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[11515]  復讐 (sts×サイボーグ009) 
Name: ジンバブエ◆0efd2f53 ID:d2736d75
Date: 2010/04/16 02:09
この作品はタイトルにもある通り、
リリカルなのはsts(正確にはその四年後くらい)とサイボーグ009のクロスです。

可能な限りキャラ改変にならないように話を進めていくつもりですが、
ストーリーの都合上「飛影はそんなこと言わないッ」状態になるかもしれません。
まあ、そうならないように全力で注意しますが。

設定の詳細は本文で説明しますが、
とりあえず「地下帝国ヨミ編」のラストで、大気圏突入した彼がそのままミッドチルダに
出現した……ということで了承ください。
ちなみに作者は平成版のアニメは観ておりません。
本編に登場する「009」サイドの設定はすべて作者所蔵の「サンデーコミックス」版(+オリ設定)でございます。

なお、sts本編終了から四年後という設定ですが「stsサウンドステージイクス」や「vivid」、「Force」などの設定も完全になぞるものではなく、参考程度に取り入れている程度でしか用いてはいませんので、そこのところもご容赦ください。
つまり、オリ設定やオリキャラがポンポン登場することになります。

あと、作者の趣味として色んな海外ドラマや漫画のキャラを、ゲストキャラとして登場させておりますが、それはいわゆるオマージュというものであり、多重クロスのつもりはありませんので、どうか御理解ください。

ではでは。

(第一回投稿 9/2)
(第二回投稿 9/4)
(第一話文章修正 9/4)
(第三回投稿 9/9)
(第一話文章修正 9/9)
(第四回投稿 9/16)
(第五回投稿 9/19)
(第六回投稿 9/23)
(第七回投稿 10/1)
(第六話文章修正 10/1)
(第八回投稿 10/9)
(第九回投稿 10/25)
(第十・十一回投稿 11/8)
(第十二話投稿 11/20)
(第十三回投稿 12/1)
(第十四回投稿 12/23)
(第十五回投稿 12/29)
(第十六回投稿 1/9)
(第十七回投稿 1/24)
(第十八回投稿 2/14)
(第十九回投稿 2/15)
(第二十回投稿 2/24)
(第二十一回投稿 3/15)
(第二十二回投稿 3/27)
(ペンネーム変更、全エピソードにサブタイトル付加 3/29)
(第二十三回投降 4/15)



[11515] 第一話 「スバルの隣人」
Name: ジンバブエ◆0efd2f53 ID:d2736d75
Date: 2010/03/29 19:19
 もうクタクタだった。
 全身に泥のような疲れがこびりついている。
 スバル・ナカジマは制服を脱ぐことも無く、ばたりとベッドに崩れ落ちた。
ごはん、たべなきゃ……
 そんな思いが頭をよぎるが、もう体が動かない。
 空腹よりも、この疲労の方が耐えがたかった。
 しかし、この疲れは不快ではない。むしろ心地良い疲れであるとも言えた。この疲労の、そもそもの原因となった「労働」の結果によって、スバルは三人の人命を救助することが出来たのだから。
 もし、あの要救助者たちを救い出すことが出来なかったら、今頃は眠るどころか、自己嫌悪と絶望に満ちた長い夜を過ごさねばならなかっただろう。
 瞼の重さに耐えかね、徐々に視覚が闇に覆われる。
ま、いいか……
 着替えも入浴も食事も済んでいない。だが、そんなことはもう、どうでもよかった。
 このまま、肉体が蕩けてしまうような睡眠の中に落ち込んでいく感覚は、彼女にとってたまらなく心地良いものだったのだ。
 

 不意にノックの音が、彼女の耳朶を打つ。
 あまりに突然すぎたその音は、スバルの防衛本能を刺激したのか、気がつけば彼女はベッドの上に飛び起きていた。

「――え、あ、な、なんですか」

 扉の外に人の気配がある。
 おそらくは彼だ。
 スバルの隣に住む、独り暮らしのあの男。
 一応エチケットを守ってくれているのか、許可もなく彼がドアを開ける気配はなかった。


「眠ってたのか……そいつは、すまなかったな。実は、アンタ宛の小包を預かってたんだが、寝ていたのを邪魔したなら謝るよ」


「――あ、いや、大丈夫です。預かって戴いて有難うございました」
 スバルはそのままベッドから降りると、ドアに駈け寄る。――が、ノヴに手をかけて彼女は、はたと立ち止まった。
(やっぱりあたし、いま汗臭いかな?)
 袖口に鼻を当て、くんくんと嗅いでみると、やはり乾燥した汗独特の臭気がほのかに漂う。しかしドアを開けて預かってもらった小包を受け取るだけの用件で、わざわざ着替えるというのも、――なにかこう、自分のキャラではないと思う。
(ま、いいか)
 だからと言って待たせるのも論外だ。

 ドアを開けると、困惑したような男の顔がそこにあった。
 スバルの、明白すぎる寝起きの顔に、気まずい思いをしているのだろう。
「疲れてたところを申し訳なかったな。おれが明日遅番だったらドアに伝言はさんで寝させてやってもよかったんだが、生憎そうじゃないんでな」
 そう言って、彼は手荷物をスバルに渡す。
 受け取ったスバルが伝票を見ると、送り主は姉――ギンガだった。中身の欄には衣類と書いてある。また手編みのセーターでも送ってくれたのだろうか。
「かなり派手に疲れてるみたいだけど、今日も特救は忙しかったのかい」

 そう訊かれた瞬間、先程までの心地良い眠気とともに、彼女の脳裡を占領していた充実感が、ふたたび頭をもたげる。
「はい 今日はまた船舶火災が二件あって……でも聞いて下さい 今日あたし、要救助者を三名も助けたんです」
 子供のように率直な賞賛の要求に、――しかし彼は、そんなスバルを父親のような穏やかな瞳で見つめると、
「すごいな……ナカジマ」
 と呟いて寂しげに微笑し、スバルの髪を優しくなでた。


 スバルは赤面した。


「とにかく、渡したぜ」
 そう言って彼がスバルに背を見せ、自室に入ってしまうまで、彼女は不覚にもその場から微動だにできなかった。




(あたしも、変われば変わるものだよね……)
 寝返りを打ちながらスバルは自嘲する。
 結局スバルは軽く夕食を取り、シャワーを浴びて汗を流してから、改めてベッドに入った。だから、汗臭さも空腹も気にならなくなったのはいいが、今度は眠気が完全に吹っ飛んでしまったのには閉口した。
 目覚し時計をちらりと見ると、もう午前一時だ。
 明日も早番だ。五時には起きねば引継ぎに間に合わない。
 さっさと眠って、少しでも体力を回復させねばならない。
 だが、そう思うほどに、意識はどんどんハッキリしてくる。
(まいったな)
 スバルは溜め息をつくと、また寝返りを打った。

 かつての彼女は、男に髪をなでられて頬を赤らめるような女ではなかった。
 少年のように凛々しい外貌を持つ彼女は、やはりその性格も少年のように初々しく、同年代の女性と比較しても、異性関係には奥手であった。だが、その深層心理に――自分が普通の人間ではない――という引け目があったことも否定は出来ない。
 だから、というわけではないが、やはり今でもスバルは、他人が己に触れることを容易に許さない女であることは間違いない。だから彼女がさっきのような反応を示すのは、彼女が考えつく中では、隣室に住むあの男ただ一人しかいなかった。
「ならば――あなたは彼が好きなの?」
 親友のティアナなら、笑いながらそう訊くかも知れない。
 しかし、スバルはその問いに対する答えを持たない。
 彼に対して自分が抱いている感情の種類が、自分でも分からないのだ。
 ただ、“自分と同じ側の人間”として、余人とは違う同族意識があるのは確かだ。


 彼は、――ジェット・リンクはスバルと同じく、肉ならざる肉体を持つ者であった。


 湾岸警備隊防災課・特別救助チーム。
 それがいまスバル・ナカジマとジェット・リンクが所属しているチームの名だ。
 かつて『奇跡の部隊』と呼ばれた古代遺失物管理部機動六課で、ストライカーとして活躍した彼女も、いまでは念願かなって、一人前の災害担当局員としてここで働いている。
 そして、次元漂流者であった彼を救助したのは、他ならぬスバルであった。
 三年前、真っ赤な服と黄色いマフラーに身を包み、全身数箇所に、いまなお煙さえ吐き出しそうな熱傷を負って海に浮かんでいた彼は、あと半日、スバルによる救助が遅かったならば、おそらく海の藻屑となっていたに違いなかった。
 しかも、救助・保護されてのちも、彼の肉体が重度の生体改造を施されたものであるとの事実が明らかになるや、かつてのJS事件の「戦闘機人」の残党であるかとも思われたが、彼が意識を回復させ、ボディの再チェックを受諾するに至り、その嫌疑は晴れた。ジェットの肉体は、スカリエッティが造り出した戦闘機人とはまったく違う技術とコンセプトによって改造されたものであったからだ。
 
 骨格・筋肉・内臓・皮膚など全身のあらゆる部位を人工物と換装されているところまでは、いわゆる「戦闘機人」と同じであるが、しかし彼の肉体は魔力使用による能力強化をまったく想定しておらず、――にもかかわらず、彼の肉体のポテンシャルは、現ミッドチルダの戦闘機人最高峰たるナンバーズでさえ追随を許さないものだった。
 ジェットの肉体は、超音速での連続飛行どころか自力飛行による重力圏離脱、さらには――驚くべきことだが――海底や宇宙空間などの極限状況でさえも、その活動を可能とするものであったのだ。
 特に、彼の持つ「エネルギー変換炉」と「加速装置」は、ミッドチルダの科学水準でさえも完全なる理解は不可能なメカニズムであり、ジェット本人でさえも、その原理は把握していなかった彼自身は、エネルギー変換炉を「原子炉」と説明されていたらしく、加速装置に至っては原理の説明さえも聞かされていなかったそうだ。

 おそらく彼が死体であったなら、ミッドチルダ中の科学者がハイエナのようによってたかって細切れにし、第一級の研究資料として激しい争奪戦を展開したに違いない。
 だが、――科学者たちにとっては残念なことに――彼は生きていた。
 しかもその装備や彼自身の供述から、ジェットが「戦闘用」の改造人間であることが判明するや、ミッドチルダの科学者はおろか権力者までが慄然となった。なにしろ、奥歯のスイッチを入れてしまえば、ジェット・リンクとの戦闘に耐え得る者など、あまたの世界を管理するミッドチルダに於いてさえ、誰もいないのだから。

 しかしボディはともかく、彼はその精神まで戦闘的な人間ではなかった。
 モルモット待遇も苦笑して拒絶したが、かといって週に一度程度の頻度ならばと、研究機関への出向にも応じた。
 だが、ジェットは何故か「帰りたい」とは言わなかった。
 ミッドチルダに於ける市民権――彼が希望したのは、ただそれだけであった。

 ミッドチルダ中央政府は、原則的には次元漂流者の滞在を認めない。
 帰るべき世界が判明しているならば、本人の意向にかかわらず、「帰国」を強制するのが常である。
 もっとも、たとえジェットが帰りたいと言っても、物理的にそれが不可能であったのも事実だ。彼の故郷――地球は、ミッドチルダが確認するところの「第97管理外世界」ではなかったのだから。

 高町なのはや八神はやてらも、それに対しては口をそろえて証言した。
ジェットの「地球」は、確かに「第97管理外世界」と非常に近しいものであったらしい。彼の語る「地球」の国際情勢や歴史は、「第97管理外世界」のものと、ほぼ同一のものであったからだ。
 だが、ジェットの供述が確かなものだとすれば、彼が次元漂流に巻き込まれた瞬間――つまり彼の「地球」に於ける最後の記憶――はヴェトナム戦争の数年後であったという。ならば、彼の「地球」は「第97管理外世界」と、時間軸的に数十年のズレがあることになる。しかも「第97管理外世界」には、超音波怪獣の出現や黒い幽霊(ブラックゴースト)による世界征服宣言などの事実は存在しなかった。
 いや、そもそも、ジェットの改造に使用されている水準の技術そのものが、「第97管理外世界」には存在しないものであった。

 おそらくは「第97管理外世界」の平行世界の一つであろうと推測される彼の「地球」は、現在に至るまで発見されてはいない。
 しかし、それでも彼――ジェット・リンクは人前で落胆の色を見せていない。
 さすがに三年前、現時点での「帰国」は不可能だと聞いた瞬間には凝然となったが、それでもジェットは――むしろ安堵したような表情で――スバルにこう言ったのだ。

「なら……これでオレはもう、戦わずに済むわけだな」

 スバルは、あのときの彼の表情を忘れることが出来ない。
 彼は言った。
 自分は、世界征服を狙う悪の秘密結社によって誘拐され、改造され、そして戦い続けていたと。そして死闘の結果、その“悪”は宇宙の塵となったと。
 ならば彼には、どうしても「地球」に帰らねばならない理由など、もはや存在しないことになる。

――むしろこの結果は、神様がオレに言ってくれているのかも知れねえ。黒い幽霊(ブラックゴースト)は、もういない。なら、ヤツラと戦うオレたちも、もはや世界には必要ねえ。あとは“どこか遠く”で、ノンビリ羽を伸ばして暮らせってさ。
「もし神様がいたらの話だがな」
 そう言って寂しげに笑ったジェットの瞳には、戦いに倦み、疲れ果てた者だけが持つ、暗い光があった。
 また、その眼光は、彼がスバルなどの想像も及ばぬ死闘の中を潜り抜けてきた事実を、如実に表していた。
 スバルは、思わず尋ねていた。
 あなたの経験してきた戦いとはいかなるものであったのか、と。
 ジェットは、……しばし沈黙していたが、やがてぽつりとこう言った。


「生まれてこの方、愛する者が殺されるのを見続けてきた。
 みんな死んでしまった……みんな……。
 みんなと一緒に僕自身も死んでしまった。僕はもう何十回も死んだのだ。
 もうカラッポになってしまった。もう何も残っていないのだ。
 毎日毎日くりかえしくりかえし生きるために戦う。
――なんのために?」


 スバルは一瞬、ジェットが何を言っているのか分からなかった。
 だが、すぐに気付く。
今の唐突なポエムは、問いであると同時に答えでもあった。
 スバルは確かに、戦闘機人として生を受けた自分自身の宿業を呪った事もある。だが、彼女が戦いを選択したのは、それゆえかと訊かれれば答えは否だ。
「もうカラッポになってしまった。もう何も残ってはいないのだ」
と彼は言った。その孤独はスバルには想像できない。
「毎日毎日くりかえしくりかえし生きるために戦う」
 とも彼は言った。その絶望はスバルには想像できない。
 その表現が比喩であることは分かっている。
 だが、それでも彼にとって、その言葉が紛れもない“真実”であることは、スバルにも容易に理解できる。
 彼女は、自らの迂闊な質問を、消え入りたいほどの羞恥とともに後悔した。

 だが、うつむくスバルに向けてジェットは微笑する。
「オレの台詞じゃないよ。オレの仲間に薦められて読んだ小説にあった台詞さ。はぐらかすようで悪いが、あんたの質問を聞いて、何故かこの台詞が浮かんだんだ」
 そう言って、懐かしそうに目を細める彼に、そのときスバルは何も言えなかった。
 彼女が、ジェット・リンクに奇妙な感情を抱いたのは……おそらくその時からであったかも知れない。



 その後ジェットは、その能力を活かして、管理局の中でも激務で知られる特別救助隊に勤務することを条件に市民権を取得し、その監視者として指名されたスバルは、ジェットの隣人となった。
 無論、彼女に不満は無かった。
 すでに彼がこの世界に敵意を抱いていないことは証明されていたし、監視と言っても形式的なものであったので、スバルも気楽だった。
 何より、このミッドチルダは「捜査協力」という形を取れば、元世界的テロリストのナンバーズでさえ刑期を短縮できるという、おそるべき唯才主義の世界なのだ。そのサイボーグ能力を才能と解釈すれば、ジェットが肩身の狭い思いをするわけも無い。


(はやく……寝なきゃ……)
 回想を打ち切り、何度目か知らない寝返りを打つ。
 だがスバルは、たとえどれだけ寝不足であろうとも、自分が決して寝坊しないことを知っていた。
 明日の早番はジェットと同じシフトだったからだ。
 無論、二人きりではない。
 だが、認めたくは無いが、遠足の前日のような期待感があることは否定できない。
(はやく……寝なきゃ……)
 スバルは、またも寝返りを打った。




[11515] 第二話 「湾岸警備隊ジェット・リンク二等陸士」
Name: ジンバブエ◆0efd2f53 ID:d2736d75
Date: 2010/03/29 19:19
 虚空の闇に浮かぶ魔神像。
 猛禽のような頭部と翼を持つその禍々しいフォルム。そしてなにより、その内部より発散される巨大な闇の気配は、002には間違えようもない。
(ブラック……ゴースト……ッッ!!)

 幽霊島から日本、そしてヴェトナムからギリシャ、果ては地底世界にまで舞台を移しながら、彼らが戦い続けた暗黒組織「黒い幽霊団」(ブラックゴースト)。
――それは、戦争によって利益を得る政治家・高級軍人・企業家・銀行家たちによって結成された組織であり、世界中の紛争内戦をコントロールすることによって死と破壊を、そして更なる利潤を追求するための集団。
 人間の持つ“悪”と“醜い欲望”が具現化したような、おそるべきモンスター。
 彼らゼロゼロナンバーサイボーグとて、そもそもは黒い幽霊(ブラックゴースト)の、来るべき新時代における戦争ビジネス――成層圏核戦争用兵士のテストケースに過ぎなかった。
 それほどの存在であった黒い幽霊団(ブラックゴースト)を、――地下帝国ヨミの消滅という犠牲は伴ったが――彼らは宇宙にまで追い詰めた。そしていま、虚空に漂う魔神像の内部には、彼らゼロゼロナンバー最強の戦士である009が独り、いまなお戦い続けている。

「ッッッ!?」

 その瞬間、魔神像に入った亀裂は、見る間に全身に広がり、そして大爆発とともに魔人像は砕け散った。
 宇宙空間に撒き散らされる大量の破片と残骸。
 その中に紛れるように吹き飛ばされる赤い防護服を002は視認し、追いかけ、そしてその腕を掴む。
 振り返る仲間を強く抱き寄せながら、002は脳波通信を再度送信した。


『ごらんよ009、宇宙の花火だ! 黒い幽霊(ブラックゴースト)の最期だぜ!!』


 宇宙の花火――と自分で形容した002だが、確かに、その虚空に輝く大爆発は、見る者全ての眼を奪うほどの美しさであった。

 だが、それも一瞬のことだ。
 すぐに002は我に返った。
 そして、彼は仲間に報告する。
――地球の引力圏離脱と宇宙空間でのロケット推進にエネルギーを消費しすぎた、と。
――もはや、ふたたび大気圏に突入を試みるだけのエネルギーは残っていない、と。
 ばかな、とばかりに愕然として009は叫んだ。
 自分を放せ、と。キミ一人なら助かるかも知れないじゃないか、と。
 だが、002は笑って答えない。
 いまさら命を惜しむ感情があるなら、こんなところにわざわざ一人でやってくるはずが無いではないか。
――では何故だ。
(オレは一体、何をしにきたんだ?)
 そんな疑問が頭をよぎる。
 だが、002は揺るがない。
 疑問と同時に、彼の脳裡には、ただ一つの回答が走っていたからだ。
(ガス欠はあくまで結果論だ。009を助けるために宇宙くんだりまでやってきたが、――結果、失敗した。ただそれだけだ)
 ならば、002はその事実に後悔を感じていたのか?

 答えは――否だ。

 超能力を使って009を魔神像内部にテレポートさせた001の意図は、009の犠牲を以って黒い幽霊(ブラックゴースト)に、確実なるとどめを刺すことにあった。
 002は、その決断を非情とは思わない。
 003は涙ながらに001の決断を非難したが、しかしそれでも、黒い幽霊(ブラックゴースト)への最後の刺客の任を与えられた009が、己の最期を「非業の死」だなどと感じているはずがないからだ。
 いや、その003からしても、おそらく009の代わりに魔人像に送り込まれていたとしたら、一分の未練も動揺も無く任務を果たし、誇りと共に宇宙の塵になる事実を受け入れたであろう。――無論それは002とて例外ではない。ゼロゼロナンバーサイボーグ全員が共通して抱くはずの想いだ。
 そしていま、ここにいる009は見事、その任務を完遂した。

(だったら、そんな奴を……「オレたちの戦い」を終わらせた者を、一人で寂しく死なせない“任務”の者がいてもいいはずだ)

 そして002は不意に気付く。
 おそらくいま自身の胸の中にいる仲間が009ではなかったとしても――ゼロゼロナンバーの誰であったとしても――彼は神に祈りつつ引力圏を突破し、宇宙にその身を躍らせたに違いない。
 そう思った時には、002は009に言っていた。
 死ぬ時は一緒と誓ったじゃないか、と。
 そして、仲間の手を強く握り締める。

『だっ、だめだっ! だめだぁジェットッッ!! 無駄死にしては――』
 だが002は最後まで彼に喋らせない。
 この期に及んで水臭いことを言い続ける仲間に、彼は微笑する。
『おっともう遅い! 大気圏突入!!』
 灼熱の大気が白い闇となって、彼ら二人のボディを焦がす。
 002は表情一つ変えなかった。



『ジョー! キミはどこに落ちたい!?』



 そこにあるのは闇だった。
 だが、1mm先さえ見通せない、真の闇かと言えば、それは違う。
 カーテン越しにほのかな光が室内を照らしている。
 不意に、気がついた。
 傍らのアラーム時計がけたたましい音を立てている。
(ベルが鳴っていることにも気付かないとはな)
 やれやれ――と呟くと、ジェット・リンクは時計に手を伸ばし、ベルを止めた。
 時刻は午前五時。
 そろそろ起きねばならない時間だった。

 洗面所で顔を洗い、歯を磨く。
 オフの日であれば、ゆっくりとシャワーでも浴びたいところだが、早番出勤の朝までノンビリとは出来ない。ヘアフォームを髪にぶちまけ、いつものように後ろ髪を直線的に伸ばすと、ドライヤーで乾燥させて固定する。
「ふん」
 鏡の前で髪形にチェックを入れ終わると、トースターに食パンを突っ込み、電源をオンにする。パンに焦げ目がつく頃には着替えも終わっているだろう。彼はいまだにネクタイが苦手なのだが、そうも言ってはいられない。
(社会人はつらいね)
 元スラムの不良は心中に呟く。
 アメフトの選手としてスタジアムを走り回っていた頃も、こんな仰々しいモノは身に付けなかった。Tシャツとジーパンで出勤していた、あの頃が懐かしい。

(そういえば……)
 かつて地下帝国ヨミに向かう前夜、日本への集合を告げる使者となった007は、なんとフィールドを走る彼にタッチダウンパスされたフットボールに変身していたのだ。
(あれはたまげたな)
 エンドゾーンまであと少しといったところで、不意に脇に抱えたボールから、
「いい線いってる002。――俺だよ、007さ」
 などと話し掛けられたら、大抵の人間はギョッとなって足が止まるだろう。
 現にジェットも、次の瞬間には数人がかりのタックルを喰らったものだった。
(そんなこともあったな)
 苦笑いを浮かべながらも、――しかし、過去への回想はいつも必ず、ジェットにある特定の疑問を連想させる。

(009は、結局あれから助かったのだろうか……)

 自分が生きている以上、009も死んではいるはずがない。――などと、脳天気なことを言う気はない。ジェットは生きてこそいるが、結局仲間の元には帰り着けなかったのだから。
(いや、それもどうなのかな)
 ジェットが意識を回復させた時、彼はすでにクラナガンの医療施設のベッドにいた。
 気がつけば、この――地球ならざる異次元世界にいたということなのだ。だから彼は、自分が一体どういう過程を辿って、この世界に現れたのかが、まるで分からない。
 むしろ、このミッドチルダが死後の世界であり、自分もすでに死んでいるのではないかという考えすら、かつてのジェットにはあったくらいだ。いや、過去形ではない。いまもなお、彼がその考えを捨てきれないのは歴然たる事実だ。
 無理もないだろう。
 魔法という概念が科学と同レベルで語られ、宇宙開発ではなく次元世界に新たなフロンティアを見出す世界など、リアルと呼ぶには余りにも荒唐無稽なのだから。

 だが、それはいい。
 いまさら地球に帰りたいと切実に願うほどの気力も、ジェットにはない。
 なにしろ彼は疲れていた。心身ともに疲れ果てていた。
 無論、仲間に会いたいと思う気持ちはある。
 だが、このミッドチルダで安穏と生きていけるのなら、敢えてそれを捨てる事もないと思う。

(オレもヤキが回ったかな)
 そう思う。
 ニューヨークで、不良たちのリーダーとしてプエルトリコ系の連中と喧嘩していた頃は――あるいは002を名乗り、黒い幽霊団(ブラックゴースト)と戦っていた頃は――こんな弱気な自分など想像も出来なかったことだろう。
「ふん」
 確かに自分は丸くなったのかもしれないが、まあいいさ、と思うのも事実だ。
 ヤキが回ろうが弱気になろうが、知ったことではない。
 ペシミストの007やニヒリストの004あたりなら、今のジェットを見て皮肉の一つも寄越すかも知れないが「それの何が悪い」と開き直るだけの図々しさも、ジェットは身に付けたつもりだった。

 カッターを着て、ネクタイを締め終わり、スラックスを穿いて、――そして財布から自分のIDカードを取り出してみる。

 ミッドチルダ湾岸特別救助隊二等陸士ジェット・リンク。
 それが、現在の彼の名だ。
“002”は、もういない。
 いや、いる必要がないと言ったほうが正しいか。
 このミッドチルダの社会は、地球とは違う。
 命懸けで殺し合わねばならない“敵”がいない――というだけではない。
 自分たちサイボーグが化物扱いされることもなく、一人の人間としての人権と生存権を与えられ、そのサイボーグ能力を十二分に仕事に活かして賃金を得ることが出来る。現に、隣人であり同僚でもあるスバル・ナカジマ――彼女が自分と同じサイボーグであると聞かされた時は、ジェットは唖然となったものだ。
 さらに、かつてJS事件とやらに於いて、世界を脅かしたマッドサイエンティストの手先になって働いたという、反体制側のサイボーグたちでさえ、捜査協力という名目の元に限定的な社会復帰を果たしていると聞かされれば、まさしく二の句が告げない。そんな連中など、地球なら――少なくともアメリカなら――確実に死刑か終身刑であろう。
 かつての故郷では考えられない話だ。
(あいつらだって、こっちで二週間も暮らせば、地球に帰りたくなくなったとか言い出すかもな)
 そう思いながら、ジェットは焦げ目のついた食パンにバターを塗り始めた。

 

 だが、彼は知らない。
 いま脳裏に思い浮かべた、かつての仲間たちとの再会が、本日数時間後に待っていることを。
 その再会が、彼をしてふたたび“002”へと戻さしめる結果となることを。
 神ならぬジェット・リンクは、その未来をいまだ知らない――。



[11515] 第三話 「ブリード・グレッチェン」
Name: ジンバブエ◆0efd2f53 ID:d2736d75
Date: 2010/03/29 19:20
「あっ、ブリードくんっ!?」
 高町ヴィヴィオは思わず声を上げた。
 ブリード・グレッチェンが見事にスッ転び、受身も取れずに顔面を床に叩きつけるのが見えたからだ。

「ふあ……あああああんっっっ……!!」

 ブリードが顔をくしゃくしゃっと歪め、そして弾かれたように泣き始めるのを見て、ヴィヴィオも溜め息をつき、ポケットからハンカチを取り出しながら彼に駈け寄った。
 まるで子供だ。――といっても外見的には自分と同じくらいの少年なので、子供には違いないのだが、しかし、その年齢であれば、人間はもう少し理性的であってもいいと彼女も思う。
 他の大人が見れば、いかにも子供が言いそうな生意気だと思うだろう。
 だが、思春期の扉をようやく叩き始めた年頃の少女にしてみれば、精神的な成熟度は重要だ。
 そんなヴィヴィオは、先月で十歳の誕生日を迎えたばかりだった。

(ま、仕方ないのかもしれないけどさ)
 今の彼は普通の状態ではない。
 母・高町なのはが、クラナガンの路地裏をうつろな瞳でさまよっていた少年を発見したのが二週間前。
 普通なら然るべき施設に保護を依頼して、それで終わりなのだが、しかし母・高町なのはは、彼を見過ごすことが出来なかった。

 彼が何者かはヴィヴィオには分からない。
 クラナガンの高町家に引き取られてから、彼が話した言葉といえば「ブリード・グレッチェン」という一言だけだ。だからその名が彼の本名なのかどうかも、実のところは分からない。まあ、「ブリードくん」という呼びかけに自然に応じていることからも、それが彼の名前だという、母の判断に間違いはないとヴィヴィオも思うが。
 そして、おそらく彼は次元漂流者であろうとは母は言っており、彼が着る「イングランド」と描かれたロゴ付きのTシャツにちらりと目をやると、その世界がどこであるかも見当はつくとも言っていた。

 ミッドチルダは基本的に次元漂流者の滞在を認めない。
 漂流者の身元が判明し次第、彼らが元いた世界へと「帰国」を強制するのが通例であり、「帰国」の先に何が待っているかまでは考慮しない。それは犯罪者であろうが亡命者であろうが、そして子供であろうが例外は存在しない。
 だが、彼の顔や全身に残る傷痕、さらに他人を見る瞬間の怯えた視線から、元いた世界で彼が一体どのような暮らしを強いられてきたのかも、また一目瞭然であった。
 だからなのだろう。
 母は「一時預かり」という名目で、このうつろな目をした少年を自宅に連れ帰ってきた。
 仔猫や仔犬を放り込まれたダンボールを、いつもスルーできずに困ると苦笑するような母であっても、伊達や酔狂で子供を連れ帰ってきたりはしない。かつてヴィヴィオを引き取った時と同じく、この少年を見て母は、自分が守ってやらねばどうしようもないと判断したのであろう。

 しかし、かつて「不屈のエースオブエース」と呼ばれた母は、いまでも現役の戦技教導官として多忙な日々を送っており、また、この家に住む「もう一人の母」ともいうべきフェイト・T・ハラオウンは、執務官としての任務で長期の出張に赴いたばかりなので、あと半月は帰ってこない。
 結論から言えば、ブリードの世話をするのはヴィヴィオという事になるのが、彼女にとって不満と言えば不満だった。

 ヴィヴィオとてまだ十歳の小学生である。遊びたい盛りの年頃なのだ。貴重な時間を、この見知らぬ少年の世話に取られることに苦痛を覚えないはずがない。
 このブリードが年齢相応のやんちゃさを持ち合わせていたなら、あるいは彼を相手にしても退屈を感じなかったかも知れない。だが、彼は寡黙で、陰気で、その瞳に子供らしい無邪気な輝きが宿ることは、ヴィヴィオが知る限りついぞなかった。
 しかし、いかにブリードが――放っておけばいつまでも部屋の片隅でじっとしているような少年だからといって、彼を放置して遊びにいけるものでもない。
 ヴィヴィオ自身、あの二人の母に救われなかったら、一体自分がどうなっていたかを想像する事くらいはできる。そして、自分を含めたこの「家族」が、彼にとっての救いとなって欲しいと思える程度の優しさは、当然持ち合わせていたのだ。

 だからヴィヴィオは泣きじゃくる少年の涙を拭いて、頭を撫でてやる。
――キミに害意を持つ敵は、ここにはいませんよ。
――だから安心して、気が済むまで甘えていいんだよ。
 彼の耳元で、そう囁いてあげる。
 かつて自分がそうされたように。
 しかし、そういう優しい気持ちとは別に、やはり手のかかるブリードを煩わしく思う気持ちがあるのも、一面の事実ではあった。


 宿題が終わった。
「ふう」
 ヴィヴィオは軽く溜め息をついて、問題集を閉じる。
 結局あのまま泣き寝入りしてしまったブリードをちらりと覗く。
 すこやかな寝息を立てている少年を見て、彼女はちょっと安堵した。
 この少年が家に来て以来、ヴィヴィオはこれまで以上に机に向かう習慣がついた。
 ブリードは、起きている時こそなかなかに手のかかる相手ではあったが、しかし彼はすぐに眠ってしまうクセがあったので、結果的に言えばそれほどトラブルを起こすことはない。しかし、だからといって放置を決め込んで外出するわけにも行かないので、ヴィヴィオの行動は必然的に絞られてしまう。
 根が不真面目な子供だったらゲームにでも没頭したのかもしれないが、結論から言えばヴィヴィオは勉強に勤しんだ。インドアで、もっとも合理的に時間を潰せる「作業」といえば、利発で勤勉な彼女には、やはり勉強の二文字が、最優先で浮かんでくるからだ。

 この「過眠症」ともいうべき彼のクセは、おそらく一日の活動時間を可能な限り短くしようとする、DV経験者の哀しい習性であるのかも知れない――そうフェイトが言っていたのを思い出す。
 ヴィヴィオにとってはもう一人の母とも言うべきフェイトであるが、彼女がその少女時代を、母プレシアによって与えられた苦痛と葛藤の中ですごしていた事実を――当然だが――ヴィヴィオは知らない。


 その時――備え付けの卓上電話が鳴った。


 ヴィヴィオは驚いた。
 無論、彼女がびっくりしたのは、その電話のベルにではない。
 ベルが鳴るのと同時に、ブリードがかっと目を見開いたからだ。
 しかも、何かに驚いたような彼の表情には、かつてヴィヴィオには見せたこともない大人びた“何か”が見えたのだ。
 そんなブリードの様子に、思わずぎょっとして振り向いたヴィヴィオだったが、――しかし、気がついたときは、少年はふたたび瞼を閉じ、何事もなかったかのように寝息を立てていた。

(いまの……なに?)
 電話のベルに驚いた――わけではないと思う。いままで彼が電話のベル音に何か反応を示したという事実はないはずだったからだ。
 だったら、さっきの反応はなんだろう。
 分からない。
 分からないが、――しかし、今は電話に出た方が良さそうだ。液晶の番号表示には「なのはママ(携帯)」と出ている。無意味に居留守を使って母に心配をかけるわけにも行かない。
「もしもし、高町です」
 ヴィヴィオは少年から目をそらすと、胸の中に瞬間的に生じた不安と猜疑を振り払うように、一際大きな声を出した。





『ようグレート、久し振りだな。そっちの首尾はどうだ?』
 
 脳波通信機を介して聞こえて来る声に、007――グレート・ブリテンは思わず心中で顔をしかめた。
『首尾もクソもねえよ。何でこんなタイミングで脳波通信を送って来るんだよ!!』
『何でって……まずかったか?』
 グレートの声に当てられたか、相手の脳波通信が思わず冷静な声になったが、もはや後の祭りだ。あの少女は、子供特有の勘の鋭さを十二分に持ち合わせている。今の一瞬で何かを気付かれた可能性はかなり高い。
 だが、――それでもやはり、今のミスは他人に転嫁できる種類のものではない。誰のミスかと言われれば、やはりおれのミスだろう。グレートはそう思う。

『いや、……まあ、大したことはないだろう。お前からの脳波通信用コールサインと電話のベルが同時に鳴ったもんだから、思わず素でビックリしただけだ。だから――気にしないでくれ』
 もっとも、素に戻ったその瞬間を当のヴィヴィオに見られてしまったなどとみっともない事は報告できるわけもない。
『そうか。……でも、本当に大丈夫なのかグレート? さっきのお前の声はもっと深刻な事態が起こったように聞こえたんだが……』
 くそ、さすがに鋭い野郎だと思いつつ、グレートはおちゃらけて見せた
『なぁに大丈夫さ。あんまりこの家の居心地が良すぎるから、ちょっと気が抜けちまっただけだよ。まあ、たかが子供の監視くらい、気が抜けようが抜けまいが問題はないさ』
『――もう一度聞くぞ。本当に問題はないんだな、007』

 そう尋ねる脳波通信の相手――004ことアルベルト・ハインリヒの声は冷たい。
 彼は常に冷静さを失わない男ではあるが、ともすればその冷静さは冷徹に感じられる瞬間がある。味方としては心強いが、何かを追及する側に回れば、かなり疲れる相手であることは間違いない。
『バカ野郎、おれを誰だと思ってるんだ。天下の名優グレート・ブリテン様だぞ。東ベルリンの元トラック野郎に心配されるほど落ちぶれちゃいねえよ』
 取り繕うように強気なことを言うグレートに、これ以上何かを言う愚を察したのだろう。溜め息と同時に、004は声の調子を戻した。

『分かった。とりあえず用件だけ伝えておく。今日の午後……地球からフランソワーズがこっちに到着する』
『ほう……』
『出迎えには俺が行く。お前は引き続き“任務”を続けてくれ』

(そうか。003も今日こっちに……)
 グレートは眠ったフリを続けながら、脳裡に彼女の姿を思い浮かべた。
“可憐”という言葉を人間にしたような元プリマドンナの美女――003ことフランソワーズ・アルヌール。だが、グレートが最後に見た彼女の姿は、復讐に狂った悪鬼のような形相でスーパーガンを撃ちまくる姿だった。
 そして、その彼女がミッドチルダに到着する、ということは――。
『そうか。じゃあ、……いよいよだな』
『そうだ。001の予知夢に間違いがなければ、お前の“任務”もいよいよ大詰めに差し掛かったってことだ』



『おそらく今週中か来週中、聖王ヴィヴィオに――黒い幽霊(ブラックゴースト)が接触するはずだ』



 その言葉を聞いた瞬間、どんなに気をつけても、無意識の内に血がたぎり、表情が硬くなる。
 当然と言えば当然だろう。
 黒い幽霊(ブラックゴースト)と言えば、彼らゼロゼロナンバーサイボーグが戦い続けてきた積年の宿敵だ。
 そして、奴らとヴィヴィオの接触が、地球に何をもたらすのかも彼は知っている。
 だからこそ、……反射的に引き締まる頬を緩め、今までと同じく、陰気で無気力な少年のままでいなければならない。もし自分がヴィヴィオに警戒されたら、彼女の監視は一気にやりにくくなるからだ。
 グレートが、心に傷を負った子供を装うというあざとい方法を実行してまで、高町なのはの同情を買い、この家に入り込んだのも、すべてはこのため――彼女の養女である高町ヴィヴィオを監視し、接触を図ろうとする黒い幽霊(ブラックゴースト)から護衛するためである。
 舞台で鍛えた演技力と、その演技を100%活かせる変身能力を持つグレート・ブリテン。この“任務”は彼でなければ絶対に出来ない仕事なのだ。

 彼は、数メートル先にいる監視対象――高町ヴィヴィオの気配を窺う。
 無論、寝たフリをしたままだから、よくは分からない。だが、電話口で話す少女の声に、さほどの動揺は聞こえない。
(ごまかせたか?)
 無論、楽観はできない。
 先程のような油断は、もはや絶対に許されないのだ。
 グレートは、脳波通信を再開した。
 もっとも、目と鼻の先にいる少女をごまかしながらの脳波通信に、緊張を覚えるかと問われれば、その答えはNoだ。往年の名優グレート・ブリテンは、その程度の図太さは持ち合わせている自負がある。
 
『わかってる。こっちも気合入れてDV被害者で自閉症のブリード・グレッチェンに戻るよ。フランソワーズに宜しくな』
『了解だ。……しかしな007、前々から言おうと思ってたんだが』
『ん?』
 ハインリヒの声が、何故かそこで、やや笑いを含んだものとなった。
『グレート・ブリテンの偽名がブリード・グレッチェンって……お前、安直過ぎねえか、そのネーミングはよ』

 それが最後の通信だった。
「ごほっ!!」
 言われて初めて気がついたが、確かにハインリヒの言う通りだ。
――などと納得する暇もない。
 予想だにしていなかったツッコミに、吹き出しそうになった息を反射的に吸い込もうとして、グレートは咳き込んでしまったのだ。
 口を手で抑えて丸くなる。しかし、こらえようとすればするほど咳が止まらない。
(あっ、あのやろう……ッッ!!)
『気合を入れなおす』と言ったそばから笑いを堪えきれなかったという、役者としての職業的な屈辱をハインリヒへの怒りに転化しようとした瞬間、グレートは丸めた背中に優しい感触を感じ、思わずびくんと背骨が跳ねた。
 

 その手はヴィヴィオだった。
「ねえブリード君」
 その手は柔らかかった。
「ブリード君は……ひょっとして」
 その手は温かかった。
「わたしたちになにか、隠してる……?」


 表情が凍りつきそうになるのを全力でこらえる。
 痛くなるまで拳を堅く握りしめ、そしてヴィヴィオに振り向く。
 ゆっくりと、おびえた瞳のまま、心を閉ざした一人の少年の空気をふたたび身に纏いつつ、彼――ブリード・グレッチェンはおずおずと少女に振り返る。
 そこにあったヴィヴィオの眼に、猜疑の光はなかった。
 ただ、ひたすらに相手を気遣い、思いやろうとする真っ直ぐな視線は、……まさしく彼女の母親である高町なのはに瓜二つであった。
(なんて眼でこっちを見やがるんだよ、このガキは……)
 グレートにできることはただ、……おびえたように首を振り、その真っ直ぐな瞳から逃げるように、ふたたび背を向けることだけだった。




 サイレンが鳴った。
 次いで、スピーカーから救命指令センターからの出動要請が響きわたる。
 
「緊急指令! 緊急指令! ポイントG198に於いて震度1・5の次元震を感知! 第一種待機中のファーストチームおよびセカンドチーム、直ちに出動せよ! ――繰り返す! ポイントG198に於いて……」

 ジェットは振り返り、コーヒーをデスクに置いた。
(あと一時間で仕事も終わりだってのに……)
 そう思ったが、まさか口に出すわけにも行かない。
 自分と同じく残業の決定したパートナーをちらりと横目で見る。
 さっきまで眠たげな顔をしていたスバルだが、彼女の表情には、すでに弛緩はなかった。
(いいツラしてやがるぜ、まったく)
 心強さを覚えると同時に、ジェットの身の内にも引き締まるものがみなぎってくる。
『了解。セカンドチーム出動します!!』
 凛とした声で、指令センターにスバルが念話で答えるやいなや、彼女はジェットに向けてニッと笑い、
「さあ、行きましょう!!」
 と叫び、ネックレス状のブルークリスタル手にとった。
 ジェットはそんな彼女に背を向けてやる。

 彼女たち女性魔導師は、デバイスを作動させてバリアジャケットを展開する瞬間に、コンマ数秒ではあるが――何故かはわからないが――着衣が全て消え失せ、裸体と見紛う姿になる。しかも本人たちは、その決定的瞬間の恥じらいをまったく持っていないらしいというのが、また意味不明なのだが、これはもう違う世界の常識というしかないので、考察の仕様もない。
 男性魔導師の場合もそうなのだろうかと思ったりもするが、男の場合は、まだその“瞬間”に立ち会ったことがないのでジェットには分からない。まあ、男の裸形を脳内でイメージするほど彼は酔狂ではない。知らぬが仏という言葉も世の中にはあるし、どうでもいい。

 振り向くと、白を基調としたジャケットと、後頭部でリボンのような大きな結びでくくったバンダナ、さらには大きく剥き出された下腹部と、輝かんばかりの生足が目立つスバルがいた。
(相変わらず、ひでえ格好だぜ)
 ジェットは苦笑しながらそう思った。
 バンダナから発散される一抹のガキ臭ささえなければ、もう少しマシになるような気もするが、その一言を彼女に告げる気は勿論ない。なにより、元来ウェストサイド育ちのアメリカ人である彼は、女性のこういう(かなりアンバランスではあるが)慎みのない姿が嫌いではなかった。


 実は最近、震度3以下の小規模な次元震が頻発している。
 次元震なるものは、――その大規模なるものであれば、次元世界の崩壊すら巻き起こすらしい――と聞いてはいるが、しょせん地球人のジェットにしてみれば「次元世界の崩壊」などと言われてもピンと来るはずもない。
 彼が知っているのは、大規模ならぬ小規模の次元震は、次元世界間の小規模移動によって起こる、余波のような現象であるらしいということだけだ。
 次元世界間の小規模移送――それはつまり、彼自身と同じく“神隠し”にあった者(もしくは物)がそこに存在するということだ。しかし、逆に言えばそれは密輸や密入国、違法投棄などの付随現象であるケースも多く存在する。
 現に最近では、小規模次元震の現場に駆けつけても、“神隠し”の犠牲者どころか猫の子一匹見かけない場合が多い。明らかに何者かが、何らかの意図を持ってこのミッドチルダに“何か”を送り込んだ証拠なのだそうだ。
つまり今回の小規模次元震で、その連中の首根っこを捕まえないと、いい加減マズイという事なのである。

 
 救命指令センターから通達のあった、ポイントG198という地点は、クラナガンの海上20キロほどの沖合いに存在する。
 ウィングロードの上を疾走するスバルの隣を飛行しながら、ジェットは自らのコールサインを名乗り、救助活動の後方指揮をとる本部に脳波通信を送った。

『こちらソードフィッシュ2。指令センター、現場の状況を送ってくれ』

 本来なら魔法の使えないジェットだったが、脳波通信機の周波数を多少いじることで、現在は念話の傍受・送信が可能になっていた。
 もっとも、災害救助の基本はチームワークにある。緊急時の遠隔コミュニケーションが取れなければ、たとえ改造強化された肉体を所有していようが、救助官は勤まらない。
送信されてきた情報を、脳波通信機を介して大脳に取り付けられた補助AIで読み取る。見えてもいない光景がジェットの脳裡で、まるでビデオ画像のような鮮明な解像度で再生される。
 そして、その瞬間、ジェットは――絶句した。



 海上に浮かぶ棺桶サイズの一基のカプセル。
 そして、その蓋がゆっくりと開き、中から現れた赤い服の人間。
 輝くばかりのプラチナブロンド。
 首に巻かれた黄色いマフラー。
 そして彼女は、そのほっそりした白い手首に、腰のホルスターから銃を引き抜き、すでに現場に到着していた特別救助隊員たちに、何の感情も抱かぬ冷たい瞳を向けて――発砲した。


「やめろっ――003ッッ!!」


 その怒声に驚くスバルが振り向くのも気にせず、ジェットは奥歯の加速装置を噛みしめた。





[11515] 第四話 「再会」
Name: ジンバブエ◆0efd2f53 ID:d2736d75
Date: 2010/03/29 19:20
「ジェット・リンク二等陸士。いまから時空管理局執務官として、あなたに質問します。質問に対する回答は法廷において証拠として扱われますので、後日の検証で虚偽であると認められた場合、偽証罪に問われる場合があります。ですから答えたくない質問には三度までの黙秘権が保障されています。――宜しいですか?」
 
 だが、いまだ茫然自失状態から脱しないジェットは、眼前にフェイトがいることさえ気付いていないかのようだった。
(無理もないか)
 フェイトはそう思う。
 もし、今日出現した、あの赤い服の男女が、かつての彼の仲間であったなら、それはジェットが、ミッドチルダか彼らかのいずれかを敵に回し、「過去」と「現在」の板挟みになるということを意味する。
 そのショックを推し量れば、厳しい追及もためらわれるが――それでもフェイトはやらねばならない。彼女は執務官であり、そしてジェットの「仲間たち」は、ミッドチルダ市民――救助官たちに銃を向けて、多数の負傷者を出した凶悪犯だからだ。見過ごすわけには行かない。


 ここは湾岸警備隊本部庁舎の取調室。
 すでにあれから24時間が経過している。
 ポイントG198に、小規模次元震とともに出現した謎の男女。
 その彼らと面識があり、関与を疑われたジェット・リンクは今、管理局にその身柄を拘束され、執務官の尋問を強制されていた。
 彼を尋問するのは、フェイト・テスタロッサ・ハラオウン執務官。
 彼女は元来、他の事件の捜査で別の管理世界に出張中だったのだが、管理局本部の意向によりクラナガンに呼び戻され、いまこうして職務についている。

 敏腕で知られた執務官フェイトが、わざわざこの件のために召喚された理由はただ一つ。
 時空管理局は、このジェット・リンクという男に注ぐ畏怖の視線を、いまだに払拭していないのだ。ミッドチルダの数世代先のテクノロジーによって改造された「サイボーグ」であるジェット。この一件に彼の過去――つまり、その技術力を誇る「地球」の存在が絡んでいるならば、地上本部に籍を置く執務官たちでは荷が重い。むしろ管理局本部直属のフェイトのような腕利きでなければ、この案件は任せられない。
――そういうことなのだろう。

(表向きは、ね)
 思わず出そうになった舌打ちを、フェイトは懸命にこらえる。
 しょせん行き着く果ては、管理局本部と地上本部の果てしないナワバリ争いの一環でしかないのだ。レジアス・ゲイズが失脚し、発言力を著しく失った地上本部から、手柄を立てる機会をさらに奪い、あわよくばジェットを改造した「地球」との接触と、技術交流を図る上でのイニシアチブを本局が取るためには、どうしても地上本部の人間を現場から締めださねばならない。とどのつまりフェイトは、そのために派遣されたのだ。
(結局、個人は組織の歯車になるしかないってことなのよね……)
 しかし、そう思いながらも、フェイトはこの一件を任された事実に対し、不満だけを抱いているわけではない。ジェット・リンクに面識はないが、彼のことはいつもスバルからの連絡で聞かされていたから、あまり他人とも思えなかったのだ。
 


「なお、この案件はミッドチルダ国家保安条例第一項、さらに修正第三項、修正第四項に抵触するため、あなたには尋問に弁護士を立ち会わせる権利は認められません」
 さっきの言葉を引き継ぐように、さらにフェイトが冷たく言うが、やはりジェットの表情は変わらない。おそらく自分が何を言われているのかも分かっていないだろう。
 ならば、少々むごい言葉を使ってでも、彼に正気に戻ってもらわねばならない。

「ジェット・リンク二等陸士……あなたは彼らが現場から逃走するのを何故見逃したのですか?」

 その言葉に、ジェットは弾かれたように振り替える。
(どうやら、ようやく我に返ったようね)
 そう思いながらも、質問を重ねた。

「あなたは、彼らが救助隊に発砲したのを見ていたはずでしょう? あなたも救助官の一員としての自覚をお持ちなら、その場で彼らを取り押さえようとは思わなかったのですか?」
 
 その瞬間、ジェットの顔があからさまに歪む。
「あれは……本気じゃなかった」
 そう言うや、彼はフェイトの眼を真正面から睨みつける。
 だが、それで怯むようなフェイトでもない。
「つまり、それはあの二人組に救助官たちへの“殺意”はなかった、と?」
 と、逆に尋ねる。
 フェイトを睨むジェットの眼がさらに鋭さを増した。

「あの二人が本気だったら“負傷者”じゃ済まねえ。……あの場にいた人間は皆殺しにされてるはずだ」
「――それは、皆殺しになっていた中にあなたも含まれていた、という意味でいいの?」

 ジェットの表情が一瞬――しかし明らかにひるんだ様子を見せる。
 そんな彼に、ここぞとばかりにフェイトは畳み掛けた。
「状況がよく飲み込めていないようなので繰り返します、リンク二等陸士。ポイントG198に次元転移してきたあの女性は、湾岸警備隊のあなたの同僚に攻撃を仕掛け、その場に居合わせた――おそらく出迎えだと思うけど――その男性と共にその場を立ち去った」
「…………」
「この件を、最近頻発している小規模次元震と関連づけた場合、彼らは次元転移を繰り返しながら、このミッドチルダに何かを――あるいは誰かを運び込んでいると考えるのが一番筋が通る。……そこまではいいですね?」
「…………」
「そして何より彼らは、三年前に次元漂流者としてここに運び込まれた時のあなたと、まったく同じ防護服を身に付け、同じ武器を装備していた。つまり――」
 そこまで言って、フェイトは言葉を切り、ジェットの顔を見つめた。
 そして彼は、そんなフェイトの視線に屈するように俯くと、大きく溜め息をついた。

「つまり――三年前にミッドチルダに現れたオレこそが、あいつらの運んできた最初の“荷”だったんじゃないかと言いたいんだろ?」

 フェイトは答えない。ただ、その視線をさらに静かな、厳しいものにしただけだ。
「……違うよ。オレは、スパイじゃない……ッッ」
「それを証明できますか?」
「そんなこと――出来るわけがないだろッ!! どうせ何を言っても信じないくせしてよッ!!」
 ジェットは叫ぶ。
 だが、フェイトの眼差しは変わらない。
 森厳とでも形容すべき視線を、ジェットに注ぎ続ける。

「……オレは、もう戦うのに疲れただけなんだ……だからもう、帰りたくなかっただけなんだ……それに、どうせ帰りたいといっても帰れなかったのは事実じゃないか……オレの「地球」はいまだに見つからないんだからよ……」

 苦いものを吐き捨てるように言い続けるジェット。
 彼の言葉に嘘があるようには、――少なくともフェイトには見えなかった。
 戦いに倦み疲れた者の瞳を見間違うほどフェイトの勘は鈍くはない。むしろ、ジェットの瞳からは――彼女でさえ見当が付かないほどの地獄を経験してきた、と判断せずにいられない光がある。
 しかし、だからと言って、彼の言葉を全て鵜呑みにできる状況ではないのも事実だった。

「リンク二等陸士、こういう言い方をしたくはありませんが、戦闘機人――いえ「サイボーグ」でしたか?――としてのあなたの“性能”は、ミッドチルダにとっては脅威としか言いようのないものです。そして、もし例の二人が、あなたと同等の“戦力”を秘めているようなら、この事実は断じて看過できません。何故ならこれは、我が国に強力な“自律兵器”が持ち込まれたのと同じ事を意味するからです。……この理屈は分かっていただけますか?」
 そこまで言われて、ジェットは力なく頷いた。
「ならば、質問に答えてください。いったいあの二人は何者なのですか? 何の目的があってミッドチルダにやってきたのですか?」


「わからねえ……わからねえんだ。オレがここにいるのはまったくの偶然だ。気がつけばここにいた、それが言えることの全てなんだ。だから何故ここに、――ミッドチルダにあいつらがいるのか……オレには全然わからねえんだ……ッッ」


「なら、わかることからで構いません」
 フェイトは言った。
「まず、あの二人は何者なのです? あなたが二人を『ゼロゼロスリー』と『ゼロゼロフォー』という名で呼んでいたのは分かっています。まずは、その二人のことから聞かせて下さい」





「やめろッ――003ッッ!!」

 そう叫んで、加速装置のスイッチを入れた瞬間に、ジェットの世界はその姿をガラリと様変わりさせる。
 マッハの速度で思考し、活動する者にとっては、通常の体感時間に生きている者など、もはや路傍の石ころのような「止まった存在」に過ぎない。
 傍らにいたスバルのことも意識から消え失せ、ジェットはひたすら問題の場所――ポイントG198へと、かかとのジェットノズルを全速で吹かす。現空域から20キロ沖合とはいえ、加速してしまえば数秒もあれば到着するだろう。
 そして……水平線の彼方に浮かぶ、棺桶大のカプセルに見える赤い服の女性。
(――003ッッ!!)
 その刹那、ジェットの脳裡に走る突然の警報。
 背筋にナイフを突っ込まれる感覚に導かれ、それまでの飛行コースを体一つ分ずらした瞬間、さっきまで自分がいた場所をまったく正確に破壊光線が襲う。

「ッッッ!!?」

 見間違いではない。
 マッハの速度に加速中のジェットにとっては緩慢な動きにしか見えないが、それでも003が確かにこちらに向けて銃を構えている。あのまま心の警報に耳を貸さず突っ込んでいたら、ジェットの肉体はもろに破壊光線を喰らって蒸発していたはずだ。
 つまり、狙撃されたのだ。
 加速中の自分が、003――フランソワーズ・アルヌールに。
 信じられない。
 彼女は自分や009のように加速装置を装備していない。しかし、加速中のサイボーグに攻撃できる者がいるとすれば、それはやはり加速装置を持つ者だけのはずなのだ。
 だが、ショックを受けている暇はない。
 そのままジェットは空中で身を翻し、003の背後に降り立つ。

「もういい! そこまでだ003!!」

 加速を解き、自らの銃――スーパーガンを003の背に押し当てる。
 久し振りに嗅ぐ彼女独特の花のような体臭を懐かしむ余裕もない。周囲をそっと見渡すと、四肢のいずれかを破壊された救助官が数人、悲鳴をあげながら、あるいは意識を失ったまま波の下に沈もうとしているのが見える。
(当然か……)
 ゼロゼロナンバーサイボーグの標準装備たる光線銃「スーパーガン」は、数十トンの質量をもつ戦闘ロボットや装甲車両を一撃で破壊する。その熱量はBクラス程度の魔導師ならば防御できるわけもない。
 だが、問題はそこではない。

 003が人間を撃ったのだ。
 確かに射殺してはいない。撃たれた者たちの被害はいずれも手足の一本に留まっている。
 だが、あの――かつての仲間たちの中では、誰よりも戦うことを厭うはずのフランソワーズ・アルヌールが、黒い幽霊(ブラックゴースト)ならぬ、ただの人間に発砲したのだ。
「なぜだ!! なぜ撃った003ッッ!?」
 背後から彼女の肩を掴んでジェットは叫ぶ。
 しかしフランソワーズはその問いに対する返事を返さなかった。



「……まさか……ジェット・リンク……ッッ?」



 彼女は絶句したまま凝然とジェットを見ていた。
 まるで亡霊でも見るような表情で、なかばポカンと口を開き、眼だけはギラギラと光らせている。
 そこでジェットは気付いた。
 自分は地下帝国ヨミから脱出した黒い幽霊(ブラックゴースト)を追って、そのまま消息を絶った――つまり死んだと仲間には思われているはずだったのだ。

「そうだ! ジェットだ! オレはジェット・リンク――002だ!!」
「うそでしょ……なんで……」

 じわりと瞳を潤ませたフランソワーズだったが、次の瞬間、ふたたびその身にぎらりとした殺気をまとう。
(まさか――!?)
 彼女の視線に眼を向けるまでもなかった。
 その殺気が、ウィングロードの上を疾走して、ようやくこの場に辿り着いたスバル・ナカジマに向けられているのは、もはや確認するまでもなく明白だったからだ。
「ジェットさんッッ!!」
「バカ野郎こっちにくるなッッ!!」
 叫びながら加速し、ウィングロード上のスバルを抱きかかえて空中に舞い上がる。
 その瞬間、さっきまでスバルが存在した空間を正確に、スーパーガンのビームが通過した。

 さっきと同じだ。003はもはや発砲に対する躊躇をもっていない。
 彼女の敵意の対象が“魔導師”なのか、それともそれらを含む一般人すべてなのかは分からない。だがフランソワーズは明白に、この「世界」に対しての敵意を抱いている。それは彼女の目を見れば分かる。ここまで憎悪に身をたぎらせたフランソワーズ・アルヌールを、ジェット・リンクは見たことがないからだ。
(ちッ!)
 心中に舌打ちをする。
 一体何があったというのだ。
 自分がいない間に、この003に何があったというのだ。
 加速を解いて、彼女の前にふたたびスバルを抱きかかえた姿を晒し、ジェットは叫ぶ。

「オレを撃つのか003!! この女を撃つためにオレに銃を向けるのか!?」

 怒りに燃えるフランソワーズの瞳が、ふたたび動揺に歪む。
 しかし、その銃口は揺れることなくピタリと二人に向けられていた。まるで加速中であってもジェットの位置を完全に把握していたように思えるほどに。
 だが、さすがにフランソワーズはそのトリガーまでは引かなかった。

「ジェット……あなたが何故そいつらに荷担するのか、いえ――そもそも死んだはずのあなたが何故ここにいるのかも私には分からない。でも、あなたは002――よね? 私たちが知っているジェット・リンクなのよね?」
「そうだ、オレは002だ。――そしてオレと同じく、おまえは003だったはずだ」
 その言葉に、フランソワーズの顔がまた歪む。
「オレたちゼロゼロナンバーサイボーグが銃口を向けるのは、黒い幽霊(ブラックゴースト)だけだったはずだろう!!?」
「こいつらはジョーを殺したのよッ!! それでも敵じゃないって言うのッッ!!?」



「なん……だと……ッッ!?」
 ジェットはその一言に凝然と凍りついた。



「そいつは正確じゃないだろ、フランソワーズ」

 振り向く暇もなかった。
 その声は、ジェットの背中から聞こえる。
 おそらく海中を泳いで移動し、こっちの隙を窺っていたに違いない。
「最初から見てたのか……ッッ!!」
「まあな」
 視線を向けるまでもない。声を聞けばそれが誰かは判別がつく。
 久し振りの再会とはいえ、かつてはともに戦場を駆け抜けた“兄弟”の声なのだ。
 ゼロゼロナンバーサイボーグ四番目の実験体――004ことアルベルト・ハインリヒ。
 ナイフ、マシンガン、ミサイル、そして原爆――全身に武器を仕込んだこのドイツ人は、かつて“死神”と仇名されたほどの戦士であった。

「死んだはずだったお前がイキナリ現れた時は面食らったが、……まあいい。状況の説明に時間を割いてる余裕は無さそうだしな」
「くっ……ッッ」
「おっと動くな」
 振り返ろうとしたジェットを、004の声が制する。
「004ッッ!!」
「おれのマイクロミサイルがすでにお前らをロックオンしている。お前が抱っこしてる女もどうやら生身じゃ無さそうだが、そう何度もマッハの加速に耐えられるほどの“造り”はしてないんだろ?」

 ジェットは答えられなかった。
 無論、加速装置をもつジェットにとっては、たかがミサイルごとき、回避も迎撃もさほどの難事ではない。だが、いま彼の胸の中にはスバルがいる。
「…………ッッ」
 スバルは気を失っているらしいが、その失神の原因が、加速状態のジェットが無理やりウィングロードから救い出したことにあるのは間違いない。ならば、それはつまり「戦闘機人」としての彼女も、マッハの加速状況下での活動に完全に耐えられる肉体をしていないということだ。
 そして、そんな彼女を抱えている限り、ジェットの動きもまた制限されるということを意味する。

その瞬間、何かが水に飛び込む音と同時に、――爆発が起こった。
「ッッ!?」
 見れば、さっきまで003が入っていたカプセルが木っ端微塵になっている。
 そして海面に二人の男女――フランソワーズとハインリヒの頭が浮かんだ。おそらくはこのまま海中を泳いで逃げるつもりであろう。確かに、酸素ボンベ内蔵の人工肺を持つ彼らを追える者は、このミッドチルダには誰もいない。鳥のように空を飛ぶ魔導師も、魚のように水中を泳ぐ真似は不可能だからだ。
 だが、彼らをこのまま見過ごすには、ジェットの耳に入った情報はあまりにショッキングすぎた。

「待てッ004!! さっきの――009が殺されたっていうのは、一体どういうことだッ!!?」
「説明してやりたいのは山々だが、どうやらそろそろ追っ手が来る頃なんでな。それとも――」
 その時、皮肉な笑みを浮かべていたハインリヒの眼が真摯な光を放ったように、ジェットには見えた。


「おれたちと一緒に来るか――“002”?」


 かつての仲間が放ったその言葉に、何故ためらいを覚えたのかは分からない。
 だが、ジェットは動けなかった。
 波間に浮かぶ湾岸警備隊の同僚の呻き声が、そして胸に抱えたスバルの体重が、ジェットに――003と004と行動を共にするという選択肢を選ばせなかったのだ。

