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[18950] 聖夜続幕【装甲悪鬼村正×刃鳴散らす】
Name: 雪月花◆9820a1fa ID:85e90152
Date: 2010/05/20 01:01
【作品について】

□ 当作品は刃鳴散らす+戒厳聖都と装甲悪鬼村正とのクロスオーバー作品です

□ オリキャラはなし

□ 原作設定は可能な限り大切にしていきたいと思っていますが、独自解釈、オリジナル設定も含みます

□ 尺は短めにする予定です

□ 更新は不定期が予想されますが、完結させるつもりでいます




【更新履歴】

2010.5.19 開幕 投稿
2010.5.20 第一幕 投稿



[18950] 開幕
Name: 雪月花◆9820a1fa ID:85e90152
Date: 2010/05/19 18:10
 一陣の風が吹き、一条の光が頬を照らしている。
 あらゆる戦機への超克を期して放たれた己の『魔剣つばめ』は、同質たる対手の『魔剣』を捉えることなく、その対価として己の身肉を食い破る。
 糸を切られたかのように力を失った身体は、当然の帰結として地へと倒れ伏した。
 石造りの床はいかにも不承不承というように、硬く、冷たく、己の身体を抱きとめる。鼓膜を震わすその音は、どこか遠くの世界で響いているかのような心地がした。

 視線が、宙を仰ぐ。
 奇妙な図というべきだろう。たった今、こうして敗北したのは己であり、勝敗はかつての夜の間逆である。
 けれども、倒れた身体はかつての夜と同一のもの。
 それが、どうにもおかしなことであるように思えた。


 急速に力を失いつつある身体をどうにか動かし、あるかなしかの小さな笑みを浮かべる。

「どうだよ。……満足、したのか」

 相手は、こくりと首を頷かせた。――馬鹿者め。
 その不器用さをいとおしく思いながらも、笑みと共に罵った。

「嘘つけ。馬鹿……不満たらたらなんだろうが。
 そりゃそうさ。結局のところ、おれは紛い物のおれだからな。
 ほんもののおれじゃない」

 図星だったのだろう。
 わずかに眉をしかませた相手は、何も口にはしなかったけれども、表情を見るまでもなくその言葉が正しいのだと分かっている。
 所詮、己は限りなく真物に近いだけの偽物に過ぎない。であれば、この敗北もまた偽のもの。

「……ち。まったく、手のかかる野郎だ」

 舌を打つ。
 言葉は罵るように、だがその中には愉快さを込めて。

「ほんとのおれとやり合いたいなら、いつまでもそんなとこに突っ立ってんじゃねぇ。さっさと行くところに行きやがれ。
 どのみちもう時間だ。この街も、もう終わる」

 その光景が、目に映ったわけではない。
 だが、己の身体が血を失いつつあるのとはまた違った所以で、うっすらと消えつつあるのを実感していたし、何より、この都は現世にはあらざる不条理の亡都である。
 ならば、その象徴を失った時点で、夜闇に散っていくのは道理であったことだろう。
 不死の都は、こうして終わりを迎えるのだ。
 そのことをわずかに惜しいとは思ったが、悔やむほどには至らない。さして執着を抱くでもなく、そっと手を伸ばした。

「ほら」

 差し伸べた手が握られる。
 ほんの刹那、絡んだ手と手は、無数の光へと解けていった。
 かつて、はるか昔に振り捨てたはずの郷愁が、今の光景にそっと重なる。
 だが、今はそれに浸るよりもまず、相手へと釘を差してやっておくべきだろう。なにしろ、相手ときたら馬鹿者で不器用者なのだ、あるいはまた黄泉路を迷うやもしれない。
 まぁ、それもまた一興かもしれなかったが。

「今度は間違えんなよ? うろうろ迷ってると、またぞろ変なインチキで引き戻されちまうぞ。もう知らねえからなおれは。
 この先に何があるのか知らねえけどさ……ま、運が良けりゃなんかあるんじゃねえの? なんかあればおれもいるだろ、好きなだけ遊んでもらえよ。
 何もなかったら何もないで、もう悩むこともないってこったから、そう悪くもないんじゃねえ?」

 そう。ただ、それだけの事。

 その程度のことを見つけるために、相手は短くもない旅を続けてきたのである。
 穏やかな相手の表情に、己の意が伝わったことを察すると、消えゆく身体にそっと身を任せる。
 薄れていく視界の中、唯一無二の友の姿を最後に見収め、すっと意識を手放した。









