2009年3月Archives

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■CANDY presents■. 

「TARZANKICK 」  

09.SPRING SUMMER exhibition with SPECIAL party !!! 

Opening party @ CANDY 

Date:3/14(sat) 

Time:20:00~ till you fuck up!!





キテるよこの人の作る服!
森田さんのTARZANKICK!!

今日の20時から新宿2丁目にあるCANDYで新たな空間インスタレーションによるTARZANKICKのエキシビジョンのオープニングレセプションパーティ開催です。









最近更新してませんが、こっそり生きてます。
パソコンを最近知り合いに譲ってもらい、
PC環境が劇的に改善されたので快適になってきましたが。
まぁ僕の存在なんてどうでもいいんですけどね。
裏からこっそり社会奉仕してりゃあいいんです。
スターになんかなりたくない。
最近のあれ、ほらなんですか。
中学生も高校生もアメブロameba blogとかやってんでしょ?
他人のブログ見て?自分のブログ書く?
ブログ書くのにも写真アップしたり設定したりネットわざわざつないだり大変だこと。
一日は24時間しかないんですよ。
他人のブログ見るのもいいですがほどほどに、
自分のブログ書くのもいいですがほどほどに。


消費することを主たる価値観としたグローバリゼーションもここまで来ると、もはや自分の時間や日常をすり減らしてるようなものです。
実質何が進んでいるのか、何を積み立てているのか、何か体験できましたか?
おいしいご飯も食べずにずっとコンビニで「噂のおいしい料理のお店ベスト100」的な本を立ち読みしながら時間をすり減らし、実際には何も食せずに、
その本を読んでる時間分アルバイトでもして1時間働きゃ1食分ぐらい
なにかおいしいものや未知の食事を味わえるお金にもなるだろうに。。。。


バランス崩しちゃだめですよ。
"自分の切り売り"はアイドルの仕事です。


ファッションにしてもそうじゃないかな?
情報とか名前ばかりが先行して、
ブランドの名前とかデザイナーの名前とか着用画像なんて見て調べる前に、
実際にお店行って試着するなり話すなり、
現場行って雰囲気感じたり人間観察してみることが大事なのでは?
"他人"の体型、キャラ、顔立ち、趣味嗜好、その人の生活の上に
成り立つその服と雰囲気を見るのもいいですが、
きちんと"自分"の体型、キャラ、顔立ち、趣味嗜好、生活を
その服に乗せて考えてみましょう。
"他人"のフィルターを通してではなく"自分"とそのモノとのストレートな
1対1の関係でそのモノを見てみましょう。
もちろん服以外でもそうですね。
体験、自立、これが重要です。何事も。







体験、記憶、それが重要です。
感覚による体験とその記憶、その積み重ねが自分の人生と成ります。
自分だけのオリジナルです。
他人の誰もが邪魔できない自分だけの唯一の価値観です。

逆に言うならせっかくのこの自分の感覚や体験というものを
きちんと認識して、自分で自覚してあげないことには
これらは無意識の中に藻くずとなって消えてしまうかもしれません。
それを確立してあげることができるのは自分自身のみです。
他人じゃありません。自分の感覚なんて他人には理解できないのですから。

自分の感じた"感覚"こそ自分だけの真実です。







最近改めて刺激を受けた文章があります。
"禅"をウィキペディアで調べていたんです。
そしたら




  • 公案禅(こうあんぜん)
達磨大師が西から旅をして来た理由は、国外の仏教の衰えを憂えて、悟るために重要なものが坐禅の実践であり、経典の学習ではないことを宣教するためであるとされる。しかし、ひとまず思考・議論・学習を止めよと教えても、なぜ止めねばならないかについて思考・議論・学習を始めてしまうような思考癖のある修行者にとって、只管打坐は至難の方法となる。そのような修行者は、いかなる経典を学ぶとも、悟りというものの共感が得られないために、想像をふくらませて解釈しようとする。無理な想像は妄想となって理解に歪みを生じ、自ら生み出した曲解に妨げられてますます悟りから遠のくという事態は、昔から多くの師家を悩ませてきた。経典を学ぶにしても、学び手に必要なものはまず悟りの体験である。悟りというものは自分の心で自分の心を確認し、自分の心で自分の心を理解するものである。他人に頼って何かを明らかにするとか、自分以外の何かを利用して体得するようなものではない。従って、悟るためには何よりもまず坐禅の実践によって自分自身と向き合うことが肝要である。こうした問題意識から、思考癖のある聡い修行者に坐禅を実践させるために、禅師たちが考え出した方法が公案禅である。修行者に公案を与え、行住坐臥つねに公案の答えを考えさせるのである。









かなり端的すぎてわかりづらいかとは思いますけれど。
全容をつかむにはウィキペディアでみなさんも調べてみてください。
まぁ僕のこんな駄文じゃほとんどの人興味も示さないだろうけれど、
僕が発散したかっただけですw
怠慢はよくないですね。
変な宗教みたいな勧誘みたいな文章失礼しました。




今日はCANDYで楽しみましょう。





はち



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vogue hommes japan 2
2号が出るようです。
個人的にはHUGEに続き、コンビニにも並ぶファッション雑誌としては
異例の内容ですね。

レディスのファッション雑誌ももっともっと
面白いものが出てくればいいのに。
内容や方向性など個人の好みはあるとしても
時代の次の進化を生む、もしくは触発してくれる
そういう存在や物事、現象っていうのは
必要です。



個人的にもnicola氏のスタイリングの向かおうとしてるイメージは
とても好きなんですけどね。
彼のスタイリングを見てるとやっぱり「自由」
この一言に尽きるのかなって。
彼の個人的な趣味嗜好もストレートに反映されていて。

なんか細かいこととかいちいちルールとか
全然気になってなくて、
ただ単純にかっこいいもの、美しいもの、かわいいもの、
心を動かす何かというものを求めているような気がします。

これって、これこそがファッションですよねって。
心が動くこと、これはとても素敵なことですよ。


今回の内容としては
僕の"個人的"に気になったものは
ガスヴァンサント、dispatch bureauを取り上げた"記事"や、
新進デザイナーのNYCのTelferやLAのBrian Lichtenbergのインタビューなど。
特にこの2人のデザイナーは面白くて強烈。



最近はミクシィニュースやよくあるファッション雑誌も含めて、
「今春のみんなのバッグの中身は?」
「彼氏の行動一番許せないのは?」
みたいな題材があふれてますよね。

頭悪いよなぁ本当(笑)
そこにあるのは美しく強い精神性でもなければ
周りにエネルギーを与えてくれるものでもなく
本当の"かっこいい""素敵"とは何だろうと考えさせてくれるような感動でもなく
もはやファッション誌という名の

「周りの空気読むだけの一般人平均調査ゴシップ誌」

としか僕には思えません(笑)
別に全部を否定もしないし面白い内容を紹介してる雑誌も多々あるけれども、
でも最終的にそれを読んだ人の中に残るモノがあまりにもつまらないんじゃないのかな。





まあいいです。
とりあえず、そんなこんなで。
これからも安易に流されずに強いモラルと前進する意志を持った
雑誌その他の存在の登場が増えること、
その土壌が広がっていくことを望んでいます。


もてなしの料理と一緒です。
ちょっとした盛り付けでもおいしく感じたり素敵なものに見えたりするように、
ちょっとした工夫と気持ちがあれば、色々なものの他の素敵な側面が見えたりするものです。
ファッションもそんな存在でもあると思いますし。






はち