「まあいい。また会う機会もあるだろう。とりあえず今は――あばよ、だ」

 ボチャンという音とともに二人は、そのまま水面の下に姿を消した。




 ジェットはふたたび瞑目した。
 湾岸警備隊本部庁舎の取調室――それは決して居心地のよさを追求された空間ではない。
 さっきフェイトには、同僚を撃った003の殺意を否定した。
 だが違う。
 少なくとも、まるで虫でも撃つような冷たい眼で救助官を撃ち、そしてスバルを撃ったフランソワーズには、この世界に対する憎悪と憤怒が満ち溢れていた。あの場の成り行き次第では、おそらく彼女はジェットにもためらうことなく引き金を引いたであろう。
(何なんだ……いったい何が起こってるんだッッ!!?)
 考えたところで、彼には何も分からない。
――それが昨日、ジェット・リンクがかつての戦友と再会し、そして別れた顛末であった。



[11515] 第五話 「特別捜査官 八神はやて」
Name: ジンバブエ◆0efd2f53 ID:d2736d75
Date: 2010/03/29 19:20
――003.
 本名、フランソワーズ・アルヌール。
 もともとは、フランスのバレリーナ志望の女子大生。
 ゼロゼロナンバーサイボーグの紅一点。
 50キロ四方の索敵が可能な視覚と聴覚を持ち、もっぱらゼロゼロナンバーのレーダー役として、戦闘の際は後方からの情報支援を勤める場合が多く、最前線に出てくることはあまりない。
 ゼロゼロナンバーの中では最も改造箇所が少なく、生殖器なども手付かずであるため、妊娠・出産さえも可能であるらしい。そんな肉体を反映したかのように、穏やかで優しい性格で、人一倍戦闘を厭う。
 ギルモア博士に再強化処置を受けた005を見て拒絶反応をあらわにしたり、再改造で蘇生した008が、以前よりさらに人間離れした自分の肉体に葛藤するのを見て「当然だ」と理解を示したりと、自分たちが人間以上の“異形の存在”である事実に対し、ことさらエキセントリックな態度を示すことがある。
 また、子供好きの一面もあり、001の面倒を一手に引き受けていたり、火山島マグマでの戦闘ではミュートスサイボーグ・グループの一人で、ちびっ子サイボーグ“パン”と友達になったりした事もあった。



「優しいとか穏やかとか、衛星画像を見る限り、まったくそんな風には見えへんねんけど……」
「まあ、ジェットが知っているのは、あくまで昔の彼女らしいし、それから何があったのかまでは分からないと言っていたわ」
「……まあ、ええわ。ほな次行こか」



――004.
 本名、アルベルト・ハインリヒ。
 東ドイツから、いわゆる「ベルリンの壁」を越えて亡命しようとして失敗し、半死半生のところを黒い幽霊(ブラックゴースト)に回収され、改造手術を受けた。
 右手にマシンガン、左手に電磁ナイフ、両膝にマイクロミサイル、そして体内にはヒロシマ型の超小型原爆さえ内蔵したサイボーグ。本人の話では、さらに複数の兵器を、体内の貯蔵庫に格納しているらしい。
 亡命騒ぎの際、恋人ヒルダを東ドイツ国境警備隊の銃撃で失っており、そのためかは分からないが、おそろしいほどのニヒリストで、猜疑心が強く、メンバー以外の人間には、容易に心を開かない。
 003とは対照的に、人体の機械化限界に挑むというコンセプトで改造されたため、生身の肉体はほとんどなく、その裸形は人間というより戦闘アンドロイドに近いため、プライベートでは、常に長袖の着衣を欠かさない。
 また、加速装置こそ装備していないが、その戦闘センスはゼロゼロナンバー内でも屈指であり、地下帝国ヨミでは009と加速戦闘中だった敵幹部バン・ボグートを、音のみを頼りに狙撃したこともある。



「この人、お腹に原爆仕込んでるって事は、もし砲撃魔法とかで吹き飛ばした場合は、核爆発が起こるって事やんなあ?」
「彼が、今こうして生きている以上、どこまでの直接攻撃が可能かは分からないけど……それでも自律自爆は可能だと思う。そうでなければ単独兵器として役に立たないし」
「――で、この人、ジェットさんより強いん?」
「わからない。でも、加速装置は装備していない――と言っているから、少なくともジェットよりも戦闘性能が上ということはないと思う」
「でもこの人、加速中の敵相手に勝ったことがあるんやろ? せやったらジェットさんかて、この人より確実に強いと言い切れる保障は無いっちゅうことやんか」
「…………」



――005.
 本名、ジェロニモ・ジュニア。
 失業中のネイティヴ・アメリカンであったが、就職をダシに持ちかけられ、黒い幽霊(ブラックゴースト)にスカウトされる。
 鋼鉄の皮膚と百人力を持つ怪人で、仇名はアイアンマン。
 戦車砲弾をまともに喰らっても怯むことなく、数トンの重量の巨岩落下をその身で受け止めるなど、ゼロゼロナンバーの中でも随一のパワーと耐久性を持つ。
 また、ヴェトナムのサイボーグマン・グループを殲滅した後に、その基地にある改造施設を利用したギルモア博士によって再強化処置を受け、さらにパワーアップした。
 寡黙にして沈着、冷静にして心穏やかな彼は、精霊と心を通わせることのできるシャーマンの才能を持ち、また卓抜したサバイバル技術の所有者でもある。



「ネイティヴ・アメリカンって、確かインディアンって――いや、まあええわ」
「この人は、まだミッドチルダでの存在は確認されてないわ」
「なんか、この人が一番ハナシが通じそうな気がするんやけど」



――006.
 本名、張々湖。
 毛沢東が実施した中国第二次五カ年計画――いわゆる「大躍進」によって起こった大飢饉で餓死寸前になり、首吊り自殺を図ろうとしていたところを黒い幽霊(ブラックゴースト)によって拉致され、改造された元広東農民。
 口から熱線を吐き出すことで岩・壁・地面などを溶かしてどこへでも潜り込み、たびたびゼロゼロナンバーの危機を救う。仇名はもぐら。
 飄々としたキャラクターで、改造された肉体をさほど嘆くこともなく、大人(たいじん)と呼ばれる大らかさを持つ中国料理の名人。一同のムードメーカー的役割を担う。



「うわあ……そういうたら、毛沢東の大躍進政策って学校で習ったわ。覚えてる覚えてる」
「彼らの「地球」は時間軸的に「第97管理外世界」とは二十年近くのズレがあるって聞いたけど、本当なんだね」
「でもこの人、「もぐら」とか言われてるけど……その気になったらかなりヤバイ仕事でも平気で出来るスキルやんね、これ?」
「うん。もしこんな人がテロリストとして動き始めたら、どんな警備もまったくの無意味になる。いくら何でも地面の下に警報やセンサーは付けられないからね」



――007.
 本名、グレート・ブリテン。
 かつてイギリスでは知る人ぞ知る有名俳優だったが、酒で身を持ち崩して舞台からホサれ、騙される形で黒い幽霊(ブラックゴースト)に改造された。
 へそのスイッチを押すことで細胞組織を丸ごと変化させ、老若男女どんな姿にでも変身し、また、舞台で鍛え上げた演技力は変身後の活動をさらに容易にする。
 また、イルカ、虎、蛇、鳥などを含むあらゆる動物、保護色を使った透明化、さらに岩やフットボールなどの無機物に変身したこともあった。
 皮肉屋のペシミストではあるが、基本的に人間嫌いではなく、元役者らしく感情表現が大仰で、006とともに一同のムードメーカーを勤めることが多い。



「マジかいな……。何にでも変身できて、それに対応する演技力まで持ち合わせてるって、こんな人にスパイとして潜り込まれたら、もう、手の打ちようも無いやんか……!!」
「ナンバーズにも似たような能力を持った戦闘機人がいたよね? ドゥーエ、だったっけ? 確か本局の最高評議会を暗殺したっていう……」
「さっきの006さんといい、戦闘特化型よりも、こういうタイプの方がよっぽど厄介やで」



――008.
 本名、ピュンマ。
 ケニア出身の青年だったが、人身売買組織の奴隷狩りに遭い、その逃亡中に黒い幽霊(ブラックゴースト)に捕まり、改造される。
 水中活動用として改造され、深海の水圧に耐えるために、他のメンバーよりもさらに高重圧対応のボディを持ち、呼吸器系の人工臓器の性能も高性能であるという。
 水中では魚以上のスピードで移動が可能で、その機動性は、トビウオのように水面を飛び跳ね、螺旋状に泳ぐことで渦巻きさえも作り出すほど。
 かつて超音波怪獣によって、胸部から下の肉体をすべてバラバラにされたが、ギルモア博士の肉体再生手術で、全身にウロコを纏った姿で蘇生し、その水中性能はさらに上昇したと思われる。だが、これまで以上に人間から乖離した自分の姿に苦悩する一面もあった。



「ちょっと待って!? 胸から下をバラバラにされたって……それで死んでへんかったん!?」
「手術で蘇生した――とあるから、少なくとも脳は無傷だったってことじゃないかな」
「脳が無傷って……ほな、脳死してへん限り、肉体がどんだけ損傷しても、この人らは手術で生き返るってことかいな!?」
「しかも、以前よりもさらに性能のいいボディでね」
「ありえへんわ……」



――009.
 本名、島村ジョー。
 外国人の父と日本人の母の間に生まれたハーフ。
 あいのこ・孤児である事実から周囲の偏見の目に晒され、ぐれた末に少年院に収監されるも、仲間と共に集団脱走を図り、その逃亡中に黒い幽霊(ブラックゴースト)に誘拐され、改造手術を受ける。
 ゼロゼロナンバーの中では最も汎用性に富み、他のメンバーのように何かに特化した能力を特に持たないが、それでも基礎的な意味での性能はメンバー内では最も高い。
 普段は、元不良とは思えぬほどに穏和で誠実な性格をしているが、戦闘に関しては異常なほどの能力を発揮する天才で、その身に装備した加速装置とあいまって、ゼロゼロナンバー最強の戦闘力を誇り、黒い幽霊(ブラックゴースト)打倒の原動力となった。



「最後の最後でエライのが来てもうたな……いまさらメンバー最強って、どういうことやねん」
「仕方がないわ。この人たちのナンバーが改造された順だと考えれば、数字が大きくなるほどに、テクノロジーも進歩していったはずだし」
「――ってことは、やっぱりジェットさんより強いっちゅうことかいな」
「この人も加速装置を持っているらしいからね。でも、穏和で誠実ってことは話し合える余地がある人なのかもしれないわ」
「そう願いたいもんやけど……あれ? ちょっと待ってフェイトちゃん? この人がゼロゼロのラストナンバーってことは、――たしかジェットさんが002のはずやから――このファイル、最初の一人が抜けとらへん? 001っちゅうのがおるはずやで」
「そう言われてみれば……ああ、あった。どうやら一番後ろに回されていたみたいね」



――001.
 本名、イワン・ウイスキー。
 モスクワの脳科学者ガモ・ウイスキーの息子で、黒い幽霊(ブラックゴースト)にではなく、父に改造手術を受けた。――とは言っても、改造を施された部位は脳だけであり、他のゼロゼロナンバーのように皮膚、骨格、筋肉、内臓といった全身改造ではないため、水中や宇宙空間といった極限状況での活動はできない。
 父・ガモ博士の脳改造によって、いまだ乳児でありながら、脳の潜在能力をすべて解放され、スーパーコンピューター並みの演算能力、さらに集団催眠、テレキネシスやテレパシー、予知夢といった超能力まで使いこなす。
 戦闘の際は、その高い知能を活かして参謀役を担うことが多く、ゼロゼロナンバーの反逆・脱走から、黒い幽霊(ブラックゴースト)最初の本部施設であった“幽霊島”への核攻撃まで、全てのプランを書き上げ、そしてメンバーに実行させた。
 普通の人間ならば眠らせているはずの脳の潜在能力をすべて使用するためか、その活動期間は不規則で、基本的に十五日単位で覚醒と睡眠を繰り返す。
 また、その超能力を生かした攻撃力も絶大であり、ギリシャに於けるミュートスサイボーグとの戦闘では、エスパーサイボーグ“へラ”との壮絶な超能力バトルの末に、結果的に火山島マグマを海に沈めてしまったほどの凄まじさを誇る。



「…………」
「…………」
「なんちゅうか、その……どないしようフェイトちゃん?」
「スーパーコンピューター並みのIQと、島一つ海に沈める超能力って……」
「ここまできたら、もう反則やで。なんかもう、何でもアリになってしもてるやん」
「でも、そんなこと言ってる場合じゃないわ。敵か味方か分からない以上、敵に回った場合のシミュレーションをきちんとしておかないと……」



 リモコンの電子音が響き、エアコンのスイッチが入る。
 個人が使用する部屋にしては少し広めの空間に心地良い風が吹き、二人の頬を軽くなぶった。
――ここは八神はやて特別捜査官のオフィス。
 JS事件解決のための原動力となり、『奇跡の部隊』とまで称された古代遺失物管理部機動六課の設立者にして指揮官・八神はやて――現在は特定のポストにつくことも無く、時空管理局の捜査司令として、密輸や違法魔導師関連の捜査指揮に取り組んでいる。
 ジェット・リンクの事情聴取を任されたフェイトが、彼の証言を元に作成したデータと、静止衛星によって記録された現場のリアルタイム映像を手に、八神はやての元に協力を仰ぎに来たのは、ほんの二時間ほど前であったが、――はやての表情に、旧友との久し振りの再会を喜ぶ空気は、もはや微塵も無い。


「ジェットさんがくれたデータは、これで終わり?」
 溜め息をつきながら、はやてがフェイトをちらりと見る。
「ええ。彼自身のデータは入ってないみたいだけど、……まあジェットの詳細なデータは、クラナガンの研究施設からいつでも取り寄せられるからね。今日中には資料を届けてもらえるように手配してあるわ」
「そっか……」

 事の重大性に、二人とも必然的に口が重くなる。
 小規模次元震とともに、ポイントG198に出現した二人の男女“003”と“004”。
だが、次元転移してきたのは、前後のデータから判断して、あくまで“003”のみであり、“004”は彼女の出迎えに来ただけという見解が強い。
 つまり、“004”はすでにしてクラナガンに潜入済みであったということになる。
 ならば、ここで生まれる疑問は一つ。
 すでに潜入済みであったのは、はたして“004”だけなのか?

 小規模次元震とは、何かが一方通行的に次元転移してきた時に、「入口となった世界」ではなく「出口となった世界」にのみ発生する現象であり、法廷では密輸入や密入国の証拠として扱われる。
 なぜなら、公式に固定された次元間ゲートを利用した――つまり公式に許可された次元転移の場合は、この現象はまず起こらないからだ。
 もし、最近頻発している小規模次元震までもが、彼らの仕業だとすれば、彼らはこのミッドチルダに何度となく「なにか」あるいは「誰か」を運び込んでいるということになる。
 そして、その「誰か」が、ジェットの言うところのゼロゼロナンバー・サイボーグであった場合、事は一層深刻だ。彼らの性能は、ざっと聞いただけでも、ジェイル・スカリエッティの戦闘機人「ナンバーズ」の比ではないのだから。

「三年前のジェット・リンク保護から数えて、現在までクラナガンで確認された小規模次元震は22回。そのうちの15回が、ここ三ヶ月で起こっているけど、やっぱりもう全員集合は完了してると見るべきだよね……」
 フェイトが暗い顔で俯く。
 それもそうだろう。現在、この事件の捜査は時空管理局から正式にフェイト・T・ハラオウンに委任されていが、これはどう考えても一執務官の手におえる事件ではない。すでにゼロゼロナンバーの集結が完了しているなら、なおのことだ。


「フェイトちゃん、もう一回、問題を整理しようや」
 ハヤテが、コーヒーを一口飲むと、ぽつりと言った。
「考えなあかん点は二つ。一つ目は、そのゼロゼロナンバーがミッドチルダという国家と国民そのものを“敵”やと見なしとる場合、――彼らサイボーグを相手に、わたしらミッドの魔導師が戦って撃退することは、はたして可能か?」
 フェイトは頷く。
「例の加速装置装備型ならともかく、それ以外のタイプとなら、直接戦闘は可能だと思うな……。まあ、島一個沈める超能力ベイビーとかが相手じゃなければ、のハナシだけどね」
 その言葉を聞いて、はやても思わず苦笑する。

「二つ目は?」
「決まってるやん、そうやなかった場合や。その場合、彼らと交渉し、和解する事は可能か?」
「それは……」
 フェイトは思わず絶句する。
 ジェットから聞いた情報では、基本的に彼らはそれほど好戦的な集団ではない。
 だが、衛星画像から見た、あの女性“003”を思い返しても、交渉や和解の余地があるとはとても思えない。
 だが、はやては言う。

「難しいのはむしろこっちの場合や。彼らが“敵”と見なしとるのはミッドチルダという国家なんか? この次元世界に住む全ての住人を殺し尽くす気なんか? ――いくらなんでも、それは無いとわたしは思う。ジェットさんを見れば、彼らが元々どういう人間なんかは見当つくさかいな。なら、彼らがミッドチルダに来た目的は何や? 彼らは何と戦うために、わざわざ次元の海を越えてミッドまで来たんや?」

 はやての台詞に応じるように、とある名前がフェイトの頭に浮かぶ。
 これまでジェットの供述書に何度となく登場した一つの名前。
「たしか……ブラックゴースト……だっけ?」
 そのフェイトの言葉に、はやては重く頷いた。



「この資料によると、ジェットさんはこう言うとるわけやな。本来ゼロゼロナンバー・サイボーグが敵対すべき者は、自分たちを改造した黒い幽霊団(ブラックゴースト)と、その眷属どもだけやと。――ということは、もし彼らがミッドチルダに来た目的が、その黒い幽霊団(ブラックゴースト)やったとしたら……」



――まさか。
 そう思う。
(でも……ありえない話じゃない)
 フェイトは思わず拳を握り締める。
「その……黒い幽霊団(ブラックゴースト)が、すでにミッドチルダの社会に根を張っているというの……? 彼らはそいつらと戦うためにミッドチルダまでやって来たというの……?」

 喋りながら――しかしフェイトは、その考えを否定しようと懸命になっている自分を発見していた。
 当然だろう。
 その考えを認めるということは、自分たちの社会が、すでに“汚染”されていると認める事になる。それは同時に、執務官としての自分の立ち位置さえも突き崩す行為に他ならない。
 たとえば、本局が、この事件を地上本部から捜査権を取り上げて、一執務官に過ぎない自分に押し付けるように担当させたのも、――フェイト自身もくだらない陸海のナワバリ争いだと思っていたが――何かまったく違う思惑があるからかも知れない。
(ばかな!?)
 吐き捨てるように自身の中で却下する。
 妄想だ。しょせんは政府陰謀説と同じ妄想に過ぎない。
 そう考えようと必死の努力を続ける。
 だから……フェイトは否定材料を必死になって捜索し、それを俎上に提出する。
「でもジェットは、こうも証言していたわ。黒い幽霊団(ブラックゴースト)は、自分たちが、この手で確かに打倒したと――」

 だが、はやては愁眉を開かない。
「そう思てるのがジェットさんだけやったとしたら? 実は、親分が首取られたってだけで、組織全体は死んでへんかったとしたら?」
「そんな……それだって、あくまで仮説に過ぎないじゃない……ッッ!?」
「…………」

 はやては答えない。
 難しい顔で手元の資料を睨み付けているだけだ。
 仮説に過ぎない。
 そう言ってしまえば、はやてに返す言葉のあるはずがない。確かにその通りなのだから。
 だが、もしその仮説が正しかったとしたなら、――彼らゼロゼロナンバーが時空管理局の魔導師たちを、すでに黒い幽霊(ブラックゴースト)に利用されている者たちだと見なしているのなら――“003”が発砲をまったく躊躇しなかった理由も、また先制攻撃を仕掛けておきながらも、救助官たちを殺さなかった理由も、すべて納得がいくのだ。
(それでも……やっぱり信じたくない)
 フェイトは、瞑目した。


「まあ、今のところはフェイトちゃんの言う通り、仮説でしかあらへん。事の真相はゼロゼロさんらから直接聞くしかないわな」
 そう言って、はやては笑った。
「結論を急ぎすぎるのは間違いの元や。下手な考え休むに似たりって言うしな」
「でも、直接聞くなんてそれこそ――」
 そこまで言いかけて、フェイトは気が付いた。
「ジェット・リンク……」
 はやてはニヤリと口元を歪める。
「そや。わたしらには無理でも、ジェットさんやったら直接聞けるやろ。そやから、今後はあの人の待遇をもっと考えなあかん。あの人に、わたしらとゼロゼロさんらとの“仲介役”をやってもらわなあかんからな」


 そう言うと、はやては早速、ジェット・リンクの拘束を解き、時空管理局本部に出頭するように電話で指示し始めた。
 その横顔を見ながら、フェイトは思う。
 もし、ゼロゼロナンバーの“敵”が仮説どおり、ミッドチルダの社会に潜む黒い幽霊(ブラックゴースト)だったとしたなら、自分は一体どうすればいいのだろうか。社会の歯車の一員として、彼らを逮捕する側に回るのだろうか。それとも、彼らと手を結んで、社会の裏に潜む黒い幽霊(ブラックゴースト)を“悪”だと告発するのだろうか。
 ジェットの供述書にあった黒い幽霊(ブラックゴースト)の組織理念は、フェイトも当然目を通している。銀行と企業と政治家たちが提携し、世界から戦争というビジネスを絶やさぬようにする組織だという。
 もし、それほどの組織が実在するならば、それはすでに社会そのものだ。
 では、社会そのものを“悪”だと告発することは出来るだろうか。

(答えなんか……出るわけ無い)
 フェイトは唇を噛んだ。




[11515] 第六話 「地上本部長官 コンラッド・エクリー」
Name: ジンバブエ◆0efd2f53 ID:d2736d75
Date: 2010/03/29 19:21
「ちょっとブリード君、好き嫌いしちゃダメだよっ!」

 高町なのはが、めっ!という表情をしてブリード・グレッチェンを睨む。
 彼女は、もともとかなり顔の造型があどけない女性なので、そんな目をされても大して怖くは無い。むしろ超一流の魔導師として「管理局の白い悪魔」などと言われているとは俄かには信じがたい空気が彼女にはある。しかし、そんな彼女の雰囲気はともかく、――何を言われても食べられない物は食べられない。

(まさか、こんな異次元くんだりまでやってきて、納豆がテーブルに並ぶとは思わなかったぜ……)

 高町家に引き取られている次元漂流者ブリード・グレッチェン――に変身している本名グレート・ブリテンことサイボーグ007は、心中に顔をしかめながらも、無論それを表情には出さない。いま彼が変身している少年「ブリード・グレッチェン」はDV経験者の自閉症――という設定――なので、自分の食の嗜好をとうとうと語るようなキャラではないからだ。いかに少年の姿をとっているとはいえ、グレートは元役者だ。役作りに矛盾するような行動は出来ない。

 だから一粒、涙をこぼす。

 男を騙すには、女の涙以上に効果のあるものはないとされているが、涙の効果は男女に差は生じない。めったに流さぬはずの涙を男が流す。そこに動揺を覚え、母性を刺激される女も決して少なくは無い。――まあ、それは酒の席での成人男子の口説きテクとも言い切れないでもないが、しかし、それが子供の涙であれば話が別だ。
 その証拠に、見るがいい。
 高町なのはの瞳が、たちまち怯みの色を浮かべ、その上体を仰け反らす。

「ほらぁ、やっぱりなのはママ、無理強いはよくないよ。ブリードくん、泣いちゃってるじゃない」

 ヴィヴィオがブリードをかばいつつ、これ幸いとばかりに自分の分と一緒に、二つの納豆を食卓の中央に寄せる。
 彼女もやはり、納豆が苦手なのだ。高町がいない時に、ヴィヴィオがフェイトという、もう一人の母親代わりに、
「なんで、なのはママはこんなまずい物を、あんなに美味しそうに食べられるの?」
と、愚痴をこぼしているのをグレートも知っていた。
 その意見には、残念ながら彼も同意せざるを得ない。
 かつて009――島村ジョーが、これを美味そうに食べていたのを見るたびに、グレートも信じられない思いをしたものだったからだ。

「納豆はとても栄養があって身体にいいんだよ?」
 なのははヴィヴィオの納豆だけをずいっと彼女に戻した。
「栄養だけが重要なら錠剤を飲めば解決できるわ」
 ヴィヴィオはぷいっとそっぽを向く。
「錠剤は料理じゃない。ママの料理は愛情なのよ!」
「まずい料理は料理じゃないわ!!」
「ヴィヴィオッッ!!」

 ぷっ、くすくすくす……。

 気が付けば、グレートは俯き、そんな二人に笑っていた。
 デジャヴ、というやつだろうか。
 かつてジョーも、みんなに納豆を薦めようとして、よく言っていた。
――納豆は栄養満点なんだ、と。
 そのたびに、他のゼロゼロナンバーたちも、そしてグレート自身も、眉をしかめて首を振ったものだ。
(あ、張々湖のやつだけは美味い美味いと食ってやがったっけ)
 ジェロニモも、一応は文句一つ言わずに食べていたが、彼は、自分に供された食事のメニューに、味で文句をつけるような男ではない。おそらく、かなり我慢しながら食べていたに違いないだろう。
 そんな、あの頃の回想が甦った瞬間、グレートは笑いをこらえることすら忘れていた。

 
 気が付いた時、グレートは、ヴィヴィオとなのはが、呆然とした視線を自分に送っているのを感じた。
(やばい、またやっちまったか……ッッ!?)
 グレートが青ざめた瞬間だった。

「……なのはママ、笑ったよ? いまブリードくんが笑ったよっ!!」

 まるで、生まれたての子鹿が立ち上がったのを見るような笑顔で、ヴィヴィオがなのはを引っ張り、ブリードに傍に寄る。
 なのはも、さっきまでの娘との喧嘩などすっかり頭から消えたかのような喜びに頬を染めて、彼に抱きついた。
「そうだよ! そうやって、もっともっと大声で笑っていいんだよブリード君!! この世界は本来、喜びと楽しみと笑いに満ちているものなんだから!! だからそうやって、人間らしく大声で笑わなくちゃダメなんだよ!!」
 そう叫びながら、高町なのはは涙を流していた。
 無論、悲嘆の涙ではない。
 彼女が保護した自閉症児が、初めて自分たちの前で「笑い」という、プラスの感情を示したのだ。それが喜びの涙でないはずが無い。
 随喜の涙を流したのは勿論、なのは一人ではない。
「よかった! よかったねえブリードくん!!」
 ヴィヴィオも顔をくしゃくしゃにし、この同居人の感情回復を、まるで我が事のように喜んでいる。

――グレートは、そんな二人の様子に、ふと、胸が痛むのを感じた。



 この高町なのはは、元は「第97管理外世界」とやらの、その世界の「日本」の出自なのだという。
 無論グレートも日本は知っている。
 知っているどころか、一時期は日本に住んでいたくらいだ。
 黒い幽霊(ブラックゴースト)最初の本部である“幽霊島”から脱出して、彼らゼロゼロナンバー・サイボーグが最初に身を寄せたのが、日本に住むコズミ博士という科学者だったからだ。彼が記憶している、例の納豆に関するエピソードもその頃のものだ。
 紆余曲折の末に、やがて彼らは日本から離れ、当時戦争の真っ最中だった北ヴェトナムに赴き、そこで黒い幽霊(ブラックゴースト)のサイボーグマン・グループと戦うことになるのだが、――まあ、それはいい。
 おそらく彼女の知っている「地球」は、平和で穏やかな、生きていく上で何の問題も無い世界なのだろう。

(おれたちの地球とは……違う)
 黒い幽霊(ブラックゴースト)の存在しない「地球」。
 自分たちのように、惨めで哀れな半機械人間など存在しない「地球」。
 羨望を覚えないと言えば嘘になる。
 そして、自分たちの「地球」が対面している“現在”と“現実”との、あまりのギャップに、理不尽な怒りすら覚えないでもない。
 だが、少なくともこの高町家にいる者たちは、おそろしいほどに純粋だ。時折こっちが息苦しさを覚えるほどに、善意と愛情をぶつけてくる。彼女たちを頭に浮かべる時、グレートは、もはや胸のうちに暖かいものを感じずにはいられない。

 薄目を開けると、健康的な寝息を立てるヴィヴィオと、自分を挟んで、その反対側の隣に眠る、なのはのグラマーな肢体が、闇に慣れたグレートの視界にぼんやりと浮かぶ。
 高町家では、家族は常に同じ寝室で、仲良く川の字になって眠る習慣があった。今ここにフェイトはいないが、いれば当然のように彼女も、このキングサイズのベッドで就寝する。
 最初は、自閉症児ブリード・グレッチェンに対するスキンシップの一環のつもりなのかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。彼女たちの話によると、今の自分と同じく、かつて孤児だったヴィヴィオを引き取った時からの習慣らしかった。
 だが、いかに少年に変身してはいても、グレートとて一匹の男である。ヴィヴィオはともかく、なのはとフェイトという成熟した女性に抱き枕代わりにされて、眠気など起ころうはずもなく、何度かトイレに駆け込んで精を吐き出したこともあったが、……慣れてしまえば、この環境は、違う意味で彼の眠気を奪った。

(“なのはママ”さんは……寝相が悪すぎるんだよな)
 ヴィヴィオが、彼女自身と母なのはとの間に常にブリードを置き、――あれほどに仲睦まじい義母であるにもかかわらず、睡眠の際には必ずと言っていいほどなのはから距離を取ろうとするのは、どうやら、なのはのアクティヴすぎる寝相の悪さに閉口しての事であるらしい。
(人を防波堤代わりにするんじゃねえよ、……ったく)
 苦笑を浮かべながらも、グレートはそんなヴィヴィオを可愛くも思う。
 今この瞬間にも肘や膝を、自分の横っ腹に飛ばしてきても何ら不思議ではない“なのはママ”の隣ではなく、――この場にはいないが、聖母マリアのように胸に手を置いて、上を向いたまま微動だにせず眠る“フェイトママ”の傍の方が、ヴィヴィオが安眠できるのも当然だ。
(ま、日頃世話になってるのは間違いないからな。お前の防波堤くらいお安い御用さ)
 そう思えば腹も立たない。
 なにより、腹を立てるには、この家はグレートにとって居心地が良すぎるのだ。
 


 その時だった。
 一匹のハエが、ぶんと羽音を鳴らしながら部屋を飛び回っているのが見えた。
 眼をつぶっていれば気付かなかっただろう。
 だが、薄目とはいえ、グレートは瞳を閉じてはいなかった。だから、彼は気付いた。
――そのハエが、ただの虫ではないことを。

(来た……とうとう来やがった……ッッ!!)

 とっさにへその細胞変化スイッチを触り、グレートは、自分の視神経を猫科の夜行獣のそれに変化させ、再度、その“虫”を視認し直す。
(間違いねえ)
 彼の猫目は、照明を消した寝室の薄闇の下でも、ハッキリとその“虫”を捕捉していた。
――テレビ虫。
 複眼の代わりに高性能カメラアイを搭載した、黒い幽霊(ブラックゴースト)の自律式偵察用昆虫ロボット。
 そんなものがこの部屋を飛び回る理由は一つしかない。
(存外早かったな、もう少し掛かると思ったが……)
 つまり、今この瞬間、高町ヴィヴィオ――聖王ヴィヴィオが、その所在を黒い幽霊(ブラックゴースト)に確認された、ということだ。

 今のうちに仲間を呼んでおくべきだろうか。
(しかし、今はまずい)
 もし、この家の近くに黒い幽霊(ブラックゴースト)のサイボーグが潜んでいたら、仲間への脳波通信は、あっという間に傍受されてしまう。

(まあ、いい。来るなら来いだ)
 奴らはヴィヴィオを殺せない。生きて確保することを最優先するはずだ。
 なら、加速装置装備型のサイボーグが来たところで、加速しながら子供を担いで逃げることは出来ない。そんなことをすれば、ヴィヴィオの体がマッハの加速に耐えられず、一秒と経たずに千切れ飛んでしまうからだ。
――ならば、こっちのものだ。
 細胞を変化させ、あらゆる姿に変身できる“007”の能力は、通常速度でしか動けない相手であれば、あらゆる戦闘に対応できる。
 それだけではない。
 今ここには、ミッドチルダでも知られた「エース・オブ・エース」がヴィヴィオの母親として傍らに眠っている。この女の砲撃魔法は、レーザーどころか軽く粒子ビーム並みの威力を持つ以上、防護服を着込んだサイボーグが相手でも充分に撃退できるだろう。
――と、黒い幽霊(ブラックゴースト)も考えるはずだ。
(だから奴らは、今晩中は仕掛けてこない)
 そう思う。

 仕掛けてくるとすれば、おそらく明日だ
 高町なのはが出勤し、一人で通学するヴィヴィオを誘拐するつもりであろう。それが一番確実だからだ。
(やっとおれの……“007”の出番が来たか……ッッ!!)
 そう思い、ブルッと武者震いする。
 本来、それこそがグレートの“任務”であったことは間違いない。
 聖王ヴィヴィオと黒い幽霊(ブラックゴースト)との接触を阻止し、彼女を護衛する。 そのためにこそ、次元漂流者でDV経験者の自閉症児などという、お涙頂戴な姿に変身し、この家に潜り込んだのだ。
 だが今、彼の頭に在るのは――001から指示された“任務”への義務感や責任感だけではなく、高町一家が与えてくれた、溺れるほどの愛情に報いたいという感情がメインになっていた。そしてそのことにグレートは何ら葛藤を抱いてはいない。
 ならばこそ、今のうちに眠っておくことだ。
 グレート・ブリテンは不敵に口元を歪ませ、目を閉じた。
 満腔の闘志をその身に燃やしつつ眠りに落ちたグレートは、――そんな自分を、眠っていたはずの高町なのはが怜悧な目で見つめていたのを知らない。





「八神はやて二等陸佐、入ります」

 分厚いドアを開けて中に入る。
 のっぺりと禿げ上がった額に、鋭い目、引き締まった口元、錆びた声。
 初めて直接見るその男は、画面や紙面で見るよりも幾分逞しい気がした。
 だが――、

「君が『奇跡の部隊』の八神二佐か。テレビで見るより美人だな」

 と言って、その口元に貼り付けた笑顔に、薄く漂う下卑た匂いを嗅いだ瞬間、はやての中でこの男に対する評価は、やはりマイナスで固定された。
 おそらくは、その逞しい褐色の肌も、現場の任務ではなく接待ゴルフで日焼けしたものではないかと邪推してしまう。
(まあ、多分その“邪推”も間違うてへんやろうけどな……)


 コンラッド・エクリー中将。
 失脚したレジアス・ゲイズの後を継いで地上本部の防衛長官に就任した彼は、いわゆる“陸”の生え抜きではなく、本局から転属になった高級キャリアであり、かつては辣腕を謳われた“海”のエースであったが、――長官となってからの評判は決して芳しくない。
 もっともそれは、必要以上に本局との対抗意識をもっていた地上本部のスタッフが、転属キャリアの彼を嫌って流した評判だとも、そんなスタッフたちを骨抜きにするために、長官就任以来、あえてエクリーが昼行灯を演じているとも言われており、そんな噂が彼の評価をますます混沌とさせていた。
(でも、そんな人が、一体わたしに何の用があるっちゅうんやろ?)
 無論、はやてに心当たりは無い。


「今日ここに来てもらったのは他でもない。明日から八神二佐には、ミッドの地上本部に出向してもらう」


 はやては一瞬、自分が何を言われたのか分からなかった。
「すでに本局のハラオウン提督に話は通してある。明日、正式な辞令が降りるはずだ。地上本部防衛長官――つまり、私直属の特別チームを、君に任せたい」
「は……?」
「チームの編成は君に一任する。“海”からも“陸”からも好きなだけ戦力を持って行くがいい。ドリームチームでもオールスターキャストでも望むがままだ。隊名は……そうだな、首都防衛特殊任務部機動六課、とでもしておくか。『奇跡の部隊』にあやかってな」
「あ、あの?」
「出向期間は一年。だが、私の判断に応じてさらに任期が延長することはあると思っていてくれ。一応、私が直属の上司という形を取っている以上、そこは我慢してもらう。ただし給与面では、かなりの額を用意できると思う。――実際、この仕事は命懸けになると思うからな」
「ちょ、長官?」
「ああ……編成は一任すると言ったが、訂正しよう。是非この男をそのチームに加えてもらいたい。――これは命令と解釈してもらっても構わない。実際問題、君のチームにその男は絶対に必要になるからだ」
 
 そこまで言われた瞬間、はやての中でパズルのピースがようやく音を立てて嵌った。
(そうか……ほな、やっぱり……)
 にわかに目付きを改めたはやてを見て、一方的に喋っていたエクリーも、そこで言葉を切り、視線に笑みを含ませた。
「どうやら、その男の名を言う必要はないようだな?」
「はい」


「湾岸警備隊防災課ジェット・リンク二等陸士――ですね?」


「頭のいい女性は好みだよ。――妻さえ許せば、ここでオフィスラブとしゃれ込みたいところだ」
 そんなセクハラ発言を平然とするエクリーだが、その口元に、先程はやてが嗅いだ、下卑た匂いは漂っていない。むしろその目には油断のならない光が輝き、かつて“海”で名うての切れ者と称された片鱗が窺える。
(ボンクラ長官の評判も仮面の一枚って事かいな……レジアス中将なんかよりよっぽど食えへんお人やな)

「座りたまえ。この話は長くなる」
 そう言ってソファを指すエクリー。
 はやては「失礼します」と短く言い、そこに座る。
 オフィス据付のソファにしては、かなり座り心地がいい。地上本部のトップともなれば、備品一つにしても、たかだか二佐に過ぎない自分との差は歴然だ。もっとも、彼が手にしている権限や情報は、さらに今の彼女の比ではないだろう。それこそ、備品のソファの値段以上にだ。
 
「ゼロゼロナンバーサイボーグの話は聞いているな?」

 それがジェット個人のことを指すのか、もしくはポイントG198に出現した“003”と“004”のことを意味するのか、――いちいち訊き返して話の腰を折るようなブザマな真似を、はやてはしない。
(と言うより、訊くまでもないって言うた方が正しいわな)
 この男はおそらく、すべてを承知しているはずだからだ。ジェットがフェイトに提出した、他のゼロゼロナンバーに関する資料も――どういうルートでかは分からないが、目を通していると判断して間違いはないだろう。
 だから、はやては短く、
「はい」
 とだけ答えた。
 そしてエクリーも、単刀直入に、用件をズバリと切り出す。

「昨夜のことだ。ポイントG198で負傷した救助官の一人から証言が取れた。次元転移してきた例の――“003”が、ジェット・リンクにハッキリとこう言ったそうだ。『こいつらは、ジョーを殺したのよ。それでも敵じゃないって言うの』と」

 はやては絶句した。
 その発言が意味することはただ一つだからだ。
 
「つまり、ゼロゼロナンバーはミッドチルダに深い怨恨を抱いている可能性が高い。そして、もし彼らの行動目的が“復讐”ならば、地上の平和を守る我々としても、この件への対応の仕方は限られてくる」
「たっ、戦う、ちゅうことですか……ッッ!?」
「そうだ」
 エクリーの声は厳しいままだ。
「もし、“003”の言った「ジョー」が“009”であるならば、ゼロゼロナンバーの中に加速装置装備タイプは、もはや“002”しかいないことになる。だが、“002”はもはやあちら側の人間ではない。なら、――最悪、我ら魔導師の火力でも充分に対抗できるはずだ」
「で、でもッッ!?」
「勿論、誰でもと言うわけではない。少なくともBクラス以下の魔導師では、彼らの光線銃を防御しきれないことは、先日の一件で証明された事だしな。だが、君たち――元機動六課のメンバーであれば、充分にゼロゼロナンバーと戦えるはずだ」

 その台詞に、はやては返す言葉を持たない。
 
「無論、交渉の余地があるようなら、無理に戦闘に持ち込む必要は無い。ジェット・リンクはそのための人員だ。彼らの誤解を解き、平穏無事に彼らには帰ってもらう。彼らが希望するなら、こっちの市民権と職を用意してもいい。ジェット・リンクと同じようにな」
「誤解?」
 思わず訊き返したはやてに、エクリーは言った。
「それはそうだろう。地上、本局、それどころか我がミッドチルダと国交を結んでいるあらゆる次元世界に問い合わせたが、――島村ジョーこと“009”と思われる対象と交戦し、無力化したなどという情報は、いまだに確認できない。つまり彼らの言い分は、大いなる勘違いである可能性が非常に高い。つまり、ミッド側としては、彼らと話し合う余地は多分にあると思いたい」

 なるほど――と、はやても思う。
 だいたい、ジェットから聞いた話では、ゼロゼロナンバー最強であるはずの加速装置装備型サイボーグ“009”が、そう簡単に遅れをとるとは思えない。
(むしろ魔導師相手に、メンバー最強が簡単に殺されるようなゼロゼロさんやったら、交戦状態になっても、そんなに怖くも無いやないの)
 そう思う。
 だが、彼らサイボーグたちがどう思っているか分からない以上、そんな仮定は一切無意味になる。
 それはエクリーも承知しているのだろう。
 だから彼は硬い表情で、こう言い切る。
「しかし、あくまで――彼らの戦意が硬いようなら――こちらも応戦するしかない。非殺傷設定の解除も無条件で許可する」

(殺し合えっちゅうんか!?)
 その乱暴な言い草に、はやても奥歯を鳴らさざるを得ない。
「でも長官、そんな命令にジェットさんが従うと思いますか!?」
 訊くまでもない。
 ゼロゼロナンバーとミッドチルダが交戦状態になれば、ジェット・リンクは間違いなくミッドを敵に選ぶだろう。そして加速装置装備型サイボーグを敵に回せば、しょせん魔導師では対応できないのは明白なる事実なのだ。
 だが、エクリーは表情を変えない。
「構わん。どちらにしろリンク二等陸士は交渉要員であって、戦闘員ではない。いつこっちを裏切るか分からん改造人間など、しょせん信頼は置けないからな」
 そう言いながら、エクリーは上着の内ポケットから、何かのリモコンのような黒い直方体を取り出し、はやてに手渡した。


「リンク二等陸士のボディをチェックさせているラボから届いたものだ。中央のボタンを押せば、やつのエネルギー変換炉に取り付けた超小型爆弾が、爆発するようになっている」
 
 
 はやては、またも言葉を失った。
 彼らはいつから、これを用意していたのだろう。
(最初の検査のときから……か?)
 間違いない。
 おそらくジェット・リンクが、その能力を思うがままに解放して、ミッドチルダの“敵”に回る日がいつ来てもいいように、抜かりなく手配していたのだろう。
 たとえ市民権を保障し、職を用意しても、ミッドチルダの為政者たちは、ジェット・リンクを最初から、まったく信用していなかったのだ。
(なんちゅう……恥知らずな……ッッ!!)
 同じミッドチルダの人間として、彼らのジェットへの仕打ちに羞恥と怒りを覚えたはやてであったが、――しかし、その怒りも、とある疑問の前に一気に冷たくなる。
(いや、それにしても、手回しが良すぎる……?)

 その能力がいかに優れていても、首輪をつけずに猛犬を飼い馴らすことなど所詮できない。ならば万が一、ジェット・リンクが時空管理局とミッドチルダ政府機関の手を離れた場合を考慮し、それに対処できるだけの処置を「保険」として施しておくのは分からないことではない。
 彼が装備する加速装置というテクノロジーは、それだけの危険性があるのだから。
 だが、エクリーの物言いは、まるで、こうなる事態をあらかじめ知っていたような空気がある。むしろ、こうなることを望んでいたようにさえ聞こえる。
 はやては、逡巡の末、その言葉を口に出した。



「長官、……黒い幽霊(ブラックゴースト)という名に聞き覚えは?」



 エクリーの表情は変わらなかった。
 むしろ、その顔はさらに金属的な――取り付く島の無いものになった。
「知らんな」
 ぬけぬけと言い捨てる男の顔に、はやては大いに納得をせざるを得ない。
(この大根役者め……ッッ)
 知らないわけが無いではないか。
 この命令の裏には、やはり彼らサイボーグが“宿敵”と見なす、その組織が絡んでいる。
 もう間違いはない。
 交渉の余地をちらつかせる一方で、むしろこの期に乗じてジェット・リンクごとサイボーグたちを葬ってしまえと言いたげなエクリーの口調は、明らかに平和的解決など望んでいるようには思えないからだ。

(ええやろ、わかった。そっちがその気ならこっちにも考えがあるで)
 はやてとて、この若さで二等陸佐にまで昇進した女だ。だてにタヌキと呼ばれているわけでもない。寝技も立技も、手練手管には一通りの覚えがある。
 サイボーグたちの“誤解”を解き、管理局の――いやミッドチルダの上層部に巣食う“ダニ”を掃除できるなら、むしろこの辞令は渡りに船でしかない。
 はやては、リモコンを懐に仕舞うと、ソファから立ち上がり、背筋を伸ばすとびしりと敬礼を決めた。



「八神はやて二等陸佐、首都防衛特殊任務部機動六課、部隊長を拝命したします!!」





[11515] 第七話 「出向辞令」
Name: ジンバブエ◆0efd2f53 ID:d2736d75
Date: 2010/03/29 19:21
「ねえジェットさん、何か食べないと身体に毒だよ……?」
 
 もう何度目か分からない台詞をスバルは投げかけるが、ジェットは凝然と一点を見つめたまま、何の反応も示さない。
 彼のデスクに置かれたトレイ上の料理も、もうすっかり冷め切ってしまった。
(当然……よね……)
 そう思う。
 デスクと言っても彼のオフィスのデスクではない。
 ここは湾岸警備隊本部庁舎の拘禁室。
 犯罪事件への関与を疑われた隊員や職員が禁足を命じられる一室であり、この部屋に送り込まれた者に向けられる周囲の蔑視の深さは、留置場のコソドロを見る目の比ではない。


 フェイト・ハラオウン執務官の事情聴取が終了し、その後、八神はやて特別捜査官からジェット・リンク拘束の解除、さらに本局への出頭命令が届いたのも束の間、重傷を負った救助官の一人が意識を回復させたという情報と共に、ジェットは再度拘束された。
 だが、ジェットはまるで考えることを放棄したかのように唯々諾々と命令に従い、こんな留置場にも等しい空間で、拘束に応じている。
 もしも彼がその気になれば、こんな拘禁室が何の足止めにもならないことは、誰もが知っている。つまり、湾岸警備隊がジェットに向けた信頼は、完全に冷え切っていないことを意味する。――そう、スバルも思っていた。まだ望みはあると。
 だが、面会に訪れたスバルは絶句した。
 一切の表情を無くして拘禁室に佇むジェットの首には、対凶悪犯用の拘束ベルトが巻き付けられていたからだ。

(嘘でしょう……なんでこんな……ッッ!!)
 そのベルトは、ロックを解除せずに指定された場所から50m以上移動すれば、有無を言わさず爆発する代物であり、当てずっぽうなパスワードを打ち込んだり、何らかの手段で切断しようとしても、やはり爆発する。
 事件への関与を疑われている以上、ジェットの能力を考えれば当然と言える処置かも知れないが、スバルにそれを納得しろと言うのは、やはり無理な話であった。
(仮にも、かつての同僚でしょうに……ッッ!!)
 彼女には、これ以上の屈辱はちょっと考えられない。
 だが、眼前のジェット・リンクに、自分の処遇に屈辱を覚えるほどの心の余裕があるはずも無かった。

 すでに現場の映像は静止衛星軌道上の監視衛星から転送され、ポイントG198で何があったのかは、管理局の知るところとなっている。
 あの赤い防護服の男女が、ジェット・リンクのかつての仲間であるゼロゼロナンバー・サイボーグである事実は彼も認めており、ジェットは、事情聴取に立ち会った執務官フェイトの要請に従って、現場で確認された“003”“004”以外のメンバーの情報を提出させられていた。
 ただの仲間ではない。
 自分と同時期に改造を施された“兄弟”であり、ともに同じ戦場を駆け抜けた“戦友”なのだ。そんな彼らに銃を向けられ、敵意の眼差しを向けられる――それがどれほどのショックであったかは、余人の想像が及ぶことではない。

 だが、それでもスバルに限って言えば、そのシチュエーションは理解の範疇外ではない。何故ならスバルは、いまのジェットと似た状況に陥った経験が、過去にあるからだ。
 最愛の姉であるギンガ・ナカジマがジェイル・スカリエッティの手に落ち、戦闘機人「ナンバーズ」とともに、スバルの前に敵として現れたことは、彼女の記憶に新しい。
 あの時感じた絶望は、多分一生忘れることは無いだろう。
 いや、それでもジェットとスバルとでは、情況に決定的な違いがある。
 ギンガは敵に回ったと言っても、それはスカリエッティに洗脳されたためであり、素の状態で立場が分かれたり、銃を向けられたわけではないということだ。

 つまり、ここで問題がハッキリする。
 彼らは本当に敵なのかということだ。
 それこそ、時空管理局のトップからミッドチルダの大統領府、そして誰よりもジェット本人こそが、最もその情報を知りたがっている。
 だからこそ、スバルはジェットに何も言えないのだ。

 
「ナカジマ士長、防災課長室に至急、出頭せよ。繰り返す。ナカジマ士長、防災課長室に至急、出頭せよ」

 呼び出しの声が、スピーカーから冷たく響く。
 スバルは思わず顔をしかめるが、しかし、かといって何も言うべき言葉が見つからない事実は変わらない。
「ジェットさん、また来ます」
 スバルは、そう言うしかなかった。
 だがジェットは、スバルを振り向くこともなく、それどころか凝然として微動だにしなかった。



「失礼します。スバル・ナカジマ防災士長、参りました」

 課長室のドアを開けると、そんなスバルを聞き覚えのある声が出迎えた。
「スバル――」
 ティアナ・ランスター。
 スバルにとっては陸士訓練学校以来の親友にして、機動六課において共にスカリエッティと戦った戦友。
「ティア……!?」
 久し振りの再会に、じわりと涙腺が緩みそうになるが、しかし、スバルは懸命に首を振ってこらえた。
 ここがどこであるか。そして、いまの彼女が何者であるか。
――さすがにスバルも、そこまで無自覚な真似は出来なかった。

 時空管理局本部所属執務官ティアナ・ランスター。
 それが今の彼女の肩書きだ。
 地上本部から剥奪されたジェット・リンクに対する捜査権が、いまは執務官フェイト・テスタロッサ・ハラオウンに委任されていることはスバルも知っている。そしてここに、新たなる本局執務官たるティアナがいる。
(確かティアはもう、フェイトさんの執務官補佐じゃないはずだけど……なら、なんでここにいるの……?)

「ナカジマ士長」
 そんなスバルに、課長は睨みつけるような視線を向けつつ口を開いた。
「今度ミッドの地上本部に特別チームが編成されるそうだ。クラナガンに潜入したと思われるゼロゼロナンバーサイボーグを捜索・確保するための、長官直属の特別班。――貴様にはそこに出向してもらう。そこの、ランスター執務官の要請に従ってな」

 スバルは弾かれたようにティアナを振り返る。
(なに? それって一体どういう事?)
 その説明では、ハッキリ言って全然わけが分からない。
 ゼロゼロナンバーに関する捜査権はすでに本局が取り上げたはずだ。ならなぜ特別チームが本局主導ではなく地上本部に組まれるのか。そして、“陸”が主導の特別チームならば、なぜ本局所属の執務官ティアナが、自分をそこに誘いに来たのか。
 まるでちんぷんかんぷんだ、と言わんばかりのスバルを放置して、課長はティアナをじろりと睨みつける。
「これで宜しいのですな執務官」
「はい。ご協力感謝いたします」
 そう涼しい顔で言い返すティアナに、彼はますます殺気の篭った声を出す。
「これで我が隊は戦力的に完全な開店休業状態だ。人員補充のメドは今日明日中に何とかすると仰られる執務官とエクリー長官のお言葉――本当に大丈夫なのでしょうな?」

(なるほど、そういえば……)
 その言葉を聞いてスバルはようやく思い出した。
 いま、この湾岸警備隊に、満足に救助活動を行える隊員は、もう数えるほどしかいない。“003”の銃撃によって、ファーストチームの救助官たちは全員重傷を負ってしまったからだ。
 ジェット・リンクは事件への関与を疑われて勤務シフトから外されているし、いまここでスバルまで別の隊に取られてしまえば、いざ何か災害が起こった場合、まったく対応が出来なくなる。それを承知でスバルを寄越せと、ティアナがここまで言いに来たのだとしたら、確かに課長の苦虫を噛み潰したような表情も納得がいく。
 この男は、現場の指揮よりも、本局とのナワバリ争いを自分の仕事と心得ているような、くだらない上司であったが、それでも今回の――まったくこちらの状況を無視した――スバルの出向要請に関しては、彼の怒りも無理もないとスバルも思える。
 しかし、だからと言ってこの男の立場を理解する気も、彼女には無い。
 いかに事件への関与を疑われたとはいえ、かつての部下に『首輪』を巻くような上司にかけるべき言葉など、スバルとしても持ち合わせてはいないのだ。

「ナカジマ士長の出向は、その補充人員とやらが到着してからでも遅くは無い、と思うのですが、ランスター執務官はそんな猶予時間さえ惜しいと言うのですな……?」
 怒りで声を震わせる課長に、ティアナは他人事のような顔で「――はい」と言い返す。
「このチームは、地上や本局といった枠組みの、さらにその“上”におられる方々が関わっておられます。貴官のお気持ちも当然とは思いますが……そこは理解していただくしかありません」
 その言葉に、課長の眉間の皺がさらに深くなったのがスバルには見えた。
 
「分かりました。では現時刻を以って、スバル・ナカジマ防災士長の「機動六課」への出向辞令を受理します。――ナカジマ、聞いての通りだ。湾岸警備隊の名を辱めないように、きっちり結果を残して来い。わかったな」
「は、はいっ」
(機動六課!?)
 聞き覚えのある隊名を聞きながら、上司――いや、もはや元上司か――に敬礼を返すスバル。その視界の片隅で、ティアナが自分に軽くウィンクしたのが、スバルにも見えた。

――だが、その直後にティアナが課長に向けた視線は、それまでの涼しい目から一転した鋭いものであった。
「先程申し上げたジェット・リンクの件、これも御了承頂けたと受け取って宜しいのですね?」
 と切り込むようにティアナは言い、
「……好きにされたらよかろう」
 と、狼狽したように答える課長に向けて、切れるような微笑を浮かべ、言った。
「ご協力感謝いたします」
 無論、スバルには、このやりとりの意味は一切分からない。
 


「ティア……ジェットさんを、一体どうする気なの……?」

 そのまま課長室を退出した二人だったが、廊下に出た瞬間に、スバルは呟くような声でティアナに向かって訊いていた。
 ぶっちゃけた話、さっきまでの課長とティアナの会話は、スバルにとってはハテナマークだらけだ。訊きたいことはいくらでもある。分からないことはそれ以上にある。だが、それでもスバルが口にしたのは、やはりジェットのことであった。
 考えた末での意図的な行為ではない。
 気がついたらそうしていた――というスバルの反射行為に近い。
 だが、ティアナはスバルに即答を返さず、気まずそうに目を逸らし、俯いた。

「あたしたちと一緒に特別班――新生・機動六課に来てもらう」

「来てもらうって……ッッ!?」
 スバルは絶句する。
 その部隊は、ゼロゼロナンバーに対抗するためのチームではないか。
「ジェットさんを――仲間と戦わせる気!?」
「そんな状況にならないことを、あたしたちとしても祈るしかないわ……」
 その言い草に、スバルは思わずカッとなる。

「ジェットさんは何をしたわけでもない。むしろ被害者なんだよ? それがッ、それが何でこんな目に遭わされなきゃいけないのッッ!?」
 ティアナは答えない。
「ひどいよ! こんなのひどすぎるよ!! ジェットさんは市民権を持つ歴としたミッドチルダ国民なんだよ!? たった二年で要救助者を二十名近く助け出した優秀な救助官なんだよ!? 昔の仲間がたまたま違法次元転移でミッドに来た――それだけじゃない!! それが何で、何でこんな酷い目に遭わされなきゃいけないの!? あの人が人間じゃないから!? あの人が“サイボーグ”だからッッ!?」
「――そうよ」

 そう毅然と言い放つティアナに、むしろ言葉を失ったのは、スバルの方であった。

「分かってるはずよスバル。あの人はただの人間じゃない。泣いたり笑ったりする一個人であると同時に、破格の力を持つ“兵器”でもあるのよ」
「それは――それはあたしだって同じことよッッ!!」
「いいえ、違うわ」
 ティアナは一瞬済まなさそうに愁眉を曇らせたが――しかし、目を逸らす事無くスバルを見据えたまま、その台詞を最後まで言い切った。
「戦闘機人のあなたやギンガさんと、彼とでは条件が違いすぎる。それはあなたが一番理解しているはずよ。同僚として“002”の性能を一番身近で見てきたあなたこそがね」
 ジェットをあえて製造番号で呼ぶティアナの言葉に、スバルはさらに頭に血の気を上らせるが、……しかし彼女は何も言い返せない。ティアナの言葉の持つ真実は、スバル自身こそが最も理解しているからだ。
 沈黙したスバルに、畳み掛けるようにティアナが言い重ねる。
「彼は――ジェット・リンクは、あたしたちの手に余る存在なのよ。いつ爆発するか分からない質量兵器と同じなの。そして、彼と同等の能力を持つとされるその仲間が、いまミッドチルダに大挙して密入国した挙げ句、救助官――いえ、ミッドの国民に銃を向け、行方を眩ませたわ。これがどういう事態であるか、あなたにだって分からないはずは無いでしょう?」

 そんな事は言われずとも分かっている。
 スバルは、そう言いたかった。
 そんな子供に言い聞かせるような目をして、説明なんかしないでくれ。
 スバルはそう叫びたかった。
 だが、彼女の口から出た言葉は、声になった瞬間、まったく別の台詞になっていた。

「ジェットさんは……これから一体どうなるの……?」

「泣いてる場合じゃないでしょう。この単細胞」
 ティアナは、そんなスバルの胸倉を掴む。
「え?」
 と訊き返す暇さえない。
 ティアナは鋭い声で――そして、そんな声とは裏腹に優しい瞳で――言い切った。
「ジェット・リンクを協力させる。昔の仲間じゃなく、あたしたちミッドの側に立って、この一件に力を貸すように説得するの。何があっても、あたしたちの味方でいてくれってお願いするのよ。ジェット・リンク二等陸士が今の社会的立場を維持するためにはもう、それしかないのよ。分かるでしょう!?」
 
 確かに言われてみればその通りだ。
 ゼロゼロナンバーが、何をするためにこのミッドチルダに現れたのかは分からない。
 だが、敵か味方か分からないならば、なおジェット・リンクの密なる協力が必要なことは、この国にとっては正しく自明の理ではないか。
 むしろ何故この理屈に到達できなかったのか、スバルにとっても不思議なくらいだ。
「ティア……ありがとう」
「ふんッ! わかったら、その涙を拭いてとっとと一緒に来なさい、この馬鹿ッッ」
 胸倉を掴み挙げた手を離し、肩で風を切ってスバルに背を向け歩き出す親友は、耳まで真っ赤になっているのが、後ろにいるスバルからもよく見えた。



「協力……?」

 スバルが何を言おうがまったく反応しなかったジェットだが、しかしティアナの言葉がよほど意外だったのか、むしろ先程よりも呆然とした表情を二人に向ける。
 だが、理性が回復するや、彼の目付きもまた変わった。――いや、戻ったと言うべきであろうか。本来ジェット・リンクの頭脳の回転力は、決して鈍くは無い。

「おれにスパイになれって言いたいのか? 仲間の元に戻って、情報をそっちに流せと」
 
 ティアナは静かに首を振った。
「それは先回りしすぎよ。我々は、そこまであなたに要求はしないわ」
「そりゃあそうだ。信用できないスパイが送ってくる情報なんぞ、全部デタラメかもしれないしな」
「ジェットさん……」
 そんな拗ねた子供のような物言いをするジェットに、スバルは悲しくなったが、しかしティアナは眉を薄くしかめただけで、鋭い眼光は緩めない。
「それは、あなたが供述した自分の過去や、フェイト執務官に提出したゼロゼロナンバーのファイルも――実はみんなデタラメだったということなの? 救助官としてのあなたのキャリアもすべて周囲をペテンにかけるための擬態だったということなの?」
「……………」
 
 ジェットはふたたび口を閉ざし、俯いた。
 そんな彼に、スバルは胸が痛くなる。
(擬態だなんて……そんなはずないじゃない)
 スバルは知っている。
 彼が、災害救助活動にどれだけの熱意を込めていたか。
 彼が、要救助者の命を救うためにどれだけのムチャを重ねてきたのか。
 こういう言い方はしたくないが、ジェットは湾岸警備隊の中で、誰よりも我が身を粗末にしてきた。

 魔導師といえども人間だ。
 数百度の炎の壁を突っ切って、数トンもの土砂や瓦礫の下から、生死も定かならぬ要救助者を捜索し、無事に安全地帯にまで連れ帰るなどという作業を、簡単にこなせるわけがない。
 だが、ジェットは違う。
 有毒ガスが充満する空間でも、沈没船の気密エリアでも、瓦礫の下敷きになった地下施設でさえも、彼は自在に救助活動を展開できる。彼の持つ超人的な能力の前には、スバルでさえも自分の無力さを思い知らされる程だ。そして、そんな超人としての己でさえも、ジェット本人にとっては劣等感の対象でしかないという苦悩も、スバルには理解できる。
 なぜなら、その葛藤はジェットと同じくスバルも常に歩んできた道だからだ。

 改造人間としての自分。
 救助官としての自分。
 そして、当たり前の人間でありたいと思う自分。
 この三つのアイデンティティの矛盾は「人間たち」には分からない。
 おそらくエリオやフェイト、さらにはヴォルケンリッターたちにも理解は出来ないだろう。これは骨や内臓の代わりに、鉄パイプや電子機器を埋め込まれている者にしか分からないことなのだ。

 だが……もう今は、そんなことを言っていられるような状況ではないのだ。
 スバルは口を開いた。
「ジェットさん。あたしたちと一緒に来て下さい」

 ジェットとティアナが、スバルを見る。
「戦うためじゃありません。ジェットさんの仲間と戦わずに済む道を模索するために、あなたの力を貸して欲しいんです」
「スバル……」
 ティアナが何か言いかけたが、しかしスバルはそれを遮った。
「あたしはジェットさんを信じています。だから、ジェットさんの仲間も信じます。その代わりにジェットさんも――あたしたちを信用してください。あたしたちを信じて、その力を貸して下さい。お願いします。お願いします!!」


 深々と頭を下げたスバルは、優しく頭を撫でる感触に、思わず顔を上げた。
 ジェットが――いつもの彼が見せる少し疲れたような優しい目をして、そこにいた。


「実はな……009が死んだらしいんだ」


 その言葉に、ティアナの目が鋭く光った。
 だが、スバルはとっさにどういう反応も出来ず、まばたきを繰り返すしかない。そんなスバルに、ジェットは遠い目で笑った。
「本当かどうかは分からない。オレがその場に立ち会ったわけじゃないしな。でも、003の荒れっぷりから判断しても、たぶん嘘じゃないだろう。――そうでもなけりゃあ、アイツが人に銃なんて向けるわけが無いんだよ」
「ゼロゼロ……ナイン?」
 たしかジェットは“002”だったか、と思いながらスバルはおそるおそる訊き返す。彼の提出した他のゼロゼロナンバーのデータを見ていないスバルには、そんな名前も未知のものでしかない。だがそれでも――ジェットがその『009の死』という言葉を、重く深く受け止めているのは分かる。