        『聖夜続幕』











 上質な天鵞絨を敷いたかのような夜空に、冴え冴えと浮かぶ一輪の月。
 煌く星はさながら硝子を散らしたかのように空に彩りを加え、見上げる者の目を楽しませる。

 彼が目を開けてまず目にした光景はそれであり、それは同時に、彼の心に無形の感動を呼び起こさせた。
 その感動が何に起因するのかは知らぬ。だが、美しい物を見た人間がそれに対してただ美しいと感じるように、その感動は自然と彼の心にすべり込んできたのだ。

 彼は暫しの間、ただ静寂のみを友としてその夜空を楽しむ。



 やがて、四肢に力が戻り始め、頭に血が通い始めたころ。
 彼は唐突に目を覚ました。








 彼――武田赤音が目覚めた刹那、抱いた感情はそう複雑なものではなかった。
 言葉に起こすならば、せいぜいが二文字で事足りよう。すなわち、『呆れ』という名の感情である。

(伊烏にはああ言っちゃあみたが……まさか本当に次があるとは、思わねぇだろ、普通)

 身体を包む草の匂いに、頬を撫でる夜気。
 視線の先で、木立の中にぽかりと浮かぶ輪の中に夜空が映っているところを見ると、自分はどうやら倒れ伏しているらしい。
 それも、街中というわけではないだろう。
 夜空に浮かぶ星の煌きは街中では拝めないほどに強かったし、何より耳に届くのは虫の音を除いて他にはなかったからだ。とするなら、東京のどこか……という可能性は零ではないにしろ、かなり低いものとみて相違あるまい。

 要するに、自分がどこにいるのかも分からず、どこに行けばよいのかも分からないということである。

 とはいえ、目覚めたものは仕方なく、そして自分がこうしてここにいるのだから、為さねばならないことがあるのも事実だった。
 少なくとも、ここでただ倒れ伏していれば自分の目的が叶う――などと言うことはあるまいし、従って、何もしないという判断は非生産的に過ぎるというものだろう。
 赤音は口元からわずかに呼気を洩らし、勢いをつけて起き上がる。
 その際に、ちらりと視界の隅を見覚えのある薄茶色の影がよぎった。手にとって見れば、それはよく見慣れた己の髪房である。
 はた、と思って自分の身体を見下ろすと、そこには着崩したワイシャツと黒い長穿、女物の朱い小袖を纏った姿があった。どうやら、身体は本来の己のものであるらしい。
 惜しむらくはその腰に、いや、身体のどこにも己が一部となった差料の重みが見当たらぬことであった。周囲を見回した限りでは、草に木立ちという、森の中という言葉が実によく似合う光景以外は何も見当たりそうにない。
 残念なことではあったが、無いものねだりは詮無いことである。首をくくった破産者から金を取り立てようとする暇があるなら、別のことに目を向けたほうがまだしもましというものだろう。

(しっかしまあ……本当、森の中だなこりゃ)

 鬱蒼と生い茂る木の群れが月の光を覆い隠している……などということはなく、それなりに見晴らしは悪くない。
 とはいえ、森は森に変わりなく、その名前すら知らないとあっては、人里に下りる術など分かろうはずもなかった。
 見当もなく歩き回った結果、森の中で朽ち果てて躯を晒す。などということになっては、自分はともかく、どこかにいるであろう伊烏があまりに不憫である。
 となれば、まずは生きてこの森から抜け出さねばならないのだが……。

(右も左も分からないってんじゃな。
 てか、熊やら狼やらが出たりしねえだろうな?)

 刀ひとつで熊を制した剣豪の話を聞いたことはあったが、自分の剣は人殺のためのものある。獣に通じぬとは言わないが、流石に熊や狼を相手取った経験などないから、過信すべきではないだろう。
 そもそも、今の自分の手元には獲物の一つさえないのだから、戦うなどという選択ははなから慮外のことであるのだが。
 つまり、遭遇即撤退である。それが叶うかどうかは置くとしても。
 そして、赤音は獣と駆け比べをして勝るなどという自信は、これっぽっちも持ち合わせはいなかった。

