洗濯でいいのかな?」
「悪かったな。どうせ俺は洗濯機ですら洗濯なんかした事ねぇよ」
「ああ、それは災難だね……ただあれだ。とりあえず洗濯道具をどこかから借りてきたほうがいいんじゃないか?
 それにそれは絹製品だろう? そういうのは扱いが難しいらしいから、専門家の使用人に任せたほうがいいと思うんだが」
「ん? って言うことはあれか? やっぱり洗濯は使い魔とやらの仕事じゃないんだな!?」
「まあ……普通洗濯できる使い魔なんか召喚されないからねぇ……」

出来るならやらせたいと考えてる学生は結構いるだろうが。

学生の衣服の洗濯は自分でやってもいいし学院の使用人に任せてもいい。
但し、学院の使用人に任せると金を取られる。貧乏貴族でも割と気軽に払える程度だが、決して只ではない。
生徒の計画性と自主性を育てるために云々ともったいぶった理由は付けているが、どう考えても学院長の小遣い稼ぎだ。
まあ料金は実際に行う使用人と学院(?)で折半らしいから、使用人にとっても結構おいしい副収入らしい。
ちなみにオールド・オスマンは「女生徒の下着ならワシがじきじきに只で洗っちゃるよ」と言っているとか。
……ひょっとしたらそう言うためのネタ振りなのかもしれない。オールド・オスマンならありうる。
しかし本当に芸風がぶれない人だ。そろそろ誰かに訴えられないか不安である。

「やっぱりか! あいつ何が『身の回りの世話をするのも使い魔の仕事。やらないとご飯抜き』だ! 危うく騙されるところだったじゃないか!」

そういって、彼は桶をひっくり返そうとする
……まあ、突然訳のわからないところにつれてこられた挙句「労働をしろ、さもなくば生命の保証はない」などと言われたら怒るか恐怖でパニックになるよなぁ。

「ちょっと待ってくれ、ええっと……確かヒラガサイトくんだったっけ?」
「あ? 何で俺の名前を知ってるんだ?」
「ミス・ヴァリエールに召喚されたときにそう言ってたから、それが名前かと思ったんだけど……」
「ヴァリエール? ああ、あいつそういやそんな苗字だったな。あと俺は“ヒラガサイト”って名前じゃないぞ。“平賀”が苗字で“才人”が名前だ」
「そうか。じゃあミスタ・ヒラガって呼んだほうがいいのかな?」
「いいよそんなかしこまらなくても。単に平賀でいいって」
「ならそう呼ばせてもらうよ。僕はレイナールと呼んでくれ。
 それで本題なんだが……ヒラガ、気持ちはわかるが人の服をその辺に放り出すのは避けたほうがいいぞ」
「なんでだよ?」
「そんなことされたら君だって不機嫌になるだろ? 不機嫌な人間の応対をするのは大変だぞ?
 下手すると喧嘩になるかもしれない。それを君が望んでるというならともかく、別にそうじゃないだろう?」
「う、確かにあの女キレると人の話聞かなさそうだなぁ。あんまり女の子と喧嘩するのも嫌だし……」
「まあ彼女の性格に関してはノーコメントとして……。
 そういうことなら今回は誰かできそうな人間に任せてもいいから何とか終わらせて、改めて待遇改善を要求したほうがいいんじゃないか?」
「なるほどなぁ……っつっても、この辺にはお前とそこの出来のいいピノキオみたいなやつしかいないぜ?」

ピノキオか。そういえばそんなのもあったなぁ。
しかし、サイトはマリーシと違ってちゃんと人間の論理を理解してくれるから助かる。
というか下手に名誉だ爵位だと言い出さない分だけそこらの貴族とかよりも話が通じやすい。
少なくとも「気に入らない奴は鏖にするのがマナー」とかそんな世紀末な世界の住民ではないらしい。何よりだ。

「ああ、彼は僕の使い魔でマリーシっていうんだが……彼がそこらの使用人を捕まえて仕事の邪魔をした所為でこの辺に人がいなくなっちゃったんだよ」
「なんだよそれ。じゃあ結局俺がやるしかないじゃないか」
「だから最初に謝ったんだ。改めて申し訳ない。お詫びというのもなんだけど誰か手の空いてる人を探してくるから、とりあえずそのままにしておいてくれないか?
 君のやり方だと服が滅茶苦茶になるだけで、たぶん汚れは落ちないし」
「いいのか? 助かるけど、なんか悪いな」
「いやいや、先に迷惑をかけたのはこっちのほうだからね。じゃあちょっと待っておいてくれ」

そういって、僕はマリーシを連れて使用人の休憩室に向かった。
ここまでしてやる義理はないような気もするが、まあ乗りかかった船というやつだ。
それにマリーシには何パターンか「他人にモノを頼む方法」を例示しておく必要がある。これもいい機会だろう。


幸い、休憩室にはマリーシにつかまらなかったらしいシエスタというメイドが自分の仕事を終えて休憩していた。
彼女に事情を説明し、追加で洗濯をしてもらうように頼む。
平民が召喚されたという事情は彼女も噂で聞いていたらしく、サイトの話をすると「同じ平民の誼」ということで引き受けてくれた。
とはいえ、只働きをさせると学院に怒られそうなので費用のほうは僕に回しておくように言っておく。
そのままバイバイでは流石に無責任なので水場にシエスタを連れてサイトの仕事の引継ぎに立ち会っていると、大体学生たちが朝食のために起き始める時刻になった。


まあ、とりあえず悪印象だけは避けられたのではなかろうか。後でルイズに「余計なことするな」とか言われそうだが。
……彼女の面子を考えると請求書くらいは彼女に回したほうがよかったかな……。



[13654] 第九話:「Great Old Ones are coming to town.」シーン4
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/03/02 19:15
朝食を食べるとほぼそのまま朝の講義に向かうことになる。
だがマリーシを迎えに行くためにとりあえず着替えただけだったので今の僕は何の準備もしていない。
というわけで、一旦マリーシを連れて自室に筆記用具やらを取りに戻ることにした。
すると道中、ジャイアントモールにミミズをやっているギーシュと鉢合わせした。
土いじりだというのにいつもの服を着ていたため、遠目からでもギーシュとわかる。

「おはよう、ギーシュ……それが君の使い魔かい?」

とりあえず挨拶から始める。
召喚した現場も見ているから聞かなくてもわかりきってはいることなのだが、まあ社交辞令みたいなものだ。

「ああ、レイナールか! どうだかわいいだろう! ジャイアントモールのヴェルダンデだ!
 ……あれ? どうして君は後ろにガーゴイルなんかつれてるんだい? 確か君は……何か変なものを召喚した気がするんだが」
「ああ。彼が使い魔だよ。まあ何というか……植物型の幻獣というか何というかそんなものっぽい。
 人間の区別が出来ないらしいから時々変なことを言うと思うけど、大目に見てやってくれ」
「ということは喋れるのか。すごいものを召喚したな。そういえば先住魔法が使えるんだっけ?」
「いや……こんな姿になれるだけっぽい」
「へぇ……なんにしても珍しい使い魔だな。なんというかきみらしい」
「そりゃどうも……ところで、もうすぐ朝食の時間だけどいいのか?」
「え? もうそんな時間なのか! いやぁ、ヴェルダンデと過ごしていると時間が早いなぁ――じゃあヴェルダンデ、悲しいけれど少しの間我慢しておくれ」

そういうと、ギーシュは名残惜しそうにその場を後にした。ヴェルダンデもじっと去っていくギーシュを見送って(?)いる。

「ああマリーシ。さっきのは僕の友人の一人でギーシュって言うんだけど……わかる?」
「わからん。お前の話からするとさっきまで大勢いた人間とは別の人間なんだろうな」
「……なるほど、その程度の認識か。ところで、ギーシュを質問攻めにしなかったのはよかったと思うよ。
 流石に貴族に上から目線でモノを言うと色々めんどくさいから」
「そうなのか。別に土をいじってる人間など珍しくもないから気にもしなかった。しかしよく貴族かそうでないか見分けがつくな。俺には違いがさっぱりわからん」
「……うん、とにかく『違いがある』ことだけはわかってくれたら今はそれでいいよ。後はおいおい僕とか他の人のやってることを見て学んでくれ」
「なるほど。とにかくお前のいないところで喋るのが面倒だということはわかった」

とうとう使い魔にまで便利アイテム扱いかよ。


さて、そんなわけで正式に二年生に進級してから初めての朝食である。
光合成と土中の養分で生きているマリーシをアルヴィーズの食堂なんぞに連れてくる必要はないため、彼は外だ。
彼としても他の使い魔と喋りたくなったらしく、僕が言うまでもなく使い魔の集まっている厩舎の方に向かった。
まあ、マリーシのほうはそれでいい。問題は今この場所、ようするにアルヴィーズの食堂だ。

なんか知らんがテーブルのそばの床に皿が置いてある。しかもご丁寧にスープを入れて、その端にパンを器用に乗っけている。
こんな大勢の人間が土足で歩くような場所に食べ物を放置するとか不衛生にも程がある。しかも通行の邪魔だ。
もっと時間が進んで学生たちが訪れるピークになったら誰か踏む奴がでるかもしれない。
誰のイタズラか知らんが、こういう食べ物を粗末にする行為は見ていて気分が悪い。
そんなわけで、僕はその皿を拾い上げた。
するとその辺で配膳を行っている給仕が恐る恐る僕に話しかけてきた。

「あ、あの……申し訳ありません、そのお皿はミス・ヴァリエールがそこに置くように仰ったものでして……」
「え? 何で?」
「さあ……私どもは指示されたとおりに致しただけですから……この時期は使い魔用に色々と献立に希望を仰る方が多いですから、その一環なのではないかと……」
「はぁ……なるほどねぇ……」

とあんまり詰め寄ると給仕に迷惑なので話を合わせてみたものの、さっぱりルイズの目的が理解できなかった。
ひょっとしてサイトに食堂の床でコレを食べさせるつもりなんだろうか。いや流石にそれはないだろう。
確かに今手に持っているものは「トリステインにおける中よりやや上程度の平民が食べる一般的な朝食」である。
だが、周りのテーブルには「上級貴族がちょっとしたパーティで食べるような食事」が並んでいるのだ。
皆が座って豪勢な食事をしている中、たった一人周りに比べて圧倒的にランクが落ちる食事を床で食えとか拷問か新手のSMプレイである。
ちなみに、ここにはないが「平民の日常食としてはほぼ最高ランク」である学院の使用人の賄い食にも劣る。言ってみれば「学院に限って言うと最下級の待遇」だ。
現代日本が云々ではなく、ハルケギニアの平民でもそんな目に合わされたら気分を害するはずだ。
そりゃ「数日何も食べてない」とか言う状況なら別だろうが、それは単に「周りなんかどうでもよくなっている」だけである。
まさか彼女「施しや収穫祭くらいでしか平民が食事しているのを見たことがないから地べた食いが平民の食文化だと勘違いしている」とか言うんじゃなかろうな?
……そんな馬鹿なと言いたいが、彼女の境遇を考えると残念ながらありえないとは言い切れない。
まあなんにしても、今からこんな場所に置かれたらどう考えても邪魔だ。
給仕としては貴族に「床においておけ」と言われたらどんなに不可解でも置くしかない。ここは僕が気を使うとしよう。

「それは申し訳なかった。ただ、二度手間をかける様で恐縮だがしばらく下げておいてくれないかな?
 今からここにおいておくとみんなの通行の邪魔になるかもしれない。君たちだって仕事の邪魔だろう。
 ミス・ヴァリエールにはこちらから言っておくから」
「あ、はい、かしこまりました」

そういうと給仕は僕から皿を受け取り、手持ちのトレイに載せた。


しばらく食堂で適当にぶらぶらしながら歓談していると、ルイズがサイトを連れてやってきた。
何か色々ルイズがサイトに説明している。まるでガイドと観光客みたいだ。
周りがサイトを見てひそひそと何か言い始める。
まあ、別にサイトがどうこうというより「ルイズが召喚した平民が云々」という陰口だろう。
しかし、席が予め決まっているこのアルヴィーズの食堂にサイトを連れてきたってことは、まさか本当にサイトに床で朝食を食べさせる気なのか。
これは半ば冗談だった「ルイズ平民の食文化を理解してない説」もあながち的外れではないのかもしれない。
そうしていると、ルイズは先ほど皿があった場所の近くにある椅子をサイトに引かせて座った。
そして――なにやらサイトと口論を始めた。
……ルイズとサイトが違う言語で喋っているのでこちらとしては非常に聞き取りづらい。
何にせよ給仕にルイズには僕から言っておくと言ってしまったのだ。真意はともかく説明に行かないと。
僕は同級生との歓談を中座し、ルイズとサイトの元へ向かった。

「おはよう、ミス・ヴァリエール……一体何を揉めてるんだ?」

とりあえず挨拶から始める。ちなみに今度は社交辞令でもなんでもなく、本気で何を揉めてるのかわからない。

「ああ、レイナールじゃない……ひょっとして、あんたが使い魔のご飯を片付けたの?」
「え? ああ……床に皿が置いてると危ないから、給仕に下げさせたよ。言えば持ってきてくれると思うけど……
 ええっと、ひょっとして彼に床で食事をさせるつもりなのかい?」
「何よ? だってこのアルヴィーズの食堂のテーブルで平民に食事をさせるわけにはいかないじゃない。
 そもそも平民がここに入れること自体光栄なことだっていうのにそれをこいつは無礼にも文句を言うのよ!
 大体こいつ目を離すと何するかわからないわ。私が命じた仕事も勝手にメイドに押し付けたらしいし。
 使用人と一緒のところで食べさせたら私のいない隙に食材をつまみ食いして変な贅沢を覚えかねないじゃない」

本人を目の前にして散々な言いようである。
だがサイトは特に気にしていないのか上機嫌でこう言う。

「なんだよ! 結局あるのかよ! びっくりさせやがって! まあいいよ! 床って言うのはちょっと気に入らないけど我慢するよ!」

……ああ、この態度は多分「テーブルにあるものと同じものが食べられる」と勘違いしてるな。
少しフォローを入れておくか。
少なくとも「お互い全く違う文化や倫理観を持っているかもしれない」ということを頭に片隅にでも入れておいてもらおう。

「ところで……彼は普段何を食べてるんだい?」

僕は、サイトが浮かれている隙にルイズにそう確認する。

「そんなの知らないわよ。でもメイジも知らない田舎から来たらしいから、大したものは食べてないんじゃないの?
 だからちょっとはいいものを食べさせてあげようと思ったんだけど」
「なら一応聞いておいたほうがいいんじゃないか? 遠いところから来たんなら、風習が違うこともままあるし。
 せめて今日出す予定の朝食についてどう思うかくらいは知っておいたほうがいいと思うけど」
「……まあ言ってることは尤もだし、一応聞いてみるわよ。じゃあ後はわたしと使い魔の問題だから」

そういうと、ルイズは給仕に皿を持ってくるように申し付けた。
……要するに「これ以上よけいな介入はするな」ということか。
まあ確かに、使い魔とのコミュニケーションなんてどちらかといえばプライベートに近い領域だ。
他人にずかずか入り込まれて気分がよくなることはあるまい。
まだサイトのほうには何も言っていないし、この状況でルイズに任せるのは非常に不安でもある。
だが、これ以上何かいらんことをしてルイズが聞く耳持たなくなったら元も子もない。
これ以上のフォローは後で必要なら行うということでよかろう。

「まあそうだね。余計なことをしたようで申し訳ない」

そういって、僕は自分の席に戻っていった。


ちなみに、その後サイトとルイズが「犬の餌の方がまだましだ」だの「主人に対して無礼だ」だのと再び口論を始め、朝食の開始が数分ほど遅れた。
そして、結局サイトは朝ごはんを抜かれ不機嫌にアルヴィーズの食堂を出て行った。
これは下手をすると周りの人間がルイズやサイトにさらなる悪印象を抱いたかもしれない。
こういう倫理観や文化のずれから民族紛争は起きていくんだろうかと、それを見てなんとなく思った。

しかし、完全に裏目に出たな……後でフォロー、本当に出来るんだろうか……。



[13654] 第九話:「Great Old Ones are coming to town.」シーン5
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/03/04 21:32
少し前にも述べたとおり、朝食が終わったらすぐに朝の授業が始まる。少なくとも一旦部屋に戻っている余裕はない。
特に、二年生最初の授業は使い魔を連れるというのが暗黙の決まりのようになっている。
当然ながら召喚して一日二日ではまだ懐ききっていない使い魔だってたくさんいる。元々知性が高く、高位とされるの幻獣ほどその傾向は高い。
そいつらをなだめすかして教室に連れてくるとなると、どれくらいの時間がかかるかわからない。
そんなわけで、いつもよりもさらに慌しくなってしまうのである。

マリーシは他の同級生たちやその使い魔と一緒に勝手にやってきた。
大勢の人間が使い魔を迎えに来たので、興味を持ってついてきたのだろう。
事情を説明して教室にいてもらうよう頼むと、彼は「昼に日陰に留まりたくない」といって勝手に窓から外に出て日のあたる場所に移動した。

「他の使い魔もいるしこのあたりならいいだろう」

といい、そのまま大型幻獣たちがたむろしている場所で棒立ちになり始めた。
まあ昨日の話し合いから察するにどうせ頑なに命令したところでこいつは無視するだけだ。お互いある程度納得の行く妥協点を提案してくれただけよしとしよう。


その直後ぐらいに、ルイズがカリカリした声を発しながらサイトの腕を引っぱって教室に現れた。
引っ張られているサイトの方は無言だが、不機嫌どころか怒りの表情を見せている。
それでも素直に引っ張られているのはルーンによる精神作用の賜物か、あるいはなんだかんだ言ってかわいい女の子に腕を組まれているからか。
少なくとも「あんまり女の子と喧嘩をしたくない」というのは本当らしい。
周りの人間が騒がしく現れた二人に視線を向け、そのうちの何割かがくすくすと嘲笑する。
期待はしていなかったが、やはり彼らを事前にフォローする時間は作れなかったようだ。
そう考えていると、サイトと目が合った。
サイトは突然ルイズの腕を振り解き、つかつかとこちらに歩いてきてこう詰め寄った。

「何でいつの間にいなくなるんだよ! 薄情じゃねぇか!」と。

……ああ、確かにサイト視点だと「助け舟を出しに来たのかと思いきや何もせずどっか行った」ように見られてもしょうがないか。
だがサイト、あの時に僕が長居しても何か出来たとは思えないぞ。助ける義理も「元同郷の誼」程度しかないし。

「あー、ヒラガ。何というか非常に心苦しいんだが、君の待遇はミス・ヴァリエールが決めることなんだ。
 僕としても『よほど目に余ることをしてない限り』彼女を無視しておおっぴらに君に何かするわけにはいかないんだよ」
「なんだよそれ。役所みたいなこと言いやがって」
「まあそう言ってくれるなよ。それに悪いことばかりじゃないぞ。
 逆に言うと君に害意を持っている奴もミス・ヴァリエールに喧嘩を売る気がなければ手を出してこないってことだ。
 例えば……今この場には『代々王宮の役所勤め』なんて家の人間もいるんだ。さっきの発言は下手すると無礼討ちものだぞ」

そういって僕は自分の首に手を当てる。
とりあえず彼に「ここは命の値段が現代日本より圧倒的に安い」という前提条件を理解してもらわないと、ハルケギニアの文化を教えても訳がわからないだろう。

「マ、マジかよ……」

サイトが愕然とした表情をさせたあたりで、ルイズもこちらにやってきた。

「ちょっとあんた! なに主人をほったらかしてんのよ! レイナール! あんたも使い魔に余計な入れ知恵するのはやめて頂戴!」

想定の範囲内だが、散々な言われようだな。

「まあとにかく二人とも座りなよ。もうすぐ授業が始まる。ずっと立ってたら後ろの人に迷惑だろ?」

とりあえず僕は二人がまた口論を始める前にそう言って座るよう促した。
まだ授業には若干の余裕があるので、みんな歓談に興じていて席はガラガラだ。
席自体も指定されているわけでなし、席数もサイト一人増えたところでどうということもないくらいはある。
二人が憮然としながらも席に座ったのを見届けると、僕もその前に後ろ向きに膝つきで座った。

「とりあえずさ。お互い何が不満なのかよくわかってないんじゃないのか? その辺を落ち着いて話し合ったほうがいいと思うだが」

僕はそうやって話を促してみる。

「何で平民と話し合わないといけないのよ! そもそもこいつ使い魔の癖に生意気だし言うこと聞かないし、話し合ったりしたらますます付け上がるわ」
「当たり前だろうが! なんで俺がお前なんかの言うことを聞かなきゃいけねぇんだよ!
 言うこと聞かないと飯抜きだっつって脅した挙句に結局何も食わせない奴のいうことなんか聞けるか!
 大体なんだあれは! 周りとぜんぜん違う飯を床で食えとか、俺は犬や猫じゃねえんだぞ!」
「平民なんだから当然じゃない! というより犬や猫のほうが平民よりマシよ!」
「んだとぉ! この誘拐犯が!」

……だが「落ち着いて」というのはどうやら無理な注文だったようだ。
まあ、ある意味仕方ないといえば仕方ないのかもしれない。ちょっと話を聞いてみたが、これはずいぶん根が深そうだ。
今のルイズはおそらく「貴族は平民を従わせるべし」「主人は使い魔を使いこなすべし」などという“べき論”で雁字搦めになっている。
まともに魔法が使えない以上、自分が貴族であるためにはそういうイデオロギーに忠実であるしかないのだ。
「爆発魔法が有用な魔法だ」というだけでは、彼女の自尊心を満たすには至らなかったらしい。
あるいは「自分の魔法も有用なのだから、メイジとしてこれくらいできるべきだ」という結論に至ってしまったのだろうか。
いずれにせよ、平民であり使い魔でもあるサイトが反抗するたびに彼女は自分の存在が否定されているような気分になっているだろう。
自分を守るためにはサイトを無条件に服従させるしかない。だからサイトの話を聞こうともしないのだ。
しかも、ルイズの言い分は「一般的なハルケギニアの価値観」から言えば「多少頑なで直接的ではあるが、決して理不尽な要求ではない」。
だがサイトのほうは「全ての人間は自由かつ平等であり、相互に尊重されあうべき」という現代社会のイデオロギーに浸かって育ってきたはずだ。
ルイズの言い分は「自分の尊厳を否定する極めて理不尽な要求」に聞こえているだろう。
自分の尊厳を守るためにはあくまでルイズと「公平な取引」を行わなければならない。だからルイズの要求に反抗するのだ。
そして、サイトの言い分は「一般的な現代日本の価値観」から言えば「多少性急過ぎる気もするが、決して理不尽な要求ではない」。
……だめだ。これは一日二日で解決できるような問題ではない。
最低でも「相手の価値観が違う」ことを理解させなければ話にならず、それが出来たところで譲歩ができるかどうかわからない。
「同郷の誼+珍しいものを見せてもらいたい下心」でえらいものに首を突っ込んでしまったものだ。
僕がそう悩み、二人が不毛な水掛け論を続け、周りがそれ嘲笑しながら見物していると、ミセス・シュヴルーズがやってきた。


ミセス・シュヴルーズの授業は一年次の復習と使い魔の御披露目が主であり、恙無く終了しつつあった。
途中でルイズがマリコルヌと使い魔に関していがみ合いになったり、ルイズを“ゼロ”呼ばわりして嘲笑していた学生の口にミセス・シュヴルーズが粘土を放り込んだりしたくらいだ。
だが、《錬金》の実技において事件が起こった。
ミセス・シュヴルーズが「この机の上の石を誰かに《錬金》してもらいましょう」と実演者を生徒から指名しようとした折、ルイズが「わたしにやらせてください」と主張したのである。
ミセス・シュヴルーズもルイズの魔法が爆発すること、というか《固定化》のかかった廊下をゴミクズ同然に吹き飛ばしたことを聞いている。
だが「生徒のやる気を尊重したい」という教育者としての信念が勝ったのだろう。しばらく悩んだ末にそれを了承した。
当然、あたりは騒然となった。

「ミセス・シュヴルーズ! 考え直してください!」
「ゼロのルイズ! 止めろ! 僕たちを殺す気か!」

そんな声で教室が満ちた。ルイズの爆発を体験している人間は慌てて教室から逃げ出そうともした。
大げさな話である。「机の上の石を《錬金》する」以上、まず間違いなく爆発の中心は机周辺だ。
最大半径を考えても、せいぜい爆発に巻き込まれるのはルイズとミセス・シュヴルーズくらいである。
机の下にでも隠れて飛んでくる破片を防ぎさえすればほぼダメージはあるまい。
それより、大騒ぎすることでまだ懐いていない使い魔がパニックになる方が危険だろう。

「ほらみんな落ち着いて。とりあえず最悪のことを考えてみんな使い魔を外に出しておいて。あとは机の下にでもいればまあ危険はないんじゃないか?」

僕がそういうも従う人間、というか聞く耳を持っている人間は少ない。言うとおりに使い魔を窓から外に出しているのはキュルケやモンモランシーくらいだ。
気持ちはわかるが、せめて使い魔を避難させろというに。

「そうですよ。ド・ヴュールヌ伯の言うとおりです。あなた方が不安になると使い魔にもそれは伝わってしまいますよ。
 ……まあ、万一のことを考えて使い魔は外に避難させておきましょうか」

ミセス・シュヴルーズもある程度距離をとってそう言う。
だが、勿論そんな声に賛同するものは少なく、大勢はミセス・シュヴルーズとルイズを非難している。
殺意を持って爆撃に曝されたキュルケやモンモランシー、そして実際に直撃したこともある僕などの方が冷静というのも皮肉なものだ。
ルイズがそんなみんなの態度を見て苛立ったように

「大丈夫です! 《サモン・サーヴァント》も《コントラクト・サーヴァント》も成功したんですから《錬金》だって成功して見せます!」

と宣言し、つかつかと教壇の前に歩み寄った。
そして、みんなの喧騒をよそに《錬金》を念入りに詠唱し始める。
そうしていると、後ろからつんつんとサイトが突付いてきた。

「なあおい。《錬金》とかいう魔法ってそんな危険なのか?」
「そうだな。最悪教壇が吹き飛ぶかな」
「はぁ!? 何でそんな危ない魔法をこんな屋内でやるんだよ! お前ら馬鹿じゃないのか?」
「まあ詳しい話は後でするから、とにかく君も机の下に隠れなよ。机の破片が飛んで怪我してもつまらんぞ」

そう言って、僕も机の下に隠れた。
大体その辺りでルイズの《錬金》が詠唱し終わり、みんなの予想通り爆発した。
そして僕が言ったとおり、パニックを起こした奴が使い魔のコントロールを失って教室は滅茶苦茶になった。


滅茶苦茶になった教室の片付けはルイズが行うことになった。
個人的にはミセス・シュヴルーズと使い魔を放置したアホに責任があると思うのだが、魔法失敗の後始末は失敗した本人が取ることになっている。
とはいえ、流石に責任を感じたのだろう。ミセス・シュヴルーズはとりあえず他の生徒を自習とし、ルイズと二人で教室の補修を行うとした。
暗に他の生徒にも反省を促すためか「自発的に補修を手伝いたい方は歓迎しますよ」と言ったが、ここに残っているのは僕くらいだ。
まあ、ルイズに気を使うならむしろこの場はいないほうがいいだろう。魔法を使おうが使うまいが彼女を追い詰めてしまう。
ルイズは意気込んだのに失敗して落ち込んでおり、僕だってサイトに事情を説明するために残ったようなものだから、実質的な片付けはミセス・シュヴルーズが一人でやっているようなものだ。
とはいえ流石は土のトライアングルである。ゴーレムを使ってあっという間に片付けを終わらせてしまった。
作業が一段落したところで、ミセス・シュヴルーズがその辺で落ち込んでいるルイズの横に座り、彼女になにやら語り始めた。
まあ、ルイズのほうは教師であるミセス・シュヴルーズに任せるとしよう。
こちらは、とりあえずサイトに「後で説明する」といった分を果たさなければならない。
僕はサイトにゴミを捨てに行こうと提案し、とりあえずルイズに聞こえない場所へ移動した。
その傍ら、サイトに一応僕が言ったことは秘密にするよう頼んだ上でルイズの事情を「ルイズに同情的な視点で」説明した。
ルイズが“ゼロ”と呼ばれている理由は教室での流れで察したようなので、むしろ隠すよりそうしたほうがよかろう。

「なるほどなぁ。要するにイジメって奴か。ファンタジーだってのにそんなところは現実的なんだなぁ」
「何を言ってるのかよくわからないけど、とにかく君がいたところでも似たようなことがあるみたいだな」
「ん? ああ、まあな」
「なら話は早い。そんなわけで彼女は『自分は貴族である』っていう自信をつけたいんだよ。君を頑なに服従させようとしてるのも、多分その一環なんじゃないかな」
「めんどくせぇなぁ。そんなに面倒なら貴族なんてならなくていいじゃないかよ」
「君だって床で朝食を食べるのは嫌がってたじゃないか。はっきりいうがルイズの態度を軟化させるのは面倒だぞ。素直に彼女に服従していたほうが絶対に楽だ。でも嫌だろう?」
「当たり前じゃねぇかよ! 何であんな奴の言いなりにならないといけないんだ!」
「それと似たようなもんだ。納得はできなくても、そんな人がいるということくらいは理解してくれ。
 まあ乗りかかった船だ。こっちにも都合があるから確約は出来ないけど、僕からも何なりとフォローはするよ。だから……まあ、何だ。強く生きてくれ」

僕が無責任にそういうと、サイトは力なくうなだれた。

「無茶言うなよな……大体俺はこの世界の人間じゃないんだぞ。お前らの問題はお前らで解決しろっての」

そんな簡単に解決できたら問題とは言わないんだよ。



[13654] 第九話:「Great Old Ones are coming to town.」シーン6
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/03/07 19:10
昼食の席にルイズは独りで現れた。落ち込んでいるという風ではなく何か考え込んでいる様子である。
そんな彼女が気になったのか、キュルケが彼女に声をかけた。

「あらルイズ、あの平民の男の子はどうしたの?」
「ああ、あの使い魔なら『こんなところで飯が食えるか』って言ってたから使用人たちのところででも食べさせることにしたわ」
「なに? とうとう折れたわけ?」
「な……! そんなわけないでしょう! あの平民がアルヴィーズの食堂に入れるのがどれだけ栄誉なのかわかってないから追い出しただけよ!
 それにまあ、ミセス・シュヴルーズにも色々アドバイスされたことだしね」
「ふぅん……まあいいわ。とにかくもうすぐ昼食が始まっちゃうわよ」

そういって、キュルケは自分の席に戻っていった。それにあわせるようにルイズも規定の席に着く。
余り落ち込んでいないところを見ると、ミセス・シュヴルーズがちゃんと教師としての仕事をしてくれたようだ。


昼食の時間は、もっぱら使い魔についての話題であった。
大抵は「自分の使い魔自慢」なのだが、珍しい使い魔を召喚した「タバサ」「僕」そして「ルイズ」は例外的に他人の口に上ることが多いっぽい。
例えばこんな内容である。

「しかし、今年の使い魔最高はミス・タバサの風竜かきみの使い魔だろうな。大地の精霊だっけ?」
「違うって。そんな大仰な代物じゃなくて……植物型の幻獣みたいなものかな。僕にもどう言っていいのかよくわからないけど」
「そうなのか? それにしてもそんなすごい幻獣を従えるなんて伯爵は違うな。それに引き換えゼロのルイズは平民を召喚した挙句に、あそこまで反抗されるなんてな」
「……ヴィリエ、君とは古い付き合いだから言うが、別に僕はあの使い魔を従えてないぞ。単に折り合いを付けて取引をしてるだけだ。
 あと……平民平民とみんな言ってるが、そもそも人間を召喚するなんてただ事じゃないぞ?
 それにルイズが召喚した彼は間違いなく只者じゃない。多分今年最高の使い魔は彼だ。まあミス・ヴァリエール自体も只者じゃないと僕は思うが」
「? そりゃラ・ヴァリエール公の三女なんだから只者なわけないだろう」
「そういう意味じゃないんだけど……まあいいや。何にしても彼がただの平民なわけがない。
 疑問に思うなら彼の着てる服をよく見てみるといい。恐ろしく精巧な織り方や縫い方をしてるから」
「へぇ……まあきみが言うんならそうなんだろうな」

とまあ、大抵の人間が僕とその使い魔を過大評価してルイズやサイトを(虚無やガンダールヴの力を抜きにしても)過小評価している。
僕のほうはまあ「未知に対する畏怖」によるものだろうが、ルイズに対する評価は確実にこのハルケギニアに根付いている文化によるものである。
平民の価値が余りにも低いのだ。冗談抜きで平民を犬猫同然と思っている奴もいる。
「平民は貴族に勝てない」というプロパガンダが朗々と叫ばれ、「平民は貴族を畏怖しており、貴族は平民を支配・管理すべきだ」という意見が建前として扱われている。
貴族だけでなく当の平民にすらそう信じている者がいるのだから、ある意味偏見を越えて文化にまで固着してしまっているといえよう。
まあ、大抵の貴族は歳を経るにつれ世の中そんな単純ではないことを理解していくのだが、ここの学生くらいの歳でそこまで理解できる人間は少数派のようだ。
まあ僕も中高生の頃は世間に貧富の差があるのが許せなかったものだ。内容は違えど、学生というのは概ねプリミティヴな理想論にかぶれるものなんだろう。

……そういえば思い出したが、この日の昼食って何かイベントがなかったっけ?
この辺の世界情勢に影響のないプライベートなイベントなんか興味ないから殆ど覚えてないし、子供の頃に書いたメモにだって記載してない。
まあ、メモに書いていた現象のうち殆どは発生していないし考えたって仕方あるまい。
フーケは何故か噂すら聞こえてこないし、レコンキスタだって誕生していない。まあアルビオンの状況を考えると内乱の発生自体は時間の問題だろうが。
それに去年にあった騒ぎから教師陣もある程度危機感を持って学院の治安を取り締まるようになった。
学院内の人間関係で閉じたイベントくらいなら何とでも処理してくれるだろう。


僕の記憶違いか何なのか知らないが昼食時に何か起きることはなく、そのまま昼休みになった。
殆どの二年生は新たに従えた使い魔の世話などをしており、それは僕も例外ではない。
まあ、僕を無視してそこらじゅう歩き回るマリーシを後ろから追いかけて危険行為を都度注意することが世話と言えるのならだが。
そうやってマリーシを追いかけながら学院中を歩き回っていると、マリーシが中庭で籠を背負って火バサミでゴミ拾いをしているサイトと出くわした。
マリーシが、それを見つけてサイトに声をかける。

「おい人間、一体何をやってるんだ?」と。

サイトは急に声をかけられて一瞬びっくりしたみたいだが、相手がマリーシだと気付くとすぐに話をし始めた。

「なんだよあのピノキオかよ。見てわかんないのか? ゴミ拾いだよ」
「アノピノキオとは何だ? それからゴミ拾いとは何だ?」
「お前に似た奴でそういう名前の奴が俺の世界にいるんだよ。いやいるってのはおかしいか? まあいいや。
 でだ。ゴミ拾いってのは貴族とか言ってるくせにマナーの悪い奴らが考えなしに包みやら瓶やらをポイポイそこらに捨てるのをわざわざ拾ってやってるんだよ」
「拾ってやると何かいいことがあるのか?」
「あ~なるほど、これに朝みんな捕まってたんだな? 仕方ないやつだなぁ。説明してやるよ。
 俺の貧しい食生活を見るに見かねて昼飯をおごってくれた親切な人がいてな?
 俺はもう感極まって、何か仕事を手伝えることはないかと聞いたわけだ。
 するとまあ、最近中庭のゴミがたまってきたからゴミ拾いをしないといけないらしいと。
 まあべつに貴族の尻拭いなんてやりたくないんだけど、丸一日ぶりにまともなメシを食わしてくれた恩返しって奴だな。わかるか?」
「なるほど。つまり特に何もいいことはないんだな」

とまあ、マリーシが話しかけてくるのをいいことにすっかり駄弁りモードに入っている。
それはいいんだが、ここが「貴族が数十人以上屯してる中庭」だということを忘れてるんじゃないか?
これは忠告した方がいいかなと思っていると、その辺を通りかかった三年生がゴミ拾いをしているサイトの目の前にリンゴの芯を投げ捨てた。
あの先輩は確かペリッソンと言う名前だったはずだ。学院きっての美貌を誇る色男だと評判であり、確かにイケメンではある。
だが、あんまり親しく接された記憶はない。特に僕が伯爵を叙勲してからは露骨に避けられている。
ヴィリエと同じで我の強いタイプらしいから、あるいは嫉妬の対象になっているのかもしれない。
サイトは僕が何か言う前に芯を火バサミで拾い上げ、先輩の目の前に突きつけて苛立ちまぎれに注意した。

「おいお前、人がゴミを拾ってるのに目の前でポイ捨てするなんて恥ずかしくないのか?」と。

それに対して先輩は一瞬キョトンとした表情をすると、すぐに

「君は何を言ってるんだ? そもそも平民が貴族に恥を語るなど何を考えているんだ?」

と小ばかにした態度で返事をした。

……一応先輩の名誉のために言っておくが、トリステインにおいてゴミのポイ捨てはそれほど非難されるべき行為ではない。
「貴族は着替えを従者にさせる」のと同じように「ゴミ捨ても従者の仕事」というのが貴族の一般的認識である。
今回はりんごの芯だが、瓶などの容器ゴミは金属製であれガラスであれ「相当高いスクラップ」として取引されるので、道端に捨てたら逆に路上生活者が喜ぶほどだ。
ゴミ拾いの目の前に捨てたのだからせいぜい「ゴミ箱にゴミをボールみたいに投げ捨てる」程度だろうか。
そりゃ決して褒められた行為ではないが、いちいち目くじらを立てる程でもない。
だが、年単位その習慣に曝された僕でさえ違和感がぬぐえないのだ。
昨日今日やってきたばかりのサイトにしてみたら「清掃ボランティアの横でゴミを捨てる心無い若者」に見えてもしょうがあるまい。

何が言いたいかというと、やっぱりまた「どちらも自分に正当性があると信じている」のである。
しかしサイトも少しは空気読めよ。ここは日本じゃないんだぞ。
とはいえ、下手に介入すると「僕に対する当てこすり」でサイトに迷惑をかけるかもしれない。
少し様子を見たほうがいいだろうか。そう考えていると、横から声がした。

「いい加減にしろ平民風情が! 朝から今までずっと好き勝手言いやがって!」
「そうだ! ゼロのルイズだけならまだしも、貴族を侮辱するとはどういうつもりだ!」
「お前とゼロのルイズの所為で朝食が遅れたんだぞ! 責任取れ!」
「ラ・ヴァリエール家の使い魔だからって黙って聞いてると思ったら大間違いだぞ! 無礼者め!」
「そうだ! 謝罪しろ!」

見ると、十人程度の学生たちがサイトを取り囲んで野次を飛ばしていた。
やっぱりさっきからのサイトの発言を快く思ってなかった奴は少なくなかったらしい。
ルイズ、というかラ・ヴァリエール家が怖くて口に出さなかったが、ペリッソン先輩への発言を受けて堪忍袋の緒が切れたのだろう。
あとは「他にも仲間がいる」という心理が働いたのかもしれない。
これでサイトがビビって折れてくれれば話は楽だったのだろうが、残念ながらそうはならなかった。

「うるせえ! 何が貴族だ! 力づくで人の頭を下げさせられると思ったら大間違いだぞ!」

このサイトの言葉に、さらに大勢の学生たちが群衆に加わった。

「何たる侮辱だ! もはや許されることではないぞ!」
「杖を与えろ!」
「そうだ! 処刑だ!」

そういって、何人かが実際に杖を抜き始めた。
……だめだ。これは仲裁しないと刃傷沙汰になりかねない。
普段なら見捨てることも視野に入れるレベルだが、この状況だとマリーシが乱戦に巻き込まれる。
となると、下手をすると僕まで巻き込まれるかもしれない。
先輩を逆上させるかもしれないが、介入を試みるか――そう思っていると、ルイズが群集を割ってサイトに駆け寄た。
そして思いっきりサイトの顔に平手を張った。

「謝りなさい! この馬鹿犬! あんた自分が何言ったかわかってるの!?」

そして、周りの野次をかき消さんばかりの大声でそう怒鳴った。
いきなりサイトをぶったたいた突然の乱入者に、周りの空気が一瞬凍りついた。

「な、なにすんだよいきなり!」
「それはこっちの台詞よ! いきなり他の貴族に暴言を吐いて、謝るのかと思って黙って見てたら何ムチャクチャ言ってるのよ!
 いい!? 理由は良くわかんないけどあんたが私のやることを気に入らないのはわかったわ!
 でもそれと他の人は関係ないでしょう!? そういうのハルケギニアでは『八つ当たり』って言うのよ!
 貴族とか平民とか関係なく八つ当たりは恥ずべき行為よ! それともあんたのとこでは違うとでも言うの!?」
「ああ……いや……その……確かにそうです、はい」

サイトも一瞬何を言われたのかわからなかったが、ひっぱたかれて冷静になったのかばつの悪そうな表情をした。
いや、厳密に言うと八つ当たりとはちょっと違うような気もするが、確かにルイズとの一件がなかったらサイトもここまで貴族を悪し様に言うことはなかっただろう。
サイトもそんな結論に達したのか、周りを見回してから頭を下げて皆に謝罪した。

「ええっと、ごめんなさい皆さん。確かに言い過ぎました。それにあんな喧嘩腰の態度をとったのは悪かったと思ってます。許してください」

それを聞いて、何人かは納得したのか興が削がれたのかぽつぽつと群衆から抜けていった。
だが、そんな「対等な立場からの謝罪」で気位の高いトリステイン貴族が素直に解散するはずもない。
特にペリッソン先輩にしてみたら「貴族でもない奴がいきなり文句を付けてきて、しかも対等の立場を要求した」ように見えたのだろう。
むしろ余計不愉快な顔をにじませ、サイトとルイズにこう言った。

「そうか。この失礼な平民はミス・ヴァリエールの使い魔だったのか。全く、メイジの力量を見るなら使い魔をみろとは言いえて妙だな。
 だがそんなふざけた謝罪で贖えるほど彼の行った非礼は安くないぞ。どう責任を取るつもりだ」
「そうだ! 処刑だ!」

回りもそれに同調し始める。
だが、その言葉に対するルイズの返答は意外なものだった。

「それはこちらの台詞よ! 私の使い魔の発言を無礼というなら、今までのあんたたちの発言だって十分私に対する無礼だわ! それに対してはどう責任を取るつもりよ!」

そういって、周りの人間に詰め寄り始めた。周りが突然ざわめき始める。
……ミセス・シュヴルーズ、彼女に一体何を吹き込んだんですか?