「いいやつだったよ。優しくて、強くて、真っ直ぐで、いつも正しいことが言えて……」

 ジェットの閉じた瞼から、一滴の涙がこぼれ落ちる。
 スバルも、ティアナも、そんな彼に何も言えなかった。
 だが、ジェットは涙を拭った。
「003は魔導師を撃って、009を殺したのは“こいつら”だと言っていた。――ランスター執務官、それは事実なのか?」
 ティアナは、多少慌てながら首を振る。
「そんな事実は確認されていないわ」
「だろうな……」
 ジェットは笑った。
 見ようによっては――魔導師ごときに009を殺せるものか――という笑いに見えないことも無かったが、それでも、その微笑は、彼なりに何かを吹っ切った笑顔であることは間違いないようだった。
「だが――それが事実であれ誤解であれ――やつらが009の復讐としてミッドチルダにテロ活動を仕掛ける、なんてことをするわけがないんだ。オレたちゼロゼロナンバーサイボーグが、そこまで落ちぶれるはずが無いんだ」
 
 ジェットは立ち上がり、首の拘束ベルトをとんとん、と指で突付いた。
「この不恰好な首輪を外せ」
 その発言が意味するところは一つ。
「ジェットさん――」
 スバルが思わず目を輝かせる。


「お前らに協力する。――いや、むしろお前らに協力してもらう。何があったのかを究明し、仲間と話をつけ、この件を片付ける。そのために――機動六課だったか――お前らの力をオレに貸せ」


「――喜んで」
 ティアナ・ランスターは、差し出されたジェットの右手を取り、力強く握りした。



[11515] 第八話 「ジェイル・スカリエッティ」
Name: ジンバブエ◆0efd2f53 ID:d2736d75
Date: 2010/03/29 19:21
「私の作品と君たちの製品、その差を問われれば、その答えは余りに膨大すぎて一言では答えられない。ただ、言えることが一つだけある」
「それは?」
「私以外にこれほどの天才がいるとは思わなかった」
「ほう?」
「君たちのデータを一読すれば、私がこれまでいかに多くの真実を見過ごしてきたかを思い知らされる。そう言っているのさ」
 ジェイル・スカリエッティはそう言って――黒い髑髏の仮面を被った男に――しぶい笑みを浮かべた後、ふたたび熱っぽい視線を眼下のデータに向けた。

 この悪趣味な仮面の男が何者であるかは、スカリエッティの知るところではない。
 ただ、退屈な無人世界の牢獄から、自分を出してくれたことに一抹の感謝を抱いているかと問われれば、さすがに頷かざるを得ない。
 無論、自由を得たといっても合法的な話では当然ない。
 稀代のマッドサイエンティストとして全次元世界を震撼させたジェイル・スカリエッティが、いまこうして、まったく行動を制限されることなくコーヒーをすすっていることが世間に知られたなら、ミッドチルダはパニックになるだろう。

 しかし、時空管理局は依然として、このジェイル・スカリエッティが第九無人世界「グリューエン」軌道拘置所第一監房にて終身刑に服していると思っている。
 ある意味、その認識は決して誤りではない。
 何者かの手引きによって、ジェイル・スカリエッティが俗世間に復帰したのは昨日の事だが、この次元世界第一級とも言うべきテロリストの脱獄劇は、いまだ当局の知るところではない。なぜなら彼が本来いるべき獄中には、これまでと変わらず、彼と同じ名、同じ顔、同じ記憶、同じ人格を所有した人間が存在しているからだ。
 無論、その「彼」はスカリエッティ本人ではなく、万が一の事態に備えて、プロジェクトFの技術を流用して彼が密かに用意していたクローンである。だが、そのクローンをスカリエッティ本人と入れ替えたのは、彼の手の者ではなく、この――「スカール」と名乗る黒髑髏の男の組織であった。

(独り思索を重ねる場に、ラボも刑務所も差はないだがな……)
 と思ったりもするが、しかしそれでも「囚人」という境遇に不便さを覚えたことなどないと言えば、それはさすがに嘘になる。閉鎖された空間は、それまで蓄積した知識を整理するには格好の場所ではあるが、新たなる刺激が皆無であるという現実の前には、やはり彼の肥大しすぎた探究心は、飢えに似た感情を覚えざるを得ないからだ。

 だから、スカリエッティがこの仮面の男に抱いている感謝は、自由よりも、この新たなる興味のテーマを与えてくれたという事実に尽きる。
――サイボーグ理論。
 それは彼の考案した「戦闘機人理論」と似て非なる、というよりまったく違うアプローチによって完成した人体強化プランであり、現段階での完成度は、彼の理論をはるかに凌駕する。

 それを口惜しいと思わないと言えば、さすがに嘘に近い。
 だが、科学者としてのスカリエッティの意識は、より優れた理論を、より意外な着眼点を、より合理的な研究を、本能的に求める。
 事実は一つではあっても、真実は一つではない。同じスタートから異なるゴールに辿り着くよりも、異なるスタートから同じゴールに到着する事の方がはるかに難しい。科学者ほどその事実を知る者はいない。ましてやジェイル・スカリエッティは科学者の中の科学者だ。己の理論よりも優れた理論と成果を前にして、嫉妬を前面に押し出すような幼さは持ち合わせていない。そこにあるのは、これまで自分が知り得なかった無数の真理に対する純粋なる探究心のみなのだ。
 


 戦闘機人もサイボーグも基本となるコンセプトは同じである。
 サイバーテクノロジーとバイオテクノロジーの融合。
 人体という脆弱な有機体を、機械工学によって補強し、生物として限りなく完成に近い存在へと高める。
 その過程において最も重要な課題が、人体の免疫力――いわゆる「異物反応」をいかにして抑制するかにあるという点は、およそ誰もが認めるところであろう。
 人体はパズルのピースではない。
 他人の臓器でさえ拒絶反応を起こす繊細な人体に、機械を直接ぶち込んで何も起こらないはずが無い。それもペースメーカーのような小さな機器ならばともかく、骨格・臓器・筋肉・皮膚などの人体を構成するあらゆる部位を摘出し、人工的に作り上げた細胞組織や人工器官を移植する。――そんな行為に普通の人間が耐えられるはずが無い。
 本来ならば何万人ともつかぬ人体実験の果てに、それらの全身改造に耐えうる人材を見つけ出さねばならないだろう。さもなければ誰をドナーにしても、ただ死ぬだけだ。

 だからスカリエッティの取ったアプローチは、改造に拒絶反応を示さない人間を、DNAから培養することであった。
 そんな彼らに、細胞レベルで機械と融合させた人工臓器を移植し、さらにインヒューレントスキルと呼ばれる先天固有技能などを付与し、現時点での最終作品である「ナンバーズ」は、その全員がSクラス魔導師並みの戦闘能力を獲得することに成功した。
 この人造兵士製造法は、旧暦の頃より何度も挫折を繰り返した禁断の難技術であり、それを実用レベルまで完成させたのは、やはり人造魔導師計画やプロジェクトFなどの、種々の生命操作技術によって蓄積された知識を持つ、このジェイル・スカリエッティならではの偉業である、という自負はある。
 だが、そのスカリエッティにしても、このサイボーグ計画のムチャさ加減には脱帽せざるを得ない。



 彼らの計画最大の特色は、一言で言ってしまえば、生体に内燃機関を内蔵させることで人体の持つポテンシャルを底上げし、全身改造や、その特化能力に適合し得る「生命力」を、被験者に獲得させることにあった。
 人間の心臓を自動車のエンジンと仮定するなら、一つの車体にエンジンを二つ搭載させて単純出力を倍にしようという理屈であろうか。

(馬鹿げてる)
 スカリエッティとしても、そう思わざるを得ない。
もし仮に、そのような提言を自分にする者がいたなら、スカリエッティは腹を抱えて笑ったに違いない。人体というものは、精巧なメカニズムにしばし例えられるが、しかし人体はあくまでメカニックではないのだから。
 だが、現に彼らのデータによれば、その効果は実証されている。
 エネルギー変換炉という超小型反応炉を被験体に内蔵させ、その結果、彼らの「サイボーグ」は、常人の数十倍から数百倍の筋力や最大48時間の無呼吸活動など、その性能を十二分に発揮する事が可能になっている。

 そして、何よりこの計画の最大成果は、――スカリエッティにも信じられなかったが――エネルギー変換炉による細胞活性が、なんと生体の老化を防ぎ、改造体の品質劣化を可能な限り防いでいるということだ。
 彼の「戦闘機人」でさえも、さすがに老化までは防げない。
 というより、もしも老化を防ぐ技術など確立できたなら、それこそ人類の夢である「不老長寿」の実現ではないか。まあ、その代償として人間であることを捨てねばならないとなれば、誰も喜んでその技術の恩恵を受けようとは思わないのかも知れないが。
 
 以上の結果から、「戦闘機人」が人間の延長線上の存在に留まっている事実に対し、この「サイボーグ」は明らかに人間を超越した存在だと言えなくも無い。
 すべてのテストケースとして改造された「ゼロゼロナンバー」はもとより、おそらくは量産タイプの雛型であろう「サイボーグマン・グループ」、または一体一体に神話の怪物のような外見と特化能力を付与した「ミュートス・サイボーグ」にいたっては、もはや彼らが人間であった事実を思わせる要素は皆無であると言ってもいい。

 最初、スカリエッティは、それを偶然の産物であると思っていた。
 将来的には大量生産が予定されていた「サイボーグ」計画ならば、その試作品製造の過程で、二・三人ほど被験者を死なせたところで何ら支障はない。ならば、お遊び的な人体実験を少し試してみようか、といった感覚で行われたのが、この内燃機関内蔵処置だったのではないか――。
 そう思ったのだが、どうやらそうではないらしい。
(彼らは確信犯だ)
という事実は、このアイザック・ギルモアという科学者が残した膨大なデータを見れば分かる。
 彼を筆頭とする科学者グループが残した「ゼロゼロナンバー」改造計画は――組織ではなく実父に改造された“001”を除いて――その被験者全員が、エネルギー変換炉内蔵を前提とする能力付与を、プラン段階から決定されているからだ。
 たとえば、このシリアルナンバー“002”という個体に付与された二つの能力――超音速での活動と思考、そして重力圏離脱すら可能とする単独連続航行能力――ともに莫大なエネルギーを要するこれらの能力は、彼らの体内反応炉が正常に機能することを前提にしなければ、絶対に成立しない。

(だからと言って、それをまともに実行しようなどと考える者がいるとはな……)
 そう思った時、スカリエッティはこぼれる笑みを抑え切れない。
 こんなことを考える人間は、ただのバカか、本物の天才だけだ。
 無論、スカリエッティは、このギルモアという男に自分が劣っているとは、毛ほども考えない。そして、このスカールという男もそう考えていることは、スカリエッティにも分かる。なぜなら――。


「つまり、君たちから提供されたこの資料と、私の持つ戦闘機人のデータを使って」
「そうだ。これまでに存在しない全く新しい改造人間。――それを造り出し、提供して欲しい。我ら黒い幽霊(ブラックゴースト)にな」


――そうなのだ。
 もし自分が、このギルモアなる男よりも低い評価を受けているならば、この仮面の男は、わざわざ自分を獄中から連れ出したりはしない。
 スカリエッティは薄く笑った。



AAAAAAAAA

 高町なのはは溜め息をついた。
(どうすれば……いいんだろう)
 いくら考えても答えなど出ない。
 いや、たとえどんな答えが出たとしても、それを実行できるかとなれば話は別なのだ。



 ここはクラナガンにあるミッドチルダ地上本部中央塔の27階。
 防衛長官コンラッド・エクリー中将は、そのワンフロアを丸ごと、その部隊のオフィスとして使用する許可を出した。つまり、27階にある全ての部屋を、新部隊に開放したのである。
 まあ、専用庁舎や宿舎、それに付随するスタッフまで用意されていた「機動六課」の頃ほど気ままは出来ないが、いかにも長官直属部隊にふさわしい破格の待遇であると言える。
 また、破格の待遇はオフィスのみではない。
 エクリー長官が直々に部隊結成を宣言した昨日の発足式。そこで初めてなのはは同僚の顔ぶれを知ったが、そこには、
(こんなの……本当にいいのかな……?)
 と、思ってしまうほどに精鋭が揃えられている。

 元六課の面々に加えて、次元航行部隊やミッド地上部隊のエース級。そして各次元世界所属のトップガンたち。さらに執務官や捜査官や査察官といったフリーエージェントたちからさえも腕利きを引っこ抜き、そんな彼らを指揮するのが『奇跡の部隊』の立役者・八神はやて二等陸佐とくれば――まさにこれは、ドリームチームと呼ぶに相応しい陣容であると言えた。
 なのはにとっても、ここにいるメンツに既知の者はかなり多い。また、直接の顔見知りではなくとも、名前を知っている者も結構いる。むしろ全く見知らぬ者たちの方が少ないくらいだ。「エース・オブ・エース」と同レベルで語られる高名な魔導師が、ここにはまるで何かのカタログのようにズラリと揃えられているからだ。

 その部隊の名を、首都防衛特殊任務部機動七課、という。

 だが、高町なのは個人として本音を言えば、旧六課発足時のような高揚感は感じない。むしろ、ここまで無節操に各部隊から戦力をかき集めたこの部隊に、逆に不安さえ感じるほどだ。そして、その思いを抱いたのは、彼女だけではないらしく、周囲を見渡してもテンションの冴えない者たちは、かなり多い。
 スカリエッティに代わり、新たな部隊の仮想敵と説明された「ゼロゼロナンバー」にしても、彼らとの戦闘は本当に不可避なのか。そして戦闘が不可避だとしても、ここまで容赦なく戦力をつぎ込まねばならない程の相手なのか。――周囲の面々が「歴戦の強者」であればあるほど、その不安は膨らむのだろう。

 もっとも、今なのはが頭を抱える悩みは、そんな漠然としたものではない。
 おそらく、この機動七課の中で「ゼロゼロナンバー」が明確に敵ではないと認識しているのは、この高町なのはだけのはずなのだ。
(いや、確かもう一人――)
 そう思ってちらりと頭を巡らせた先に、一人の青年が窓際のデスクに座って外を見ている。
――ジェット・リンク。
「ゼロゼロナンバー」唯一の管理局協力者と言われる男がそこにいた。
 彼と話し合わねばならない。
 それも可能な限り早く、だ。
 いや、本来ならばもっと上の――部隊長のはやてにでも報告せねばならない。
 だが、何をどう報告すればいいのか分からない。何より、なのは本人にも一体何が起こっているのか、よく分かっていないというのが一番大きい。


「でも、どうして“機動七課”なんて中途半端な部隊名になったのかな? 新生機動六課じゃだめなの?」
「なんでも古代遺失物管理部からクレームが来たらしいよ。“機動六課”は「奇跡の部隊」の代名詞だから、勝手にその名前を使うなって。……まあ、部隊名なんてどうでもいいんだけどね」
「そんなことないよ。わたしはキドーロッカって響き、結構好きなんだけどなあ」
「だったらキドーナナカでも別にいいじゃないか」

 エリオとキャロが、無邪気な声で語り合っているのが聞こえる。
 はやては、この二人が新部隊編成に加えられたのを聞いて、エクリーに怒鳴り込んだそうだ。彼女としては、いまだ幼いこの二人を、今回のゴタゴタに巻き込みたくなかったのだろう。もっともこの二人がその話を聞いたら、仲間外れにするなと怒り出すかも知れないが、それでも、はやての親心はなのはにも理解できる。本当なら二人とも、まだ学校に行ってるような年頃なのだ。
 そして、学校――という単語は、否応もなく彼女が抱えていた悩みをふたたび刺激する。今頃学校に行っているはずの愛娘・高町ヴィヴィオと、今この瞬間も、彼女の護衛をしているはずの少年を思い出させるのだ。



 それは三日前のことだった。
 来たるべき新部隊出向に備えた教導隊での引継ぎが、なぜか予定よりも早く終了し、珍しく昼過ぎに帰宅した彼女は、とある異変に気付く。
(ブリード君がいない……?)

――ブリード・グレッチェン。
 クラナガンの裏道でなのはが拾った少年。
 地球出身を思わせる柄のTシャツを着込み、その身に虐待の痕跡かと思われる無数の生傷を持ち、自閉症のように笑わず、失語症のように語らず、ガラス球のように鈍い光を放つ眼をした子供。
 施設に放り込んで万事終了――とするには、彼女は優しすぎた。
 かつてのヴィヴィオのように放っておけない空気を持つ彼を、なのはは自宅に連れ帰り、入浴させ、着替えをさせ、食事を取らせ、そして眠らせた。優しい言葉とスキンシップを与え、その瞳に年齢相応の輝きを取り戻させてやりたかった。
 もっとも、管理局所属の魔導師であるなのはは専業主婦ではないため、子供を引き取っても、一日中その子の面倒を見ることは困難だ。だから彼女が出勤している間のブリードの世話は、結局ヴィヴィオに一任する形になっている。勿論なのはは、その事実を申し訳なく思っているが、それでも分かることはある。

 ヴィヴィオが学校に行っているこの時間、ブリードはここにいるはずだった。
 にもかかわらず、彼はいない。

(ちょっと……待ちなさいよッッ!!)
 バスルーム、トイレ、キッチン、そしてベッドルーム。
 部屋をすべて見て回り、どこにも少年の姿が見えないことを確認すると、そのままバリアジャケットを纏うと、バルコニーからマンションの外に飛び出した。
 勿論、当局に許可を得ない飛行魔法はミッドチルダでは厳禁だが、そんなことを言ってられない。

 クラナガンの治安は、場所によっては東京の比ではない。表通りは清潔でも、裏通りに一歩足を踏み入れれば、ちょっとしたスラムやゲットーも顔負けの汚い町並みが広がり、違法魔導師が獲物を求めて目を光らせている。
 まるでニューヨークのように、美しいビルの足元にストリートギャングがたむろする。――クラナガンとはそんな街なのだ。
 ヴィヴィオならば、そんな危険地帯を避けて通る理性がある。
 だが、あのブリード・グレッチェンにそんな利発さは期待できない。
 なのははレイジングハートを片手に飛び回り、探し回り、声を嗄らして少年の名を呼び、あげく無許可飛行で職務質問され、へとへとになってマンションに帰ってきたときはもう、太陽が傾いていた。
 
 結局ブリードは見つからなかった。
 そろそろヴィヴィオが学校から帰ってくる。
 どのツラ下げて彼女を出迎えればいいのか、もうなのはには分からない。面倒くさがってはいるが、実はヴィヴィオがブリードを弟のように可愛がっているのは、なのはも知っているからだ。
(どうしよう……)
 正直なのはは途方に暮れる思いだった
 自分を職務質問した警官は、
「夜まで待ってそれでも帰って来なかったら捜索願を受理します」
 と言っていたが、日が暮れるまでなど待てるわけもない。
 とりあえず、ヴィヴィオが帰ってきたら、もう一度捜しに行こうとは思う。
(こんな時にフェイトちゃんがいてくれたら……)
 唇を噛む思いをしながらドアを開けて、リビングに入ろうとした瞬間、――彼女はとっさに廊下に隠れた。

 リビングのサッシ越しに、夕日の当たるバルコニーが見える。
 そこに一羽の鳥が、派手な羽ばたき音を立てて舞い降りた。
 小鳥のような可愛い鳥ではない。まるで産卵期のハゲタカのような、かなり大きい鳥だ。何故こんな鳥が、こんな都市部の、こんなマンションの、こんなバルコニーにやってきたのかは分からない。だが、一瞬ではあるが、なのはは行方が分からない少年のことを忘れた。

 その時だった。
 鳥の翼がヘソに――そう、何故かその鳥にはヘソがあった――触れるや、見る見るうちに姿が変わり、素っ裸の人間の子供に変わったのだ。
 その子供――ブリード・グレッチェンの表情に、いつものうつろさは無い。むしろ一仕事を終えた大人のような疲労感さえあった。
 彼は、そのままタンスから服を取り出して身に付けると、
「いつまでこんなブリーフを穿かなきゃならねえんだろうなあ、まったく……」
 などと呟きつつ、頭を掻き、そのままどっかとソファに座り込んだ。


 一体何が起こっているのか、なのはには分からない。
 分からないが、しかし、何かが起こっているのは分かる。
 この高町家に自閉症児を装って、まんまと入り込んだ正体不明の少年。――いや、いま自分が見たものが錯覚で無いならば、彼は変身能力を備えている事になるので、はたして彼が外見通りの年齢なのかも分からない。
 だが、ここはミッドチルダ――魔法の国だ。
 なのは自身は見たこともないが、“変身”という行為は魔法でも可能だと聞くし、確か例の「ナンバーズ」にも変身能力を持つ戦闘機人がいたという話だ。ならば、その狙いも予想がつく。おおかた古代ベルカ聖王のコピーたるヴィヴィオの身柄であるとか、なのはかフェイトから情報を引き出すとか、そんなところであろうか。

(ひっ、人の親切を踏みにじって……ッッ!!)
 許せなかった。
 怒りという感情をあまり表には出せない彼女ではあるが、JS事件以降、次元犯罪者相手にも、ここまで怒りを覚えたこともないであろう。
 たった今までこの少年の身を案じて、外を駆けずり回っていた自分の間抜けさ加減に腹が立って仕方が無い。まるで道化だ。いや、道化以下だ。
 思い返せば、この少年には、確かに怪しいというべきフシもあった。
 彼が初めて笑った夜、隣で眠っていたはずのブリードが放つ猛烈な殺気に、思わず目を覚ましたこともある。だが、怪しむべしと言ってもそれくらいだ。つまりは、彼はそれほどに完璧な演技で自分たちを騙していたという事になる。
 レイジングハートを震える手で握り締める。
 バリアジャケットを解除してなくて正解だった。このまま射撃魔法をぶち込んで、動けなくなったところを拘束する。容赦する気はまったく無い。どうせ悪いのはコイツなのだ。
 その時だった。


「おう、おれだ。ヴィヴィオの身辺には今日も異常なし。まあ、いつ黒い幽霊(ブラックゴースト)が出てきても、おれが護衛してる限りアイツには指一本触れさせねえがよ」


 彼女は愕然となった。
 いま、あの男は何と言った?
 護衛と言ったのか!? 
 ヴィヴィオを護衛しているというのか、あのブリード・グレッチェンが!?
 いや、それよりも――
 必死に気配を殺しつつ、廊下からリビングを覗き見る。
 サッシから外を眺めながら、ブリードが独り言を続けている。
 おそらくその視線の先にいるのは帰宅中のヴィヴィオであろう。ならばその声の先にいるのは誰だ?


「イワンの予知夢が正しけりゃあ、そろそろ現れてもいい頃なんだが、なかなか尻尾を見せねえな。――まあ、それよりハインリヒよ、ジェット・リンクが――002が生きてたってのはマジなのか?」


 震えが止まらない。
 無論、さっきまでの震えとは質が違う。
 聞き違いではなかった。
「ブラックゴースト」「ジェット・リンク」「ゼロゼロツー」
……みな知っている言葉だ。
 はやてから聞かされた「ゼロゼロナンバーサイボーグ」の話。そして彼らに対抗する特別班を“陸”のトップであるエクリー長官が立ち上げるという話。そして、その裏にいると思われる何者かの組織の話。
 その当事者が、まさか自分の家に入り込んでヴィヴィオを守っているなど、ありえる話ではない。一体自分は気付かないうちに、どういう事態に巻き込まれてしまったのだろうか?

 インターホンが鳴る。
 学校からヴィヴィオが帰ってきたのだ。
 なのははとっさに別室に身を隠す。
 そのまま彼女に気付かず、ブリードは玄関に向かう。
 その隙になのははリビングに入り、サッシを開けてバルコニーから外に飛び出した。
 しばらく一人になって頭を整理したかったのだ。
 ヴィヴィオをブリードと二人っきりにすることに一抹の不安が走ったが、さっきの少年の口調を思い出した瞬間、それは気にならなくなった。
(あの子は、ヴィヴィオを守るためにここにいる……)
 もし、あの少年の正体が、はやてから見せられたデータにあった“007”――変身能力を持つというゼロゼロナンバーの一人であるとするならば、下手な魔導師の十倍は信頼できるだろう。
 だが、本当に彼は味方なのか?
 ゼロゼロナンバーが何故ヴィヴィオを守っているのか?
 分からない。何も分からない。そして分からない以上、おいそれと誰かに相談できる話でもない。

 結局、なのははそのまま一回りして地上に降り、仕事帰りを装って帰宅した。
 それが三日前の話だ。
 結局なのはは、この件を誰にも話せなかった。
 事態の推移をもう少し見極めてから――というのは建前だ。本音のところは違う。結局のところ、なのははブリードを信じたいのだ。彼がただの嘘つきであるとはどうしても思えないのだ。
(これでも――人を見る目はそれなりにあるつもりだしね)
 これまで、まんまと騙されていたという腹立たしさとは別に、その上でなお、彼は信頼できると、なのはの勘は言っている。だから彼女は少年を信じるのだ。
 なにしろ、この勘には実績がある。
 かつて戦ったフェイトも、ヴォルケンリッターも、その勘の告げる通り、結局“敵”ではあっても“悪人”ではなかったではないか。
 そう思うと、少しは気が楽になる。楽になったような気がする。
 だから、今はこれでいい。

 
「――どうしたの、なのは?」
 顔を上げると、隣にフェイトがいる。
「昨日から顔色が冴えない」
「たはは……」
 やはり、この親友には隠し事は出来ない。
(どうする? やっぱりフェイトちゃんには教えた方がいいのかな)
 反射的にそう思ってしまうが、――やはり、それはできない。
 彼女がその情報を知れば、間違いなく事態は表沙汰になる。これほどの情報をフェイトが見過ごすはずが無いからだ。
(フェイトちゃんは、融通がきかないからなぁ……)
 そして何より、この一ヶ月のうちに数えるほどしか帰宅していない“フェイトママ”は、なのはほどにブリードを知らない。つまり彼女は、なのは程に少年を信用できないであろう。
(やっぱ、言えないよね……)
 あとでさぞかし怒り狂うだろうなと思いつつ、やはりなのはは笑って答えた。

「最近ちょっと、お通じがね……」



 そのとき、デスクがひっくり返ったような大きな音がした。
 なのはもフェイトも、いや、そのオフィスにいた全員が音のした方、――ジェット・リンクを見る。
 彼を取り囲むようにして立つ数人の魔導師、なかでも大柄な黒人が、彼のデスクを蹴り倒したらしい。

「なんだよ、俺が言ったことが何か間違ってるって言うのか?」
「おめえ、例のゼロゼロナンバーとかいう戦闘機人の裏切り者なんだろ?」
「裏切り野郎はそれらしく、もっと隅っこで小さくなって愛想笑いでもしてろって言ってるんだよ」
「それとも、なんだ、やる気になったっていうなら今すぐ白黒つけてやってもいいんだぜ」

 男たちの全員に見覚えは無いが、それでも真ん中にいる黒人だけは、なのはも知っている。確か首都航空防衛隊の副長だったマイケル・アーロンとか……。

「ちょっと、やめなさいよ!!」
 ティアナと話していたスバルが駈け寄るが、男たちは先程に輪をかけたイヤらしい笑みを浮かべたまま、ジェットの前からどこうともしない。
「どうするサイボーグ君? ママの背中に隠れたきゃ好きにしていいんだぜ」
「機械を埋め込むついでにタマを抜かれちまったらしいな」
「特救で鳴らしたストライカーだったんだろ? あんまり失望させんなよ」
 そんな仲間の声にかぶせるように、アーロンが一際ドスの利いた声で言った。
「おれたち魔導師がおめえたち相手にどれだけやれるか、試させてくれって言ってんだよ。今後の敵の戦力予想のために協力してくれよ、な?」

 ここまでナメた口を叩かれては、ジェットとしては黙っていられまい。
 元はスラムの不良だったとも聞く。売られた喧嘩を買わないほどのんきな性分ではないはずだ。
 そう思ったなのはだが、しかし彼の返答はさらに痛烈だった。
 ひっくり返ったデスクを起こすと、その引出しからレポート用紙とペンを取り出し、ジェットは言った。



「遺書を書け」


 
 予想外の返答に、男たちが絶句する。
 ジェットは表情も変えずに言った。

「おれの銃には、お前らのように便利な「非殺傷設定」なんて機能は無くてな。必然的にやるんなら殺し合いってことになる。だから書け。――この“模擬戦”がどのような結果に終わろうとも、その一切の責任は対戦相手に問わないものとする、ってな」

 その台詞に比して、あまりにも態度を変えないジェットに圧倒されたかのように、男たちは言葉を失う。そして彼らは、
「それとも、殴り合いの方がいいのか?」
 と言いながら、スチール製のデスクの天板に、まるで粘土のようにズブリと親指を突っ込んだジェットに、さらに何も言えなくなった。男の一人などは「ひっ」と小さく叫んで後ずさりしたほどだ。

「恥さらしめ……ッッ!!」

 低い声でそう呟いたのは、なのはではなかった。
 無論、隣にいたフェイトでもない。
 その言葉を吐いた当の彼女は、つかつかとジェットに歩み寄ると、アーロンの後頭部を周囲に音が聞こえるほどの勢いで殴りつけた。
「この馬鹿どもがッッ!! あっちに行って座ってろッッ!!」
 そう怒鳴られた男たちは、毒気を抜かれたような表情で互いを見回す。
 そんな彼らを背に、彼女はジェットに振り返り、頭を下げた。

「私は首都防衛隊隊長シグナム一等空尉。部下たちの非礼は謝罪する」

 だが、そう言いながら顔を上げたシグナムの目には、申し訳なさげな光など微塵も込められてはいない。
 彼女はペンを取り出すと、親指大の穴が開いたデスクに置かれたレポート用紙に、そのまま何かをさらさらと書き込んだ。
「シグナム副隊長、それって……ッッ!?」
 男たちのさらに背後から事態を見ていたスバルが、その紙を見た瞬間、青ざめる。
――そこにはまさしく、先程ジェットが言った通りの文言が記されていたのだ。


「私が死んでもその責を貴様に問わないことはここに確約する。その上で、貴様にも一筆したためて貰おう。私が貴様を殺しても、その責は追求しないとな」


(なるほど……)
 なのはは心中に頷いた。
 口調こそ荒いが、シグナムが冷静であることは、その目を見れば分かる。
 ならば、彼女の意図も単なる部下の意趣返しであるはずがない。
(試すつもりなんだ……ジェット・リンクがどの程度やれるのかを)
 そう思えばシグナムの行動も納得がいく。
 そして、アーロンが言った通り、ジェットとの戦闘内容で、他のゼロゼロナンバーの戦闘力を少しでも測ろうというのだろう。
 それが分かるからこそ、他の魔導師たちも、この喧嘩を止めようとしないのだ。――スバルを除いては。

「やめて下さいシグナム副隊長!! こんなのおかしいですよ!!」
 そう言いながら二人の間に割って入ろうとするスバルを、シグナムは一睨みして黙らせると、
「さあ、表に出ろ!!」
 とジェットに向かい、叫んだ。






[11515] 第九話 「決闘」
Name: ジンバブエ◆0efd2f53 ID:d2736d75
Date: 2010/03/29 19:21
「シグナム……」
 八神はやては頭を抱えていた。
 しかし当のシグナムは顔色も変えない。
「やはり、八神部隊長は反対なさりますか」
 それどころか、そう問い返すシグナムの瞳には、かなり不満が見えた。

――ミッドチルダ地上本部中央塔27階・機動七課部隊長室。
 模擬戦の許可をくれと言いにきたシグナムだが、しかし、はやてもそう簡単に頷くわけには行かない。彼の光線銃に非殺傷設定など無いことを知っている以上、許可など出来るわけも無い。そんなジェットを相手に、シグナムが自らの非殺傷設定を解除しないわけがないからだ。
(そんなもん模擬戦どころか、ただの殺し合いやんか)
 ダテに長年、家族として同居してきたわけではない。
 シグナムの態度を見れば、感情的な衝突があったことくらいは、はやてにも分かる。
 無論、それ以外のことも。

「ジェットさんは?」
「先に屋上で待ってます」
「屋上?」
「私や彼のスタイルを考えれば、どうせ舞台は空ですから。あとは部隊長の許可だけです」
「他の隊員は? 誰も止めようとはせなんだの?」
「はい」
「なのはちゃんやフェイトちゃんも?」
「はい」
(まったく……)
 はやては溜め息をついた。

「あの……マイヤーズ秘書官、ちょっと席を外してくれへん?」
「それは命令でしょうか」
 きりっとした顔の、いかにもキャリアウーマン然とした雰囲気の女性が、デスクから顔を上げる。
 命令か――と問う以上、黙って従う気は無いということなのだろうが、しかし、はやてとしても、エクリーがわざわざ付けた、このニーナ・マイヤーズという秘書官の前で、本音を語るつもりはない。
(どうせ、わたしから目ぇ離すなって命令されとるんやろうなぁ……)
 そう考えると、今の職場がますますイヤになってくるが、これも仕方が無い。
「ほな、命令として解釈してもらって構へんから、ちょっと外してくれへんかな?」
 さすがに秘書官は命令という言葉には逆らわない。憮然というほど露骨に態度には出さないが、彼女はそのまま席を立った。

 ニーナが退出した後、はやてはシグナムに向き直った。
 その目の色は、明白にさっきまでとは違う、咎めるような光がある。
「あの……主はやて」
「――試金石のつもりかいな?」
 その言葉に息を飲むシグナムを見て、はやては太い溜め息をついた。
「やっぱり、……そんなことやろうと思ったわ」
 試金石――つまり、自らの身を以って、魔導師の力がゼロゼロナンバーの戦闘力に拮抗できるかどうかを試そうというのであろう。
 
「やはり、主はやてには何も隠せませんね」
 むしろ安心したような顔でシグナムは言うが、さすがにその言葉を褒め言葉と解釈するほど、はやてはめでたくはない。
「当たり前や。仮にもわたしはあんたの家族やで」
 はやてと出会う以前ならともかく、今のシグナムという女性が、何の考えもなしに生死を賭けた勝負などするはずがないということも、はやては百も承知であった。
「まあ、多少はむかつくこともあったみたいやけど」
「魔導師という存在を丸ごと侮辱したような口を叩かれたので、そこは否定しませんが」
 そう言ってシグナムは苦笑した。
 無論、彼女がここで言う魔導師とはミッド式の使い手のみを指す代名詞ではない。魔法を使うすべての者を示していることは明白だ。
 だが、はやては笑わない。

「分かってるやろうけど――ブザマな負けは許されへんで」
 やる以上は、せめて善戦しなければならない。
 そうでなければ、部隊長たるはやてが困る。
 この機動七課は、ミッドチルダを含むあらゆる次元世界の管理局魔導師たちから選りすぐった精鋭部隊であるが、仮にもヴォルケンリッターの将であるシグナムは、その腕利き揃いの新部隊の中でも屈指の強者であることは間違いない。その彼女が、部隊の仮想敵とされているゼロゼロナンバーの一人たるジェットに惨敗でもした日には、隊員たちの士気は目も当てられないものになるであろう。
(まあ、今度の隊員たちが、そんなヤワな連中ばっかりとも思えへんけど……)

「加速は使わぬと彼は言いました。ならば、我らベルカの騎士に、一対一の戦いで負けは在り得ません」
 胸を張ってそう言い切るシグナムに、しかしはやては暗い顔を隠さない。
 一対一だから負けない。――そんな短絡的な言葉を本気で吐くほどシグナムは未熟な戦士ではない。
(プライドに触るのは分かるけど……わたしにまで、そんな強がり言わんでもええやないの……)
 

「相性は最悪やで」


 はやては厳しい声で言った。
 その言葉には嘘は無い。100%彼女の本音だ。はやては湾岸警備隊に於けるジェット・リンクの戦闘記録に全て目を通している。だからこそ言えるのだ。加速装置という“反則”を使うまでもなく、シグナムとジェットとでは戦闘相性は致命的だと。
 それは何故か。
 彼女の戦法――と言うより、古代ベルカ式魔法は、あまりにも近接戦闘に特化し過ぎているからだ。
 もっとも、並の相手ならば、それは短所ではない。己より砲撃力に勝るミッドの魔導師が相手でも、一度懐に入ってしまえば、そこで勝負を決めてしまえるという事だからだ。そして、シグナムのスタイルは、そのスピードを活かした一撃離脱戦法――つまり典型的な古代ベルカ騎士の戦闘法というべきだろう。

 もっとも、近接戦闘の優位性は、ベルカ式の特色とも言うべき要素であり、それは何もシグナムに限った話ではない。戦闘支援魔法を得意とするシャマルや、広域攻撃魔法を十八番とするはやては例外としても――シグナムだけでなく、ヴィータも、ザフィーラも、ゼストも、――さらには近代ベルカ式の使い手たるスバル、ギンガ、エリオでさえも、その本領は格闘戦にあると言っても過言ではない。
「一対一ならベルカの騎士に負けは無い」
 かつてヴィータはそう言い切り、そして今、シグナムも同様の台詞を吐いた。
そして、その言葉の通り、フェイトでさえも一度はシグナム相手にバルディッシュを叩き斬られ、なのはに至ってはヴィータ相手に、かつて半死半生の目に遭わされている。

 余談ではあるが、それほどの魔法術式が、ミッド式の前に廃れ切ってしまったのは――古代ベルカ王国の滅亡という直接契機に関わらず――その近接戦闘重視のスタイルに理由があるのではないだろうか。
 一気に相手の懐に飛び込む機動性を発揮させなければ、砲撃技術にまさるミッド式魔導師にとって、古代ベルカ騎士など物の数ではないはずだ。たとえば対集団戦――個人の騎士が多数の敵を相手にする場合など、複数の目標対象への同時攻撃技術に主眼を置かないこのスタイルは、ちょっと非実戦的だと言うしかない。

 無論、ヴォルケンリッタークラスの騎士たちを、管理局武装隊の平隊員が相手に出来るとは言わない。人材にもピンからキリまでランク付けがある。個々の腕の差に余りにも開きがあれば、数の不利など意味を持たないからだ。だが、それでもなお、それらを内包した「平均的統計」を取れば、やはり術式の差は明らかにならざるを得ない。
 それは一対多の戦闘のみならず、集団対集団の組織戦――いわゆる戦争状態になれば、その差はさらに歴然となるはずだ。
 小隊規模程度ならばともかく戦術・戦略規模の戦闘になればなるほど、個々の兵士の格闘能力は、ある程度以上の敵性砲撃力を前にした時に意味を為さなくなる。長篠の合戦を例に取るまでもなく、戦争に於ける“強さ”とは火力を意味するものであることは明白だ。

 話を戻すと、ベルカ騎士に機動力を発揮させない状況とは、何も集団戦に限った事ではない。たとえば、相手の機動性がこっちを凌駕する場合――などもそうであろう。
 もしシグナムがジェット・リンクを、加速のみが取り得の蚊トンボだと認識しているならば、それはあまりにも危険だと言わねばならない。


「ジェット・リンクの機動性は、多分あんたやフェイトちゃんよりもさらに上や。格闘戦に持ち込もうにも、追いつけなんだら話にならへん。それに比べて、あの人の銃はいつどこからでも相手を狙撃できる。それもヘタな防御魔法なんか通用せえへん威力でや」


 しかしシグナムも、今更その言葉に何らかのショックを受けた様子も無い。
「ジェット・リンクの敏捷性については私も承知しているつもりです。かつて首都防空隊と湾岸警備隊で合同作戦を展開した時、彼の旋回性能を一度拝見する機会に恵まれましたから」
 今度ははやての目が丸くなる番だった。
「そのときジェット・リンクは、五人の空戦魔導師をたった一人で相手にし、彼らが放った合計十数発の誘導射撃魔法を、例の加速装置も使わず、まるでツバメのような身のこなしで躱し切ると、抜き手も見せぬ早撃ちで、その四人のデバイスだけを正確に射抜きました」
「……………」
 その事件の資料は、はやても目を通している。
(確か、首都防空隊に追われた大規模違法魔導師集団の合同掃討作戦、やったっけ……)
「それまでも特救のジェット・リンクの名を知らなかったわけではありませんでしたが、ここまで恐るべき奴であったとは認識していませんでした。あの男の動きを完全に封じ込めるためには、私とテスタロッサの二人がかりでも難しいかも知れません」

 それが分かっているなら何故――、
 そう言いかけて、はやては口を閉ざした。
 シグナムの口元に亀裂のような笑みが張り付いていた。
 その瞳は、はやてに向けられてこそいるが、シグナムが彼女を見ていないことは明白だ。

「実に……久し振りでしたよ……私が他人の技量を尊敬したのは……」
「シグナム……」
「なのはやテスタロッサと海鳴市で戦った時も、JS事件の際に騎士ゼストと刃を交えた時も、こんな感覚は覚えませんでした……先代の、さらに先代の主の下でリンカーコアを蒐集していた時以来かも知れません……こんな、血が沸き立つような感覚は……!!」

 かつて闇の書から彼女たちが出現して以来、はやてはこんなシグナムを見たことが無い。
 だが、それでも、このシグナムの台詞と薄笑いの意味くらいは分かる。
――彼女は戦いたいのだ。
 部下をコケにされた意趣返しでもなければ、魔導師とサイボーグとの戦力比較の試金石でもない。そんなものはみな口実だ。彼女はジェット・リンクと戦い、彼我のどちらが強いのかを純粋に確認したいだけなのだ。戦闘相性が一方的に不利であることなど、はやてに指摘されるまでもなく承知した上で、それでもなお戦ってみたいのだ。

「どうやらもう、……何を言うても無駄みたいやな……」
 はやては溜め息を吐いた。
 だが、シグナムは俯かない。
 彼女は笑った。先程までの酷薄な笑みとは違う、シグナム本来の少し照れたような笑顔で言った。
「心配要りません。誰もケガはしませんよ。――多分ね」
 

AAAAAAAAA

(信じられない……)
 思わず、フェイトは己の目を疑った。
 その思いはフェイトだけではなく、彼女を少しでも知る者であれば同じであったろう。
 現に隣にいる高町なのはは、やはり呆気にとられた表情で空を――虚空に舞う二人の男女を見上げ続けている。おそらくはなのはのみならず、はやてやヴァイスも同じ顔をしていることだろう。そして、それは当然のことだ。

――誰が信じられるだろうか。あのシグナムが決闘相手に不意打ちを仕掛けるなど。

 ミッド地上本部の宙空に対峙する男女に向けて、八神はやてが何を言おうとしたのかは、分からない。
「ええか二人とも――」
 彼女がそう言いかけた瞬間に、シグナムは剣を抜きながら、その刀身を複数の結節に分かれた鋼鉄のムチに変化させ、ジェットの顔面を狙ったからだ。
(抜き打ちでの飛竜一閃……ッッ!?)
 その一撃に込められた威力は、長距離砲術なみのものがあったはずだ。
 何故なら、今のシグナムは普通の状態ではない。
 青紫基調の甲冑、金色の篭手、薄紫の瞳、背中にはためく二対の炎の翅。
 それは知る人ぞ知る――ユニゾンデバイス“アギト”との融合後の姿であり、その状態であれば、彼女は普段の数倍以上の魔力と熱量を操れるはずであったはずだ。

 だが、その一撃をジェットは、躱す。
 その戦いを見る者全てが不意を突かれた筈の一撃を、まるで予期していたかのように。
 そしてシグナム自身も、その一撃を躱されたことを意にも介さず――というより、躱されることを予想していたかのようなタイミングで、ジェットとの間合いを詰める。
 だが、――詰められない。
 ジェットの右手に握られたスーパーガンが火を吹き、シグナムのシールドを白熱させて彼女の突進を遮断するや、するりと距離を取ってしまう。

(うまい……!)
 そう思ったのは、フェイトだけではない。
 空を見上げる“機動七課”の隊員たちが一斉に賛嘆の息を吐く。
 自分たちが瞠目したのも当然だろう。
 あの一瞬でジェットは光線銃を三射した。それも盲撃ちの掃射ではない。一射目に対するシグナムの回避運動を見越した上での二射目、三射目であった。
 逆に言えば、二射分の破壊光線をシールド一枚で防いだシグナムこそ賞賛されるべきかも知れない。だが、そんなことを野次馬たちに感じさせない勢いで、シグナムはジェットに迫り、――そして、その都度、彼女はジェットの光線銃に足を止められてしまう。

(あのシグナムが……クロスレンジに入れないなんて……ッッ)
 フェイトには信じられない。
 空戦魔導師としてのシグナムの技量は一流だ。それはかつて彼女を敵に回して戦ったフェイトこそが一番知っている。まるで瞬間移動したかのような凄まじい速度で敵の砲撃を回避し、ひたすら死角に回りこんでくるシグナムの空戦性能は、文字通り圧倒的のはずだ。
 だが、そんなシグナムでさえ、ジェット・リンクに近付く事さえままならない。
 シグナムの突撃を常に牽制する射撃の正確さ、だけではない。
――速いのだ。
 シグナムの圧倒的なスピードをさらに凌駕する機動性で、ジェットは彼女のさらに死角に回り込む。仮にもミッドチルダ首都防空隊の隊長職にあるシグナムに対して、こんな真似が出来る者は、全次元世界を通して数えても五人といまい。
――当然フェイトとしても、自分にそんな芸当が出来るとは思えない。

 レヴァンティンの形状をシュランゲフォルムにすれば、今の距離でも攻撃は可能であろう。だが、おそらくジェットには通じまい。背中に目があるような身のこなしで連結刃を躱し、無防備な彼女にカウンターで破壊光線を撃ち込んで終わりだ。
 いかなるデバイスといえども、そしていかなる術者といえども、攻撃と防御の魔法を同時にはこなせない以上、そんな玉砕に等しい戦法を彼女が選ぶはずが無い。

(でも、まだシグナムは折れてない……)
 シグナムの表情を見る限り、フェイトはそう判断せずにはいられない。
 その戦闘域であるはずのクロスレンジに近寄ることさえ出来ない相手を前に、彼女は笑っていたからだ。それも自暴自棄な笑顔ではない。むしろ嬉々とした――というより、それは彼女と付き合いの長いフェイトでさえ見たことの無い、亀裂のような薄笑いだった。


「はあああッッ!!」


 シグナムの裂帛の気合とともに振り下ろされる剣が白色光を貫く。
 その瞬間、まるでガス爆発のような爆炎とともに、半径数十メートルが真っ白い煙に包まれた。
(嘘、でしょう?)
 フェイトは息を飲む。
 ジェット・リンクの破壊光線は砲撃魔法とはわけが違う。歴然たる大質量破壊用の光学兵器なのだ。レヴァンティン本体の耐衝撃性能も、そんな代物相手に意味を為すとはとても思えない。
(それを――“斬る”なんて……ッッ!?)
 
 その驚きは、どうやらジェットも同じだったようだ。
 しばし呆気に取られた顔をしていたが、すぐにその表情を引き締める。
 何故なら、もうもうたる白煙を突き破り、槍のようなサイズの魔力弾が彼を襲ったからだ。
「ッッ!?」
 さすがの彼も不意を突かれた顔をしたが、それでも身を躱し、いまだ立ち込める白煙の真上に回り込む。
 しかし、そんなジェットの動きを先回りするように煙から飛び出したシグナムは、その手に持った“弓”を構え、狙いを絞り込む。

(あれは……ッッ)
 さすがにフェイトも思い出す。
 シグナムは長距離砲術のスキルを使えないのではない。使わないだけだということを。
 そう、かつて「闇の書」の複合四層式バリアを三層まで破壊した、レヴァンティン第四の姿――ボーゲンフォルムから繰り出される、彼女の最大攻撃魔法シュツルムファルケン。
 機械音とともに薬莢が排出される。
「翔けよ隼!!」
 その声と同時に放たれた魔力の矢は、真一文字にジェットを襲った。
 無論、単発ではない。
 彼の回避行動を計算に入れた三連射だ。
 魔導師ではないジェットに、その砲術を受け止めるすべはない――はずだった。


 二条の光が交錯し、さっきの――ジェットの破壊光線をシグナムが真っ向から叩き斬った瞬間以上の大爆発が、空を震わせる。
「ははっ!!」
 ふたたび立ち込める白煙の中、フェイトはシグナムの笑い声を聞いたような気がした。
 しかし、端で見ているこっちには、とても笑えるような気分ではない。
 絶体絶命の三連射を前に、ジェットの取った行動は余りにもシンプルだった。
 魔法の矢を前に、回避行動も取らずシールドを展開するでもなく――もっとも、魔導師でも何でもないジェットに防御魔法などは出来ない芸当だろうが――なんと彼は、手にした光線銃で、迫り来る魔法の矢を迎撃したのだ。それも、二射目までの“矢”をよけながら、回避行動の邪魔になる三射目の“矢”だけを、狙い撃ったのだ。


 だが、シグナムはそれでも止まらない。
 間合いを詰めようとするシグナムから嫌がるように白煙の中に飛び込み、姿をくらましたジェットを追うように、上空から、まるで雨あられのように“矢”を撃ち込む。
 槍ぶすまのような魔力の掃射を受け、たちまち掻き消える白煙から、いぶりだされるように飛び出したジェットに向けて、シグナムはにやりと笑う。
 もはや形勢は完全に逆転した。
 追う者と追われる者はその立場を入れ替え、いまやそこにいるのは狙う者と狙われる者がいた。

 無論、ジェット・リンクは容易な相手ではない。
 まるで鳥のような身軽さで、次々と襲い来る魔法の矢を躱し、その回避運動を予測して放たれたはずの攻撃をさらに回避する。それどころか、“矢”の間隙を縫うようにして、シグナムに反撃の一射さえ返す。
 隣にいたなのはが「……すごい」と呟くのがフェイトに聞こえた。航空戦技教導隊に籍を置く“エースオブエース”でさえ、賛嘆の声を上げざるを得ないジェットの華麗な旋回性能。この人間離れした空間認識力こそが、本気になった“002”のスペックなのであろう。

 だが、フェイトが眼を奪われていたのは、彼ではない。
 彼女が驚嘆と共に見続けているのは、他でもない。シグナムだった。
 アギトとの融合によって魔力がパワーアップしているのは分かる。
 だが、それにしてもシュツルムファルケンをこれほど連続して、大量に発射できるほどではないはずだ。
 フェイトは身が震えた。
 ありえない身のこなしとコンピューター並みの精密射撃を見せる“002”への畏怖や恐怖――ではない。
 しいて言えば「羨望」だ。
 いまシグナムは、明らかにフェイトが知っている以上の実力を発揮している。たとえユニゾンデバイス“アギト”との融合という過程があろうとも、それ以上の性能を彼女が発揮しているのは、もはや間違いない。
 つまり、ジェット・リンクとの戦闘こそが、彼女に新たなる進歩を催したのは明白だ。
 そして、当のシグナムもそれを承知しているに違いない。
 そうでなければ、あんな麻薬でもキメたような怖い笑みを顔に貼り付けるはずも無い。
 彼女はいまジェットと戦いながら、リアルタイムで自分が新たなる領域の強さを獲得している感覚に、酔いしれているに違いなかった。

(未知なる強敵との邂逅だけが、未知なる自分との邂逅をもたらす、か)
 その言葉が誰のものであったかフェイトは覚えてはいないが、当然そんな事は問題ではない。頭に浮かぶのは、彼との戦闘を経験することによって、自分もシグナム同様に、さらなる強さを入手出来るのではないだろうかという漠然とした疑問、そしてその疑問は真実であるという確信だけだ。
 なぜなら、フェイト・テスタロッサという個体が持つ図抜けた才能は、高町なのはやヴォルケンリッターたちとの度重なる実戦経験がなければ、ここまで開花することは無かったはずだからだ。

 無論、リスクはある。
 非殺傷設定という概念を持たない“002”の攻撃は、必然的に真剣勝負を強制する。
 だが、それがなんだというのだ?
 自分に残る最後の伸びしろを覚醒させることが出来るなら、多少の身の危険など検討するにも値しない。
(次は、私だ。私がやる)
 この“決闘”の結果がどうなるかは関係ない。
 無論シグナムの無事を祈る気持ちはある。だが――それでも彼女には申し訳ないが――シグナムがジェットを墜とせるとは、やはり思えない。
 フェイトは、先程から二人を観戦しながら無意識で行っていた戦闘シミュレーション――自分なら、ジェット・リンクとどう戦うかというイメージ作業を、さらに意図的にやり始めた。




[11515] 第十話 「張り込み」
Name: ジンバブエ◆0efd2f53 ID:d2736d75
Date: 2010/03/29 19:22
(いったいどういう仕掛なのだ)
 まるで機銃掃射のような自分の連続射撃を凌ぎ切り、間合いを計りつつ空中に身を浮かべるジェット・リンクを見ながらシグナムは思う。

 彼女は、ただの管理局武装隊員ではない。
“闇の書の守護騎士”として永い時を過ごし、あらゆる次元世界を渡り歩いてきたシグナムは、魔法を使わぬ“飛行”という物理運動がどういうものか理解している。
 いや、そもそも八神はやてとともに「第97管理外世界」に数年間居住していた彼女ならば、――あくまで常識の範囲ではあるが――ジェット機やプロペラ機のシステムについての知識くらいはある。
 なればこそ分かる。
 踵という四肢の末端をノズル噴射口にして、バランスを保ったまま体幹の軸を推進力に乗せるなど、まともな身体能力でやれる芸当ではない。普通ならば、ノズルを吹かしたその瞬間に、直立することも適わず、寝そべったままネズミ花火のように回転し続けるのが関の山だ。
 それを成功させるためには、肉体が持つ運動神経というより、もはや脳の演算能力の話になるであろう。
 
(つまり、いずれも脳にメスを入れた者のみが獲得しうる能力ということか)
飛行能力だけではない。
 ジェットの空戦における圧倒的なまでの戦闘性能も、おそらくは脳改造を受けた者ならではの空間認識力があればこそであろう。
(脳に補助用の人工脳があるとは聞いているが……)
 だが、それを羨ましいとはシグナムは思わない。
 自ら望んだ“力”ならばともかく、彼らはすべて、とある組織の人体実験の研究成果でしかないと聞く。
(何という哀しい連中だろうか)
――そう思う。

 だが、憐憫こそあれ同情はしない。
『人に非ざる者』という意味ではシグナムとて同じなのだ。
 この男も随分と修羅場を踏んで来ているのは分かるが、それは自分とて同じだ。いや、こと味わった辛酸の量に関しては、自分たち闇の書の守護騎士に勝る者がいるとは思えない。“最後の夜天の王”こと八神はやてと出会うまでは、自分たちヴォルケンリッターが歴代の“主”に、どれほど悲惨な扱いを受けてきたか、知る者はいないのだから。
 だが、シグナムはここで不幸自慢をする気もない。
 較べ合うものは、そんなものではないのだ。
(見たいのは貴様の本気だ)
 ふつふつと彼女の心中に沸き立つものがある。
 眼前の男に対する無限の闘志だ。
 萎えようにも萎えようが無い。
 肉体の奥底から無限に魔力が湧き出てくるような感覚がある。カートリッジシステムさえも、もはや必要ないのではないかと思わせるほどだ。
 こらえようとも笑いが止まらない。

(アギト)
(おう、どうしたシグナム)
(楽しいな)
(……ああ、そうだな)
 
 ボーゲンを構え、その弦をゆっくり引く。
 魔力が“矢”の形状に収束し、鏃(やじり)の先の空気が、熱にあぶられ陽炎を帯びる。
 だが、それで狙いがぶれるなどという事はありえない。
 この手に握るレヴァンティンは、もはや完全に彼女の肉体の一部と化している。コンマ一度の“矢”の角度、力の入れ具合、風向き、さらにはこの一矢に“002”がどう動き、どう反応するかまでが瞬時に脳裡に浮かぶ。
(ゆくぞアギト!!)
“矢”を放つ。――と同時に、さらに弦を引き絞って二の矢を発射し、それと同時にジェットに向けて距離を詰める。
 ジェットが“矢”に即応して動こうとした瞬間――二の矢が、一の矢に追いついた。


「…………ッッ!?」


 三度巻き起こる大爆発の中、白煙の中に紛れ込むジェットを追って、同じく煙に飛び込むシグナム。その一瞬で弓状だったレヴァンティンを本来の刀身に分解し、煙の作り出す白い闇の中を滑るように移動する。
 無論、偶然などではない。
 二の矢を一の矢に追い付かせたのは、シグナムの意図するところだ。普通に射っても当たらない以上、爆発を起こして煙に紛れて間合いを詰め、格闘戦に持ち込む。そのための攻撃だ。
 もっとも、相手は“002”だ。たとえ煙に紛れたところで接近が可能かどうかは賭けではあるが、彼女はそれほど分の悪いギャンブルであるとは思わない。なぜなら今のシグナムは、全身の神経が剥き出しになったかのように鋭敏になっている。
(まだまだ……ここではない)
 分かるのだ、今のシグナムには。
 敵の居る位置が。
 そして、その敵がこの状況をどう解釈し、どう動くのかも。
 
(ここ、だ……ッッ!!)