 要するに、苦境である。

 だが、そんな苦境に置かれながらも、赤音はさほど真剣に己が身を案じていなかった。
 別段、自分の命に対する執着がないというのもあったが、最たる理由はそれではない。己がここにいる以上、また伊烏も何処かにあり、そして自分達がいる以上、やがて戦いの場に立つことは決まりきったことである。
 何がしかの誓約を交わしたわけではない。だが、それはすでに定まった運命であり、であるならば、こんなところで己が朽ちるわけがないのだから。
 理屈ではない、余人が聞けば一笑に付すだろう。だが、それは間違いのない事実であるという確信が赤音にはあった。





「さて」

 小さく、口の中で呟く。
 とりあえず、待っていても道案内が現れる様子はなかったので、赤音は自分から歩き出すことにした。
 問題はどこに向かうのかということだったが――まあ、どこでも構うまい。
 空を見上げる。月は今もそこにあり、やや自分から左手の方に浮かんでいた。

「んじゃま、あっちに月が掛かってるから、あっちの方に歩いてみるか」
「いや、いやいやいや! どうなのさその理由?!」

 不意に、背後の方から慌てたような、やかましい声が上がる。
 その声は高く、女のものである――という思考を抱く前に、赤音は咄嗟に前方へ飛翔。縮地は得意分野ではないが、それでも5mほどの距離を一息で稼ぎ、くるりと地面を一転。視線を己の背後へと向ける。
 気を抜いていたとはいえ、自分の背後を取った相手である。油断と共に迎えていいような相手では、断じてなかった。
 どのような達人、魔人の類か、あるいは――と、赤音の脳裏に一人の女の姿が思い浮かべられたが、結果は、赤音の予想の外。

 そこには、驚きの表情を浮かべた見知らぬ少女が立っていた。



[18950] 第一幕
Name: 雪月花◆9820a1fa ID:85e90152
Date: 2010/05/20 00:25
 その夜、茶々丸が一人で外を出歩いていたことはただの偶然だった。
 強いて理由をつけるならば、何となくというのが最も答えに近かろう。

 一人で月下の散策を楽しむ。
 彼女の立場を知る者がそれを聞けば血相を変えて咎めただろうし、あるいは舌なめずりをしたことだろう。自分の両肩にのしかかった職責は、それくらいには重いものであったから。
 とはいえ、彼女の心中にそれを慮る気持ちはない。
 易々と死んでやるつもりは最早無い。だがそれでも、もしも死ぬならば惜しみながらもそれを受け入れただろうし、その結果引き起こされる後の面倒など、それこそ知ったことではない。

 そも、彼女を討ち取れる刺客なぞがここに訪れるとも思えなかった。
 ここは彼女の膝元。この国を統べる六波羅の本拠地、その内の一つである。
 当然、外部の者に対する備えを怠ったことは一度としてないし、そのような囲みを突破して尚、自分の命を害し得るだけの相手からそこまでの恨みを買った覚えはない。
 あるとするなら低脳な、ただ漫然と六波羅の全てを憎しとするようなテロリスト風情であろうが、そのような輩がここまで手を伸ばせるはずもなく。
 仮に伸ばしてきたとしても、その程度の手は茶々丸にとって振り払うことは容易い。もしも何らかの間違いで劔冑を相手取る羽目になったとしても、結果は同じことである。

 つまり、たった今、無防備にすら思える姿を晒している茶々丸はその実、鉄壁にも等しい守りの中にいるのと同様だった。



 自らの身に危険はなく、森の音はどこまでも静か。梢の触れる音や虫の音は煩わしくとも我慢できたし、これだけ離れれば他の人間の声も、そううるさいものではなくなる。
 であるのに、彼女の心は晴れなかった。

 ――まぁ、それも当然のことであるのだが。

 耳を澄まさなくとも、それどころか、耳を塞ごうとも聞こえてくる、声。
 いや、それを声と呼ぶのは、最早、言語に対する冒涜ですらあるだろう。
 脳髄を徹底的に磨り潰し、あぶり焼きにするかのような衝撃、感触。音声と呼ぶにはあまりにも、それは人智を逸脱している。
 知性さえない、ただただ膨大な力を持つだけの、己の意味さえも解さない無色の力があげる雄たけび。
 欲しい。
 欲しい。
 欲しい、と。
 四六時中、どこへ行こうとも人の迷惑も考えずにあげ続けられるそれは、茶々丸の神経を逆撫でして余りあった。

(ああくそ! もうすぐそこから引き摺り出してやるから、いい加減に黙りやがれこの野郎!)