「……ミス・ヴァリエール。それはどういうことかな? 公爵家の家名を出して僕たちを脅すつもりかい?」
「公爵家なんて関係ないわ。これは私自身の誇りの問題よ。まあ使い魔の不始末は私の不始末でもあることだし、お互い様ってことにするなら私はそれでいいわよ」
「ふん、何をやっても爆発するだけの“ゼロ”のルイズが言うじゃないか。公爵家が関係ないというなら、君に一体何ができるというんだ」

どうせ何も出来はしないだろう。そう思っていることが如実に現れている顔であった。
その態度に対してルイズは全く臆することなく、胸を張ってこういった。

「少なくとも、力づくで頭を下げさせられると思ったら大間違いだってことを教えてあげるわ!」
「――って、お前それ俺の台詞じゃねぇかよ! 人の顔叩いておいてパクんな!」
「私は八つ当たりじゃないからいいのよ!」

いやそのりくつはおかしい。


――そんな感じで仲裁のタイミングを計りかねて輪の外で呆けていると、ペリッソン先輩がサイトの横にいるマリーシと、遠くでぼおっとしている僕に気付いた。

「そういえばそれは確かド・ヴュールヌ伯の使い魔じゃないか。それに後ろにいるのはド・ヴュールヌ伯……。
 なるほど。ミス・ヴァリエールを焚き付けたのは彼か。相変わらず狡っからい男だ」

ペリッソン先輩がそういう……って待て、何だその納得の仕方は。ちょっと僕にもルイズにも失礼なんじゃないか?
案の定、ルイズは顔を真っ赤にして反論をする。

「ななな、何ですってぇ! 言うに事欠いてあんなアウトロウの手先扱いするなんて、先輩と言えども我慢できない侮辱だわ!」

こいつも大概なことを言ってやがるな。

「ミス・ヴァリエール! その言葉、宣戦布告と受け取ったぞ! みんな! そこの平民と成り上がりの伯爵と一緒に、貴族社会の秩序というものを教えてやろうじゃないか!」

ペリッソン先輩がそういうと、周囲で杖を抜いていた人間が熱狂して

「そうだ! 前からこいつら気に入らなかったんだ!」
「ヴュールヌばっか大もうけしやがって!」

といいながら、呪文を唱え始めた。

「それはこっちの台詞よ!」

そういうとルイズも呪文を唱え始める。サイトは突然の状況に頭がついていかない状態のようだ。
……って何で僕まで巻き込まれてるんだ!?
こりゃ何人か確実に「ルイズはどうでもいいけど僕を殴れるチャンスなので参加してる」奴が混じっているな。
現にペリッソン先輩自身が明らかにルイズではなく僕を狙っている。
完全に介入のタイミングを逸してしまった。迂闊である。

「いい加減にしろ! こんな無法が貴族のやることか!」

遅まきながら僕が叫ぶも、誰も聞く耳持っちゃいない。
まあ当然といえば当然だ。
ルイズやサイトが気に入らない人間は僕なんか眼中にないし、僕を攻撃する人間は「この事件を出汁にして気に入らない僕をボコにしたい」と考えているのだ。
僕の台詞で止まるなら初めからこんな馬鹿騒ぎなどに参加していない。
周りの大半の野次馬のように遠巻きに見ていればいいだけの話だ。

……まあいい、これは少なくとも先生が来るまで身を守らないといけないってわけだな?
僕はそう考えると、とりあえず適当な野次馬を何人か指名しながらこう宣言した。

「おいそこの一年! 早く先生呼んで来い! そこのお前も! 早く! 他の奴は道を空けろ! 巻き込まれたいか!」
「あ、はい!」

そういうと、勢いに押されたのか指名された二人は慌ててこの場を去っていく。
僕の台詞に気付いたのかさらに数人がこの場を去る。のんきに見物している状況ではないと気付いたようだ。
そして僕は呪文を唱えながらそうやって出来た隙間を縫ってサイトとルイズ、そしてマリーシに近づいていった。



[13654] 第九話:「Great Old Ones are coming to town.」シーン7
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/03/09 14:40
「ガンダールヴ、のう……」

趣味の水パイプをくゆらせながら、学院長であるオールド・オスマンはコルベールの話を聞いていた。
ルイズが使い魔として召喚された少年の左手に現れた印が、始祖ブリミルの使い魔「ガンダールヴ」のものと酷似しているのだという。

「はい! これは一大事ですぞ! ガンダールヴといえば……」

コルベールが興奮して叫び、ガンダールヴに関して説明を続ける。
何か気になったことがあると我を忘れるどころかそれ以外の全てをすっぱり気にしなくなってしまうのはコルベール最大の欠点の一つである。
戦いは大嫌いなはずなのに、大砲の弾道を寝食も忘れて計算した挙句、翌日の授業に支障をきたしたこともあった。
例の一件で心の平衡をどこかに失くしてしまったのかもしれないと、オスマンはそんなことを考えていた。

「落ち着かんかい、コルベール君。まだルーンが一致しとるだけじゃろうが。それだけでそう決め付けるのは早計じゃろう」

そう言ってオスマンが最低でも年が一回りは下の中年をなだめていると、学院長室のドアがノックされた。
ミスタ・ギトーの声がする。

「失礼、オールド・オスマン。中庭で生徒たちが乱戦を始めました」
「乱戦とは大げさじゃのう。まったく相変わらず血の気の多い餓鬼どもじゃ。で? 誰が暴れておるんじゃ?」
「正確には不明です。何しろ十人以上の生徒が参加して魔法を撃ち合っているものですから」
「何じゃそれは! 本当に乱戦ではないか!」
「ですからそう言ったじゃありませんか。
 ただ、基本的にはルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールとレイナール・シュヴァリエ・ド・ヴュールヌの二人に他の生徒が攻撃を加えています。
 ここまで大人数の乱戦となると無傷で止めることは困難です。『眠りの鐘』の使用許可を願います」
「そうじゃな、仕方あるま……」

そこで、オスマンはふと疑問と、そして懸念を抱いた。
だが懸念のほうはおいそれと口に出すわけにはいかない内容だったので、とりあえず疑問のほうをギトーに聞くことにした。

「待たんかい。十人以上が魔法を撃ち合ってるのに一方が二人じゃと? 何でそれで乱闘が続くんじゃ」
「それは不明ですが、まあド・ヴュールヌですから何なりと対処しているのではないでしょうか。
 それに正確には二人ではなく使い魔も含めて三人と一体です。まあ、平民に何が出来るとも思えませんが」

それを聞いて、オスマンは一つの結論に達した。
このまま「眠りの鐘」で皆を眠らせるのはたやすい。
だが、そうやって事を納めると「名誉号とは言え伯爵持ちと公爵家の令嬢を生徒が襲った」という風評が立ちかねない。
そんなことになったら退学者を出さざるを得ないし、下手をすると去年のように政治的な問題になるかもしれない。
学院は政治とは無縁の純粋な学びの園であるべしというのが彼の信念である。
勿論そのほうが楽だからとか、問題が起きると来年の生徒数が減るとかいう即物的な理由もあるが。
とはいえ強引にでも無事に納めるにはこの結果しかない。そしてその可能性は決して低くはない。オスマンはそう決断した。

「とりあえず『眠りの鐘』はいつでも使用できるよう準備しておけ。私が合図するまで使用は控えるように」
「わかりました」

そういうと、ミスタ・ギトーが《フライ》を詠唱し、その場を去った。
それとほぼ同時にオスマンが杖を振ると、壁にかかった鏡に中庭の様子が映し出された。
コルベールは、つばを飲み込んでオスマンに尋ねた。

「彼がガンダールヴかどうか、確かめるんですね?」
「そんなことはとりあえずどうでもええわい」

オスマンはにべもなくそう言い放った。


幾多の魔法がレイナール・マリーシ・ルイズ・才人の三人と一体に襲い掛かった。

レイナールは即座に土壁を発生させ、魔法を全て受けきった。
土壁と魔法がぶつかり爆ぜる土煙で視界が遮られるが、マリーシという第二の視点を持ち、地面の振動を感知できる彼にとっては大した障害にならない。
再び呪文を準備し、ルイズたちに合流した。

マリーシに「回避する」という概念はない。彼に向かう全ての魔法が直撃した。
腕部が切り裂かれ、脚部が焼かれ、胴部に穴が開き、頭部が吹き飛んだ。
本体から離れた破片が精霊の加護を失い、草束に戻っていく。
当然のことだが――マリーシにとってはどうということのないダメージである。
マリーシは再び自らが知る唯一の呪文を唱えると、レイナールから与えられた服以外は何事もなかったのように復元した。
そして襲ってきた人間に対して、彼は自身を攻撃した者に今までしてきた反応を返した。
つまり、特に何もしなかった。
勿論、攻撃した生徒たちに恐怖を与えるにはそれだけで十分ではあったのだが。

ルイズは「昔操られていたときのように」それを爆発で打ち消そうとするが、流石に全てを消し去ることは出来なかった。
いくつかの風や氷の刃が腕や足をかすめ、服と皮膚を切り裂く。
重要器官に当たらなかったのは、幸運かそれとも相手側に殺意がなかったゆえか。

ただの平民である才人を襲った攻撃はほとんどなかった。
だが、彼には何の防御手段もないのである。正面からの攻撃は何とか逃げられても背面からの攻撃はどうしようもない。
背負っていたゴミでいっぱいの籠が背後からの攻撃を引き受けて四散しなければ、少なくとも彼の意識はなかったであろう。

「何しやがる! こんな女の子をよってたかってお前ら恥ずかしくないのか!」

才人は恐怖と怒りがない交ぜになった感情を吐き出すように叫んだ。
本来なら初めて見る魔法攻撃に驚くべきところなのだろうが、そのような余裕は彼にはなかった。
当然ながら、平民の言葉に耳を傾けるような人間はそもそもこの場に参加などしていないのだが。

そうしていると、レイナールがルイズたちのいる場所に合流した。
彼は即座に土壁で三人と一体を囲んだ。
周囲からガンガン土壁を削る音が聞こえる。おそらく外側の人間は「《フライ》で乗り越えたりよじ登ったりするのは危険」と判断したのだろう。
とりあえず攻撃が一段落したのを見計らうと、レイナールが口を開いた。

「無駄だ、ヒラガ。説得で収まるならそもそもこんな乱戦にはならん。とりあえずぶん殴って大人しくさせるしかない。
 あとミス・ヴァリエール。どう落し所を付ける?」
「何よ? 言っとくけど私は悪くないわよ?」
「落とし前じゃなくて落し所だよ。『この喧嘩どういう結果で終わらせる』か聞いてるんだ。
 あいつらみんな退学にして、実家からも勘当させる? それとも学院内だけで片をつける?」
「な、なんで退学までさせないといけないのよ……そんなことになったら気分悪いじゃない。とりあえず謝らせればそれでいいわよ」
「わかった。なら僕もそのつもりで動こう。
 ミス・ヴァリエールはとにかくたくさん爆発をばら撒いてくれ。相手を牽制したい。
 今回は人数が多いから何発か命中するかも知れんが気にするな。仕掛けたのは向こうだ。
 あとヒラガ、それちょっと借りるぞ」

そう言いながらレイナールは、才人から火バサミを取り上げた。そして地面に付けて何やら呪文を唱える。
すると火バサミは握りの着いた一本の金属棒になった。地面から取り出すとその棒の先には尖った重りがついている。
才人は、その形状をゲームなどで見たことがあった。

「……メイス?」
「知ってるなら話は早い。とりあえずこれを渡しておくから、襲ってくる奴を片っ端からぶん殴ってくれ」
「え? いや、俺こんなの使ったことないぜ?」
「こんなもんに使ったことあるもないもあるか。適当に振り回せばいいんだよ」

そう言って、レイナールはメイスを才人に渡した。
才人に刻まれた左手のルーンが光る。そして、才人は自分の体が軽くなり、もらったメイスがまるで手の延長のように馴染んでいるのを感じた。

「なるほどな! マジックアイテムって奴か! レイナール、おまえすげえな!
 わかったよ! あいつらムカつくし、ボッコボコにしてやるよ!」

才人はゲームなどの知識から自分の身におきた変化を「レイナールが作ったメイス」が原因だと考えた。
「装備すると筋力や素早さが上がる武器」などRPGでは珍しくない。その類だろうと判断したのだ。

「その辺は気にするな。とにかく壁が崩れたら連中が一斉に攻撃してくるだろう。呪文が完成する前に一気に片を付ける。
 マリーシは……とりあえず適当に突っ込んでくれ。ひょっとしたら向こうが間違って攻撃してくれるかもしれんし」

レイナールがそう言って指示を飛ばしていると、ルイズがとりあえず反論した。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。前にも思ったけど何であんたが当たり前のように仕切ってるわけ?
 なんかいいように使われてるみたいで複雑なんだけど」

勿論ルイズも「こういう状況に慣れてるレイナールの指示に従うほうが妥当だ」ということはわかっている。
だが、とりあえず「その状況は不本意である」ということは主張しておかないとひょんなことから力関係が固定してしまいかねない。
貴族社会というのはややこしいものなのである。

「まあ一応これでも軍事訓練をやったこともある身だ。だまされたと思って僕の顔を立てておいてくれないか?」

レイナールもその辺は理解しているので、特に不快に感じることもなく角の立たない返事をする。
そのあたりで、土壁の一角が崩れた。


壁の外の人間は焦っていた。
本来なら十対ニの戦いである。しかも片方はゼロのルイズだ。
最初の呪文で二人とも意識不明まではいかずとも、完全に大勢は決していたはずなのだ。
だが、連携が全くなかったこともあるが現実には誰にも大したダメージを与えられていない。
最大の誤算はあのレイナールの使い魔だ。
一発一発が致命傷のようなダメージを何発も与えたにもかかわらず、全く意に介した様子がない。
あれで攻撃の何割かが無駄になってしまった。
そして、現状の土壁である。
現在土メイジのゴーレムが3方向を削り取りながら他のメイジが魔法の準備をしているが、向こうに相当な時間を与えてしまうだろう。
そうなればあの「ド・ヴュールヌ」が何か仕掛けてこないわけがない。
とはいえ、土壁をよじ登ったり全員で一斉に土壁を崩す作業を行うなど自殺行為もいいところだ。
そして、ついに一体のゴーレムが土壁を破壊した。
それと同時に――ゴーレムが爆発で吹き飛んだ。
ルイズの爆発魔法であった。
ゴーレムの破片が呪文の準備をしていた生徒たちに直撃する。

「このお! ふざけやがって!」

怒りに任せ、メイジたちが土壁の穴に向かって魔法を撃ち込もうとする。
だが、それよりも圧倒的なスピードで土壁の穴から飛び出したものがあった。

「先に殴ってきたのはそっちだからな! 悪く思うなよメイジ野郎!」

才人である。
彼は常人とは思えない動きでメイジたちの群れに飛び込み、そしてメイスを振るった。
ただ重量と力に任せて振り回すだけの単純な攻撃であったが、それが打撃武器の神髄というものである。
彼が振るうメイスは一瞬の虚をついてメイジたちの右腕を折り、左腕を折り、鎖骨を折り、そして肋骨を折った。
才人の攻撃に対抗する防具を予め付けておいた生徒などおらず、彼に殴られたものはほぼ例外なく戦闘不能に陥った。
間合いから外れていたものは何とか体勢を整えようとするが、才人が飛び出したのと同時に辺りに大量の爆発が発生した。
一人が運悪くそれに直撃し、才人に殴られたよりももっとひどい重傷を負った。
才人に近づけばメイスの餌食になり、離れれば爆発の餌食になる。どちらにせよまともに戦える状況ではなかった。

「くそ! みんな! あの平民を全力で黙らせるんだ!」

ペリッソンがそう叫んで周りの群衆と一緒に魔法を唱えようとする。
だが、そうやって才人に近づこうとすると突然高速で赤土が飛来した。
ミセス・シュヴルーズお得意の悪ガキを黙らせる魔法である。
だが、二つほど違っていた点があった。
一つは使用者がミセス・シュヴルーズではなくレイナールであったということ。
もう一つは……口だけでなく鼻も目も覆い、完全に呼吸出来なくしているということである。
一説によればこうやって相手に声も上げさせず窒息死させることこそがこの魔法の真の姿であり、
ミセス・シュヴルーズは若かりし頃に戦場で幾人ものメイジをこの魔法で葬り、その功績より“赤土”の異名で呼ばれるようになったという噂もある。
(まあこれは多分生徒の流した七不思議の類だろうが)
ペリッソンが苦しみもだえ、呼吸困難で気絶したところで赤土は崩れ去った。
この距離ならレイナールは遮蔽を取っていてもマリーシという第二の視点と地面の振動で大体の人間の位置と状況がわかる。
どこで誰が体勢を整えようとしているか、ほぼ手に取るように理解できた。


才人に近づけばメイスの餌食になり、離れれば爆発の餌食になり、何とかかいくぐって体勢を整えるとレイナールに崩される。
昼休みが終わりを迎える頃には、ルイズたちを襲った人間は全員が「魔法で治療しなければ命に関わりかねない」重傷を負っていた。

「ちょ、ちょっと……やりすぎたかしら……」

才人以外に動くものがいなくなった事に気付いたルイズが回りを確認し、顔を引きつらせながらつぶやいた。
才人もその呟きが聞こえたのか、ふと動きを止めて周りを見回す。

「え? ……あ、やべ……」

冷静になって少し血の気が引いた。
自衛のためだったし一応殺さないように頭とかは殴らなかったが、今までのイライラで必要以上に暴れた感は否定できない。
あるいはこれは取り返しのつかないことをしてしまったかもしれない。才人はそう思った。

「今から治療すれば死にはしないって。まあ、ここまでボコボコにすれば彼らを退学にしなくても済みそうだな」

レイナールだけが、何事もなかったかのようにそんな発言をした。


「……なあ、ひょっとしてレイナールってヤバイ奴なのか?」
「何? あんた今まで知らなかったの?」

レイナールのそんな発言を聞いて、才人とルイズの二人がそう言い合った。



[13654] 第九話:「Great Old Ones are coming to town.」シーン8(第九話エンディング)
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/03/09 16:23
「そこまでじゃ! 全く、派手にやらかしおったのう」

上空から老人の声がした。ルイズとサイトが上を見ると、白い髪と髭を蓄えた小柄な老人が宙に浮いていた。
トリステイン魔法学院長、オールド・オスマンであった。
周りを見ると、水メイジを中心とした教員たちがいつの間にか現れていた。
オスマンはゆっくりと地面に降り立つと、教員たちに生徒たちの応急処置を命じた。
勿論彼が来る直前に争いは終わっていたのだが、これだけ聞くとまるでオスマンが場を鎮めたようだった。

「状況は大体聞いたわい。じゃがいくらなんでもやりすぎじゃぞ。お主ら、罰というわけではないがちゃんと中庭を元に戻しておけよ」
「ちょ、ちょっと待ってください! 私たちは彼らから身を守っただけです!」
「わかっとる。後でこやつらには謝罪させるし、しっかりきつーいお灸をすえてやるわい。
 じゃが実際戦っといてお前さんらに御咎めなしじゃかえって後々しこりが残るじゃろう。形だけでも喧嘩両成敗ということにしておけ。
 あとお前さんもちゃんと手当てを受けるんじゃぞ。綺麗な肌が台無しじゃわい」

ルイズの抗議を軽く受け流すと、オールド・オスマンはそう言って動けない生徒たちを連れて行った。

「あ、オールド・オスマン」

今度はレイナールがオスマンを呼び止めた。

「なんじゃ。今度はお前さんかい」
「書類はこっちにも回していただけませんか? ド・ヴュールヌ伯としてのお願いです」
「……こっちのやることはわかっとるようじゃの。まあええわ。寛大な判断に学院長として礼を言っておくぞい」

そう言うと、今度こそオールド・オスマンは去っていった。


事件の内容自体は公式には「単なる喧嘩」として処理された。
生徒たちも「そんなわけがない」ことくらい知っていたが、被害者側も過剰と言えるほど相手を痛めつけていたのでその辺で手打ちにしたのだろうと勝手に納得した。

ルイズたちを攻撃したメイジたちは「校内で闘争を仕掛けた罰として卒業まで杖は学院預かり」という屈辱的な罰が与えられた。
首謀者であるペリッソンは赤土が両眼に入り、数日ほど眼部に包帯を巻いた暗闇での生活を余儀なくされた。
他の者たちもしばらくの間骨を固定した痛々しい姿を他の生徒たちに曝し、それが癒えた後も杖を奪われた姿がかつての惨状を皆に思い出させた。
彼らは「杖なし」と呼ばれ、かかる姿は学院の生徒たちの間に「ルイズ恐るべし」との評を広め「ド・ヴュールヌに抗うべからず」との言を不動のものとした。
なお、その状況に内心最も安堵したのは才人の謝罪で白けて立ち去った生徒たちであったことは言うまでもない。

だが、実は彼らにはそれ以外に罰が与えられていた。
それが、学院・ルイズ・レイナールに対しての反省文である。
そこには自らが行った行動の真相とそれに対する謝罪、そして関係者の寛大な処置に対する御礼が花押とともにしたためられていた。
その文章が実家に知られれば廃嫡は免れない。それどころか表沙汰になれば己だけでなく家にまで危険が及ぶ。そんな内容であった。
いや、実家が「気を利かせて」彼らを処刑したとしても、文章が公開されればむしろ「トカゲの尻尾きり」と揶揄されることになるであろう。
一枚だけなら力づくで奪い取ろうと短絡的に考える者も出たかも知れないが、三枚となれば最早どうしようもない。
つまり、彼らはこれで学院にも、ルイズにも、そしてレイナールにも逆らうことが出来なくなったのである。
もちろん、それをちらつかせて脅すなどという恨まれかねない真似をするほど三人は愚かではない。
オスマンも、ルイズも、レイナールも、まるでそんな文章など存在しないかように今までと変わらぬ応対をした。
まあ、ルイズは本当に水に流しただけかもしれないが。

「ルイズとレイナールが10人以上の生徒と戦い、使い魔とともに一方的に返り討ちにした」という噂はあっという間に学院内を駆け巡った。
だが、余りにも圧倒的な結果であったため敗者を嘲笑する声よりもむしろ勝者を讃える声が強くなった。
「ルイズは特別な存在である」「ルイズの使い魔も特別である」「レイナールとその使い魔は言うに及ばず」そのような評が通説となった。
現場を見ていた生徒がそれなりにいたこともそれに拍車をかけた。
自分があの場にいれば彼らを倒すことが出来たか。その問いに是と答えられるものはそう多くなかった。
特にそれを支持し、流布したのは件の「杖なし」である。
逆らうという選択肢を奪われた彼らにとって、その説を周囲に信じさせ、また自らも信じることがほぼ唯一の救いだったからだ。
彼らは自らのなけなしの名誉と心を守るため、誰に頼まれたわけでもないのにルイズたちを賞賛した。


ルイズは、この事件以後“ゼロ”という二つ名で呼ばれることはほぼなくなった。
一年生からの付き合いであるキュルケが時折からかい混じりに使用するくらいである。
そして、馬鹿にされることがなくなったこともあり彼女はほんの少しだけ丸くなった。
貴族というものに対してそこまでガチガチな固定概念で考えないようになったのだ。
とはいえ「侮辱に過剰反応するのも貴族らしくはないわね」と考えるようになった程度ではあるが。

レイナールは、まあちょっと皆が「ド・ヴュールヌに敵対すると碌な目にあわない」と再確認しただけである。
そんなことは学院どころかほぼトリステインの常識である。いちいちあげつらうまでもないことであった。
成金だなんだという陰口は「実害がないので大目に見ている」だけであり、寛容を弱腰と勘違いしてはいけない。そう全員が肝に銘じただけのことである。

マリーシは……レイナールに新しい服をもらった。
彼は別にないならないで全く困らないのだが、レイナールがあったほうがいいと助言するので従うことにした。
それ以外、彼にとってこの日は何の曇りもない記念すべき「言葉を得た二日目」であった。
余談だが、その後使用人たちは中庭に生える「根の破片、葉の一片でも残せばいくら抜いても再生する雑草」に悩まされることになる。
毎年この雑草には悩まされているのだが、今年は特に多いとのこと。

才人は、多少待遇が良くなった。
「あれだけの特別な使い魔ならそれなりの扱いをするべき」という声が多くなったためと、ルイズがそれなりに自信を付けたため、
そして「いくら反抗的とは言ってもレイナールのよりましよね」と思ったためである。
あの時、マリーシは「とりあえず敵に突っ込んでくれ」というレイナールの命令を完全に無視した。
後で聞いたら「人間の共食いなんて珍しくないから何の興味もわかない」と何の臆面もなく言い放った。
レイナールに「罰を与えないの?」と聞いたらにべもなく「……どうやって?」と返された。
あれに比べればなんだかんだ言っても論理と罰が通じるだけサイトのほうがましだ、ルイズはそう思いなおしたのだ。
まあ、本当に多少ではあるのだが。


一方その頃、トリスタニアのとある武器屋では、傭兵たちが「山賊退治の戦利品」と称して持ってきた大量の武器を鑑定していた。
傭兵たちが大量の何かを下取りに出すときは出所が何であれ「戦利品」と言うのが基本である。
傭兵がどこかから物資を奪ってくることなど大して珍しいことではない。
戦争がないときは隊商を襲い、護衛をしている同業者の死体からすら剥いで奪うこともしょちゅうだ。
というより、それくらいやらないと傭兵などで食っていくのは難しいのである。
いつか誰かに殺されるとは知りながら、その死を一日でも遅らせるため他人を殺す。それが傭兵というものであった。
もちろん、そんなことはこの武器屋の店主には関係のない話である。
最近は白の国に吹き荒れる粛清の嵐に警戒してかアルビオン貴族たちに武器が良く売れる。
そのうち不満と不安に駆られて暴発する貴族も出るかもしれない。そうなれば武器はさらに値上がりするだろう。
彼にとってはそれだけが重要なことであった。

「これは……鉄屑にしたほうが高いな。これは……まあ100エキューでいいか」

そうひとりごちながら武器の山を選別していく中、一本の大剣を鞘から抜いた。
見るからに錆び錆びの剣であった。しかも刀身が薄い。鉄屑になるかどうかすら微妙である。

「おいおい、こんなもの売り物になるとでも思ってるのかよ」

店主は目の前にいる傭兵にそう言った。

「何言ってやがる! このデルフリンガーさまを捕まえて売り物にならねぇとはどういうことだ!」

だが、それに返答したのは剣であった。

「なんだ。インテリジェンスソードかよ……」

店主は明らかにめんどくさいという顔をした。インテリジェンスウェポンは基本的にメイジが気まぐれで作るものであり、実用的なものは少ない。
ナイフの類だとメイジが自分で使うために便利な能力を付加している場合も稀にあるらしいが、これくらいの大剣、しかも錆びているとなればまずそれは期待できまい。
これは買い取り拒否だな……そう言おうとしたところで、店主はある話を思い出した。
そういえば、ド・ヴュールヌ伯とかいう貴族がトリステイン中の武器屋を回ってインテリジェンスソードを探しているらしい。
この裏通りにある小さな店にすらその使者を名乗る人間がやってきていたから、誰かが探していること自体は間違いない。
その剣の銘が……確かデル何とかではなかったか。
探している理由もわからないしこんな錆びた剣がその御目当ての剣とも思えないが、コレクターの心理なんぞわからんものだ。
とりあえずこの場は買い叩いておいて、間違いとわかれば廃棄すればいいだろう。

「……まあいい。これからの末永い御付き合いを願って、特別に10エキューで引き取ってやるよ」


こうして、これから巻き起こる大いなる乱世を飾る主役たちが静かに舞台へと上がっていったのである。



[13654] 第十話:「誰が殺したクックロビン」シーン1
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/03/11 08:50
トリステイン魔法衛士隊が一つ、グリフォン隊の隊長ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵は王立図書館で書を読んでいた。
非番の折、自主鍛錬の合間にこうして書を読むのが彼の日課であった。
長い口髭を蓄えた精悍な顔立ち、そして軍人として均整の取れた体つきの彼が読書をする姿は、社交界の貴婦人にも人気が高いという。
知り合いにも彼の趣味が読書であると誤解しているものが少なくない。
もちろん彼も好きで読んでいる点は否定しない。だが、彼は別に単なる趣味で本を読んでいるわけではなかった。
聖地へ赴き、何があるか確認したい――彼は、その目的のためにこれまでの半生を捧げてきたのだ。

彼は、ふと読書を止めて胸のロケットを開く。
「聖地へ行かねば、人類に未来はない」そう主張しながら死んだ母の肖像だ。
世間にはその主張自体が伏せられ、知る者ですらアカデミーでの研究のし過ぎで心を壊した末の妄言と考えている。
彼も、妄言と考えていた一人であった。そして今も、それを払拭し切れてはない。
だからこそ、彼は世界に何がおきているのか、そして聖地に何があるのか確かめることを決意した。
母の言うとおり聖地にいかねば人類の未来はないのだとしたら、母は狂人ではなかったことになる。
それは母の名誉を回復することであり、自らが母にしてきた仕打ちに対する贖罪になるだろう。
聖地に何もなかったとしたら――悲しいことだが、それはそれで自らの行為をある程度は正当化できる。
いずれにせよ、本当の自分の人生を歩むためにも彼は聖地を目指すと始祖と母に誓っていた。

世界に何が起こっているか――これは残念ながら、今のところ目立った収獲はない。
母の遺した日記から「地面に埋まっている何か」が鍵を握っていることだけは推察できた。
だが当時の母の研究記録は抹消されており、それ以外の書や論文に手がかりになりそうなものは今のところ見つかっていない。

聖地に関しては多少ましではあるが、それでもわからないことだらけだ。
現在聖地はエルフたちの支配下にあり、人間は近づくことさえ許されない。
行商人の噂では、彼らはどうも聖地のことを「悪魔の門」だのという名前で呼んで厳重に封印しているという。
何もないならそんな名前まで付けて厳重に封印する必要はない。少なくとも「何か」があるのであろう。
それが母の求めたものとイコールなのかは、今のところ不明である。
おそらく実際に赴くか、少なくとも誰かを派遣せねばこの謎が解けることはないであろう。

では、どうやってそれを成し遂げるか?
個人で潜入するのはまず不可能であろう。少なくとも、自分の命を賭けられるほどの成功確率は期待できない。
エルフと争そって聖地を取り返すか、エルフと交渉して聖地巡礼を認めてもらうか、可能性があるのはそれくらいしかない。
だが、自分の個人的な欲求のために国を“聖戦”に向かわせるほど彼は冷酷ではないし、またその政治力もない。
「聖地を目指そう」という同志が組織だって存在しているのなら話は別だろうが、残念ながらワルドはそのような組織から勧誘を受けたことなどなかった。
時折坊主が似たようなことを主張しているが、奴らは“聖戦”をタネに金や権力を得ようとしてるだけである。
さしもの彼といえど、そんな詐欺に引っかかるほど追い詰められてはいなかった。
しかし、聖地巡礼の交渉程度なら「聖地に何かがある」と王国に信じてもらうだけでも何とかなる。
魔法衛士隊隊長という肩書きも鑑みると、発案者になればその使者を任される可能性も高かろう。
そうなれば「せめて聖地に何があるのかくらい確認させよ」と要求できるかもしれない。

文献や市井の噂を総合して「世界に何がおきているか、聖地に何があるか」を調べ、それをもってエルフと交渉する政策を提案し、自らがその使者となる。
これを実現させるために、彼は日課のように書を読んでいるのである。
迂遠なようだが、自分の知性と立場を鑑みるとこの方向が一番現実的だとワルドは考えていた。