 眼前をかすかに動いた赤い色を確認するまでも無い。
 勘の導くままに動き、白煙を飛び出す。
 そこには愕然とした顔でこちらを振り返るジェット・リンクがいた。
(もらった!!)
 その無防備な背に、シグナムは何のためらいもなく、炎を帯びた大剣を振り下ろした。



>>>>>>>>>>>>>>

 グレート・ブリテンはあくびを一つ漏らした。
(平和だな……)
 気が緩んだわけではない、というのは言い訳だ。
 実は、グレートの精神状態は、緊張を維持していると称するには、いささか無理があった。
 昼下がりの教室には、窓からさんさんと降り注ぐ心地良い陽光に溢れ、また、先程から続く担任教師が教科書を読む声が、これがまた眠気を催す事おびただしい。
 現に児童たちの中にも、机に頭を埋めて眠りに耽る者が、教室のあちこちに見られ、むしろ真面目に机に向かっている者たちの方が少数派に見える有様だ。
(そんな中でも、やっぱ我らがヴィヴィオさまは違うね)
 クラスメートの半分以上が、こっくりこっくり舟をこいでいるか、もしくは机に突っ伏して惰眠を貪っている中で、ピンと背筋を伸ばして授業を受けているヴィヴィオの姿は、かなり目立つ。
(たいしたガキだぜ。まわりがあんな状態じゃ、集中力も途切れて当然だってのによ)
 同居人――というよりもむしろ父親のような目でグレートはヴィヴィオを見る。


 グレートは今、ヴィヴィオの通うSt.ヒルデ魔法学院の初等部の、とある教室にいる。
 無論、今日は参観日ではないし、個人的興味や性的嗜好からそんな場所にいるわけではない。彼の“任務”は、この教室にいる高町ヴィヴィオを監視し、黒い幽霊(ブラックゴースト)から護衛することだ。
 彼女が自宅にいるときは、高町家の居候・DV経験者の自閉症児ブリード・グレッチェンとして彼女の傍にいるが、さすがに学校までついていくことは出来ない。
 かといって、通学中は放置を決め込むというわけにも行かず、学校の教室という、固定メンバーでのみ構成される空間に、転校生や新人教師を装って潜入することも困難を極める。だいたい、いくら変身能力があるとはいえ「魔法」学院に、リンカーコアを持たないグレートが“誰か”を装って潜り込んでも、すぐにボロが出て怪しまれるのがオチだ。

 時空管理局のような権力を背景にした集団ならば、学校側に許可を取ってSPを教室のすぐ外に配置させれば済む。だが、当然の事ながらゼロゼロナンバーたちにそんなコネはないし、――何よりヴィヴィオの護衛は、誰よりもヴィヴィオ本人に知られてはならないことなのだ。
 窓を通して教室内を見渡せるような位置に樹木の一本でも生えていれば、鳥にでも変身して覗き仕事になっていたところだが、そう都合よく木も生えていない。かといって003の“目”と“耳”を使った遠方からの監視では、いざ黒い幽霊(ブラックゴースト)のエージェントが出現した時に間に合わない可能性もある。
(だいたい、最近までフランソワーズの奴は、こっちに来てなかったしな……)

 普通ならば、誰しもが頭を抱える問題であったろう。
(ま、それでもこのグレート・ブリテン様には関係ないがな)
 そう思いながら、彼は口元を緩める。
 細胞を自在に変化させて、あらゆる存在に変身できる007には、しょせん瑣末な問題だ。
“誰か”に変身することも出来ず、それでいて対象に存在を知られてはならない護衛ならば、存在を認識できない状態で護衛すればいいだけの話だ。そして彼にはそれが出来る。
――というわけで、今グレートは全裸になり、全身を透明化させてヴィヴィオの教室にいる。

(小学生の教室に全裸の中年男が一人、息を潜めて気配を殺し、じっと佇む、か……)
 もし自分の姿を鏡で見ることが出来たなら、さぞかしシュールで不気味な光景が映し出されているだろうかとも思うが、そんな自嘲をこぼす余裕が今のグレートにはある。
 思えば、ヴィヴィオの監視に就いてから三週間、――ブリード・グレッチェンとして高町家に拾われる前から――彼はこの全裸業務を続けているのだ。
 最初の数日は、さすがに羞恥と恐怖で死にたくなったものだが、慣れとはこわいものだ。今では緊張どころか、「地球」では聞くことも出来ない“魔法学”の授業を聞き耽ったりもするくらいなのだ。

 怖くないのかと訊かれれば、さすがのグレートも――倫理的な問題はともかく――こんな形の護衛に不安はある。
(ちょいと寒いのが問題と言えば問題だがな)
 そろそろ肌寒い季節になってきた昨今、運動もせずに全裸でじっとしているのは、グレートといえどもさすがにつらい。まあ人工強化された肉体を持つサイボーグが、この程度の気温で風邪など引くはずも無いので、それはいい。
 問題は、今の彼が防護服を着ていないということだ。

(スッポンポンで戦闘は、ちとキツイな)
 一応、彼の防護服は、他のメンバーと違い、007の能力に対応した処置が施されている。サラリーマンに変身すれば着衣はスーツに、医者に変身すれば着衣は白衣に、――といった具合に、彼の防護服も状況に応じて変化するというギミックだ。
 これは潜入の際に最も役に立つシステムであり、ミッドチルダのような「魔法の国」で言うのもなんだが、文字通り魔法のような仕掛だ。グレートとしては、この処置を施してくれた001とギルモア博士には感謝に耐えない。
(前はいちいち着替えてたからなあ)
 幽霊島の基地に潜り込もうとして、科学者の一人に変身したはいいが、全裸でいることを怪しまれて、ロボット兵士に撃ち殺されそうになったのは、今となってはいい思い出だ。
 無論、着替えの手間が省けることのみを有難がっているわけではない。
防弾・耐熱・耐電・対衝撃の効果を備えたゼロゼロナンバーの防護服を、たとえ誰に変身しても脱ぐ事無く着ていられるというのは、グレートにとってはこれほど心強いことはないのだ。

 だが、今はそうはいかない。そこまで便利な防護服であっても、さすがに保護色を使った透明化までは対応できないからだ。
 防護服を着ていればやり過ごせた衝撃や物理現象を、裸ではモロに喰らってしまう。
無論、彼らの特殊プラスチック皮膚は、たとえ全裸であっても拳銃弾程度であればものともしない。だが、黒い幽霊(ブラックゴースト)のサイボーグたちが使用するレイガンやブラスターの前には、そんな皮膚の耐久性など屁のツッパリにもならない。それ以外にも、デバイスさえあれば光学兵器なみの破壊が可能な“魔導師”が、そこいらにゴロゴロいるようなミッドチルダでは、素っ裸というのは余りにも危険だ。

(しかし、……なんでここまで音沙汰が無いんだ)
 グレートはぽりぽりと頭を掻いた。
 黒い幽霊(ブラックゴースト)のテレビ虫が高町家の寝室を飛び回っているのを確認したのは、もう十日も前だ。その翌日にでも黒い幽霊(ブラックゴースト)の実働部隊が動き出すかと思っていたが、今日に至るまで――いや、今日に至っても、何の気配もない。
 おかげで入れなおした気合が、妙にはぐらかされてしまったような感覚が彼にはある。
(まあ、何もなければ、それに越したことは無いんだがな)
 と、グレートは思う。
 さっさとケリをつけたいという気持ちと同時に、今や自分の中に、もう少し高町家での安穏を楽しみたいという気持ちが芽生えてしまっている事に、彼はいまさら驚かなかった。
 丸くなった、というのとは違う。戦いに疲れを感じているのは彼も同じなのだ。
 だが、それでも銃を下ろすわけには行かない。
 もし、ここでむざむざ黒い幽霊(ブラックゴースト)の勝手を許したら、未来に待っているのは地獄に変貌した「地球」の姿なのだ。それが分かっている以上、彼の闘志が萎えることは無い。たとえ、どれほどの安穏に肩までどっぷり使ったとしても、だ。


 終業のチャイムが鳴った。
 その鐘の音は、子供たちはにとっては勉強の終わりを意味するが、グレートにとってはそうはいかない。家に帰宅するまでが遠足だというが、ヴィヴィオが無事に家に帰り着くまでグレートは、彼女から目を離すわけには行かないからだ。
 もっとも、高町家に帰ったからといって油断をしていいというわけではないが、それでもブリード・グレッチェンとして行動できる高町家ならば、護衛は格段に容易になる。
(ようやく服を着れるってわけだ)
 あとはいつも通り、犬なり鳥なりに変身して、マンションまで少女をフォローすればいいだけだ。
 そう思っていた。
――だが、

(あれ……?)
 グレートは、眼前の光景に一抹の違和感を覚えていた。
 いつも数人の友人たちと連れ立って帰宅するはずのヴィヴィオなのに、今日に限って彼女は一人だ。
 理由は分からない。
 だが、これは少女の身柄を欲しがっている者たちにとっては、何よりの好機のはずだ。

(おいおい)
 グレートはへその細胞変化スイッチをいじり、一瞬にして透明人間から大型のカラスに変身する。何も無い空間から突然羽ばたいた鳥に、周囲の児童は全員ギョッとした顔になるが、構うことはない。どうせヴィヴィオはこっちを見ていないのだから。
 一気に急上昇する。
 そして、グラウンドのすぐ傍の路地に停まっている、いかにも怪しげな乗用車を確認するや、カラスは目元をにやりと緩ませた。
 待ちに待っていた“仇敵”がようやく出現したのだ。安閑とした日常にイビキを立てていた彼の闘志が、もぞりと疼く。

『ハインリヒ、聞こえるかハインリヒ!』

 校門の斜向かいにある喫茶店にいるはずの仲間に連絡をとる。
 あらかじめ決めてあった段取りの通りだ。
――が、その瞬間、カラスの表情は凍りついた。
 黒い乗用車の窓が開き、中から顔を出した赤い服の禿頭の男。
 忘れるはずが無い。見覚えが無いなどと言えるはずが無い。
 たとえ、鏡越し以外では、その目で一度も直視したことの無い顔だとしても、だ。
 

「……………おれ?」


 そう。
 そこにいたのは、グレート・ブリテン。
 知る人ぞ知る英国演劇界の名優にして、ゼロゼロナンバー・サイボーグ七番目の被検体。
 つまり、カラスに変身して上空からヴィヴィオを監視する「ブリード・グレッチェン」の素顔――と同じ顔をした男が、そこにいた。






[11515] 第十一話 「舞台裏の思惑」
Name: ジンバブエ◆0efd2f53 ID:d2736d75
Date: 2010/03/29 19:22
「…………ッッッ!!?」

 そこには誰もいなかった。
 この間合いまで標的を追い詰めて、シグナムはかつて獲物を逃した経験は無い。
 剣を躱されたというなら話は分かる。自分の渾身の「紫電一閃」を避けられたという事実は――到底受け入れがたいものではあるが――それでも理解は出来る。この男の機敏さならば、あるいはこの距離でも彼女の斬撃を回避することは不可能ではないはずだからだ。
 だが、そこには誰も――何も無い。まるで白昼夢でも見ていたようだ。
 何が起こったのかも分からない。
(いや、違う)
 極限まで研ぎ澄まされた彼女の本能は、意識が理解する以前に、すでにして「正解」を把握していたはずなのだ。
 正解――つまり、後頭部に突きつけられる銃口の気配にだ。


「なぜ撃たない。この立ち合いのために、私にわざわざ遺書まで書かせた貴様が」


 レヴァンティンを鞘に収めながらシグナムはゆっくり振り向く。
 果たして男はそこにいた。
 赤い防護服、黄色いマフラー、黒いブーツ。
 そしてオモチャのような光線銃を右手に構えたジェット・リンクが、風になびく長髪の隙間から射るような瞳を光らせていた。
 だが、いまさらそんな眼光にひるむようなシグナムではない。
 むしろジェットに倍するほどの険しい視線を彼に向ける。
 だが、眼前の“002”は、その目に応えなかった。

「敗者に勝者を背中から撃てってのか」
 そう言いながら右手の銃を腰のホルスターに収めたジェットは、くるりと彼女に背を向けたのだ。
 その言葉に、思わず剣の柄に手をかけたシグナムを振り返りもせずに男は言う。
「お前にお前のプライドがあるように、おれにもおれのプライドがある」
 そう言うと、ジェットは踵のノズルを吹かし、シグナムに何も言わせないまま、機動七課の面々がこっちを見上げる屋上のヘリポートに飛び去り、そんな彼をシグナムは微動だにせず、苦虫を噛み潰したような表情で見送っていた。


 意味は分かる。
“加速”は使わぬと事前に取り決めた以上、加速装置を使ったジェットが勝ち名乗りを上げるはずも無い。
 それがルールだ。そこには1mmの隙もなく、誰も異を唱えようはずが無い。
 しかし、シグナムの胸中は複雑だった。もはや先程までの高揚感などカケラも無い。
 たとえ、どういう形にせよ、シグナムは男に背後を取られ、銃を突きつけられたのは事実だ。殺そうと思えばジェット・リンクは自分を殺せたのだ。実際の話、これが戦場であれば彼はあっさり自分を撃ち殺していたに違いない。ジェットが生き抜いてきた戦場は、たとえ誰であれ“敵”と判断した人物に向けてトリガーを引くことを躊躇するような甘さを持ったままで生き残れるような、そんなヌルいものではあるはずがない。それはあの男の目を見れば分かる。
――にもかかわらず、彼は敗北を宣言し、勝利を譲って姿を消した。

(この私が……勝ちを譲られただと……ッッ!!)
 その事実が許せない。
 その現実が耐えられない。
 分かっている。
 これは戦争ではない。
 ここが戦場であったなら――などという仮定には何の意味も無い。
 しかし、シグナムは騎士だ。
 時空管理局の武装隊員として――かつての“闇の書の守護騎士”であった頃からは考えられぬほどに穏やかな日常を過ごしていようが――それでも常在戦場の心構えを忘れるほど彼女の戦士としての意識は錆びついてはいない。
『その気になれば殺せた』と決闘相手に思われることなど、この“烈火の将”の誇りが許さないのだ。

(いや……そうではない)
 舌打ちを懸命にこらえる。
 許せないのは相手ではない。自分だ。
“加速”は使わないなどというルールで相手を縛った時点で、これはもはやまっとうな立ち合いではない。相手がその身に所有する技術・能力をフルに発揮させない――いわばハンディキャップマッチだ。
“ハンデ付きの決闘”など、騎士にとってはただの恥辱でしかないではないか。
にもかかわらず、こんな恥ずべき戦いを、それと意識もせずに受け入れ、あまつさえ『一対一なら負けは無い』などと主君に宣言するような――そんなブザマな自分が何よりも許せないのだ。
 思い上がりもはなはだしい。まるで道化だ。
 かつての自分ならば、一息に自害していたかも知れない。それほどまでの恥の意識が彼女の全身を包んでいた。
 

 実際のところシグナムが、ジェット・リンクの“加速”という能力を無意識に侮っていたのは事実だ。
 なにしろ彼女は“加速”を使っているジェットを知らない。
 シグナムの知っている彼は、かつての合同作戦で垣間見た、あの卓抜した空戦性能を持つ戦闘機人というイメージがあまりに強すぎたせいもあるであろう。だからこそシグナムは、彼と戦ってみたいと思ったのだし、更にそこから少しくらい“速く”なったとしても、まあ、対応しきれない程ではあるまい。――そう思っていたのだ。
 
 だが、経験して初めて理解することもある。
 シグナムは、彼の“加速”が己の想像の範疇を完全に超越した能力であることを、いまや、まざまざと思い知っていた。
(あれが、加速装置か……ッッ)
 屈辱と憤怒の火に炙られながらも、彼女はそれでも慄然としていた。
 チェス盤を引っくり返されたどころではない。
 チェックメイトを宣言した瞬間に、そっくり盤面を入れ替えられた気分だ。
 もしジェットが最初から、その奥歯のスイッチとやらを使用していたら、決闘もクソも無い。シグナムはレヴァンティンを鞘から抜くことさえ出来ずに死んでいただろう。
 そして、その戦慄は、当然ながら一つの仮定を惹起する。


――もしジェット・リンクがミッドチルダを裏切り、かつての仲間のもとに帰ったら。
――加速装置を所有する彼が、自分たちの敵に回ることを選択したら。


 実のところ――あの瞬間、ジェットが“加速”を使わなかったなら、シグナムは彼を斬っていただろうという自信がある。
 つまり、現行で確認されているゼロゼロナンバーは、少なくともシグナムにとっては恐るるに足る者たちではないという事になる。なぜなら、コードネーム“009”がすでに死亡しているという情報がある以上、“002”以外に、もはやゼロゼロナンバーに加速装置を所有している者はいないのだから。
(まあ、実際のところはやりあって見なければ分からんがな……)
 そして、その感想は、屋上から自分たちを観戦していた機動七課のほとんどの者たちが抱いたはずだ。なにしろ彼らは次元世界でも名うての腕利きたちだ。シグナムが戦える相手ならば、彼らにだって互角以上に渡り合うことは、理屈で言えば可能なはずなのだ。
 だが、――あのジェット・リンクは違う。
 原爆を内蔵しているとかいう“004”はともかく、あの“002”が自分たちの敵に回れば、戦える者などいるはずがない。
 それこそ、死んだと噂される“009”を復活させて洗脳し、味方にでもつけない限りは。


 首をめぐらすと、ヘリポートに降り立ったジェットにスバルが何か話し掛けているのが見えた。だが、ジェットは二言三言の言葉を交わし、足早に屋上から立ち去ろうとしているようだ。無論、なのはやフェイトたちを含めた機動七課の連中にも、彼は一瞥すら送らない。
(主はやて……?)
 そんな彼を呼び止めた八神はやてが、厳しい表情で何かを言っている。
 無論、シグナムといえど、この距離では彼女が何を言っているのかまでは分からない。
 だがまあ、想像はつく。
 大方、こんなバカ騒ぎをやらかしたことへの説教であろう。
 やるなら勝て――とシグナムに告げたはやてではあるが、それでもこの“模擬戦”の名を借りた殺し合いを、はやてが心底から納得しているはずも無い。
 そして、その予想通り、ジェットはぷいっと背を見せたはやてに従うように、屋上から降りる昇降口へと姿を消し、スバルがあわてて両者について行った。
(どうやら主は相当お冠らしい)
 この分では自分もたっぷり小言を喰らいそうだ。
 そう思って吐息をついたとき、シグナムは、激情に支配されてガチガチになっていた全身が、ようやく弛緩するのを感じた。

 風が頬と髪をなぶる感覚がある。
 そろそろ日も傾いてきた。いつまでもこうして空を漂っているわけにもいくまい。この決着に素直に納得できるわけでもないが、拗ねているように思われても業腹だった。
 シグナムはヘリポートに向けてふわりと移動を開始する。
(あの男がかつての仲間の元ではなく、こちら側にいる。その事実を我々はもっとよく考えねばならなかったのだ……)
 敵に回せない以上、味方につけるしかない。
 少なくともジェット・リンクの能力には、それだけの価値がある。
 そして彼は、かつての仲間と戦うためではなく、話し合うためにこそ部隊に在籍しているという。
(ならば我々は、まだ見ぬ敵に闘志を燃やすのではなく、もっとやるべきことがあるはずではないのか)
 シグナムはふと、そう思った。
 




 ジェットには意外だったが、八神はやてのオフィスは意外と質素なものだった。
 二等陸佐と言えば米軍では陸軍中佐に相当する。現場なら大隊指揮官の副官か補佐といったところだろう。なら、もっと広々とした個室を使っていても良さそうなものではある。しかし、年齢やら何やら、彼女には彼女なりの遠慮があるのだろう。そして、そういう謙譲の美徳は、やはり彼女が009と同じ「日本人」である事実を強く匂わせた。
 
「八神部隊長、いくらなんでも少し横暴です!! この件に関してジェットさんは被害者なんですよ!?」

 自分に続いて部屋に入ってきたスバルが金切り声を上げるが、むしろジェットは彼女から目を逸らした。
(かばってくれるのは嬉しいんだがな……)
 スバルの気持ちには純粋に感謝すべきなのだろうが、やや恥かしいのも事実だ。これではまるで空気も読まずに学校に乗り込んできた母親のようではないか。

「ナカジマ士長、私はあんたの入室を許可した記憶はあらへんで」

 はやてが毒を含んだ口調でそう言うが、スバルはひるまない。
「法廷でも被疑者に弁護士を雇う権利はあります。なら、わたしがジェットさんの――リンク二等陸士の弁護を買って出ることを咎めることは、八神部隊長にも出来ないはずです!!」
「ええ加減にしいや!! あんた一体誰に向かって口利いてるつもりなんや!! 私はあんたの上官やねんでッッ!!」
「いくら上官でも道に外れた命令には従えません!! 管理局員である前に私は一個の人間です!!」
「スバルッッ!!」
「とりあえず――コーヒーは濃いめでいいんですかい?」

 突如割って入ったジェットの拍子外れな声に、二人は「あ?」といった表情で振り返るが、彼は相手にもしない。デスクに座って退屈そうな顔でこっちを見ている女性秘書にコーヒーを三つ頼み、「女性の二つは砂糖多めで」と一言付け加えた。



「マイヤーズ秘書官」
「はい」
 お盆に載せた三つのコーヒーカップをはやてのデスクに置いた後、またですね、と言わんばかりの顔で女性秘書が退室する。その目に皮肉な光が瞬いていたのが見えたが、仮にも秘書の端くれだ。スバルと違って空気くらいは読めるのだろう。
 彼女が出て行った後、スバルに険しい顔を崩さないはやてに向けて、ジェットは口を開いた。


「あんな感じでよかったんですね、八神二佐」


 その言葉に、一瞬ジェットをじろりと睨んだはやてだったが、彼は涼しい顔を崩さない。次にはやてはスバルをちらりと見たが、やがて降参したように太い溜め息をつき、はやてはコーヒーを一口すすった。
「あれでよかったって……どういうことですか?」
 スバルがぽかんとした顔を見せるが、ジェットは答えない。
 はやては、こりこりと頭を掻くと、代わりに言った。


「私がジェットさんに頼んだんや。いずれ必ず新部隊の隊員が喧嘩を売ってくるから、そのときは戦い方に気をつけてくれって。ゼロゼロナンバーへの過度の警戒を抱かせへん、それでいて“002”という個体に対しては過度の警戒を持たせる戦い方をしてくれってな」


「なんで……?」
 唖然となったスバルに、ジェットは言う。
「この部隊はゼロゼロナンバーを仮想的として結成されたってことになっちゃいるが、“おれたち”の基本的な実力を知る者は、今のところ誰もいない。そんな現状でおれが魔導師に圧勝してみろよ? 一方的にビビられて敵意を煽るだけだろうが」
 そして、はやてが彼の言葉を引き継ぐ。
「結果として言えば、ジェットさんの戦い方は百点満点や。うちのシグナムが相手になった時点で、相性の点からもひょっとしたら一方的な展開になるかなと思ったんやけど、そんなこともなかったし、なにより、さんざん使うことを嫌がってた加速装置の素晴らしい威力も、最後にはみんなに披露してくれたしな」
「それは……つまりゼロゼロナンバーとは戦えても、“002”を敵には回せない。見る者にそう思わせる戦いをした、と?」
 そのスバルの言葉にはやては頷く。
「これは私とジェットさんの二人だけの秘密にしとくつもりやったけど、聞かれてしもうた以上はスバル、他のみんなには黙っといてもらうで」
 しかしスバルは頷かない。
 むしろ瞳の怒気は、さらに光を増した。
 

「要するに八神部隊長は、ジェットさんが喧嘩を売られる事を予想して、それを阻止するどころか逆手にとって、みんなをペテンにかけたって言うんですね……」


 その言葉に、ジェットは思わず目を逸らした。
 だが、はやてはひるまない。
 むしろ諭すような口調でスバルに言い返す。
「これはリンク二等陸士とも話し合った上での事や。彼も当然納得してくれてるし、第一、あの“加速”を見た後でジェットさんに改めて喧嘩を売ってくるような阿呆がおるはずがない。――それに、忘れたらあかんでスバル。この人がここにおる理由は、昔の仲間と戦うためやない。争いを未然に収めて事態の平和的解決を模索するためや」

 その言葉を前にしては、いかなスバルといえども沈黙するしかない。
 だが、彼女がはやての言葉に納得していないのは一目瞭然だった。
 無理もないだろう。どういう形であれ、はやてはジェットをデモンストレーションに利用したのだ。しかも一つ間違えばどちらかが死んでいたであろう危険な形でだ。たとえジェット本人が納得づくであったと聞かされても、スバルとしては納得できる話ではない。
 しかし、はやてとしてもこれ以上、子供の駄々に付き合う気はなかったのだろう。
「あんたがこの人を心配するのはあんたの勝手や。やめろと命令する気はないし、そんな権限も私にはあらへん。でもな、これは必要なことやと部隊長の私が判断したのも事実や。余計な口は挟ませへんで」
 そう言い切ると、そっぽを向いてコーヒーを一口すすった。
 話は以上や。――と、態度で表したつもりなのだろう。


 くだらない話だ。
――とはジェットは思わない。むしろ、頼んでもいないのに、そこまで自分の心配をしてくれるスバルには感謝の念を禁じ得ない。
 だが、これ以上、この話を続けることに耐えがたいストレスを感じているのも事実だ。
 しかし幸い――と言っていいのかどうかは分からないが――はやてはこれ以上スバルと話をする気は無いようだ。
(なら、おれもそれに乗じさせてもらおう)
 そう思う。
「では、――おれはこれで失礼します」
 敬礼を交し、「え?」という顔をするはやてに、もう話は終わったんだろと言わんばかりの背中を向ける。
「ジェットさん!」
 ふたたび追ってくる素振りを見せたスバルに、ちらりと目を向けると、
「少し、独りにさせてくれ」
 と言い、ジェットはドアを閉めた。


 スバルが怒るのもジェットには分かる。
 これでも自分とスバルは湾岸警備隊で永らくコンビを組んできた仲だ。もし立場が逆であったなら、ジェットも平然とはしていられないだろう。上官相手に、あそこまで声を荒げるとは言わないが、やはり不快を表すアクションをせずにはいられないはずだ。
 何より、スバルは他の連中とは違い、ジェットの実力を知っている。あの“模擬戦”が決して意図して演出した接戦などではなく、正しく紙一重の命懸けのものであったことも、おそらく理解しているはずだった。
(なら、あいつが怒るのも当然だな)
 
――そうなのだ。
 はやてにはああ言ったが、あの立ち合いは、彼としては決して『言われたからそうしました』という一言で済まされる内容ではない。
(なさけねえ……ッッ!!)
 奥歯がぎりりと音を立てる。
 脳を弱火で炙るような屈辱感と、反射的に自殺したくなるほどの己に対する怒りがある。
 これほどの激情を押し隠して、はやてと普通に会話を交わしていた自分に驚くほどだ。

 シグナムがさっきの戦いをどう評価しているかは関係ない。
 自分を撃ち殺せたはずの男に負けを認められたなど、あの彼女にとっては屈辱もいいところであろう。
 だが、彼女は自分に加速装置を“使わせた”。
 無論、あの局面で“加速”を使わねば女に斬られていたということは分かる。だが、問題はそこではない。そんな窮地まで自分が追い詰められてしまったという事実こそが問題なのだ。
「お前にお前のプライドがあるように、おれにがおれのプライドがある」
 思わずそう口走ってしまったのは、彼にとってその言葉が、紛れも無い真実だからだ。
 段取りや計算で演じた苦戦ではない。
 実際のところ、ジェットは、あの戦いの最中に、はやてとの密約など思い出すような余裕は無かった。あの“模擬戦”を百点満点と評したはやてには悪いが、すべては成り行き任せの結果論に過ぎない。
 それほどにあの女剣士――シグナムは手強かったのだ。
 無論、最初から加速装置を使えば、苦戦などしようもない相手だ。
 だが、ジェットは加速性能を持たない相手に、奥歯のスイッチを入れる気は無かった。

 加速装置をオンにした瞬間、己と相手の間には、体感時間のズレが強制的に生じる。
 たとえ、どれほどの火力や技能を持った相手であっても、通常速度でしか動けない者など、加速中のサイボーグにとっては、半ば静止状態の“的”に過ぎない。そんな相手に銃を向けるアンフェアな苦味は、加速装置を持たない者には到底理解できないものであろう。
 ましてやシグナムはサイボーグどころか、ただの人間――厳密には違うらしいが――なのだ。そんな相手に段取り上必要だから“加速”を使えと言われたところで、ジェットとしては頷けるはずも無かった。

 もともとジェットは009と違い、黒い幽霊(ブラックゴースト)との抗争中であっても、あまり加速装置を戦闘に使うことは無かった。
 加速性能を持たない相手に加速装置を使う気は無い――そのこだわりがただの甘さでしかないことは承知している。
 たとえばヴェトナムでは、フライング・コプラーズの本体との戦闘中に、ジェットは片足を吹き飛ばされる重傷を負っているが、もし加速装置を使っていれば、そんな目には絶対に遭わなかったに違いない。
 にもかかわらず、いまだに“加速”に対するこだわりを捨て切れないのがジェットという人間なのだ。
 シグナムは、ジェットがくぐってきた地獄を推察する眼力を持ち合わせていた。
 だが、それでもなお、一分の甘さを捨て切れていない事までは見抜けなかったのだ。


(おれはやはり009にはなれない、か……)
 彼の優しげな笑顔が心に浮かんだ瞬間、わずかだがジェットは荒れ狂う怒りが緩んだような気がした。

 戦場の種類にもよるだろうが、総合的な意味で009――島村ジョーがゼロゼロナンバー最強であることは、おそらく仲間内でも異論を挟む者はいないだろう。だが、その強さの本質は、彼自身が所有する卓抜した戦闘センスにではなく、その“非情さ”にあると評価している者は、おそらくジェットだけのはずだ。
 普段の優しく誠実な009を知る者にとって、“非情”という言葉ほど彼に似つかわしくない形容表現は無いからだ。
 無論、根拠はある。
 009は戦闘に於いて、加速装置を使うことにまるで躊躇を持たないからだ。

 たとえ加速装置を使おうが使うまいが、彼の戦闘能力が折り紙付きであることに間違いは無い。009は、自分よりもさらに優れた加速性能を持つサイボーグを相手にしてさえ、ことごとく生き延びてきた男なのだから。
 だが、それほどの戦士であるにもかかわらず、009は加速性能を持たない敵に対してさえ、まったく容赦すること無く加速装置を使う。情況によっては普通の人間相手でさえ、彼はまるで“加速”を躊躇しないのだから徹底したものだ。
 ここにいるのがジェット・リンクではなく島村ジョーであったなら、自分のようにズレた葛藤をまるで抱く事無く、遠慮なく加速装置を使い、シグナムを翻弄したに違いない。 おそらくはその戦闘に対する意識の切り替えこそが、009と002の戦闘力の根源的な差であることを知りながらもなお、ジェットは009と同じことを出来る自分が、やはり想像できなかった。

 そんな自分が、反射的に加速装置を使ってしまうほどに、追い込まれてしまったのだ。
(おれは……負けたのか……ッッ)
“反則負け”という言葉が、自分にとっていかに無意味なものであるかは承知している。
 だが、それでもなお、加速を使わずに空戦性能だけをよすがにした対等な勝負をしていたなら、――あの女に斬られていたという想像は、彼のプライドを著しく傷つける。
 ジェットは今更ながらに、己の改造された肉体が、劣等感の対象であると同時に、いまや誇りの対象ともなっている事実を痛感せざるを得なかった。



 不意にジェットの歩みが止まった。
 フロア全体に警報が鳴ったのだ。全オフィスを機動七課に開放された、このミッド地上本部27階に警報が鳴るという意味を、さすがにジェットは理解している。
(まさか……冗談だろ……ッッ!?)
 果たして警報に続いて、館内オールで指令室からの音声放送が掛かった。


 
「コードブルー発令、コードブルー発令、クラナガン北部13区St.ヒルデ魔法学院にて誘拐事件発生。被害者は初等部四年生・高町ヴィヴィオ。目撃証言によると実行犯は一名、外的特徴および発動能力からシリアルナンバー“007”こと『グレート・ブリテン』と断定。機動七課全隊員は第一種戦闘配置にて待機せよ。繰り返す、コードブルー発令、コードブルー発令――」


「………………」
 その音声放送を疑うことさえ出来ず、ジェットは呆然と立ち竦んでいた。




[11515] 第十二話 「誘拐」
Name: ジンバブエ◆0efd2f53 ID:d2736d75
Date: 2010/03/29 19:22
 赤という色は禍々しい色なのだなと、ふとヴィヴィオは思った。
 何故そう思ったのかは分かっている。
 通せんぼをするように自分の眼前に立つ男の放つ空気が、あまりに禍々しかったからだ。
 西から差し込む夕陽が、校門に立ち塞がる男の赤い服を、さらに毒々しい真紅に染め上げ、男は笑う。
 まるで逃げ出した獲物をふたたび捕獲した時のような、たまらなく傲慢な、たまらなく獰猛な、たまらなく酷薄な、たまらなく寒気を喚起させる笑みだ。
 そんな笑いを口元に貼り付け、男は言った。


「おひさしぶり――いや、この“姿”では初めましてと言うべきですかね、聖王陛下」


――ああ。
 ヴィヴィオは納得した。
 かつて自分を“陛下”と呼んだ者たちを彼女は知っている。その者たちの全員が――というわけではない。あの集団の中には彼女に悪意なき眼差しを自分に向ける少女たちも確かに存在したはずだからだ。
 だが、その首領だった男が、いつも浮かべていた瞳の色。
 眼前の禿頭の中年男は、そのマッドサイエンティストと同じ目をしているのだ。
 禍々しいのは“赤”ではない。男の亀裂のような笑みでさえない。
 この男を通して見える、スカリエッティと同じ色の眼差しこそが、少女の理性を縛り上げるのだ。

「あ……あああ……っっ」

 まるで全身に力が入らない。
 逃げることはおろか、声を上げることもへたり込むことさえ出来ない。
 骨という骨から神経が抜き取られてしまったようだ。
 そんなヴィヴィオに、男はさらに愉悦の極みのような笑みを浮かべる。
 何も考えられない。
 だが、理性が働かずとも、本能的に分かることがある。
 高町なのはとフェイト・テスタロッサ・ハラオウン。
 この二人の母に愛された宝石のような“日常”は、もう終焉を迎えたということだ。

「あの、あなたは誰ですか? 我が校の児童の関係者ですか?」

 そのとき、校門に立番していた男性教師が、この禿頭の男に話し掛ける。
 すでに、この男とヴィヴィオを遠巻きに囲むように、下校途中の子供たちが続々と集まりつつある。まあ物見高い小学生が、下校時の校門で展開されているこんなイベントを、黙ってスルーするはずもない。
 青年教師は眉間に皺を寄せると、
「こらっ! こんなところで集まってないで早く帰りなさい!」
 と叫ぶが、一対一ならともかく、不特定多数の児童にとっては、たった一人の教師の声などまるで届くものではない。
 彼は小さく舌打ちすると、ふたたび赤い服の男に向き直った。

「我が校の校則では、生徒児童の出迎えのために校門に自動車で乗り付けることは禁止されております。校長直筆の許可書をお見せ頂けないなら、お手数ですが、お車を公道の方に移動願えませんか?」
 一応は言葉遣いこそ丁寧なものではあるが、教師の口調と視線は明らかに硬い。
「あくまでお願いを聞き届け下さらない場合は、申し訳ありませんが、警察か管理局の方に連絡させて頂くことになりますが……」

 この青年教師はヴィヴィオも知っている。
 若いがなかなかにしっかりとした先生で、学校側やPTAからの信頼も厚い。
 そういう教師なればこそ、男とヴィヴィオの間に走る異様な空気を前に、さすがに態度を改めざるを得なかったのだろう。その対応は、さすがにマニュアルを外れてはいない。
 このSt.ヒルデ魔法学院はクラナガンでも屈指の名門だ。名門校の生徒対象が当然のように上流階級の子弟である以上、この学校の職員は教職免許の有無に関わらず、等しく不審人物から生徒を守るための訓練を義務化されている。つまり、教師が背中に回した手で、ゆっくりとデバイスを引き抜くのが、ヴィヴィオには見えた――。


「邪魔……」


 教師の首が掻き消えた――ように、ヴィヴィオには見えた。
 いや、より正確に言えば、その直前に、禿頭の男がうるさげに教師に向かって腕を振り回したのも、ヴィヴィオは確かにその目に捉えていた。そして、さっきまで何の変哲も無い左手だったはずの男の腕部が、まるで研ぎ澄まされた剣のような形状と輝きを放っていたことも。
(斬った……?)
 そして、その一瞬後、青年教師のがっしりした肉体は、その自らの鮮血の奔流によって、斬り離された首をさらに数メートルも吹き飛ばしながら、まるでスローモーションのように残像をヴィヴィオの網膜に焼き付けつつ、ゆっくりと崩れ落ちた。

 校庭一面に、児童たちの阿鼻叫喚が轟いたのは、教師の死体が大地に倒れ、さらに数秒が経過してからであった。



 さっきまで野次馬として事の成り行きを見物していた児童たちは、もはや一人もいない。
 教師の斬首シーンを目の当たりにした子供たちは、理性と本能の命じるままに、まさに蜘蛛の子を散らすように、一人残らず逃げ去ってしまったからだ。
 残されたのは、恐怖で足がすくんだ高町ヴィヴィオのみだった。
 この騒ぎはもう職員室まで届いているはずなのに、校舎から他の先生たちが飛び出してくる気配もない。まあ常識で考えれば、あと数分もしないうちに当局の人間がやってくるのだろうが――今ここに誰もいないことは如何ともしがたい。
 少なくとも、この場に独り取り残されたヴィヴィオにとっては。

「邪魔だって言ってんのに……ったく」
 まるでハエでも追っ払ったような顔で呟く男の声がヴィヴィオに聞こえる。
 だが、殺人という自らの行為をまるで省みることの無い男の呟きを耳にした瞬間、ようやくヴィヴィオの肉体が反応した。
「ひい……ッッ!!」
 くるりと振り返り、脱兎のごとく校舎に逃げ帰ろうとした――はずだった。
 足元に絡みついた“何か”につまずき、ヴィヴィオは顔から地面に突っ込んでしまう。

(えっ!?)
 それはヴィヴィオがさっきまで着ていたはずのスカートとショーツだった。
 いや、下半身だけではない。
 パーカー状の上着も、その下に着込んでいたシャツも、背中から鋭利な切り口を見せて切り裂かれ、無残な布切れになってしまっている。それがヴィヴィオの突然のダッシュによってズリ落ち、あるいは巻き上げられ、彼女の両手両足の自由を奪っていた。
「………………ッッ!!」
 ヴィヴィオは反射的に息を飲む。
 この男がやったのだ。
 さっきの青年教師の首を刎ねた左手の一剣をもって、逃げようと背を見せた自分の服を、背後から上着下着ともに、一刀の元に縦に切り裂いたのだ。
 しかも、服を着ていたヴィヴィオの肌には髪一筋ほどの傷を負わせることも無く、だ。
 これを神業と呼ばずして、何と呼ぶというのか。
 だが――男はむしろ、自分自身の腕前にこそ感心したような声を上げる。

「なるほど……これが補助AIにインプットされた身体データか。これは便利だ」

 左手の袖口からニョッキリ生えた、血塗られた槍の穂先のような形状を持った金属片。もはやそれが、男が自らの手首を変化させたものであることは疑問の余地も無い。
(ばけもの……)
 そのヴィヴィオの思いは、自らの左腕を剣に変化させた男の肉体に対するものであり、まるでシグナムを髣髴とさせる、男の剣技に対してのものでもある。だが――それ以上に、人を殺しておきながら、顔色一つ眉一筋動かさずにそんな台詞を吐ける、男の非人間的な言動に対しての恐怖が思わせたものだった。
 そして、その男は、いまやゆっくりと、その視線をこっちに向けると、彼女に向けて――いまだ人間の形状を残している――右手を伸ばした。
「それでは御同道願いましょうか聖王陛下。なぁに心配には及びません。“居候先”に別れを告げて、久し振りに“実家”に還御して頂くだけですよ」



 その瞬間、にやついた笑みを消し、男は後ろに飛び下がった。
 男を追うように稲妻のような光が上空から舞い落ち、ヴィヴィオは思わず両腕で顔を庇ったが、そんな彼女をすさまじい爆発音と熱気と、そして衝撃波が彼女をも吹き飛ばす。
 もしヴィヴィオにいつもの冷静さがあれば、今の“光撃”が全く魔力の気配を感じさせないものであったことに気付いただろう。だが、混乱の極致にある少女には、そんな判断力など望むべきも無い。
 そして、“光”の追撃はそれで終わらなかった。
 吹き飛ばされたヴィヴィオと、回避行動を取った男との数メートルの空間。それを薙ぎつけるように上空から“光”が掃射され、先程以上の大爆発と大音響、さらに巻き上げられた土砂による、もうもうたる煙が大地を覆った。

 何が起こっているのかもヴィヴィオには分からない。
 本来ならこの隙に立ち上がり、力の限り逃走を試みるべきだろう。
 だが、そう思っても、ヴィヴィオの肉体はいまだにスイッチが切り替わってくれない。
 立ち上がろうにも膝に力が入らず、声を上げようにも喉に力が入らない。
 どうすればいいのか――それすらも分からない。再度パニックに陥った脳髄が、この情況になってさえもまともな思考を遮っている。だとしたら、なんと頼りにならない肉体だろうか。なんと無力な自分自身なのだろうか。
 しかし、その絶望さえも、少女に涙一粒流させる原動力にすらなり得ない。
 そのときだった。



「無事かヴィヴィオ。ケガは無かったか?」



 小さな掌によって、背後から両肩を優しく抱かれ、耳元に囁かれる。
 剥き出しの素肌に感じる少年の熱い体温が、もうもうたる砂煙の中、彼女が凝視する全裸の少年が錯覚でないことを証明してくれている。
「ブリード、くん……?」
「おう」
 少年は名を呼ばれてニッと笑う。

(え…………ッッ?)
 なぜ彼がここにいるのか。
 なぜ彼は剥き出しの裸でいるのか。
 なぜ自閉症で失語症のはずの彼がヴィヴィオを励ますような言動をするのか。
 だが、そんなことはどうでもいい。
 無数に沸き立つ疑問さえ形をあらわにする前に、少女の心を襲った激しい情動――それはまさに、暗中に光を見つけたに等しい歓喜、安心、心強さ。
 ヴィヴィオは、反射的に彼の胸に飛び込み、力一杯ブリードの裸身を抱き寄せていた。そうしないと、みっともなく泣き喚いてしまいそうだったからだ。

「もう大丈夫だ。怖かったろ? でも泣くのは後だ。いま声を上げたら、あのニセモノ野郎がこっちの居場所に気付いちまう。分かるな?」

 初めて耳にする、ブリード・グレッチェンのまともな言葉。
 だが、その台詞は、ホッとしたあまり、緩みかけていた彼女の感情をふたたび刺激する。
――そう。
 事態は何も変わっていない。
 もし煙が晴れたら、ブリードはその瞬間に首を刎ねられてしまうだろう。
 まだ近くにいるはずの、あの化物のような男によってだ。
 だがブリードはまるで動じた気配もない。
 不安げに揺れる瞳を向けるヴィヴィオにの頭を、再度くしゃくしゃっと撫でつけると、一転して厳しい眼をあらぬ方向に向け、彼は囁いた。


「そういうわけだハインリヒ。おれは予定通りやるから、お前はヴィヴィオを――“妹”を頼む」
 

(はいんりひ?)
 それが誰を指す言葉なのかも分からなかった。
 そこに音もなく立っていたもう一人の男が、例の禿頭の襲撃者と同じ服装をしていることを視認していたら、ヴィヴィオは悲鳴の一つも上げたかも知れない。だが、彼女は実際うめき声すら立てる暇もなく意識を失っていた。
 気を失う前に感じた衝撃が、少年が彼女の脾腹に叩き込んだ当て身であったことさえ、ヴィヴィオは気付かなかっただろう。そのまま少女はがくりと頭を垂れ、少年の裸身に身を預けた。




 一陣の風が砂煙を吹き消した時、その場に気絶していた半裸の少女を見て、“007”はニヤリと笑った。
 ちらりと見ると、自分と少女を分かつように、グラウンドに真一文字に巨大な溝のような爆発の痕跡が刻まれ、さっき自分を襲った攻撃の凄まじさがイヤでも目に付く。シールドを展開していたならともかく、まともに喰らったら一撃で即死していただろう。
(たいしたものよね、まったく)
 そう思いながら爆発跡を一跨ぎして近付き、しおれた花のように倒れ伏している少女の顔を自分に向ける。それが“回収”すべき対象であることを確認すると、“007”はそのままヴィヴィオを担ぎ上げ、そのまま自分が運転してきた乗用車に運び入れる。
 自分を攻撃したのがゼロゼロナンバーサイボーグであることを、当然“007”は理解している。だが、彼らはここにいない。いない以上は、どういうつもりかはともかく、なすすべなく逃げたという推測は間違ってはいないだろう。
 警察の接近を知らせるサイレンが、St.ヒルデ魔法学院正門にようやく聞こえ始めた時、その自動車は、すでにいずこともなく姿を消していた。



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「ユーノ、くん……?」

 名を呼ばれて、ユーノ・スクライアは返事代わりに高町なのはに優しく微笑んだ。
「目を覚ましたんだね、なのは」
 目を覚ました――とユーノに言われて、なのはは初めて自分が医務室のベッドに横になっていた事に気付いた。周りを見回すと、イスに座ったシャマルがぎこちない笑顔を向けながら、こっちを見ている。
「なのはちゃん、自分が気絶する前の事をどこまで覚えてる?」
 白衣のシャマルにそう言われて、ようやくなのはは今の自分の状態に疑問を持つ。
(そうだ……私は……なんで……)
――その瞬間、なのはは毛布を払いのけ、ベッドから飛び降りていた。


「ヴィヴィオは!? ヴィヴィオは見つかったのッッ!?」


 ユーノは答えない。
 シャマルも沈黙を守ったままだ。
 当然、彼らの口元に浮かんでいた笑顔は跡形もなく消え失せている。
 なのはは、そんなユーノの両肩を掴み、激しく揺さぶった。
「私は!? 私は一体どのくらい意識を失ってたの!? 捜査の進捗情況は!?」
 だが、ユーノは苦しげに首を振る。
「いま君も所属する『機動七課』が現地の所轄警察と協力して、全力で事件の捜査とヴィヴィオの捜索に当たっているけど……まだ……」

 胸の奥がずきんと痛む。
 自分の娘が誘拐されたと聞いて初動捜査に加わるでもなく、ブザマに気を失って医務室でドクターの世話になっている自分に、吐き気を催すほどの怒りを覚える。
(いや、そうじゃない……)
 自分は騙されたのだ。
 あの、ブリード・グレッチェンと名乗る少年に。
 にもかかわらず、彼がヴィヴィオを誘拐したと聞かされても、それでもなお信じられない――信じたくないとさえ思っている自分が許せない。
(あんな子を信用さえしなかったら……ヴィヴィオはこんな非道い目には遭わなかったはずなのに……)
 そう思いながらも、本当にあの少年がヴィヴィオを誘拐したのだろうかと、未だ半信半疑な自分自身が、何より許せない。

 ユーノの肩を掴む手に力がこもるが、哀しげな顔をするだけで、彼は文句一つ言うでもない。こういう情況でさえ取り乱すこともできず、感情をこらえるしかない高町なのはという人間を、付き合いの古いユーノは知り尽くしているからだ。
 そして、そういうユーノだからこそ、彼女は安心してその胸の中に飛び込んで泣きじゃくる事も出来るのだが、今はそんな情況ではないことくらい、なのはにも分かっている。
 ユーノは優しく自分の背中に腕を回してくれているが、それでも出来ることなど、せいぜいが彼の胸に額を押し付けて震えに身を任せるくらいしかない。
 しかしそれでもなお、端から見れば恋人同士のスキンシップにしか見えないのも事実だ。だからシャマルは、ユーノにウィンクをすると無言で医務室から出て行ってしまう。
 高町なのは一等空尉と無限書庫司書長ユーノ・スクライアが、互いに婚約指輪を交し合った仲であることなど――本人たちはあくまで周囲に秘密にしているつもりらしいが――管理局の本局では知らない者はいない。

 シャマルが気を利かせてくれたのは、なのはにも分かっている。
 それはいい。いまさら恥かしがるような余裕も無い。
 だが、いつまでもこうして恋人の心地良い体温に包まれているわけにも行かない。
 彼女には彼女にしか知らない秘密がある。
 なのはが自宅マンションに引き取っていた少年が、ヴィヴィオを拉致した当の本人と見なされている“007”の変身した姿だという事実は、ユーノはおろか同居人であるフェイトさえ知らない話なのだから。
 この情報を大至急はやてに伝えねばならない。
 いま自分の傍に、例の「機動七課」を含めて捜査サイドの人間は誰もいない。
 誘拐捜査の常識としてあるまじきことだが、身柄を攫われたのが他でもない、高町ヴィヴィオであれば無理もない話だ。ジェイル・スカリエッティが作り出した古代ベルカの“聖王”のコピーたる彼女を拉致した人間が、いまさらそこいらの営利誘拐犯のように身代金要求の連絡など寄越してくるわけがない。彼女の存在が意味する価値は、積み上げられた札束などよりもはるかに高いのだから。
 ならばこそ、一人でも多くの人員を現場の捜査に廻すのは道理に適っている。
 そのはずだったし、二人もそう思っていた。
――ユーノの携帯に一本の電話が入るまでは。


 余談ではあるが、連絡手段としての携帯端末を始めとしたインフラは、ミッドチルダでも当然整備されている。
 個人間の連絡や通話は、魔法による念話の方が主流ではあるが、それでも少数ながらに魔道資質を持たない人間がいる以上、そういった端末が廃れることはないし、データ化した情報を大量に送受信する場合などは、念話よりも、コンピューターやネットサーバーと接続可能な端末を使用した場合の方が便利だと言えなくもない。
 だからというわけではないが、ミッドチルダの住人たちも当然連絡用の携帯端末は所持している。


「な、なのは……これ……ッッ」


 ユーノが絶句したのもむべなるかな。その着信はヴィヴィオの携帯からだったからだ。
 混乱状態にあった高町なのはの瞳に、たちまち理性の光が宿り、その眼に見つめられたユーノも冷静さを取り戻す。
――これが高町なのはという女性の本質だった。
 娘が誘拐されたと聞いて失神するような母性など、所詮は彼女の一面に過ぎない。
予期しないトラブルが重なるほどに、むしろ冷静になれる彼女なればこそ「管理局の白い悪魔」と呼ばれるほどの魔導師たりえるのだし、PT事件や“闇の書”事件、さらにはJS事件を解決に導く原動力たりえたのだ。それは、そもそも彼女に魔法を教えた張本人であるユーノ・スクライアこそが最も理解していた。
 ユーノはとっさに携帯を録音モードにすると、ちらりとなのはを見る。
 だが、なのはは(まだ電話には出ないで)とばかりに首を振ると、彼の耳元で囁く。
「ユーノ君、スピーカーフォンに切り替えて」
 なるほど――と思いながらユーノも彼女に従って携帯を操作する。これでユーノ本人のみならず傍らにいるなのはも、電話の音声を直接聞くことが出来る。そして二人はそのまま頷き合うと、コールボタンを押し、回線を繋いだ。

「もしもし」
 と言う暇もなかった。
 美しい女の声で――しかし、何かぞっとするような冷たさを含んだ声で、


「Mr.ユーノ・スクライア、そこに高町なのはがいるわね?」


 と、機先を制するように言われてしまったからだ。

 弾かれたようにユーノは周囲を見回す。
 自分たちを監視しているカメラの類いは見当たらない。
 だが、カメラが見当たらないからと言って、それで監視されていないと断言できるはずもない。
 なのはに視線を戻すと、――やはりと言うべきか、彼女に動揺の気配は無い。むしろ深沈とした瞳をユーノに向ける。そして、それだけで彼女が何を言いたいかユーノには分かってしまうのだ。
 
「――イキナリそんなことを言われても、わけが分からないよ。そもそも君は誰だい?」

 だが、電話の向こうの“女”は、ユーノのペースに合わせる気は無いようだった。
 にべもない口調で、
「そう、ならいいわ」
 と言うと、
「私はフランソワーズ・アルヌール。――ゼロゼロナンバーサイボーグの“003”って言った方が分かりやすいかしら。高町ヴィヴィオの件で話があるの」
 と、斬り捨てるように電話の向こうから彼に言い放った。



]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]]

「それではここでお待ち下さい。Dr.スカリエッティがお会いになります」
 
 そう言うと、ハゲ頭の赤服男――彼は自分を“007”と名乗った――は、いやらしく笑ってドアを開け、ヴィヴィオを招き入れた。
 開いた扉越しに見えるその部屋は、とりたてて豪華な調度品もなく、むしろ剥き出しのコンクリートが目立つような寒々しい一室ではあったが、だからと言って文句を言う筋合いはない。
 むしろヴィヴィオはぴんと背筋を伸ばし、気後れしている様子など微塵も窺わせまいとばかりの様子で、大股に一歩を踏み出す。そんな健気な「聖王陛下」の態度に“007”はますます口元を歪ませるが、そんなことはヴィヴィオの知ったことではない。
 今この情況で彼女にできることなど、誰にも恥じない自分を懸命に演じ続けることだけなのだから。
 まあ――素っ裸のままではいくら毅然と振舞ったところで限界もあったろうが、さいわい“007”が着衣と下着くらいは与えてくれたのが、せめてもの救いであろうか。

 ばたんと扉が閉められる。
 カギを確認すると――分かってはいたが――外へ出られないようロックされている。
 ヴィヴィオは溜め息をつくと、部屋の片隅に置かれていたイスに腰を降ろした。
 焦ることは無い。
 自分を誘拐したのがスカリエッティである以上、どんな誘拐犯よりもヴィヴィオの価値を理解しているはずだ。ならば、今すぐ殺されることは在り得ない。
お会いになる――と“007”が言った以上、そろそろ自分の前に姿を現すことだろう。
 それを待てばいい。
 そう思った瞬間だった。
――彼女の眼前にあるテレビモニターに、不意に電源が入った。

「やあ、はじめまして。私がジェイル・スカリエッティ。ここに君を招待した者ですよ」

 端整なマスクではあるが、その目に浮かぶ歪んだものを見れば、彼がどういう人間かは疑いようも無い。――まさしくそう思わせる雰囲気を漂わせ、画面に映った男は楽しそうに笑う。
「意外に怖がりなんだね。こんなモニター越しじゃなくて、なんで直接会いに来ないの?」
 ヴィヴィオは声の震えを懸命にこらえながら、睨むように言う。
「それに『はじめまして』ってのは水臭いよ。わたしを“聖王”に祭り上げたのはあなたなんだよ?」
 
 その台詞に、画面の中の男は弾かれたように笑い出した。
「すごい! すごいよキミィ! 知らなかったら私といえど騙されたかも知れないよ!! まさしく迫真の演技だね高町ヴィヴィオ!! いや――」



「――サイボーグ007のグレートくん」



 その指摘にヴィヴィオの顔が歪む暇さえなかった。
 イスに仕込まれた電極が発する高圧電流が、彼女――いや、防護服を着ていないグレートの肉体を蹂躙し、左右不揃いの光彩が輝くはずのオッドアイに白目を剥かせて、少女の姿をした男は、そのまま意識を失った。




[11515] 第十三話 「コーヒーの味」
Name: ジンバブエ◆0efd2f53 ID:d2736d75
Date: 2010/03/29 19:23
「とりあえずMr.スクライア、伝えるべきことだけ伝えるわ。高町ヴィヴィオは無事こちらが預かっている。今夜のディナー前には、あなたたちの元に送り届けることもできるわ。ただし、それには一つ条件があるの」
「条件?」
 そらきた、という顔をユーノが見せる。
 だが、なのはの視線は携帯に釘付けになったままだ。
 世間並みの誘拐犯なら、ここで身代金と人質引渡しの交渉に入るところなのだが、この電話の向こうの相手が、そんな当たり前すぎる要求を突きつけてくるはずがないのだ。
 そして予想通り、“003”は、まったくなのはやユーノの予想を越えた要求を提唱する。


「今日起こった高町ヴィヴィオ拉致事件は、この先当分解決していないことにして欲しいの。つまり、私たちがヴィヴィオを送り届けた後も、ヴィヴィオは公式にはまだ拉致されたまま、当局によって捜索中である、という事にして欲しいの」


(どういうこと……?)
 なのはは反射的に窓の外を見る。
 そこには空しか見えなかった――というわけではない。
 ここは『機動七課』に開放されたミッドチルダ地上本部27階の医務室である。窓の外には無数の高層ビルが立ち並び、次元世界有数のオフィス街である大都市クラナガンを形作っている。むしろ「空さえも見えなかった」と表現してもいいだろう。
 当然、どこかのビルの、どこかの一室から、この窓を見ている人影など見当たらないし、どちらにしろ、なのはの視力では捜しようもない。
(でも、彼女は間違いなくこの窓を通して、私たちを見ている……!)
 なのはには、その確信があった
 
 ジェット・リンクの資料にあった“003”は、50キロ四方の索敵が可能な視力と聴力を所有しているという。ならば、遠隔操作カメラのようなまどろっこしいメカニズムを使うまでもない。この窓から見えるどこかにいるだけで、“003”には、リアルタイムでこの部屋にいる自分たちの情況が監視できるはずだ。
 なら、いまさらカーテンを引いて姿を隠したところで、もう遅いではないか。
 電話をユーノに任せて、いないフリを決め込んで様子を窺おうなど、ナンセンスどころか滑稽としか言いようがない。

――ずくん。
 胸の奥に焼け付くような痛みが走る。
(ヴィヴィオ……ッッ!!)
 ゼロゼロナンバーサイボーグは、仮にもジェット・リンクが兄弟と呼び、ともに世界の覇権を狙う組織と戦い続けたという連中だ。もしも彼らの手元に愛娘が本当にいるのならば、どこの何者とも分からぬ犯罪者に誘拐されるよりも、まだ救いがある。――なのはにもそういう考えが一瞬浮かんだのは事実だ。
 だが、電話の向こうの“003”は、それこそ情け容赦ない攻撃で、湾岸警備隊のスバルの同僚たちを、殺しかけたほどの女ではないか。
――そう思った瞬間、なのははユーノに飛びつくと携帯を奪い取り、叫んでいた。

「ヴィヴィオはそこにいるのッ!? ヴィヴィオの声を聞かせてッッ!!」

 電話の向こうで、明らかに女の気配が変わった。
 もっとも、今のなのはに、そんなことを目敏く察知するような慎重さを期待する方が無理な話だ。

「子供を攫われれば、侵略者でも母親面するのね……」

 侵略者――という、そのあまりに唐突な言葉に、なのはの呼吸は思わず停止する。
「訊きたいのは、あくまで質問に対する答えだけよ。だから訊かれた事だけに答えなさい。私たちに協力して、あくまでヴィヴィオの消息不明を装ってくれるの? くれないの?」
「きょっ、協力しますッ! なんでもしますッッ!! だからヴィヴィオ――娘を返して下さいッッ!!」
「なら最初からそう言えばいいのよ。――引渡しは今夜九時。ポイントG198にボートを浮かべて待っていなさい。いい?」


(ポイントG198!?)
 なのはの加熱した脳が一気に冷める。
 クラナガン湾岸部から海上数キロの距離にあるこの座標こそ、かつて“003”がミッドチルダに初めて姿をあらわした場所ではないか。
――やはり、あそこには何かがあるの?
 いかに彼女としてもそう思わざるを得ないし、そう思わせる作戦なのかも知れない。
 ならば、それはいい。
 いま考えるべきは、彼らが引渡し地点を海上に指定したということだ。
 ジェットの話によると、サイボーグたちは酸素ボンベ内蔵式の人工肺をみな標準装備しており、中でも“008”という個体は、魚以上のスピードで水中を移動できるという。たとえ空戦魔導師が百人いたとしても、海中を移動路に使われたら包囲も追跡も絶望視せざるを得ない。
――ということは、逆に言えば、彼らは自分たちを一切信用していないことになる。

 さすがにユーノも口を出した。
「ミス・アルヌール、もしも無事にヴィヴィオを返してもらえるのなら、我々管理局はあなた方に敵対する意思はない。だからせめて、その前に説明を要求させてくれないか。一体ヴィヴィオの身に何が起こっているんだ? 一体どういう成り行きで君たちの手元にヴィヴィオが保護されているんだ!? そしてヴィヴィオの無事が公表されたら、君たちにどんな不都合があるというんだ!?」

 だが、そんな悲痛な声の前にも“003”の口調は揺るがない。
「Mr.スクライア、ブリード・グレッチェンという名に聞き覚えは?」
 ユーノが、その形のいい眉を思わずしかめる。
 無論、彼とて一ヶ月ほど前になのはが拾ってきた少年の名は知っている。
 だが、自分の質問を受けて、なぜ“003”がその名前を出すのかが分からない。そもそも、電話の向こうの彼女が何故その名前を知っているのかが分からない。
 だが、なのはは知っている。
 震えるほどに心当たりがある。

「じゃあ、やっぱり、あの子は……あなたたちの仲間の……“007”だったのね……」

 ユーノが愕然とした顔で振り返る。
“003”も、しばし言葉を切った。
 何故その事実を知っているのと言わんばかりの沈黙が、携帯の向こうから痛いほどに伝わってくるが、この際そんな事はどうでもいい。
 なのはは言う。喋りながら事態を整理する。
「あの子が『ヴィヴィオを守る』って言ってるのを偶然聞いたのよ。鳥の姿に変身して、通学中のヴィヴィオを護衛してるのも知ってるわ。……じゃあ、やっぱり、そうなのね……ヴィヴィオが今あなた達の手元にいるってことは――」
「そうよ」
 半ば溜め息をつきながら“003”は言った。
「誘拐されたのは、ヴィヴィオに変身したグレート・ブリテン――あなたの知るブリード・グレッチェンよ」
「そんな……」
「もし彼が拉致されている今、あなた達が高町ヴィヴィオの無事を公表なんかしたら、代わりに攫われたグレートがどうなるかは……分かるわね?」


「なのは!」
 くらり、とよろめいたなのはを、ユーノが反射的に受け止める。
 あの少年に欺かれていた――とは、なのはは、もはや考えていない。
無論“003”の言葉が真実である保証など全くない。
 だが、なのはには分かるのだ。あの少年はやはり“敵”ではなかったのだと。自分も全く感知していなかった危機から愛娘を守ってくれていた“家族”だったのだと。そして、 その少年は今、ヴィヴィオの代わりに“敵”の手に落ちた……。
“003”も電話越しに、そんななのはに少なからぬ驚きを覚えたらしい。

「まさか……心配してくれているの? あなたをずっと騙していたグレートを?」

 なのはは答えない。
 俯き、震え、唇を噛みしめている。
 そんな彼女を見守るユーノの表情は複雑だった。
 管理局本部の無限書庫の司書長たる彼は、なのはが現在所属するミッド地上本部「機動七課」との仕事上の付き合いは、ほぼ皆無と言っていい。だから、ジェット・リンクが作成したゼロゼロナンバーの資料を当然読んでいない。それどころか、ゼロゼロナンバーに関しても、本局で噂されていた程度の情報しか知らない。
 ブリード・グレッチェンという少年にしても同じことだ。
 一応、面識はある。何度か高町家に訪問した際に顔を合わせる機会があった。だが、所詮それ以上ではない。「なのはがまた変な子供を拾ってきたな」程度の認識しか彼は持ってはいなかったのだ。
 だからユーノには――なのはが“003”と話している内容が半分も分からない。

 しかし、それでも分かることはある。
 高町なのはという女性は、寝食を共に過ごした者を――たとえ自分を欺いていたとしても、それだけを理由に敵意を向けるような女ではないということだ。
 無言で震えるなのはの代わりにユーノは答えた。
「彼女はそういう女性なんだ。そういうなのはだと知っていたからこそ、君たちは、自分の仲間を送り込んだんじゃないのか。傷だらけの子供に変身した君たちの仲間を、見過ごすようななのはじゃないと承知の上で「ブリード・グレッチェン」なるキャラクターを創造したんじゃないのか」


「……そうね」
“003”の声がまた変わったような気がした。
「無礼な態度を取った事は謝罪するわ。もし、あなたがグレートを“家族”と認めてくれていたのなら、私たちとあなたとは“友達”になれたかもしれない。……もし、こんな出会い方さえしていなかったらね……」
 その声に――いや、その言葉になのはが顔を上げた。
「なれるよ! 私たちはいくらでも友達になれる! だから、もっとあなたたちの話を聞かせてッッ!!」
 だが、その言葉に“003”は答えなかった。
 苦しげな息を吐くと、硬い――それでも電話口でユーノの名を聞いた最初の一声よりは明らかに感情の篭った口調で、なのはに言った。

「最後に教えてあげる。そもそもヴィヴィオを攫おうとしていたのは、ジェイル・スカリエッティという男と、その背後にいる黒い幽霊団(ブラックゴースト)」

「ジェ……ッッ!?」
 雌鳥のような詰まった声をユーノが上げる。
 黒い幽霊(ブラックゴースト)という名はともかく、ジェイル・スカリエッティという名は、ミッドチルダを含めた全ての次元世界の住人全てにとって、決して聞き流していい名ではないからだ。
 だが、“003”が続けて放った言葉は、スカリエッティの名さえ消し去るほどの威力を持っていた。



「それから何があったのかは知らないわ。でもその後――聖王ヴィヴィオに率いられたミッドチルダ艦隊によって、私たちの「地球」は破壊されたわ。私たちには何のことかも分からない“復讐”を大義名分にする魔導師たちによってね」



(はかい、された……? ふくしゅう、って……?)
 息を飲む、どころではない。
 なのはもユーノも、その言葉の意味さえ分からず思考停止状態になったといっていい。
 
「でも、それは今じゃない。これから三年後。その未来を変えるために私たちは来たの。だから教えて上げられるのはここまで。――では今夜九時に待っているわ」

 その言葉を最後に、電話は切れた。
 ヴィヴィオを拉致された以上の、とてつもない衝撃を残して。



iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii

 フランソワーズは携帯を切り、コーヒーを一口飲む。
(へえ……結構いい豆を使っているのね)
 そう思った瞬間、フランソワーズは、自分が久し振りに“食事”を楽しんでいる事実に気付いた。
 驚く――という表現もフランソワーズにとっては決して大袈裟なものではない。ミッドチルダに次元転移して以来――いや、彼女の眼前で島村ジョーが非業の死を遂げて以来、彼女にとって食事は一日の楽しみから、生命維持のための栄養補給というだけの意味しか持たない、砂を噛むような行為に成り下がったのだから。
 実際の話、どんな物質でも原子に戻してエネルギーとして再利用することができる「エネルギー変換炉」を内蔵しているフランソワーズにとっては、それこそ砂も肉もたいした違いはない。
 だが、そんな自分が、久し振りにコーヒーの味に舌鼓を打っている。これは一驚に価する事態だった。
 理由は分かっている。
 あの高町なのはとかいう女のおかげだ。
 彼女はグレートを心配してくれた。
 黒い幽霊(ブラックゴースト)のような“敵”という名の悪意ではない。彼女は自分に関わった人間を――しかも自分の娘を誘拐した容疑者であるにもかかわらず――心配する、超のつくお人好しだった。
 そんな人間がミッドチルダに存在したという事実が、フランソワーズのすさんだ心を和ませたのだ。



 ここは時空管理局ミッドチルダ地上本部の斜向かいに建っている、某高級ホテルの喫茶店である。
 無論、何の意図もなくフランソワーズはこんな場所にいるわけではない。
 クラナガンを一望できる、この店の巨大な窓を通せば、たとえ地上本部のどのオフィスに高町なのはがいようが、たちまちのうちに発見することができるからだ。なにしろその気になれば、コンクリの壁を透視すらフランソワーズの“眼”にとっては可能なのだから。
 通話をなのはではなく、隣にいた男性に宛てたのは、失神してベッドに横たわっていた彼女が、携帯を身に付けているかどうか怪しいと判断したからに過ぎない。勿論、ヴィヴィオの携帯にはユーノ・スクライアの番号が登録されていたし、「母の恋人」としての人相風体を聞いてもいたから、そのブロンドの青年が何者であるかを判別するのに時間はかからなかった。

 とりあえず、話していいと言われたことは全て話した。
 その指示を出した001が何を考えているのかまでは、正直な話、フランソワーズには分からない。
 だが、ヴィヴィオの代わりに捕えられたグレートが、もし計画どおりの行動を取れれば、全ては解決する。
 そのためには、どうしても時空管理局の魔導師たちにウロチョロされる事態は避けねばならないのだ。だから――ポイントG198などという、いわくつきの場所をヴィヴィオの引渡し場所に指定したのだ。つまり少女の返還は、管理局の注意を集めるための陽動に過ぎない。

(どうせ、大人しく子供を受け取って終わりにする気はないでしょうしね……)
 おそらくは「機動七課」とやらの魔導師がすべて駆り出され、現場で手ぐすね引いて待ち伏せしていることだろう。が、無論そんな連中など自分たちの恐れるものではない。
 008――ピュンマの水中機動力を以ってすれば、所詮は人間に過ぎない魔導師たちの包囲を掻い潜ることなど、それこそ赤子の手をひねるようなものだろう。
 問題があるとすれば、ジェット・リンクがその場にいるかどうかという可能性くらいであろうが、それでも敢えて議論のテーマにするほどのことはないだろう。
 加速装置は水中では使えないし、なにより、ジェットが本気で自分たちを敵に廻す行動をとるとは思えない。たとえ、板挟みの現状にどれほどの苦悩を抱えていようが、彼は“002”なのだ。002がゼロゼロナンバーを裏切るはずがないではないか。

(ジェット……)
 独特の造型をした彼の顔を思い出すと、フランソワーズとしても、少し心が痛む。
 本音を言えば、なぜ001――イワン・ウィスキーが、ジェット・リンクに対して何らのアクションも取らず、それどころか彼に連絡を取ることさえ禁じて、時空管理局の中で放置しているのか、彼女にはまるで分からない。
 だが、それでも量子コンピューター並みの演算能力をもつはずのイワンが、あえてそうしろと指示を出したからには、必ずそこには意図がある。ならばそれを理解せぬうちに独断で指示に逆らうような迂闊な真似はできない。

