【コラム】真実の前に「死に体」の社民党(下)

 97年、鹿児島県の海岸で北朝鮮の乗組員を乗せた貨物船が座礁した。当時、取材のため現場に行ったが、人通りのない夜道で日本人の恐怖に思いをはせた。子供たちは昼間でも外に出られない。地元住民らは「貨物船に拉致されるのでは、と思うと怖い」と言った。北朝鮮の拉致犯罪は、日本国民全員が認識している現実だった。

 それでも、社会党(96年以降は社民党)は02年まで、北朝鮮による拉致を事実として認めなかった。辛光洙事件が明らかになってから17年間、金賢姫元工作員の証言から15年間、真実に目をつぶってきたのだ。02年は、金正日(キム・ジョンイル)北朝鮮労働党総書記が自らの言葉で拉致の事実を認め、謝罪した年だ。土井氏は「拉致被害者に申し訳ない」という一言で、苦しい立場を逃れようとした。

 社会党は「朝鮮労働党唯一の友党」であることを誇りにしていた。北朝鮮とのパイプを政党の存在理由にし、強大な圧力団体だった在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の支援を受けた。国民の拉致や死に目をつぶり、朝鮮労働党の代理人的な役割をしたのには、そうした理由があった。

 社民党は今も北朝鮮を公然とは批判していない。それが理念であり、存在理由だというのだから、誰が彼らを止められるというのか。しかし、その社民党も、自らを徐々に、そして静かに枯死させていく有権者の前には無力だった。一時、衆議院議員166人を抱えた同党だが、現在の同院議員数は7人。真実から目を背けていたこの20年間に、野党第一党から一小政党に転落したのだ。

東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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