「やはりここでしたか、ワルド隊長!」

静寂の響く王立図書館に、青年の大声が響いた。
グリフォン隊に最近見習いとして入った新人であった。

「落ち着け。軍人たるものいかな緊急時にも冷静でなくば早死にするぞ。それに図書館では静かにするものだ」
「し、失礼しました……ですが隊長、緊急事態です!
 駐アルビオン大使から……アルビオン王ジェームズ一世陛下が暗殺されたとの報が届きました!
 今後の犯行勢力やアルビオンの動向が不透明なため、魔法衛士隊は準戦時体制で王宮と市内を警護せよとの命令です!」
「なんだと……! わかった。お前は他の隊員にも順次連絡して、詰め所に集合させろ」
「了解しました!」

そういうと、新人は駆け足で図書館を去っていった。

「……誰か知らんが、余計なことを……!」

彼はそういってロケットを閉じた。
これでしばらく誰も聖地なんぞに目を向けることはあるまい。彼にはそれが悔しかった。



[13654] 第十話:「誰が殺したクックロビン」シーン2
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/03/11 22:05
巨星墜つ。
アルビオン王が暗殺されたのとほぼ同じ時刻、トリステインがその報を知る少し前のことである。


「ほんっと、あんたって何の役にも立たないわね」

ルイズは、これで通算3着ほどマントを洗濯と称して滅茶苦茶にしてしまったサイトに言い放った。
当然といえば当然である。
何しろ、才人は電化製品の助けなしに家事や雑用をやった経験がない。
せいぜい学校で箒やちりとりなどを使用したことがある程度だ。洗濯などもってのほかである。

「だから洗濯なんてやったことないって言ってんだろ。大体、ろくな報酬もないのに『自分に従え』なんて言われて仕事やる気になるとでも思ってんのかよ」

才人も負けじと言い返す。テロには屈しないのが正しい市民の矜持というものである。
外国にしばらく暮らした人間はナショナリズムに走りがちだというが、才人もなんとなくそんな気分だった。
ルイズのほうも言い返しそうになるが、そんなことをしてもまた不毛な口論が始まるだけだというのはいくら何でも学習していた。
この平民は本当に貴族というものをなんとも思っていない。だからまずそこから理解させないと何を言っても水掛け論だ。
とはいえ、ルイズは「自分に反抗的で、貴族なんてなんとも思っていない平民に言うことを聞かせる」話術など持ち合わせてない。
今までただそこにいるだけで平民はおろか大抵の貴族すら頭を垂れてきたのである。そのような技術が必要なことどころか、存在することすら最近知ったようなものだ。
というわけで……ルイズは、探り探りとりあえず話題を変えてみることにした。

「まあいいわ。じゃああれよ。あんたとりあえず腕っ節だけはいいみたいだし、明日の虚無の曜日にとりあえず武器を買いにいくわよ」
「虚無の曜日?」
「その日は学院が休みなのよ」
「ふうん」

日曜日みたいなものかと才人は考えた。

「とにかく、家事も雑用も出来ないんだったら武器もって護衛くらいはやりなさい」
「いや、ちょっと待てよ! あれはレイナールからもらったマジックアイテムのおかげで、俺は別に強くもなんともないぞ」
「何言ってんのよ。いくらあいつだからってたかが《錬金》で作った棍棒にそんな効果を持たせられるわけないでしょ?」
「そ、そうなの?」
「当たり前でしょ? そもそもそんな大層な武器だったら使ってる間に折れたりしないわよ」

ルイズの言うとおり、レイナールがくれたメイスは殴っているうちに棒の部分が曲がり、最後にはまるでブーメランのようになってしまった。
結局火バサミに戻すことは出来ず、才人は籠と火バサミを壊してしまったことを謝罪に行く羽目になった。
そこで「メイジを殴り倒した平民」として使用人たちに思わぬ歓迎と祝福を受けることになったのだが――まあその件は後の機会に述べよう。

「当り前っつったって知らねぇよ。俺はこの世界の人間じゃないって言ってんだろ?」
「あーはいはい、そうだったわね。まあ何にせよ何か仕事くらいはやってもらわないと困るわよ」
「困るって言われてもなぁ」

その言い口にルイズはイラッと来たが、鋼の自制心(自称)で何とか耐えた。
あれである。こいつは「自分が私にどれだけの恩恵を受けているのか」が理解できていないのだ。
ならば主人としてまずそれをわかりやすい形で示してみよう、そう考えた。

「わかったわよ。ついでにあんたの替えの服とベッドも買ってあげるわ。あんたそれ以外に服もってないでしょ?
 だから護衛くらいはやりなさいよ。最初に行ったけど主人を守るのは使い魔の最大の仕事なのよ? 文句ないでしょ?」
「え? ああ、でも……」
「ないわよね!?」

そういって、ルイズは才人の眼前に詰め寄った。
才人の視界にルイズの美貌がアップで映る。
香水の混じった甘い香りがサイトの鼻腔をくすぐる。
女の子に慣れていない才人は、もうそれだけで何がなんだか良くわからなくなった。

「わかりました! がんばります!」

そして流された。
げに哀しきは使い魔と男であった。


次の日、大荷物になることが予想されるのでルイズはタバサにお願いして風竜に乗せてもらうことにした。
ルイズも昨年の一件以来タバサとはそれなりに親交を持っていた。
タバサも新しい本を買う予定だったとのことで、すんなりと交渉は成立した。

3人を乗せた風竜は、風を切ってあっという間にトリスタニアへと向かう。

「使い魔って言うのはこうやって主人の役に立たないとね」

ルイズがそうやって才人に皮肉を言うが、才人は空から見るハルケギニアの景色に夢中でそれを聞き流した。

遠目に見たトリスタニアは、新しい建物が立ち並び広い道路が整備された活気のある市街と歴史情緒ある……悪く言えば古臭くてこじんまりした市街に分かれていた。
ただ、古臭いほうの街の真ん中には大きな城がここからでも見える。おそらくあれが王城なんだろうと才人はなんとなく思った。
本当にファンタジーだなぁと才人が感慨深く眺めていると、それを見たルイズが声をかけてきた。

「ああ、二つ街がつながってるのが珍しいのね?」
「え? いや、まあ……」

才人にしてみれば「街がつながってる」ことより「平原の真ん中にぽつんと街がある」ことの方が珍しかったのだが、流石に空気を読んで言うのを差し控えた。

「あっちが城下町で、女王陛下のおわす城のお膝元よ。で、あっちが……ここ数年でできた新市街ね。
 危ないから新市街には用もないのに立ち入らないほうがいいわよ」
「危ない? なんで?」

才人は疑問に思った。感覚的にはあっちの小汚い市街のほうがスラムっぽくて治安が悪そうである。

「新市街にはゲルマニアとかド・ヴュールヌから来た成金が多いから、それを狙ったスリとか泥棒とかがいっぱいいるのよ。
 とはいえ、城下町のほうも新市街から流れてきた奴がいるから最近は物騒なんだけどね」
「ふうん……あれ? ド・ヴュールヌってなんか聞いたことがあるんだけど」
「レイナールっていたでしょ? あいつの実家の領土よ。行ったことはないけど領土が全部あの新市街みたいな滅茶苦茶な場所らしいわ」
「へぇ、あいつって都会育ちなんだな」

領土といわれてもいまいちピンとこない才人は、単純にそう解釈した。
首都じゃない大都市の貴族というと……大阪か神奈川の知事くらいだろうか。その程度の想像しか出来なかった。

「いい!? そういうわけであのレイナールには気をつけるのよ! うちも知らないうちに丸め込まれて3000万エキューも貸しちゃったんだから」

エキューが金貨の名前であることは財布をもらったときに説明されており、才人は1エキューが大体2~3万円くらいであろうと推定していた。
それで考えると……大体一兆円弱である。
ニュースで「日本の国債が数百兆円」とかそういう金額を何度も聞いていた才人は、まあそんなもんなんだろうなと思った。

「返してくれないの?」
「……5年で利子つけて全額返ってきたらしいわ」
「じゃあいいじゃねぇか。っていうかすげえな」
「それだけじゃないわよ! トリステインどころかハルケギニア全土から定職もない平民や追放されたメイジを集めて、領内で働かせてるの。
 出自の怪しい人間に平気で高い俸禄を支払うらしいわ」
「いいやつじゃねぇか」
「何でよ!? おかげで王都にまで新市街なんてものが出来て、良くわからない犯罪者が増えて、もはや古きよき穏やかなトリステインは今や見る影もないわ!」
「なるほどねぇ。発展の負の側面って奴か」
「……もういいわ。何にせよあの男に気を許すと知らないうちにわけのわからないことの片棒を担がされるから気をつけなさいよ!」

ルイズはこの理解力のない平民に何を言っても無駄だと理解した。
才人はレイナールのことを「まあ、信長みたいなもんか」と考えた。信長くらいなら才人でも知っている。
タバサは、そんな二人のやり取りを黙って聞きながらシルフィードをトリスタニアに向かわせていた。


タバサの風竜を城下町の入り口で待機させ、3人はトリスタニアのブルドンネ街を歩く。
ほんの数年前までトリステイン最大の大通りだったブルドンネ街は、いまや「トリスタニア最大」の地位さえ奪われ「城下町最大」にまで転落していた。
才人も素直に「狭い道だなぁ」と感想を漏らした。
別にルイズには何の責任もないのだが、なんとなく癪であった。なので通りについては何も説明しなかった。
それでも、通りには人でごった返し、両脇には行商人が軒を連ねていた。
時間的に朝市という奴だろうか。才人はふとそんなことを思った。
持ち前の好奇心がむくむくと頭をもたげるが……現在彼はどう軽く見積もっても十kgは超えるだろうという大量の金貨を袋に入れて抱えているのである。
財布は従者が持つものだとルイズが押し付けてきたものだが……なるほど、確かにこんな重量物は「それ専門の」従者が持たないとやってられないだろう。
紙幣や電子マネーを発明したご先祖は偉かったんだなぁと、才人はしみじみ痛感していた。
とりあえずこいつを処分してもらわなければ身動きもままならなかった。

「ぼおっとしてんじゃないわよ。スリが多いんだから」

こんなでかい袋を奪う奴はスリじゃなくてひったくりだよと、才人は心の中で突っ込んだ。
そんな心の声がルイズに聞こえるわけもなく、ルイズはふと思いついたようにタバサに尋ねた。

「ああ、ところでタバサ。武器屋ってどこにあるか知らない?」
「ピエモンの秘薬屋の近くに武器の絵が描いた看板があった」

基本的に武器に縁のないタバサも武器屋などに行ったことはなかった。そのためこんな漠然とした情報しか提示できない。
勿論、ルイズが武器屋など知っているはずもなかった。

「しょうがないわね。とりあえずそこに行ってみるわ」
「――ってお前、完全にノープランかよ! 武器ってそんな適当に買っても大丈夫なのか?
 っていうかお前、まさか俺にこんな重いもの持たせたまま街をうろつく気だったとかいうんじゃないだろうな?」
「うるさいわね! つべこべ言わずについてきなさい!」

そういってルイズが才人を引っ張っていくと、ルイズのすそをタバサが引っ張った。

「ん? ああ、そういえば集合場所を決めてなかったわね」
「同行する」
「へ? 行ったことはないけど案内してもらわなくてもピエモンの秘薬屋くらいは知ってるわよ?」
「心配」

タバサはストレートに本音を告げた。


ピエモンの秘薬屋は裏路地にある。悪臭が鼻につき、見るからに不衛生で混沌とした空気が漂っている。
モヒカンとかがワンダリングエネミーとして襲ってきそうな雰囲気だ。才人はそんな感想を抱いた。

「ここ」

タバサは迷いなく辻を折れ曲がり、剣の形をした看板の下で立ち止まってそういった。
今彼女に立ち去られ、独りであの大通りに戻れと言われたら才人は確実に迷う自信があった。

店に入ると、薄暗い店内に武器や甲冑が所狭しと並んでいた。
店主は、入ってきた客の二人に五芒星のマントを見て、入ってきた客が貴族であると判断した。
そして、すぐに先ほど仕入れたばかりの剣を思い出した。

「おや貴族の旦那。ひょっとして剣を御求めですかい?」
「そうよ」

ルイズがそう返答すると、店主はいよいよもってにんまりした。

「ひょっとして、ド・ヴュールヌ伯とかいう方のご関係者で?」
「何であんな奴がでてくるのよ」

ルイズは急に機嫌が悪くなった。新市街の件もあり、何と言うかいつの間にか掌で踊らされているような不快感を感じたのだ。
店主も、自分がひょとして何か言ってはいけないことを言ってしまったのではと危惧した。

「ああ、これは申し訳ありません。とんでもない勘違いを……確か剣を御求めでしたね。どういったものがご入用でしょうか」
「こいつに持たせるのよ……その前に、なんでド・ヴュールヌなんて名前が出てきたのか教えてくれないかしら?」
「へ、へぇ……噂なんですが、そういう貴族様があるインテリジェンスソードを御探しだそうなんですよ。
 それをひょんなことから仕入れたものでして、ひょっとしたらその噂を聞きつけていらっしゃったのかと」
「……それはもう買い手がついてるの? ついてないなら見せて頂戴」
「へ? はあ、それはかまいませんが……」
「なら見せなさい」
「へ、へい! ただいま」

店主は、そういって倉庫へすっ飛んでいった。
ルイズは、振って沸いたレイナールをぎゃふんといわせるチャンスに内心わくわくしていた。
別にレイナールやド・ヴュールヌに恨みはない。だが色んなものがあいつらの流儀に染められていくのが面白いわけでもない。
高級品や当世風の新製品を自慢しようにも、最近の流行は殆どがド・ヴュールヌ発である。
そんな風潮であいつらから何かしら一本とってやりたいというのが、ルイズの心境であった。

「これでさあ」

そういって持ってきたのは、鞘に入った1.5メイル程度の剣であった。
鞘を抜くと、錆び付いた刀身が顕になる。
ルイズは、期待していたものと数段どころか数十段は劣るその見てくれに呆然とした。
店主が、慌ててフォローを入れる。

「いや、この剣は確かに魔力のこもったインテリジェンスソードでございまして……おい、デル公! 若奥様に挨拶しねぇか!」
「勝手に略すな! おれはデルフリンガーだ!」
「へぇ……こんななりでも本当にインテリジェンスソードではあるのね……」

ルイズがそんなことをつぶやいているうちに、才人はその喋る剣をまじまじと見つめていた。

(錆び付いた魔法の剣が実は最強の剣……なんてファンタジーじゃ良くある話だよな。名前もそれっぽいし)

そんなことを考えながら、そのデルフリンガーを手に持ってみる。
何と言うか、まるで自分のためにあつらえたかのようにこの剣を使いこなせそうな気がした。左手のルーンが光る。
デルフリンガーが、突然声を出す。

「おでれーた。お前『使い手』か。よしお前、おれを買え」

それを聞いた店主が、驚いたように声を返す。

「おい! 勝手なこと言うんじゃねぇ!」
「どうせその何とか伯ってのと連絡がとれたわけじゃないんだろうが。そいつに払わせるつもりの分をこいつらから払ってもらえばいいじゃねぇか」

だがデルフリンガーは涼しい顔(?)だ。
そして、その台詞でルイズの対抗心はさらに加速された。

「……その剣、いくらで売るつもりだったの?」
「へ? へぇ……まあ三千エキューからのつもりでしたが」
「四千出すわ。その剣私に売りなさい――サイト、その袋置いて」

そういうと、ルイズは才人がとっくの昔にカウンターに置いていた袋を開き、もはや決まったことのように店主に命じた。

「四千はあるはずよ。数えなさい」
「へ、へい! 喜んで! ああ、そういえばそちらの方の体格なら背中に背負わないといけませんね!
 ベルトと鞘はサービスいたします! 気に入ったものを持っていってくださいませ!」

そう言って、彼はその辺に飾ってあったベルトの類を指し、急いで金貨を数え始めた。
なんか知らんがこの貴族はド・ヴュールヌ伯という貴族に変な対抗心を持っているらしい。
正直真贋もわからないこの剣を抱えておくより、ここで四千エキューにしたほうがはるかに利口だ。
気が変わらないうちに取引を成立させてしまったほうがいい。店主はそう判断した。

「……いいのか?」

サイトは尋ねた。確かに喋る剣なんて面白そうだが、そんなあっさり大金を支払ってしまっていいものだろうか。

「いいのよ。貴族たるものお金を惜しんじゃいけないわ」

ルイズはそういった。
正直、学院にいるとあまりお金を使うこともない。ろくに魔法も使えない彼女は特に器具や秘薬を買うこともない。
アルビオンからもらう勲章の報奨金もあり、家からの仕送りはほぼ完全に倉庫の肥やしになっていたのだ。
四千エキューは安くない。だが公爵家三女であるルイズにとって払えない金額ではない。
むしろ、ド・ヴュールヌに堂々と一杯食わせることができるなら十分リーズナブルな価格と言えよう。
まあそれに「立派な剣は城に匹敵する」とも言う。
トリスタニア郊外の屋敷が二千エキューくらいだったから、きっと妥当な価格なのだろうとルイズは考えていた。

そんな光景を、タバサは後ろから黙って観察していた。
そして、これからどうするべきか悩んでいた。ちなみにその場は何も言わなかったが。



[13654] 第十話:「誰が殺したクックロビン」シーン3
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/03/13 00:55
あんなに重くて大きかった財布は、いまやたためば懐に入るくらいに小さくなっていた。
この「デルフリンガー」も重いことは重いが、ベルトで背中に背負っているためか大して重さを感じない。
この状況なら、市街見物も出来そうだ。才人は改めてそう思った。
とはいえ……この剣、鞘に入れると喋れなくなるらしい。
街中で抜き身の剣を持ち歩くとまずいことくらい才人にも理解できるが、なんとなくかわいそうだった。

ルイズはまずまず上機嫌だった。
あの男に先んじて何かを手に入れることなど今までなかったのだ。
買い物は基本的に早い者勝ちである。彼に文句や恨み言を言われる筋合いはないし、これまでの交流から察するに言うような性格でもなかろう。
それに、どうしてもレイナールがこの剣をほしいと言うならあげてしまったってかまわない。
たった4000エキューであの男に恩を着せられるのなら、それはとてもとても安い買い物であった。

「さて……平民用の服や家具なんてどこで売ってるのかしら。平民用っていうくらいだから多分残りのお金で買えるとは思うんだけど」

ルイズがそうつぶやいたのを才人は聞き逃さなかった。そこまでノープランだったのかよ。
懐に入る大きさになったとは言え、財布にはまだ数百枚は金貨が入っている。
大量の金貨を持たせるからついでに何か買うのかと思ったら、どうやら「良くわからないから適当に持ってきただけ」だったようだ。
才人は、目の前の少女が金銭感覚のぶっとんだとんでもない大富豪のお嬢様であることを再確認した。
それとも本当は1エキュー数百円くらいなんだろうか。大きさも一円玉くらいだし、ひょっとしたら金貨じゃなくて黄銅貨なのかもしれない。
いや、1エキューが100スゥだとルイズから聞いたし、シエスタやらマルトーさんやら色んな使用人やらの話を聞くに1スゥが安くとも200円以上なのは多分間違いない。
何というか、貧富の差って恐ろしいなぁと才人はしみじみ痛感した。

「新市街」

タバサがつぶやいた。そういえばこの女の子とは出発時に名前を聞いて以来碌に会話していないことを才人は思い出した。

「ん? タバサ。新市街がどうしたの?」
「新市街が便利」
「あ……聞こえてたの? ところで便利って?」
「シルフィードが降りられる場所があるから外まで持って運ばなくていい」

そうであった。新市街は各所に「竜駅」と呼ばれる竜が降りられる程のスペースが確保されており、竜やグリフォンなどを利用した運搬手段が使用できるようになっている。
それを利用できるのは「竜籠」を利用できるような富豪、魔法衛士隊、そして竜騎士を保有する大貴族くらいなのだが、それでもある程度は物流の拠点となっていた。
ベッドを運ぶことを考えると、タバサの言うとおりシルフィードをすぐ近くまで持ってこれる新市街のほうが圧倒的に便利である。

「……しょうがないわね。サイト、新市街には変な奴が多いから、何かあったらちゃんとそれで戦うのよ!」

ルイズは、そういってサイトが背負っているデルフリンガーを指差した。


少し歩いて城下町から新市街へ向かうと、綺麗な建物が並ぶ広い道にたどり着いた。
新市街の主だった通りは基本的に「両脇に露店が並び、その横を人が通行しても荷物を運ぶ大型の馬車が楽にすれ違えるように」作られている。
大体4~5車線の歩道つき道路程度の広さだ。
両脇にはショウウインドウつきの店舗が並んでいる。まるでファンタジーというよりテレビで見るパリとかローマとかその辺に来たみたいだった。
こうして歩いてみると本当に別の町なんだなぁと、才人は感心した。

「職人通りに店があるはず。だから昼前に職人通りの『竜駅』で」

新市街にたどり着いたところで、タバサはそういって二人と別行動を取ろうとした。

「え? どうしたの」
「本」

ルイズが尋ねると、タバサは短くそう答えて去っていった。
そういえば彼女は本を買いに来たんだったと、二人は今更ながらに思い出した。


ルイズは新市街を伏魔殿のように言っていたが、別に何か起きるわけでもない。
そして、職人通りに近づくにつれ色んなものを売る店が増えていく。
才人は、持ち前の好奇心をとうとう抑えられなくなった。
あれは何これは何と、珍しいものを見つけては矢継ぎ早にルイズや店員に質問していく。
最初は寛容に応対していたルイズであったが、27回目の質問でとうとう我慢しきれなくなった。

「なぁ、じゃあこれは……」
「いい加減にしなさい! この調子だと日が暮れるわよ! 人と待ち合わせしてるってのわかってるんでしょうね!?」
「は、はい! すみません!」

それは全く持って正当な御怒りだったので、さしもの才人も反論のしようがなかった。
その声に反応したのか、横を通り過ぎようとしていた馬車が止まり中から人が降りてきた。

「やっぱりミス・ヴァリエールとヒラガだったか。こんなところで何してるんだ?」

レイナールであった。
ちなみに馬車の御者の横では当たり前のようにマリーシが日向ぼっこをしていた。


思いがけずレイナールに会ったルイズは、早速例の剣を自慢しようと考えた。

「あら、レイナールじゃない。そっちこそ何の用?」
「いや、大したことじゃないんだけどちょっと探してたものが城下町の店に入ったらしいから、それを確認に……」
「あらそうなの。私はこの使い魔に護身用の武器と日用品を買ってあげてるのよ。サイト、背中の剣見せてあげなさいよ」
「見せてあげなさいって、こんな街中で武器なんか抜いていいのか?」
「……何よ、調子狂うわね。まあいいわ。じゃあレイナール、あんた馬車に乗ってきたのよね? そこで見せてあげるわ」

レイナールはとりあえずルイズがどうしてもサイトに買ってあげた剣を自慢したくてしょうがないことを察した。
なんとなく何を買ったのか想像がついたが、空気を読んで何も言わないことにした。

「なんだか面白そうだね。わかった。とりあえず馬車に乗りなよ」

そういって、二人を馬車に案内した。
マリーシが人数が増えたのに興味を抱いたのか、何も言っていないのに勝手に御者台から中に入ってきた。
レイナールは、特に気にするようでもないようだった。


レイナールの乗ってきた馬車の中で、サイトは背中のデルフリンガーを抜いた。
錆び錆びのみすぼらしい刀身が顕になる。

「どう? すごい剣でしょ。インテリジェンスソード、デルフリンガーよ? ……ほ、本当なんだからねっ!」

ルイズはまるで言い訳するように説明する。そういえば、見た目はこんななりなのをすっかり忘れていた。

「でも確かにこれすごい剣だぜ。持ってるだけで体が軽くなってくるし、まるで手の延長みたいに扱えるんだ!」

才人もフォローする。まあ、フォローと言うより単に持ってみた感想を述べただけと言う説もあるが。

「馬鹿。それはお前の力だよ。正確にはお前のルーンの力だがな」

だが、それを当のデルフリンガーが否定する。

「ルーン? この左手の……ってうわ! 光ってる! 何だこれ気持ち悪っ!」
「気持ち悪いっていうなよ。それは伝説の……なんだったけ?」
「ガンダールヴ?」

レイナールが横から助け舟を入れる。デルフリンガーはそれでやっと思い出したように言った。

「そう、ガンダールヴだ。良く知ってたな、若いの」
「そりゃ、しばらく探してたからね。始祖ブリミルの使い魔ガンダールヴの持っていた伝説の剣デルフリンガー。最近この辺に流れてきたって噂を聞いて探してたんだ」
「へぇ、良く調べてるじゃねぇか。てこたぁあんたがその何とか伯ってやつか。だがまあ、一足遅かったな」
「ちょちょちょ、ちょっと待ちなさいよ! 何よそれ、ひょっとしてこれってそんなすごい剣だったの? こんな錆び付いてるのに?」

ルイズが割って入る。だが、レイナールはデルフリンガーの刀身を軽く触るとにべもなく言い放った。

「これ多分錆じゃないよ」
「へ?」
「鉄錆ってのは奥まで浸透するんだけど、これは表面以外本当に綺麗なもんだ。多分擬装の一種なんじゃないかな」
「ん? ……ああ! そう言えばそうだった。思い出したぜ!」

そういうと、デルフリンガーは今まさに研がれたかのような、光り輝く刀身に姿を変えた。

「どうよ! これが俺の真の姿だ! ここ最近あんまりにもしょうもない奴しかいなかったもんで、姿を変えたんだった!」
「おお、すげえ! なんか伝説の剣っぽい!」
「へぇ、こういうものもあるんだな」

才人とマリーシが剣の変わり身にそんな感想を漏らす。
ルイズは、何がなんだかわからなくて呆然としていた。
レイナールはさらに会話を続ける。

「文献によると刀身で魔法を吸収し、ガンダールヴと始祖ブリミルの身を守った『ガンダールヴの左腕』らしい。
 知性を持つらしいから是非『お救いして』色んな旧い話を聞いてみたいと思ってたんだけど……」
「そりゃ残念だな。悪いがそんな昔のことなんてそうそう覚えちゃいねぇよ」
「なんだよそれ、面白くないやつだなぁ」
「そういうなよヒラガ――まあそんなわけで非常に残念だけど買い物は早い者勝ちだからしょうがない。
 それに僕みたいな人間が倉庫の肥やしにするよりヒラガが持ってたほうがよさそうだしね。
 しかし、その形状だと普通の鞘に突っ込まれると喋れないんじゃないか?」
「お、よくわかったな。そうなんだよ。話からするにあんた土メイジっぽいな。俺が入っても喋れるような鞘を作ってくれねぇか?」
「まあ、ミス・ヴァリエールがいいって言うならかまわないけど。既存の鞘を加工したほうが早いし安いと思うよ?」

ルイズは、そんな風に二人と一本が話している間にとりあえず状況を整理してみることにした。
この錆びだらけだった剣は、どうやら「ガンダールヴの左腕」と呼ばれる伝説の剣らしい。
ガンダールヴと言えば始祖ブリミルの使い魔の一つで、伝説と呼ばれている使い魔だ。
それと自分の使い魔にどんな関係があるのかは知らないが、どうやらこの剣がその伝説の剣である可能性はきわめて高いようだ。
少なくとも、自分の姿を変える能力を持つマジックアイテムであることは間違いない。

「ってレイナール! ひょっとしてあんたそんな伝説の品を黙って回収しようとしてたの!?」
「そんな単なる噂の段階で公表したらそれこそ『風説の流布』じゃないか。また色んなところからやいのやいの言われて余計なことになるのがオチだと思うけど」
「そ、そりゃそうだけど……」
「まあいいじゃないか。残念ながら君が先に手に入れたみたいだし、君が公表したいなら自由にすればいいと思うよ」

そう言われ、ルイズは「もし公表したら」を想像した。
……まあ、まず信用されることはあるまい。
「デルフリンガー」なんて名前は自分も知らなかったくらいだし、伝説の使い魔の武器なんて胡散臭いことこの上ない。
仮に万一信用されたとしたら、確実にこの剣は取り上げられアカデミーで「文献どおりの性能があるか」実験されるだろう。
ルイズは、さる理由でトリステインのアカデミーに関してある意味絶対の信頼を置いていた。
そう考えれば、ラ・ヴァリエール公家として「お救いする」のも貴族の務めかもしれない。
それにこの剣がサイトに関して何か言っていたのも気になる。
ひょっとしたらこの平民の使い魔を理解するきっかけになるかもしれない。

「まあ確かに、まだ本物だなんて証拠もないしね。しばらくこいつに持たせておくことにするわ」

とりあえずルイズは判断を保留することにした。


レイナールは「城下町に行く理由がなくなった」というのと時間をとらせた侘びという理由で、二人を職人通りまで馬車で送ってから去っていった。
そのおかげで何とか昼前には買い物を終え、最寄の竜駅までたどり着くことができた。
当然ながらそこまでベッドや服を運んだのは才人である。
店から台車を借りはしたが、朝っぱらに金貨を運んだこともあって彼の全身は疲労で生まれたての小鹿のように震えていた。
明日はとんでもない筋肉痛に悩まされることになるだろう。全て自分の日用品だとは言え、あんまりな重労働だと才人は思った。
実は竜駅につく直前に「レイナールに馬車か何か借りればよかったんじゃないか」と気付いたのだが、それを言うと余りに自分が間抜けなので才人は気付かなかったことにした。

そうやって竜駅までたどり着くと、シルフィードをつれたタバサが2人のメイジに囲まれて質問を受けていた。
彼らは横に変な怪物をつれている。
あれは……マンティコアという奴だろうか。才人は乏しいファンタジー知識を総動員して名前を思い出した。

「魔法衛士隊だわ。タバサに一体何の用かしら」
「魔法衛士隊?」
「王都と王宮を守る誉れ高き騎士よ。一体何なのかしら……」

そうやって話し合っていると、衛士の一人が二人に気付いて近づいてきた。
彼は二人を一瞥すると、才人のほうは無視してルイズのほうに話しかける。

「失礼、こちらのお嬢さんのご友人か何かですかな」
「ええ」
「まことに不躾ながら、御名前とこちらにいらした目的をお聞きしてよろしいか」
「ラ・ヴァリエール公爵が三女、ルイズ・フランソワーズです。本日はあちらにいる友人のミス・タバサと買い物にきました」
「なるほど。失礼、ご協力感謝いたします」

そういうと彼は一礼し、同僚と思しきもう一人の衛士の下へ向かった。
そして二人の衛士はタバサに何かしら告げると、マンティコアに乗って慌しく去っていった。

「……なんだあれ?」
「私に言われたってわからないわよ。タバサに聞きましょ」

そういって、二人はタバサに合流した。

「お待たせ、タバサ……ところで、なんで魔法衛士隊に囲まれてたの?」
「準戦時体制」

タバサは淡々とそう答え、上を指差した。
見ると、先ほどのマンティコアと思しき動物だけでなく、ドラゴンも何匹か空を飛んでいる。
おそらく上空を風竜で飛んでいたタバサが彼らに職務質問を受けたのだろう、ルイズはそう判断した。

「何かしら……まるで戦争でも始まるみたいじゃない」

ルイズがつぶやくが、それに答えるものは今のところ誰もいなかった。



[13654] 第十話:「誰が殺したクックロビン」シーン4
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/03/14 01:48
才人は久しぶりのベッドで死んだように眠り、次の日全身を隈なく襲う筋肉痛で目を覚ました。

そして、その日の昼休みのことである。
二年生もある程度使い魔にもなれ、タバサ、ルイズ、キュルケ、モンモランシー、ギーシュ、レイナールのいわゆる“勲章組”は全員で小さな野外の円卓を囲んでいた。
タバサを除く彼らの横にはそれぞれの使い魔がいた。ギーシュの使い魔も相当大きいのだが、彼はその辺頓着するような性格ではない。
この6人は時折こうして集まっては何とはなしに駄弁ったりしているのであった。
とはいえそんな気軽に考えているのは当人たちだけで、周りの人間はこの集まりを“列強会議”と呼んでその動向をこっそりと注目していた。
何しろ、彼らは全員が学年はおろか学院全体を見回しても頂点に位置するような人間である。
ルイズだけは長らく「家柄だけのゼロ」と思われていたが、先の事件によりめでたく名実ともに学内危険人物にノミネートされていた。
そうすると一見「この中では一番の小物」と思われがちなギーシュであるが、彼には数十人とも言われているほどの友人が男女問わず学院にいるのである。
男子の友人は元々モンモランシーへの浮気の言い訳として「男子の友達に頼まれて交流会をセッティングしているだけなんだ」と言うために声をかけた連中らしい。
だが、人徳なのか何なのかいつの間にかみんな合コンとか関係なしにギーシュの友人になっていた。
ちなみに、そんなギーシュの尽力もあってかレイナールも少数ながら女生徒の知己を獲得していた。
本人の性格もあってか、友達以上(つまり友達を含む)に関係が発展しそうな人間は今のところ皆無であったが。

「どうしたんだ。ええっと……そうだ、確かサイトだったな。ずいぶんつらそうだが」

集まって早々、ギーシュがふとルイズの横に控えていた……というか、大剣を杖代わりにしてふらふらしていた才人を見てそう聞いた。
普段なら別に横に平民が控えてようと特に気にはしないのだが、流石に目の前で倒れそうな人間を見逃すほど彼の目は節穴ではなかった。

「いや……ちょっと過酷な労働をさせられたもので全身が筋肉痛で……とはいえ、地べたに座るのは何と言うか癪なので……イタタ」
「なぁに? ルイズ、使い魔虐待はよくないわよ」
「人聞きの悪いこと言わないでよ、キュルケ。こいつの日用品を買って運ばせただけよ。むしろ感謝して欲しいもんだわ」

ルイズも負けじと言い返す。最近はムキになって反論してもこのゲルマニア女を喜ばせるだけだとさしものルイズも学習していた。
ちなみにキュルケは自分の“元”ボーイフレンドを多数殴り倒したこの平民の少年に興味を抱いていたが、今のところその程度の印象であった。

「それじゃあ立ってるのは大変だろう。まだテーブルには若干の余裕があるし、そこらから適当に椅子を持ってきて座ったらどうだい?」
「ちょっと、ギーシュ! 勝手に人の使い魔を甘やかすのは止めてよ!」
「まあ細かいことはいいじゃないか。僕もかわいいヴェルダンデを膝に乗せてあげたいんだが……この大きさでは僕のほうがつぶれてしまうだろう。
 ああ、なんてかわいそうなヴェルダンデ! そのキュートな巨体がこんなところで仇となってしまうなんて!」

そういって、ギーシュは椅子を立って巨大モグラを抱きしめて頬擦りをし始める。

「あー、はいはい。もうなんだか馬鹿らしくなってきたわ……サイト、ギーシュに感謝しなさい。適当に椅子を取ってきて座っていいわよ」
「何か俺、人扱いされてない気がするぞ……まあいいや。イタタタタ……」

そう言いながらも、才人は近くの空いたテーブルから椅子を持ってきた。
モンモランシーは平民と席を一緒にするのはいかがなものかと思ったが、まあ確かに使い魔を肩に載せている自分が言えることではないわねと思いなおした。
使い魔ならカエルでも同席していいのだから、ましてや人間をやというやつである。
そもそもルイズはカエルが苦手だったはずだ。彼女に気を使わせておいてこっちは使わないのも変な話である。


「そういえば、来週のフリッグの舞踏会にはアンリエッタ姫殿下がご出席なさるらしいな」

才人も加えた7人でテーブルを囲んで茶を飲んでいると、ギーシュがふとそんな話をした。
厨房には6人分しか茶を頼まなかったのだが、どうやらマルトー氏が才人に気を利かせてわざと多めに間違えて淹れさせたらしい。
捨てるのもなんだからということで、才人も茶のご相伴に預かることになったのだ。

「ギーシュ、あなたそういう噂にだけは詳しいわよね。一体誰から聞いてくるのかしら」

モンモランシーがジト目で睨む。

「確か姫殿下は近々マザリーニ枢機卿とともにゲルマニアに陛下の名代として通商条約の締結にご出立する予定だったから……その帰りか」

レイナールが話題逸らしも兼ねて情報を補足した。

「ゲルマニアと……通商条約?」

ルイズが嫌な顔をした。キュルケとそれなりに会話するようになった今でも、ルイズのゲルマニア嫌いは相変わらずであった。
ついでに言うと、鳥の骨と揶揄されるマザリーニ枢機卿も好きではなかった。まあ、大抵のトリステイン人はゲルマニアとマザリーニが大嫌いなのだが。
敬愛するアンリエッタ姫殿下がその二つとセットになっているという状況は、ルイズの顔をしかめさせるのに十分であった。
それを見て、キュルケが口をはさむ。

「何よその顔は。ウチと仲良くするのはトリステインにとってもいいことじゃない」
「キュルケ、それどういう意味よ」
「まあまあ。それに仲良くというより、お互いの関税をどうするか話し合ってたみたいだけどね。多分お互い関税自主権を認め合うって内容なんじゃないかな」
「? レイナール、その関税自主権ってのがあるとどうなるんだい?」
「何も変わらないよ。今までどおり領民がよその領土から買う品物に関税をかけてるのを公式に権利として認め合うだけだから」
「ド・ヴュールヌ伯。さっきギーシュにああ言ってすぐで何だけど、あなたこそどこからそんな情報を仕入れてくるのか不思議だわ……」
「ウチは昔から自給自足の閉じた生活ができない土地柄だからね。こういう話には神経をとがらせてるんだよ」

こんな風に、最近仕入れた噂や授業に関することを適当に話し合うのが御決まりのパターンであった。
才人は、こういう政治経済的な話をしてると確かにお偉いさんっぽいよなあと思いながら聞いていた。


