◇必要な多様性得られる
5月はずいぶんと成田空港にお世話になった。ちょうど今回の新型インフルエンザ騒ぎが大きくなっていくのを成田で実感した形だ。
で、行った先の外国はどうだったかというと−−これは最近よく報道されるようになったが−−確かにマスクは全然していない。アジアはそれなりだが、ヨーロッパなどは全くしていないといっていい。その比較で言うなら、確かに日本は突出している。パリなどでは飛行機を降りた所に箱が置いてあって中に発熱時の連絡先の紙があるだけで、気がつかないと誰も取っていかないという「ゆるさ」だ。
他国ではこんなに落ち着いているのに、日本は騒ぎ過ぎで恥ずかしい−−というような文章も最近よく見かけるようになった。「大変だ」と脅したり「騒ぎすぎ」と水をかけたり、マスコミの時代の風もコロコロ変わって忙しいことだが、その状況を少し引いた目で見て感じたのは「これが国の文化の違いというものなんだな」ということだ。
一義的にはインフルエンザの話は科学の問題。しかし、たとえば、「コップに水がちょうど半分入っている」というのが科学とするなら、それを見て他の人に「もう半分しか残っていない」と伝えるか、「まだ半分ある」と伝えるかが文化なのだろう。
粗っぽく言えば、日本の文化−−というか日本人が一番恐れるのは実際の「危険」ではなく、それに「未知の」がつくことの方だという気がする。普通の季節性インフルエンザが原因で命をなくす人は日本でも毎年1万人ぐらいいるらしいが、そちらは「既知の脅威」だから恐れない。
繰り返しになるが、だから日本のマスクは恥ずかしいといっているわけではない。家に入るとき土足で上がらないのも日本の文化なら、感染症流行時にマスクをしたくなるのも日本の文化だ。ニューヨーク・タイムズ電子版が「マスクに手洗い、日本は偏執狂」と書いたそうだが、「未知」でなく「敵」の脅威を感じたときの米国の対応も、米国以外からは「騒ぎすぎ」に感じられていた。しかしそれも、米国の文化と考えれば理解できなくもない。
科学的に言うなら、文化というのは長いレンジの合理性を維持するためのシステムというとらえ方もできる。人間はつい短期間での合理性に流されやすいからだ。明治時代に西洋から「合理性」が入ってきたとき「鎮守の森」など開発禁忌の土地は非合理だからと開発したら、数年後に土砂崩れとか不作が起こったというような話がある。それは「鎮守の森」が、今の科学で見れば表土の保持など多くの長期の合理性を持っていたからだ。
当時はそれをエコロジーの言葉で説明できなかったから、「やっぱり祟(たた)りはおこる」として次代に継承した。高温多湿で人口密度も高いという日本の国土条件からして、清潔さを大切にする文化的システムは十分な長期の合理性を持つ。
さらに言えば、ニューヨーク・タイムズにはあきれられてしまった日本だが、米疾病対策センター(CDC)をはじめ、世界中の防疫関係者は日本にたまりつつある貴重なデータに高い関心を抱いているはずだ。現代の高度な科学技術を背景に新種パンデミックの過程をこれほどのバックアップ態勢と国民の合意のもとにデータ収集できるとは、とうらやましがられているぐらいかもしれない。
また、日本自身にとってもこの経験は貴重だ。現場は優秀だが、初めての事態に適切に対応できる胆力と想像力を持った指揮官は少ないといわれる日本。米国ならぶっつけ本番で見事な危機管理ができるかもしれないが、日本にとっては予行演習が重要だ。逆にそれさえできれば、適切な対応を磨いていける。
今回の件でさまざまなノウハウが現場から上がり、それはいつか来ると言われている強毒性鳥インフルエンザの変異など「本当の脅威」の時にきっと役に立つ。それで国としての抵抗力が増すなら、まさに今回の新型ウイルス騒ぎは日本という国にとっての生ワクチン接種。「マスクフィーバー」などの「副作用」は我慢の範囲だろう。
