2010-05-20
「女人成仏」を嫌う法華経以前の教え
一、四十余年の諸の経論に女人を嫌う事
華厳経に云く女人は地獄の使なり能く仏の種子を断つ外面は菩薩に似て内心は夜叉の如しと文。
又云く一び女人を見れば能く眼の功徳を失う縦い大蛇を見ると雖も女人を見る可からずと文。
銀色女経に云く三世の諸仏の眼は大地に堕落すとも法界の諸の女人は永く成仏の期無らんと文。
華厳経に云く女人を見れば眼大地に堕落す何に況や犯すこと一度せば三悪道に堕つ文。
十二仏名経に云く仮使法界に遍する大悲の諸菩薩も彼の女人の極業の障を降伏すること能わず文。
大論に云く女人を見ること一度なるすら永く輪廻の業を結ぶ、何に況や犯すこと一度せば定んで無間獄に堕すと文。
往生礼讃に云く女人と及び根欠と二乗種とは生ぜず文。
私はそれぞれの経典を調べた訳ではないのですが、法華経以前の小乗教では「女人成仏」は認められていません。一方大乗教の中には、一応、「女人成仏」が説かれている場合もありますが、この場合も女性の身のままでは成仏できないようです。
法華経提婆達多品第十二にて、竜女が初めて女性の身のままで成仏したと記されています。しかし、どうしても女性が成仏することが信じられない男性のために、わざわざ「変成男子」という手段を用いているようですが。
では何故これほどまで「女性は成仏できない」とされていたのか?それは、当時多くの男性出家者がバラモン出身だったからかもしれません。社会の常識を打ち破ることは、それほど大変だったのですね。
ただ釈尊は女性を全く差別していません。それは、釈尊在世も滅後も女性出家者が多くいたことからも解ります。成仏できるかどうかは、「生まれではなく、振る舞い」で決まるのですから・・・。
御書全編拝読への道
明日からいよいよ「御義口伝」。難しいけど愉しみ・・・