一方その頃、トリステイン中央政府は突如振って沸いたアルビオン王暗殺の報に上を下への大騒ぎとなっていた。
大使の速報の直後ウェールズ王太子から父王の崩御と自らの無事を伝える公式文章が、同時に非公式にトリステイン王族の身辺を心配する手紙が届けられた。
封蝋や王太子のサインまで偽造した恐ろしい計略でなければ、ジェームズ一世の横死はほぼ間違いないと判断せざるを得なかった。
だが、昨日今日の話であるから仕方がないといえば仕方がないのだがとにかく情報が足りない。
誰が実行犯かも不明瞭であり、黒幕にいたっては手がかりすらない状態だ。
トリステイン王家にも毒牙が忍び寄っているのか、アルビオンは今後どうなるのか、完全に不透明な状態であった。
本来なら王族などの重要人物にはしばらく安全なところに控えてもらったほうがいいだろう。
しかし、間の悪いことにゲルマニアとの条約締結が控えている。つまり国境付近に向かわなければならない。
もし暗殺者の魔の手がトリステインにも伸びているとしたら、どうぞ暗殺してくださいと言っているようなものだ。
だが、アルビオン王崩御の報は近いうちハルケギニア中に知れ渡るだろう。
外交行事の予定を勝手に変更したり、ましてや中止したりしたら「臆病者」の謗りを受けかねない。
お互い話し合って穏便に延期・中止するには情報が少なすぎ、そして予定日は余りにも間近に迫っていた。
最悪なのは「別に暗殺者がトリステインを狙ってなどいない場合」だ。
大騒ぎして引きこもった挙句に「何もありませんでした」ではトリステインは完全に他国に舐められてしまう。
そんなわけで、現在王宮では「行くか行かないか」の会議でもめにもめていたのであった。

そんな紛糾する王宮会議室の上座で、トリステイン王女にして近々女王戴冠が内定しているアンリエッタ姫は臣下たちの迷走振りをうんざりしながら観察していた。
ウェールズ様が心配である。安否を確認したい。何か私にできることはないだろうか。
正直ゲルマニアに行かなくて済むならそのほうがいい。というかマザリーニが独りで行けばいいのに。
衛士さんたちもこんな面白くない会議の警護なんかさせられてかわいそうだわ。せめて何か喋らせてあげればいいのに。
そもそもアルビオンの状況がわからないというのにいつまで“たられば話”をループさせれば気がすむんだろうか。
こんなくだらない会議をしている暇があるならさっさとアルビオンの現状把握に全力を注げばいいのに。
そんな色んなことを考えつつも、彼女は微笑みながら会議を見つめていた。
アンリエッタはどんなに嫌気が差していても微笑を絶やさずにいることができる。彼女の特技の一つであり、幼少の頃からの訓練の賜物であった。

この会議、アンリエッタにも発言権はある。だが、残念ながら彼女が何か言ったところで彼らのループが終了するわけでもない。
王位継承が内定するまで彼女は常に「宮殿のお人形」扱いであり、周りもそうあるよう育ててきた。
帝王学など学ぶどころかむしろ遠ざけられた。そのほうが宮中貴族には都合がいいからだ。
マザリーニですら、その状況を不本意と思いながらどうすることもできなかった。
世間ではまるで独裁者であるかのように言われているマザリーニだが、実際のところ彼は相当周りに気を配る調整型の政治家なのである。
女王即位が決まり周りの反対をはねつけられる大義名分ができてからはマザリーニがある程度の基礎を教授しはしたが、所詮付け焼刃であることは否めない。
なんだかんだと言っても海千山千の宮廷貴族たちを黙らせ、捻じ伏せるには全く修行が足りなかった。
今の彼女が彼らにいうことを聞かせるには、それに相応しいタイミングを見極める必要があったのだ。

やがて会議室の話題が何週目かに突入してそろそろ参加者に疲れが見え始めた頃、アンリエッタは突如思いついたかのように口を開いた。

「そういえば、実際に私を守ってくださる魔法衛士隊はどう御考えなのかしら?」と。

そう言って、会議室の入り口に控えていた魔法衛士隊の隊長に視線を合わせた。
その隊長――ワルドは、突如振って沸いた発言の機会に一瞬途惑った。
だが、それを表情に出すこともなく堂々と宣言した。

「我ら魔法衛士隊一同、いかなる魔の手からも姫殿下と王権をお守りする覚悟と自信がございます。
 王国として引くこと叶わざるというのなら、一言我らに『忠誠を示せ』とお命じくださいませ。命に代えましても任務を全うしてご覧にいれます」

こういうとき「質問者がどう答えて欲しいか察する」のも宮仕えには大事な技能であった。
正直、現状の情報では誰がいくら何を話し合ったところで日程を変更することなどできない。具体的な対策を講じられるはずもない。
つまり初めから「予定通りやる」という選択肢しかないのだから、現場の人間としては「できる」と言うしかないのであった。
それに、ワルドにとって「自信がある」という台詞は偽らざる本音でもあった。

「わかりました。その忠誠、頼もしく思いますわ――マザリーニ枢機卿はどう御考えかしら?」
「畏れ多くも陛下に漆黒のマントを賜った誉れ高き魔法衛士隊隊長の言に、私のような兵法の素人が口を挟むことなどできますまい」
「そうですか。皆様はどう御考えかしら?」

アンリエッタはそう言って会議室の全員を見渡した。表立って反対するものは誰もいなかった。



[13654] 第十話:「誰が殺したクックロビン」シーン5
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/03/23 00:05
ゲルマニアとの交渉を終え、アンリエッタ姫とマザリーニ枢機卿はそれぞれが馬車で帰途に着いていた。
街道には美しき姫殿下を歓迎する人の波が次々に万歳と叫んでいる。
出立から条約調印まで、警戒していたのが馬鹿馬鹿しくなるほどに何事も起きなかった。
魔法衛士隊にも、肩透かし感と長期の緊張による疲労からか若干弛緩した空気が広まりつつあった。
いかな選りすぐりのエリートといえど所詮人の子、何かあれば気が抜けるし、疲労に克つこともできない。訓練するにも限界というものがあるのだ。
私が暗殺者ならこのタイミングから襲撃の機会を伺うだろうと、ワルドは危機感を募らせた。

アンリエッタ姫の馬車では、彼女と先ほど移ってきたマザリーニ枢機卿が今後の予定を話し合っていた。
だが、アンリエッタは半分上の空でため息ばかりついている。
彼女は、今に至るも詳細の知れないウェールズの安否で頭がいっぱいだったのだ。
それを見たマザリーニが窘める。

「姫様、ウェールズ殿下がご心配なのはわかりますが、そうため息ばかりつくのはお控えくだされ。上に立つものが動揺すると臣下も動揺いたします」
「私には愛する人を心配する権利すらないと仰るのね。王族とはなんてつらい身分なのかしら」
「王にもそれくらいの代償がなければ下のものがやってられませぬ」
「好きで王族に生まれたわけではないというのに、ひどい扱いだわ」
「好きで何かに生まれたものなど寡聞にして存じませんな。それが人生というものです」
「そういうことを仰ると、まるで聖職者みたいね」
「お忘れかもしれませんが、私も坊主の端くれにございますので」

端くれどころか、彼は今でも異端正統の解釈に関しては第一人者として君臨し続ける教皇庁の重鎮であった。
マザリーニ枢機卿の経典解釈を表立って否定できる者は教皇ぐらいであろうとすら言われる程だ。

「ウェ……アルビオンの状況は、まだ確認できていないのですか? もうあれから一週間になろうとしておりますが」
「もうすぐ特使として派遣したフネがトリスタニアに戻る頃にございます。こちらにも伝令の竜が飛ぶことでしょう。しばらくお待ちくだされ」
「……仕方ありませんわね。それで、今日の予定はどうなっていたのかしら?」

アンリエッタがそういうと、そばに仕えていた侍女が待ってましたとばかりに語り始めた。

「昼ごろにトリステイン魔法学院を表敬訪問し、フリッグの舞踏会に出席する予定になっております。そこで一泊し、翌日に王宮へ戻る予定です」

ふむと、それを聞いたマザリーニが頷いた。

「特に中止したところで大勢に影響のない行事ですな。いかがいたしますか?」
「……衛士隊長を呼んでくださらないかしら? 彼らの意見も聞いておきたいわ」
「かしこまりました」

そういうと、マザリーニは馬車のカーテンを少しずらした。
横には、道中宣言どおり姫と自分を警護し続けてきたグリフォン隊隊長の姿があった。

「お呼びでございますか、猊下」

彼はすぐさまグリフォンを馬車に近づけた。ワルドは発言権の向上と聖地に関する情報収集を目的としてかねてからマザリーニ枢機卿に接触を取っていた。
そのこともあり、彼と彼が率いるグリフォン隊は三隊ある魔法衛士隊の中でも特にマザリーニ枢機卿の覚えがめでたい隊であった。

「姫殿下が今後の予定に関する意見をお聞きになりたいとのことだ。反対側に回って説明して差し上げてはくれないかね」
「かしこまりました。光栄にございます」

そういうと、ワルドは馬車の反対側に回った。
カーテンが開かれ、アンリエッタの美しい姿が顕になる。

「これからトリステイン魔法学院を訪問し、そこで一泊する予定なのですけれど、そのことに関して何か意見はあるかしら?」
「……学院を通過するとなると、王都に到着するのは夕方、状況次第では日没後となるでしょう。
 隊員やグリフォンの疲労を考えると、わざわざ学院関係者の機嫌を損ねてまで中止する価値はないかと愚考いたします」
「わかりました。ならその通りにしましょう。……あなたの御名前は?」

ワルドは自らの幸運に内心歓喜した。このタイミングで名を聞くというのは単なる儀礼を超えた意味がある。
「貴方を名前を覚える価値がある人物と認めた」ということだ。
仮に姫殿下にそのつもりがなかろうと、周りの人間はそのように判断する。それは自らの発言力が高まることを意味していた。

「殿下をお守りする魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵でございます」

これは何があっても姫殿下と枢機卿を王都に無事返さねばならない。ワルドは改めてそう決意した。


それから少しした後、上空を数匹のドラゴンが飛んできた。
トリステイン竜騎士の身分と伝令であることを表す旗を立てている。
ただの伝令ではなく小隊丸ごとの投入である。十中八九アルビオンの報に対する緊急の伝令であった。
アンリエッタは待ち焦がれたかのように叫んだ。

「馬車を止めて伝令を迎えなさい! 早く!」

グリフォン隊は、暗殺者の偽装である可能性を考慮しながらその竜騎士を迎えた。
果たして彼らはトリステイン竜騎士であった。

「アルビオンはどうでした!? ウェールズ様は?」

竜騎士が竜を降りるや否や、アンリエッタは竜騎士の隊長格に対して矢継ぎ早に質問し始める。
だが、その竜騎士隊長は沈痛な面持ちで告げた。

「……申し訳ありません。現在アルビオンの主だった港は全て封鎖されており、上陸は不可能でした。
 また封鎖はアルビオン国内のフネに対しても行われているらしく、ここ数日アルビオン籍のフネが途絶えております」

その報を聞き、アンリエッタは顔を青くした。

「封鎖! 大変な事態ではありませんか! それはもはや単なる事件ではありません! 反乱ですわ!」
「は。それゆえ現在準戦時体制を王国空海軍全体に拡大することが検討されております。
 姫殿下が反対なさらないならば本日中には移行が完了する予定ですが、いかがいたしますか」
「それに関してはむしろ一刻も早い移行を希望します――それよりアルビオンを、ウェールズ様を救援することはできないのですか?」

アンリエッタがそう質問すると、もうそろそろ自分の馬車に戻ろうと思っていたマザリーニが口を挟んだ。

「残念ですが、殿下。いかに同盟国といえど援軍要請もなしに正規部隊を送り込めば重大な内政干渉にございます。
 そのような悪しき先例を作れば後々トリステインの国防に致命的な事態を招くことになりましょう」
「どういうことですか!? このような事態を救えずして何が同盟ですか? 援軍要請などアルビオンの大使からあればそれで十分ではありませんか!」
「落ち着きなされ。本国の指令もなしに自国へ外国の軍隊を引き入れる要請など大使の独断でできる権限を越えております。
 月単位で音信不通なら流石に言い訳も立つでしょうが、連絡が取れなくなった昨日の今日でできることではございません。
 それに後先をさておいたとしても、勝手に救援に向かったとなればアルビオンの、ひいてはウェールズ王太子の威信を著しく損ねることは確実です。
 アルビオン側から何も連絡がない以上、現段階でできることは『自国に飛び火せぬよう用心すること』と『いつでも救援要請に応じられるよう準備すること』がせいぜいでございましょう」

マザリーニとて話を聞くにアルビオンが異常事態に突入していることは理解したが、流石に今すぐ救援を出すのは足元を疎かにしすぎであると判断した。
アンリエッタは未だ納得がいっていないようであったが、下手をするとウェールズに迷惑がかかることは理解できた。
彼女は、臣下に気付かれぬよう静かにため息をついた。

「……本当に、人生はままならぬものね」
「当然にございます。この世で姫殿下だけが例外であろうはずもありません」


アンリエッタ姫がトリステイン学院に行幸なさり、しかもフリッグの舞踏会に参加するということで学院の生徒や教員たちは緊張した面持ちで歓迎式典の準備を行っていた。
正直、お姫様なんてゲームの中くらいでしか見たことのない才人にしてみたら何でこんなに緊張しているのか良くわからなかった。
やることもないし、マルトーさんやシエスタも忙しくしているので話しかけるのは気が引ける。
そんなわけで、才人はとりあえず古い大釜をもらって学院の裏に勝手に作った五右衛門風呂を整備しつつ、数少ない言葉が通じて暇そうな奴……要するにマリーシとデルフリンガーと話していた。
デルフリンガーの鞘は突っ込まれていても喋ることができるように改造されていた。
とは言えマリーシに提供できる話などあるはずもなく、デルフリンガーも昔のことは殆ど覚えていないため、自然内容は才人の身の上話になっていく。

「――というわけでだな。俺はこの世界にやってくるようになっちまったって訳だ」
「おでれーた。相棒にそんな経歴があったなんてな。人は見かけによらねえな」
「なるほどな。無駄に長くて要領を得ない話だったが珍しい内容だったぞ」
「なんか釈然としないな……まあいいや。そんなわけで俺は元の世界に戻るための方法を探してるわけなんだけど、お前らなんか知らないか?」
「相棒、俺に何を期待してるんだ?」
「俺も知らん。『他の世界』などというものがあることも初めて聞いた。レイナールにでも聞け」
「レイナール? ……確かにあいつなら何か知ってそうだよなぁ」
「どうせ俺の見聞きしたことはあいつも聞いてるはずだ。聞けば答えてくれるだろう」
「は? ……ああ、そう言えば使い魔ってそんな能力もあるんだったっけ。すっかり忘れてた」

そんなことを言っていると、ルイズがどたどたと近づいてきた。

「まったく! 姿を見かけないと思ったらやっぱりここにいたわね!? もうすぐアンリエッタ姫殿下がいらっしゃるのに何油売ってるのよ!?」
「そんな事言ったって、その姫殿下とやらが来たからって俺が何するんだよ」
「出迎えに決まってるでしょ!? あんたは一応とはいえ学院に滞在する人類の端くれなんだから、特に用がないなら姫殿下を出迎えるの!? わかるでしょ!?」

才人は、そういえば天皇陛下が何たらというニュースでその辺の通行人が旗を振ってたっけと思い出した。
実際に旗を振ったことのある友人が言うには、あの旗はボランティアか何かがその辺を歩いている通行人に配っているらしい。
別にそれ以外何の強制もなかったが、特に急ぐ用もないしテレビに映るかもしれないからせっかくだし参加したとのことだ。
それに似たようなことをやれということだろう。才人はそう判断した。

「はぁ、なるほどねぇ。要するに国旗でも振ってりゃいいのか?」
「まあ大体そんなものよ。わかったらさっさと来なさい」

そういって、ルイズは才人を引っ張っていった。


才人が向かうと、生徒と教員の代表が何列かに分かれて並び姫殿下の到着を待ち構えていた。
マントの色から察するに、前から教員・三年・二年・一年の順番で並んでいるらしい。
そのさらに後ろに、平民の使用人たちが控えている。
二年と三年の間に一人分だけスペースがある。おそらくそこがルイズの立ち位置のようだ。
ただ、レイナールだけはその列をすっ飛ばして道の真正面、学院長だというオスマンという老人の横にいた。

「何であいつだけあんなところにいるんだ? 生徒代表って奴か?」

才人は、ルイズにそう尋ねる。

「……それもあるけど、あいつが伯爵だからよ」
「? 伯爵ってたしかギーシュの奴も伯爵じゃなかったっけ? それにお前は公爵なんだろ? 確か公爵って伯爵より上じゃなかったっけ?」
「それは実家の爵位よ。そうじゃなくて、あいつは『本人が』伯爵なのよ」
「なんだそりゃ」
「それはこっちが聞きたいわよ。とにかく、もうすぐ姫殿下がいらっしゃるんだからあんたはさっさと使用人たちの列に並びなさい。
 デルフリンガーも、サイトが変な事しないように見張っといてよ」

そういって、彼女はそのスペースへ入り込んだ。
才人はなんとなく剣の方が自分より扱いが重いような気がしたが、まあ伝説の剣らしいし仕方あるまいと思いなおした。
何しろファンタジーである。知性がある道具にも人権みたいなものが認められててもおかしくない。

流石にマルトーさんは料理の仕込みで忙しいらしく姿が見えない。シエスタもいない。
仕方がないので適当にメイドたちが多く並んでいる列に入った。
どうせなら女の子の近くにいたいと考えるのが男のサガというものである。
メイドたちはみんな緊張でガチガチになっていた。まるで試験前の受験生みたいだと才人は思った。
才人は、近くのメイドに話しかけてみることにした。
緊張をほぐしてあげようと思ったのもあるが、最大の理由は暇だったからだ。

「ねぇ、お姫様ってそんなに怖いの?」
「え? 怖いというか、私たちには畏れ多いじゃないですか。
 それに姫殿下をこんな間近でお目にかけられるなんて光栄は滅多にないことですから」
「ふうん、そんなもんかなぁ」

才人はとりあえず「超人気アーティストが我が町にやってくる」っていうのの凄い版なのかなと考えた。


そして、アンリエッタ姫殿下とその一行がトリステイン魔法学院に到着した。



[13654] 第十話:「誰が殺したクックロビン」シーン6
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/03/15 19:20
学院は上級貴族の子弟を守るという目的で、下手な城よりも強固な防壁を有している。
ワルドが滞在を薦めたのも、これにより隊員とグリフォンを休息させることができるからだ。
今までも3交代で休憩を取らせては来たが、平原の街道をグリフォンに揺られながらと室内のベッドやソファの上では休憩の効率に天と地の差がある。
勿論、人の出入りが多く死角が多くなる分だけ賊の侵入が容易いことや、絶対的な滞在時間が延長されるというリスクはある。
室内ではグリフォンが使えないというデメリットも無視できない。
だが、それらを勘案しても「全行事を予定通りに行う」という条件をわざわざ崩すまでのものではないとワルドは考えていた。
それに、短期間とは言え姫の警護責任を一部でも学院側に委ねられるのも大きな魅力であった。
これは、警護責任者であるワルドも休憩の機会が得られるということを意味する。
疲労が蓄積しているのは、彼も例外ではなかった。

しかし、今の自分はこれまでにない幸運に恵まれているとワルドは考えていた。
姫殿下に会議で意見を求められたこともそうであるし、名前を聞かれたこともそうだ。
そして、護衛中に立ち聞きしただけとは言えアルビオンの現状をかなり詳しく聞くことができたのもそうだ。
アルビオン王が暗殺され、ウェールズ王太子から自身の無事を告げる文章が届いた。
その後、特使が向かったところアルビオンの主だった港が封鎖されていた。
あの短時間で「主だった港が封鎖」という情報をもたらしたところを見ると、特使は「同乗していた竜騎士も総動員して封鎖されていない港を探す」ことを優先したのだろう。
だが、ついに見つけられずに帰還せざるを得ない状況まで風石が減少したというところだろうか。
強行突入などしたら間違いなく国際問題になるであろうから、致し方ない判断といえる。
そして、いくらなんでも王家や諸侯が旗を立てて堂々と封鎖していたら「どこどこが封鎖しており」と報告するはずだ。
特使が「封鎖されてない港があるかも」と判断したであろうことも合せると、封鎖はバリケードなどの物理的障壁や所属不明の武装勢力によって行われていたと推察できる。
まあ以上は特使が真面目に仕事をしていたらの話だが……確か特使にはあのモット伯が遣わされていたはずだ。
お会いしたことはないが「ファッションセンスと女癖の悪さ以外は完璧」とまで評される敏腕外交官である。
この状況で手を抜くような間抜けなことはするまいとワルドは判断した。
ここから察するに、かなり組織だった勢力が一時的に国外勢力を遮断し、その隙にクーデターを行う計画なのであろうとワルドは推理した。
そしてその首謀者は少なくともウェールズ殿下ではあるまい。もしそうなら最初に「こちらの安否を心配する非公式の手紙」など送っては来ないはずだ。
むしろクーデター後の政権運営を考えると「何があっても心配することのないように」といった内容の手紙が送られてしかるべきである。
以上をまとめると――

「これまでの王家の施政に我慢できなくなった貴族辺りが裏で結託し、王家から権力を奪い取るためにクーデターを行った」

というのがアルビオンの現状であろうとワルドは結論付けた。
これだけ推理できれば、後の身の振り方に大きなアドバンテージとなるだろう。

「……まあ、それもこれも全てはこの任務を全うしてからだな。ここで失敗すればその後などないも同然だ」

そうひとりごちてワルドは学院から宛がわれた部屋のソファに体を預けながら目を瞑った。
この状況でベッドに入って熟睡できるほど、ワルドは楽観的でも精神が図太くもなかった。


フリッグの舞踏会までは、学院の貴賓室が臨時の謁見の間とされ、生徒や教員の代表者がアンリエッタ姫殿下に謁見しては日ごろの学問の成果や自らの使い魔を披露していた。
とは言え、アンリエッタにしてみればどれもこれもどこかで聞いたような興味のそそらない話ばかりである。
皮肉なことであるが、発表にて一番アンリエッタの興味を引いたのは学院のほぼ誰にも受けなかったコルベールの「愉快なへびくん」であった。
勿論、メカニズムが云々というより「奇抜さ」が受けただけではあるのだが……それでもコルベールは誇らしげであった。


そしてその夜、姫殿下を向かえ例年にない盛り上がりと緊張でフリッグの舞踏会は迎えられた。
この舞踏会の主役はアンリエッタ姫殿下である。如何に嫉妬深いトリステイン貴族といえど、それに不平を抱く不心得者は存在しなかった。
とはいえ、その中心に君臨するアンリエッタの心中はウェールズの安否でいっぱいであり、全く穏やかでも愉快でもなかった。
ふと、アンリエッタはパーティに懐かしい顔があるのを見た。ルイズである。
アンリエッタは昔の何も悩まずにいられた少女時代を思い出し、ルイズに声をかけた。

「御久しぶりね。ルイズ・フランソワーズ。本当に懐かしいわ」

ルイズは久しぶりに婚約者のワルドを見かけて心ここにあらずという状況であったのだが、姫殿下の声で現実に引き戻された。
そして、彼女が自分のことを覚えてくれたことに感激した。

「そんな、姫殿下。私にそのような声をかけていただけるなんて恐悦至極でございます」
「ああ、ルイズ! そのような堅苦しい行儀はやめて頂戴! あなたと私はおともだちじゃないの!」
「姫殿下! もったいない御言葉でございます!」
「やめて、舞踏会はおともだちと仲良く歓談する場でもあるのよ! そんな場所ですらあなたにそんな態度をとられたら、私は一体誰を友と呼べばいいの?」
「ああ、姫殿下、私にそこまで仰って頂けるなんて、感激でございます!」

そういって二人はしばし再開を祝しあった。アンリエッタは、わずかながら昔を思い出して気分が楽になっていくのを感じた。
あの頃を思い出すと、何でもうまく行きそうな気がしてくるから不思議であった。

「そうだわ! せっかくですから宴が終わったら私の部屋にいらして頂戴! 久しぶりに小さい頃の思い出話を語り合いたいわ!」
「かしこまりました! 命に代えましても馳せ参じます!」

このときのルイズは、おそらく今まで生きてきた中で一番感激していたであろう。その場にいる誰もがそう思えるような態度であった。


タバサは、そんな光景には目もくれずに料理を平らげていた。
その光景を、キュルケが窘める。
いつもの彼女はボーイフレンドの対応に追われてタバサにかかずらう余裕などないのだが、今回は余計な分をアンリエッタ姫が引き受けてくれているのでこういう世話ができるのであった。

「もう! タバサ! あんたいつまで食べてるの! 舞踏会っていうのは殿方と踊るためにあるのよ!」

そう言われても、興味がわかないのだから仕方がない。タバサは首をかしげた。

「しょうがないわねぇ。いい? とにかく貴方もたまにはほんとの舞踏会ってのを楽しみなさい。相手が見つからないって言うんだったら適当な殿方を引っ張ってくるから、ちょっと待ってなさいな」

そういうと、キュルケはタバサに有無を言わさず喧騒の中へ去っていった。
ヴェルサルテイル宮殿への出頭を命じる伝書フクロウがタバサの下にやってきたのは、そのすぐ入れ違いであった。


「へぇ……お姫様にああ言われるってやっぱルイズってすげぇんだなぁ。芝居のかかり方もすげぇけど」

才人は、舞踏会なんて洒落たものに参加する資格も参加する気もなかったので、人気のないバルコニーで舞踏会の風景を眺めながら適当に夕食を食べていた。
あの一件以来平民の使用人たちから才人は「平民の希望」扱いされており、どうせ余るに決まっているパーティの料理くらいならこっそりと分けてくれるのであった。
ふと夜景を眺めると、タバサの風竜が学院を飛んでいくのが見えた。
何か知らないがあいつも忙しい奴だなぁ。才人はそんな事を思いながら彼女が夜空の向こうに消えていくのをぼけっと眺めていた。

「よう相棒、何か面白いもんでも見れんのか? ちょっと俺にも見せてくれよ」
「ん? ああ、まあここなら別に剣を抜いても怒られやしねぇだろ。ちょっと待ってな」

そういって、才人はデルフリンガーを抜いて夜空に向けた。二つの月とルーンの淡い光がバルコニーを照らす。

「おうおう、何年たっても月夜ってのはかわらねぇもんだなぁ」
「何かお前、そんな事言ってると爺さんみたいだぞ」
「まあ、少なくとも相棒のウン百倍は生きてるからな……と、ちょっと待ちな、相棒。ちょっと外が騒がしくないか?」
「はぁ?」

才人はそう言われて耳を澄ませた。
確かに、舞踏会の喧騒に紛れてかすかに何かしら人の声やチンチンと金属のぶつかるような音が聞こえる。

「何だろうな。ちょっと見てみようぜ」

才人は好奇心に駆られ、デルフリンガーを持って運動能力を向上させたままバルコニーを跳んで学院の屋根を伝い、音源と思しき場所まで駆けていった。

果たして彼は、その源を発見した。
剣戟と魔法の音が響き、人が血を流して斃れている――そこはまさに戦場であった。



[13654] 第十話:「誰が殺したクックロビン」シーン7
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/03/17 20:12
ガリア王宮ヴェルサルテイル宮殿の一角にプチ・トロワと呼ばれる離宮がある。
その主であるガリア王女イザベラの下にタバサが現れたのは、もう深夜と言ってもいいほどの時間帯であった。

「風竜の使い魔ってのは便利だねぇ。おかげでこっちは今まで以上にあんたをこき使えて助かるよ」

イザベラがタバサにそんな皮肉を言う。タバサに反応はない。

「今回あんたを呼んだ理由はほかでもない。今日はあんたの学校で舞踏会があるって聞いたから、是非途中退出させてやろうと思ってね。
 その服装を見ると、パーティの最中に呼ばれて慌てて駆け出してきたって感じかい? あははははは!」

イザベラが、魔法の明かりに照らされたタバサの黒いパーティドレス姿を眺めながらそう哄笑した。
適当にひとしきり笑うと、机の上の書類の束をめくりながらつぶやく。

「とはいえ、せっかく呼びつけたんだから何かやらせないともったいないねぇ……まあこれでいいか。
 ベルクート街の違法賭博場で大金をスッて大恥をかいた貴族が大勢出たんで、見せしめに潰してきな。
 博打なんて最終的には胴元が儲かるようにできてるってのに、のめりこんだ挙句に逆切れした間抜けの尻拭いさ。暇潰しにはもってこいだろ」

そう言って、該当する書類を抜き取ってタバサに投げ渡した。タバサは、終始無言のままその書類を抱えて退出した。
イザベラは、タバサがプチ・トロワから飛び去ったのを確認すると――欠伸をした。

「ふぁああぁ……寝よ……まったく、学院の石ころくらいあいつに拾ってこさせりゃいいのに……」

突然の父親の無茶振りに理由をこじつけるのも、大して面白くもないのに馬鹿みたいに笑うのも結構疲れるものであった。


時間は、アンリエッタ姫一行がトリステイン魔法学院に到着した日の夕暮れに遡る。
学院から少し離れた森に建てられた小屋で、数名のメイジと一人のフードを目深にかぶった女性が話し合っていた。
小屋の外には傭兵と思しき戦士たちが何人か控えていた。

「――というわけで、私たちがこちら側で適当に暴れて衛士たちを引き付けます。その隙に《フライ》なり《レビテーション》なりで学院内にお入りください」

フードの女が、周辺の概略図を指差しながらそう説明する。

「そりゃあいいが、本当にできるのかい? 見たところあんたらにゃメイジが一人もいないみたいだが」

メイジたちの頭目と思しき銀髪のメイジ――珍しいことに、こちらも女性であった――は、訝しげに尋ねる。
彼女は「王族あるいはマザリーニ枢機卿を襲撃する」という依頼を請け負っていた。
殺害に成功すればさらに追加報酬もあるそうだが、正直そこまで熱心に仕事をするつもりはない。
適当に魔法衛士隊と「騎士死合」を楽しんだらさっさと引き上げる予定であった。
そもそもこの国は「王宮の貴族連中をビビらせる」だけで機能不全が起きるのだ。
推定される依頼者の目的を考えてもとりあえず騒ぎを起こせば義理は果たせるだろう。彼女はそう考えていた。
フードの女を含む小屋の人間たちは、その義理を果たすために彼女が雇った傭兵である。
とはいえ、話を聞いて売り込んできたこのフードの女が率いる傭兵隊以外の連中は普段から仕事をしている子飼いのような連中であった。

「ご心配なく。彼らはみな『歴史に名を残す』メイジ殺しばかり。そこらの衛士には引けを取りませんわ」
「歴史とは大きく出たねぇ。まあいい。自分から売り込んできたんだ。支払い分くらいは働きなよ?」

銀髪の女メイジは値踏みするようにフードの女を睨む。
だが、フードの女はゆるぎない自信を持ってこう宣言した。

「もちろん。こちらも『成功報酬』をもらわないといけない身の上ですからね」と。


そうして、時間は才人が戦場と化したトリステイン魔法学院の外壁の上に到着したところに戻る。
才人が見たものは到底現実とは思えない、いや思いたくない光景であった。
顔をあわせるたびに親しく挨拶をしてきてくれた学院の衛兵が、何人も倒れている。
その前方で、確か姫の横にいた魔法衛士隊とかいう黒マントの一人が、何人もの見たこともない兵士を相手に戦っている。
兵士たちは全て2m弱の槍を装備していた。ショートスピアという奴だろうかと才人は思った。
様々な魔法や剣技を駆使して何とか身を守ってはいるものの、数の不利はいかんともしがたいようだ。
その兵士たちの向こう側、黒ローブを来た人影がその様子を眺めている。
さらに、その人影は才人が来たのを確認すると無造作に何かを放り投げた。
それは地面に着地するや否や、人型の槍兵士――魔法衛士隊を囲んでいるものと全く同じもの――に変化し、才人に襲い掛かった。

「相棒! ぼぉっとしてんじゃねぇ!」

デルフリンガーが叫ぶと、才人は反射的に持っていたデルフリンガーを振るう。
それと才人に向かって槍の一撃が叩き込まれたのはほぼ同時であった。
槍がデルフリンガーによって両断され、穂先が勢い余って宙を舞い石壁に突き刺さる。
鉄が石壁を削る音。倒れ臥す知人たち。血の匂い。眼前の兵士の生気のない瞳。

――殺される!