 心中で罵れど、当然のように声が止むことはない。
 分かり切っていたそれに、今更絶望を抱くことはなかったが、笑みと共に受け入れてやれる気にも到底なれぬ。
 結果として、鬱屈とした心を抱えたまま、茶々丸は一人夜道を歩き続けていた。



 その足が、ふと止まる。

(なんだ……?)

 自分の耳が届く範囲に、他の人間はいない。これは先ほどまでの茶々丸が感じていたことであったし、不本意ではあるが、自分の耳には自信がある。聞き漏らすことはまず有り得まい。
 なのに、突然というよりない唐突さで、自分より程近いところに一つの音が現れていた。

(……人?)

 聞く限りでは、それは人の発する音である。
 茶々丸にとって、音が獣の出した音であるのか、人の出した音であるのを聞き分けることは容易いことだ。だが、そんな茶々丸をもってしても、その音が人の発する音であるか否かを判ずることは難しかった。
 人、人のはずである。
 身体的な特徴は、まさしく人のそれ。だが、奇妙なまでの違和感がそこにはあった。

 何もない。
 そう誤解しそうなほどに、その音は静かである。
 人であるならば抱かずにはおれない、様々な感情。怒り、憎しみ、執着といった諸々の感情が、恐ろしいまでに希薄なのだ。

 例えるならば、死者の清さ。
 未練なく死した者がもう何も求めることがないように、その音はどこまでも静謐だった。歯車の上げる音のように、そこには惑いというものがない。
 それが、たまらなく茶々丸の興味を引いた。

 先ほどまで抱いていた鬱屈とした感情が薄れ、未知の者に対する興味が浮かぶ。
 それでも、一応の備えとして茶々丸は気配を消して、音の聞こえる方へと近寄った。


 ――いた。
 月明かりの差す森の中、茶々丸の視線の先で一人の人間が立っている。
 身長は、女性の中でも小柄である茶々丸と比べても、そう違うまいと思える程度。薄茶色の長い髪を、無造作に腰へと流している。
 女物の朱い小袖を纏ったその後姿は女、それも相当の美貌の持ち主であることを想像させた。

 だが。

 茶々丸は自分が抱いた第一印象が、どうにも正しいものだとは思えなかった。
 女性的な後ろ姿は、しかし、恐ろしいほどに隙がない。いや、隙はあるにはある、か細い糸のように薄くとも、そこには緩みのようなものがあるのだ。
 だが、打ち込める気がしない。
 今はまだ気付かれた様子はないが、もしも今、ここで自分が全力で襲い掛かったとしても、間違いなく受け切られる。茶々丸をしてそう確信させる使い手など、この国の中にもそうはおるまい。心当たりはいくつかあるが、そのどれもとこの姿は符号しない。
 そのような人間が、こんな夜の森の中に一人で佇んでいる。どう控えめに言ってみても怪しいとしか言い様がない。

(……刺客か?)

 思わず心の中で呟いたが、このような達人に恨みを買った覚えなどそれこそありはしないし、そもそも、その人物から受ける印象は『刺客』の二語とはあまりに遠い。
 ほっそりとした女性的な後ろ姿は、今も変わらず静謐。刺客であるならば当然そこになくてはならない負の感情を、まるで感じ取ることができなかった。


「さて」

 不意に、視線の先でかの人物がぼそりと呟く。
 それは呟きというにすら小さかったが、茶々丸の耳にはどんな音よりも明確に聞き取れた。
 とくん、と心臓が揺れる。
 どこか女性的な甘さがあるが、茶々丸の耳が正しければその声は男の物、であればこの人物は男性なのだろう。それを思えばその艶やかで女性的な後ろ姿は不合理でさえあったが、そんな思慮は頭の外にある。
 胸に温かい熱が灯り、かつて抱いたことのない感情が、茶々丸の心の中を占めた。
 恐らく、頬もわずかに上気していることだろう。茶々丸はただぼーっと男の後ろ姿を見つめ――

「んじゃま、あっちに月が掛かってるから、あっちの方に歩いてみるか」
「いや、いやいやいや! どうなのさその理由?!」

 ――思わず、男の洩らした言葉に突っ込んでいた。






◇◆◇◆◇






 その少女は、赤音の見つめる先で、何やら驚きを浮かべながら固まっている。
 小柄な体躯に白い肌、長く伸ばした髪の色は金色。ラフな服装に身を包んだその姿は、夜の森の中という状況も合わさって、赤音に一つの言葉を想起させた。