 腹を割って言えば、フランソワーズといえど現状の事態を正確に把握しているわけではない。分からないことなど無数にある。
 ハインリヒが連れ帰ってきた高町ヴィヴィオに関してもそうだ。
 彼女の監視は、遠視に優れたフランソワーズも当然手を貸している。つまり、校庭で遊ぶ彼女や、格闘技の稽古に励むヴィヴィオの姿も、フランソワーズは知っている。
 だからこそ、少し冷静な眼で見てみれば、あの無邪気な女の子が、宣戦布告もなしに「地球」を攻撃した“聖王ヴィヴィオ”という女と同一人物であるとは――たとえ“未来”を知っていたとしても――どうしても思えない。グレートが彼女を“妹”と呼んだのも、ただ母親代わりたる高町なのはの情にほだされた、というだけではあるまい。あの少女は、ペシミストのグレートが“家族”と呼ぶに足る愛情を注いでくれたのだろう。
(少し……羨ましいかな)
 そう思いながらも、ヴィヴィオの携帯をポケットにしまうと、フランソワーズは席を立った。

 そう、――自分たちは彼女を守らねばならない。
 三年後に「地球」を攻撃するミッドチルダの背後に、ジェイル・スカリエッティという男と――そして、黒い幽霊(ブラックゴースト)の手が動いていることは分かっている。
 ミッドチルダ艦隊の地上部隊にいたサイボーグ――「戦闘機人」に、加速装置やエネルギー変換炉を始めとする黒い幽霊(ブラックゴースト)のテクノロジーが使用されていたことからも、その事実に間違いはない。
 ならば、自分たちのやるべきこともハッキリしてくる。
 この“過去”のミッドチルダに根を張る、黒い幽霊(ブラックゴースト)を討ち、やつらが毒牙を伸ばそうとする者たちを守る。そもそも、黒い幽霊(ブラックゴースト)こそが、本来ゼロゼロナンバーが戦わねばならない“宿敵”なのだ。なら、現時点で何も知らない子供に私怨をぶつけるなど、あっていい話ではない。

 無論、割り切るのは難しい。
 だが、割り切らねばならない。
 たとえヴィヴィオが、この三年後に艦隊を率いて「地球」を蹂躙する女だったとしても――その軍団が、自分の愛する男を殺すことになったとしてもだ。
 奥歯が意図せず、ぎりりという音を立てる。
 これから拠点代わりに使っているドルフィンⅡ世号に帰り、色々と今夜の準備をしなければならない。やるべき事はいくらでもあるし、時間は残り少ない。
 店の出口に向かうフランソワーズの胸の奥に、もはや先程までの温もりはない。



」」」」」」」」」」」」」」」」

「ん、んん……」

 自分が普段使っているベッドよりも少し狭く、スプリングが硬い。
 でもシーツが清潔そうな匂いを発していたので、それほど寝心地が悪かったわけではない――。
 意識を回復させたヴィヴィオが最初に思ったのは、自分が置かれている情況ではなく、そういう感覚的なことだった。
 背中が寝汗でべっとりしている。
 ふと見ると、大柄なカッターシャツを着込んでいるようだ。無論、着替えた記憶はないから、誰かが着せてくれたのだろう。父のいない高町家では、この手のシャツはあまり見ないので、しばらくは(ふ~ん)と言わんばかりの表情で着衣をじろじろ見る。

(そういや何でわたしは自分の服を着ていないんだろう)
 そう思った時、初めてヴィヴィオの記憶中枢に、フラッシュバックのようなものが怒涛の勢いで押し寄せる。

「……あ……ああ……」

 校庭に現れたハゲ頭の中年男。
 その男に首を刎ねられた先生。
 血塗られた刃のような左手。
 白煙の中、突如現れたブリード・グレッチェン。
 おなかに何か重いものがぶつけられたような衝撃。
 
「……ああああ……ああああ……ッッ」


『アア、泣カナイデクレタラ嬉シイナ。僕ハ個人的ニ、泣カレルヨリモ泣ク方ガ慣レテイルカラネ』
 
 
 突如、ヴィヴィオの頭に飛び込んで来た何者かの意識。
 念話とは違う。
 まるで脳に直接、意思を突きつけられたような感覚。突きつけられた意思の“色”を、自分の脳で瞬間的に翻訳し、その上で理解する。
 だが、不快ではない。
 言語という手段を介さないコミュニケーションはこういうものなのか、という新鮮な驚きだけがある。

 くるりと振り向くと、そこには、ちょっと大き目のゆりかごが唐突に存在していた。
「唐突」という言葉には理由がある。
 さっきまでそこは、自分が頭部を乗せていた枕以外の、何も存在していなかった空間のはずだったのだ。
 だが、ヴィヴィオはもう驚かない。
 ゆりかごを覗き込み、まるまると太った赤ちゃんがそこにいるのを見ると、言った。

「キミなの? いまわたしに話しかけてきたのは」

 その言葉を前に、むしろ赤ん坊の方がその瞳に驚きの色を浮かべる。
『スゴイナ……。てれぱしーヲ送ッテスグニ、ソレヲ僕カラダト分カッテクレタノハ、君ガ初メテダヨ』
 そう言われて、てへへ、という感じの照れた笑いを浮かべるヴィヴィオ。
 単純に褒められたから嬉しい、というのもある。
 だが、この子が“声”をかけてくれたおかげで、自分の胸を内側から吹き飛ばしてしまいそうだった感情のカタマリが、跡形もなく消え失せてしまっている。
 それが何より嬉しかった。
 だから、口も利けぬはずの赤ん坊が、いきなりテレパシーを送ってきたというショッキングな現実を前にしても、彼女はまるで怯まない。
「キミは誰?」
――と、まるでクラス替えで初めて見るクラスメートに話し掛けるような口調で、尋ねる。


『僕ハ001サ。本名ハ、いわん・うぃすきー。……コノ名前ニ聞キ覚エガアルカイ?』


 ヴィヴィオはきょとんとした表情で首を振った。





[11515] 第十四話 「No.2 ドゥーエ」
Name: ジンバブエ◆0efd2f53 ID:d2736d75
Date: 2010/03/29 19:23
「なんだ、もう元の姿に戻ったのかね」

 スカリエッティの言葉に、くすんだブロンドの髪を背までなびかせた美女が、苦笑いを浮かべる。
「それは……あんな姿のままではトイレにも行けませんもの」
「結構楽しんでそうにも見えたんだが、私の勘違いだったかな?」
「まあ、いやなドクター」
 ハゲ頭の中年なんて、これまでの中でも間違いなく一番鳥肌モノの変身でしたわ、と口を尖らせる彼女を見て、スカリエッティも頬を緩ませる。

「で、その悪趣味なドクターは、いつから気付いてらっしゃったんですか?」

 悪戯っぽい瞳に僅かながら咎めるような光を滲ませながら、美女は彼に尋ねる。
 少しとぼけて「なんのことだ?」とばかりにスカリエッティが首を傾げてみせると、彼女はアルカイックスマイルを崩さぬままに、彼の頬を突付き、囁いた。
「おとぼけになっても無駄ですわ。ドクターはあの聖王陛下が、ゼロゼロナンバーの変身であることを最初から知ってらっしゃったのでしょう?」


 彼女は、スカリエッティ戦闘機人の傑作「ナンバーズ」のNo.2――ドゥーエ。
 無邪気に笑う彼女を見て、この少女を“最高評議会”、さらにはレジアス・ゲイズという――いわば時空管理局に於ける二大派閥“海”と“陸”双方の首班を、たった一人で殺害した名うての暗殺者だと誰が思うだろうか。
 いわば彼女は、JS事件に於けるスカリエッティ陣営の最高殊勲者と言ってもいいだろう。
 だが、事件の後、彼女がどのようにして世を過ごしてきたのかはスカリエッティも分からない。レジアスを始末して後、騎士ゼストによって切り伏せられ、「ナンバーズ」十二姉妹の中で唯一、彼女は死亡したことになっていたからだ。

 無論、彼女を心配しなかったわけではない。
 スカリエッティにとって「ナンバーズ」は、世界の全てに誇るに足る“作品”であり、いわば血を分けた娘以上の存在だ。気にかからないわけもない。だが、スカリエッティ本人やウーノを始めとする「ナンバーズ」は、その後の“聖王のゆりかご”を巡る戦闘に敗れ、そのまま獄に収監されてしまい、彼女の行方を探すどころではなかった。だから彼女の訃報を聞いたのも当然獄中であったが、無論スカリエッティはそんな風の噂を鵜呑みに信じるような男ではない。
 彼はドゥーエという“娘”を知っている。この世のあらゆる人間に変身する固有技能を持ち、練達の諜報工作員として世間の裏も表も知り尽くしている彼女にとっては、自分の替え玉死体を用意して世間を欺き、消息をごまかすくらいは、それこそ雑作もない芸当であったはずだ。
 現に彼女は、今ここにいる――。


「まあ、正直なところ予想はしていたがね」
 こともなげにスカリエッティはそう言うと、先程と一転した冷ややかな目をモニターに向ける。そこにはベッドに四肢を拘束され、赤裸に剥かれて眠らされたグレート・ブリテンが映っていた。
「我らがヴィヴィオ陛下の家に、ゼロゼロナンバーのスパイが潜り込んでいることは確認が取れていたし、その動静の指揮を取っているのは、“001”というコンピューター顔負けの思考ができる個体だ。ならこっちの意図を汲んで、さらに裏をかくくらいは当然考えるだろう」
「つまり?」
「こっちがヴィヴィオの身柄を抑えようとするなら、それに乗じて、こっちの懐に潜り込もうとするくらいは当然やってくる――私が“001”でもそう考えるだろう。なら、こっちはさらにその裏をかくまでだ」
 
 そう言うと、スカリエッティはリモコンのボタンを押す。
 モニターが切り替わり、何処とも知らぬ大空が大写しになる。
「これはスカール氏から借り受けた“テレビ虫”の映像だよ」
 ドゥーエの目が丸くなった。
 そこに映っていた一羽のカラスが、翼の辺りから裸の腕をニョキリと一本生やし、クチバシの中に手を突っ込むや、なんとそのまま口中から――おそらくは胃の中に収納していたであろうと思われる――光線銃を取り出し、下に向けて引き金を引いたのだ。
 青年教師の首を刎ね飛ばした後、彼女が扮した“007”に向けて上空から狙撃されたレイガンの一射は、まさしくこの瞬間のものであろう。
 そして、カラスはそのまま全裸の少年に姿を変え、白煙に飛び降り、二言三言囁くと少女に当身を入れて眠らせる。そこにいた銀髪の白人に彼女を預けるや、自らの身をヴィヴィオのものに変え、その場に横たわる。――これが僅か数瞬の出来事だ。

(いつのまに……?)

 そんな間近に“004”が存在していたことさえドゥーエは気付いていなかった。
 このとき、もし彼らが自分に対して害意を抱いていたなら、風が煙を吹き払う前に、雑作も無くドゥーエは殺されていたであろう。だが、彼らはそうしなかった。そして、彼らの行動を予期していたかのように、モニター越しに全てを見ていたはずのスカリエッティも、ドゥーエに警告を発するでもなく、事の成り行きを静観していた。
 つまり、ヴィヴィオに化けて、こっちのアジトに潜り込もうとしたゼロゼロナンバーを確保することこそが、この高町ヴィヴィオ拉致作戦に於けるスカリエッティの真の目的であったことになる。
(裏をかいただけだなんて、よく言うわよまったく……)

“007”に変身した自分が、オリジナルの“007”を連れ帰ってくるなんてダジャレにもならないとは思う。だが、そういう皮肉な現実をスカリエッティが面白がっていたのは間違いない。
 無論、作戦の意図が、全て実行者である自分の頭越しに進んでいたという現実は、ドゥーエにとって決して愉快なものではないが、スカリエッティが事態を楽しんでいる以上、苦言を呈したところで無意味だということも、彼女は嫌というほど理解している。
 何故なら彼は――元々そういう男だからだ。
 だから彼女も、その点で彼を責める気は無い。
 ドゥーエにとって問題にすべきはそこではないのだ。

「ドクター、ちょっと宜しいですか」
 そう言うと、ドゥーエはスカリエッティからモニターのリモコンを受け取り、映像を巻き戻す。
 やがて、カラスに変身したグレートが、翼の付け根から、新しく腕を生やしてクチバシに突っ込んだところで、ドゥーエは画面を再生に切り替えた。
「……………」
 ドゥーエの瞳が、すっと細くなる。
 カラスはそのまま、嘔吐もせずに光線銃を口から取り出すと、画面に映っていない彼女に向けて二射し、そしてふたたびデベソを触って裸の少年――ブリード・グレッチェンに変身する。
――ドゥーエの眉間にさらに深い皺が寄った。
 無論、ドゥーエが瞠目したのは、鳥に変身したグレートが、忍者宜しく自らの胃を光線銃のホルスター代わりに使っていた事に対してではない。驚くべきは、鳥の姿をしたグレートが人間の腕を生やしたことにある。
 同じ“変身”というスキルを所有する者として、まさに慄然とならざるを得ない映像が、そこにあった。


「やはり、引っ掛るのはそこかね」


 次元世界に於いて“変身”という技術は、基本的にさほど特殊なものではない。
変身魔法はすでにミッド式・ベルカ式を問わず、すでに確立された一分野として存在しており、使い手も決して珍しいものではないからだ。
 だが、その“変身”の本質は、あくまで光の屈折を利用した光学的なものであり、周囲の視覚を錯覚させるというだけのものに過ぎない――と言えば聞こえは悪いが、それほど重要視されている魔法技術ではないのも事実だ。
 しかし、ドゥーエの“変身”は違う。
 彼女は己の細胞を変化させ、肉体そのものを物理的に変化させる。それこそ人種・性別・年齢・体格を問わず、この世に現存するどのような人間であっても、彼女は“変身”することができる。
 細胞を丸ごと――それこそDNAのレベルから変化させることが出来る彼女にとって、あらゆるセンサーやセキュリティは無意味だ。なにせ彼女の“変身”は、ただのまやかしや錯覚ではない。当の本人になりきる正真正銘の、完全なる“変身”なのだから。

 にもかかわらず、それほどのドゥーエの“変身”であっても――やはり万能ではない。
 彼女が変身できるのは人間だけであって、人間以外を変身対象に含めることは出来ないのだ。
 だが、画面に映る007は違う。
 ブリード・グレッチェンという少年だけならば、あるいはドゥーエにも変身は可能だろう。だが、ほぼ100%に近いステルス性能を発揮する保護色や、哺乳類ならぬ大型鳥類――カラスへの変身など、ドゥーエにとっては、まさに想像を絶する領域の話だ。だが、このグレート・ブリテンにとっては、それさえも能力の一端に過ぎない。
 彼は、画面に映っているような人間と鳥類の二重形態――もしくは中間形態――つまり、この世に存在しないはずの、キメラのような架空の生物への変身さえも容易にやってのける。
 この007に有って自分に無いものは何だと問われれば、ドゥーエが答えを返すことは容易だ。

「この007は、無脊椎動物はおろか無機物でさえも変身可能だと聞き及んでいます」
「口惜しいかね」
「まさか」
 ドゥーエは笑った。
「私のボディにはすでにドクターから頂いた新しい力が宿っています。あとは調整次第で、いくらでもこの男を超越できる。それだけの話でしょう?」
 
 そう。
 すでにしてドゥーエの肉体には、スカリエッティが黒い幽霊(ブラックゴースト)から提供された新技術が導入されている。
 スカールによって市井に潜伏していたドゥーエと引き合わされたスカリエッティは、特に驚くことは無かった。だが、それは彼が喜んでいなかったという話ではない。管理局に逮捕されることもなく、無事に生きていてくれたという事実に対する最大限の感謝を、新たなるパワーの提供という形の恩恵で、スカリエッティは彼女に示したのだ。
 すなわち、エネルギー変換炉と補助用人工脳を埋め込むための再改造。
 無論、ドゥーエはスカリエッティの好意を、満面の感謝を以って受け入れた。
 彼女は――いや、ジェイル・スカリエッティの「ナンバーズ」たちは、己が人間であると規定する意識など持ち合わせてはいない。それどころか、自分が戦闘機人であるという事実に誇りさえ持っている。自己能力の向上を素直に喜びこそすれ、ジェットやスバルのように、普通の人間からの乖離を嘆くような精神構造は、最初からしていないのだ。


「で、どうだ新しいボディの使い勝手は?」


 ドゥーエは、さっきまでの微笑を、ニヤリという擬音が似合うような鋭い笑みに切り替え、言った。
「パワー、スピードともに以前とは比較になりませんね。まるでボディが羽になったようです。おそらくこれこそが“エネルギー変換炉”の威力なのでしょう」
 そこで一度言葉を切った彼女は、興奮を隠さない眼差しで言う。
「でも、一番ありがたかったのは、補助AIにインプットされた身体制御データです。パワーが上がりすぎたボディを、特に戸惑う事無く、改造前と同じように扱えたのは、まさしくこれのおかげでしょう。このデータ次第で、私のスペックはさらに天井知らずになるはずです。それこそ、そこの“007”に劣らぬほどに。おそらく――」
 そこで言葉を切ったドゥーエに、スカリエッティは苦笑を浮かべる。
「おそらく……なんだね?」
「そのためにこそ、ドクターはわざわざ、この“007”という個体を確保して下さったのでしょう? 彼と同じ“変身”という能力を持つ、この私のために」
 そう言って甘えた瞳を向けるドゥーエに、スカリエッティは頭を掻きながら、そっぽを向かざるを得なかった。


 ハードの性能を最大限活用できるかどうかは――当然のことだが、ソフトの能力にかかっている。
 スカールより提供された、最新型のエネルギー変換炉をすでにその体内に内蔵し、人間以外に変身するための充分なエネルギー源を獲得していながらも、いまなおドゥーエがグレートと同じレベルで変身能力を発揮できないのは、二人の間に厳然たる「ソフト」の性能差が存在するからだ。
 無論、通常活動には現状のままでも特に問題はない。現に、スカールから提供された基本プログラムだけでも、ドゥーエはエネルギー変換炉内蔵型ボディを普通に使いこなしている。
 だが、ドゥーエのISをさらに向上させるためには、それだけでは足りないのだ。
 すなわち、グレートの補助人工脳にインプットされた、変身能力用情報処理プログラム。
 それは、アイザック・ギルモアやガモ・ウィスキー、ジュリア・マノーダなどを始めとする――まさしく当時の世界最高峰の頭脳集団だった――黒い幽霊(ブラック・ゴースト)の科学班が、一人一人のゼロゼロナンバーの特化能力に応じてインプットした補助AIプログラムであり、それに匹敵するデータは、たとえ天才スカリエッティといえど、一朝一夕に組めるものではなかった。
 だが、当のサイボーグが眼前にいるなら、話は別だ。
 グレートの人工脳からデータをコピーし、ドゥーエに移植すれば、その時点で彼女の性能は、簡単に“007”に匹敵するものになるだろう。

「そうだな……キミのために彼を攫った。そういう事にしておこうか」
「まあ、まるで無理やり私が言わせたみたいに言うんですね?」
「とんでもない。花束代わりと言うには見てくれは悪いが、“娘”へのさらなるプレゼントを考えるのも“父親”の楽しみの一つさ」
 そう言って笑いながら、スカリエッティはドゥーエを伴い、エレベーターに乗り込んだ。



 かつん、かつん――と廊下に響く二人分の足音。
 接近してくる男女二人の足音が誰のものかは、確認するまでも無く歴然だ。
薬で眠らされ、身じろぎ一つ出来ないようにベッドに動きを封じられているはずのグレートは、瞑目したまま「計画どおり」と言わんばかりに、不敵に口元を歪ませた。




]]]]]]]]]]]]]]]]]]]

「いい加減、落ち着いたらどうなんだねエクリー長官」

 そう言われて、コンラッド・エクリーは初めて自分が子供のように親指の爪を噛んでいたことを自覚したようだった。
「ははは、これは失礼致しました」
 そう苦笑し、ごまかすようにテーブルの上のコーヒーカップを手に取るが、そのエクリーが自分に向けた視線に、一瞬ではあるが恨みがましい光が宿ったことにスティルマンは気付いていた。
(肝の小さい男だ)
 思わず出そうになった溜め息をスティルマンはこらえる。
 切れ者という評判に違わず、普段は話の分かる良き腹心ではあるが、いざというときにこうも冷静さを維持できないようでは、しょせん頼りにしていい男ではなかったか。
(これ以上の重用は考えた方がいいかも知れないな)
 そう考えながら、スティルマンは腕時計を見る。
 約束の時間より10分遅れだ。
 これ以上待たせるようなら、この後の予定に関わってくる。
 普段なら、とっくの昔に席を立っているだろう。彼はそれほど気の長い性格はしていないし、それ以前にスティルマンを10分も待たせるような人間は、このミッドチルダに存在しない。
 

「やあ、どうやら遅刻してしまったようですな」


 不意に現れた魔力の気配に振り向くと、カーペットに浮きでた魔方陣から、その男が転移してくるところだった。漆黒のマントと髑髏をモチーフにした仮面で顔を覆ったその男が。
「我々の文明では魔法と言えば、この世に在り得ない奇跡か、もしくはタネや仕掛けを隠した手品と同義の言葉ですが、――しかし、実際使ってみれば、その利便性はまさしく驚くべきものでありますな」
 そう言いながら、男はスティルマンに右手を差し出した。


「お初にお目にかかります、ミッドチルダ大統領ジョン・スティルマン閣下。スカールとお呼び下さい」


 込み上げてくる笑いを噛み殺すのにスティルマンは必死だった。
 名も無き政治書生からミッドチルダの国家元首にまでキャリアを叩き上げた彼だ。これでもスティルマンは人を見る目に自信はある。ならばこそ分かるのだ。
(これは本物だ……)
 そう判断せざるを得ない。
 仮にもミッド地上本部の防衛長官であるコンラッド・エクリーが、この男との約束にあれほど怯えるのも無理もない。それは、この男を視界に入れるだけで軽く納得できる。まさしく、一瞥した瞬間に伝わってくるのだ。このスカールと名乗る男が持つ、毒蛇のように禍々しい空気が。
 その陰惨すぎる雰囲気は、むしろ笑いさえ込み上げてくるほどだ。
(いや、むしろ、そうこなくてはというところか)
 この程度のオーラを放てる者でなければ、とうてい自分のパートナーとして、ともに謀(はかりごと)を為すことなど出来はしない。
「スティルマンだ。会えて嬉しいよMr.スカール」
 そう言ってソファから腰を上げると、彼らはそのままガッチリと固い握手を交わした。

 大統領とする握手にもかかわらず、仮面を取らない無礼をたしなめたりはしない。
 握手に差し出された彼の右手は硬く、そして冷たかった。
 肉の柔らかみも血の温かみも感じさせない。
 おそらくは、その黒い手袋と同じく、髑髏の仮面は彼の“素顔”なのだろう。
 その想像は、スティルマンの背筋に冷たいものを走らせるが、その嫌悪感は恐怖に直結はしない。
 むしろ、感じるのは高揚感だ。
 悪魔メフィストフェレスを召喚したファウスト博士の気分とはこういう事なのかと思う。

 眼前の怪人にソファを勧め、だがスティルマンはそんな彼を見下ろすように腰を降ろさず、ポケットからタバコを取り出し、火をつけた。
「不躾で申し訳ないが、公務の間はタバコ一本吸わせてもらえないんでね」
「分かりますよ大統領。どこの国でもトップの人間は窮屈な思いをしているものです」
 だが、そう言いながらスカールが、仮面の奥で笑ったような気がしたのは間違いではないだろう。
――なんなら君も吸うかね? ただし、タバコの味が分かるならだが。
 そう言ってみたくはあったが、わざわざそんな安い挑発をするために、この男と会う時間と機会を用意したわけではない。
「では、さっそく本題に入ろうか」
 そう言って口火を切りながら、しかしスティルマンは口調を改めた。

「――と言いたいが、その前に一応聞いておきたい。君と君の組織が私の“企画”に全面的に手を貸してくれる。エクリーからはそう聞いている」
 スカールは無言で頷く。
「それはいい。だが、その意味を君たちは本当に理解しているのかね? まずそれを聞きたい」
 だが、スカールはひるまない。むしろ眼窩の奥から強い光を放ちながら答えた。
「勿論ですとも大統領」



「時空管理局の一元支配から脱却し、このミッドチルダを本当の意味で“独立”させる。――それが大統領の本心でございますね?」



 スティルマンは何も答えない。
 だが、仮面の男の言葉は正しく正鵠を得ていたからだ。

 そう、すべてはそのためだ。
 戦力増強に焦るレジアス・ゲイズに、ジェイル・スカリエッティと接触するように示唆したのも、――そのスカリエッティの人造魔導師計画や戦闘機人計画に資金を提供したのも、――いや、そもそも最高評議会の「切り札」として創りだされた“アンリミテッド・デザイア”を時空管理局から離反させた黒幕も、十年以上ミッドチルダに長期政権を維持している、このジョン・スティルマン大統領なればこそやれたことなのだ。
 狙いは一つ。
 レジアス・ゲイズはあくまで地上本部の戦力補強以上の発想は無かったようだが、スティルマンは違う。時空管理局に指揮権を奪われない、ミッドチルダの国益防衛を最優先に活動することが出来る“国軍”を編成する。そのための人造魔導師であり、戦闘機人なのだ。
 無論、スカリエッティのような男を完全にコントロールできるとは、スティルマンも思ってはいない。結果的に彼は暴走し、全次元世界を震撼させたJS事件を巻き起こして壮絶な“自爆”を遂げたが、そもそも「聖王のゆりかご」は、予定通りに行けばミッドチルダ“国軍”の艦隊旗艦となるべき艦であったはずなのだ。
 そして、スカールと会う気になったのも、すべてはその背後の組織力と質量兵器のテクノロジーを利用できると思っただけなのだ。

「無論、ただで手を貸そうとは我々も考えてはおりません。元を正せば黒い幽霊(ブラックゴースト)も戦争資本の複合体ですからな。それなりの見返りを保障していただけねば、さすがにクーデターの片棒を担ぐ気にはなれませんよ」

 その一言に、むしろスティルマンは安心したと言ってもいい。
 欲の無い人間ほど信用できない者は無い――それが彼の政治哲学だからだ。
「我が国に於ける武器の専売権を保障しよう」
「足りませんな」
「では、何が欲しい」
「地球」

 スティルマンは一瞬、自分の聞き違いかと思った。
 今この男は何と言った?
 

「第97管理外世界――でしたか? そっちの“地球”ではありませんよ。我々と、あのゼロゼロナンバーが故郷とする次元世界。その“地球”を我々はどうしても手に入れたいのです。もし、そのための協力を約束して下さるならば、黒い幽霊(ブラックゴースト)は、あなた方に対するどのような援助であろうと惜しむことは無いでしょう」
 

 そう言いながら、まるで生ける悪霊のごとき凶気を発しつつ、スカールは薄く笑った。






[11515] 第十五話 「ミッドチルダ大統領 ジョン・スティルマン」
Name: ジンバブエ◆0efd2f53 ID:d2736d75
Date: 2010/03/29 19:24
 時空管理局地上本部長官コンラッド・エクリーからすれば、スカールにしろスティルマンにしろ、会えて嬉しいというような人物ではない。
 無論、スカールのような妖気に満ちた怪人に比べれば、まだ一目で人類だと分かるスティルマンの方が遥かにマシな相手なのだが、それでも苦手な相手であることに間違いはない。
 何と言ってもジョン・スティルマンはミッドチルダの大統領なのだ。

 管理・管理外を問わず、次元世界全体を見渡しても、ミッドチルダほどの国力と文明レベルを持った次元国家は、ほとんど存在しないと言っても過言ではない。時空管理局本部の構成員たちも、割合から言えばミッドチルダの出身者が半数以上を占め、次元国家「ミッドチルダ」の影響力は、管理局上層部にとっても決して無視できるものではない程だ。
 現に、失脚したレジアス・ゲイズの後釜にエクリーが就任したのは、スティルマン大統領の意向によるところが大きい――どころではない。明確に、スティルマンの圧力が人事に掛かった結果だと言ってもいいだろう。
 
 無論、エクリーはスティルマンからの好意を唐突なものとして面食らったわけではない。
 彼とスティルマンの付き合いは古い。
 三期連続当選を果たし、12年にわたってミッドチルダ政界に君臨し続けるスティルマン大統領――彼が政権をとる以前の上院議員時代からエクリーは彼に目をかけられ、「子飼い」として何かと恩恵をこうむってきたのは事実だ。
 次元航行艦隊の1キャリアでしかなかった彼が、艦長――提督――統幕会議へと続く出世街道に乗った経歴は、まさにスティルマンの存在なくしては語れない。
 もっとも、その事実を根拠に、スティルマンが自分に特別な感情を抱いているとは、エクリーも考えてはいない。彼の「子飼い」たちはエクリーただ一人というわけではないからだ。
 スティルマンにとっては、能力と才能に見込みのある幹部候補生たちを援助し、管理局本局内部に己に対する強固なシンパを作り上げるのは、当然の“政治”なのだ。エクリーも所詮はその一人に過ぎない。彼を地上本部長官に就任させたのも、大統領にとって“政治”の一環に過ぎないというわけだ。

 無論、エクリーも、現在の自分の地位が過ぎたものであるとは思ってはいない。己の実績にも実力にも十分過ぎるほどに自信はある。スティルマンの“推薦”が無かったとしても、この先順調にキャリアを積み重ねていけば、いずれは年功序列の鉄則に従って、自分に御鉢が回ってきたであろうとは確信できる。彼にとって、スティルマンの圧力は、その何年か分の手間を省いてくれたというだけのものに過ぎない。
 だが、それでもエクリーにとって、スティルマンは忠誠を誓わざるを得ない恩人であることに間違いはない。それどころか、自分を最大限に評価してくれているからこそ、スティルマンが自分を“推薦”してくれたのだということも、エクリーは充分理解している。
 にもかかわらず、エクリーはこのスティルマンという男が苦手だった。その苦手意識を嫌悪感に置き換えることさえ出来るほどに、だ。

 理由は一つ。
 エクリーは、このスティルマンという男が怖いのだ。
 
 スティルマンは野心家だった。
 無論、野心を抱く政治家など珍しくも無い。逆に言えば、政治家という職業は、野心を持たねば大成しないと断言してもいい。
 だが、彼の野心は、その方向性が明らかに特別だった。
 もっともスティルマンという政治家は、いかに「子飼い」相手といえど、そう簡単に自分の本心を見せるような軽率な男であるはずが無い。だが、いつしかエクリーは――なんとなくではあったが――彼の野心を察知していた。
 ジョン・スティルマンは本気で「王」になろうとしているのだということを。

 その気持ちが理解できないと言えば、さすがに嘘に近い。
 大統領と言えば聞こえはいいが、法的権限に関して言えば、管理局にとって彼は所詮ミッドチルダという「自治区」の首長に過ぎない。管理局上層部に隠然たる勢力を持つスティルマンではあるが、それでも管理局がその気になれば、いつでもこの男を社会的・政治的に抹殺できるのだ。
 次元世界屈指の国力を持つミッドチルダ。その政界の頂点に達しても、制度上、管理局の鼻息を窺わざるを得ない。――そんな境遇に満足していた歴代大統領が、ミッドに一人として存在していたはずはない。
 それはわかる。
 エクリーと言えど管理局の構成員には違いない。次元世界のトップたちが管理局に対してどういう感情を抱いているかくらいは、彼とて当然知っているからだ。


 時空管理局は、一般的に「管理世界」と呼称される魔法文明圏に対して、警察権と司法権を強制執行することが可能であり、管理世界の国権といえどそれを侵害することは出来ない。
 つまり、各国が持つ国家警察――所轄警察は、管理局所属の捜査官・執務官の指揮に従う義務があり、また、各国の司法当局は、管理局主導の捜査で逮捕された被疑者を裁判にかける事さえ出来ないということだ。
 それだけではない。
 学校教育・国土開拓・経済活動・新技術開発など――文字通り、ありとあらゆる国家活動に管理局の監視の目は光り、その気になれば彼らは「治安維持」という大義名分を盾に、いくらでも内政干渉することが出来るのだ。

 まさに国家主権など何処の冗談だと言わんばかりのムチャクチャな話だが、しかし、この管理体制によって誰も恩恵を受けていないかと問われれば、またそれは別の話だ。
 次元世界全体の警察力と軍事力を「時空管理局」という組織に集中することで、次元世界全体の“政軍分離”を成し遂げ、国家間の武力紛争を激減させたという事実は、誰にも否定出来ないのだから。
 また、各国の警察権を管理局の名のもとに統一することで、次元犯罪の検挙率が――所轄のナワバリ意識に妨げられることも無く――飛躍的に上がったのも事実だ。
 さらに、証券取引や関税自主権に干渉することで次元国家間の経済格差や物価を操作したり、社会保障制度や医療保険制度を統一したりと、時空管理局の次元世界全体に対する社会貢献度は、計り知れないほどに高いと言ってもいい。

 無論、国政のトップたちにとって、そんな国家の枠組みを超越する権力の存在が面白かろう筈が無い。だが、それでもなお、本気で次元世界の管理体制に叛旗を翻そうなどと考える国家元首など、史上皆無であると言うしかないのだ。それほどに現状の次元世界の管理体制は、強固かつ強大なものなのだから。

 だが、このスティルマンは違う。
 彼は本気だった。
 それを改めてエクリーに知らしめたのは他でもない、眼前にいるスカールであった。

 初めてエクリーにコンタクトを取ったスカールは、こう言ったのだ。
「私と、私の組織が持つテクノロジーは、必ずや大統領の“企画”への新たなる力となるでしょう」
 だから、自分を大統領に紹介しろと、スカールはそう言ったのだ。
 無論、スカールが言うところの“企画”の中身を、エクリーが知っているはずもない。
 むしろ知る機会があったとしたら、エクリーは今頃生きてはいられなかっただろう。たとえ「子飼い」であるとしても、スティルマンが知り過ぎた人間の始末を躊躇するような甘い男であるはずがないのだから。
 だから、今この場でスカールが、大統領の本心という思わぬ暴露をもたらした瞬間、エクリーは失禁しそうなほどの絶望を感じていた。
――だが、そんなエクリーをまるで意に介することもなく、スティルマンはスカールとの会談を続けている。


「スティルマン大統領閣下、今度はこっちからあなたに問いたい」
 そう言ってスカールは、ソファに改めて体重を預け、足を組み直した。
「あなたは我々の援助を受けると仰っているが、それが、この世界でどのような意味を持つのか、本当にご承知なのですか?」
 その台詞を受けて笑いを浮かべられるスティルマンこそ、さすがと賞賛すべきかも知れない。
 彼は全く動じる事無く言い切った。


「質量兵器廃絶を標榜する管理局に対して、真っ向から喧嘩を売ることになるな。だが、君たち黒い幽霊(ブラックゴースト)とやらの科学力が、たかだか「魔法使い」ごときに遅れをとる程度のものならば、当方としても君たちに用はないと言うしかないのだがな」


 エクリーは思わず息を飲んだ。
 すっかり会話の蚊帳の外に置かれてしまった彼ではあるが、それでもスカールが視線に硬いものを含ませたのが、はっきりと分かったからだ。
 しかし、スティルマンはむしろ楽しげに頬を緩め、スカールに言ってのけた。
「無論、噛ませ犬なら用意はしてある。このクラナガンに新たに編成した「機動七課」という新チームだ。管理局きっての腕利きを揃えた精鋭部隊ではあるが、相手にとって不足はあるまい。もっとも――」

 しかし、そこから先をスカールは喋らせない。
 スティルマンの言葉を遮るように、すっと手を挙げると、
「噛ませ犬に、逆に噛み殺されるようなブザマな組織であるならば、もはや手を組むに価しないと?」
 スティルマンは返事もせず、頷きもせず、ただぷかりとタバコの煙を吹かしただけだった。

(まさか、新設部隊の真の目的が、そんなことにあったとはな……)
 エクリーに「機動七課」の編成を指示したのは、言うまでもなくスティルマンだ。
 その発足目的は――公式にはクラナガンに潜入したゼロゼロナンバーが、ミッドチルダ政府に敵対行動を取った場合の対策部隊――と定義づけられているが、エクリーは当然、その言葉を鵜呑みに信じていたわけではない。
 むしろ、黒い幽霊(ブラックゴースト)をこそ仮想敵と想定した、大統領府を守るための切り札的実戦部隊だと、ひそかにエクリーは予想していたほどだ。
 結論から言えば、その予想は――大方のところは――間違ってはいなかった。
 だが、まさか黒い幽霊(ブラックゴースト)の存在を最大利用するための“捨て駒”であったとは、まさしく予想外の話だ。

 そして、ここまでくればエクリーにもスティルマンの真意は分かる。
 各部隊のエース級を引き抜いて組織されたという機動七課が、黒い幽霊(ブラックゴースト)の襲撃を防げなかったならば、それは事実上、質量兵器に対する魔導師の敗北を意味する。ならばそれを口実として、管理局所属の魔道戦力に頼らない、質量兵器導入さえも見据えた新たな拠点防衛軍備――つまり、ミッドチルダ“国軍”発足の正当性を満天下に向けてアピールできる。
 逆に、機動七課が彼らの撃退に成功したとしても、“質量兵器テロ対策”を大義名分に、クラナガンの駐留戦力増強を本局に申請できる。
 無論、慢性的人材不足に悩む管理局が、そんな申請を受け入れるわけがない。
 そうなれば、レジアス・ゲイズが挫折した人造魔導師や戦闘機人の実戦配備を実行する、絶好の口実になるということだ。
 管理局が何と言おうが、実際にテロ被害を受けてしまえば、軍備増強の必要性を誰も否定できない。むしろ次元世界全ての世論を味方につけることも可能であろう。そして、事態がそこまで進んでしまえば、いかに管理局といえどもスティルマンを罷免し、彼の政策を否定することは出来なくなる。
――スティルマンは、そこまで考えてスカールを挑発したに違いなかった。

 
 おそらくスカールも、次の瞬間には、自分が乗せられた事を自覚したであろう。
 だが、そこまで言われてしまった以上、スカールとしても挑発に乗らざるを得ない。
 どちらにしろ、彼らは自分たちの実力をスティルマンに示さねばならないことには違いないからだ。
 ならば、ハードルは高ければ高いほど、実力のアピールになる。

「なるほど……面白いですな」
 
 スカールの視線から険が抜けた。
 彼としても自分たちのテクノロジーが「魔法使い」に遅れを取るとは思ってはいないはずだ。いや、むしろ――デモンストレーションに対する格好の舞台を提供してくれたことを喜んでいるようにさえ、エクリーには思えた。
 
「ならばお約束ください大統領、自国の領土と国民が我々の手に掛かっても、それを恨みには思わぬと」

 その言葉は、話の成り行き上、当然のものであると言わねばならない。
 黒い幽霊(ブラックゴースト)全兵力の“空襲”を受けて、万が一、スティルマンの家族や友人に不幸が起きたとして、それを機にスティルマンの気が変わってしまえば、彼らの組織には結局何の利益も得られないのだ。
 だからエクリーには、スティルマンが次に口にすべき言葉が当然予想できたし、その言葉をスティルマンは、まったく迷うことなく口にした。


「いいだろう、やれるものならやるがいい。むしろ身内に不幸でも起きた方が、その後の私の政治的立場がいよいよ正当化されるというものだ」


「くっくっくっく……なるほど……」
 スカールが、今度こそ声に出してハッキリと笑った。
 その声を聞いた瞬間、思わず背中をサソリが這いずり回るような感覚を、エクリーは覚える。
「悪魔と手を組む者は、やはり悪魔でなければならないということですか」
 だが、悪魔呼ばわりされてもスティルマンは表情一つ変えない。
「それは違うな、私は悪魔ではない」
「ほう? では閣下は何者のおつもりですか?」
「知れたこと」
 スティルマンは、すっとソファから立ち上がると、今度は自分から右手を差し出した。


「私は、ただの政治家だよ」


「罪深き者――汝の名は政治家なり、ということですか」
 その言葉に深く頷いたスカールは、そのまま立ち上がると、差し出されたスティルマンの右手を、ガッチリと握り締めた。






[11515] 第十六話 「蹂躙」
Name: ジンバブエ◆0efd2f53 ID:d2736d75
Date: 2010/03/29 19:24
 夜空を見上げても、そこに星は見えない。地上百メートルの高度に陣取った、山脈のように巨大な影が空を遮り、薄い月光を地上に届けるのみだ。
 ミッドチルダとかいう異次元人たちの巨艦「ゆりかご級」。
(ゆりかごとは、……また、皮肉の利いた名前を付けたものだな)
 彼はそう思う。
 人類に眠り――死をもたらす侵略者たちの乗艦。
 その空を覆う巨大さは、雨さえ凌げるのではないかと思わせるほどだ。
 だが、風はある。
 生ぬるい風が、独特の刺激臭を伴って東南の方角からゆっくり流れてくる。
 近くのビルに死にたての死体でもあるのだろう。おそらく三日前に突入作戦を敢行した兵士の死体が。
 その腐臭に、009――島村ジョーはなんともやりきれない気分になる。

『来たわジョー、連中の偵察チームよ』
『どこにいる?』
『河原町通りをそのままこっちに飛行して来る。接触まであと一分』
『数は?』
『全部で五人。戦闘機人が三人、残りは人間』
『指揮官は判別できるかい?』
『ええ。おそらく最後尾にいる男がそうよ。階級章や口調からも間違いない』
『了解した。そいつを確保する』
『気をつけて』
『ありがとうフランソワーズ』

 その一言を最後に、009は脳波通信を切った。
 003の報告に間違いはない。彼女の索敵能力がどれほど優れたものであるかは、ジョーにとっては今更確認するまでもないことであったからだ。
 だから彼は、そのまま静かに奥歯の――加速装置のスイッチを入れる。
 世界が一変し、風も腐臭も存在しない静寂の空間が姿を現す。
 だが、009にとっては馴染みの世界だ。
 今まで、“ここ”でどれだけ血みどろの殺し合いを繰り広げてきたことだろうか。
 だから、彼はこれまでと同じように、スーパーガンをホルスターから引き抜き、何の迷いもなく、その一歩を踏み出した。――その四人の護衛を無力化し、目標の人物を生け捕りにするために。



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 ある日突然現れた彼ら。
 瞬間移動してきたとしか思えない唐突さで、静止衛星軌道上に出現した十二個の山々。
いま「山」と呼んだが――さもなければ「島」だ。
 単体で全長数キロにわたる巨大さを誇るそれを、敢えて艦船と定義するなら、呼び名は一つしかない。神の洪水から逃れるために、現存する全ての動物のつがいと家族を乗せて、ノアがアララト山の麓に脱出したという巨船――「方舟」。

 その「方舟」クラスの巨艦が十二隻、冗談のような突然さで衛星軌道に出現したのだ。アメリカも、ロシアも、中国も、そしてEUも――世界の軍事大国たちの監視衛星や防空レーダー網は、その瞬間まで彼らの存在を全く感知することができず、世界中の空軍基地が大混乱に陥ったのも無理はないだろう。

 迂闊に手は出せない。
 世界中の軍人と政治家がそう思ったことだろう。
 まず、彼らが何者なのかも分からない。
 宇宙人の友好使節か侵攻部隊か。それとも、まさに神か悪魔の顕現なのか。
――どこかの国の新兵器だとは誰も考えなかった。
 なぜなら、衛星画像によって映し出された十二隻の「方舟」には、その山のような威容と相まって、まさに神々しいと形容する他はないほどの荘厳な“美”を湛えていたからだ。どう考えても、あれが人間ごときの手によるものであるはずがなかった。

 だが、彼らは神のように、人類に慈愛と寛容をもたらす存在ではなかった。
 いや、違う見方をすれば、正しく彼らの態度は“神”――ソドムとゴモラを焼き尽くし、人類に滅びの火をもたらす「黙示録の神の軍団」と呼ぶに相応しいものだと言えたかも知れない。
 なぜなら、彼らが人類に向けて取った最初のアクションは、やはり――やはりと言うのも哀しいが――艦砲射撃による攻撃だったからだ。
「艦隊」の全艦が、何の前触れもなしに各々の“主砲”を発射したのが、衛星軌道上に位置を固定してきっかり八時間後。北米・アフリカ・オーストラリアの三つの大陸が、跡形もなく反応消滅してしまったのが、さらにその数秒後のことであった。

 次の瞬間、世界中から「艦隊」に対する凄まじい攻撃が、地上から開始された。
 まさしくそれは“半狂乱”と形容してもいいほどのものだったかも知れない。
 無理もないだろう。
 頭上に陣取った正体不明の存在が、大陸をあっさり消滅させるほどの力と、その力の行使にまったく躊躇がない事実を剥き出しにしたのだ。恐怖に我を忘れないはずがない。
 十二隻の「艦隊」に、およそ百数十発近くの――おそらくはこの瞬間に発射可能だったありったけの――核ミサイルが、世界中のあらゆる国のミサイル基地やミサイル衛星、戦略原潜や航空母艦から打ち上げられた。おそらく北米大陸が健在であったなら、さらにその数倍近くの核ミサイルが「艦隊」を襲ったことだろう。
 無論、何らかの意思疎通があっての連携ではない。
 誰かが最初に押した核のボタン。――世界規模でパニックに陥った人類が、切られた口火に世界規模で応じた“反射行為”に過ぎない。

 それは現在、人類が持ちうる最後の火力だったと言っても過言ではない。
 その最後の火力が、「艦隊」に何のダメージも与えなかったのかと言えば、そうではない。十二隻のうちの一隻を大破撃沈させることに成功したからだ。
 とは言っても、それは偶然の結果に過ぎない。
 百発以上の核弾頭といえど巨艦の船体をガードしていた球状、あるいは円状の防御フィールドに傷一つ付けられなかったのは事実であり、フィールドの間隙を縫って巨艦にたまたま命中した核弾頭の一発が、その船のフィールド発生機能を喪失させるという幸運がなければ、おそらく人類史上初の“核の波状攻撃”は、何の結果も残せなかったに違いない。
 だが、人類の科学力による巨艦に対する攻撃は有効だと知らしめるには、それで充分だった。

 しかし、「艦隊」の一隻を失った彼らは、逆上して“主砲”を連射するような真似はせず、むしろ冷静とも思える対処を取った。
 つまり、大気圏内への降下を開始したのだ。 
 こんな破れかぶれの核攻撃を、大気圏内で続行できるはずもない。――いくらパニック状態であっても、その程度の判断力は人類には残されていたらしい。「艦隊」は散開し、十一隻の巨艦は十一城の「要塞」として、世界各地に悠然と舞い降りたのだ。

 彼らの作戦変更が、あらかじめ意図されたものだったとは思えない。
 だが、考えようによっては、何も分からないうちに大陸ごと吹き飛ばされてしまった方が、あるいは人類にとっては幸せだったのかも知れない。
 世界各地に散った彼らは、その全長数キロに及ぶ山のような艦内から「神の軍団」に相応しい降下兵たち――おびただしい数の“天使”を吐き出して空を埋め尽くし、呆気に取られたように空を見上げる人間たちに向けて、発砲を開始したのたのだから。

 生き残った各国の空軍が、たまらず次々にスクランブルをかけたが、舷側に設置された無数のレーザー砲門が、“天使”を護衛するように発射され、戦闘機をまるで蚊トンボのように撃墜した。
 応戦したのは空軍だけではない。
“天使”たちと、各国の陸軍が交戦状態になったが、――その結果は明らかだった。
 無論、彼らの地上部隊までもが巨艦ほどに圧倒的な戦力を保有していたわけではない。だが、兵士個人が戦闘ヘリに等しい機動力を持ち、戦闘車輌に等しい火力を持つ“天使”たちは手強く、地球レベルの陸軍装備では、まともな戦闘にならないのも無理はなかった。

 そして、その数時間後、応戦に出た陸軍を蹴散らした“天使”たちを地上から収容した巨艦たちは、それ以上の攻撃を続行することはなく、その時点になってようやく「宣戦布告」を全世界に向けて発信した。



 彼らは「第一管理世界ミッドチルダ」から異次元空間を航行してきた「ゆりかご級」十二隻によって編成された次元航行艦隊。
 軍構成員は「魔導師」で、率いているのは「聖王ヴィヴィオ」。
 開戦目的は、――なんと「復讐」。


 
 その、あまりに信じがたい内容に疑義を差し挟む者は、いまやいない。
 無論、確認するすべはないのも事実だ。
 だが、彼らの地上部隊が、天使ならぬ自称どおりの「魔法使い」であったことは、もはや周知の事実である以上、他の言葉を地球の常識に照らし合わせて否定する事こそ馬鹿げている。

 そう。彼らは魔導師――普通の人間ではない。
 鳥の翼を持たずして鳥以上の自由度で空を飛び、頭から爪先まで全身を覆う“天使”を思わせた純白のスーツは、おそらく飛行に伴う気圧変化や毒ガス対策であろう。何もない空間に、「ゆりかご」と同様の防御フィールドを張って銃撃や砲弾から身を守り、何のツールも使わずに遠距離通信を行い、杖の先からビームを発射する。
 いや、それらの技能さえも、魔導師にとっては一般兵士用の標準スキルに過ぎない。彼らの一部には――幻術や変身、怪獣の召喚に石化能力、さらには燃焼・氷結・地震・突風といった自然現象さえ操作する――本物の「奇跡」を具現化する者たちさえ存在したのだ。
 そんな非常識な異次元人たちを人間扱いすることこそ非常識だと言わざるを得ない。

 無論、非常識なのは戦闘員たちだけではない。
――全長数キロの質量をもつ戦闘艦を、大気圏内で宙に浮かせる重力制御。
――大陸を空間ごと消去する艦砲射撃。
――戦略核兵器さえも防御する光学バリア。
 その、どれ一つとっても、人類の想像を絶するテクノロジーだと言わざるを得ない。
 
 もし彼らの砲火が人類に向けられず、黒船に乗ったペリー提督のような外交的虚喝の一種だったとしたら――幕末当時のような“攘夷論”が国際世論に当然巻き起こったであろうが――それでも人類は、結果的に喜んで彼らの来訪を受け入れたに違いない。
「ゆりかご」の所有する未知のエネルギー原理を、もし導入することが出来たなら、それこそ人類の文明は、数世代どころか数世紀以上の驚異的な発展を遂げるであろうことは確実だと思われたからだ。
 ヨーロッパとイスラム、東洋と西洋、先住民と開拓民、白人と有色人種といった例が示すように、異文化交流に伴う摩擦自体は決して珍しくはないと歴史が証明して久しい。
 ならば、多少の犠牲は「産みの苦しみ」に過ぎない。
 たとえ彼らが宇宙人だろうが異次元人だろうが、それが結果的に、人類の文明に発展と進歩と多大なる利益をもたらすものならば――の話だ。
 だが、そんな考えは、それこそ砂糖のように甘過ぎるものであったことは明白だった。
「ゆりかご」は、どう考えても、世界に対する敵対者以外の何者でもなかったからだ。

 それから三週間、制空権を得た異次元人は、大陸を消滅させた例の“主砲”を使用することなく、十一隻の「ゆりかご」という移動要塞を拠点として、世界中を――まるで観光でもするように――ゆっくりと巡回しつつ破壊と殺戮を繰り返した。
 人類を本気で根絶させる気なら、ふたたび衛星軌道上まで上昇し、そこから例の“主砲”をぶっ放して、残った全ての地表を消滅させればいい。だが、彼らはそうしない。それは、まるで彼らが主張する「復讐」とやらの余韻を楽しんでいるようにさえ見えた。
 すでに世界は荒廃し、文明は破滅に瀕している。
 三つの大陸を消し飛ばした衝撃は地軸を歪ませ、異常気象が世界中を席捲し、人類は総人口の三分の二を失い、世界の全産業総生産は前年の八割減では済まないだろう。
 すべては、この“異次元人”を名乗る侵略者たちがやったことなのだ。
 魔導師という自称はもはやダテではない。いまや彼らが字義どおりの「魔法」――悪魔の法力――を行使する者という事実を疑う者は、世界に誰一人としていなかった。

 無論、人類とて黙って殴られてはいない。
 北米大陸とアフリカ大陸、そしてオーストラリア大陸は、「次元航行艦隊」とやらの乱射した「アルカンシェル」によってすでに海に沈んだ。だが、世界中に駐留していた米軍残存勢力は未だ健在であり、彼らを中心に国連軍――人類統合戦線が再編され、世界中の軍隊が争って参加した。
 イスラエルとアラブ、中国と台湾、インドとパキスタン、韓国と北朝鮮といった仮想敵国同士が手を結び、専守防衛を謳う自衛隊や永世中立を掲げるスイスまでが参戦を表明し、まさしく世界は一丸となって、この絶望的な戦いに身を投じたのだ。

 そして、ゼロゼロナンバーにも、合流を要求する声が掛かった。

 驚くことは何もない。
 地下帝国ヨミ消滅に伴う黒い幽霊(ブラックゴースト)解体――それを契機に組織との関係を断った資本家や政治家、高級軍人たちにとっては、ゼロゼロナンバーの名前は忘れようがないものだったからだ。
 ならば、この世界規模の危機に、彼らほどの“戦力”を遊ばせていいはずがない。
 たとえ、かつての仇敵の誘致であろうが、世界が直面している情況を鑑みれば、侵略者の撃退に手を貸すことに何をためらう必要があるだろう。
――しかし、ゼロゼロナンバーたちは、その申し出に懐疑的だった。

 彼らは気付いていたのだ。
 ミッドチルダ艦隊のテクノロジーや、魔導師たちの行使する数々の奇跡――それらはすべて、黒い幽霊(ブラックゴースト)の超科学力を以ってすれば、再現可能であると。
 それだけではない。
 すでにゼロゼロナンバーは、魔導師たちの兵団と何度となく交戦しており、部隊に編入されているサイボーグ――「戦闘機人」たちの中には、加速装置やエネルギー変換炉といった黒い幽霊(ブラックゴースト)の開発技術が使われている個体が存在する事も知っていたのだ。



 だからゼロゼロナンバーたちは、独自に動いていた。
 北京を焼き尽くし、そのまま移動して日本列島の京都上空に出現した「ゆりかご」の一隻。
 その乗員を捕え、彼らの将帥たる「聖王ヴィヴィオ」の情報と、彼らの裏側に黒い幽霊(ブラックゴースト)が暗躍しているという推測の裏付けを入手するために。



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 先頭を飛ぶ魔導師を不意打ちの一射で仕留め、009は身を躍らせる。
 すでに加速状態に入っている以上、今の009に彼らが抵抗するすべはない――というほど事態は簡単に進まなかった。
 009の存在を察知した戦闘機人たちが加速状態に入ったのだ。

「誰だ、貴様ッ!!」
 
 一人の戦闘機人が怒声をあげる。
 だが、その質問に答える気はジョーにはない。
 無言で距離を詰め、スーパーガンを発射する。
 その無雑作な一射を、戦闘機人は余裕を持って躱す。
 しかも、回避行動を取った戦闘機人の死角を庇うように、残り二人の戦闘機人が陣形を取る。
(いい連携だ)
――などと、ジョーは思わない。
 冷静に、的確に、一人ずつ仕留める。
 間違っても三人を同時に相手するような愚を冒さない。
 二人目、三人目の戦闘機人を順番に撃ち、援護を絶ってから改めて一人目の戦闘機人を追う。

「ッッ!?」

 その瞬間、彼が追っていた戦闘機人がいきなり吹き飛んだ。
 009の――ではない。他の誰かの発砲した光線銃が、その男を直撃したのだ。
 そのまま地面に激突する戦闘機人を見届けるや、ジョーは反転し、加速による時間のズレのため、凝然と動かない最後尾の魔導師の眼前に立ち、加速を解除する。

「え?」

 いまだに事態を把握できていないその魔導師に、スーパーガンのスイッチをパラライザー(麻痺銃)に切り替え、発砲する。
 声すらあげる暇もなく、魔導師は崩れ落ちた。
 彼が意識を失ったのを確認し、ジョーは振り向き、脳波通信機をオンにする。

『フランソワーズ!!』
『ここよジョー、ここにいるわ』

 地面に転がる戦闘機人の脇に金髪の美女が立っている。
 003――フランソワーズ・アルヌール。
 さっき加速中の戦闘機人を撃墜したのも彼女の仕業だ。
 ジョーは苦々しさを隠さず、彼女に駈け寄った。

『加速戦闘中のぼくに近付くなと、あれほど言ってあったじゃないか』
『でも三対一なら、いくらジョーでも危ないかと思って……』
『危ないのはキミだよ! 何かあったらどうするんだ!?』

 それを装備する者に超音速での活動を可能とする加速装置――だが、弱点は存在する。
 基本的に加速活動中のサイボーグは、通常空間に発生した音声を聞き取ることが出来なくなり、逆に、高速移動が発生させる“風切り音”を常に加速活動に伴う。
 だからと言って、レーダーやソナーといった機器を使用せず、その移動音を頼りに加速中のサイボーグの位置を捕捉するなど、とてもではないが出来るものではない。それを敢えて行うためには――聴力はもちろん――人並みはずれた戦闘に対する“勘の良さ”がなければならない。

 これまで加速性能をもたない者が、加速中のサイボーグへの攻撃を成功させた例は、ジョーが知っているだけでも僅か二件しかない。ジョーと間違えて加速戦闘中だった0013を斬った盲目の居合の使い手「レントゲン」と、地下帝国ヨミでバン・ボグートを狙撃した004の二人だけだ。
 無論、フランソワーズ・アルヌールに、その二人に匹敵するほどの戦闘センスがあるはずがない。
 だが、彼女には、この二人が持ち得なかった特化能力を持っていることも事実だ。
 つまり、50キロ四方の物音を聞き分ける、彼女の聴力である。

 フランソワーズの“耳”を以ってすれば、イルカやコウモリのように、加速中の目標を補足することも決して不可能ではないし、そのためのトレーニングをジョー相手に積んでもいる。
 なにせジョー以外に加速装置を所有する唯一のメンバーであった002――ジェット・リンクはもういないのだ。魔導師の部隊の中に、加速装置装備型の戦闘機人がいると分かっている以上、僅かでも加速戦闘に対応できる可能性のある彼女の能力を鍛えない手はなかった。

「ねえジョー、もう少し私を信用してくれてもいいんじゃない……?」

 そう囁く彼女だが、しかしジョーとしても、いつも通りに苦笑で済ませるわけにはいかない。
 確かに、聴覚のみを頼りに仕掛ける攻撃は、敵と味方を取り違える可能性が大きい。だが、加速移動の発生音には人によって特徴があり、個体識別が可能だ。ジョーと付き合いの長いフランソワーズが今更聞き違えるはずもない。
 だが、ジョーが言いたいのはそんなことではなかった。
 彼は眠らせた魔導師を担ぎながら言った。

「そうじゃないよ。今回は加速装置を持った戦闘機人が三人いた。そんな中にキミが飛び込む危険性の大きさは分かるだろう?」
「だったら、私に見張りに徹しろと言うの? 援護もせずに隠れていろと?」

 前述の004や「レントゲン」が、加速中の相手の攻撃が可能だったのは、それが奇襲だったからだ。
 彼ら二人から攻撃を受けた0013やバン・ボグートは、いずれも009との加速戦闘中の状態であり、その全神経を眼前の一騎打ちに注いでいた。だからこそ加速外の領域にいた両者からの不意打ちを回避できなかったのだ。
 だが、それが二対一、三対一の情況なら話は違う。
 一騎打ちなら知らず、周囲に目を配る余裕も生まれるだろうし、敵を発見すれば攻撃もするはずだ。そして加速者への狙撃が可能でも、加速者からの狙撃を躱す能力は、フランソワーズにはないのだ。ならばジョーとしても苦い顔を崩すわけには行かない。

「フランソワーズ……ぼくはただ、キミを失いたくないだけなんだ。だから言った通り、複数相手の加速戦闘には手を出すなと――」
「やつらはパリを焼いたのよ!! それでも私に手を出すなと言うの!!」

 そこまで叫んでフランソワーズは口を閉ざした。
 頭上に「ゆりかご」が停泊しているような場所で、口論をするバカはいない。
 発見されれば、その途端に百人単位の魔導師たちが襲い掛かってくる。そして彼らは軍人だろうが民間人だろうが、まったく発砲をためらわない。
『やめましょう。あなたとケンカはしたくないわ』
 脳波通信でそう言うと、フランソワーズは目を伏せた。
 
 世界を巡回飛行中の「ゆりかご」の一隻が、フランスを空襲したのが一週間前。彼女の故郷パリを含むリヨン、マルセイユなどの諸都市が破壊され、二千万人以上のフランス人が殺された。
 それ以来、フランソワーズは変わった。
 口数は少なくなり、視線に硬いものが混じり、表情は翳りを帯びた。
何よりも、異次元人相手の戦闘にまったく迷いを見せなくなった。
 
『フランソワーズ……』
『やめましょうジョー、もうこの話はここまで。これ以上続けたら――』

 その瞬間だった。
 表情を変えたジョーが肩に担いだ魔導師を放り出し、彼女を突き飛ばすや、スーパーガンを抜きながら戦車のような勢いで振り返った。
 フランソワーズが射止めたはずの、あの戦闘機人に向けて。
 二条の光が交差する。
 不意に地面に突き飛ばされても、さすがに003は目を閉じるような真似はしない。死んだ――と思っていたはずの戦闘機人が胸を撃ち抜かれ、手にした杖を取り落とす暇もなく、白い火花に包まれながらニヤリと笑ったのが、彼女には見えた。

「フランソワーズッッ!!」

 脳波通信を使う余裕もなかったのだろう。
 ジョーが叫ぶや、彼女を小脇に抱えて走り出す。――と同時に、耳をつんざく爆発音が周囲に轟く。
 戦闘機人は、そのエネルギー変換炉にみな自爆装置を持っている。“自分を殺した者”に最期のしっぺ返しをするための悪趣味なギミックだ。だからゼロゼロナンバーたちは彼らと戦闘する際には、常に心臓か頭部を狙う。即死させて自爆する暇など与えないためにだ。
 だが、この戦闘機人は009が加速装置を持っていることを知っている。ならば、この自爆が相討ち狙いであるはずがない。つまり、上空に浮遊している「ゆりかご」への警告信号代わりの大花火のつもりだろう。
 無論、フランソワーズとしては、この戦闘機人を即死させたつもりだった。しかし、男は生きていた……。

 
 気がついたとき、フランソワーズの鼻に刺していた腐臭やイオン臭はなかった。
 だが、戦闘機人の自爆から、彼女の感覚では三秒と経過していない。
 堅い腕によって優しく地面に下ろされる感覚に、彼女はようやく理解した。フランソワーズを抱えて移動し終えたジョーが、立ち止まって加速を解いたのだ、と。
「ここは?」
 彼女が見上げると、ジョーは遠い目をして言った。
「さっきの場所から15キロほど離れた地点だよ。ドルフィン号まで歩いて一分ってところだ」
「歩いて一分?」
「ああ。悪いがフランソワーズ、ドルフィン号まで行って、誰かを呼んできてくれないか」

 ドルフィン二世号――かつてギルモア博士と001が共同開発した万能戦艦。
 いま現在のゼロゼロナンバーの拠点代わりであり、そこに待機中の仲間たちもいるはずだ。
 だが彼女には分からない。
 ここまで来たなら、なぜジョーは自分を抱えたまま、ドルフィン号まで直接走らなかったのだろうか。
 だが、ぽたりとアスファルトに響いた水滴音を聞いた瞬間、その疑問は氷解した。



「あ、あああああ……嘘でしょうジョー……ッッッ!!」



 彼は出血していた。
 右のこめかみから、山の湧き水のようにこんこんと血が滴っている。
 顔の半分が真っ赤に染まり、黄色いマフラーはすでに防護服と同じ色に染まっている。
 ここまで出血しているということは、人口頭蓋骨だけではなく、おそらくは脳まで損傷しているはずだ。
 そんな状態で、彼は自分を抱えて加速し、ここまで逃げてきたのだ。
 誰の仕業かも分かっている。さっき瀕死の状態で反撃してきた戦闘機人の一撃だ。
 相討ちだったのだ。
 回避し切れなかったのだ。
 自分たちよりもはるかに優れた黒い幽霊(ブラックゴースト)のサイボーグたちを相手に、数々の危機を生き延びてきた、このサイボーグ009――島村ジョーが!