才人は、生まれて初めて味わう死の危険に恐怖した。
だがその恐怖、すなわち心の震えに左手のルーンが反応した。

「う、う、うわぁぁぁぁ!」

止め処ない恐怖と絶え間なくあふれる力に才人は我を忘れ、半狂乱で暴れまわった。
まず眼前の兵士を一刀の下に斬り捨て、返す刀で魔法衛士隊を取り囲む兵士に突撃する。
完全に不意打ちの形になったためか、兵士二人がデルフリンガーの横薙ぎの一閃で真っ二つになった。
そのままバランスを崩し、才人はごろごろと転がる。
魔法衛士がその隙を突き《ファイア・ウォール》を唱えて残りの兵士を一掃する。
さらに彼は後ろに控えていたローブの人影を捕らえようとするが、どうやらあの一瞬の隙に戦線を離脱したらしくどこにも姿は見えない。

「しまった! ――だが誰か知らんが感謝するぞ、少年!」

魔法衛士は才人にそういうと、懐から笛を出して思い切り吹いた。
「ピュイィィーーーーー!」という甲高い音が学院全土に響き渡る。
賊の侵入を知らせる警笛であった。今までは身を守るのに必死で笛を吹く余裕すらなかったのである。
その耳を劈くような音に、才人はさらに恐怖をかき乱された。

「なんなんだよ! 一体何なんだよここは! 畜生! 俺を日本に帰せよ! 頼むから帰してくれよ!」

才人は、わけもわからぬまま地面に崩れてそう泣き叫んだ。

デルフリンガーは、良くわからないまでもとにかく相棒を現実に戻さなければまずいと判断した。
そして、何か材料はないかと回りを確認する。
兵士たちが倒れていた場所には小さな人形が転がっていた。どうやらあの兵士はガーゴイルだったらしい。
倒れているのは学院の衛兵たちだ。一人魔法衛士隊もやられたらしい。彼らから苦しそうな呼吸音が聞こえる。

「……って相棒! こいつらみんなまだ生きてるぜ! 急いで治療すりゃまだ助かるかも知れねぇ!」

デルフリンガーのその声に、才人は少しだけ理性を取り戻した。

「おいデルフ! それマジか!」
「ああ! おいそこの魔法衛士のおっさん! あんた《ヒーリング》はできるか?」
「あ、ああ。得意ではないが応急処置程度ならできるだろう。
 そうだ! 私はここで警戒しなければならない。少年、今すぐ手の空いている水メイジを呼んで来てくれ。
 あの女が中に侵入しているかもしれない。注意するんだぞ!」

魔法衛士は突如剣に声をかけられ一瞬とまどったが、すぐに気を整えてそう返答した。
どうやらこの少年は学院に住む新兵の類らしいと判断した。それならば先輩が死んだかと思ってパニックになるのもわかる。自分も通った道だ。
インテリジェンスソードは教官代わりのようなものなのだろう。魔法学院ゆえそのようなものがあっても不思議ではない。
中にいる学院のメイジに増援を頼みたいのも事実である。ここは一旦彼を伝令として後方にやったほうがいいだろうと彼は考えた。

「わかった! 水メイジって言ったら確かあんときに爺さんと一緒に来てた先生だな!」

そう言うと、才人はもてる力の全てを振り絞って元来た道を引き返していった。


それとほぼ同時期、コルベールは当直として裏庭を見回っていた。

「まったく……せっかくのフリッグの舞踏会だというのに当直とはついてない」

コルベールは、今日何回目になるか自分でもわからないくらい同じことをひとりごちていた。
とは言え、去年あんなことがあった上にアンリエッタ姫がいらっしゃった以上は当直もまじめに勤めないと学院としての立場がない。
そんな折、例の笛の音が響いた。

「な! 襲撃!?」

彼は、ほぼ反射的に周囲を警戒する。
しばらくすると、果たしてわずかながら草の動きが不自然な箇所を見つけた。
彼は反射的に《マジックアロー》を放つ。すると、草陰から黒ローブの人影が飛び出してきた。

「く! 賊か!」

コルベールは身構え、建物内への入り口をふさぐように陣取った。
それを見て、黒ローブの人影は感心するように言った。女性の声であった。

「流石に見事だねぇ。昔取った何とやらってやつかい? 元アカデミー実験小隊隊長、ジャン・コルベール」
「な、なぜそれを!」

コルベールの脳裏にかつての光景が一瞬だけフラッシュバックした。
焼けるダングルテールの村、燃える人々。いや違う。
正確には「焼いたダングルテールの村。燃やした人々」だ。
そしてその隙を黒ローブの女は見逃さなかった。
彼女は風をまとい、一瞬でコルベールの懐まで近づいてきた。
その右手には、風石が握られていた。
風石の力で風をその身にまとわせたのだろうか。コルベールは風石にそんな使い方があるなど今まで聞いたこともなかった。
そしてすっとコルベールに手を伸ばし――その手に嵌めたルビーの指輪に触れた。
刹那、その指輪はリングのサイズが急に大きくなり、コルベールの指から外れる。
さらに突風が吹き、指輪とローブの女を器用に吹き飛ばしてコルベールから引き離す。
コルベールが我にかえる頃には、ローブの女は空中で指輪を掴み取っていた。

「はは! 心に傷を持った男は哀しいねぇ!」

黒ローブの女がそういいながら手をかざすと、そこに巨大な翼持つガーゴイルが高速で滑空してきた。
そのガーゴイルは黒ローブの女を優しく拾い上げると、そのまま高速で離脱していく。
コルベールの詠唱が完了する頃には、女もガーゴイルも既に射程外にまで遠ざかっていた。

「こいつはオマケだ! せいぜいがんばりなよ!」

去り際、彼女は何十もの小さな人形をばら撒く。
それらは空中で兵士の姿をとり、地面へと降り立つ。
コルベールは完成していた呪文でそのうちの大半を焼き払うが、それでも十を超える魔法人形を学院に解き放ってしまった。

「……く、なんて様だ!」

コルベールは自分のふがいなさに毒づくと《フライ》を唱え、逃げた魔法人形の一団を追いかけ始めた。


学院の各地で、突如現れた魔法人形と魔法衛士隊の戦闘が始まった。
ワルドは、それらの戦況をアルヴィーズの食堂の片隅にて《遠見》などで確認しながら隊員たちを現場へ派遣していた。
会場内の生徒たちやアンリエッタ姫も動揺している。早く片をつけなければならない。
だが、ワルドはこちらの被害状況を観察して奇妙な違和感を感じていた。
現在、主だった戦場は学院の外壁、もしくはその近辺に集中している。
向こうの敵はほぼ魔法人形のようだ。おそらく歴史に名だたる「メイジ殺し」と呼ばれる戦士を模して作られたものだろう。
学院の衛兵ではまず相手にならず、魔法衛士隊といえどよほどの古参兵でなければ複数相手は厳しいようだ。
とはいえ魔法衛士隊にも学院の衛兵にも、そして教員にも死者は出ていない。
だがその代わりに大量の重傷者が出ている。
そう、今までの経験から考えて重傷者と死者の割合が明らかにおかしいのだ。
まるで「わざと殺さないようにしている」かのようだった。

ワルドがそんなことを考えていると、バルコニーが突如開け放たれそこから剣を背負った少年が飛び込んできた。
すぐさま《フライ》で距離を詰め、杖を突きつけて誰何する。

「何者だ、少年」
「ん? それどころじゃないんだよ! 外壁で誰か襲ってきやがったんだ! 死にかけの人がいるんだ! 誰か治しに来てくれ!」

少年は、殆ど恐慌状態でそうまくし立てた。食堂に更なる動揺が走る。
話からするに学院関係者のようだ。そういえばバルコニーの片隅でさっき食事を取っていた少年である。
バルコニーから外に出られる勝手口でもあるのだろう。ワルドはとりあえずそう考えた。

「落ち着きたまえ、少年。心配せずとも外壁には水メイジを治療に向かわせている」
「ホントか? でも全然すれ違わなかったぞ?」
「外壁全体で戦闘が起きているのだ。おそらく順々に回っているのだろう。だが安心したまえ。負傷者は多いが、今のところ犠牲者は出ていない」

ワルドがそう言ってなだめていると、一人の生徒がつかつかとこちらに近づいてきた。

「ワルド様! この者は私の使い魔です。彼が何か非礼でもいたしましたか?」

ルイズであった。

「いや、彼は外の状況を伝えに来ただけだよ。それよりルイズ、危ないから窓から離れるんだ。何が飛んでくるかわかったものじゃないからね」

ワルドは、久しぶりに再会した……というより長い間ほったらかしていた婚約者の言葉にどう反応していいかわからず、とりあえず事務的な対応をする。
その辺で少し落ち着いたのか、才人が息を整えながら話し始めた。

「よかった。あの人たち助かるのか……しかしあの人形、何か対人地雷みたいだな」
「対人地雷? なによそれ」

ルイズがついワルドがいるにもかかわらず地の口調で反応する。

「いや、俺の世界にある兵器だよ。
 俺もニュースで聞いただけだけど、何でもわざと殺さない程度の攻撃をしてそいつだけじゃなくてと手当てしたり運んだりする奴も足止めするらしいんだ」
「なによそれ、あんた結構ひどいこと考えるわね」
「俺じゃねぇっての」
「はいはい。『あんたの世界』の話だったわね」

才人は、そうやってルイズと軽口を叩いているとなぜだか少し心が落ち着いてくるようであった。

だが、それを横で聞いていたワルドは先ほどの才人の言葉を深く反芻していた。
殺さないことで攻撃した人間以外も足止めする――なるほど確かに、現在の状況を的確に表した言葉だった。
「足止めの範囲」、すなわち衛士隊が配置されている場所は外壁全体に及んでいる。食堂には最低限の人員しか残っていない。
こう聞くと一見完全な防壁を敷いているように見えるが、襲撃者と負傷者のせいで自分を含む衛士の視線は地上に縫い付けられていた。
これらを勘案すると、連中の次の一手は――

「この場にいる各員は上空を警戒しろ! 殿下! 猊下! できるだけ窓から離れてください!」

ワルドがそう叫んだ数秒後、四方から食堂の窓を破って何者かが飛び込んできた。
銀髪の女メイジ率いる傭兵集団であった。



[13654] 第十話:「誰が殺したクックロビン」シーン8
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/03/19 13:43
突然の襲撃者に、舞踏会の一同は戦慄した。
襲撃者は8人、全員が頭部を隠している。杖を持っていることから全員がメイジであることはまず間違いなかった。
だが、先年の騒ぎがあってから舞踏会での杖の持込は異様に厳しくなっていた。
そのため、この会場に杖を持ち込んでいるのは「魔法衛士隊」と「一部の教員」とそして「アンリエッタ姫」のみであった。
ありとあらゆる自衛の手段を魔法に頼っている学院の生徒や教師たちにとって、これは「一方的に嬲り殺しにされる」最悪の状況であった。
さらに、その杖を一手に保管している場所は襲撃者によって最優先で管理教員ごと制圧されてしまった。
不幸なことに、襲撃者はメイジとの戦いを幾度も経験し「魔法学院襲撃」などという無茶な依頼を請け負おうと考える猛者――つまり「戦闘のプロ」であった。
いくら全員がトライアングル以上のエリートとは言え本業は教師、本職に不意を撃たれては魔法を唱える暇もない。
管理教員は《蜘蛛の糸》で全身を縛られ、そのまま生徒たちの杖ごと窓から放り投げられた。
ぐしゃっという落下音がする。ここは二階だし下は芝なので運がよければ生きているだろが、まず無傷とは思えない音であった。

「お頭! ガキどもの杖は抑えましたぜ!」

手下のその報告を聞き、女頭目は会場を確認した。
魔法衛士隊が4人、杖を持っている教員1人、あとはろくに杖も持っていないドレス姿のボンボンと教員だけだ。
あのローブ女、どうやらずいぶん派手にやってくれたらしい。
貴族のガキどもは全員ダンス用の中央広場に集まっている。料理テーブルは端に固められており、彼らの遮蔽にはならないだろう。
アンリエッタ姫と鳥の骨と思しき人影も見える。。
あるいは追加報酬も期待できるかもしれない。彼女はそう判断した。

「よしお前ら! これから的当てゲームだ! ガキは1点、教師は3点、衛士は5点、姫と鳥の骨は10点だよ!」

女頭目はそういうと、とりあえず手近な魔法衛士の一人に《エア・カッター》をぶつける。
個人的には衛士と死合ができればそれでいいのだが、この国の貴族どもに「死の恐怖」を与えるのが仕事だから仕方がない。
それに、こう言えば衛士たちも少しは生徒たちを気にかけざるを得ないだろう。
現に《エア・カッター》で狙われた衛士は、一瞬反応が遅れて魔法をかわしきることができなかった。
反射的に急所は避けたものの、一撃で全身を切り裂かれ失血で行動不能になる。

「あと4人だぁ!」

わざわざそう高らかに宣言し、会場内の恐怖を増幅させる。
それとほぼ同時に、襲撃者の一人が生徒たちが固まっている場所に《フレイム・ボール》を撃ち込んだ。

「させん!」

ワルドが吼え、生徒たちのいる位置を中心として室内に《ストーム》の嵐を巻き起こす。
ワルドの精緻なる業は綺麗に生徒たちのいる場所を台風の目とし、会場に円柱状の風の壁を創り出した。
厳密に言えば生徒を守る義務は魔法衛士隊のワルドにはないが、姫殿下や枢機卿が巻き込まれるかもしれない以上こうするしかない。
スクウェアであるワルドの風を突破できる炎などこの世にそうあるものではなく、果たして《フレイム・ボール》は風に阻まれ虚空に消えた。

「この威力……スクウェアかい! よし上出来だ! そうやって機会があったらガキどもを攻撃し続けな!」

女頭目はそう命じた。自らは風のトライアングル、部下はラインがせいぜいである。
こう宣言した以上、彼はこの《ストーム》を維持し続けざるを得なくなるだろう。これほどの高ランクスペルは詠唱に時間がかかるからだ。
風のスクウェアを釘付けにした上に精神力を消耗させられるのなら、複数人がかりでも御釣りが来る作戦であった。

そして、彼女は《ストーム》の主である魔法衛士隊の方に視線を合わせた。
魔法衛士に相応しく、すました顔立ちである。その威厳や魔法の技能を考えると、あいつが隊長で間違いあるまい。
その横には《ストーム》の輪から取り残されたのであろうドレス姿の少女と、後ろに大剣を背負った奇妙な格好の少年がいた。

「あいつらは私が殺る! あんたらは他の衛士を囲んで相手しな!」

そういうと、彼女は風のルーンを唱えてワルドたちとの距離を一気に詰めた。


残りまともに動ける魔法衛士隊は2人、教師は1人、対する襲撃者は7人である。
だが、なんだかんだ言っても魔法衛士も教師もエリートである。不意を打たれなければ早々後れを取るものでもない。
彼らは守るべき対象がワルドの《ストーム》で守られたのを理解すると、すぐさま「全員から狙える近い位置にいる襲撃者」を攻撃した。
三方向からの魔法に対応できるわけもなく、不運な襲撃者はそのまま倒れる。
三対七なら厳しいが、三対一なら彼らにとっては造作もないことであった。
だが、そのまま三対一を繰り返すのをただ指をくわえてみているほど襲撃者も間抜けではない。
彼らはすぐさま近くの魔法衛士隊を二人で挟み撃ちし、二対一の有利な状況をキープした。
いかなエリートといえど後ろから前から同時に攻撃されればそれらの対処が精一杯であった。


ワルドの作った暴風の防壁に囲まれながら、アンリエッタは初めて体験する血なまぐさい現場に声も出せずにいた。
自らは水のトライアングルではあり、この暴風の中唯一杖を持つものだ。
だがこの《ストーム》の壁から外に出るのは明らかに自殺行為、いや利敵行為とも言える所業である。
いくらアンリエッタでも、それくらいは理解していた。

「ごごご、ご安心ください、姫殿下! このギーシュ・ド・グラモン、命に代えましても姫殿下の盾となる覚悟にございます!」

ギーシュは襲撃者とアンリエッタの間に立ちはだかってそう宣言した。
ちゃっかり自分の名を売っておくのも忘れない。名声がナンボの稼業である貴族の基本スキルであった。
何、やってくるのが見える分だけルイズの爆発よりは庇い易いさ、ギーシュはそう自分をごまかしていた。


ワルドは、状況の不利を悟りつつあった。
襲撃者は部下たちを完全に拘束し、かつ中央の生徒たちにちょっかいをかける余裕すらある。
つまり、自分は《ストーム》を維持したまま戦わねばならないということだ。
そして、今こちらに向かってきている相手は部下を一瞬で戦闘不能にしたところから風のトライアングル以上と推察される。
普段なら鎧袖一触にできる格差があるが、剣の業だけで戦うのはまず不可能な相手であった。

(それでもまだ俺には幸運がある……! あの少年の一言で空に気付かなければ、このような対応を取る間もなく不意をうたれていたのだ……!)

そう自分を奮い立たせ、襲撃者の頭目を見据える。
かの女頭目は接近しながら呪文を唱えている。あれは《アイス・ストーム》だ。
こちらが魔法を使えないことを察し、範囲魔法で全員まとめて葬ろうという算段だろう。

(まずい! このままではルイズを巻き込む!)

ワルドがそう考えとっさに前へ出ようとした直前――傍らの少年、才人が剣を持ってその女頭目に突っ込んでいった。

「勝手なことばっか言ってんじゃねぇぞこの人殺しが! 殺せるもんなら殺してみやがれ!」

そう叫び、大上段から剣を振り下ろす。
女頭目は、反射的に《アイス・ストーム》を繰り出す。剣戟ごと氷の嵐で吹き飛ばすつもりであった。
だが、

「悪いな嬢ちゃん。このデルフリンガーに魔法は通用しないぜ」

そう言い放ったデルフリンガーの刀身に、氷も風も全部吸い込まれていった。
女頭目は一瞬自分の眼を疑ったが、すぐ我にかえってデルフリンガーの一撃を飛びのいてかわす。
だが、後先考えずに飛びのいた所為で完全にバランスを崩した。

「うおおぉおぉ!」

才人はそのまま刃を切り返さずにデルフリンガーを転倒寸前の女頭目めがけて振り上げる。
腹をデルフリンガーの峰に打ち付けられ、そのまま頭目は床に吹き飛ばされ意識を失った。
だが、そこで才人の疲労も限界に達し、膝をついて倒れ臥した。

「ちょっと! サイト!」

ルイズが慌てて駆け寄る。婚約者の眼前だったのだが、そんな事ルイズはすっかり頭から抜けてしまっていた。


頭目がやられた事で、他の襲撃者たちにも動揺が走った。
その一瞬の隙に最もうまく乗じたのは、意外にも学院の教師であった。
彼はその一瞬で二人の囲みを離脱すると、その二人に向けて杖を横薙ぎに払う。
それだけで襲撃者は《ストーム》の壁に吹き飛ばされ、そのまま食堂の天井まで舞い上がる。
その二人が地上に落ちぬうちに、その教師は疾風のごとく食堂を駆けぬけて挟撃している襲撃者を背後から急襲した。
魔法衛士隊に集中していた彼らはそのスピードに対応することができず、二対一の状況はあっさりと崩されていった。
そうなれば高がラインの襲撃者ごときに後れを取る魔法衛士隊ではない。
舞い上がった哀れな襲撃者が地面に落ちる頃には、戦闘は完全に終了していた。

「流石に良く訓練していたようだが……最強の系統である〈風〉のスクウェアが二人いることに気付かなかったのが運の尽きだったな」

その教師――「疾風」のギトーは、まるで自分で全て片付けたかのようにそう言い捨てた。



[13654] 第十話:「誰が殺したクックロビン」シーン9
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/03/21 22:18
才人たちが必死に襲撃者を片付け、ギトーがおいしいところを持っていったのとほぼ同じ頃。
コルベールは、独り学院内の魔法人形を片付けていた。
だが、戦場から離れた幾星霜の年月はコルベールから勘と体力を容赦なく奪っていた。
全盛期なら4~5体に囲まれようとなんてことはなかったであろうが、今は二体を相手にするのがせいぜいだ。
また、魔法人形も知能があるらしく自分の不利を悟ると撤退を始めるが、それを追いかけるのも一苦労であった。

そうやって魔法人形を追いかけていくと、突然彼らが一斉に転倒した。コルベールはすかさず《ファイア・ウォール》で全て焼き払う。
見ると、彼らは「どういうわけか学院にできたぬかるみ」に足を取られたようだ。

「大丈夫ですか? ミスタ・コルベール」

そういう少年の声が聞こえた。生徒の一人、二年生のレイナールであった。
舞踏会場から来たのか、軍服のような正装に肩から白色の飾緒を吊るしている。
彼は優秀な土メイジである。ランクや精神力が云々というものではなく、恐ろしく「魔法の使い方」がうまいのだ。
おそらくこのぬかるみも予め彼が作り上げたトラップであろう。地味だが敵の性質と地形を理解していないと使えない非常に高度な業であった。
そして彼は学院でほぼ唯一「愉快なへびくん」に反応した生徒であり、ちょくちょくコルベールの研究室にも顔を出している馴染み深い人物だ。
まあ、それ以前に色々と信じられないような功績を挙げている国家的有名人でもあるのだが。

「ああ、ド・ヴュールヌ伯……どうしてここに?」
「襲撃があったって事でかり出されたんです。一応、部隊指揮の経験があるってことで」

見ると、レイナールは後ろに何人か学院の衛兵を連れていた。

「そうか……しかし助かったよ。そちらの状況はどうだい?」
「さっきので最後で、後は負傷者の救護だけです……あれ? ミスタ・コルベール、今日は指輪をつけてらっしゃらないんですか?」

レイナールが、コルベールの手を見てそう言った。
なんとはない違和感に敏感になっているのは最早彼の宿業のようなものであった。

「ああ……あれなら黒いローブを着た賊に奪われてしまったんだよ」
「……!」

レイナールは「あの指輪まさか“炎のルビー”だったんですか!」と叫びそうになったが、何とかこらえた。
コルベールが炎のルビーを教皇の母から託されたのはうっすら覚えていたが、まさか普段使いしている指輪がそれだとは思わなかったのだ。
この様子だとコルベールもあれが“炎のルビー”であると……というか、何であるかすら知らなかったのだろう。レイナールはそう判断した。

「その賊はどこへ?」
「私から指輪を奪ったとたん、ガーゴイルに乗って空へ逃げてしまった……まるで私の指輪が目当てだったようにな」

コルベールも入手の経緯や賊の動向から察するに、自らが預かっていた指輪が「ただの指輪ではない」ことくらいは理解していた。
とはいえ、流石に「ここまでの魔法人形を動員してまで手に入れる価値のあるもの」とまでは思わなかった。
ましてやそれが“炎のルビー”と呼ばれる始祖の秘宝の一つであり、虚無の魔法を習得するための鍵の一つであるなどと思い至るはずもない。
だからこそ彼は時折「二十年前の罪を忘れぬための」戒めとして身に着けていたのだ。
だが、レイナールはコルベールの発言でこの魔法人形が“神の頭脳”ミョズニトニルンの差し金であることをほぼ確信した。
しかし彼にそれを指摘すれば下手をすると学院を去りかねない。ここは知らない振りをしていたほうがみんなの幸せのためだろうと判断した。

「……とにかく負傷者を救助しましょう。ミスタ・コルベールもできれば御手伝いください」

レイナールはそう言い、コルベールに同行を求めた。
そして、やはりここから乱世なのかと嘆息した。


フリッグの舞踏会は中断され、生徒たちも被害者の治療や状況の確認を命じられた。
被害者はいずれも重傷で、学院の衛兵が34名、教師が4名、魔法衛士隊が7名であった。
学院の防衛能力や魔法衛士隊の実力を考えれば、死者がいないことを除けばかなりの被害である。
だが、それも無理からぬ話であった。
何しろ、原形をとどめている残骸だけでも100体を超える魔法人形が確認されたのである。
おそらく、実際に投入された数は200、場合によっては300に達するだろう。
しかも、それをばら撒いたと目される黒ローブの女はガーゴイルを利用して上空から侵入したのだ。
魔法人形を一人で数百も扱える人間など聴いたことがない。それにいくら動かす前は極めて小さいとは言え、持ち運ぶにも限度がある。
夜陰に紛れて上空から侵入し、三桁もの魔法人形を内側から暴れさせるなどという状況は学院に期待される防衛力を遥かに超えた攻撃であった。
それに加えて8人ものメイジの急襲である。
正直、結果として撃退に成功したことを褒め称えたくなるほどの戦力差であった。
レイナールの提案もあり、襲撃を許したことに対する学院や魔法衛士隊の責任は「今後の対策案の提出」を持って代えられることになった。

アンリエッタ姫は今回の事件で特に勲功あった者を学院長室に集め、特別に労いの言葉を与えた。
すなわちとっさの判断で《ストーム》を用い、自分と生徒全員を身を挺して守ったワルド、
襲撃者の頭目を斃した才人と、その主であるルイズ、
そして隙を突いて舞踏会場を制圧したギトーである。
この他、これまたレイナールの提言でいち早く襲撃を笛で伝えた衛士や戦場を駆け抜け負傷者を治療した教師たちも集められていた。
戦傷徽章を含むさらなる栄典に関しては事が落ち着いてから改めて検討するということである。
彼らはみな感激に身を震わせていたが、才人だけは「無我夢中でやった事がほめられて気恥ずかしい」程度の気持ちであった。
まあ「この言葉一つが今後の人生に有利なキャリアとなる人間」と「特に何の利益も受けない人間」の差と考えれば至極理に適った態度である。


その夜、アンリエッタはそのままルイズを部屋に招き入れた。
最初は昔語りから始まり、その流れでルイズは学院での近況を乞われるままに話した。
アンリエッタが才人の活躍やルイズの努力を褒め称え、ルイズがそれを謙遜し、二人は久しぶりに自分の立場も忘れて語り合った。
ウェールズ様との結婚の折には是非ルイズに詔を読んでもらいたい、そんな話にまで至った。

だが、ルイズはアンリエッタがウェールズの話をするときに、少し表情に陰りを見せたのに気付いた。
まあ確かに、二つの国を背負う重責を思えば純粋に愛の成就を喜んでいるわけにもいくまい。
それならば愚痴を聞くのも臣下である私の役目だろう。ルイズはそう考え、話を促す程度の気持ちで尋ねた。

「……ウェールズ殿下とのご成婚に、何か不安でも御ありなのですか?」と。

だが、それを聞いたアンリエッタの表情はさらに厳しいものになった。
そして、友人の前で自分独りの胸に憂鬱を押し留めておくには、アンリエッタはまだ若すぎた。
ある意味ルイズの目論見どおり、彼女は自らの心中を吐露し始めたのだ。

「……いま、アルビオンでは動乱が起きているの――」

だがそれは、ルイズにとって現時点における最大級の国家機密を聞かされるということに他ならなかった。



[13654] 第十話:「誰が殺したクックロビン」シーン10(第十話エンディング)
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Date: 2010/05/14 18:07
ルイズは、突然姫殿下の口から語られたアルビオンの真実を聞いて怒りを顕にしていた。

「神聖なる始祖ブリミルに連なる王を暗殺だなんて! なんて卑劣な連中なのでしょう!」

こんな軽く話したということは自分が知らなかっただけで結構有名な話なのだろう、彼女はそう考えていた。

「ええ……ですが現在、アルビオンの港は封鎖されております。ウェールズ様と連絡が取れなければ、トリステインとしては救援を出すこともままなりません。
 私の元にすら叛徒の魔の手が伸びてきたのです。ウェールズ様は今間違いなく生命の危機に瀕しているでしょう。あるいは既に……。
 ああ! なのに私はこうしてウェールズ様の無事を祈りながらあの方からの報を待つしかないのです!」

そういうと、アンリエッタはとうとう耐え切れなくなったのか涙を流し始めた。
ルイズは、何とかできないかと色々考えた。

「……そうです姫殿下! こちらからウェールズ殿下をお捜しして、援軍要請を戴いてくればよいのです!」
「こちらからウェールズ様を……? なるほど! ルイズ! あなたって本当にすばらしいわ!」

そう言って、アンリエッタはルイズの手を取った。
当然だが、さしものアンリエッタといえど「その密使に目の前の友人を派遣しよう」などとは思わなかった。
しかし……誰を派遣すればいいかと考えるも、アンリエッタには適当な人物が思いつかなかった。

「主だった港が封鎖されたアルビオンに潜入し」
「内情がどうなってるかわからぬ地でひそかに活動し」
「どこにいるかもわからぬウェールズ殿下を探し出し」
「殿下に援軍要請をしてもらうよう説得し」
「無事トリステインに帰還する」

ざっくり考えただけで、これだけのことをこなす必要があるのだ。
どれがどれくらい難しいのかアンリエッタには見当もつかなかったが、いくらなんでも無茶であろうことくらいは想像出来た。
というより、そのような芸当ができる人材がいるのならルイズに言われるまでもなくとっくの昔にアルビオンへ潜入させている。
いないからこそ考えもつかなかったのだ。平民が崖を乗り越える手段として空を飛ぶことを考慮に入れないように。

「ああ、だめだわ! 港が封鎖されたアルビオンなど人間業ではとても入り込むことはできません!」

そう言ってアンリエッタはさらに深く嘆いた。
それを見て、ルイズは決心をした。

「……そうです、姫殿下! この私を派遣くださいませ!」
「……ルイズ、あなたを……ですか?」
「はい。姫殿下もご存知の通り、私はさる理由でアルビオン王家から勲章を賜っております。陛下が御隠れになたということでしたら、弔問の使者という言い訳が立ちます!」

ルイズも自分が無茶なことを言っているという自覚はあった。
だが、自分が変に期待を持たせてしまったせいで姫殿下がさらに傷ついてしまったのだ。
せめてこれくらい自らの発言に責任を持たねば貴族としての矜持に悖ると彼女は考えた。
たとえにべもなく拒絶されたとしても、承諾されることで命を落としたとしても、である。
その覚悟に打たれたのか、アンリエッタも口調と姿勢を正してルイズに命じる。

「ルイズ……私のためにそこまで……わかりました。この件に関しては貴方に一任します。是非ウェールズ様をお助けください。
 但し、この件は非常に危険です。それに失敗し事が表沙汰になれば、外交問題にまで発展する恐れがあります。
 不可能だと判断したら無理せずに中止して頂戴。私は貴方を失うわけにはいかないわ」

アンリエッタの命令を聞き、ルイズは今まで味わったことのない感動と幸福感に打ち震えていた。

「かしこまりました。私の杖に懸けて!」

それは「自分が承認され、信頼されている」という感動であった。


それとほぼ同時期、マザリーニ枢機卿に宛がわれた客間でワルド子爵が枢機卿に自らの推論を上奏していた。
すなわち、ウェールズ皇太子が極めて危険な状態にあるであろうことをである。
先の襲撃でワルドの覚えが高まっているこのタイミングなら、立ち聞きしていたという負い目に目を瞑って話を聞いてもらえるだろうというワルドの作戦であった。

「……ほぼ全て聞いていたとは言え、立ち聞きの情報からそこまで推理するとはな。君が武術一辺倒の人間でないことは理解していたつもりだったが……」
「……本来警護中に聞いたことは全て忘れるべき立場なのは重々承知しております。面目次第もございません」
「いや、気にすることはない。記憶を消すことなどできぬ以上、聞いたことに対して思うところがあるなら報告してもらった方がいい。君のような賢人にならなおさらだ」
「恐悦至極に存じます」

ワルドは、どうやら自分が賭けに勝ったことを確信した。

「そういう状況ならば……反対派としてはウェールズ殿下を傀儡の王とし、貴族中心の新体制を作り上げるのが定石であろう。
 王家を打倒すれば各国に介入の口実を与えるが、ただの代替わりなら大義名分は消えうせる。ウェールズ殿下を『父殺し』と陰口を叩く程度ならありうるやもしれんがな。
 忌々しいことにそのままわが国との同君連合を進めることすら可能だ。
 ……君の提案は重く受け止めておこう。引き続き姫殿下と王家の警護に励んでくれ。
 万が一姫殿下が暗殺されれば、婚約者であったことを口実にウェールズ殿下がトリステイン王位を要求する可能性も考えられる」

マザリーニ枢機卿が政治的な話をしてくる。今までならばどう考えてもありえない状況であった。
ワルドは、自分の発言力が確実に高まっているのを実感していた。

「かしこまりました。私の杖に懸けて」

人々の興味が聖地に向きそうにない以上、この状況で彼にできることは「うまく波に乗って立場を高める」ことくらいであった。


これまた同じ頃、才人はレイナールの部屋を訪ねていた。
とりあえず状況が落ち着いたので、自分の世界に関して何か知っていることはないかと尋ねにきたのである。
「家に返りたい」という気持ちは、今日の一件でさらに強固なものとなった。
こんな危険な場所にいたら、命がいくらあったって足りるものではない。

レイナールの部屋は、ルイズの部屋よりも質素な感じであった。
机には大量の書類が詰まれてあり、部屋というより事務所のようである。
窓の向こうには服を着た案山子のような背の高い草が見える。才人は知らなかったが、土から養分を吸収しているマリーシであった。

「……まとめると、君は『月が一つしかなくて、魔法もない』異世界から来て、そこに帰る手段を探してると」

レイナールが話を一行でまとめる。ちなみに才人が説明に要した時間は地球時間にして約4分である。

「そうなんだ。マリーシの奴がお前なら何か知ってるんじゃないかっていうからさ」
「いや、僕が何でも知ってると思ったら大間違いなんだが…… まあ与太話程度でいいなら、異世界の噂くらいは聞いたことがある。
 実際そう主張する人に会ったのはヒラガで初めてだけどね」
「ほ、ホントか?」
「ああ。そういうことを言う旅人が訪れたって民間伝承が各地にある。この国だと……タルブ村ってところにあったかな? そんなに昔の話じゃなかったはずだ」
「マジかよ! そのタルブ村ってのはどこにあるんだ!?」
「……聞いてどうする気だ? 残念ながら行ったところで帰る手がかりにはならないと思うぞ?
 『異世界から来た人間』の話はいくつか聞いたことがあるが『異世界に帰った人間』の話は聞いたことがない。
 タルブ村に流れついた旅人も帰還法がどうしてもわからず、そのまま村に定住して一生を終えたらしい」
「そ、そんな……」

才人はがっくりと膝をついた。せっかく有用な情報が聞けたかと思ったのに、むしろ「戻れない事例」を聞かされてしまったのだ。
ひょっとしたら本当に一生帰れないのかもしれない。そんな気さえしてきた。
それを見て、レイナールは何と言ってやるべきか考えをめぐらせた。

「……もっと胡散臭い話でよければひとつあるが、聞くか?」

才人はそれを聞いてガバっと立ち上がり、レイナールにつかみかからんばかりの勢いで問い詰めた。というか実際につかみかかった。

「教えろ! 教えてくれ! どんな胡散臭い話でもかまわないから!」

そう言ってレイナールの首をぶんぶん振る。

「おいやめろ慌てるな。言うから待てって。というかこれが人にものを尋ねる態度か」
「あ……す、すまん」

慌てて才人はレイナールの手を離す。レイナールが襟を正しながら諭し始めた。

「本当に気をつけろよ? 君はどうやらずいぶん長閑なところから来たらしいが、こっちじゃふとした口論から簡単に殺し合いがおきるんだ。
 ましてや君みたいな平民……というか、異邦人の命なんて言っちゃあ悪いが比喩でもなんでもなく家畜より軽い。
 独り知らないところに飛ばされて不安なのはわかるが、そんな生き方を続けてると近いうちに殺されるかうっかり人を殺してしまうぞ」

才人は、何故か近所のおじさんに叱られているような気がした。

「悪い……気をつける」
「君を含む皆の幸せのためにも是非そうしてくれ。でだ……魔法の系統に〈虚無〉ってのがあるのを知ってるか?
 始祖ブリミルが用いたとされる伝説の系統なんだが……その奇跡の御技の一つに『離れている場所を一瞬でつなぐ』魔法があったらしい。
 まあ、そもそも虚無なんて系統は実在するかどうかも定かじゃないんだが……そのデルフリンガーが実在した以上、そういう魔法もあるのかもしれない」
「……? 要するに、そのあるかどうかもわからない魔法なら俺を元の世界に戻せるかもってことか?」
「まあ、人に話したら確実に一笑に付されるだろうけどね。逆に言えば僕にはそれくらいしか心当たりがない」
「それじゃあないも同然の情報じゃないか……そうだ、デルフリンガーは何か知らないか?」

才人は、一縷の望みを懸けて後ろの剣に尋ねてみる。

「だから剣の俺に何を期待してるんだっての。だがまあ、確かにそういわれりゃブリミルもそんな魔法を使ってたような気がしなくもないな」

だが、返ってきた答えは否定にも肯定にも取れないあやふやなものであった。
それを見て、レイナールは少し考えると、ゆっくりと語り始めた。

「まあ手がかりが全くないわけじゃない……始祖ブリミルが用いたと言われる伝説の使い魔は知っているかい?
 僕が知ってる限りではあらゆる武器を使いこなす『ガンダールヴ』、あらゆる獣を使いこなす『ヴィンダールヴ』
 それからあらゆるマジックアイテムを使いこなす『ミョズニトニルン』って使い魔がいたらしい。
 ……多分『ガンダールヴ』ってのは君のことだと思う。デルフリンガーはどう思う?」
「ああ、まずそれで間違いないぜ」

レイナールの言に、デルフリンガーが太鼓判を押す。
才人も、少し興味を引かれたようだ。

「え? ああ……まあそんな事を言ってたっけな……で、それがどうしたんだ?」
「この伝説の使い魔ってのも、始祖ブリミルと同じで伝説に語られるだけで実在が確認されたことはないんだ。
 まあだから……場合によってはだけど……ミス・ヴァリエールには虚無の才能があるかもしれない」
「え? でもあいつはまともに魔法が使えないんだろ?」
「まあ、あくまで可能性の話だよ。ただ、全然関係ない単なるメイジよりは『まだ開花していないものの虚無の才能を秘めたメイジ』のほうがまだ伝説の使い魔を呼び出しそうだろ?」
「そう言われりゃそんな気もするけどさ……そんな確かめようのないことを言われてもどうしようもないぜ?」
「どうしようもないのはわかってるが……虚無も始祖ブリミルも6000年前と言われる極めて旧い伝承なんだ。
 現実感のなさで言えば死後の世界とか、あるいは君の言う異世界とどっこいどっこいなんだよ。
 まあ何にせよ、ミス・ヴァリエールが非凡な才能を秘めてるのは事実だ。あんな爆発は、他のどんなメイジにもまず再現できないからね。
 その才能が開花するのに賭けてみるのが正直一番可能性が高いと思うよ」
「そうかぁ? 寝てたら上から隕石が落ちてきて死ぬくらいの確率しかないような気がするぜ」
「……その例えがどれくらいかはピンと来ないけど、ゼロじゃないだけ他の選択肢よりよっぽど高いじゃないか」

その程度の可能性しかないのかよ。才人は少し心が折れそうになった。

「……はぁ、まあじゃあしばらくはあいつのお守りをしながら、虚無についての情報収集ってところかなぁ」
「あまり力に成れなくて悪いね……そう言えば、君が最初に来てた服はかなりいい仕立てだったけど、あれもその異世界の服なのかい?」
「へ? ああ……まあそう言われりゃそうだけど、あんなのどこでだって売ってる安物の服だぜ?」
「へぇ……それはなおさら興味があるな。もしよかったら、君の世界の物品を見せてくれないか?
 服を貸すのは気分的に嫌だと言うなら、別に他のものでもかまわないから」

レイナールは妙に目を輝かせてそう頼んできた。
珍しい物好きとか、ホントに信長みたいだなと才人は思った。
だがまあ、今まで世話になったことを考えるとちょっとくらいならいいかと才人は考えた。

「わかった。まあ明日にでも適当に持ってくるよ」

せっかくだからノートパソコンを見せてびっくりさせてやろう。才人はそんな事を考えていた。
その前にルイズから「今から戦場に行く」と告げられ逆にびっくりさせられる運命にあるのだが、このときの才人がそんな事をわかるはずもなかった。



[13654] 第十一話:「通る甘えは甘えじゃない」シーン1
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/03/25 16:41
翌日の早朝のことである。

「重要な機密をいくら友人とは言えそのように軽々に話すというのは、決して褒められたことではございませんな」
「ごめんなさい……でも、ルイズなら何とかしてくれるんじゃないかと……」
「王たるもの、決断すること自体は大変素晴らしいことでございます。ですが即断即決とは考えなしにその場の勢いで決めることではございませんぞ……」

アンリエッタ姫はルイズにウェールズへの密使を命じたことをマザリーニ枢機卿に告げ……盛大に説教されていた。

だが、昨夜のワルド子爵からの提言でマザリーニも早めにアルビオンに何なりと介入しておいたほうが良いとは考えていた。
「家柄および信頼性」と「万一失敗したときのリスク」を天秤にかけると、その特使として公爵家の子女というのは悪い選択肢ではない。
ワルド子爵などではややアルビオンへの説得力が心許ないし、何より準戦時体制の折に近衛隊長を派遣するのは国防上も問題がある。
そして現在自由に活動できる公子や公女となると、まあラ・ヴァリエール公の長女エレオノールか三女ルイズの二択になるだろう。
だが、なんだかんだと言ってラ・ヴァリエール公は子煩悩な男である。
よっぽどのことがない限り娘にこのような危険な任務をさせはしないだろう――本人が提案し、自発的に志願したというのではない限り。
そう考えると、ルイズ嬢の提言に対してすぐさま言質を取った姫殿下の行動はむしろ妥当解の一つではある……あくまでその他の条件に目を瞑った上での結果論だが。
それに、なんだかんだと言って次期女王の命令を枢機卿が無理矢理止めたとなればまさに専横である。やるべき行為ではないし、マザリーニとしてもやりたくない。
と言うわけで、マザリーニは「姫には猛省してもらうとして、この件自体には協力する」という方向で進めることにした。