「……絶賛放蕩中の不良娘?」
「違うわい!!」

 赤音の言葉を受けた少女は、面食らったような顔をした後、何やら憤慨したような様子で否定する。
 とはいえ、そのような人種はそういった指摘を受けた際にまずはそう答えるのが常であろうから、その否定にどれほどに意味があるのかは甚だ疑問というべきだろう。
 だが、その点に関して問答を続けることは糠に釘を打つようなものであるから、赤音はひとまず相手の言葉を容れた。
 容れて、けれど人生の先達として、この娘の将来に幸あれと助言をくれてやる。

「じゃあ家出娘か。おれの言えた義理じゃねぇけど、早く家に帰った方がいいぞ、親御さんも心配してるだろ」
「……うっわー……、人の話を聞いてない上に、何やら本当に言えた義理じゃないことをのたまってますよこの人! あては不良でもなけりゃ家出娘でもねぇっ!」
「ふーん」
「しかもまるで信用してないし!」

 ぎゃあぎゃあと喚く少女を、赤音は生暖かい笑みと共に見つめた。
 視線を受けて、少女はうー、と唸り声を上げながら赤音を見返している。見た所、さして珍しくもない少女のように思える。武器を身につけているようにも見えないし、周囲に仲間もいなかろう。
 だが、赤音の心中にはそよとも油断は浮かんでこなかった。
 そんな赤音の様子を察したのか、やがて少女は唸るのを止めると、静かな瞳に赤音の姿を映し、ゆっくりと問いを口にする。

「お兄さん、どこの人?」

 誰何の声に怒りはなく、どこか困惑のようなものが混じっているようにも思える。
 恨みを買ったことなどない、と口にできるほど赤音は厚顔無恥ではなかったから、あるいは自らに復讐を志す何者かとも思ったが、どうやらそういうことではないようだ。
 ならば偶然にどこぞの達人の所領にでも迷い込んだか。それならばまだ言い訳もきこう。

「大したもんじゃあない。ただの、旅の途中の一浪人さ」
「嘘だね」
「……」

 まぁ、事実そうなのであるから、その断定に異議を唱えるのは筋違いではある。
 が、思慮の時間さえもなく断じてくるのは、いささか上手くない。

(逃げるか)

 静かに赤音を見つめ続ける娘の視線を受けながら、心中でごちる。
 別に恥とは思わない。そも、そのような感情そのものが赤音の心からは縁遠い。


「……お兄さん」

 全身から力を抜く。
 素人が見れば脱力の極みと見なし、好機と取るやもしれぬ。だが、脱力こそが最も大きな力を生む体勢であることを赤音は知っていた。 
 その体勢から赤音の足を持ってすれば、空手とはいえ人が相手なら逃げ切ることは不可能ではない。たとえ相手が達人であろうとも。

「あての所に来ない?」
「……なに?」

 予想外の一言に、力ではなく気が抜ける。
 見れば、娘は頬をわずかに染め、恥らうような様子を見せていた。それが演技だというのならば、大したものだろう。
 だからといって、軽々と頷くのは躊躇われたが。

「どういうつもりで?」
「……あての所は最近物騒でね、腕の立つ人がいてくれると、何かと心強いんだ」

(腕の立つ奴……か。そんなものが必要な手合いとも思えないんだが)

 だが、娘が本心から言っているであろうことは、赤音には何となく察せられた。
 その姿に、かつて自分を同じように雇った女の姿が重なる。あるいはこの娘もまた、自分が身を寄せたことで不幸な道を歩むことになるのかも知れぬ。だが、

「いいぜ」

 自分のその思い付きに、別段と興味は沸かなかった。

 赤音の答えを受けた娘は顔に喜色を浮かべている。そんな姿を見ても、赤音の心が震えることはない。
 赤音が気に掛けるとすれば、自分のために役立つか否か、自分の邪魔になるか否かの二点に尽きる。



「へへー、これからよろしくね、お兄さん……っと、そういやお兄さんの名前は?」
「赤音だ、武田赤音。呼ぶ時は赤音でいい」
「あては足利茶々丸。茶々丸って呼んでね、お兄さん」
「……なあ、こういう場合、おれも足利って呼べばいいのか?」

 憮然として言う赤音に、茶々丸はからからと笑うと、ステップを踏むように歩き出す。
 ふん、と息を吐くと、赤音は前を行く茶々丸の背を追い始めた。


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