 彼は虚脱したようにその場に腰を下ろし、白い歯を見せて力なく笑った。
「早く……行くんだ……フランソワーズ……」





[11515] 第十七話 「遺言」
Name: ジンバブエ◆0efd2f53 ID:d2736d75
Date: 2010/03/29 19:24
 心を読むといっても、001――イワン・ウィスキーは、好奇心に任せて何の見境もなしに周囲の人間の深層心理まで覗いているわけではない。

 黒い幽霊(ブラックゴースト)は、己のことを「人間の醜い欲望が生み出したモンスターである」と独白したが、人間である限り、誰であっても欲望から解脱することなど出来はしない。つまり、普段は理性で覆い隠している、決して余人が踏み込むことを許さない“本音”を、人間である限り誰もが持っている。
 無論、イワンがその気になってテレパシーを使えば、いくら包み隠そうが、そんな“本音”など、丸見えのガラス張りも同然だ。
 だが、人が隠そうとするものを敢えて覗き見ようとするほど、イワンは悪趣味ではない。決して成長することのない乳児の肉体を持ち、一切の社会体験を持たない彼ではあるが、それでもその程度の分別はある。
 しかし、たとえテレパシーを使うまでもなく分かることもある。
 人が理性で覆い隠そうとする“本音”ではなく、周囲に惜しみなく発散している“感情”ならば、視覚聴覚と同じレベルで、イワンは感知することが出来るのだ。

 そしていま、このドルフィンⅡ世号の医務室は、それこそ押し潰されそうなまでの、重く、暗い感情に満ち溢れていた。
 無論、それはイワンとて他人事ではない。
 彼の心を、形容しがたい激情の波が掻き乱している。
 それも当然だろう。なにしろ――009が撃たれたのだから。


 ベッドに横たわった009――島村ジョーは、そのまま死体のようにピクリとも動かない。
「ギルモア博士……」
 007――グレート・ブリテンが問いかけるが、立ち尽くしたアイザック・ギルモアは難しい顔をしたまま、彼を見ようともしない。

「博士!!」

 ドアから、008――ピュンマと006――張々湖が飛び込んできた。
「……信じられないアル……ジョーがまさか、こんな……」
 大人(たいじん)と通称される太った体を揺すって006が絶句する。
 いや、狼狽しているのは、たった今帰還してきた張々湖大人とピュンマだけではない。
 このドルフィンⅡ世号の医務室に先刻からいた004――アルベルト・ハインリヒ、005――ジェロニモJr、そして007――グレート・ブリテンも、放つ感情は同じだった。

「ギルモア博士、ジョーの容態は?」

 ピュンマの質問に、暗い声でギルモアが答える。
「……思わしくない」
「それは助からない、という意味ですか」
 ピュンマが問い重ねる。
 かつて故国の独立運動を指揮していた彼の舌鋒は的確で、鋭い。
 ギルモアは力なく彼を振り向き、やがて重々しく頷いた。
 そんな彼に、反射的にピュンマは食ってかかる。

「何故です!? あなたはかつて、ぼくを死から甦らせた!! 超音波怪獣にバラバラにされたぼくを、あなたは再生させたじゃないですか!! それと同じことが何故ジョーに出来ないんですッッ!?」
「あの時とは情況が違う……ジョーが損傷を負ったのは脳だ。いくらわしでも、破損した脳細胞を再生させることは出来ない……ッッ」
 絶望の声を上げ、老人はうなだれた。
 ハインリヒは、そんなギルモアから思わず目を逸らす。
 その逸らした先に、003――フランソワーズ・アルヌールがいた。

 ジョーとフランソワーズがコンビを組んで、情報収集のために京都上空に鎮座する「ゆりかご」の偵察チームを生け捕りにしようとしていたのは、ここにいる全員が知っている。そして、彼女にとってジョーが誰よりもかけがえのない、最愛の男性であることも。
 茫然自失とした表情で壁にもたれて腰を下ろし、さめざめと溢れる涙を拭おうともしない彼女――いまだショック状態から脱しないフランソワーズ・アルヌールに、そんな質問をすることは憚られるべきかも知れない。だが、今はそんな情況ではないのも確かだ。
 だから、低く抑えた声でハインリヒは尋ねた。

「フランソワーズ、いったい何があった?」

 彼女はびくりと体を震わせ、おそるおそるハインリヒを見た。
 敢えて厳しい表情を隠さず、彼はへたり込んだフランソワーズの目線に合わせるように膝を着いた。
「これは大事なことだフランソワーズ。ジョーにここまでの傷を負わせるほどのやつが、魔法使いどもの中にいたというのか」

 そう。
 ハインリヒだけではない。ここにいる全員にとって、その事実はとても信じがたいことだった。
 異次元人ミッドチルダの「ゆりかご艦隊」地上部隊に所属するサイボーグ兵「戦闘機人」――その中でもエネルギー変換炉が内蔵されているのは全体の約半数。加速装置装備型ともなれば、さらにその数は絞られる。つまり、戦闘機人の中でも加速装置を持っている個体は、特に選ばれた戦闘特化型であるということだ。
 それほどの連中を複数同時に相手にすれば、いかにジョーとて危ういかも知れない――とは誰も思わない。それでも戦闘機人などは、所詮サイボーグ009の敵ではないはずだ。

 無論、論拠はある。
 黒い幽霊(ブラックゴースト)が生み出したサイボーグたち。
 ゼロゼロナンバーの後継機たる0010から始まる“敵”の系譜――ミュートスサイボーグのアポロンやアキレス、さらに当時最新のボディを所有していたはずのバン・ボグート、そして断続的に自己改造を繰り返し続けていたスカール。そんな彼らと戦い、生き延びてきたジョーよりも更に高い戦闘能力を、その戦闘機人たちが持っているとは到底思えないからだ。

 009がゼロゼロナンバー最強を謳われたのは、その加速能力だけに由来しない。
 彼は心優しい男ではあったが、それでも常に“戦士”である自分と、自己訓練を忘れない男だった。その自分に対する厳しさこそが、004さえも凌ぐ彼のずば抜けた戦闘センスを支えていたのだ。
 無論、彼とて万能ではない。
 パワーなら005、機動性なら002、頭脳なら001といった具合に、その長所において009を上回る能力をゼロゼロナンバー全員が持ち合わせている。だがそれでも、彼らは声を揃えて言うだろう。
――“強い”のは009だ、と。
 そして、その009がやられたとなれば、これは見過ごせる情況ではない。

 無論、イワンは009の戦闘状況を知っている。
 フランソワーズが彼を泣きながら担ぎ込んできた瞬間に、必要な情報はすべて彼女の記憶から読んだ。
 実際の話、ジョーはたった一人で加速装置装備型の戦闘機人たち数人と交戦し、そして仲間たちの予想通り――敵を圧倒した。
 だから、そんなことをフランソワーズに問い詰める行為に意味はない。
 だが、それを仲間たちに伝える暇はない。
 イワンは、もっと大事なことを伝えるための作業に、その精神を集中させていたからだ。
 自らのテレパシー能力をフルに使い、脳死状態のはずのジョーの精神と同調する作業に。
 

「もう一度訊くぞフランソワーズ、敵は何者だ?」
 歯を食いしばるような声を出すハインリヒ。
 だが、フランソワーズは首を振った。

「違うの……悪いのは私……私を庇ってジョーは撃たれたの……私の……私のせいでジョーは……」
「どういうことだ」
「私がいたから……ジョーは敵の攻撃をよけきれなかったの……これは全部……私のせいなの……」

 そう言って、ぼろぼろと涙を流し続けるフランソワーズに、ハインリヒはこれ以上、何の言葉をかけることが出来なかった。
 ハインリヒだけではない。
 自責の念に泣き崩れる彼女にハンカチを差し出せる資格を持つ者は、この部屋にいる者の中ではただ一人、むくろのように沈黙を守って横たわり続ける彼だけだ。
 だからイワンは、頭痛さえ伴うその作業を再開し、そして、その最後の囁きを――ついに、捕まえた。



『泣かないでくれ、フランソワーズ』



 その場にいた全員が、唖然とした顔でジョーを見ていた。
 いま彼ら全員の頭の中に響いた声は、紛れもなく彼のものだったからだ。
 脳波通信――?
 いや、脳死状態のジョーが通信を送れるわけもないし、そもそも生身の人間であるはずのギルモア博士が、脳波通信を受信できるはずがない。

「001……?」

 2mを超える大柄のネイティブ・アメリカンである005――ジェロニモJrが、傍らのベビーベッドを振り向く。
 イワンは、返事の代わりのように目を光らせると、そのまま、ふわりと浮き上がった。

『今ノハじょーノ脳ニ残ッタ、最期ノ意識ノ閃キダ。ボクノてれぱしー以外ニハ、ドンナ機械デモ、コノ“声”ハ拾エナイ。ツマリコレハ彼ノ――遺言ダ』

“遺言”という言葉に、一同は絶句する。
 つまり、それは001――イワン・ウィスキーの神懸かった超能力でさえも、もはやジョーを救えない、という事実の表明に他ならないからだ。
 だが、フランソワーズは叫ぶ。

「構わないわ!! どっちにしろこれがジョーの最期の声だっていうなら、早く聞かせて!!」

 頷く代わりに、イワンはテレパシーを開放する。
 その途端、ふたたびジョーの声が医務室にいる全員の頭に響いた。
かつてとまるで変わらぬ優しい、そして堅い意思を含んだ声が。
 だが、放たれたジョーの“遺言”は、横たわる自分に縋りつく彼女に向けてのものではなかった。

『済まないみんな……戦いはまだまだ続くというのに、こんなところで一人勝手にリタイアするぼくの不甲斐なさを、心から謝りたい……』

『この戦いを終わらせるためには、奴らが言うところの“復讐”という言葉を、もっと真摯に考察する必要がある。いや、それだけじゃない。我々は奴らのことをまったく、何も知らないんだ』

『奴らの指揮官“聖王ヴィヴィオ”に会うんだ。会って話を聞くんだ。それしかない』

 そんなことが出来るとは到底思えない。
 だが、この不可解な「世界戦争」を終結させるためには、それが一番手っ取り早い方法なのも事実だ。
 しかし、会話を中継するイワンには分かっていた。
 ジョーが本当に言いたいことはそんなことではなく、そして、その本音を伝えたい相手は、この場に一人しかいないのだということを。

『ミンナ、コノ部屋ヲ出ルンダ』

 ジョーの声を遮らないように気を付けながら、001はテレパシーを――フランソワーズ・アルヌール以外の全員に――送信する。
 さすがに、この期に及んでイワンの言いたいことが理解できない野暮天は、この場にはいない。かれらは互いの顔を見合わせると、頷きあい、ギルモアを先頭にぞろぞろと医務室から出て行った。
 009にはもう時間がない。
 ならば、残された限りある時間は、せめて彼にとって有効に使用されるべきだろう。
 出来ることならイワン自身も、この場を二人だけにしてやりたかったが、そうもいかない。彼のテレパシー能力がなければ、ジョーの意思を彼女に伝達できないのだから。


『フランソワーズ』
「ジョー……」
『どうやらぼくはここまでみたいだ……。でも悲しまないでくれフランソワーズ、これ以上キミが自分を責める必要はないんだ』
「あああ……ジョー……」
『キミが無事でよかった……本心からそう思うよ。でも、これからもキミが無事でいてくれる保障はない。そう思うと……死んでも死にきれない……ッッ』
「ジョー! やめてジョー!! これ以上死ぬなんて言わないで!!」
『死にたくない……フランソワーズ……ぼくはキミを……』

 そこまでだった。
 まるでコードが切れた電話のように、彼の声が途絶えた。
 何が起こったのかと確認するまでもない。微弱な波を打っていたはずのジョーの心電図が、耳障りな電子音とともに、定規で引かれたような直線を描いていたのだ。
 



 フランソワーズがドルフィン号の個室に閉じこもって三日経つ。
 つまりジョーの死亡が確認されてそれだけの時間が経つということだが、その憔悴ぶりは、おそらく三日が三年であっても、彼女はショックから立ち直れないのではないかと思えるほどだ。
 もっとも、わずか一週間で、故郷と恋人を立て続けに失えば、誰でもそうなるであろう。
 フランソワーズにとって、それは過去と現在両方を喪失することに他ならないのだから。
 
 だが、イワン・ウィスキーには分かっていた。
 009――島村ジョーの深層意識には、彼女への情愛や生への執着だけでなく、それとほぼ同量の、自らの死による「戦闘からの解放」を願う声が、確かに存在していたことを。
死を受け入れる意思がどこにも存在しなければ、たとえ脳死がどれほど深刻な状態であっても、人工心臓やエネルギー変換炉までが機能停止してしまうはずがない。
 だが、フランソワーズにとっては、死の間際まで自分の名を叫んでいたはずの恋人が、その実、直面の死によって解放を感じていたなどと聞かされても、そこに何の救いも発生しないことは明らかだ。

 無論、ジョーの厭戦気分はイワンにも理解は出来る。
 なぜなら、それはフランソワーズを含めたゼロゼロナンバー全員が、共通して抱いている感情だからだ。彼らはみな、生体兵器として改造された自分の運命を呪い、果てしなく繰り返される殺し合いの連鎖に倦み疲れている。
 それは、まだ新生児のうちに父に脳改造を施され、当たり前の人間としての人生経験を一切持たないイワン・ウィスキーにしても例外ではない。むしろ、「こんなはずじゃなかった人生」に対する絶望は、人一倍深いといっても過言ではないだろう。
 彼が、ただ優れた頭脳の所有者というだけの赤子なら、当然そんな感情は理解できなかったに違いない。だが、イワンはそうではない。

 イワンは、テレパシーで他者の精神と自在に同調することが出来る。仲間たちが所有する「個人」としての経験や記憶を、いくらでも知ることが出来る。――だが、それはしょせん“覗き”に過ぎない。すべての潜在能力を解放された脳のと引き換えに、永遠に成長しない赤子の肉体に閉じ込められているイワンにとっては、仲間たちが持つ「一般人」だった頃の何気ない記憶さえも、絶対に“体験”することのできない羨望の対象なのだ。
 普通の乳児から普通の子供へ、そして普通の大人に成長していた自分。それを想像しても、そんな想像にイワンの現実が追いつくことは決してない。――その事実に絶望を感じない人間など、この世にいるはずがないではないか。

 だが、そんなイワンの慢性的な絶望など、所詮はフランソワーズがたったいま感じている悲嘆に比べれば、物の数ではないだろう。
 無論、彼の死を悼んでいるのはフランソワーズだけではない。
 このドルフィンⅡ世号の各所に散り、割り当てられた仕事に勤しむギルモア博士やゼロゼロナンバー全員が、仲間を殺された悲しみと、それ以上に燃え上がる異次元人たちへの怒りを胸に抱いている。それは当然――イワン・ウィスキーとて例外ではない。
 しかし、彼女が放つ「女性」としての悲壮の気色は、彼ら全員が抱く感情とは全く違うものであった。

 実は、イワンは過去にも一度、今感じているのと同質の感情を、フランソワーズから感知した事がある。
 崩壊する地下帝国ヨミから宇宙に脱出しようとする、黒い幽霊(ブラックゴースト)の総統“魔神像”の内部にジョーを瞬間移動で送り込み、組織のトップにとどめを刺す役目を果たさせた時だ。
 その事実を知ったとき、フランソワーズは泣いた。
 声を荒げて取り乱すような真似こそしなかったが、それでも顔を覆い、さめざめと泣きながら、敵と刺し違える事を前提にした作戦をジョーに強いたイワンを非難した。

 だがジョーは生きていた。
 大気圏に自由落下する彼を超感覚で捕捉し、摩擦熱で燃え尽きる前に地上に瞬間移動させ、彼の命を救ったのは、イワン・ウィスキーでなければ不可能な行為だったと言えるだろう。そのときの彼女の心を染め抜いた喜びようは、とても筆舌に尽くしがたい。
 おそらく、ジョーを救いに単身で飛び立った002――ジェット・リンクの同時回収にも成功していたら、彼女は思う存分、その歓喜を素直に表に出したに違いない。

 そして、そのときを境にこの世界から永遠に姿を消したジェット・リンク――しかし、イワンにはどうしても彼が死んだとは思えなかったのだが……。


 イワンは、思わずかっと目を見開いていた。
 自室に引き篭もり、艦内を覆い尽くさんばかりだったフランソワーズの感情が、突如その色――海溝のように深い悲嘆の「青」から、天を焦がさんばかりの赤黒い炎――に、姿を変えたのだ。
 その闇が入り混じった「赤」が表すものは憤怒、敵意、警戒、そして憎悪。
 何が起こったのかは、誰でも分かる。
 即ち――“敵”の侵入。
 そして、その刹那、イワンの推測を完全に裏付ける脳波通信が、オールレンジで発信される。


『異次元人の魔導師よッッ!! みんな、すぐに私の部屋にきてッッ!!』


 その瞬間には、001はフランソワーズの眼前――すなわち、その魔導師からフランソワーズを庇う位置に瞬間移動を果たしていた。
 だが、その侵入者に対峙すると同時に、イワンは驚きを覚えていた。
 さっきまで、その魔導師に溢れんばかりの害意を燃やしていたはずのフランソワーズが、まるで別人のように唖然としている。
 何があった――と彼が思うまでもない。
 彼女は震える声で、自らをそんな表情にさせた魔導師への問い掛けを再開していたからだ。

「いま……あなた……なんて……?」

 呆然と目を見開くフランソワーズ・アルヌールに、魔導師はフンと鼻を鳴らすと、揶揄するように首を傾げ、薄笑いを浮かべて見せる。
 魔導師――その中年女は、フランソワーズとはまるで対照的な外貌をしていた。
 大きく胸元の開いた黒いドレスに黒い外套を羽織り、ぼさぼさに伸びるに任せた海草のような黒髪を胸まで垂らした姿は、まさに童話に出てくる「魔女」そのものだ。
 そして“魔女”は、口を開いた。
 

「だから、あなたの恋人を生き返らせてあげるって言ったのよ。それも鉄臭い匂いのする不恰好なサイボーグとしてじゃなく、血と肉と骨で出来た一人の真っ当なニホン人・島村ジョーとしてね」

 
「……そんなことが……できるの……?」
 おそるおそる訊き返す003に、“魔女”は口元に反して、まるで笑っていない視線を向ける。
「できるわ。私たちミッドチルダの生命工学ならね」
「そのミッドチルダの御婦人とやらが、何故おれたちに手を貸そうとする?」

 スーパーガンを構えて鋭く問う004が、ドアの外に立っていた。
 いや彼だけではない。
 残った全員のゼロゼロナンバーが、この部屋の前に勢揃いし、“魔女”に向けて銃を向けている。彼女が魔法を使おうとしたら即座に射殺できるようにだ。
 だが、“魔女”が薄笑いを消す気配はない。
「安心なさい、これは罠でも何でもないわ。私は誰かのヒモ付きじゃない、れっきとした只の裏切り者よ」
――あなたたちと同じく、ね。
 と、一言付け加えると、そこで初めて“魔女”はその歪んだ笑みを口元から消した。



「私はプレシア・テスタロッサ……ミッドチルダと時空管理局に仇なす者よ」
 
 



[11515] 第十八話 「罪の記憶」
Name: ジンバブエ◆0efd2f53 ID:d2736d75
Date: 2010/03/29 19:25
「プレシア……テスタロッサ……!?」

 事態の思わぬ成り行きに声を上げた瞬間、ヴィヴィオは我に返った。
 反射的にまばたきを繰り返す。
 眼前の赤ん坊のひどく怜悧な光が、混乱する少女の理性を回復させた。

「今のも……テレパシー?」
『ソウダ』
「白昼夢、とかじゃなくて……?」
『ボクノ記憶カラ主観ヲ可能ナ限リ排除シ、君ノ意識ニ直接送信シタ』
 
 嘘ではない事は分かる。
 彼女は、ついさっきまで自分が高町ヴィヴィオである事実を忘れ、イワン・ウィスキーである自分を、全く疑わなかった。
 白昼夢――と彼女が言ったのはそういう意味だ。レム睡眠時に人間が経験する「夢」というものは、往々にしてそれを見る者に現実を忘れさせ、ありえない登場人物やシチュエーションを問答無用で納得させてしまう。
 だが、さっきまでの光景が持っていた生々しさは、夢の比ではない。
 彼女がその気になれば、ドルフィン号の機械音やエンジン音、さらに艦内の空気清浄機のイオン臭まで、すべて滞りなく思い出せる。
 いや、それだけではない。サイボーグ001として過ごしていた自分が、当然のように持っていたあらゆる情報――イワン本人、ゼロゼロナンバーたち、そして彼らの住む「地球」に関するあらゆる知識まで、ヴィヴィオはまるで自分のことのように思い出すことが出来た。

 たとえどれほどのコンピューターを駆使しようとも、ここまでリアルな仮想現実を人工的に作り出せるとはとても思えない。
 それはいい。
 だが、こうやって我に返ってみれば、まさしく慄然とせざるを得ない。
 いま彼女が見た“記憶”を肯定するということは、あの悪夢のような光景をすべて事実として認めるという意味なのだから。
 
「でも、いくらなんでも、そんなの信じられないよ……」

 俯いたヴィヴィオが呟く。
 その言葉も、彼女にとって見れば無理はないだろう。
 失われたはずの「聖王のゆりかご」を使って、祖国ミッドチルダがよその次元世界に侵攻して数十億の現地人を殺戮し、あまつさえ、その艦隊を率いる将帥が自分――聖王ヴィヴィオであるという。そして、そんな「異次元人ミッドチルダ」と戦う彼らの前に現れたのが、よりにもよってフェイトの母であるプレシア・テスタロッサであった、と。
(ありえない)
 そう思わずにいられない。
 それほどに、彼女がいま体験した“記憶”は、高町ヴィヴィオとしては、もうどこから突っ込んでいいのかも分からないほどに支離滅裂なものであったからだ。

「ねえイワン――くん?」
『何ダイ?』
「イワンくんの言う「地球」は、なのはママの住んでた「地球」とは、確か違うんだよね?」
『ソウダ』
 イワンの言葉に、思わずヴィヴィオは前のめりになる。
「じゃあさ! キミの「地球」を襲った「ミッドチルダ」はこの――ここじゃないどこか別のミッドチルダだって可能性だってあるってことじゃない!」
『君ガソウ言ウノモ仕方ナイガ、シカシ事実ダ。コノ管理第一世界みっどちるだハ間違イナク、ワレワレノ「地球」ヲ襲ッタ連中ト同ジ連続時間平面上ニ存在スル』
 そのテレパシーから伝わってくる語気の鋭さは、さすがにヴィヴィオの反論を封じる。
『コノ次元座標ノ世界ノ人間タチハ、三年後ニ「地球」ニ向ケテ攻撃ヲ開始スル。コレハ彼ラノ艦隊航跡ヲ次元観測シタ上デ確認サレタ、マギレモナイ事実ダ』

 ヴィヴィオはそのまま何も言えず、天を仰いだ。
 彼女はまだ小学生なので詳細は知らないが、――次元航行艦の航跡というものは、すぐには消失するものではなく、次元空間の状況次第では、数ヶ月前の航跡であっても、次元観測で出発点と到達点の座標を観測することが可能である――と、テレビの法廷サスペンスで言っていたのを思い出したからだ。
 ならばイワンたちが、ゆりかご艦隊の「出発点」の位置を、この世界だと特定したという主張も、あながち否定は出来なくなる。
 なにより彼らには、ヴィヴィオに嘘をつく理由がない。
 もし彼女が見た“記憶”が確かならば、今この瞬間にも「ゆりかご」の地球攻撃は続いているはずだ。このミッドチルダが“侵略者”に無関係ならば、彼らゼロゼロナンバーがこんなところで油を売っているはずがないではないか。
 しかし、そう言われたからといって、彼女としても、ハイそうですかと頷くわけにも行かない。

 ツッコミどころとしては、まず社会体制の違いを挙げるべきだろう。
 すでにヴィヴィオは、イワンの“記憶”から「地球」の常識を得ている。独立国家にとって常備軍の存在は、国益追求と治安維持の手段として、切っても切り離せないものであることを知っている。
 だが、彼女が住む次元世界はそうではない。

 次元世界国家は、その政府に直属する軍備を持つことを許されず、その軍事・警察権のほとんどを時空管理局に委ねることが義務付けられている。
 つまり「管理世界」という言葉は、治安維持の“管理”さえも時空管理局という“外部権力”に預けているという事実あってこその呼称なのだ。それは管理局発祥の地である第一世界ミッドチルダでさえ例外ではない。
 だからミッドチルダが、独力で他の世界に軍事侵攻をかけるなど、社会制度上ありえない。
 その程度の常識くらいは、いくら小学生のヴィヴィオでも持っている。
 早い話が、管理世界による管理外世界への軍事侵攻という事態は、一見したところ「地球」に於ける国際紛争のように見えるが、その実質はまるで違うのだ。むしろ敢えて言うならば、自治体同士の武力衝突――たとえば大阪府が兵庫県に攻撃を仕掛ける――という表現こそが、法理上もっとも近いと言えるかも知れない。
 そして、そんな事態は、それこそどう考えても起こり得ないはずであった。

 だが、彼らの「地球」では、その事態が起こっている。
 学校で習った常識に拠る否定は、もはや意味をなさない。

「それで……どうなったの?」
 力なく尋ねる少女に、イワンが送信したのは“記憶”ではなく言葉だった。
『話ハソコマデダヨ。ぷれしあ・てすたろっさト名乗ル女性ガモタラシタ、次元移動ト時間移動ノてくのろじーニヨッテ我々ハ、事件勃発三年前ノみっどちるだニ辿リ着イタ。君タチガ、我々ノ「地球」ヲ攻撃スルトイウ事実ソノモノヲ修正スルタメニ、ダ』
「修正?」
『彼ラハ“復讐”ヲ大義名分トシテイル。ソレハツマリ、開戦ノキッカケヲ作ッタノハ我々ノ側ダト、彼ラハ解釈シテイルトイウコトダ。ダガ、ソレハ物理的ニアリエナイ』

 ヴィヴィオは静かに頷いた。
 それはそうだろう。プレシアによって初めて次元航行理論をもたらされた地球人たちが、存在すら知らなかったはずのミッドチルダに、いったい何が出来るというのか。
 そして、“復讐”という大義のそもそもの発端さえ改変してしまえば、彼らの「地球」が侵略を受けるという不幸な未来など、起こりようも無いというわけだ。
 そして彼女は、イワンの話の中で、そもそも一番気になっていた人物について尋ねた。

「それで……プレシア・テスタロッサ……という人は、その後どうなったの?」


 無論、ヴィヴィオはプレシアの名を知っている。
 彼女の第二の母ともいうべきフェイト・テスタロッサ・ハラオウンの母であるという。 いわばヴィヴィオにとっては、義理の祖母と呼んでも差し支えのない存在だ。
 だが、彼女に関しては、名前以外の詳細をヴィヴィオはほとんど知らない。プレシアが何者なのか、どういう性格で何をした人なのか、いやそれどころか、生きているのか死んでいるのかさえ、ヴィヴィオには分からない。
 フェイトは――リンディという“継母”に関してはともかく――およそ“実母”のことについて語ろうとはしなかったからだ。
 いやフェイトだけではない。なのはも、ユーノも、アルフも、クロノも、そしてリンディも、プレシアを知っているはずの人間たちは、話柄が彼女に及ぶや等しく口を閉ざし、笑って誤魔化すのが常であった。
 そしてヴィヴィオも、そんな母たちを前にして、敢えてタブー視されている人間のことに直接触れるような、そんな迂闊な真似はしなかった。

 興味が無かったわけではない。
 現にヴィヴィオは、図書館の資料室でプレシア・テスタロッサの名を調べたこともある。
 だが「PT事件」という案件とともに、プレシアに関する一切のデータが、管理局の機密情報扱いになっていると知った瞬間、ヴィヴィオはプレシアについて関心を持つことをやめたのだ。

(プレシアさんは……おそらく犯罪者だ。それもグレード1クラスの重犯罪者だ)
 その確信を、ヴィヴィオは子供の絵空事だとは思わない。
「PT事件」なる一件がどういう事件かは分からない。
 だが、窃盗や殺人といった、ただの刑事事件の情報ならば、管理局が機密扱いするわけがない。なぜなら、管理局が外部に対して情報統制をかけている刑事事件のデータなど、他には「闇の書事件」や「JS事件」レベルの案件があるのみだったからだ。
 ならば、プレシアを知る全ての者たちにとって、ヴィヴィオがプレシアを知ろうとする事を快く思わないのは当然だ。

 だが、その推論によってヴィヴィオがフラストレーションを覚えたのも事実だった。
 あの優しい母たちが、自分に秘密を持っていたという事に対するストレス――だけではない。
 母たちは、おそらくは犯罪者である“祖母”を恥じている。
 かたや腕利きの執務官、かたや一流の教導官。――管理局の空戦魔導師のトップランクに位置する二人の母にとって、過ちを犯した“祖母”は、やはり羞恥と隠蔽の対象でしかないのだろう。
 その想像は、高町ヴィヴィオの気持ちを暗澹とさせる。
 なぜなら彼女もまた、自分自身がかつて「聖王」を名乗って世界を混乱に陥れた“犯罪者”としての十字架を背負っていたからだ。
 そして、それこそが、ヴィヴィオがイワンの話を素直に信じる気になれない最大の原因であった。

 イワンの“記憶”によると「ゆりかご」の艦隊を率いてきた人物は「聖王ヴィヴィオ」を名乗ったという。
 聖王教会によれば、本来「聖王」という称号を名乗れる人物はこの世に二人だけ――古代ベルカの再統一者たるベルカ王オリヴィエと、彼女のコピーとして造りだされたヴィヴィオだけだ。つまり、その「聖王ヴィヴィオ」がこの高町ヴィヴィオと同一人物である可能性は、まず間違いないと言えるだろう。
 だがヴィヴィオは、たとえ何があっても自分が、ふたたび「聖王」の称号を名乗ることなどあるはずがないと確信していた。


 高町ヴィヴィオは、自分の出自を誇ってなどいなかった。
 むしろ彼女は、「聖王」とやらのコピーとして生み出された自分に、深い劣等感さえ抱いていた。


 理由は改めて述べるまでもないだろう。
 彼女は、かつてテロリストの手先だった自分の過去を恥じている。
 ジェイル・スカリエッティの言われるがままに巨大ロストロギア「聖王のゆりかご」を起動させ、その上昇を阻止しようとした管理局の空戦魔導師たち数十人を殺傷し、あまつさえ、こんな自分に優しくしてくれた高町なのはをさえ、この手にかけようとしたのだ。
 高町ヴィヴィオにとっては「聖王」の名は、まさにテロリストとしての自分の過去そのものに等しい。
 そんな罪にまみれた称号を、ふたたび名乗る自分など、ヴィヴィオに想像できるはずがなかった。

 無論、弁解の余地はある。
「聖王」などと言えば聞こえはいいが、JS事件の首謀者たるスカリエッティにとってみれば、彼女などは王でも何でもなく、巨大ロストロギア「聖王のゆりかご」を起動させるための単なる生体部品に過ぎなかったことは、関係者なら誰もが知っている周知の事実だ。
 スカリエッティによって培養され、洗脳され、利用された哀れな被害者。――それが、ヴィヴィオを知る者たちの統一見解であろう。
 だが、それでも彼女は、心の奥底では、いまだに自分自身を許していない。

 普段の外見こそ10歳の小学生に過ぎないが、デバイスを展開すれば、ヴィヴィオはその魔導資質を最大限発揮できる肉体年齢に変身できる。つまり、彼女は自在に十代後半の肉体と、外見年齢相応の精神状態になれる。
 変身を解除すれば肉体は子供に戻るが、それでも思春期独特の自虐的思考法までが、一瞬で失われるわけではない。要するにヴィヴィオは、たとえ子供の状態であっても、その実は外見以上に利発な――というよりむしろ怜悧な――精神を所有する少女であった。

 だからこそ彼女は考える。
 もし自分が、高町なのはという女性と出会っていなかったなら。
 もし自分が、世間の同情を集めやすい幼女の外見を持っていなかったら。
 もし自分が、聖王教会という一大宗教勢力の支持を受けることが可能な「聖王オリヴィエ」のDNAを受け継がない――ただの“レリックウェポン”でしかなかったら。
 おそらくはJS事件の主犯たるスカリエッティと同等の共犯者として、彼女は今頃どこかの隔離世界の冷たい牢獄に繋がれていたのではないだろうか。
 
 無論、そんな考えなどナンセンスだ。
 いまヴィヴィオはここにいる。
 高町なのはの養女として、誰に恥じることなき人生を歩んでいる。
 それが結果だ。現実だ。それこそがすべてだ。

 しかし、現にフェイトもなのはも、かたくなにヴィヴィオにプレシアの存在を語ろうとしない。
 その原因は、プレシアの過去ではないと誰が言えるだろうか。
 プレシアが「PT事件」という事件を起こした、いわゆる“身内から出た犯罪者”である事実を恥じた上での沈黙でないと、一体誰が言えるだろうか。
 ならば、“祖母”と同じく「JS事件」で多くの人を傷つけた「ゆりかごの聖王」たる自分は、母たちの目に一体どう映っているのだろうか。自分は母たちにとって、本当に堂々と胸を張って他人に自慢できる存在なのだろうか。

 そんな少女の苦悩を聞いたとき、あるいは人は言うだろう。
 高町なのはもフェイト・ハラオウンも、そんな事を考えるはずがない。彼女たちは君が何者であったかを全て受け入れた上で、家族として迎え入れたのだと。
 そんな事はヴィヴィオにも分かっている。余人に言われるまでもなくだ。
 だが――それはまた別の話なのだ。
 たとえ、母たち二人が自分を赦したとしても、世界すべてが自分を赦したわけではない。ヴィヴィオの過去がリセットされるわけでも、「ゆりかご」上昇で発生した死傷者が生き返るわけでもない。人間の手や時間が解決できない爪痕など、この世にはいくらでも存在するのだ。
 それに、どれだけ愛してくれたとしても、ヴィヴィオが何者であるかを二人の母が忘れるはずがない。なぜなら、「受け入れる」ということは、即ち「ヴィヴィオが犯罪者である事を認めた上で受容する」ということに他ならないのだから。
 自分に「犯罪者」としての後ろめたさがある限り、彼女の不安が消え去る事もない。
(私自身も、ママたちにとって“恥”の対象なのかも知れない)
 という絶望は、彼女にとって見当違いの杞憂でも何でもないのだ。
 
 だが、ヴィヴィオは、そんな考えを抱く自分自身を、懸命に噛み殺した。
 自分を愛してくれているはず母たちを信じ、愛されているはずの自分を信じ、母たちの表情を翳らせるはずの一切の葛藤を放棄した。
 二人の母や、母の仲間たち。そして、いまだに自分を慕ってくれるナンバーズの姉妹たちや、「覇王」を名乗って喧嘩を売ってくる無神経な少女に対してさえも、彼女は悩める姿を一切見せず、“祖母”プレシアに対する関心も、すべて捨てた。
 母たちが愛するに相応しい、無垢で、無邪気な、幼い、天使のような子供たらんと誓ったのだ。

 だが、いま思わぬことでプレシアを知る機会に恵まれている。
 ならば、そこに食いついたところで誰も彼女を責めることは出来ないはずだった。


 イワンはゆっくりと目をつむった。
『ワカラナイ』
「……え?」
『ぷれしあ・てすたろっさハ、ボクタチニ必要ナてくのろじーダケヲ供与シタ後、姿ヲ消シタ』
「それって……どういうこと?」
『彼女ハ、自分ノ事ヲみっどちるだノ裏切者ダト称シタガ、ソレデモ我々ト最後マデ行動ヲトモニスル気ハ無カッタノダロウ。結局、蘇生サセルト約束シタ009ノ遺体ゴト、行方ヲ眩シタ』
「じゃあ、いま現在プレシアさんがどこにいるかとか……わからないの?」
『ソウダ。……スマナイ』

 そんな信用できない人間と、よくも手を組んだものだとヴィヴィオは思ったが、しかし、当時のゼロゼロナンバーたちに協力者を選ぶ余裕などあるはずがない。
 それにイワンは人間の心が読める。
 自分たちに対するプレシアの本音のありかはおろか、彼女がミッドチルダを裏切ろうとするに至った過去の経緯程度の情報は、プレシア本人の記憶や思考を読めば、すぐに分かるだろう。
 知るべき情報をすべて知った上でなら、その後で、彼女が姿を消したとしても、イワンたちがプレシアの存在に固執せねばならない理由は無い。たとえ仲間の死体を持ち逃げした女だとしても、それでも彼らには更に重要な仕事が眼前にあるのだから。
(あれ……ちょっと待って……)
 そこまで思った時に、一つの考えが、ふとヴィヴィオの頭をよぎった。

「イワンくん、――いま私の頭、読んだ?」

 彼はその問いに答えなかった。
 つまり、その沈黙は百万言よりも雄弁な「YES」であるということだ。
 イワンは、ヴィヴィオの胸中にあった“祖母”プレシアへの複雑な心境をテレパシーで感じ取り、その後の彼女に関する詳細を口篭もってしまったに違いない。
「じゃあ、姿を消したっていうのも、嘘なの?」
『ソレハ嘘ジャナイ。デモ、ボクガ彼女ニツイテ知ッテイル事ヲ君ニ、コレ以上教エルノハ止メタ方ガイイト思ッタ』
「それって、どういう――」
『君ノ考エテイル通リダ。ボクハ以前ぷれしあ・てすたろっさノ心ヲ読ンダ。ダカラ君ガ知リタイト思ッテイル、ぷれしあニ関スル全テノ情報ヲボクハ知ッテイル』
「…………」
『デモ、我々トハ無関係ナ彼女ノ過去マデ、君ニ語ルノハ、ボクノ役割ジャナイト思ッタ』

 本来ならば、ヴィヴィオは「そんな見当外れの優しさは要らないよ」と叫ぶべきであったかも知れない。
 だが、――彼女は分かっていた。おそらく母たち以外の人物から、自分の予想を裏書するようなプレシアの真実を聞かされたならば、彼女はもはや、母たちの顔を二度とまともに見ることは出来ないだろうということが。
 聞きたい事があるなら、遠慮などせず自分で直接聞けばいい。
 イワンはそう言っているのだ。
 そして、ヴィヴィオに流れ込んでくるイワンのテレパシーには、ハッパをかけつつも少女を気遣わんとする感情が付随していた。だから、ヴィヴィオは憑き物が落ちたような顔で笑った。
「優しいんだね……イワンくん」

 その笑顔に、テレパシーは返ってこなかった。
 だが、イワンの赤毛に隠された素顔が、耳まで赤くなっていたのをヴィヴィオは見過ごさない。
(照れてる……赤ちゃんなのに……かわいいなあ)
 そんなヴィヴィオのくすぐったい感情が、イワンにも届いたのだろう。
 何かを吹っ切るようなわざとらしい口調で『赤ン坊ガカワイイノハ当然ダロウ』というテレパシーを彼女に送りつけたイワンに、今度はヴィヴィオから口を開く。
「じゃあ、今度は私から訊いていい?」
『ナンダイ?』


「どうして私を殺さないの?」





[11515] 第十九話 「確定要素」
Name: ジンバブエ◆0efd2f53 ID:d2736d75
Date: 2010/03/29 19:25
「どうして私を殺さないの?」

 というヴィヴィオの言葉に
『何故ソンナ事ヲ訊ク?』
 とは、イワンは問い返さなかった。
 ただ彼は黙したまま、その表情から笑いを消しただけだ。
 なぜなら、ヴィヴィオの身になって考えれば、この質問は至極当然のものであったからだ。

 裏側にどういう政治事情があるのかは分からないが、それでも彼らの「地球」を襲った艦隊を率いていたのは「聖王ヴィヴィオ」を名乗る者である事に間違いはない。
 そしてここに高町ヴィヴィオ――「聖王」のDNAを受け継ぎ、「ゆりかご」を起動させる事ができる次元世界唯一の人間がいる。
 ならば話は簡単だ。
 ヴィヴィオがいなくなれば、少なくとも彼女が指揮する「ゆりかご」は、地球を襲えない。

『君ハコノ一件ノ確定要素ジャナク、ヒトツノ条件要素デシカナイ。ダカラ殺ス理由ガナインダ』
「その説明じゃわからないよ」
『コノ戦争ハ、ソノ勃発ニ君ノ存在ハ関係ナイ。ムシロ利用サレタトボクハ考エテイル』
「その説明でもわからない」
『艦隊司令官ト言エバ聞コエハイイガ、要スルニ、君ハタダノ現場責任者ニ過ギナイ。ダカラ、タトエ君ガ死亡シタトコロデ、コノ事件ハ何モ改変サレナイ。誰カガ君ノ代ワリニ軍ヲ率イルダケノ話ダ』
「でも……わたしがいなかったら「ゆりかご」は動かないんだよ!?」
『君タチノ世界ニ次元航行能力ヲ持ッタ戦闘艦ハ、ナニモ「ユリカゴ」ニ限ラナイダロウ?』
「で、でも……“じょーけんよーそ”だから殺さないってことは、もし私が、イワンくんの言うところの“かくていよーそ”だったなら、やっぱりキミたちは私を殺したってことでしょう?」


 ヴィヴィオのその言葉に、しばしイワンは沈黙する。
(さすがの人間コンピューターも言葉を選ぶのね)
 彼女がそう思ったのも無理はない。
 ヴィヴィオとて、自分が放った質問のきわどさくらいは承知している。
 会話のなりゆき次第では、彼女はこの場で命を絶たねばならない羽目になるだろう。
 なんといっても「聖王ヴィヴィオ」が、彼らにとって故郷を破壊した憎むべき存在である事は間違いないのだ。人間の自然な感情に照らし合わせれば、ヴィヴィオが無事で済んでいる現状こそが、奇跡に近いとさえ言えるのだ。
 だから、実はイワンが会話を中断した真の理由など、ヴィヴィオにとっては想像しようもない事だった。


 実は、彼は待っていたのだ。
 彼にしか聞こえない、彼だけが聞き届けられる、その信号を。
 おそらく、その“声”の主は、携帯端末や無線はおろか、魔法を使った念話や脳波通信さえも遮断された場所に拘禁されているに違いない。
 だが、その監禁先の「隠れ家」が、人間が普通に発する思念波・精神感応波の類いまで遮断できるとは思えない。そして、テレパシー能力者のイワンならば、たとえどんなに遠くとも微弱であっても、自分に向けて放たれたものであれば、その“声”を感知できる。
 無論、絶対の保障などできない。
 これは賭けだ。しかも、かなり分の悪い賭けだ。

――だが、イワンはついにその“声”を捕まえたのだ。

 眼前のヴィヴィオとテレパシーで会話しながらも、なお聞き漏らすことなくその“声”を受信できたのは、やはりイワンの超感覚ならではの事だと言わねばならない。
 そしてイワンは、その持てる演算能力をフルに活用して、己が確認した“声”の発信源の特定作業に入る。
捕捉するだけでも困難なレベルのかすかな思念波――それをさらに逆探知するなど、常識的に可能なはずがない。
 だがそれでも――イワンには出来る。
 天才スカリエッティをして「量子コンピューター並」と言わしめた、イワンの頭脳は伊達ではない。
 そして彼は数秒ののち、――その計算結果とイワン自身が傍受した“声”の記憶を、このドルフィン号のブリッジに待機している仲間たちに送信した。

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「聞こえたか?」
 弾かれたように008――ピュンマが、そこにいた仲間を振り返る。

「――ああ」
「聞こえたアル」
 重い口調で言葉を吐くネイティブアメリカンの大男と、丸々と肥え太った中国人がそこにいた。
 005――ジェロニモJrと006――張々湖。
「博士は聞こえたアルか?」

 そう問う張々湖に、老科学者アイザック・ギルモアは「もちろんじゃ」と言いながら顎鬚を撫でる。
「しかし改めて考えてみると、イワンのテレパシーはやはり便利じゃのう。おぬしらサイボーグ用の脳波通信じゃろうが魔導師どもの念話じゃろうが、受信側が人間の脳さえ持っておれば、まったく問題なく中継ポイントを勤められるのじゃからな」

 何を今更のんきな事を――と、眉をしかめる暇はピュンマにはない。
 いままでテーブルの上を占領していた、湾岸ポイントG198の周辺資料を張々湖が脇へどけ、そこへ一辺1・5mほどもある、ミッドチルダ各地の大判地図をジェロニモと二人で、ピュンマはテーブルに何枚も広げた。
「ギルモア博士」
「今やっとる」
 横を見ると、ギルモアが先程の場違いな台詞とはまるで裏腹な、熱のこもった眼をしながらノートパソコンのキーボードを忙しげに叩いている。
 
「出た。――座標の位置はここじゃ」

 ディスプレイ上にはミッド北部の、とあるポイントに光点が明滅している。
 だが、老科学者は目を細める。
「なんじゃここは……?」
 画面に映った地域は「第三廃棄都市区画」と表示が出ているだけの、全くの空白地帯だったからだ。
 テーブル上の地図にその場所を照らし合わせてみても、やはりそうだった。
他の区域には詳細に記されている市街地の情報――道路名や番地名、役所・病院・教育機関などを表す地図記号や、鉄道路線などを含めた一切の表記がない。

「要するにこれは、ただの更地だということアルか?」
 ポツリと呟く張々湖に、ピュンマは「そんなバカな」と突っ込みを入れる。
「いや、……確かにただの更地ではないらしいな」
 パソコンを睨みながらギルモア博士が答えた。
「ネット上の情報では、臨海第八空港の閉鎖に伴い放棄された市街地じゃとある。区画内の建造物に対する解体工事なども行われてはおらんようじゃ」

 ピュンマは黙って腕を組んだ。
 空港の閉鎖というプロセスはいまいちよく分からないが、しかし、国が見捨てた街というものは、古今東西どこにでもあるものだ。
 治安の悪化に伴い、司法機関や行政組織が現状を把握しきれなくなった区域。
そんな警察も二の足を踏むような街には、アウトローや不法入国者や低所得者たちがさらに群がり、治安の悪化に拍車をかける。そして「国法」ではなく「街の掟」が支配するコミュニティに変貌していくのだ。
「つまり、典型的なスラム街というわけですか」
 だが、ギルモアは首を振る。
「いや……ここはどうやら本物の無人区域らしい。管轄が管理局武装隊となっておる。これはつまり、ミッドチルダに於ける“軍”の管理区域と考えて間違いはあるまい」
 
「こんなところにゴーストタウンがあるなんて……いったいここはどういう国アルか」
 呆れたような張々湖の声が部屋に響く。
 まあ無理もないだろう。
 地図上では、この廃棄区画はクラナガン市から北上してわずか数キロのところにある。
 さすがに首都から伸びる幹線道路や鉄道路線は、すでに封鎖されて久しいようだが、それでも地球上の常識で言えば、立派に「首都圏」の範囲内である。
 裏町が貧民窟やスラムになっている大都市など珍しくもないが、いやしくも一国の首都圏内に誰も住まない廃棄都市が存在する理由など想像もつかない。いわんやそれが、治安維持機関の管轄下に置かれている理由など。
(こんなところで市街戦の訓練でもやってるってのか……?)
 だが、そんな疑問を頭に巡らせるピュンマに、ジェロニモが重い声で語りかける。

「そんなことはどうでもいい。問題は“そこ”から信号が届いたということだ」

(確かにそうだ)
 言われて確かに、ピュンマは自分たちの疑問が、いま考えねばならないことから脱線していたことに気付き、ごりごりと頭を掻く。そして、前提を受け入れて考えれば、色々と分かってくる情報もある。
「なるほど」
 ピュンマは頷いた。
「軍が実験場扱いにしてるような場所に住み着くバカはいない。いつどこからタマが飛んでくるか分からないからな。だからこそ人気もなく、地下にアジトを作っても、誰の目にもとまらないというわけか」
「だったら、どれだけ暴れても他人を巻き込む危険はないアルな」
 張々湖がそう言いながら、珍しく不敵に口元を歪ませる。
だが、そんな二人にギルモアは冷や水をかけた。
「しかし、やつらのアジトが、その「管理局武装隊」とやらに守られている、という可能性も忘れてはならんぞ」

 ピュンマも張々湖も、はっとした顔でギルモアの顔を見返した。
 老人の言葉が表す意味は単純だ。
 イワンがようやく感知した思念波。その発信源が示すポイントこそ、そもそもの“敵”のアジトの現在位置に他ならない。だが、そのさらに背後に時空管理局が存在している可能性がある。――ギルモアはそう言っているのだ。
 あくまでも可能性の話だ。
 だが、たとえば、とあるアパートの一室に過激派の支部があったとしたら、そのアパートの大家が疑われるのは当然の話だ。
 すでに彼らは、ミッドチルダという次元国家と時空管理局という組織が、その追求するものを異にする存在であることを知っている。
 ピュンマは愁眉を開かぬまま、ギルモアを振り返った。
「計画を一時間早めましょう。そしてフランソワーズを呼び戻して、この場所の偵察に当たらせます」



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「イワンくん?」

 赤ん坊は眠ってしまったかのように動かない。
「状況次第では、やっぱり自分を殺していたのか?」
 という自分の質問に、答えあぐねているのだとばかり思っていたが、この様子を見ると、どうやらそうではないらしい。――それどころか、この乳児の体に、何か異変でも起きたのではないか?
 そう思い、反射的に立ち上がったヴィヴィオの意識に送信されたテレパシーは――、

『イヤ、ヤハリ、ボクラガ君ヲ殺シテ、ソレデ問題解決ト解釈スルトハ思エナイナ』
――という言葉だった。

 ただの否定ではない。
 イワンの思惟が、その言葉には多く付随していた。

 彼らの「地球」を襲った「ミッドチルダ」が、“この世界”と地続きであることは観測上間違いない。
 そして、イワンの意識にも当然、自分たちの「地球」を破壊し、ジョーを殺した「ミッドチルダ」に対する根深い怒りと憎悪が渦巻いている。
――いや、“戦争”はまだ続いているはずなのだ。
 彼らの故郷たる世界では、地軸が歪み、地表の五割が海中に没したはずの「地球」に対する、聖王ヴィヴィオ率いる「ゆりかご」艦隊の攻撃が、いまなお続行されているはずだ。
 だが、その恨みをこの世界で晴らすことは出来ない。
 この「ミッドチルダ」は――「地球」を攻撃した悪魔の軍団の、さらに過去の世界に過ぎないからだ。

『未来』の罪状を『過去』に問うことはできない。
『未来』の復讐を『過去』にぶつけることはできない。

 いかにイワンの感情が暴発を叫ぼうとも、そこまで自分の理性を捨てる気はないし、仲間たちに捨てさせるつもりもない。
 無論、そのロジックにも例外はある。
 最初から「地球」に狙いをつけ、この世界の異次元人たちを侵略戦争へと扇動した存在――いわゆる「開戦の確定要素」たる連中が相手ならば、さすがに容赦するつもりはない。
 しかし、さすがにこの高町ヴィヴィオは、そんな者たちとは同じ扱いには出来ない。たとえ彼女が三年後の「地球」で、虐殺行軍を行う女だとしても、彼女をそういう女に変貌させたのは、彼女自身の意思ではないはずなのだ。
 だから、ふたたびイワンは笑った。
『ナニヨリ、君ハぐれーと――ぶりーど・ぐれっちぇんガ妹ト呼ンダ人間ダ。ソンナ君ヲ傷付ケルヨウナ真似ヲシタラ、ボクラガ彼ニ怒ラレテシマウ』


 その名を聞いた瞬間、ヴィヴィオの脳裏に閃光のように思い出される映像。
――西日がまぶしい放課後の校庭。
――表情も変えずに先生を殺し、そのまま自分を誘拐しようとした赤い服の中年男。
――それを阻止するように、颯爽と飛び込んできた少年の姿。

 あのあと、一体どうなった?
 すでにヴィヴィオの頭には、変身能力を持つサイボーグ007の情報が存在している。
 つまり、ブリード・グレッチェンの正体が、グレート・ブリテンその人であった事実を、余裕を持って認識できる。
 おそらくあの後、ブリードはヴィヴィオに変身し、自分の身代わりに攫われたのだろう。
 その想像は、彼女にとって背骨が鳴りそうなほどの心配を掻き立てるが、しかし、浮かんだ疑問はそれだけには留まらない。

 あの――自分を誘拐しようとした“007”は何者だ?

 考えるまでもない。ブリード・グレッチェンがイワンの同志たる「本物の007」であるなら、あの“007”は偽者――つまり“敵”だとしか考えられない。そして、その“敵”こそが、おそらくイワンの言うところの、未来改変の「確定要素」そのものなのだろう。
 しかし、何故そいつが自分を狙う?
 今になって考えてみれば、ブリードが高町家に入り込んだ目的は、その“敵”に対するヴィヴィオの身辺警護以外に考えられないのだが、それでも、その事実はイワンの言葉と矛盾する。自分があくまで条件要素の一つでしかないというなら、イワンたちがヴィヴィオを守る意味などないではないか。
(……そうか)
 そう思ったとき、ヴィヴィオの頭は不意に結論に至った。


「イワンくんは、私をエサにしたんだね?」

 
 イワンたちの目的が、ヴィヴィオ自身ではなく、ヴィヴィオに接触を図ろうとする者たちにあったとすれば、それで辻褄は合う。
 復讐という感情をぶつける対象ではなく、冷静に目的を果たすために必要な“おとり”として、イワンたちもまた彼女を利用したのだ。
 無論、そこには悪意はないだろう。悪意があれば、自分たちの仲間の一人を高町家に潜入させるような面倒な真似はしないはずだからだ。
(いや……それだけじゃない)
 ヴィヴィオの目がすっと細くなる。
 そうなのだ。
 イワンたちが、ヴィヴィオに接触を図ろうとするする者たちこそを、この一件の「確定要素」だと解釈しているならば、おそらくブリードがヴィヴィオの身代わりに誘拐された事実さえも、偶然であるはずがない。
 つまりブリード――サイボーグ007は“敵”の内懐に意図的に入り込んだ事になる……。

『君ノ考エテイル通リダ』
「えっ」
『ボクラノ目的ハ、アクマデ“敵”ノ身柄確保ニアル。君ノ誘拐ヲ利用スル形デ“敵”ノ元ニぐれーとヲ送リ込ンダノモ、連中ノあじとノ位置ヲ特定シ、襲撃ヲカケルタメダ。ソシテ当初ノ計画通リ、連中ノあじとノ特定ハ、スデニ終了シテイル』

 ヴィヴィオは絶句した。
 どういう作戦を練っているのかは知らないが、そんなことをすれば、真っ先に危険にさらされるのは、他ならぬ囚われのブリード――グレート・ブリテンではないか。

「えっと……よく分からないんだけど、要するにそれって、ブリードくんの正体が、まだバレてないってことなの? その“敵”の人が、まだブリードくんを高町ヴィヴィオだと勘違いしたままだから、イワンくんの仲間たちが殴り込んでも危険はないって……そういう事なの……?」
『イヤ、スデニ正体ハ看破サレテイル』
「ちょっとイワンくんッッ!!」
『大丈夫ダヨ、“奴”ハぐれーとヲ殺サナイ。科学者トシテノ“奴”ノ意識ガソレヲ許サナイダロウ』

(科学者――?)
 その瞬間、ヴィヴィオの心の水面にあぶくの如く浮かび上がる一つの名があった。
 ヴィヴィオという命をこの世に生み出し、テロリストとしての理想も、思想も、野望さえなく、ただただ研究者としての欲求にのみ従い、世界を混乱の坩堝に巻き込んだ男。
 まさかとは思う。
 なぜならその男は、今頃はどこかの次元牢獄で終身刑に処されているはずなのだ。


『――ソウ。ソノ男ノ名ハじぇいる・すかりえってぃ。ボクラノ“敵”デアル“ぶらっく・ごーすと”ニ手ヲ貸スまっど・さいえんてぃすとダ』


 やっぱり――などと思う暇もない。
 その名を聞いた瞬間、ヴィヴィオは、胸に込み上げる嘔吐感に思わず身を縮め、口元を抑えた。喉もとまで迫る、酸味の利いた固形物混じりの液体を懸命に嚥下し、そのままじろりと眼下の赤ん坊を睨んだ。

『……スマナイ……マサカ君ガ、アノ男ノ名ニ、ソコマデ過敏ニ反応ヲ示ストハ予想外ダッタンダ……』
 イワンが、狼狽した感情とともに謝罪の言葉を彼女の意識に投げかけてくるが、ヴィヴィオにとっては、そんな言い訳の言葉などに関心はない。
「そんなことはどうでもいいよ」
 ハッキリしている事はただ一つ。
 自分を妹と呼び、危地から救い出してくれたあの少年――彼が潜入のために自分を欺いていた事については多少の引っ掛かりを感じるが――が、たとえ意図的であっても、絶対の危険に身をさらしているという事実だ。
 
「ブリードくんを必ず助けてあげて。もしあの子を見捨てたら、私は今後一切、イワンくんたちに協力しないからね」
『ワカッテル。彼ハボクラニトッテモ大切ナ仲間ダ』

“協力”という言葉を図らずも使ったが、ヴィヴィオはすでに自分がここにいる理由にも気付いている。
 イワンは合理的精神の権化のような存在だ。
 つまり、彼がヴィヴィオにべらべらと自分たちの事情を教えたのも、――そしてスカリエッティの名を出したことさえ――当然理由がある。
 
「あなたたちはミッドチルダの敵じゃない。なのはママやフェイトママを通して、時空管理局のトップに知らせる。そして、あなたたちが本当の“敵”と見なしている相手との戦いに協力させる。それに、どのみちスカリエッティがこの一件に絡んでるって聞かされたら、ママたちも黙っていられない。――そのために私をここに呼んだんでしょう?」
『ソウダ。ボクラト君タチハ、トモニ同ジ“敵”ト戦ウコトガデキル。タトエ成リ行キ上、時空管理局ヤみっどちるだ政府ト敵対スルコトニナッテモ、ソレハ決シテ、ボクラノ本意デハナイノダ。――ソレヲ、君タチノ社会ニ訴エテ欲シイ。ソシテ君ナラ、ソレガデキル』
(それは……つまり「聖王」としての影響力を使えと言っているわけなのね)
 その考えは、決してヴィヴィオの心を暖めない。
 だが、自己否定から何も生まれないのも確かだ。「聖王」の名を捨てる事が叶わぬ身であれば、それを利用することに覚える罪悪感など、しょせんは無意味な痛痒に過ぎない。少なくとも故郷を破壊された者たちの背負う、痛みや怒りに比べれば。

(いや、そうじゃない……)
 ヴィヴィオは硬い視線で首を振った。
 今度こそ「聖王」の名を、自分自身が正しいと信じることに使う。それこそが、「ゆりかごの聖王」の罪をあがなう唯一の機会かもしれない。
 ならば自分は、万難を排して彼らに協力すべき義務があると考えるべきだろう。
「私はイワンくんに協力する。だから私にはこれ以上、隠し事はしないで」
『……ワカッタ』
 
 その瞬間、少女の眼前の空間に、突然ふって沸いたように手の平サイズのぬいぐるみが出現した。
 セイクリッド・ハート。
 高町ヴィヴィオ専用インテリジェンス・デバイス。
 丸腰の魔導師にデバイスを渡す。その意味をイワンが理解していないはずがない。
「いいの……?」
『カマワナイ』
 その時、彼女の目には、この超能力ベイビーがウィンクをしたように見えた。

『君ノ思イハ確カニ受ケ取ッタ。ナラバ、コレハボクカラノ信頼ノ証ダト解釈シテクレレバイイ。受ケ取ッテクレ』

「…………うん、喜んで」
 少女は、そのうさぎのぬいぐるみを、小さな胸にぎゅっと抱いた。
 すでに彼女の胸の内に、先程の嘔吐に伴う不快感はない。
「それからイワンくん、最後に一つ」
 むしろ、小さな温もりを感じるくらいだ。
「ダメだよ、あんまり勝手に人の心を読んじゃね」
 そう言って少女は、赤ん坊に「めっ」とばかりに片目をつむった。


 



[11515] 第二十話 「絶縁宣言」
Name: ジンバブエ◆0efd2f53 ID:d2736d75
Date: 2010/03/29 19:26
 
PM19:52

 目を閉じているわけではない。
 にもかかわらず、彼の眸はそこに何も映し出すことはなかった。
 もっとも、ジェットは放心しているわけでもなければ、うたた寝をしていたわけでもない。
 五感を研ぎ澄まし、可能な限り緻密な警戒の糸を自分の周囲に張り巡らせる。もとより人工強化されたジェット・リンクの感覚器官の鋭さは、それこそ常人の比ではない。だが、それでもここでは、彼の目はその本来の性能を発揮できない。
 分厚くまとわりつく漆黒の闇は、星の光がない分、宇宙空間よりも見通しが利かず、その視界は恐らく半径数メートルが精々というところだろうか。
 だがその分、彼の耳には様々な音が飛び込んでくる。そして、彼の肌――皮膚感覚は、耳以上に周囲の状況を知るよすがとなった。
 現に、ジェットは自分に近付いてくる、その気配にすでに気付いていた。

 ごぽっ、という音を立てて彼の眼前を、一匹の魚が横切った。

(うまそうだな)
 などと思う余裕はもとよりない。
 そろそろ午後八時――高町ヴィヴィオの返還をゼロゼロナンバーたちが約束した時間だ。
 ジェットは軽く首を巡らし、自分と同じく周囲の海底――とはいっても深度的には50mもないが――を見渡した。自分と同じく、岩場に潜んだ「機動七課」の魔導師連中が隠れているはずだが、彼の視覚にもダークグリーンのダイバースーツたちを発見することなどはできなかった。
 昼間ならともかく夜間ともなれば、海中という空間は、あの世も顔負けの闇の世界に早変わりする。だからと言ってライトを点けるような間抜けな真似は、当然できない。これは水質調査ではなく“張り込み”なのだ。

 ここはクラナガン湾岸ポイントG198――その海中。
 Stヒルデ魔法学院で誘拐された高町ヴィヴィオの返還場所として“003”が指定したのが、この海域だった。
 無論、時空管理局「機動七課」としては、子供を受け取って、それでハイさよならというわけにはいかない。これはゼロゼロナンバーを確保するための、絶好の機会なのだ。
 だから、現在このポイントには数十人の魔導師が張り込み、息をひそめている。――とはいっても、ここは通行人で溢れかえるショッピングモールではない。およそ身を隠す場所など存在しない海上だ。人を忍ばせるにも限界がある。