「――まあしかし、一度仰ってしまったものは仕方ありますまい。関係各員には私のほうから調整しておきますゆえ、姫殿下も御力添えをよろしくお願い申し上げますぞ。
 十全な支援の有無は特使の命運を大きく左右いたします。ご友人が大事なら努々気を抜かれませぬように」
「……! それでは、マザリーニも協力してくださるのですか!?」
「姫殿下の命とあらば協力せざるを得ますまい。ですが御覚悟くださりませ。先ほど申したとおり、姫殿下にもしっかり骨を折って頂くつもりですゆえ」
「え? ……それは、なんとかなりませんの?」

アンリエッタが上目遣いで懇願する。

「なりませぬ。自らの軽挙の代償を他人に押し付けようなど、王として以前に人として許されざる暴挙にございます。
 坊主の端くれとして人が道を外れるのを見過ごすわけにはまいりませぬゆえ、平にご容赦を」

が、マザリーニは表情一つ変えずにそう言い放った。


それとほぼ同時刻、貴族の矜持として姫殿下からの任務を引き受けたルイズであったがどうしたら良いものかさっぱり見当がつかなかった。
とりあえずアルビオンに行くには船に乗る必要があるだろうが、封鎖されている以上定期便は使えまい。
だが、フネを自力でチャーターするなどどう考えても学生の所持金では不可能である。片道の風石代も出せるかどうか怪しい。
それに、何の計画もなしに出発したところで失敗するのがオチだということくらいルイズも承知している。
あの母さまですら考えなしに突っ込んで周りに多大な迷惑をかけた経験があると聞く。いわんや自分をやというやつだ。
さてどうしたものかと考えていると、使い魔である才人が召喚されたときに持っていた変な板と服を持ち出してきた。
板のほうはたしか「ノートパソコン」とかいうものだったか。綺麗な絵を映し出す物品だった。

「なぁ、今から旅に出るってんだったらとりあえずレイナールにこいつを貸してやりたいんだけど」
「はぁ? 何で?」
「いや……昨日色々あって……」

そう言って、才人は昨日レイナールと話した経緯を正直に話した。虚無の情報に関することや、情報提供の礼に珍しいものを貸してやることを約束したことなど全てである。
ルイズは、あの現実主義の塊みたいなレイナールがそんな「異世界」だの「虚無」だのといったことを信じて調べているということに少々驚いていた。
デルフリンガー捜索もその一環だったのだろうか。何というか変わった趣味があるなとルイズは思った。

「しかし『あんたがガンダールヴで』『私が虚無かもしれない』とはねぇ……あんた、からかわれたんじゃないの?」
「まあ、そうかもしれないけどさ。今までも結構世話になったんだ。これくらいなら良いだろ」

それを聞いてルイズは使い魔が自分よりレイナールを重視している気がして少しむっとしたが、自制して今後のことを考えた。
レイナールはこういう状況で非常に、というより異常に強い。
あいつにこれ以上借りを作るのは何というか後が怖い気もするが、あるいは何か悪知恵を考え付くかもしれない。
出発前に知恵を借りるのも悪くなかろう。

「まあいいわ。私も少しあいつに聞きたいことがあるし、ついていくわよ。
 たしかあいつの使い魔が男子寮の近くを根城にしてるから、そいつに言って起こしてもらいましょ」

そういって、二人はとりあえずマリーシの下へ向かった。
実のところ、才人はついでにレイナールに「どうやってルイズを止めればいいか」尋ねようと思っていたので正直ルイズについて来て欲しくはなかったのだが。


男子寮の近くでたむろしているマリーシに才人が話しかけると、しばらくしてレイナールが窓から《レビテーション》で降りてきた。

「やあヒラガ。こんな早速持ってきてもらえるなんてなんだか申し訳ないなぁ。いつかこのお礼はちゃんとさせてもらうよ。
 ……しかし、ミス・ヴァリエールもヒラガもどうしてそんな旅装なんだ?」
「ああ、それなんだけどお前からも言ってやってくれよ。こいつ今から戦場に行こうとか言うんだぜ?」
「サイト、あんたは黙ってなさいよ――
 レイナール、あんたも知ってるとは思うけど、今アルビオンの港が封鎖されてるでしょ? そこからウェールズ殿下を救出するための特使に選ばれたのよ」

レイナールは、寝起きということもあって一瞬思考が止まった。
アルビオンの主要な港が封鎖されているのは護衛艦隊からの連絡で知ってはいた。帰りの風石が足りなくて墜落寸前だった商船も何隻か救助したらしい。
何でもバリケードを構築したり桟橋を破壊したり所属不明の兵士が検問を張ったりしているという。
そして、疫病などによる封鎖ならそれを知らせる警告用の黒旗が掲揚されているはずだ。
となるとアルビオンで政変か動乱がおきているのであろうとレイナールは推測していたが、そこからどうウェールズ殿下の救出につながるのか一瞬理解できなかった。
だが、すぐに彼は「多分昨夜にアンリエッタ姫から機密レベルの話でも聞いたんだろう」と推測した。
レイナールはとりあえず目を瞑って地面をとんとんと叩いて周辺にこの話を聞いてそうな人間がいないかどうかを確認し、ルイズに尋ねた。

「……ウェールズ殿下に何があったの?」と。

それを受け、ルイズはアンリエッタから聞いた話をレイナールに語り始めた。それでどうすればいいか知恵を貸して欲しいとも。
レイナールはどうしてくれようかと悩んだ末、ひとまずリスクを最小に留める手段をとることにした。
ルイズの話が本当なら、確かにウェールズ殿下を救出できるならするに越したことのない状況のようだ。
それに止めたところでルイズが聞くわけがないだろう。なら、無事に作戦成功してもらったほうがいい。
それに、彼女の無謀な行為の大半は承認欲求の暴走から来ているというのがレイナールの見解であった。
ここらへんで公的な勲功を自力で手に入れれば彼女にも多少は落ち着きが芽生えるだろう、レイナールはそう考えた。

「わかった。じゃあ遠慮なく言わせてもらうと……もし君が本気で使命を果たしたいと思ってるなら今すぐ学院にいらっしゃるマザリーニ枢機卿猊下に接触を取るんだ」
「何であの鳥の骨に会わないといけないのよ?」

レイナールのいきなりの助言に、ルイズは難色を示す。
勿論レイナールもルイズがそう反応するであろうことは予想済みだったので、特に機嫌を損ねることなく説明を始めた。

「僕に相談を持ちかけたくらいだから、君もその任務が独力でできる代物じゃないことは理解できてるだろう。
 姫殿下の言葉だけじゃ心もとない。枢機卿猊下にも協力を要請して、目に見える支援を受けるべきだ。
 秘密裏に動くためには注目されないほうがいいから、今この場で猊下に会っておいたほうがいい。
 なんだかんだ言ったって猊下も中央の貴族も国家の繁栄を考えてるんだから、救出が妥当だとなれば喜んで協力してくれるさ。
 それに、国内でちゃんと打ち合わせしておかないと『中央政府も独自に密使を送って味方同士で殿下の取り合い』なんて間抜けな事態になるかもしれない。
 君が猊下に色々含むところがあるのは理解するが、姫殿下のためと割り切ってくれ」

妥当性がないと判断すれば無理矢理にでも止めてくれるだろしな、とレイナールは心の中で付け加えた。
ルイズも、確かにそうだと思いなおした。いくら密使とは言え、別にトリステイン政府にまで秘密にする必要はない。
同盟国の王家を助けるのはお国のためにもなるはずだ。ルイズはそう考えていた。
だが、鳥の骨に頭を下げるのは心情的に抵抗がある。
ルイズが悩んでいると、レイナールがさらに提案してきた。

「……わかった。一応猊下とは面識があるし、なんだったら僕から口ぞえするよ?」
「え? いや、そこまでしてもらう必要はないわよ。じゃあとりあえず猊下にお会いすることにするわ。サイト、しばらく厩舎で待ってなさい」

そういって、ルイズはマザリーニが宿泊している客間へと向かっていった。
鳥の骨に頭を下げるのは「気に食わない」が、これ以上レイナールに借りを作るのは「怖い」。それがルイズの正直な感想であった。

「え? おい待てよ! てかレイナール、頼むからこいつ止めてくれよ!」

才人が叫ぶが、レイナールは才人から借りたパーカーとノートパソコンを両手に持ちながら本当に申し訳なさそうに言った。

「すまないが、僕に彼女を止める力はないんだ……本当にすまない」と。


マザリーニは、とりあえず姫殿下が特使を命じたルイズに接触を取ろうと考えた。
だが、その矢先に件のルイズが自らを訪ねてきたという。

「私ではなく、マザリーニに……? 一体、何の用なのでしょうか?」

横にいたアンリエッタが、不思議そうにひとりごちる。
マザリーニが、それを受けて姫殿下に進言する。

「まあ、いずれにせよ好都合というものでしょう。入ってきてもらえばいいのではないでしょうか」
「そうですわね――かまわないから、通してください」

アンリエッタ姫がそう取次ぎに言った。
ここはマザリーニに宛がわれた客間である。だが、彼の拠点である教会ならともかく姫殿下がいる以上決定権は彼女に移るのだ。

ルイズは、取次ぎから姫殿下がいらっしゃると聞いて少し後ろめたいような感情が想起された。
姫は自分を信頼してこの任務を任せてくれたのである。
それを昨日の今日で「自分ひとりではできそうにないから他人に協力を依頼に来ました」と言うのは流石にいかがなものかと思ったのだ。
もちろん姫殿下がいなければ良いというわけではないが、やはり本人を目の前にしてそのようなことを言うのは抵抗が強いものであった。

「ああルイズ! よく戻ってきてくれたわ! 私ったら貴方を丸腰で悪鬼の群れに放り込むような真似をしてしまって……本当に反省しているわ。
 それで、今マザリーニとどうやって貴方を支援するべきか相談していたところだったのよ」

ルイズが入ってくるや否や、アンリエッタがルイズにそう告げた。
ルイズは、姫が失望していないどころかむしろ自分を支援しようとしてくれていたことに内心安堵し、そして感激した。

「姫殿下……御心遣い、まことに感謝いたします。
 私も恥ずかしながら独力でこの大任を全うするのは困難と判断し、こうして恥を忍んで枢機卿猊下にご助力を願いに参ったのです」

そう言って、ルイズはマザリーニに深々と頭を垂れた。

「ふむ……ですがミス・ヴァリエール。一言に支援といっても色々ありますが、具体的に私にどうしろと言うのかな?」

マザリーニが値踏みするように尋ねる。
勿論、マザリーニはどう支援すべきかある程度の青写真を頭に描いている。
この質問は、あくまでルイズの力量を確かめるために聞いているのだ。
そして、その意図くらいはルイズも気付いていた。
だが……マザリーニがどういえば満足するのか、ルイズには全く見当がつかなかった。
ルイズはしばらくの間色々とどういえばいいか悩んだが、いくら考えても全く思い浮かばない。
苦し紛れに何か言おうかと思った矢先――ルイズはあることに気付いた。
そして、意を決したように告げた。

「――どう行動すべきかの指針と、その行動に必要なものを全て頂きたく存じます」と。

そう。大切なのは「自分が功績を挙げること」ではなく「与えれれた責務を果たすこと」である。
「自分には何もわからない」のだから、任務を成功させたいのなら最早他人に頼り切るしかない。そう気がついたのだ。
マザリーニは事実上「一から十まで面倒見てくれ」と宣言したも同然な発言に面食らったが、すぐに気を取り直した。
正直、マザリーニが彼女に期待しているのは「公爵家の子女」という家柄だけなのだ。
変な虚栄心や出世欲で勝手な行動を取られるよりは「助けてくれ」と相談してくれたほうが圧倒的にやりやすい。
自分や姫殿下の仕事は圧倒的に増えるだろうが、与り知らぬところで変な事態になるよりは遥かにましだろう。

「……いいでしょう。迷い子を導くのも坊主の仕事にございます。私の愚策でよければ知恵をお貸ししましょう」

マザリーニは、これでまたしばらく忙しい日々が続くなと覚悟した。



[13654] 第十一話:「通る甘えは甘えじゃない」シーン2
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/04/15 00:31
レイナールは、ルイズや才人を見送った後で才人から借りたパーカーやノートパソコンを物色していた。
もう十年以上見たことがなかったQWERTYキーボードを見ていると、不意に哀しみが彼の胸をよぎった。
ディスプレイをつけると泣いてしまうかもしれない。レイナールはそう思い、とりあえず構造解析を先にやってしまうことにした。
とはいえ、ドライバーがないのでねじが開けられない。
魔法を器用に使えば可能かもしれないが「感電の恐れがあります」と書かれた部位をそんな軽率な手段で開けるほど彼は機械に飢えている訳ではない。
仕方がないので、彼は外側のプラスチックとパーカーのナイロン、そしてキーボードに使われているバネだけを確認していくことにした。
それにしても「合成高分子を《錬金》するのは無理そうだ」と言う結論に達しそうではあったが。

しばらくすると、部屋にノックの音が響いた。魔法衛士隊であろう男性の声がする。

「伯爵閣下、マザリーニ枢機卿猊下が出発前に軽く談笑でもと希望しておりますが、いかがいたしましょうか?」
「猊下が? ……わかりました。すぐ伺います」

そういって、レイナールは身支度を整えた。
彼は小さい頃に枢機卿から神学の初歩を学んだ弟子の一人ということになっている。
そのためマザリーニが特に理由もなく談笑を希望してもそこまでおかしくもないのだが……あの彼がそんな暇なことをするはずがない。
おそらく、タイミング的にはルイズのアルビオン行きに関して何かしら仕事を押し付ける気なのだろう。レイナールはそう判断した。


マザリーニに宛がわれた部屋は、この学院で二番目に豪華な客間であった。
レイナールが部屋に入ると、マザリーニは机に広げたメモの山を片付けながらこちらに向かって語りかけた。

「こうやって面と向かって語り合うのは久しぶりだね、ド・ヴュールヌ伯。本当にずいぶんと大きくなったものだ」
「これも枢機卿猊下のご指導とご支援の賜物でございます。本来ならば私のほうから伺わねばならぬところ、このような席を設けていただき恐悦至極に存じます」

レイナールが素直にそう返した。幼少の頃から散々厄介ごとを押し付けている身分である。謙遜でも御世辞でもなく、彼は心底マザリーニに感謝していた。
レイナールがそういうと、マザリーニはふむと相槌をうち、言葉を続ける。

「まあ堅苦しい話はここまでにしよう――昨日姫殿下が襲撃された訳だが、君は国外の現状に関してどれくらい把握しているかね?」
「アルビオンの主だった港湾が封鎖されたらしく、当家の護衛艦が燃料不足のフネを何隻か救助したと報告が入っています」
「なるほど……ということは、ミス・ヴァリエールに私を訪ねにくるよう助言したのは君か。
 ――いや否定も肯定もしなくて良い。それより、君……というより、ド・ヴュールヌ家に私から頼みがあるのだ」

そういって、マザリーニは今回ルイズに行わせようとしているウェールズ救出計画をレイナールに語り始めた。

「――まあ物事がここまでうまく行くと期待してるわけではないが……いずれにせよ密使をアルビオンに往復させる足が必要なのだ。
 貴家の人間にはアルビオンからの移民も多いと聞く。親戚が心配になってなど口実も作りやすかろう。竜でもフネでもかまわないから、何とか用立ててもらいたいと考えている」
「それは私の独断で首を振れる範囲を越えているので何とも申せませんが……当家の人間がアルビオンに警戒されていることは猊下もご存知かと思います。当家の足は密使を運ぶには甚だ不適当ではないでしょうか」
「いや、だからこそ頼んでいるのだ。言い方は悪いが貴家が何らかの行動を取ったとしても誰も不自然に思うまい。
 ……まあ確かにこちらはド・ヴュールヌ候に頼むことだ。君が心配することではない。それより君には……ラ・ヴァリエール家へ向かって欲しい。
 具体的にはミス・ヴァリエールが本作戦を姫殿下に提案し、自らその作戦に志願したと公に報告し、納得させてきて欲しいのだ」

そう言って、マザリーニは一枚の書類をレイナールに突き出した。ルイズが急いで書いたと思しき志願書であった。
レイナールは嘆息した。要するに、後々禍根を残さないようにラ・ヴァリエール公に事後承諾を取ってこいというのだ。
確かに誰かがやっておくべき仕事だが、こんな何の勲功にもならない上に公爵を怒らせるかもしれない裏方仕事など誰もやりたがらないだろう。

「……かしこまりました。ただ、私はこの件に関してどの程度の権限を委任されるのでしょうか。何の権限もないただの伝令をやれというなら学業のほうを優先させたいのですが」

少し考え、レイナールはそう返答した。


レイナールがマザリーニとそんな話をしていたのと同じ頃、ルイズと才人は馬を借りて学院を出発した。
才人がおっかなびっくり馬を操っているのを見て、ルイズが呆れたように言う。

「何? あんた馬にも乗ったことないわけ?」

そういうルイズは、まるで一個の生き物のように……というのは言いすぎだが、ついそう言ってしまいたくなるほど華麗に馬を操っていた。

「悪かったな。俺の故郷じゃ馬なんて乗り物として使うこともなかったからな」
「本当にスゴイ田舎から来たのねぇ」

才人は「こっちのほうがよっぽど田舎だっての」と言いたかったが、これ以上喋っていると舌を噛みそうなので我慢することにした。

そうして馬に揺られること3時間、二人はトリスタニアにたどり着いた。
才人は不思議そうにルイズに尋ねる。

「おい、アルビオンってところに行くんじゃないのか?」
「その前にまずフネを確保しないといけないでしょ? 港が封鎖されてるんだから、まともなフネじゃ行けないじゃない。
 そんな無茶ができるフネを持ってる人間なんて王家を含めてもトリステインに片手で数えるくらいしかないわ。
 だから今から新市街に行って、アルビオンに行くフネを貸してもらうのよ……新市街の真ん中に別邸を建ててるド・ヴュールヌ候が、その片手で数えられる人間の一人だから」

そう言って、ルイズは複雑な表情をする。
要するに、レイナールの実家にフネを借りに行くのだ。結局彼に借りを作ることに変わりはない。

レイナールの父親であるド・ヴュールヌ候とは多少会ったこともある。柔和な人柄というのがルイズの持っている印象である。
様々な噂と実績がなければ人のいいおじさんとしか思わないだろう。まだ三十台のはずであるから場合によってはお兄さんでも通るかもしれない。
……簡単に言うと、レイナールから受ける印象に多少年月を加えたものに等しい。

「貸してもらうのよって……そんな船って簡単に貸してもらえるものなのか?」

才人はふと疑問に思った。
アルビオンがどんなところにあるか知らないが、話を聞くに海の向こうにある島国であろうことは推察できる。
そんな湖のボートみたいに簡単に借りられる代物ではないはずだ。

「無理に決まってるじゃない。だから鳥の……マザリーニ枢機卿に頼んで委任状を一筆書いてもらったのよ。後は私の交渉しだいね」

そりゃ絶望的だなと才人は思った。こんな怒りんぼにそんな事ができるとは思えない。
まあ才人にしてみれば八方塞になって諦めてくれたほうが嬉しかったのでそれ以上は特に何も言わなかった。



[13654] 第十一話:「通る甘えは甘えじゃない」シーン3
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/04/23 07:45
新市街の大通りを歩いていると、その中心に古ぼけた建物があった。
周りの町並みに比べて2~3世代くらい前の建物ではないか。才人はそんなことを考えた。
だが、よく見ると周りと違うのはそれだけではない。
他の建物と違い周りを相等広い塀で囲んでおり、家というよりは城のような体裁が整えられている。
新市街の本当にど真ん中に位置しているのもあり、まるでファンタジーRPGによくある「街の王様の城」みたいであった。

「あの建物がド・ヴュールヌ侯の別邸よ」

才人がそんな事をぼんやり考えていると、果たしてその建物を指しながらルイズが才人にそう説明した。

「へぇ……わざわざ新市街のど真ん中に別荘を建てたのか。あいつんちって金持ちだな……でさ、その侯爵って別荘にいるの?
 普通に考えたら領土に城くらいありそうなもんなんだけど」

才人がそうの言うとルイズはつい新市街の成り立ちについて説明しそうになったが、長くなりそうだし何より今回の使命に何の関係もないのでやめた。

「別邸は王家との繋がりを保つ役目もあるから侯がいないとしても誰かが詰めてるはずだわ。
 どうせフネを借りるにはド・ヴュールヌに行かないといけないんだから、いないとしても手間が一つ二つ増えるだけよ」

代わりにそう才人を諭しながら、ルイズは門番に話しかけ始めた。


話は少し遡る。
護衛艦から港湾封鎖の報告を聞くとほぼ同時に、ド・ヴュールヌ侯は自らアルビオン封鎖に関する情報を収集すべく動いていた。
純粋な作業効率としては、侯爵一人加わった程度でそこまで劇的に向上するものでもない。下手をするとマイナスになる可能性もある。
だが、製造業と交易により繁栄を築いているド・ヴュールヌ領にとって交易路の異常は領民の生活に直結する一大事である。
陣頭指揮を取ることで家臣や領民に「自分が何を重視しているか」を示すだけでも重要な意味があると彼は考えていた。
それに、彼の家臣にはアルビオンからの移民も多い。
トリステイン・アルビオン両王家の黙認を受けた上で気付いていないことにしているが旧モード大公派の重鎮も何人か名を変えて亡命している。
マフィアの再来を防ぐ意味でも色々と試行錯誤して移民に対し巧妙に同化政策を試みているが、効果が現れるのは早くても次の世代であろう。
つまり、今アルビオンが不安定になるとそれがそのまま領内に動揺として飛び火する可能性が高いのだ。
彼らに変な話が広がる前に領主が先んじて情報を把握しておくことは、統治の上でも非常に重要であった。
まあ、実は家臣団の構成上アルビオンだけでなくどこで揉め事が起きてもド・ヴュールヌに飛び火する可能性がある。
そういう意味において、ド・ヴュールヌ侯はハルケギニアでも五指に入るほど真剣に世界平和を望んでいる人間のひとりであった。

そして今、ド・ヴュールヌ侯はトリスタニアにある別邸の執務室で親戚筋や駐アルビオン大使から聞き入れた情報をまとめ――頭を抱えていた。
一言でまとめると各所から「詳しい話はまだ言えないから侯は領内の統治をしっかりやってくれ」と言われたのだ。
さらに、王軍が傍目から見てもわかるほど明らかに準戦時体制をとっている。
以上を総合すると、どういう立場をとるべきか統一した見解が取れないほどの複雑な大事が起きていると考えるのが自然であった。
最低でも「当家を蚊帳の外にするか否か」迷うような事態がおきていると考えて間違いないだろう。
さらにその事件は「ウチの統治を心配したくなる内容」であるということだ。
となると「アルビオンで港湾を封鎖するほどの組織立った反乱がおきた」可能性が高い。侯はそう推測してした。
さて更なる情報を求めて活動を続けるべきかこの辺で一旦情報収集に見切りをつけるべきかと考えていると、不意に執務室のドアがノックされた。
そして、別邸の駐在員の声がする。

「失礼します、侯爵閣下。ラ・ヴァリエール公のご三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール様が閣下に御目通りを求めておりますが、いかがいたしましょうか」と。


ルイズが通された部屋は、貴族の応接室としては信じられないほど質素な雰囲気でまとめられていた。
というより、部屋だけでなく屋敷全体に飾り気というものがなかった。
だが、決して貧相というわけではない。
むしろ家具の配置、壁と窓の色合い、そして窓からの光景など全てが程よく調和しており、まるで華美な装飾など蛇足と言わんばかりである。
ルイズは、この一見地味な屋敷にそのような計算しつくされた美を見て取った。
彼女は知らないことだが、これはド・ヴュールヌ家に代々受け継がれてきた比較的カネをかけずに貴族らしく見せる涙ぐましい工夫の一つであった。
そして、その部屋の中心にはそんな屋敷の主であるド・ヴュールヌ侯がいた。
侯は、ルイズが入ってくるのを確認すると穏やかな口調で話し始めた。

「久しぶりだね、ミス・ヴァリエール。しかし今はまだ夏期休暇には早いはずだが……何かあったのかい?」
「はい。現在私はさる理由で密命を帯びておりまして……」

ルイズは、マザリーニから預かった委任状を見せながらウェールズの救出計画を説明した。
マザリーニからも「どうせド・ヴュールヌ侯には全面的に協力してもらわなければならないのだから、余計なごまかしはせずに全部話せ」と言われていた。


「なるほど。直接王軍を動かせば外交問題に発展する可能性があるから、こちらに『よくわからないから調査する』という体裁でフネを動かせと」
「はい。何とかお願いできませんでしょうか」

ルイズは、ド・ヴュールヌ侯の真意を測りながらそう切り出した。
ここで断られればほぼ八方塞である。だからこそ「借りを作りたくない」とかそういう後のことを考えずにド・ヴュールヌを頼ったのだ。
だが、この人のよさそうな侯爵に何をもって首を縦に振らせるか、ルイズは正直全く見当がつかない。
そもそも、このような小娘の言うことをまじめに取り合ってもらえるのかどうかが疑問である。
ルイズはちらりと侯の顔色を伺う。考え事をしているのはわかるが、それ以上のことはよくわからなかった。

ド・ヴュールヌ侯はルイズから聞いた話を頭でまとめながら、どう動くべきか考えていた。
行幸中の姫殿下が襲われるとはかなりの異常事態が発生しているようだ。
枢機卿の委任状まで持って来たところを見ると、単なるイタズラや流言の類ではなかろう。もたらされた情報も他から得たものと矛盾しない。
となれば、成功したときに得るものと失敗したときに失うもの、そして行動しなかったときに失うものを考えると王国としては悪くない作戦である。
侯爵家としても、少なくとも静観や放置は危険である。事を知った旧モード大公派の家臣が本当に暴走するかもしれない。
アルビオン系の旧王党派と旧大公派に引きずられて家臣団が真っ二つ――十分ありえる状況であった。
だが、正直そんなに成功率の高い話とは思えない。だからこそ枢機卿猊下も王軍ではなくこちらに話を振ってきたのだろう。
こちらのほうが王軍よりも小回りが効きやすいし、最悪「アルビオン系の部下が暴走」などと尻尾きりを行うことができる。
とは言え、そのような尊厳なき死を家臣に与えるとその後の侯爵領の統治に重大な障害が発生する。侯としては極力やりたくなかった。
第一、自分の息子と同程度の少女をむざむざ死にに行かせるのは精神衛生上非常によろしくない。
関与するからには少しでも成功率を上げるべく全力で助力すべきだろう。
具体的には、ラ・ヴァリエール公や両国の外交筋にこちらからも根回しをしておく必要がある。
それにレイナールにも一報入れておいたほうが良いだろう。
状況から考えると姫殿下や枢機卿猊下から独自に何か頼まれた可能性もあるし、学院で起きた事件の詳細や彼女の人となりも聞きたい。

「わかった。姫殿下の頼みとあらば臣下としてそれに応えるべきであろう。
 だがフネを飛ばすとなると色々準備が必要だ。君も予め当家の家臣と打ち合わせをしておいたほうが良いだろう。
 竜籠を用意するから、先にド・ヴュールヌで待っていてくれないか? 心配せずとも、馬で我が領へ向かうよりは早く準備できるはずだ」

そんな感じのことを色々考えた結果、侯はルイズにそう返事した。

「へ? ――あ、感謝いたします、侯爵閣下!」

ルイズは期せずして得られた色よい返事に一瞬と惑ったが、すぐに気を取り直しそう告げた。


ちなみに、別室で待機させられていた才人が「侯爵がGOサインを出した」と聞いて軽く絶望したのは言うまでもない。



[13654] 第十一話:「通る甘えは甘えじゃない」シーン4
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/05/05 19:40
前回のあらすじ
「絶望した! 若者を平気で死地に追いやる貴族社会に絶望した!」

ド・ヴュールヌ侯が用意した竜籠の片隅で、才人はまさにそんな心の叫びを上げていた。
才人は、そういえば戦国時代とかは十代前半で元服するのも普通だというのを思い出した。
周りが自分と同年代だからぼんやりと高校みたいなものと思っていたが、そう考えるとあの魔法学院は日本でいう大学院のような存在なのかもしれない。
まあ、だからといってもちろん自分が死地に赴くのを甘受できるわけはなかったが。

それに、才人はルイズが当たり前のように自分がついてくるものとして扱っているのが少々気に食わなかった。
確かに慣れぬ異世界で衣食住を面倒見てもらっている以上、雑用をさせられる程度は甘受できる。
そして、現時点では彼女が元の世界に戻る唯一の手がかりであるのだから勝手にどこかで死んでもらいたくないのも事実だ。
だが、だからといって絶賛クーデター中の場所について来るのが当たり前だと思われては非常に困る。
自分はこの女の付属物ではないのだ。れっきとした一個人なのである。
その辺をはっきりさせておかなければ、この調子だと何かあったら「私の代わりに死ね」とか言い出しかねない。
今まではただ流されるままであったが、流石にこれ以上流されていたら命に関わる。才人は今更ながらそう考えた。

「おいルイズ」
「何よその言い方は。ご主人様、でしょ?」
「SMじゃあるまいしなんでそんな言い方しないといけねぇんだよ。それより、なんで俺がついて行くことになってるんだ」
「使い魔は主人と同行するのが当たり前でしょう? 使い魔は主人を守るものなんだから」
「なんでわざわざ自分から危険に首を突っ込む奴を守ってやらなきゃいけねぇんだよ。そこまでしてやる義理はねぇぞ。
 お前は俺が元の世界に帰れるかもしれない今んとこ唯一の手がかりなんだから、危ない真似はしないでくれ」
「何であんたの都合で私が動かないといけないのよ。逆でしょ?」
「逆もおかしいだろ! 俺も言ってて大概だと思ったが、そっちがそういう態度をとるならこっちも曲げるわけにはいかねぇぞ――」

そんな感じで、またもや口論が始まってしまった。
竜を動かしてる乗り手にも籠から喧騒が洩れ聞こえるほどであったが、介入するのもどうかと思い黙々と自分の仕事を遂行していた。
同僚や上司と待遇に関して揉めたり慣習の違いから喧嘩になったりすることはド・ヴュールヌではよくあることであった。


一通り口論を終えて才人が「自分はルイズに死なれると困るから変な真似をしないようについていくだけだ」とひとしきり主張した頃、真下に大きな町並みが見えてきた。
何本も広い運河と道が通り、それらに沿うように建物が軒を連ねている。
その建物に囲まれるかのように、何を育てているのかよくわからない畑が作られている。
運河には大小いくつかの船が並んで航行しており、運河の終端には海が見える。
海のほうにも大きな町があるようで、ここからでも見えるような高い建物も確認できた。
あちらこちらで水道や新たな家の工事が行われ、モノが慌しく動いている。
才人はテレビで見たヨーロッパの歴史的な街の航空写真を思い出した。

「本当にここだけ別の国みたいね……噂に聞いてたから覚悟してたけど、噂以上だわ」

その風景を見て、ルイズがげんなりしたようにひとりごちる。ルイズは、この巨大都市の生き急いでいる雰囲気がどうしても好きになれなかった。
一方、才人はほぼ一月ぶりに見る「広範囲に広がる街」という景色に一種の懐かしさを感じていた。

「ここがド・ヴュールヌか。何か工場みたいなもんもあるし、確かにここだけ別世界だな。あれって確か高炉だっけ?」

海辺にあるひときわ大きな建物を指しながら、才人がルイズにそう声をかける。
色々思うところはあるが、なんだかんだと言ってもかわいい女の子との二人旅である。満喫せねば損というものであった。

「あんなわけのわからない建物の名前なんて知らないわよ。というか高炉って何?」

突然の突っ込みに、才人は少しうろたえた。「高炉とは何か」などと聞かれて答えられるほど彼は製鉄に詳しいわけではなかった。
才人は、小学生の頃に工場見学で言われたうろ覚えの知識を思い出しながら説明を試みる。

「え? ……いや、俺も詳しくは知らないけど鉄鉱石と石炭から鉄とセメントを作る設備だった気が……」
「ふうん」

ルイズも殊更興味があったわけではないので特に突っ込んだ質問をすることもなかった。
その空気を読んだ才人は、これ幸いと話題をかえることにした。

「これからあの港町に行って船に乗るのか?」

そういって才人は海のほうを指差すと、ルイズが今更何を聞くんだといわんばかりの眼をした。

「は? 違うわよ。あそこにフネが見えるでしょ? あれのどれかに乗って行くのよ。アルビオンは空にあるんだから船舶で行けるわけないじゃない」

そう言って、中心地に近い場所をルイズが指す。そこには、いくつもの翼がついた帆船のようなものが宙に浮いている。
才人は、空飛ぶ船とはまさにファンタジーだなと思った。
しかしああいうのってどうやって浮いているんだろうか。あんな横のちっちゃい羽で飛べるとは到底思えないんだけどと、才人はそんな事を思った。

「あれって何で浮いてるの? やっぱ空飛ぶ石とかそんなものが中に入ってるの?」
「そうよ。風の力が結晶化した風石が中に入ってるの」
「風石? やっぱ空から降ってくるの?」
「ちがうわよ。風石は地中に埋まってるの」
「何で地中に風の力の結晶が埋まってるんだ? 地中に風なんかふかねぇだろ」
「埋まってるんだからしょうがないでしょ。なんかのきっかけで埋まったんじゃない?」

と、今まで激しく口論していたのが嘘のように二人はおしゃべりを始めた。
才人の背中で黙って聞いていたデルフリンガーが、お前ら今まで喧嘩してたんじゃなかったのかと心の中で突っ込みを入れた。
そんな特に意味のない駄弁りを続けていると、上方から風に紛れて乗り手の声が聞こえる。

「ご客人方! もうすぐ着陸態勢に入ります! もしお立ちになっているなら安全のためにご着席ください!」
「初めから立ってなんかないわ! 早く着陸して頂戴!」
「ご連絡感謝します! それでは今から着陸いたしますので、しばらくお待ちください!」

そう言葉を交わすと、竜籠は徐々に高度を下げ始めた。


ルイズと才人を乗せた竜籠は、ド・ヴュールヌの空港に併設された侯爵空軍基地に着陸した。
二人が竜籠から降りると、そこにはいくつもの竜が待機している「竜の巣」とでも呼ぶべき場所であった。
ぱっと見では数が数え切れないほどのドラゴンがひしめいている。
遠目には高い塔の横にさっき見た空飛ぶフネが何隻も付けられている。中には空母のように上が平べったいフネもあった。
才人は、さすがファンタジーの軍隊と息を呑んだ。

「御疲れ様でした。それでは基地へご案内します。詳しい話はそちらで副提督とお話しください」

竜籠を操っていた乗り手が竜から降りると、そうルイズたちに声をかける。
それを聞いた才人が、ふと疑問に思ったことを口に出す。

「副提督? 提督はいらっしゃらないんですか?」
「ええ、提督のド・ヴュールヌ伯は現在魔法学院にいらっしゃいますので」

その発言を聞いて才人は驚いた。ド・ヴュールヌ伯って確かレイナールのことのはずだ。
あいつ確か16かそこらだったはずなのにそんな役職まで持ってるのか。
そういえばちょっと前に「軍事訓練を受けたことがある」と言っていたし、さすが貴族といった所なのだろうか。



ルイズは基地の入り口から程近い応接室のようなところに通され、そこで軍服を着て秘書らしき従者を連れた壮年の副提督と面会した。
才人はいつものように別の場所で待機である。
この調子で才人にやる気を出せというのは無茶だとルイズもうすうす感づいてはいたが、だからといって平民を他家の基地に入れろと言うわけにもいかない。
それに、今ここで才人にいつもの調子で無礼を働かれたらラ・ヴァリエール公爵家の恥になる。到底認められる話ではなかった。

「計画の概要は既に伺っております。まずはトリステインの駐アルビオン大使を捜索・合流して現地の最新情報を入手。
 その後は大使の外交官特権を利用しつつウェールズ殿下を探索し、援軍要請を要請した姫殿下の書簡をお渡しし、返事を携えて帰国する。
 状況次第ではミス・ヴァリエールの責任下において危険の排除や亡命の勧めなどといった対応を臨機応変にとる。
 ――と、概要としてはこのようなものでしょうか」

先ほどの竜籠の乗り手からある程度の話は聞いていたらしく、副提督がそう確認を取る。

「そうね。それで間違いないわ」

ルイズが返答すると、副提督は少し考えるような顔をする。。

「なるほど。もしよろしければ正式な作戦行動の前にこちらで大使とウェールズ殿下の現状を先行調査しておきますが、かまいませんか?」

そして、こう提案してきた。

「え!?」

その思いがけない申し出にルイズは思わず声を上げた。何と言うか、レイナールといい侯爵といい、一族郎党ずいぶんと不自然に気前のいい連中である。

「い……いいの? 本来そういう調査とかは私がやるはずだったのだけれど……」
「かまいません。むしろ帰りにどうやって合流するか計画を打ち合わせするにも先行調査が必要不可欠です。
 封鎖されたアルビオンに赴くとなれば我々にとっても命がけの使命にございます。私どものためにも、許可をいただけると幸いなのですが」
「あ……そうなの? じゃあまあ……無理はしないでいいわよ……」
「かしこまりました」