抽象的な話をすれば、家畜などでよく知られているが、均質な集団は病原菌で簡単に全部がやられてしまう。生物が単細胞分裂という簡単な方法にとどまらず「性」という高コストなシステムを取り入れたのも、それによって生まれる多様性に防疫上のメリットがあるためという。だから、文化の多様性として、日本のように騒ぐ国と騒がない国のどちらもあってもいい。それによって人類全体としては必要な多様性が得られる。
ところで私が海外でどうしていたかだが、文化は郷に入れば郷に従え。海外では、マスクをしていると感染者と思われて、かえって周囲がいやな目で見る。同調化圧力に弱い日本人としては当然マスクはすぐ外した次第(ちなみに、成田には律義に日本のマスク文化に合わせてくれる逆のアメリカ人もいた)。
航空会社や旅行会社の打撃も見ていてかわいそうになるぐらいだ。「未知」でもなくなってきたし、日本の文化からしてそろそろ「水に流す」頃(ころ)合いかなとも感じている。=毎週日曜日に掲載
毎日新聞 2009年5月31日 東京朝刊
なにか不思議な騒ぎだったな。「三都物語」のキャッチフレーズで大阪・京都・神戸の街は観光客を呼びこんでいる。そこを直撃したかのような感染者数の発表と観光客はおろか、日頃そこで生活している者まで「避難?」したような状態で、街行く人が完全なくらいマスクして往来していたのが、国や県、市の解除宣言によってマスクをとってしまう。29日に久しぶりにJR山陽線に乗車したが、マスク使用者ゼロ!こんなマンガみたいな現象が実際に起こったのだから本当に首をかしげたくなる。
ほんの1週間前、神戸に遠征した高校生が戻った燐県でその生徒や学校を休校させていた。遮断機の上げ下げみたいな今回の措置どこか腑に落ちないものがある。テレビ画像に写る大阪、橋下徹知事は日頃はテレビカメラ目線で常にパフォーマンスを感じるんだが、この騒ぎ中は普通の行政者みたいに原稿を間違いのないよう読んでいたように思った。
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このマスクはアメリカではすごく不思議な光景なんですよ!
はめていれば重病人と思われるだろうし
アメリカでまだ観た事ありません
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いきなり
マスク・・・酒田も誰もしていないのに
お店には、ガーゼのマスクしか売っていません。
インフルエンザ今の内、かかり塾?でした?(笑)
子供が小さな頃は、水ぼうそうとか、おたふく?
今の内に、くださ〜い
と仲良しママ間で言いあったものです(笑)
もっと昔、学生時代に私が一番で風疹にかかった時、
「おめでとう〜貴女はこれで風疹による障害児は生まなくてすむだしょう
皆さんも(女子校でしたから)うつしてもらいなさい。」
と先生がおっしゃったのが、印象に残っています。
●ちびか〜ちゃんさん
日本でもこんな光景そうそうないですよ。
まるでこれにみんながリュックを背負っていた
阪神大震災の時の感じです。
間違いなく異常な反応だったと思います。
●Neko★さん
酒田でもマスク売り切れなんですか。
日本という国は反応が早いです。
酒田祭りは問題なかったんですね(笑)
Neko★さん、そのインフルエンザ今の内かかり塾
は、この間の記事によると関係ないって
書いてたんじゃないですか?
へーっ女子高時代にそんなことがあったんですか?
こちらのマスクはもっと 精巧?なものです。
どちらかというと 患者さんが自分を守る為にかけています。 って同じか、、、。
でもうまくいえないけど日本らしい。
私の住んでる地区ではまったく騒がれてないんで どんな感じかも分かりませんが、アメリカでも 症状がでた区域は いつものフルーとはちがった対処はされていたようです。
でも今回のこのフルー騒ぎ 異常ですよね 世界的にも、、。
テレビの海外ニュースを見る限り、日本で対応
と相当ギャップがあったと思います。
それで空港や港で完全にシャットアウトできるかと
思ったらたくさん関門をすり抜けて、後日、発症した
ケースがたくさんあったようです。