 海上に釣り舟を偽装した作戦拠点ボートを一隻、そこに指揮官・八神はやてが。
 上空の雲の中に空戦魔導師一個小隊、「ワイバーン隊」が。
 海中にダイバースーツを着込んだ魔導師を二個小隊、「スキュラ隊」と「クラーケン隊」が。
 そして、当のヴィヴィオを受け取るべく、クルーザーに待機する高町なのはとユーノ・スクライアが。

 その程度の人員しか配置できなかったとしても、「機動七課」を責めるのは酷だと言うべきだろう。むしろ、ユーノには午後九時だと告げられたはずの返還時間を、いきなりの電話で一時間も早められたという事実の前には、むしろ「機動七課」部隊長・八神はやての対応は、まだしも迅速なものだったと言うべきか。
 ジェット・リンクが、そのフィールドたる上空ではなく海中に配置されたのも、彼が酸素ボンベ内蔵式の人工肺を持つサイボーグだという事実を鑑みれば、至極当然と言わねばならない。

 もっとも、ここへやってくるのが水中活動特化型たるサイボーグ008であったなら、たとえ一個艦隊でこの海域を包囲したとしても、しょせんは無意味であることもジェット・リンクは当然理解していた。そして、おそらく同じことを八神はやても考えているだろうということも。
(そろそろか)
 上を見上げるが、ジェットの網膜には、先程までと同じく何の映像も飛び込んではこない。ただ塗り潰されたような暗黒が広がるのみだ。


 高町ヴィヴィオの返還場所として、ここを指定した際の“003”――フランソワーズ・アルヌールの言葉によって、いくつかの新事実が明らかになった。だがそれでもゼロゼロナンバーに対する時空管理局とミッドチルダ政府の対応姿勢が方向転換することは、結局なかった。

“003”は言った。
 高町ヴィヴィオを返す条件として、彼女が無事に親元への帰還を果たしたという情報を非公開にしろと。
 その理由もいたってシンプルなものだった。
 高町ヴィヴィオを拉致しようとしたのは、そもそもジェイル・スカリエッティという男と、その背後にいる黒い幽霊(ブラックゴースト)であり、自分たちは彼らからヴィヴィオを救い、保護したに過ぎず、さらにスカリエッティのもとには本物の身代わりになった「ヴィヴィオに変身した“007”」が今なお囚われており、少女の帰還情報は“007”の身柄を危険にさらすからだ、と。
 さらに“003”はこうも言った。
 自分たちは三年後の未来から来た、と。
 その頃の「地球」は、聖王ヴィヴィオに率いるミッドチルダ艦隊によって徹底的に破壊されている。その未来を改変することこそが、自分たちがここにいる理由だ、と。

 それが真実であれば、いずれも驚天動地の話ではあるが――残念ながら、彼らの主張には信憑性がない。

 まず、三年後の未来から来たというが、時間移動は次元世界においても実現不可能な概念であり、魔法文明さえ持っていない「第97管理外世界」の分岐世界から来たゼロゼロナンバーたちに、そんな技術力があるとは到底思えない。
 また、彼らの「地球」を破壊した艦隊指揮官が「聖王ヴィヴィオ」であるならば、ゼロゼロナンバーが高町ヴィヴィオを救う理由がない。にもかかわらず、敢えて彼女を救ったというならば、彼らがヴィヴィオをただで返すとは思われない。洗脳や後催眠暗示などを含めた何らかの処置を少女に施している可能性は、非常に高い。
 そして、彼らが名を挙げた次元犯罪者ジェイル・スカリエッティについても、脱獄どころか今なお無人世界「グリューエン」の軌道拘置所で服役中だという事実が確認されている。その背後にいるという黒い幽霊(ブラックゴースト)については、組織の実在を裏付ける証拠は、何一つ存在しないというのが現在の状況なのだ。
 何より、ミッドチルダの次元航行艦隊が管理外世界に戦争を仕掛けるなど、どう考えてもありえない。

 つまり、ゼロゼロナンバーの主張は何一つ信用することはできない。
 それがミッドチルダ政府と管理局上層部の出した結論だった。

 無論、ジェット・リンクは、そんな役人どもの「結論」など最初から相手にしていない。
 仲間たちが黒い幽霊(ブラックゴースト)の名を出した以上、それが嘘であるはずがないのだ。
 もっとも、このミッドチルダが自分たちの「地球」を破壊したという言葉も、ジェットにとっては容易に信じられる話ではない。得体の知れぬ改造人間の自分をありのままに認め、市民権と職業、そして第二の人生を与えてくれたこの国が、そんな暴挙を働くとはとても信じられない。
 だが、それはいい。
 国家という存在は、時として人間以上に簡単に理性を失うということを、60年代後半の東西冷戦時代を生きてきたジェット・リンクは知っている。きっかけさえあれば、この国とてたやすく戦争という恐慌状態に陥るだろう。それこそ、アメリカがヴェトナムに攻め込んだようにだ。
 問題は結果ではない。そのきっかけを用意した“黒幕”たちだ。そして、仲間たちが黒い幽霊(ブラックゴースト)の名を出した以上、その黒幕の首謀者の座に、黒い幽霊(ブラックゴースト)が存在しているのは間違いない。
 スカリエッティという男が何者であろうと関係はない。どうせ黒い幽霊(ブラックゴースト)が、全ての罪と責任を被せるために用意した捨て駒であろう。
 なら――自分はいったい、どう動くべきなのか。


『ジェット……そこにいるのはジェット・リンクか?』


 その脳波通信を受信するまで全く気付かなかった――わけではない。
 水という物質は、空気よりもさらに早く音を伝播する。だから耳を澄ませば、海中という場所はとても賑やかな音に満ちている。
 無論それは、周囲に潜んでいる魔導師連中の耳が捕えられる“賑やかさ”ではない。魔法使いの名を冠しているとはいえ、しょせん連中は人間だ。
 だが、ジェットは違う。
 人間の耳には感知できない推進音と気配に、彼は気付いていた。
 そして――来るとすればコイツだろうと思っていた相手が、いま彼の眼前にいる。
 

『久し振りだなピュンマ』


 物静かな雰囲気をたたえた黒人が、ジェットの眼前の海底に屹立している。
 サイボーグ008ことピュンマ。
 その名前がフルネームでないことを仲間たちはみな知っているが、そのフルネームを誰も知らない男。黒い幽霊(ブラックゴースト)に拉致される寸前まで、人身売買組織に拉致されていたという彼の前半生が、ファミリーネームを捨てさせるほどに過酷なものであったことは間違いない。
 その彼が、ここにいる。
 小脇に抱えた1m大のカプセルは、小学生くらいの女の子が体を縮めて中に入るには手頃なサイズだ。おそらくその中に、例の高町ヴィヴィオがいるのだろう。
 
『話は聞いたよ。地球がミッドに滅ぼされたってのはマジなのか』

 ピュンマは答えない。
 しかし、その沈黙が肯定を意味するものであることは、ジェットにとっては明らかだ。
『なぜ教えてくれなかった……? お前らがいつからミッドに来てたのかは知らないが、――いや、そもそもここでフランソワーズたちと会ってからこっち、おれはずっと脳波通信で連絡を送っていたのを知っているはずだ。なのにどうして返事をしなかった? おれが……この002が管理局のメシを食ってる身だから信用できない――そう思ったからか?』
『それは違うよ』
『だったら何故だッッ!?』

 脳波通信で叫びながらも、ジェットは不覚にも鼻の奥がツンとなるのを感じた。
 死ぬ時は一緒だ――そう誓ったはずの“兄弟”から無視され、ともに宿敵であるはずの黒い幽霊(ブラックゴースト)との戦列に加えてもらうことも出来ない。
 それがたまらなく悲しく、くやしく、情けなかったのだ。
 その激情は、脳波通信を介してピュンマに伝わったのだろう。いささか狼狽したように彼は答えた。
『僕たちだって連絡を取ろうとしたさ。でも、イワンの指示だったんだよ、絶対にキミと連絡を取るなっていうさ』

(イワンが!?)
 ジェットは、その意外な台詞にしばし言葉を失う。
 それがイワン直々の指示だというのなら、ピュンマたちが従わざるを得なかったのも無理はない。その頭脳と超能力によって、これまで幾度もゼロゼロナンバーの窮地を救ってきた001――イワン・ウィスキー。彼が指示を出すからには、その裏側に確立された意図があることは間違いないのだから。
 しかし、その後にピュンマが吐いた言葉こそ、さらにジェットを絶句させるものだった。

『でもジェット……今から思えば、やっぱりイワンの言うことは僕にも分かる気がするんだよ』

 どういう意味だと詰め寄る暇さえない。
 そう言うや否や、何かが爆発したかのような巨大な白いあぶくと、岩礁さえ巻き上げる激流を残し、ピュンマは海上に向けて泳ぎ去ってしまったからだ。
 無論、捨て台詞は残されていた。
『今は時間がない! この一件の目処がついたら、いずれゆっくり話そう!!』


 仲間からは「人魚(マーメイド)」と呼ばれるほどの008の水中機動力だが、当然その推進力は人工筋肉を利したバタ足などではない。002が踵のジェット・ノズルを使って飛行するように、008もやはり踵にジェット・ノズルを装備している。ただし、それは同じジェットでも、電磁加速した水流ジェットの噴出口であり、それによって彼はのトビウオ並みの水中加速を得るのだ。
 普通なら、人体の形状を保持したまま、そこまでの機動力を発揮することはできない。魚類のような流線型のボディなら知らず、凹凸の大きい人体型ボディでは、スピードに伴う水圧に耐えられないからだ。
 海溝潜航さえ可能な、深々度水圧対応型の強化骨格と心肺機能を持つ008なればこそ、そこまでの水中加速に伴う重水圧に耐えることができるのだ。
 つまり――水中のピュンマが本気を見せたら最後、原潜でさえも彼を捕捉する事はできない。いわんやジェット・リンクに於いてや、ピュンマの残した水流に身を揉まれ、岩に叩き付けられる以外に、できる事などありはしなかった。


PM20:00

 まるで何かのホラー映画のようだった。
 何の前触れもなく突然海面を突き破り、そのままイルカかトビウオのようにクルーザーに跳び乗ってきた赤い防護服の黒人青年。あっけに取られたユーノ・スクライアが、しばし思考停止状態に陥ったのも無理はないだろう。
 だが、反射的にレイジングハートを構えて対応姿勢をとった高町なのはを見て、さすがに彼も冷静さを取り戻す。

 戦闘の第一線から離れて久しいユーノだが、これでも「PT事件」や「闇の書事件」で数々の修羅場をくぐり、戦闘補助魔法の天才と言われたこともある。こういう状況で、なのはの足を引っ張るだけの存在で終わるのは彼の気位が許さない。
 小脇に1m大のカプセルを抱えたまま、デッキに跳び乗ってきた男は、ずぶ濡れの顔を拭うでもなく、油断のない視線を自分たち二人に向けている。

「高町なのはっていう日本人は、あんただな」
 
 その言葉を聞いて、一瞬胸を突かれたような顔をするなのはが目に入り、久し振りに彼女が異邦人である事実を思い出すが、しかしもうユーノは動揺しない。なのはの代わりに「キミは?」と問う。
「008」
 そう無愛想に名乗りながら“008”は、抱えていたカプセルを下ろし、リモコンを取り出すとスイッチを入れる。プシュッという空気音と共に蓋が開き、そこに膝を抱えて眠っている少女が見えた。

「ヴィッ……ッッ!!」

 愛娘の名を叫ぼうとするなのはを、“008”は制した。
 だが、そこに高圧的な物腰はない。
 口元に手を当てると指を一本立て、彼は「しーっ」と囁いた。
「騒ぐと目を覚ます。静かにしてあげてくれ」
「………………ッッ!?」
 まるでホームパーティで眠ってしまった子供を労わるような口を利く“008”に、またも言葉を失ったなのはだったが、……ややあって静かに微笑し、彼女は頷いた。
 そんななのはに、ユーノは少し眉をひそめる。
 ヴィヴィオの返還を連絡する“003”の電話口で、
「違う出会い方さえしていれば“友達”になれたかもしれない」
 と言われて以来、なのはがゼロゼロナンバーに同情的になっていることを、ユーノ・スクライアはもちろん承知している。だが、その事実を彼は決して快く思ってはいなかった。

 そのまま“008”は無雑作に――しかし優しく――カプセルから少女を出すと、いわゆるお姫様だっこの形で胸に抱きかかえる。
 ユーノは思わず舌打ちをこらえた。
(このままじゃバインドが使えない)
 この男からヴィヴィオを引き離さねば、バインドを使って捕縛しても、そこにヴィヴィオを巻き込むことになってしまう。これならまだ少女がカプセルに入っていたうちに、問答無用でバインドを使うべきだったかも知れない。
(いや、それも早計だ)
 彼は、カプセルを開けるときにリモコンを使った。
 もし、このカプセルに爆薬が仕掛けてあったなら。その遠隔起爆スイッチがそのリモコンにあったなら。その可能性がある限り、“008”がヴィヴィオをカプセルから出すのを待ったのは間違っていないはずだ。
 無論、考え過ぎかもしれないが、可能性を考えずに迂闊な行動を取る愚を、過去の戦歴からユーノは本能的に知っている。

「“008”さん、ヴィヴィオを預かります」
 
 そう言ってユーノは一歩前に出る。
「待ってユーノくん」
 なのはが何か言ったが聞こえないフリをする。
(ヴィヴィオを受け取り次第、この男をバインドにかける)
 そう心に決めて――そして、その思いを顔に出さないよう気を配りながら、精一杯の笑顔を見せる。
 だが、“008”は、ユーノの心をあっさり見抜いたように鼻で笑うと、
「僕らがこの子を返す相手はアンタじゃない。この子の母親だ」
 と言い、ユーノとすれ違うようにして無雑作になのはに近付き、胸に抱えた少女を手渡した。

“008”がヴィヴィオを手放した事は歓迎すべきではあるが、今度はなのはが近すぎる。
 このままではどの道バインドは使えない。
『なのは、早くそこをどくんだ』
 そう念話を送るが、なのはは悲しげな一瞥をユーノに向けたのみで、依然として“008”から距離を取ろうとはしない。むしろ彼女は、何かを決意したように唇を固く結ぶと、――そのまま静かにレイジングハートを床に置いた。
『なのはッッ!!』
 もう間違いない。
 彼を捕縛しようとするユーノの意思に気付きながら、彼女は明らかにそれを妨げている。

「“008”さん、――いや、ピュンマさんって呼んだ方がいいのかな?」
「どちらでも」
「じゃあピュンマさん、ヴィヴィオを返してくれて――ううん、ヴィヴィオを救ってくれてありがとう。でも、このままじゃいけないよ。だって私たちは、あまりにもあなたたちの事を理解していないんだもの」
「理解?」
「うん。――だから話を聞かせて欲しいの。もっともっとあなたたちの事情を聞かせて欲しいの。話合えば絶対に分かり合えるはずなんだよ、だって私たちは同じ――「地球人」なんだもの!」


『はやてッ! なのはを何とかしてくれッッ!!』
 今この瞬間も上空から自分たちを監視しているはずの八神はやてに、血を吐くような念話をユーノは送る。だが一度こうなってしまえば、高町なのはという女性はテコでも動かない。それもユーノが一番よく知っていたはずだった。
『あかんわユーノくん……どっちにしろ、このままじゃなのはちゃんが近すぎて、私らには何もできひん』
『空戦魔導師に狙撃させられないのか!?』
『無理や。なのはちゃんはレイジングハートを持ってへん。ゼロゼロナンバーの防護服を貫通する出力は非殺傷設定じゃ出せんし、かといって設定無視で魔法撃ったら、丸腰のなのはちゃんも無事じゃ済まん。二人とも殺してまう』
『……なんで……ッッ!!』
『なんでもクソもあらへんよ、何とかできるのはもうアンタだけや』

 むしろ咎めるように言うはやてに、ユーノは奥歯を噛み鳴らす。
 そう。――確かにはやての言う通りだ。
 なのはは人質に取られているわけではない。彼女がバインドさえ使えないほどに“008”の間近にいるのは、あくまでなのは自身の意思によるものだ。――なら話は簡単だ。ユーノがなのはに駆け寄って、むりやりにでも彼女を“008”から引き離せばいい。その瞬間に空中に待機している魔導師からの一斉射撃で、一気にケリをつけることができる。
 だがユーノには――腕力に訴えてまで彼女の意思を無視する覚悟が、どうしてもつかなかった。
 高町なのはは決して優しいだけの女性ではない。むしろ彼女の優しさは、自身の持つ頑固さや厳格さの裏返しに過ぎないとさえ言える。だから彼女は、自分が正しいと決めたことを邪魔する存在には、誰であろうが容赦なく怒りの牙を剥くだろう。たとえそれが、ともに将来を誓い合ったユーノ・スクライアであったとしてもだ。
(ぼくは……どうすれば……ッッ)
――その時だった。


「ピュンマッッ!!」


“008”と同じように、波間を蹴立ててクルーザーに跳び乗ってきたもう一人の男。
 サイボーグ002――ジェット・リンク。
「さっきのはどういう意味だピュンマ!!」
 怒りに満ちた瞳で“008”に迫るジェットに、最初に慌てたのはなのはだった。
「ジェッ、ジェットさんっ、いまは私がこの人と話しているんです。だから――」

「外野はすっこんでろッッ!!」

 仮にもエースオブエースと呼ばれ、管理局の中でもそれと知られた高町なのはに、そんな容赦のない怒気を向ける者は――婚約者であるユーノを含めても――久しくいなかったと言ってもいい。それだけに、彼女はたじろいだ。
 だが、それ以上に二人から言葉を奪ったのは、“008”が取った行動だった。
 なんと彼は、腰のホルスターから光線銃を抜き、それをジェット・リンクに向けたのだ。

「…………マジかよ」

 ジェットが眼を丸くしたまま呆然とつぶやく。
 無理もないだろう。
 この二人は同時期に改造された“兄弟”であり、ともに生死の境を潜り抜けてきた“戦友”であると聞く。そんな存在から銃を向けられるなど、ジェットにしてみれば全財産を破産する以上の衝撃だったはずだ。
 だが、“008”はむしろ森厳とした表情で言った。
「ジェット、キミはもう僕たちとは違う。故郷を失い、何もかもを失った僕たちとは違うんだ」
「違うって……何がだよ……」
「キミはこっちの社会で人生をやり直している。やり直す余地がまだ残っている」

 そう言われた時のジェットの表情は、呆然といったレベルのものではなかった。

「見当外れの気遣いだという事は分かっている。でも、それでも僕としては、可能な限りキミはこの一件に関わって欲しくない。終わりの見えない絶望的な戦いに、いま人生をやり直そうとしているキミを巻き込みたくない。――そう思ったからこそ、イワンはキミに連絡を取ることを禁じたんだ。少なくとも僕はそう思う」
「……………ふざけてんのかピュンマ」
「聞くんだジェット」
「いいや聞くのはテメエの方だ!! 自分だけ幸せになれとか言われて納得しろってのか!? そんなことを言われてハイ分かりましたと言えるような――おれがそんなクズだと本気で思ってたのか!? 見損なうんじゃねえッッ!!」
「キミがそう言うだろうということは分かってたよ。それに、僕らの存在がキミの立場を危うくしているということも知っているし、申し訳なくも思ってる。……でも僕としてはそれでも、分かってくれと言うしかないんだ」


 そう言うや“008”はアクションを起こした。
「ッッ!?」
 傍らの、ほとんど人質同然のポジションにいた高町なのはを、ユーノに向けて突き飛ばすや、その瞬間に海に飛び込んだのだ。
 それこそ、あっという間の出来事だった。隙を窺っていた八神はやてが、上空に待機する魔導師たちに指示を出す暇もないほどに。
「待てっ!!」
 追うようにジェットも飛び込むが、すれ違いざま、彼の目に光るものが溜まっているのがユーノに見えた。

 無理もないだろう。
(あれはキツイよ……)
 仲間のためを思っての発言と言えば聞こえはいいが、どう考えても絶縁宣言以外の何者でもない。
 もしも自分が同じ状況で同じことを、スクライア一族の者たちに言われたらと思うと、彼はぞっとする。ぶっちゃけた話「死ね」と罵られた方がまだマシだろう。むしろ“008”を追う気力が残っていたジェットを賞賛したいくらいだ。
 凍てつくような心胆を表に出さないように気を付けながら、ユーノは、胸のうちで震える婚約者をぎゅっと抱き締めた。

『スキュラ隊クラーケン隊、“008”が海中に逃亡! 全力で追跡、拘束せよ! ワイバーン隊は海中の両隊を上空からフォローしてッッ!!』
 怒鳴りつけるように待機中の「機動七課」各小隊に次々と指示を下しながら、八神はやてが上空からクルーザーに舞い降り、
「なのはちゃん大丈夫か!? しっかりしいや!!」
 と叫びながら、なのはに駈け寄った。
 だが、必死の形相のはやてを、なのはは見ようともせず、はやて以上に必死な目をユーノに向ける。

「ユーノくん、あの人――泣きそうだった」
(泣き、そう?)
 泣いていた、ではないのかと訊こうとした矢先、なのははユーノの両肩をぎゅっと掴む。
「ピュンマさん、泣きそうだった。私たちだよね? 私たちがそんな顔をさせたんだよね!?」
「なのは……」
「あの人は嘘なんかついてないよ。地球のことも、ヴィヴィオのことも、全部本当だよ。ジェットさんに言ったことも全部全部本気だったよ。――悪い人じゃないんだよ、あの人たちはッッ!!」
「そこまでや、なのはちゃん!!」
 唇を噛みしめるような表情で、はやてがなのはを制する。
「それ以上はもう言うたらあかん! 言うたらあかんのや!」
「でも! こんなの酷すぎるよ!!」

 組織が指定した拘束対象者に、捜査官や執務官が過度の感情を持つのは当然のタブーだ。
 無論、人としては間違っていないだろう。
 だが、高町なのはは戦技教導官であって、執務官のフェイトや特別捜査官だったはやてとは違う。そういう割り切り方をする訓練を日常的には積んでいない。
 だから、たとえ“敵”であっても背景に同情の余地があれば、彼女はたやすく一線を踏み越えた思考をする。それこそ「PT事件」や「闇の書事件」の時のように、あっさりと“向こう側”からの視点に立った言動を取る。つまり彼女は、ある意味、少女時代から何一つ変わってはいないのだ。
 それが間違っているとは当然言えない。
 はやても、フェイトも、ヴィヴィオさえも、なのはのそういう一面に救われた者たちなのだから。
 しかし、――やはりこの場合は、はやては舌打ちをこらえざるを得ない。
 その時だった。


『総員、この海域から即刻退避しろッッ!!』


 後になって振り返れば、この絶叫のような念話はジェットのものだったろう。周波数の調整によって彼は脳波通信機を、念話と同じチャンネルで使用することが出来る。というか、こんな越権行為的な叫びは、生え抜きの管理局員たちには出せないだろう。
 だが、そんなことはどうでもいい。
 その最初の一声から数秒後、“008”を追尾中のクラーケン隊やスキュラ隊の隊員から、悲鳴のような念話が続々とはやてに寄せられてきたからだ。

『部隊長! 方位0-3-2から巨大な潜航物体がこっちに接近してきます!!』
『なんだ……恐竜か? まるでプレシオサウルスみたいな……なんだありゃ?』
『違う! その後ろだ! まるでタンカーみてえなでかいのがこっちに向かってくる! すごい数だ!!』
『なにやってんだ逃げろッッ!! あれは超音波――』

 連絡が途切れた――と思う暇もなかった。
 まるで暴風雨のように海面が大揺れになったと思いきや、まるでクジラのような黒い巨艦が次から次へと20隻近くも、海中から上空へと飛翔する。
「なに!? コレなに!? 何が起こってるのッッ!?」
 ヴィヴィオを抱えたなのはも、ユーノもはやても、木の葉のように揺れるクルーザーからたまらず脱出し、空へと舞い上がった。



PM20:05

「超音波怪獣と無人戦闘機を前面に出せ。サイボーグ隊とロボット隊はまだ動かすな」

 錆びの利いた声が、ブリッジに響く。
 脳以外のほとんどの肉体を機械化したはずなのに、戦場に出れば以前と変わらず高揚感を覚える自分に、抑えきれぬ笑いが込み上げてくる。
 笑うと言っても、歪める唇はすでになく、細める瞼もすでにない。それどころか熱くなるはずの血潮さえ、この肉体には通っていないはずなのに。
(どこまで行っても“人間”は“人間”をやめられないか)
 スカールはそう思いながら、キャプテンシートから立ち上がり、メインモニターに目をやった。
 この海域――ポイントG198からクラナガンまでは、かなりある。
 湾岸警備隊や首都防空隊の魔導師たちがやってくるまで、まだしばらく時間はかかるだろう。その余裕をスカールは10分と見る。

「大統領との約束だ。可能な限り市街地に流れ弾を飛ばすな。あの男の支持率が下がると、こっちも困る」
「はッ!!」
「002と008はどこにいる?」
「現ポイントから北北東に300mの海中を、こっちに向けて進行中です!!」
「正確な位置を捕捉次第、核魚雷を撃ち込め。それで殺せるとも思えんが、魔法使いどもに合流されても、何かと面倒だ」
「はッ!!」
「10分だ。10分でここにいる「機動七課」とやらを皆殺しにしろ。――できるはずだな?」
 そのスカールの言葉に、傍らの士官格の兵士は敬礼で答え、言い放った。
「勿論ですッッ!!」



[11515] 第二十一話 「非業の死」
Name: ジンバブエ◆0efd2f53 ID:d2736d75
Date: 2010/03/29 19:26
PM19:55

 心中に暗澹としたものが流れる。
(いくらなんでも危険すぎる)
 ドゥーエは眉間に皺を刻んだまま身じろぎ一つせずにモニターを見つめた。

 モニターの中には二人の人影。
 ベッドに拘束されたまま禿頭半裸の――サイボーグ007と、彼を見下ろす長髪白衣の――ジェイル・スカリエッティが映し出されていた。
 カメラの位置からはスカリエッティの表情は窺い知れない。
 だが、モニター上のその背中は、常にニヤニヤ笑いを絶やさぬ普段の彼とまったく変わった様子は無い。

“007”は目を閉じたまま微動だにしないが、彼の意識がすでに覚醒しているのは分かっている。にもかかわらず、ベッドの傍らのスカリエッティが“007”の寝たふりに何も言わないのは、いま実施中の作業にとっては、この男が起きていようが寝ていようが全く関係ないからだ。
 現在“007”は、数本のコードと電極が繋がるヘルメットをその禿頭に被らされている。頭蓋内の補助用人造脳を直接スカリエッティのコンピュータに接続し、その細胞変化データを片っ端からサーバーにアップロードしている最中なのだ。
 このデータをドゥーエに移植したとき、彼女は初めて“007”と同じく、生物・無生物の垣根さえなく、世界に現存するすべてに変身が可能な、真なる変身特化型戦闘機人となる。
 だが、――それはいい。
 モニターの中で順調に進行する現実をよそに、ドゥーエはポケットからハンカチを取り出し、汗でじっとりと湿った両手をごしごしとぬぐった。無論、心中に広がる不安までが、それで拭えたわけではない。


 今このアジトに、かつての“妹”たちが向かっている。
「捜査協力」という名の司法取引で獄中から解放された七人の“妹”たち。
 それは、かつてスカリエッティがその全智嚢を傾けて創造した12人の少女たちだ。
 培養層の中で生み出され、およそ人間としての情愛を知らずに育ったはずの「アンリミテッド・デザイア」ことジェイル・スカリエッティではあるが、少なくとも彼女たち「ナンバーズ」にとって彼は、唯一その人間的感情を通じ合える対象だった。
 有能な指揮官、優秀な科学者である以上に、彼は優しく、頼り甲斐のある、かけがえのない“父親”であったのだ。

 現在、次元世界全体に対するテロ行為という罪状を背負うスカリエッティではあるが、潜入諜報工作のプロとして教育されたドゥーエは知っている。ジェイル・スカリエッティという男は、正しくはテロリストでさえないということを。
 なぜなら彼は、テロリストの絶対条件である社会や世界に対する理想を、何一つ持っていないからだ。
 自分の研究以外のあらゆる存在に白眼と冷笑以外の一切の感情を持たず、彼を行動に導く衝動といえば、無制限な探究心のみ。世間的に「JS事件」として知られる一件さえも、彼にとっては所詮、やや大規模な実験という以外の何物でもない。
――それがドゥーエの知る、この“父”の本質だ。
 だから、そういう意味では、彼が「ナンバーズ」に対して抱く感情も、見方を変えれば、研究者としての変質した自己愛だと言えないこともない。
 だが、そんな分析などはドゥーエにとってはどうでもいい。
 彼女が知る限り、スカリエッティが「ナンバーズ」に抱いていた情愛は本物だったからだ。
 だから、もしも計画が失敗した事態に備えて、“娘”たちにあらかじめスカリエッティが含めた因果も、ドゥーエとしてはさもあらんと納得できるものだった。

――機会があれば、どのような手段を使ってでも出獄し、自由の身になれ。
――世間のどんな偏見蔑視を受けようともそれに耐え、“人間”としての信頼を獲得せよ。
――そして、そのまま市井に紛れ込み、我が脱出と再起に備えて雌伏せよ。

 まるで潜入諜報員に対する言い草ではあるが、しかし結果として「ナンバーズ」の半数以上――七人もの“妹”たちが冷たい監獄から解放され、人間的な社会生活を享受しているという現実は、明らかに彼の指示があったればこそだろうと思う。
 無論、彼の言葉に偽りはないだろう。
 だが「再起に備えて雌伏せよ」などと言ったところで、アテがあっての言葉でなかったのも、ドゥーエは知っている。
 受刑者としてのジェイル・スカリエッティに、一般囚のような保釈や恩赦や司法取引の余地があるとはまず思えない。つまり、実質的な終身刑である自分に“娘”たちを可能な限り付き合わせたくないという――いわば“親心”からの発言であったことは「ナンバーズ」全員が知るところであった。

 そんな彼の心境を理解した上で、スカリエッティと運命を共にした“娘”たちも当然存在している。ウーノ、トーレ、クアットロ、セッテの四人だ。
 それはそうだろう。
 ドゥーエとて、もし逮捕されていたら間違いなく彼女たち四人と同じ道を選んだはずだ。たとえ“父親”が何を言おうともだ。

 だから結果として、彼女たちより一足早く自由を得たスカリエッティが、彼女ら四人をそのまま獄中に放置しておくはずがないのも当然だった。いずれ彼は――自分たちは――どのような手段を使っても、“姉妹”たちをこの手に取り返すつもりでいるし、そのためにも信頼できる戦力が欲しい。
 どのみちドゥーエとしても、スカールと黒い幽霊(ブラックゴースト)を、それほど信じているわけでもない。スカリエッティの脱獄に手を貸してくれた彼らではあるが、それでも互いに利用価値があるから手を組んでいるに過ぎないのだ。用済みになれば、連中は顔色一つ変えずに自分たちを消そうとするだろう。
 それはスカリエッティとて当然承知の上だろう。
 だからこそ彼は今日この場所へ、残った“娘”たちを呼んだのだ。
 チンク、セイン、オットー、ノーヴェ、ディエチ、ウェンディ、ディードの七人を。


 久し振りに“妹”たちに会える。
 ドゥーエとしてもそれが嬉しくないはずがない。
 だが、姉のウーノたちと違い、スカリエッティに殉じなかった七人に対して、やはり心中複雑なものがよぎるのも、やむを得ない。
 まあ元を正せば、その七人の“妹”とて“父”の指示に従っただけの話ではあるし、何より彼女たちは自分を含む前期完成型とは違い、スカリエッティの因子を所持してはいないのだ。
 実際、彼女たち七人が「JS事件」で自分たちの計画頓挫の原動力となった旧機動六課の連中と「市井に紛れろ」という命令以上のレベルで親交を結んでいる事も、ドゥーエはスカリエッティに報告してある。
 それでもなお「ナンバーズ」が“父親”を裏切るはずがないと、ドゥーエ個人としては思っていた。思ってはいたが、――七人の近況を調べれば調べるほど、その思いが全く無根拠なものであったと認めざるを得ないのだ。
 チンクたち七人は、おそらくスカリエッティの当初の予測以上に、高度な倫理観や道徳を芽生えさせつつある。それはもう、間違いないだろう。

 実はドゥーエは、チンクたち「司法取引組」と連絡を取ることについてはかなり強硬に、スカリエッティに反対した。
“妹”たちを懐かしむ気持ちはドゥーエにも当然、ある。
 だが、それでも死を偽装して消息を隠していた彼女が、敢えて“妹”たちと接触しなかったのも、何の疑いもなくナカジマ家での生活を満喫している七人を、警戒せずにはいられなかったからだ。
「あの子たちは信用できません」
 かつて厳しい顔で、ドゥーエは言ったものだ。
 しかし、スカリエッティは苦笑したのみで、彼女の報告をまともに受け止めているようには思えない。
 もっとも、長期にわたる管理局への潜入工作のため、No6セッテ以下のメンバーと面識のないドゥーエが、彼女たちのほとんどを、自分と同じ「ナンバーズ」だと思えないのも無理はない。――スカリエッティはそう解釈しているのかもしれない。
 だが、それでもドゥーエは、自分の不安を空論とは思わない。スカリエッティはもっと真面目に考えるべきなのだ。


 チンクたち七人が、“父親”たる彼への協力を拒絶するという――当然の可能性を。


 本音を言えば、“妹”たちはかなりの高確率で、自分たちへの協力に難色を示すだろうという確信が、ドゥーエにはある。
 その場合、彼女としてはどうすべきか。
 悲しげな顔で首を横に振る“妹”たちを裏切者として殺すのか。
(まあ、実際はそんなわけにもいかないでしょうけどね……)
 彼女たちとて戦闘機人の端くれだ。むざむざと自分の爪――固有武装ピアッシング・ネイル――にかけられるとは思えない。もしも、いざ交渉決裂となった場合、戦闘特化型でも何でもないドゥーエに、七人もの「ナンバーズ」の相手が出来るはずもないのだ。
 ならばスカリエッティは、そういう事態に備えた、いかなる対策を練っているのか。


 ブザーが鳴った。
 モニターを切り替え、ゲート前の映像を出す。
(……来た)
 右目に眼帯をつけた銀髪の少女を先頭に、七人の少女たちがそこにいた。
 だが、彼女が見覚えのあるNo.5とNo.6はともかく、他の五人は明らかに表情が冴えない。彼女たちは彼女たちなりに、やはり葛藤が続いているのだろう。
(こんなにあっさり迷いを表に出すなんて……)
 ドゥーエの眼には、そんな“妹”たちが、むしろ腹立たしくさえ映る。彼女たちが“父”との再会を心から喜んでいないことは、その表情を見れば明白だし、それ以上に、そんなに分かりやすく本音を顔に出す、兵士としての未熟さがドゥーエの神経を更に苛立たせる。

 ドゥーエは、内線のスイッチを押して回線を拘束室と繋ぎ、
「ドクター、チンクたちが到着しました」
 と呼びかけると、画面の中のスカリエッティがカメラの方向に振り向いた。
「わかった。キミは彼女たちを中に案内して、人数分の紅茶とクッキーでも用意しておいてくれ」
 その余裕タップリの笑顔に、いつもと変わった様子は見えない。
「ドクター」
 その変わらなさにドゥーエは、思わず大きな声を出していた。
「あの子たちを信じたいのは分かります。けれども本気で信用できるとお思いですか」
「ああ、もちろん」
「ドクター!」
「ドゥーエ」
 続けて何か言おうとした口を、ドゥーエは閉じた。
 笑みが消えたスカリエッティの瞳には、いつのまにか真剣な光を宿っていたからだ。

「これは賭けだ。だが、決して分の悪いギャンブルじゃない。少なくともキミが声を上げて騒ぐ程にはね」
「…………」
「キミが抱いている危機感は私も理解している。だがそれでもなお、私は彼女たちをかつての「ナンバーズ」に戻せる自信がある――そう言っているのさ」
「ドクター……」
「少しは私を信用したまえ」
「……はい。私はドクターを信用します」

 回線を切ったドゥーエは、しばし瞑目した。
(あれはどういう意味なのだろう)
 考えるまでも無い。
 スカリエッティはこう言っているのだ。
――チンクたち七人を、ふたたびこっちの味方につける策が在る、と。
 それがどういうプランなのか、ドゥーエには見当もつかない。
 だが、分の悪いギャンブルではないとスカリエッティが言った以上、それは事実なのだろう。彼はいつだって空理空論は言わない。可能だという見込みがあるからこそ口に出したのだ。
 ならば、信じよう。
 あの“妹”たちを、ではない。
 これまで通り、自分の“父”を信じるのだ。
 ドゥーエはゲートのロックをオフにすると、アジトのセキュリティに使っているガジェット・ドローンを一機、彼女たちの道案内につけるべく、キーボードを打った。



PM20:00

 スカリエッティは、そのままどさりと傍らのベッドに腰を下ろした。
 そこには、いつもの笑顔は無い。
 指揮官は配下に不安を感じさせてはならない。
 だが、部屋に取り付けられた監視カメラの角度から考えて、スカリエッティの真顔がカメラにモニターされていないことは分かっていた。だから――というわけではないが、彼は厳しい視線で眼下の“007”を睨むと、そのまま親指の爪を噛んだ。

 策はある。
 それは嘘ではない。
 だが、嘘をついていないわけではない。
 成功率はスカリエッティが放言したほどに高いものではない。――むしろ、低い。
 なぜならこの策は、スカリエッティ独力では、完全なるお膳立てができないからだ。
 戦争にも恋愛にも相手が要る。それと同じでこの策は「相手」が最後まで自分の計算通りに都合よく動いてくれなければ絶対に成功しない。
 そして「相手」のこれまで動きを分析する限り、そうなる確率は皆無ではないにしても、やはりかなりの見込み薄だと言わざるを得ない。作戦立案というものは、あくまで敵の動向を“予測”して行うものであって、“期待”して行うべきものではないのだ。
 スカリエッティは、ちらりと“007”を見て、監視カメラを見上げ、そして小さく溜め息をつくと、ベッドから腰を上げた。
 これから数年ぶりに“娘”たちと会わねばならない。不景気な顔はできない。彼は軽く首をめぐらすと、その顔を、いつものふてぶてしい表情に戻した。



「よお気違い博士、何がそんなに切ないんだい?」



 それが“007”の声だと気付く暇さえなかった。
 振り向こうとした瞬間、スカリエッティは物凄い力で壁に叩きつけられていたからだ。
「……ッッ!!」
 無雑作につかまれた首根っこから圧倒的な激痛が走り、声も出せず微動だにできない。
「殺しちゃダメよジェロニモ」
「わかってる」
 殺すな――とは言うものの、それを指示する女の声に温情はない。むしろ返答した男の声にはない、冷たい憎悪がある。
 と、その刹那、スカリエッティは軽々と宙吊りにされ、そのまま部屋の中央に持ち運ばれた。窒息しそうになりながら、懸命に顔の筋肉を動かし、焦点の合わないぼやけた目で、そこに立っている男女を視認する。

 赤い防護服、黄色いマフラー、黒いブーツ、腰のホルスターには玩具のような光線銃。
 ブロンドの女。
 銀髪の男。
 丸々と太ったチョビ髭の男。
 そして、鉄環のような剛力で背後から自分の首根っこを締め上げる男。
――実際に見るのは初めてだが、彼らこそがゼロゼロナンバーサイボーグに間違いない。
 そして、すでに四肢の拘束を解放された“007”がヘルメットを脱ぎ捨て、手首の関節具合を確かめながら、こっちに苦笑いを送っている。
 そして、彼の隣にいる銀髪の男が、薄く光る目と右手をこっちに向け、口を開いた。
「ジェイル・スカリエッティだな」
 


 疑わなかったわけではない。むしろ彼は確信していた。やすやすと捕まった“007”は、スカリエッティの拠点を特定するための釣り針だということを。
 だが、彼は体内体外を問わず発信機の類いを一切身につけてなかったし、たとえ発信機があったとしても、このアジトのジャミング機能は、念話を含めたあらゆる通信メディアを遮断する。この場所を特定することさえ理論的には不可能なはずだった。
 いや、それ以前にこの連中は、一体どこから、どうやってここへ来た?
 ドアがこじ開けられた様子もなければ、壁や床に穴をあけて入ってきたようでもない。第一、そんな強引な侵入ならば、いくらスカリエッティが物思いに沈んでいようが気付かないはずがない。

 この連中は、それこそ文字通り、突然ふってわいたようにここへ出現したのだ。
 一瞬前まで何も無かった空間に、このジェイル・スカリエッティが完全に不意を突かれて、背中を奪われるほどの唐突さでだ。
 ならば、彼らの移動手段はひとつだ。
 この世ならざる神秘の力――超能力。
 完璧に隔絶された“007”の気配をテレパシーで感知し、そこへ四人ものサイボーグを送り込んだのは、さしずめテレポーテーションであろうか。
 そして、そんな理不尽な能力の所有者をスカリエッティは知っている。
“001”――イワン・ウィスキー。

 そう。これは予想できた事態だった。
 ジェット・リンクが提出したとされるゼロゼロナンバーについての報告書が、時空管理局に存在するとされているが、無論スカリエッティはそれを読んでいないし、眼を通す必要さえない。なぜなら、彼の手元には、ジェットが作成したものよりも更に詳細精密なレポートが、スカールによって届けられていたからだ。
 つまり彼は“001”が、単なる優秀な頭脳の所有者というのみならず、天変地異さえ起こせるレベルの超S級エスパーである事実を、すでに知っていたのだ。
 にもかかわらず何故スカリエッティは、“001”の超能力に何の対策も練らず、むざむざサイボーグたちの鉄腕によって首根っこを掴まれているのか。

「くくくく……くっくっくっくっ……ッッ!!」

 先程までの陰鬱な表情とはうって変わって、スカリエッティの顔に浮かんだ笑みは、ある種の恍惚感さえ漂わせていた。
「おい……?」
 さすがにゼロゼロナンバーたちも視線を険しくさせる。彼の様子はどう見ても常軌を逸したものだったからだ。
「いつまで笑ってるのよ、イワンに出し抜かれて頭がイカれたっていうの?」
 苛立たしげに吐き捨てるブロンドの女を、ちょび髭の東洋人がなだめる。例のレポートのフォトデータが正しければ、おそらくこの二人が“003”と“006”であろうか。
「いやいやフランソワーズ、無理もないアルよ。頭がいい人間っていうのは、ふとしたきっかけですぐネジが外れるらしいアルよ」
「ふん、イカレ具合は最初からだって聞いてるけど、案外デリケートなのね」
「そんなことはどうでもいい」

 白目の大きな銀髪の男――おそらくこの個体が“004”なのか――が、厳しい口調で二人の無駄口を遮る。
「当初のプラン通り、グレートは救出し、スカリエッティは生きたまま確保した。だが、こいつが情報通りの男なら、この基地にどれほどのセキュリティを敷いているか想像もつかん。早く引き上げよう」
「その方がいい。なにか嫌な予感がする」
 スカリエッティの首を背後から掴む巨漢も、その体格に劣らぬ重厚な声を出して応じる。
 だが、――そうはさせない。
 彼は監視カメラの一台に向かって叫んだ。

「我が“娘”たちよ、あとのことは頼んだぞ!!“父”の仇を――」

 その叫びを最後まで聞くことなく、“005”が彼の体を部屋の隅の扉めがけて投げつける。
“003”が「伏せてッ!」と怒鳴ったのと同時だった。
 スカリエッティの肉体は、まるでメジャーリーガーの豪速球のような勢いで鋼鉄製のドアに激突し、廊下に転がる寸前に――大爆発を起こした。



AM20:03

 ドゥーエは呆気に取られていた。
 いや、彼女だけではない。
 ガジェット・ドローンに案内されて、このモニター室にやってきた七人の“妹”たちも、みな呆然と立ち竦む以外の行動が取れなかった。
 
 なにしろタイミングがあまりにも突然過ぎた。
 彼女と初対面のオットー、ノーヴェ、ディエチ、ウェンディ、ディードの五人に自己紹介するどころか、
「ドゥーエ、死んだと聞かされたあなたが生きていてくれて、私も素直に嬉しい」
 そう言って差し出されたチンクの右手を、ドゥーエは握り返してさえいない。
 いきなりモニターから爆発音が響くや、ノイズが走り、何も映らなくなったのだ。
 だが、さすがに爆発音の直前に聞こえた絶叫まで聞こえないフリはできない。
 あれは紛れも無く、ジェイル・スカリエッティの声だったからだ。


「ドクターッッ!!」


 そう叫ぶやセインがコンピューターに取り付き、キーボードを叩く。
 だが、モニターはブラックアウトしたまま何も映らない。
「ドゥーエ姉ッ!」
「分かってるッッ」
 叫び返すや、ドゥーエは別のモニターに画面を切り替え、拘禁室の録画映像を再生し、巻き戻す。
 

 そしてそこには、すべてが映っていた。
 赤い服の男女に捕らわれ、人形のようにドアに投げつけられ、そして最期に彼はこう叫んだ。
――我が娘たちよ、後は頼んだぞ。父の仇を――
 そして、彼は死んだ。遺体すら残らず、木っ端微塵になって。
 

「ドゥーエ……この部屋はどこにある……?」
 おそろしく低い声でチンクが尋ねる。
 弾かれたように振り返るドゥーエが見たのは、人形のような無表情に、それと真逆の、怒りで真っ赤に充血した隻眼銀髪の美少女。
 いや、彼女だけではない。
 チンクの背後に居並んだ“妹”たちが放つ、圧倒的な殺気に気圧されるように、思わずドゥーエは答えていた。
「廊下を左に行った突き当りに階段がある。そこを降りて最初の部屋――」
 その台詞をドゥーエが言い終えないうちに、まずセインが水音を立てつつ床に消え、ノーヴェがジェットエッジで滑り出し、ウェンディはライディングボードに飛び乗り、他の姉妹たちも、彼女たちに負けない勢いで猛然と部屋を飛び出して行くのを見つめながら、ドゥーエは一歩も動くことができなかった。



 もう間違いない。
 これこそが、スカリエッティの言うところの、最後の一策だったのだ。
 姉妹たちの目に付くように、“敵”の手によって「非業の死」を遂げる事こそが。
「司法取引組」がいかに変節していようとも、“父親”を眼前で殺害されて黙っていられるはずがない。四年間の空白期間でどれほどの理性に目覚めていようとも、それが“肉親”を殺されたという感情を凌駕するはずがないのだ。

 無論、犠牲は大きい。
 なにしろスカリエッティ自身の「死」が前提条件だ。
 だが、それは問題ではない。
 プレシア・テスタロッサでさえついに完成させられなかったプロジェクトF――オリジナルの人格・記憶の引継ぎさえ可能な「完全なコピークローン」作成計画の完成データを所有しているジェイル・スカリエッティにとっては、自己という存在さえ、いくらでも代わりの効く“消耗品”に過ぎない。現に、スカリエッティは己のコピークローンの受精卵を、12人の「ナンバーズ」の肉体に一人一つずつ、埋め込んでいた。
 無論、その受精卵は現存していない。
「ナンバーズ」が管理局に逮捕された時に、すべて摘出され、廃棄されてしまったからだ。
 唯一残ったNo.2ドゥーエ所有の受精卵は、彼の脱獄に使ってしまった。それがいま現在、ここにいる彼の身代わりに「ジェイル・スカリエッティ」としてグリューエンの次元監獄に服役している人物だ。
 つまり、彼が死んでも代わりはいる。その男を脱獄させ、新たな「スカリエッティ」とすればいい。

 そこまで考えが及んで、――さすがにドゥーエは寒気がした。

 スカールに手渡された資料に目を通したのはスカリエッティだけではない。ドゥーエも同じく一読している。だから、あらゆる奇跡を可能にする超能力者“001”が敵側にいることも、ドゥーエは当然知っていた。
 だから彼女は不思議に思っていたのだ。
“超能力”による侵入者に対して、何の対策も講じない“父”に対して。
 だが、それが敵を誘うためのみならず、敵に殺されるためであったなど、――彼女としてはまさしく想像を絶する発想だと言うしかない。
 人間は、こんなことを思いつけるものなのか。
 思いついたとしても、実行できるものなのか。
“父”にとって、自分の研究以外のあらゆる存在は無価値だということは知っていたが、 それでも、ここまであからさまに自らをモノ扱いできる人間がいるものなのか。


 思えば、高町ヴィヴィオを拉致してからというもの、スカリエッティと“001”は果てしなく騙し合いを繰り広げてきた。
 まずヴィヴィオを攫おうとしたスカリエッティの裏をかいて“001”はヴィヴィオに扮した“007”を送り込み、その裏をかいて、スカリエッティは生きたサイボーグを確保した。
 だが、そのさらに裏をかいた“001”は、捕えられた“007”をスカリエッティの拠点特定のためのエサとし、それを予測したスカリエッティは、アジトの機密性をさらに高めるために妨害電波を発振して、基地の発見を更に困難にした。

 これがさっきまでの状況だ。
 無論、アジトに妨害電波を仕掛けたのは見せかけだ。こちらがゼロゼロナンバーの来襲を待ち構えていると思わせないための偽装に過ぎない。どうせエスパーの“001”がその気になれば、ジャミングの存在など無意味なのだ。
 だから“001”がこのアジトに襲撃をかけてくることについて、スカリエッティには確信があったはずだ。裏の裏の裏のそのまた裏を、“001”は確実についてくる。
 だが、それがいつになるか。
 スカリエッティとしては、そもそも「司法取引組」がここに到着する前までに襲撃されれば、まだ御の字というところだったのだろう。
 しかし、そうなる確信はスカリエッティには無かったはずだ。
 だから、彼は賭けだと言ったのだ。
 そして、賭けに勝った。
 これ以上は無いというタイミングでゼロゼロナンバーは現れ、バラバラになった「ナンバーズ」を一致団結させるための契機として、スカリエッティを殺す格好の刺客役を立派に勤め上げてくれたのだ。

 
 そんなことを考えつく彼も彼だが、そんなムチャクチャなプランが成功するという時点で、さらにドゥーエは鳥肌を立たせざるを得ない。
 殺されておいて言うのもなんだが――信じられない運の強さだ。
 いやむしろ、それこそがジェイル・スカリエッティの真髄なのかも知れない。
 いまさら――まさしく今更ながらにドゥーエは、あらためて眼がさめた思いでコンピューターに取り付いた。
 無論、アジト内のすべてのガジェット・ドローンを侵入者撃退に向かわせるために、だ。





[11515] 第二十二話 「地球人の葛藤」
Name: ジンバブエ◆0efd2f53 ID:d2736d75
Date: 2010/03/29 19:26
PM20:06

「なに、あれ……?」

 呆然と呟く八神はやての声も、月光すら遮るように夜空を覆う、空中戦艦20隻のエンジン音に掻き消されるばかり。
 無論、空中戦艦――といったところで「聖王のゆりかご」ほどの巨大さは無い。せいぜいがタンカー程度の大きさしかないが、それがこんな狭い海域に20隻も編隊を組んで夜空に浮かべば、その圧迫感はすさまじいばかりだ。
 もっとも、彼女たちは、その空にはいない。
“008”の手から解放されても、いまだに意識を取り戻さないヴィヴィオとともに、なのは・はやて・ユーノの三人は、返還交渉の舞台となったクルーザーの上から動いていなかったからだ。



 誘拐された高町ヴィヴィオの返還交渉。
 その場に現れるであろうゼロゼロナンバーとの対話と――可能ならば拘束――のために、このポイントG198と呼称される海域に待機していた時空管理局機動七課。
 その責任者たる八神はやては、七課の隊員の中でも、特に空戦魔導師で構成された三個小隊「ワイバーン小隊」を上空に、「クラーケン小隊」「スキュラ小隊」に水中装備を配備して海中に配置した。ジェット・リンクが海中で“008”と接触したのも彼の配属先が「スキュラ小隊」だったからに他ならない。
 そして約束どおりヴィヴィオを返しに現れた“008”を追跡させようとした、まさにその瞬間だった。海面を突き破って、この何者かも分からない空中戦艦が夜空に姿を見せたのは。

 何者かすら分からない未確認勢力――ではあったが、高町なのはは一瞥で理解した。この連中が自分たちの味方であるはずが無いということを。
 無論、理解したのは彼女だけではない。傍らで呆然と空を見上げるユーノやはやても、それどころか、おそらくこの場にいる魔導師全員が、この「艦隊」から発散されている、禍々しい雰囲気に当然気付いているはずだ。
 そして、空中戦艦からおびただしい数の怪鳥――プテラノドンのごとき生物が飛び立つのを見た瞬間、理解は確信になった。
 この連中が紛れも無い“自分たちの敵”だということが。

『総員散開! こいつらから距離を取って――』

 はやてが念話で指示を言い終える暇も無かった。
 一羽のプテラノドンの進路上に立ち塞がった空戦魔導師が、突然弾かれたように吹き飛ぶのが見えたのだ。それも、耳をつんざく絶叫を上げながらだ。
 煌々と輝く満月をバックに、全身から血を迸らせながら海面に墜落する彼は、ある意味、何かのオブジェかアートと見紛うほどに美しかった。

(え、なに……っっ?)
 そう思ったのは、なのはだけではないだろう。
 その場にいた魔導師全員、彼が何をされたか分からなかったはずだ。
 しかも――血だるまになったのは、その男だけではない。
 その翼竜たちは次々と空戦魔導師に襲い掛かったが、さすがにその爪やクチバシにかけられるようなノロマは機動七課ワイバーン小隊にはいない。だが、プテラノドンが何かを吠えるように大口を開けると、魔導師たちは何故か皆、断末魔の絶叫とともに全身から血を迸らせる。今度は防御魔法を展開していたにもかかわらず、だ。
 魔導師たちは、この異常事態に唖然となっていた。
 
 なのははジェットの最後の通信を思い出した。
(たしか、超音波怪獣って……)
 確かに、あの怪鳥が鳴き声の代わりに、分子振動さえ引き起こす指向性超音波を吐いているならば、同僚たちが圧倒されるのも無理はないだろう。いかなる防御魔法であろうとも、それは“防音”を想定して組まれた術式であるはずがないからだ。
 無論、ただ単に超音波を吐くというだけの鳥なら、それでも空戦魔導師の敵ではないはずだ。なのはのそんな思いを裏付けるように、魔導師たちが反撃を開始する。
 翼竜どもがこっちを向く前に――または口を開く前に――射撃魔法あるいは砲撃魔法で狙撃する。
 無論、それを翼竜たちの母艦たる空中戦艦が、むざむざ見過ごすはずもない。
 砲門が開くや、ハリネズミのように船体全体から砲塔が突き出し、魔導師たちへの攻撃を開始する。だが――この対空砲が牽制したかったのは、プテラノドンに対する反撃だけではなかった。

「戦闘機……?」

 信じられないものを見る目つきで、はやてが呟く。
 二十隻の空中戦艦が一斉にハッチを開放し、弾幕の援護の元、カタパルトから弾丸のような勢いで次々と艦載機が発進していく。
「なのは、あれって確か……?」
 ユーノが目を白黒させるが、なのはは彼を振り向きもしない。
 波間に揺られるクルーザーの甲板で、二人の女は慄然としていたのだ。
 この次元世界で、ああも堂々と質量兵器を振り回す神経や、兵器として航空機を運用する戦術思想は、どう考えても魔法を日常とする管理世界の人間のものではない。
 だが、それだけではない。
 高町なのはと八神はやては、あの艦載機を見た瞬間、直感したのだ。


(あれは……地球のものだ……!!)