そういうと、副提督は横に控えていた従者を走らせる。
ルイズは思いがけない話の進展にしばし呆然としていたが、ふと気になったことを口走った。

「……調査ってどうやるの? アルビオンには入れないって聞いたんだけど」と。

副提督は、それを聞いてルイズの方を振り返った。

「まあ、色々試してみるしかありませんね。皆様を侵入させる方法の検討も兼ねてやってみますよ」

そして、丁寧な口調を崩さずにそう答えた。
同時に彼は(ミス・ヴァリエールに潜入工作の経験はないな)と確信し、侯爵空軍と自分の地位を守るためにも余り彼女を作戦の中枢に関わらせないようにしようと決意した。


こうしてルイズと才人はあれよあれよと言う間に状況を整えられ、最早「これは不可能だから中止する」などととても言えない段階まで追い込まれてしまったのであった。



[13654] 第十一話:「通る甘えは甘えじゃない」シーン5(閑話)
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/05/05 19:38
一方その頃、レイナールはラ・ヴァリエール公と面会していた。
とは言え、とりあえずとっかかりは特に難しいこともない。ひとまずは純然たる事実を正直に述べるだけの話である。
すなわち「学院で姫殿下が襲撃された。状況証拠からアルビオンの動乱が原因であろうと判断した」
「ウェールズ殿下の窮状を個人的に知ったルイズが個人的友人である姫殿下に密使による救出作戦を提案し、その密使に名乗り出た」
「姫殿下はこれを採用したが、王家と公爵家の今後を考え公の意見を予め尋ねることにした」
「潜入のカムフラージュ役としてド・ヴュールヌ家が選ばれた」
「急を要するため、学院に在籍している関係者であり、公爵家とも親交のある自分が使者として選ばれた」
といったことを説明するだけであった。

ラ・ヴァリエール公はレイナールの説明を聞きながら状況を整理していた。
眼前の男はばれたら困るような嘘をつく人間ではない。おそらく言ってることは概ね正しいだろう。
少なくとも「公的にはルイズが自分で志願したことになっており、それにド・ヴュールヌ家が協力する」のは間違いあるまい。
それを王家が採用した理由も理解できる。最悪亡命を薦めなければならないような重要な密使には、王族やそれに近しいものを遣わせるのが定石だ。
世間でさほど注目されておらず、かつ両王家の面目が立つ自分の娘はその御飾りにうってつけな人間の一人である。
ド・ヴュールヌが協力する理由もなんとなくだが理解できる。
奴らは「世の中が平和であればあるほど得をする」という奇怪なシステムを作ろうとしている。それを守り、確立させるためなら多少の出血はいとうまい。
とはいえ、侯爵家の子息を使者に立てる訳にはいかない。
特に目の前にいる「馬車より速い乗物に乗るとトリステイン中の間諜が顔色を変える」とまで言われる「絶対に隠密行動ができない人間」を密使にできるわけがない。
彼らにとっても「都合の良い神輿」が欲しいはずだ。
だが、当然ながら「理解できる」からといって「納得できる」わけではない。もちろん「承諾できる」はずもない。
自分を蚊帳の外にして、家族でもあり公爵家の一門でもある娘を勝手に死地に追いやるような話を進めている。
一人の親としても、また公爵としても到底素直に首を縦に振れるような話ではなかった。

「それで、鳥の骨に頼まれて私の首を無理矢理縦に振らせにきたのかな?」
「いえ。確かに拙速を尊ぶために準備こそ並行して行っておりますが、私は先ほど申し上げたとおり公爵閣下のご意志を伺いに参りました。
 何かございましたらぜひとも忌憚ないご意見をお聞かせ願います」

公の問いかけに、レイナールはそう即答した。
彼はここに来る前に父親と合流し、情報の交換を行っていた。つまり、ド・ヴュールヌで民族問題が発生する可能性があることも把握していた。
となれば、この作戦に失敗は許されない。自分の利害が絡む以上ルイズの成功体験が云々などと甘っちょろいことは言ってられない。
個人的な本音を言えば「公爵が反対するのでルイズは作戦から除外」ということになっても一向に構わない、むしろ突っぱねて欲しいとすら考えていた。
もちろん、断るならば代わりの人員くらいは紹介してもらうつもりであったが。

「ほう。つまり最終的な権限は公爵家にあると判断してよいのかな?」
「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢が何の公職にもない以上、彼女に直接命令できる者は公爵閣下のみにございます。
 閣下がどうしても彼女を遣わすことができないと仰るならば、王家としても人選を再考せざるを得ないでしょう。
 危険な使命であることは重々承知しております。『関係者各員は』仮に閣下がそう判断したとしても『異を唱えるつもりは』ございません」
「……ほう? しかしそんな子供の使いのような真似をして、君の名に傷がついたりはしないか?」
「私のような弱卒の名誉など国家の存亡に比べれば同じ天秤にかけようとするもおこがましい瑣末事でしかありません。どうぞお気づかいなく」

レイナールは淀みなくそう答えた。別に嘘をつくのが苦手というわけではないが、交渉事において正直でいられるというのはとても気楽なものであった。

ラ・ヴァリエール公は、あっさりと怒りのやり場を奪われたことに拍子抜けすると同時に「ではどう言うべきか」を考えた。
徹底的にごねるつもりだったのを棚に上げるようだが、ここまであっさり全て預けられるとむしろ断りづらい。
この眼前の男はトリステイン、場合によってはハルケギニア中から注目・監視されているような人間である。
となれば「ド・ヴュールヌ家がラ・ヴァリエール家に何かしらの話を持ちかけた」という噂はそう遠くないうちに世間の耳目に触れるだろう。
事情を知る人間なら「何を話したか」も簡単に推理するはずだ。それに無事成功した暁には王家が事情を公表する可能性もある。
となれば、ここで断るなら対案くらいは出さないと流石に忠誠や能力を疑われかねない。具体的には「より密使に相応しい人物の紹介」だ。
しかし、そんなことをすると「ルイズにはこの作戦は荷が重過ぎる」または「公爵家はルイズを後援する気がない」と宣言したも同然になってしまう。
「関係者は異を唱えるつもりがない」というのは、裏を返せば「詳しく事情を知らない人間を含め、内心どう思うかまでは保障できない」ということだ。
少なくとも、詳しい状況を知らない王宮の連中は社交界でルイズの事を軽く見るようになるだろう。
下手をすると「ルイズは親に見捨てられた」と言う評判が立ちかねない。貴族の女性にとって、それは人生に関わりかねない悪評であった。

「……公爵家も『王家と契約した軍役の一環として』作戦の遂行に協力させてもらう。詳細を知らねば助言のしようもないゆえな。
 我が一門の提案した作戦だ。よもや文句はあるまい」

となれば親としてできることは「公爵家の利を図りつつできるだけ娘に危険が及ばないよう守る」ことくらいだ、そう公爵は判断した。



[13654] 第十一話:「通る甘えは甘えじゃない」シーン6
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/05/08 19:44
トリステインの有力諸侯2家の強力なバックアップにより、予想よりもはるかに早くアルビオンの情報が集まっていった。

そして現在、ルイズは才人とともにド・ヴュールヌ侯爵家が持つフネに乗り込みその艦橋に通されていた。
侯爵家からアルビオンでは基本的に少数での行動となるため現地に降り立つ人間は例外なく情報を共有すべきだと提案があり、才人も会議への参加を許されたのであった。
会議室の上座はルイズが陣取っており、才人はその横に座らされている。
周りに艦長含め侯爵空軍の士官と思しき人間が数人控えており、彼らの手には情報の概要が記された資料が渡されている。
そして、移動式の黒板の前で士官の一人が現時点でわかっている情報を説明し始めた。

「まず、アルビオンの港を制圧した勢力は組織名を明らかにしておらず、あくまでそれぞれの港が独立した理由で封鎖していると主張しております。
 事件の首謀者に関しては現時点で優先度が低いと判断したため未調査の状態です。
 ただし、彼らが封鎖しているのは港だけで空や国境全体に哨戒を飛ばしているわけではないようです。
 そのため、港を経由せずに竜を利用して人里離れた場所に少人数が入国するだけならば比較的容易に行うことができました。
 今回も同様の手段をとる予定です。
 なお、入国に関しては予めアルビオンの駐トリステイン大使に許可を得ておりますので法的には全く問題ありません。
 また、現時点で駐アルビオン大使閣下との接触に成功し、王宮の意図を伝えております。閣下は全面的な協力を約束してくださいました」
「……あの、ちょっといいですか? じゃあ別にルイズが行かなくても後のことは大使に任せれば良いんじゃないですか?」

士官がそういった辺りで、才人が手を上げてそう質問した。
ルイズは何をいきなり変なことを言い出すんだと驚いたが、説明役の士官は特に表情を変えることもなく返答をし始める。

「残念ながら、公職にある人間から何か言えば内政干渉に……まあ、要するに政治的に色々まずいのであくまで『私人の個人的な助言』と言う形にしなければなりません。
 また大使閣下が仰るには現在ウェールズ殿下は王城を脱出し、いずこかに逃亡したとのことです。
 実際、王都では既に市民の噂にまでなっておりました。意図的に流した偽報の可能性もありますが、何かが起こっているのは間違いないようです。
 スカボロー方面に逃走したとの噂がありましたが、詳細は不明です。場合によっては人里離れた地に潜伏している可能性もあります。
 大使閣下のお年を考えると、表立って陣頭指揮をとっていただくのは困難と判断せざるを得ません」
「……ええっと、それは最悪野外をローラー作戦で探していかないといけないって事ですか?」
「可能性はあります。ただ場合によっては港を制圧した勢力も殿下を探索しており、それらとの戦闘が発生する恐れもあります。そのため野外探索が最悪の事態とは言いかねます。
 申し訳ありませんが、勢力の詳細や組織力に関しましては現在調査中です」
「ならば一刻も早く行動すべきよ! スカボローの近くに下ろして頂戴!」

それを聞いたルイズが、意を決したように声を出した。
軍事に関しては余り学んだわけではないが「居城を脱出する」というのがどれほどの異常事態かくらいはわかる。
つまり「城内に味方より敵の方が多い」か「誰が敵で誰が味方かわからない」ということだ。
下手をすると殿下まで暗殺されてしまう危険性がある。最早一刻の猶予もない事態であった。
才人は、何でこいつこんなにやる気なんだと呆れながらルイズを見ていた。とりあえず、戦闘にはならないことを祈るばかりであった。


先ほど士官が宣言したとおり、フネは驚くほど誰にも見咎められずにアルビオンの直近までたどり着いた。
上陸後の行動予定などを話し合うため、ルイズたちは再び艦橋に集められていた。
艦橋の窓には浮遊大陸アルビオンが映っている。
高さ数キロはあろうかと思われる絶壁が視界の端から端まで続いており、その下は白い雲で隠されている。
そしてその崖の上には草木が生え、まるで雲の下こそが幻であるかのようにごく普通の大地が広がっている。
視界の向こうには、崖の先端に作られたお城のような建物がかすかに見える。
テレビでも見たことのない幻想的かつ荘厳な風景に、艦橋からアルビオンを見た才人がただただ圧倒されていた。
ふと横を見ると、机の上に双眼鏡が安置されていた。
好奇心を抑えられなくなった才人は、その双眼鏡で遠くを色々覗いてみたくなった。

「すいません、ちょっとこれ借りますね」

周りの人にそういうや否や、才人は双眼鏡をとって皮ひもを首に下げる。
そして、観光地の展望台でよくやるようにピントを合わせて周囲の景色を見て回った。
周りの士官たちは突然の行動に一瞬あっけにとられたが、才人が当たり前のように遠眼鏡を操作しているのに気付くとすぐに普段の仕事に戻った。
遠眼鏡は軍用品、しかもレンズを組み合わせて作ったかなり高級な精密機械であり、使い方どころか存在すら知るものは少ない。
その使い方に精通しているということはどう考えてもカタギではない。
ルイズの従者であると言うこともあり、意図は不明だがこちらの邪魔にならない限りは好きにさせておこうと判断したのだ。
ルイズも、周りが何も言わないならとやかく言って公爵家の恥を曝すこともないと考え、あえてこの場では何も言わずにいることにした。

そんな周りの心中を知ってか知らずか、才人はあの崖の向こうに見える城のようなものに双眼鏡を向けてピントをあわせていた。
城の内外で人型をしたものがぞろぞろせわしなく動いている。どうやら人が住んでいるらしい。

「なあ、あの城って誰のなんだ?」

才人は双眼鏡から目を外すと、城の方に指をあわせてルイズに問いかけた。

「あの城? ああ……ニューカッスルよ。直轄城だから誰のと言われればアルビオン王家のとしかいえないわね。それがどうしたの?」
「いや、何か人がたくさんいるから何してるのかな~と」
「あんたねぇ、まじめにやりなさいよ」

だが、それを聞いた艦長はすばやく席を立ち横にいた動物に向かって何やら話し始めた。
ルイズと才人が怪訝そうな顔をしていると、傍らに控えていた通信士が突然叫びだした。

「見張り台から通信! 《遠見》で確認したところニューカッスルを数百の軍勢が取り囲んでいる模様!
 また、ニューカッスルにはアルビオン王家の紋章が掲げられています!」

それを聞いた一同は戦慄した。王家の紋章が掲げられているということは王族が城にいるということであり、状況から考えてウェールズ王太子が籠城している可能性が高い。
アルビオンにつくまでの間に、何らかの状況変化が発生したのであろうと推察された。
だが、こんな「公式にはここにいないことになっている」フネでアルビオンの戦闘に介入したら何をどう考えても国際問題である。
現状を確認するためには「一旦人気のないところで降りて徒で戦場に潜入する」ということをしなければならないのだ。
艦橋の士官たちは一言才人に礼を述べると、すぐさまどうするべきか喧々諤々と議論をし始めた。

そんな士官たちを横に、才人はひょっとして自分は自分の墓穴を掘ってしまったのではないだろうかと今更ながらに思っていた。
それが確信に変わったのは、結局ルイズの鶴の一声で「ルイズと才人と有志でニューカッスルに乗り込む」事に決まってからであるが。



[13654] 第十一話:「通る甘えは甘えじゃない」シーン7
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/05/08 19:46
では、その「ルイズと才人と有志でニューカッスルに乗り込む」ということに決まるまでを簡単に説明しよう。

ひとまずニューカッスル城から見えない位置にフネを移動させた後、地上に降り立つ人員としてルイズ、サイトの他男女各一名ずつの侯爵軍士官が搭載されていた竜籠に集まっていた。
ルイズの肩には白い鳩が乗っている。フネにいる通信士の使い魔だそうで、何かある際にはこの鳩に話しかけるようルイズは言われていた。

「私の使い魔はフネにおいておきます。艦から通信ありましたらお伝えしますのでご安心ください。
 こちらの状況は王立空軍に伝えておりますので、ニューカッスルの状況がわかり次第活動が可能でしょう。
 ただ、私の本業は斥候ですので戦力に関しては期待しないでいただけると助かります」

男性士官の方が、やや不安げにそう言った。

「何かあいまいだなぁ。どうやって通信してるのかしらないけど、こういうのって一旦情報を偉い人に集めてそこで判断するもんなんじゃないの?」

才人がそう文句を言う。「緊急時にはどんなに情報網を張り巡らしても情報の混乱が起きる」ということくらいテレビで聞いたことがあるが、それでも文句の一つくらいは言いたくなるものだ。

「司令部ですか? その手法は現在試験段階のため信頼性が低いと判断し本作戦では採用を見合わせました。
 しかし確かにその方式だとここまで判断に迷うこともなかったかもしれませんね」

それに対し、もう一人の女性士官の方が答える。
ぞんざいな平民に対して仮にもメイジが敬語で話しかけるというとても奇妙な光景であったが、それを奇妙と思うのはこの場にはルイズしか存在しなかった。

「……とにかく! ウェールズ殿下がニューカッスルに本当にいらっしゃるのか、そしてそこで何がおきているのか確認しなくちゃいけないわ! 何か策はない?」

ルイズが気を取り直してそう言いながら残りの3人を見渡す。
すると、またもや女性士官が返答し始めた。

「私の使い魔を放ってみます。万一を考えるとこちらの身分がわかるようなものは持てないため我々の身分や目的を伝えることはできませんが……」
「それでかまわないわ。やって頂戴」
「かしこまりました」

ルイズがそういうと、女性士官は目を瞑って籠にもたれかかった。
そして、しばらくするとその女性士官が目を瞑ったまま話し始める。

「どうやら城内にウェールズ殿下がいらっしゃるようです。話を漏れ聞くところによると殿下は脱出の際に追っ手に追いかけられ、この城に急遽立て篭もったとの事です。
 また、取り囲んでいる軍もアルビオン王軍の旗を掲げており、ウェールズ殿下に『王城へ戻って戴冠するよう』要求しています」
「なら話は簡単だわ。外の兵士は殿下を攻撃する逆賊、討ち果たしても問題はないはずよ」
「お勧めできません。過去に戦闘があったとしても現時点では『城に引きこもっているウェールズ殿下を士官が説得している』という状況です。
 この状況でトリステイン人である我々のフネが王軍の旗を掲げた兵士を攻撃したらその時点で戦争です。
 公式にはなんら緊急事態は発生していないのですから、場合によっては我々の陰謀とされる恐れもあります」
「そんなわけないでしょう! 殿下は『追いかけられてニューカッスルに逃げ込んだ』と仰ったんじゃないの!?」
「実情はともかく、後からそういう言いがかりを付けられる可能性は高いと判断せざるを得ません。
 我々の目的は身も蓋もなく言うと『外交上問題ないように内政干渉する』事なのですから、それにそぐわない行動をとることは本末転倒です。
 まずはウェールズ殿下に正式な要請を戴かなければ殿下の『明日』を助ける保障ができません。なにとぞご辛抱ください」

そこまで言われると、姫殿下のために動いているルイズとしてはなんとも言いようがない。
それにまあ、戦闘が発生していないなら確かにそこまで焦ることもなかろう、ルイズはそう自分を納得させた。

「じゃあとりあえずウェールズ殿下にトリステインへの援軍要請をお願いしなさい。今から書状をしたためるわ」

ルイズがそういうと、女性士官が頭を振る。

「申し訳ありません。外の軍勢が上空にヒポグリフを飛ばし、警戒態勢をとり始めました。
 どうやら殿下が外部と連絡を取るのを防ぐつもりのようで、飛んでくる鳥すら撃ち落しているようです。
 密かに書状を運ぶどころか、私の使い魔を戻すことも困難な状況です。下手をするとこちらの存在が気取られます」

どうしようもない状況であった。

ルイズはそれを聞いてしばらく考え込んでいた。目の前に殿下がいらっしゃるというのに、手を出すことすらできない。
そんな顔を伏せて悩むような表情を見せるルイズに、才人が慰めるように声をかける。

「まあ仕方ねぇんじゃねぇの? とりあえずどこにいるかはわかったんだし、後はそれを報告して上の人間に任せちゃえよ。
 こんなところで眉間にしわ寄せて考えたって何にもならねえぜ」

相変わらず無責任な男だとルイズは少しイラッとしたが、確かに悩んでいてもしょうがないのは事実である。
一旦引き返そうかと考えたところで、ルイズはハッと気がついて顔を上げた。

「そうよ、気取られたって良いじゃない! 殿下に返答さえいただければ良いんだから、堂々と行けば良いんだわ!
 公式に何もおこってないならアルビオン兵もおいそれとトリステイン貴族である私を攻撃できないはずよ!」

突然の台詞に、ルイズを除く周りの人間は全員が(こいつは一体何を言ってるんだ)という顔になった。

「おいルイズ、何わけわかんねぇ事言ってるんだ」
「そうです。確かに公式にはそうかもしれませんが、実際には既に戦闘が始まっているんです。
 トリステイン貴族だからといって手出しをためらうとは思えません。むしろ死人に口なしと始末にかかるに決まってます」

そうやって才人や周りの士官もルイズを制止しようとするが、ルイズは自身ありげな表情を崩さずに言葉を続ける。

「いずれにせよ外の連中は私を無視できないはずだわ! そうやって警戒をひきつけておくから、あんたたちは書状を殿下に届けるのよ!」
「……危険ですよ。機会は一度きりです。最悪の場合ミス・ヴァリエールは国からも斬り捨てられてしまうでしょう」
「覚悟の上よ。やって頂戴」
「……了解しました。そこまで仰るなら我々は命令に従うまでです」

こうして、ルイズたちはニューカッスルへと乗り込むことになったのである。ちなみにもちろん才人の意向は完全に無視された。
士官たちも才人を素人とは思わなかったので、ルイズが連れて行こうとすることに対してまったく疑問を持たなかった。


そして現在、ルイズたちは離れたところから竜籠で着地し、街道を通って堂々とニューカッスルを目指した。
道中才人はルイズに「考え直せ」といい続けたが、それによってルイズが行動や態度を変えることはなかった。

「……ったく、何が楽しくてそんなに死にたがるんだよ。死んだらそれでおしまいだぞ」

その強情っぷりに、才人が皮肉げにつぶやく。
すると、それまでろくに返事をしなかったルイズが才人の方を振り返って

「死にたがってなんかないわよ。貴族としてやるべきことがあるなら、それに命を惜しまないだけよ」

と答えた。
才人は(それが死にたがってるっていうんだよ)と思ったが、あえて口には出さなかった。
理屈はよくわからないが、こいつは自分なりに責任というやつを果たそうと思っているようだ。
自分にとってはいい迷惑だが、それはこちらの都合である。自分の都合で他人の責任に文句を言うのは何かおかしい、才人はなんとなくそう思った。
まあ危なくなったらこいつの首根っこ引っつかんででも逃げればいいさと、才人は深刻に考えないことにした。

ニューカッスルは、報告の通り数百の兵士たちによって取り囲まれていた。
とはいえ、岬の先端に位置するというニューカッスルの性質上その数百の殆どは正面に集中している。
包囲網の残りの面はヒポグリフ騎士などのわずかな航空戦力によってのみ構成されていた。
殺気だった軍勢を見たルイズは一瞬ひるむが、すぐに意を決したように前へと進む。
すると、上空のヒポグリフに跨った騎士が即座に降下してルイズたちの前方5メイル辺りの空に立ちふさがる。
才人は、とりあえずどうやって逃げようかなとデルフリンガーの柄に右手を触れながら周りを見回し始めた。

「何者か! ここは恐れ多くもアルビオン王直轄領なるぞ!」

騎士がそう誰何すると、ルイズの横にいた男性士官が予め打ち合わせていたように語り始める。

「控えよ! このお方はラ・ヴァリエール公爵が息女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢なるぞ!
 こちらにウェールズ王太子殿下がおわすと聞いて面会に参った。道を開けられよ!」

城の向こうにも聞こえそうなほどの大声であった。
ラ・ヴァリエール公の名を聞いた周りの兵たちが一瞬ひるむ。
それを見て取った部隊の隊長格と思しき騎士が、兵たちの群れからルイズたちの前に飛び出してきた。

「何用か! 殿下はここにはいらっしゃらぬ! 即刻立ち去られよ!」
「とぼけるのもいい加減にしてもらおう! ならばなぜこのような僻地にこれだけの王軍が展開しているのだ!
 貴国が港を封鎖している所為で我らいつまでたっても帰ることができぬ! 即刻封鎖を解除してもらいたい!
 港の木っ端役人どもでは話にならぬ! せめて王太子殿下に説明してもらわねば到底納得できぬぞ!」

と、士官はあくまで空気の読めていない外国人旅行者を装って中へ通すよう主張した。
だが、騎士はあくまで「ウェールズはここにはいない」と主張し続ける。完全な水掛け論であった。
そうしている間にも、兵たちがルイズたちを注目し始める。これだけ見れば陽動としては成功と言ってもよかった。


しばらくすると、フネから男性士官に使い魔を通じて
「王太子との接触に成功せり。援軍に関してはこの機に乗じて諸侯に反乱討伐の号令をかけたので『諸侯軍集結後にお願いする』と公式の書簡を受け取った」
と通信が入った。
それを聞いた彼はルイズに向き直ると

「お嬢様、これでは埒が明きません。いかがいたしましょうか」

と尋ねた。これは予め決めておいた「王太子から色よい返答がもらえたとき」の合図であった。
ルイズはそれを聞くと、内心の動揺を必死で隠しつつ

「ならいいわ。日を改めましょう。そのうち封鎖も解けるかもしれないし。
 ――それはそれとして、こんなに距離があるなら馬くらい用意しなさいよ。歩かせるとか馬鹿じゃないの?」

と言い放った。そしてアルビオン軍の隊長に向き直り、指を突き立てて

「というわけであんたたち、今日は帰るから馬を貸して頂戴。帰りも歩きなんてごめんだわ」

と当然のように要求した。
なお、最初は打ち合わせどおりの台詞だが「こんなに距離が~」以降はルイズのアドリブである。
というより、ここまで歩いたのがつらかったために本気でこのアルビオン軍たちに馬を借りるつもりだった。
騎士は一瞬あっけに取られたが、すぐに毒気を抜かれたようになり

「申し訳ありませんが、我が部隊に貸せるほどの馬はございません。何とぞご容赦を」

と半笑いになりながら答えた。他のアルビオン兵も何人か笑いをこらえているものがいる。

「仕方ないわね……その辺で借りるわ。じゃあいくわよ?」

そう言うと、ルイズは踵を返してもと来た道を歩き始めた。横にいる才人たち3人も慌ててそれに倣う。

アルビオン軍の兵士たちは、ルイズがいなくなったのを見ると、マヌケなお嬢様もいたもんだとひとしきり笑いあった。
「ルイズたちの不自然さ」に気付き、追っ手を差し向けたのはルイズが去ってから数分後のことであった。



[13654] 第十一話:「通る甘えは甘えじゃない」シーン8
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/05/09 16:17
外を囲んでいたアルビオン軍がルイズたちの違和感に気付いてまず行ったことは、周辺と城内の調査であった。
アルビオンでも軍の中枢にしか知らされていないことだが、ニューカッスルには秘密の隠し港がある。
脱出艇も常備されており、内部の人間は簡単にこの城から脱出することができる。
当然ながらその部分もヒポグリフ部隊や哨戒ガラスに押さえさせてはいたが、そのために哨戒が一般的な包囲より手薄になっていた。
あの小娘一行がわれわれの眼をひきつけた隙に殿下が何かしらの行動をとったたかもしれない。それをまず確認したのだ。
果たして、ニューカッスルにいた伝書用の使い魔がほぼいなくなっていた。
それらがあの隙に解き放たれたのだとしたら、今からヒポグリフで探索したところで全ての捕捉は不可能である。
そもそもヒポグリフ隊は包囲で手一杯である。ここから人員を抜けば今度は殿下本人が脱出する恐れがある。完全な失態であった。

次に行ったことは、先ほどのラ・ヴァリエール公の息女を名乗る小娘たちとその仲間の探索であった。
未確認ながら、ド・ヴュールヌ家のフネがこちらの哨戒の網を潜るようにアルビオン近辺を航行しているのはほぼ間違いなかった。
奴らの中には先王ジェームズの怒りに触れて地位と名誉を奪われたものも多く、密かにアルビオン王家に恨みを抱いているものも多い。
そのため目的は勿論敵か味方かすら判別できなかったが、タイミングを考えれば奴らが一枚かんでいることは間違いないだろう。
敵もさる者で視界内には船影一つ確認できない。
だが、逆に言うと「ここから視界外の位置までさっきの奴らは徒歩を強いられる」ということを意味していた。

これらの状況から、彼らは「先ほどの一行に追っ手を差し向け、拿捕することで情報を聞き出す」という手段をとることにした。
だがヒポグリフ隊を動かすことはできない。偵察用の哨戒ガラスすら包囲網から引き抜くのが惜しい状況なのだ。
仕方なく、次善の策として騎馬メイジ8人が追っ手として向かうことになった。
全員がメイジ、かつ騎乗していることを考えれば2倍という人数は常識的に考えてまず返り討ちにあう事のない数である。
だが、あの時点で気付いていれば上空から確実に無力化できたことを考えれば、初めからケチのついた追跡とも言えた。


一方、ルイズたちは早足で森の間を抜ける見通しの悪い街道を歩き、できるだけ早く合流ポイントへ向かった。
あの程度の猿芝居で稼げる時間など10分もないとド・ヴュールヌの士官たちが判断したからである。

「……ねぇ、追っ手が来るって言うんだったら森に隠れた方がよくない?」

早足に疲れたルイズが、息を切らせながらそう提案する。

「待ち伏せすんのか? まあ確かにあいつら馬に乗ってたからなぁ。気付かれたらあっという間に追いかけられそうだ」

そう言いながら才人はすぐ脇の森を見やる。日本では見たことのない、人の手が入った“林”ではない真の“森”であった。
ここに隠れて馬で追いかけてくる人間を待ち伏せる。想像しただけで嫌気のさす作業である。
とはいえ、このまま走って逃げ続けるというのもそれはそれで絶望的であった。
そんなことを言っていると、女性士官が青ざめた表情をして

「……アルビオン兵が動き出しました。騎士8名がこちらに追っ手としてやってきています。
 我々は森林の素人ですが、このまま道を進んで逃げられるとも正面から戦って勝負になるとも思えません。
 私も待ち伏せ、もしくは隠れてやり過ごすことを提案します」

と告げた。
それを聞いた才人以外の二人も顔を青ざめさせる。
騎乗が許されているということは原則としてメイジ、それも戦闘訓練を受けたメイジである。
それがこちらの2倍以上いるとなれば、勝利どころかまともな勝負になるかどうかすら危うい。
才人も「どうやらやばい状況らしい」ということだけは理解できたので、とりあえず後ろの経験深そうな剣に助言を求めることにした。

「なあデルフ、何とかできねぇか?」
「だから相棒、剣の俺に何を期待してるんだっての。俺にできることは相棒に振り回されることだけだぜ。戦うのはあくまで相棒なんだ。
 心配しなくても相棒が本気になりさえすりゃ単なるメイジが8人くらいなんてことねぇよ。
 とはいえ、流石に一斉に襲われると厳しいかも知れねぇなあ。できれば飛び道具が欲しいところだ。
 なああんたら、弓矢とか出せたりしないか?」

デルフリンガーはそう言った。
相棒が「心の震え」を高めればメイジ8人くらいなら何とかなるだろうが、隊列を作られたり《フライ》など空に逃げられたりしたら流石に刃が届かない。
そういう状況に対応するためにも、保険として射撃武器は持たせておきたいとデルフリンガーは考えたのだ。
デルフリンガーが声を発すると、男性士官の方がはっと我に帰る。

「インテリジェンス・ソード……! まさか貴方は若君様が御探しになられていたデルフリンガー様……!」
「おうよ。それで、出せるのか?」
「我々は〈土〉系統ではないので武器を作ることは無理ですが……ド・ヴュールヌの軍人は万一に備えてナイフとスリングを常備しております。
 よろしければお貸ししましょう。この状況で私がこれを使う機会はなさそうですし」

そう言うと、彼はマントの裏から刃渡り10サント弱の小型ナイフと中央が幅広く織られ片端に輪がついた麻縄のようなものを取り出した。
そして4~5個の直径3サント弱の石とともにそれらを才人に手渡す。横の女性士官も、同じく持っていた石を手渡した。

「治癒の秘薬も携帯しておりますので、必要になりましたら御申し出ください」
「こんなときにこんなこと言うのもなんだけど、あんたたち一体何と戦ってるの……?」

やたら用意のいい士官たちを見て、ルイズが呆れたようにつぶやいた。


追っ手の8人は、ルイズたちが歩いてきたと思しき森の街道を走っていた。
ふと、先頭の一人が馬を止めて仲間に呼びかける。

「おい、森に足跡が続いている。どうやらここで森に入ったらしい」
「何……? なら近辺に潜んでいる可能性があるな。待ち伏せの危険もある。気を引き締め――」

そういったところで、彼らの近辺で小規模な爆発が起きた。ルイズの爆発魔法である。
爆発自体は大したことはない。せいぜい急に大音がしたくらいだ――馬が怯えて暴れだす程度の大音が。

「うわ! 何だ! おい、落ち着け!」

そういいながら、騎士たちは必死に馬を手綱で落ち着かせる。
だが、そんなかれらにどこからともなく石や空気の刃が襲い掛かる。才人のスリングと、女性士官の《エア・カッター》であった。
不意を打たれたこともあり、彼らは次々と手綱を手放して馬から振り落とされた。

とはいえ流石に手数が足りず、騎士2人は彼らに攻撃される前に馬を落ち着かせた。
しかし、彼らにできたのはそこまでであった。

才人は右手のスリングを腕に軽く巻きつけて左手に持っていたデルフリンガーを両手持ちし、馬上の2人を一閃する。
馬を落ち着かせるのが精一杯だった2人は突然現れた才人に反射的に魔法を放つが、虚しくデルフリンガーに吸収されてしまう。
そして、そのままデルフリンガーの一閃で彼らは馬から叩き落された。


爆発魔法の大音量は、ニューカッスルを包囲していたアルビオン軍にも轟いていた。

「報告! 追跡部隊が連中の奇襲を受けました……ぜ、全滅です」

連絡用として追跡部隊に使い魔を同行させていた通信士が、信じられないような顔でそう告げる。
常識では考えられない状況に、兵士たちが浮き足立つ。

その状況を、じっと観察していた者たちがいた。
いわずと知れたニューカッスルの中にいる王太子の勢である。
王太子はこれを好機と城に配置された大砲を敵陣に放ち、さらに敵軍を混乱させると開門して打って出る。
彼は部下を連れ嚆矢のように混乱した陣を突破して敵指揮官へ向かうと、風の刃で一瞬のうちに敵指揮官を討ち取った。
そして、水晶の杖を高々と掲げると、砲の音をもかき消さんばかりの大怒号を発する。


「よく聞け始祖ブリミルの血に仇成す逆賊ども! これが最後の慈悲だ! このウェールズ・テューダーに降れい!」と。


混乱し、さらに指揮官を失い命令のくびきを失った兵たちに、この王者の言に抗うことは不可能であった。
彼らは続々と杖や武器を捨て、ヒポグリフや馬を下りて王太子……いや、新たなる王の前に膝を屈した。

ウェールズは内心ほっとした。
兵の大半は命令に従っているだけか状況がよく理解できていないだけと視てはいたため、この方法でほぼ確実に兵を降せる自信はあった。
だが、それが単なる希望的観測でない保障は実際にやってみるまで得られない。それにやったところで援軍がなければ大した意味はない。
トリステインからの使者がきて、後詰めの期待とアルビオン兵の動揺が得られなければ、ウェールズは未だ迷ったままであったろう。
よくもまああの小さな使者はあれ程危険な賭けに出られたものだと、ウェールズは未だ震えの止まらぬ手を見ながらそう思った。

「おっとこうしてはいられない。誰ぞ、あの使者殿を迎えに行け! 障壁がなくなった今、あのような簡素な応対では申し訳が立たぬ」

ウェールズは、今まで共に城に篭り、今まさに共に城からうって出た腹心たちにそう命令した。



[13654] 第十一話:「通る甘えは甘えじゃない」シーン9(第十一話エンディング)
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/05/09 08:57
その後ルイズはウェールズ王太子と合流し、ニューカッスルで歓待を受けながら事情を伺うことにした。
ウェールズ曰く、今回の一件は父王が諸侯の反乱に対抗すべくアルビオンの中央集権化を強化したことが切欠だという。

「その一環で法衣貴族たちの素行を調査した結果、財務卿が長年にわたって国庫の一部を横領していたことが明らかになった。
 だが、それを知った財務卿はかつての諸侯のように処刑されることを恐れ、子飼いや懐柔していた軍人を使って父王を暗殺したのだ。
 どこまで彼の手が伸びているかわからなかった僕は、恥ずかしながら信用できる側近だけで王城を脱出した。
 このままだとどこかに押し込められた上で傀儡として即位させられそうだったのでね。
 後から知ったことだが、国外の介入を防ぐために税関のルートを通じて港湾封鎖まで行っていたらしい。
 急な割には手際がいいから、あるいは予めクーデターを計画していた可能性もあるね。そういう意味では不正を発見できたのは幸運だったかもしれない」

軽快な口調で、ウェールズがそんな説明をする。
実際の裏事情まで伺い知ることはできないが、少なくとも「公式にはそういうことにしたい」というのは間違いないようだった。

「僕はしばらく諸侯や各地に駐留している王軍に逆賊討伐を呼びかける。軍が編成できた暁にはトリステインにも援軍を頼みたい」

ウェールズがそういうと、ルイズの横に控えていた才人がふと疑問を口にした。

「ええっと……王子様? ――で、いいのかな? まあいいや――
 とにかく、詳しいことはよくわからないんですけど、みんな呼びかけても来なかったり色々言い訳して日和見出したらどうするんですか?」

それは、誰もが思ってはいても口には出さなかった言葉であった。

「ちょっと! 何を無礼なことを言うの!」

ルイズが、焦って才人を怒鳴りつける。だが、当のウェールズはむしろ笑みさえ浮かべていた。

「いや、ミス・ヴァリエール、確かにトリステインとしては確認しておきたい所だろう。港も封鎖され、ろくに連絡もできない状況だしね。
 そうだな……常識的に考えて今月中には討伐軍としての体裁が整うだろう。
 ウルの月末日には自動的に援軍を要請したものと見做していただけると助かる。申し訳ないが、頼めるかい?」
「は、はい! かしこまりました、王太子殿下!」
「助かる。ではそのように約定を交わそう。ミス・ヴァリエール、先ほどの書状は破棄し、特使として改めてサインをお願いしたい」

こうして、ルイズはウェールズを救い、救援の約束を取り付けるという使命を見事果たしたのであった。


財務卿が国王暗殺とクーデターを決行し、王太子がニューカッスルで討伐軍の動員令を発したという報は瞬く間にアルビオンを駆け巡った。
だが、それにやや遅れる形で財務卿が「これは王から玉座を奪い諸侯から権利を奪い取ろうとする王太子の陰謀である」と宣言。
諸侯に「自治の権利と穢れなき玉座を守るための戦い」を呼びかけた。
さらにアルビオンに赴任する大司教の一人オリヴァーが昨今の王家が行った強引な政策を痛烈に非難し、財務卿や諸侯に極めて同情的な声明を発表。
これにより一部の王家に不安感を抱いていた諸侯が呼応、アルビオンはなし崩し的に「王党派」と「貴族派」の二派に分かれた内戦が開始された。
だが、アルビオンは連続する反乱に対抗するように中央集権化の進められていた国家である。
また、同盟国であるトリステインは即座にウェールズ王太子の全面的な支持を表明。
王党派の勢力はあらゆる意味で貴族派を圧倒しており、これが「権益を奪われる地方領主たちの最期の抵抗」であるのは誰の眼にも明らかであった。


アルビオンの内乱にハルケギニアは一時震撼したが、すぐに平常の落ち着きを取り戻した。
ハルケギニアではしょっちゅう戦争がおきている。そして今回の戦争はその枠をはみ出す要素が何一つない。
直接関係ない人間は勿論、援軍として向かうことになっているトリステインの軍人ですら事を深刻に受け止めるものはいなかった。
長くとも春小麦の収獲までには終わるだろう、勲功を立てて恩賞を得よう、そんなことすら考えていた。


実際この戦争は春小麦の収獲を待たずして終了する。そう、あくまでこのアルビオン継承戦争は。



[13654] 番外編:「恥の多い生涯を送って来ました」(閑話・読切)
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/05/20 19:37
註:2000カウントをとった「ee◆54045a39」のリクエストにお応えして執筆いたしました。ご期待に添えたかどうかわかりませんが、ご笑覧くださると幸いです。


王城に戻ったアンリエッタは、マザリーニや閣僚の輔弼(という名の監視)を受けながら今回の一件に関する仕事を行っていた。
一部を具体例としてあげると

「先だっての襲撃事件で活躍した人物たちへの正式な褒章の決定」
「作戦に関係した人物(特にド・ヴュールヌ家とラ・ヴァリエール家)への論功」
「どの部隊をどのような編成で援軍として送るかの決定」
「兵站の確保やアルビオン軍との合流方法」
「過去の歴史を紐解いて『禍根の残らない大義名分』の考案」
「軍を動かすことによる国内諸侯や各国への根回し」
「それらを行うのに必要な費用の計上と財源の捻出」

などである。
実際のところ、姫殿下が直々にやる必要はない仕事もいくつか混じっている。
アンリエッタに「戦争が如何にめんどくさいか」を叩き込むためにマザリーニがわざと混入させたものであった。

「ふう……戦をするというのは大変なものなのね……お爺様は数々の勝利をトリステインにもたらしたというけれども、改めて偉大さを思い知ったわ」

仕事が一段落した頃に、アンリエッタがうんざりしたようにつぶやく。
横で助言を行っていたマザリーニが、またかというような顔をしながら応対をする。

「戦に限らず、国や人を動かすというのは大変なものでございます」
「そうね……女王になるのが今から嫌になってきたわ。母様が頑なに即位を拒んだのも無理ないわね。
 どうせ大抵の貴族は王家の血が流れてるんだから、適当な人間に押し付けてもいいんじゃないかしら?」
「縁起でもない冗談を仰るのはおやめください。真に受けて王位を要求しだす愚か者がいないとも限りません」
「こんな面白くもない仕事を進んでやりたがるなんて、世の中には奇特な人もいるものね」
「世の中カネではないと悟るには金持ちにならねばならぬと言います。要はそういうことなのでしょう」

そんなやり取りを繰り返しながら書類を読み進めていき、ド・ヴュールヌ家からの報告書類に目を通し始めた。
今回、ド・ヴュールヌ家は「フネを供出」「兵員を提供」「嫡男や侯爵本人が直々に出て来る」などと、尋常ではない程の協力体制をとった。
今回の仕事は影働きであり、最悪全く恩賞を出すことができないにも関わらずである。
この件に関して閣僚たちの多くは疑問を抱いていた。
そもそも、ド・ヴュールヌ家は歴史こそ古いものの台頭してきたのはつい5~6年前という家である。
旧家からはずいぶんと警戒されており、王位すら狙っているのではという噂すらある。
特に嫡男であるド・ヴュールヌ伯は予測不能な行動をとることで様々な貴族から畏怖されているらしい。
だが、彼らの関与を提案した当のマザリーニだけは涼しい顔だ。
一体どうしてだろう、アンリエッタはふと疑問に思った。

「そういえば、ド・ヴュールヌ家に関しては余りよい噂を聞きませんわね。あなたは彼らについてどうお思いなの?」

その質問に対し、マザリーニはふむと一息つくとこう返答した。

「ド・ヴュールヌですか? そうですね――わかりやすく扱いやすい者たちです。機嫌を損ねない程度にこき使ってやれば宜しいかと――」


ド・ヴュールヌ家は、数年前まで殆ど誰も注目することのなかった雑多な伯爵家の一つであった。
封土だけは広いがその殆どが不毛の地であることは周知の事実であり、それをもって彼らを羨んだり高く見たりする者はいなかった。
トリステインの実質的な宰相であるマザリーニも、それは例外ではなかった。
伯爵は若いながらも人当たりのよい人物であり、嫡男を神学の修行として自分の下に留学させるなどトリステイン貴族には珍しいタイプだとは思っていた。
弟子となった嫡男のレイナールも歳の割には聡明な人物であるとは思った。
だが、せいぜいその程度であった。

それがただの珍しい連中ではないことに気付いたのは、彼らが領内に運河と水道を作ろうとした時である。
世間ではその計画の壮大さやラ・ヴァリエール家と交わした借款が注目されているが、真に驚愕すべきは「実際に行った資金調達」であった。
彼らは「株式」と称して大量の小口投資を集めたのである。
さらに、彼らは商人たちと巧みに契約することで実際に有する現金をはるかに凌駕する物資を動かした。
もちろん、似たようなことを「徴発」という形で成そうとした為政者は過去に何人も存在した。
だが、ド・ヴュールヌは過去のそれらと違いその後の財政や物価を全く破綻させることがなかった。
ゲルマニアの商人が余計なことをしなければ、おそらく普通の人間は何かがおきていたことすら気付くことはなかったであろう。

それ以降、ド・ヴュールヌは土から迫り出す若葉のように台頭していった。
そうして変化していくド・ヴュールヌを、マザリーニは注意深く見守り、時には身を挺してフォローした。
彼らの活動は閉塞したトリステインに一石を投じるかも知れないと期待していたのもある。
だが、そんなあやふやなもので力を貸すほど彼は甘い人間ではない。
彼はド・ヴュールヌに自由に実験させることにより「先例のない制度がどのような不都合を起こし、それをどのように解決するか」観察したかったのだ。
事実、自らが骨を折ることで市場の発展した都市で起きる基本的な諸問題の解決ノウハウを王家にも蓄積することができた。
ただ、ド・ヴュールヌを見る限りあのような社会システムには巨大な官僚機構が必要不可欠である。
そのような社会を一般的なメイジたちが望むことは今のところないであろうというのがマザリーニの結論であった。

ただ、ド・ヴュールヌをかばったことで何も収獲が得られなかったわけではない。
ド・ヴュールヌをかばうことによって、彼らが逆にマザリーニと門閥貴族の間を取り持つようになったのだ。
いくらド・ヴュールヌ家が元弱小諸侯とはいえ、長らくトリステインに根を下ろしてきた譜代であることに変わりはない。
彼らはマザリーニがろくに持っていない「血縁」を大量に持っているのである。
そんな家が間に立つことで、マザリーニの仕事は格段にやりやすくなった。

また、当代の性格なのかどうかは知らないが、ド・ヴュールヌは非常にわかりやすい行動原理で動いている。
「まずはパンを、パンにはパンを、杖には杖を」である。
自分にも相手にも得になる話を持ちかける。
自分に利を与える者にはそれが続く限り見返りを与える。
害を与えてくる存在に対しては『それが害を与えなくなるまで』杖を振るい、害を与えなくなったら即座に杖を納める。
それを成すためにとる行動の奇妙さに騙されがちだが、大枠で彼らの行動を見ると実はこれを「機械的かつ忠実に」やっているに過ぎない。
事実、貴族たちが彼らを恐れながらも付き合いを続けているのは血縁だけではなく「彼らと交流すれば己に利がある」という実績があるからである。
諸侯たちが気付いているかどうかはともかく、彼らがこの原則を守り続けているからこそ彼らは孤立せずに済んでいるのだ。
それゆえ、マザリーニは世間が警戒しているほどド・ヴュールヌ家の野心を警戒してはいなかった。
それよりはラ・ヴァリエールやグラモンなど他の門閥貴族が反旗を翻す可能性のほうが高い、そう考えていた。



[13654] 第十二話:「鉄を見ること藁の如く」シーン1
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/05/20 19:38
トリステインに帰国したルイズはウェールズから預けられた密書を携え、王城にてアンリエッタと面会していた。

「あなたの働きはとても素晴らしいものだわ! 一体どうやってその功に報いれば良いのかわからないくらい!」

そう言って、アンリエッタはルイズのもたらした予想以上の成果に歓喜の表情を見せる。

「はい……ただ、どうやらアルビオンでの戦争は避けられそうにありませんでした」
「そうね……でもルイズ、それはあなたが気に病むことじゃないわ。どの道避けられない戦いだったのよ。
 それをここまでウェールズ様に有利にすることができたのはあなたの功績だわ。
 ……そうだわ! ウェールズさまとわたくしの結婚式にはルイズ、あなたが巫女となって詔を読んで頂戴!」

アンリエッタは、突然ひらめいたかのように急に話題を変える。

「わ、私が……ですか?」

ルイズは不安げに返答した。
王族の結婚式の際には貴族令嬢が巫女となって『始祖の祈祷書』を手に式の詔を読むことになっている。
それくらいはルイズも知っていたが、それ以上の細かい礼典になるとあまりに煩雑すぎる。
とてもではないが魔法を使えるようになることを第一義に勉強に打ち込んで来たルイズがその片手間に覚えられるものではなかった。
そんな自分が結婚式の巫女などという大役を担って大丈夫なのだろうか。
そもそも、まだ結婚式の日取りも決まっていないというのに少々気が早すぎはしないだろうか。

「ええ、そう! それだけじゃないわ! その『始祖の祈祷書』に加えて『水のルビー』の管理をあなたに任せることにするわ!
 いくら影働きとはいえ、これだけの働きをした功労者に何も与えないわけにはいかないもの! いかがかしら?」

あまりの大任に、ルイズは逆に首を縦に振るのをためらった。「管理を任せる」とは国宝を貸与するのと事実上同義である。
式典に使用するほどの国宝を貸与されるということは、以後それを使用する一切の式典を行うのに自分の承認が必要になるということだ。
そんな式典がどれほどあるのかルイズは全て把握しているわけではなかったが、少なくとも王族の結婚式に介入できることだけはわかっている。
確かに名誉なことであるが、影働きの褒章としては余りに過分ではないかとルイズは思った。
第一自分は学生の身分である。そんな国宝をどこに保管しておくというのだ。

「身に余る光栄ではございますが、私はまだ学生の身でございます。それだけの国宝を安置できる設備など持ってはおりません」
「そのことなら心配しなくても良いわ。どっちも普段から持っておけば良いのよ。
 水のルビーは指輪だから普通に指につけておけば良いし、始祖の祈祷書もそこまで巨大なものではないわ。
 大体、巫女は任命されてから式の直前まで始祖の祈祷書を肌身離さず持って詔を考える伝統だからいずれにせよ同じことよ。
 それに……この恩賞にはあのあなたの従者さんの功績も含まれているの。だから決して過分な褒章ではないわ」
「従者……? ああ、あの使い魔のことですか?」
「ええ。学院で襲撃者の頭目を倒したことから始まり、今回の任務でも様々な功績を立てたと聞いているわ。
 本当なら彼もここに呼んでシュヴァリエの功績をもって報いてあげたいところなのだけれど……平民に栄典は渡せないと閣僚の反対にあったの。
 平民の従者が成した事の功績はその主人のものだということに話がまとまってしまって……彼には一時金を渡すくらいしかできなかったわ」

アンリエッタがそういってすまなさそうな顔をする。要するにこの褒章は自分とサイト二人分の褒章なのである。
閣僚たちもただ見栄や平民に対する偏見だけで反対したわけではない。
平民に栄典や爵位が与えられるようになったらそのうち自分たちの仕事を平民に奪われる可能性がある。
お役目のみが家の収入源である下級役人やそれを自らの派閥に組み込んでいる閣僚にしてみれば、平民が台頭する芽は可能な限りつぶしたいのだ。
とはいえ、その辺の宮廷事情に詳しいわけでもないルイズにしてみれば「サイトの功績を自分が奪った」みたいでなんだか複雑な気分であった。
これからは洗濯とかの雑役は免除してあげようかしらと、ルイズはそんな事を思っていた。


アルビオンで戦争がおきようと、トリステインの日常が変わるわけではない。
いや、極端な話今からトリステインとゲルマニアで戦争がおきようと彼らの生活が変わることはないだろう。
ハルケギニアではそれだけ戦争が日常化しており、まただからこそ国の命運をかけるような総力戦になることは少ない。
地震の多発する地域で地震を恐れる者が少ないように、誰も戦争をそこまで深刻に考えないのである。
ましてや、現時点ではまだウェールズ王太子が財務卿の討伐命令を出しただけである。
その程度でこの世の何かが目に見えて変わるはずもなかった。

今回のアルビオンの戦争に関して、レイナールとその実家が色々怪しげな動きをしていたのはトリステインでも噂になっていた。
さらに、学院ではあの襲撃から数日の間ルイズとタバサが学院を「家の事情で」しばらく休んでいたことが周知の事実となっていた。
それゆえ、フリッグの舞踏会以来初めて全員がそろった「列強会議」は特に人の耳目を集めるものとなった。
もちろん、当の参加者にしてみたら「久しぶりのお茶会」以外の何者でもないのだが。

「……で? 三人とも結局何をやってたの?」

キュルケがタバサ、ルイズ、レイナールにそう詰め寄る。

「家の用事」
「悪いけどツェルプストーに教えられることはないわ」
「アルビオンの港が封鎖されたんで航路の安全確保を手伝わされてたんだよ」

それに対する三者の返答は以上のようなものであった。
キュルケはついっとルイズの横にいる才人に流し目を送る。才人は一瞬ドキッとするも、流石に何が目的か察したため

「悪いけど流石に俺の口からは言えないぜ。つーか俺も詳しいことはよくわかんねぇし」

とごまかした。

「なによ、つれないわねえ……じゃあ話変わるけど、ルイズ、そのぼろっちい本は何?」
「話変わってないわよ」
「あら、じゃあその本は何やってたかと関係があるわけね? 俄然興味がわいてきちゃったわ。ちょっと見せてよ」

ルイズは失言したと一瞬思ったが、祈祷書の方に意識が向いてくれたならまだ幸いである。そう考え、ルイズは観念したように話をすることにした。

「今度行われるウェールズさまと姫殿下の結婚式で詔を読む巫女の役を私がおおせつかったの。
 で、この始祖の祈祷書を式までの間肌身離さず持ち歩いて詔を考えないといけないのよ」

そう言いながら、ルイズは机の上で『始祖の祈祷書』をぱらぱらとめくる。そこには、一切の文字が記されていなかった。

「ああ、色々ややこしいことになる前にさっさと婚姻を済ましたくなったわけね。
 それにしてもこれが『始祖の祈祷書』だっていうの? これなら我が家にある写本の方がよっぽど本物らしいわ」

キュルケが馬鹿にしたようにそう言う。
それまで我関せずと黙って聞いていたモンモランシーだったが、トリステインの国宝が馬鹿にされると多少カチンと来た。
とはいえ、白紙の本などというやる気のないただの紙束をどう擁護すれば良いのかぱっとは思いつかない。

「ミス・ツェルプストー。どれが本物かわからない本の写本なんてもう創作物と変わらないじゃない。それと比べるなんてお門違いも良いところだわ」

仕方なく、こんなピントのぼけた言い返ししかできなかった。
キュルケとしても多少言い過ぎたと反省したので、とりあえず話題を変えることにする。

「それにしても、ルイズはずいぶん珍しいものを持ってるわね。サイトの背中にある剣もインテリジェンスソードでしょ?」
「おっと、姉ちゃん。ただのインテリジェンスソードじゃねぇ。伝説の剣、デルフリンガーさまだぜ」

キュルケの話題転換に空気を読んだ形でデルフリンガーが答える。
だが、キュルケはデルフリンガーといわれても何なのか知らないので「まあとにかくマジックアイテムなんだな」としか思わなかった。

「いいわねえ。私も何かそういう凄いマジックアイテムが欲しいわ。ねえレイナール、何かそういうのが隠されてそうな未踏の遺跡とか知らない?」
「……何で僕に聞くんだい?」
「何の手がかりもないときはとりあえずあなたに聞くのが一番確実だもの」
「君は一体僕を何だと思ってるんだ……じゃあアーハンブラにでも行けばどうだい? エルフが先住魔法で作った業物が流れてるかもしれないよ」
「遠いわね。それに『エルフ製』ってのは自慢するのにちょっとどうかと思わない? お坊さまに怒られそうだわ」
「じゃあリュティス辺りの古道具屋をしらみつぶしに漁るのが一番確実かな。正直きょうび未踏の遺跡なんか探すより、人の多い場所で古物商を訪ねる方が早いよ」
「夢がないわねえ。まあ仕方ないわ。次の虚無の曜日にでも行ってみようかしら。タバサ、シルフィード貸してくれる?」

キュルケがそういうと、タバサは首を横に振った。

「少なくともリュティスはお勧めしない」
「……どうして?」
「今の王様が町中の古物商から古道具を買い占めている。それを潜り抜けて珍しいものを手に入れるのは困難」
「そうなの? あの王様本当に色んな趣味があるのね……じゃあ仕方ないわ。とりあえずトリスタニアで妥協しましょう。タバサも来てくれる?」

キュルケがそういうと、タバサが今度は頷いた。



[13654] 第十二話:「鉄を見ること藁の如く」シーン2
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/05/20 19:40
その日の夕暮れ、キュルケはタバサと一緒にトリスタニアに向かった。
シルフィードの足を使えばトリスタニアまでなら虚無の曜日を待たずとも往復できるとタバサが提案したゆえである。
そしてその日の夜、キュルケは大量の紙束を持ってルイズの元を訪ねてきた。
もちろんルイズの部屋の扉には鍵がかかっていたのだが、キュルケは勝手知ったるなんとやらとばかりに《アンロック》で鍵を開けて侵入する。
才人はいない。確かこの時刻は自家製の釜風呂にでも入っているはずだとキュルケは思い出した。
自分ひとりが風呂に入るために風呂を自作して毎回わざわざ湯を沸かすとかずいぶん暇で贅沢なことするわねと妙に感心した記憶がある。
まあ、今のところキュルケは才人に用などないので別段どこで何をしてようとどうでもいい話であった。

「ねえルイズ、あんた確か古代語が得意だったわよね。これ解読してくれない?」

そういって、キュルケはルイズが不法侵入に文句を言う間もなく厚さ2サントはあろうかという紙束をルイズの前に放り投げる。

「キュルケ! あ、あ、あ、あんたねぇ! 勝手に人の鍵を開けるなって何度言えばわかるのよ! あんまりしつこいと本当に学院に通報するわよ!」
「そんな堅いこといわないで良いじゃない。じゃあとりあえずよろしく」
「よろしくじゃないわよ! 何なのよこれ!」
「あ、やっぱり説明しないとダメ? しょうがないわねえ。古道具屋でオマケにもらった宝の地図と古文書よ」
「オマケって……何買ったの?」
「別に。売り物が気に入らなかったからもっと良いものはないかって聞いたら、それじゃあもう探すしかありませんよって渡されたのよ」

それはオマケではなく厄介払いというのではなかろうかとルイズは思ったが、言っても意味がない気がしたのであえて口には出さなかった。

「で? そんなインチキ極まりないものを何で私が解読しないといけないわけ? 私は詔を考えるので忙しいのよ。タバサにやってもらえばいいじゃない」
「じゃあ気分転換にでもどうぞ。あと流石にタバサに全部やらせるのは気が引けるじゃない?」
「あ、これで全部じゃないんだ……ってそうじゃなくて、私はやらないわよ!」
「あらそう? じゃあ適当に半分くらい置いてくから気が向いたらやっといて頂戴。残りは自分でやるわ」

そういうと、キュルケは強引に1サントばかりの紙束をルイズの机の上において去っていった。
ルイズはなんて人の話を聞かない奴だと憤ったが、正直詔の制作に行き詰っていたのも事実である。
才人が風呂から戻る頃には好奇心と現実逃避の誘惑に負け、ルイズは一番上の文章に目を通していた。


しばらく古代語の文章を読みふけっていると、ノックの音が聞こえた。

「おーい、開けてくれ~」

才人の声であった。ハッとなってルイズは書類の束を机に戻して扉を開ける。
しかし、これではどちらが主人かわかったものではない。
大体何と言うか女子寮に男性を入れ、あまつさえ同じ部屋で一緒に住むというのはいくら平民で使い魔といえどいかがなものであろうか。
ルイズは、今更ながらにそんな事を意識した。

「全く、人が詔を考えるのに一生懸命になっているってのに、いい気なものね」
「んなこといったって、俺も詩なんかわかんねえっての」
「使い魔なんだから、気を利かせてモチーフになりそうなものや文献を探してくるとか色々あるでしょ」
「俺はこっちの字が読めないんだっての」
「じゃあわかったわ。雑役は免除してあげたんだから、とりあえずあんた誰かに字と礼法を教えてもらいなさい。
 ミスタ・コルベールなら多分喜んで教えてくれるわよ。あの人、なんかあんたのする話とか面白がりそうだし」

そういって、とりあえず広げておいた始祖の祈祷書をぱらぱらとめくる。この本に何も書かれていないのはわかっているが、それまでの癖という奴だ。

「その本って、確か白紙なんじゃなかったっけ?」

才人がふと気になってそう尋ねる。別に彼にそれ以上の他意はなかったのだが、ルイズにしてみれば今までサボっていたのを指摘されたような気がした。

「う、うるさいわね! 貴族たるもの無からもインスピレーションを湧かせないといけないのよ! これはきっとそういう意味なのよ!」

とりあえずそういってごまかす。

「はあ……そんなもんなのか? 俺はてっきり何か儀式でもしたら文字が浮かび上がってくるのかと思ってたんだけど……」
「何よそれ? どういう発想したらそんなこと思いつくわけ?」
「いや、日本じゃ――っつってもゲームとか漫画とかの話だけど――曰くのある白紙の本って言ったら『読まれたくない人に読まれないような仕掛けをしている』ってのがよくある話だからさ。
 始祖の祈祷書なんていうし、ひょっとしたら虚無の魔法でも書かれてるんじゃないかって思ったんだけど」

才人はとにかく「自分の世界に帰る」事に関係しそうな情報に敏感になっていた。

「ふうん、でもまああいにくそんな話は伝わってないわね。大体王家に伝わる本にそんな内容が書かれていたら、誰かがとっくに読んでるわよ」

そういうと、ルイズは始祖の祈祷書を閉じた。残念ながら、水のルビーはルイズの懐に大事にしまわれていた。


ダエグの曜日、つまり虚無の曜日を翌日に迎える日の夕方のことである。
キュルケはモンモランシー、ギーシュ、レイナールもいるいつもの茶会の席で宝の地図を広げていた。

「とまあこんなわけで、せっかくだから次の虚無の曜日には宝探しでもしてみたいんだけど、みんなついてこない?」

キュルケが、そう言っていつもの面々を誘う。

「なあ、ミス・ツェルプストー。確か僕は珍しいものが欲しいなら秘境を探すより古道具屋を当たった方が早いと言ったはずなんだが……」
「それでこの地図を見つけてきたんだからしょうがないでしょ? せっかくもらったんだし、暇つぶしくらいには使わないともったいないわ。
 それに、比較的近場みたいよ? ドーヴィルって言ったかしら」

そういって、キュルケは地図と翻訳された文章を広げる。
ドーヴィルとはトリステイン沿岸の街であり、夏の初めごろに海流の影響で沖が七色に輝くことから観光地として賑わっていた。
だが、数十年前に村人全員が死亡するという事件があり、しばらく無人のまま放置されたという曰くがある。
今なお殺された住民の亡霊が彷徨っているといった風な怪談が絶えない場所だ。

「これによると、そのドーヴィルの沖合いに、海を七色に光らせる原因となるマジックアイテムが眠っているらしいわ。
 ちょうど七色に光るのもこの時期らしいし、皆でとりに行かない?」
「死ぬぞ」

キュルケの提案に、レイナールがにべもなく言い放つ。

「何でよ?」
「この時期に素人があの沖に立ち入ったら乱流に巻き込まれる。ましてや海中に入るなんて死にに行くようなもんだ。
 水の精霊に論理が一応は通じる分ラグドリアン湖に潜るほうがまだましだぞ。
 どうしてもやりたいというなら熟練の海の男をチームで雇って、トリステインとゲルマニアに
 『これで死んでも自己責任なので気にしないでください』って書類を提出して受理されてからにしてくれ。あと僕は絶対に行かないから」

レイナールの淡々とした説明に、ギーシュが息を呑む。

「い、いやあ、ぼくもそういう危ない真似を女性にさせるのはいかがなものかと思うね。諦めた方が良いんじゃない?」
「あら、あのギーシュまでそう言うならしょうがないわねぇ。じゃあこれは海が穏やかになってから行ってみるとするわ。
 それならこれはどうかしら? ここにオーク鬼の王と呼ばれる存在が隠したっていう財宝があるらしいんだけど――」

そういって、キュルケは次の地図と書類束を差し出してきた。先ほどの宝の地図は「とりあえず最初に断らせるため」に持って来たもののようだ。
どうやら、今週末はどこかに宝探しに出かけないとキュルケの気が済まないようであった。


結局モンモランシーを含む全員が好奇心やキュルケの押しに負け、才人を含めた7人で日帰り宝探しをすることになったのであった。



[13654] 第十二話:「鉄を見ること藁の如く」シーン3
Name: cielx◆f196b9c4 ID:69d8c541
Date: 2010/05/20 19:46
そして虚無の曜日、とりあえず一番信憑性があると判断した場所を探索することと相成った。
集合時にヴェルダンデがルイズの持っている「水のルビー」に反応してじゃれ付くという事件があったものの、それ以外は特に恙無い出発となった。
とはいえ7人の他に荷物も持っていくとなると、さしものシルフィードといえど運べる限界を超える。
そこで、レイナールが風竜を別邸から持ち出してギーシュや才人といった男衆とその使い魔はそちらに乗ることになった。
男性だけが分けられた理由は別に倫理的なものではない。もっと即物的なものである。
具体的には、レイナールの騎乗があまりにも下手で乗っていると身の危険すら感じるのだ。
風を切るように滑らかに飛ぶシルフィードに対し、レイナールの竜は上下左右にふらふらと不安定に揺れ動く。
とはいえ、竜という生物は騎乗する主を選ぶためレイナール以外が乗るわけにもいかない。
結果、半ば押し付けられるような形で男性陣がレイナールの竜に追いやられたのであった。

「おま、おまえ、なんでこんなに下手糞なんだよ! もっとしっかりやれよ! 落ちるじゃねえか!」

才人が鞍に備え付けられたベルトで体をしっかり固定した状態でそう叫ぶ。これがなければもう数回は落下しているだろう。

「うるさい、気が散る、話しかけるな、落ちるぞ」

殺気を帯びた目をさせ、必死に手綱を握りながらレイナールがたどたどしく返答する。
レイナールは騎乗が非常に苦手である。そもそも独立した感情を持つ生物を扱うことが苦手なのだからどうしようもない。
さらに、ほぼ自動的に「地面や壁の振動を読む」という作業を行っているレイナールにとって空中は非常に不安な環境であった。
例えるなら、片目を塞がれながら三人乗りの自転車で坂道を下るようなものである。
ちなみに、ギーシュは飛行してからものの数秒で《レビテーション》を唱えて集中していたのでそれ以降一切喋ることはなかった。


そんなわけで、現地近くの村へとたどり着く頃には3人ともすっかり疲れ果ててしまっていた。
ルイズたち女性陣は情けない連中だと思ったが、それを口にすると「じゃあ帰りはお前があっちな」と言われかねないので全員黙っていた。
村の人たちが突然やってきた二頭の竜とそれにまたがった大勢の貴族たちに驚き、遠巻きにそれを眺めていた。

「そっちに人を乗せたのは失敗だった」

唯一その危険のないタバサが、ぐったりしている3人を見てそうつぶやく。

「そ、そうね……次というか帰りからそっちには荷物とか……ギリギリで使い魔を載せたほうがいいんじゃない?」

キュルケがそれに同調する。その横では、ヴェルダンデがシルフィードに乗っていたフレイムをなんだか恨めしそうに見ていた。

「何にせよ、この村で情報収集をするんでしょ? ならその間でも休ませたら?」

モンモランシーがそう提案する。
キュルケはそういう面倒なことはレイナールに投げてしまおうと思っていたのだが、どうやらそういうわけにはいかないようだ。
面倒だからといって、ルイズやモンモランシーのような平民と会話ができるかすら怪しい連中に聞き込みを任せると折角の休日を無駄にしかねない。

「しょうがないわね。じゃあとりあえず拠点になりそうなところを探しましょ。
 モンモランシーとルイズはそこで男性陣を看病してあげて頂戴。私とタバサで聞き込みに行くわ」

そういうと、村人たちに振り返り、適当に話のわかりそうな男を見つけ

「連れがダウンしちゃったんで休める場所を貸していただけないかしら?」

と声をかけた。


突如何の前触れもなく現れた貴族たちを前に、村人たちは上を下への大騒ぎで出迎えた。
とりあえず失礼がないようにと、村長がじきじきに出迎えて自らの家へ案内する。
周りの人間も「荷物をお持ちします」だの「お口に合うかどうかわかりませんが、お水をどうぞ」だのととにかく気を使い始める。
その扱いを当然のように享受するルイズたちを見て、やっぱりこいつら偉いんだなぁとぼんやり思っていた。

「ところでご家臣様、皆様方は一体なんだってこんな何もない田舎に来なすったんで?」

村人の一人が、そうやって才人に尋ねてきた。どうやら自分は彼らの従者か家臣と思われてるらしい。
立ち入ったことを直接聞くのが畏れ多いとかそういう奴だろうか、才人はそう考えた。
確かここで目的地に関する情報収集をするって言ってたし、喋ってしまっても良いだろうか。
記憶が確かなら「トリステイン周辺のオークを束ねる王が隠した財宝」だったか。長い間緊張状態だったので思考も記憶も曖昧である。

「この辺にオークとかいう化物の巣があるって聞いたんだけど、こいつらはそこに行くつもりなんだ。詳しい場所を知らないかな?」

とりあえず、才人は当たり障りのないことを聞くことにした。
だが、村人たちは首をかしげる。

「オーク……ですか? そんな化物がおったらもっと村は大騒ぎしておりますよ。この辺は至って平和なもんです。
 まあ、そのかわり行商人も月に一度しか訪れない辺鄙な田舎ではございますが」
「いや、月一で市が立つなら立派なもんなんじゃねぇの? 本当の田舎とか隣村とすら交流がないって聞くぜ?」

才人は半分寝ぼけて聞いていた世界史の先生の雑談を思い出しながらそう言った。

「はあ、そう仰っていただけるとなんだか嬉しゅうございますな。とはいえそういうわけで化物の噂なんてとんと聞いちゃおりませんな」

それを聞いていたのか、キュルケが才人の肩に手を当てて身を乗り出してくる。
才人の背中にやわらかいものが触れた。

「じゃああれよ。『今は退治されたけど昔はいた』とか、そういう伝承が残ってたりしない?」
「そうですね……関係あるかどうかわかりませんが、数百年前はこの辺を別の家の領主様が治めていたそうですな。
 当時の領主様はずいぶん悪かったそうで、この森の奥に別荘をお造りになり夜な夜な人には言えないことをやっていたとかやっていないとか。
 それが原因で領地が傾き領民が困窮したとかで、遠縁であった今のご領主様のご先祖様が隠居させたという話があるそうです。
 そのときにはこの森で戦が行われたらしいですな。ま、本当かどうか私どもでは確かめようもございませんが」

話を聞いていたキュルケは「よくある簒奪の大義名分だ」と思った。皇帝が統一する前のゲルマニアでは似たような闘争が日常的にあったらしい。
とはいえ、もしその別荘や古戦場があるのなら何か面白いものが残っていても不思議ではない。キュルケはもう少し突っ込んで聞いてみることにした。

「ふうん。その別荘って今もあるの?」
「さあ……私どもは見たことがございませんねえ。別荘への道が残っているわけでもございませんし。
 もし本当にあるのでしたら、上空から見れば何か跡くらい見えるかもしれませんけれども。
 ――っと、私どもが言ったというのは内緒にしておいてくださいよ。
 別に口止めされているわけではございませんが、領主様がお聞きになって気をよくする話でもございませんから」
「わかってるわよ。ありがと。ちょっと探してみるわ――タバサ、お願いできるかしら? 殿方が休んでる間に軽く調べておきましょ」

タバサが、こくんと頷いて外に出て行った。


タバサとキュルケがシルフィードで上空から探索をしている間、ルイズとモンモランシーは倒れている男性陣を看病していた。
とはいえ、殆どの世話は村人がやってくれたため基本的には付き添いくらいしかやることがない。
村人の看病にしたって言ってみれば高が「乗り物酔い」にできることなどなく、水とベッドを提供したら後は触らぬ神に何とやらとばかりに部屋を出て行く。
そして必然的にルイズは才人に付き添い、モンモランシーはギーシュに付き添うため、レイナールの横にはマリーシしかいなくなった。
ちなみに、マリーシもレイナールの竜に乗っていたが彼は当然のようにピンピンしている。
もちろんマリーシにレイナールの看病をするという概念はないし、あったとしてもやる気になるとは到底思えなかったが。

「ここしばらくお前らと付き合って思ったのだが……人間というのは脆いな」

マリーシがいつもの無表情でレイナールにそう言う。
レイナールは、億劫そうにベッドから顔をマリーシの方に傾けて返答を試みる。

「……そりゃ君に比べれば大抵の生き物は脆いと思うけど」
「全くだ。お前に死なれたら俺がまた動けなくなるんだから余計なことはしないでくれ」
「そう思うんだったら僕の指示がつまらない作業でも従ってくれないかなぁ。正直君が何もしないよりは僕の生存率が上がると思うんだけど」
「そんなものなのか? まあいい。お前がそう言うならそうしてみよう」

マリーシがそう答えるのを聞くと、レイナールは周りを見回した。
ルイズは律儀に始祖の祈祷書を携帯しているようで、小型の肩掛けバッグを肌身離さず身につけている。
出発時のヴェルダンデの行動から鑑みて、水のルビーも携帯していると見て間違いないだろう。
それが好都合かどうかは別として、おおよそレイナールの読みどおりであった。

今回、レイナールが探索行に協力したのは3つの理由があった。
一つは「ひょっとしたら人知れず眠る『場違いな工芸品』をロマリアに先んじて入手できるかもしれない」ということ、
一つは「ルイズが襲われて始祖の秘宝を奪われるのを防ぐ」ということ、
そしてもう一つは「ルイズを虚無に覚醒させる事も含め、同世代の人間に成長してもらう」ということであった。
これから乱世が始まるのは最早ほぼ疑いようがない。そして世がどう転がるにせよトリステインは確実に戦乱に巻き込まれる。レイナールはそう考えていた。
だが、現時点でトリステインが戦乱に巻き込まれたらかなりの高確率で自分が矢面に立たされることになるだろう。
下手をしたら「若き英雄」として祭り上げられてしまうかもしれない。レイナールはそんな役回りを背負うなど真っ平御免であった。
国の未来のためにも自身の平穏のためにも、同世代の人間、特にギーシュ、ルイズ、サイト辺りには英雄クラスに育ってもらわなければ困るのだ。

とはいえ、ギーシュやサイトをプロデュースするのは良いとしてルイズを虚無に覚醒させるのは多少厄介である。
始祖の秘宝について教えるのは容易い。だがそれは「知っていたことを公表する」のと同義だ。そんな面倒なことはできれば避けたい。
望むなら「自発的に水のルビーと始祖の祈祷書を紐解いて」「自発的に虚無に覚醒」してもらいたいのだ。
さて、どうやってルイズに水のルビーを装備させようかと考えていると、キュルケとタバサが戻ってきた。

「とりあえず屋敷跡みたいなものが見つかったわ。折角だし探索してみたいんだけど、みんないける?」

キュルケがそういうと、ある程度回復したのかそれともそろそろ良いカッコがしたいと思ったのか、ギーシュと才人がベッドから立ち上がる。
レイナールも、彼らに倣って立ち上がった。


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