 無論、二人の故郷たる「第97管理外世界」には、あの空中戦艦ほどの質量をもった艦船を宙に浮かせる技術は無いし、口から超音波を吐くプテラノドンも存在しない。
 だが、――分かるのだ。
 あれは間違いなく「地球人」の手によって作られ、今もなお「地球人」の手によって運用されている兵器だと。つまり、空中戦艦や戦闘機(彼女たちは、あれが無人戦闘機である事実を知らない)を操縦しているのは、間違いなく自分たちやジェットと同じ「地球人」である、と。
 

「ミッドチルダ人」としての自分たちの前に、質量兵器を持った「地球人」が“敵”として出現する。
――彼女たちにとって、これ以上の悪夢は存在しなかった。
 

「はやて!! さっきから一体何をやってるんだ!!」
 ユーノがはやてに駆け寄り、肩を掴む。
「キミはあの部隊の指揮官だろう!? ぼさっとしてないで早く指示を出すんだ!! このままだと全滅するぞ!!」
「そっ、そやかて……」

 ユーノの言葉は正しい。
 そんなことは、なのはにも分かっている。

 上空の機動七課「ワイバーン小隊」の魔導師たちが、いかに腕利きであろうとも、装甲目標と戦うためには、せめて非殺傷設定を解除しなければならない。
 基本的に非殺傷設定というのは魔法による物理破壊ではなく、対峙した者の“魔力”にしかダメージを与えることは出来ない。無論、攻撃を喰らえば痛みも感じるし衝撃も受ける。だが、たとえ封鎖領域を内側から破壊できるほどの砲術魔法を被弾したとしても、そのダメージによって肉体が物理的に破壊されることは無いのだ。
 逆に言えば、この設定を遵守する限り、たとえ全力全開の砲術を“敵”にぶつけても、殺さずに済む。戦闘に於ける“手加減”という面倒な作業を、意識せずに省略することが出来るのだ。
 魔導師同士の対人戦闘なら、あるいはそれでも充分だろう。
 だが、質量兵器を搭載した装甲目標相手に、非殺傷設定を解除せずに戦闘を展開するなど、それこそ文字通りの「自殺行為」に他ならない。

 だが、なのはには分かるのだ。――はやての葛藤が。
 実は、すでに彼女の心の中に浮かんでいる一つの名前がある。
 ジェットの報告書に繰り返し書かれていた、とある組織。
 政官財の三界に根を張り、戦争というビジネスによって営利を得ようとする集団。
――その名を黒い幽霊(ブラックゴースト)。
 ジェットは彼らを「世界制服を狙う悪の秘密結社」と説明したが、それでも元を正せば、世界は違えど、彼らとて自分たちと同じ「地球人」であることに間違いは無い。
 部下を死なせたくなければ“同胞”を撃ち殺す許可を与えるべきだと言われて、平然と頷ける人間など、この世にいるはずがないではないか。


 そして、なすすべなく夜空を見上げる二人をよそに、現在進行形で事態は動く。
 翼竜たちの群れが空戦魔導師たちの下に回りこみ、それに対応するように数十機の戦闘機は編隊を組んで高度を取り、上下から魔導師たちを挟み撃ちにする陣形を取る。
 無論、魔導師たちとて黙って包囲されてはいない。射撃魔法や砲術魔法で反撃を試みるが、――しかし非殺傷設定を解除しない彼らの魔法は、プテラノドンにはともかく、やはり戦闘機には通用しない。さらに空中戦艦からの対空砲火が、魔導師たちのフットワークをさらに削ぐ。
 そして、追い詰められたワイバーン隊に向けて、上空から迫る戦闘機隊が、一斉に空対空ミサイルを発射する。
「――あかんっっ!!」
 はやてが思わず叫んだ。
 無論、超音波と違って、まだ防御魔法で防げる余地のある攻撃だと言えるが、――しかし五十数機の戦闘機が発射したニ百発近いミサイルだ。それが一斉に爆発した際に発生する熱と衝撃波は、午後八時の夜空を一瞬にして紅蓮の灼熱地獄に変貌させるには、充分すぎた。



 だが、海上のなのは・はやて・ユーノには、その爆炎に遮られて視認する事は出来なかった。この空域のはるか上空で一点、何かが新星のように硬い光を発しながらまたたいたのを。
 その輝きが、本来ならば自分たちの乗船するクルーザーを――海中のゼロゼロナンバーもろとも――地獄へと吹き飛ばすはずだった核魚雷の爆発光である事実など、彼女たちには知る由も無い。



PM20:07

「大丈夫かジェロニモ!!」
 ハインリヒがそう叫びながら眼前の大男に呼びかける。
 スカリエッティの自爆が、ほんの数メートル先で起こったにもかかわらず、自分たちがほぼ無傷でいる理由は、爆発の余波を彼がまともに遮ってくれたからに他ならない。
 無論、戦車砲弾をまともに喰らっても顔色一つ変えない005ならば、そう心配するほどのダメージはないかも知れないが、それでもやはり、無言でむくりと体を起こした巨漢に、さすがのハインリヒもホッとせざるを得なかった。

 だが、状況はまだまだ予断を許さない。
 すでにけたたましい警報のアラーム音が、この部屋にも鳴り響いている。
 一刻も早く、このアジトから脱出を図るべきだろう。
 だが――、
「ダメよ、イワンからの応答が無いわ!!」
 フランソワーズが叫ぶ。
 その声に、ハインリヒは思わず奥歯を噛み鳴らした。
 
 彼らは、このスカリエッティのアジトに001の超能力――テレポーテーション――によってやってきた。だからそもそも撤収と言っても、この部屋から地上まで強行突破を図るつもりは彼らにはなかった。
 つまり“往路”と同様、“復路”もイワンの超能力による移動こそが彼らの本来のプランだったのだ。拘束中のグレートとジェイル・スカリエッティが同室している瞬間を狙って、その眼前に現れ、グレートを救い、スカリエッティを捕え、そのままテレポーテーションで脱出する。
 予定の時間計算では、およそ一分とかからないはずだった。
 だが、第一目標たる007の救出こそ完遂したものの、いまや第二目標兼人質だったはずのスカリエッティは自爆し、彼らを脱出させるべき超能力者001からの応答が無い。
 このままでは、むざむざ敵の拠点内部で孤立してしまう。

――だが、それはもういい。
 救出した007も含めて、ここには五人のゼロゼロナンバーがいる。
 ジェイル・スカリエッティが、アジトのセキュリティにどの程度の警備を配しているのかは知らないが、これだけの面子ならまず、大抵の敵やトラブルには対応できるだろう。
 つまり、ハインリヒにとって懸念すべき問題はそこではない。
(ピュンマに何かあったのか……?)
 イワンがそのテレパシーによって“視て”いるのは、ここだけではない。作戦を同時展開している008――ピュンマの高町ヴィヴィオ返還交渉の様子も覗いているはずだ。
 つまり、イワンがこっちの作戦を一時的に放置せねばならないほどの事態が、向こうで起こっているということになる。
 
 舌打ちをしながらも――しかしハインリヒとて、こういう事態を全く予測していなかったわけではない。仲間たちに鋭い一瞥を向け「やるぞ」とばかりに頷くや、手袋を外して右手のマシンガンアームを剥き出しにする。
「006、プランBだ。地上に向けて脱出口を掘れ。俺たちで援護する」
「オーライあるよ」
「ドアから出て左側の廊下は俺が押さえる。ジェロニモは――動けるか?」
 無愛想に「大丈夫だ」と短く答える大男に、ハインリヒは思わず頬を歪ませる。
「よし、なら廊下の右側を任せるぜ」
 そう言い、ハインリヒはジェロニモと共にドアに駈け寄る。下半身だけになったスカリエッティの死体を跨いだ瞬間、焦げくさい匂いがツンと鼻を突くが、それはハインリヒにとって、ある意味決して懐かしいものではない。
「おい、おれの出番は!?」
赤い防護服を着ながら焦った声を出すグレートに、ハインリヒも苦笑しながら答えた。
「お前は部屋の中央を頼む。床下か天井を突き破って敵が来たらグレート、お前が対処しろ。――フランソワーズ、そろそろ頃合だ。敵はどっちからくる?」
「右の通路からはボール状のガードロボットらしいのが十機ほど。左の通路からは五人の女の子がこっちに向かって来ているわ」

「え? ――女の子、アルか?」
 声を出したのは張々湖だが、しかし全員が等しく「マジかよ?」と言わんばかりの顔でフランソワーズを振り向いている。だが、彼女は嫌悪感に満ちた表情で言葉を続けた。
「戦闘機人よ。出来損ないのサイボーグもどき。――まあ、油断は出来ないけどね」
「なるほど」
 004は頷くと、溜め息をついた。
 今が“三年前の世界”であることを考えれば、おそらくその襲撃者は加速装置装備モデルではなかろう。なら自分たちが負ける道理はない。
 009を眼前で「戦闘機人」に殺されたフランソワーズはともかく、やはりそれでも女を殺すのは寝覚めが悪いと言わざるを得ない。だが、もはやそんなことを言っていられる状況ではないのだ。なら、せめて今の溜め息を、彼女たちに捧げる懺悔代わりとする以外には無い。

「いくぞ」

 その言葉を合図に、ゼロゼロナンバーたちは行動を開始する。
 張々湖は口から熱線を吐いてコンクリートと地面を溶かし始め、ジェロニモとハインリヒは廊下に飛び出し、グレートとフランソワーズは銃を抜いて背中合わせになり、死角を作らないように注意しながら床下・天井・隣室との壁などに視線を配る。


 だが、サイボーグたちは知らない。
“父親”を殺された彼女たちが、どれだけの憤怒と殺意に燃えて自分たちに刃を向けに来るのかを。



PM20:08

「かっ、核魚雷の反応消えましたッッ!?」
 オペレーターの声が消えないうちに別のオペレーターが叫んだ。
「いや、核爆発をセンサーが確認ッッ!! 現空域の上空80キロですッッ!!」

 スカールは鼻で笑った。
 この艦のオペレーターたちは、組織が新体制に入ってからの構成員なので、しょせんは“敵”を知らない。
 001――イワン・ウィスキー。
 かつて火山島マグマにおけるミュートス・サイボーグのアトラスとの戦闘時に、この赤ん坊は、なんと自分たちが搭乗する原子力潜水艦ごと瞬間移動を果たし、仲間ともども見事に危機を乗り越えたことがある。こいつの手にかかれば、核魚雷の存在を察知することも、それを大気圏外に転移させることも簡単だろう。

 だが、問題はそこではない。
 001はスカールと面識が無い。つまりそれは、いかに001といえどテレパシーによって脳波を辿り、直接スカールの存在を特定することは不可能だということだ。
 だが、脳波を特定するまでも無く、この艦隊の乗員の心を読めば、指揮官の名前くらいは即時に分かるだろうし、遅かれ早かれ自分の存在は特定されてしまうと考えて間違いはない。
 つまり、さっきの核魚雷よろしく、今この瞬間に宇宙空間に放り出されても、スカールとしては何の不思議もないということだ。
(まあ、その程度じゃ俺は死なんがね)
 だが、いつ思考を読まれるか分からない相手の監視下で作戦を展開するのは、あまり愉快とは言えない。
 スカールは傍らの士官に命じた。

「結界を展開しろ。この海域を外界から孤立させる」
「はッ!」
 
 時間をズラせた封印空間内ならば、さすがの001でも覗き見は不可能だろう。
 それにそろそろ援軍の魔導師どもが現れる頃だ。どうやら10分でカタをつけられるほど、この機動七課という連中は簡単な相手ではなかったようだ。
(甘く見ていたということか……まあ結果は変わらんだろうがな)
 メインモニターに映し出される夜景は、まるで真昼のような紅蓮の炎に包まれている。サイボーグならともかくただの人間に、この数千度の灼熱空間で生き延びるすべが在るはずがない。
 だが――オペレーターは叫ぶ。
「爆心地に魔力反応確認!! やつらはまだ生きていますッッ!!」
 
 言われるまでもない。
 その空域を覆った炎のオーロラは、一帯の酸素を瞬間的に消費したあげく、消えつつある。
 だが、消えずに浮かぶ半径20mほどのボール――おそらく奴らの張った防御魔法だろう。おそらくその中には、その空域にいた生き残りの魔導師が全員逃げ込んでいるはずだ。
 それが何人の手による施術かは分からないが、もしもさっきの熱量を独力で遮断する魔法を張れるなら、そこにいるのは余程の術者だと想定せねばならない。
 それにスカールの懸念はもう一つある。

「002と008はまだ海中か」
「はッ。――現在は、時空管理局の海中部隊と合流しつつ、プレシオサウルスと交戦中です」
「……そうか」

 プレシオサウルスはプテラノドンと同じく超音波怪獣の一種で、やつらの吐く超音波は、水中ならば大気中よりも更に威力を発揮する。008とともに戦っていなければ、海中組の魔導師ごとき今頃とっくに皆殺しになっているだろう。
 もっとも核魚雷が爆発していれば首長竜たちも、ゼロゼロナンバーや魔導師部隊もろともに全滅していたはずだが、それは問題ではない。スカールにとっては超音波怪獣など、しょせん量産可能な畜獣兵器に過ぎないからだ。

(まあいい)
 どちらにしろ好都合だ。
 スカールが恐れるのは、あくまで002の空戦性能であって008の水中性能ではない。
 002が空戦魔導師どもと合流し、加速装置を全開にして飛び回れば、翼竜どもや無人戦闘機隊など、それこそ鎧袖一触だろう。
 無論、黒い幽霊(ブラックゴースト)の残存部隊にも、加速装置搭載型の空戦用サイボーグは在籍している。だから、もしも002が海中から空中に飛び出し加速したとしても、それに対処できないわけではない。
 だが新体制になったばかりの組織にとっては、使い捨て可能な超音波怪獣と違い、加速装置搭載型サイボーグは貴重だ。彼らの一人でも002に撃墜されてしまうような戦況は、スカールとしては避けたい。
(流れはまだこっちにあるということか)
「サイボーグ隊を海中に出撃させろ。002を海から出すな」

 そう命じたスカールが、メインモニターに目をやった時だった。
 球状の防御魔法の魔力結合が解かれ、その中にいた二十人余りの魔導師たちの一群からスキンヘッドの男が一人、すっと浮き上がり、2mほどもある杖状のデバイスを高々と縦に掲げた。
 彼らの念話を傍受しているスピーカーから、男の声が入る。

「済まんな八神、始末書は帰ったら書くよ」

 その瞬間にスカールは叫んでいた。
「全艦AMFを展開!! 無人戦闘機と超音波怪獣を今すぐ下がらせろッッ!!」
 だが、その指示はやや遅きに失した。
 スキンヘッドの男が青く輝いた瞬間、杖型デバイスの両端からセルリアンブルーの巨大な魔力光が彼らの上方下方めがけて同時に発射されたのだ。
 先程の空対空ミサイルに劣らぬ大爆発が起き、モニターが一瞬ホワイトアウトする。
 そしてスカールの前に、ふたたび映像が回復し、爆炎が晴れた時、無人戦闘機と翼竜たちは、一機一匹たりとも存在していなかった。
 

 何が起こったのかは、もはや歴然だ。
 デバイスの先端から上方へ発射された数十条の魔力光は無人戦闘機を、
 デバイスの末端から下方へ発射された数十条の魔力光はプテラノドンを、
――スキンヘッドの初老の男はそれこそ、一機一匹の狙いも余さず撃墜し、射殺したのだ。
(さすがに最精鋭部隊の名はダテではない、か)
 スカールは笑った。
 この戦いの結果をスティルマン大統領が待ち望んでいるのは知っているが、それでも退屈な戦いなどに価値はない。戦争とは虐殺とイコールではない。殺し合いは平等であらねばならないのだ。



PM20:10

 はやてもユーノもは呆気に取られていた。
「済まんな八神。始末書は帰ったら書くよ」
 という言葉が、非殺傷設定を勝手に外して攻撃魔法を行使したことに対するものであることは間違いない。権限をもつ責任者の許可を得ずして、勝手に設定を改変して魔法を行使するのは、管理局局員としてはまず懲戒免職を喰らってもやむを得ない行為だ。
 だが、結果として、その行動がワイバーン小隊全員の命を救ったことに間違いは無い。
 しかし当然ながら――はやてが絶句したのは、彼の命令違反にではない。その圧倒的な魔法の威力に、だ。

「これがロック隊長の……本気の魔法……」

 なのはが慄然とした声で呟く。
 ミッドチルダ式誘導射撃魔法――それも尋常な制御数ではない。
 高町なのはですらアクセルシューターの最大制御数は50に満たない。だが、いまの魔法は、上下合わせて軽くその三倍近い量の魔力弾を発射し、そして一つの目標も撃ち漏らすことはない。しかもその魔力弾に、戦闘機や翼竜を一撃で破壊殺傷する魔力を込めているとなれば、まさに神業にも程があるというべき所業だ。
 それが誰の行動か確認するまでも無い。

 ジョン・ロック一等空佐。
 管理局員として、そして魔導師として、高町なのはに多大なる影響を与えている、尊敬すべき上司。

 現在でこそ機動七課の指揮下にある彼だが、本来の階級は七課の責任者たる八神はやてよりもさらに上であり、――それどころか前線勤務にこだわるあまり、十年以上も将官昇進を頑なに断り続け、管理局本局が全次元世界に誇る空戦魔導師エリート部隊「航空戦技教導隊」の隊長職に君臨する男。
 還暦を越える老齢でありながら、鍛え上げた肉体は、いまだに管理局のハンティング教官が勤まるほどに屈強で、次元世界全体の歴史を通しても五人といないSSS級のランクを誇る砲撃魔導師。ギル・グレアム引退後の管理局に於いて「最強」を囁かれて久しい男。
 それほどの人物にもかかわらず、孫ほどの年齢のはやてに在籍部隊のトップを譲ってなお、常に柔和な笑みを欠かさず、現在は機動七課ワイバーン小隊の小隊指揮官を楽しそうに勤め上げている。
 そのロックが、スキンヘッドを光らせながら、宙空からはやてを見下ろし、念話を送りつけてくる。

『さて八神部隊長、これから我々はいかがすべきか指示があるなら伺いたい。まあ、特にプランが無いならこのまま私が指揮を引き継ぐが、それでいいかな?』

 その痛烈な皮肉が、狼狽の極致にあった二人の「地球人」の横っ面を叩く役割を果たさないはずが無い。
 しばし瞑目し、そして瞳に力を取り戻したはやては、念話のチャンネルを全回線フルオープンにして叫ぶ。


『現空域の機動七課総員、非殺傷設定の解除を命じる! 上空の未確認勢力を各個に撃破せよッッ!!』


 クルーザーから飛び立ったはやてに続いて、なのはも素早くレイジングハートを拾うと、甲板を蹴って、
「ユーノくん、ヴィヴィオをお願いッッ!!」
 と叫ぶや、空に躍り出る。
 ユーノが何かを言い返す暇も無い。
――そうだ。そうすべきなのだ。
 なのはは改めて確信する。
 たとえ“敵”が「地球人」であろうとも、戦闘が殺し合いを前提としたものであろうとも、眼前で仲間を失うことに比べれば、どれほどのことがあろう。
(何かを守るということは――戦うということは綺麗事じゃないッッ!)
 はやてが覚悟を決めたように、もはやなのはにもためらいはない。




[11515] 第二十三話 「運命」
Name: ジンバブエ◆0efd2f53 ID:d2736d75
Date: 2010/04/16 00:21
PM20:08

(もろいな)
 というのが、005――ジェロニモJrの感想だった。
 このガードロボットたちも、対人兵器としては結構マシな部類なのかも知れないが、少なくとも自分たちの「地球」にやってきた「ゆりかご」の連中と同じ世界で建造されているとは、ちょっと思えない。「地球」を襲撃してきた異次元人ミッドチルダのテクノロジー水準は、それほどまでに圧倒的だったからだ。
 だが問題があるとすれば、一機ずつの性能はともかく、数が多すぎることだ。
 

 いま彼ら、ゼロゼロナンバー・サイボーグたちは、クラナガン郊外の廃棄区画に在る、ジェイル・スカリエッティの旧アジトにいる。
 スカリエッティに誘拐された高町ヴィヴィオ――に変身したグレート・ブリテン――を救出し、ついでにスカリエッティの身柄をも確保しようとしたイワンの計画だったが、その作戦はすでに予見され、いま彼ら――003、004、005、006、007の五人は、そのアジトの地下施設に取り残され、苦しい撤退戦を強いられていた。

 だが、彼個人に言わせれば、撤退戦のプランそのものはともかく、この戦闘そのものは決して「苦戦」などではない。サイボーグ005――ジェロニモJrの所有する戦闘力からすれば、ガジェットドローン(という名をジェロニモは知らないが)など、あくまで恐れるに足る存在などではないからだ。
 持ち前の怪力で思い切り殴り、思い切り蹴る。
 一体一体を仕留めるならば、それで充分だ。だが、眼前を埋め尽くすこの数を前に、そんな戦い方では埒があかないのも事実だ。

 直径2mほど球体ロボットを両手で抱え、宙に浮くカプセル型ロボットの一群に投げつける。廊下に響きわたる衝突音を残して、まるでボウリングのように、球体がカプセルを弾き飛ばしながら壁に激突し、動かなくなる。
「――ッッ!?」
 だが、それと同時に自分の体も動けなくなっていることに気付く。
 ロボットたちのボディからワイヤーが伸び、ジェロニモの体に取り付こうとしていた。
 だが、ジェロニモは顔色も変えない。
 全身に力を込め、上半身にまとわりついたワイヤーを無雑作に引き千切り、さらに自由になった手でワイヤーを掴むや、力任せに引っ張り、ハンマー投げの鉄球よろしく振り回す。
 人間サイズのカプセルが、彼のパワー+遠心力で加速し、周囲のロボットたちを面白いように薙ぎ倒していった。
 
 その瞬間、鋭い痛みが彼を襲う。
 直接攻撃を諦めたのか、ジェロニモを遠巻きに包囲するように並んだガードロボットたちが、一斉にレーザーを集中照射していた。
 普通の人間なら、蜂の巣になっているであろう攻撃ではあるが――しかしゼロゼロナンバー随一のタフネスを誇る005の肉体を貫通させるには、そんな小口径レーザーでは、いかにもパワー不足だ。せいぜいが防護服に焦げ跡を作るくらいが関の山というところか。

「――むんッ!!」

 足元に拳を振り下ろし、眼下の床を叩き割る。
 これが地面であったなら、半径数メートルほどの、ちょっとしたクレーターが出来ていただろう。
 地震と間違えるほどの衝撃が、彼の拳を中心に地下施設からアジト全体に伝播し、今この瞬間アジトにいた者たちは全員、体を浮かせるほどの振動を感じたに違いない。その揺れはおそらく、地上にまで達したことだろう。
 無論、ジェロニモの眼前にいたガードロボットたちもすべて、その動きを一瞬止める。その隙を付いて彼はロボットたちの群れの中に飛び込んでいく。
 そこからは、まさしく先程と同じ展開が繰り返されるだけだった。
 まるで暴風のように振るわれる圧倒的なパワーは、ロボットたちを積み木細工のように破壊してゆく。


 一度でも接近戦の間合に入ってしまえば――鋼鉄の筋肉と皮膚、そして千人力の豪腕を持つジェロニモとまともに戦える者など滅多にいない。いるとすればそれは、自分たちと同種のテクノロジーで肉体を強化された改造人間だけだ。いわんや、こんなチャチな戦闘機械では、まさしく竜車の前の蟷螂の斧というしかない存在であろう。

 だが、ジェロニモにとって己の腕力を思うさま解放することに、カタルシスなど無い。
 森林に遊び、大地の声を聞き、精霊とさえ意思を通じ合わせる――それがこのジェロニモJrの本質だ。その身に宿る戦闘能力を矜持とするような感性など、彼は所有していない。
 そういう意味ではジェロニモの内面は、むしろ003――フランソワーズ・アルヌールに近いとさえ言えるが、それは彼が女性的な思考をする男だという意味ではない。現に、パリという故郷と島村ジョーという恋人を奪われて、メンバー1のハト派からタカ派へと変貌した彼女と違って、ジェロニモはそこまで激情に駆られているわけではないからだ。

 無論、一分の怒りすらないと言えば、さすがに嘘になる。
 異次元人たちは、ジェロニモの祖先累代の故郷たる北米大陸を消滅させた。
 だが、この世界にいるミッドチルダ人たちは、正確には、まだ何もしていない。たとえ三年後には「地球」を蹂躙する者たちであったとしても、現時点で、この世界の人間たちに恨みをぶつけることは、正しいと言えるはずが無い。
 それに――彼の血が囁くのだ。人類が滅亡に瀕しているとしても、それが「地球」の定められた運命ならば、甘んじて受け入れるしかないではないか、と。

 かつて“インディアン”と呼ばれ、不毛の居留地に押し込められた先祖たち。
 自由と平和を愛する彼らが、民族統一戦線を組んで本格的な総力戦や焦土作戦を展開せず、白人たちの軍門に下ったのは、やはり彼らにも、滅びこそが運命ならば、それを甘受するにしかずという思いがあったのではないか。――ジェロニモには、そう思えてならない。
 白人たちは自らの侵略行為を『マニフェスト・デスティニー』と称したが、いま思えば痛烈なまでの皮肉であろう。いまや「地球」では、その白人たちが創り出した物質文明が、未知なる魔法文明の担い手たる異次元人たちの手によって、風前の灯と化しているのだから。
 強者による征服、勝者による淘汰――それこそが明白なる運命(マニフェスト・デスティニー)だと言うのなら、地球人類がミッドチルダの侵略活動にケチをつける筋合いはどこにも存在しないということになるではないか。
 
 この世界には人の手ではどうにもならない必然――運命・宿命と呼ばれるべき“意思”が在る。それを認めればこそ、ジェロニモは己が生体改造を施されたという事実を受け入れることができたのだ。
 無論、彼とて所詮は当たり前の男だ。そんな理不尽すぎる現実を「運命」の一言で、たいした葛藤ももなく受け入れたわけではない。生きながらに怪物にされた我が身を嘆きもすれば、怒りに眠れない夜を過ごしたこともあった。
 だが、それでもジェロニモは、自分の運命を受け入れた。
 改造されたこの肉体には、何か意味があるはずだ。――そう考えればこそ、彼は「運命」を耐え忍ぶことができたのだ。

 そして、結果的に「運命」は間違ってはいなかった。――そう断言しても間違いはないだろう。
 黒い幽霊(ブラックゴースト)を組織解体まで追い詰めることが出来たのも、異次元人たちの手によって滅びに瀕した「地球」を救うために戦えるのも、――改造されたゼロゼロナンバーとしての肉体があればこそだ。
 ならばこそ、彼は「運命」を疑わない。
 しかし――だからと言って、当然ジェロニモとしても座して滅びを待つつもりは無い。
 可能な限りの抵抗はする。敵がいれば全力で戦い、身に宿したパワーを振るうにためらいはない。
 滅びが運命というならそれはいい。大人しく享受もしよう。これまで生存競争の果てに、人類が歴史の闇に葬ってきた多くの天敵たちのように。
 だが、――それは精一杯の抵抗をし尽くしてからだ。
 立てるうちは立ち上がり、戦えるうちは戦う。
 先祖たちの頃とは事情が違う。今や自分たちには時間をさかのぼり、歴史のネジを巻きなおす技術もあれば、次元の海を渡って敵の本拠とする世界に乗り込む技術もある。
 それに、もしも自分ごときの抵抗によって結果が改変されるような未来であるならば、滅びなど、それこそ従うべき「運命」でも何でもないということではないか。
 それを証明するためにも彼は戦うのだ。


 壁から引きずり出した鉄骨を得物代わりに振り回し、破壊の颶風を巻き起こす。
 ロボットたちが展開しているAMFという対魔導師用防護フィールドは、005の圧倒的なパワーを前に悲しいほど意味を持たない。もしも彼らに言語を話す機能があれば、口々に嘆いたであろう。自分たちは、こんな化物との戦闘を想定して作られてはいない、と。
――そのときだった。


「ドゥーエ、ガジェットをさがらせろ!!」
 

 その声に振り向いた瞬間、計ったようにジェロニモの後頭部を衝撃が襲った。
「……………ッ!?」
 無論、005のボディを破壊できるほどの一撃ではない。だが、刹那の意識を彼から奪うほどの威力があったのは間違いなかった。
 反射的に重心を落として踏ん張り、よろめく肉体を支える。
 だが攻撃者は、当然のように彼が戦闘体勢に入るのを待たない。
 杭を打ち込むような一撃一撃が、連打になってジェロニモの肉体に打ち込まれた。

「ドクターの……仇ィィィィイイイイッッ!!!」
 
 想いの込められた攻撃は、時として物理法則を凌駕する。
 壁際に追い詰められ、嵐のような連打に身をさらしながら――しかし、ジェロニモはむしろ冷静さを取り戻していた。所詮この攻撃では自分を殴り殺すことなど出来はしない。たとえ、どれほど感情を込めた打撃であってもだ。
 顔面を狙った“敵”の攻撃を額で受け、大股に一歩踏み込み、力任せに右拳を繰り出す。
 無論、そんなパンチをまともに食らうような間抜けが相手だとは思ってはいない。これは敵を後方に退がらせるためのアクション。間合を取らせ、戦いを改めて仕切りなおすための攻撃だ。そして“敵”は、ジェロニモの意図どおり後退して距離を取る。

“敵”が見せた――ジャンプでもステップでもない――氷上を滑るような奇妙な動きにジェロニモは眉をひそめたが、彼女がローラーブレードを穿いているのを見て、ふむと鼻を鳴らした。
 奇妙とは言ったが、それでも他の武装は比較的まともだ。
 各部にガードをつけた群青色のスーツに、手甲と一体化したグローブを嵌め、首元には「Ⅸ」と刻まれたプレートを巻いている。だが、それ以上にジェロニモの目を惹くのが、燃えるような赤毛に負けない怒りの炎を宿した金茶色の瞳である。
 彼女がなぜ自分をこんな眼で見るのかが分からない――などと言う気は、もちろんジェロニモにはない。

「待てノーヴェ」
「チンク姉?」

 その女――“ノーヴェ”の後ろから、やはり「Ⅴ」と刻まれたプレートを首に巻いた銀髪の少女が歩いてくる。いま赤毛の女は「チンク姉」と呼んだが、確かにこの少女からは“ノーヴェ”よりもさらに大人びた空気を感じる。その雰囲気と、右目を覆う海賊のような眼帯が、凄まじくアンバランスな印象を見る者に与えるが、それでも赤毛の女と変わらない点が一つある。
 彼女もまた、ジェロニモに向けた隻眼に凄まじいまでの殺気を込めていることだ。

「ドクターを殺したのは、おまえか」
 
 少女が抑えた声を出す。
 さっき『ガジェットをさがらせろ』と叫んだ声だ。
 そして――ジェロニモには分かっていた。
 自分に殴りかかってきた“ノーヴェ”よりも、この少女の方がおそらく……手強い。
 
「おまえ、なんだな」
 
 答える義務なき質問ではある。
 これは戦争なのだ。“敵”を殺せば、殺人事件の加害者と同様に、その類縁や関係者に恨みを抱かれるのは当然の話だ。そして、スカリエッティを壁に投げつけたのは自分だ。もちろん彼が自爆のそぶりを見せなければ、ジェロニモとてそんな真似をする気は無かったが、それでも事実は事実だ。
 だから、ジェロニモは敢えて頷いた。
「そうか……わかった」
 少女――“チンク”は一瞬、苦いものを呑み下すような表情を見せたが、それでも改めてジェロニモを睨み直した視線に迷いはない。
 右手にナイフを光らせながら、“チンク”は言った。
「おまえを殺す。よもや恨むまいな」



PM20:12

 八神はやての非殺傷設定解除命令――それを契機に、魔導師たちの反撃は開始された。

『スキュラ隊、クラーケン隊は現時刻を以ってゼロゼロナンバー追跡任務を中断ッ、水中装備をパージ次第、上空のワイバーン隊に合流せよッッ!!』
『機動七課総員、散開して最低高度400mを維持ッ! 目標を包囲せよッッ!!』

 勇ましい声で矢継ぎ早に送られる八神はやての指示を聞きながら、ヴィータは少しホッとした。
(どうやら、やっといつものはやてに戻りやがったな)
 八神はやてとヴィータは他人ではない。
 夜天の主と守護騎士という深い絆で結ばれたヴィータには、はやてが抱いている不安や葛藤を本能的に察知することができるのだ。
 だが、――さすがにその苦悩の具体的な内容までは、知ることは出来ない。
 ヴィータにとっては、はやてが苦悩を吹っ切ったということよりも、自分たちでさえ窺い知れない葛藤を、はやてが一瞬でも抱いていたという事実の方が、より気分を曇らせた。



 かつて「夜天の魔道書」が「闇の書」と呼ばれた頃とは違う。
 管制人格リインフォースの消失に伴い、八神はやてと守護騎士ヴォルケンリッターとの関係は激変した。守護騎士たちは今もなお、自分たちをはやての騎士と規定しているが、それでも厳密な意味では、もはや彼女たちは「はやてのためだけの存在」ではなくなってしまっている。
 過去――はやてのためにリンカーコアを狩り廻っていた頃は、そうではなかった。
 主が何を憂い、何を喜んでいるのかも、あの頃の自分たちには手に取るように理解できた。
 だが、今は違う。
 切れかかったリンクでは、主の感情をかろうじて感知することは出来ても、その内容までは分からない。
 無論、初めての経験ではない。はやてが何を考えているのか分からなくなったことなど、ヴィータにとっては今まで何度もあったことだ。だが、そのたびに圧倒的なまでの寂寥を守護騎士たちが感じていたことも、また事実なのだ。
 なにしろ、八神はやてはヴォルケンリッターにとってはただの「主」ではない。彼女は、永遠とも言える「闇の書」の鎖から自分たちを解放した「最後の夜天の主」なのだから。


(まあいい。話は後で聞くだけだ)
 さっきまで鬱陶しく空戦魔導師たちの命を脅かしていた、戦闘機と翼竜たちはもう一掃された。ならば自分たちのフライトを遮る者はもういない。そもそも物理的な飛行ユニットに頼らない飛行魔法の自由度は、航空力学に縛られた飛行機の比ではない。つまり、空中戦艦の弾幕ごときでは、天翔ける空戦魔導師たちを止められないということだ。
 雨あられのように降り注ぐ弾幕を躱し、あるいは魔法障壁で防ぎながら、ワイバーン小隊は二手に分かれ、二十隻の空中戦艦の上方左右に展開する。そして左翼にポジションを取る一群の中に、ヴィータと高町なのはもいた。

「よし行け、なのはッ!!」
「うん、いくよヴィータちゃんッッ!!」

 夜空を震わせる怒声とともに彼女から放たれたピンク色の閃光。
「スターライト――ブレイカァァァアアッッッ!!!」
 それは高町なのはの最大砲術。
 かつて衛星軌道上の標的さえ破壊可能と評されたその砲撃魔法は、非殺傷設定を解除した今、純粋破壊力だけなら戦術核兵器にも比肩するかもしれない。ならば、眼下の空中戦艦ごときをまとめて貫くに雑作はない――はずだった。

 誰が想像しよう。その光が目標直前で弾かれ、霧散してしまうなど。

「AMFッッ!?」
 ヴィータは愕然と叫ぶ。
 いや、彼女だけではない。この場にいる機動七課ワイバーン小隊の面々は、その光景にみな衝撃を受けたはずだ。
 無論その驚愕は、次元世界にその名を轟かせる「エース・オブ・エース」の砲撃が通用しなかった――という結果に対してではない。AMFという魔法技術が、時空管理局の魔導師に連想させるものと言えば、それは一つしかないからだ。

 アンチ・マギリング・フィールド……通称AMF。
 術者を中心とした一定範囲内の魔力結合を強制的に解除し、攻撃魔法を無効化するというAAAクラスのフィールド式防御魔法の一種。
 だが魔導師ならばともかく、戦艦サイズの装甲目標がこの術を使えば、魔導師たちが「聖王のゆりかご」という名を思い出すのは、当然過ぎるほどに当然だ。つまり――、
(こいつらのバックには、スカリエッティがいるってのか!?)
 その推論に、ヴィータが慄然となったのも無理からぬ話だと言えるだろう。

 いや、それだけではない。
 なのはのスターライトブレイカーさえ弾き返すレベルのAMFを、目標が敷いている以上、おそらく魔法攻撃であの空中戦艦を墜とすのは事実上不可能だと言ってもいい。
 ならば――どうする。
 少なくとも数十万トン級の装甲艦船を破壊するだけの物理衝撃を、魔法という切り札を封じられた魔導師たちに行使することが、果たして可能かどうか。ここは山岳部や市街地ではない。弾丸代わりに使用できる岩塊やアスファルトの存在しない――海上なのだ。


『ワイバーン3ッ、ワイバーン6ッ、ワイバーン7ッ、前に出えッッ!! 他の者は三名を援護ッッ!!』


 その、はやての念話の声に動揺は無かった。
 いや、それは正確ではない。眼前の圧倒的な“敵”を前にして、今にも萎えようとする闘志を、己の意思で無理やりにでも煽り立て、奮い立たせている声。震えと怯えを噛み殺し、ひたすら立ち上がろうとしている声。

「へッ!」
 ヴィータは笑った。もはや彼女の心に、さっきまでの憂鬱は一ミリも存在しない。
 つまり、八神はやてはすでに肚をくくったのだ。
 ならばヴィータがへっぴり腰のままでいていい理由はない。ヴォルケンリッターは夜天の主の剣であり盾なのだ。主の赴くところならば地獄であろうが煉獄であろうが、二の足を踏むことは在り得ない。
 なにより、はやてはヴィータを当てにしている。
 彼女が指名した三人の魔導師の一人――すなわち「ワイバーン7」とはヴィータその人を意味するコールサインなのだから。
 主君直々の御指名で武勲を立てる機会をお膳立てしてもらう。――これで心躍らないヴィータならば、それはもう夜天の守護騎士を名乗る資格はないとさえ言えるだろう。
 
 
 もちろん、動いたのはコールサイン「ワイバーン7」だけではない。
 それはそうだろう。部隊長に指名されたのは何もヴィータだけではないのだから。
「出でよシェンロン! 我が敵を討ち払いたまえッッ!!」
 その叫びと同時に、コールサイン「ワイバーン3」の背後に、巨大な空間魔方陣が浮かび上がるや、そこをゲートとして巨大な龍が顔を出し、サイズ的には空中戦艦に見劣りしない数百メートルもの巨体を出現させ、夜空に咆哮を響きわたらせた。
「おいおい、まるで『まんが日本昔話』じゃねえか」
 その神々しい勇姿に、ヴィータも思わず頬を緩ませる。

 それはただの竜ではなく「龍」である。
 つまり四足獣タイプのドラゴンではなく、敢えて言うなら竜頭蛇尾の東洋風のドラゴンであり、それはキャロ・ル・ルシエが召喚する真竜――ヴォルテール級のエルダードラゴンが更に数千年もの歳月を生き延びて、やっと“羽化”が可能になるという竜族の最終進化形態――「神竜」ことエンシェントドラゴン。またの俗称を龍神(ナーガ)。
 無限と言われる知識・魔力に加えて、無数の眷属を自在に召喚して使役し、さらには単独での次元航行や時間移動、宇宙飛行さえ可能だという――文字通り次元世界に於ける“万物の霊長”。
 もはや生物のカテゴリーに入れるべきかどうか学者が迷うような存在ではあるが、人類発祥よりも更に数億年は古いはずの爬虫類史を鑑みても、エンシェントドラゴンの発生確率は百万年に一例とさえ言われている。

 それほどの神獣と召喚契約を結んだ「ワイバーン3」こそ、今世紀最高の召喚魔導師と呼ばれるデズモンド・ヒューム。
 かつて本局航空隊1321部隊に於いてヴィータと同僚だった男だ。

 無論、突如出現したその大怪獣に、艦隊は対空砲火を集中させるが、その「シェンロン」は、蚊に刺されたほども気にしていない口調で、召喚主にボヤき始める。
「おいおいデズよ、たまたま暇だったから召喚に応じてやったってのに、また殺し合いなのか? たまにはもっとマシな用件で呼んでくれよ」


 隣を飛ぶ高町なのはが絶句するのも無理はない。
 ヴィータとて知らなかったら、その龍の外見と言動とのギャップに、確実に動けなくなっていただろう。だが、この神獣が無類のギャンブル狂であることは航空隊時代からの同僚ならば、誰でも知っていることだった。
 だが、そんな姿は当然この「シェンロン」の一面でしかない。
「なのはボケッとすんな! ブレスが来るぞ!!」
 ヴィータが叫んだ瞬間、“それ”はきた。

「たまには、このオレをカモれるくらい高度なイカサマ麻雀の手口を編み出した、なんて台詞を聞いてみたいもんだ。なあデズ?」

 ぼやきながら、ほとんど垂直に近い角度で口を開けた「シェンロン」が、まばゆいばかりの赤い光を吐き出したのだ。
 ドラゴンお得意の炎の息――と言えばファンタジックに聞こえるが、早い話が凄まじいエネルギーを誇る熱線だ。AMFに干渉される魔力要素を一切もたないその高熱は、一撃で三隻の空中戦艦を木っ端微塵にしてしまう。


 いや、それだけではない。
 爆砕する戦艦が照明代わりになって、ヴィータには見えた。海面に魔方陣が展開し、5メートル大の氷塊が徐々に浮上してきているのが。
(確かあいつは……)
 はやてに指名された最後の一人「ワイバーン6」ことジェームズ・フォード一等空尉。
 同じ小隊に組み込まれて入るが、元同僚のデズモンドと違い、ヴィータはこの男をよく知らない。噂では氷結属性を持つ凄腕だと聞いてはいたが、ヴィータにとってはイヤミったらしいキザ野郎だという認識しかなかった。
 だが、その眺めはヴィータの視線を釘付けにせざるを得ないものだった。

「マジかよ……」

 ヴィータが目撃した5メートルの氷塊は、文字通り、ほんの氷山の一角でしかなかった。
 海中から姿を現すそれは、10メートルや20メートルでもきかなかった。
 全長50メートル近いほどのレモン型の巨大な氷塊が海中から姿を浮かび上がらせ、――しかもそれは一つではなかった。まるで氷山のごとき巨氷が五つも空中に姿を現し、それが一斉にドリルのような回転を始める。

 艦隊から当然のように弾幕が降り注ぐが、しかしすべて彼の直前で弾かれてしまう。
 見ると、アラブ系と思われる褐色の肌の魔導師が、強固なまでの防御魔法を張って、ジェームズを守っている。その男も、確かサイード・ジャラーとかいう元首都防衛隊の魔導師であったことしか、ヴィータは知らない。
 そして、ジェームズ・フォードは無事に呪文を完成させ、叫んだ。
「いけえ! ルナツーファンネルッッ!!」
 水を滴らせて浮遊していた五つの氷山は、唸りを上げて空中戦艦の一隻に吸い込まれ、そして、たちまち大爆発が巻き起こった。


「やるなあ、みんな……」
 呆れたように呟く、なのはの声がヴィータにも聞こえる。
 まあ考えてみれば、当然の結果と言えなくもない。
 今回の小隊編成では、フェイトや他のヴォルケンリッターは後方待機に回されてしまったが、そもそも非常識なまでの予算と人員で編成された機動七課の構成員たちは、その一人一人が綺羅星のごときストライカー級の魔導師なのだ。
 だからと言って、手柄を自分以外の連中に譲渡する気はヴィータにはさらさらない。
「ワイバーン3」と「ワイバーン6」がすでに見せ場を独占した以上、次の出番は「ワイバーン7」こと自分の番だ。これ以上出遅れることは、夜天の守護騎士としての気位が許さない。

「行くぞッッ!! 援護頼むッッ!!」

 傍らにいる高町なのはに叫びながら、ヴィータはそのまま編隊を離れ、空中戦艦に突っ込む。
 数発分のカートリッジが排莢され、ハンマーヘッドが、そのまま五階建てのビルのごとき巨大な鉄塊に変化する。ただ巨大なだけではない。“ギガントフォルム”のヘッド質量に“ラケーテンフォルム”のブースターとドリルを備えた、グラーフアイゼン最終形態――ツェアシュテールングスフォルム。


「いっくぞぉ~~、ツェアシュテールングスハンマーッッッ!!!」


 ヴィータは頭を真っ白にしながら、まるでカミカゼのように最寄りの一隻に突っ込む。
 たちまち対空砲火の出迎えを喰らうが、気にしない。
 露払いは傍らの「エース・オブ・エース」がやってくれる。なのはの防御魔法を突き破ってヴィータに砲弾を届かせる火力を、そんな弾幕ごときが所有しているはずが無かった。
 接触するギリギリまで最大速度で接近するや、ヴィータは、その巨大すぎる鉄槌を振り下ろした。





[11515] 第二十四話 「決意の価値は」
Name: ジンバブエ◆0efd2f53 ID:d2736d75
Date: 2010/05/19 23:46

PM20:15

 魚類を凌駕するスピードで自在に海中を進む、赤い防護服の男。
 無論、「赤い防護服」と言ったところで夜間の海中であれば、照明も使わずその姿を確認する事など出来はしない。いや、むしろライトを何機使おうが、レーダーかソナーでも使わない限り、水中を疾駆する彼を視認する事は不可能に違いない。
 そうジェットがしみじみ思うほどに、久しぶりに見る008――ピュンマの水中性能は圧巻だった。

 その姿はもはや「泳ぐ」というより「水中を飛翔する」と表現する方が相応しいかも知れない。まさに空中に於けるツバメか猛禽のごとき水中機動は、一泳ぎごとに激しい水流を発生させ、008が螺旋を描いて泳げばそれだけで巨大な渦が海中に発生するほどだ。
 そして、その激流を彼は「武器」として利用する。立体的に生み出した暴風圏のごとき海流で一群の首長竜たちの巨体の動きを封じ、さらにその海流に身を任せる事で、己の機動力を二倍三倍に高めている。まさしくその姿は“海の魔物”そのものだ。
 
 ポイントG198の海中に出現した、黒い幽霊(ブラックゴースト)の首長竜型の超音波怪獣ウルス。
 もともと水は、空気よりもさらに音波の伝播率が高いため、彼らの武器とする指向性超音波の咆哮は、水中ではその攻撃力がさらに跳ね上がる。しかも、そんな超音波怪獣が一匹ではなく、この海域に二十匹は潜んでいた。反対に、ゼロゼロナンバーが装備するスーパーガンは、水中ではその熱線の威力をはなはだしく減衰せざるを得ない。
 にもかかわらず、その超音波怪獣が――いまや残り数匹にまでその数を減らしている。

 008がやったのだ。

 魚類というより魚雷に等しいスピードで首長竜の吐く超音波を躱し、スーパーガンで、怪獣どもを一匹ずつ葬っていく。
 確かに、水中では半分以下の威力しか出せないスーパーガンではあるが、それでも装甲目標ならともかく、超音波を吐くだけがとりえの大型爬虫類が相手なら、急所を狙えば致命傷を負わせるに雑作はない。

 無論、ジェットとて手をこまねいて見物していたわけではない。ピュンマの邪魔にならない範囲で手伝いはした。
 とは言っても、激流渦巻く暴風圏内に飛び込んで仲間の足を引っ張るような真似はしない。ジェットはあくまで空戦用サイボーグだ。ここにいても自分が出来ることには限界があると理解している。ならば“002”がやるべきは“008”の隣で光線銃のトリガーを引くことではない。彼の戦闘の邪魔にならないよう、いまだ海中から脱出できない時空管理局機動七課「スキュラ小隊」と「クラーケン小隊」を、無事に海上に誘導する事だ。

 ここに黒い幽霊(ブラックゴースト)がいる以上、ゼロゼロナンバーにとっては当局のエージェントなど、救出すべき“現地の一般人”に過ぎない。ジェットとしては勿論、ピュンマとしても、この二個小隊の魔導師たちを見殺しにする理由はない。
 すでに機動七課責任者・八神はやてから、彼ら本来の任務――ゼロゼロナンバー拘束任務――の中断命令は下っている。
 いや、それだけではない。
 海上のワイバーン小隊が、質量兵器を使う謎の一団から攻撃を受けており、海中班の二個小隊は可能な限り速やかに浮上し、ワイバーン小隊に合流せよという念話通信は、すでにジェットを含めた、海中にいる管理局員全員が聞き及ぶところだったのだ。
 
 救出と言っても、今が昼間だったなら、それでも魔導師連中など放置しても問題はなかっただろう。海上から陽光が差し込み、周囲の状況が確認できるなら、ジェットが誘導するまでもなく自分の身くらい自分で守れるはずだ。彼らとてズブの素人ではない。荒事解決を職業とするプロなのだ。
 だが、夜間の海中は一寸先も見えない真の闇である。どこに敵の怪獣の生き残りが潜んでいるか分からない状況なら、魔導師たちにしても額のヘッドランプを点けて視界を確保することも出来ない。ならば、彼らを仕切れるのは、人間以上の視力を持つサイボーグ002だけだ。

 だから、ジェットは彼らを一箇所に集めると、戦闘中のピュンマと脳波通信機で連絡を取りつつ、海底の岩礁で一時身を伏せさせる。
 どうやら、この海中に潜む“敵”は、眼前の超音波怪獣の一群だけのようだ。ならば戦闘はピュンマに一任すればいい。自分たちのやるべき事は、周囲を警戒しつつタイミングを計って、一刻も早く海上への脱出することだ。
 そう考えつつジェットは、むしろ焦ってさえいた。
 ここにいるのが首長竜タイプの超音波怪獣ウルスである限り、上空に出現したという“武装勢力”とやらも、同じく黒い幽霊(ブラックゴースト)であることにまず間違いはない。
 ならば、急がねばならない。
 ジェットは奥歯を噛みしめる。
 無論、機動七課が管理局トップエリートの集まりだとは彼とて承知している。いかに黒い幽霊(ブラックゴースト)とはいえ、量産型の戦闘アンドロイド程度が相手であれば、彼らなら充分に戦えるだろう。しかし、それほどの機動七課でさえ、加速装置装備型サイボーグの前には、所詮ただの人間に過ぎないのだ。ならばこそ、一刻も早く海上の部隊に合流しなければならない。彼らが皆殺しにされる前にだ。
――その時だった。

 
『退却って……嘘でしょう? 俺たちはあの怪獣どもを一匹だって自分の手で仕留めちゃいないんですよ!? なのに、あの戦闘機人にやつらの始末を丸投げしてケツまくれって言うんですかッッ!?』


 少年が一人立ち上がり、怒りに満ちた念話を周囲に撒き散らす。
(コイツ、名前は確かシン・アスカ……だったか)
 ジェットからすれば、一応は小隊編成上の同僚だ。コールサインと名前くらいは記憶にとどめている。
 彼は、まだ中学生にしか見えないほどの若年の魔導師だが、次元世界の就業年齢には地球の常識が通用しないので、こういう子供が現役の職業人として存在してもおかしくはないのだろう。しかも、この若さで機動七課に参加するほどの魔導師であれば、やはり所属部隊でもエースとして活躍し、自尊心を思う様に肥大させて生きてきた子供のはずだ。
 だが、いくら大人顔負けの能力と才能の所有者とはいえ、大人の冷静さを子供に要求するのは、やはり限界がある。それが生死のかかった極限状態ともなれば尚更だ。
 だが――。


『ふざけたことを言わないで下さいッッ!! ルナも、レイも、ハイネも、みんなあの怪獣に殺されたんですよ!? なのに生き残った俺たちが、仇を討つどころかむざむざ逃げ帰るって言うんですか!? そんなこと――できるはずないでしょうッッ!?』


 それを言われては、さすがにジェットも口を閉ざさざるを得ない。
 そう――すでに、この「スキュラ小隊」と「クラーケン小隊」には多くの犠牲者が出ていた。だが、それでも犠牲者は最小限で済んだと言えない事もない。もしもこの海域にヴィヴィオを返還に来たピュンマが居合わせなければ、この二個小隊はいまごろ超音波怪獣相手に全滅の危機に瀕していたであろう。
 そして、戦友の仇も討てずに戦場を立ち去れと言われても納得できない彼の気持ちは、それこそ手に取るように共感できる。何故ならそれは、ほんの20分ほど前にジェット自身がピュンマに言い返した言葉と同じだったからだ。
 俺たちの事は忘れてミッドチルダで人生をやり直せと言ったピュンマに、ジェットは、自分ひとりだけ平穏無事でいられるものか、舐めるんじゃねえと叫んだ。それは見ようによっては、このアスカの言い分と同じではないか。
――そう思ったからだ。


『言いたいことはそれだけか、アスカ曹長』


 ダイバースーツのゴーグル越しに、その男の鋭い眼光が少年を射抜いたのが、ジェットにもハッキリ分かった。
 コールサイン「スキュラ1」ことトビー・ジーグラー三等陸佐。
 陸士111部隊の元隊長で、現スキュラ小隊の隊長。そして現作戦に於ける機動七課「海中班」責任者。

『アスカ曹長、貴様はいま三人の名を挙げたが、私が確認しただけでも12名のこの部隊の魔導師が怪獣に殺されている。その犠牲は確かに残念だったと言うしかない。私としても部隊としてもな』
『だっ、だったら――』
 だが、勢い込んだ少年の意思を遮るように、ジーグラー三佐は冷静な――むしろ非情ささえ感じさせるような口調で言葉を続けた。
『しかし、だからと言って命令違反を正当化する理由にはならん。それは貴様にも分かっているはずだ。任務の前には、我々の無念など所詮は私情に過ぎんとな』
『…………』
『それでも貴様は、自分の私情を任務に優先させろと、そう言うのか? 復讐は任務に勝る価値がある。そう言いたいのか?』
 そう言いながら、ずいと前に出る大柄のダイバースーツに、少年が露骨にたじろいだのが見えた。

『なら好きにしろ』

 ジーグラ-は少年に背を向ける。
 その背中は、ジェットにさえも恐ろしく冷ややかなものに見えた。
『貴様の任務の価値は貴様自身が決めろ。思う存分やりたいようにやればいい。誰も邪魔はせん。我々は命令どおり浮上し、命令どおり新たな作戦任務に従事するだけだ。――ただな、一言だけ言わせろアスカ曹長』
『…………』
『私情を任務に優先させるという行為は、我ら管理局の任務自体を侮辱する行為だ。そしてそれは、管理局の魔導師として命を全うした貴様の――我々の戦友その人を侮辱する行為でもある。そうだな?』
『…………』
『分からんと言うなら、それはそれで仕方がない。私としてはただ残念だと言うだけだ。戦友たちが命を賭けた任務を侮辱し、犬死にすることを貴様が選択したという事実を、な』
 
 そう言うや、まるで少年を見捨てるように泳ぎだすジーグラー。
『リンク二士、先頭に立て。部隊を海上まで誘導しろ』
 そういやおれの階級は二等陸士だったな。――そう思い出すまでもなく、ジェットはジーグラーを追い越し、先導するように泳ぎだす。そしてその後に、生き残った海中班の魔導師たちがぞろぞろと続く。
(まるで遠足だな)
 そう思いながら、後ろをちらりと振り向くと、少年はまだ岩礁の陰にうずくまったまま微動だにしない。
『よろしかったんですか?』
 ジェットは思わずジーグラーに尋ねるが、ブラックのダイバースーツ越しでは、この男の表情までは分からなかった。

 周囲に目をやる。
 進路方向にプレシオサウルスの影はない。音響探査も使わずに暗黒の海底を見通すことは、漁船や潜水艦でも不可能だが、改造されたジェットの眼球にはそれが見える。
 だが油断は出来ない。
 スキューバダイビングは素潜りとは違って、海面まで一直線で急浮上するなどということは絶対のタブーだ。そんなことをすればたちまち潜水病になってしまう。たとえ魔導師といえど彼らの肉体はただの人間に過ぎないのだ。
 だから、たとえ追われていたとしても、たとえどれほど急いでいたとしても、体を慣らしながら毎分18メートル程度のゆっくりした速度を維持しなければ、海面まで上昇することも出来ないのだ。
 無論、それはただの人間の話だ。
 ジェット一人ならば、そんなことを気にする必要はない。しかし、だからといって彼がスキュラ小隊とクラーケン小隊を放置して、海上に先行することなど状況が許さない。いまこの状況で、もしピュンマの手を逃れた超音波怪獣が、一匹でもこの集団に襲い掛かってきたら、戦えるのはそれこそジェット一人しかいないのだから。
 そんな現状が、今のジェットの神経をさらに苛立たせる。
(大の大人が揃いも揃って……子供相手に正論は吐けても、おれがいなきゃ無事に浮上もできないって言うのかよ……)


 常識的に考えれば、ジーグラーの言葉はまぎれもない正論であり、それに比べれば少年の主張は、ただの子供の我侭であることは間違いない。
 にもかかわらずジェットの胸の中には、何故かあの少年――シン・アスカへの同情と、彼を一顧だにしなかった、この小隊指揮官に対する反感が募っていた。
 もともとウェストサイドのチームギャングの一員だったジェットとしては、こういう典型的な軍人気質の人間が苦手であり、さらに言えば嫌いでさえある。ならばこそ彼は、この小隊長の大人げない態度に眉をしかめずにはいられない。
(もう少し言い方ってもんがあるだろう……相手はガキじゃねえか……)
 そう感じてしまうのだ。
 
 いや――違う。
 それだけではない。
 前に向き直った時にジェットは気付いていた。
 管理局の任務は全ての個人感情に優先する。それが当然だと言わんばかりのジーグラーの口調に、ジェットは言いようのない不快感を覚えるのだ。
(もし、おれが――あのガキと同じ立場だったら……)
 そう考えたとき、彼は思わずぞっとする。
 現在のジェット・リンクは管理局のメシを食う身だ。だから死んだ魔導師たちも彼自身の戦友と言えない事もない。たとえ名前と顔が一致せず、口も利いたこともないような連中だったとしてもだ。
 だが、そういう話ではない。
 もしも死んだのが、いま現在、体を張って首長竜と戦っている自分の戦友――ピュンマであったなら、自分は一体どうしただろうか。

(冗談じゃねえ……ッッ!!)
 考えるまでもない。
 おそらく、あの少年と同じく復讐に駆られて飛び出していったことだろう。
 その感情は私情だから任務を優先せよ――などと言われたところで聞く耳などあるはずがない。むしろふざけるなと怒鳴り返すくらいはしただろうし、命令違反だと邪魔をされたら、実力で排除したかも知れない。
 そう思い、愕然と振り返ったジェットの目に飛び込んできたのは――のろのろと身を起こし、こちらに向かって泳ぎだした少年――シン・アスカの姿だった。

 ジェットにとっては、まさしく開いた口が塞がらない――などとは言えるはずもない。
 あの少年は自分とは違う。彼は管理局トップエリート「機動七課」の魔導師であることに、深い誇りを持っている。だから任務を全ての感情に優先させよと言われても、――たとえ、その決断にどれほどの葛藤があろうとも――それを受け入れる素地がある。
『ジーグラー三佐、アスカ曹長がこっちに向かっています』
 そう念話を送ったジェットにトビー・ジーグラーは、ゴーグルから覗く目だけで、彼に笑って見せた。
『知っている。さっきアスカから個人間通信で命令違反の謝罪と作戦復帰の許可を求めてきた』
『あいつは……本当にそれでいいんですか?』
 その問いの答えは分かっている。だが、それでもジェットは訊かずにはいられない。
 果たしてジーグラーは、ジェットが予想したとおりの回答を寄越した。
『いいも悪いもないだろう。アスカ曹長も、これで一人前になったということだ』


 釈然としないどころではない。
 だが、ジェットは何も言わなかった。
 第二次反抗期と思春期が同時に到来しているような不安定な子供を、社会の現場で使う以上、ジーグラーの態度が正しいのは間違いないだろうし、おそらく彼も、こうしたケースの対応に慣れているのだろう。
 何より、あの少年が仇討ちを叫ぶあまり、本当に首長竜の眼前に躍り出したとしても、それはピュンマの邪魔になるだけだし、少年自身も死ぬだけだ。ならばこれでよかったと解釈するしかないではないか。

 だから、ジェットはこれ以上、この件について考えるのを止めた。
 どのみち、もはやウダウダ思い悩んでいる暇はない。
 そろそろ海上だ。そこまで浮上すれば足手まといどもとは別行動を取れる。そしてそこには、黒い幽霊(ブラックゴースト)が待っている。
 ただ、ほんの束の間後ろを振り返り、008に視線を送る。
(てめえも死ぬんじゃねえぞ、ピュンマ!!)

 

PM20:18

 デズモンド・ヒュームの召喚したエンシェントドラゴン“シェンロン”が何度目かのブレスを吐き、その都度ハリウッド映画のような爆発音が空に響く。
――だが、そんな音はヴィータの耳には入らない。
 彼女の鼓膜を揺さぶるのは、あくまで自分の振り下ろすグラーフアイゼンの立てる、凄まじい打撃音だけだ。
 しかし――まだだ。
 まだ、この装甲版の芯を砕いちゃいない。
 だから、痺れる腕に力を込め、さらにもう一度、ハンマーを振り上げる。

「こんっっっのぉぉぉ~~~~っっ!!!」

 ビルほどの体積を持つハンマーヘッド“ギガントフォルム”に、“ラケーテンフォルム”のブースターとドリルを併せ持つ、ヴィータのアームドデバイス「グラーフアイゼン」最終形態“ツェアシュテールングスフォルム”。
 巨大すぎるハンマーヘッドが、遠心力とブースターによって加速し、数百トンもの破壊力を込めて振り下ろされる。
 甲板を覆う複層型の特殊装甲板が、さっきに倍するボリュームの打撃音と共に粉砕され、艦内が剥き出しになる。
(よしっ)
 ニヤリとヴィータがほくそえむ。
「なのはっ!!」
「うんっ!!」
 この艦の魔力炉がどれほどの性能かは知らないが――「聖王のゆりかご」ならともかく――さすがに剥き出しになった艦内にまでAMFは発振されてはいまい。ここになのはが零距離射撃で魔法をぶち込めば――。
「ディバィィイン・バスタァァアアッッ!!」



 さらに一隻、夜空に赤々と炎上する空中戦艦を見上げながら、八神はやては拳をぎゅっと握り締めた。
 ヴィータとなのはのコンビは機動六課編成以前からの歴史があり、息の合ったそのパートナーシップはさすがに堅い。だから、この二人が戦艦に突っ込んだ時も、はやてにとっては心配こそすれ、さほどの不安は無かった。
 ちらりと視線を移すと、ゴジラよろしく口から熱線を吐き出して、艦隊を蹂躙していたエンシェントドラゴンが、デズモンドの背後に輝く空間魔方陣に姿を消そうとしているところだった。
(なんや、もう帰るんかいな)
 はやては反射的にそう思ってしまうが――まあ、相手は人間以上の知能を持つという神獣だ。そうそうこっちの都合通りの行動は取ってくれないのも仕方ない。むしろその暴れっぷりは予想以上だと言っても差し支えはないだろう。
(つーか、予想以下過ぎるんは、コイツらの方や)
 そう思いながら、上空の艦隊を見つめる彼女の瞳には、訝しげな光が強く宿っていた。

「腑に落ちないな」
 不意に話し掛けられて振り向き、はやてはさらにぎょっとした。
 スキンヘッドの初老の男が、乗用車どころかトラックほどもある巨大な大砲に取り付いている。
 この大砲が質量兵器でないとしたなら――まあ実際そんなはずはないのだが――これはデバイスの変形なのだと思い当たり、はやてはさすがにぞっとした。管理局きっての砲撃魔導師である高町なのはでさえ、レイジングハートにここまで砲術特化の形態を展開させる事はない。

「ロック一佐……腑に落ちんって?」
 はやては呟くようにその男――ジョン・ロック一等空佐の名を呼ぶが、彼は振り向きもしない。ただ、厳しい顔を崩さず、先程の言葉の続きを語るだけだ。
「もしも、あの連中がデータにあった黒い幽霊(ブラックゴースト)だったなら、こっちの被害がこの程度で済むはずが無いと思うんだがな」

 そうなのだ。
 はやては無言で頷いた。
 あの質量兵器テクノロジーと戦術思想から察するに、上空の艦隊が、ジェットの言うところの黒い幽霊(ブラックゴースト)であるのは、まず間違いないだろう。
 しかし、ならば加速装置装備型のサイボーグすら出現しないのは何故だ?
 戦力を温存しているとしたら、その理由は何だ?

「まさか……」
 はやては弾かれたようにロックを振り向く。
「間違いないだろう」
 ロックは言った。


「あの連中は、ここで我々を蹴散らした後、クラナガンに直接攻め込むつもりだ」


「まあいい」
 錆びた声で言うと、にやりと彼は笑った。
「ここで奴らを潰してしまえば、何を考えていようが関係ないな」
 その瞬間、大砲の砲身に輝いていた青い魔力光が膨れ上がった。
 何をする気だ――と、はやてが問う暇すらない。
 相手はAMFを装備した数十万トン級の装甲目標である。それも、ただのAMFではない。なのはのスターライトブレイカーさえも弾き返す対魔法防御フィールドだ。魔法解除の強制力だけで言えば、おそらく「聖王のゆりかご」以上の出力を誇るシロモノに違いない。そんな目標に向けて、どんな砲撃魔法を行使しようというのか。

「無駄だと思うか? しかしな八神、AMFの魔力収束解除率は決して100%たり得ない。つまり――」

 その先の言葉は聞くまでもない。
 たとえ砲撃の95%の威力をAMFによって消失させられたとしても、それは問題ではない。残り5%で目標を貫く威力を魔法に持たせればいいだけの話ではないか。
 ロックはそう言っているのだ。
 だが、そんな芸当が可能だとは、はやてには到底思えない。
 たとえ、このジョン・ロックが次元世界唯一の魔導師ランクSSSを誇る“管理局最強の魔導師”であったとしてもだ。

「ちょっと離れてくれ八神、本気の殺し撃ちなんて久し振りなんでな。君を巻き添えにしたくない」

 男の口元に薄笑いが浮かぶ。
 殺し撃ち――非殺傷設定を解除した、対象の物理破壊を目的とした魔法攻撃の隠語である。設定を解除している以上、砲撃に巻き込まれれば味方の魔導師であろうが関係なく被害を負う。
 すでにロックがデバイスを変形させた“大砲”からは、おそろしいまでの高密度の魔力が感じられ、はやてはおろか周囲の魔導師たちでさえも、ギョッとしたようにロックを振り返るや、あわてて距離を取る。ロック自身の魔力はおろか、この海域全ての拡散魔力を収束しているのではないかとさえ思えるほどの魔力密度だ。
“大砲”周辺の空気も、魔力の高まりに応じるように帯電し、プラズマの火花があちこちで音を立てた。

「さあいくぞ、ゲルドルバ・ソーラレイ」




「おいおい……マジかよ」
 ヴィータが呆然と呟いた。

 高町なのはのディバインバスター零距離射撃によって大破炎上した戦艦は完全に沈黙し、甲板上に屹立する二人に、艦の砲座が火を吹くことさえもはやない。
 おそらくこの戦艦は、なのはがあと一撃の砲撃を撃ちこめば、もはや完全に航行不能状態になり、海上に墜落せざるを得ないだろう。
――なら、とっととそうしろよ。
 普段のヴィータならそう言うはずだ。
 だが、二人はいま、自分の状況を忘れ、宙空の一点から目を離せなかった。

 機動七課責任者、八神はやて――ではない。二人が眼を奪われているのは、まさにその隣にいるジョン・ロック。
 彼の展開したデバイスから、まさに夜空を覆わんばかりの高圧の魔力を感じるからだ。
(化物め……ッッ!!)
 ヴィータはそう思わずに入られない。
 あの男は、フェイトやエリオのような人造生命でもなく、スバルやギンガのような戦闘機人でもない。ましてやヴォルケンリッターのような戦闘用プログラム人格でもない。どこにでもいる100%天然モノの人間なのだ。
(まるでサイヤ人じゃねえか)
 ふとヴィータは、日本の八神家にいた頃に見たテレビアニメを思い出す。
 もし、ここにスカウターのような対人用パワー測定装置があれば、リミッターを振り切って煙を噴出しているかもしれない。
(世界は広いってことか……)
 管理局最強を謳われるジョン・ロックの噂は、ヴィータも聞いてはいたが、今夜実際目の当たりにするまでは、彼がこれほどまでの魔導師だったとは思ってもいなかった。
 いまや、この海域にいる全ての魔導師が、この初老の男に眼を奪われている。
 無理もないだろう。
 これほどの圧倒的な魔力が砲撃として解放されれば、いったいどうなるのか。
 自らの身を守るためにも、魔導師たるものならば、目を離すことはできないだろう――。



 その時だった。
 時空管理局一等空佐ジョン・ロックの体が、魚のようにびくんと跳ねた。

「ロック隊長――?」
 隣にいる高町なのはが呟いたのがヴィータにも聞こえた。
 ヴィータもたまらず、まばたきを繰り返す。
 何が起こった?
 訊くまでもない。
 もし、自らの視力を信じるならば。だ。
 だが、遠目に見えるあまりに信じがたい光景に、ヴィータはやはり自分の目を疑わずにはいられない。そして何度まばたきを繰り返しても、その瞳に映るものが変わる事は無かった。


 ロックの胸部からは一本の腕が、なにかの冗談のように突き出している。まるで「旅の扉」を使ってリンカーコアを回収しているシャマルのように見えなくもないが、違うところが一つある。
 胸から突き出た腕が、溢れ出す鮮血を伴っていることだ。
 一瞬前まで天を覆い尽くすほどにさえ感じられた圧倒的な魔力も、もはや雲散霧消してしまっている。
 当然だろう。背中から串刺しにされて、何事もなかったように魔法を行使できる者などいはしない。
 


 何が起こったのか、それは八神はやてにも分からなかった。
 冗談のような唐突さで、ジョン・ロックの背後に出現した白髪白髭の男。
その男は、まさに気が付けばそこにいて、背中からジョン・ロックを素手で串刺しにしていたのだ。

「……ロック一佐……?」

 いまだ事態が把握できないはやての呼びかけに、ロックが答えることはなかった。
 ごぼっ――という濡れた音と、湯気を伴う大量の鮮血を口から吐き出すや、数トンはあるかと思われる巨大なデバイスとともに、「管理局最強の魔導師」と呼ばれた男は、胸の風穴から迸る血にまみれながら、人形のように海面まで落下していった。
 そして残った――この男。

 ピッタリと身に付いた迷彩色のラバースーツを着用した、白髪白髭の男。
ロックも年齢的には還暦を過ぎていたが、この白髪の男も彼に劣らぬ老人であるようだったが、しかしロック同様、年齢に似合わぬエネルギッシュな気配を発散している。
 なにより、はやての気を引いたのが、まるでサングラスをそのまま眼窩にはめ込んだような彼の眼である。その漆黒の瞳に見つめられた時、彼女は思わずぞっとした。

「おまえが八神はやてか」
「あ、あんたは……?」
「わしの名はバン=ボグート。――安心せい、魔法使いどもはともかく、同胞には手は出さんよ」
「どう……ほう……?」
「地球人は殺さん。そう言うておるのさ」

 その瞬間、カチリというスイッチ音と共に男の姿が掻き消え、それと同時に夜空に数十個の爆発が浮かび上がった。
「ッッ!?」
 突然の出来事に、反射的に爆風から顔を庇ったはやて。
 そして、その爆煙が晴れ、隠れていた月が見えた時、――夜空に飛び交っていた機動七課ワイバーン小隊の人影は、もはや一つも残っていなかった……。



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